岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

テキストデータ 芸術の哲学

『芸術の哲学』ー画家がアトリエからー 岡野浩二

投稿日:2020-12-26 更新日:

第1章 第2章 第3章 第4章 第5

第1章

●言いたい、言わせてほしい

 本書で何を書きたいかというと、絵画について美術について画家について、他の分野の人が、昔からいろいろと言っている。プラトンは美学の祖と言われているし、カントやヘーゲルといった哲学者は言うにおよばず、詩人や小説家も書いている。しかし、「言われる側」としては、今一つ納得がいかず,彼らの言いたいことのための素材にされているような気がして悔しい。自分の分野を取り上げて貰うことは大変うれしいし有難いことなのだが、その反面、文章に取り上げるサンプルが的外れであったりピントがぼけていたりしていて、僕から見ると不本意で悔しい気持が残る。

だから画家として、前著『芸術の杣径』にも書いたように、漁師としての立場から、自分の内側から見た美術というものを書いておきたい。〔注、参照文としてー自分の仕事のアナロジー82~85頁〕これが、本書の動機の一つです。もう一つはポスト・モダンのこの現状があまりにも悔しい。たった一人であっても言い続けたい。芸術はほんとうに素晴らしいものだ。人間にとってこんな素晴らしいものはない。こんな素晴らしいものなのに、現況は悔しい。若い人が画家を志すにあたり、ポスト・モダンの相対主義というか懐疑主義というか、それはつまらない、ためにならないよといいたい。こんなことを言っても徒労かも知れないけれども、言いたい。言わせてくださいということだ。

本だって何冊も書けるわけではないから、受けを狙ったり、変化球でかわすのではなく直球勝負でいこうとおもう。画家のやることはこういうことだ、こうやらなくてはいけないし、やっているんだよ、ということをいいたい。芸術をやるということは哲学や宗教と同じで職業ではないのだから、会社と家庭と趣味、あるいは公人と私人というように分裂しているのではなくて、日常生活のすべてが画家の世界を形成している。こういうこと、こういう話が絵とどういう関係があるの?と思うかもしれないが、僕からすればおおいに関係がある。日常生活と世界観、画家と作品はしっかり絡み合って一個の構造態をつくっているのだから。

本は出そうと思えば、すぐ作れるよ。お金を含めて全部自分でやると思えばできるのだ。どこかの出版社から口がかかることを待っていたり、売って費用を出そうとか、そんなことを考えると難しくなるし一生出せないだろう。お金は稼ぐより使(費?)う方が楽しい。人生も同じで消費することが楽しいに決まっている。対価を求めないで、自分の人生を消費すると思えば、やるべき仕事はきりなくあって毎日が楽しく忙しい。時代や社会状況によってお金を得る職業は少ないかもしれないが、お金を条件に入れなければ仕事はいっぱいある。そんな気持でやらなければ画家のこのような本の出版なんて実現しないだろう。勉強だって仕事。世界を知ることは楽しいにきまっている。勉強も受験を第一義に考えたり、それを使って稼ごうするからつらくてつまらなくなるのだ。

●言いたい、言わせてほしい

 本書で何を書きたいかというと、絵画について美術について画家について、他の分野の人が、昔からいろいろと言っている。プラトンは美学の祖と言われているし、カントやヘーゲルといった哲学者は言うにおよばず、詩人や小説家も書いている。しかし、「言われる側」としては、今一つ納得がいかず,彼らの言いたいことのための素材にされているような気がして悔しい。自分の分野を取り上げて貰うことは大変うれしいし有難いことなのだが、その反面、文章に取り上げるサンプルが的外れであったりピントがぼけていたりしていて、僕から見ると不本意で悔しい気持が残る。

だから画家として、前著『芸術の杣径』にも書いたように、漁師としての立場から、自分の内側から見た美術というものを書いておきたい。〔注、参照文としてー自分の仕事のアナロジー82~85頁〕これが、本書の動機の一つです。もう一つはポスト・モダンのこの現状があまりにも悔しい。たった一人であっても言い続けたい。芸術はほんとうに素晴らしいものだ。人間にとってこんな素晴らしいものはない。こんな素晴らしいものなのに、現況は悔しい。若い人が画家を志すにあたり、ポスト・モダンの相対主義というか懐疑主義というか、それはつまらない、ためにならないよといいたい。こんなことを言っても徒労かも知れないけれども、言いたい。言わせてくださいということだ。

本だって何冊も書けるわけではないから、受けを狙ったり、変化球でかわすのではなく直球勝負でいこうとおもう。画家のやることはこういうことだ、こうやらなくてはいけないし、やっているんだよ、ということをいいたい。芸術をやるということは哲学や宗教と同じで職業ではないのだから、会社と家庭と趣味、あるいは公人と私人というように分裂しているのではなくて、日常生活のすべてが画家の世界を形成している。こういうこと、こういう話が絵とどういう関係があるの?と思うかもしれないが、僕からすればおおいに関係がある。日常生活と世界観、画家と作品はしっかり絡み合って一個の構造態をつくっているのだから。

本は出そうと思えば、すぐ作れるよ。お金を含めて全部自分でやると思えばできるのだ。どこかの出版社から口がかかることを待っていたり、売って費用を出そうとか、そんなことを考えると難しくなるし一生出せないだろう。お金は稼ぐより使(費?)う方が楽しい。人生も同じで消費することが楽しいに決まっている。対価を求めないで、自分の人生を消費すると思えば、やるべき仕事はきりなくあって毎日が楽しく忙しい。時代や社会状況によってお金を得る職業は少ないかもしれないが、お金を条件に入れなければ仕事はいっぱいある。そんな気持でやらなければ画家のこのような本の出版なんて実現しないだろう。勉強だって仕事。世界を知ることは楽しいにきまっている。勉強も受験を第一義に考えたり、それを使って稼ごうするからつらくてつまらなくなるのだ。

