岡野岬石の資料蔵

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画中日記

【画中日記】2021年

投稿日:2020-12-31 更新日:

 

 

【画中日記】2021年

画中日記(2021年)

『画中日記』2021.01.01【新年に】

 新しい年を迎えた。パソコンに向かっている。まだ夜は明けていない。(時間は5時45分)。

 今年の干支は丑で、私は今年の3月で75歳になる。ここ数年、世界は、構造的地殻変動が起こり、パラダイムシフトが起こっている。色んな事が、自分にも、自分の周りにも、国にも、世界にもこれまで起こっているが、その変化は、良き方向に向かっている。昨年のあいちトリエンナーレ騒動のように、読売アンデパンダンからの現代美術の内容のフェイクと、その裏に芸術とは無関係の金銭や政治や、マスメディアがからんでいることも露わになった。そして私が、この良き時代の変化を、目にし、生きられ、生きることを天に感謝します。美を超越と信じ、一生を美に向かって描写のスキルを磨いてきた画家の出番がやってきた。今年の6月に、個展を予定しているが、イーゼル画の具象絵画と、抽象印象主義の抽象が、切れ目なく連続していることの証拠の作品を展示したいとおもっている。

 今日は、そのキャンバスを張ろうと予定していたのだが、昨年の暮れからのダン箱作りを残したので、これからそれをやります。初詣は、後日参拝します。

 以下の文章は、去年と一昨年の新年の画中日記の文章をペーストしたものですが、今年も同じ気持ちで過ごしたいと思います。

 今日のこの時を迎えられるのは、実存の煩悩に振り廻され、迷い道に何度も入り込んでも、美への信仰心の強さとベクトル(進む方向)が正しかったという証拠だろう。

 仏教用語に八正道という修行の実践の徳目がある。正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定(しょうじょう)の8つ、すべて正という字が頭に付いている。行き先も方向も決めないで、ブラブラ歩いても、せいぜい自分の身の周りをぐるぐる廻るだけでどこにも行き着けない。地図や海図と、磁石や羅針盤無しに、なんとかなるだろうとガムシャラに進んでも道に迷う。

 世界は、「正」という文字を頭に付けると全ての物事がキッチリと見えてくる。それは、正しいのか間違っているのか、だ。行き先は正しいのか間違っているのか、持っている地図は正しいのか、持っていく物は正しいのか(余計な持ち物は反って邪魔になる)。

 この先、日本はますます世界中から尊敬される国になるだろう。どうしてかというと、仏教的『全元論』の世界観を、仏教の伝来する以前から持ち続け、その世界観を国民一人一人が持ち、生きていて、間違いを国民全体で正して現成している、昔から現成していた、奇蹟のような国だから。日本人の世界観が、世界の存在の法(ダルマ)を、身の内に持って生きているから、つまり、地図と、磁石が正しいから。

 新年から明るいね、今年も頑張るぞ。

『画中日記』2021.01.07【『イーゼル画会』展中止】

 私の年齢のこともあって、時間は飛ぶように過ぎていく。

 まだ決着のついていない、今回のアメリカの大統領選挙の裏側の真実が、ネットでリアルタイムに暴かれてみると、つくづく、前回のヒラリーとの大統領選挙でトランプがよく勝ったものだとおもう。こんな奇跡的な勝利は、トランプ一人では為し得るはずがないし、また、正しく投票する選挙民を動かせるはずがないので、今回の選挙も、その組織は、すべて想定済みのことだろう。

 イーゼル画会展が直前で中止になって、私の日々もドンドン変わる。諸行は無常なのだ。無常な世界を日々を、過誤なく正しく過ごすには、〈真善美〉を指し示す羅針盤を身のうちに持たなくてはならない。

 私は毎日、読書ノートをパソコンで打ち込んでいるが、このルーティンで心が静かに落ち着き、1日が始まる。近年、道元やブッダの、真理だから今までも、今からも生き続け、現実世界に妥当し、妥当する文章に毎朝出会うと、「涅槃寂静」だなあとつくずくおもう。

 涅槃は天国ではない。天国の対概念は地獄であって(西洋の天国に同意味の単語は極楽)涅槃は〔地獄、極楽〕を超えた、上位概念なのです。涅槃は寂静なのです。幸不幸、泣き笑い、を解脱した、静かな境地なのです。アメリカのワシントンの今も、柏のアトリエの今も、私が今まで過ごしてきた場所の今も、描いてきた数々の場所の今も、片隅の空き地の今も、まだ見ぬ美しい風景の今も、世界存在は漏れる事なく、全体で、今、今、今、今と過ぎて行くのです。

 おお、いい文章が書けたな。

 『イーゼル画会』展は、今年中に場所を変えて開催するつもりで動きます。

『画中日記』2021.01.07【アメリカ大統領選挙-5】

 アメリカ大統領選挙は、今日少し、シナリオ通りにいかなかった。しかし、絵ばかり描いて生きてきた〈全元論〉の日本人からみると、この行き先に何の心配もいらない。その理由の文章は、明日、フェイスブックにアップします。

『画中日記』2021.01.08【アメリカ大統領選挙-6】

 アメリカ大統領選挙は、誤りや、不正を犯した側が、己れの罪業を懺悔し、生まれ変わって生き方を変えようとしないで、あくまでも、国家や国民を支配しようとする立場に、最後までしがみついたので、これはもう、自業自得の結果になるだろう。

〔真・善・美〕は世界の法(ダルマ)である。万物に妥当する。人智を超えた、超越である。また、諸行は無常である。形あるものは全て壊れ、生あるものは全て死す、生者必滅 会者定離である。

 その、世界存在のなかで、お釈迦様の教えは2千数百年生き続け、日本も2千数百年存続し続け、道元は768年、竜安寺の石庭は571年、伊勢神宮は2千年間在り続けているのか。万物はエントロピーの法則に支配されているのに、何故、変わらず在り続けているのか。それらは、〔真・善・美〕の法の軌持(きじ、仏教用語、レール)に沿っているから、その〔真・善・美〕の存在を信じている国民が、存続のエネルギーを注ぎ続けているからなのだ。

 私は、前回のヒラリーと戦った大統領選挙はマフィア同士の争いとみていた。民主党と共和党の利権絡みの権力闘争とみなし、よりベターなトランプの勝ちを願っていた。そして、民主党の油断で奇跡的な勝利をおさめた。

 しかし、今回の大統領選挙は、まったく、戦いのバックグラウンドの概念が違う。共和党対民主党の対立軸ではなく、神を含めた超越(真善美)を信じる国民と、無神論者(唯物論者)と悪魔信仰の人たちの争いになっている。これはもう、勝敗の帰趨は明らかで、勇気ある無償の兵站が続くのと、いくら莫大な金を隠し持っていても、使う一方で兵站が続かなければ、その集団で内部分裂して、消えていくだろう。強い引力(金や性や恐怖)で造った構造も「金の切れ目が縁の切れ目」だろう。

 キリスト教を含む、一神教の人格神の宗教は、真理や美と相性が悪く、神と人間、人間の内でも、身体と心、人間の心でもディオニッソス的心とアポロン的心と分けて考えるので、トランプが勝っても、矛盾は抱えたままだが、それは、世界存在がそうなっているので、そのうちに、日本人の仏教的全元論が世界に拡まっていけば、世界中が清く正しく美しい世界になるだろう。日本のように。

(全元論に関しては、拙著『全元論』(2018年出版)をアマゾンで買うか、私のサイト、『岡野岬石の資料蔵』に近くアップします)

『画中日記』2021.01.10【アメリカ大統領選挙-7】

 アメリカ大統領選挙は、今まで陰謀論や都市伝説やレプテリアン等でごまかされ、隠されていた大きな構造体の実像が、白日のもとに晒されるだろう。

 ここまでの、選挙詐欺の計画と実行に、どれだけのお金を使ったのだろうか。おそらく、今まで長年洗浄して隠し持っていたお金の大半を、使ったのではないだろうか。もし、バイデン側の勢力の勝ちが確定すると、その後の世界は、使ったお金の回収と、新たなお金を求めて、反社会的な行為や反道徳的な行為が、世界に広がることだろう。

 それにしても、当事者たちの人生は、いままで、ネットではすでに暴かれている、これから世界中に暴かれていく生涯を送って、幸せな時があったのだろうか。

 川の水は、瀬も、瀞みも、逆流も一時的にあるが、全体では高いところから、低い方に流れて行く。これと同じように、情報は真実の方向に流れ、フェイクが真実になることはない。世界の全ての存在は〔真・善・美〕の法(ダルマ)が通貫している。人間だけ別個に法の外にいることは出来ない。

 日本の60年安保の時に、デモ隊の中の樺美智子さんが、たった一人だけ死んだ。翌日のマスコミは、大々的に報道、安倍元首相の祖父の岸内閣は倒れ、その後の総選挙では自民党が圧勝した。その時の選挙に、ドミニオンが、使われたらどうなっていただろう。先日のワシントンでの出来事とよく似ている。

 偽が真になることはないし、邪悪が善になることはないし、汚濁が美になることはないのである。

『画中日記』2021.01.22【アメリカ大統領選挙-8】

 アメリカ大統領選挙は、日本のマスコミもトランプ支持者の一部も、バイデン勝利とみているようだが、私は、トランプ側の全面勝利だと確信しているし、今後そうなるだろう。

 私が子供の時に、メンコやビー玉を賭けて、ポーカーゲームをやった時の体験で、ブラフ(はったり)には2種類あることに、気付いた。安い手を高い手にみせかけて、相手を降ろさせるブラフ、これはやってはいけない。相手が降りなければ、自分が命取りになる。もうひとつは自分の高い手を相手よりも安い手だとおもわせるブラフで、自分の全部のメンコを賭けるような大勝負に勝つには、自分の高い手に、相手が付き合って全財産を付き合ってくれなくては、早々に降りて、局地戦で終わってしまっては、勝負は続く。

 勝負相手の、イカサマや手の内をすべて知り、局地戦を乗り越えてきたトランプ陣営に、負ける要素は微塵もない。むしろ、シャットアウト、完全試合に近い戦いだ。今後の動きは、トランプの勝利確定と、すでに、全世界に、一人一人の世界観の問題にまで拡大しているので、日本にも影響がでるだろう。今まで、イカサマや脅しや、犯罪で金を貯め込み、ロンダリングしてさらに、タックスヘイブンで隠して税金も払わない。それを使った、様々なトラップで支配してきた全世界の勢力集団は、今は不安に怯えていることだろう。

 夜明けは近い、のではなく、もうすでに、夜は明けて太陽は天に輝いているのである。

『画中日記』2021.02.12【アメリカ大統領選挙-9】

 アメリカ大統領選挙は表面の形の下で、着々と構造的変化は推移している。それは、芋虫から蝶に変態するように、全く同じ構成物が蛹の固い殻の中で起こっているのだろう。ここまでは、うまくいっている。次のハードルは、蛹から蝶に相転移する脱皮の瞬間と脱皮してからの体液を送りこんで羽をのばし、羽を乾かして飛び立つまでのさまざまの、外部からの妨害要因を取り除いていくことだろうが、それも、結果としてうまくいくだろう。心配はいりません。天は、世界存在は、万物には〔真・善・美〕の法(ダルマ)の軌持(きじ、レール)が通貫しているのだから。ウイルスから宇宙まで、この法の軌持を外れての存在は許されません。〔善因善果、悪因悪果〕〔善因楽果、悪因苦果〕、「悪の栄えたためしなし」なのである。

『画中日記』2021.02.13【100号の作品を描き始める】

 11日に100号のキャンバスを張り、12日にアクリル絵具で下絵を描いた。今日はこれから油絵具で完成に向かって描き始める。この絵は、1工程ごとに、写真を撮って、フェイスブックにアップしようと思う。

