岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

テキストデータ 画中日記

御殿場だより

投稿日:2020-12-25 更新日:

御殿場だより(2012年)

 2012.07.12 【裸眼の富士山】

東伊豆の畳の部屋の仮アトリエから、今度の借家はフローリングなので、画の道具がまだ揃わず、今週はロケハンだけで終わった。遠景が肉眼より小さく写る写真(逆に近景は、写真の方が肉眼より大きく写る)に比べて、肉眼で見る富士山は圧倒的で、その大きさと存在感は宗教的で崇高だ。さて、これをキャンバス上に変換、定着するにはどうするのか……冨士という、普遍や超越に近い存在に対する挑戦にワクワクする。

しかし、実際にこちらに来てみると、イーゼル絵画で富士山そのものを描くには大きなハードルがあった。秋から冬にかけてはよく晴れわたるらしいのだが、今の時期、裾野の方で晴れていても、肝心の頂上がほとんど雲に隠れてしまうのだ。写真は借家の2階の窓から、かろうじて初めてよく見えた時に、初めて撮った写真だが、これから夏になって頂上の白い雪渓が消えてしまうと、画面上では明度差の無い青い平面になってしまう。それを、どう克服するのか。

こちらに来る前は、東伊豆の経験から2年間で100点の富士山を描く目標だったが、大幅に作品数は減るだろう。条件のいい時に逃さずイーゼルを立てるためには、空振りがないようになるべく借家の近くで描けるポイントを見つけないと、ついつい想像や記憶やスケッチや写真に頼りたくなる誘惑にかられるだろう。

(この続きは近日中「画中日記」に書きます)

 2012.07.18 【御厨(みくりや)の私雨(わたくしあめ)】

御殿場は富士山、丹沢、箱根山、愛鷹山に囲まれた複雑な地形で低気圧ができ易く「御厨の私雨」〈御厨(みくりや)とは、「厨(くりや)」(「台所」の意)の敬語的表現である。中世日本においては皇室や伊勢神宮ど、有力な神社の荘園(神領)を意味しており、後に地名及び名字として残った。鎌倉時代には全国各地に五百箇余ヵ所を数えるほどになっていた。また中世では、たびたび武士団によって略奪・押領される(武士の領地化)といったことが起こっている(ウィキペディアより)〉という言葉があることを検索でみつけました(御厨蕎麦という名物料理もあります)。ということは、せっかく富士山を描きに御殿場にきたのに富士山そのものの姿は雲にかくれてなかなか見られないということになります。これは、当初の目算が大幅にくるったのだが、その反対に、早朝と夕方は発生する雲の中なので、ガスって写真のような幻想的なシーンが現れ、予想外の美しい風景に出会いました。霧の風景は40年ほど前に北海道の釧路(釧路も夏よく海霧が発生し霧につつまれる)で2、3枚描いたことがありますが、その時以来の久しぶりの再挑戦です。富士山の画は当初の計画より大幅に点数が減るだろうが、富士山が見えない場合は「富士山麓風景」という画題で絵を描けばいいし、どうしても姿を見せてくれなければ、2年後に山中湖の方に引っ越せばいいや。

さて来週は、いよいよ御殿場で初めてイーゼルを立て、裸眼で「富士」か、あるいは「富士山麓風景」に挑みます。腕が鳴るなあ(古い言葉だネ)。

 2012.07.26 【冨士(1)】

25日は朝食前に描きにでかけた。場所は、下流にいって黄瀬川、狩野川と名を変える久保川の起点からさらに、上流の深いコンクリート護岸の小川に沿ってもみじが植えられたダブルトラックの未舗装の道で、もみじの里と名付けられた、下流にある原里公園(御殿場富士十景のひとつ)まで続く遊歩道上です。写真では富士は雲に隠れているが、時々青い山容を現わす。最初、F10号の横構図で描き始めたのだが、近景がキャンバスに入らないのですぐに、縦構図に切り替えて描画した。東伊豆でのイーゼル絵画(対象の直接描法)の経験が早速役にたった。

朝食後は、帰りに切ってきた道ばたに咲いている紫と白の爪草(クローバー)を、3号のキャンバスに描き始める。

 2012.08.02 【富士(2、3、4)】

今回の御殿場行きは、着いた日(7月31日)の午後、快晴の富士山を2枚、帰る日(今日、8月2日)、おなじく快晴の早朝の富士山を1枚、借家の近くの桜公園の2つのスベリ台をむすぶ展望橋の上にイーゼルを立てて富士(2)、(3)、(4)の絵に手を付けた。載せた写真は「富士(3)」の絵です。

富士(1)と富士(2)は近景まで画面に入れたのだが、(3)、(4)の横構図で遠景の大きな対象をキャンバスの中心に入れると、近景が入らない。そうなると、イーゼル絵画の重要な利点である画家の立ち位置を暗示するにはどうするのか、という命題が立ち上がってくる。でもそこがアトリエ絵画と違って、イーゼル絵画のいいところで、問題にかまわず現場で描いているうちに、この命題(画家の立ち位置の暗示)をクリアするいいアイデアがひらめいた。それは、かって桑原住雄氏が私の画集の巻頭の評論に書いた「逆遠近法」という言葉を思い出し、それがヒントになりました。この桑原氏の文章の引用と、私の解釈は明日【画中日記】にアップします。

 2012.08.09 【富士(5、6)】

今回の御殿場行きは、8日の早朝に1枚、前景に来週にはおそらく散ってしまうだろうピンクの花の咲いたネムの木のある富士(5)を、9日の早朝に1枚、久保川の起点の田坪橋から上流に向って川沿いの「もみじの里」遊歩道の上にイーゼルを立て、富士(6)の絵に手を付けた。右の写真は富士(6)です。

御殿場では、比較的、早朝富士山が見える確率が高いので、6時頃から9時~10時の朝食前に1枚描くことにした。両日共に富士山は写真のようにほとんど雲に隠れていたのだが、描き始めてほんの数秒頭の一部が現れ、イーゼルの立ち位置を修正した。

一度イーゼル画をはじめると、肉眼と写真とでは物どうしの大きさの比率が全然違うので、現場で実際に見ないと、あとの完成に向っての描画に対して不安になる。光も,大きさの比率も、空間も、写真を引き写せば写真のような絵は描けるが、いくらデジカメやパソコンを駆使しようとセザンヌや坂本繁二郎の絵のような写真は決して出来ない。「事件は現場(目)でおきる」、「生イカはスルメになるけれど、スルメは決して生イカにはもどらない」。

 2012.08.16 【富士山麓風景(1、2)〈霧の小径〉】

今回の御殿場では、15日の早朝、霧がでていたので7月18日にアップした場所で、P10号とF8号のキャンバスに手を付けた。中畑あたりの高度の霧は太陽が上ると大抵、みるみるうちに消えてしまう。この時も、写真の絵の後、8号の絵の後半にはもう霧は消えてしまった。ダブルトラックの、ジャリ石を敷いた道は、乾くと白くなるのだが、早朝の露に濡れて下の火山の土が黒く浮き出て、霧の中の小径にピッタリだ。こんなディテールも現場で描く強味だ。つまり、キャンバス上の出来事はすべて事実なのだから、アリバイ作りに心迷わす不安がない(晴れていた時の写真から霧の中の風景をアトリエで描くとアリバイ作りに失敗する)。裸眼の(写真や、他の画家のソフトウェアを使わない)リアリズムであるイーゼル絵画は、自分の描いている画面の中に、技法上、知られたくない、見られたくない後ろめたいところがどこにもないので、描いている時は楽しいし、描き終えた作品に対して、何処からからの誰からのツッコミにも正々堂々と対応できる。イーゼル絵画は、画家にとって万能の、そして多分唯一で必須の、身体(眼)の鍛練法だとおもう。

 

 2012.08.23 【富士(7、8)】

今回の御殿場は、3日間とも天気に恵まれた。しかし御殿場では、陽が上ると、富士山の広く黒っぽい南斜面を太陽が熱するための上昇気流によって出来る生れ立ての雲で、すぐに山容を隠してしまう。東伊豆では、朝食後10時頃から午後Ⅰ時半~2時頃まで2枚のキャンバスに手を付けていたのだが、御殿場では早朝の一時(いっとき)が勝負で、6時頃から1枚描いてから、その後朝食をとるというパターンに定着しそうだ。早朝に描くため、柏に帰る日(今日)の午前中も1枚描けるので、制作点数は東伊豆と変わりはないが、毎日描きに出るので、東伊豆より忙しい感じだ。別に画の注文があって忙しい訳ではないのだが、富士山頂の雪渓も刻々と姿を変えるし、稲も穂を出して緑から黄色に色を変え始め、今ここで自分が絵を描かないと2度とこの絵はこの世に存在しないとおもうと、独り合点の使命感に駆り立てられる。

イーゼル絵画をやると、画の他にはなにもできないくらい忙しい。テレビも新聞もやめて久しく、画を描くことのほかにすることは、今はパソコンと読書くらい。その本もパソコンも画に関する事ばかりで、私は今や「丘の上のバカ」なのです。

『フール・オン・ザ・ヒル』(ビートルズ)の歌詞

 The Fool On The Hill

 Day after day, alone on the hill,the man with the foolish grin is perfectly still

 But nobody wants to know him, they can see that he’s just a fool as he never gives an answer  

 But the fool on the hill sees the sun going down

 And the eyes in his head see the world spinning round

 Well on the way,head in a cloud, the man of a thousand voices talking perfectly loud

 But nobody ever hears him or the sound he appears to make and he never 

 seems to notice

 But the fool on the hill sees the sun going down

 And the eyes in his head see the world spinning round.

 And nobody seems to like him they can tell what he wants to do

 And he never shows his feelings But the Fool on the Hill

 Sees the sun going down and the eyes in his head see the world spinning round

 Oh round,round,round,round,round

 He never listens to them

 He know that they’re the fools

 They don’t like him

 The fool on the Hill sees the sun going down

 And the eyes in his head see the world spinning round.

