『画中日記』2010年
2010.01.13
新年最初の「画中日記」です。1月3日の「読書ノート」に載せた色川武大に続いて、今寝る前に読んでいる本は黒澤明の特集本です。読み終わったら、当然「読書ノート」にアップしますが。新年にふさわしい文章があったのでとりあえずここに記します。 「芝居なんて、そんなに急に、上手くなるもんじゃないんだ。薄い紙を重ねていくと、分厚くなるだろう。一枚一枚は薄くても、毎日、重ねていく。気がつくと、それだけ、分厚くなってる。芝居もそれと同じでね」 晩年の映画『八月のラプソディー』の孫役の女優にむかって黒澤明が言った言葉で、画もそれと同じです。 2010.02.05 ワシオ氏との詩画展が終わり今は次の絵の制作にはいっています。ギャラリー絵夢でのギャラリートークには7~80人のひとが聞きにきてくれて、嬉しくて舞い上がってしまいました。だって、落語の『寝床』の大家の義太夫を7~80人のひとが聞きにきてくれたんだよ。これが喜ばずにはいられますかッテンダ!! 『ギャラリー』誌の「起詩回生」のページは2ページから1ページになりましたが、今年もう1年連載され、来年も詩画展の話が持ち上がっているようだけれど、僕はこの企画には消極的になっています。ふたりの共通の知人(おもに画家)と画廊で話す場合に、自己規制がかかり、欲求不満になってすぐに態度にでてしまうのです。若い時からトンガって生意気に生きてきましたが、還暦を過ぎたらそういった場に出ないし、そういった場を作らないというのが近年のポリシーで、残された貴重な時間を地上の問題の反省などに煩わされたくありません。ワシオさん、ごめんなさい。 2010.02.15 先日、詩画展のときに新宿の紀伊国屋で買った『セザンヌ』ガスケ著(與謝野文子訳 岩波文庫)を読み終え、今【読書ノート】に抜き書きをパソコンのキーボードで打ち込んでいます。この本は、2009年2月に【読書ノート】にすでに載せている『セザンヌとの対話』の全訳本です(訳者も出版社も別)。訳がよくこなれてわかりやすい文章なので、重複するところも一部ありますが、近日中にアップいたします。 セザンヌが風景画を制作中激しい雨に打たれ、それが原因で死んだのが67歳。私も来月には64歳で晩年のセザンヌと同じ歳頃ゆえに、若い時と違ってエピソードやセザンヌの言葉が身にしみ込みます。「今一層頑張らねば!」と、励まされ、またおもしろく、たいへん勉強になる、画家はもちろんですが一般の男性老人にも必読の本だと思います。 2010.02.16 今朝のラジオで、オバマ大統領と鳩山首相の就任演説の比較を、武田鉄矢がしゃべっていたのを聞いていて、異論がうかんだ。私の解釈では、オバマ大統領と鳩山首相の就任演説の違いの原因は、国民の世界観、歴史観の違いだとおもう。世界の各国の国民はそれぞれの世界観と歴史観をもっている。アメリカのように自分の家も、自分の町も、自分の国も、自分たちでつくったという、つまり人間(自我)中心主義の世界観、歴史観と、人間の外側に超越を措定する国民の世界観、歴史観の違いだ。 日本という国は他の国にない特徴を持っている。国内の戦争はいつも内戦であって、他国との戦争では元寇の役と第二次世界大戦の沖縄での局地戦が、たった二度の地上戦である。世界史をみてもそんな国は他にない。日本という国家は、町内会や宗教団体や血族集団が大きくなったものではない。ところが世界の他の国は、争って勝ったそれらのコミュニティーが大きくなったような歴史をもっている。だから、土地も法律も国家も、自分達のコミュニティーがそれらをつくった、というように、国さえも相対的に考えている。日本人の感覚では、日本という国は、過去からずっと存在しているものだし未来も存在し続ける、自分の外側にある社会集団の最上位にあるものだと措定している。日本は、自分、家族、地域社会、会社などの職業集団、宗教団体、民族、国家というように自分を取り巻く空間がきれいに同心円をえがいていて小さい円が大きい円の外にはみださないで生きていける環境の国だ。他の国の人は、それぞれの円の中心がずれてはみだす部分が多く生き方の基底に何を置くかがむつかしくて、それぞれの空間同士に軋轢がうまれる(例:宗教、民族、思想、経済、家族)。国家が超越的存在でないのならば、国家内で宗教、民族、思想、経済、家族、個人、の間の争いは避けられない。日本人は国を宗教よりも上位ととらえている人や、自分で気付かなくても国を超越だととらえている人が多いので問題は少ないが、互いの超越同士の争いや、超越を持つ人と持たない人の争いは調停できない。 つまり、オバマ大統領の演説はおなじような世界観、歴史観(人間中心主義)の人たちには感動的であるのだが、異なる世界観、歴史観(超越的実在論)の人たちからみれば「いいきなもんだなァ」とおもわれるにちがいない。日本の歴史上の権力者が人を感動させるような演説や文言を残さなかったし残せなかったのは当然といえるし、そういう国の国民は幸せなのです。 2010.03.02 昨日、『セザンヌ』ガスケ著 與謝野文子訳 岩波文庫を【読書ノート】にアップしました。書き出す文が多くて、何日もパソコンのキーボードにかかりきりだったのだが、打ち込んでいるときに、100年前のフランスの天才の肉声が聞こえてくる感じがして、よくぞガスケがこういう本を残してくれたものだと、後世の東洋の一画家は感謝にたえない。 画家はアトリエでの孤独な作業なので、周囲の反応がはかばかしくないときには気分が落ち込み、自分の画のベクトルに不安になることもある。マチスでさえも「私が間違っているならば、セザンヌも間違っている」という言葉を残しているくらいだ。若い時には理解できなかったセザンヌの言葉が、今回は私が年齢を重ねたせいか、先輩の画学生と会話しているかのように身近に、身体に沁み込んで理解できた。長い間、たったひとりで勉強してやっとたどりついた現在の私の絵画のコンセプトが、セザンヌの言っている言葉のそこここに見受けられるということに、自分の目指す方向に間違いないという自信がわく。〈美〉が北極星だとしたら、セザンヌは画家にとっての羅針盤だ。「私が間違っているならば、マチスもセザンヌも間違っている」 2010.03.04 近年、具象の作品で虹を描いている。『芸術の哲学』のカバーに使った「光時」のという作品は、最近「捻光」という題名に変え、色ちがいで数点描いた。その「捻光」を虹にして「捻虹」という題名の作品のアイデアを思いつき、M8号でその題名の最初のタブローを描き終えた。 パソコンが使いこなせるようになったおかげで、ネットでプリズムを購入し窓辺に置いていると、冬の日差しでアトリエ内の思いがけない場所に虹が出現する。それを見ていて、まだ作品はこれから描くのだが、題名が先に浮かんで絵のイメージが出来てしまった。その絵の題名は「天使のらくがき」。「天使の○○」という言葉はいくつかあるけれども、思いがけない場所に、アクリルやガラス製品のプリズム効果で虹ができる現象を「天使のらくがき」というのはどうでしょうか。