●記号で捕らえない・・・

 「物感」の話から始めようとおもう。2005年の暮れに『芸術の杣径』ー画家のアトリエからー(注:以下本書では、本文中の『芸術の杣径』を『…杣径』と略する)を出したときに、僕の絵画理論はそれでもう究極であり、もう変わることはないと思っていた。しかし、2006年の暮れころから坂本繁二郎が気になりだし、柏の古本屋で手に入れた彼の画集の自身の文章の中にある、物感という言葉に引っ掛かった。その言葉は画学生時代から知ってはいたが彼の画と同様、気にも留めないできたのだけれど…。物感のことを考えながら毎日絵を描いていると次々と問題が生まれ、またその命題をクリヤーしていくと、少しづつ進歩して、前著で言い収めたと思ったことに、また加えたいことが出てきた。

「抽象印象主義(Abstract Impressionism)」で自分のコンセプトは終わりだと思っていたが、どうもそうでないものが出てきた。抽象とつけてはまずい。抽象でも具象でもなく、どちらでもある、抽象と具象の間、抽象印象主義ではなく、新印象主義、ネオインプレッショニスムになるのである。

新たに気づいたのは、物感というテーマ。画家が絵を描く時に対象(モデル、モティーフ)を「記号」で捕らえてはいけないということだ。人間は通常対象物を記号で捕らえている。視線〔線の横にヽをつけてください〕というように、目から一本の矢印を出して対象物を捕らえにいく。フッサールの現象学でいうところの志向性だ。絵が抽象に、特に幾何学的抽象になってくると、着物の模様や各種のデザイン平面とどこがどう違うのだろう?現実に記号の平面と比較してみると、ロスコやモンドリアンの絵などは、僕の目には記号には見えない。外部の存在、具体的な物でなくても、ある存在を感じる。また、具象でも宮崎駿(1941年~)のアニメの原画や、かって週刊新潮の表紙を描いていた谷内六郎のイラストレーションは、デッサンは上手いし、美しい。しかし、芸術には見えない。竹久夢二(1884-1934年)の絵もそうだ。画面上の要素は何一つ変わらないのに、絵画は芸術に、もう一方はデザインやイラストレーションに見えてしまうのはなぜか。いったい何が違うの?そういうことを考えると「物感」というテーマに行き着く。

物感とは何だろう。坂本繁二郎(1882-1969年)は「物感」という言葉を使ったけれど、なんともイメージしにくく分かりにくい。この解釈でキーワードになるのは「存在」という言葉、ハイデッガーの「存在者は存在を隠蔽する」という言葉を思いだした。存在者とは哲学用語で分かりにくいが、事物のこと。つまり「リンゴはリンゴの存在を隠す」ということだ。(このことについては、改めて述べます)。こうやって物感について考えている過程で、画家としてさらに重要な問題に気付いた。人間は記号で世界を捕らえているということ。しかし、画家は記号で捕らえてはいけない。いや捕らえてもいいが、少なくとも僕の好きな画家の絵は世界を記号で捕らえてはいない。それが絵と図の違いである。〔注:私の実存と世界が出会う所『芸術の杣径』68,69頁〕そこが、デザインやイラストレーションやマンガと純粋絵画の大きな違いである。

円のなかに二つ点を打って下に線を引けば顔にみえる。これが記号。しかし、絵描きも、意識しないと自然に記号として捕らえてしまっている。「皿の上のリンゴ」と捕らえてはいけない。「皿」とか「リンゴ」と捕らえてはいけない。鏡やカメラは意識がないのだから、皿とかリンゴというように認識してはいない。画家でいえば意識を意識的にエポケー(スイッチを切る)して、志向性を遮断して、眼を独立させて、鏡やカメラのように、実体存在ではなくて関係存在として、つまり光の関係〔光の関係の横にヽをつける〕で捕らえなければならない。描かれた存在者(事物)の実体や意味内容に向かうのではなくて(意識、記号、知性)、光の関係、空間の関係(肉体、眼、感覚)に向かうべきなのだ。本物の画家は、一生「見る〔見るの横にヽをつける〕こと」を考え、見る見えるにこだわり続ける視覚、眼のスペシャリストなのだ。

物感を質感のように捕らえている画家もいるが、坂本繁二郎の言っている意味は物感とは外側の世界(対象物、モティーフ)の実在感だと僕は思う。記号で捕らえない外側にある存在。存在というのが、またイメージしにくく哲学的であるけれども。

記号については、まだまだ言いたいことは山ほどあるし、述べ始めると止まらなくなるので、後でまた述べるとして、次にもう一つの、ずっと考え続けている錯視(イリュージョン、見立てを含む)についての話に移ろう。

●世界が錯視される

 物感のある線。以前に時々通って描いていた柏の画材屋の裸婦教室に最近行って、「記号でない線」を命題にして描いてみた。記号でない線とは? それは、目の前にモデルがいて描いていると、記号でない臨場感と存在感がありありと出てくる。物感はそのように出てくるのだ。

記号でない線というのはたいへん難しい。世界はいつも外側にあるのだから、抽象だけあるわけではないし、具象だけあるのでもない。リンゴとして捕らえてはいけない、これは高度なことだ。具象の描写のほうがより高度になってくる。リンゴではなく存在だ。人間の目を意識から切り離して光学的に考えると、リンゴを見ていても、その周辺が真っ暗ということはない。目は、意識しなくても周りの情報が勝手に写り込んできて無意識に処理している。そのうえ、焦点(ピント)を合わせているのは自分(自我意識)であって、目が焦点を合わせているのではない。(注:『芸術の杣径』芸術美は自然美より美しい。262-267頁)

