岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

画中日記

【画中日記】2020年

投稿日:2020-04-30 更新日:

【画中日記】2020年

画中日記(2020年)

『画中日記』2020.01.01【新年に】

 新しい年を迎えた。パソコンに向かっている。まだ夜は明けていない。(時間は5時45分)。

 今年の干支は子で、私は今年の3月で74歳になる。ここ数年、世界は、構造的地殻変動が起こり、パラダイムシフトが起こっている。色んな事が、自分にも、自分の周りにも、国にも、世界にもこれまで起こっているが、その変化は、良き方向に向かっている。昨年のあいちトリエンナーレ騒動のように、読売アンデパンダンからの現代美術の内容のフェイクと、その裏に芸術とは無関係の金銭や政治や、マスメディアがからんでいることも露わになった。そして私が、この良き時代の変化を、目にし、生きられ、生きることを天に感謝します。美を超越と信じ、一生を美に向かって描写のスキルを磨いてきた画家の出番がやってきた。今年の6月に、個展を予定しているが、イーゼル画の具象絵画と、抽象印象主義の抽象が、切れ目なく連続していることの証拠の作品を展示したいとおもっている。

 今日は、そのキャンバスを張ろうと予定していたのだが、昨年の暮れからのダン箱作りを残したので、これからそれをやります。初詣は、後日参拝します。

 以下の文章は、去年と一昨年の新年の画中日記の文章をペーストしたものですが、今年も同じ気持ちで過ごしたいと思います。

 今日のこの時を迎えられるのは、実存の煩悩に振り廻され、迷い道に何度も入り込んでも、美への信仰心の強さとベクトル(進む方向)が正しかったという証拠だろう。

 仏教用語に八正道という修行の実践の徳目がある。正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定(しょうじょう)の8つ、すべて正という字が頭に付いている。行き先も方向も決めないで、ブラブラ歩いても、せいぜい自分の身の周りをぐるぐる廻るだけでどこにも行き着けない。地図や海図と、磁石や羅針盤無しに、なんとかなるだろうとガムシャラに進んでも道に迷う。

 世界は、「正」という文字を頭に付けると全ての物事がキッチリと見えてくる。それは、正しいのか間違っているのか、だ。行き先は正しいのか間違っているのか、持っている地図は正しいのか、持っていく物は正しいのか(余計な持ち物は反って邪魔になる)。

 この先、日本はますます世界中から尊敬される国になるだろう。どうしてかというと、仏教的『全元論』の世界観を、仏教の伝来する以前から持ち続け、その世界観を国民一人一人が持ち、生きていて、間違いを国民全体で正して現成している、昔から現成していた、奇蹟のような国だから。日本人の世界観が、世界の存在の法(ダルマ)を、身の内に持って生きているから、つまり、地図と、磁石が正しいから。

 新年から明るいね、今年も頑張るぞ。

『画中日記』2020.01.02【自我意識について①】

 大倉氏との『正法眼蔵』の抜き書き下のコメント後の対話から、いい文章が書けたのでここにアップします。

ーーーーーーーーーーー

岡野岬石;西洋哲学の自我は、神に対する人間の自我で、全て欲望と執著のフィールドにあります。それが、世界の認識にバイアスをかけるのです。

岡野岬石;自我は、もともと、日本人は持っていない概念でした。西洋でも、神が地上を支配していた時代は個人の自我意識はありません。西洋では、ルネッサンスで人間が特別の存在として勃興し、カントのドイツ観念論が自我の存在を確立しました。日本では、自我意識を強く押し出し、自我意識のない日本人をおとしめたのは、イギリスに留学して西洋文化に圧倒されノイローゼになり、西洋かぶれして帰国した夏目漱石、大正ロマンの石川啄木、戦後は大江健三郎、岩波書店、朝日新聞などの路線です。

悉有はマンデルブロー集合のような形態をしているのだとしたら、人間の身体も、心も例外ではありません。まして、自我などこの世界から境界をもって、特別に存在するはずはありません。

岡野岬石;軌持に沿って生きていくと、世界の見え方が変わってきます。令和になって、これからは、「真・善・美」にシンクロする場が多くなることでしょう。貴方も私も間に合いました。喜ばしく、嬉しいことです。

『画中日記』2020.01.03【自我意識について②】

 大倉氏との『正法眼蔵』の抜き書き下のコメント後の対話から、いい文章が書けたのでここにアップします。

ーーーーーーーーーーー

岡野岬石;そこは、重大な、誤解がおきやすいところで、自我を欲望の執著の場所で捉えるから、人生上の幸福を、欲望の満足として捉えるから、仏教の全元論が、世界の人に解りにくいのです。

宇宙も地球もお釈迦さまも道元も香嚴も貴方も私も竹もホウキも石コロも悉有の存在が奇跡的な現成なのです。

マンデルブロー集合という悉有の設計図の複素数の一点を、世界に落としたのがこの世の私という現実存在で、この世に現成した存在の全体が、悉有なのです。ですから、道元のいう「身を軽くして、法を重くせよ」とか達磨の言った「廓然無聖(かくねんむしょう)」とは、自分を世界の法と同調させなさい、ということを言っているのです。人間一人ひとりの存在はそうなっているのです。これは、マンデルブロー集合をみれば、部分も全体も、ミクロもマクロも自己相似形なので例外はありません。
自分の心の中を、法の設計図で組み替え直せば、貴方も私も、誰もが成仏できるのです。
日本はこの世界観を、国体と国民が持ち続けてきたから、存続し続けてきたし、これからも存続しつづけるでしょう。存在が法の軌持に沿っているのですから。

『画中日記』2020.01.05【昨日は】

 昨日は、午後西東氏と藤樫氏がアトリエに来訪。写真家の藤樫氏が写真をフェイスブックのメッセージに送ってくれたので、その写真をすべて投稿します。普段は描きかけの絵が、沢山掛かっているのだけど、3が日にダン箱を作り終えて、絵を入れ、すっからかん。6月の個展に向けて張った白いキャンバスがあるのみの生憎のアトリエでした。せっかく来てくれたのに、やはり私が喋り通し、油絵オタクの独居老人ですのでご容赦を。数年前までは人と会った後は反省していたのだが、いまやもう反省もしないで、開き直っている。「ハイハイ、私はそういう老人ですので、ごめんなさいヨ」

 写真には、私が気持ちよく喋っているところが写されている。周りには、ストレスだろうけど、本人はストレスもなく元気な訳だ。

『画中日記』2020.01.07【筆始め】

 昨年からの描画以外の仕事を、昨日全て終わったので、今日は朝から新作の白いキャンバスにとりかかった。これからの作品は6月の個展用の作品だ。今年の絵画上の目論見は、具象と抽象が切れ目がなく連続し無矛盾で反発しないということを証明したい。久しぶりの抽象作品で、アイデアは昨年の暮れから、色々と湧いてきていて、腕が鳴って(昔の剣豪の戦いの前の現象)いたので、楽しかった。イーゼル画(油絵具)と違って、アクリル絵具で描いたので、明日油絵具でこの上に描けるだろう。

『画中日記』2020.01.09【抽象と具象】

 大倉氏との『正法眼蔵』の抜き書き下のコメント後の対話から、いい文章が書けたのでここにアップします。

ーーーーーーーーーーー

岡野岬石;一見すると、抽象と具象は離れていて矛盾するように、見えます。私も昔は、そう思っていました。光は粒であるか波であるのかという物理学のアンチノミーの問題に似ています。道元も只管打坐といいながら、『正法眼蔵』その他の著作で不立文字、教外別伝と矛盾しています。香嚴は「画餅」、画の餅は食えない、といって集めていた書籍を焼いてしまいましたが、『正法眼蔵』の「画餅」では不立文字、教外別伝を否定しています。

例えていうと、かっての私の絵の考えは、抽象は数字の100から数字を揃えて下りていき、具象では数字の1から上がっていっていたのです。初めのうちは、両方の数字は離れていましたが、イーゼル画と道元で、間隔のある数字の列も、きっと連続して繋がるはずだという確信的な予想をもちました。

今度の個展は、その間を連続して繋ぐ作品を描こうとおもっています。抽象か具象か、イーゼル画かアトリエ画か、ではなくて、両方の世界を包含した上位概念の世界観を描写した作品を現成させられれば、とおもっています。

『画中日記』2020.01.09【2m×80cmの作品】

 6月の個展用の、メインの作品を、昨日キャンバスを張り、今日アクリル絵具で下塗りをした。この作品は、2m×80cmで縦に使った。もう1本同じサイズの木枠があって、それは横に使うつもりだ。

 この木枠は、2010年にお亡くなりになった、三栖右嗣さんから回ってきた巻キャンバスと木枠の最後の2本だ。巻キャンバス数本は東伊豆からのイーゼル画で惜しみなく張って、ありがたく使い切った。木枠は2m×2mが2本、2m×80cmが2本あって、2m×2mの木枠2本は、富士山の作品を描いてすでに使った。残った2m×80cmの細長い木枠が残り、今度の個展で使い切るのも、感慨が深い。

 三栖さんと『赫陽展』を結成、展覧したのは1976年で、私が30歳の時、今から44年前だ。三栖さんがこれらの木枠で描こうと思っていた絵も想像がつく。その木枠のキャンバスに、私がこれから絵を描いていく。この絵が完成、現成するまでに44年間の因と縁がフラクタルに関わっているのだ。

『画中日記』2020.01.21【恁麼人(いんもにん)】

 今朝、壁に恁麼人(かのような人)が現れた。早朝、まだ外は暗いので手元の蛍光灯スタンドを点け、パソコンの音楽で、マーラーのアダージェットを聴きながら、お菓子とお茶の後、タバコを一服するのが私の一日のルーティンだ。その時に、アトリエの壁に人の影のようなものが現れた。現象の原因は、手元の蛍光灯の光が、移動式室内H型画架と、その後ろに干してある私のシャツの組み合わさった形態に横から当たって、後ろの壁に射影されたことでできたものだ。

 ちょうど、フェイスブックに『正法眼蔵』の「恁麼」の章をアップしているところなので、恁麼の意味するところが解った。

 この影の人物は、髪の毛もあるので、若い頃の私に似ている。似ているのは当たり前で、シャツが若い頃私が着ていたものを仕事着に下ろしたものだからだ。そんなことを考えているうちに、私という存在そのものが、この影のような存在と何ら変わりがないということに気付く。『全元論』、「世界はそうなっている」の証拠の写真です。

『画中日記』2020.01.23【第5回『イーゼル画会』展、明日から】

 今日は昼から、藤屋画廊での「第5回イーゼル画会展」の搬入、飾り付け。さて、今年の展覧会会場では、どのような出遭いがあるのだろう。

 世界も個々人の人生も、相が転移する時には、バタフライ効果といって、蝶々の羽の動きが、大きな天候の変化のキッカケになることがある。人生の分岐は明日からの画廊で起こるかもしれない。そういう期待で、画家として半世紀を過ごしてきたのです。結果として、バタフライ効果は確かに存在しました。過去には存在しましたが、老いたりとはいえ、これからはもう歳だから存在しないとは思えません。その期待をもって、いつものように、毎日画廊にいますのでご高覧、そして話しかけてください。6月には同画廊で個展の予定です。

『画中日記』2020.02.10【第5回『イーゼル画会』展が終わって】

 1月8日に「第5回イーゼル画会展」が終わり、1日おいて今日は久しぶりに絵筆を握った。これからは、6月の個展に向かって、アトリエで抽象の作品に向かう。

 イーゼル画会展では、毎日藤屋画廊に出て、多くの人に出会った。作品も人も出来事も、一見頼りなく、偶然で、でたらめにみえるけど、その因と縁を遡れば「他生の縁」からの、全世界の存在にまで行き着く。だからこそ、一瞬一瞬を後悔しないように、ベストを尽くさなければならない。メンバー全員の絵も、イーゼル画をやることによって、どんどんスキルアップしてきていて絵を見るのが嬉しい。展覧会同時期の武漢ウイルス問題を比べると、まさしく「善因善果、悪因悪果」である。武漢のウイルスもなんらかの悪因であろう。日本は津波も、敗戦も国民一人一人の性善の力で乗り越えたが、中国の今回の悪因は、国家的悪果をもたらすことになりそうだ。

 今日は、手賀沼の日帰り温泉に行くかどうかと迷ったが、2週間絵を描かなかったので、筆を持つことに禁断症状ぎみだったので、キャンバスに向かった。

 フェイスブックの写真は、今日アクリル絵具で下塗りしたF15号3点の写真で『石見畳が浦海岸海蝕洞』を抽象画にしたものです。明日から油絵具で完成にもっていきます。

『画中日記』2020.02.12【大倉氏へのコメント返し】

 私たちは在家で生きていかねばなりませんので、お金(絵が売れるということ)も名利(勲章や芸術院会員)も、こちらから求めるのではなく、相手が与えてくれるのなら「ご接待として喜んでいただきます」という態度で生きていくのがいいとおもいます。

出家者の戒律は、仏陀の死後、行乞で生きるという問題で、供物を蓄えていいのかという問題や、お金を供物の代わりとして貰ってもいいのかという問題が出てきました。のちの大乗仏教ではその問題が上座部(長老派)との大きな食い違いでした。中国に渡った禅宗では、歴史と国民性の違いから、それを自給自足で乗り切ったのです。

日本では、仏教伝来以前から「全元論」の国なので、天皇陛下と国民の関係のように、皆んなで生きてき、これたのです。だから、お釈迦さまや、道元が今に生き続けている、奇跡の国なのです。

『画中日記』2020.02.17【大倉氏へのコメント返し】

 鐘のゴーンと鳴る音は実有です。竹に石が当たってカーンと鳴る音も実有です。今、今、今、今、と現成する世界全体は夢幻ではありません。過ぎ去った過去も、希望する未来も、今にとっては幻想ですが、因と縁は今に流れ込み、新たな因と縁で分岐し、流れ出します。

 世界全体の実有は、デタラメや偶然で動いているのではありません。実有の設計図というか方程式はあって、それに沿って動いているのです。それを軌持といって、それに沿って日々を過ごしていくことを、行持というのです。

 人間や自我の外に、「真善美」という軌持を持つ人や国と、持たない人や国の争いが、今の世界の紛争の構造でしょう。超越を内に抱えていない人の人生は、生きることの目的が、自分の欲望の充足しかないことは自明の理です。ですから、暴力と買収とハニートラップを使って、自己の欲望を膨らませるのです。
 日本は大丈夫だし、世界は大丈夫です。世界全体、宇宙全体も軌持に沿って動いているので、「善因善果、悪因悪果」になるでしょう。
 国民、一人一人が軌持に沿って生きていれば、日本は不滅です。国も、国民も、フラクタルな自己相似形の奇跡的な国が、邪悪でグロテスクで無能な国や人に、負ける訳がありません。

『画中日記』2020.02.22【『読書ノート』に今朝打ち込んだ文章より】

 今フェイスブックにアップしている『読書ノート』の文章は、2015年に読んだ本の抜き書きを順次載せています。当然、『読書ノート』は続いていて、今朝も打ち込みました。

 今日の文章は、釈尊には珍しい、画家の行為に関する重大な文言なので、長い文章ですがアップします。ポストモダンの現代芸術家には耳がいたいですヨ。

ーーーーーーーーーーーーー

■ある役者のために またある時のこと、釈尊がかの王舎城の郊外なる竹林の園にあった頃、タラプタというある村の長がたずねてきたことがあった。彼の村は、代々芝居の役者を業とするものの村であったらしく、経のことばは彼のことを歌舞伎聚落の主であると記している。

 さて、彼が釈尊を訪れて問うたことは、その村の代々の言い伝えについてのことであった。

 「大徳よ、わたしは、昔から代々の歌舞伎者の言いつたえとして、かように聞いております。すなわち、すべてこの歌舞伎者は、舞台において真実と偽装とをもって人々を笑い楽しましむるがゆえに、身壊(こわ)れ命終りし後には、喜笑天に生まれることができると、かように聞いておりますが、世尊はこれについて如何にお考えでありましょうか」