今後その言葉が巷に広まれば、命名者は私です。絵は近日中に描き始めるつもりです。 2010.03.23 千葉高の美術クラブの先輩で、芸大(彼はデザイン科)では同級生だった澁江氏が、偶然私の昨年の銀座の個展に出くわし会場で再会した。その時でた話から落款を頼みそれを使っていたのだが、新たに、前から考えていた雅号「岬石」を絵とペンネームに使うことに決め、彼に改めて「岬石」の落款を作ってもらった。今後、キャンバスや紙の裏に書くサインは「岡野岬石」にします。そのことの意味や理由はおいおい【画中日記】に書こうと思います。 2010.03.23 一昨日、『ルノワール展』を観に新国立美術館にいってきた。画面は光に満ちあふれ生の肯定感にあふれている。近年、川村美術館や池田20世紀美術館で現代美術の記号で制作するファクトリー絵画の大作の中のルノワールの小品の光かがやく美しさに、イーゼル絵画の方法論の正しさに気付いていたところなので、タイミングよく実物をみることができてありがたかった。昨年の『セザンヌ展』といい、今回の『ルノワール展』といい、日本人ほど印象派の絵画を好きな国民はないだろう。多くの観客が100年前のフランスの画家の絵の美しさに堪能している様子をみると、日本人の美意識の確かさに「ああ、日本は大丈夫だ」と安心する。一般の日本人の美意識はすばらしいのに比べて日本の画家は趣味のサークル的自己満足の世界におちいっている。これはもちろん自分にもいえることで、来年は小豆島に住んで、外にキャンバスを持ち出して、イーゼル絵画の原点に立ち返ってみようとおもう。 2010.03.26 本日、【読書ノート】に『オディロン・ルドン』本江邦夫著 みすず書房をアップしました。ルドンとドガの絵は印象派の点描や筆触分割の技法とは違う技法で絵を光らせている。とくにルドンの画面はは、モルフォ蝶の燐光や曜変天目茶碗のように神秘的に発光している。この技法は以前から私の絵に参考にして使っているのだが、そして、ルドンの実作の情報を期待してこの本を神田の古本屋の『源喜堂』で手に入れたのだがは、文学畑(魚類学者)の人のアプローチで、たいへん労作であるのだが、画家(漁師)のための情報は少なかった。私が最初にルドンの絵を意識したのは高校時代に美術雑誌の『みづえ』に載っていた風景の作品(『スペインの街』)だったのだが、その時から現在に至るまで私の目が惹かれるのは、モチーフとの直接性ないし交感を重んじた風景や花の描写的作品で、文学的、ロマン主義的な内容(内面世界の表現)には今も格別の興味は惹かれない。本の中で、ルドン自身、自分の仕事をセザンヌの仕事と相容れない正反対の位置と考えていたことを知ったことは非常に参考になった。 2010.05.07 いよいよ、東伊豆の片瀬白田での最初の作品にとりかかりました。おあつらえむきに家のすぐ裏が大家さんの夏みかん畑で、まず手始めに10号2点を描きはじめました。画学生の時以来のイーゼル絵画で、調子がでるまで少し時間がかかりそうですが、明るい陽光の下で筆を走らせていると、まるで「干天の慈雨」のごとく、美しい光がジュンジュンと目にしみ込んでくるのを実感します。天気もよくて画家にとっての至福の時間でした。【目の洗濯(片瀬白田だより)】 2010.05.07 「画号(画号という単語は辞書にはありませんが、私の造語です)のヨミは「こうせき」です。画号をつけたのは、『真・善・美』は「超越」でそれにかかわる人の実存とは関係ないという、私のコンセプトの象徴です。「ピタゴラスの定理」はピタゴラス本人の実存とはなんの関係もありません。「真理」がそうであるならば「美」も同じ。近年それに気付いたので、また江戸時代の武士が年齢や状態によって名前を変えてきたきたことや、かっての日本の画家や文人の例に習い、ここにきて私の画号を「岬石」にしました。岡野岬石の絵は岡野浩二の実存と一線を画する、という意志と、またそのことのシンボルです。今後完成したタブローのサインも漢字で岬石と書き入れます。」(画商Y氏のメールへの返信メールから) 2010.05.17 今週は、向って左のF10号の作品を現場で描き、先週描きはじめた真中と右の作品に手を加えた。 キャンバスを外に持ち出すと、油絵具がイーゼル絵画に向いていることを実感する。最初はアクリル絵具でスケッチしてからその上に油絵具で書き加えようと計画していたのだが、実際にやってみると直接陽の当たるパレットの上のアクリル絵具はすぐに乾いてしまい、描画を無理矢理急かされてしまうのだ。早々にアクリル絵具を油絵具に替えた。そして筆は豚毛の平筆が一番描きやすい。 ナンだ!結局は回り廻って画学生の頃の方法が一番良かったんじゃないか。【油絵具はスグレもの(片瀬白田だより)】 2010.05.21 19日(水)は午前中先週の画に手を入れ、午後から次の画のモチーフ探しに、白田と稲取を山越えで結ぶトンネルの手前のハンの木沢まで自転車で出かけた。肩に掛けているのは愛用のフィルムカメラ(ニコンF4)と交換レンズです。キャンバスを外に持ち出して絵を描くにはイーゼルを置く場所の設定をクリアすることが条件になる。近景に遮蔽物が無く(だから森や林の中はかえって画にはなりにくい)眺望も良くて、イーゼルと画家の立ち位置の前後が平坦な場所は、昔のように道路上にイーゼルを立てるわけにはいかないので車社会の現代では限られる。それと、実際に描いてみなければ気付きにくいが、ヤブ蚊やアブの多い場所や強い風も悩ましい。 そんな中で今回は、いい場所が見つかったので来週天気が良ければ描きに出かけようとおもう。うまくいけば来週のこのページにその絵を載せます。【ロケハン(片瀬白田だより)】 2010.05.28 今週の【片瀬白田だより】をアップしました。 電車の中で読んでいた『(仏教の思想2)存在の分析〈アビダルマ〉』(角川ソフィア文庫)を読み終わったので近く読書ノートにアップします。 2010.06.04 6月2日の片瀬白田は、天気が良かったのでちょっとのつもりで取材に出かけたのだが結局1日つぶしてしまった。写真は廃隧道の「白田隧道」で、白田と稲取をさえぎる友路(トモロ)岬を3つの隧道で抜ける海岸沿いの旧国道の白田寄りのトンネルの入口で、この道は昭和53年の伊豆大島近海地震による崖崩れで廃道になり今はその後の荒廃によって3つのトンネルのうち2つのトンネルは土砂で塞がっている。ここまでは、薮がひどくて行けないとおもっていたのだが、意外と簡単に行けて現場に立てて興奮した。車が入れる行き止まりの平坦な眺望のいい場所で、来週天気が良ければイーゼルを立てようとおもう。 そもそもこの場所は、ネットの検索で片瀬白田あたりの風景の画像を調べていたらヒットしたもので、古道、廃道、廃隧道で有名なサイトで(「下田街道」、「やまいが」。自分で検索してみて…面白いよ)、パソコンのおかげで、昔と違って簡単に情報が手にはいる。