(2018年)
(2019年)
『玉野だより』 2019.01.16【】
1月15日、玉野への4訪目。16日はもう何度も通った王子が岳で、足慣らしの今年の仕事始め。ここは、描くポイントが多いので、イーゼルを立てる場所に迷った時には裏切られない貴重な場所だ。山頂へも車で来られて、駐車の心配もない。 以前描いた東家の近くのポイントでは、以前は、周りの緑で目立たなかった赤松の木と大きな石を組み合わせが絶妙の構図になっているので、ここで描くことにする。岩よりも、松が主の作品は、王子が岳では2点目だが、結果的には、多くの、松が主題の作品を描くことになる。 縦構図で描いたが、足慣らしにしては、上々の作品になりそうで、幸先の良い新年の滑り出しになった。空は、枝の間を塗るのが現場では面倒な作業なので、アトリエに帰ってから描くことにする。 『玉野だより』 2019.01.17【出崎風景(2)】 この日は、前日王子が岳からの帰りに下見していた、出崎にイーゼルを立てた。出崎は沼(ぬ)側は車で入れるが、鼻の先側は、歩いては入れるが、普段ゲートで車では入れない。たまたま、中電工の工事期間中でゲートが開いている。どちらにせよ、出崎は国立公園なので、一部の私有地、私道の既得権ために、公園内に入る国民の通行権をゲートで閉め出すのはおかしな話だ。ここに入れるうちは、文句は言わないが、何かあったら柏に帰ってから、市や国に電凸しようとおもう。 この作品を描き終えて、妙見氏に迎えを遅らせてもらい、岬の先までロケハンしてまわった。宇野側も胸上側も、美しい白砂の浜の連続で、瀬戸内風景のモチーフの宝庫だ。当分、ここに描きに来ることになるだろう。ウレチイナァ。 『玉野だより』 2019.01.18【】 この日は、前日と同じ場所で朝日と朝日に反射する光る海を、Sの15号で描いた。昨日描いた『瀬戸内風景(光る海)』では太陽が画面に入らなかったので、S15号のキャンバス持ってきたのだが、太陽を真ん中に入れると、白砂の浜が画面に入らない。太陽と光る海を画面の左に寄せると、浜辺は右下にギリギリで入った。 太陽と光る海を中央に入れた作品はF15号の縦構図で明日描くことにする。画家は、絵に対するお金や手間にケチケチしてはならない。画面の構図に別の発想が生まれたら、それは、別のキャンバスに描けば済むことだ。 今は、この画面に集中して、描写する。 『玉野だより』 2019.01.19【瀬戸内朝陽(出崎2)】 この日は、三日連続して出崎の同じポイントでイーゼルを立てた。天気に恵まれて、三日間とも朝陽と光る海がまぶしい。今日は、期待したモチーフの状況と、予定していた描く絵の想定が一致したので、スンナリと気持ちよく描画を終えた。アトリエ画と違って、イーゼル画は直接、外での自然に含まれて仕事をするので、雨風、暑さ寒さ、蚊やアブ、イーゼルを立てる場所、眺望などクリアしなければならないハードルは結構多いのだ。だから、こんな日は、こんなに美しい風景を、こんなに楽に描かせてもらって、アリガタイという気持ちよりも、なんだか天に金利と返済期限と返済義務のない借金をしている気になる。美しい絵を描かなければ申し訳ない。 昼食後、明見氏と玉のお大師様の庵から、臥竜山を巻いて和田に降り、児島88カ所の16番札所の弘法寺まで歩いた。さすがの私でも、もとの道を引き返すのはあきらめ、タクシーを呼んで玉に帰った。歳です。 『玉野だより』 2019.01.21【出崎朝光(3)】 この日は、車で入れる出崎の最奥から、細い道を通って宇野側の小さな浜でイーゼルを立てた。こちら側の浜は、海からの風をまともに受けてキャンバスやパレットをあおられ、視線とタッチを中断され描きにくい。鼻の背面から朝の太陽が顔を出すので、その前に、キャンバスをセットして描き始めた。 この浜では、初めてイーゼルを立てるので、すべて現場に来てからの判断で、太陽がどの位置に出るのか予想するだけで、実際は分からない。その事も含めて、風や寒さのハードルも、ネアカな私には、筆を握っているときにはむしろ楽しい。アスリートの記録と同じで、結果いいい作品ができれば、すべての苦労努力が報われるのだから。 どんな画面になるか想定できない、初めての場所で、初めてイーゼルを立てる時は、いつもワクワクする。 『玉野だより』 2019.01.22【出崎朝光(4)】 この日は、昨日描いた同じ浜でイーゼルを立てた。今回は、前日と違って、場所も絵面(えづら)も決めていて、太陽の位置の関係で出発を1時間遅らせた。しかしイーゼル絵画は一期一会の現場でのセッションなので、結果どんな絵になるのか自分でも予想がつかない。贋作の天才ルグロもセザンヌの絵の贋作はできなかったし、セザンヌ自身も自分の絵のコピーは出来ない。だから、ネアカな私にはいつも「次の一点」の期待に毎回アドレナリンが全身に駆け巡る。そして、イーゼル画にスランプもマンネリズムもない。 イーゼル画は楽しいね。画料はすでに現場で天から支払わている。 『玉野だより』 2019.01.23【浜辺の松】 この日も、同じ浜での3日目。同じポイントの少し後方の浜辺の松をモチーフにイーゼルを立てる場所をさがす。海辺の崖や砂浜での松は瀬戸内では子供の時から見慣れているが、前回の訪玉で玉比咩(たまひめ)神社の松を描いた時から、やたらと目に飛び込んでくる。この後、何点も描くことになるのだが。砂浜の松といい、大きさといい、太陽の位置といい、背後の崖といい一期一会の数字が揃っているので、真逆光の位置にイーゼルを立てた。太陽光線を真正面に受け、対象も私もキャンバスも光に包まれて筆を走らせると、天地一杯の存在にシンクロする。前日のテキストでは、「イーゼル画にスランプもマンネリズムもない」といったが。こういう、天地一杯の存在にシンクロする瞬間は、スランプもマンネリズムも有ろうが無かろうがどうでもいいし、自己の身も心も、有ろうが無かろうがどうでもいい。まさに、道元のいう『身心脱落(しんじんだつらく)』だね。 描き終えて、日比(ひび)(地名)にある古刹、興楽山観音院常光寺に、先代のご住職の書いた児島八十八カ所霊場めぐりの本を、分けてもらいに伺った。 『玉野だより』 2019.01.24【波張崎風景(3)】 この日は、前回11月16日の訪玉で見付けていた、岩場に生えている松を描きに、胸上の波張崎に出かけた。この場所は、干潮時でないと行けない場所なので、今日まで待っていた。 海浜を回り込んで現場に着いてみると、その松がない。盆栽か庭木に誰かが取っていったらしい。こんな、誰も知らない場所に生えている松を、僅かの差で描き逃してしまった。前回、描いておけばよかったのだが、潮が合わずに現場に行けず描けなかったので仕方がない。すぐにオプションをさがす。 この場所では3点目だが、持っていったキャンバスがF10号だったので、近くに寄ってイーゼルを立てた。描き終わって絵の道具をかたずけお茶を飲んで一服しようとすると、潮がヒタヒタと満ちてきている。急いで岩場を回り込んで、迎えの場所で、電話をして一服した。 予定していた松がまだあって、描いていたら。その場所は次の岩場の上にあるので、帰るのに苦労するかも知れなかった。常にベストを尽くしていれば、「前回あの松を描いていれば良かった」という後悔も生まれない。私は、常に、今も前向きの老画家なのです。 私が以前作ったアフォリズム。 「魚はいつも上流に頭を向けて泳ぐ」 「ライオンは風上に顔を向ける」 「鮭は死ぬ前に川を昇る」(『芸術の杣径』より) 『玉野だより』 2019.01.25【出崎風景(丸山1)】 この日は、出崎の車で入れる最奥の、山田側の浜辺でイーゼルを立てた。丸山という、砂州で繋がった島で、室町時代に出城があったという、本当かどうかややあやしいげな石碑が立っている。この石碑の由来や、立てた人物のことも調べれば結構面白そうだが、近年イーゼル画を始めてから、他のことに手が回らない。 この浜でイーゼルを立てるのは初めてで、奥から順に何点か描くつもりだ。朝の光を真正面に受けた、崖と緑が美しい。海辺の木は、常緑樹が多いので、冬でも画面が明るくなって、枯れ木を描くのより楽しい。 背面の斜面から張り出した枝と、影になっている右手前の石の崖を入れて描き始める。以前なら、張り出した枝や、右手前の崖はキャンバス上に入れないのだが、イーゼル画ならば、外す訳にはいかない。トンネルの中にイーゼルを立てれば、トンネルを画面に入れないで、外の風景だけ描けばただの風景画になって、画家の立ち位置が分からない。丸山を描く1点目は、空間の特異な作品になってしまった。複雑な空間だが、なんとか完成まで持っていきたい。 『玉野だより』 2019.01.26【王子が岳風景(25)】 この日は曇り、出崎は朝陽が射している方がいいので予定を変え、王子が岳に向かった。前に一度描いた場所だが、「番田の立石」をいつか登って、2、30号で描きたいと思っているので、似たような風景の予行演習の意味も少しある。でも、ここは岩をメインに描いても、ズームアップやトリミングの、イーゼル画の禁止事項なしに海が画面に入る、数少ないアングルの場所で、ここでもイーゼルを立てる場所は一ヶ所しかない。イーゼルを立てるのは、描く私の立ち位置を含めて、難しい条件は多々あるが、それをクリアして、絵を描き始める時のやったという達成感と、描き終えた時の満足感は、たまらない。画家になってよかった。これもイーゼル画と道元のおかげだ。 『玉野だより』 2019.01.27【出崎風景(丸山2)】 この日は、私が勝手に名前を付ける丸山浜でイーゼルを立てた。この浜では2作目で、旭日の当たる丸山と白砂の浜と波静かな海と快晴の空が美しい。天はなんでこんなに美しい風景を作るのだろうか。 その答えは、私が最近上梓した『全元論』を読めば分かります。「天そのもの、存在そのものがそうだから」、「世界はそうなっている」から。 この写真のような、無人の美しい浜で、朝の光に包まれて、眼前の風景と一体になって無心に筆を走らせる幸せは、まさに、「画家の畢竟(ひっきょう)地』だ。 『玉野だより』 2019.01.28【海辺の松(出崎2)】 この日は、車で入れる出崎の最奥から、細い道を通って宇野側の小さな浜でイーゼルを立てた。この浜ではもう、何点か描いたが、今回の訪玉以前に予定していた、波張崎の松が、無くなって描けなかったので、この浜の岩場にある松を描くことにする。良さそうな松はあるのだが、画面に海の入る角度にイーゼルが立てられる場所は少ない。近景が主題なので画角が小さいので、10号くらいのキャンバスが適当だろう。 田井側の浜は、風が強い。下が砂なので三脚の足の下に、イーゼルが沈まないよう石を埋め、ジュリアンボックスの後ろに石の重しを置いても、キャンバスが風に煽られる時は、手で支えなくてはならない。描画の途中で中断すると、せっかくパレットでバルールを合わせた筆先の絵具の行き場が分からなくなって、イライラする。若い時ならカッカしたろうが、歴戦の老勇士は、そんなことくらいでは、平常心はゆるがない。 どうだ!結構いい絵になりそうだろう。うまくいったので、今後、何点か「海辺の松」を描くことになりそうだ。 『玉野だより』 2019.01.29【出崎風景(丸山3)】 この日は、朝から天気が良いので、丸山浜での3作目。