  

 Oh round,round,round,round,round

   フール・オン・ザ・ヒル

来る日も来る日も丘の上にひとり

薄ら笑いを浮かべた男がじっと静止している

だが 誰一人あいつに近づこうとはしない

誰もがあいつをバカ呼ばわり

そして 男は返事ひとつしようとしない

丘の上の愚か者は沈む夕日を眺めながら

大きく開いた心の眼で回る地球を見つめている

時には 雲の中に頭を隠し

男は様々な声色を使い 大声で喚いてみる

だが 誰一人として 男の声も

その不思議な音も聞いた者はいない

そして 男のほうもまるで無関心のよう

丘の上の愚か者は沈む夕日を眺めながら

大きく開いた心の眼で回る地球を見つめている

あんなバカは好きなようにさせておけと

みんながあいつを爪はじき

そして 男も他人に心を開こうとしない

丘の上の愚か者は沈む夕日を眺めながら

大きく開いた心の眼で回る地球を見つめている

あいつは人の言葉などお構いなし

彼らのほうこそ愚かだと知っているから

みんなに嫌われても平然としている

丘の上の愚か者は沈む夕日を眺めながら

大きく開いた心の眼で回る地球を見つめている

 

丘上の愚者(小田嶋隆訳)

日毎 小高き丘に登り

蒙昧の笑み浮かべる男

粛々として不動たり

世人は彼を織らず

その暗愚なるを知るのみ

彼の男 黙して答えず

丘上の愚者

悠揚として落日を眺む

頭上なる双眸は

四海の廻転を静観して久し

営々と 雲の裡なる頭(こうべ)を挙げ

彼の男 万雷の声持て怒号せり

世人は そを聞かず

濤声は 虚空に漂うのみ

彼の男 拘泥せず

丘上の愚者

悠揚として落日を眺む

頭上なる双眸は

四海の廻転を端倪して久し

世にある人 彼を好まざりき

その好むところを語るのみ

彼の男 心底を明かさず

彼の男 衆生の声を聴かず

その愚かなるを知ればなり

彼を慕う者ついにあるまじ

 2012.08.30 【富士(9、10)】

今回の御殿場は昨日(29日)、以前描いた「富士(6)」と「富士(8)」の近くで、F15号の縦と横で2枚手を付けた。早朝、借家を出るときの予定では、横構図でⅠ点描くつもりだったのだが、1枚目を描き終わってからの方が富士山の視界の条件が良くなったので急きょ2枚目を手前のモミジの木を入れて描いた。

最遠景に富士のように巨大な形象があると、それを描写するときに様々な問題に気付かされる。通常の風景を描いている時には、空は、画面上事物の上部にあることを疑いもしない。しかし画面の上では、富士の形象の外側の空と富士の形象の内側に浮んでいる雲は同一の連続する透明な空間の上の存在なのだ。それどころか、空間は、近景の木の葉の周り、画家の眼球の表面までオールオーヴァーに連続して充満している。水槽の中の金魚は描けても水槽の透明な水はどうやって描くのかという問題だ。おまけに空間は画家自身の周りまでも満たしている。水族館のガラス越しに魚を見るのと、水に潜って魚と同じ空間で対象を見るのとの違いは、イーゼル絵画では見過ごせない。つまり、画面の空間とイーゼルの立ち位置の空間が同一であることが大前提なのだから。

だから、高校時代に青木繁の『わだつみいろこの宮』の絵の中の泡を「むしろ描かない方がいいのにナ」と思ったことに、イーゼル絵画を東伊豆で始め、ここにきて納得がいく。つまり泡を描くのならば、イーゼルの立ち位置も水の中でなくてはおかしい、という訳で、描いている人物が水の中ででなく空間の中にいる人物をモデルにして描いているのだから、泡はむしろ描かない方がいいと私はおもうが、どうだろう。この問題は、セザンヌのイーゼル絵画でない作品にも散見するので、改めて書きます。

 2012.09.06 【富士(11、12)】

今回の御殿場は、5日に富士山の写真のビューポイントで有名な、御殿場市の西隣りの裾野市の「忠ちゃん牧場」の駐車場でイーゼルを立てた。やはり早朝のいっときしか冨士の姿は現わさず1枚目の後半の、写真のような雲が斜面の前面に出だすと、みるみるうちに山頂を隠してしまう。今回のキャンバスは、富士山の前面の視界が開けた画角(視角)の大きな風景なので、F20号を2枚持っていき、1枚で終えるつもりだったのだが、好条件が続いたので、同じ場所で縦構図で2枚目をガンバってしまった。この場所はイーゼルを立てる条件が揃っていて、大きなキャンバスでも大丈夫なので、今度イーゼルを立てるときは、F30号(今まで私が描いたイーゼル画では20号が最大)のキャンバスを持って来ようとおもう。

 2012.09.13 【富士(13、14)】

今回の御殿場は、12日の早朝、取り入れ前の黄色く色づいた田んぼのむこうの、雲ひとつない快晴の富士山の前でイーゼルを立てた。陽が昇るにつれ写真のような雲が出だすと、生れたての雲は成長して山頂を隠してしまう。だから、朝は忙しく、描き終えるまで一時の余裕も無い。この、場所は8月23日の【富士(7、8)】と同じ場所で、地元の人の富士山のビューポイントらしく、前夜御殿場は晴れていたのに山頂は雪になったのか、早くも初冠雪の富士山の写真を2、3人撮りにきた。来週は視惟展が始まり会期中だが、御殿場に来て、目の前の黄金色に色づいた田んぼを大きくとって、縦構図と正方形のキャンバスに描こうと思っているのだが、当の稲を刈り取られてしまうかもしれない。こういう、一期一会がイーゼル絵画の醍醐味なのだが、天のオファーは忙しいネ。

 2012.09.21 【富士山麓風景(3)】

今回の御殿場は、視惟展の会期中なのだが、やはり御殿場に来た。毎週1回はイーゼルを立てなければ心が落ち着かない。このところ、制作中自己意識がすっかり無くなり、まるで祈りや坐禅のような行為になってきていて、外で描いていると画を描くことに心底から喜びが湧いてくる。

19日は雨で外に出られず、夜雨もやみ霧がでていたので、翌朝の霧を予想して狙っていた場所にイーゼルを立てたのだが、陽が昇り、陽が差すと、またたくまに霧が消えて写真のような情景になってしまった。まあ、それならそれでチッともかまわない。今度霧が出たらその時、描けばいいヤ。

最近、また御殿場の道は自衛隊の関係か、道が広く舗装され、絵に描くのにいい道が少ない。この場所は朝露に濡れて黒くなったダブルトラックの小径で、こんな場所を探して出合うと、ひっそりと隠していた誰にも見つけられない美しい宝物を見つけたときのようで、「しょうがないナア、どんなに隠してもお前は見つけてしまうんだもの」という天の声を、私だけが聞けるエリート意識に、ひとりで得意になる。

 2012.09.27 【富士(15、16、17)】

今回の御殿場は、前の週と同じくまだ視惟展の会期中なのだが、御殿場にやってきた。8月23日と9月13日に描いた場所と同じ場所で、前景の黄金色の稲を大きく入れて縦構図で描いてみたかったので、イーゼルの前の稲が刈り取られる前に(先週からもう稲を刈った田んぼをところどころで見ていた)やはり来ずにはいられない。この日は秋空で、雲が富士山より高くⅠ日中その姿を現わしていた。こうなるとますます忙しくなり、モネの積み藁の連作のように、早朝の富士に加えて、日中、夕方とそれぞれの富士が描きたくなる。今回も、来た日(25日)の夕方近所の桜公園で1点(富士15)と翌日(26日)早朝この場所で2点(富士16、17)手を付けた。

26日の午后は、自転車で借家の東側をロケハンして、2ヶ所いいポイントを見つけた。今までの場所はすべて借家の西側だったので、少し東から見れば、富士山と夕方の太陽が一つのキャンバス内に収まるかもしれない。夕照も含めて楽しみが増えた。仕事として考えたらオファーもないし、売れる見込みもないのにこんなに頑張れないが、への信仰や修行と考えれば、なんでもないしむしろ悦びだ。

 2012.10.03 【富士(18)】

先週で『視惟展』が終り、次は11月6日からの個展だ。時は過ぎゆく。あわただしく変化する時代や状況や生活に、つまり外側の世界状況と実存を合せて生きると人生は空しい。諸行は無常である。若い時の実存主義から50歳を過ぎての超越論的実在主義へ転向すると、日本の男の老人は「無為自然」「レット イット ビー」という締念の甘い誘惑のささやきが聞こえてくる。つまり、向うべき超越を喪失してしまうのだ。

来年は67歳、つまりセザンヌが死んだ齢だ。そんな年齢で、これまでの様々な画の様式の変転の最後に、富士という、単なるひとつの画のモチーフというよりも、世界の存在という、私の世界観の根幹をなす、哲学的、宗教的命題に相対し、画家として視惟する時間を持てることに幸せを感じる。

富士は無常ではない。その富士の物感をキャンバスに描写変換できれば、その絵も無常ではなく、世界から消え去りはしないだろう。セザンヌのサントヴィクトワールのように。

2012.10.11 【富士(19、20、21)】

 先週「忠ちゃん牧場」の駐車場で描いたF30号の横構図に続いて、今週は10日に同じF30号の縦構図でイーゼルを立てた(富士21)(デジカメを御殿場に忘れてきたので、載せている写真は同じ場所で以前描いた時のもので、来週差し替えます)。秋になって雲が富士山より高くなると、早朝だけでなく日中も姿を現わすことが多く、そうなると忙しい。御殿場に着いた日、9日の午後も先々週見つけておいたポイントでM10号を2点手を付けた。夕方の太陽と富士山を入れて描いたのだが、太陽の位置が予想より富士から離れているため、空が画面の大半を占める、少々アクロバティックな構図の絵になってしまったが、発展させると以外に収穫があるかもしれない。来週は、M12号で描いてみようとおもう。それと、今コスモスがあちこちで美しく咲いているので、散らないうちに富士山を遠景に入れた絵を描こうとおもう。これも、ねらっている場所がすでにあるので、来週も4点手を付けるつもりだ。2年前にお亡くなりになった、芸大の先輩画家の三栖右嗣さんの残された大量の巻キャンバスを奥さんからいただいているので、惜しげもなくキャンバスを使える。これも天の見えざる手による采配だろう、天は我に仕事をしろという天命を与えているとこじつけて、タンペラマンを鼓舞して頑張ろうとおもう画狂老人でした。

2012.10.18 【富士(22、23)】

 今週、16日は夕方、先週描いた広場からポイントを変えてM12号で1点、17日の早朝コスモスと笠雲のかかった富士をF10号の縦構図で1点手を付けた。コスモスは残念ながら盛りを過ぎて咲いている数本を残して畑の隅に抜かれていた。モネは積み藁の連作を描くために、積み藁の持主にお金を払って片づけないようにたのみ、ガードマンまで頼んだそうで、そのタンペラマン(仏語;気質、セザンヌがよく使う言葉で、「画描き根性」というような意味か)にセザンヌが感心している。一神教に対峙している西洋人の実存はエグいけれども、日本人の私は、「行雲流水」ですぐに流れに身をまかせ、こちらの要望を諦め世界の方に合わせる。画に最善は尽すけれども天の為すことには逆らえないし、イーゼル絵画は写真を使わないので(ディテールの確認に補助的には使うが)、そのような不確実性と不完全性は避けられない。いや、むしろそのユラギが芸術の大切なポイントで、再生産のきかない一期一会の眼の交感をキャンバス上に定着しなければ、絵画は芸術の位置から滑り落ちるだろう。

2012.10.25 【富士(24、25)】

 今週の24日は、前日の雨が上がり、早朝、前日の雨が山頂では雪だったのだろう、冠雪の富士を2点、F10号とS10号に手を付けた。1枚目の描き始めは雲ひとつない青空と冠雪の白のコントラストが美しく順調に描き終えたのだが、1枚目の終わり頃から、周りは晴れわたっているのに、富士の裾野にはおきまりの雲が出始め、2枚目の終りにはすっかりと山頂を隠してしまった。富士を描くのには陽が昇る前の早朝のいっ時が勝負だ。