紙に線を描いて……、これだけで芸術に見えるものを創作することができる、まるで超能力者のような画家達がかって何人かいた。なんの変哲もない、種も仕掛けもない、同じ材料を使ってゴミになったり芸術になったりする。芸術に見えるように、錯視されるように描く。大変なことだが、それを具象でも抽象でも関係なく、為したい。世界はいつも外側にあるのだから、また、それは鏡のように意識に関係なく自分の肉体に写り込んで脳の内部に世界のパースペクティブを形成するのだから、対象を捕らえるときに記号でとらえないということは、意識を意識的にエポケー(スイッチを切る)しなくてはならない。これは、かなり高度な課題である。「物感」とはリンゴの存在あるいは現象ということ、つまり、目の前のリンゴをリンゴとして見ないで、存在(リアリズム)あるいは現象(印象派)と見ること。セザンヌや坂本繁二郎の絵が、何をモティーフにしても(人物、風景、静物)内容にかかわらず同じテイストなのはこのためであろう。意外にも、この見方の最初のエクササイスは、現在ではアカデミズム美術教育の弊害として退けられた石膏デッサンだったのだ。(今はもう退官したが、美術アカデミズムの牙城である東京芸術大学の某教授まで「デッサン不要論」を言い出すしまつだ…)属性をすべて剥ぎとられた真っ白い美しい塊を、その上に起こった明暗の現象のみを追っていく、そしてその次のステップは色と光の問題(reflet,仏語)に進んでいく印象派の技術の習得、これが画家になるための最も基本的なメソッドなのだ。

鏡やカメラは、リンゴや皿やテーブルや壁を、別々に注視するのではなく、平等に見ている。モネの『パラソルの女』の絵は、空も雲も草も人物もすべて同じように描かれている。焦点(ピント)を合わせるというのは人間の意識がやること。意識の志向性や解釈を遮断して、眼を独立させて、目の本質直感を研ぎ澄ます。そのように成された画面を前にすれば、鑑賞者はまるで、結果としての作品(解釈や説明)ではなく、画家の目にシンクロして制作過程の画家の目になったような疑似体験が、絵具の塊が芸術に錯視されるのだとおもう。芸術は「いいわね、世界はこんなに美しいのね…」と、感じさせる。美術だけでなく、音楽も文学もいい作品はみんなそうだ。

そこが芸術の一番の骨子である。「記号で捕らえてはいけない」ということに気づいたときは、ワンステージ上がった手ごたえを感じて嬉しかった。色も記号で捕らえてはいけないのだから、色をこれに変えよう……などと、簡単にはできなくなる。色の使い方が微妙になる。明度差が縮まり、中間色が多くなる。色を簡単に変えられないのは、そこになければならない色だからだ。記号だとしたら簡単に変えられるが、世界の存在を、鑑賞者に錯視させるようにしないといけないのだから、カラーチャートを見てこっちにかえようというように、簡単によることはできない。まして、パソコンで下絵(エスキース)を作るなんてとんでもないことだ。これまでデザイン的には充分やってきた。しかし、物感という問題はまだだった。いかにも世界のどこかに在りそうだ、いや、現にこの画面の上に存在している、と感じさせること。一例として、新緑の若葉を通過する太陽の光、それをイメージするようなとき、その色を、簡単に変えることはできない。以前はむしろ積極的に変えた時期(フォービズム)もあったが。今はそれが面白くて面白くてならない。

●絵だからできること

 僕は、具象と抽象を両方描き続けてきたけど、どちらか一方に決めなくてよかったと、今つくづく思う。そもそも現在の『光景』シリーズの作品のきっかけは、具象で光源(太陽や蛍光灯などの自らが発光するもの)はどうやって描いたらいいのだろう、という命題から始まったことだ。

具象をやっていると、そういう命題が次々とでてくる。一年くらい前から、虹を描く技法をみつけて何点か作品にしたが、これもすぐに抽象に移行できる。虹を水平、または垂直にしたら、あるいは色を変えたらどうか。サンピラー(太陽柱)という現象が北海道にある。太陽が正面にあって、凍りついた大気中の水蒸気の粒々に太陽の光が反射して、縦に光るのだ。光の柱、だからサンピラー、太陽柱だね。そういう写真もあるが、その時は太陽は向こうにあるし、場所も天候も限定されるのでいい写真が撮れない。しかし絵は自由にできる。絵は、まわりの状況も描かないといけないが、それは自由に作ることができる。絵は、水平線があって向こうが明度の低い空で(明度が低い空でないと画面上でサンピラーと明度差がでない)、と考える。そういうことを常日頃考えていると、具象だ、いや抽象だというようにどちらか一方に絵画を限定することがあまり意味なくなる。

太陽柱(サンピラー)は、キラキラした光の白い柱であるが、それを虹のように周りに色をつけると絵として美しくなる。虹だってああいう配色そのままでなくて、絵なら自由にできる。『芸術の杣径』に書いたように、絵具をナチュラルに使っていては光や光源は描けない。抽象だけをやっていたら、おそらくこういう問題に突き当らなかっただろう。

人間は、何かを知れば知るほどその世界が面白くなる。野球のことを、ルールも選手も全く知らなければ、見ていてもつまらないだろう。でも、自分の子供が野球の選手になったら、がぜん面白くなるはずである。それは、野球に対する知識、情報量がなかったのに、それが増えたからである。人生も、世界も、知れば知るほど、情報量がふえれば増えるほど面白い。当然、芸術も同じだ。

こうしてみると、自分が、当たり前だと思っていて通りすぎていた世界も、じつはこんな風になっていたのかという驚きと同時に、情報量が増えることで毎日の絵画制作が面白くてたまらない。

●虚数

 中学生の時に読んだジョージ・ガモフ(George Gamow,1904~1968年,宇宙物理学者)の『1,2,3,…無限大』という本、あれは面白かった。難しくて、ほとんど理解できなかったけれど、自分の生活しているこの世界が、今、自分のすぐ横にある世界はこんなことになっているのか、こんなに不可思議な世界に自分は生きている、こんなことを考えることに一生を費やす人がいる、ということを教えてくれた。世界は広くて深くて面白い。