 そもそもこの絵を描こうとおもった動機は、以前から買置きしていた大作の木枠が、数本残っている。イーゼル画では大作は描けないし、私の年齢もあって、今描いておかなければ、ゴミになってしまう。キャンバスを張って、それが美しい作品に顕現できれば、一人の画家の、傍(はた)迷惑なゴミのような作品を生み出す行為にはならないだろう。

 一昨日100号のキャンバスを久しぶりに張って、大作のキャンバスの張り方の動画を撮って、ユーチューブにアップすればよかったと、後で思いましたが、もう1本100号の木枠がありますので、忘れなければ、その時にアップします。

『画中日記』2021.02.25【100号の作品を描き終える】

 11日に100号のキャンバスを張り、12日にアクリル絵具で下絵を描いた100号の作品『4線光』を、今朝描き終えた。発表の予定はべつになかったのだが、ちょうど先日、綾氏から、我孫子の、ふれあいプラザ2F けやきギャラリーでの、アトリエグリュ企画の展覧会の出品依頼が届いたので、そこに初出しようとおもう。彫刻『至誠』も出品しようかな。

『画中日記』2021.02.26【〔美〕は超越である】

 ノーベル賞受賞者には、純粋数学者がいないし画家もいない。〔真善美〕は超越であって、人間が決めるものではないのです。遍く恒常に普遍に万物に妥当する人智を超えた法(ダルマ)なのです。純粋数学者が問題にするのは、命題の真偽だけであって、社会に役に立つとか立たないとか、お金が儲かるとかの地上世界の入り込む余地はないのです。だから、数学者の証明した真理には特許もないのです。

 画家が、画家を志し、芸術の世界の歩みのなかの最大の分岐は、〔美〕は人智を超えた超越か、それとも、人それぞれだし、時代や文化で異なり、人間が決めるものだ、という考えの2つの道です。この2つの道は、方向が違うし、収束する目標が違います。

 画家が〔美〕を超越だと措定してキャンバスを眼前にセットすれば、美しい作品を描かないで、画家は何をするというのでしょう。美しい作品が描けない画家は、それは、画家とは称ばないのであって、評論家とかコメンテーターといった人文系の職業名が相応しいのです。

『画中日記』2021.03.09【周りは春めいて】

 今日は、1週間に1回行く、手賀沼の日帰り温泉に入ってきた。アトリエにはシャワーしかないので、回数券を買って通っている。数年前、柏の最後の銭湯の旭湯が閉めたので、こちらに廻ったのだが、私がいつも乗るバス停から、日に数本のバスで行き帰りできるので、便利に使っている。

 今日は、デジカメを持って出かけた。2週間前の行き帰りに、去年の冬に閉じたアリの巣から、入り口を開き、2、3匹のアリが小さな土塊を口に咥えて運び出しているのを、今年になって初めて見た。気温のせいか、動きも鈍く、餌を巣に運ぶまでいっていない。先週は動きも増し、餌を運ぶ姿も見ていたので、今日は忘れずに写真を撮っておこうと、カメラを持って出かけたのだ。行きに、写真を撮って、帰りに、やはり、近くにアリの巣がある新箕輪のバス停まで遠回りして、写真を撮りながら歩いた。写真に説明文をつけます。

 現在のアリの生活環境は、昭和の時代に比べ厳しくて、餌になるものが乏しい。だから、コロニーも現状維持か、むしろ小さくなっている。目の前の、このアリの一匹も、このアリの存在の出現まで、過去のラインは太古から一度も途切れていないのだとおもうと、頑張れよ、とエールを送りたい。そして、アメリカ人も、中国人も、日本人も、このアリも、同じ時空の中を生きている。自我の欲望の、ローカルな局地戦で生き、その世界観の視線で世の中を見ると、生きることが苦しみの連続だ。世界はそうではない、そうなってはいない。

 今日撮った写真の存在の歴史も現在も、嘘や幻ではない。

『画中日記』2021.03.14【天は】

 今日は、朝から近く玉野に行くのに、予め送っておく画材や生活道具の荷造りをしていた。一段落して、ふと、アトリエの隅に置いてある、私の先日完成した100号の作品に、日差しが差し込んでいる。すぐに。デジカメで撮って、保存した。将来、どのように私の作品に取り入れるかはわからないが、天の為すことの断面は、美しさに充ちている。

『画中日記』2021.03.22【明日は玉野】

 明日は、玉野に行く。昨年の秋から今日まで、イーゼル画は芦ノ湖と東伊豆で4点描いたが、抽象印象主義のアトリエ画がメインで、イーゼル画がサブの生活だった。玉に滞在中はイーゼル画オンリーの生活なので、楽しみである。美しい風景と光のなかに包まれて筆を走らせる悦びは、画家の三昧境だ。

 明日23日から4月5日頃までを予定しているので、その間、ブログ代わりに使っている、フェイスブックは休止します。帰ってきて、滞玉中の『玉野だより』の写真と文章で再開いたします。

『画中日記』2021.04.09【玉野から帰って】

 4月4日に柏に帰ってきて、昨日まで玉野での荷物の片付けと、パソコン用のデータ整理で昨日までかかった。今日は、手賀沼の日帰り温泉にいって、サッパリして、いよいよ明日から、絵筆を握って、柏のアトリエでのルーティン生活に戻れる。うれしいなぁ。

 今年は、桜にかぎらず、すべての花木は、花付きがみごとだね。日帰り温泉の2階から見える、前の果樹園の梨の花も白く咲いている。この花が今年の秋には実って、味わえる。今年の花も実も、去年のものとは個体が違うんだよ。天はジャブジャブとなんて気前がいいんだろう。

 日帰り温泉の行き帰りに観察している行き帰りのバス停近くのアリの巣もすべて冬を越し、動きも活発だ。世界は、800年前の道元が言っていたとおり、現成公按している。

 世界の中の〈真・善・美〉を見れば、それに薫習(くんじゅう)されて、心の中も清々しく元気になる。道元の宋での師、如浄禅師はゲテモノや、歪なモノは食っても見ても駄目だと言った。人間は〈偽・悪・醜〉にも薫習される、ということだろう。残りの少ない命を、〈真・善・美〉に、〈真・善・美〉だけに関わって生きていきたい。

『画中日記』2021.04.10【私の最初期の作品】

 私の最初期の作品が今日手元に届いた。この作品は、高校の3年生の時の、同じクラスの望月君が買ってくれたもので、私にとって初めて、人から頼まれて絵が売れた経験だった。その絵を、彼の断捨離で私に返してくれるという申し出があり、58年ぶりに、若き日の私の絵と対面した。

 芸大受験のため、学校をサボって出洲の海岸で川鉄の工場を何点も描いていたので、描き慣れた工場の風景を描こうと決め、父の勤めていた、三井造船所のある五井の埋立地に描きに行った。もっと、明るく美しい風景をモチーフにすればいいと今は思うが、習作ではなく、売るという作品を描くのは、この絵を描くのが自分のスキルでは精一杯だった。

 モチーフはともかく、油絵を初めて約1年で結構サマになっていることに安心する。絵具の使い方のスキルに、まだ未熟なので、絵の具の剥落が画面に散見されるので、全面的に加筆しようと思う。乱暴な修復だが、自分の絵だから構わないだろう。加筆修復したら、あらためてフェイスブックと、『岡野岬石の資料蔵』の〈過去の作品〉にアップします。

埋立地の工場/F10号/油彩/1963年

2021年加筆修復

『画中日記』2021.05.03【玉野で描いた作品を】

 今日、玉野で描いた作品を全点(10点)完成させた。明日からは、ルツーシェを塗って、額とダン箱作りに数日かかる。それが終わったら、抽象印象主義の作品にとりかかろうとおもう。

 今年の3月で私の年齢は75歳で、あと5年で80歳だ。老いての無為な時間は、センチメンタルとノスタルジーのドツボに落ち入り、悲しく、切なくなる。だけど、女々しく、情けないことを言ってはいられない。こんな時には、下記の道元の言葉に励まされる。

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 松風がより高く鳴り響く夏の末の宵、秋の初めのころ、竹も響き、竹葉の露もしきりに落ちて物寂しい暁の時分、移ろいゆく気配に無常を感じて涙が頬を伝う。そのようなときであるからこそ、松風・竹響の見聞声色(けんもんしょうしき)にとらわれず、心を発動せねばならなぬ。

 誰が、古仏の辿った仏祖道を忘れ、初秋のもの悲しき無常世界に身をゆだねていられよう。(『道元「永平広録 真賛・自賛・偈頌」大谷哲夫全訳注 講談社学術文庫、204~205頁)

『画中日記』2021.05.15【新女王アリの巣立ち】

 昨日、お昼頃、郵便局と買い物にママチャリで出た帰りに、歩道の傍にアリがワラワラと巣穴の近くに群がっているのが一瞬見えた。10m位行き過ぎてから、いつものアリの様子と違うので、引き返し、あらためて観察すると、数カ所ある同じコロニーの穴から、羽を付けた女王アリが次々に出てきて巣立っている。急いでアトリエに帰り、デジカメを持って、10分位後に現場に戻ったが、すでにアリの巣は平常で、何でもない。それでも、近くに羽を落とした女王アリがいないかと思って探したら、一匹見つけた。

 以前女王アリを見つけ飼育したことがある。飼育箱に土を入れ、小石を置いておくと、石の下に卵を産んだ。この卵が成虫の働きアリになると、巣穴を作り、餌も新しい卵や幼虫の世話もするので、女王アリは産卵に専念できるのだが、最初の子は自分でやらなくてはならない。結局、卵は孵化せず、女王アリも死んでしまった。

 知識を、現実に実行するときには、いろいろの情報が必要で、女王アリは働きアリが成虫になるまでの期間の、自分の食べ物はどうするのか。だから、餌は飼育箱に入れるのか。水はどうするのか。土の水分、飼育箱内の環境はどうすればいいのか。

 今は、いい時代だね。ネットですべて得られる。動画でも、ユーチューバーが何人もアップしている。もう一度、アリの飼育をリベンジしてみたいが、これは、他者(ひと)にオマカセします。私には画がありますので。

『画中日記』2021.05.31【瀬戸内百景をユーチューブに】

 5月28日、ユーチューブに「『イーゼル画で描く『瀬戸内百景』画家岡野岬石・瀬戸内の海と山 (132 views of Setouti, paintings by Okano Kouseki)」をアップした。原田さんにパソコンの操作を、メールでアドバイスを受けながら、自力でiムービーで編集し作ったので、嬉しいし、達成感がある。

 今朝見ると、もう97回視聴されているので、今日中に100回はこえるだろう。私も何回も見ている。透過光だと、作品がより美しく見える。できるだけ、パソコンを全画面にして見て欲しいが、スマホでも他人(ひと)に見てもらうことは嬉しい。

 下記の文章は、瀬戸内百景の本のまえがきの一部です。

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 美(超越)を信じる画家は、個展や画集のために絵を描くのではありません。まして、名利のためでもないし、結果としてその絵が売れれば大喜びですが、売ることが目的ではありません。画面の美しさのため、美に向かって自己目的的に筆のタッチを重ねていくのです。制作現場でそのように為(な)した1点1点の、一期一会(いちごいちえ)の積み重ねが100点強の作品になり、その展覧会になり、そしてこの本になるのです。

 日常生活のなかで、見馴れてありふれた何でもない風景も、一生を絵画の世界で描写スキルを磨いてきた画家が、イーゼルを立てて描けば、こんなにも世界は美しいのだということを、またその美に向かって、画家が現場で何をどうやっているのかを観て感じていただければ、画家としてこんな幸せはありません。(令和元年9月、アトリエにて)