9月13日の初冠雪はすぐに融けたが、今回の冠雪はその時と違い本格的でもう融けないだろう。そうなると冠雪の富士を描くのに、今まで描いた場所をもう1巡しなければならず、「嬉しい悲鳴」だ。汲めど尽きせぬ美味しい水が湧き出る泉のように、描いても描いてもモチーフが向こうから湧き出てくるのだから、これはもう画家としてタマリマセンなァ。「イーゼル絵画にスランプなし」である。

2012.11.01 【富士(26、27、28)】

今週の10月31日は、、先週下見をしておいた「忠ちゃん牧場」の先にある「十里木展望台」で描く予定だったのだが、早朝曇っていたので、先週描いた近くの場所で時折雲間から幻想的に顔を出す冠雪の富士を1点(富士26)P12号と、午后に曇りがちながら高い雲で富士山が姿を現わしたので、ここももう何点も描いた借家の裏の「桜公園」でF6号の縦と横で2点(富士27、28)のキャンバスに手を付けた。

イーゼル絵画をやらなければ、と、2年半前に発心して東伊豆で描き始めた頃のことを思い出せば、現場のどんな状況でも画にできる描写力がついていることを実感する。いよいよ来年の3月には私も、セザンヌの亡くなった年齢と同じ歳になる。そんな歳になっても、まだ自己記録の伸びシロがある分野は、世の中で芸術くらいのものだろう。マチスは言っている、「芸術家は何歳(いくつ)で死んでも夭折だ」。

2012.11.25 【富士(29、30)】

11月21日は、個展の間御殿場に来れなかったので、3週間ぶりの外光での描写だ。目と手が無意識で連動することが、ナマっていないかと心配したがいつもどおりでノープロブレムだった。

最初は早朝、前回描いた場所(富士26)でF25号のキャンバスで描こうと思っていたのだが、現場は何かが建つらしく土地を造成していて、イーゼルを立てる場所がなく、近くを歩き廻り、急きょ写真の場所でイーゼルを立てた(富士29)。場所は自衛隊の境界道路を東富士演習場にほんの少し入った所で、描いている間、左に見える無舗装の道路を何台もモスグリーンの自衛隊の車が通った。こういう時はヘタに目を合わさないで、取り付くシマがないように、絵に没頭している態度をとるにかぎる。仮に、誰何(すいか)されても想定問答は用意している。さいわい、なにも言われなかったので来週もこの近くでイーゼルを立てようとおもう。「富士(30)」は、翌日(11月22日)早朝、桜公園で錦秋の冠雪富士、F5号に手を付けた。

2012.11.29 【富士(31)富士山麓風景(4)】

11月27日、御殿場に着いた日の午後、桜公園のいつもの滑り台の連絡橋の上で「富士(31)」をF5号で1枚、翌28日は9月21日の御殿場だよりに載せた『富士山麓風景(3)』と同じ場所で、「富士山麓風景(4)」F12号に手を付けた。じつは28日、朝「忠ちゃん牧場」でS25号のキャンバスに描くつもりで現場に向ったのだが、山頂に朝から雲がかかり、待ってもとれそうもないので、急きょ予定を変更した。こんなときは、キャンバスも前もって何種類か準備しておかなければならない。でも前日、翌日の天候を想定し、場合に応じてそのサイズの作品のキャンバスを張って準備する時間は、これはこれで楽しいもンヨ。床下の瓶に貯めた小判を数える人のように、自分の持っている、今まで習得してきたスキルの財産をアレコレ吟味し振り分けるのだから、「オレって、金持だナァ」とひとりニヤニヤする。

2012.12.06 【富士(32、33)】

12月5日は、先週山頂が雲に覆われて描けなかった「忠ちゃん牧場」の駐車場のジャリの山からS25号のキャンバス(富士32)を早朝から描いて、10時半頃朝食を食べ、昼から「富士(29)」を描いた、東富士演習場の境界道路の傍でP10号(富士33)に手を付けた。写真のように朝から快晴で雲一つない天気だったのに、2枚目を描き終える頃から、太陽に環天頂アークがかかり、見る間に、富士は隠れなかったが白い高い雲に覆われた。御殿場の天気は変わりやすい。山頂の冠雪もドンドン下の方に広がって姿を変えるし、紅葉の落葉樹も葉を落とした。もう何点も描いた、桜公園からの富士は、松、杉、檜などの針葉樹ごしの富士だが、葉を落とした落葉樹越しの富士のビューポイントに目を付けていた場所もあるし、忠ちゃん牧場周辺も2、3描こうと思っている場所もあるのでモティーフは切れることがない。こんな幸せな「画狂老人」がいるだろうか。

2012.12.13 【富士(34、35、36)】

12月12日は、忠ちゃん牧場にいく途中の、自衛隊の演習場の広大な茅原の中を通る道路から、ほんの少し入ったところにイーゼルを立てた。真ん中の黒っぽい道は普段は車からは見えないが、野火の用心のためか、道路際の茅を数メートル刈ったので先週の忠ちゃん牧場からの帰りに突然現れた。急きょ予定を変更する(富士34、F15号横)。午後から御胎内温泉の「樹空の森」のテラスから落葉樹の葉を落とした枝越しの富士をF8号横で(富士35)描いて、いつものルーティンの日帰り温泉で入浴(¥500)し、館内のレストランで夕飯を食べて帰る。

快晴の早朝出かける陽の出前の一瞬、冠雪が紅に染まった富士が見えたので、13日の早朝、借家の近くのいつもの桜公園のスベリ台の連絡橋の上から、F6号縦(富士36)に手を付けた。紅の富士は太陽が顔を出して、直接光が冠雪を照らすと、たちまち白く色が変わる。夜明け前のほんの10~20分の間か、現場に居たのは正味30分位でキャンバスを2枚持っていったのだが、1枚描いたのが精一杯だった。すべての風景は幻のように出現し、2度と同じ条件では現れない。その時に、私が絵を描かなければその絵はこの世界に存在しない。天のオファーは忙しい。

2012.12.20 【富士(37)】

今回の御殿場は、19日は終日富士山頂が雲に覆われ1日描きかけの絵に手を入れて過す。今日は朝晴れていたので、先週「富士(36)」で手を付けた、早朝の紅花染めの色に染まる富士をもう1点描こうと思って、7時頃桜公園に出かけた。予想した時間が30分遅くすでに終わりかけていたが、それはそれで、これで絵にすればどうなるか分からない。今日は紅(くれない)色というよりも、オレンジ色に近い色だ。

富士山頂が紅(くれない)色やオレンジ色に染まるのは、山頂の白い雪を、まだ顔を出さない日の出前の太陽の、波長の長い光が照らした時に、雲が夕焼けに染まるのと同じ現象で、雪の白が紅色やオレンジ色に変化するのだろう。

だから、夕焼けが日没後2、30分位で終わるように、日の出前の光が山頂を照らす自然の神秘的なショーはあっという間に終わってしまう。

今この時間、富士を見ているのは世界中で数人の人しか見ていないだろうし、写真に撮るのはともかく、その富士の絵をキャンバスに描写しているのは自分だけだろう。自然は見る人が居ようが居なかろうが、気前よくジャブジャブ「美」を垂れ流してくれている。誰かが、その美しさを無にしないよう定着しなければ、天に対して申し分けないではないか。それが、画家の使命であり、描写スキルを持った画家への天からのオファーだ。

2012.12.27 【富士(38、39)】

今回は今年最後の御殿場行きだ。26日は、「忠ちゃん牧場」に行く途中の、自衛隊東富士演習場(裾野市)の大野原の真ん中を通る国道469号線のすぐ近くでイーゼルを立てた。先々週イーゼルを立てた所のすぐそばだ。写真では分からないが、描いているすぐ後の下方をひっきりなしに車が通っていく。15号のFで1点描いたのだが、それだけでは我慢が出来ずに、一緒に持っていった、S15号も結局は使ってしまった。これで、今年の富士は描き納めだ。手を付けた富士が全部完成すると約半年で39点だから、当初の予想よりかなりのハイペースで絵が出来ている。この分だと、御殿場市中畑での2年間(あと1年半)はあっという間に過ぎていくだろう。その後は経済的事情が許せば、山中湖側に2年間、朝霧高原側に2年間、富士山をグルっと1周するつもりだが、自分の身体上の条件を含めて天にそれ(筆を握って現場で描くということを)を許されるのを祈るばかりだ。

今年の正月は東伊豆の片瀬白田で過した。御殿場に引っ越す決断をし、数々のギャップを乗り越えて現場でイーゼルを立てなければ、今年御殿場で描いた富士はその時は影も形もなかったのだから、これから描く富士の作品も、その時に描かなければ世界に2度と現出しない。

御殿場だより(2013年)

 2013.01.10 【富士(40、41、42、43、44、45)、富士山麓風景(5)】

今年最初の御殿場行は5日から今日(10日)まで6日間の滞在だった。着いた日の午後はアトリエで溜まっている絵に手を入れて過ごし、翌日の6日は天気の安定していて富士山頂が雲に隠れる確率の低い早朝、昨年の11月21日に描いた自衛隊の境界道路を東富士演習場にほんの少し入った所の近くでイーゼルを立てた。F10号でⅠ点「富士(40)」F10号横を描き終え、写真の右側の茅原の小道を上ると、小ピークに三角点があった。以前地図で調べたの馬頭塚の三角点は見付けられなかったので、思いがけない所で三角点に遭遇すると嬉しい。おまけに、そこからの富士は自衛隊の演習場のおかげか、原始のままの手付かずの雄大な風景だ。早速来週イーゼルを立てようと思う。午後からめったに見られない高曇りの白い空の富士山が現れたので、急いで桜公園のいつもの場所にイーゼルを立て「富士(40)」F6号縦に手を付ける。この日は日曜日だったので、自衛隊の関係か、子供連れの若い家族が何組も公園に遊びに来ていて、久しぶりに遊んでいる子供の甲高い声を聞いた。絵を描いている時は相手をしないが、子供の明るい楽しげな声は人を元気づける。その人の存在も作品も、すべからくそのようになりたいものだ。

翌7日は、朝から曇りで富士が見えず、やむなく馬頭塚の松のある広場でイーゼルを立てた、「富士山麓風景(5)」F10号縦。前回のロケハンでも雲っていて富士が見えず、おおよその見当で木立に隠れ、富士は見えないものと決めつけていたのだが、描画の後半、思いがけない方向に白い山頂が顔を出したので、これも近々に画にしようと思う。

8日は6日に見付けた三角点に上る茅原の中の黒い小道から、雪の山頂をチョッピリ覗かせた小品を4点「富士(41、42、43、44)」、9日も同じ場所で「富士(45)」をS8号で手を付けた。去年お亡くなりになった三栖さんの、残された巻キャンバスを大量に戴いたことに、運命的な天の見えざる手を感じる。何点でも惜しげもなく描けるのだから。