その本の内容は,無限とか虚数、確率、次元、位相幾何学、ビッグバン…等々。無限とか虚数とか、どうなっているんだ。「長短2本の線分があって、線分内の無限にある点の数はどちらが大きいか?」じつに面白い。まず、こういう疑問の立て方に驚かされる。こんな風に疑問が立てられれば、自分の周りの世界は不思議なことばかりで、人生は退屈する暇がない。

それに,その答えが意外なことに、線分内の点の数は同数なのだ。どうしてそれが分かるかというと、無限と無限を比べる場合は一対一対応させると、余ったり、足りなかったり、同数だったりするわけだ。これは、僕が小学生の時に、父から聞いた話だから史実かどうかは分からないが、豊臣秀吉のエピソードと結びついた。それはこういう話。藤吉郎(豊臣秀吉の若い頃の名前、木下藤吉郎)が信長から、「山にある木の中で、築城に使える杉と檜の木がそれぞれ何本あるか調べてこい」といいつけられた。さて、藤吉郎はどうやってそれを数えたか。藤吉郎は、部下達にそれぞれ紅白二種類の紐を何本も持たせ、檜には赤紐、杉には白紐を手分けして幹に一本づつ結ばせて、それが終わると、紐をほどいて集めさせそれを数えて信長に報告した。信長はその仕事の早さと完璧さに驚いた、という話。これも、木と紐の一対一対応だね。

びっくりするような概念、√-1が歴史の上に最初に出てきたときは、遊びのような概念で出てきた。虚数というくらいだから、数学者同士の遊びのようなもの。イタリヤの数学者カルダーノ(Girolamo Cardano 1501~1576)がこういう問題を出した。「足して10、掛けて35になるふたつの数を求めよ」。足して10だから1と9とか、6と4。1と9ならかけても9だから、最大でも5と5で25。マイナスの数を使っても、10と35にならない。だから、そんな数はないと皆はいった。カルダーノはそれに対して「これは存在しない嘘の数だが、これをある種の数と認めれば答えはある」といった。ひとつは(5+√-10)もうひとつが(5-√-10)。

足すと (5+√-10)+(5-√-10)=10

掛けると(5+√-10)×(5-√-10)=(5の二乗)-(√-10の二乗)

=(25)-(-10)

=35

答えは合っている。では、√-10とは何か?

1を二乗すると1、-1を二乗しても1。数直線上に二乗してマイナスになるような数はどこにもない。-1の平方根は存在しない。現実にはないけれど、とりあえずそれを虚数(記号はι、アイの小文字の筆記体)と名づけよう。というように最初は実在しない遊びのような概念だった。

ところが、歴史が進むと、現実は虚数なしには考えられなくなってきた。物理学の言語は数学だが、虚数は、物理学では不可欠な大切な概念。空理空論のように、へ理屈のように最初は出現したのだけれど、だんだんと虚数なしにはいられなくなってきた。虚数ではなく「存在」するのだ。現実に実体として取り出して見せられないけれど確かに存在するのだ。(5+√-10)は二つの項でできているがこれも今の数学では「複素数」という一つの数なのだ。

0を原点にして、数字は最初数直線上の右側にしかなかった。現実の目に見える数はプラスの方向、つまり実数しか目に見える現実の上にない。実数だけしか使えないと、マイナスの方向には、左にとか下にとか、プラスの方向と反対の方向を指示しなくてはならない。-5は数で、5の前についている-の記号は、引くという動詞のマイナス記号とは別物なのだ(当時マイナスの数が数学の授業に出てくるのは中学1年の時だったが、記号の意味がイメージできないで、このころから数学嫌いになる生徒が多かった)。それで何が便利かというと、分数を使うとすべて掛け算に統一できるように、マイナスの数を使うとすべての計算が足し算に統一できてすっきりする。パソコンの印刷で郵便番号の印刷位置を数値で指定する欄は一つの方向に一つしかない。マイナスの数字があるから左に寄せたい時はマイナスの数値をいれればいいのだ。

複素数は幾何学的にはどこにあるのかといえば、数直線(1、-1…)の0に直交するY軸上に√-1、√-2・・・、-√-1-、√-2・・・と数値を刻めば複素数は、複素数平面上のどこかの位置に存在するのだ。つまり、原点さえ決めれば、東西南北や上下左右の四つの方向が一つに統一できるのだ。つまり、二次元(平面)の上は数字で覆われている。

平面上は数字で覆われているのだとすれば、3次元の空間に数字はないのかという疑問がわいてくる。3次元に数字はあるのか?というと、これは知り合いの数学者に聞いたところ、3次元には数字はないということだった。これがまた不思議なことに、3次元にはなくて4次元にはあって(四元数、ハミルトンが発見)、8次元、16次元と2の倍数の次元に数字が存在するということだそうだ。何だかすごいね。不思議だね。

数字そのものは人間が考えたもの。数学も人間が創ったもの。「2」は人間界以外にはどこにも見えない。数字は、自然界にはそもそもなかった。しかし、植物の葉っぱの付き方は2か3かの構造になっている。だれが種に書き込んだのだ。巻貝のらせんの美しい形式(黄金比とフィボナッチ数)は、だれが貝に教えたのだ?……世界の存在の内側に数字はすでにあるのだ。数字も数学も論理もすでに含まれているのだ。実体としては取り出せないけれど、たしかに存在する。

数学上の新たな証明、発見は世界の内の何かの存在の表象なのだ。芸術も同じ。芸術は決して虚とか遊びではない。存在は虚ではない。超越(真・善・美)は宇宙の存在の内側にある。宇宙に内在しているんだよ。