昔から風景の取材で日本全国を歩きまわったが、今密かなブームになっている廃墟、廃道、廃隧道、廃鉄道の画像が、私の過去に訪れた場所の無意志的記憶と重なりあう。一部の人しか知らなくても、なにも関係のない赤の他人でも、過去の時間の実在性は、自身の無意志的記憶とシンクロして感覚を激しく揺さぶるのであろう。 【古道、廃道、廃隧道】 2010.06.11 9日の片瀬白田は曇りで時々パラパラ雨が降ったので、室内で以前の絵に手を入れてⅠ日をすごしたが、翌日は天気がいいので、午前中友路(ともろ)岬を望む廃道上にイーゼルを立てた。緑の岬の地肌が見えている下に廃隧道の白田側入口があるのだが、そして廃道の右上を新道が通っているのだが、そこからの車の音が聞こえるホンのすぐ近くの美しい風景のなかで、初夏の光に包まれて絵を描いていると不思議な感覚におそわれる。 子供の時から何度も経験した世界の見え方で、世界は薄い半透明な紙の重なったようなもので、1枚1枚が違った時空をもっていて全体は一つである。たまたまちょっとこの世界の中の、場所が違ったりルーティンが変わると、そこには又違う時間と世界がある。そうすると、日々の日常生活でない世界が、無数にあるわけで、ちょっと場所をかえたり行動をかえたりするだけで、空間と時間が変わってしまう。何か不思議な感じ…。世界というのは一つでありキッチリと同時に動いている、という日常の感覚とは、異質のものだ。この今流れている時間も空間も、人の数だけ同時に存在していて、一人一人のすぐ横に可能的な時空がたくさんあって、タマタマその時空の一つを他の可能的時空と一緒に生きている。ちょっとサイドステップするだけで、簡単に世界が変わる。 例えれば、人生は電話帳のようなものだ。たまたま開いたページの人生を生きているが、同時に、ページを変えればそのページの人生が開けてくる。幸運も、不運も、死さえも、可能的時空のページを、「今」、「ここ」、のすぐ横に抱えながら生きている。…という事は、現実が絶対ではない。今、ここ、の生活はタマタマの事なのだ。ページを変えれば新しい時空が出現する(もちろん、おおきなリスクと金銭的肉体的負担をともなう)。 そして、昨日のような美しい風景と光のなかで、無心に筆を走らせていると、まるで仏教の三昧の境地のようで、実存から解脱して幸福感に包まれる。世界は美しく人生は生きるに値する。そんな時空がキャンバスに変換、定着できればなぁ…。いや、しなければならない…するのだ!! 【Everything’s gonna be alright】 (Everything’s gonna be alright Everything’s gonna be alright すべてはうまくいくさ きっとうまくいく。ボブ・マーリー「ノーウマン、ノークライ」の歌詞の中より) 2010.06.12 今日の朝食後、タバコを吸いながらボンヤリ自分の絵を眺めていて突然大変なことに気付いて、いそいでこの文章を打っている。あくまで、まだ覚え書きで、これから考え続け、またキャンバス上で仮説演繹法で実践しなければ結果はでないが、とりあえず忘れないようにここに記しておこう。 (1)世界は特異点を持たない。 (2)世界はオールオーバーである。 世界存在の(1)をキャンバス上に変換しようとすると〈線〉とモノの〈輪郭〉が、(2)は地と図、キャンバスの塗り残しが問題になる。 【世界は特異点を持たない】 2010.06.21 総合(シンセサイズ)と分析(アナライズ)。全習法と分習法。抽象と具象。 【メモ】 2010.07.10 個展はいよいよ明日まで。今度初めての試みである、毎日個展会場でのギャラリートークは楽しかった。講演はすべてICレコーダーに録音してフラッシュメモリーに保存した。H田さんに大きな容量のファイルが送れる「宅ふぁいる便」を教えて貰ったので聞きたい人は私にメールしてください。お送りします。 小中の同級生のA川君から毎号送られてくる『創文』(創文社の刊行物の案内の小冊子)の表紙の裏に毎号「時空の交差点」という題のコラムがあるのだが、その言葉から思いついたこと。時間、空間は存在の要素ではあるが、二つには分けられないので「時空の交差点」というものは存在しない。「時空の切断面」というべきで、その切断面の描写がイーゼル絵画の目指すところではないだろうか。 【時空の切断面-1】 2010.07.19 「時空の切断面」の描写とイーゼル絵画ということの全体をイメージすると、論旨は結構重要な問題に膨らんでいく。時空の全体をハムの塊とイメージすると、ハムの切り口を描写するということで、切り口は横である。それをキャンバスを立てて横に見る。人間は世界をナチュラルには横に見ていて、横の像の切り口を見ているのである。ハムや食パンの塊を縦に切ったものを見たことがないし、人間を描いた絵で縦に(頭や足からの方向から)描いた絵は少ない(ピカソの絵に一点ある)。「時空の切断面」の描写というイメージは、伊豆でのイーゼル絵画の意味の重要性がくっきりと浮かび上がってくるし、表現や意味性の絵画、つまり『しゃべくり絵画』のピントはずれの勘違いがあらわになってくる。 【時空の切断面-2】 2010.07.26 昨日、アートヴィレッジのH田さんから同じくアートヴィレッジのO知氏が6月27日に私のアトリエに来た時の雑談をICレコーダーに録ったものを文章におこしたものをメールで送ってきてもらった。これを下記にアップします。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 〈O)…越智発言。 他は岡野の話〉 これを、音声のテストにしよう。 テープと違ってパソコンに保存できるから。 昔みたいにカサを取らないから。USBに保存しておけばいいから。 気にしないで入れておけばいいや。 O)音楽も本も、近ごろみんなデジタル化していますね。 何年か前に新潟の人が来て録音した。竹内さんという人。 それをダビングしたテープがあるのだけど、何年かぶりに聞くと面白いね。 違うこともあるし、しかし、延々と(テーマが)繋がってきているから面白いね。 こういうことは本と同じで、日記と同じで、取っておこうかと思う。 O)(個展に)「毎日、行くわけですね。 そうそう、誰も居ない場合は、ギャラリー仁家の小沼氏に「お前、聞け!」と言って。 寝床の番頭と同じで。逃げても、それでもね。 O)これらを見ると、作品が変わってきたかなと… いや変わっていない。意識は変わったけど。 これが虹になったわけだ。 これ見た? 少し前にまだ岡野浩二のころの。今年のだけど、こっちはメビウスの輪の。 こっちは光の虹。ブルーも描いているけど、こっちは虹で。 4箇所、こっちは3箇所。 それで5月からね、東伊豆の片瀬白田という所に小さい借家を借りて週に半分、火・水・木とそっちで描いていた。 2年くらいは借りようと。まあ、場所はそのうち変わってもいいし。 あとは状況次第だね。絵が売れればそのままでいいし。 「稲取」と「あたがわ(熱川)」の間。下田のちょっと前のところ。 