 ――――――――――――――――――――――――――

 ユーチューブでも同じですし、それ以上に、本と違って見てくれる人数とエリアが違う。自力でやれば、お金もかからない。

 さっそく、次作に念願の【富士(241)景】の動画にとりかかろう。ウレチーナ、天のオファーは忙しい。

『画中日記』2021.06.09【『瀬戸内展望』M60号を描き始める】

 30号以上の大きさのキャンバスは、外ではイーゼルを立てて描けない。だから、以前M80号で富士山の風景を描いた時は、中心に M30号、左に F-15号、右にP15号の作品をイーゼル画で描き、その絵をアトリエで組み合わせて、M80号の作品に仕上げた。その作品は、今度ユーチューブにアップした、「富士141景」の動画の表紙に使った。久しぶりに見ると、その横長の作品は思いの外良かったので、縦構図で抽象画を描こうと思っていたキャンバスを横構図で王子が岳からの瀬戸内風景を描こうと思いつき、今日、第1工程を描き終えた。明日は、白いキャンバスの隙間を埋めていく。1工程が終わるたびに写真を撮ってフェイスブックにアップします。

『画中日記』2021.06.11【窓から吠える犬】

 以前、山中湖に家を借りて、富士山を描いていた頃、裏の家の室内犬が、誰彼構わずキャンキャン吠えていた。都会と違って、別荘と常住者が混在している場所であるので、ペットの犬も番犬代わりにしていたのだろう。そんな、犬の飼い方をしている飼い主にかぎって、飼い主以外の人に犬がなつくのをいやがる。しかし、その犬の一生は不幸だね。周りの環境は敵ばかりで、室内のバリヤーを一歩出れば、喧嘩腰で外の世界に対峙しなければならない。そして、その室内犬のように、小さく弱い犬ならば、外では怯え、尻尾を巻いて生きていかなければならない。たとえ、大きな強い犬でも、そうやって、一生を過ごすんだよ。そんな一生が幸せなの。

 先日、住谷美知江さんの個展に、久しぶりに東京に出かけた。ちょうどご主人の住谷重光氏がいたので、昼食を一緒に食べようと二人で画廊を出た。行こうとした店は自粛で休業、ではと、以前個展をした時に何度か昼食を食べた小さな店に、行ったが、その店は、店主が代変わりしていて、メニューも変わり、それでも、そこでビール無しの、私にとってはブランチ(住谷重光氏が画廊に居たら昼食を一緒にと思って朝食を抜いていた)を食べた。食事中、食べながら住谷氏としゃべっていると、店主がカウンターから出てきて、マスクをして喋ってくれと注意をされる。マスクをして食事はできない。黙って、急いで食事をして、そそくさと、外に出た。

 禁煙も含めて、コロナ禍の政治のミスリードで世の中がおかしな風潮になっている。喧嘩腰で生きている、家の外は敵ばかりで、バイ菌だらけという世界観で生きているキャンキャン吠える犬が、外ではおとなしくしていればいいのに、しゃしゃり出てきて、外でもキャンキャン吠える。

「アンタが大将」、私は、そんな世界観に付き合う時間も暇もない。その店には、もう二度と行かない。

『画中日記』2021.06.12【私はワクチンを打たない】

 私はワクチンは打ちません。その理由は、一つには、今回に限らず、私の世界観、生き方の方向に反すること。これを、説明するのには長くなるので省略。

 二つめは、今回のコロナ禍は、初期から不自然な現象が多すぎること。その不自然な現象を時系列に事実を並べていくと、大きな邪悪な力(人間の欲望=お金)の動きが、底流に流れている。初期は、陰謀論でマスコミに封じ込めようとされていたが、真実は、どうやっても封じられない。マスコミのミスリードに迷わされないように、自分で、真実の情報を集めて判断しましょう。

『画中日記』2021.06.22【虫は夢をみるか?虫は心を持つか?虫は自我意識はあるか?虫と人はお互いに心を通わせられるか?①】

 今は、いい時代になったなぁ。こんな動画も、簡単に見られる。私が、子供の頃から、虫を飼ってきて、情報不足で失敗、挫折した経験があるので、今なら、当時抱いていた疑問も、解けるだろう。

 この動画のカマキリの、飼い主に対する認識は、カマキリ自身には認識の範囲を超えているが、巨大な存在の末端の部分が、常に自分を救い、生存をフォローしてくれる、人間でいえば、宗教的存在であるのであろう。

 カマキリにとっては、人間の全体像は結べないが、末端の部分は、確実に存在している。全体像は動物のようには認識できないが、できないからといって、存在を否定しているのではない。像としては茫漠としているが、大きな存在が、常に身近に在る。そういう存在として、飼い主はカマキリに写っているんだよ。虫や動物を飼う喜びは、ウィンウィンだ。

 人間も同じで、他者と喧嘩腰で生きると、あるいは、他者を自分の欲望をみたすタネとして生きると、苦しみに充ちた、充足されない生き方しかできない。鬱かサイコパスか狂気か、である。仏教では「善因善果、悪因悪果」、あるいは「善因楽果、悪因苦果」といっている。

 次は、私が、虫に心(意志)があることが解った体験の話を書きます。

『画中日記』2021.06.26【虫は夢をみるか?虫は心を持つか?虫は自我意識はあるか?虫と人はお互いに心を通わせられるか?②】

 美大生だったころ、夜下宿で本を読んでいたとき、一匹のアリがいるのを見つけた。私は手近にあった鉛筆をその蟻の前に置いてそれに登らせた。アリが、右に歩いて行くと鉛筆の左端を持ち、先まで行って反転して左に歩くと右端を持つ。こうして、アリは何度も鉛筆を往復した。アリの目は複眼で、単眼とシステムがちがうらしく、近眼で、私の手の動きは見えない。このアリは、この後どうするのか?。私はかなりの時間、最後にはアリとの根比(こんくら)べで意地になって鉛筆を持ち替え続けた。

 すると、アリは突然鉛筆から飛び下りた。飛び下りたアリを、再び鉛筆に誘導して同じことを繰り返すと飛び下りるまでの時間は短くなり、終わりにはすぐに飛び下りるようになり、そこでアリを窓の外に解放した。

 アリが飛び下りたのは、アリの実存の決断なのか。イソップ物語のように、擬人的な心がアリのなかにあるのか。

 ハエやゴキブリは、叩こうとすると、何故逃げるのか。ライオンとインパラ、ペットと飼い主はどうやって時間、空間を一致させるのか。

(以上の文章は、2004年、当時の私のホームページにアップした、「続・夢の中の空間」のテキストの一部です。次は、1998年に書いた、「夢の中の空間」と、2004年に書いた「続・夢の中の空間」を順次キーボードに打ち込みアップしていきます。打ち込み終えれば、【岡野岬石の資料蔵】に「夢の現象学」の題名で「テキスト」のインデックスページに収蔵します)

『画中日記』2021.06.27【夢の中の空間①(1998年記)】

 夢は何故〈見る〉のだろうか。見るためには、見る自分と見える対象が必要だ。夢を感じるとか思惟するとかではなく、夢の中で私は起きているのと同じ様な時空の中を、自己意識を持ちながら行為している。時間や空間の飛躍はあるけれど、局面のパースペクティブの整合性は現実の時空と相似している。現実の中では、自己と外界は別個の物と考えるのが自然であるのに、外界を遮断した自分の身体内の出来事のはずの夢の中で、つまりすべて自己の内側の世界の中で、何故見る者〈自分〉と見られるもの〈対象、他者〉が共存しているのだろうか。不思議なのは、自己の外側にある対象物がすでに自己の中に入り込んでいるという事だ。(つづく)

『画中日記』2021.06.28【夢の中の空間②(1998年記)】

 私は人間を、例えれば底に小さな穴が開いている口の開いた袋の様なものと考えれば、うまく説明できると思う。外側の空間と内側の空間は同じ空間でつながっており、起きている時は外側に表面を向けて行動している。睡眠中は外側の空間ごと位相幾何学的に口の所で、内と外を反転すると考えると、袋の内部に外側の空間が取り込まれる。当然今までの表面は内側を向く。当然今までの表面は内側を向く。夢を見ている時は、取り込んだ外側の空間を、内側を向いた向いた感覚器官で認識している事になる。

 こういった考えから振り返って起きている時の自分を考えると、自己とは中身の詰まったムクの状態ではなく、内部に世界と自己との関係を相似的に抱え込んで存在しているのではないか。(つづく)

『画中日記』2021.06.29【夢の中の空間③(1998年記)】

 私は以前から知りたいことがあった。不幸にして生まれた時から視力を失った人はどの様な夢を見るのだろうか、また、やはり夢は文字通り「見る」のだろうか。この疑問に対する答えは、あらためて確かめてはいないけれど、【夢の中の空間①、②】の考えから想像すると、自ずと導かれる。人間は、世界を表象しつつ、その世界の中に生きている存在ならば、視力の有る無しにかかわらず当然夢は「見る」であろう。世界を表象しつつその世界を生きるとは、個々の脳の中に、経験・知識・欲求・想像等で、世界という風船を膨らませながら、その風船の中で生活している、といった、そんな感じでであろうか。

 こういった、世界と自己との関係のとらえ方の欠点は、独我論に落ち入りやすい点だ。一人一人が孤立し、あるいは自己が肥大化し、他者や社会との関係が希薄になる恐れがある。自分で膨らませた世界観という風船の膜の中を生きていると言うことは、脳を持つあらゆる生物の在りようだと思う。人間だけが特別ではない。人間だけが特別なのは、他者からは、窺い知ることのできない脳の中の事象を外部に取り出して、表現できるという能力を持っている点だ。身体・言語・美術・音楽等を使って、本来一人ひとりが孤立した実存的時空の膜を突き破り、他者との共通の場に差し出すことによって選別、淘汰され共通認識に近づく。そして共通の場に晒され、選別淘汰された認識をもう一度自分に取り込むことによって、今までの実存的時空概念を組みかえ直す。こうやって生まれた時からの時間と空間の中を、組み立て、取り出し、選別、取り込み、組みかえ、を繰り返して現在にいたっていると言うわけだ。

(「夢の中の空間」は終わりです。明日からは、2004年に書いた「続・夢の中の空間」をアップしていきます)

『画中日記』2021.06.30【続・夢の中の空間①(2004年記)】

 はじめに、何故私が長年この問題を考え続けているのか、その理由を書いてみよう。

 私は、高校2年生のとき、実存主義に出会い、アイデンティティーの危機を救われた。高2の冬休み、私は修学旅行不参加のための返却金で、高1の夏休みまで生まれ育った玉野(岡山県の海辺の町)に旅行した。玉野には、兄夫婦が住んでおり、そこをねぐらに、文通していた玉野での下級生の女性をモデルにして絵を描くのが目的だ。

 そのとき、たまたま一人で映画館に入った。当時グラマー女優と呼ばれた前田通子の海女が主人公で、エッチ系の映画だった。ストーリーは海女と船員や漁師の色恋ざたで、思い出すのは数人の海女が漁場から泳いで帰るシーンで、女優達は泳ぎが上手くできないので、木の桶にしがみついて、バタ足でパチャパチャ水面を叩いているのが、なんとも寒々しかった。

 そのうち、映画を見ながら私は今までにない思いにとりつかれ、しだいに気分が落ち込んでいった。

 ――これから大人になって、自分も参入しようとする社会は、この映画のような世界ではないか。この映画の方が、より現実に近く、自分の考えている世界は夢や幻想ではないか。もし社会の現実がこうなら、自分には参入して勝ち残る自信はない。もし社会の現実がこうなら、そんな世界に参入する人生なんて、そもそもつまらない。もし生きることの現実がこうなら、人生の意味は何なんだ。もし、社会の現実がこの映画のようであるのなら、私は芸術などをこころざす「夢見る夢子さん」の男性版「夢見る夢男さん」なのか。私は何か勘違いをしているのか……。(つづく)

