岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18 テキストデータ

『芸術の哲学』第4章

投稿日:2020-12-31 更新日:

 

第1章 第2章 第3章 第4章 第5章

(第4章)

●他人に写った自分

 先日(2008年10月)、ピカソ展を見るためにサントリー美術館に初めて行った。ピカソ展はサントリー美術館と国立新美術館と2会場で開かれているのだが、最初に地下鉄日比谷線でサントリー美術館の方を先に行って、その後国立新美術館に回りました。ピカソは相変わらずすばらしく、芸術のおいしさを堪能したけれど、サントリー美術館に行ったのは初めてで、美術館のある東京ミッドタウンの街の様子がおもしろかった。東京ミッドタウンは地下鉄の六本木駅からサントリー美術館まで地下道でつながっているのだが、まるで未来都市のように地下道もお店も妙にピカピカしているのだった。初めてなのでキョロキョロと周りを見回しながら散策したのだが、東京ミッドタウン内のお店はどこも値段が高そうで展示商品が少なく、ドレッシーな服を着た店員が手持ち無沙汰にしていて、ぞろぞろ歩いている人達はウインドショッピングがほとんどで、中で買い物をしている人ほとんどいなかった。そこで、お茶や昼食を食べようとしたら、普通の人にはちょっと財布の覚悟がいるだろう。

東南アジアからの観光客や、地方から来たと思われる人がいっぱいで、中に入っている客はスカスカの状態。実際にそこに住んでいる人や従業員の日常生活はどうしているのだろう。女性が普段着でサンダル履きでスーパーのデジ袋を持ってそこを歩くのはちょっと勇気がいるよ。そこの住民になれば、ちょっと外にいくのも外出着に着替えなければならない芸能人のような日常生活を強いられるだろう。店のテナント料も高そうだから高級品をあつかう店しか借りられないだろうし、そういう店を日常的に買い物に使う人は少ないだろうし、観光客ばかりでは商売が成り立たないだろうから、有楽町そごうが全館ビッグカメラになったように、やがてはテナントが量販店に代わるのだろうか。

サントリー美術館を先に観てから、ミッドタウンの一階のインフォメーションで、制服に身を包んだ、今はフライトアテンダントというらしいが昔でいうスチュワーデスのような格好をした若い案内壌に、国立新美術館に行くための道を聞いた。

そこで面白かったのは、答え方がマニュアル通りというか、若い女性はまったくその役割になりきっていたし、そのピカピカの空間に違和感もなくとけこんでいた。なりきってはいたが、年齢からいって彼女の実体はちょっと前までふつうの女学生だったのだ。しかしその場になると、彼女たちはすぐにその立場になりきる。ついさっきまでふつうの女の子だったのに。

およそ女性は、すぐになりきるのだ。たった高価なブランド品を身につけるだけで、なんの実体的な根拠もないのに自信をもってしまうのだから。きっと「シンデレラ」も、結婚後はすぐに王子様を尻に敷くにちがいない。昔の日本ならば、表面だけ繕っても「お里が知れる」とたしなめられたものだが、また自分のそういう行為を恥ずかしがったものだが、母親の世代がそもそもそういう生き方をしているものだから若い女性は得意になってすぐにその気になってしまう。

ものごとにはすべてヒエラルキーがあって、上を目指すには努力が必要だ。負荷をかけた練習とそのフォームの研究なしに運動選手の自己記録は決して伸びない。記録は天から降ってはこない。お金でも、地位でも、業績でも、きちんと得るには努力を重ねていくという経過が必要なのだ。ところが今の人は画家を含めて、すぐに出世しようとする。以前ラジオでビートたけしが「女はすぐ出世する」と言っていた。女性はだれかにくっつけばすぐに、努力や勉強をしなくても出世するのだ。そしてすぐに、自分に疑いもなくなりきる。男が、出世してその属性になりきるには、金持になるにも、地位を得るにも、関取になるにも、オリンピックに出るにも、芸能人になるのも、サラリーマンが出世を目指すのも、努力の種類は違っても

とにかく何かを積み重ねなければ何ものも得られない。僕のこういう話は、女性から反感を買われるのだが。

●どこのお坊ちゃま?

 女性のそういった「なりきる」姿に接して、子供の時に自分自身がそれによく似た体験をしたことを思い出した。これは「写り写られ」のちょっとした例題の話だ。

僕が小学5年生の頃の話。岡山県の玉野市玉は市の基盤の三井造船所の工場があり、当時は三井の企業城下町といわれていた。工場の正門の前に三井造船所の運営する『児島荘』という海員クラブがあった。船が修理などのために造船所のドッグに入ってくると、乗組員は自宅に帰ったりするのだが、海員クラブというのは、責任者などがホテルのように泊まったりする施設だ。食事を出し、部屋を提供し、応接室もあり、まだテレビがめずらしい時代にテレビも置いてあり、ビリヤードや卓球などもできた。春休みや夏休みの時期などには都会から同じ年頃の子供を連れた母親も、父親に会いにきて泊っていく。そのクラブの管理と食事を依頼されていた人の息子が僕と同じクラスだったので、よく遊びに行った。クラブには、昼間はもちろんゲストはいないから、子供たちだけでビリヤードなどをして遊んだ。

三井造船所は地方では大工場であり、進水式(当時は大きな鉄の船も船台で船を造り出来あがると海に滑りこませていた)などがあるため、他の小学校の生徒が貸し切りのバスで見学に来ることがあった。クラブの前がたまたまバスの駐車スペースになっていたのでクラブの前に停車すると、クラブには塀があるのだが、バスのシートの位置が高いから、ちょうどバスの座席からビリヤードをしている僕たちの姿が見える。同じ年ごろの小学生たちは、その高い視点から興味深そうに室内をのぞいていた。彼らに見られている自分は、彼らの中に写った自分のイメージは「金持のお坊ちゃま」がビリヤードをしているということになる。「おい、あんなことやっているぞ!」と憧れや羨望の視線で見られたら、まあ、気持ちはいい。気持ちはいいが、しかし実体はあくまでも違う。実際のところを知られたら何やら恥ずかしい。つまり、お里は知られたくない。当時そこまでは考えなかったけれど、ほんとうにそういう人間にならないとその感覚を味わう資格はないのに……という恥ずかしさと、憧れの眼差しを受ける気持良さとが両方ある。だからちょっと複雑でこそばゆい。本当は違うのに、自力の実力ではなくて、実体は違うのに……という、複雑な居心地の悪い心境だった。

もうひとつ、子供のときの思い出がある。住んでいた玉野市玉は、岡山県の県庁所在地である岡山市から宇野線で一時間くらい離れていたから、行く機会も年に何度かしかなかった。岡山に行くときは当時はデパートが楽しくて、そこには刺激的なものがあふれていた。家では食べたことのない珍しいものが食べられるし、玩具売り場には玉の「つばめ屋」にはない玩具を売っているし、屋上には遊園地のようなものがあるし、一日中たいしてお金も使わず楽しく過せた。

岡山に出かけたある時、両親は買い物があるからその間、弟と二人でパーラーで何か好きなものを頼んで待っている、ということになった。そんな店に子供だけで入るのも初めてだし、オーダーも、とりあえず決まりきったものしか知らないから、アイスクリームソーダを頼んだ。出てきたクリームソーダを飲んでいると、二人しか客のいない店にたまたま同年代の女の子が二人で入ってきて、ホットケーキを頼んだ。僕は当時まだ、ホットケーキというものがどういうものなのか、名前は聞いていたが一度も見たことも食べたこともなかった。やがてホットケーキが運ばれてきて、小さなフォークとナイフがついてきた。さらに、蜂蜜みたいなものもついていた。