 2013.01.17 【富士(34)】

今回の御殿場行は、14日に大雪が降った翌日なので、初めて国府津から御殿場線に乗って御殿場駅に、御殿場から借家の近くのバス停まで富士急の路線バスで行った。電車やバスを使うと、旅をしているという感じがして、楽しい。16日はイーゼルを立てる現場までタクシーを使おうと思っていたのだが、曇り空で富士が見えず、Ⅰ日借家のアトリエにこもって溜まっている絵に手を入れて過ごした。以前は、描き慣れた柏のアトリエに持って帰らなければ画の完成はできなかったのだが、今回初めて現地で一応の完成まで漕ぎ着けられた。明日、こちらのアトリエで最終チェックをして、『富士(34)』の完成写真をこのページの窓に差し替えてアップします。それまで、右の写真は、12月13日にアップした『富士(34)』の描き初めの別の写真を載せておきます。

 2013.01.24 【富士(22)】

今回の御殿場も、先週とおなじく2週続けて富士が雲に隠れ、室内で「富士(22)」を仕上げた。

その後、時間があったのでそろそろ試してみようとおもっていた、イーゼル画ではないアトリエ画の富士を2点(F4号、F6号)描きはじめる。イーゼル画には弱点があって、キャンバスを外に出せない大作や逆に視角の狭い小品の風景画、夜の風景、雨や風、人物ならば固定できない瞬間のポーズや屋外での裸婦等々、現実にあってもその前にイーゼルを立てられない状況では絵が描けない。その場合は、写真や、スケッチ、記憶、イメージを組み合わせてアトリエで描くしかない。

三栖さんに貰った大作用の木枠を無駄にしないために、そのうちいつか大きな視角の富士を描きたいとおもっているので、そのためにはアトリエ画で徐々に問題をみつけそれを解決していかなければ、すぐにはその絵が実現できないだろう。思い立ったらすぐに行動に起すのが、私の生きるスタイルで、こんな絵を描き始めました。やはり現場で描かないと形象や色が単純になり、画面が図的になるのが欠点だが、かえってそれが装飾的な効果があって、観る人によろこばれるかもしれない。この絵に「物感」が現わせるかどうかが今後のポイントだろう。完成したら、アトリエ画なので「岬石」ではなく、Okanoのサインにして絵の値段も半額にして発表します。

 2013.01.31 【富士(47、48)】

今回の御殿場は、29日の早朝柏駅行きのバス停まで行く途中の西の空に、月齢17日の月(ググって調べた)が入り残っていたので、月と富士山の絵をイーゼル画で描こうとおもい、翌日(30日)の朝、桜公園に行ったのだが、すでに残月は白く空に溶け込み輝きを失っていて描けなかった。

「月と富士」は諦め、キャンバスを換えて以前見付けておいた、一木塚の3角点で初めてイーゼルを立てる。手前の道といい、少し小高い位置からの立ち位置といい、対斜面の富士山の配置は、F20号のキャンバスの横位置で予想以上にうまく画面におさまった(富士47)。イーゼル画を初めて、様々な絵画上の問題に出会い乗り越えてきたが、この日は新たに重要な問題に気付く。まだ、試してみての結果を見なければ分からないが、考えがまとまれば近々「画中日記」にアップしよう。やはり、事件は現場で起ります。

今日の朝、あらためて日の出前に(6時頃)桜公園のいつもの場所にイーゼルを立てる(富士48)。イメージや写真より、裸眼で見る世界ははるかに美しい。しかし、夜明け前の刻々と展開する目の前の光景は、変化のスピードに筆が追付けない。描きながらメモ代わりに写真を撮るが、あくまで現場での目の記憶を、完成までの羅針盤にしなければならない。イーゼル上の画とモチーフの風景を比べると、写真は遠景が小さく、近景が大きく写っているでしょう。月を写真に撮るとものすごく小さい。写真から絵を描くと、パースペクティブが強調されて遠景がペチャっとした画になります。これはほんの一例で、そもそも写真と人間の眼は、認識のシステムが違うのですから。この事は、現場でイーゼル画の体験をしなければ分からないし、裸眼を鍛えないと描写のスキルも上達しません。

 2013.02.07 【富士(49)】

今回の御殿場は、6日はみぞれで描きに出られずアトリエ内で終日溜まっている作品に手を入れ、夕方、水曜日の日課の裾野市の御胎内温泉に出かける。温泉に入って、夕食もここにあるレストラン『利顧』で食べていくのだが、毎週行くので顔を覚えられて、いつもサービスしてくれる。昨日は新メニューの豚トロをローストしてレモンを添えた料理を出してくれた。先々週、店長になった勝間田さんは、若い時に箱根宮ノ下の富士屋ホテル(一度泊まったことがある。昭和の香りのするメインダイニングルームでの食事は、ワインが安いものでも8千円もして高かったけれど、ロマンチックで落着いた熟年向きホテル)でコックの修行を8年間したそうで、料理もおいしく、新メニューの開発にも意欲的だ。というわけで、今回の「御殿場だより」はいつもサービスしてくれるお礼に御胎内温泉のレストラン『利顧」の宣伝と、店長の勝間田政徳氏を紹介しました。

翌日(今日)は、珍しく富士山が雲の上に頭を出していたので(大抵はこの高さの雲は山頂を隠してしまう)朝食前にあわただしく桜公園に描きに出かけた(富士49)。風が強い日で、それによってイーゼル画は「目先手後」ということに気付く。事件はやはり現場で起った。これについては近々画中日記に書きます。

 2013.02.14 【富士(50)】

今回の御殿場は、1月30日に描いた「富士(47)」で新しい問題をみつけたので、同じ場所の一木塚の三角点でF20号の縦構図で描こうと決めていたのだが、朝、前夜の雨があがり、霧がでていたので、馬頭塚の松の木のある広場に場所を変える。中畑あたりでは高度が低すぎるのか、早朝霧がでていても陽が昇るとすぐに消えてしまい、安定して絵が描けない。御殿場に引っ越して早々、幻想的な霧の風景に出遇ったのでいつも狙っているのだが、去年は1日2点描しか描けなかった。この日も、現場でイーゼルを立てたころには霧が晴れ、富士山頂を隠していた雲も切れ始め、急遽予定を変更して松の木から富士山に構図をシフトした。霧の松の木を描くつもりでF10号のキャンバスを持っていったのだが、この場所では横長のキャンバスで松も富士山もゆったりと入れた絵を何点か描けるだろう。天の為す事には逆らえない。

 2013.02.24 【富士山麓風景(6)】

今回の御殿場は、20日前日からの雨が夜雪にかわり外は雪景色、雪は止んでいるが富士は見えず、雪の富士山麓風景に切り替えた。御殿場のホームセンターで買った長靴が初めて役にたった。

21日は御殿場から直接大阪に行き一泊、翌日、私の芸大時代の担任教授であった小磯先生の神戸市立『小磯良平美術館』を初めて訪れた。写真を使わないイーゼル画の具象絵画の、画面の味わいを堪能する。

22日は京都に一泊して翌日、竜安寺の石庭と大河内傳次郎山荘を観てきました。石庭は芸大の3年生の時の古美術研修旅行(コビケン)で見学して以来で、約半世紀前観た時と変わらず、来てよかった。石庭も大河内山荘も、人間がこういう世界観を顕現すること自体、奇跡的な超越的行為であるが、またメンテナンスや借景を含めてその美を理解し存続させ続ける日本人の美意識の特殊性、優秀性は、諸行無常が世の常の中で、これまた奇跡的だ。この日本人の世界観、美意識が自分の身のうちにも流れ、伝承されていることを誇りにおもい、また、芸術をやり続けることの決意と自信を一層強くしました。

 2013.02.28 【富士(48)、(49)、爪草】

今回の御殿場も、先週と同じく曇って富士山頂が見えず、屋内で3日間描きかけの絵に手を入れて過す。最近気付くことがあって、描き慣れた柏のアトリエに持って帰って仕上げなくても、御殿場のアトリエで、完成までもっていけることができだした。もちろん、外に描きに行けるときは、そんな時間はとれないので柏に持って帰って仕上げるが、こんな時には溜まっている作品を随分と消化できる。今回は明日、サインを入れてフェイスブックにアップする予定の、F10号とF20号の作品と、持って帰れなかった富士(48)F6号、富士(49)M8号、爪草F3号をほぼ完成させた。特にF20号の作品は、私の、描画上の認識の基盤の線を繋ぎ変える大きな発見で、やはり「事件はイーゼル画の現場で起こる」のだった。このことについては、なんとか文章にまとめて、近日中に「画中日記」にアップします。

27日は、夕方先週行けなかった御胎内温泉に行き、レストラン『利顧」の店長の勝間田氏と、忙しさの合間に少し言葉を交わす。娘さんが静岡県立大学に在学中とのことで、もしかしたらと思っていた、先週フェイスブックの友達になった勝間田真依さんは勝間田政徳氏のお嬢さんだった。フェイスブックの写真を見ていたので「美人の娘さんだネ~!」と言っておいた。

 2013.03.06 【富士(51)、(52)】

6日の御殿場は、終日雲ひとつない快晴でした。2週間待たされた一木塚の三角点で、F20号の縦構図で朝食前に1点(冨士-51)、朝食後に自衛隊の高塚道をすこし上がったところでM10号で1点(冨士-52)手を付ける。一木塚の三角点は冨士の裾野の小さなピークのひとつなのだが、山頂を対斜面に仰いで、下りの斜面の道を画面に入れると、素直に筆を走らせているだけで自然に画が出来てくる。理想的なビューポイントで、今後、何度も通うことになろう。冨士(52)は右側に道を入れて簡単に画になるとおもったのだが、左手前の刈った茅の部分の物感がうすい。刈り取った地面には視線を向けていない証拠だろう(なんとかしますがね)。

夕方恒例の御胎内温泉に行く。館内のレストラン『利顧』の店長の勝間田氏から、今回も水掛け菜の漬け物と食後にコーヒーをご馳走になった。『利顧』のコーヒーは地元のコーヒー専門店から仕入れた粉を使っているので美味しいですよ(300円)。「水掛け菜」の漬け物は御殿場の農協で先日初めて買って食べたのだが、色は緑が美しく、味といい、シャキシャキした歯ごたえといい、青菜の漬け物の一級品だ。出廻る時期も短く、地元の人しかほとんど知られていないので、どこかで見かけたら逃さず手に入れて食してみてください。日本酒に合うし、白いご飯にも合いますよ。この日は暖かかったので外(玄関横の灰皿の前)で食後の一服を吸った。極楽!極楽!