 だが釈尊は、このように問われても、すぐには答えようとしなかった。

 「村の長よ、そんなことを問うのは、止めたがよいであろう。わたしにそんなことを聞くのは措(お)いたがよい」

 それでも彼は、問うことをやめなかった。経のことばはそれについて何ごとも記していないが、おそらく彼は、この言いつたえについて、何か疑いをもち始めていたのではなかったであろうか。そのゆえにこそ、彼はわざわざ釈尊を訪れて、このことについて教えを乞わんとするのではなかったか。釈尊は2度までも、問うことを止めよ、とすすめた。彼はそれを押し切って、3度びおなじ質問をもって釈尊の教えを乞うた。そこで釈尊は、それほどまでに問うならばと、大体つぎのように説いたのであった。

 「村の長よ、昔から歌舞伎者は、よく真実と偽装とをもって人々を笑い楽しまましめるがゆえに、死しての後は喜笑天に生まれる、と言い伝えているというが、それは邪(よこし)まの見解であると申さねばならぬ。なんとなれば、昔から歌舞伎者のしていることを考えてみるがよい。歌舞伎を見ようとして集まってくる人々は、まだけっして貪欲をはなれてはいない。その人々のまえに役者たちは、あらゆる貪欲の対象をあつめ展じ、かつそれを強調して人々の心をかきたてる。また彼らは、いまだ瞋恚(しんい)をぬけきらぬ人々のまえに、あらゆる瞋恚のさまを演じ示して、人々の激情をかきたてる。さらにまた、彼らはいまだ愚痴を脱しきれぬ人々をまえにして、さまざまの愚痴のすがたを演出して、いよいよ人々の愚痴をふかからしめる。かくのごとく、村の長よ、歌舞伎者はみずから貪欲に、瞋恚に、愚痴に陶酔して、それによってまた他の人々をも貪欲に、瞋恚に、愚痴に陶酔せしめるのである。されば彼らは、死して後には、喜笑と名づくる地獄におちるであろう」

 それを聞いて、タラブタなる歌舞伎聚落の主は、涙をながして泣き悲しんだ。その姿をみて、釈尊は、しずかに慈眼を彼にそそぎ、

 「だからこそ、村の長よ、そのようなことはわたしに聞かぬがよいと言ったではないか」

となぐさめ給うた。すると、かのタラブタは、やがて涙にぬれた顔をあげていった。

 「大徳よ、わたしは世尊の教えたもうたことを悲しんで泣いているのではありません。わつぃが悲しいのは、これまで歌舞伎役者の言い伝えに、ながい間だまされていたことであります。だが、いま世尊のおしえは、蔽(おお)われしものを啓(ひら)くがごとく、迷える者に道を示すがごとく、暗中に燈火をもたらして、眼のあるものは見よと仰せらるるがように、わたしのひさしい蒙を啓いて下さいました。わたしはいまや、世尊と世尊の教法と比丘衆に帰依いたします。大徳よ、願わくは、このわたしが世尊のもとに出家を許され、修行することを許したまえ」

 かくて彼は、出家を許され、修行をかさねて、やがて阿羅漢の一人となることを得たという。この経は、南伝においては相応部教典(42、2、布吒)に、また漢訳においては僧阿含経(32、2、動揺)の中にみえている。(『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18、213~215頁)

『画中日記』2020.02.29【80×200cmのキャンバス(1)】

 2m×80cmのキャンバスの2点目を、今日油絵具で描き始めた。

 この木枠は、2010年にお亡くなりになった三栖右嗣さんから、私の処に廻ってきた品だ。このような細長い大作の絵を私が描くことの因縁は、三栖さんと初めて会った1976年に遡る。三栖さんがどんな絵をイメージしてこのような特殊な寸法の木枠を用意していたのか、という疑問も、先日ほぼ見当がついた。

 私のこの絵は、過去の瞬間のどの一点の出遭いも、分岐に分岐を重ねて、今日のこの作品に流れ込むのだ。『全元論』だねえ。道元の言う通り!

『画中日記』2020.02.09【80×200cmのキャンバス(2)】

 80×200cmのキャンバスの2点目を、今日描き終えた。

 80×200cmの木枠は2本あって、1本は『垂光』という作品でキャンバスを縦にしてすでに描き終えている。

 これで、6月の個展のメインの作品は出来たので、次は歩道沿いのウインドウに展示する作品に取り掛かる。

『画中日記』2020.03.12【「我孫子アートな散歩市」展示用テキスト】

 私は、「抽象印象主義」の抽象画と、「イーゼル絵画」の具象画を並行して描いてきました。近年、抽象(演繹的方法)と具象(帰納的方法)を矛盾なく、連続して繋ぐことに日々挑戦しています。

 2010年にイーゼル画を始め、画面から眼までの〈連続する〉斜めの空間の描写に気付き、その空間を抽象画の表面に加え、変換することによって、抽象画に足りなかった「物感(画面の上の形象の実在感)」を表象したものが、今回の2点の作品です。

 1点は島根県の浜田市にある畳が浦海蝕洞の現地で描いたイーゼル画、もう1点は、同じ光と空間を、アトリエで抽象画で描きました。画家を志し、描写絵画を半世紀、「世界はそうなっている」ことの描写スキルを磨き続けた結果が、ここまで来ました。

『画中日記』2020.03.13【『正法眼蔵』「画餅」について】

 この「画餅」の章の道元の言っていることは、描写の方向で美を追求している画家には、心強い味方になります。

 私は2010年から、東伊豆でイーゼル画をやっている最中にこの文章に出会い、当時、たった一人でこの方向に漕ぎ出しているのだが、自分の地図と羅針盤は間違い無いと確信しました。

 だって、セザンヌもマチスもやっているし、道元も言っているのですから。私が間違っているのなら、セザンヌやマチスや道元が間違っている、ということになるのですから。

『画中日記』2020.03.19【虹】

 この写真は、3月16日の17時頃、壁に掛っている私の絵に、パソコンの角のアクリルがプリズム状になっているところに足の長い太陽光があたり、偶然画面の空に虹がでているように見えた写真です。デジカメは便利だねえ。すぐに写真に撮った。

 この写真が、直接絵に役立つかどうかは分からないが、「全元論」では、部分と全体、一刹那と一生が廻り回って、何らかの形で現成するのだ。

『画中日記』2020.03.22【大倉氏へのコメント返し】

 スティーブ・ジョブズ(マックのパソコンは最初から現まで愛用していますが、彼がパナマ文書に名前が出ていたことで、私の彼に対する評価はガタ落ちしました)のスピーチは知りませんが、この文章は、世界存在の時間性について言っているのだと思います。

 ガモフの『1・2・3・・・無限大』の本の中に、ジュリア集合のことが書いてあります。この集合が、コンピューターを使ってマンデルブロー集合に発展していくのです。ユーチューブにマンデルブロー集合の動画も出ています。図像には、部分がありません。拡大しても縮小しても無限に自己相似形な形がでてきます。始まりも終わりもありません。ただし、「輪廻」ではなくて、同一の局面は一度もありません。

 問題は、このプログラム(仏教では「法」とか「軌持」とか「道」という)を誰が打ち込んだかということです。一神教では、神が打ち込んだと言っていますが、では、その神がいる時空は誰が創ったのでしょうか。お釈迦さまは、哲学好きのマールンクヤからの問いに、その問いはもう止めなさい、と言っています。

「世界はそうなっているのです」。

 その世界の中に存在する自分を、お釈迦さまも道元も身心で体感したのです。
道元の『正法眼蔵』はその世界存在を繰り返し繰り返し、丁寧に文章にしているのです。

『画中日記』2020.03.28【大倉氏へのコメント返し】

 「ありのまま」の解釈は、天台の本覚思想のように、間違がいやすい概念です。仏道に入った道元が最初に突き当たった疑問が、「八正道」の本(もと)の正しい修行を積むことの意味です。

 私も画家として「正しい」描写、描写の「正しさ」、正しく描写するとはどうやって身につけるのかという問題にズッと取り組んできましたから、若い道元の問題意識は人ごとではありませんでした。

 それは、近年の「イーゼル絵画」の取り組みや、道元の『正法眼蔵』で正しさの確信をつかみましたが、具体的には、ランダムドットステレオグラム(3Dアート、立体視図)が大きなヒントになりました。
 無秩序でデタラメな点の集まりに見える表面が、視点をずらせば立体が浮かび上がる。しかも、その立体は、点の集まりの、構造ではなく表面にある、ということです。ナチュラルな視点で、どんなに分析研究しても、一生かけても見えません。立体像が、自分で見えた時、感動し、一気にセザンヌが解りました。そして、その他の画家の為していることの理解が進みました。
 セザンヌは、彼の眼が見えているとおりに「ありのまま」に筆を走らせているのです。ナチュラルなドットしか見えない画家には、その作業は、デッサンがクルっているとか、デフォルメや造形しているとしか理解できません。
「ありのまま」は今も昔も現成公案しています。しかしながら、ナチュラルな視点では、いつまでたっても見えません。道元はそれを只管打坐で見なさいと言っているのです。
 3Dアートは、簡単に見えますが、世界存在から全体の形態が見えてくるのは、画家も、八正道の修行なしには為し得ません。まして、その形態を絵としてこの世に現成させるには、どれほどの修行と努力と、それへの意志の持続が必要か。だからこそ、その行為で人生を過ごす喜びは、他に変え難いのです。

『画中日記』2020.03.28【武漢ウイルス(1)】

 下記の文章は、2月10日の『画中日記』に書いた文章の一部です。

《展覧会同時期の武漢ウイルス問題を比べると、まさしく「善因善果、悪因悪果」である。武漢のウイルスもなんらかの悪因であろう。日本は津波も、敗戦も国民一人一人の性善の力で乗り越えたが、中国の今回の悪因は、国家的悪果をもたらすことになりそうだ。》

 この文章を書いてから、1ヶ月以上経って、世界の状況はますます大変な状況が拡大している。そのなかで、日本と日本の友好国だけは、最少の被害で乗り切るであろうし、また、経済的被害もこの厄災が終わった後、すぐに復活するだろう。

 「善因善果、悪因悪果」は存在の常恒の法(ダルマ)である。津波や地震や台風のように天からの災害はあまんじて引き受け、国も一人一人も出来うることにベストをつくしていれば、過去の日本がそうして、こうなったように、チャンとするし、チャンとなるさ。津波や原子力発電所の事故の時でさえ、あの悪夢のような、オロオロして何も適切な対処ができなかった民主党政権の時でさえ、国民の力で乗り切ったのだから。戦後歴代最高の仕事師安倍首相とブレーンを持っている現在、おまけに、通常のウイルスに毛の生えたくらいのウイルスごときのことに、国民がオタオタすることはない。日本は、福島フィフティや自衛隊のように常に現場にまかしておけば、安心なのだ。

 中共は、この悪因を作ったのだから、当然最も大きな悪果が降りかかるだろう。他の国も、世界観に悪を抱えている部分に悪果が出るだろう。アメリカは、ヒラリー・クリントンが大統領だったら、と想像すると、まだ幸運だった。トランプ大統領でよかった、よくやっている。

 こんな時に、悪因の本(もと)の人間の欲望(お金)で動く人たち、買い占めに走ったり、買い占めて儲けようとする人たちもまた、悪果を得るだろう。東京都やいくつかの県や、自民党議員がマスクや防護服を中国に送ったが、それらの品物の実際の流れ、どうやって送り、誰に渡したのかの追跡はどうなっているのか(意外と、品物は動いていなくて、それを売り捌く中国人からのキックバックを、送った方が貰っているという邪推も可能だ)。そして、ネットによって、嘘や偽善はおいおい暴かれるだろう。

 自分の命や、自分の権力や、自分のお金のために、平気で他者や他国や自然を、蹂躙し虐殺し汚すような人達が跋扈(ばっこ)する国が、良くならないのは当たり前のことだし、その悪を懺悔し反省しなければ、その国に住む人たち共々に厄災が降りかかってくるのはもう、歴史的必然である。

『画中日記』2020.04.09【武漢ウイルス(2)】

 武漢ウイルスの厄災で日本のなかでも騒がしい。しかし、私は安心している。日本人のそれぞれの現場はしっかりとした仕事をやってくれている。そして、今の安倍首相から末端の国民一人一人まで、自分の為すべきこと為していれば、そのうちに、この大きな厄災も、日本では通り過ぎていくだろう。 

 世界の中では、各国家的な大厄災だが、今もし、世界の中に、日本という国家がなかったならば、世界中の各国家、その中の一人一人の個人の不安と恐怖は、出口のない絶望的な状態だろうな。おまけに、この状態の中でも、火事場泥棒をしようとする人や、国や、組織があるのだから。また、そのような「真・善・美」の規範をもたない、欲望の悪魔的信仰を自分の生きる羅針盤にする人や、国家や。組織が日本以外の国では、今まで大手を振って通ってきたのだから。

 今、世界中の人たちは日本を頼りにしているだろう。日本の行動が、この厄災を乗り超える唯一のサンプルとして、頼りにしていることだろう。そして、近い将来、日本の行動が、この厄災を乗り切るフォームであることが解ってくるだろう。三陸の大津波で日本の政治が変わったように、武漢ウイルスが通り過ぎれば、世界は、世界観の根本から、流れが変わるだろう。

 ルネッサンスからカント以降の、世界の哲学的世界観を支配してきた、人間中心主義(ヒューマニズム)は誤謬があったし、今でもある。このことは2018年に出版した拙著『全元論』に書いたので端折るが、とにかく、武漢ウイルス以後は、日本が世界を、全元論的世界観の本(もと)に引っ張っていくだろう。過去に、西洋列強国からアジアの国々が独立したように。

『画中日記』2020.04.09【武漢ウイルス(3)】

 武漢ウイルス問題は、今日本でも一部大騒ぎしているが、大変なのは、矛盾や問題を抱えた国や国民であって、日本は、私が前から言っているように、大丈夫、安心なのだ。以下、その理由を書く。

 まず、外国では、あんな小さな武漢ウイルスごときに大騒ぎをするのか、大騒ぎになるのかというと、それは、原因を取り違えているからだ。そして、その厄災を乗り越え、復活、復興する手立てを、国家も国民も持っていないので、自らの矛盾、欠損、齟齬を抱えたまま、ただ運命になすがままだ。それは、嘘は一度でもつくと、その嘘を正さなければ、嘘の上塗りになって、嘘をつき続け、問題がどんどん大きくなるのと似ている。

 日本では、盲腸炎で死亡することはないが、保険なしに医者に行き、手術でもしなければならなくなると100万円以上かかるとなれば、また、売薬が安価で効く薬がすぐに手に入らなければ、いまだに盲腸炎で死亡する人は世界中に数多くいるだろう。盲腸炎だけでなく、切り傷、擦り傷でも、消毒しなければ、敗血症で死ぬ人も出るだろう。武漢ウイルスにかかっても、多くの国の、多くの国民は、ただ自然治癒にまかせるままだ。さらに、中共の国民が罹患でもしたら、その人と家族は、治療も受けられず、周りからも排除されるので、路上で倒れるまで、病気を隠すだろう。だから、そんな国の国民は、地震や台風や津波に比べて、ウイルスごときの小さな厄災に、右往左往、大騒ぎするのだ。

 天は、恵みも厄災も、いついかなる国、人にも平等にもたらす。平等に降りかかってきた危機を、キッチリと対処して乗り越え、現在、復興してこれたのは、日本の歴史をみれば、明らかだ。それは、昔から、国民一人一人が〔真・善・美〕の法を、自分を超越する天の法を、世界観の内に抱えているからだ。そして、与えられた自分の仕事を、一人一人がフェイクでごまかさず、きっちりとやり遂げるからなのだ。一見、そして、一時期、金と力で繁栄しているようにみえるが、〔真・善・美〕の法に沿わないかぎり、存在と歴史は長続きすることを許してはいない。