丸山に近づく角度にイーゼルを立てた。イーゼル画は、同じ場所で何点でも描けるが、一箇所づつ潰していかないと、他に描く場所があるので気が残って落ち着かない。この浜では、明日描く予定の丸山での『海辺の松』で打ち止め、その後は、次の浜にポイントを移す。 出崎のこちら側は風裏になるので、二日前と同じく、朝の陽光の下(もと)、落ち着いて筆を走らせる。廓然無聖(かくねんむしょう)とは、こんな時間のことなのか。私ひとりが、幸せを独り占めにしては、天に申し訳ない気持ちだ。天はモデル料もとらず、万人に見せてくれている。画料は現場で充分いただきました。 それにつけても、こんな景色をゲートで閉めて国民に見せないなんて、なんという、浅ましく、卑しい人たちなんだろう。番田の立石に、ロッククライミングの金具を打ち込んだ人も、ともども、いずれどこかでバチが当たるに違いない。 ついでに、モナリザに髭を描いたり、美術展に便器を出したりしたマルセル・デュシャンや、醜悪な作品を自己満足で人に見せる画家もバチが当たるに違いない。 『玉野だより』 2019.01.30【出崎風景(7)、海辺の松(出崎3)】 この日は、今回の玉野滞在で絵を描ける最後の1日。アトリエを出る前は、丸山の岩に生えている松を描こうと予定して出かけたのだが、イーゼルを立てる場所に潮が入っていて、時間待ちをしなければならない。それではと、昨日描いた丸山浜の草の上の近くにイーゼルを立て、丸山の先を入れ、海を正面にして入り江を描いた。想定外の、やや苦し紛れの展開だが、描き出してしまえば筆は自然に走る。結果、いい絵になればいいのだ。 一点描き終えると、ちょうど潮も引いている。迎えの明見氏を待たせるが、持ってきたもう一枚のキャンバスに、予定していた、海辺の松を描いた。太陽の位置もよく、光線は松の葉に射し込んでいる。
『玉野だより』 2019.03.13【出崎風景(8)】 玉での5訪目の初日、12日に玉に来て早速イーゼルを立てる。出崎のゲートは電設工事で開いていた。しかし、このゲートの通行で、この後出崎に通うたびに、何度か不快な思いをした。 引き潮時で、渚の岩が黒いので、満ち潮時を想定して描画する。このキャンバスは前回張ってあったF10号だったが、昨日玉に来てみると、注文した巻キャンバスと木枠が着いていない。携帯でクレームの電話を入れて翌日届いたが、アブナイところだった。昔だったらこんな小さなトラブルでも1週間くらい時間が無駄になるところだったが、便利な世の中になっているなぁ。 天気も良くて、順調な出だしだ。 描き終えて玉の『富士食堂』で昼食後、明見氏の自宅近くの向日比(むかいひび)の松ガ鼻の近くの小さな砂浜をロケハンする。後日、大槌(おおづち)、小槌(こづち)の島を画面に入れて、ここで1点描がく。 『玉野だより』 2019.03.14【出崎風景(9)】 この日は、昨日描いた崖に、グッと距離を近付けてイーゼルを立てた。南面の崖は陽が当たると明るく光を反射して美しい。この岩が風化して、浜の白い砂になるのだが、東伊豆のごろた石の浜と、石の性質が違って、硬さも色も異なる。石としては品質が落ちるのだが、画家の目からは明るいオーカー色の砂や崖の方が描写しやすい。 天気もよくて、光を描くために、イーゼルを外に持ち出した印象派の画家達が、光が反射して、眼前の空間が光に溢れている風景に出遭った時の喜びと、その前にイーゼルを立てて筆を走らせる充実感は、この時の私と同じだろう。まさに三昧境だね。 でも、本人が幸せな時間を過ごしても、描いている絵が良くなるとは限らないので、クリアな目で、眼を独立させて描写に徹しなければならない。歴戦の勇士の、戦場での判断、行動と同じだ。 『玉野だより』 2019.03.15【出崎風景(10)】 この日は、前日、前々日に描いた崖に、より接近してイーゼルを立てた。画面の半分を崖が占め、崖の上部も画面から切れている。 イーゼル画は、同じ風景でも、立ち位置によって画面がどんどん変わる。立ち位置の変化と、季節、天候、時間の変化を加えると、ヴァリエーションは無限にあるし、イーゼルを立てる画家本人の都合もあるので、現に「今、ここ」でイーゼルを立てて描いている、かけがいのない一期一会の時間に、集中しなければならない。イーゼル画の現場での、画家と対象との、視線のやりとりの証拠としてのタッチは、二度と戻らないのだから。 『玉野だより』 2019.03.16【瀬戸内風景(大槌、小槌)】 この日は、3月13日の午後、明見氏に案内されてロケハンした、向日比の松ケ鼻にある小さな浜にイーゼルを立てた。ここからは、近くに大槌(おおづち)小槌(こづち)の島が見える。こんな近くからこの2つの島を見たのは初めてで、おそらく、渋川の海水浴場からよりもここが近いだろう。風の強い日で、沖の海面には兎が飛んででいるし、砂浜に打ち寄せる波も、瀬戸内には珍しく荒い。風が強いと、描くのにはキャンバスやパレットをあおられて面倒だが、瀬戸内の岡山側からの海の色は深みを増すので、これから現成する絵のためには、プラスかマイナスかはいえない。 小さい砂浜なのでポイントはここだけしかないが、もう一点描くとしたら、崖に陽が当たった、夕焼け空の作品も描いてみたいが、今後機会があるかどうか。 描き終えて、目の前の鼻の上に登る道があると明見氏に聞いたのでデジカメをもって上がってきたがめぼしいビューポイントには出逢わなかった。 『玉野だより』 2019.03.17【番田の立石】 この日は、私が番田の立石に登って描く予定だということに、玉小玉中の同級生の関藤氏と結城氏が同行を申し出てくれ、結城氏の車で送り迎え、関藤氏がF25号のキャンバスを持って番田から登った。朝雨が降っていたが、会ってから決断しようということで、一旦集合、その頃から空が明るくなり、雨も止んだので決行する。結果的には山上で描いている時は一時的に晴れ間も出、描き終えて車に戻ると再び雨が降り出した。番田では雨だったが、玉では道路も濡れていなかったので、局所的、一時的な雨が走ったのだろう。玉野では子供の頃からよくある天気で、こんなことが、私のポジティブな気質を育てたのだろうか。 今回の玉野での描画の目的の一つが、番田の立石を描く、ということだったので スッキリと目的の一つをやり終えた。 同行の二人も、私も、古希を過ぎているがまだまだ元気だ。 『玉野だより』 2019.03.18【出崎風景(11)】 この日は、出崎のいくつかある浜の、私が子供の時に三井造船所の社宅の子供会で海水浴に行ったことのある浜の、入江を見おろす道の端にイーゼルを立てた。出崎はリアス式海岸で、白砂青松の風景が入江ごとに開けるので、モチーフは当分尽きない。 画面の右側の木々はこの時間陽が当たらないが、その分、対面の、晴れた陽のあたる、海と空の青さとのコントラストが美しい。 空と、枝の間の海は、玉に帰ってからうめた。 『玉野だより』 2019.03.19【出崎風景(12,霧)】 この日は、朝から霧。出崎にある白砂の浜の一つにイーゼルを立てた。この浜を描くのは初めてで、先日の電設工事のためか、道の両側の草を刈ってくれたので、以前の草薮の上に入れた。この辺の草薮はイバラが多く、いつも持ってきているウエストポーチの中から剪定バサミをだして、足元のイバラを切る。あまり使わない道具を常時用意していて、的確な状態の時に使用する時には、「プロだなぁ」という自画自賛の気持ちが、思わず湧いてくる。 草が刈られて視界が開けたので、この先この周辺で数点描くことになるだろう。海辺の霧は珍しく、また、霧は大抵陽が登ると消えてしまうので、意識して記憶に留めつつ筆を走らせたが、幸いにも描画中ずっと霧はかかっていた。初めての霧の海景だった。 『玉野だより』 2019.03.22【出崎風景(13)】 この日は、一昨日(19日)描いた場所の近くでイーゼルを立てた。この場所のこのアングルは、道端の草を刈ったから今回イーゼルを立てられたのだが、以前のロケハンの折には、草の背が高くて前の浜が見えないので、描く予定には入っていなかった。今回の草刈りのおかげで、俄然浮上したポイントだ。舗装していないツートラックの道と海を入れて、「海辺の道」の絵のポイントを探して以前この辺りをウロウロしたのだが、今回の状況に出会えた幸運を天に感謝して筆を走らせた。 描き終えて、玉のアトリエで加筆している時に、気付いたが、道と、浜と、崖と、海と、遠くの鼻、よくも、一つの画面にこれだけの物が収まったものだ。道はそもそも前の鼻を切り通していなければ、この角度では存在しないのだから。アリガタイ、アリガタイ。 『玉野だより』 2019.03.23【出崎風景(14)】 この日は、先日描いた場所の近くでイーゼルを立てた。これで、3回(20、22日)連続してここに立っている。現場にイーゼルを立てれば当たり前のことだが、同じ場所でも、時間、季節、天候、そして特に視角を変えればまったく違った絵になる。イーゼル画を修練して眼を鍛えないと、今日の私のこのようなアングルの風景には出会えないし、出会っても見過ごしてしまうだろう。この作品のために用意したのではないが、1本だけ持ってきていた、M15号(縦横比が細長い)の木枠に前日キャンバスを張って、この絵を描いている。巻キャンバスを自分で裁断して、作品に最適な木枠を用意して、そして、自分でキャンバスを張れなければ、この絵は世界に現成しない。そうやって、目に見えない部分部分をキッチリと組み上げて現場の描画の主客合一、身心脱落、捨身本能覚の時間が持てるのだ。 『玉野だより』 2019.03.24【海辺の松(出崎4)】 この日は、この浜では4回目の描画。上の道から、下の浜に下りる小さな隙間の道の手前でイーゼルを立てた。この時期は、手前の草が枯れ色なので、松の緑が目立つ。晴れた日の、光の当たったコントラストと、各々のパーツの色の組み合わせが絶妙だ。だが、イーゼル画で極力排除しなければならないのは、眼前のモチーフに対する、自我の感情、感覚にとらわれて、ついついそれを描こうとすること。このことは、かつての私のフォービズムの時代に、画面がどんどん描写から表現主義的な方向に向かってしまい画の行き先を見失った経験から学んだ。 眼を独立させて、淡々と自分の視線をキャンバス上に変換していくことが現場での態度で、これは歴戦の勇士が戦場でも平常心を保ち、泣いたり、笑ったり、パニクったりしないで的確な判断を下すことと同じだ。 この日は日曜日なので、入り口のゲートは閉まっている。国立公園なのにいつもながら腹立たしいが、ゲートからこの場所まで歩いて来た。 『玉野だより』 2019.03.25【海辺の松(出崎4)】 この日は、丸山の手前にイーゼルを立てた。この場所は以前にロケハンしていたのだが、この時期、下草が枯れ色になっているので、昨日描いた松と同じく、松の緑が美しい。描いていて、途中で気付いたのだが、左手前に生えている小さな松は、まるでジグソーパズルの1ピースのように、画面にピッタリとおさまっている。自然は人智を超えているなぁ。 ベルナールはセザンヌに「セザンヌは自然の奴隷だ」と言ったし、ルドンは「描写絵画は天井が低い」と言ったし、ピカソは「対象より絵のほうが強い」と言ってイーゼル画から離れた。