それを興味津津に見ていたのだが、何故人の頼んだものが気になるかというと、以前にデパートの大食堂で焼きそばを頼んだら、予想したものと違うものが出てきたことがあったのだ。焼きそばといえばソース焼きそばのつもりで頼んだのに、運ばれてきたのは、とろみのついた具がのっているカリカリしたおかしな焼きそばだった。「おっ? 焼きそばでないじゃないか。どうやって食べるんだろう?」。小皿がついていて、これはなんのためにあるのか分からない。テーブルには醤油やソースや酢等がまとめて置いてあるのだが、なにをどう調合するのかも分からない。実際どうやって食べるのか分からないし、好きなように味付けするといってもよく分からないから「もう焼きそばなんか頼むもんか」と思ったことがある。だからホットケーキのことも興味津々だったのだ。それが僕の性格だから。

女の子たちは、出てきたホットケーキを小さく切って、左手に持った小さなフォークにさし、それを小さなガラスの容器に突っ込んで蜂蜜か何かをつけて食べていた。蜜は上からかけるはずだが、こちらは食べ方を知らないから、「……ホットケーキはああやって食べるのか」そういうものかと思った。バターもついていたような気がするが、ともかく女の子たちは、田舎者に見えたであろう少年たちがジロジロ見ているから、自分たちは都会の少女なのだからと意識して、意識過剰になって「これどうするの?」なんてお互いに言えずに、私たちはここでいつも食べていて、こういうものはこうやって食べるのよ、と言わんばかりの雰囲気で食べたのだ。そう若い頃は解釈していた。ところが、年を経て自分の経験をつんでからはその解釈も変わった。そうでなく、男の子たち二人がいるというのは、田舎から来ているなんて彼女たちは知らないのだから、子供が二人で大人も付き添っていなくてパーラーにいるなんて珍しいわけだ。むしろこちら二人を、場慣れした都会の子供だと思ったのではないだろうか。僕たち二人をどこかの坊ちゃんのように思い、そこで自分たちが場違いに思われたくないから、緊張してあのような食べ方をしたのではないだろうかと今は思う。

周りに写った自分の像と自分自身が本当の自分だと思っている自分の像、自分の中に写った他者の像と他者自身が本当の自分だと思っている他者の像。世の中の人間関係の食い違いのほとんどのことは、この四つの像がそれぞれに独立して食い違っているものなのに、一致していると錯覚してしまっていることが原因なのだ。この四つの像を個別にイメージできれば人間関係のトラブルはかなり減ると思うのだが。シンデレラや水戸黄門などの物語の主人公をこの四つの像に分解して解釈し直せば、なぜ現代でも女性にシンデレラ願望があって、男性に水戸黄門のテレビドラマに根強い人気があるのが分かるだろう。

●写った自分と、実体の自分の乖離(ルビ:かいり)

 さて、「写り写られ」の本題について述べよう。自分のなかに他人が写りこんでいるとか、他人に自分が写っているというその「写っている」というのは、その人の身体のなかに写りこんでいるということだ。他人に写りこんでいる自分は、他人なのではなく自分なのだ。自分の中に写っている他人は他人なのだ。自己意識は常に、睡眠中も酔っていても常にこちら側にある。あちら側、外部世界、他者は身体に写り込んで自己の世界の「地」になる。それを自己意識の「知」が記号で解釈し世界の図像をつくるのだ。図像をつくる前に、すでに、世界は身体に心や意識を持たない鏡や写真のように写り込んでいるのだ。だから、自分とは自分の身体、全部ではない。写りこんだ世界の中に自分がいるのだ。人間(有機物はすべて)は外部に向って世界=内=存在であるが、内部に向っても世界=内=存在であるフラクタル幾何学とかマンデルブロー集合とか、磁石のN極とS極の話とか、これらは何度語っても分かってもらいにくいが、ここが大事なのだ。

あらかじめ自動的に身体に写った世界を、身体や意識が解釈しているのだ。目の前の疑問の余地もなく感じられる外部世界も実は自分の網膜に写った写像なのだ。だからといって人それぞれが違った世界像をむすぶと考える実存主義は間違っている。外部世界は超越論的に実在しているのだから、歪みやくもりやバラツキは自動的、超越論的に外部から補正される。そもそも人間の網膜には上下左右逆に写った像を意識の解釈なしに外部の実体が身体を補正するのだ。気付きにくいが、自分の、写真の像と鏡に写った像は違う。左右が逆なのだ。それについては、昔から色々な説明がなされてきたけれど、要は対象物と自分の網膜の位置の違いで、自分の目をカメラと考えてカメラの位置がどこにあるのかを考えると理解しやすい。相手の右と自分の向って右は方向が逆である。自分だけは写真や鏡がなければ自分の網膜に写らない。しかも、自分が日頃見ている鏡に写った自分が本当の自分だと思っているのに、他人に写っている像は左右が逆で二つ像はずれているのだ。写真や鏡は実体ではないので、人は決して自分の肉眼で自分を見ることはできない。

他人に写った自分が自分だと思いこんでしまうと、あるいは逆に自分に写った他人の像が他人の本当の姿だと思う、この食い違いが世間のさまざまなドラマや事件を生むのだ。写った自分の像に固執すると、それを無理に維持しようとしておかしくなる。小学生の僕のビリヤードしている自分と、バスの中から見ている同じくらいの年齢の子供たちに写った自分とは乖離している。写った自分と自分の実体が乖離している。このときの「気持ちよい」を、恥ずかしげもなく反省もなく満喫しようとしたら、実体はそこまで努力して、写像と自分を一致させなければならない。

世界に写してもらいたい自分と、自分の実体をぴったりと一致させること、あるいは逆に自分のありうべき実体を世界に写し外在させようとすること。それが大きく言えば人生の意義ともいえる。ここは、述べるなら限りなく膨らむテーマなのだ。

ウィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein 1889~1951年)は、『論理哲学論考』と『哲学探究』で有名な哲学者だが、かなりの変人だった。人生も変わっているし、彼の兄弟も自殺した人が何人もいたり、紆余曲折がたくさんあった。父親が資産を築いて莫大な遺産を相続したが、後に放棄している。生涯独身だった。そのウィトゲンシュタインのお姉さんのヘルミーネが言っている言葉が面白い。

「不幸な聖人よりも幸福な俗人を弟に持ちたい! と何度思ったことか分かりません。……私も家族も単なる人間に過ぎず、物事を人間的にしかとらえられません。他の者が明るく幸せなのを知ることは、まさに人間的な喜びなのに、残念ながらそのような願望さえ、ルートヴィヒのことを考えると放棄せざるをえません」(1920年12月13日付け書翰)

しかし、およそ芸術家や哲学者はみんな周囲からこう言われている。僕だってそうだ。つまり写る自分と実体とが乖離しているということ。こちらはまともなのに、周囲はそう思っていない。一日中威張りくさっていて、周囲のことは視覚にも入っていない、と思われてる。ミッドタウンの女性たちにしても、僕が普段着で行ってごらん。彼女たちにとっては、まともでないあやしげな爺さんになってしまう。

写り写られという世界。それが子供の頃からの体験と関連している。世の中のさまざまな事件のやトラブルのほとんどは、そのくい違いが原因なのだ。それを理解すると、みんな生き方が整理される。ところが、写り写られの実体と自分との関係が、乖離があるということを自覚しないで生活すると、実人生や社会生活上さまざまなところで齟齬が起きる。最後の哲学者と言われ、いま出版ブームといっていいウィトゲンシュタインも、一部の人を除いて周囲から変人あつかいだった。

