(8)他の教室に行って描く(34頁)
他の画家の描いているところを直接見て勉強になったもう一つは、佐藤照雄という先輩の話。もうお亡くなりになった(1926-2003年)けれど、リアリズムの大家で、デッサンがめちゃくちゃ上手い人だった。特に『地下道シリーズ』という、戦後の上野の地下道に暮らすホームレスの人達を描いたデッサンはすばらしい。佐藤さんは終戦後京城から引き揚げてきた後、芸大の裏に掘っ立て小屋を建てて、学生何人かと住んでいたという事で、芸大の先輩である。その人がその頃近くの上野の地下道に夜になると通って描いたのが「地下道シリーズ」で、じつにすばらしいデッサンだった。また、一時期池袋で似顔絵描きもしていて、似顔絵もじつにうまかった。
僕はそのころ(1975年、千葉に転居する頃)まで、パステルがどうしても使えなかった。使い方を知らなくて、恐る恐るふあふあと、おっかなびっくり使っていた。
それで佐藤さんに「パステルを、佐藤さんはどうやって使ってるの?」と聞いた。
「ああ、それなら、僕と一緒に描きにきなよ。デッサン描いているから」
それで、練馬区の公民館だったか、西武池袋線で行って、僕はそのころ千葉県の市原市に住んでいたから、通うのにかなり時間がかかったけれど、週一回二ヶ月くらい通った。
ところが、そこは佐藤さんが主催している教室じゃあないんだ。他の人が、女性の日本画家の先生が教えている教室だった。佐藤さんは、その当時一回千円だったかを払って参加していました。自分のアトリエで専用のヌードモデルも使っていたけれども、千円でヌードが描けるならという事で、そこで描いていたわけ。
「岡野君、来なよ」と言うから行ったら、佐藤さんも生徒。でも、別格で誰も何も言わない、言いようがない。
佐藤さんと僕と、めちゃくちゃうまいのが二人。他の人と、特に先生はやりにくそう…。悪いなと思いながらも、佐藤さんのデッサンを見ながら描いて、すぐにパステルを使えるようになった。
パステルとかコンテは、ギシギシ使わないとね。パフパフと恐る恐る使うものじゃあないんだ。ゴリゴリ描いて、擦筆(さっぴつ)で紙にこすりつけ、色が濁ってきたらフィキサチーフをかけて粉を定着し、ホワイトや明るい色で形を決めていくのがコツなんだ。それ以後、パステルも随分使えるようになった。今でも、エスキースにかかせない画材だ。だから、一緒に描くというのが一番ためになる方法である。もっとも、一緒に描く相手にのみこまれてしまう危険性はあるが、それはそれで教わる側の才能の量なので、仕方のない事だ。