 2013.03.13 【富士(53)】

12日の御殿場は、早朝富士山の山頂に傘雲がうっすらかかっていたので(富士山に傘雲がかかると天気は悪くなる)急いで、先週「冨士(52)」を描いた場所で M20号のキャンバスに手を付ける。描き終えるころには雲が広がり、夜にはやはり雨になった。昔の人の観天望気は、命や生活がかかっているのでよく当る。

右側の道は、自衛隊の高塚道で、顔に迷彩のペイントをした隊員の運転する装甲車やトラックが何台も通り過ぎる。この場所は、地元の人と、生業の人以外は立ち入り禁止の看板が出ているのだが、私は生業で絵を描いているので誰何(すいか)されたら、「少しの間許可をお願いします」と言おうとおもっている。まだ、1度も声をかけられたことがないので、この道のもう少し先まで入った所で、木や草が緑に変わったらイーゼルを立てるつもりだ(先週描き終えた後、ロケハンしておいた)。

 2013.03.21 【富士(51、11)】

20日の御殿場は、春先の不安定な天気で冨士山頂が出たり隠れたり、6時頃の御胎内温泉の帰りには強い雨になってしまった。そのせいで、今回はアトリエで3月6日に一木塚の三角点で描き始めた〈冨士(51)〉と、昨年の9月5日に「忠ちゃん牧場」で描き始めた〈冨士(11)〉の絵をほぼ完成まで描き進めた。来週、柏に持ち帰り、完成させ、近いうちに画像をアップできるでしょう。7月に予定のギャラリー絵夢での個展は冨士の絵が中心になるが、個展のDM用の縦構図の冨士の絵をそろそろ用意しなければならない。もうすぐ、御殿場でも桜が咲くだろうし、富士山と山桜を組み合わせた良いビューポイントを見つけなければ、……日本はいいなあ、美しい自然と、その四季の変化に囲まれて、いつまでもモチーフが涸渇することがなく忙しい。その恵まれた「天」の配在に応えることが、日本の自然の美しさを描写することが日本の画家に下された「天」からの使命だ。

 2013.03.28 【富士(51、11)】

27日の御殿場は寒い曇り空で、今週もアトリエで過した。先週描き進めた〈冨士(51)〉と〈冨士(11)〉を完成させ、サインを入れた。今日柏に持ち帰ったので、明日サイト及びフェイスブックにアップします。

26日来る途中に、前から気になっていた、御殿場駅からのバス通りにある、昔からの地元の本屋らしい『加藤書店』に寄ってみた。目的は、地元の人が出版した郷土史的な本で、店にあるものを全部出してもらい、ほとんど購入した。活字中毒で過して来た者にとって、地方に書店が寂びれていくのをみるのは淋しいが、私自身、本もCDもネットで検索して買うのでこれも、時代の流れか(外国の出版物の画集を見て買うのが楽しみだった、銀座の「イエナ」や池袋西部にあった「アール・ビヴァン」も無くなってしまった)。だから、地元の本屋しかない本を読むのは楽しいし、またそうやって仕入れた情報を持ってロケハンに歩き廻るのは、面白さと楽しさが倍加する。だって、何気ない石碑や塚や道祖神や古い石組みにはすべて意味や歴史があるんだよ。そして、岡山の海沿いの小都市に生まれた67歳の男が「何のご縁か」御殿場の中学の先生をしていた著者の勝間田二郎さんを知るんだよ。面白いね。

 2013.04.04 【富士(54)】

今回の御殿場は、2日、3日と雨、今日やっと晴れたので朝食前に、馬頭塚でM20号のキャンバスに手をつけた。2週間外で描けなかったので、外光を浴びて筆を走らせると、生命(いのち)を洗濯、漂白して、天日干しした感じだ。鶯は鳴くし、林の中では、ひかえめな富士桜がヒッソリと咲いているし、天はなんと気前がいいのだろう。使用料も税金もとらず、万物にあまねく平等に、気付こうが気付くまいが、隠しだてなく、もったいぶらずジャブジャブと美を振りまいてくれるのだから。そんな風景の中で、三昧の境地で筆を走らせていると、風景を見ているのか、風景に見られているのか、またそんな意識も飛んでしまう、主客合一、本質直感、捨身本能覚の瞬間に何度も出遇い、画家冥利につきます。

 2013.04.11 【富士(55)】

今回の御殿場は、10日の早朝、今年はほぼ諦めていた富士と桜の絵を偶然にも描き始めた。花木は開花期が短いので、おまけに、桜は咲いていても富士山が一緒に画面に入るビューポイントはめったに無いので、来た日の9日の午後、来年のための場所さがしに、自転車で借家の近くをまわった。

写真のポイントはたった一点で、キュンバスを右手前に寄せると、富士は山頂が中景の木で隠れてしまうし、左向こうにもって行くと手前の木がじゃまをする。イーゼルをセットしている時に、この土地の所有者の地元の人が話しかけてきて、その人(名前を聞いておけばよかった)の話によると、右の2本の枝垂れ桜と左のツゲの木の間にあった木は今年切ったそうだ。もしその木を切っていなければこの場所は見付からないはずで、当然この絵も存在しない。やがて、この絵は完成するだろうが、この絵を描いた私の存在も含めて、1枚のタブローがこの世に存在するまでには人智を超えた偶然が重なっているのだ。だからこそ、存在に値する美しい絵を描かなくては。

最近読む本は、道元を中心に仏教関係の本にかぎられているが、イーゼル絵画を始めて、かって手も足も出なかったあの難解な『正法眼蔵』や『無門関』の世界観が少しづつ理解できだし、読んでいて楽しい。今回イーゼルやキャンバスをセットして、いざ描きはじめる前に、おもわず無意識に柏手(かしわで)を2回打ち、富士山を拝んでしまった。人生の終わりちかくに、イーゼル絵画や道元に出会わせてくれた巡り合わせを天に感謝します。間に合ってよかった。

 2013.04.18 【富士(56)】

今回の御殿場は、17日の朝、薄曇りで富士の姿が出たり消えたりで条件はイマイチだったが、雲で隠れればそれはそれで1度は描いてみようと思い、一木塚の3角点でイーゼルを立て、S10号のキャンバスに手を付けた。時々手前の雲に隠れるが、霞んだ空間の向こうに透けてみえる富士の姿は崇高で美しい。イーゼル画は、モチーフがチープでなければ、画家の側の味付け(造形および個性的表現)は不要もしくはむしろ害毒なので、淡々と一つ一つの視線に正しく対応したタッチでキャンバスを埋めていけば、結果として美しい絵になるはずである。今のところ、タッチが視線に正しく対応していないせいで破綻があちこちにあるので、現場から持ち帰って加筆しているのだが、理想的には現場で完成させたい。

最近は、今回のように、筆がスラスラと停滞なく進むことが多くなってきているので、3年前に東伊豆で始めたイーゼル絵画のスキルは着実に上がっているということだろうから、そのうちにできるだろう。

「芝居なんて、そんなに急に、上手くなるもんじゃないんだ。薄い紙を重ねていくと、分厚くなるだろう。1枚1枚は薄くても、毎日、重ねていく。気がつくと、それだけ、分厚くなっている。芝居もそれと同じでね」《黒澤監督がいる 黒澤組にて 大寶智子》(『黒澤明』文藝別冊追悼特集 河出書房新社、18頁)

【岡野注;ただし、正しい方向の努力でないと、効果はありません】

 2013.04.25 【富士山麓風景(7)】

今回の御殿場は、昨日が終日雨。今日朝食前に、富士は雲に隠れているがかまわず一木塚の三角点でイーゼルを立てた。写真の左側は裾野市の方向だが「忠ちゃん牧場」は雨が降っているのだろう。立ち位置の背中は箱根側で陽が差しているのだが、「御厨(みくりや)の私雨(わたくしあめ)」で、低い雲が頭上を走る度に、細い雨が時折通り過ぎる。キャンバスやパレットが濡れると油絵具と水がハジいて描きにくいので途中で諦めかけたのだが、突然に虹が出た。おまけに、描いている画面の中の、まるで計ったような場所に虹が現われたのだ。急いでデジカメで写真を撮り、カーマインを持って来なかったので、コーラルレッドNo2をパレットにだして虹が消えないうちに速描した。イーゼル画で虹を描けるという、こんな幸運はこれはもう「天のオファー」としか考えられないので、雨に濡れても描き切ろうと腹を括ったのが天に通じたのかその後は雨に邪魔されずにすんだ。

 2013.05.02 【富士山麓風景(8)】

このところ御殿場では、毎週、富士山が早朝から雲に隠れて予定の場所にイーゼルを立てられない。今回も、5月1日は富士が顔を出さなかったので朝食前にもう何度かイーゼルを立てた、中畑のダブルトラックの農道で新緑の小径の絵(富士山麓風景-8)に手をつけた。写真の左手前の田圃には水が張ってあり、ここいら一帯は一斉に田植えの時期だ。描いている間中、カエルの声が四方から聞こえてくる。「日々是好日」である。「すべてこの世はこともなし」である。この日にここで描かなければ、田圃には苗が植えられ、新緑の木の葉の変化と重なり、一期一会のこの情景が変わってしまう。イーゼル画の完成された作品は、誰が描いても、2度と同じ画が再生産できない、画の良し悪しは別にしても世界で唯一の存在なのだ。だからこそ、この世の美しさを描写する行為は、こんなにも喜びがあるのだ。

朝食後、道路脇の無人の花売り場に矢車草があったので3束(1束100円)買って、久しぶりに花の絵(P6号2点)に手をつけた。

 2013.05.09 【富士(57)、富士山麓風景(9)】

8日は1日中快晴、朝食前に一木塚の3角点でS20号のキャンバスで1点描き、朝食後は、先週帰る途中でロケハンしておいた「あまだのトンボ池」で新緑の水辺の風景をF10号の縦構図で描いた。一木塚の3角点は7月の個展のDMに使った絵を含めてもう5点(今できているのは2点)描いたのだが、この日、描き終わる頃に、工事関係の車がとまり、工事標識の杭を打ちだした。風景が変わる前にあと何点か描きたいのだが(特に手前の茅原が緑に変わって、富士の冠雪がほとんど無くなった風景)、さてどうなるのだろう。

先週下見しておいた「あまだのトンボ池」は、エリアは狭いが地元の人たちの努力でよく残され、維持しつづけられた貴重な風景だ。広葉樹の自然な配置と人が歩くだけのシングルトラックの小径は今はもう絶望的だ。自然は、人が使わなくなるとすぐに道も木も竹やぶやマント群落のバリヤーに覆われて人の侵入を拒絶する。おまけに、昔の棚田の跡らしい、底の浅い池は(トンボ池はこの写真の池ではなく最下段のもう少し大きな池です)水面の清掃も常時けっこう大変な労力を要することだろう。初夏の陽光の下で、新緑の黄緑色に身心を染めながら、こんな貴重な風景のなかで筆を走らせていると、卑小な自己表現とか作画上の造形意識は吹き飛んでしまう。対象が圧倒的に美しい存在を見せてくれているのだから、ただそれを正確にキャンバス上に変換しさえすれば、美しい画面にならないはずはないのだ。絵が美しい画面にならないのは、ただひたすら、それを見ることができない自分の目と描写力の不足のせいなのだ。「専心修行」、「只管打坐(しかんたざ)」と道元は言っている。画家の修行、坐禅はイーゼル絵画であることは間違いない。