 武漢ウイルス以後の世界は、金と力(人間の欲望のシンボル)を世界観に持つ国や国民や団体が、〔真・善・美〕の法を世界観に持つ国や国民や団体とが入れ替わるだろう。三陸大地震の後、日本で構造的変化があったように、何年か立つと世界の歴史がそれを証明することを、私は確信している。

 という訳で、私はこれから〈美〉という超越に向かって絵を描きます。それが、天から与えられた、画家の使命なのだから。

『画中日記』2020.05.04【武漢ウイルス(4)】〈ポスト中共ウイルスは〉

 いまだ、日本でもウイルスで騒々しいが、国民は心配することはない。全元論を世界観に持つ日本人は、明日、太陽が、無事に東の空に昇るかどうかなど、心配などしない。国民一人一人が、自分の与えられた仕事をキッチリとこなして、過ごしさえすれば、毎年来る台風と同じくらいの出来事で終息するだろう。

 たぶんこれは、日本だけのことで、世界中の国では、権力者や金持ちから国民一人一人まで、世界観の間違いを気付き、反省し、正さなければ、その世界観の間違いが、もともとの原因なのだから、それらの勢力は次第に消えていくだろう。

 世界中の紛争は、ヤクザどうしの争いなのだから、どちらが勝とうと、被害を受けるのは、当事者が一番大きいのだから、日本も国民一人一人も、紛争の局地戦の現場に関わってはいけない。正しく行動していればいいのだ。

 現場で関わらずにはいられない、日本の政治家、官僚、自衛隊等の人たちも、やっていることにはオマカセしていればいいのだ。人のやることにケチばかりつける人には「お前がやれ!」と言いたい。仕事のスキルを持っていない人は、かつての民主等政権の時のように、なにも処理出来なかったではないか。

 神一元論の世界観から、ルネッサンス→人間主義(ヒューマニズム)→カント→ヘーゲル→マルクスの西洋近代哲学が世界の覇権を拡げ、実際の領土、力、お金を握ってきたが、唯一、日本だけそれに屈せず生き残った。

 世界は映画『ゴッドファーザー』の世界なのだ。それが、今も続いている。そうだから、小さなウイルスをきっかけにして、世界大戦にまでなるのだ。どちらが勝とうが、これは、賭場でのヤクザどうしのお金がらみの争いなのだから、真面目な、正業で生きてきて、生きている日本及び日本人は、今まで通りの態度で関わっていけばいいのだ。

 最終的には、一方が賭場の金を独り占めにした時に、その後、そのお金は無価値になるだろう。カルロス・ゴーンの2代にわたった、結果としてのお金と、J・F・ケネディーの父親のお金の作り方と、その結果としての大統領就任とその後の暗殺、それらをみれば、今回の、中共ウイルスの結果も明らかだ。

 ヤクザは、なにも仕事はできない、なにも生産できない。賭場は、正業の人がお金を入れなければ続けられない。だから、正業の人が損をするのだ。素人のお客がいなくなれば、反社会行為でお金を入れ続けなければ、開帳できない。

 人にとって、世界で宗教(世界金銭教、私の造語)ともなっているお金の話はまた、いつかまとめて、書きます。いずれにせよ、この成り行き、結果に、そして未来に、日本国民は心配は要りません。

 

『画中日記』2020.05.06【武漢ウイルス(5)】

 被害に遭われた方には誠にお気の毒だが、先の東日本大地震の後、民主党政権が倒れ、阿部内閣が現在まで続き、原発事故も含めて、その時の日本人の行動と、その後の復興が、世界の人々に感動を与えた。災難に遭った時、その時の行動が、人格を問われる。義援金をちょろまかしたり、火事場泥棒をしたり、災害で儲けようとする人たちは、後で、必ず罰が下る。

 来年には、世界はガラッと変わるだろう。大震災後に、民主党が消え、その後の政党も先細り、新聞やテレビ、広告業界を含めたマスコミ界が退潮したのとおなじように、今度の、ウイルス騒動以後は、世界が大きく変わっていく端緒になるだろう。「悪因悪果、善因善果」で、「悪の栄えたためしなし」である。

 下の文章は、11年前の「画中日記」をペーストしたものです。その時の、私と私の周りの状況と、今の状況では隔世の感があります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 2009.05.11【ウィルスか薬か】

最近の、新型インフルエンザに対するニュースや世間の過剰な対応には複雑な思いに襲われる。一つは、ウィルスは〈もの〉であるので身体の病原菌であるが、思想や宗教や芸術などの精神的な病原菌に対する対応はどうするのか。二つ目は、ウィルスはすべての人にとって害毒で文句のつけようがないが、精神的なものは世界観の持ち主本人にとってはむしろ病気を蔓延させたいのではないだろうか。

「丘の上の愚か者」と「麓の住人」の関係に似ている。「丘の上の住人」は、自分自身のことを〈薬〉だとおもっているので世のため人のため「麓の住人」の病気を治そうとしているのだが、麓の住人からは〈ウィルス〉だとみられている。「麓の住人」は多数派なので決して自分のことを保菌者だとはおもわない。

人は、病気に感染することもあるし保菌者になって他の人を感染させることもある。隔離させられることもあるし、自ら引き蘢ることもある。うつされることもあるし、うつすこともある。

「丘の上の住人」の一人としては、こう叫びたい。「私は〈ウィルス〉ではないのだ。私はあなたたちを元気にする〈薬〉なのだ!! 」

『画中日記』2020.05.06【武漢ウイルス(6)】

 武漢ウイルス問題は峠を越して、日本では「大山鳴動して鼠一匹」になりそうだ。市民も現場も政治も、ベストを尽くしてくれて、私の、当初からの予想通りになるだろう。

 しかし、世界はそうはいかないよ。ウイルスの発生源が、当初からネットでの噂通りの「武漢ウイルス研究所」であるならば、研究所を造り、ウイルスを作った、原因の解明が、これから先、どんどん進むだろう。以前ならば、根も葉もない陰謀説で片付けられたであろうけれど、今は、ネットの力で情報は瞬時に世界中に拡がる。マスコミがどんなにごまかそうとしても、真実には勝てない。武漢ウイルス研究所の設立、研究の関わった、国や人、金の流れは、アメリカの内部にも、影響するだろう。クリントン、オバマと続き、ヒラリーに引き継がせようとした、トランプが大統領になる以前のアメリカのことを考えれば、その勢力の絵図は予想がつく。アメリカのマスコミがトランプを目のカタキにし、日本のマスコミが安倍首相を目のカタキにする理由も炙り出されてくる。今回は、今後その証拠も出てくるだろうから、関係した当事者たちは、必死に隠蔽工作か、それも無理なら、論点ずらしで足掻くことだろう。

 日本にも、この勢力は当然、過去もあったし、今もあるが、これは、日本ではそのうちに消えていくだろう。日本人の世界観が、天のモラルに反する行為には、本人に罰があたるということ、「自業自得」を信じているから。

 フランスも研究に協力したというが、これは、微妙な問題なので、私には今判断できない。

『画中日記』2020.05.11【武漢ウイルス(7)】

 今から11年前。この頃の日本の状況は、政治、経済、文化をマスコミが情報を独占、操作して、この年の9月に民主党政権(鳩山首相)を誕生させた。麓の世界が、この頃から東北大震災後までの数年間は、〈真・善・美〉の規範のない、本当に、悪夢のような時代だった。戦後からずっと続いてきた戦後レジームは、いまだに残滓は残っているが、武漢ウイルスで、弱り目に祟り目で、騒動以後は、その存在がより明らかになり、内部崩壊して消えていくだろう。

ーーーーーーーーーーーーー

『画中日記』2009.06.12【生きられる空間の相転移-2】

人間は誰もが(セザンヌやマチスといえども)麓で生まれ育ったので出自がもともと悪い。種が悪いのである。その種が育つときに最初は家庭、その次は学校、そして社会と、可塑的な人間は順次各自の環境の雌型によって自己の〈生きられる世界〉の型を作るのである。生まれ育った周りの環境がもともと麓なので、ナチュラルに人生を送れば麓の住人になるのは当然のことで、丘の上の住人になろうとすると、その〈生きられる空間〉そのものを相転移しなければ、できなければ、〈美〉という超越に届く筈がない。

そして、〈生きられる空間〉そのものの相転移なので、麓の住人からみれば丘の上の住人の生き方の規範が理解できないのである。そして、麓の住人の幸福の条件を満たしていない丘の上の住人は、つまり「助さん角さん」もいないし「印籠」ももっていないみすぼらしい老人は、セザンヌのように麓の住人の子供たちから石を投げられるのである。

『画中日記』2020.05.12【武漢ウイルス(8)】

 日本は、安倍首相で間に合ったが、日本以外の国はこれからが大変だ。やくざが、やくざとしてしか生きていけないとしたら、内部で金を奪い合うしかない。やくざは、足を洗って正業につくしか、ゴーンのように「因果応報」で悪果しか生まないのだ。その点で、トランプのナショナリズムは正解だ。

下記にペーストした私の文章は、コロナ禍の今は、隔世の感がある周りの世界状況だ。過去(戦後から東北大震災まで)に日本が苦しめられたことに、今、世界は苦しめられている。

ーーーーーーーーーーーーーー

『画中日記』2009.06.13【生きられる空間の相転移-3】

生きられる空間の相転移は実人生では困難で希有のことで、つまり精神は丘の上で暮らしていても現実の生活の周りは麓の住人ばかりなので、孤独に耐えて超越に向かう強い意志を持続させなければならない。いちばん身近な肉親や家族や「助さん角さん」さえも、麓の住人なのだから。しかしそれでも、生きられる空間の相転移をしなければ、つまり生活環境(自分を入れる容器としての空間)と生活態度(生き方)を指向する目標に一致させなければ決してセザンヌのような画は描けないだろう。生きられる空間がナチュラルなままではどんなに努力を重ねても無理なことで、それは、内と外がフラクタル(全体と部分が自己相似の図形)だと考えれば、当然のことなのだ。(フラクタルということが解りにくければ鋳物を考えてみればいい。ブロンズ彫刻は雌型のとおりに作品が生まれる)

『画中日記』2020.05.13【武漢ウイルス(9)

 11年前の、この決断が、2010年(64歳)の東伊豆でのイーゼル画(直接描画)への挑戦のきっかけになる。そして、2011年の東北大震災で潮流が変わり、2012年の第二次安部内閣誕生、現在のコロナ禍の日本。日本も、その中に生きている私も、持っている羅針盤は正しい方向を、示している。

ーーーーーーーーーーーーーーー

『画中日記』2009.06.14【生きられる空間の相転移-4】

この2、3日の考えは競馬の4コーナー過ぎの僕の人生にとって、重要なエポックになることだろう。社会に対するポリシー(基本戦略)の変更を含むからだ。

ここ数年間は麓に降りていって芸術を伝導、折伏つもりでやってきたがここらへんでポリシー(戦略)を変える頃かもしれない。麓の住人と接触すると必ず自分の「生きられる空間」の一部が壊れる。おまけに、麓の住人は決して相転移はしない。麓の住人は決して丘の上に登ろうとはしない。誰もが麓で神殿を建てることが究極のゴールなのだから。

ハイリスクノーリターンを覚悟し、生活空間ごと相転移を意志する人だけが丘の上の住人になれるのだから人類史上何人も丘上の人がいないのは当然なことだ。登る途中で食料が尽きたりブッシュに阻まれたり道に迷って遭難したりでハードルは高く聳えている。たどり着けずに討ち死にした無名の死体は累々としている。たとえ丘の上にたどりつけても豪華な神殿はない。ただ何もない渺々とした草原があるだけなのだ。強い風の吹く渺々とした丘の草原で雲の中に頭を突っ込んでただ咆哮することを許されるだけなのだ。

それでも丘の上に登りたい。僕の走っているレースが、直線の長い競馬場であることを願っている。4コーナーでこれらのことに気付けて本当によかった。画家になってよかった。

『画中日記』2020.05.14【武漢ウイルス(10)】

 11年前、私は〔生きられる空間の相転移〕を決意した。その後、2010年にイーゼル画を描くために東伊豆の借家を借りる。家賃は国民年金が2011年からおりるので、フライング気味だけど、なんとかなるだろう、と考え、その後、イーゼル画の、圧倒的、根本的な認識の転移の過程で、道元に出会い、道元から遡ってお釈迦さまに出会った。そして、今に至っている。

 「世界はそうなっている」。

 ヒラリー・クリントンが大統領であったならば、アメリカは、戦後レジームが続いていた東北大震災前の体制の日本と、相似している。それは当然で、戦後レジームの絵図はアメリカが創ったのだから。世界存在の軌持〔真・善・美〕に沿っていない、国、組織、人間は消え去る。日本と日本人は、いつもと同じ態度で生きていれば大丈夫だ。

 世界中の戦後レジームの勢力は、全力で日本を攻撃してくるだろうが、むしろ、世界は日本を頼りにしている。東北大震災で日本が本来の日本に戻ったように、ポストコロナの世界は、日本が、世界観、人生観の見本となって、大きく変わっていくだろう。

『画中日記』2020.05.14【世界はそうなっている】

 私は、2018年の暮れに『全元論』という、本を自費出版した。この本は、2016年に、録音文字起こしをしたまま、途中で頓挫してまま眠っていたものが、偶然の巡り合わせで復活、実現したものだ。

 『全元論』は、これも自費で出版した2005年の『芸術の杣径』、2009年の『芸術の哲学』の2冊についで、私の3冊目の文章の本だ。この本は、前2冊で言い尽くしたと思っていた私の芸術への考えが、2010年に始めた、イーゼル画とその過程で出遭った、道元の世界観によって、世界の見え方、認識が大きく変わった、そのところを、外化して、自分で確認したいためだ。世阿弥のいう「離見の見」でこれは昔から自分の絵に対して行なっていたことだ。

 〔全元論〕で世界を見れば、存在してはならない、存在できない、形態の歪みや、階調(ヴァルール)の狂いはすぐにみえる。だから、アトリエで絵ばかり描いてきた人間にも、今回のコロナ禍の世界の動きと、今後の予想もつくのだ。

 下記に、『全元論』からの抜き書きをペーストします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

日本ではその「全体で動いている」という思考が、ずっと底流に流れてきた。さらにそうやって、全体が〔一〕、全体で〔一〕として国も文化も奇跡的に生き続けている。道元も文庫本にもなっているくらいだから誰もが知っている。いつの時代にも、さまざまな分野で、自分の仕事にベストを尽くし、お国の為に頑張っているし、時代が必要とすれば、その必要性に応(こた)える人物が必ず出てきている。

 

裏で大きく邪悪な陰謀(お金)が動いているのだろうが、世界の難民の問題などは、僕は、情けないと思うし、自分の祖国がそんな国に生まれた国民は、自分の祖国に誇りを持てない国民は、可哀想だともおもう。自分の祖国を捨て、他国の国民になることに疚(やま)しさを感じないのだろうか。祖国がそんな状態の時に逃げないで、身を捨てても自分達の国を良くしようという人物は出ないのだろうか。難民になってよその国に行って「差別されている…」などと不満を言うなんて、情けなく、可哀想なことだ。日本人なら困難な事態に遭遇したら逃げるだろうか。逃げないと僕は思う。また、かっての日本人は、外国と戦っても、仮に内乱があったとしても武士同士の戦いだけなので、虐殺などなく、日本人は逃げる必要も気もなかったのだろう。パナマ文書のように他の国で税金を逃れたりするなんて、よその国に行ってこっそりと自国のお金を外貨に換えて財産を隠すなんて、そんな思考で自分の国が良くなるはずがない。自分の命や、自分の権力や、自分のお金のために、平気で他者や他国や自然を、蹂躙し虐殺し汚すような人達が跋扈(ばっこ)する国が、良くならないのは当たり前のことだ。