●真・善・美に関わって生きる

 「真・善・美」とは、嘘や遊びとかではなく、世界の根底に実在している。僕はそれを確信している。そもそも超越の措定なくして芸術はなりたたないではないか。学問は世界に内在している真理を顕現させる。宗教や倫理は善、芸術は美をこの世に顕現させる。

それが、極東の日本の岡山県の小さな港町玉野市に生まれた、一介の卑小な63年の実存が、出来ようが出来まいが、超越にダイレクトにかかわりあえることは、なんと幸せなことだろう。昔のフォークソングにこんな歌詞があったね「おもえば遠くへ来たもんだ~」。おもえば遠くまで来たもんだ。人間の歴史も次々とバトンを引き継ぎここまでやってきたんだね。身のうちの欲望に動かされる小さな実存を、生き方の根拠にしたらつまらない。トルストイは晩年、相対(実存、自分の人生)を相対(金銭、地位、名誉、家庭)で量る生き方に疑いを持ち(つまり、人生は絶対、普遍に向かわなければ人生そのものが無意味になる)、すべてを捨てて家出し、末娘と侍医とで巡礼の旅に出てロシヤの名もない田舎のアスターホヴォ駅で倒れ、死んだ。現世の実人生のチャンピオンが、3億円で自家用ジェット機を買って、女優と外国のリゾート地でバカンスを過すという、それを自分の人生の最高の夢として生きるなら、そんなのつまらないじゃないか。人生のなかで超越(真・善・美)に遭遇し、少しでも自分に美の顕現の可能性があることを信じ、少しでもそれにかかわることができれば、仮に実人生で討ち死にしたとしても、当人にとってはものすごく幸せなことなんだ。

高校時代に、ラジオでこんな話を耳にした。ケチでお金持ちの大阪の芸人が対談していて、「どうしたら、そんなにお金持ちになれるんですか?」と聞かれた。その芸人は、「あのね、今まで素うどんを食っていて、金が入ってきたから天麩羅うどんを食うようではお金はたまらない。みんなは、お金が入るとすぐに天麩羅うどんにする。それではいけない。天麩羅うどんと素うどんの差額を貯金にまわせばお金はすぐにたまるよ」と言った。言い分は分かるけど、何だか納得できないだろう…。では、なんで人間は働くのか、天麩羅うどんを食ったり、車を買ったり、そのために働くのではないのかと疑問に思った。たしかに天麩羅うどんにしたり、ブランド品に飛びついたりと収入に応じて生活のレベルを上げていけばお金はたまらない。しかし、お金をためても、そのお金を使わないで一生過すのも、なんだかおかしいじゃあないか。お金はなんのためにためるの?。結局、この意見に対する態度表明は、決まらないまま忘れてしまっていた。

しかし、芸大に入学してからの、ある体験によって金銭に対するポリシー(方針、政策)が決まった。当時、1万円の仕送りで6000円の家賃、4000円で一ヶ月暮らす。芸大の隣にある都美術館のなかに、美術運送の仕事をしている会社があり、公募展の審査(作品を審査員の前に運ぶ)や展示の仕事の人集めを、同じクラスのK君が頼まれていた。たまに「今日ヒマだったら来ないか」と誘われて、何度か行った。その時の一日のバイト代は1000円。その日は、かなりハードな仕事を終えて、市川にあった下宿に帰る途中で、「まあ、今日は疲れたしバイト代はあるし、いいだろう」とトンカツ屋に入った。トンカツを食って、ビールを一本(当時は大ビン)飲んだ。久しぶりに満ち足りたけれど、さて勘定は1000円出しておつりが100円か200円だったか。「あれ…?」。そうすると、一生かけて、みんなこういうことをやっているのか、と思った。

家を建てて、車を持って、海外旅行に行って、時々家族で外食して、これでパーだ。こんなことのために働いて一生を過すのは馬鹿馬鹿しいじゃないか。こんなことではせっかく芸術に巡り会ったのに、いい画は描けるはずがないと思った。それで、バイトは極力止めた。そのために生活費は削った。冷蔵庫がないからジャガイモとタマネギと卵と味噌くらいを買って、あと学食で食べると安いから利用する。衣服も、下着や靴下を除いて一着づつ。床屋も短く刈って長くのびるまでいかない。レコード(CDはまだない)や本や絵具を買うためにはバイトをする。しかし、決して食べるために働くまい。だって、それだけで終わってしまうのだから。もし、食べて終わってしまうなら、何のために絵も描かずに、一日バイトしたかという話である。もちろん、うまいものも食いたい。しかし、絵を描くことを犠牲にしていては、たまらない。

●生きられる空間

 人は、自分一人で生きる場合はどんな生き方をしようと、自己が責任さえ負えば自由である。ところが実際は、家族とか学校とか会社とか社会とかの中で、否応なく生きていかなくてはならない。その時、自分の空間と周りの空間が同一ならば問題はないが、違っている時に問題がおきる。ひきこもりやいじめ、KY(空気が読めない)などとも関係する。人が、それぞれが無意識に日常生活を送っている空間を「生きられる空間」と名付けて次の話をしよう。

たとえば、子供の頃、家の中の電気製品はラジオと電球くらいでガスもなくトイレも汲み取り式の時代、よその家に遊びに行くとその家その家独特の、別のにおいがしたものだ。僕の場合「よその家って色んなにおいがするな」と、それだけでとどまらない。記憶の隅に残って、ある日、違がう角度から疑問がうかんでくる。「あれ?」では、自分の家はにおわないのだろうか。自分の家はどんなにおいがするのだろう……におうはずだけど,自分の家のにおいは分からない。このことから僕の得意な推論を続けると、自分の「生きられる空間」は客観視できないということがわかる。自分が外部だと思っている世界と、内部だと思っている世界は、異なる空間で同じ空間内にあるのに少しズレているのだ。そして、自分も周りの人もそれぞれが各自の生きられる空間を、少しづつズレながら同じ空間を生きているのだ。生きられれる空間と、その人の性格や人格とを混同するから、色々の事柄が分からなくなるのだ。