今や、イーゼルを外に持ち出して、現場で描いている画家は、世界中を探しても絶滅危惧種だ。 しかし「真・善・美」は超越なので、人智の及ぶところではないし、人がどうこう出来るものでもない。美は超越なので、人それぞれではない。それに気付けばイーゼル画は復活するだろう。 『玉野だより』 2019.03.26【出崎風景(16)】 この日は、3月2日の霧の風景(出崎風景-12)を描いた場所にイーゼルを立てた。空は晴れ渡り、同じ場所でも先日の絵とまったく違う絵になる。房総や湘南の浜と違って、瀬戸内の白い砂浜は光を反射して描きやすい。リフレを追い、描く印象派の画家の気持ちがよく分かるし、その技法のスキルアップにもなる。画家を志す人には、こういう場所で一度はイーゼルを立ててもらいたい。イーゼル画で眼と技を鍛え上げなければ、美しい絵など一生描けませんよ。 描き終えて、天気がいいので、前回途中で引き返した、出先の突先の浜に1時間強ロケハンしてきた。絵にするのとは別に、興味ある風景が沢山あった。 『玉野だより』 2019.03.27【出崎風景(17)】 この日は、前日と同じ場所でイーゼルを立てた。前日の『出崎風景 (16)』を描いていて、弓形の砂浜の手前の部分を入れた構図を思いついて、そうすると、近景を画面に入れるため縦横比の小さいF型のキャンバスを用意して、筆を走らせる。 1点の絵が現成(げんじょう)するには、色々の因縁に依っている。お釈迦さまも言っている、「これあればかれあり、これ生ずればかれ生ず」である。何の意味も根拠もない行為で、画面を埋めてはいけない。 これは人生も同じで、フーテンの寅さんやヒッピーのような生き方では、どこにも辿り着けないし、何事も成し得ないし、目的地、到達点も見つけられない。そもそも身の回りをフワフワと漂って時間を過ごしているだけなのだから。 『玉野だより』 2019.03.28【奥迫川の大山桜】 この日は、奥迫川の大山桜の前にイーゼルを立てた。週末には、地元で桜祭りのイベントがあるらしいが、また、他の種類の山桜は咲き誇っている木もあるが、当の大山桜は1~2分咲きだった。まだ咲いていないのは聞いていたが、来週には帰柏するので、この機会を逃すと描けるかどうかわからないので、行くことに決めた。 急斜面でイーゼルを立てる場所は、細い道の上で、花見の人がいないのは助かる。朝は真逆光で、桜の樹はシルエットになる、だから、桜の花のピンクも色ツブレしてしまうが、この際は、満開の桜を想像して色と光を作った。イーゼル画のルールには反するが、許してネ。 描き終えて山を降り、麓の里を少し歩いたが、小規模だが棚田がまだ生きていて、青田や秋の実りの頃のこの辺りを、いつかは描いてみたいと思う。 (この日は、玉小玉中の同級生の結城君と、佐々木君が同行して現場まで登って来た) 『玉野だより』 2019.03.29【出崎風景(18)】 この日は、出崎の丸山の手前の草はらにイーゼルを立てた。左側の舗装されていない轍のある道を、画面に入れて描きたかったので、全てが中心を外れた、こんなアクロバチックな構図の絵になった。 人間はナチュラルには、対象を視角の中心に置く。そして、そこにピントを合わせる。その一連の行為を為すのは、自我である。だから、物と空間、中心と周辺を差別して見る。 一方、世界存在はオールオーバーである。世界はそうなっている。 そうなっているその世界を、正しく描写するには、自我意識を脱落(とつらく)し、眼を独立させなければならない。 要は、こういう場所を見つけるのも、イーゼルを立てるのも、こういう構図の絵を描くのも、一朝一夕には出来ない、意志の持続と修行がいるのですよ。 老いると、すぐに文章がお説教調になってしまうが、それが老画家の唯一の楽しみなのだから、許してネ。 『玉野だより』 2019.03.30【出崎風景(19、ハマダイコン)】 今回の訪玉も、描けるのは今日と明日の二日で終わり。時は過ぎ行く。いや、自分から見れば時が過ぎてゆくのだが、存在し続ける世界から見れば自分が過ぎて行っているのだ。画家はいいなぁ、世界と過ぎ行く自分の現象の証拠を、絵に定着できるのだから。だからこそ、美しい作品を描いて世界に現成(げんじょう)させなければ。 この日は、丸山浜でイーゼルを立てた。浜辺の松を描くつもりだったが、浜ダイコンの白と薄紫の花が咲いている。今まで気付かなかったが、花が開けば美しく目に入ってくる。精一杯、存在を継続するために虫を誘っているのだろう。その花が老画家の目に留まる、そしてこの絵を描いている。これで、この作品が美しく完成すれば、まさに「香厳撃竹(きょうげんげきちく)」だね。 『玉野だより』 2019.03.31【海辺の松(出崎5)】 今回の訪玉での最終の絵は、丸山浜の草はらにイーゼルを立てた。目の前の松を画面の真ん中に入れて、後ろの光る海面の部分も真ん中に入れて、松の先端の光った部分を、逆光で暗部の半島の前部まで視点を下げて筆を走らせた。この松の手前のより小さな松も、松の影も画面に入れたいが、それは無理だ。それには、細長いキャンバスを用意して縦に使わなければ。 この一点の視点を決めて描くためには、松の先端が水平線の上に出るまで視点を下げるために、中腰にならないとその視点は得られない。世界がそうなっているのだから、画家の都合よくなっていないのなら、画家の方が世界の都合に合わせなければならないのが当然だ。中腰で視(み)て、立ってキャンバスに筆を走らせる、いいスクワット運動だったがタンペラマンで乗り切った。 「鳴かぬなら それでもいいさ ホトトギス (岬石)」 これで、6月の瀬戸内百景の展覧会用の作品はすべて描き終わりましたが、「玉野だより」は6月の展覧会会期中に続きます。そのテキストと写真は7月に帰柏してからフェイスブックにアップします。 『玉野だより』 2019.06.03【奥迫川風景(1)】 個展会場のマザーズは午後から開場なので、午前中は以前からの玉でのルーティン通りに中川さんに8時に迎えにきてもらい、奥迫川に描きに出かける。ここは、岡山市で玉野市ではないのだが、3月28日に山中の大山桜(おおやまざくら)を描きに来た時にチェックしていたポイントだ。結果的には、展覧会会期中はずっと奥迫川に通ったことになった。迎えの車は、いつもの通り明見君。 『玉野だより』 2019.06.04【奥迫川風景(2)】 この日は、この小さな谷筋の最奥の、今はもう歩けないが、以前は玉野市の児島地に抜ける山越えの道の、かろうじて残っている場所にイーゼルを立てた。以前に描いた番田の石積みの水門のように、今はもう耕作していない小さな棚田や、わずかに残っている道の跡が、緑一色の風景の中で私の絵心にシンクロした。日本人は昔から何とやさしく自然と接っしていたのだろうか。画家が、こんな美しい風景を描写して、美しい絵が出来ないはずはない。もし出来なければ、それは画家の力不足のせいで、日々描写スキルを磨くしか方法はない。 『玉野だより』 2019.06.06【奥迫川風景(3)】 この日は、朝から晴れていたので、陽光の当たる白壁が美しい、児島88ヶ所の第60番札所の高木(こうき)庵の裏手の棚田の跡にイーゼルを立てた。この棚田が今でも生きていれば、このあたりで数点描けるのだが、でも、そうするとこの場所ではイーゼルが立てられないし、とにかく、一期一会のこの時間の、眼前のキャンバスに集中しよう。 『玉野だより』 2019.06.08【奥迫川風景(4)】 この日も、第60番札所の高木(こうき)庵の裏手の棚田の跡の小径の上にイーゼルを立てた、目の前の大山桜(おおやまざくら)に登る道は、6月4日に草刈りをしていたので、どうなるのか心配だったが、目の前のシオンは無事だった。シオンは野の花だが、群生して咲くと美しい。大振りの透明なガラス器に沢山のシオンを投げ入れて、いつかは描こうとおもっていたのだが、未だに描いていない。 『玉野だより』 2019.06.11【奥迫川風景(5)】 この日は、2日日を空けたので、描くポイントが絞れていなかった。ウロウロと周りをさがしたのだが、結局6月4日に描いた小径を、少し坂下に引いた場所にイーゼルを立てた。『奥迫川風景(2)』とほとんど同じ場所だが、立ち位置を少し引くだけで近景の画面への入り方が変わってくる。右側にある榊(さかき)の木を画面の端に入れて、棚田を青田にして描いたが、今この文章を書いている時に反省。青田はもとの雑草に戻して描き進めようとおもう。(実際にアトリエでは戻せなかったのでそのまま完成させた) 『玉野だより』 2019.06.12【奥迫川風景(6)】 この日は、前日と逆向きにイーゼルを立てた。風景は順光になるので、緑が楽に使えて、気持ちよく描画した。画面の右下に少し入った小径も、色といい、位置といいピッタリだ。好条件で気持ちよく描画出来たからといって、その絵の良し悪しとは関係ないが、思わず口笛を吹いている。 子供の時に、口笛をうまく吹きたくて、自分で工夫し練習したことがある。だから、吹くだけでなく、吸っても音が出るし、口の中の唾液を利用して、吸いながら音にバイブレーションをかけることもできる。思わず吹いている73歳の老人の口笛も、子供の時の練習が因となっているのだ。そもそも、口笛が吹けなければ、そしてメロディーを知らなければここで口笛も出てこないのだから。 天気の良い休日に、母親が鼻歌まじりに洗濯物を干しているのを見ると、子供の自分まで幸せになるのと同じで、絵を描いている私共々、出会う人を幸せにするような作品を描きたい。 『玉野だより』 2019.06.13【奥迫川風景(7)】 この日も、前日と同じ風景を、視点の角度を変えてイーゼルを立てた。 緑の色は、絵画として使おうとすると、非常に難しいが、自然はこともなげに階調も色も配置している。2010年(64歳)にイーゼル画(対象の直接描画)を始める前はアトリエで絵を描いていたので、空や緑の色を決定するのに苦労したものだが、イーゼル画では対象の色にそのまま従うので、素直に忠実に、視線をキャンバスに変換して置いていけばいい。眼前の風景は、どこにも不自然なところはなく、平等で突出したところもなく穴ぼこもなく、まさに「現成公按」している。 私の造形心(絵作り)を消し、対象とキャンバスの間で、化学の相転移の触媒のように、無心に筆が運べば、世界が美しいのだから、絵が美しくなるのは当然だ。 しかし、無心に筆が動いて、対象を的確に変換するのには、描写スキルの習得と、正しい世界の認識が必要で、初発心(しょほっしん)の時からの不断の修行が怠れない。 『玉野だより』 2019.06.14【奥迫川風景(8)】 この日は、ずっと通って描いてきた、児島88ヶ所60番札所の高木(こうき)庵周辺から少し下った所にある、迫川大池の土手の上にイーゼルを立てた。 児島半島は雨が少ないので、棚田の奥には大抵ため池があって、田植え時にはその水を田に張っている。この日は、土手下の手前の道から、イーゼルポイントをさがしながら土手の上まで上がってきて、ここにポイントを決めた。前方の大きな樹の影の深さや、まだ緑に変わっていないチガヤの枯れ色が緑に変化を与えて、この周辺での最初の作品だが、上々の滑り出しだ。 『玉野だより』 2019.06.18【迫川大池の水門(1)】 この日は、前回描いた迫川大池の土手の上から、池に向かってイーゼルを立てた。