 2013.05.16 【富士(58)】

15日は、一木塚の三角点からの、別の道からの富士山をF15号の横構図で描いた。富士山頂の冠雪も次第に融け上がり、山頂の尾根筋も宝永火口も黒く地肌を出している。これからの季節の晴れた日は、黒い南斜面に陽があたると決まって雲が出るので、日の出後の数時間が勝負だ。今日も、描き終わる頃には、写真のようにすっかり雲に隠れてしまった。

去年の7月25日に富士(1)を描いているので、あと2か月で1年です。同じ季節になると、去年と同じ場所でイーゼルを立てたいと思っているのだが、同じ風景を描いて、この1年間の成果はどれだけ表われるのだろうか、楽しみだ。すでにもう周りの状況が変わった場所もあるし、天候を含めてモチーフも画家本人も去年とは違うのだから、イーゼル画は、同じモチーフを何点描こうが常に再生産できないこの世にⅠ点しかない新作なのです。だから、イーゼル絵画は、マンネリズムもスランプもない(絵がうまく出来ないのは、対象を見ることができない自分の目と描写力の不足のせい)、画家の修行、坐禅の場なのだ。

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 2013.05.23 【富士山麓風景(10)】

22日は、朝早く起きたのだが、晴れていても富士山は雲に隠れているため、朝食後御胎内温泉の近くにある「清宏園」のなかの小径でイーゼルを立てた。この園のなかにある溶岩洞窟が御胎内の語源で、白洲正子の樺山別荘での思い出の文章のなかにも出てくる。

「空海が弘仁年中に開いた神仏並祀の社といわれ、江戸時代には天下の祈願所として富士山大別当や大修行の霊場だったが、明治時代の廃仏毀釈により、木花開耶姫命,猿田彦命を祀るようになり、安産守護神として年中崇拝者が数多い。」「樹齢100年余りといわれる〈なら〉の喬林は春は銀ねずみ色の若葉に萌え、夏は涼に富み、秋は錦に彩り、冬は雑木の美を放ち、四季を通じ自然の美しさに人びとは陶酔する。」「約70種類の野鳥が住んでいる園内一帯は、地元御殿場市立印野小学校の野鳥愛護林となっております。生徒達が毎年巣箱の手入れえをしたり、野鳥の生態を観察したりしています。野鳥の森の観察歩道は約1.6kmあります。ゆっくりと歩きながら、野鳥のさえずりに、そっと耳をかたむけてください。」(『御胎内清宏園』のサイトより引用転載)

しかし、今では、林の中なので富士山の展望がきかないことや、なんの遊具もなく食事処もないので、いつ行っても園内は閑散としている。こういう、別にこれといった目玉商品のない場所では、光や空間を味わうという高度な楽しみ方を知らなければ、足るを知らない貪欲で忙しい現代人にはとても時間は過せないだろう。それが却って、柵も無く、舗装されていない歩道、自然な樹形等、「あまだのトンボ池」と共に、私のような画家にとっては貴重な風景を見せてくれる。富士山が雲に隠れて描けない時に、ここにはあと何度か通うことになるだろう。​

 2013.05.30 【富士(56)】

今週の御殿場行は29日も30日も雨、外に出られないのでアトリエで描きかけの作品に手を入れて過した。時間がタップリあったので『富士(56)』(S10号)と東伊豆から持ち越している『スイセンとヒマラヤユキノシタ』(F3号)の絵をほぼ完成、明日最終チェックをして【最新作】のページにアップします。載せる写真がないので、『富士(56)』を描き始めた日の現場の写真(4月18日のページに載せている)の、作品のアップの写真を載せます。この絵が何工程か経て、明日アップする予定の、完成作品になるのです。

 2013.06.06 【富士山麓風景(11)】

5日は、晴れながら雲の多い天気で、富士山頂が出たり隠れたり。それでも、我慢できずに、初めての場所、高塚道の上方に向ったが、馬術スポーツセンターの十字路で自衛隊の検問に止められ、その日は演習をしていて私がイーゼルを立てようとしていた場所は使えないとのことだった。予定を変え、そこから少し下方の、以前描いた馬頭塚の松のある広場に向った。しかし、その場所もその日は、子供向けアクション物かなんかのテレビドラマの撮影があるらしく、多くの車と数十人のスタッフが広場に乗り込み、その場所も使えない。それにしても、道路から少し入ったところにあるこんな場所を、よく見付けるものだ。電柱や、遠景にビルや鉄塔が入らず、自然のままの道や広場をさがし出すのは大へんなことだろう。おまけに、撮影機材の駐車場、スタッフのなかには女性もいるので、トイレや水、時間が長引けば弁当など、それらをすべてクリアーできる場所は限られるだろう。もしかしたら、この場所はテレビ業界ではよく使われる場所かも知れない。建築工事用の簡易トイレが、私がこの場所を最初に見付けた時からあって、誰がなんの必要で使うのだろうと疑問に思っていたが、こういう時のためにあらかじめ設置しているのかも知れない。そんな場所に、吸い寄せられるように、探り当てる嗅覚も画家の才能の一つだろう。

そんなわけで、すぐにそこも諦め、イーゼルを背負って初めての道を歩くと、すぐに写真の場所に遭遇し、P20号で富士山麓風景(11)に手を付けた。まるで、運命の赤い糸のように、何かの因と縁で画家とモチーフが遭遇する。これでまた、この場所をモチーフにして数点作品が生まれるだろう。イーゼル絵画は価値があるね。芭蕉の俳句が吟行から生まれるように、世界と私の間に、視線を介してバーチャルでない本物の時間が流れるんだもの。

 2013.06.08 【『みくりやのくらし』池谷貞一著】⑴

先日、御殿場のかとう書店で購入した本の中の一冊を紹介します。
著者の池谷貞一氏は、御胎内温泉の近くの『清宏園』の初代園長。地元の因野で生れ育ち、地元に住み、この本は平成7年の米寿記念に私家版で出版されています。
装丁や、題名から郷土史的な内容を予想していたのですが、本を開いてみると1作目から予想に反して面白く、すばらしい。1話1話は著者自身の体験が、私が中学生時代に夢中になって読んだ国木田独歩や徳富蘆花をおもわせる自然主義的な小説仕立てで、時系列に並んでいる。1話1話は短編小説のように独立しているので、各話の初出はいつ何に書いたのだろうか。
こんな本に出あうと、日本のすばらしさをつくづく実感する。ネットで検索しても出てこない、一生を地方で過した全国的には無名な人が、金銭には換算できない、これだけの人品、デリカシー、そして文章表現力を持っているんだよ。たまたま偶然に知ったけれど、さがせばそういう人が全国にゴロゴロいるんだよ。
日本は心配ありません。こういう人たちがそれぞれのセクションで日本全体のディテールを支えているのです。

御胎内温泉のレストラン「利顧」の店長勝間田氏は、著者の池谷氏と同じ因野に住んでいるので、先週聞いたところ、著者の他の本があるかもしれないとのことで、来週の御殿場行が楽しみだ。

 2013.06.13 【『みくりやのくらし』池谷貞一著】⑵

今週の御殿場行は、昨日、今日ともに雨。外に出られなかったので溜まっている作品に手を入れて過した。

昨日の夕方、恒例の御胎内温泉に行くと、レストラン「利顧」の店長勝間田政徳氏が先週の約束通り写真の3冊を探し、貸してもらった。右の『郷土誌』上卷は御殿場の「かとう書店」で買った本のなかの何冊かの著者でもある勝間田二郎氏の本で、ちょうどこの上巻はなかった。『もんぺとももひき』の2冊は、これが私が手に入れた『みくりやのくらし』の元本で、1冊目は池谷貞一氏が中心になって月に1回、印野の老人クラブで集まっての昔語りを、池谷氏の文章で1話完結にまとめたものだ。当時の村内や関係者だけに配られた本が、池谷氏の筆力で、好評をはくし周りのリクエストもあって、第2集、池谷氏の米寿記念の総集編と全巻私家版で出版されたらしい。全巻、本の値段は印刷されてなく、私が買った総集編は後に1500円の別刷りのシールが張ってあった。好評なので、残った少部数を地元の書店に置いたのだろう。

なぜ、これだけの面白い素材を、地方新聞社や大新聞の地方版で連載しなかったのだろうか。今からでも遅くない、もしこの文や写真が誰かの目にとまって、廻り廻って新聞社の担当者の耳に入ったら、ご一考ください。つまらない新聞の連載小説よりも絶対に評判になりますよ。そして周りの集落がヤキモチを焼けば、次々と集落を移して話を連載すれば新聞も売れるでしょう。私は、画が忙しいので言うだけですが。

本を探して貸してくれた勝間田政徳氏は父親である勝間田政文氏の書棚から探し出したそうだ。池谷氏の奥さんの実家は勝間田姓だし、勝間田姓の話者の話もある。印野村の人にとっては自分史の一部であるのでこの本を大事におもうのは当然だが、日本全国のすべての各町村の人が、同じようなディテールを生きて来、生きているのだから、このような情報を拾い上げ、文章や写真で公開し、いつでも、どこでも、だれでもその情報にたどり着けるように保存しておけば、いつか何処かで必ず、芽を出すでしょう。

 2013.06.20 【富士山麓風景(12)、(13)】

今週の御殿場行は、昨日(19日)は曇り時々雨、夕方御胎内温泉の帰りに霧がでたので、今朝の霧を期待した。6時頃起きると、期待通りの霧で、朝食前に、急ぎもう何度か描いた中畑のもみじの里遊歩道の近くの農道にイーゼルを立てた。霧は、いつもは、陽が昇るとすぐに消えてしまうのだが、梅雨のためか、今日は終日、この辺りは霧に包まれた。1枚目を描き終わって道具を片付けかけたのだが、思い直し、2枚目に手を付ける。今日の霧は安定していて、モチーフは好条件なのだが、キャンバス、パレット、筆が霧雨に濡れ、描きにくい。こういう時は、途中の絵の良し悪しに連動して、絵がスムースに行かない場合には、気持が萎えてアトリエに戻りたくなるものだが、逡巡しないで、腹をくくって、とにかく描き切ることだ。そのうちにまた描けばいいや、と思っても、イーゼル絵画の場合、大抵、同じような条件で描く機会は2度とやってこない。

霧が出たら、描きたいポイントがもう一過所あるのだが、準備をととのえ、こういう態度で待っていれば、もう一箇所の霧の絵は、天がそのうちに用意してくれるだろう。

 2013.06.21【『もんぺとももひき』池谷貞一著】

先週、御胎内温泉のレストラン『利顧』の勝間田氏から借りた『もんぺとももひき』を読み終わった。これが私が手に入れた『みくりやのくらし』の元本で、池谷貞一氏が中心になって月に1回、印野の老人クラブで集まっての昔語りを、池谷氏の文章で1話完結にまとめたものだ。当時の村内や関係者だけに配られた本が、池谷氏の筆力で、好評をはくし周りのリクエストもあって、第2集、池谷氏の米寿記念の総集編と全巻私家版で出版されたらしい。全巻、本の値段は印刷されてなく、私が買った総集編は後に1500円の別刷りのシールが張ってあった。好評なので、残った少部数を地元の書店に置いたのだろう。