『画中日記』2021.07.01【続・夢の中の空間②(2004年記)】

 そういう思いにとりつかれた後の玉野での数日は惨憺たるものだった。思い出しても恥ずかしい。

 そして3学期、千葉で学校生活に戻った。

 それからの千葉での学校生活はくるしかった。学校もサボりがちで、昼夜も逆転し引きこもり寸前だった。そんなとき、たまたま出会った一冊の本が私を救った。

 ドストエフスキーの『地下生活者の手記』で、岩波文庫の一つ星だったから当時50円の薄い本だ。その本に出会えたのは、国語の教科書に『罪と罰』の一部が載っていて、そのなかの、ラスコルニコフの奇妙な行動原理に興味を惹かれたからだ。

 ドストエフスキーは実存主義の文学者だ。

 実存主義を知ることによって、私の世界認識は大きく変わり、アイデンティティーの危機を脱した。知らないで、鬱からの回復を、原因はそのままにしておいて世界観の枠組みそのものを変えるゲシュタルト療法で回復したのだ。

 我流の解釈で、間違っているかもしれないが、またそれこそが実存主義的なのだが、私はこう思った。

 ――私は実存である。人は、実存の外に出ることができないし、出たこともない。世界は暗黒でただそこに存在する。一人一人のじつぞんが世界を認識し、その内部に世界を現出する。他人の世界観が違うのは当然だし、どちらが正しいわけではない。あちらが現実、こちらは夢ではない。あちらも現実、こちらも現実(あちらも夢、こちらも夢)だ。……だったら、これからは自分の実存の選択に、なるべく(ラスコルニコフや、ムルソーのような犯罪者にならない範囲で、極端に走らず)忠実に生きてゆこう……。(つづく)

『画中日記』2021.07.02【続・夢の中の空間③(2004年記)】

 当時の私の世界観を表象すると、暗黒の世界のなかを、一人ひとりが、自身でふくらませた風船の膜のなかで生きている。風船のなかの世界は、明るさも美しさもパースペクティブも千差万別。

 こうして、50歳ころまで私は「遅れて来た実存主義者」「実存主義者の生き残り」を自称して生きてきた。そして還暦を過ぎれば「実存主義者の生きた化石」と自称するつもりであった。しかき、50代に入ってしだいに実存主義から離れ、「抽象印象主義」を標榜するに至ったのだ。

 その展開は、自分自身の夢のなかの空間の分析と、「逆さ眼鏡の実験」を本(『意識とは何だろうか』下條信輔著 講談社現代新書)で知って、自己の内部空間を推論していった事が大きな力で作用して、私の絵の様式を変えていった。(つづく)

『画中日記』2021.07.03【続・夢の中の空間④(2004年記)】

 30代のこと、西表島(いりおもてじま)に風景の取材に行った。港から渡し船でしか行けない半島の船浮という集落を歩いていたとき、人の住んでいる場所の裏側で夢のような美しい風景に出会った。小さな砂浜で、白い砂、珊瑚礁の海、青い空、南国のエキゾチックな植物。完璧だった。人っ子一人いない、小さくて白い、静かな午後の砂浜で、いるのは自分だけ。私は不思議な感覚におそわれた。

 この風景は、昔から、これから先もここにある。この風景を知っているのは、私と船浮の住民だけだ。

 ――誰も知らないし、行ったこともない美しい風景とは、認識者のいない存在とは。もし、この宇宙にいかなる生物も存在しなかったら、世界の存在はどう解釈したらよいのか。もし、この宇宙にコウモリ一種類だけしか生物がいないとしたら、コウモリの世界観が世界か。もし、コウモリと私が同じコップを見ていたとすると、同じ物を見ているのか。すべてに差異のある他者と自分は同じコップを見ているといえるのか。私の認識している目の前のコップは客観的な実在なのか。事実は一つなのか(芥川龍之介『藪の中』)。価値や意味は存在する物の上にあるのか実在のなかにあるのか……。

 世界は認識者が個々に編み上げていくのだ。

 こうして、私の世界観は実存主義そのままに、肝心の自我は、実体存在から関係存在へと移行していった。事象にアプローチする方法論は、原因の原因(客観)、結果の結果(主観)、の両サイドを切り離し、事象の原因と結果だけを分析する現象学的還元の方法で絵画を推し進めていった。(つづく)

『画中日記』2021.07.04【続・夢の中の空間⑤(2004年記)】

 そうやって、絵のスタイルは相変わらず激しく変化しながら歳を重ねていった。しかし、そのうちに、40代後半から次第に、イズムと感覚(美意識)にズレが出て来た。イズムと感覚の矛盾を解消できないまま齟齬感をもちながらも、なんとか折り合いをつけながら、絵を描いていた。

 その矛盾とは……。

 実存主義を美術史にあてはめると、ダダイズムや表現主義になるのだ。一方、私の美意識は表現よりも、印象派や唯美的な造形の作品に惹かれた。特に、マチス晩年の1947年前後の作品に耽溺していた。

 実存主義的内容を印象派の様式で描くという難しい命題は、ムンクが実現しているが、その作品の北欧的な光には魅惑されるが、意味内容には少しも興味がわかない。ジュールリアリズムの画家とされているゴーキーは、事物のシュールではなくて光と空間のシュールと解釈したし、抽象表現主義のグループに括られているロスコやニューマンは、表現主義ではなく、むしろ私の標榜する抽象印象主義の先駆者に位置づけた。

 イズムと美意識のくいちがいを整合させようと、当時の私は個展のタイトルに「実存論的時空概念」とは「脱現実化的実在化」と、苦心惨憺していた。(つづく)

『画中日記』2021.07.05【続・夢の中の空間⑥(2004年記)】

 いよいよ、矛盾を止揚(しよう)した〈抽象印象主義〉に至るわけだが、夢の現象学的考察の前に、「逆さ眼鏡の実験」の話をする。

 逆さ眼鏡の実験とは、外界が逆さま(上下と左右の2方向がある)に見える眼鏡をかけ続けると人間はどうなるのか、という心理学の実験だ。

 当然世界は逆転して見える。最初は例外なくひどい船酔い状態になる。ところが驚くべきことに、数週間かけ続けると、行動が順応するばかりか、知覚まで変化して、最終的には世界が正立し、安定して見えるようになる。

 この実験心理学の話を本で読んで驚いた。私が、かって実存主義的世界観を形成したいった推論に誤りがあるのだ。

 逆さ眼鏡をかけた人と私、あるいは、逆さ眼鏡をかけた私と裸眼の人は、目の前のコップが同じように見えるのだ。もし全世界の人が逆さ眼鏡をかけて、自分だけが裸眼であっても、全世界の人が裸眼で自分だけが逆さ眼鏡をかけても、同じように世界が見えるのだ。おまけに、世界が正立する過程には、実存が関わっていない。自分の外側からの力が勝手に自分の脳の中の空間を正立させるのだ。

 ということは、人間の(他の生物も)脳のなかの世界は〔地〕となる時間、空間とその上の〔図〕となる実存の経験や解釈は、異なる過程で生成されるのか。(つづく)

『画中日記』2021.07.06【続・夢の中の空間⑦(2004年記)】

 美大生だったころ、夜下宿で本を読んでいたとき、一匹のアリがいるのを見つけた。私は手近にあった鉛筆をその蟻の前に置いてそれに登らせた。アリが、右に歩いて行くと鉛筆の左端を持ち、先まで行って反転して左に歩くと右端を持つ。こうして、アリは何度も鉛筆を往復した。アリの目は複眼で、単眼とシステムがちがうらしく、近眼で、私の手の動きは見えない。このアリは、この後どうするのか?。私はかなりの時間、最後にはアリとの根比(こんくら)べで意地になって鉛筆を持ち替え続けた。

 すると、アリは突然鉛筆から飛び下りた。飛び下りたアリを、再び鉛筆に誘導して同じことを繰り返すと飛び下りるまでの時間は短くなり、終わりにはすぐに飛び下りるようになり、そこでアリを窓の外に解放した。

 アリが飛び下りたのは、アリの実存の決断なのか。イソップ物語のように、擬人的な心がアリのなかにあるのか。

 ハエやゴキブリは、叩こうとすると、何故逃げるのか。ライオンとインパラ、ペットと飼い主はどうやって時間、空間を一致させるのか。

(以上の文章は、『画中日記』2021.06.26【虫は夢をみるか?虫は心を持つか?虫は自我意識はあるか?虫と人はお互いに心を通わせられるか?②】にアップした文章と同じで、2004年、当時の私のホームページにアップした、「続・夢の中の空間」のテキストの一部です。次は、続いて「続・夢の中の空間」を順次キーボードに打ち込みアップしていきます。打ち込み終えれば、現在の、イーゼル画の体験と道元の『正法眼蔵』を読み、通過して至った「全元論」的世界観を書き加えて、【岡野岬石の資料蔵】に「夢の現象学」の題名で「テキスト」のインデックスページに収蔵する予定です)

『画中日記』2021.07.06【アトリエに訪問者】

 昨日、岡山県玉での同級生だった結城哲一郎氏が、アトリエに来てくれた。過日の、私が玉の『カフェ マザーズ』でおこなった個展や、『瀬戸内百景』の出版後の玉野での影響についての話と、現在、コロナ禍で各方面に引っ張り凧で忙しく飛び回っている、やはり同級生だった、ドクター井上正康氏の話題で話はつきなかった。独居老人の他人(ひと)との会話は、普段使わない脳の部所を活性化する。

 幼児や、ペットと同じで、後期高齢者老人は、敬老の気持ちでやさしくかまってやってください。

『画中日記』2021.07.07【続・夢の中の空間⑧(2004年記)】

 実存主義の弱い所は、実存の関わる余地のない客観的な真理(科学、数学)、他者、倫理、の存在が論理的に上手く説明できない事だ。

 ここに至って私は、主観と客観(精神と物質、脳と身体)の二元論の一元論化を、主観と客観の両方の存在を認め、二つの関係の全体を一つに形態化しようと思うに至ったのだ。

 最初に思いついたのが、相互挿入空間。

 現実の三次元の空間に取り出すことは不可能だが、高次元空間では可能な、AとBがマトリョーシカ(ロシアの民芸品の人形)のように、AがBのなかに入り、BがAのなかに入っている一つの空間。そういう空間での世界の描出。

 そのころ、読んだ本(『カオス』J・グリック著 新潮文庫)で似たような概念に出会った。フラクタル幾何学、マンデルブロー集合、全体と部分の自己相似性。これでまた一歩世界と実存の関係のイメージがはっきりしてきた。(つづく) 

『画中日記』2021.07.08【続・夢の中の空間⑨(2004年記)】

 夢の話の前に、夢の現象学的考察から得られた現時点での結論を先に言っておく。

「世界と実存の空間的な関係と、実存内(脳のなか)の情報は自己相似形である」

「世界観の地は、実存に関わりなく(事物であるカガミやカメラのように)写り込む(視覚だけでなく、知覚、聴覚、触覚など世界と身体が出会って現象するすべての器官から)。」

 さて、やっと夢の話に入るが、前回のエッセイから新たに出た疑問と、推論し分かった事を順次記してみよう。まず、

 

『画中日記』2021.07.09【続・夢の中の空間⑩(2004年記)】

 ――夢のなかの他人は誰が喋っているのか。

 仮に、夢を映画を観るように見ていると仮定すると、観客席の自分、映写室の自分、映画監督の自分、シナリオを書いた自分……すべての後ろに自分を置くことは可能だが(フロイトのように)、演じ、喋っている俳優は、誰が演じ喋っているのか。まさか、自分が俳優に変装しているとは考えにくい。では、他人が自分の脳のなかに住みついているのか。