恋愛中は恋人と歯ブラシを共有してもいやとは思わない。母親は自分の子供のおむつのウンチをきたながらない。これは、自分の世界の内側に、家族を、親からすれば取り込んで、子供からすれば包み込まれて相互主観的に空間を共有しているのだ。それが、世界を共有するということ。昨今では、娘が家族の洗濯をする場合、父親の洗濯物を別に洗ったり、自分の父親のパンツを箸でつまんで洗濯機に入れるとか……。昔の家族は同じ家庭という空間を共有していたが、今は夫婦も子供も親も、家族さえ日常的に異なった空間を生きている。個人のすぐ横から外部空間になっていて、自分の家族さえ異物になっている。家庭さえ、生きられる空間を共有したゲマインシャフト(地縁、血縁によって自然発生的に形成した共同体⇔ゲゼルシャフト)でなくなってきている。

最近、パソコン本体と電話回線を変えたので読み込みが速くなり以前はほとんど使わなかったインターネットを利用している。毎朝、新聞のサイトを見るのだが、「発言小町」という読売新聞のサイトで、個人がスレッドを立てるとみんながそれに対する意見を書き込み、それを載せた欄があって、時々のぞいている。人生相談は相談者に対して回答者は一人だが、「発言小町」はいわば井戸端会議で、いながらにして世間の現状と、他人の「生きられる世界」がかいま見えて面白い。世間の人の意見と、僕の意見が一致することがほとんどないので、自分の「生きられる空間」がはっきりと意識化できるのだ。

そんな話題の一例。……つき合っている若い男女がいて、デートの時に二人はいつも割り勘なんだそうだ。その二人が、ある日レストランに行って、会計が合計7000円だった。そのとき、女性はたまたまその店の5000円のサービス券を持っていたので自分の割り勘分の3500円のつもりで、男にそれを渡した。すると男が「ラッキー! じゃ1000円ずつだ」と喜んだ。女性は、私は5000円分出したのにと不満だった。だから、そのことを抗議すると、男性は2000円を出して払い終わったあと「金に汚い女って、引いちゃうよな」と言ったという。……それでその女性が皆に意見を求めたわけだ。

その話題にどんどん書き込みがあった。「5000円出したのだから、ほんとうは貴女が1500円もらわないといけないのにおかしい」「そんな男とは別れたほうがいい」とか、色々な意見があった。

しかし、僕の意見は違う。大げさに言えば、みんなの世界に対する認識の基本が違っている。そんな考えは意味がないし、答える人たちも、そんな回答では話にならない。

そもそも問題の立て方が悪い。ある事象があったら、どうやって解決するかが実人生上の問題の立て方で、お互いがどちらの考え方が正しいのかと言い張っていても、いつまでも不毛な争いが続くだろう。僕はそういうサイトには一度も書き込んだことはないけれど、僕の意見はこうだ。関係のない他人なら、お互いに好きなことを言い合いなさい。しかし、相手を好きだったらどうする?あるいはそれが親だったらどうする?友人だったら、会社の同僚だったらどうする?要は、別れられない関係ならどうする?各人の「生きられる空間」が少しづつズレて生きているという認識を持てば、空間どうしの違いを言い立てたところでどうにもならないことが分かるだろう。

そんな女性の井戸端会議のようなパラダイムで人生を過していくなら、宗教戦争といっしょで、お互いにこっちの方が正しいと言い争っても何も解決しはしない。そうやって生きて行くなら、共に生活する家族を含めて、周りに自分の意見通りに従う人を集めるしかない。それとも、なるべく周りと干渉し合わないで、一人で生きていくしかない。

そういうことで争ったら、たった3500円のことでこんな心理的な事件になるようなバカバカしいことがこの先延々と一生続くだろう。問題の立て方は、「そういう人を好きになって、この先も付き合いたいのなら、どうすればいいか?」と設問すべきだ。

昔、関西のラジオの人生相談の回答者で「そんなん、別れなハレ!」が口癖で有名な女性がいたが、それも一つの選択肢で、相談者がそう言われることで、問題はどちらのいいぶんが正しいかではなくてどう対処すべきかを考えるべきなのだ、と気付かせる名回答だったのだ。回答者はそこまで考えて言っていたのかどうかは知らないが。

僕の、このスレッドに対する回答は簡単だ。「相手はそういう(「生きられる空間」の)人なのだから、その人が好きなら、今後いつも現金で割り勘にしなさい。サービス券や優待券の類はあなたが人におごるのがいやなら自分だけで使いなさい」。

どう?スッキリして簡単なことだろう。社会の中で生きていくのに「正しいこと」を言えばいいというものではないし「正しいこと」を言ったからといって、解決はしない。こんなことの総体が人生で諸行は無常だ、という考え方もあるが、僕の「生きられる空間」が超越(美)に関わっていると、こんな風に世の中が見えてしまうんだよ。

●「絵にこうやれという定見はない」は間違い

 この小見出しのカッコ内の言葉は、1978年に出版された、当時芸大で教えていた某教授の絵画の技法書のなかの文章である。僕の芸大時代は幸せにもアカデミズム教育の最後の学年で、学校では充実した時間を過した。僕が学部卒業以降、芸大は、当時の社会状況とシンクロして、改革の嵐が吹き荒れ、受験方法から絵画に対するコンセプト、ひいては描画技法にまで及んで、その後現在の、「何でもあり」「美は百人百通り」の状況に至っている。今の画学生はかわいそうだなぁと思う。画家になるのに、かっての芸大型アカデミズム教育のメソッド(方策、教授法)を否定するのなら、その代案をださなくてはならない。そして、その新しいメソッドも旧メソッドよりもいい結果を出した時にはじめて意味があるのだ。代案もなく「好きなように、あなたの感覚のまま行きなさい」と言われても、何を、どうしていいか途方に暮れるばかりだろう。

