(18)プレ印象派・コロー(57頁)
日本橋画廊に絵を持って行き始めて、毎月何点か描かなければならなくなった。常時、作品を生み出すためには、グランドモティーフを決めなければ、とても続かない。それで、風景画に決め、武蔵野風景などを描き始めた。当時、参考にした画家は、バルビゾン派の画家達(特にドービニー)やコロー。コローの風景、特に遠景の木の解釈は素晴らしく、やわらかくて心に沁みてくる。
コローに惹かれて、コローだったら人も納得できるし、僕も描いていて自分の中で納得できる絵になるのではないかなと思った。製作中、やっぱりいつの間にかコローを分析している。僕は、コローから画家としてのスタートをきって、後々の絵のためには、いいところから入ったなと、今つくづく思う。コローはプレ印象派だから、印象派のものの捉え方が、実際の技法として分った。初期の頃のコローは、葉っぱや幹をしっかり、きっちり描いている。それが、しだいに柔らかくフワーっとしてくる。印象派的に捉えていくわけだ。
コローはなぜプレ印象派かというと、モネと違って、モネは印象派を完成させた人だけど、コローはなぜそこまで行けなかったかというと、近景や人物を印象派的に捉える事は難しい。石の建物のようにゴツンとしたものは、印象派の技法では特に難しい。しかし、遠景や、カスミソウやライラックのある花の絵や、レースの洋服などは、印象派的に捉えないと描けない。もしそれらをリアリズムで描こうとしたら、カスミソウなんてとても追求できないので、モティーフから外すしかない。逆にゴツンと転がる静物が近くにあると、これを印象派的に捉えるのは難しい。そこまで印象派的に捉えることは、モネやルノアールまでできない。コローも近景の建物とか人物はゴロンと描いているが、遠景の木などは、フヮーっと描いていて、あの遠景の描き方が、印象派というのは、こういう捉え方なんだなと随分と参考になった。
武蔵野の風景の落葉樹などを描くとき、グリーンでおおまかな調子をつけておいて、その上にホワイトとレモンイエローを混ぜて、バサッとした筆でハイライトをチョンチョンと飛ばすと、空間と光が出てくる。ぼんやりと描いておいて、ピッピッと飛ばす。これがコツなんだ。たとえばカスミソウなんかのときは、およそ描いておいて、花のところはパッパッパと飛ばしてみるといい。逆に印象派は、どうしても目の前に置くと、ディテールにピントを合わして、理性で認識を補正してしまうから、ゴロッとしたものが難しい。
ターナーはイギリスの印象派といわれているが、プレ印象派だ。嵐とか、霧とか、煙りや水蒸気のように現実の対象がぼんやりしていないと描けない。はっきりと、具体的なものがあると、もう描けない。実体を光に変換することができない。近くのものも遠くのものも、チラチラしたものもゴロッとしたものも全部光に変換できていない。モネの絵も、そのへんを分って見ないと、誤解してしまう。自我のバイヤスのかかった自由な感覚で何かやっているとおもうと、違う。自己の自由な感覚ではなく、一生懸命描写しているのだ。寧ろ自分の自我を排除して描いている。そう考えないと、セザンヌがモネの絵を観て「モネは目にすぎない。だけど、なんというすばらしい目だろう!」と言ったという逸話が理解できない。ターナーは変換するのではなく、現実にそういう場面でないと描けない。だから、ひどい嵐の日に、海に出てマストに体を縛り付けてスケッチをしたという逸話も残っている。全ての対象を変換しきれていないので、彼の作品のモティーフは狭い。霧や霞や嵐のように、現実がそのような状況の風景しか描けない。ターナーはプレ印象派。ベラスケスも、ルーベンスも、フェルメールも、レンブラントも、印象派のコンセプトから見ればプレ印象派。印象派の画家達が自分達の技法を試行していく過程で、あらためて昔のあの画家も、あの画家もそうだったと再解釈していくわけだ。レンブラントは兜にあたった光のように、光ったところは印象派だけれども、影のところは違う。部分的にはみんな印象派的に捉えるのだけれど、プレ印象派の人達は、全部を完璧に光に変換しきれていない。
モネになると、認識そのものが完全に変換していて、物の実体存在から光の関係存在に置き換えている。