ー(中略)ー

運命的なのではなく、今、今、今と、未来に向かって開かれているのだ。過去はどうにもならないけれど、どうにもならない事項もまた、そういうことで成り立ってきたのだ。全体としてはそんな形で回っており、昨日も今日も明日も明後日も、たとえば津波があっても戦争があっても、ある程度のところできちんと終わっているし、終わらせたし、みんなでいつのまにか再興させた。日本がそうであるように、シジフォスの神話の人生観ではない、日本人の世界観(全元論)が世界に広まれば、いずれ世界もそうなるだろう。

ー(中略)ー

日本は奇跡のような国だ。今年(2017)は皇紀で言えば2677年で、世界でこんなに存続している国はない(ギネスブックに世界最古の国として登録されている)。一元論の国どうしによる戦いというのは、日本における戦争観とまったく違うのだ。日本以外では、文化も含めて相手を叩きつぶすという考えである。当時の先進国であり文化を誇っていた唐も宋も、今では中国にその姿が少しも残っていない。道元の先師であった如浄(にょじょう)や画家の牧谿(もっけい)などの先人を、今の中国人は知っているのだろうか(牧谿の作品は日本にしか残っていない)。ギリシャの哲学は、ギリシャでその後どうなっただろうか。ドイツの音楽もフランスの絵画も、もうその時々限りでせっかくあれだけのものが存在したのに、一時限りであった。

 

一方で日本は、良いものを残し続けてきた奇跡のような国家である。伊勢神宮は、あれは過去のものでなく、遷宮しながら今生きているのだ。パルテノンの遺跡とは違い、あんなにも美しくずっと生きて維持している。

ー(中略)ー

しかし、最近ではネットで真相が叩かれたり、出版業界がおかしくなったりしている。とはいえ従来の一部の出版社がおかしくなっただけで、むしろ出版は売れているとも言えるのだ。いずれ志(こころざし)は、「真・善・美」は、しっかりと残っていくのだ。大本(おおもと)の原則、というか最上位概念というか、全元論でいえば世界存在そのもの、に添わないものは、どんなに金をつぎ込んでも、それが間違っていたら、つまり偽と分かっていることにいくら労力と金をつぎ込んでもうまく行かない。偽である限りはうまく行かない。あくまでも真でないといけない。あくまでも真・善・美でなくては存続できない。裸の王様は裸が真なので、どんなに、金と権力を使っても、偽は真にはならない。嘘は何度ついても、大声で脅したりデモをやっても、本当にはならない。竜安寺の石庭は今もちゃんと在るし、『正法眼蔵』は文庫本で書店に並んでいるし、モナリザは、デュシャンの作品で髭をかかれても、今も変わらず微笑んでいる。

『画中日記』2020.05.29【人間の物差し(1)】

 正倉院の宝物に物差しがあって、それを復元、制作している人の展覧会を先年藤屋画廊で観た。物差しを、美しく精巧に造って、宝物にして、後世に残すことも、その当時の最高の職人の技術を、今も伝承している人がいることも、日本が、世界の中で、奇跡的な国だということの証だ。

 つまり、物を測る物差しは、公に共通な宝物で、しっかりと伝承して守っていかなければならない、という世界観だ。この考えの上位概念は、真理が世界を通貫しているということを前提としている。物理学の真理を証明するのに数学を使うのに、数学の真理の前提がなければ、物理学そのものが瓦解するではないか。

 その同じ長さの物差しで測って造ったので、東大寺は、世界最古の木造建築物として今も生きているのだし、日本の技術は、昔から、今も世界に冠たるものなのだ。

 何人かで仕事をする場合、また、メンテナンスや修理修復復元する場合、一番大本(おおもと)の共通した物差しと共通した世界観、正しさは共通して世界を通貫しているという思想がないと、フェイクな仕事しかできない。

 去年、フランスのノートルダム大聖堂が火災にあったが、日本ならば、同じような聖堂に、再建できるだろうし、するだろうが、フランスでは再建する技術を持っていないのではないかな。もし、同じものを建てるのなら、日本以外の国なら、膨大な天文学的な費用と時間がかかるだろう。だから、新たに、別の建物を計画しているのではないかな。つづく。

『画中日記』2020.05.30【人間の物差し(2)】

 真理だけでなく、真理がそうなら、人間の個々の実存を超えた、超越〔真・善・美〕は世界をオールオーバーに通貫している。これが、日本と日本人の共通の世界観である。この日本人の常識が、世界中からは不思議で、特殊に見えるのである。あまねく、平等に、普遍的に通貫しているので、真善美は時代や地域や文化を超えて妥当していると信じている。そして、日本ではその世界観で生活しているので、日本以外の国の人も、当然そうだろうと思っている。

 〔真・善・美〕は、人間の力で変えられるものではない。金や暴力やハニートラップで、世の中はどうにでもなるという考える人は、もともと、自分の世界観の内に、超越〔真・善・美〕を持っていないのである。もともと、真を持っていなければ嘘をついても平気だ。息を吐くように嘘をつく人は、善という概念もないので、悪いことをしても、見つからなかったり、裁判で無罪になれば、その行為自体を恥かしいと思うこともない。(つづく)

 昨日の夜と、今朝、ホトトギスの初鳴きを聴く。柏のアトリエで、ホトトギスを意識して聴いたのは初めてだ。季節は、もう初夏だなあ。

『画中日記』2020.05.31【人間の物差し(3)】

 人生は、正しい地図を作り、正しい方向を決め、正しい物差しを持って生きていかなくては、どこにも行き着けない。それを持たないと、生きる目的とエネルギーは、自分の欲望の満足しかなくなる。

 ニーチェは、キリスト教の神を殺し、実存主義の祖と言ってもいい哲学者だ。ギリシャ哲学のアポロン的(真・善・美)なるものを否定し、ディオニッソス的(欲望、快楽)なものを肯定、希求した。著書『ツァラトストラはかく語りき』のツァラツストラとはゾロアスター教の開祖ゾロアスターのことだ。キリスト教では、人間の原罪を、罪と認識している。だから、告解や懺悔や改悛があるのだ。しかし、神が無くなり、世界のなかで、実存がたった一人、ニーチェのいう超人として生きていくのは、心細く、過酷だ。何か、自分を超えた、神に代替するものを持たなくては、個々一人一人の人間はあまりにも卑小で、ただ生きていくだけで大変だし、当の、求めている自分の欲望さえ満足させられない。だから、フリーメーソン等各種秘密結社は、〔悪魔信仰〕と人間の欲望のシンボルであるお金と結びつくのだ。

『画中日記』2020.06.01【S氏へのメール】

 世界中の絵描きの根本的な分岐点は、「美」の問題をどうとらえるかです。美は、国や文化や時代とともに変わるし、人それぞれで百人百通りだと考えるか、美は〔真・善・美〕のうちの一つで、人間の外側に客観的、超越的に実在しているという考え方です。私は、美は、真理や善と同じように、真理が人そぞれで無いように、実在していると確信しています。

 私は、若い頃は、自分のイズムを実存主義で生きようと決めていました。ご承知のように、実存主義で絵を描けば、シュールレアリズムや表現主義やダダイズムになります。ところが、私の目は、どうしても実存主義とは真逆の、美くしい作品に惹かれるのです。人生上での実存主義と、芸術上での超越的な美への志向と、その齟齬を抱えたまま、絵はあちこちと迷いました。だから、私の絵はドラスティックに変転したのです。

 しかし、今は、イーゼル画とイーゼル画を始めた頃に出遭った道元のおかげで、〔真・善・美〕は実在することを、確信しています。美が超越的に実在するのなら、真理に向かって各種学者が努力するように、画家は、日々、美に向かって肉薄するだけです。方法は仮説演繹法で、科学者のとる方法です。この方法にはスランプはありません。美しい作品ができないのは、仮説の間違いか、自分のスキルの不足だからです。この行為に、自我や、人生上の諸々の問題が入ってくる余地はありません。

 画家が絵を描くモチベーションに、3種類あります、①自分のオファー②地のオファー③天のオファー。①の、自分のオファーは一番ダメで、自己満足で子供の絵のようなものです。②の地のオファーは、これは、きっちりとこなせるスキルを持たなくてはなりません。しかし、地のオファーは、オファーがなくなれば、描く意味を失います。③の天のオファーは、これを感じると画家冥利につきますよ。ハイリスクノーリターンの画家に一生をかけてきてよかったと、つくづく思います。

私は、貴方に出会った時から、何度か絵について口出ししましたが、それは、貴方が、天のオファーが降りてくる資格を持っていることを感じたからなのです。

 私が、東伊豆に借家を借りてイーゼル画を始めたのは、2010年の5月で10年前です。やり始めた時の、生活上の不安と、まず、何をどうやって描くのかという問題で、戸惑いに溢れていました。イーゼルを立て、風景を前にすると、まず眼前の風景に枠が無い。どこからどこまで描くのか、等々、初っぱなからクリアしなければならない問題が次々に出てきました。

やるもんだねぇ。10年経って、数々の絵画上のハードルを乗り越えて、何でも描けるスキルが付いてくれば、天の方から「モデル代もとらないのだから、お前しか描けないのだから、今から見せるから、美しく描いてチョーダイ」というオファーを受け、その結果、美しい作品が、キャンバス上に現成できれば、まさに「ユーレカ」と叫びたい幸せです。

 待っていても、天のオファーは降りてきてくれません。つまらない、卑小な自己になど囚われないで、ただ、黙って一人、世界存在の前でイーゼルを立てることを勧めます。描写のスキルがついてくれば、天のオファーを身の中に感じます。天のオファーが来ないのは、自分の責任なので、努力するしかありません。ただしこの過程には、一切見返りはありません。「竿頭歩を一歩進む」です。

『画中日記』2020.06.02【S氏へのメール】

 私は、日本人の世界観と先人たちの絵のおかげで、希求する方向と距離は理解していました。でも、何度もトライしたのですが、手がかりさえつかめず、その方法が解りませんでした。2009年の横浜でのセザンヌ展を観て、やっと、手がかりの糸口をつかみました。それで、2010年にイーゼル画を描くことを、決意したのです。

 世の中には、氷上で4回転半跳べる人がいます。そこに至る方法が解らない人には、神業とか、特別に選ばれた才能だと見えるでしょう。でもその方法さえ解れば、跳べるのです。同じ人間が、跳んだのですから。お釈迦さまも、修行をつめばだれでも成仏できる、といっています。

 モネやセザンヌや昔の日本の画家は、世界の〔見えたまま〕を描いているのです。それに気づいたので、イーゼル画を半世紀ぶりに決断したのです。間に合わないかも知れません。しかし、方法に気づき、それしか方法はないとしたら、イーゼル画をやらなければ、若い時に、一生を芸術にかけようと志した私の人生の意味(レーゾンデートル)が無くなります。

 氷上で4回転半跳ぶ人も、最初は1回転から始めたのですから。この方向の努力の先に2回転、3回転、4回転、5回転があるのですから、あとは、練習し努力するだけです。かりに、1回転しか跳べなくても、1回転跳んだ時の喜びは大きいですよ。仏教では、この方向で修行することを「予流果(よるか)」といいます。

 まず、イーゼル画で風景を描いてみてください。いかに、自分が何も見ていなかったことに気づくし、描写の認識の間違いにきづくでしょう。そして、人間の裸眼(目を意識から独立させる、眼の上に意識の余計なフィルターをかけない)の素晴らしさに気づくでしょう。

 今は工事中ですが、私のサイトの『画中日記』の2009年、2010年を見てください。その頃のことを書いています。

https://okanokouseki.com/?fbclid=IwAR35TY_U31hpsIpHzRkX_vpwnHCpTkcvnGpnGvLLQtk3oSBjgub3igs8sPg

『画中日記』2020.06.05【かつて描いていた】

 今日紙にアクリル、パステルで『2捻光』を2枚描き上げフェイスブックにアップした。アップして、なんだか昔、似たような作品を描いた記憶があったので、資料を調べてみると、下の2点が出てきた。

 この2点は、当時、墨で半紙に、何点もエスキースしていた頃のものだ。数が沢山あるので、裏打ちも本を買ってきて、道具ややり方を調べ、自分でやった。料理と同じく、今はパソコンで情報を調べられるので、便利になったものだが、当時はこんなことも、大変だった。自分でやらなければ、お金がかかってしょうがない。

 1点は刷毛に薄い墨を含ませ、一方にだけ濃い墨をつけて刷毛を3回捻じりながら一筆で描いたものだ。もう一方は、濃淡2本の筆を同時に持って、やはり、3回捻って、一気に描いた。描く前に、手の捻じりを、大分練習したから上手く描けているが、先年、色紙に描こうとしたが、手の捻りを忘れていて描けなかった。

 描いたのが、1998年だから、今から22年前である。まだ、イーゼル画も道元も出遭う前だ。22年後の私の絵がどうなるか、予想もついていない。

 現在の世界観に統合する前の、過去の1ピースも、キッチリと連続して、今の作品に現成すると、過去の、自分の向かっていた方向の正しさに、満足する。

『画中日記』2020.06.06【S氏へのメール】

 第一の分別心は、自我意識のバイアスです。私の場合も、イーゼル画に戻ると、一見絵がヘタクソに見えました。その時に、絵をカッコよくしようとか、ウマそうに見せようとかの、絵作りの誘惑にかられます。この時に、意識を遮断して、眼を独立させて、見える通りに描写に徹することです。誘惑は自我の欲望です。ここを解脱することです。

 第二の空気感というのは、物と物の周りの空間を別々に認識しているからです。例えば、月を描く場合を設定してください。画家が月を描く場合に目が見ている月は、実は月そのものではなく、月に当たった太陽の光なのです。太陽から発した光が月に当たり、その光が網膜まで届いているのです。これは昼間でも同じです。物に当たった光を見ているのです。リアリズムは物を描こうとするので、絵具が物の表面に張り付いていますが、印象派は光を描いているので、モチーフの表面から浮いています。ですから、輪郭がボヤけているのです。

 光を描く場合、絵具だと混色すると光量が落ちるという問題が持ち上がりますが、これには、マチスは大変苦労しましたし、印象派の技法はこの戦いの歴史です。これは、カラー印刷の歴史でもあるのです。パソコンの画面の光をプリンターで顔料で印刷する時に、光の三原色を色の三原色に数値化しているのです。光の場合、地は黒、光の三原色は緑、紫、茶、3色混ざると白、隣の2色を混ぜると、赤青黄、プリンターの三原色は、赤青黄、混ぜると紫緑茶、全部混ぜると黒。私はこれを知った時、信じれなくて、懐中電灯を3本買って、伊東屋でセロファンの緑紫茶を買ってきて、黒い平面に照射ししてみました。美しいですよ。それを絵具で描くという変換をキャンバスの上でするのです。

 ですから、絵具の中で、最も光量が高い色は白です。光量を上げるには白を混ぜるしかありません。そのため、今最も白く不透明な白は、チタニウムホワイトで、私にはこのホワイトは必須の絵具です。

『画中日記』2020.06.07【S氏へのメール】

 人間が、真理に到達する方法で科学者が使う方法は、仮説演繹法です。画家も美に到達する方法は仮説演繹法しかありません。

まず、具体的な、実験を試して下さい。白い壁か、紙に、プリズムで虹色を投射してそれを、描写してください。虹色は光です。実体はありません。白い紙の色は白ですが、明度は、紙の白よりも虹の方が明るいです。さあ、どうやったらそれを描写出来るのでしょうか。その描写方が解れば、空にかかる虹が描けます。それが描けないと、虹は空に虹色の帯があるように見えます。その次は、光源は、どうすれば描写できるのか、これは、難しいですよ。光源からの光は、自分の網膜までの空間を含んでいます。これが描けるようになると、太陽や月が描けるようになります。貴方の言う空気感は、光が描けるようになると、自然に解決するとおもいます。物の認識で、物を描こうとするといつまで経っても、乗り越えられません。やや遠回りになりますが、以上ことをやってみてください。その仕組みと技法が解れば、描写力は飛躍的に伸びます。