ウィトゲンシュタインは、ある時期にバートランド・ラッセル(Bertrand  Russell 1872~1970年)に師事し、ウィトゲンシュタインとラッセルの流れは論理実証主義に行き着くといえる。ウィトゲンシュタインの著書『論理哲学論考』はウイーン学団の学者たちが、形而上学を否定し論理実証主義を標榜するにあたって、経典のような役割を果たした。ウイーン学団では、実証できない命題は無意味だという思考で、ユダヤ系の人が多かったため第二次大戦ではアメリカに亡命し、シカゴ学派というアメリカの哲学の派に結びついていくことになる。ウィトゲンシュタインはウイーン学団とは一線を画していたが、ウイーン学団の人たちはウィトゲンシュタインを大変尊敬していた。

ところで僕は、ウィトゲンシュタインの関連でラッセルを読んでいたが、途中でやめた。僕と意見が違うからだ。『哲学入門』のなかで「生まれつき目の見えない人には光という言葉を理解できない…」と述べているが、それは考え方が僕と根本から違う。生まれつき目が見えなくても、理解できるのだ。僕の意見は違う。

[注:■論理学と同じく、純粋数学もすべてアプリオリである。経験論者たちはこれを熱心に否定し、「地理学の知識と同じように、算術の知識もまた経験からうまれる」と主張した。(95頁)《僕(岡野)の意見:この意見には、両論納得がいかない。自己の内部世界は自己意識の外側にあらかじめ写りこんでいる。つまり人間(生物も)は,外側の世界に対して世界=内=存在であるが、内部でも自己意識は世界=内=存在であるのだ。世界の存在の形態は、内部と外部の境界が無いマンデルブロー集合のように自己相似形なのだ。そう考えるとアプリオリの問題は、あらかじめそうなっている世界(時間、空間)がすでに自分の内部に写し込まれていてその内部に自己意識(知性)が生まれ育つと考えれば説明できる》

■カントは物的対象――彼はこれを「物自体」と呼ぶ――を本質的に知りえないものとみなす。知りうるのは経験に現れる対象だけで、カントはそれを「現象phenomenon」と呼ぶ。現象は知覚者と物自体の共同の産物だから、知覚者に由来する特性を確かにもち、それゆえ確かにアプリオリな知識と一致する。よってアプリオリな知識は現実的・可能的な経験のすべてに関して真であるが、しかし経験の外部にも適用されると考えてはならない。したがってアプリオリな知識があるにもかかわらず、物自体について、あるいは現実的・可能的な経験の対象ではないものについては、何も知ることができない。このようにしてカントは合理論者の言い分を経験論者の議論と和解させ、調和させようとした。(106頁)《僕(岡野)の意見:自分の内部の自己意識が知りえないのであって、物自体は自己意識に関係なく勝手に写り込んでいる》

■この意味での記憶という事実がなければ、そもそも過去があったことすら分からず、「過去」という言葉も理解できないにちがいない。それは、生まれつき目の見えない人には「光」という言葉を理解できないのと同じことだ。(142頁)《僕(岡野)の意見:ここまで読んできてこれ以上読み続けるのを断念した。この文章には全く同意できない。参照:『芸術の杣径』の中の「夢の中の空間」》

『哲学入門』 バートランド・ラッセル(高村夏輝訳)ちくま学芸文庫より]

●「ツルツルした氷の上」

 さて、この辺から核心に入る話だ。何年か前からウィトゲンシュタインに関する本を何冊か読んでいる。ウィトゲンシュタインはその生涯に事実上、『論理哲学論考』と『哲学探求』(未完)の二冊しか書いていないと言えるが、『探究』のあとがきにある部分の話だ。

ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』も『哲学探究』のなかでも論文的なことは書かずに、断片的なことを書いている。それが面白く、また問題を投げかけている。その解釈をめぐって、ウィトゲンシュタインが現在はブームのようになっている。『探求』の第107節にある表現で、「ツルツルした氷の上…」という話があるのを、『『論理哲学論考』を読む』(野矢茂樹著)で見つけた。

実際の言語を見れば見るほど、この言語とわれわれが要求するものとの衝突は

激しくなる。(論理に結晶のような純粋さを見るのは、調べて分かったことでは

なく、要求だったのだ。)この衝突は耐え難くなり、われわれの要求はもはや空

虚なものになろうとしている。――われわれは、ツルツルした氷の上に入り込

み、摩擦がなく、それゆえある意味で条件は理想的なのだが、まさにそのために

歩くことができない。われわれは歩きたいのである。だから摩擦が必要なのだ。

ザラザラした大地に戻れ!(ウィトゲンシュタイン『探求』第107節)

『論理哲学論考』を読む 野矢茂樹著 ちくま学芸文庫』

これこそまさしく、いま僕が抱えている問題で、「物感」をめぐるテーマだ。論理でも数学的なことでもミッドタウンでもなんでも、世界を記号でとらえるとツルツル、ピカピカとしてしまう。論理、論理といって追っていくとピカピカしてしまう。絵でも美のみを抽出して生活とか身体を排していくと、画面がミニマルな物質になってしまいツルツルピカピカになって、まるでビルの壁のようになってしまう。美しいけれど、人が立っていない。ウィトゲンシュタインもきっとそういうことを言っているのだろう。論理、論理といってもウィトゲンシュタインも、知性だけで磨きあげた論理、絵なら感性だけで磨き上げた作品、ミッドタウンのようになってしまうものについて言っているのだろう。

平面上に、色と明度差と形と線、この四つの要素を組み合わせて純粋絵画をふくめすべての平面作品(デザイン、写真、漫画、イラストレーション、布地のパターン等)はなされている。散らかった部屋の中や、電車の吊り広告の中や、たとえゴミ収集の場所にあっても人間の目は芸術を峻別する。「目の寄るところに玉が寄る」という諺も昔からあるように、諺の意味とは違うが目は勝手に玉を峻別して寄っていくのだ。そして同じ「美」でもどうしてヒエラルキーがあるのだろう。すべて美しさを追求しているのに、なぜある作品は「これは芸術だなぁ」と感じるのだろう。

少しづつこの本を書きたい一番のテーマの核心に近づいてきたので、これからその重要な画家のテクニカルターム(専門用語)である「物感」について述べよう。「物感」と「立ち位置」について。これを説明するのに、芭蕉の俳句を例に出すとわかりやすいかな。芭蕉は、俳句の作品のなかで自分のことは書いていない。『古池や 蛙跳び込む 水の音』古い池があって蛙が飛び込んでポチャンと音がしたという、それだけだ。それなのに、なにも解釈しなくても、この言葉の組み合わせは読む人に「あぁ芸術だ」「これは芸術だ」と感じさせるだろ。感じない人はステレオグラムを例にして前に話したが、見えない人が見えないだけであって、感じる感じないは人それぞれではないのです。これは芸術だ。1+1は2だという薬の効能書きのような言葉の使い方ではない。しかし何故、芭蕉の俳句は芸術になるのだろう。どう違うのか。芸術と記号はどう違うのか。

「物感」について、絵について僕は思う。自分の絵を磨き上げていって、文様とか数学的な記号になっていったら、それはもう芸術ではない。そこで物感というキーワードで考え直すと、作家の問題が浮かび上がってくる。論理というものには個人が出てこない。ウィトゲンシュタインいという「私」は出てこない。ラッセルにも、ウィトゲンシュタインにも私というものは出てこない。芭蕉にも私は出てこない。しかし読んだ人には芭蕉の立ち位置が見えている。読んだ人には、芭蕉がいて、池があって、たとえば蛙はポチャポチャしているのでもない、あるいはカンカン照りでもない。ポチャンと静かな所に音がしたのだろう。あるいは芭蕉はここにいるだろうという立ち位置が思い浮かぶ。芭蕉の、その句を詠んだ情景が、芭蕉自身の姿をふくめて立上がってくる。立ち位置が感じられないものは、それは文様とか記号であって、芸術ではない。絵描きにはいろいろいるけれど、どうも僕がいいと思う作品は、作家の、文字通りの立ち位置が明らかに分かるものなのだ。