 結論は、カガミに映った外界がカガミでないように、写真のなかの他人が自分でないように(撮ったのは自分でも)、夢のなかの他人(自分の外側の風景や事物すべて)は、自分の入り込む余地のない他者である。他人の台詞のシナリオは自分がつくっても、喋っているのは他人である。

 ――犬は、夢のなかで飼い主の言葉を聞く。

 犬は喋れない。なのに夢のなかでは、喋るという自己の能力の限界を超えた、飼い主の言葉を聞く夢を見る。すべては犬の脳のなかの世界で起きている現象だ。

(つづく)

『画中日記』2021.07.10【続・夢の中の空間11(2004年記)】

 ――夢は見るのではない。夢のなかを生きているのだ。

 夢を見ると仮定すると、生まれついての視覚障害者は夢を見る事ができない。起きて生活している世界の、空間と時間と他者存在がスッポリそのまま脳のなかに写し込まれ(視覚だけではない)その時空のなかを自我意識が生きていると思えば、視覚障害者の夢の疑問も、動物の夢の疑問も解消する。生きていると考えれば、たぶん昆虫も夢をみるだろう(以前は、昆虫が眠りから覚めるとき、覚醒のスイッチを、寝ているのに誰がどうやって入れるのかという疑問があった)。

 ――自分のいない夢は見ない。

 生きているのだから、スクリーンの上に自分がいなくても、それを見ている自我意識は消えない。

(つづく)

『画中日記』2021.07.11【続・夢の中の空間12(2004年記)】

 ――スクリーン上に自分はめったに出てこない。

 これも、生きているのだから当然で、自分を外部で見るのは、カガミか写真でしかない。たまにみることもあるが、そのときは自分の顔(ホクロや髪の形など)だけ、写像でなく鏡像である(左右が逆)。(生きているうえで職業柄、モデルや俳優は自分の写像をよく見るので例外)

 ――空想のように、自分が他者(他人や動物や事物)になった夢は見ない。

 これも、生きているという事の証拠。想像とちがって、現実の生活は自分が他者になることはないのだから、アルコールや薬物による幻影や幻想と、夢は、まったく異なる現象だ。

(つづく)

『画中日記』2021.07.12【続・夢の中の空間13(2004年記)】

 夢の現象学的考察から自分の脳のなかの世界を推察すると、覚醒時に生活している現実の自他の関係が、スッポリそのまま入り込んでいる。客観的な他者が脳のなかに写り込んで地平を形成して、その時空のなかで実存が生きている。(認識論の笑い話になっている、脳のなかの小人説に似ている。)

 私の内部に客観はすでに住みついているのだ。他人の内部にも同じ客観が写っている。その内部の自我意識による認識や解釈は違っても、目の前のコップは客観的な一個のコップで、同じ物が同じように(逆さ眼鏡をかけても、目がみえなくても)写っているのだ。

 外部(客観)と内部(主観)の関係は、マンデルブロー集合のように、外部が内部に、関係全体(世界)が部分(実存)に、境界のない自己相似形で内に向かって世界=内=存在しているのだ。

(つづく)

『画中日記』2021.07.13【続・夢の中の空間14(2004年記)】

 哲学に門外漢の私の、浅い解釈で間違っているかも知れないが、ハイデッカーは人間の存在のしかたを、箱のなかに石のあるような存在のしかたで存在していないとして、人間の実存(現実存在)と呼び、その様態を世界=内=存在と名付けた。私が実存主義から離れて、超越論的実在論者に移行していったのは、まさにここの所だ。

 人間は実存で目一杯ではない。内部に飲み込むかたちで世界を認識していない。そのためフロイトのように自我をすべての背後にくっつける解釈には無理が出てくる。

 世界のなかで私は部分だ。同じように私のなかでも自我意識は部分なのだ。自我意識の認識と解釈に関係なく、あらかじめ写り形成された地平が広がっている。〈人間(他の生物も)は外に向かって世界=内=存在であるが、人間(他の生物も)内に向かっても世界=内=存在である。〉(つづく) 

『画中日記』2021.07.14【続・夢の中の空間15(2004年記)】

 世界の地平は、人間の意識と関係なく写り形成されるものだから、無意識の世界の解釈も、経験論によるア・プリオリの説明も、容易にできる。意識しているもの以外のものも身体は自動的に情報処理して、インプリントしてきているのだから(ピントを合わせたもの以外にも視界にあるすべてのものは写っている)外部世界はほとんど無意識のフィールドに紛れ込んでしまう。幼児の初めての経験も、まだ意識の形成される前の世界の時空はすでに写っているのだから、誰から教わらなくても生物的な行動はできるだろう。さらに、内に向かっての世界=内=存在は人間だけでなく、ボノボのカンジ君も、言葉を喋れない犬も、意識のない単細胞生物も、植物さえもそのような形態で存在している。他の生物と人間は、写り込む世界の違いはない。あるものは時間と空間の量の差、それと内部世界を外部に取り出す能力(カンジ君はできる)。

 この世界観によって、善(倫理)も説明できる。私は他人に写り、他人は私に写るのだから、他人を殺すことは自分の内部世界の他人を殺すことでもある。だから、尊属殺人のほうが、他国に飛行機から爆弾を投下するのに比べて、近くて大きく写っているので罪悪感が大きいのだ。外部を汚すことは、自分の内部を汚すことだ。

 逆にそれだから、私のなかの〈美〉を外部世界に取り出す画家の仕事は、その結果に関わらず、こうも喜びを与えてくれるのだ。

 このようなコスモロジーによって、画家の私は自分の絵の制作のベクトルを、超越的な美を措定し、それを描出する「抽象印象主義(Abstract impressionism )」としたのだ。(2004年5月13日)

(この文章は、2005年12月30日発行の『芸術の杣径(そまみち)』に掲載したものです。次に2009年4月20日発行の『芸術の哲学』に掲載した同じ内容の文章「夢の現象学」をアップしていきます。その後、道元とイーゼル画を経てたどり着いた 『全元論』に掲載した「セザンヌもゴッホも見えている通りに描いている」をアップします)

『画中日記』2021.07.15【夢の現象学①(2009年記)】

 夢は、自分の脳の内部で起きている現象だ。さて、「夢の中に出てくる他人は誰が話しているのか?」。

 他人の出てくる夢は誰でも見るだろう。誰もが見る夢なのに、この本の『虚数』の章でも話したが、僕のこういう疑問の立て方が非凡だろ。最初の単純な疑問、それは夢の中の他人は誰かということ。他人が僕の頭の中に居着いているのか?

 ところで僕は、単純な疑問があると解けるまで放っておけない。中学生の頃の疑問は「生まれつき目の見えない人は夢を見るのか?見るとすれば、どんな夢をみるのか?」ということ。こんな疑問が次々に続いて生まれ、まわりまわって結局現在の僕の絵のコンセプトにまで影響している。子供の頃から、世界は不思議なことだらけだった。そういう疑問から入っていって「動物は夢を見るのか?」「昆虫は夢を見るのか?」とサツマ芋のように疑問がずるずると連なってわいてくる。

 僕が出した結論だけ言うと、夢は「見る」のではなくて、夢の空間の中で「生きている」。夢を「生きている」とすると、生まれつき目の見えない人は当然夢を見る。動物も夢を見る。昆虫も夢を見る。

『画中日記』2021.07.16【夢の現象学②(2009年記)】

 夢の中の他人の話に戻ると、夢の中の他人は、誰が話しているのか。夢を、映画を見ているように見ていると仮定すると、自分が観客席で見ているとして、では映画を映している人はだれか?自分の中の一部が観客で、一部が映写している人で、では、映画を撮ったのはだれか? これも自分。

 そうすると、脚本を書いて台詞を指示したのは自分だし、カメラマンも自分だし……。では俳優はだれ? 台詞を全部指示したとしても、台詞をしゃべっているのはだれ? 俳優そのものはどうするの? 俳優だけはどうこじつけても後ろに自分がくっつかない。どこかから連れてこなければならない。俳優を連れてこなければ成り立たない。すべて自作自演だとしても、夢の中の他人だけは純粋な他者だ。他人だけでなく、風景や、物も。つまり自分の中に他者が住みついている。風景や物も住みついている。起きて、生活している空間が、そっくりそのまま頭の中に映りこんでいる。これをどう考えたらいいか? そこからフラクタルという考えに入っていく。

『画中日記』2021.07.17【夢の現象学③(2009年記)】

 ものごとを、こういうふうに考える。こちらに自我があってそちらに社会があって、ここに境界線があって、自分と世界、内部と外部が境界線のもとにはっきりと分け、自我の存在、世界の存在というように、これを対立させて闘わせるから矛盾が生じる。また夢の中の他人のことも、説明がつかなくなる。このようにイメージしたらどうだろう。磁石のように、外側の世界をN極自分の内側をS極だとすると、磁石を折るとまた磁石になるように、外部世界N極と自分S極の関係が、そのままスッポリと自分の内部にもあると考えると、夢の中の他人についても説明がつく。全体と部分が相似形(自己相似形)の構造、境界線のない構造、それがフラクタルなので、マンデルブロー集合の図像には境界線がない。有機物はそもそも外部空間と内部空間の境界がないので、だから水や空気や食べ物を取り込み、またはき出すことができる。外部の存在であるリンゴを自分が食べて消化吸収して一方は内部の血となり、一方は外部に便となって排泄される。この全課程で、自分がリンゴを認識した時から、食べて排泄する時までのリンゴは外部から内部に移る境い目はどこにもない。人間は肉体も精神もフラクタルになっているのではないか。つまり、自分の中に外部が開かれ、取り込まれている。人間の膨大な数の細胞の一つ一つにまで血液は供給され、時間と空間と個体の全体の情報が詰まって、全体も部分も同時に生きている。空間の概念が、外側の大きな世界の中に小さな部分の自分がいるという、こういう構造が、脳の中にもあって、細胞の一個一個がまたそういう構造になっている。ハイデガーは人間の在りようを、箱の中の石のような存在のしかたで存在していないとして、人間のことを実存(現実存在)と呼び、その様態を世界=内=存在と名付けた。

 人間は実存で目一杯ではない。実存が世界を、内部に飲み込むかたちで認識(フロイドの認識)しているのではない。世界の中で自分は部分だ。同じように自分の中(脳)でも自我意識は部分なのだ。脳の中の自我意識の周りには、あらかじめ身体にインプリントされたパースペクティブが広がっている。人間だけでなく、有機物はすべて外に向かって世界=内=存在であるが、内に向かっても世界=内=存在である。(いや、どうも有機物だけでなく、無機物も、宇宙も、そうなっているらしいのだ。2021年記)

『画中日記』2021.07.18【夢の現象学④(2009年記)】

 高度な自我意識がなくても、動物や昆虫も、外部と内部がフラクタルな構造で生きている。植物や単細胞の微生物も、脳はなくても細胞の中に、外部の時間と空間のパースペクティブの情報は持っている。自我意識に近い、「今、ここ」「自他」の情報は細胞の中に入っている。

 無機物は内部が世界=内=存在になっていないので、そこが有機物とは違っている。だから機械の事故は情け容赦がない。森や林の植物を見てみると、きれいに住み分けている。隣り合った木同士が生存競争しても、無機物の接触と違って、隣の木の幹を突き抜けるというようなことは無い。

(つづく)

『画中日記』2021.07.19【夢の現象学⑤(2009年記)】

 犬はしゃべれないが、飼い主のしゃべる夢をみる。犬がごちそうを前にして飼い主に「待て!」と命令されてうなされる、こんな夢はきっとみるだろう。飼い主の「待て」という言葉は起きている時は外部のできごとだが、夢の中では犬の脳の内部での出来事だ。犬はしゃべれないのに、飼い主のしゃべる夢をなぜみることができるのか? それは、犬の自己意識の外側に犬の身体を通して外部が、意識に関わりなくインプリントされているからだ。飼い主(外部)の形象は、意識(犬の知性)が解釈するのではなく犬の身体が写し込むのだ。