世界中の人間のなかで、氷の上で四回転も出来る奇跡のような人がいる。人間は、「四回転ジャンプ」は可能であるが、自然のままでは絶対にできない。四回転ジャンプを飛ぼうと意志しないと、そしてそれにそった練習をしないと不可能だ。スケートはできても、四回転ジャンプはできない。意図して、負荷をかけてそのベクトルのもとに行動する人だけがかろうじて可能になるのだ。ただ滑っていてもできない。偶然にもできない。世の中のすべての出来事がそうで、名誉もお金も権力も、もちろんいい絵を描こうということも、それぞれの目標に努力する人の一部がそれを為すのだ。目標のベクトルに向かって努力無しに、何もなく漠然と生きていては何事も達成できない。

四回転ジャンプをとぶためには、第一に、まずスケートを滑れなければならない。画家でいえば、それが石膏デッサンや人体デッサンなどの基礎の習得。世の中のすべてのものは、段階を踏んでベクトルを上がっていく。描く道具だけ与えておいて、自然とできたりすることは決してない。僕はほとんど独りで、先生には教わらなくても先人の画家達の滑り方を研究して段階をふんでここまで来た。その共通の基礎がデッサンであって、それなしに「好きなようにやりなさい」なんてそんなのはおかしい。

画家を志して、誰もが最初に出会うのは石膏デッサンだろう。僕は、高校生の時に美術クラブに入っていた同級生の石膏デッサンを見て驚き感動し、その後美術クラブに入部してその面白さにのめり込み、画家の道へと進んでいった。石膏デッサンは人間の目の、物の見方、見え方の不思議さを、目と意識がどう繋がっているかということを知る最適な練習なのだ。「見る」ではなく、目が「見える」とおりに描くということは、簡単そうでいてなんと難しいのだろう。これは画家の、対象の見方の大切なエクササイスで、短期間でもいいから一度は通過しなくてはならない。

物を見るのに、記号でつかまえにいかない、目と意識を切り離して、目を独立させる。すべての属性を取り払った石膏の白い塊にあたっている光の階調のみを追って描画する。顔とか、目とか、着衣とかの記号での認識を、意識的に遮断する。この見方は、人間がナチュラルにやっていたんでは一生できない、画家になるためのすばらしいメソッドなのだ。少なくとも僕には、人生の分岐点に出会って、画家の見方に開眼した大切な基礎なのだ。

しかし、スケートを滑ることができて、毎日滑っても、一生滑り続けても、四回転ジャンプはできない。まず一回転、そして二回転、三回転と進んで初めて四回転ジャンプが可能で、途中をはしょって一気に四回転なんてできるわけがない。順を追ってステージを上げていく必要がある。大学受験をパスしても、絵が描けるとはいえない。

画学生として勉強しているときに、最初に訪れる分岐点が、対象をありのまま見える通りに描写する、という段階をステップアップするときだ。そのまま、「見える、見る」という問題にこだわって光の描写の印象派に進むのが正解だが、それに気が付く人は少ない。リアリズム(対象を実体存在としてとらえる)から印象派(対象を光の関係存在としてとらえ表現する)。絵具で光を描写し、光を錯視させるのは至難の技で、それが氷上での回転のベクトルの始まりなのだ。

大抵の人は、いざ対象の描写という外側の羅針盤を失ってしまうと、一足飛びに「自分」になって、描写から表現の方にベクトルを変えてしまう。造形は表現ではなく、卑小な自分など関係ないのだ。画面の美しさのスケール(物差し、判定尺度)は自分の外側にあるのだけれど、最初の、「見えた通り」という描写のスケールを見失ってしまった時に、先生に「絵画に定見はないのだから、あなたの感覚のまま自由に約束事を解放して描きなさい」というような事を言われると、とたんに進むべき勉強の方向が分からなくなってしまうのは必然であろう。

一生スケートを滑り続けても、スケートを滑るのは上手くても、四回転ジャンプはもちろん一回転ジャンプも出来ない。一生涯、毎日スケートを滑っても、ただの「スケートが上手い人」ならば、一般の、趣味でスケートを滑っている人とあまり変わりはない。そうしたからといってなんの見返りがないので年齢的に間に合わない人、家族思いで生活第一の人には酷な話で耳をふさいで貰いたいのだが、これからの若い画家には言いたい。「人生を芸術にかけたのなら、四回転ジャンプ(モネ、セザンヌ、マチスの方向)に挑戦しろ」と。これが、「絵にはこうやれという定見はない」に対する僕の定見だと。

●何故あるのか

 以前ラジオできいた話だが、いわゆる記憶力というものは三つの力が必要で、まず当然第一に記憶を作る能力、第二に記憶を維持する能力、三番目に記憶を思い出す能力。年をとると記憶力が悪くなる、というのはじつは第一の記憶を作る能力が落ちるせいなのだそうだ。つまり、老いると、ぼんやりと日常生活に頽落して生きている。そして、ゆくゆくは誰もが「どうせ死んでしまう」。この理(ルビ、ことわり)は、歴史もそう、ものごとの存在もそう。仏法ではこの世界の在りようを、諸行無常、諸法無我,涅槃寂情の三法印としてとらえている。僕は、63年間生きてきて、一点を除いてはそのとおりだと思う。時間的には「諸行無常」であるし、空間的には「色即是空」であろう。ところが、竜安寺の石庭を見よ。造るのも大変だけど、維持するのも大変だよ。五〇〇年以上時代を超え、状況を超え、営々と維持し続けたんだよ。金も人も、維持する為にエネルギーを投入し続けたんだよ。マイホームの小さな庭の草取りだって大変だろ…。