O)(下田の)ちょっと前と言うと、かなり南に行くのですね。 下田というのは、勘違いしていたけれど、先端じゃない。 だいぶ東のほうなんだ。先端まではまだ、だいぶある。 O)途中に観光地がありますね。 あそこは、二箇所あってね。熱海と伊東の間と、熱川のあいだと。 小さい街で、駅からは歩くとちょっとある。2キロくらいで、歩いても行ける。 O)週に半分ですか。 イーゼル絵画をやるんだ。ブログに全部書いてあるんだ。 片瀬白田日記と言ってね。 O)ブログ読んでから来るんだったな。 (HPの写真を見ながら) ここは金網が貼ってあって。ここはトンネルになっていて。 外で描くと難しいんだよ。場所が。 どうしてかというと、イーゼルを立てる場所とか。引きがないといけないし。 虫とか風とかいろいろあって。昔のように道路では描けない。 ロケハンをしっかりしないと難しい。 それと、最初はね、アクリルで描いてから油にしようと思ったけれど、 アクリルは外で描くとすぐに乾いてしまうから、忙しくて、 もうこれはすぐダメだと思って、油絵に変えた。 下絵を水彩でスケッチしてではなく、ダイレクトにキャンバスに油を…。 昔の方法が一番いいんだ。 すごいもんだね。豚毛ので、こうやるのがいい。 アトリエ絵画とはだいぶ違う。 O)楽しいですね イーゼル絵画に尽きるな、やっぱり。この前ルノワール展があった。 その前に横浜のセザンヌ。あれらを見ると圧倒的だもの。作品の美しさが。 現代絵画とか、アトリエで描くコンセプチュアルアートとか。 実際に目の前のものを描写する絵と、意識を使う、つまり記号を使ったりするけれど、それは全く違う。 ルノワールとかセザンヌとかを見ると、どんなに言われようとも芸術はこっちだ…と。 それで、急きょ、色々考えて、小豆島に行こうかなとか、福江島とか。 でもそうなると大変だから、まずは安い借家ならいいからと借りたわけ。 そうすると面白い、面白い。 日光、光を前にすると、そういう色んなことなんて飛んでしまうね。 芸術の、コンセプチュアルというか、脳を使う前に「目ん玉」を使う。 (目は)認識の一番前、肉体の初期のもので、それが芸術だなと思う。 他のもいいけど、ヒエラルキーが落ちる。 セザンヌヤルノワールを見ると、やはりね。 O)国立国際でルノワールやっている。 ああ、まだやっているだろうね。 O)新刊の本を持ってきました。 おお、虹色じゃないの。 O)歴史学者が書いたから史実に忠実です いま白田に行くのに、ロケハンも含めて情報を得るために検索していたら、「下田街道」というブログと「やまいが」というブログがあって、それは「山さ行がないか…」という略。マウンテン自転車で古道や廃道の、そんなところに突っ込んでいて、写真と経過の文章で、それがとても面白い。 下田街道のほうは下田の先生がやっていて、古道や、石の石彫場というのか、鉱山のあるところを、かなり克明に描いている。ブログだから、つまり、なんになるの?というと、何にもならないけれど、面白いからやっている。 いまそれが、ブームだよ。 廃墟ブームも含めて、鉄道は廃線。あれはメジャーになるな。 最近、本が出ている。ブログを見ると、そういう本が最近出ている。 灯台は灯台で、全国の灯台を全部回ってい人がいる。 昔、僕がやったことと重なる。昔と今という比較があるし。 前、神威岬をよく描いていた。北海道に行ってすぐのころ。 あそのにはトンネルを通っていく道と、山の上の道とがあって。 トンネルの道は、昔、燈台守の家族が住んでいた。それで波が高くて何かの事故があったらしい。家族が子供とかが亡くなった。それで、トンネルを人力で掘って、通れるようにした。 そのトンネルが、そういう経過で、途中でまだ曲がっていたりしたが、今では通れなくなっていた。たぶん通れるけれど、万が一の時に責任問題があるから、通れなくしている。 山側の道も、行く人はまあ、自己責任で行くわけだ。 なぜ面白いかと言うと、道というのは、ものすごく人生に似ている。 以前に『杣径』にも書いたが、ものごとというのは、関係の輪を外れるとだめになる。 作るのも大変だけど、維持するのが大変なんだ。 あっという間に、無化してしまう。 使わなくなったら、廃墟と同じで、廃墟も美しさはほんの一瞬で。何年後かにはもう…。 軍艦島のこともずいぶん調べたけれど、今は全然だめ。いま解放しているけれどだめだ。 生活のある美しさとは違う。 だからサッカーでも、こんどの「はやぶさ」でも、あれを作るのも大変。 現実に「なせ!」ということ。 たとえばあなたが、「あの惑星に行って、あそこの砂を取って来い。予算はいくらでもつけるから…」と言われても、受ける人は少ないだろう。やらしてくださいなんて言う人はまず少ない。 道路でも同じで、橋をかけるとか、トンネルを作るとか、ビルを作るとか、それを上の人が取ってきて、「君、設計ね」なんて言われたらたら、道路なら線を引き、水が出たらどうするかとか、全ての人がサッカーと同じで、完全に仕事をこなさないと、いけない。 「いや~失敗しちゃった!」なんていえない。 「ネジ。ちょっと、これ… いいや!」なんて、言えない。 一人ひとりが、サッカーのゴールキーパーから、全員、監督から、一人ひとりが完璧に仕事をこなさないと、力を持っていないと、ものごとは成就できない。 道路一本もできない。建築もできない。 そしてやったからと言って、そのまま放置すると、さっき言ったようにすぐに廃墟になったりする。すぐに自然は廃道になる。自然は、がけ崩れとか、岬の回していくところが地すべりとか、そういうのがつき物だから、メンテナンスが必要である。 そういうことを経て、現実の日本がある。 だからブログを見たり、道路の現実とかを見ると、いまの日本は凄いね。 そういう人たちが道を作り、あるいは鉄道を作り…。 あれぐらいの事故でね、この前、中国であったらしいけてど、線路に石が一個あっただけで、脱線したりする。道だって、ちょっと何かあったって事故になる。 それなのに、何もなく行くということは、それは素晴らしいことだ。 はやぶさでもサッカーでも、凄いことだ。 しかし、これも放っておくと、すぐダメになる。 ここで予算をカットすると、すぐに情報が拡散して、また一からになる。 絵でも、人生でも、会社でも、本でもなんでもそう。 作るのも大変だけど、過不足なくみんなが仕事をして、やっとできる。 しかし、維持・発展させるのはもっと大変。 これはすべてに言えるね。 エネルギーと情熱を、ずっと持ち続けなければ国でもそうなる。ギリシャも。 ドイツもあれだけの音楽家が出たのに、いまどうなっている? 中国も、陶器とかあれだけの文化を持っていたのに。 陶器といえば中国のはずだったのに、いまどうなっている? フランスだって、絵画と言えばフランスだった。 ギリシャの哲学もどうなっている? 作るのは、その時代の天才が作るが、それを伝承するのはもっと大変。 現実に描いて、風景を見ていると、もういま、みかん畑なんか、手が入らなければ、草だらけというより、すぐに病気になってしまう。 