立ち位置について言うと、イーゼル(絵を立てて描く画架、とくに三脚など持ち運びや移動の簡単な画架)画あるいはイーゼル絵画というものがある。言い出したのはイーゼルを外に持ち出した外光派(印象派)と思われる。そこでは画面と物と自分の位置を設定しなければ描けない。とにかく、直接描写する場合は、イーゼルは対象との間に立ててから描画は始まる。スケッチからとか、想像でとか、後からというのではない。対象と自分と作品(画面)の空間的関係が絵に出ている。対象物をどこに設定するのか、自分がどこにいるのか、イーゼル絵画においてはイーゼルをどこに立てるかが重要である。なぜなら、人間の目には視角があって、写真を撮るときを想像してみればすぐに分かると思うが、おなじモティーフでも対象物と画家の距離によって画面が違ってくる。描いている人の位置が自分を描かなくても分かる。そうして初めて、鑑賞者は画家の意識(知)ではなく、画家の「目」にシンクロ(同調、共鳴)して美が身体にしみ込んでくるのだ。そうでなければ美しいことには美しいとしても、作品の美のヒエラルキーが落ちる。美のチャンピオンには、向かない。

1925年第一回の渡欧でヨーロッパ近代絵画から大きな刺激を受け、1928年の

第二回渡欧でユトリロやスーチンの作品に深い感銘を受けた国吉は、やがて第二

期に向う新しい傾向を見せはじめた。1922年にパリに戻っていたパスキンとの再

開、また彼の手引きによるヨーロッパの近代絵画やエコール・ド・パリの作家た

ちとの接触は、国吉にとって教えられるところが多かった。それは国吉自身の後

年の回想によって明らかである。

「私はフランスの近代作家から、とくに彼らのメディアムに対する理解の鋭さ

に感銘を受けた。あちらではほとんどの作家が対象から直接に描いている。それ

は当時の私の方法とは異るものであった。私はそれまではほとんど想像と過去の

記憶から描いていたので、その方法を変えるのに苦心した」と、国吉は述べてい

る。この頃より彼の作品に写実性が加わり、好んで女をモチーフにして描くよう

になった。(みづえ1975年10月号、ヤスオ・クニヨシ 祖国喪失と望郷 村木明

その前に確認したいのは、人間が感じる美のヒエラルキーの高さでは、美のチャンピオンは芸術なのだ。自然美よりも芸術美のほうが高い。実際のサントビクトワール山より、セザンヌの描いた『サントビクトワール山』の方が美しい。実際のひまわりより、ゴッホの『ひまわり』のほうが数倍美しい。そして、唯物的にいえばしょせん錯視なのだけれど、、錯視のヒエラルキーで一番高いのは、絵の具の塊が、ものになり、光になり、空間になり、それに時間性が加わり、形而上学的実在感すなわち物感が加わり「芸術」になるということだ。これが最もヒエラルキーの高い錯視だ。僕はこのことを確信する。

●美は語り得ない?

 ところでウィトゲンシュタインの有名な言葉に次のようなものがある。

「およそ言いえることは明確に言い得、語り得ざることについては沈黙しなければならない」

これはよく引用される言葉で、これを、ウィトゲンシュタイン自身は一線を画していたのだが後のウィーン学団の人たちは、目に見えない、現象に表れないもの、形而上学的命題は語るなと禁止の意味に受け取った。それが論理実証主義である。論理実証主義そのものは、途中で挫折するのだが。

論理実証主義者の論からいくと、「美とか倫理は、つまり形而上学的な命題は語りえない」という。しかし、そうだろうか。語り得ないけれど、示しえるのではないの? 超越は内側からは語りえないけれど、外側から網を絞ればそのものは示しえるのだ。水面下は誰も見えないけれど、水面下の世界は肉眼ではだれにも見ることができないけれど、船から糸をたらしたり、海から魚を含めて色々なものを引き上げていくと、こうなっているのではないか……と考えられる。世界に対して人間はそれを営々とやってきた。芸術、哲学、科学、数学、宗教…等々。

ここに、なんだかこういうものがありますよと暗示、あるいは指し示すことはできる。それを、芸術家がさまざまにトライしてきたのだが、「美」そのものを取り出すことはできない。美とは形而上学的なことだから、「はい、これが美です」などと「美」そのものをゴロンととりだすことはできない。絵画の場合は、現象界に持ってこなければならない。トライしてるのだがこれは言葉で話したり、論じたりしてもダメで(なんと、現代はこのようなかん違いの絵画が多いのだろうか)、現実に美しい絵にしなければ話にならない。絵という現象界に、視覚として顕現させなければならない。片足は必ず現象界にくっついている。

美の存在はたぶん超越だ。美があることはたぶん超越だろう。実存の「内在(超越の対概念)」ではない。「真・善・美」は人間の外側に、人間に関係なく、人間がいようがいまいが、人間に超越して地上からちょっと離れたところにあるのだろう。その証拠に鳥でさえ声や羽の美しさを知っている。しかし、現象界という現実に対しては、画家は絵の具という物質で表さなければならない。

つい最近、これはまた重要な話なのだけど、今後の画の制作のうえでのいいヒントが生まれた。気づいた。きっかけは、九州の画家の友人が昔の『芸術新潮』のなかにあったセザンヌの絵をコピーして送ってくれたのだが、これを見て気づいた。未完成に見える絵だが、これを見て、重要なことに気づいた。

これまで僕は「画家は漁師だ」と、しばしば言ってきた。しかし、一本釣りではない。一本釣りでは、語り得ないものを語ろうとする。しかし違うのだ。マグロがいたら、網で囲ってしまう。そうしたらマグロは取り上げなくてもいい。マグロ自体は語り得ない。「美」そのものはマグロのように形而下の物ではないので、船上に取り込めない。しかし囲って「ほら、ここにいるぞ!」と、そうすればいい。送ってもらったコピーのセザンヌの絵は明らかに途中だけど、囲って絞っっていったらここにマグロがいるということが、最初の段階から、途中においてもたしかに描かれている。船の甲板にドカっと引き上げてはじめて釣れたというのでなく、網で囲っていけばいいのだ。

これまで僕の絵はエスキースを何枚もかさね、完成図まで推考し決定してそれをキャンバスに移していた。しかし、それを最初からひとつの画面でやってしまう。これまでやり方では、途中は完成品ではない。しかし囲い込んでいくと、「ほら、そこにマグロそのものが見えなくても、マグロはいるよ」ということが見えてくる。「ほらいるよ。マグロがびくびく動いている」と見えてくる。これは僕の人生全般にも言えて、こうやって囲って絞っていけば、途中の段階は別に完成していなくても、あの人はマグロを捕ろうとしていたのだということが分かる。だいぶ絞られてきたなということが分かる。絞りきられていなくても、それが分かる。マグロの本体をつかまえようとするのでなく、このセザンヌの絵は途中だけど途中でなく、確かにマグロがいることは明らかだ。このように、すでに始まっているという描き方でこれから絵を描こうと思っているのだ。セザンヌの絵は途中だけど、途中ではない。これは素晴らしい。そこにザラザラした大地というものが出てくる。

