岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

「 芸術の杣径 」 一覧

(19)芸大という所

(19)芸大という所(60頁) 思い通りにストレートで芸大に入学できて、最初に描かされたのが、モリエールの石膏像の木炭デッサン。その僕のデッサンに対して、先生に否定的な意見を言われた。その時に思ったこ …

(18)プレ印象派・コロー

(18)プレ印象派・コロー(57頁) 日本橋画廊に絵を持って行き始めて、毎月何点か描かなければならなくなった。常時、作品を生み出すためには、グランドモティーフを決めなければ、とても続かない。それで、風 …

(17)子どもにとっての父、母

(17)子どもにとっての父、母(57頁) 自分が歳をとると、父親の株が上がって、母親の株が下がってきた。何故かというと、父との関係は当然のように反抗期があった。反抗期から、急に自分が、やさしくなったこ …

(14)芸大の石膏デッサン

(14)芸大の石膏デッサン(48頁) 今の芸大は、アカデミックなメソッドをどんどん否定しているらしい。もっと自由に感性を解放して…という。僕は、そういう傾向には絶対に反対だ。いまは、アカデミックな石膏 …

(13)方法論

(13)方法論(45頁) こういう技法を少し教わって、その方法を使って自分で色々考える。それ以後は、教わるのではなく、方法論を知れば、そういう方法でやればすむわけだ。推論の糸口は、教わって分っているの …

(12)デッサン(高校の美術クラブ)

(12)デッサン(高校の美術クラブ)(43頁) 石井君のデッサンを見て衝撃を受けて、その後二年生になって美術クラブに入った。でも、そのときもまだ、芸大受験は考えていない。成績は、進学校の中でもよかった …

(11)分岐点

(11)分岐点(40頁) 何故、芸大を受験して絵描きになろうと思ったのか、何故そう決断したのか。この決断が、僕の人生の最大の分岐点だった。 高校一年の夏休み明けに転入試験を受けて、千葉の高校に二学期か …

(10)日常・非日常

(10)日常・非日常(38頁) 昔、僕が10代の頃、芸術家の間に実存主義が流行った時期があった。日常生活を破綻して、酒や女や病気に惑溺して、そういう非日常的生活を創作の手がかりにしようというような風潮 …

(9)個展

(9)個展(36) 個展をしたのは、日本橋画廊と知り合うちょっと前あたりの事だ。芸大の大学院在学中で一九七〇年の一一月だ。どうしてもお金が必要なので、高校時代に住んでいた所(市原市、辰巳団地)の集会所 …

(8)他の教室に行って描く

(8)他の教室に行って描く(34頁) 他の画家の描いているところを直接見て勉強になったもう一つは、佐藤照雄という先輩の話。もうお亡くなりになった(1926-2003年)けれど、リアリズムの大家で、デッ …