下がはげて、上だけちょっとあるような夏みかん畑。 田んぼもそうだし、家もそう。もちろん、脳の中もそう。 体も、脳の中も。だから、頑張らなくちゃ! 維持するだけでも。 放っておくと、必ず、退化する。エントロピーの法則に支配されるから。 O)伊豆までどれくらい? 大磯まで行って、そこから車で。 こういうことで言えば、何事も作り上げるのも大変だけど そこからの維持の方向を間違えると、大変。 O)そういうのは私も苦労します。 デジタル書籍とか、アイパットとかが出てきて。 デジタル化が進むほど、先生のようなアナログのアートの部分は貴重になるというか… 変わらないともいえるでしょうけど。 それは記号論で話したけれど、デジタルはものすごくいいけれど、記号は抜け落ちるところがあるから、それで全部できると思うと大間違いだ。 ただし、デジタルというのは(便利で)びっくりするな。 情報を得るのに昔なら大変だったなと思う。一人で地図で情報を仕入れたり、僕の取材方法は、それも体験で身に付けていったが、色々やったんだよ。 車を使うべきか、使わないべきかとか。 車を使ってもダメ。車は視点が下だから。タクシーを使ってロケハンしても、どんなに走ってもいい所に出会わない。 視点が低いから同じパターンのものしか出てこない。 道路の、道が入ってくるのとか、こういうふうに出ているとかは分かるが。 鉄道はなかなかいい。鉄道から見ると、いいないいなという場によく出会う。 バスも一番後ろとかはいい。 そして描く時は、イーゼル絵画も座って描いてはいけない。視点が下がるから。 それで車をやめるだろう。 しかし、車をやめてバスを乗って歩きだすと、なんとも効率が悪い。何とかしなくちゃ。 で、自転車になるわけだが、しかしそうやって歩いていると、自分が探しているものが、こういう風景を探していたんだというのが、分かってくる。 たとえば岬は、あまり高いとダメ。低くてもダメ。前に木があっても見えない。いくつかの条件がある。まず狙いをつけたところの、各県の出先の案内書が、八重洲口にあった。今は、八重洲口と平河町に県のがあって、そこに行って、全部パンフレットを見る。 そこで狙いをつけてから、25000分の一の地図を買ってきて、こういうところにはこれがあるなと、地図で読める。稜線とか読める。 そこを中心に行く。そうすると、あまり外れない。 ここらならこんな感じだと、わかる。 O)すると外れない? 外れない。 自転車がいい。自転車はレンタサイクルを借りたり、観光地でないような場所は自転車屋に行って「ちゃんとお払いしますから」と言って、当時ならタバコ10箱とか、1000円くらいで借りて。 ところが今は自転車屋がなくなった。観光地でレンタサイクルがある代わり、自転車屋がなくなってきた。 あとは、自転車を送る。玄関にある、あれを送る。 そこに知り合いのうちがあったら知り合いの家とか、旅館とか泊まるところに事情を言って送っておいて行くとか、帰りにまた送るとか。 今は自転車が送れる。ところが昔は送れなかった。きっちり箱に入れないと送ってくれない。あんなのを1個ずつやっていると大変だから。ところがフットワーク(ダックスフントの引越し屋)だけは送ってくれた。あと、小さな引越し便にして送るとか。。 小豆島はそれで1週した。 あれを送って、玉野の同級生のところにまず送って。 そこからフェリーで行って、帰りに寄って。 そうやって苦労していたら、ところが今は違う。 りんこう(輪行)と言って汽車に、三角のところに乗せる。 いまは送るのもそうだし、公共のところに乗るにしても、子供が乳母車でくるのと一緒で、何でも便利でよくなった。 で、デジタルだよ。 デジカメもそうだよ。最初、借りて使ってみたら、なんだ、こんな小さいのが、僕のニコンのF4のあれよりいいんだもん。僕もカメラは苦労したんだよ。 ハーフの簡単なのとか、色々やったけど上手く行かなくて。 そうやって何度も失敗しているから。重いけど仕様がないなと思って。 交換ズームと広角とか。 何度も失敗しているから。 昔、ワンテンカメラとかいうのもあって買ってみて全然ダメで。 だからデジカメだってそんなものだと思ったら、なんだ、デジカメは凄いな。 ばちばち撮っても削除できるし、パソコンにも全部入れられるし。 O)デジカメは買ったんですか? デジカメはその人が使わないから借りて、実際もらったようなもので。 O)でも、作品の保存はまだポジで? やっぱり、なんか気持ちが悪いから。 あんなもので、というのが、アナログ人間だから、バシャッとやらないと。 シャッターは、三脚使わないといけないよね。 O)デジカメも照明やるとよく撮れる。三脚ありますよ。 ネジが必要。レリーズはいいのかな? ガシャッとするの。 そうか、オートにすればいい。 なんか気持ち悪くて。一眼レフのワンデジ? あれ、もって行くの大変だから、作品撮るだけでワンデジ買うのもなんだから… ワンデジ、高いんだろう? O)レベルによるのでしょうけど。10万前後かな。 私が失敗したのは、キャノンのユースを買ったら、普通のカメラのように重くて、持ち運ぶのが嫌になって。ズームで400倍になるんですが。 あれはあれでいい。 (ポジは)作品だけなんだけど、まあ面倒くさいけどまあいいや。 あるんだもの。 デジカメでは風景はいいけれど、ちょっと絵を描いていて不安なところがある。 全部データで読み込むわけだから、数値を読み取る時に、逆転する時に、紙焼きとかに読み取れないと、困る。グラデーションのところとかを読み取れないと困る。 『作品集』のときにもあったが、デジカメはつまり、オートだからピントが合わない。 ぼおっとしたものとか、何もない白い壁なんかはピントが合わない。 そういう数値を読み取れないと、こちらに変換できない。 その点は、アナログカメラでは見てやれるからいい。 ぼおっとしたグラデーションを、デジカメは読み取れるのだろうか、という不安がある。 風景はいい。風景はどこかに全部、ものがあるから、問題ない。 変換していくわけだから素晴らしいが、問題ないが、どうも絵に関しては、やや不安がある。 それは、僕も若ければやるけど、もう面倒くさい。今までのでいいのだから O)作品集を作るときは便利ですよ。 ポジフィルムはどっちみち分解する必要があるので。印刷時はデータにするので。 ただし、印刷はパソコンのRGBをCMYKに変換すると若干、色の調子が変わるみたいですね。それを調整しないといけない。 その辺はまあ、not my business だから。 そちらの、専門家がいい仕事をしてくれればいいから(お任せ)。 もちろん、若ければやるけどね。 やることは一杯ある。 O)(作品は)ますます抽象と具象の境目がなくなっている感じですね。 そう、抽象を具象化するというのが今のあれで、物感を込めるというかね。 セザンヌと、そう物(絵)をみればすぐ分かるけどね、ルノワールも初期のころに、神話上の女性を書いて、獲物の鹿を描いて、女性が居て、すごく上手い絵なんだけれど、風景と女性と鹿を、別個に書いた絵があった。