(つづく)

『画中日記』2021.07.20【夢の現象学⑥(2009年記)】

 さて、夢を見るという話の結論は、夢は〈見る〉のではない、「夢の中の空間を〈生き〉ている」のだ。だから目の見えない人も夢を見る。日常の覚醒時の空間が、スッポリ夢の中の空間になっている。その夢の中の自我が生きている。自我意識のない夢はない。夢の中で自分があちら側(見られる対象の方)に出てくることはめったになく、ほとんどいつもこちら側(見る主体の方)にいる。自分がライオンになったりする夢は見ない。時系列はとんだりしても、夢はビデオテープのように逆回りの時間はない。これらはすべて、夢の中の空間を〈生きている〉証拠。つまり、肉体は眠っていても脳の中の自我意識だけは、完全にではないが覚醒している(レム睡眠)。だから苦しい夢を見ると、夢の中でも苦しんでうなされるのだ。覚醒時は脳と身体は繋がっていて、身体は意志どおりに動くが、睡眠中は脳と身体の間のスイッチが切れていて身体が反応しない(たまにスイッチがONのままの人がいて、夢の中の動きを睡眠中にする人がいるのをテレビで見たことがある)。逆に、スイッチが切れたままなのに、脳が完全に覚醒した状態がいわゆる「金縛り」で僕も寝入りばなに時々かかることがある。睡眠中は覚醒時の空間が、スッポリ頭の中にあって、その頭(脳)の中の自我意識が、その夢の中の空間を生きている。「夢の中の空間を生きている」、そういう構造になっていると思う。

(おわり)

『画中日記』2021.07.21【今・ここ、に】

 私が、この世に生を受けてから75年間、隙間のない時間を過ごしてきた。その時々の現実は、過去から投げ入れられた因と縁が、その時々の瞬間に流れ込んで、未来への原因となる決断をしながら、生きてきた。

 6月27日から、昨日まで1998年に書いた【夢の中の空間】、2004年に書いた【続・夢の中の空間】、2009年に書いた【夢の現象学】と書き継いできたが、過去を振り返れば、現在は必然的にみえるが、過去のその時にはそれが分からない。

 人間の共通して、解明し、間違ってはいても個人としては決着しなければならない3つの設問は、「世界とは何か」、「自分とは何か」、「どう生きるか」だが、

夢の中の空間を考え続けたことは、「世界とは何か」と「自分とは何か」の両方の構造、形態を知る重要な問題の解明だった。「どう生きるか」は画家にとっては、本人の世界観が今の作品に描出されるので、要は、3つの問題を同時に解明する、

『全元論』的設問の解答だったのだ。

 明日からは、やはり、私の重要な体験を2002年に書いた『鎹(かすがい)』を何回かに分けて、書いていきます。

『画中日記』2021.07.22【かすがい(時空のゆがみ)① (2002年記)】

 過去は過ぎ去らない。「今・ここ」に流れ込み、未来にも存在の因と縁は滅しない。そのことに、気付いた体験の話です。(2021年記)

 この話は今から何年前の出来事だったのだろうか。私の過去の個展のDMや資料を調べ、また、色々な思い出を付き合わせてみると、どうやら約30年まえの1970年ころの春の事であった。

 当時、芸大の大学院の学生であった私は、直前に画家として初めて契約した日本橋画廊への油絵のモチーフさがしと同時に私の一種のセンチメンタルジャーニーをかねて四国の八八ヶ所巡りのバスツアーに単身で参加した。松山の伊予鉄のバスツアーで、約2週間で四国を一周し松山で解散した。

 松山から私の生まれ故郷の玉野市は東京への帰路の途中で、当時本州と四国の主要な交通手段であった宇高連絡船の岡山県側が玉野市である。私は高校の一年の一学期まで玉野市玉に生まれ育った。玉には、当時玉野市での大企業であった光井造船所があり、父はそこに勤務し一家はその社宅にすんでいた。だからおよそ10年ぶりであろうか。私は2、3日玉野に宿泊することにした。(つづく)

『画中日記』2021.07.23【かすがい(時空のゆがみ)② (2002年記)】

 翌日から、私は玉在住のかつての同級生と会って酒を酌み交わしたり、中学生のころよく一人で歩き廻った大仙山に登ったり、よく釣りをした港に行ってみたり、今はもうただの排水溝のようになってしまっている、夏のおわりには満潮時、はぜがよく釣れた白砂川(しらさがわ)に行ったりと、子供のころの思い出の反芻と、また時の流れの無常さに、何か痛痒いような感傷にひたっていた。(つづく)

『画中日記』2021.07.24【かすがい(時空のゆがみ)③ (2002年記)】

 充分に癒されて帰京する前日、私は造船所の野球場の横の観客席の後ろに沿った小道を歩いていた。道はサード側の観客席の裏側と造船所の敷地の塀にはさまれており、その先の左側には、そこもよくくちぼそ釣りに行ったちいさなため池があった。灰色のコンクリートの塀と、当時から使われてなくて閉め切ったままの白く塗られた木の門と、何に使われていたのか子供達はクラブと呼んでいた建物が、もう何年も使われていない様子で窓も入口も閉じられたままひっそりと建っていた。その建物の前を通り過ぎ、子供のときと同じに白く塗られた門の前を通り過ぎようとしたとき、私は不思議な感情におそわれた。

 あれれれ、という感じ……。

『画中日記』2021.07.25【かすがい(時空のゆがみ)④ (2002年記)】

 この門には憶えがあるぞ。この横板の破れ目も昔のままだ。私はある期待をこめてその破れ目からそっと手を入れた。外枠の矩形に、横に通されたタル木を、裏と表の両側から杉板を打ちつけた作りで、〈それ〉はタル木に乗って、以前のままに存在していた。冷たい鉄の手触りに、何とも形容しがたい、大袈裟に言えば空間と時間と自己との関係のけっして一様でない、歪みと不思議さに戸惑っていた。この出来事は何だ、という感じ。これは何か重要な事象だという確信はあるのだが、そのときは言葉ではうまく説明のつかないもどかしさに戸惑うばかりだった。

 それは私が幼稚園か小学校1年生のころの事であった。近所の子供が鎹(かすがい)を持っていて見せびらかした。それは、地面に穴を掘るのに使ったり、ちゃんばらごっこの武器にも使えた。私もそれが欲しかったが、それが何というものでどこで売っているのか値段はいくらするのか、かいもく分からないまま、うらやましそうに見ているだけだった。

『画中日記』2021.07.26【かすがい(時空のゆがみ)⑤ (2002年記)】

 その何日か後、父の勤めていた造船所の野球場のバックネットの後ろの席の、外側の道の上に鎹が落ちていたのだ。子供の私の喜びはいかばかりか想像できるだろうか。上級生達が言う、運がよいとか、ツイているというのはこの事かと思った。私はその幸運をかみしめながら、それで穴を掘ったり武器にしてみたりと、しばらく一人で遊んでいた。しばらくして野球場の方から、近所の子供達のゴムボールの野球へのさそいがかかってきた。みんなと他の遊びをするには鎹はじゃまになる。そこいらに置いたまま遊んでいては他の子供に持って行かれる不安もある。私はそこで一時どこかに隠しておいて遊ぼうと思った。(つづく)

『画中日記』2021.07.27【かすがい(時空のゆがみ)⑥ (2002年記)】

 周りを見回すと、おあつらえ向きの隠し場所を見付けた。当時から使われていない白い門。その横板の破れ目。たる木のおかげで内部が棚状になった構造。私は鎹(かすがい)を門の穴から内部のたる木の上にそっと置いた。

 そして、子供の私は他の遊びに熱中し鎹をすっかり忘れてしまった。鎹を隠した事も忘れてしまった。

 10数年後その鎹は私の手に触れていた。

 人間の体験と記憶との関係はどうなっているのだろうか。この鎹は私自身も10数年忘れていた。自分自身も気付かない、脳細胞のニューロンのネットワークの片隅にひっそりと隠れていたのだろうか。それではこの鎹のように今の自分にも気付かない、無数の時間と空間の断片がひっそりと私の細胞の片隅に息づいているのだろうか。また、偶然鎹は日の当たる所に出て来たが、一生涯隠れたままの事象も当然ながら無数に存在するであろう。自分の事は自分が一番よく知っている、……これは本当だろうか。

 私自身の身体は、細胞は、ニューロンのネットワークは、この不可思議な外部世界と同様に、内部世界に無限に横たわっている。まるでマンデルブロー集合のように。(終わり)(2002年9月記)

『画中日記』2021.07.28【世界は現成公案している】

 作日は、私の1週間に1日の恒例、日帰り温泉に行ってきた。入り終わって、昼食とビールの後、目の前に手賀沼を望む2階でタバコを一服。この日は、低い雲が手が沼の水面に白く写って美しい。手前の果樹園の梨も8月の初旬には出荷だろう。去年食べた梨が、今年もまたもうすぐ食べられる。天はなんと気前がいいのだろう。天からの恩恵は、使用料も、特許権も、対価もとらず、万物に平等にジャブジャブ振りまいてくれている。

 世界と自分に境界線を引き、人生を喧嘩腰で生きる、自我の欲望の不充足で、不平、不満、妬み、恨み、嫉み、で一生を過ごす、こんな国や人が、幸せになれるはずがないし、そもそも、その世界認識が間違っている。

 世界は、諸行無常であるが、真善美(法)は常恒である。法の軌持は宇宙存在を一気通貫している。日本人はそのことを、太古から知っていたし、伝えてきた。

(写真は、デジカメでなく、楽々フォンで撮ったので、よく撮れませんでした。手前の青は、果樹園の防鳥ネットで、梨の写真は、防鳥ネットにピントが合ってしまいました)

『画中日記』2021.07.29【汽車の中で駅弁を食べる①(2005年記)】

 これはかって実存主義者を自認していた五十代以前の僕にとって、重要なテーマに気付いた体験なんだ。「生きられる空間」という問題だ。これは、僕の世界観の中でも最も生き方に影響を与えた体験である。僕は一つの経験からの疑問をいつまでも温存して、それをまた繰り返し繰り返し、似たような体験を重ねる事で、その疑問を解答にまで推論してきた。子供の時に、山に水晶を採りに行った時や溺れかかった時の事など、世界に対する不思議な印象が温存されていた。これは、その延長線上の共通の体験なのだ。(つづく)

『画中日記』2021.07.29【白桃】

 今、岡山から到来物の白桃が届いた。思わず、顔がほころぶ。白桃は、昔は水蜜桃の後、お盆過ぎに出てきた、甘くて美味しい桃で、キャンベル葡萄と共に、子供の時の私の、身近にふんだんにある、果物の王様だった。

 白桃は、色が白いので、熟れていないと誤解されるのか、岡山以外では、店頭でで売っているのを見たことがないし、食べたことがない。食べるのは、もう、何年ぶりだろう。

 おいしい日本酒と同じく、何も味付けしない自然の素材で、人間が手をかけるだけで、よくもこんなに完璧な、美味しいものができるものだ。

 真善美に沿ったものは、人を幸せにする。旬の美味しいものを口にすることは、生きる元気が湧いてくる。

『画中日記』2021.08.04【今年のクロアナバチ①】

 一昨日(2日)、日帰り温泉に行くのに、いつものバス停で柏駅東口行きとは別路線のバスを待った。今年のクロアナバチは条件もよく、何匹も巣穴を掘っている。来週はデジカメを持って、写真を撮って、アップします。下記は、一昨年アップしたテキストと写真です。

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『画中日記』令和元年(2019)9月10日【クロアナバチ】