それは、存在が絶対や普遍に近ければ自然と残っていくのだ。そのものが、超越(真・善・美)に届いていれば残るのだ。ほとんどのものは、人も、家庭も、会社も、町も、盛者は必衰だし、生あるものは必ず死ありだし、形あるものは必ず壊れる。でも、この世界を貫くすべての物は「諸行無常」「色即是空」の理に支配されるとしても、「諸行無常」「色即是空」という理は無常なのか、空なのか。

奇跡はたくさんある。何人かの画家たちは筆と絵具だけで宝石以上の美しい平面をつくったし、また人間はそれを残し続けたし残った。ピタゴラスもソクラテスもカントもニュートンもアインシュタインもキリストも釈迦も色あせずに世界に存在し続けている。《世間に忘れられた無名の人でさえ、どこかに残っている。「父上のご慈愛は、子、嫁、孫に、樋をかけて送られていた清い泉であった。その泉をのみてわれら生きたりき。その泉いま涸る。されどその泉、影として記憶のなかに湧きつづく。その記憶の保持者たるわれら死なば、われらの遺せるあらゆるものの中より湧きつぐべし。」この美しい詩のような文章は、高群逸枝(1894~1964)が九州の親戚の葬儀に送った手紙のなかの文章です》

世界は諸行無常なのに世界の存在(横にヽ)はどうなの?宇宙は一度も消え去ったことがないではないか。べつになくてもいいのに何故「在る」のか、在り続けるのか?……その「存在」の内に真・善・美がある。その「存在」の時間の内を真・善・美が貫いている。僕はそれを信じている。

●何故あるのか

 以前ラジオできいた話だが、いわゆる記憶力というものは三つの力が必要で、まず当然第一に記憶を作る能力、第二に記憶を維持する能力、三番目に記憶を思い出す能力。年をとると記憶力が悪くなる、というのはじつは第一の記憶を作る能力が落ちるせいなのだそうだ。つまり、老いると、ぼんやりと日常生活に頽落して生きている。そして、ゆくゆくは誰もが「どうせ死んでしまう」。この理(ルビ、ことわり)は、歴史もそう、ものごとの存在もそう。仏法ではこの世界の在りようを、諸行無常、諸法無我,涅槃寂情の三法印としてとらえている。僕は、63年間生きてきて、一点を除いてはそのとおりだと思う。時間的には「諸行無常」であるし、空間的には「色即是空」であろう。ところが、竜安寺の石庭を見よ。造るのも大変だけど、維持するのも大変だよ。五〇〇年以上時代を超え、状況を超え、営々と維持し続けたんだよ。金も人も、維持する為にエネルギーを投入し続けたんだよ。マイホームの小さな庭の草取りだって大変だろ…。

それは、存在が絶対や普遍に近ければ自然と残っていくのだ。そのものが、超越(真・善・美)に届いていれば残るのだ。ほとんどのものは、人も、家庭も、会社も、町も、盛者は必衰だし、生あるものは必ず死ありだし、形あるものは必ず壊れる。でも、この世界を貫くすべての物は「諸行無常」「色即是空」の理に支配されるとしても、「諸行無常」「色即是空」という理は無常なのか、空なのか。

奇跡はたくさんある。何人かの画家たちは筆と絵具だけで宝石以上の美しい平面をつくったし、また人間はそれを残し続けたし残った。ピタゴラスもソクラテスもカントもニュートンもアインシュタインもキリストも釈迦も色あせずに世界に存在し続けている。《世間に忘れられた無名の人でさえ、どこかに残っている。「父上のご慈愛は、子、嫁、孫に、樋をかけて送られていた清い泉であった。その泉をのみてわれら生きたりき。その泉いま涸る。されどその泉、影として記憶のなかに湧きつづく。その記憶の保持者たるわれら死なば、われらの遺せるあらゆるものの中より湧きつぐべし。」この美しい詩のような文章は、高群逸枝(1894~1964)が九州の親戚の葬儀に送った手紙のなかの文章です》

世界は諸行無常なのに世界の存在(横にヽ)はどうなの?宇宙は一度も消え去ったことがないではないか。べつになくてもいいのに何故「在る」のか、在り続けるのか?……その「存在」の内に真・善・美がある。その「存在」の時間の内を真・善・美が貫いている。僕はそれを信じている。

第1章 第2章 第3章 第4章 第5章

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-テキストデータ, 芸術の哲学
-

執筆者:

関連記事

(69)必須の色だった「白」

(69)必須の色だった「白」(244頁) 僕の絵は、どこかに必ず真っ白のパートを入れる。具象も抽象も含めて、真っ白なパートを入れなければ駄目だと思っていた。キャンバスの地のホワイトを残すのが一番いいの …

【全元論】ー画家の畢竟地ーインデックス

◉目次 ■ 【全元論】ー画家の畢竟地ー 全文 ■ 各章ごとの目次 まえがき ⑴ 「全元論」という言葉が現れるまで(6頁) ⑵全元論とは何かー「香嚴撃竹(きょうげんげきちく)」(10頁) ⑶而今、現上、 …

(35)メンコでの駆け引き

(35)メンコでの駆け引き(108頁) メンコ(僕の地方ではパッチンと呼んでいた)でも、それぞれの技術を競う。手の技術と、ゲーム全体の考え方。技術の問題として捉えるのと、もう一方で、上着の下のボタンを …

(27)僕は間に合わなくてもいい

 (27)僕は間に合わなくてもいい(124頁) 生きとし生きるもの、動物だけでなく、植物も、物も、万物は因と縁で今ここにこのように現成している。そして、幸運にも自分たちは、世の中で、シャケで言えば一腹 …

『般若心経 金剛般若経』中村 元・紀野 一義 訳注 岩波文庫

『般若心経 金剛般若経』中村 元・紀野 一義 訳注 岩波文庫 般若心経 ■全知者である覚った人に礼したてまつる。 求道者にして聖なる観音は、深遠な智慧の完成を実践していたときに、存在するものには五つの …