で、アトリエで描いた。 セザンヌも、変な絵がある。ものを見ないで描いている絵が何点かある。当然最後の「大水浴」なんか現実に見ていない。 ものを見ていなくてあとで組み合わせたやつは、すぐ分かる。僕はすぐ分かる。 モネの最後のオランジェリーの絵(睡蓮)は、あんな大きい絵。イーゼル絵画にすると大きい絵は描けない。100号は持っていけない。 100号を描く時は、100号をそこに画面設定して、イーゼルでそこで描いたということを情報を入れてその絵を描かないといけない。 モネの絵はここで失敗する。 こっちで描いておいて、これを大きくして、視覚が狭い絵なのに、でっかくなってしまっている。 するとルノワールの鹿と女性も同じで、そこに本当にあったら、そういう絵にならないものを絵にしている。 それは僕には…。それは人間の意識がすることで、めんたまの作業ではない。 アトリエ絵画からイーゼル絵画に変わったのは…。 『芸術の哲学』にも書いたけれど、国吉がヨーロッパに行って、それまで自分は資料とかで、つまりアトリエで描いていた。しかし、パスキンとか、エコールドパリの人たちは、ダイレクトに描いていた。 それで国吉は、自分のやり方をアメリカに帰ってから変えていくわけだ。 それは簡単なことではなくて、絵画の根本的なところの問題ではないかな。 めんたまの仕事に、それが芸術のクオリア、芸術のテイストはそれがないと…。 アメリカにはイラストレーターしかいなかった。 ワイエスの親父もそうだし、挿絵かとかイラストとか人たちはそうやって描くけれど、それと芸術は違うではないか。 竹久夢二の絵もいいけれど、セザンヌとそれは違うのではないか。それは芸術とは違う。 それに気づくと、抽象も、現実にこういう光がこうあって、こうなっている光を僕はここにイーゼルを立てて描いている…という設定のもとで抽象を描かないといけない。 ただただ画面の上で、造形的にこっちこっちとか、こういう色をつけて…とやっていると、美しい絵にはなるけれど、デザイン的になってしまう。 だから(自分の)絵に題名が付き出した。 そのことを物感と、繁二郎が言った。 あなたに、物感のことを言い始めたのは何年前かな?。 あの頃からだな。その頃の話が延々と続いていってそれで、物感の話が結局イーゼル絵画ということになる。「物感とはこうだな」とか、上野の駅の食堂かなにかで話したな。 物感だよ。 O)虹というのも、光を描く上で、虹という具体的なものを想定しながら描いているのですね? そう。虹を書き出したのは、現実の虹の、ああいう本当の虹を描けなかったんだよ。 光る光源はどうやって描くだろう? 太陽を、チョンチョンとやって、これが太陽だというわけには行かない。 物感をこめるには、向うが光そのものにならなくてはならない。 で、虹を具象で描け出して、それから、この虹を直線にしたり、ひねったり・・・ 虹もね、いろいろあるんだよ。描けだすと色々と出てきて。 虹、まっすぐな虹があるな。 プリズムを買ってきてやってみると、別に、虹はまっすぐにもできるし色々とできる。 もし空にまっすぐな虹とか、ねじれた虹とか、具体的に設定して描くと、次第に抽象的になる。 光のフォルムというものもある。普通は光はテープのようなものを考えるだろう。 これをフォルムとして考える。なんかこう四角い、真四角の、あいつ… あれだよ、イサムノグチのあれを「光のフォルム」と考えると、光のフォルムを光の彫刻にもできるだろうし、光のフォルムを絵画化すればいい。それもエスキースにある。 たとえば、窓があってそこにスクリーンを斜めに張ると、三角形ができる。 三角形が光にこっちにあって、三角柱ができる、三角錐か。 そこに光の塊ができる。 これを描いたら、あるいはこれを抽象化すると、ここに光のフォルムがポコンとできる。 これはほとんど抽象というか具象というか、具象だよ。 ほとんど具体的な光のねじれとか、光のテープがあって、それを折ったらどうだろう。 あとで見せるけど。 そういうふうに具象と抽象がもうほとんど…。 O)三角柱が、金属だったものが、光になったのと変わらなくなるわけですね。 考えると、金属も光の反射だから。ほとんど、物と抽象というか。 それで、世界はね。録音もしているからついでに言うけど、 「世界は特異点を持たない。世界はオールオーバーである。」 これがいまの、これから本を書くとしたら、これがポイント。 O)特異点というのは? 球というものには、どこも特異点がない。 ところが三角錐というのは、円錐というのは、頂点は他とは違う。 こういうのが特異点。時間で言えば始まりとか終わり。 ビッグバンの一番の始まりは、特異点になる。 今の時間・空間とは特別の点になる。尖ったところになる。 特異点をなくすのが、現代物理の(課題)。 どうしても特別の時間と空間があると言うと、そこだけ、法則が違う。 いままでの、真理とされているものが、そこだけ違うというものになると…。 自分らが一生懸命に証明しようとしたものまでも、そこだけ特別の、一種の神様というか、あるいは特別の飛躍したものになってしまう。それを特異点だ。 O)特別の法則を作らなければならない? 法則も何もない。 そこは特別に、時間も空間も当てはまらないというのが出てしまう。 それが特異点。 O)それが、ないのが世界である? それがないということに、今、なっているのではないかな。 つまり「無の揺らぎから始まる」というような、宇宙物理の…(認識)。 無から始まるんだよ。 原因の原因……因果律はずっと行くと、原因の最終原因を何処にするかというと、やはり特異点のような、神の一撃というようなことになる。 ところがここも、無の揺らぎから始まる。 で、インフレーションが起こって、いまのようになる。 世界の特別のあれ、ではない。 O)無の揺らぎだから、ないわけですね。 いや。無と有の間は、「こっちが無」で「こっちが有」ではないの。 ここを行ったり来たりする。それを揺らぎという。 ここに、二つの気体を、こう境目をもって二つの気体があって、ここれをしゅっと取ると、最初はピシッとある。 これが次第に揺れて、均一になっていくのだけど、この最初の(境目を)取った時も、こっちがこっちでと、きっちりとはなっていない。 そこはグラデーションというか、ぎざぎざというか。 ここはちょうどフラクタルになっている。 こっちがA、こっちがB、とはなっていない こっちが「ある」で、こっちが「ない」とはなっていない。 無と有があるとしたら、境目無しに、ちょうどマンデルブロー集合のように、あの境目は、ギザギザというかグラデーションというか、無と有は非連続ではない。 記号は非連続だよ。最後の章で言っただろう。 記号は非連続だけど、それはすべて、人間の内と外も、物の内と外も非連続ではない。 O)そういう意味で、人間そのものも、存在そのものも、無であり有である? いやいや。全部が特異点を持たない。 特別に、人間の内と外は特異点を持たない。 