(17)子どもにとっての父、母(57頁)
自分が歳をとると、父親の株が上がって、母親の株が下がってきた。何故かというと、父との関係は当然のように反抗期があった。反抗期から、急に自分が、やさしくなったことを、これからはやさしくしようと思ったきっかけの出来事を覚えている。
最初は、父と僕だけが千葉に来ていたのだが、男二人の生活に不便なので、長男夫婦(玉の三井造船所に勤務)を玉に残して、結局一家(母、姉、弟)が高二の時に引っ越してきた。一家が引っ越してきても、時々玉野と交流があるので、姉が玉に行って千葉に帰る時に、当時は新幹線がなくて、「瀬戸」という特急列車を使っていた。「瀬戸」で東京に着くと(夜の9時頃だったか)千葉まで行って、千葉駅からはもう内房線の列車がないのでタクシーで家に向かう。姉はまだ若い女性だから、迎えに東京駅まで行くわけで、父一人でなく、僕もいっしょに付いて行ってやった。
東京まで行って、列車の到着まで時間を潰すのに、浅草に行ったが、父は田舎の人だから、僕の方が父を超えつつあるなと、感じる場面があった。「ああ、この分で行くと、僕は父を超えるな」と思うと、もう優しくしてやらないといけないな、と思う。それまでは口を聞かなかったり、反抗したりするわけで、それは、父が僕より上だと思っていたから。この分で行くと確実に僕は父を超えていくなという風な自信がついてくると、やさしくしなければと思う。そういう感覚が、浅草を歩いている時に湧いてきた。浅草までの行き方や、どこで夕飯を食べるかとか、そういうことが全然分らない父の様子を見て、僕が決めて入った店で天丼とか親子丼とかを頼んで…。そういう時に、芽生えた感情があって、それからは父に対して優しくなった。
子どもの時は、両親は絶対的なものだ。父親は、自分が大人になると相対的になるけれど、母親は思春期になっても絶対的なものなのだ。
ところが、自分が家庭を持つと、子どもにとっては絶対的なものだけれど、父親にとっては妻は一人の女で、たまたま出会って結婚した異性だ。子どもは否応なく母親の子どもだけれど、父親にとっては、たまたまの出会いで、特に絶対的な結びつきでもなんでもない。そうすると、父にとっての一人の女としての母を見ると、ああ、父も大変だったんだなあと思えてくる。父から見た母をそういう相対的な女性として見るのと同じように、僕も母を一人の女として見ると、自分の付き合った女性に感じるのと同じく、相容れないところが見えてくる。
今では、学校の先生と父兄の学歴の差はないが、昔の地方ではインテリというと先生くらいで、父親が大学出身のホワイトカラーというのでなければ、中学生くらいになると、ほとんど両親よりも知識が優勢になる。たとえば、外国の船がドックに修理に入って、町を歩いている外人が道を聞いたりする。それで、聞かれたおばさんが困って、「あんた、ちょっと、ちょっと。この人何か聞いているわよ…」というようなことがある。それで、学校で習った簡単な英語のセンテンスで答えると、おばさん達に「大したもんね。また頼むね」なんて言われて、そんな場面で子どもでも大人に尊敬されてしまう。そういう所にいると、知識等で親を超えるのが早いし、またその体験が、子供をどんどん大人にしてくれる。