 今日は、週に一回通っている手賀沼の日帰り温泉に、行ってきた。昨日行くつもりだったのだが、台風で出られなかった。そこまでの往復は、柏駅行きとは別路線で日に数本か通っているバスに乗る。

 いつも乗る大津が丘団地のバス停の近くには、毎年この時期クロアナバチが穴を掘り、クサキリやツユムシを狩って、仮死状態にして穴に入れ産卵する場所がある。毎年バス停で気付くたびに、花見や、月見と同じで、しみじみとした幸せ感をおぼえる。誰も気付かないけれども、片隅で、黙々と、過去からの生のリンクをつないでいるハチの姿は、今年も、精一杯充実した生をつないでいけた私と、シンクロする。

 バス停の横の、道路沿いの緑地帯は一昨年、去年と、産卵後の大雨で全滅、今年は穴がひとつも見つからない(穴は、掘り出した土の色が違うので、すぐに見つかる)。デジカメを持って行ったのだが、昨日の大雨もあり見つからないかとおもったが、歩道の上の斜面で、数カ所見つけた。そのなかの一つから、穴掘り途中のハチが出てきたので、その姿を写真に撮った。君は、チャンと生き残っていて、過去からのリンクを継いでいるんだなぁ。ガンバレよ。

1ー穴掘り途中のクロアナバチ。穴はまだ一個。あと2、3個ダミーの穴を掘る。

2ーこの穴から、ハチが出てきた。

3ー違う穴。本物の穴は、真ん中か、左か。本物の穴は、深くて途中で角度がついている。

4ーここは、3年前までは沢山の穴があったのだが、去年、一昨年の大雨で全滅。

5ーここは、3年前までは沢山の穴があったのだが、去年、一昨年の大雨で全滅。

『画中日記』2021.08.10【今年のクロアナバチ②】

 昨日は月曜日で、日帰り温泉に行くつもりで、バス停に向かった。しかし、日曜日のオリンピック閉会式の振替休日でバスが、休日運行のために、行くのを中止した。もう、長い間テレビも新聞もとってないので、こういうことが度々ある。そのために、日帰り温泉行きを最近は、月曜日から火曜日に変えたのに、昨日はカレンダーを確認したのに、そういうことになっていた。

 先週のクロアナバチの巣作りの、今年の写真を撮るつもりでいたので、バス停の近くで、写真を撮りました。日曜日にけっこう激しい雨が降ったので、どうかと思ったが、新しい巣穴を掘っている。

 クロアナバチは、自身の欲望のために生きているのではない。何故かは知らねど、天から身の内に書き込まれたコマンドに従って生きている。世界はそうなっている。人間だけ特別に創られた存在であるはずがない。

『画中日記』2021.08.18【ツクツクボウシの初鳴き】

 昨日、スーパーに買い物にいく途中、ツクツクボウシの鳴き声を今年初めて聞いた。子供の頃、ツクツクボウシは夏休みの後半に出始めるのと、セミのなかでも敏感なので、捕まえるのは難しかった。セミのなかでは、最も美しいセミで、透明で輝く羽と、複眼の間にある小さな宝石のような単眼と、薄緑の中型の細いボディーが男子の虫取りの本能をくすぐる。(そんな子供は私だけかなぁ)

 ジガバチやアナバチの狩人バチは、獲物に針を刺して仮死状態にして、そこに卵を産む。教わったわけでもないのに、刺す場所は決まっていて、動けなくするポイントに的確に針を刺す。幼虫は、その食料が死んでは、自分が生きてはいけない。だから、今回の大雨で、クロアナバチの今までのバス停の近くの穴は、全滅だろう。それでも、違い場所での穴掘りの跡を見つけたので、クサキリがいる間は、ひと時の暇もなく種を継ないでいくことだろう。

 世の中は、暗く、憂鬱な、ケチくさく、卑しい事件が次々と途切れなく起こるが、数学の本を読んだり、昆虫を観ていると心が落ち着く。「真・善・美」が、もれなく世界を通貫していることを、確認できるから。

『画中日記』2021.09.03【M100号のキャンバスを張る】

 昨日M30号『地平線』の絵を完成させた。ここ何日も取り組んでいた、緑の草原の地平線がモチーフの作品の、いわば決定稿だ。これを、今日張ったM100号のキャンバスに描く。

 私は、若い時から、キャンバスも木枠も絵具も筆も、ストックを十二分に用意していた。途中で、画材を切らして、おもい通りに仕事が進められないときの用心のためだ。若いときは、未来の時間が無尽蔵なので、いつかは画材を使いきる。しかし、この歳(75)になると、この先使い切るだろうかという問題が出てくる。三栖さんから廻ってきた大作の木枠は去年、数本の巻きキャンバスは数年前に使い切った。あと気になるのは、何年も持ち越している、大作の木枠だ。

 イーゼル画では号数が大体決まっているので、大作は抽象印象主義の作品になる。まだ、ギリギリ大きさを持て余まさない今のうちに使い切ってしまわなければ、ゴミになってしまうだろう。そのうちに、いつかはやれるだろうという考えは、もう老人には通用しない。

 ゴミになってしまうものが、私の手が入ることによって、美しい画面にメタモルフォーゼしていく過程は、いくつになっても画家にとって至福の時だ。

『画中日記』2021.09.20【芸大1年生の時の絵】

 今日、昔の写真を探していたら、偶然、芸大1年生の時の、教室で静物を描いた絵の、スライド用のポジフィルムが出てきた。写真では、茶色に写っているが、実際は、バーミリオンやオレンジだったはずだ。テーブルの後ろに立っているは花瓶立ての周りの空間に、オレンジ色を、我流の印象派的に使って、うまくいった記憶がある。この作品は、同じクラスの小田君が撮ったもので、作品の現物はもう無い。写真を今見ると、記憶の中の作品と大きく違っている。今の私が見ても、十分鑑賞に耐えられるじゃないか。そして、人生の上では波乱万丈、齟齬や迷い道にも入ったが、絵画上は、18歳から75歳まで一貫して迷うことなく、〈光と空間〉を意識して追求してるじゃないか。

『画中日記』2021.09.20【熊本の田島英昭を偲ぶ】

 18日(土)に、私のFacebookに、田島の親戚から彼が7月16日に亡くなったとのメッセージが届いた。

 田島は、私の芸大の同級生で、同じクラスだった。芸大卒業後私は日本橋画廊と契約、遅れて田島も日本橋画廊と契約し、2人共人気画家になっていった。1974年のオイルショックで日本橋画廊の契約解除でフリーになり、私は当時居住していた札幌から、1975年に千葉に転居、1976年、田島英昭、三栖右嗣、岡野浩二と「赫陽展」を結成、資生堂画廊で1984年第4回展まで開催した。

 田島が浦和のアトリエを引き払い、故郷の熊本に帰った正確な年は何年だったのだろうか。昔の長距離電話料金は高かったけれど、私がパソコンのために、光通信の変えてからは、熊本にしょっちゅう長電話を掛けた。特に、私がイーゼル画を始めた、2010年頃から、ICレコーダで録音し保存し、その中の何本かは、ユーチューブの動画に上げてある。

 私も田島も人生の大半、ほとんど全てを画家として過ごしているのだから、絵も、人間も、生き方も、芸術は宗教と変わらない。芸術観の齟齬は、そのままダイレクトに人生に直結する。

 ああ、書くことが多すぎる。月末に、ギャラリー仁家の小沼氏と「田島英昭を偲ぶ」という動画を作って、ユーチューブに上げる予定ですので、見てください。

『画中日記』2021.10.03【到来物の葡萄】

 昨日は、偶然同じ日に、長野県と岡山県からどちらも最高級の葡萄が届いた。日本の農家の努力は素晴らしいね。色も形も味もここまで自然の力と人間の手間だけでよく出来るものだ。生産者の熱意と、金銭の見返りを目的としない労働が、こういう完璧なものを作るのだろう。奇跡的だよ、こんな、完璧なものを目にし、口にできれば、元気がわくね。私の絵もこうでありたい。

 黄緑の葡萄は、「シャインマスカット」と大粒岡山県産高級銘柄「桃太郎」(写真はシャインマスカット)。曙色の葡萄は、長野県産の新品種「ナガノスマイル」。あと、紫の葡萄は「ピオーネ」だが、それが、葡萄の3色それぞれのチャンピオンだね。ピオーネはもうすでに、スーパーで買って食べたので、今年はこれから、葡萄三色食べ尽くしになる。

 パープル色のナガノスマイルは冷蔵庫に入れて、毎日5粒づつ食べるが(秋は果物が他に多いので)「桃太郎」は冷凍にして少しづついただきます。シャインマスカットは種が無くて、皮ごと食べられて糖度が高いので、そのままシャーベットになり、そのまま齧られ、シャーベット好きにはたまらない。結城君、定金百合子先生ありがとうございました。

『画中日記』2021.10.14【横浜石川町】

 昨日はイーゼル画会のメンバーである『住谷重光 美知江2人展』に横浜まで出かけた。画廊のある石川町は初めて訪ねた町だが、JR石川町の周りは、私の若い頃の東京の駅周辺の雰囲気がまだ残っている。東京は広いね。まだ、知らない街や、まだ乗ったことのない鉄道路線や地下鉄が沢山あるのだから。

 写真は、ATELIER・Kで、私のデジカメでお二人にシャッターを押してもらいました。他に用事があったので少しの時間しか居ることができず、慌ただしく話をしたが、久しぶりの画家どうしとの画の話は楽しかった。

『画中日記』2021.10.17【キャンバスを張る】

 今日、P40号のキャンバスを3枚張った。これで、今までストックしていた30号以上の木枠は全て使い切ることになる。これからは、必要になれば、そのつど1点づつ画材屋に注文することにする。

 歳を考えると、ストックしている画材を使い切れるかという問題がでてくる。

 下の文章は、『画中日記』2021.09.03【M100号のキャンバスを張る】の文章の一部分です。この3枚のキャンバスに絵を描けば一段落、感慨深い

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 私は、若い時から、キャンバスも木枠も絵具も筆も、ストックを十二分に用意していた。途中で、画材を切らして、おもい通りに仕事が進められないときの用心のためだ。若いときは、未来の時間が無尽蔵なので、いつかは画材を使いきる。しかし、この歳(75)になると、この先使い切るだろうかという問題が出てくる。三栖さんから廻ってきた大作の木枠は去年、数本の巻きキャンバスは数年前に使い切った。あと気になるのは、何年も持ち越している、大作の木枠だ。

 イーゼル画では号数が大体決まっているので、大作は抽象印象主義の作品になる。まだ、ギリギリ大きさを持て余まさない今のうちに使い切ってしまわなければ、ゴミになってしまうだろう。そのうちに、いつかはやれるだろうという考えは、もう老人には通用しない。

 ゴミになってしまうものが、私の手が入ることによって、美しい画面にメタモルフォーゼしていく過程は、いくつになっても画家にとって至福の時だ。

『画中日記』2021.10.24【『垂光』P40号に手をつける】

 今日、10月17日に張った3枚のP40号のキャンバスのうちの1枚に手をつけた。ここ数日、紙にアクリルで数点、エスキースを描き、構図の決定をしたので、昨日、今日とで1回目の工程を終える。

 今回は、アクリル絵具で下描きを塗らないで、直接油絵具で描いた。イーゼル画と同じく、やはり油絵具の方がいいかな。絵具が乾いてから、完成にもっていくのだが、もうこの段階で8割がたできている。

 筆、溶き油、油絵具、半世紀以上変わらず使い続けている描画道具、恐るベシ!

