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(14)芸大の石膏デッサン

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(14)芸大の石膏デッサン(48頁)

今の芸大は、アカデミックなメソッドをどんどん否定しているらしい。もっと自由に感性を解放して…という。僕は、そういう傾向には絶対に反対だ。いまは、アカデミックな石膏デッサンやヌードなどは、アナクロニズム(時代錯誤)という事で、かえって否定材料になっている。僕は、それは絶対に必要だと思っているのだが、ただし問題はある。石膏デッサンは物の陰影の認識にはとても役立つが、色の問題になるととたんに役に立たない。石膏像は、髪の毛や肌の色や着衣、すべてが固有色を剥ぎ取られて白く均一化されている。そのために、石膏デッサンから自然のモティーフに移った場合に、次のステップが難しい。石膏デッサンのメソッドをいつまでも引きずっていると、次の問題点に気付きにくい。そこをうまく教えられるといいのだけど、教えるというか、コーチできる人がいないと、結局、途中からマイナス材料に変わってしまう。

石膏デッサンは、それ自体が悪いものではないけれども、次のステップが難しい。かといって、自由に自分の好きなように感覚を解放して描きなさい、なんて言われると、かえってどうしていいか分らなくなるだろう。そうやって、学生時代を過ごすと、卒業はしても、どんな絵を描いて行ったらいいのか途方にくれるだろう。何のスキル(技術)も持っていないのだから。

そのようにして、現在のポストモダンの風潮になってしまう。やはり、自然主義リアリズムから印象派に移っていくという美術史を、的確に身に付けていくと、きちんと造形の方にいくのだ。最初の石膏デッサンもなしに、印象派も素通りして、現代美術に行くわけだから、もうポストモダンの状況だ。百人百通り、好きなように、何でもあり、それが今の世代の絵描きの世界だ。

デッサンを素通りした人は、そのプラス面もマイナス面も分らない。

僕は、自分がそれを体験して手応えがあったから、子供の時に身に付けた方法論でアプローチすれば、芸術の中の美術という分野で、文学と違って、これはいけそうだという手応えがあった。文学では、どうやって糸口を見付けて、構造化し、よりよい文学に向かって努力するというそのベクトルが分らない。どう分析していいか分らない。

ある目標を設定したなら、そこに到達するために、考える糸口を見付けなければならない。じゃんけんに勝つ方法にだってある(子供の時に考えた)。ところが、文学には糸口が見つからなかった。しかし美術は、これはいけそうだと、少年のころの僕に銀ヤンマが捕れたように、これは不可能ではないぞと…。

何枚か、木炭デッサンを描いていくうちにぐんぐん上手くなっていった。それが面白くて、僕なりに分析して、構造化して描いていくと、結果がどんどん出てくる。だからそのときは、芸大云々ではなくて、自分はいけそうだ、絵描きになれるぞと思った。

芸術というものは、歴史上の天才は、高校性の力と比べたら当然物凄い差がある。しかし、いけるかもしれないという感覚。この方法を使えば、子供のときに自分で体得した方法論を使えば、それを使って芸術というものを追求していくなら、僕にもできるかもしれないという手応えを感じた。

 それは、子供の時につちかった、色々の難問を自分で克服していった、「形の記憶」がそう感じさせたのだろう。(注:銀ヤンマ、うなぎ)

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