後で、プリズムを手に入れる店のURLをメールしますので、そこで手に入れてください。

追伸;白い紙の上の虹の、裸眼での正しい描写は必ずやってください。私が、その命題を説いた方程式と身につけた技法は、貴方がその課題を体験した後、伝えます。

『画中日記』2020.06.07【真も善も美も】

 ①と②の写真は、中共の航空母艦『遼寧』の写真。③は先日の自衛隊ブルーインパルス編隊飛行の写真。

 〔真・善・美〕は存在を通貫する世界の法(ダルマ)である。それを国も個人も組織も世界観の羅針盤として生きている、日本と日本人は、もともと、武漢ウイルスごときハッタリに怯え、震えることはないのである。

 もともとインチキなものを、いくらお金をかけて改修しようが、最後まで使い物にならないのは、この写真を見ただけで解る。艦載機の発艦、帰艦の飛行者の訓練から命がけなので、とても実戦では使えそうもない。せいぜい、ハッタリの脅しに使えるだけで、恐るるに足りない。そして、見た目もどこかインチキくさく、グロテスクでしょう。

 ③の写真は美しいでしょう。これだけの一糸乱れぬ編隊飛行をなしとげる、飛行士の技術の練度の高さも勿論だが、ジェット機のビス一個のミスも許されない整備点検メンテナンス、通信器機、各種、コンピューター器機の完全な状態の維持と、情報を読み取る能力。それに加えて、もし実戦ならば、戦況を分析と次の行動の自己判断に迫られる。他の国の、軍隊の専門家は、この写真を見ただけで「これは、とても敵わネェや」とブルって、戦争の抑止力になるだろう。正しき、善き、美しきものは、人間界の中でも妥当し、強いのである。

『画中日記』2020.06.09【摩訶迦葉について】

 フェイスブックへのマハーカッサパ(摩訶迦葉)の詩句のアップが今日で終わった。

 摩訶迦葉は釈迦入滅後、入滅後のサンガについて何も言い残していない集団の中心人物となり、第二祖と言われている。釈迦は、サーリープッタ(舎利弗)を心のうちで自分の後継者と思っていたようだが、サーリープッタは兄弟弟子モッガラーナ(目犍連)と同じ頃、釈迦の生前に没し、残ったサンガを、頭陀第一といわれる摩訶迦葉が率いていったのは自然の流れだろう。マハーカッサパの最大の功績は、まだ文字も使われていなかった時代に、第一結集(けつじゅう)を行ない生前のブッダの言葉を、口承で後世に伝え残したことだ。これが、初期の仏教聖典だ。

 しかし、ブッダ亡き後は、それまではブッダの威光で成り立っていたサンガが、行乞だけで戒律を守り、存続することが困難になってくる。それが、小乗仏教(長老派)と大乗仏教(大衆部)の離反の始まりである。具体的には、保存できる物は、蓄え、所有していいのか、という問題や、行乞で金品による供養は受けていいのかという、戒律の問題である。

 もともと、お釈迦様も大部分の弟子たちもインドの高いカーストの人たちであった。インド社会全体の生活の部分は、低いカーストの人たちが担っている。バラモン教から今のヒンズー教に流れていくインドの社会と、平等、無所有をいう仏教は、大乗仏教に分かれ、やがて、インドでは消えていく。

 しかし、達磨がインドから中国に渡り、中国禅宗の第一祖となり、細い命脈を継なぐ。中国では、禅宗は、出家と在家の二重構造を自給自足で解消する。

『画中日記』2020.06.10【摩訶迦葉について(2)】

 インドから中国に渡った禅宗の六祖慧能は、五祖弘忍から伝衣(でんえ)で嗣法し、神秀の北州禅と分かれ南州禅を興し、後の俊英の弟子たちが集まる。それを、引き継いでいった、天童如浄に道元が運命的な出会いをしたのである。

 日本は、インドとも中国とも、世界のどの国とも違い、歴史や社会が特別の歩みをもった奇跡的な国であった。世俗権力とは別に、神的存在の天皇の下に、万民平等で豊かな自然に恵まれた、もともと、出家者集団(サンガ)のような国だったのです。だから、道元以前に仏教が伝来し、聖徳太子が仏教を国教に定めても、元からある日本の神道とも矛盾なく取り入れていったのです。

 道元が、手ブラで、〔眼横鼻直〕の教えだけを宗から持って帰り、特別な権力者の庇護がなくても、出家と在家の2重構造の矛盾(自分たちの生活を在家の人たちに委ねていて、なおかつ、その仕事を世俗とみる矛盾)をかかえることなく、小乗と大乗の矛盾をかかえることなく、坐禅と布教と『正法眼蔵』の執筆で、一生を充全に生きていけたのは、日本と日本人が特別の世界観を持っていた、そして今も引き継いで持っているおかげなのです。

 その世界観が拙著『全元論』であるし、その世界観で描いた作品が私の絵なのです。

『画中日記』2020.06.18【S・Mさんへのコメント】

 まず、根本的な問題で、虹を描写するということは、どういうことかということを考えなくてはなりません。

 私がプリズムを手に入れて、描く前に考えた疑問は、

①虹は投射する地の色によって、色が変わるのかどうか。

②白い紙に投射した場合は紙の白と虹の各色との明度差はどのようになっているのか。

③紙の白さはどう描けばいいのか。

つまり、虹を描くという命題も、虹自体を単独に切り取って描写するということが、ほとんど意味がないということです。

イーゼルの前に映った虹のモチーフそのものの関係を考え、セッティングして、全部の関係ごと描写してみてください。

そして、一つの平面の上だけでなく、手前にもう一つの平面を作って、投射したり、折った紙の上に投射したりする問題に発展させて考えれば(つまり、空間やフォルムの問題)、虹を描くということが大変な命題で、そのスキルを身に付けるということが画家の必須のトレーニングメソッドだということが解ります。

 今はもう、画家のカリキュラムから排斥された石膏デッサンもやはり必須のメソッドで、室内の一方光線が描けるようになったら、次は、窓からの直射日光にあたった石膏像を描いたり、石膏像を外に持ち出して描いたりすれば、命題は限ぎりなく次々にでてきます。

 これを期に、画家の基礎を身につけてください。

  

『画中日記』2020.06.20【S氏へのメール】

 絵具で、一番明度が高い絵具は、チタニウムホワイトです。これが、限界です。眼前のモチーフの一番明るい場所にヴァルールを合わせると、そこにチタニウムホワイトを使わざるをえません。ですから、私が考えた方法は、虹の中の緑がかった黄色とオレンジがかった黄色の間に、つまり一番明るい場所にホワイトを入れることでした。

 後ろが暗ければ、それで問題なく描写できますが、後ろが白ければその描写はどうするのか。

 虹の中の一番明るいところの白と、紙の白の明度を比べてください。室内だと、虹よりも暗いでしょう。そこで、紙の白にも絵具で調子をつけなければなりません。これを、またまた絵具でヴァルールを合わせて筆のタッチで描写しなくてはなりません。

 つまり、光の当たっているところも、影の部分も、固有色も、光を絵具で描くということは、絵具と筆という限界のあるもので描写するには、なんらかのスキルなしにはフェイクなものしかできないのです。

 同時進行で、静物でも風景でも、イーゼル画をやりながら、習作してください。

 今気付きましたが、紙とプリズムを日の当たる外に出したらどうなるのでしょうか。全光の紙の上には虹が映るのでしょうか。もし映ればそれをどうやって描けばいいのでしょうか。

 添付した私の作品で、2008年の作品はまだ、イーゼル画をやっていない時の作品です。2013年の作品は、イーゼル画で本当に眼前に虹が出ました。しかし、虹を描くスキルを身につけていたおかげで、慌てず焦らず、描写できました。

  

『画中日記』2020.06.30【日本人は仕事師】

 私が高校生の頃、テレビは白黒テレビで『男はつらいよ』は映画化される前で、テレビで何編かやっていた。それを父と一緒に観ていた時に、父が私に話しかけた。「コージ、何でこんなヤツが、テレビドラマの主人公になるんナラ」「こんなヤツと一緒に仕事をしたら、半端な仕事しか出来んじゃろう」。

 父は、三井造船所の職工の底辺から、最後は部下を400人使う、ブルーカラーの頂点の職場長まで仕事一筋で上り詰めた。

 下の、3点の写真は、フェイスブック友達の大倉氏の写真をシェアしたものです。大倉氏のお父上は、私の父が、呉の海軍工廠に出向していて知り合い、玉野の三井造船所に引っ張ってきた。

 この写真を見れば、当時の職工たちの、自分が行う仕事に対するモラルの高さと、自分の仕事と手間をお金に換算しない、無私の態度が伺い知れる。この家はもう、誰も住んでいない、将来住む予定のない家である。

 寸法を事前に測り、材料を揃え(当時、ホームセンターはあったのだろうか)、現場の島に運び、そして、鉄骨の足場もないところで本職でない仕事を、本職以上にこなしている。

 こういう人たちが、新しいいタンカー船の建造や、新工法の開発を土台から支えてきたのだ。

 そして、大倉氏のお父上や私の父だけでなく、日本のあらゆる分野の目立たないところで、フェイクや半端な仕事ではない、完璧な仕事をして、死んでいったのだ。こんな日本が、フェイクが大手をふってまかり通る国なんかに、負けるはずが微塵もないのである。

  

『画中日記』2020.07.02【DMの発送が終わる】

 来る7月22日~8月8日、銀座藤屋画廊での個展のDMの発送を昨日終えた。かつては、何百枚もの宛名書きは、気が重い作業だったが、今は、パソコンで、1日で終わった(以前はパソコンでも、すんなりサクサクとは進まなかったが)。画の上ではもちろんだが、画以外の部分も、まだ、伸びしろはあるよ。

 個展会期中は、毎日在廊していますので、画廊でお会いしましょう。1年中絵ばかり描いている毎日で、人と会って話をするのは、展覧会の時くらいなので、万難を排してお出でください。楽しみにしています。

 展覧会直前に、もう一度アップいたします。

  

『画中日記』2020.07.06【個展の準備を終える】

 来る7月22日~8月8日、銀座藤屋画廊での個展の準備が全て終わった。昔のように、絵が売れてお金があれば、個展も簡単に開催できるが、絵も売れず、収入は国民年金だけの「タケノコ生活」では、額から額の外箱作りまで自分で作らなければならない。個展をやるのは、若い時から慣れているので、スイスイこなせるが、手違いなく開催にこぎつけるのは、結構大仕事なのだ。

 それが、一昨日終了した。

 昨日は、アクリル、パステル オン ペーパーで、4点描き始めた。個展まではオン ペーパーでエスキースを楽しもうと思う。

『画中日記』2020.07.15【明見君からのコチョウランの写真

 昨年、私の故郷で開催した『玉野百景展』の時に島根県の今井美術館から届けられ、展覧会後にムリをいって明見君に持っていってもらったコチョウランが今年再び花を咲かせた。奥さんが花の世話をしたらしいが、ありがとう。私の個展前なので縁起がよく嬉しいことだ。

 後ろの絵は『玉野百景展』に展示した、葛島の絵。明見君は、私の小、中学校の同級生。

『画中日記』2020.07.20【個展の搬入飾り付け

 今日は、昼からの藤屋画廊での私の個展の搬入飾り付けで、10時過ぎにアトリエから出る予定だ。個展の開催は22日(木)からだが、このところのウイルス禍で前の個展予定の開催が別の日に延びたらしく、早めに搬入することになった。

 今回の個展は、私にとっては意義深い個展だ。

 世界は大きく変わろうとしている。この変化の方向は、世界存在の法(ダルマ)の流れに沿って進んでいるのだから、人間の実存の欲望では止められない。世界の中の日本の役割は、今後ますます大きくなっていくだろう。このような、時代の分岐点で、私の個展が重なるのは、これぞ〔天の配剤〕だと、自分勝手に考えます。

 私自身、武漢ウィルス禍で当初の個展予定が延期し、延期したために、その間描いた作品が数点出来、新たな方向の視界も見えてきて、個展後の仕事が、すでに楽しみだ。
 フェイスブックには、デジカメを持っていき、早めアトリエに帰ってくれば、今日中に、飾り付け後の画廊での写真を、アップできるでしょう。

『画中日記』2020.08.09【個展終了

 昨日、個展終了。今回の個展は18日間と期間も長く、武漢ウィルス禍で来廊者も疎らだったが、私としては、手ごたえを感じた個展だった。個展会期中のウィルスに対するそれぞれの考え方と、行動の違いも面白かった。東関東大震災に対する行動とその行動を為す世界観が、その後の日本の政治の流れの分岐点になったように、武漢ウィルスは世界の哲学的潮流を変える分岐点になるだろう。日本では、このまま何事もなく過ぎていくだろうが、冷静に判断対処せず、イタズラに煽って大騒ぎしてきた人も組織も、今後の行動が逆風に遭うだろう。

 個展は過去の結果だが、未来の原因を孕んでいる。個展中の出遭いで、私の近未来の構想に、オプションがいくつか加わったが、どうなるか、どうするかは天の差配で、自然(じねん)に決まっていくだろう。

 武漢ウィルス禍の最中の、個展直後の心境としては、実存主義で生きていた頃には、考えられない平和で安定した、静かな境地だが、これも、イーゼル絵画と道元のおかげだ。

 今日から久しぶりに絵が描ける、嬉しいなぁ。

『画中日記』2020.08.11【日帰り温泉】

 個展中は毎日シャワーだったので、久しぶりに今日手賀沼の日帰り温泉に行ってきた。お客は夏休みだからなのか、客足はだいぶ戻って来ている。

 自分だけの、狭い世界観が、世界の標準だと思うと大間違いで、かつてキャンバス上に定着した数多くの風景は、昔も今も、時を刻んでいる。コロナ禍で、世界は騒々しいが、日帰り温泉の2階からの梨畑(幸水)の風景は、4月9日の梨の花から、もう実を収穫して、道路端の直売所で売っている。私が銀座の画廊に通っている間、この梨畑の上にも、洩らすことなき天の法が流れていたのだ。

 帰りは、「道の駅沼南」からだが、最近は一つ先の「新箕輪」から乗車している。回り道をして歩くのと、バス停の近くに座って、アリの巣を観察してバスの待ち時間を過ごすのが、最近のルーティンだ。今日は一つ発見したし、新たな疑問が生まれた。巣の外には働いているアリが見られない。何故か? 子供の時、昆虫少年だった残滓の血が騒ぐ。

『画中日記』2020.09.02【昆虫観察】

 子供の頃は、昆虫少年でもあったので、73歳になっても、いまだに道端の昆虫に目が留まる。ここ2、3年産卵時の大雨で見られなかった、バス停の近くのクロアナバチの巣穴が、今年は少ないが復活している。8月11日の新箕輪のバス停のアリの巣も、アリの数は少なく、コロニーは小さくなっているが、なんとか生き抜いているらしい。

 20代に、北海道の手稲に住んでいた頃、借家の裏の畑に、エゾアカアリの巣があって、クロアリの巣を襲って、繭を奪って、自分の巣に運ぶまで、観察したことがあった。昨日思いついて、ユーチューブで検索してみると、多くのアリを飼っているユーチューバーが動画を上げている。エゾアカアリも飼っている人がいて、さっそくブックマークに登録しておいた。他にも、いろいろ飼っていて、当分見るのが楽しめそうだ。