世界も時間も、すべて特異点がない。オールオーバーに。 O)無の揺らぎから始まるということは、始まりもないということ? 終わりもない? 始まりもない。終わりもない。特定できない。 全てのものに始まりがあり、終わりがあると言ってもいい。同じこと。 この世界だけがこうあって、この世界が終わる。 ちょうど、人間があると同じように、この世界も、無の揺らぎからぽこっと出て、いつの間にか、もっと上位の無の揺らぎの中では消えていく。 空間も時間も、風景も、すべてのものがそうである。 仏教のあれみたいだよ。 僕のブログを読んでみてよ。このまえやったのは阿毘達磨。 (『存在の分析〈アビダルマ〉』櫻部建・上山春平著 ) O)読んでいたら長くなりそうだから。 いま道元の原稿を読んでいるけれど、難しくて、わけわからないんですよ。 これ、この前読んで読書ノートに入れてあるけど、 これ、アビダルマ。倶舎論。面白いよ。 O)道元は、なんかハイデッガーと共通するとか… ハイデッガーがびっくりしたのは、道元の時間論のこと。 時間なんて、考えるやつはいないよ。 なのに東洋で、まあ自分はすごいというか、自負があったのだろうけれど、それがあってハイデッガーはびっくりした。 いや、東洋の思想は凄いね。 そういう僕も、広範囲に興味があるけれど、もう凄い。負けない。 どっちがというのでなく、それをアウフヘーベンしたものが世界だと思う。 書いたたかな。ペンローズの三角形。 あとで読んだ本の中で、物の世界と、心の世界と、 プラトン的イデア界が、三位一体だ、というのが彼の考えかた。 これが僕にピッタリ合うね。 三位一体という、要素でなく、その三つのかたまりが、存在というもの。 ここに、パソコンに、図を入れておいたけれど、ないかな。 これ。これがペンローズ。 僕の従来の考え方はこうだった。従来は、こうだ。 だから超越、超越と言っていたんだ。 ここが地上の現象界で、ここに天と地があって、 上下はこっちに、天上界と地上界。 これがプラントン的イデア界。 これが、科学では一緒になってしまった。天も地も同じ法則で。 で、この地上界を分けると物の世界。こっちが科学というか唯物的な世界。 こっちが心の世界。実存主義なんとかの、心の世界。 ここに現象が起きる。 僕はこれを一緒くたにして、相互挿入空間にして、物と心が、肉体と精神が相互挿入にして、これが現実の生きている世界で、ここに真善美という超越を、超越としてずっと措定して…。 だから超越、超越、真・善・美とか宗教とか、そういう世界。 いろんな科学の数学的定理などの世界。 相互挿入を争っていたのが、いままでの哲学。 客観と主観を争う。一致するかどうかとか、これを延々とやっていた。 僕はこれは相互挿入で、どっちが主でも従でもない、美は超越だと言って来た。 (しかし)こういうことを、数学や物理の人が言い出した。 こういう世界観のもとに、いろんな人がそれぞれの世界で、いろんなことをやっていく。 O)いわゆる超越というものは措定しないということ? 渾然となっているということ? そうそう。この世界に特異点も何もない。 人間も特異点でない。神も特異点でない。物からすべての存在には、特異点がない。 存在そのものが、こういう3つの世界で成り立っている、ということ。 これがパラダイムになって、それぞれ、科学、政治、宗教、芸術をこういう世界で見るのが、一番、正しいのではないかという考えになっている。 これはペンローズが考えた不可能三角形。 写真ではできるが、この三角形を作ることはできない。 O)実際、作れないのですかね? 作れない。写真ではできるけど。 錯視の本にもあるよ。 で、こういう物があれだとしたら、物感とかイーゼル絵画というのは…。 イーゼル絵画はこの三角形……対象と、心の世界という僕自身と、キャンバスと、この三角形を崩すと、どうもヒエラルキーが落ちるというか、何かが足りない。洋服のデザインと変わらなくなってしまう。 芭蕉の句がそうだ。 「ふるいけや…」。ここで芭蕉のことは何も語っていない。 外の世界を描写しているだけだが、芭蕉の立ち位置が入っている。 イメージの中に、芭蕉がいないことはない。 芭蕉が立っていて、対象があって、蛙の音がしたということがあって、俳句があって、これの三つが、三位一体となってある。 ここに俳句という現実の作品が出来上がる。 これが、1個でも欠けると、あるいは1個で自分の心を言おうなんていうと、それはヒエラルキーの低い、日記のような文体であって、作品ではない。 僕も芭蕉のようなこういう世界を、この画面に定着できれば、相当、ヒエラルキーの高い美が出るだろう、という仮説のもとに片瀬でもイーゼル絵画を目指してる。 今度の個展に1点だけある。 O)作品にアトリエでは手を加えない? いや、やはり手を加えないと。 今度は、実際そこでやると、書き始めは構図とかは、写真とか想像でやると、この世界は間違いだらけ。ワンショットでは、つまり記号で置き換えるからダメ。 だから書き初めでの構図は、イーゼル絵画でやるが、描き進むにつれ、どうしても物に引きずられる。僕の未熟のせいかもしれないが、今のところアトリエでなければ、現実に目にすると、どうしてもディテールに目が行ってしまう。 現実に目の前にすると、すぐに特異点を作ってしまう。 あんなふうに、セザンヌのように描くというのは、マチスのように描くというのは…。 現実を目の前にすると、すぐに顔に行ってしまう。 似ているとか似ていないとか、そういう記号的なものに行ってしまう。 もっと綺麗に描かなくちゃとか。 この先どうなるか分からないし、どっちがいいか分からないが、描き始めはイーゼル絵画で描いて、その美しさを定着するためにアトリエで描く。 あちらで描いて、相当練っておいて、こっちで描く。 【2010年6月27日 越智氏とアトリエで】 2010.08.29 藤屋画廊の浜田さんから今年の個展の確認の電話があった。藤屋画廊の個展は隔年なので、本来ならば今年の予定だが、去年、一昨年の個展のアンコール展を予定外にやったので、今年は無いものと勝手に思っていた。今からDMの製作をふくめ、作品も揃えなくてはならない。いつもならば、これくらい何でもないのだが、今年は「伊豆行き」があるので忙しい。貧乏クサいが、家賃を払っているので使わないともったいない。というわけで、『視惟展』と個展が終わるまでは忙しい毎日が続くだろう。 忙しくても、絵を見てもらう機会があることはウレチイな~! 2010.09.24 21日は『視惟展』の初日だが画廊には午后1時頃までいて、それから片瀬白田に向かった。展覧会の会期中だが家賃を払っているので借家を使わないと勿体ないという、ケチくさい気持がおさえられない。着いたのは5時頃で絵にも描いた大家さんの夏みかん畑の上に13夜の月が出ていた。デジカメで写真を撮ったが、月や太陽を撮ると写真と肉眼の違いがハッキリと分る。風景を入れて月を撮ると写真の月は肉眼の月より小さくなってしまうし、月を肉眼の月くらいにズームアップすると画角が狭くなってしまう。