●存在するのだから、そう見えない人が悪い

 写り写られの話に戻るが、論理とか知識、感覚というものは、僕の自我、こっちの意識にあるわけで、意識にないものもすでに人に写りこんでいる。写っているのだから。目の見えない人でも、視覚以外の感覚器官(知性もその中の一つ)で、それが身体に取り込まれる。意識しないものも網膜は情報処理していて脳の無意識の場に取り込まれる。鏡やカメラには意識はないのに写るのだから。写り写られの世界の中では、写りこんだものを脳内にいる小さな小人(自我意識)が、解釈する。解釈をしてもしなくても、解釈以前に世界には共通の世界が写りこんでいるのだ。動物も植物も、考えが違っても、違うのは自我の解釈が違うのであって、実在する外部世界は人間の身体内部に、実存の意識や解釈にかかわらず、解釈以前に無意識に写りこんでいるのだ。

前述のように、トーマス・クーンは科学の歴史は断続的に進むという。パラダイム転換によっては世界の見え方は変わる。見え方が変われば世界の解釈は変わるわけだから、こっちの真理とこっちの真理が闘っても通約不可能だとクーンは言うのだ。しかし、それは違う。通約できないとはどういうことなのか? ウィトゲンシュタインとそのお姉さんとか、生きられる空間とか、これらは全部関わってくる。パラダイムの違いが通約ができないならば、アインシュタインの『相対性原理』は世界中でただ一人不思議なことを言う変なおじさんで終わったろうし、宗教やイデオロギーや文化や性差や世代差によって引き起こされる争いは、どちらかが闘い取らなければ決して終わらない、という悲劇的で虚無的な歴史観になってしまい、個々人は独我論におちいっていまう。

通約不可能性ではない。あなたが意識してもしなくても、僕が見ても見なくても、こちら側に勝手に移りこんでいるのだ。たとえば事件があって警察に呼ばれて聞かれると、あの店の前に何があったとか、頭のなかから取り出している。すべて自分の脳のなかからだよ。そういえばあのへんに黒い車があったな、とか。意識して見ているわけでなくても、情報処理したものは、全部自分の空間のなかに取り込まれてすでにあるのだ。

一番の骨子は、論理も感覚も、その前に外側にそういうふうに実在する世界があって、僕がいてもいなくても、見ても見なくても、ともかく実在する世界があって、自我意識と関係なく、僕の中にも取り込まれている……。そういう世界観である。

それが、僕がラッセルや、その対極にある実存主義者など両者に対して「それは違う」と判断する点である。生きられる空間が違っていたら、こっちの空間はよくてこっちは悪いとか、そういうことではない。「真・善・美」は百人百通りではない。百人百通りとかいうのは実存主義やヒューマニズム(人間中心主義)の流れの行き着いたポストモダンの人の言だ(僕自身が、かつて10代の終わりに実存主義に出会い「自分の生きられる世界は自分が形成し人それぞれだ」と言う考えで人生の危機を救われたのだが)。そういうことだ。どちらも正しいとか、人それぞれだとか。しかし、個々の人間の「生きられる空間」の原型が外部世界に実在するとしたら、「真・善・美」も「存在」も、外側に実在すると認めたらもう、好き好きだなどとはいえない。僕は今は、超越論的(形而上学的)実在論者なのだから。

ステレオグラム(立体視)は、たいへん面白い現象だが、これはパラダイムと関わるのだ。ランダムなドットが、見る側の目の焦点を変えると別のものが見えてくる。ランダム・ドット・ステテオグラムはコンピューターを使わなくてはできないが、右目と左目の見える像を別々に作り、その2枚を並べて作るステレオペアや立体写真は誰にでも簡単にできる。右目の位置と、左目の位置の2枚の写真を撮って2枚の写真を並べ、目の焦点をずらして別々にそれぞれの写真を見ると、立体に見えてくる。赤と青のフィルムのメガネをかけて見た立体映画で子供の頃に驚いたこともあった。

パラダイムで視点を変えると、このように同じ図像なのに違うものが立ち現われる。見える人がいる。見えない人もいる。こういうふうに世界があって、ある人には見えて、ある人には見えない。ランダム・ドット・ステテオグラムを「世界」に比喩すると、何人かの芸術家や哲学者はランダムのドットの奥にはっきりと「それ」が見えている。見えるためにはパラダイムを変えない限り、ドット自体を一生懸命研究したとしても無理だ。立体像は外部世界にあるのであって、人が解釈しているのではない。見えない人が悪いのだ。「通約不可能性」ではない。相対性とか言うけれど、世界はあっちにあるのだ。こっちが解釈しているのではない。だから、通約不可能性ではないし見えない人が悪い。立体視できる人は、ランダムなドットも3D画像も両方見えるのに対して、立体視しない(練習すれば誰にでもできるのに)人はランダムなドットしか見えない。

見えない人がいて「私と貴方は、それぞれ好き好きだもんね~」なんていうのはダメだ。クーンはそういうことを言っている。物は外にあるのだから、それは相対的なものではない。ということは、クーンの本の中でニュートンとアインシュタインの話が出てくるけれど、あれは、ニュートンも正しいしアインシュタインも正しい。ただしアインシュタインの方がニュートンの理論を包括した、より広い概念なのだ。立体視できる人は3D画像だけしか見えないのではなく、ランダムなドットも3D画像もどちら見える。ランダムなドットしか見えない人はいるが、3D画像を見える人には両方見える。世界は外側に実在するのだ。そうすると当然百人百通りではない。人間は世界に対して相対的ではない、というのが僕の世界観の骨子だ。だから、シュールリアリズムや表現主義などの「語る絵画」というのは、それは解釈の部分だから、ランダムなドットだけしか見えない人のように世界概念が狭いのだ。僕の絵画は「語る」のではなく「描出」する絵画なのだ。

●紐を結び直す

 先日の個展(2008年11月)で展示した、僕が作ったフラーの模型に関連して少し述べたい。ディコンストラクション(脱構築)というテーマ。ディコンストラクションとはある対象を解体し、それらのうち有用な要素を用いて、新たな、別の何かを建設的に再構築する、ということで、この考え方が現代のポストモダンの風潮のバックボーンになっていることは間違いないだろう(デリダ、ドゥルーズ、バルト、フーコ等)。

近代が行き詰まってくると、もはや新しい種がないわけだから、もう一度再構築するということになる。現代という新たな構造体を作ろうとすると、以前に出来ている近代の思想的文化的構築物は問題になる。ガラガラと全部崩して、新たに違う形の構築物を積みなおさなければならない。これがディコンストラクションで、行き詰ったら、積み直して再構成、再構築する。ブロックを解体し使えるものはもう一度使い、使えない物は捨て、合わないブロックは削り、もう一度積みなおす。

脱構築というのは、画家でもまぬがれえない。脱構築すべき時はかならず何度かおとずれる。僕が実存主義から超越論者になったときも、絵は変わったというか再構築した。あれは勇気のいる変え方だった。時間をかけて積み上げたものを壊すなんて、もう一度積み上げられるのか、時間が足りるのか。より良いものができると分かっていても人生の方が時間切れになる場合もある。サラリーマンが途中で脱サラするようなものだ。

しかし、それはもう一度ゼロからブロックを積むと思うから時間が足りないのだ。もし世界と自己がフラーの模型のような構造体ならば、紐など構成しているものは同じものだ。だからもう一度、フラーの立体のようにバインドしなおせばいいのだ。そうすればすぐにでも、誰にでもできる。ブロックで積み上げるのでなく、自己とか社会とかの構造体を、フラーのようになっていると考えて取り組むと、物ごとは簡単なのだ。捨てたり、折ったり、削ったりする必要はない。