あまりにも面白かったので、それに、ネットで検索してもこの本は出てこないので、せめてここで紹介しておきます。

 2013.06.27 【富士山麓風景(14)】

今週の御殿場は、このところの梅雨空で昨日(26日)は雨。今朝は曇りで時々陽が指すが、富士は山頂が隠れているので、富士山が見えない時のポイントのひとつ、6月6日に載せた坂道をF8号の縦構図で描いた。

いよいよ来週から個展なので、この先2週間は御殿場に来れない。自分の個展会場で芸術論を吹きまくるのは楽しいことだが、そして私の唯一の趣味は個展なのだが、2010年に東伊豆でイーゼル絵画を始めてから、現場で描く充実した時間ほど楽しいことは他にはない。今日の現場や清宏園のような雑木林の中は野鳥が多く、小鳥のさえずりのなかで、自我の造形意識を滅して筆を走らせていると、「悉有は仏性である(注)」という道元の解釈が正しいことを体感する。(いつもながら、個展前なのにまたこんな話になってしまって……スビマセンネ~)

来週の『御殿場だより』は個展会場の写真を載せる予定です。また、個展初日にはデジカメで動画を撮って、ユーチューブにアップするつもりです。

(注)

■彼が『正法眼蔵仏性』においてまず考察するのは、「一切衆生、悉有仏性、如来常住、無有変易」という涅槃経(巻25、師子吼菩薩品の1)の言葉である。「一切衆生、悉有仏性」は、通例、「一切衆生、悉(ことごと)く仏性有り」と読まれる。そうして涅槃経の文(巻25)から察すると、この仏性は「仏となる可能性」である。「一切衆生、未来の世にまさに菩提を得べし、これを仏性と名づく。」ある者はすべて菩提を成じ得る。一闡提(いっせんだい)(極悪人)も成仏し得る。それゆえに彼らに仏性があるのである。しからば「一切衆生悉有仏性」は「現在煩悩に捕われている一切の衆生にも、悉(ことごと)く、解脱して仏となる可能性がある」という意味でなくてはならない。しかし道元にとっては、涅槃経においてこの語がいかに解されるべきかは問題でなかった。彼はこの仏語を経から独立させ、直ちにその中を掘り下げて行く。彼はいう、「悉有は仏性なり。悉有の一分を衆生といふ。正当恁モ(麻の下に糸の小のない)時(しょうとういんもじ)は、衆生の内外(ないげ)、すなはち仏性の悉有なり。」ここに道元は「「一切衆生、悉有仏性」を全然異なった意味に読んでいるのである。悉有は、「衆生に悉く仏性が有る」、あるいは「衆生が悉く仏性を有する」というごとく、衆生と仏性との関係を示す言葉としてではなく、独立に、「悉く有ること」、すなわち「普遍的実在」を意味すると解せられている。悉有すなわちAll-seinである。従ってそれは一切を包括する。衆生も仏もともに「悉有」の一部分に過ぎない。そうしてこの「悉有」が仏性なのである。だから悉有仏性はまた仏性の悉有(仏性の遍在)でなくてはならぬ。かくのごとく道元は悉有の語義を涅槃経の知らざる方向に深めた。もはやここでは衆生の内に可能性として仏性が存するというごとき考え方は成り立つことができぬ。逆に仏性のうちに衆生が存するのである。衆生の内(心)も外(肉体)もともに同じく悉有であり仏性であって、この仏性に対立する何物もない。(『道元』和辻哲郎著 河出文庫、131~133頁)

■ここにおいて道元は、「悉有」の「有」を絶対的な有として、あらゆる相対的な有の上に置く。有無の有、始有、本有、妙有などは、限定せられた有として皆相対的である。しかし悉有は、「心境性相にかゝはらず」、ただ有である。因果性に縛られない。時間を超越し、差別を離れる。「尽界はすべて客塵なし、直下さらに第二人あらず。」すなわち、我に対する客体も、我に対する彼、汝もない。従って我が悉有を認識する、というごときことは全然不可能である。仏性を婆羅門の「我(アートマン)」のごとくに解するものは、仏性の覚知を説く点において、右の消息を知らない。彼らは「風火の動著する心意識」を仏性の覚知と誤認しているのである。仏性は悉有であって覚知を絶する。「まさにしるべし、悉有中に衆生快便難逢(かいびんなんふ)なり。悉有を会取することかくの如くなれば、悉有それ透体脱落(ちょうたいとつらく)なり。」(『道元』和辻哲郎著 河出文庫、133~134頁)

 2013.07.21 【アトリエにて】

「御殿場だより」は6月27日より約1か月ぶりだが、その間個展と私用で御殿場には行けなかった。23日(火)、久しぶりの御殿場行が楽しみだ。柏にいる間に溜っていた富士の絵は、今日の午前中全点仕上げた。明日からは、アトリエに40点以上溜っている東伊豆での作品にやっと取りかかれる。2010年に片瀬白田でイーゼル画を始めたのだが、その頃の作品も何点かあり、3年前の現場で起った眼の中の事件の記憶がまざまざとよみがえってくる。3年間のイーゼル画の修行の成果は著しく、停滞していたこれらの作品も、今では順調に消化できるだろう。抽象印象主義の作品も、新たに動きはじめたし、画商の要求する、イーゼル画ではない装飾的で工芸的完成度の高い作品も出来てきたし、これも全て、3年前のイーゼル画への決断と実行のおかげだ。画家として生きてきてよかった。芸術は素晴らしい。

 2013.07.25 【霧の鍋有沢(1)】

今週の御殿場は、3日間とも曇りで富士が顔を出さず、久しぶりだが予定していた所にイーゼルは立てられなかった。しかし、24日は早朝霧がでていたので、霧がでたら描こうとおもっていた、馬頭塚の広場の松の木の前にイーゼルを立てた。松の木は描ける時に描いておかないと、松食い虫の被害でいつ枯れるか予想がつかない。何度かイーゼルを立てた、東伊豆のアスド会館裏の大きな松の木も、最近の『稲取便り』のサイト中の写真では、枯れてしまっている。霧も松も、因と縁の、縦糸と横糸の、無数の網目のなかの一期一会の交点なのだから、裸眼で現場でダイレクトにキャンバスに描写していると、「これを描かずにはおくものか」という気力が湧いてくる。こんな感情が、セザンヌの言っている「タンペラマン」のことだろう。

馬頭塚の広場のある土地の昔からの地名は「鍋有沢」というのだが、勝間田二郎著『郷土誌(御殿場、裾野、小山)』上巻の文中に、地名の由来がでていた。源頼朝の軍事訓練を兼ねた卷狩りの時のキャンプで食事の調理中、大鍋が割れたことの由来で鍋有沢(岡野注;最初は鍋割沢か)の地名が伝えられ残って今に至っているらしい。どんな片隅でも、立っているその場所の下を、存在の時間の厚みが、地層のように重なっているのだ。

 2013.08.01 【霧の鍋有沢(2)】

今週の御殿場は、先週に続いてやはり富士が顔を出さず、5月16日の『富士(58)』から2カ月半も富士山の絵が描けない。そのかわり、この季節、昨年も朝夕ガスがよくかかるので、先週の松の木の近くの、最近見付けてもう2枚描いた小さな坂道の前にイーゼルを立てた。描きはじめは、霞んでいたのだが、描き終るころにはやはり、霧は消えてしまった。

描いている途中に、木立の間からネムの木のピンクが目に入ったので、描き終えてから、ネムの木が描ける場所があるかどうかひと回りロケハンをした。残念ながら、ヤブでイーゼルを立てる場所がなくデジカメで写真を撮っただけ。緑の林のなかのネムの花のピンクは美しく、そのうえ富士が画面に入るとベストなのだが、去年の8月8日に描いた『富士(5)』がかろうじて1点描いただけである。今年は来週がラストチャンスだが、朝晴れて富士が顔をだせば去年描いた場所に、顔をださなければ引き続いてこの近くにイーゼルを立てようとおもう。

 

 2013.08.05 【霧の鍋有沢(番外編-1)】

明日朝、今週の御殿場行。その前に、先週撮った写真の1枚を紹介します。

先週ネムの木の写真を撮っているときに、スコリアの道の上で動いている昆虫の群を見つけた。これは、シデムシの幼虫と成虫で、森の中の掃除人、動物やミミズなどの死肉を餌にする昆虫だ。子供の頃の私だったら、べつに珍しい虫ではないが狂喜することだろう。昆虫採集に熱中していた興奮が一気に冷めてしまった思い出がある、当の虫なのだ。

小学校の5年生か6年生のときの夏休み、『ファーブル昆虫記』を読んで、単純なカブトムシやギンヤンマの標本ではなく、地味な昆虫をビシッと揃えた美しく高度な標本を作ろうとおもった。蝶や蜂は展翅が難しく、またその道具が田舎では手に入らず(東京に出て来て、渋谷の坂の上にある昆虫専門店で、専門の収納式捕虫網や展翅版、ガラス蓋の標本箱等を買った時は嬉しかった)虫や腐敗につよそうな甲虫類の採集に決めた。『ファーブル昆虫記』のなかの、肉屋にいる昆虫(サシガメだったか)を読んで、少ない選択肢のなかから肉食の昆虫を選んだ。缶詰の空き缶の中に肉を一切れ入れ、入り口を地表に合せて埋めればトラップになってなにかの昆虫は採れるだろうとの皮算用だったのだが。

トラップは1個だけ、仕掛けるのは大池の先の草原と決めて途中で肉を買って行けばいいや、と家を出た。いつも私がお使いを母に頼まれる滝岡肉店に行けばよかったのだが、行く道の途中のF肉店に行ったのが第1の誤算。滝岡肉店のニイちゃんなら、顔見知りだし時々サービスにハムを余分にくれたりしていたので「肉を10円分チョーデー」と言えば、肉の切れ端をタダでくれたかもしれないのに、F肉店の親爺は明らかに迷惑そうな顔をして、10円分の肉の理由を聞いてくるのだった。理由を説明して、お金もチャンと払ったのに、最後までイヤミたらしくグダグダいわれて、ア~、今思い出しても腹が立つ、このクソ親爺。

続きは、御殿場から帰ってきてから。

 2013.08.08 【霧の鍋有沢(番外編-2)】

写真は7日に描いた鍋東地区でイーゼルを立てた場所、文章は先週の続きです。

暑い夏の昼間、草いきれとキリギリスの「チョン ギース」の声のなかで、くさはらの土を掘り返して空き缶を埋める少年を、いつのまにか近くの木の上にとまったカラスが興味深そうに見ている。少年は数時間後の獲物を空想して夢中だ。採集した虫は、マヨネーズのビンの中にアンモニアを染み込ませた脱脂綿を入れてその中に密封して殺し、一匹づつ紙に包んで持ち帰れば手足や触覚が傷つくこともないだろう、完璧だ!。肉を買う時にチョッと齟齬はあったが、あとは予定通り完璧に仕事をした。数時間後、この空き缶のなかは数種類の昆虫が入っていることだろう。

一旦家に帰ってから、出直すには遠いので、大池で時間をつぶしてから採集しようと、時間をつぶすためにも、だから大池の先のくさはらを採集場所に決めたのだから(どうだ、完璧だろう)、と1時間位のつもりで独りで池の畔で遊んでいたのだが、どうにも我慢ができない。甲虫だから飛び去ってしまう訳ではないのだから何度でも見廻ればいいヤ、と30分ばかりで、最初のトラップの見分に向った。これまでのことは、本からの情報ははあるが、その本を自分でさがし自分で読むことを含め、全部自力でやっているのだ。自分で作ったトラップで、獲物を収穫するするときの、期待と高揚感は、遊びさえもすべて周りから用意されている今の子供にはとうてい分からないだろう。だからこそ、自力で物事を為し得た時の喜びは大きいのだから。

というわけで、期待にドキドキしながら、空き缶を覗いた。「ナイ……、ナイ、ナイ、ナイ」何もない、肉もない。空き缶は汚れてもいない、なんの痕跡もない。何故ダ!! 