迫川大池はこの谷筋の最下段の池でそのため溜池としては大きい。この池の上に、連続してもう一つ池があるが、その池の白い水門が目に引っかかる。 鉾立でも水門を描いたが、道とか門とかは、なぜか自然に目が止まる。存在の時間性と自分の人生の時間性がシンクロしているのだろうか。 緑の中の白い水門が美しい。とにかく、描いている時は、無心にこの美しさを描写しよう。 『玉野だより』 2019.06.19【奥迫川風景(9)】 この日は、迫川大池の土手の下にイーゼルを立てた。こういう風景は、光だけで描いていたイーゼル絵画を始める前には、目に入ってこなかった。そもそも、今回の玉野行も、大仙山の山頂の岩塊の風景を描いてみたいというのが、実現のきっかけだ。その望みは、王子が岳の巨岩の風景を描くことによって充分に満たされ、またそれを描写するスキルも磨かれた。 イーゼルの立ち位置まで続く手前の道と、画面の左下の土手の斜めの空間、これは、写真やスケッチやイメージから絵を描いていたのでは、最初から目に入ってこないし、当然として描けない。 一見なんでもない風景を、こうやって、こともなげにサラサラと現成(げんじょう)することができる自分に、満足、満足。 『玉野だより』 2019.06.20【迫川大池の水門(2)】 この日は、6月19日に描いた水門の角度を変えて、迫川大池の堤の上にイーゼルを立てた。水面は、風の方向や強さで、明度も、水面に映る池畔の様子も瞬時に変化する。変化が激しい時は、備忘録に撮っておく写真が、後の加筆に役にたつ。 この日は、デジカメの電池を充電器に入れたままで、カメラに入れ忘れ、撮れなかったので、絵の写真は現場から帰ってから、イーゼルの写真は、翌日同じ場所で撮ったものです。 今日ここで、もう一枚描こうと思ったのは、前日、明見氏の迎えを、土手に上がって待つ間に、その場所で決めたことで、その時の写真も、載せておきます。 『玉野だより』 2019.06.21【奥迫川風景(10)】 この日は、6月14日に迫川大池で最初に描いた堤の上の道を、前作より引いた位置で縦構図でキャンバスを立てた。縦構図にしたのは、土手上の、立ち位置までの小径のある平面を、大きく入れるためだ。 世界はデタラメや偶然にできているのではない。それを描写するのに、画面に、恣意的なところや偶然性やデタラメやフェイクで誤魔化した部分があれば、美しさが減ずる。キャンバスの大きさも、縦横比(木枠サイズF、P、M)もキャンバスを縦にするのか、横にするのかもチャンと理由があるのだ。 『玉野だより』 2019.06.22【奥迫川風景(11)】 この日は、迫川大池の土手下の路上で、2枚目の土手のある風景を描いた。6月19日に描いた1枚目の絵と、立ち位置が違うので、同じ素材の取り合わせでも、画面の空間はガラッと変わる。こうだから、イーゼル画は楽しくて、止められないのだ。 たった1箇所でもこうなのだから、日本中にまだ私が描いていない場所が無数に眠っていて、美しい光景が今も展開されていると思うと、絵以外に時間を潰してはいられない。ああ、「天のオファーは忙しい」。そして、ある種の人間の欲望が「酒池肉林」ならば、今の私は「美池光林」の世界に泳いでいる。画家は、欲望を解脱しなくても、十全に充たされている。 『玉野だより』 2019.06.25【奥迫川風景(12)】 この日は、前日と同じ、迫川大池の土手下で、道路の左側ギリギリのところにイーゼルを立てて3枚目の土手のある風景を描いた。画面に道路が入らないので、土手の斜面にイーゼルを立てた状況と同じだ。描いていて、以前同じようなシチュエーションの絵を描いたことがあるのを思い出す。2010年から2年間居た東伊豆で浅間山(せんげんさん)の風車尾根の斜面にイーゼルを立てて茅原の小径を描いた。 写真の斜面に、薄っすらと見えているのが、地元の人が使っている、堤の上に登る小径だ。 『玉野だより』 2019.06.26【奥迫川風景(13)】 この日は、迫川大池の土手下で、前日とは逆向きにイーゼルを立てて4枚目の土手のある風景を描いた。ここから見ると前方の坂は上り坂なので、坂の上端が切れて、同じく、土手の後ろの風景と切れたラインと相まって、空間の組み合わせが絵心を(えごころ)を誘う。こんな所を描こうとする画家は、ほとんどいないだろう。空間の描写スキルを身に付けないと、その風景の空間に目がいかない。あれもこれも、60歳過ぎから、イーゼル画(対象の直接描法、対概念アトリエ画)をやったおかげだ。 描き終えて、次に描こうとする小さなため池のほとりのネムの花の確認に、児島八十八カ所の札所、高木(こうき)庵の奥にまわった。 『玉野だより』 2019.06.28【ネムの花咲く池(1)】 この日は、今回の訪玉で最初に描いた、大山桜に向かう小さな谷筋の最奥の、今はもう歩く人もいないが、以前は玉野市の児島地に抜ける山越えの道の奥の、かろうじて残っている小さなため池の辺りにイーゼルを立てた。 この場所は、6月11日に一度ロケハンしていた場所で、描くことは無いと思っていたが、その時に、池の畔りに大きなネムの木があるなあと、何気なく記憶していた。25日の朝、迫川大池にいく途中の車の中から、川端の木にピンクの花が咲いているのを見かけ、その日、描き終えて帰り途にネムの木と確認。あの小さなため池の、ネムの木に花が咲いていれば、絵が描けると思った。 昨日、迫川大池の土手下の絵を描いてから、明見氏に車を回してもらうと、池畔にネムの花はやはり咲いていた。 という訳で、今日の、この絵を描きました。 『玉野だより』 2019.06.29【ネムの花咲く池(2)】 この日は、『ネムの花咲く池』の2枚目を描きに、前日と同じポイントに出かけた。イーゼルを立てられる場所が狭くて、ネムノキを画面に入れようとすると。視角も限定されて1枚目と同じような画面になってしまう。 それならばと、イーゼルを前に動かして、前作画面に入っていた左前方の木の枝を画面から外し、直射日光の当たる堤の木を入れて、つまり視角を左方向にずらしてキャンバスを立て、筆を走らせた。 もちろん、昨日も今日も、蚊取り線香は用意したが、以外にヤブ蚊は少ない。描いている途中にポチャンと水音がしたので、見てみると、昨日のカワセミがまた来ている。羽の瑠璃色が美しい。描くことはないだろうが、写真に撮っておいた。 ネムの花の咲いているという限定されたモチーフなので、ここでは、もう描くことはないだろうが、一期一会の出会いに、2枚の絵を現成(げんじょう)できたことに、満足、満足!。 『玉野だより』 2019.09.25【小島地秋日(1)】 玉への7訪目、今回は稲の収穫前の黄色く実った棚田を描くのと、玉に滞在中に島根県の浜田にある海蝕洞の絵を描くのが目的だった。この文章は、帰柏してから書いているのだが、結果的には、全てが予想通りにうまくいき、予定外の彼岸花の絵が2点とコスモスの絵を3点描いて帰った。おまけに、帰る日の前々日(前日は荷物の発送)瀬戸内の島から雲に隠れないほぼ満月の14日月を月の出から見ることができ、ほんの少時間(キャップライトを用意していなかった)だがキャンバスに筆を下ろせた。 この日は、小島地(こしまじ)での最初の日、まだどこで描くか決めていなかったので描く前にロケハンして回った。秋の青空と太陽を画面に入れ太陽の光を反射する黄色い稲穂の棚田の風景を描いた。赤トンボ、モズの高鳴き、彼岸花、青い秋空。将来画家になるなんて思ってもいない少年時代に、無意識に見ていた風景の前で、73歳の老画家がイーゼルを立てている。 『年たけて また越ゆべしと思いきや 命なりけり 小夜(さや)の中山』(西行) 『玉野だより』 2019.09.26【小島地秋日(コスモス,1)】 この日は快晴の空の下のコスモスを描いた。ガラスのジョッキに入れたコスコスは描きたかったのだが、花の数をたくさん必要なので描いてはいないし、もう描くこともないだろう。路地のコスモスは以前御殿場で描いたことがあるが、その時の一点きりだ。今回の訪玉で、コスモスに出会うのを予想していなかったので、昨日チラッと見かけた時には、体内ドーパミンがかけ巡った。これは描かずにはいられない。というわけで、この日絶好の背景と天候と光の中で筆を走らせた。こんな時の描画は(最近はいつもそうだが)「真・善・美」の法が世界存在を通底していること、いや、存在と法が別ではなく、全存在が現成公案(げんじょうこうあん)していること、全存在が真善美であり法であるという『全元論』を確信する。 またムキになってしまった、ごめんチャイ。 『玉野だより』 2019.09.27【小島地秋日(彼岸花,1)】 この日は、前日コスモスを描いた道端の場所の道を少し上がった所でイーゼルを立てた。この道は車一台がやっと通れる狭い道なので、イーゼルを立てる場所に苦労する。かろうじて、田んぼの境界の少し広い場所にギリギリでイーゼルを立てた。この位置から、向いの田の法面(のりめん)の彼岸花を近景に入れるために、F15号のキャンバスを、当初の予定の横構図から縦に変更する。 2010年、東伊豆で、汐見ヶ丘別荘地の崖の上の道路端から、水平線上の伊豆大島と崖下の波打際まで画面に入れるために、縦構図で海景を描くというアイデアを思いついた。そのことが、その後の、富士山を縦構図で描くと遠景と近景がキャンバスに入るという、富士山を描くというチャレンジに結びつき、そのことが、この日の絵に結びつく。 彼岸花は、絵具箱に普段は入れていないカドミウム レッド ライトを持ってきた。彼岸花の咲いた風景画は初めて描くが、周りの色づいた田んぼとの配色が美しく、画面が一段と華やかになる。 『玉野だより』 2019.09.28【小島地秋日(2)】 この日は、25日、当地で最初に描いた谷筋の西斜面の小道にイーゼルを立てた。田には猪除けの電線を張っているが、道の上には、猪が掘り返した痕跡が残っている。イーゼル画で野外風景を描くのには、いろいろなハードルがある。蚊やアブ、雀蜂、マムシ、猪、猿、これらは絵を描いている時は別に恐くはないが、私が一番苦手なのは、気付かずに刺されているダニやぬか蚊。まあそれでも、いい場所ではイーゼルを立てますが。この日は携帯蚊取り線香を足元に置いた。 奥迫川で何点かため池の土手の絵を描いたが、ここの棚田の最奥にもため池の土手があって、空間と草の色の変化が美しい。 『玉野だより』 2019.09.29【小島地秋日(彼岸花,2)】 この日は、現場に着いてみると、この地域の、奥のため池の水の、田んぼの水利権を持つ人たちがため池までの道の草刈りをしていた。じゃまにならないよう、予定していた場所を道の反対側に引いてイーゼルを立てた。場所を少し変えただけで、目の前の視界は一変する。キャンバスを横にして描くつもりだったが、急遽縦構図に変え、太陽の一部を画面に入れて描くことにする。画面の右下の、道路沿いに咲いていた彼岸花は、間に合わず切られてしまったが、描く前にその花を画面に入れることを決めていたので、記憶で描き加えた。 今回の小島地での彼岸花の絵は、ロケハンしてまだ数箇所残しているのだが、結局2点しか描けなかった。来年開花の時期に合わせてもう一度描きに来ようかな。 早く描き終えたので、向かいの山裾に道がありそうに見えるので行ってみた。