この模型を作り、アトリエに置いていると、いろんな類推が浮かんでくる。この構造体をフラーの造語らしい「テンセグリティー」と仮に名前をつけると、テンセグリティーは同じ長さの6本のラワン材の棒と30本のタコ紐でできている。一本一本の紐にテンション(引張力)をかけて結びつけ完成すると、非常に強い構造体ができあがる。形が徐々にできあがってくると、どことどことを結ぶかは簡単にわかるが、作り始めは大変で、何回も切っては結び直した。この強い構造体も放っておくとすぐに紐がゆるんで強度がおちる。つねに強いテンションをかけ続けなければ全体の形態が崩れてしまう。作り上げる過程は、まるで自分自身の人生をみているようだ。そして全部の紐が切れてバラバラの6本の棒に戻ってしまう。これが死だ。

個人のテンセグリティーが、個人からより大きなテンセグリティーの会社や家庭や社会に組み込まれると、個人を形作っていた紐をより大きなテンセグリティーに結び直さなければならない。この時、紐のテンションを何にアナロジーするかが問題になってくる。自己の内部に超越を抱えこんだ人は、とうぜんその超越がその人のテンション(僕の場合は芸術)になるわけだが、超越を持たない人のテンションは、現代では多くの場合はお金になっている。異なったテンセグリティーが出会うと、大きな単位のテンセグリティーが小さな単位のテンセグリティーをのみ込み吸収しようとする。つまり、自分の紐をといて新たなテンセグリティーに結び直せと、強要してくるのだ。超越的なものを自己の内部に持っていて、あくまで紐を結び直さないで超越のテンションをかけ続けて人生を送ってる人たちの多くは、生涯独身だったり、女性関係や家庭や人間関係がうまくいかなかったりするのはそのせいなのだ。

こういったテーマは、人間の生き方と直結している。近年のさまざまな事件にしてもほとんどがお金の問題。みんなこうなったら、テンションの意味を変えたら幸せなのにな、と思う。勝ち組になっても負け組になっても、どちらにせよ僕からみれば不幸な人生にみえてしまう。世界は外側に超越的に実在する。それがはっきりと分かると、個人の些細な欲望(記号としてはお金)なんて変わっていく。「我! 我!」なんて言わなくていい。

坂本繁二郎はすごい人だよ。「物の存在を認むる事は、自分なることではない。物なる只其事のみである。自分なる者があっては、眞の物は未だ認められない」ということを、二十代に書いているのだ。

―― 物の存在を認むる事に依って、自分も始めて存在する。

存在によりて存在する意識の心は、只自分の外には何物もないけれども、物の

存在を認むる事は、自分なる事ではない、物なる只其事のみである。自分なる者

があっては、眞の物は未だ認められない。物認められねば、自分の存在がない。

自分を虚にして始めて物の存在を認め、認めて始めて眞の自分が存在して来る。

眞存在の心は、一元と脈動した意識である。刹那々々のみを、自分たり得る心

である、強ひて説明すれば消滅する心だろう。(以下略)――坂本繁二郎

まるで禅問答のような文章をまだ二十九歳の若者が理路整然と述べているの

で、本当に恐れ入ってしまうが、ここにはそれ以後の坂本繁二郎の制作思想が集

約されている。つまり、自己の意識を滅却して〝事物の存在〟をはっきりと認識

することにより、己の存在も見えてくる、物の存在と己とを、一元化すること、

それが自分がめざしている芸術の道である、と彼は説いているのだ。(175頁)

『海を見つめる画家たち』 大久保守著 鳥影社

そう考えると、国家もやはり超越はあったほうがいいのだ。国としては超越的存在があったほうがいい。だから天皇制は世界にめずらしい日本人の英知だ。ヨーロッパの歴史では、世俗権力が王を倒せばあとはギロチンにしてしまうし王制が復古すれば王が権力を握る。日本でいえば豊臣秀吉や徳川家康がその時の天皇になるようなものだ。日本の場合は、武士が世俗権力を握る以前はそういう面もあったが、基本的に天皇制は世俗権力とはちがうところで存続させてきた。国は、コミュニティーの大きくなったものではない、というシンボルを持てる国民は幸せだ。外国で、宗教、民族、イデオロギー、階級の争いがたえないのはそれらのコミュニティーの上位に国家という超越を措定できないからなのだ。

個人が幸せである生き方を、世界を考えるのにあてはめたらいい。国自体を個人と考えると、国の外側に世界というひとつの超越した構造を見ると、各々の国家の考え方の違いとか、そういうものは解消される。しかし国家が自分の一番外側のコミュニテーになってしまい、構造体の一番大きなものになっていると、国家同士の争いをどうしても調停できない。ほんとうは、その上に「世界」という構造体を考えるべきなのだ。

それを言ったのが、バックミンスター・フラーの「宇宙船地球号」の概念なんだね。

●金儲けして何が悪いの? というポストモダン

 二つの大戦が終わって、戦後は西欧のモダニズムの楽天的進歩史観が壊れていって、生き詰まってしまい、ポストモダンの国アメリカの国力の伸張とあいまって現代にいたっている。一方コミュニズムも、一時インターナショナルな超国家的なものを希求したが、上手くいかずに個々の国家にもどってしまい、コミュニズムズムも崩壊してしまった。社会を構成員する最小単位である個人にもどるという前に、家庭(マイホーム主義)にもどったが、全体としては家庭も崩壊しつつある。いろんな家庭はあるがいずれ、全体としては個人の人生にもどってしまうだろう。それがポストモダンの考え方だ。

ポストモダンでは、自分の外側に超越的なものを求めない。超越を措定すると危ないからだ。超越的なものを、国家やコミュニティー(共同体)が悪用すると、暴走する危険をつねに孕んでしまう。第二次世界大戦時代のドイツや日本。科学の進歩と核兵器や生命倫理。社会と個との関係を見ると、個人は被害ばかり受けるとか、評価されないとか、戦争に協力させられるとか、そういう思考。金銭的には損ばかりさせられるという感じ。しかし、危険だからといって個にもどると、人生は、自分の欲望しかテンションのかけようがない。お金、異性、車、家、海外旅行、グルメ、ブランド志向等々。国家を一つの有機体として、一個人として考えると、国家も、国益という金銭欲のエゴイズムの闘いで争いがたえない。国家もその上位に超越的な「世界」という概念を持てばいいのだ。それが、実際の武力とか権力でない大きなもの、世界の構造体のようなものを考えたのが、フラーの「宇宙船地球号」の考え方である。フラーの開発し現実化したさまざまなプロジェクトは、実際にはさまざまな問題もあり、失敗した作品(ダイマクションカーという前2輪、後ろ1輪の自動車)もあったが、しかしあの概念は素晴らしい。そういう概念を持たない限り、国家に内乱が絶えないように、世界に平和はない。個人の「金儲けして何が悪いの?」という考えがポストモダンだし、今回の金融危機もその流れから起きた問題だ。

僕の考えには、子供の頃からのものがバインドされている。受験勉強の知識のように、何事もバラバラにあるのではなく、あっちとこっちが全部つながっていて、全部芸術に結びつく。それをつなげていくと世界観になる。みんな、本当はそういったものがあるはずなのだが、バインドされていない。世界観は、ブロックを積むように考えると形成されないのだ。

記憶術のときに考えた。『芸術の杣径』にも書いたが、単語を何分かで覚えて答えるという記憶術の達人をテレビで見て、その遊びが小学校のクラスで流行ったことがあった(流行らせるのは、いつも僕だが)。子供だから五個くらいから、ランダムにものを書いて、時間は時計がないから適当に、それを順番に言っていく。僕はダントツだった。例えば、「富士山」「リンゴ」「タバコ」「オットセイ」「電車」だったら、空間的な記憶法は、富士山のうえにリンゴが乗っている。タバコといったらリンゴの横にタバコを突き刺す……。そのイメージで一枚の絵を作る。そうすると絵を一個覚えたらいいのだ。時間的な記憶法ではストーリーで覚えるという方法もある。