そして、この写真のように手前の木立が黒くつぶれて情報のなにもない穴ぼこになってしまう。実際にイーゼル絵画を経験すれば、写真がいかに肉眼に比べて不完全かということが簡単に分るのだが、写真の情報が氾濫し、またデジカメで誰でも簡単に写真を撮るようになると写真の世界こそがリアルであると間違って認識してしまう。つまりせっかく持っている高性能の裸眼よりも不完全な写真に自分の視覚のソフトを変えてしまうしまうのだ。画家は裸眼で世界に接しなければならないし、また裸眼で世界を見るには意識的な努力と修練がいる。だからこの歳になって再びイーゼル絵画に挑戦しているのだ。 2010.10.25 (美術雑誌『美術の窓』に寄稿した原稿です) セザンヌ、ルノワールに続いて今ゴッホ展も開催されていますが、各展の人気と会場の熱気は美術館の外の美術シーンとは対照的です。なぜに現代の画家の絵は人の心を惹きつけないのでしょうか。その理由は会場に行くとすぐに理解できます。画家ならば、横浜美術館のセザンヌ展での展示のようにセザンヌの絵の隣りに自分の絵を並べて掛けることを想像すれば、その理由がすぐに理解できるでしょう。 モネ、セザンヌ、ルノワール、ゴッホ、モランディー、岸田劉生、坂本繁二郎、梅原龍三郎、林武、・・・美術市場でも、一般の人にも、また絵描きにも人気のこれらの画家の共通点はどこにあるのでしょうか。 それはイーゼル絵画です。現代の画家にはほとんど見かけなくなってしまった、また美術の会話のなかで死語になってしまっている「イーゼル絵画」が上記の画家たちの共通の作画法なのです。 イーゼル絵画との対立概念はアトリエ絵画で、私が画家を志したころは絵描きが絵を描くのに対象を目前に置き、画面と画家の目の位置、つまり〈世界〉と〈自分の立ち位置〉と〈画面〉の3角形を描き始めから描き終わりまでくずさずに作画するイーゼル絵画は画家としては当然のことでした。しかし、美大の卒業時にはもうモチーフをダイレクトに描写するイーゼル絵画は、アメリカから押しよせてきたポストモダンの美術に席巻されて、古くさい過去の様式と見なされました。そして描写絵画自体も、対象を直接に裸眼で見るのではなく、写真や出版物の資料や自分のスケッチや下絵からアトリエで制作する、イーゼル絵画以前の様式のアトリエ絵画にたち戻り、いまやモネやセザンヌやゴッホや林武のように、外に出て眼前の風景の前にイーゼルを立てて描いているプロの画家はほとんどいなくなりました。 私も過去の具象の作品は写真やスケッチを使ったアトリエ絵画で、美大卒業後長年描いてきました。それが、2009年のセザンヌ展、2010年ルノワール展を鑑賞してイーゼル絵画の目のおいしさと同時に、彼らといえども彼らのアトリエ絵画は美のヒエラルキーがおちることに気がつきました。例えれば、生イカはスルメにはなるけれど、スルメは生イカにはなりません。写真はもとより自分のデッサンからでも、一度平面化したものから作画するのは私にとっては安易な制作態度でした。そのことに気づいたので今年の5月から東伊豆に借家を借り、40年ぶりに今年の猛暑のなかイーゼル絵画に取り組みはじめました。成果は今後の私の作品に現われることでしょう。 1925年第一回の渡欧でヨーロッパ近代絵画から大きな刺激を受け、1928年の 第二回渡欧でユトリロやスーチンの作品に深い感銘を受けた国吉は、やがて第二 期に向う新しい傾向を見せはじめた。1922年にパリに戻っていたパスキンとの再 開、また彼の手引きによるヨーロッパの近代絵画やエコール・ド・パリの作家た ちとの接触は、国吉にとって教えられるところが多かった。それは国吉自身の後 年の回想によって明らかである。 「私はフランスの近代作家から、とくに彼らのメディアムに対する理解の鋭さ に感銘を受けた。あちらではほとんどの作家が対象から直接に描いている。それ は当時の私の方法とは異るものであった。私はそれまではほとんど想像と過去の 記憶から描いていたので、その方法を変えるのに苦心した」と、国吉は述べてい る。この頃より彼の作品に写実性が加わり、好んで女をモチーフにして描くよう になった。(みづえ1975年10月号、ヤスオ・クニヨシ 祖国喪失と望郷 村木明 ) ここのところが、ベン・シャーンやアンディー・ウォホールや竹久夢二のデザイン的な作品とせザンヌや坂本繁二郎の画の、描かれているものが画面の上に在る、モティーフが画面上の光と空間の中に在るという「物感」の違いではないでしょうか。それが芸術の薫りのするファインアートの魅力なのではないでしょうか。しいては、モネやセザンヌやマチスが切り開いた、人を惹きつけて止まない豊かな芸術の漁場を、現代美術が伝承できなかったことにつながっているのかもしれません。【岡野 岬石(画家)】 2010.12.10 8日は、夏に描いた浅間山(せんげんさん)の山頂の駐車場のはずれにイーゼルを立てた。午前中は山頂が雲に覆われていたために、海側の風景を大島を入れて1枚、午後から雲が切れてきたので予定通りに山側に向いてもう1枚描いた。天城山系の南斜面に射し込む雲間からの光と雲の影があいかわらず美しい。 イーゼル絵画は、季節や天候や時間(太陽の位置)によって色や光が刻々と変化するので、モネの積み藁の連作のように、おなじモチーフを何枚描いても描き尽くすことはできない。おなじ場所にイーゼルを立てても、自然は刻々と変化し、その時々の美しさを見せてくれるので、画家がイーゼル絵画をやっているかぎり画材に行き詰まることがないのだ。画家の描写スキルが上がるごとに自然は美のステージをそれに応じて上げていく。自然は気前が良い。お金も、見返りも、感謝の気持も要求せずに、どんな人にもどんな所にももれなく「真・善・美」を無限にジャブジャブ溢れ満たしてくれているのだから。 2010.12.17 東伊豆で風景を描いていてたまたま天城山の上空に絹雲がでた。絹雲のできるメカニズムもその形象の理由も知識としては知っていたが、事件の起こっている現場で裸眼で遭遇すると、そしてそれを描写しようとすると、静止した写真や図で見るのと違って多くの絵画上の重要なことに気付かされる。 自然のすべての現象は、デタラメや偶然ではない。空の雲とて例外ではない。それを見させる太陽の位置や光と、その形象や大きさと空間的な位置を描写できれば、雲の入れ物である空の空間の描写につながる。雲は空の空間の中の特定の位置に浮かんでいるのだ。特定の位置と特定のフォルムで空間に存在しているのだ。その存在は必然なのだ。だからイーゼル絵画をやるかぎり、雲も地面上の物と同じように、画面上を絵画的に適当に作ったり処理したりはできないのだ。その描写ができれば、光の物感と空間の物感が、絵具のかたまりにすぎないキャンバス上に錯視でき、作品が芸術の薫りを醸し出すことだろう。 イーゼル絵画は世界の見方を変える。事件はアトリエで起こっているのではない、事件は常に現場で起こっている。 【雲の描き方】 |