1箇所猪除けの電線を跨ぐが、触れても日中は大丈夫だと聞いているのでノープロブレム。山側に深い水路があって、古くからある道だ。草も刈ってあってありがたい。ため池の土手から棚田の谷筋まで一望できて、またもいいポイントにぶつかった。 『玉野だより』 2019.09.30【小島地秋日(3)】 この日は、昨日ロケハンしていた山裾のポイントでイーゼルを立てた。ここは、下の棚田より視点が高いので、広い空間が開けて絶好の場所だ。視界を遮る木のない場所はかぎられるが、ここと、もう少し先のポイントでもう1点描けるだろう。稲穂が色づいているので、景色に明度差があって描きやすい。背面が藪なので、もちろん携帯の蚊取り線香はセットしましたよ。 秋の今の時期、風の通りのよいところは、女郎蜘蛛の巣が多い。昨日のロケハンで落ちている木の枝を折って、その棒で蜘蛛の巣を払いながら歩いた。その棒を入り口に置いておいたので。今日、それを使ってここまで来た。イーゼルをセットし、キャンバスの上に筆を置くまでに、ロケハンからポイントさがし、時期や天候、これらの段取りをすべてキッチリやり終えて、やっとキャンバスに筆を下ろせるのです。大変で面倒なことですが、これがまた楽しいのです。描き終えたキャンバスの前で、美しい風景につつまれて、小さなお菓子とお茶を飲んでのタバコの一服(もちろん、携帯灰皿は持っていきます)はイーゼル画家の至福のひと時です。 『玉野だより』 2019.10.01【石見畳ヶ浦海蝕洞(1)】 この日は、早朝玉を発って島根県の浜田市に行き、午後、白砂の国府海水浴場の隣にある石見畳ヶ浦の中にある海蝕洞を描いた。玉からS15号のキャンバスを3点を持参していく。当初は1日1点描いて、この日は描く予定ではなかったのだが、現地の近くにある国民宿舎千畳苑への私の予約ミスで、3泊から2泊に変わり、急遽この日の午後に1点、翌日、午前と午後に1点づつ描くことにした。これは忙しい。 この3点は、来年の第5回『イーゼル画会』展に出品予定の作品で、逆光のスクリーンの壁にかけるので、周囲の光に負けない作品用のモチーフだ。 ここは、先年、江津(ごうつ)の『今井美術館』での「岡野岬石(浩二) T, S コレクション展」で広島の繁田氏と浜田の田邊氏に案内された時に出遭い、いつか描ければいいなと思っていた場所だ。そういう場所が、まだ沢山眠っているし、また、まだ見ぬ場所も無限に残っている。それでも、因と縁が揃えば、自ずと立ち上がってきて、描く時がくるだろう。 『玉野だより』 2019.10.02-午前【石見畳ヶ浦海蝕洞(2)】 この日は、千畳苑の朝食後、S15号のキャンバスを2枚合わせて昨日の海蝕洞のポイントに向かった。写真のデータを見れば、現地にまっすぐに向かっている。イーゼルを背負ってかなりの距離を歩くのだが、行きはあまり苦にならない。 午前中は、入り口の向かって右側の位置にイーゼルを立てた。昨日は正面からの光、今日は午前中は画面右方向からの光、午後は左方向からの光を描く予定だ。最近の私の抽象印象主義の作品で「向光」という題名の作品があるが、光の方向を強く意識した作品だ。イーゼル画でそれを描いてみたいというのが、今回の描画になった。 どうです、よくこんなお誂え向きのポイントを見つけるでしょう。どうやって、こんな所を見つけるのか、出遭えるのか不思議におもえるでしょう。それは、私の拙著『全元論』を読めば解ります。香嚴撃竹(きょうげんげきちく)の意味を理解すれば、その世界観で存在世界をみれば、世界は漏れなくそうなっているのだから、モチーフは無限にあることが分かります。 『玉野だより』 2019.10.02-午後【石見畳ヶ浦海蝕洞(3)】 午前中の作品を描き終え、海蝕洞の奥に祀られてある地蔵堂の隅に、絵具箱とキャンバスを置かせてもらって、荷物の預ってもらうお礼にお賽銭を千円いれて手を合わせた。いったん千畳苑に帰り休憩後、午後2時頃から、3点目を描き始める。今度は、入り口に向かって左側にイーゼルを立てる。描く場所選びは、3点共にコンクリート舗装の遊歩道上なので、イーゼルを立てる場所にはノープロブレム。同じモチーフで3点目なので、おまけに、午前中の絵具も筆も残っているので、1時間くらいで描き終えた。 描き終えて、満足の一服後、ジュリアンボックスを背負い、キャンバスを持っての帰り道は、73歳の老画家にはさすがにキツかった。行きはヨイヨイ、帰りはコワイ、だなぁ。 千畳苑で夕食を食べているところに、浜田の『みゆき洋画材料店』の田邊氏が顔を見せたので、そのまま夕食をつきあってもらって、夕食後、部屋で描き終えた3点の絵を見せた。 『玉野だより』 2019.10.05【小島地秋日(4)】 10月3日は浜田から玉への移動日で、呉の繁田氏が浜田から広島駅まで車で送ってくれた。途中、来る時にトンネルを回り込む旧道に入って見つけたポイントに、寄ってもらう。そこは、断魚渓という渓谷で、ここは、描かねばなるまい。来年は島根県の川本町に借家を借りて、玉野と同じように1ヶ月づつ通う計画だが、一段と実現性が高まる。 4日はすぐに描くつもりだったが、天気が悪く外に出られず。 5日は朝から快晴で、浜田に行く前に小島地で描いたもう一つのポイントでイーゼルを立てた。前作のポイントから少し前に進んだ場所で、【小島地秋日(3)】より中遠景が大きくなる。太陽は背後の山側にあるので、前方の風景は光を全面に受けて、稲の黄色が美しい。 山の影が、キャンバスの下段に入るかどうかだが、構わず描いていって入れば入ったでそのまま描けばいいや。そんなことは、最近頓着しない。天の差配に、私ごときがどうこうする、どうこうできるなんてとんでもない勘違いだ。ただ、描写にベストを尽くすことに集中する。結局、P15号のキャンバスだったので、山の影は入らなかった。 『玉野だより』 2019.10.06【波張崎の朝】 キャンバスは2枚合わせて運ぶ。そのために、浜田に4枚持って行ったS15号のキャンバスが1枚余っている。この日は、それを使った構図の絵を描くために、胸上の波張崎に向かった。結果的には、今回の玉滞在中小島地以外でイーゼルを立てた作品はこの1点だけだった。 今回は、描く前から絵のイメージは決めていたので、実際は曇り空で太陽は出ていないが、強引に太陽を入れた絵を描いた。イーゼル画家のセオリーに反するので、少し心苦しかったが、許してね。 『玉野だより』 2019.10.07【小島地秋日(5)】 この日は、ここ小島地で最初に描いた『小島地秋日(1)』のポイントのすこし下ったところにイーゼルを立てた。このテキストは、柏のアトリエで今、パソコンに打ち込んでいるのだが、だから、空間も時間もその時のことを俯瞰して書いているのだが、面白いことに気がついた。どうも、外でイーゼルを立てる時は、車にせよ自転車にせよ歩きにせよ道に沿っているなぁ。これは、『画中日記』に書いて近々アップします。 季節と環境のせいで、ここでは、田んぼの上に赤トンボがたくさん飛んでいる。逆光の光で、バックの木立が影で暗いと、とりわけそれが美しい。子供の時に見た風景だ、切ないねぇ。まさに「命なりけり 小夜の中山」だよ。 逆光に光るものは、私は、後ろの暗い色で抜いて描くので、小さな赤トンボは、この場で描くためには、面倒なので、絵具が乾いてから、描き加えることにする。背景によるので、この絵の中に入れるかどうかはわからない。 『玉野だより』 2019.10.09【小島地秋日(6)】 前日は、雨で出られず。1日中、アトリエでこちらで描いた作品に手をいれて過ごす。キャンバス張りもふくめて、雨の日でもやることは切れ目なくある。 人と仕事との関係は、3種類ある。1-自分のオファー、2–他者のオファー、3-天のオファー。1の自分のオファーは一番ダメだ。その世界観で生きると、自己満足なだけでフェイクな仕事しかできない。2の社会や他者のオファーは、これはキッチリと応えられる努力をしないと、自分の存在自体が社会の足手まといになる。しかし、社会からのオファーがなくなると、つまり、定年になったり、会社を辞めたりすると、とたんに生きる意味を失しなう。 人が生きていく過程で何度も分岐点があるが、ここで迷いやすい。人間は自分の立っているステージが高くなるほど、自分の判断の成否の根拠を問われる。その時の羅針盤に、天のオファーを身の内に持っている人と(つまりは、天のオファーの方向に行動すればいい)持たない人(判断に根拠なく行き当たりばったりに行動する)の為す行動と決断の結果は、自ずと明らかだ。天のオファーを身の内に感ずれば、やることは山ほどある。 天のオファーは忙しい。 9日は、9月28日に「小島地秋日(2)」を描いた同じ場所で、方向を変えてイーゼルを立てた。 『玉野だより』 2019.10.09-②【小島地秋日(7)】 この作品は、今日2枚目の描画。ここは、朝、東の山の影が前の田んぼにおちるので、それを避けて、太陽が上ってから描こうとおもっていたポイントだ。大きな色面の組み合わせの構図なので、近景の田んぼには直射の陽光が前面に当たることがベストだ。そのために、1枚目を描いて時間を合わせ、2枚目にとりかかった。秋空は快晴で赤トンボがとびモズの高鳴きが聞こえる。まさにこの日は日本の秋だね。道元の「谿声山水」を実感する。 描き終えて、明見君の車を待っている時、足下でトックリ蜂が産卵の巣のための土を集めている。土と唾液で、なんの道具も使わずにあの精巧な巣を作るのだ。昆虫少年でもあった子供の時、初めてトックリ蜂の巣を見た時には、驚き、感動したものだが、そのトックリ蜂が、人知れず黙々と次の世代へのリンクを継なぐ天のオファーの作業に没頭している。私が絵を描いている姿もこうでありたい。 (写真は、私がここで撮ったもの、巣の写真はネットから落したものです) 『玉野だより』 2019.10.10【小島地秋日(コスモス,2)】 この日は、9月26日に描いた『小島地秋日(コスモス),1』を描いた場所の近くでイーゼルを立てた。コスモスも朝顔も菊も、一本だけの茎では花も少ないが、脇芽からドンドン分げつさせると、花が多くつく。この場所のコスモスは前に描いた時から2週間次々に咲き続けてくれている。おまけに先日、周りの草を刈ってくれたので草藪で入れなかった場所にいいポイントができた。花の色数は、メンデルの法則では、赤1対ピンク2対白1だが、現実には当然ゆらぎがある。しかし、小さな花は後で描き入れるので、その時に頭の片隅に入れておかなければならない。こうやって、全てのナンバーが揃って、初めてイーゼルの上に白いキャンバスが置けるのです。ですから、描写スキルを持ったイーゼル画家は、「こんなにジャブジャブと美を振り撒いているのに、お前しか描けないのか」という、天のオファーに答えられるよろこびにみたされ、筆をとる。幸せな、画悦老人です。 今、いい言葉が浮かんだ。「諸悪莫作、修善奉行、自浄其意、是諸仏教」から、「諸醜莫作、修美奉行、自浄其目、是諸画教」、これでどうだ! 『玉野だより』 2019.10.11【小島地秋日(コスモス,3)】 この日は、前日コスモスを描いた場所から、土手を一段下がった場所にイーゼルを立てた。今日も空は快晴で、コスモスは青空の下が映えるなぁ。