バインドすることは、だれでもできる。バインドすると、インデックス(見出し)が出来やすい。あの本は…と漠然と言っても出てこないが、バインドして関連づけると分かりやすい。3次元の座標軸があって、バインドしたフォルダーを整理して吊るしておくと、関連しやすい。リンゴというと、タバコが出てくる。ところがブロックを積むような方法で自分の人生をしまっておくと、何事も紛れ埋もれて出てこない。ブロッコリーのようにフラクタルに、パソコンのファイルの階層構造のように、知識や体験を構造化すれば、そして強いテンションをかければしっかりとした構造体になるだろう。

前述のミッドタウンの女の子の対応の経験から、すぐに子供の頃の体験を連想する。「この人はすぐにその気になっちゃって、ブリッコだなぁ」と思うと、こんなことが僕にもあったなぁと連想する。みかけと実体の差、自分の中に写った他人のイメージと他人の実体との差、他人の中に写された自分のイメージと自分の実体との差、ブランド品で飾っても本人の実体とは違うのだと連想する。飾るとすぐに、自分の価値のように勘違いする。ベンツに乗ると自分が偉い人のように思ってしまう。他人も自分も、実体をきちんイメージしていないのだ。自分の実像と他人の実像を、欲望を持った自我意識のバイアス(偏向)がかかった目で見てしまう、という考えにまでいきつく。

写る自分を本当の自分であると勘違いしてしまう。だから、必死で働いていい車を持つとか、自家用のジェット機を買ってタレントと休暇を過ごすとか、高級なレストランで食事をするとか、飲むなら高級クラブだとか。その象徴が、女性週刊誌に登場する人たちで、事件になる前から僕にはその実体が透けて見える。まあ、人も街も、だからミッドタウンのテナントも早晩ビッグカメラにでもなるのではないかと思う。歩いている人はいても店内は閑散としていて、あそこに画廊を開いたらすぐに閉鎖だよ。商品は高そうに置くから少ししかないし、店員はきれいな人を雇わないといけないし、あれでは維持できないだろう。ファミレスやコンビニでは家賃をペイできないだろうし。

●未来に向かって投げかける

 もう一つのテーマ。人間は「投企」する存在である。一方で人間は、この世界に投げ入れられている。ハイデッガー(Martin Heidegger 1889~1976年)がこれを言っていて、人間は国を選べないし、両親を選べない。投げ入れられていることを「被投」という。

人間は被投されて、現在がある。若いときは投企する。勉強したり、運動をしたり、なにか未来の自分に向かって投げかける。現在の自分と、過去の自分と、投げかける未来(そうなりたいと思う未来の自分)との三つの時間が現在の自分に重なりあっている。それが人間なのだが、投企をやめてしまう場合がある。被投され投企してこそ、現在があるのだが、それをやめてしまう。会社に就職して途中までは、仕事に慣れるくらいまでは努力するが、あるところまで行くと投企をやめてしまう。未来の自分の像を描かず、現状に諦念して、未来に向かって投げかけない。それでも男性は途中までは自分自身に投企するが、女性は自分自身の実体に対して投企する人は少ない。男は、自分の性格まで投企する。臆病でケンカに弱く勇気がないとかケチだとか、性格的なことまで投企の対象にする。自分自身の実体まで投企しようとするが、女性はあまり投企しない。

女性は他人に写った自分の写像に対しては投企するが、自分自身の実体に対して投企しない。女性の、ダイエットやお化粧やブランド嗜好は自分の実体ではない。美容整形までして自分を変えようとするが、それも一種の投企だが実体ではない。女の人が投機するのは、他人に対して投企するのだ。子供や夫や恋人など他人に、こうしろああしろと投企する。自分がやれよといいたいくらいだ。女性は投企というか、似た言葉だが造形をするのだ。絵を描くときに、モデルのたとえ下腹が出ていても描く時には美しく造形する。リアルに描くのがよいわけではない。そうやって他人を造形し、自分も造形する。ところが女性は、他人の造形は随分とするから、もっと優しくとかもっと稼げとか周りの人の造形ばかりする。子供や夫の造形でなく、自分自身が造形したらいいのだ。一時期のウーマンリブの女性たちがそうで、周りは作り変えようとするが、絶対に自分自身を作り変えようとはしないよ。

過去の巨匠たちは、およそ死ぬまで投企し続けた。周囲の疑いもなく毎日を送っている人たちと、ランダムなドットしか見えない人たちと、生きられる世界が違うのだから。ぼけたって、枝や葉がぼけても、幹さえぼけなければいいのだ。飯をボロボロとこぼしても、肝心の絵さえぼけなければいいのだ。自らピカソから別れたフランソワーズ・ジローが「歴史的記念碑」とピカソを例えたが、つまり一緒に暮らしている女性からみれば、ピカソがどんなにすばらしい仕事をしても、「歴史的記念碑も、共に暮らせばただの爺さんよ」というわけだ。ピカソはそれでも幸せな一生を送ったが、自分の「生きられる空間」と周囲の人の「生きられる空間」が違うと、ゴーギャンやゴッホなどの人類のための仕事をなした人といえども、周囲からの人物評価のスケール(尺度)の違いで、実人生は恵まれないのだ。

ポール・ヴァレリー(Paul Vale’ry 1871~1945年)の『マダム・エミリー・テストの手紙』のなかで、この作品はポール・ヴァレリー本人がテスト氏の妻の文体で書いているのだが、テスト氏は「あの人は人と違って根っこを太陽に向けている」という。根があって幹があって成長するもので、みんなは根が地面に向かうが「あの人は根っこを反対に向けている」というのだ。ウイトゲンシュタインも根っこを、存在をいつも問題にした。

しかし「美や存在はいいから、稼いできてよ」と芸術家も哲学者も宗教家もそう言われたようなものだ。本当は、ポール・ヴァレリーも妻から『マダム・エミリー・テストの手紙』のように理解されていたかどうか。あんた、子供ができているんだから稼いでよとか。こんなことを書くと石つぶてが飛んでくるかもしれないが。そのように考えると、過去の芸術家や哲学者も身近な話になってくる。

●持っているだけで、お金が膨らんでいいのか!

 人間の欲望の記号であるお金についても、言いたいことはたくさんある。子供のときの体験だが、パッチン(メンコ)が流行っていた。負けるのは悔しいのでパッチンを勝つために方法論や技術を磨く。そうすると結果は当然、パッチンがリンゴ箱いっぱいになった。パッチンというゲームが成り立つのは、負けた子供が「つばめや」(玉の玩具屋の名)でパッチンを買ってきてどんどん持ってきて、ゲームの場を立たせるからだ。そうでなければ成り立たない。固定したメンバーで現金で賭博をしたら、すぐ勝負がついてしまう。つまり、閉じられた世界では勝負はすぐに終わるのだ。勝ち組と負け組みができる。負け組みは一生懸命にパッチンを買って持ってこなければならない。せっせと鴨が背中にネギを背負ってゲームの場に持ってくる。