『画中日記』2021.10.27【『水平線』P40号に手をつける】

 今日、10月17日に張った3枚のP40号のキャンバスのうちの2枚目に手をつけた。今回も、アクリル絵具で下描きを塗らないで、直接油絵具で描いた。イーゼル画と同じく、やはり油絵具の方がいいので今後この技法で決定する。絵具が乾いてから、完成にもっていくのだが、近いうちにアップできるだろう。

 今日は、これから残ったもう1枚のP40号のキャンバスの絵の、エスキースを描く。

『画中日記』2021.10.30【『垂光』P40号に手をつける】

 今日、10月17日に張った3枚のP40号のキャンバスのうちの3枚目に手をつけた。今回も、アクリル絵具で下描きを塗らないで、直接油絵具で描いた。

『画中日記』2021.11.11【次のキャンバスを張る】

 P40号の作品を、先日描き終えた。これで、40号以上の木枠は、全て使い切った。この先、大作の作品を描く場合には、そのつど注文する。残っている木枠は、F25号が10本以上あるので、それにとりかかるつもりだ。

今日は、S15号、F4号、F3号のキャンバスを張った。F25号の作品は、この3点を描き終えてから、とりかかる。

S15号の作品は、先日描いた、S60号の作品がうまくいったので、同じくSサイズで数点描くつもりだ。この『空と日射し』は2012年と2013年に数点描いて、一旦終わったモチーフだったのだが、最近を画面に入れるスキルを身につけたので、2本の弧線を使ったらうまくいき、復活した。S15号の木枠もあと数点ある。

『画中日記』2021.11.18【松本のリンゴ園から】

 15日に岡山と長野県の松本の2ヶ処を行き来している、玉野での同級生の結城氏から、関係しているリンゴ園からのリンゴが送られてきた。名前は「名月」「ふじ」「しなの姫」。「名月」と「しなの姫」は初めてのリンゴなので、これから味わうのが楽しみだ。

リンゴ園は画家にとって、果実の実る頃、風景の中に赤い色が入るので、絵にするのに魅力的だ。若い頃札幌の郊外に住んでいた時、余市のリンゴ園を取材したことがあった。その頃の私の絵は、遠景が中心で、結局絵にはできなかったが、2010年からのイーゼル画のスキルの習得のおかげで、今なら、作品化できるだろう。ということで、結城氏にリンゴ園の写真を頼んでいた。そのなかの3枚がこの写真で、この風景のなかにイーゼルを立てれば、何点か絵になるだろう。

来年は優先順位からいえば、1番目–伊豆大島の砂漠、2番目–四国か房総の棚田、3番目–松本のリンゴ園、4番目–以前泊まったことのある、岩手県普代村営「くろさき荘」だが、描けるかどうか。10年前なら、何でもなく、順番にこなすだろうが、2018年の玉野での、山での画材を背負っての上りは、もう身体的に限界に近い。ラストチャンスの、最初の伊豆大島の砂漠が問題で、斜度と藪は問題ないが、タクシーを使っても、現場までかなりの距離を歩くだろうから、これをクリアーできれば、そして結果、いい絵が描ければ、条件が揃えば、順次、こなしていくつもりだ。いままで、そうやって絵を描いてきたのだから。

『画中日記』2021.11.23【ユリノキ(半纏木)の葉】

 今日は火曜日で、ルーティンの日帰り温泉に行こうとおもって、バス停までいったら、休日なので予定のバスが休日運行で来ない。明日行くことにして、アトリエに引き返す。途中、行きに見つけておいた、ユリノキの黄葉した落ち葉を拾って、持ち帰った。ユリノキの黄葉は何年か前に、茶色く枯れる前に、黄色く黄葉したことがあって、その時は、サムホールで絵を描いた。この時の作品は、売れていないので、倉庫に眠っている。まだまだ、データにしていない過去のデッサンや作品が大量に倉庫に眠っているので、いつか機会があれば、出てくるだろう。

落ち葉は、大半は茶色なのだが、少数だが写真のような美しく色づいた葉っぱもあった。持ち帰ったのは、今描いている途中の絵の、レモンイエローのパートの明度を落とすのに、何色を加筆するか決めかねていたからなのだ。空の部分のホワイトとの境目のグラデーションは、文房堂のローヤルブルーで上部のブルーと色味がちがうのでいいのだが、地面の黄色は左右レモンイエローなので、ホワイトとの境目が、同じ色の濃淡では境目が光らない。その色の参考として、2枚の葉を持ち帰り、前面の壁に貼り付けた。手探りで完成に向かうので、どうなるか分からないが。

イーゼル画を始める前はアトリエ画だったので、こうやって様々な資料を壁に貼り付けて仕事をいていたことを思い出す。

『画中日記』2021.11.24【洋梨ルレクチェ】

 昨日、洋梨のルレクチェが送られてきた。洋梨は食べ時に100%アジャストすることが難しいが、色も香りも素晴らしいので、すぐに半分食べ、冷蔵庫で冷やしたもう半分は、今日これからいただく。

初めて食べた味わいの印象は、「古城(フランスの)の窓辺の乙女」、フォスターの「ビューティフル ドゥリーマー」といったところか。

美味しいものを食べるといつも感じるが、こんな物が、よく、自然の力と、人間の努力で現成できるものだと感心する。多くのコードを、全て合わせていって成し遂げられる、奇跡的なことだろう。日本の農家の人の、努力と職業モラルは素晴らしい。こういう物を食べると寿命が伸びるね。〈真・善・美〉は出会う人を元気にする。私も頑張らねば。

『画中日記』2021.12.09【佐藤照雄氏への思い出】

 私は、半世紀以上美術の世界で生きてきたのに、直接自分のキャンバス上の世界に関わった、画友という人物はごく少ない。芸大の同級生だった田島英昭と、芸大の先輩三栖右嗣氏、そして同じく芸大の先輩佐藤照雄氏だ。その佐藤さんのことについて書く。

佐藤さんと初めて会ったのは、1976年頃のことだ。日本橋画廊で、佐藤さんのデッサンばかりの展覧会があった。当時の音楽雑誌のためのジャズやバイオリニストの挿画と、「地下道シリーズ」のデッサンがまとまって15枚(?)くらいあり、その中に、このデッサンがあった。他のデッサンも、リアルすぎて美しくないのが私には不満だったが、当時私が使えなかったコンテやパステルのスキルに魅了された。1点だけはダメで、シリーズ全点セットでなければ売れないというので、その場で、売約の赤ピンを押した。しかし、会期途中で、佐藤さんから、私が当時住んでいた市原の自宅に電話があり、買いたいという自分の昔からのファンがでてきたので、岡野君が諦めてほしいという。ということで、このデッサンと私とは、縁がなかった。

偶然にも、ネットで検索してみるとそのデッサンにヒットし、ここに落としました。私のデッサンは、1976年に昔の写真集から描いたチベットの母と子のデッサンです。後に、ワールドアートサロンの小財氏企画展『三思会』、佐藤照雄、三栖右嗣、岡野浩二で一緒に展示するが、この展覧会は1回で終わる。

佐藤照雄「地下道シリーズ」の1点

岡野岬石/母と子/木炭、パステル/1976年

『画中日記』2021.12.18【1988年】

 杏美画廊の展覧会冊子では、裸婦の居る室内風景だが、これらのタブローを描く準備に、柏の画材屋のヌード教室に毎週通い、パースペクティブを自在に使いこなすトレーニングに励んだ。同時に、椅子や観葉植物を購入して、その教室で出会ったモデルも、モデル紹介所経由でアトリエにきてもらった。何冊も描き充たしたクロッキーブックも、そのうちデータをデジカメで撮って、資料蔵にアップしようとおもう。

こうやって作品と共に、過去の自分を振り返ると、金も、時間も、自分の人生も、惜しみなく絵画につぎ込んできた自分に満足している。若い時のドヤ顔は嫌味だが、老人の自慢は、めくじら立てずにお許しを。

『画中日記』2021.12.26【岡山の名酒『極聖』】

 過日、玉(岡山県玉野市)で下宿して、絵を描き、展覧会をし、その絵の本『瀬戸内百景』を出版し、動画もアップした『カフェ マザーズ』の佐々木紀子さん(同級生の井上正康氏の妹さん)から、岡山県の名酒『極聖(雄島米)』が届いた。早速、写真を撮った後今晩酌で封を切った。

製造元の宮下酒造は、今は岡山市にあるが、もともと玉野市にあったらしい。雄島米は酒米では最高でこれも岡山県で、故郷自慢のPRです。

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『画中日記』令和元年(2019)6月12日【雄町米の酒】

 今日、玉のマザーズの佐々木紀子さんから、岡山の宮下酒造の日本酒、『極聖(きわめひじり)吟醸雄町米』が送られてきた。この酒は、マザーズの2階に下宿中、隣の桜本酒店で買って飲んだ偶然出会ったもので、まあ、旨くて驚いた。紀子さんの兄の井上君も、わざわざ、大阪まで買って帰るくらいだ。雄町米のお酒が旨いとは知っていたが、雄町米が、岡山県の雄町で発生した酒米であることは、知らなかった。

 今まで私が飲んだ日本酒の中で、トップ3本(他の2本は、広島の『賀茂泉』の生しぼり、松田の吟醸『松みどり』)の指に入る。

 まあ、普段はこんないい酒は飲まないが、故郷岡山の酒だから、勝手に宣伝しておきます。ネットで検索すると¥3240だから、そんなに高くはないので試しに、飲んでみてください。

 桜本酒店は、近々店を閉めるらしく、秋にはもう一度玉に行こうと思っているので、その時にはもう飲めない。残念だが仕方がない。

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『画中日記』2021.12.28【今日で仕事納め】

 いつもの年は、年末年始といえども、別にとりたてて生活を変えないのだが、今年は、絵を描く仕事のキリのいいところで終わったので、今日を仕事納めとする。仕事始めは、F25号のキャンバスを2点張って、そのためのエスキースをアクリルで描くことを、来年の仕事始めにする予定。

2021年の作品フォルダを開いてみると、絵画130点(内具象14点)、彫刻1点。旅行は小旅行を2回だけで、やや欲求不満の年だった。来年は、年齢的なイーゼル画のラストチャンスだから、伊豆大島か三宅島の海と砂漠、長崎県の的山(あづち)大島の海と棚田、の前でイーゼルを立てたい。その他、描きたい所は、オーバーフローしているが、体力がもうギリギリだ。天の差配はどうなりますか、とにかく、ベストは尽くす。私が行動し、描かなければ、私の作品はこの世に現成しないのだから。

写真は、西東さんから送られてきた、2022年の全日本空挺同志会のカレンダー。このカレンダーが来年のアトリエの時を刻む。

 

 

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『画中日記』2009年

『画中日記』2009年  2009.03.31 2007年にPCを買い替え、電話回線も光に替えたので以前に比べ格段にPCの使い勝手が良くなり、そのせいで操作にも慣れてきました。私は日頃日記はつけません …

【画中日記】2018年

【画中日記】2018年 『画中日記』2018.01.01【新年に】  新しい年を迎えた。パソコンに向かっているアトリエの窓から快晴の空の朝陽が目に飛び込んできている(時間は7時40分)。  今年の干支 …

画中日記(2023年)

画中日記(2023年)   『画中日記』2023.01.01【新年に】  新しい年を迎えた。パソコンに向かっている。時間は8時10分、朝の光が眼に入ってくる。眩しいが、幸せな気分だ。 今年の …

『画中日記』2010年

『画中日記』2010年  2010.01.13  新年最初の「画中日記」です。1月3日の「読書ノート」に載せた色川武大に続いて、今寝る前に読んでいる本は黒澤明の特集本です。読み終わったら、当然「読書ノ …

『画中日記』2014年

『画中日記』2014年  2014.02.18 【私のフェイスブックより】  現在、私のフェイスブックには『ブッダの真理のことば(ダンマパダ)』(中村元訳 岩波文庫)の抜き書きを投稿しているのだが(サ …