 若い時に、今のようなネットの環境だったら、ユーチューバーアーチストとして、『画中日記』や『片瀬白田だより』、『御殿場だより』、『山中湖村だより』、『玉野だより』など、イーゼル画の現場の制作をユーチューブにアップすれば、画家の日々がどんなものかが発信できるとおもう。来年、玉野に別アトリエを持てる可能性があるので、そうなったら、その過程と生活を、ユーチューブにアップすることにチャレンジしようかな。

『画中日記』2020.09.03【彫刻制作中】

 9月1日から、三郷にある、2012年にお亡くなりになった芸大の先輩彫刻家、沖村正康氏の仕事場で、ブロンズ彫刻の原型を制作している。沖村氏の創業した、「(有)三郷工房」は現在、二人の息子さんが彫刻家のための美術鋳物の仕事で、父親の仕事を引き継ぎ頑張っている。

 私が2007年に彫刻を制作した時に、三郷工房でブロンズに鋳造した。その沖村氏の仕事場で、残されている彫刻の道具を使い、再び彫刻を造るのも、天が、その差配をしたのだろう。

 私がこの彫刻を造ることになった経緯(いきさつ)は、作品が完成した時に、改めて詳しく書きます。

『画中日記』2020.09.09【油土による彫刻原型制作が終わる】

 9月1日から始めた、彫刻の原型が今日終わった。これで、後は13日(日)に元自衛隊第一空挺団の西東さんに最終チェックをしてもらって、石膏型取り、シリコン型取り、ブロンズ鋳造と進む。これからは完成まで、三郷工房の仕事で、私は立ち会ってチェックすればいいだけだ。

 先日アップした写真にたまたま写っていた17歳の猫のネロが昨日亡くなった。2012年にお亡くなりになった芸大の先輩彫刻家、沖村正康氏の仕事場で、ブロンズ彫刻の原型を制作している私の姿を、老衰した愛猫が、昔の飼い主との生活を思い出し、意識がハッキリした時だけ、ミャアー、ミャアーと話しかけてきた。制作をしながら、私も適当に話かけるが、好意と好意の交流は気持ちのよいものだし、励みにもなった。ネロの死も、自身思い残すことのない大往生で、幸せな猫の一生を送った。

 この彫刻が、この世に現成(げんじょう)するまでに、私、西東修氏、沖村正康氏、沖村康治氏、沖村厚氏、ネロと、多くの因と縁の集まりで、近い将来の完成に向かう。仏教では善因善果、悪因悪果という。善きものの因と縁とが結集して、善きものが出来ないはずがない。

『画中日記』2020.09.16【西東氏のチェックで気付く】

 9月1日から始めた彫刻が、最終段階で根本的な私の発想の間違いに気付いた。

 私の発想は、実戦時(仮想)の空に飛び出す直前の、国を背負った至誠の気持ちだった。つまり、隊員の、自分の内面に向けた、心に向けた解釈だった。

 西東氏の、顔の向き、つまり視線の向きの指摘で、私は大きな私の認識の間違いに気付いた。隊員には、自分の内向きの視線はどこにもないのだ。正しく完璧な、任務遂行しか、自分の心の中にないのだ。神風特攻隊や義烈空挺隊の隊員の内面も、いざ現場に立てば自分の内面に関わる余地はどこにもなかったのだ。映画や小説で描かれた、人文系的、情緒的解釈はフェイクなのだ。

 これは、私が強調する、日頃画家がイーゼル画での現場の視線と同じではないか。描写に〔自分〕を入れてはいけない。

 明日、彫刻を手直しをする。 

『画中日記』2020.09.26【油土での原型を造り終える】

 9月1日から始めた彫刻の、油土での原型を、今日造り終えた。描き慣れた、油絵と違って彫刻なので、予想より時間がかかったが、満足できる作品ができそうだ。今後、三郷工房での何工程かを経て、ブロンズの完成品までもっていくのだが、途中、途中で少し手を入れることができるので、完成するまでは気が抜けない。

 10月1日から、1~2週間玉野に行く予定があるので、その前に、私の分の仕事を終えられてよかった。帰りは、三郷工房から、三郷中央駅(つくばエクスプレス)まで中川の堤の上を歩いていき、流山おおたかの森駅で東武線に乗り換え、柏に帰った。

『画中日記』2020.09.30【明日は玉野】

 明日、10月1日から、玉野に行く。小島地(こしまじ)のまだ描き残した風景と、小島地から滝(たき、地名)にかけての、田園の彼岸花を描くのが目的だ。滞在途中の7、8、9日と島根県の断魚渓にも描きに行く。

 去年の7月に、玉野から柏に帰ってから1年以上、アトリエに籠もりっきりでイーゼル画の現場に立っていなかったので、久々の外光の喜びへの期待に、心が浮き立つ。

 今回の玉野行はもうひとつの用件がある。玉に空家を持っている人が土地ごと私に貰ってくれという話が昨年持ち上がり、当人が今年の藤屋画廊での個展に来廊、その話が現実に動き始めたのだ。アトリエとして使うには、少し手を入れなければならないだろうが、それの手配もしなければならない。この話も、セザンヌのエクス風景のように、玉野の風景をもっと描きなさい、という天からの私へのオファーであろう。天のオファーは忙しい。幸せな老画家だなぁ😄。

 というわけで、フェイスブックの投稿は、今日の投稿で、当分休みます。帰柏したら、『玉野だより』のアップで再開します。

『画中日記』2020.10.11【今日、玉から帰柏】

 今日、玉から帰柏。明日から『玉野だより』の最終篇をアップします。今回の玉野への8訪目は、行く前の予想と予定と、行ってからの結果が、大きく分岐してしまった。結局、玉の根拠地を引き払い、昨日、荷物は柏に発送した。

 詳しい事情は、明日からの『玉野だより』に順次アップしますが、今日は、これから、こちらに溜まっている情報と、玉の情報の整理と処理をします。

『画中日記』2020.10.22【時は過ぎて行き、世界は相転移する】

 作日で、『玉野だより』は終わり、『玉野だより』の(2018年)(2019年)(2020年)の全編を【岡野岬石の資料蔵】のサイトにアップした。

 玉の、間借りの部屋を引き払うことは、川本町(まち)で、雨で描きに行けなかったので、理髪店で髭を剃ってもらっているときに浮かんだ。

 川本町と玉の町とはよく似ている。かつては、そのエリヤの中心の町で、大企業だった三井造船所や、宇野港のように、交通の中心から外れたために、町がそのままフリーズしている。川本町での昔からの旅館の食事や、旅館の部屋、浴室、トイレも、私が2、30代の頃の取材旅行でよく泊まった地方の旅館のまんまだ。理髪店の店主は川本町で生まれ育ち、奥さんとのなりそめを話す。

 町も、人も、今の落ち目の共産党の、若い時は輝いていた老人たちのようだ。パソコンやスマホが使えず、情報が入るのはオールドメディアのフェイクニュースからだけで、世界の現実からは、ずれ、取り残されている。

 私が、高校1年生の夏休みに、父親に、三井造船千葉工場に転勤してくれと、頼のみ、その分岐の結果が、今の73歳の画家となった。これまでに、何度住所が変わり、何度相(フェーズ)転移してきたことだろう。何度目かの分岐の結果で、画家になって良かった。作品の情報だけは、私の生きてきた証拠として残るのだから。

 カオスの相が転移する分岐点には、バタフライ効果というものがある。一匹の蝶の羽の動きが、全天候の動きに拡大することもあるのだ。老いて残り時間は少なくても、相転移しなければならない。世界が相転移するのだから、世界=内=存在の人間も相転移しなければ、フリーズして取り残されるだけだろう。

『画中日記』2020.11.05【国体(国の形態)ー1】

 昨日から、アメリカ大統領選挙で世界中が鳴動している。ハッキリと選挙結果が出ても、混乱は当分続くだろう。アメリカは1776年に独立して今年で建国236年の国だ。そして、アメリカという国は、50の州が集まってできた、連邦制の国なのです。だから、州の上位概念の国、アメリカを象徴するものを持っていないのです。

 さまざまな、人種や宗教、イズム、価値観の違い、紛争を調停するのは、多数決と裁判しかない。人間を超越している〈真・善・美〉も、個人個人は持っていたとしても、人間が多数決で決めるのです。だから、アメリカで一番「えらい」のは大統領なので、結局、アメリカでは大統領より偉い人はいないのです。

 私が中学生の時に、世界史でナポレオンがフランスの皇帝に即位したということを習った。その時、「アレっ」と疑問が湧いた。それでは、日本に置き換えれば、豊臣秀吉が天皇になるのか、つまり、世俗権力が天皇になるのか、という疑問だ。

 世界史では、ナポレオンが皇帝になるのに疑問がなくても、日本史ではそれはおかしいだろう。そんなことは、日本ではあってはならないことだ。

『画中日記』2020.11.06【国体(国の形態)ー2】

 磁石というのは、無理に折ってもN局とS局とは分けられない。どんなに折っても、小さな磁石になるだけで、N局とS局は単独で取り出せない。磁石と同じように空間も時間も、じつは全部がそうなっている。世界中の全ての存在がそうなっている。全部が分けられない。自分と対象物、主観と客観、心と身体(からだ)、資本家と労働者、いうようには分けられない。神も、天も、プラトン的イデア界も別個にあるのでなく、磁石のように、割っても割っても決して分けられないものなのだ。存在の構造が分けられない。細胞レベル、心のレベルも同様で、分けられない全体としてのマンデルブロー集合の形態(かたち)で在るのです。時間についても同様です。そのことは、もちろん「国家」でも同じです。

『画中日記』2020.11.07【国体(国の形態)ー3】

 日本は2680年間在り続け、これからも在り続けるだろう。日本国民は、明日の朝陽が上るかどうかを心配したりしないように、日本の国が、明日亡くなって違う国になってしまうことを、心配しない。

 世俗権力の上位概念を持てない国は不幸だ。自分の外側、人間の外側に、それを超越した世界の存在を、持てない人は不幸だ。〈真・善・美〉は超越で、実在している。身の内に超越を持たない人も不幸だ。内も外も、実存を超越した世界で、現実の人生を送ることができる日本は幸せな国だ。日本では革命は起こらない。天皇陛下という存在があるからだ。個々人が内に、〈真・善・美〉の超越を持って生活し、外に世俗権力(金と力)を超えた存在を、在らし続けた日本は、奇跡の国だ。

 アメリカの大統領選挙は、アメリカにとって大きな分岐点であるだろう。無神論者、あるいはコミニズムやサタニズムがまかり通って、その嘘や不正に、アメリカ国民自身がペナルティーをつけられなければ、アメリカはボロボロになるだろう。

 日本人の私は、全元論で性善説なので、楽観しているけれど、それにしても、アメリカという国のシンボルが国旗だけしかないというのでは、争いの種は尽きないので、いつまでも問題は残るが。

『画中日記』2020.11.08【国体(国の形態)ー4】

 アメリカの今回の大統領選挙は、大きな相転移の分岐をむかえている。世界存在の構造からいって『悪の栄えたためし無し』なのである。

 しかし、もともとテンセグリティー構造の日本と違って、ブロック型の構造をテンセグリティー構造に脱構築ができるかどうかだ。ブロック型の構造をあらためて造り直すには、一度壊さなければならない。アメリカのように新規に建国する場合はブロックで造ればいいが、その造った構造体を脱構築する場合には、問題が出てくる。

(テンセグリティについては、下記に、以前拙著『芸術の杣道』に書いた文章をペーストします)

――――――――――――――――――――――――――――――

●テンセグリティー

 テンセグリティーとは耳慣れない単語だが、バックミンスター・フラーの本のなかにでてくる言葉だ。いろいろ調べてみたのだが、どこにも載っていないのでフラーの造語なのかもしれない。意味は、圧縮力(tension)と引張力(compression)の両方から成り立つ構造、のことのようだ。フラーの本の挿絵を参考にして自分で作った模型をみていると、いろんなことが解ってくる。個々の人間もその人間がつくった社会も、この模型をアナロジーにして透かし見ればはっきりと構造が見えてくる。社会と人間もじつは全てテンセグリティーだ。社会もある意味では個人から始まるが、そこでも僕が以前から言っている〈フラクタル〉に行き着く。

 マクロの宇宙もそうなっている。月があって地球があって太陽系があって,銀河系があって大宇宙を形作っているが、個々の星はお互いに接してはいない。それが太陽系という形態を作り、銀河系という形態をつくり、宇宙という形態を作っている。

 ミクロの世界もそうなっている。分子、原子、素粒子、とどこまで小さく割っていってもムクな個体(粒)に辿りつかない。どんなに微細な小宇宙もテンセグリティーによって構造化され形態をなしている。

 社会も、国家や会社や地域社会や家庭などいくつものコミュニティ(共同社会)を形成しているが、その実体はない。個々の人間(コンプレッション)がテンションによってコミュニティを作っている。個々の人間をコンプレッションとすると、テンションは何かというと「愛(超越)」、「欲望(食欲、性欲、金銭欲、権力欲)」、「恐怖(暴力)」の三つ。国家、地域社会、会社、家庭などのほとんどのコミュニティが三つのうちのどれかをテンションにして成り立っている。その三つ、すぐ目につくのはそういうこと。

 人間が、個々バラバラにあるものがコミュニティとして一つにカッチリと形成するには、世界中を見渡してもほとんどがお金か権力か宗教か民族のいずれかだ。テンションをかけなければきちっと形成しないのだから、ハサミで紐を切ってしまったら、もともとはバラバラなのだから、お金が結びつけたり、昔の社会なら権力者の強制力が、個々を結びつけていた。暴力が使えなくなると、自由主義社会では金の力であり、結局お金に代わるものはとりあえず見つからない。宗教や民族は世界中の紛争をみると分かるように構造態が開かれてないので他のコミュニティとの問題が多すぎる。フラーは〈エコロジー〉や〈共生〉や〈宇宙船地球号〉の概念の先駆者で、この辺のことも言及しているようなので、興味がある人はフラーの著書を読んでみればいいと思う。

 この模型を作ってみて、僕に最も役立ったのは、自分自身はこうなっている、このような構造態で人間を考えなければならない、ということに気付いたことだ。僕は今まで自分を、ブロックを積むように日々を過ごし、その結果が現在のじぶんである、と考えていた。だから、もし人生の途中で間違いに気付き人生をまるごと脱構築(ディコンストラクション)しようとしたら、バラバラにしたブロックを新たに一から積み上げなければならない。今までの蓄積を捨てさる勇気と、新たに築きあげる気の遠くなる作業をしいられるので、若くないととても踏み出せない。おまけに、ブロックの脱構築の場合は今までの形態のブロックで新しく使えないかたちのブロックは捨てなければならないし、また新しく削って作らなくてはならない。幸い、僕の場合は紆余曲折して今にいたっているが、まあ幸運だった。人間の構造をブロックを積み上げた構造とみないで、引張力と圧縮力でできた構造態だと思えば、脱構築も簡単だ。この模型の紐を切り離して、新しい点に結び直して新たな構造態を作ればいいのだ。ブロックを積み直して新たな形態を作るのに比べ、棒と紐の構造態は質的に組み替え直すことは大変だが時間的には雲泥の差だ。それに、過去の経験で捨てさるものはなにもない。自分の過去の紐と棒を使って自分の全体を組み直せばいいのだから。

『画中日記』2020.11.09【国体(国の形態)ー5】

 日本は、国の形態、構造の変化がほとんどない。太平洋戦争での敗戦も、国体の護持を唯一の条件に降伏した。昭和21年(1946)に生まれた私が、思い出してもひどかった敗戦後の戦後レジームや文化も、安倍内閣以降急速に復活している。この復元力は、国の形態と構造を成している日本人一人ひとりの世界観を、外部からの大きな圧力にかかわらず、変節しなかったことが大きな要因だろう。