画面の正面にどうしても入ってくる家は、農家としては立派な造りだが、昔、由加神社のお土産の真田紐で財を成したらしい。讃岐の金比羅山と児島の瑜伽(由加の正式の漢字)山は、昔「両まいり」でたいへん賑わっていた。今は、小島地の集落から、由加山に道路は通じてないが、徒歩での道は、児島湾を船でわたり、石造りの道標や常夜灯もある岡山方面からのメインルートだった。コスモスも、山も、田も、家も全てのものが因と縁で眼前の風景を現成している。まさに道元の言う通り「現成公按」だなぁ。 10時過ぎに描き終わり、池のそばで明見君の車を待っていると、神社の石の鳥居が見える。ちょうど、近くに人がいたので聞いてみると、「小島地神社」という昔からのお宮だという。『食堂ふじ』は11時からなので時間がある、明見君に細い道を車で廻ってもらった。歴史のある、格調のある神社のたたずまいで、今も地元の人の手入れがはいっている。パソコンで検索してみると、境内でヒメボタル(陸上で生まれ育つ)の乱舞が見られるらしい。いつか玉に居るときの時期が合えば見てみたいものだ。 昼食後、昨日場所を特定していた奥玉のカエル岩に写真を撮りにいった。ここは、子供のときの思い出の場所で、その写真と文章は、『画中日記』で別途に投稿します。 『玉野だより』 2019.10.12【小島地秋日(8)】 今日は、小島地で最初に描いた『小島地秋日(1)』とほぼ同じ場所で、イーゼルを立てた。前作はF15号の縦構図で、太陽を入れたが、この日は、オーソドックスにP10号を横に使った。イーゼル画は、眼前のモチーフがシッカリとした美しいものなら、誰がどうやろうとなんとかサマになるものだ。モネは積み藁の連作を描くとき、積み藁を片付けられないよう農家から買って、おまけに、描いている期間ガードマンも付けたという。チープなモチーフで手間も暇もおしんで、自分が描く作品だけは、他人を感動させる美しい絵にしようなんて、出来るはずがない。今描いているこの絵が、美しい作品に完成する元は対象の側にあるのです。 カント哲学は間違いです。カント美学も大元のところが間違っています。その理論的末流のアメリカ現代美術も、それに影響された日本の現代美術も、大元の世界観の食い違いが、結果としてキャンバスの表面に現れています。「真・善・美」は人間の側が決めるものではありません。坂本繁二郎は言っています「物の存在を認める事に依って、自分も始めて存在する」と。この言が正しい。画家がイーゼル画をやれば、つくづくこの事、世界はそうなっている事が解ります。 『玉野だより』 2019.10.13【瀬戸内昇月】 今日は、今回の玉滞在中外でイーゼルを立てられる最後の日。明日荷物を発送して、明後日柏に帰る。 この日は忙しかった。朝6時集合で、玉での同級生と、まず西行が立ち寄って歌を詠んだという候補地のひとつ八浜八幡宮から始まり、その後、八浜周辺の児島88カ所の霊場を巡礼し、途中で西行が泊まった八幡宮のもうひとつの候補地の郡(地名、こおり)の八幡(やはた)若宮神社(隣の宗形神社とは別)に寄った。西行が寄ったという児島の八幡宮は、ネットで検索すると3箇所あるが、私の独断では、八幡若宮神社が当の神社だとおもう。倉敷市、玉野市、岡山市が、おのおの誰のものでもないご当地を自分のものと主張しているのであろう。 皆と昼食後、ひと休みする。快晴で、この日は14夜なので、海から上る満月(理論的には、真円の満月は一瞬で、満月に見える日が二日間かかるときもある)を描けるチャンスなのでキャンバスを張り、準備して、自転車でオソゴエに行き、セットして月の出を待った。 イーゼル画で満月を描くというのは、まず、セットアップの条件が非常に難しい。満月の日にちとその時間、その時間の天候、ロケーション、イーゼルを立てる場所等。それらが揃っても、肝心のイーゼルとキャンバスが手元にないと、描くスタートに立てない。この日は午後、急におもいついて、現場に立てた。現場ではキャップライトを用意していなかったので、途中までしか描けなかったが、念願の絵が描けて満足!満足!。描画後、中学校の時読んだ本の中に出ていた漢詩が浮かぶ。「テンコウセンヲムナシュウスル(コト)ナカレ(意味と漢字はネットで調べてください)」。画家の、日頃の生き方が軌持の上に乗っていれば、天はチャンと描く機会と場を与えてくれるよ。 (下段に、2020年の『玉野だより』がつづきます) |
(2020年)
『玉野だより』 2020.10.02【小島地秋日(2020-1)】
昨日玉野への8訪目。この日、2020月10日2日、昨年の秋、稲の実りと彼岸花を描きに通った、玉野市庄内の児島地(こしまじ)の、描き残していたイーゼルポイントを描きに出かけた。 時期は、ドンピシャリだったが、予定していた道が、今年は草刈りがしていなくて、藪でポイントに行けなかった。それではと、昨年描いた場所の近くの別ポイントの別アングルでイーゼルを立てる。 天気も良く、久しぶりの外光を浴びてのイーゼル画で、身も心も、内側も外側も、浄化され喜びに満たされる。この幸福感は、以前にも経験したことがあるぞ。子供の頃、裏の物干し竿に干してある、午前中の日光をいっぱい浴び、パンパンと内側のホコリを叩き出して、日向の匂いのする布団の二つ折りの間に立った気持ち良さと同じだ。 午前中の太陽の光は、布団の外も内も、殺菌する。コロナ、コロナと大騒ぎしている一部の日本人は、自分の身心の不幸な世界観で、自分だけは正しく清潔で、周りは全て菌で汚染されているという歪な世界観で、周りを染汙(ぜんな)しないでほしい。本来世界は「真・善・美」なのだ。 午後から、今回の玉でのもう一つの案件である西本町の斜面にある、空家を見に明見君と出かける。結城君が途中から加わり、結城君の知り合いの専門家の意見を聞いて、結局この空家を貰い受けることは、止めにした。持ち主が、明日東京から玉に来るので、直前に決められて、返ってよかった。 来る前には、月齢を調べてくるのを忘れていたが、結城くんに聞いたら今夜と明日の夜が満月だという。キャップライトを忘れてきているので、現場では描けないが、写真だけ藤井海岸で撮ってきた。 『玉野だより』 2020.10.03【小島地秋日(2020-2)】 この日(2020月10日3日)は、ここでは初めての田の上部の広い畦道から、溜池の土手を画面に入れたアングルでイーゼルを立てた。今日は、薄曇りの空で、日差しが少ないが、そのまま描写する。 『玉野だより』 2020.10.04【小島地秋日(2020-3)】 この日は、昨日の棚田の上部の広い畦道から、方向を変えてイーゼルを立てた。この辺りで栽培されているお米は朝日米で、実った穂の上に、黄緑色の葉が出ているので、田の色が美しく、オーレオリン(絵具の透明色の黄色)がピッタリで描きやすい。 描き終えて、迎えの車の待ち時間を、石碑の別れ道を左に上がってロケハンした。以前にも歩き、期待はしていなかったが、1箇所だけ描ける場所がある。明日は、そこで描く予定にする。 『玉野だより』 2020.10.05【小島地秋日(2020-4)】 この日は、朝、雨がパラパラ落ちてきたので、描きに行くのを中止、中川氏の車を断わった。その後、雨が止んだので11時頃、明見氏の車で前日目星を付けたポイントにイーゼルを立てた。何でもない風景だが、道端の彼岸花のカドミウムレッドライトが絶好のトッピングになって、画面の美しさを冴えさせる。天の配在は、あるべき所にあるべき物を配置していて、人知を超えている。 妙見氏の迎えの車の待ち時間に、待っている場所(石碑のある別れ道)の近くで、明日描くポイントを見つけた。ここは、チョッと目につかない場所で、画家の選球眼に自信を持つ。身体は(少しだけ)老いても、まだまだタンペラマン(画家魂)は衰えていない。心中、小さなガッツポーズ(古いね)が思わず出る。 『玉野だより』 2020.10.06【小島地秋日(2020-5)】 この日は、昨日見つけた場所にイーゼルを立てた。人家のすぐ近くで、私道ではない、昔の村道らしい小道の上にイーゼルを立てた。昨日と違って、朝の光は、東側の小山の斜面の影で、前の木に光が当たっていないが、時間とともに光が当るだろうから、かまわず描き始める。 この場所は彼岸花が咲いていなければ、私の目に入ってこなかったろう。昨日と同じ文章だが、彼岸花のカドミウムレッドライトが絶好のトッピングになって、画面の美しさを冴えさせる。天の配在は、あるべき所にあるべき物を配置していて、人知を超えている。 『玉野だより』 2020.10.07【断魚渓へ】 この日は、今回の訪玉のもう一つの目的、島根県邑南(おおなん)町の断魚渓を描きに、朝早く玉を出た。新幹線で広島まで行き、広島からは呉の重田氏の車で、途中断魚渓で翌日2点描く予定の、イーゼルを立てるポイントのロケハンをして、川本町(まち)の旅館にチェックインした。 天気もよく、明日が楽しみで、朝8時にタクシーの予約をして、途中寄った、浜田町のみゆき画材店の田邊氏にお土産で貰った、浜田町の美味しいクッキーを夕飯のデザートに食べて、就寝した。 明日は、7時の朝食だから、6時頃起床。 『玉野だより』 2020.10.08【線路のある風景】 この日は、昨夜からの雨で、昨日旅館から予約をしていたタクシーを断る。私は晴れ男で、子供の時から色んな行事が、雨になることはほとんどなかったが、旅行は頻度が高いので、旅先で数度あったことがある。旅先の雨で、旅館に閉じ込められると、時間のつぶしようがなくて、往生する。 朝食後、思いついて、旅館の人に理髪店を聞いて、散歩がてらデジカメを持って雨の中を、2018年に廃線になった三江線の石見川本駅横にある、旅館の人に聞いた理髪店に出かけた。頭髪よりも、玉に来てからの無精髭を剃ってもらうのが目的と、雨の日のゲン直しも兼ねている。理髪店を出て、雨の中をカメラを持って石見川本駅の周りを歩くと、川本大橋の下から線路を入れての風景に、絵になるポイントがあった。橋の下は、雨にも濡れないので、イーゼルを立てられる。 10時22分から12時2分まで現場で描き、旅館に帰って、13時47分にこの作品の工程を終える。あと片付けをして、雨が止んだので、旅館から見えていて、気になっていた江(ごう)の川の対岸の山(仙岩寺山)の中腹の建物が何なのか、カメラを持って本格的な散歩に出かける。建物は、帰ってパソコンで調べたのだが、意外にも安土桃山時代に建てられた曹洞宗の古刹、臨流山仙岩寺だった。芭蕉の一門の句碑もあるらしい。フェイスブックに投稿した写真の、左の山中にある白い大きな岩は、〔米食い岩〕という名前がついている。 『玉野だより』 2020.10.09【川本町を発って、玉に】 この日は、晴れていたので、もう一泊して、断魚渓を描きに行ってもよかったのだが、今回の訪玉で、しようとしていたことがエンストするのに気持ちがキレて、朝8時半の広島行きのバスで広島、新幹線で岡山、岡山からバスで玉に帰った。 広島行きのバスの中で、玉でのマザーズの2階の間借りを、引き払うことを決める。今日、玉に帰って、明日部屋の荷物の片付け、明後日運送屋に集荷、発送、3日後の12日に帰柏の予定を立てる。 急に、こんな気持ちになったのは、川本町での微妙な私の心理からで、そのことは『画中日記』で別にアップします。 『玉野だより』 2020.10.11【帰柏】 借りていた部屋と画材の荷造りが予定より早く終わったので、10日の夕方に集荷発送し、11日の始発のバスで玉を発った。前日は、近藤さん、山本さん、油原さん、マザーズの佐々木さん、岡本君、明見君、佐々木君、がマザーズに来てくれて、送別の集をしてくれた。この日来れなくて、翌日来る予定だった人には、申し訳なかったが、会えなかった。関藤君は、この日の、玉橋のバス停に見送りに来てくれた。 この後、玉に来ることがあるだろうか。2018年6月11日から2020年10月11日まで、全力で故郷の山と海の風景を描いた。画家としてのベストは尽くしたので、描き残した風景の心残りはないが、今後、会えるかどうか分からない人との別れは切ない。 玉滞在中直接動いてくれた周りの人、直接描いた風景、その風景と、画面には入らないがその場所の環境を守り継いでくれているすべての人に感謝いたします。そのすべてのおかげで、124点の瀬戸内の海と山の作品ができたのだから。 |