いつも負けている子供たちもただ黙って負けを我慢しているばかりではない。ある時、負けている子供たちが違うものを使い始めた。それまで切って使うタイプのパッチンだったのだが、1枚1枚機械で打ち抜いた力士の全身像のパッチンが出てきた。「千代の山」とか「鏡里」とかの両手を顔の横にひろげて化粧回しをつけた、かたちも単純な矩形ではない凝ったものだった。値段も従来のものより少し高価でいわばパッチンのブランド品だ。負けた人だけがパッチンを買いにいくので当然弱い人たちだけががそれを使うようになった。すると、切って使う今までのパッチンは「もう使えない」という。それでも遊びたいから「では、こっちの三枚とそっちの一枚と交換しよう」という話になる。そのうちだんだん一〇枚で一枚とか、インフレが進み最後にはもう誰も交換する人がいなくなり事実上使えなくなる。いままであんなに熱中しておもしろかったのは、パッチンが子供の自分にとって価値が高かったからだ。その価値がだんだん低くなりついにはゴミになる。努力してせっかく集めたリンゴ箱いっぱいのパッチンはじゃまっけなただの「燃えるゴミ」になりかわり、最後には母親にくど(かまど)のたきつけにされてしまう。(しかし、この体験は後の僕の人生におおいに役立った。勉強、異性、金銭など、そのときの自分の欲望とあいまって価値の高いものも、もしかしてこれは「パッチン」かもしれないと疑い、けっきょく、芸術という天職と運命的にめぐりあったのだ)

勝ち組が勝ってそれが固定化したら、いったんチャラにするほうがよいし、かならずそうなる。こっちだけ膨らんでしまったら、もうそれはないよとチャラにする。世の中の価値の総量と世界のお金の総量は、同量のはずなのだ。銭湯の下足札とお客の靴の数は同量なので、下足札だけを集めても無意味なのだ。ねずみ講とおなじで、世界が無限に広いと成り立つ(つまりパッチンを買ってゲームに参入する人が無限にいるという)人間の欲望の幻想で、昔と違って世界は狭くなり、互いに絡み合ってシステム化しているのだから、「宇宙船地球号」の概念(閉じられた空間概念)で考えれば世界同時金融危機などは当然のことなのだ。

持っているだけで膨らむなんてものは、世の中にない。エネルギー不滅の法則である。エネルギー以上のものがポコっと出るわけがない。お金だけが、持っているだけで膨らむなんておかしい。土地とか物とか労働とか何かを作っている人がその価値のゆえにお金をもらえるのであって、持っているだけでもらえるなんておかしい。一時的には、投機買いで素人が儲けたりするが。価値とお金が見合っているから成り立っているのであり、物に対してお金だけ膨らむなんておかしいことだ。石油の問題もそうだ。経済学を勉強したわけではないが、子供のときの体験も踏まえて世界を普通に見ていると、おかしいことがよくわかる。

閉じた世界で賭博をすると、すぐにお金がなくなる。その間中、飲み食いをするのだから生活費がだんだんとなくなる。お金はなくなる。負けてゼロになった人はそこまでだし、勝った人どうしが続けても、飲み食いでなくなる。証券会社の人たちの生活は、みんながパッチンを買って持ってくるから成り立つのだ。あれをみんながピタッとやめてみたら、もうゲームもなくなる。勝負が決まってしまったらパッチン同様に「それはもう使えないよ」ということになる。

株はオークションとおなじで、昨日ついた値段で今日売りに出しても今日その値段で買う人がいなければ売れない。つまり昨日の株価を見て、自分の持っている株がその値段で今日も売れるというのは幻想なのだ。昨日の株価を見て自分がそれだけの現金を持っていると思うのは幻想なのだ(これは、土地など不動産でも同じ)。1929年の世界恐慌のときもケネディの父親、ジョセフ・P・ケネディが直前に売り抜けたのだが、それは見方を変えればジョセフ・ケネディが大恐慌のきっかけを作ったともいえるし、みなの損失分を彼が一人でさらっていったともいえる。皆が実質の価値以上に膨らんだ株券を売り抜くチャンスを窺っているときに、誰かが大量に株を放出したら、みんな慌てて売りに走るだろうし、そんな時に株を買う人はいないだろう。当然といえば当然な話だ。

今回の世界同時金融危機を僕流に解釈すれば、世界の一部におかねが集まりそのお金でのマネーゲームにも勝ち、もう勝負は決まってしまったのだ。だからパッチンでたとえれば相撲のパッチンと3対1の交換のときにリンゴ箱いっぱいのパッチンを全部交換すればよかったのだ。ジョセフ・ケネディのように今回も売り抜けて大もうけした人はいるのだろうか。パッチンも現物でやりとりしているときはまだトラブルは少ないのだが、トタンプなどのゲームにパッチンを使いだすと新たな問題が生まれる。ゲーム中に自分の持って来たパッチンが無くなるとパッチンの貸し借りがあったり、ゲームの勝ち負けをノートにつけて後で清算するということがおこる。帳面づらはパッチン持ちでも借用証書ばかりでパッチンを返済して貰えなければなんにもならないし、自分の負け分は他人に貸したぶんで相殺したりして、数字だけ動いても現物はほとんど動かなくなってしまうのだ。また先延ばしにすればゲームの流行が終わりパッチン自体が無価値になる。サブプライム問題や、世界の架空経済の飽和は、自ら働いて稼いだ金でパッチンを買って持ってくる人がいなくなったということで、日本も含めて、危機はささやかれていたし、実際危なくなっていた。

しかし、フラーの言ったように金を得る「職業」は少ないが、「仕事」は無限にあるのだ。代償(お金)を目的にするから、稼ぐということを人生の目的にするから職業がないのであって、フラーの言うように人生を消費するつもりなら仕事は限りなくある。マチスが絵のうえで脱構築をしたのは50代のことで、それまでプログレッシブな作品で周囲から尊敬されていたが、突然周りの人を戸惑わせるように描写に戻る。いま見るといい絵なのだが、当時の美術界の意見の多くは否定的だった。その行動の勇気はすごいことだ。自分の行動の対価を求めないと決断しさえすれば、やることはいっぱいあるのだ。

サラリーマンは定年になって会社という空間がなくなると、自分の「生きられる空間」を失う。定年後は今まで我慢して失ってきた自分の「生きられる空間」と「生きられる時間」をやっと使える時がきたと思えば、やりたいことはきりなく出てくるはずなのに、ただの健康オタクの爺さんになってしまう人が大半だろう。それは定年前と定年後の「生きられる空間」が違うからだ。僕がどんな状況になっても、独り閉じこもっても平気なのは、自分のほうに空間があるからだ。サラリーマンという空間しかなかった人は、それを失うとただの爺さんになる。本来の自分の空間がないと、家庭のなかにも空間はないだろうからよけい惨めになる。歳をとって惨めにならないためには、若いうちから自分の「生きられる空間」について考えていなければならない。女性は投企しないから、そういうことを考えることはほとんどしないのだから。

セザンヌは晩年奥さんと仲が悪く、奥さんは息子とパリに暮らしていてエクスのセザンヌと別居していた。奥さんのことをと「ガイア」(大地の意。ギリシア神話で、最古の大地の女神)とあだ名をつけて呼んでいた。奥さんが彼の友人たちとの会話に入ってくると、話がトンチンカンだから「ガイアは向こうに…」というようなことを言っていたが、だから奥さんはパリに行ってしまいエクスには帰ってこない。ゴーギャンもそうだった。

女性は「生きられる空間」が生理的、地上的になっている。そうでないと子育てに向かないからだ。男は抽象的なことに向いている。女性には「真・善・美」に人生をかけた人は少ない。女性の数学者や哲学者などは聞いたことがない。子供を産み育て、地上の生活をする。それを理解していたらいいのだが、女性はとにかく相手に投企する。「お前がやれ」と言いたい。大きな仕事をした人も、男女関係では幸福な家庭をもてなかった人が多いのだ。もし『忠臣蔵』の赤穂浪士が現在にいて、武士道を行動の規範にしたり、「武士は食わねど高楊枝」などと言ったら女性からは「バカじゃないの!?」と言われるだろう。仕事をする人間も、収入があやしくなってくると抽象的なものを措定できなくなって、女性の家庭の論理に勝てなくなる。抽象と具象はすぐ隣にあるのだ。

第1章 第2章 第3章 第4章 第5章

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18, テキストデータ
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