 日本だけが、日本一国だけが、何故、2680年間あり続け、将来もあり続けるのだろうか。それは、要素としての一人ひとりの世界観と、国の形態と、世界存在の形態と構造がフラクタルになっているからであろう。世界存在の時間を通貫している法(ダルマ)は〔真・善・美〕である。〔真・善・美〕は、ポストモダニズムのいう人それぞれ、百人百通りではない。〔真・善・美〕は、人間ごときものが新しく創造できない。〔真・善・美〕は多数決で人間が決められるものではないし、ましては、金や権力が決めるものではない。だから、〔真・善・美〕に関わる人、例えば数学者にはノーベル賞がないのだ。〔真・善・美〕は超越である。

 存在の法、世界の法が〔真・善・美〕であるならば、人は人間を超えた、その超越に向かって生きなくてはならない。学者は〔真〕に向かわなくてはならないし、政治家は国を〔善〕くする方向に行為しなければならないし、画家は〔美〕しい作品を描かなければならない。画家が美しい作品を描かないで他に何をするというのか。

『画中日記』2020.11.19【パラダイス アンド ディナー】

 昨日は、芦ノ湖を描きに出かけた。イーゼルを立てた場所は、芦ノ湖スカイラインから箱根スカイラインに入って最初の駐車場の上の展望公園。ここは、以前から機会があればイーゼルを立てたいとおもっていた場所で、他に数カ所イーゼルポイントがあるが、そのうちそこも描く機会があるだろう。山上で寒いとおもったが、風もなく暖かい晴れた日で、気持ちの良い描画を楽しんだ。画家はいいねぇ。絵さえ描ければ、どこでも不満はないのに、ましてや、ねらっていた場所で、ベストの条件がそろった景色を前にして、筆を走らせることの幸せ感はこたえられない。 

 描き終えて、山中湖の山上にある『マウント富士ホテル』に泊まる。このホテルは、昔からあるホテルで、私が山中湖の対岸に借家を借りて、富士を描いていた頃に、ロケハンがてら、1度、昼食コース(日帰り温泉付き)を使ったことがあった。その時の、メインダイニングでの昼食の料理は、印象に残っていた。箱根を越えて、御殿場経由で山中湖の『マウント富士ホテル』に泊まるのは、Go To トラベルが始まってから3度目で、毎回メインダイニングでの美味しく、美しいディナーのコース料理が味わえる。食前酒にドライシェリー(ティオペペというドライシェリーは冷やして飲むと美味しいですよ)、食中に赤ワイン(グラス)はここでは毎回だが、おまけに、今回は6000円分のクーポン券がディナーでのお酒にも使えるとのことで、食後酒にカルヴァドス(リンゴから醸造したブランデー)を余分に飲んでしまった。それでも、クーポン券は1000円分余してしまい、次回は余さず使い切りたい。

 Go To トラベルを使えば、このホテルの、一泊2食付きの宿泊コースは、東京での、フランス料理店のコース料理の食事代くらいで泊まれますので、維持し続けている、老舗のホテルの風格とサービスとディナーを味わってみてください。

『画中日記』2020.12.08【濱田氏へのメール】

 武漢コロナから始まり、アメリカ大統領選挙まで世界は大きく変わろうとしています。終戦後生まれて、この歳で出遭えたことは幸運です。間に合ったのですから。若い貴方にとっても、この期間を実体験することは、貴重で幸運です。世界を、末端、部分、局地戦でみれば、複雑怪奇で陰謀が渦巻いていますが、そのエネルギーの構造と方向が解れば、容易に結果と予想がつきます。

 来年の『イーゼル画会』展では、長期間藤屋画廊で会えるでしょうから、その時に、その話をしましょう。こんな、ドラスチックな相転移に出遭える幸運は滅多にないので、貴方は、勉強として今後の生き方や、会社の経営に役立ちますので、エクササイスとして、情報を集め、今後の成り行きと結果を予想してください。そして、画廊で話ましょう。岡野

『画中日記』2020.12.09【アメリカ大統領選挙-1】

 私が30歳(1972)の時に札幌の映画館で観た映画『ゴッドファーザー』が、今そのまま進行している。私自身のその頃の、体験と、分岐の選択が、現在の私と、私の作品に継ながっているので、面白い。若い人には面白いだけでなく、自分のこの先の人生にも継ながっているので、何が真実なのかを見極める絶好のエクササイスになるのだから、注視してこの先の事態を予想し、自分はどう行動するのかをよく考え、正しい道を選択してほしい。

映画『ゴッドファーザー』は大ヒットし、その後シリーズで数本映画館で上映されたが、私は後に、柏のレンタルビデオ屋で借りて全部見ました。ケネディー大統領暗殺事件の映画や、マフィヤの映画も見たが、その全てが、現実のアメリカで起こっていたことで、今も同じようなことが起こっている。

『画中日記』2020.12.10【アメリカ大統領選挙-2】

 下記にペーストした文章は、5月4日に武漢ウイルスについて書いた文章です。武漢ウイルスから、今回のアメリカ大統領選挙まで、私の予想通り進行している。ただ一つ、私の予想外だったのは、賭場での、金をめぐるヤクザどうしの争いとして今回の大統領選をみていたのだが、トランプを触媒の核として続々と有能な人材が結集し、超越(真善美、宗教)と無神論(欲望、お金)との対立構造になっている。この構造が明らかになって、アメリカ国民がこの構造を理解すれば、勝敗の帰趨(きすう)は明らかだ。性善説の日本人からみれば、世界は遍(あまね)く、法 (ダルマ、真善美)の軌持(きじ、レール)に沿って動いているということだろう。今後の中共だって例外ではない。

―――――――――――――――――――――――――――――― 

『画中日記』2020.05.04【武漢ウイルス(4)】〈ポスト中共ウイルスは〉

 いまだ、日本でもウイルスで騒々しいが、国民は心配することはない。全元論を世界観に持つ日本人は、明日、太陽が、無事に東の空に昇るかどうかなど、心配などしない。国民一人一人が、自分の与えられた仕事をキッチリとこなして、過ごしさえすれば、毎年来る台風と同じくらいの出来事で終息するだろう。

 たぶんこれは、日本だけのことで、世界中の国では、権力者や金持ちから国民一人一人まで、世界観の間違いを気付き、反省し、正さなければ、その世界観の間違いが、もともとの原因なのだから、それらの勢力は次第に消えていくだろう。

 世界中の紛争は、ヤクザどうしの争いなのだから、どちらが勝とうと、被害を受けるのは、当事者が一番大きいのだから、日本も国民一人一人も、紛争の局地戦の現場に関わってはいけない。正しく行動していればいいのだ。

 現場で関わらずにはいられない、日本の政治家、官僚、自衛隊等の人たちの、やっていることにはオマカセしていればいいのだ。人のやることにケチばかりつける人には「お前がやれ!」と言いたい。仕事のスキルを持っていない人は、かつての民主等政権の時のように、なにも処理出来なかったではないか。

 神一元論の世界観から、ルネッサンス→人間主義(ヒューマニズム)→カント→ヘーゲル→マルクスの西洋近代哲学が世界の覇権を拡げ、実際の領土、力、お金を握ってきたが、唯一、日本だけそれに屈せず生き残った。

 世界は映画『ゴッドファーザー』の世界なのだ。それが、今も続いている。そうだから、小さなウイルスをきっかけにして、世界大戦にまでなるのだ。どちらが勝とうが、これは、賭場でのヤクザどうしのお金がらみの争いなのだから、真面目な、正業で生きてきて、生きている日本及び日本人は、今まで通りの態度で関わっていけばいいのだ。

 最終的には、一方が賭場の金を独り占めにした時に、その後、そのお金は無価値になるだろう。カルロス・ゴーンの2代にわたった、結果としてのお金と、J・F・ケネディーの父親のお金の作り方と、その結果としての息子の大統領就任とその後の暗殺、それらをみれば、今回の、中共ウイルスの結果も明らかだ。

 ヤクザは、なにも仕事はできない、なにも生産できない。賭場は、正業の人がお金を入れなければ続けられない。だから、正業の人が損をするのだ。素人のお客がいなくなれば、反社会行為でお金を入れ続けなければ、開帳できない。

 人にとって、世界で宗教(世界金銭教、私の造語)ともなっているお金の話はまた、いつかまとめて、書きます。いずれにせよ、この成り行き、結果に、そして未来に、日本国民は心配は要りません。

『画中日記』2020.12.13【アメリカ大統領選挙-3】

 アメリカ大統領選挙は、もう完全にトランプの勝ちだ。日本国民は、個々の自分の仕事に与えられた、天の使命(ミッション)と指令(コマンド)に、ベストを尽くしていればいいが、直接外国と関わらざるを得ない、政治家、官僚、自衛隊、報道等の仕事の人は、事実を分析(アナライズ)して、全体の戦況を正しく統合(シンセサイズ)しなければ、自分自身の今後の人生に関わる。すでに、直前まで勢いのあった、上念司氏やケント・ギルバート氏や、カズヤ氏の言説には、そこ此処にほころびがみえ始めている。

 今回の大統領選挙は、野球に例えれば10対0でトランプの勝ち。

 コロナで無観客試合にさせ、審判やテレビカメラまで使い、実際の映像や、スコアカードまで偽造して、勝敗をひっくり返そうとしたが、嘘があばかれているのに、あくまでそれに抵抗すると、墓穴を掘って、一網打尽の結果になるだろう。

 バイデン側の最終回の反撃も、トランプは1点もやらずに完封するつもりなので、この時点での態度は、アメリカの当事者以外の自分自身に跳ね返るだろう。この態度は、アメリカ国民や、アメリカに関係する国や会社にも影響するので、正しく状況を統合してほしい。

 ただし、私の出来ることは、美しい絵を描くことしか出来ませんが。

『画中日記』2020.12.22【アメリカ大統領選挙-4】

 今年も押し詰まってきた。昨日は、来年1月13日からの『イーゼル画会』展のDMを、別納郵便で出しに郵便局に行ったついでに、年賀郵便を買ってきた。

 アメリカは、今年は歴史的分岐の年であった。来年には、早々から分岐の決着が着くだろう。この大きな分岐点での、それぞれの個人の判断は、この先の自分の、人生に大きく作用するだろう。若い人にはこんな、ドラスチックな相転移に出遭える幸運は滅多にないので、勉強として今後の生き方に役立ちますので、いいエクササイスになる。

 今朝、工事中の私のサイト『岡野岬石の資料蔵』の【読書ノート(2007年)】をアップしている途中、個別の本をコピーしている途中に目が止まった。トルストイが読んだ本の文章をメモしたもので、今のアメリカの、無神論者の世界観の根本的疑問と同じ疑問を、メモしている。コピーはパソコンでは簡単なので、下記にコピーしておきます。

―――――――――――――――――――――――――――――

■己れのために、宝を地上に積むことなかれ。ここにては虫と錆とに損なわれ、盗人に押し入られ盗まるるなり。汝ら己れのために、宝を天に蓄えよ。かしこにては虫と錆とに損なわれず、盗人に押し入れられず、盗まれざるなり。汝の宝のあるところに、汝の心もまたあらん。(「マタイ伝」第六章十九~二一節)(14㌻)

■貧乏に苦しまぬようにするには、二つの方法がある。一つは自分の富を増大させることであり、もう一つは欲望を減らすことである。前者はわれわれの支配圏外であるが、後者はわれわれの支配下にある。(15㌻)

■肉体は、絶えず自己を主張してやまないものであるから、それだけ精神的努力が必要である。自分の精神を鍛錬することをやめたが最後、汝は肉体の虜囚となってしまう。(18㌻)

■病人がまるで生きることをやめて、病気治療だけに専念したりするよりも、むしろ不治の病の場合にしろ、治療可能な病気の場合にしろ、病気なんか無視して普通の生活をするほうが、たとえそのために生命(いのち)が縮まっても(縮まるかどうか大いに疑問だけど)、そのほうがまともに生きることであって、絶えず自分の肉体のことを恐れ思い煩うこととは違うだけに、ずっと有利と言えるであろう。(21㌻)

■病気を恐れず、治療を恐れるがよい。有毒な薬を飲んだりするという点で治療を恐れるというのではなくて、病気の結果、自分は道徳的要求から解放されていると考えがちだという点で、治療をおそれるがよい。(22㌻)

■神とは何ぞや?と尋ねられるならば、私は答えよう。神とは―私が自分をその一部として意識する無限者であり、全体者である、と。(44㌻)

■どんなものでも顕微鏡や望遠鏡で見ると、ごくつまらないものになってしまう。(ソロー)(51㌻)

■天与の資質を与えられた人々は、それを、肉体的な幸福や、世俗的な幸福や、人を支配し人より上に立つことと交換しはしない。(ピョートル・ヘリチーツキー)(71㌻)

■五歳の子供から私までは、ほんの一歩である。生まれたばかりの赤ん坊から五歳の子供までの距離は、恐ろしく遠い。胚児と生まれ立ての赤ん坊のあいだには―深淵がある。未存在と胚児とのあいだには深淵どころではなく、そこには人智の捕捉できない謎がある。(84㌻)

■君が十日間寝たっきりでいて、その後立って歩こうとすれば、君の足がすっかり弱くなっているのに気づくであろう。つまり、君が何かの習慣で獲得しようと思えば、それを大いに、そして頻繁に実行しなければならないし、反対に何かの習慣から離れたいと思えば、それを行わないようにしなければならない。(エピクテトス)(90㌻)

■自分の仕事を発見した人は幸福なるかな。彼にはもうほかの幸福を探す必要はない。彼には仕事があり、人生の目的があるのだ。(カーライル)(93㌻)

■死がわれわれを待ちかまえている―このことだけはわれわれは確実に知っている。〝人の一生は、部屋のなかを掠めて飛び去る燕のようなもの〟。われわれはどこからともなくやって来て、どこえともなく去ってゆく。見透しがたい暗さが後方にあり、濃い闇が前方にある。いよいよわれわれの時が来たとき、われわれが、うまいものを食べたとか食べなかったとか、柔らかい着物を着たとか着なかったとか、大きな財産を残したとか何一つ残さなかったとか、栄誉に輝いて暮らしたとか蔑まれたとか、学者と思われたとか無学者と思われたとかいったことが―われわれが神に委託された才能をいかに活用したか、ということに比べてどれほどの意味を持つのであろう。(ヘンリー・ジョージ)(95㌻)

■時は過ぎても、言葉は残る。(109㌻)

■自分の使命を認識する人は、そのこと自体によって自分の人間的価値をも認識する。ところで、自分の使命を認識するのは、ただ宗教的な人間のみである。(115㌻)

■君は仕事を完成させる義務はないけれども、それを回避してもいけない。君に仕事を託した神は、君の仕事を期待しているのだから。(『タムルード』)(118㌻)

■嵐に遭って初めて航海士の腕は発揮され、実戦の場で初めて軍人の勇気が試されるように、人間の男らしさというものは、彼が人生における最も困難で危険な状況に直面したとき初めてわかるのである。(ダニエル)(133㌻)

■人々は、自己棄却が自由を破壊すると思っている。彼らは、実は自己棄却のみがわれわれをわれわれ自身から、われわれの堕落した奴隷状態から解放することによって、真の自由をわれわれに与えてくれるものであることを知らない。われわれの欲悪煩悩こそ―最も残酷な暴君である。それに屈したが最後、われわれはその無残な奴隷となって、自由に呼吸をすることもできなくなるであろう。ただ自己棄却のみが、われわれを奴隷状態から救ってくれるのであろう。(フェヌロン)(137㌻)

■享楽的で自己満足的な思想家とか芸術家とかは、いるものではない。真にその人には使命があるかどうかに対するただ一つの疑うべからざる証拠は、自己棄却、すなわち他人に奉仕するためにその人に与えられた力を発揮することである。苦しみなくして霊の果実は生じない。

 この世界に幾種類の甲虫がいるかを数えたり、太陽の黒点を調べたり、小説やオペラを書いたりするのは、個人的目的によっても可能であるが、人々に、もっぱら自己棄却と他者への奉仕のなかにのみ存在する彼らの幸福を教え、それを強く表現するためには、自己犠牲なしにはすまされない。