(2021年)
フォトデータの作品は未完成です。作品が完成し次第、差し替えてアップします。
『玉野だより』 2021.03.24【奥迫川の大山桜(2)】 玉への8訪目。今回は、前回が最後の訪玉だと思っていたのだが、奥迫川(おくはざかわ)の大山桜(おおやまざくら)の絵の注文があったのと、『瀬戸内百景』に載せた大山桜の絵の評判が良かったので、F20号を2点、F15号を6点、木枠とキャンバスを玉に送って、昨日新幹線で玉の『マザーズ』の2階に着き、当日をむかえた。 今日は、玉で同級生だった結城君と、朝8時出発、奥迫川に向かった。前回は、2年前の3月28日で桜は1~2分咲きだったが、今回は、今日のための桜の開花情報を、玉の友人に頼んでいたのでドンピシャの8分咲きで、対面した。 推定樹齢300~500年の時間の厚みの存在感と、桜色ごしの、真逆光の太陽の入った情景は、画家の描写腕力を試される。 歴戦の老兵は、全てが想定内で、オタオタしない。私にまかせなさい。 『玉野だより』 2021.03.25【王子が岳風景(26)】 この日は、早朝雨が降っていたので、奥迫川行きは中止、の電話を、明見氏に電話をいれたが、お昼頃から雨が上がったので、それではと、あらためて彼に電話し、王子が岳に向かった。王子が岳は、イーゼルを立てるポイントが沢山あって、雨やどりする東屋もあるので、急な予定変更にもなんとかなる、画家にとって便利な場所だ。 以前描いた(王子が岳風景、24)東屋の近くの赤松を、もう一度描こうと現場に来たのだが、赤松は枯れていた。ガッカリするよりも、2019年の1月16日に〔王子が岳風景(24)〕を描いておいてよかったという気持ちになる。まさに一期一会だ。 あらためてその近くをうろうろ歩き回ったが、やはり、2018年の晩夏の頃描いた場所にイーゼルを立てた。新緑の若葉はまだ出ていない、枯れ枝の風景で、画面の右に少し入っている山桜は2分咲で、少し色味に乏しいが、描き始めて、道の上に、椿の花が3つ落ちているのに気づいた。描いている途中に、若い3人連れの青年に、椿の花を踏まないで、と頼んだが、話に夢中で私の言っている意味が分からない様子で通り過ぎたが、椿は踏まれなかった。人間は、意識しなくても、美しい物が目の端に入れば、踏んでは行けないものなのだなぁ。 『玉野だより』 2021.03.26【奥迫川の大山桜(3)】 この日は、大山桜の3作目で、キャンバス上の桜の樹と太陽の位置の関係で、マザーズをいつもの出発を1時間早めて7時に出た。 予測通りの太陽の位置と、9分咲きの桜は、まさに春爛漫、圧倒的な美しさだ。世界存在はこれだけの美しさを用意してくれているのだ。この美しさを描写できないのでは、半世紀強絵を描くことだけで生きてきた、恥を知る日本人画家としては、切腹ものだ。 『玉野だより』 2021.03.27【奥迫川の大山桜(4)、奥迫川の桜】 前日に、大山桜用に予定していたF20号2点めのキャンバスを使ったので、今日から、残りのF15号のキャンバスをつかう。 今日は、前日の9部咲きの桜に続いて、満開の桜を描こうと、F15号のキャンバス2点を合わせ持って、山に登った。大山桜を描いたら、もう1点のキャンバスは、後ろのベンチにイーゼルを置いて、逆方向の順光の別の桜を描くつもりである。 順光の満開の桜と青空、遠景の春の山、こんなに美しい日本に生まれて、イーゼルを立てて絵を描く時が過ごせるなんて、画家の畢竟地だ。これで、なんの不満があるのだ。周りへの不平不満、自分の不如意をブチブチ撒き散らかして、また、そんな作品を描いて一生を過ごすような人とはかかわりたくない。 世界の中の〈真・善・美〉を見れば、それに薫習(くんじゅう)されて、心の中も清々しく元気になる。道元の宋での師、如浄禅師はゲテモノや、歪なモノは食っても見ても駄目だと言った。人間は〈偽・悪・醜〉にも薫習される、ということだろう。残りの少ない命を、〈真・善・美〉に、〈真・善・美〉だけにかかわって生きていきたい。 『玉野だより』 2021.03.28【王子が岳より神登山を望む】 王子が岳も神登山も大仙山も番田の立石も、玉野市の魅力のある山は、ユーチューブやネットでアップされている件数が増えている。王子が岳の駐車場も、他県ナンバーの車も多くなった。マウンテントレイルのコースを作れば、住民だけでなく、多くの人によろこばれるだろう。 今日、イーゼルを立てた場所は、2018年に『神登山朝陽(1)』と『神登山朝陽(2)』で描いた場所で、朝の太陽を描いたため、前の岩が画面に入らなかった。今回の、3月25日『王子が岳風景(26)』を描いた後、イーゼルを立てる位置を確認していたので、無駄な動きもなく、現場にストレートに立った。まったく、歳をとると、描く前に、無駄な動きでスタミナを使うと、ただでさえ少なくなった気力と体力で、タンペラマンが萎えてしまう。だから事前の準備は必須だ。いきあたりバッタたりでは、何事をも成しえない。 どうですか。玉野市のような、こんなちいさなエリアにも、漏らすことなく、時空は存在し続けているのです。古代からの悠久の時間の厚みと、この場所に立った、昔の人々と同じ風景を見ているという、雄大な宇宙遊泳にも似た、浮遊感におそわれるでしょう。 『玉野だより』 2021.03.29【王子が岳の桜(1),(2)】 この日は、王子が岳の倉敷市側にある営業していないレストハウスの屋上にイーゼルを立てた。ここは2018年に描いた『瀬戸内夕照(1),(2)』を描いた場所である。 昨日王子が岳で描いた後、今日の描画のために、倉敷市側にある桜の園地までロケハンに歩いた。レストハウスの下から、1キロ強を往復して、数カ所候補地を見つけ、そこまでジュリアンボックスを背負うことを覚悟したが、最後に、レストハウスまで帰り、階段を上がると、満開の桜と瀬戸内の海が見えた。ほぼ真上からの桜のピンクと海の対比が美しい。 それで、結局、ここに決めました。決して、絵具箱を背負って歩く労を惜しんだのではありません。 横構図と縦構図と2点描き、これで、送っておいたキャンバスは全点描き終えた。断魚渓で描く予定のキャンバスが足りなくなったので、玉野の画材店でF15号の張りキャンバス2点を注文した。 『玉野だより』 2021.04.01【断魚渓(1)】 この日イーゼルを立てた所は、岡山県ではありません。ここは、島根県の邑南町にある断魚渓で、昨年描く予定で来たのに、当日雨で描き逃したための、再チャレンジです。 前回は、移動日のお昼頃現地に着いたのに、翌日のためのロケハンだけして旅館に向かい、翌日の雨で失敗したので、今回は、朝の6時に玉を出発し、ここに着いたその場で、イーゼルを立てた。写真の情報を見ると、10時57分となっている。描き終わりが12時31分なので、もう一枚描けるが、キャンバスを2枚しか用意しなかったので、明日のためのキャンバスを残して4月3日チェックアウトで予約してある邑南町の旅館に向かった。 ここは、2016年、島根県の今井美術館で『岡野岬石(浩二) T・S コレクション展』での、広島駅への寄り道で出会った場所です。1,133mの断魚トンネルの開通する前の旧国道の上から、目の下の渓谷と正面の崖と崖との間の谷越しの権現山をF15号の縦構図で描いたけれど、権現山の頭が切れてしまった。これがいいか悪いかは、完成まで判定できない。 旧国道にもトンネルがあるし、旧旧道(廃道)も眠っている凄まじい地形だ。道の下に、昔の人の、この道を造った、努力の歴史が感じられる。その道の上で、この絵を描いている。https://ohnan.saloon.jp/diary/dangyo.htm 『玉野だより』 2021.04.02【断魚渓(2)】 この日は、タクシーで昨日と同じ場所に降りた。イーゼルを立てたポイントは、前の崖を正面に見る位置に、下の渓谷の白く泡立つ流れが見える位置にギリギリ寄せた位置に決めた。前日は、権現山の頂が入らなかったので今回は、画面の上下方向から描いていく。人間は、裸眼で風景を描写すると、左右に首を振るので、横に横に描いていくのがナチュラルな動きだ。だから、風景画をキャンバスを縦にして、視線を縦に動かして描写するには、スキルを身につける必要がある。そのために、画家にとってデッサンは必須です。描く技術の訓練は、もちろん必要だが、画家は対象を〈見る〉ことの訓練、つまり、眼を鍛えることが最重要なのです。だから、75歳の老画家は、ここで、イーゼルを立てているのです。 (今回で『玉野だより』は終わりです。将来、また玉野に絵を描きにいくことがあれば、続きがありますが、見込み薄なので一応の終わりにします) |
(2023年)
『玉野だより』 2023.04.02【玉野に着く】
今回の、訪玉の目的は、4月1日から4月28日まで開催される、島根県の今井美術館の私の『T・Sコレクション 岡野岬石(浩二)展』の動画の撮影と、以前から玉の同級生に言っていた、玉の町の動画を撮るということの、実行である。
しかし、そのことだけのために旅行するのは勿体無いし、旅先の時間もつぶせない。画家である私は、玉のカフェ マザーズにキャンバスを6枚とジュリアンボックスを送っておいた。
明日は、朝、呉の繁田さんと広島駅でおちあい、島根県江津市の今井美術館に彼の車で行き、動画を撮って、その後、浜田市の国民宿舎千畳苑に泊まって、翌日、浜辺の風景の絵を2点描くつもりだ。
『玉野だより』 2023.04.04【島根県浜田市下府川河口付近の松】
3日は今井美術館で動画を撮り、国民宿舎『千畳苑』で泊まり、この日は、近くの下府川の河口でイーゼルを立てた。ここは、前回石見海岸の海蝕洞を描いた時に取材していて、今度来る時は描こうと思っていた所だ。一箇所は太陽の位置の時間が合わず、川が光っていないので断念、もう一箇所の海岸の岩場の松に向かった。下府橋から海に下りる道の途中で、斜めに生えた松が目に入り、急遽、ここでイーゼルを立てることを決め、筆を走らせた。持ってきたキャンバスの2枚目は、この場所の近くの、岩場に生えた松を描くつもりだったが、描いた場所を少し下りた所で、気が変わり、もう一枚のキャンバスも、同じ松の絵で絵の具で埋めた。対象も私も、一枚の絵が現成するのは、一期一会だ。不思議な因と縁で、この場所で筆を走らせている。