 キリストが十字架で死んだのも宜なるかな。自己犠牲の苦悩がすべてを克服するのも宜なるかな。(138㌻)

■真理に鋭敏な人々は、自分たちに見える至高の光に一致した理解の仕方をし、その光にふさわしい生活を築こうとするが、真理に鈍感な人々は、従来の人生観、従来の生活体制に固執し、これを擁護しようとする。(140㌻)

■俺の生活は俺のものと考えている人は、謙虚ではない。なぜならその人は、誰に対しても何一つ責任はないと思っているからである。自分の使命は神に仕えることだと思っている人は、謙虚にならざるをえない。なぜなら彼は、絶えず自分はまだ充分責任を果たしていないと感ずるからである。(144㌻)

■キリストの教えを信ずる者には、一定の完成度に達するごとに、さらにより高き段階を目指す欲求が生まれ、その段階からさらにより高き段階が望まれる、といったふうに、どこまで行っても限界がない。キリストの教えを奉ずる者には、自分のうしろの、これまで通ってきた道は見えないで、いつも前方のまだ通ったことのない道だけが見えるので、常に自分をまだまだ未完成だと感ずるものである。(146㌻)

■己れの外に向かって権利を主張するよりも、己れの内に向かって義務を思うがよい。(147㌻)

■誠に誠に汝らに告ぐ、一粒の麦地に落ちてもし死なずば、ただ一つにしてとどまる。もし死すれば多くの実を結ぶ。(「ヨハネ伝」第十二章二四節)(179㌻)

■大木も初めはかよわい幼木にすぎない。九階の塔も、小さな煉瓦の積み重ねより始まる。千里の旅も一歩より始まる。自分の思想に注意せよ―思想こそ、行為の始まりである。(老子による)(220㌻)

■この世の喧噪のなか、誘惑の渦巻くなかにあっては、われわれの欲望に対する対抗手段を探求する暇はない。

 君がただ一人ののとき、誘惑が存在しないときに君の目的を定めるがよい。そのとき初めて君は、君を襲う誘惑と闘うことができるであろう。(ベンサム)(222㌻)

■また他の一人言いけるは、「主よ、われ汝に従わん、されどまず家の者に別れを告げしめたまえ」と。これにイエス言えり、「鋤に手をかけて、なおうしろを顧みる者は、神の国にふさわしからず」(「ルカ伝」第九章六一、六二節)(257㌻)

■自分の生涯を自己完成のために献げてきた人は、いつも前方を見ている。立ち止まっている人だけが、自分のしてきたことを振り返って眺めるものである。(257㌻)

■己のために、宝を地上に積むことなかれ。ここにては虫と錆とに損なわれ、盗人に押し入れられ盗まるるなり。汝ら己のために、宝を天に蓄えよ。彼処にては虫と錆とに損なわれず、盗人に押し入れられず、盗まざるなり。汝の宝のあるところに、汝の心もまたあらん。(「マタイ伝」第6章十九~二一節)(261㌻)

■死すら、全力をあげて正義のために闘う人の勝利を阻むことはできない。さらば闘え、不屈の正しき心よ。幸不幸に右顧左眄することなく前進せよ。そして汝がそのために闘う正義の勝利を信ずるがよい。滅びるものはただ不正なもののみであり、正しきものの負ける道理はない。なぜならそれは汝の意思によってでなく、永遠なる神の掟によって行われるものであるからである。(カーライル)(286㌻)

■一人の人間が大勢の人々を支配する権利がないばかりでなく、大勢の人々が一人の人間を支配する権利もない。(ウラジミール・チェルトコフ)(292㌻)

■人間が死ぬことも、お金や財産を失うことも別に悲しむべきことではない。それらはもともと人間に属しているものではない。人間が自分の真の財産、すなわち人間的尊厳を失うこと、これこそ悲しむべきことなのである。(エピクテトス)(356㌻)

■受け取るときには手を伸ばすな。与えるときには手を縮めるな。汝が自らの手で稼いだものを、自分の罪の償いとして人に与えよ。与えるときは躊躇せず、与えたあとは惜しがるな。なぜなら、汝は汝のなした善に対して、何がそのよき報酬であるかを知るであろうから。(377㌻)

■ところがわれわれは世の中が悪い、世の中がよくできていないと苦情を言い、実は世の中がよくできていないのではなくて、われわれがなすべきことをなしていないのだ、ということを考えようとしません。ちょうど酔っぱらいが、あんまり酒場や居酒屋がたくさんあるから、こんなに酔っぱらったのだ、と苦情を言うようなもので、実は彼のような酒飲みが大勢いるようになったからこそ、酒場や居酒屋がふえた、というのが真相なのです。(382㌻)

■人々の生活がよくなるための方法はただ一つ、人々自身がよくなることです。もし人々がよくなれば、おのずからよき人々のよき社会が現出するでしょう。(383㌻)

■諸君およびすべての人々の救いは、罪深い、暴力的な社会革命のなかにはなく、精神革命のなかにこそあるのです。そうした精神革命によってのみ、われわれ一人ひとりは、自分のため、また人々のために人々の望みうるかぎりの最大の幸福、最良の社会を築くことができます。人間の心が求めてやまぬ真の幸福は、なんらかの将来の、暴力によって維持される社会体制のなかに与えられるものではなく、現在、われわれがどこでも、また生死いずれの瞬間でも、愛を通じて手に入れることができるものなのです。(385㌻)

■君は生きる、つまり生まれて、成長して、大人になって、老人になって、とうとう死んでしまう。はたして君の一生の目的が君自身のなかにあるでしょうか?そんなはずはありません。そこで人間は、一体なんだろう、この私は?と自問します。

 答えはただ一つ、私は愛する何物かであるということです。そして最初は自分だけを愛しているように見えるけれども、しばらく生き、しばらく考えさえすれば、過ぎ去ってゆく生命、死んでゆく存在である自分を愛することは不可能であり、無益であることがわかります。私は自分を愛すべきだし、また愛していると感ずる。しかし自分を愛してみて、私は私の愛の対象が実は愛するに値しないことを感ぜざるをえません。それでも私は愛せずにはいられない。愛こそ――生命ですから。

 ではどうしたらいいでしょう?他人を、隣人を、友だちを、自分を愛してくれる人を愛したらいいでしょうか?最初それは、愛の要求を満足させてくれるように思われます。しかしながらそれらの人々も、まず第一に不完全な存在であり、第二に刻々変化する存在であり、何よりも――死んでしまう存在です。一体何を愛したらいいのでしょう?

 答えはただ一つ、万人を愛すること、愛の根源を愛すること、愛を愛すること、神を愛することです。愛する相手のためにでも、自分のためにでもなく、愛そのもののために愛するのです。そのことさえ悟れば、人生における悪はたちまち消滅し、人生の意味が明瞭な、悦ばしいものとなるのです。(388,389㌻)

■親愛なる諸君、われわれの生活をわれわれの内なる愛の強化に置き、世間は世間の欲するままに、つまり天が命ずるままにその道を歩くに任せようではありませんか。そうすることによってわれわれは、自分自身にも最大の幸福を受け、人々にも己れにあたうかぎりの善を行なうことを信じてください。(391㌻)

■もしも人がその真の本性を失ったなら――どんなものを持ってきても、それが彼の本性ということになる。ちょうどそれと同じように、もしも真の幸福を失ったら、どんなものを持ってきてもそれが彼の幸福ということになってしまう。(パスカル)(395㌻)

■何かいいことをしようとするたびに邪魔をするのは、「われわれはわれわれの置かれた社会的地位というものを考えないわけにゆかない」という思いである。

 そうした逃げ口上を言う人の大多数にとって、自分らが実生活上、あるいは〝天の摂理によって〟置かれた地位を保持するということは、つまり彼らが自分らの財力の許すかぎり、たくさんの馬車や下僕たちや広大な家を持ちつづけるということなのである。ところが私としては、もし天が彼らをそうした地位に置いたとしたら(実際にそうであるか、はなはだ疑わしいけれど)、天はまた、彼らにその地位を放棄することを求めていると思うのである。

 レヴィの地位は税金を集めることだったし、ペテロはガリレア湖畔の漁師だったし、パウロは司祭長の玄関番だった。そして三人ともその身分を放棄した。放棄すべきだと思ったからである。(ジョン・ラスキン)(398㌻)

■何人も新布を古き衣に接ぐことはせじ、補いたる布、古き衣を破りて、破れさらにははなはだしかるべし。また新しき酒を古き皮袋に入るることはせじ、しかせば袋裂け、酒流れでて、袋もまた廃らん。新しき酒は新しき皮袋に盛るなり、かくて二つながら保つなり。(「マタイ伝」第九章一六、一七節)(398㌻)

■宗教が第二義的な場所にしか占めていない人は、全然宗教を持たぬ人である。神は人間の心のなかでいろんなものと共存しうるけれども、自分が第二義的な場所を占めることには、堪えうるものではない。神に第二義的な場所を当てがう者は――全然場所を与えていないのである。〈宗教=芸術〉(ジョン・ラスキン)(408㌻)

■自分は善を行なうのだけれど不幸を感ずると言う人は、神を信じていないのか、その人が善と思っているものが実は善でないかのどちらかである。(437㌻)

■精神的生活を送る人は、年齢が増すにつれてその精神的視野が広くなり、その意識は鮮明になるが、世俗的生活を送る人は、年とともにますます愚鈍になってゆく。(『タムルード』)(470㌻)

■「それは私がまだ五十歳に充たぬ頃である。私には善良な、愛し愛される妻や、立派な子供や、私が別に骨を折らなくとも、自然に生じ、また増大して行く莫大な財産があった。私はそれ以前のどの頃よりも身内の者や友人達に尊敬され、他人に賞めそやされ、殊更うぬぼれなくとも、自分の名声が輝かしいものであると考えることが出来た。しかも私は、自分の同年輩の人々の間にめったに見かけないほどの、精神的肉体的力を持ち合わせていた。肉体的には、草刈りで農夫達におくれをとらずに働くことが出来た。智的労働では、八時間から十時間ぶっつづけに仕事が出来、その無理があとに尾を引くということもなかった」。

そんな健康で幸福であるはずのトルストイの中にきみょうにも「どう生きたらいいのか、何をしたらいいのか分からなくなるといった、生命力の停滞ともいう疑問が起きはじめた」。

〈一体なぜ、私は生きて行くのか?なぜ何かを望むのか?なぜ何かをなすのか〉もっと別な言い方をすれば〈私の生に、どうにものがれようのなく迫ってくる死によっても滅ぼされない、何らかの意味があるのだろうか?〉という疑問が現れ、疑問はますます頻繁に繰り返され、ますますしつこく解答を迫り始めたのだ。

〈よろしい、お前は、ますます増加する莫大な財産を手にするだろう。――でも、それがどうだというのだ?〉

〈よろしい、お前はゴーゴリ、プーシュキン、シェークスピア、モリエール、その他世界のすべての作家以上に名声に輝くかもしれない――でも、それがどうだというのだ〉

〈私の業績が、よしどんなものにせよ、早晩すっかり忘れ去られ、そしてなによりも今日、――でないならば明日、死がこの私をおそい、私は、元も子もなくなってしまうではないか。なのに、一体何のためにあくせくせねばならないのか?〉

〈私は何故生きているのか?〉

〈私はいったい何者か?〉

それはまさに、「この年まで成熟して心身共に発達し、人生の全展望が開ける生の頂点に達して、――さてそこで、見渡してみれば、人生には何もないし、過去にもなかったし、未来にもないであろうことがはっきりと分かって、馬鹿みたいにぼんやりとその頂点に立っている」といった心の状態であった。

だからといって、「お前は生の意義を悟りっこない。考えるな、ただ生きよ、と言っても、そんな訳には行かない。私は以前から、あまりに永い間そんな風に暮らして来すぎた」のだから。

トルストイは「自然科学から哲学まで、人間が獲得したあらゆる学問の中から、その疑問に対する説明を探した。それでもなんにもみつからなかった」。

その間、自殺の想念がごく自然に生じてきた。

「この想念が、すごく魅惑的なので、私はあわててそれを実行に移すことがないように、自分自身に対してからくりをしなければならない。私があまりに事を急ぐのを欲しなかったのは、ただ、何とかこの窮状を打開するためにやれるだけやってみたいと思ったからだ。もし打開ができなくても、死ぬのはいつでも死ねると思われたのだ」。

やがて、トルストイは茨の道を通って、その解答が、自ら不合理と考えていた、「神えの信仰」の中にあることを、それも、無学で、貧しい、素朴な、額に汗して働く、農民や労働者の信仰の中にこそあることを悟る。

しかし、「この大転換は、ある日突然に私の内部に生じたのではない。何十回なん百回と、喜びと生気、それにつづく絶望と生存不可能の意識を繰り返して、いつのまにか徐々に生の力が私に帰ってきたのである」。

「私は、神を感じ神を求めるとき、そんな時だけよみがえり、まぎれもなく生きていることに気づく」。

「かくて私の内部および周辺において、全てが未だかってなかったほど明るく輝き、そしてその光はもう決して私を離れなかった」。

「神を求めつつ生きよう」。

こうして生きる光を得たトルストイは、さらに信仰の問題を掘り下げながら、今まで書いてきた『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』などの大作を否定し、これからは「民衆とともに生き、人生のために有益な、しかも一般の民衆に理解されるものを、民衆自身の言葉で、民衆自身の表現で、単純に、簡素に、わかり易く」書こうと決意するのである。

そのようななかから次々と民話が誕生した。(507,508,509,510㌻)

『文読む月日(下)』トルストイ 北御門二郎訳 ちくま文庫2007年10月3日      

『画中日記』2020.12.31【大晦日】

 今日は、大晦日。昨日加筆した旧作の『草千里』を仕上げて、今年の仕事は全て終えた。今日は、年賀状を出して、今、この文章を書いている。

 今年は、世界の相転移の年であった。

 〈真・善・美〉は世界を通貫している存在の法(ダルマ)なので、新年以後の世界は、明るい方向に向かうだろう。悪因悪果、善因善果、悪因苦果、善因楽果。悪の栄えたためしなし、なのである。

 〈善〉がそうならば、〈真〉も当然なので、偽はいずれ破綻するのである。

 そして、そうならば、〈美〉は、醜、汚にとってかわることはないのである。

 ああ、こんなことは、道元の宋での恩師如浄も言っていたなあ。後で、以前の【画中日記】、【読書ノート】を調べてみよう。

 

 

-画中日記

執筆者:

関連記事

【画中日記】2017年

【画中日記】2017年 『画中日記』2017.01.02【新年に】  新しい年を迎えて、今日で2日目だ。私の場合、新年といえども、やる事はおなじで絵を描いている。今日も、山中湖で、ほとんど仕上げた富士 …

【画中日記】2021年

    【画中日記】2021年 画中日記(2021年) 『画中日記』2021.01.01【新年に】  新しい年を迎えた。パソコンに向かっている。まだ夜は明けていない。(時間は5時4 …

『画中日記』2011年

『画中日記』2011年  2011.01.09 【『善の研究』を読む】  新年最初の「画中日記」です。  昨年の最後の【読書ノート】に載せた『善の研究』(西田幾多郎著 全注釈小坂国継 講談社学術文庫) …

御殿場だより

御殿場だより(2012年)  2012.07.12 【裸眼の富士山】 東伊豆の畳の部屋の仮アトリエから、今度の借家はフローリングなので、画の道具がまだ揃わず、今週はロケハンだけで終わった。遠景が肉眼よ …

『画中日記』2010年

『画中日記』2010年  2010.01.13  新年最初の「画中日記」です。1月3日の「読書ノート」に載せた色川武大に続いて、今寝る前に読んでいる本は黒澤明の特集本です。読み終わったら、当然「読書ノ …