『玉野だより』 2023.04.05【島根県浜田市下府町を散歩】
この日は、10時に繁田さんが千畳苑に車で迎えにきて、そのまま、玉野まで送って貰った。朝食をバイキングで食べ、時間があるので、千畳苑の周りの街を散歩する。海辺の町なので、車一台がやっと通れる細い道で、散歩には楽しいが、暮らしにくく住んでいない家も多い。だが、家も庭も手入れされているので、近くの町から通っているのだろう。町の本通りでさびれた、陶器店に出遭う。店の奥の蛍光灯が点いていたので入り、ガラスの器を2つ買った。花の絵を描く時には、花瓶にはガラスがいい。一度、全部の花瓶は処分したが、こうやって、新たに少しずつ増えていくことは、嬉しいし、描いた作品と同じく、このガラスの器で、この海辺の町の記憶も、脳のなかで確定していくだろう。
『玉野だより』 2023.04.06【王子が岳風景(26)】
島根県の浜田市千畳苑から5日に玉野に帰り、今日、王子が岳でイーゼルを立てる。前回王子が岳で最後にイーゼルを立てたのは、2019年だったので、4年ぶりである。4年経っても、老人は、年の経過が早くて、ついこの間の気がする。
しかし、年の経過は、自分も、周りの他者も、自然も、同じ時間を流れていくので、「今、ここ」は一期一会だ。同じ場所でイーゼルを立てても、そこで描く作品は、全く違うのだ。
午後に、ゴープロで玉のランブル通りと玉小までの道の動画を撮る。
『玉野だより』 2023.04.08【王子が岳風景(27)】
7日は雨で描きに出られず、この日は、6日に描いた場所から、数メートル前に出てイーゼルを立てた。2019年6月25日にイーゼルを立てた『王子が岳風景(4)』とほぼ同じ場所だ。一応、前日に『瀬戸内百景』の本で、下調べはしていたのだが、現場では、視覚対象のリフレ(光の反映)も、変わるし、自分の4年ぶりという時間的な経過もあるので、新鮮だし、また、前作と全く違う絵になりそうだ。
『玉野だより』 2023.04.08【王子が岳風景(28)】
1点目を描き終え、2点目に遊歩道の横にある大岩の前で、イーゼルを立てる。途中イノシシが道の向こうに出てきて、なんと尻尾を振りながら近づいてくる。犬や猫を追い払うしぐさで、シッシッと追い払うと、逃げるというより、草むらにかくれる。ノラ猫の餌やりの人と間違えたのか。
自然の風景を、現地にイーゼルを立てて、静かに描いていると、動きが自然と同調するので、色んな、野生動物に出遭う。色々な出遭いの経験をしてきたが、それは、話としては面白いが、絵とは関係がないので、いつか、機会があればということで。
『玉野だより』 2023.04.08【この日の夕方】
この日は忙しい。関藤氏から、自宅に飲みにこないかという誘いをうける。佐々木氏も呼んだという。明日も忙しく、その準備もあるので、1時間くらいしか付き合えないとことわりを入れて関藤氏宅に訪問する。
壁には、『瀬戸内百景』展の『番田の立石』の作品が架けられており、ああ、この日の誘いは、本額に付け替えたこの作品を、私に見せたかったのだとおもい、光は悪いが、デジカメで撮った。
『玉野だより』 2023.04.09【玉の動画の続きを撮る】
この日は日曜日で、中川さんが休みで、イーゼル画の現場への送り迎えの車が使えない。タクシーを使ってもいいのだが、キャンバスがもう一枚残っているが、予定を変更する。早朝に画材を荷造りして、午後に集荷を連絡する。荷造りを終えてから、玉比咩神社と玉中の動画を撮りに出る(この動画はユーチューブにアップしました)。
動画を撮って後、昼食にニコニコ食堂に行く。冷蔵庫に缶ビールが一本残っているが、ニコニコ食堂はお酒は出ないが持ち込みは可なので、一石二鳥で全てが片付く。少し多いが、私のお好み焼きの定番の、焼きうどんと豚玉焼きとビールの500ml缶で昼食にする。
店内のテレビでは、NHKのしろうとのど自慢の番組をやっている。たまたま、その番組をやっている場所が、四国の丸亀か坂出だったか、店のおかみさんの出身地の近くらしく、同年輩の女性のお客と、テレビを見ながら熱心に話している。番組では、審査員で南こうせつが出ていて、番組内で『神田川』を歌った。私も立石君も、若く貧しくて、出口の見えない迷い道をウロウロしている時に大ヒットした歌を、私が子供時代からあったニコニコ食堂で、昔からの番組を、老いた歌手が、昔の歌をうたい、私を含めて老人たちが見ている。食べていると不思議な感覚に襲われる。私が子供の時に体験した、世界は薄い紙の層になって無限の層が同時に〈今、ここ〉を動いている、という感じ。その一枚が今の自分の人生という感じ。まるで、私の子供時代の映画を見ていて、映画の出演者全員が老人で、それを老人の私が見ている。そして、それは映画ではなく、現実の世界であるということの不思議な感覚。
『玉野だより』 2023.04.09【昼食後】
昼食後、宅急便の集荷を待つ間に、妙見氏が奥さん手製の夕食の弁当を持ってきてくれる。明日は、始発のバスに乗るつもりだし、ゴミも発送する荷物に詰めて処理したので、固辞したのだが、ことわりきれず頂いた。中に入っていた、見慣れぬ青葉の天ぷらは(あとで電話で確認すると、家庭菜園の間引かない若い人参の葉)色も味も、スーパーで出あったことのないもので、美味しかった。
夕方、今朝玉から結城君の車で、島根県の今井美術館に観にいってくれた連中が玉に帰ってきて、マザーズに寄る。写真を撮って、関藤氏と岡崎さんはここで別れ、結城君と西村さんはマザーズで3人で夕食にする。この時に、妙見氏が持ってきてくれた弁当を食べ、手をつけなかったご飯と、ゴミになった容器は、西村さんに持ち帰ってもらった。これで、今回の訪玉の自分に課した予定の仕事は全て終わった。
『玉野だより』 2023.04.10【帰柏の朝】
玉橋始発の6時50分の両備バスに乗るために、早めにバス停に着いたので、暖かいミルクティーを飲み、喫煙所でタバコを吸う。いつもの旅行からの帰りと違って、玉からの帰りは特別で、いつも感傷的になる。目に入ってくる風景が、自分の脳の中にヒッソリと眠っている、過去のインプリントされた記憶を刺激し、感情が揺さぶられるのだろう。
思い出深い三井病院も、造船所内のグレン(クレーン)も、次の訪玉の時にはないかもしれない。
玉野だより2023-9-27~10-2
『玉野だより』 2023.09.27【四国の帰りに玉野に寄る】
9月20日から26日まで、四国の嶺北の棚田を描いて、27日、大杉駅から特急南風で終点岡山まできて、玉野市玉に到着、玉では滞在中、いつものカフェ マザーズの2階に泊まる。
今回の、訪玉は、『岡野岬石のノスタルジック ランブル』の動画を、ゴープロで2本撮ることと、9月29日が中秋の名月なので、日の出海岸で屏風島から上る満月と光る海の絵を描くことが目的だ。そのため、四国に10点送ってあったキャンバスは、9点描いて1点残してある。画材は、明日28日の午前中必着で四国から発送してある。
『玉野だより』 2023.09.28【大仙山に登る】
午前中に、画材の荷物が届き、荷ほどきして、2枚合わせで縛っていた、嶺北で描いた作品を、室内に広げて乾かす。以前玉野のイーゼル画で、現場の送り迎えで世話になった、玉小、玉中の同級生だった、明見氏に、大仙山に一緒に登ろうと電話する。下りての昼食は、「ニコニコ食堂」でお好み焼きを食べようというと、奥さんが作った大きなお好み焼きを持ってきてくれた。ビールがないので、ポケット瓶のウイスキーの水割りで代え、お好み焼きの半分づつを早めの昼食にして、大仙山に登って、ゴープロで動画を撮った。動画はこれから、ユーチューブにアップします。
夕食は、昨日食べた、マザーズの隣に開店した居酒屋『さくら井』で、これも玉小、玉中の同級生だった、佐々木氏と少し飲む。お互い後期高齢者なので、飲み食いも時間も、少量でリミットになる。しかし、イーゼル画とおなじで、明見氏も佐々木氏も、今後会うことはあるのかどうか、この時がラストチャンスかもしれないので、私の誘いに、付き合ってもらってよかった。
https://www.youtube.com/watch?v=mmxy2LkeWz4 |
『玉野だより』 2023.09.29【瀬戸内昇月を描く】
今日は満月の日なので、月の出の時間にイーゼルを立てる。日の出海岸の岩場に一旦セットしたが、キャンプ用のヘッドライトを用意していないので、競輪場の駐車場の傍の小公園の街灯の光の届く場所に、イーゼルを移した。空は雲がなく、前の屏風島から、満月がヌッと頭を出して、グングン上ってくる。月の高さによって、海面の反射の光り方が変わるので、ベストの状態を予想して描き始める。描くところが少ないので、短時間で描き終えた。
この日の昼間は、デジカメを持って子供の頃の記憶のかけらを写真に撮り、ニコニコ食堂で焼きうどんの昼食、隣の、昔からある高木たばこ店でタバコを買った。父親のすう「しんせい」を買いによく通った、タバコ屋の看板娘のキレイなお姉さんは、足は不自由のようだが、店の奥でまだ健在だった。この時に撮った写真は、【岡野岬石の資料蔵】の(玉野だより)にアップします。
『玉野だより』 2023.09.30【奥玉の大岩を】
昨日、『瀬戸内昇月』を描き、一昨日大仙山の動画を撮ったので、今日は、奥玉の大岩の動画を撮りに出かけた。ここは、子供の時に、父が、呉(母の生地)の海軍工廠に出向していた引きで、母の姉の一家の息子たちを三井造船所の本雇いに入れ、奥玉社宅に住み、3人兄弟の末っ子、ミキオさんの買ったカメラで撮ってもらった写真の場所です。
前回、探したときには、奥玉社宅の近所に住んでいた、同級生の田上氏に同行してもらって、探しあてたが、今回は、イノシシの柵を越えてからの、踏み跡がなくなっており、藪をこえて上るのを断念した。
子供の頃にはなかった、大仙山の八十八箇所の失った一つであろう石像が祀られていたが、それとともに、この場所も、私の記憶の中にしかなくなり、諸行無常のダルマにのみこまれるだろう。だからこそ、私はこの動画を撮りにきたのだ。
近々に、以前の写真を含めて、画家岡野岬石の【ノスタルジック ランブル〈3〉 (奥玉の大岩)】の動画をアップします。
https://www.youtube.com/watch?v=6_hvOAXiMIQ |
『玉野だより』 2023.09.01【画材を17時に出荷】
14時から画材を梱包、17時に運送屋が集荷、アトリエ宛の出荷が終わる。今回の旅行の目的はすべてやり終え、明日帰柏する。
人間は、星型の自分中心の世界像の中に生きているが、この一ヶ月の旅行中の、室蘭外海岸も、嶺北の棚田も、玉野も、もちろんアトリエのある柏も、世界は同時に、存在しているのだ。これは、日本だけでなく、世界中の、ありとあらゆる場所と人と生物と物が同時に存在しているのだ。自分の小さな生活世界のリアルな世界像だけで生きていると、他の空間のリアルと齟齬ができる。世界はそうなっているのだ。
美しい光と空間を求めて、全国旅行してその風景の中でイーゼルを立てるラストチャンスをクリアすると、達成感と同時に、ラストチャンスが1年延び来年は、何処にイーゼルを立てようかという次の目標が、もう生まれる。天のオファーは、忙しいし楽しい。
瀬戸内昇月/F15号/2023年 |