しばらく、考えて、やっと気付いた。あのカラスだ。あのカラスが少年がトラップを離れるとすぐに横からさらっていったのだ。(こんな時にふさわしいセリフを後年、映画で知る。肩をすぼめ両の掌を前に向けてこう言うのだ。「セ・ラ・ヴィ(これが人生だ。こんなもんだ)」)

F肉店の親爺が、ケチの付きはじめ。物事が成就しないときのパターンは、万事こんなものだ。少年は悄然と家に帰った。昆虫採集の熱もそれ以後一気に冷めてしまった。(終り)

 2013.08.15 【高塚道】

今週の御殿場は、お盆休みの最中、天気もよく先週の「富士(59)、(60)、(61)」から14日の「富士(62)、(63)」、今日15日の「富士(64)」と快調にキャンバスを消化した。なにしろ、三栖さんの描き残したキャンバスを何本も頂いて手元にあるので、このキャンバスを残された私の人生で使い切ることは、私の使命と思っている。

フェイスブックには、何枚も写真をアップできるが、私の【御殿場だより】のページには写真が1枚しか載せられないので、今朝描いた「富士(64)」の現場の写真を載せます。場所は、自衛隊の敷地内で「許可無く立ち入り禁止」の看板が出ているので、詳しくは言えませんが、最近見付けた素晴らしいビューポイントです。この時期の富士は写真のように、霞んでいることがほとんどで、おまけに、陽が昇ると南斜面に雲が生れ、すぐに育って山頂を隠してしまう。早朝の一瞬しか顔を出さないので、6時過ぎに描きはじめると、まず富士山を先に描いておかないと、描き終える頃には、ほとんど山頂は雲の中だ。

「富士(63)」は、「富士(62)」の近くの満開の花咲く大きなネムの木のある富士の絵で、この附近にはたくさんのネムの木はあるが、何故だか、この1本の木だけこの時期に花が咲き、黒アゲハが数匹花の蜜を吸っている。本来、この日は「富士(62)」を描くつもりで、M10号のキャンバスを用意してきたのだが、合せて持ってきた、P10号のキャンバスがピッタリで、逃さず2枚目に手をつけた。先週ネムの木の開花を逃していたので、ここで今年のネムの花と富士の絵が描けるとは思いもよらなかった。

 2013.08.22 【満月と富士】

正確な月齢は知らないが(グーグルで調べれば分かりますが)一昨日の夜も昨日の夜も満月。御殿場では、箱根側から月が出るので富士と組み合わせるには明け方の残月しか狙えない。おまけに、月の出や月の入りの、水平に近い方向の月は雲に隠れることが多く、満月と富士山との組合わせが見られ、それを実際にイーゼルを立てて描ける確率は思いのほか小さい。昨日の朝は午前3時頃は理想的だったのに、月の入りの予想がつかず逃したので、今朝は4時半頃から、桜公園の現場で準備をして待っていた。ゴッホが夜景を描くときは、帽子のツバにローソクを立てて描いているのを、昔映画でみたことがあったが、キャンバスとパレットを照らす夜釣りの時のキャップライトを用意しておけばよかった。写真の中の公園の時計が5時半コロだが、描き始めから描き終えるまでの正味30分の間に経験したことは、とにかく、夜が白みかけると月の輝きの変化と、富士のシルエットの変化、一番の変化は、絵のベースである空の明度の短時間の変化の激しさである。

この日は、最後まで月は雲に隠れず、いつもの画と同じく、一期一会の奇跡的な時間だった。おまけはもう1点、日の出前の太陽が雪渓の消えた富士の山頂部だけにあたって(冬ならば白い雪を紅色に染めるのだが)赤褐色に染めた、イーゼル画では初めての近景のない富士を描いた。

 

 2013.08.29【富士(67)、(68)、(69)】

昨日の朝も、今朝も、高原の爽やかな晩夏の朝でした。イーゼルを立てた場所は、先々週の『富士(64)』の近くで、標高が800m位です。先々週は緑一色の草原だったのに、28日はススキの穂がでていて、29日の今朝はもうススキの穂が開いている。この時期もまだ、陽が上ると雲が山頂を隠すので、朝早く現場に立つおかげで、生きている自然の息吹が感じられる。今年生まれ育った子連れの鹿の親子や、キジや、コジュケイの姿にも出くわす。描き終える頃には、舗装されていない砂利道を白い砂ホコリをたてて通過する自衛隊の車両や、空砲だろうが意外に近くで銃の音がして、落ち着いて絵が描けないので、早朝のいっときは値千金だ。

 2013.09.06【富士(60)】

今週の御殿場行は、4日、5日ともに曇り時々雨で、外に出られず、アトリエ内で終日、溜っている完成途中の作品に手を入れて過した。最初から、外での作業を諦め、時間的に余裕を持って画面に向ったので、植物の光の描き方、特に緑の描き方の新しいスキルを見つけた。

今週は外での写真がないので、柏に持ち帰った作品の写真を載せます。これで完成まで八分どおりで、もう少し描き加えヴァルールと空間を微調整して出来あがります。いつものとおり、完成したら最新作としてサイトにアップしますが、フェイスブックに載せた描きはじめの作品の写真から、完成作品の写真までの間に何を加え、何が足らないのか見比べて分析すると作者である私が何を見ているのかが分かります。

 2013.09.12【富士(67)】

今週の御殿場行も、先週に続いて富士が顔を出さず、外で描けなかった。富士山が見えない場所のモチーフもあるのだから、やっぱり外でイーゼルを立てればよかったと、柏に帰ってきてから気付いたのだが、先週載せた「富士(60)」の場所で、稲の刈り入れ前に描きたいという執著にとらわれ過ぎて心の柔軟性に欠けていた。反省。でもまあ、それに気付かなかったのも「天の見えざる手」が為したことだろう。

柏には完成間近まで進めて、タブローを2点持って帰ってきた。近々、最新作でアップできるだろう。写真は撮らなかったので、先々週、8月28日に描いた「富士(67)」の現場写真を載せます。

 2013.09.20【富士(71)、(72)】

今週の御殿場行は『視惟展』の会期中だが、イーゼル絵画の誘惑が断ちがたく やはり現場に立った。3日前の9月16日の搬入日の台風一過で行った日の18日、翌日の19日と快晴で、おまけに、昨晩は中秋の満月で月の出も、富士と満月の残月も午前2時頃の月も、めずらしくすべて雲に隠れなかった。やはり現場で肉眼で見る実在の風景は美しい。天空の月があの場所に実在し、その光は反対方向の太陽の光を反射しているのだとおもうと、それを見ている自分の心は天地一杯の空間に充たされる。それが描写出来ればいいのだ。

 2013.09.26【富士山麓風景(16)、富士(73)】

今週の御殿場行は、先週に続いて『視惟展』の会期中だが、やはり現場にイーゼルを立てた。25日は朝、霧がでていたので、霧が出たら描こうと思っていた鍋有沢に向ったが、現場は曇り。予定を変更して、もう何枚も描いた土塁状の坂の上にイーゼルを立て、下りの小径をF10号の縦構図(富士山麓風景-16)で描いた。翌日(今日26日)は、高曇りの空の前に昨日の雨で大地を濡らし、いつもより深い明度のシルエットの富士(富士-73)を、いつもの一木塚の三角点で、F20号のキャンバスに手をつけた。イーゼル画に空振りはない。現場にイーゼルを立てさえすればかならず事件は起こるのだから、そしてその時の視線の証拠はキャンバスの上に残るのだから。そのうえ予定外や想定外の出来事で、かえっていい作品が出来たりするのだからヤメられません。写真は、デジカメを忘れたので、先週、自転車で行った御胎内温泉からの帰り道、初めて通った団合(地名)あたりの田圃の上に出ていた中秋の満月の写真を載せました。

 2013.10.03【富士(74)、(75)】

今週の御殿行は、2日(富士-74、S15号)3日(富士-75、S8号)共に一木塚の三角点にイーゼルを立てた。この場所を見付けて以来、ここにイーゼルを立てることが多いが、それは、富士の裾野から山頂に向って描くと立ち位置が上りに向かうのがほとんどなのだが、ここは珍しく、小高い対斜面の下り坂の向うに富士山を描くので、描きやすいのがその理由だ。浅間山から天城の山並を描いたように、高い山は対斜面から描くのが私には理想的なのだ。前の松林も将来成長すれば中景を隠すだろうし、松林の右側は大規模な工事が始まっているし、この理想的な情景もいつまで存在するか分らない。だから、来年の6月までに出来るだけ多くの作品を、ここで描きあげたいと思っている。

いつものように、描き終える頃には、写真のように山頂は雲に隠れる。そのために、本来の私の描き方は、またイーゼル画では全体から部分に向って描き進めるのだが、富士の場合はやむなく先に富士山頂から描いていくようにしている。

 2013.10.10【富士(76)】

今週の御殿行は、9日は曇りのち雨で外に出られず、今朝(10日)は全天晴れてはいたが富士山の山頂だけに雲がかかり、そのうちに雲が消えるだろうと、かまわず描いていったのだが、結局、描き終えるまで雲は消えなかった。かろうじて、頭だけ出たところを、手早く描写して、なんとか絵にはなったが、同じ場所で何枚描いてもイーゼル画は毎回スリリングだ。

 2013.10.17【富士(77)】

今週の御殿場行は、16日は台風で出られず、翌日の17日(今日)は台風一過を期待したのだが雲が多く、山頂は隠れたがほんの一瞬顔を覗かせた時になんとか画面におさめた。場所は、高塚道を少しづつ描き上がってきて、今までの最高点。この周りに描く場所はありそうなのだが、時間がたつと自衛隊の車が近くを通り、また駐車するので、遠慮しながらの描画になるし、イーゼルを立てる場所も限定される。

 2013.10.25【山中湖に借家を見に行く】

今週の御殿場行は、先週伊豆大島に大きな被害をもたらしたばかりなのに、また次の台風の接近で雲が多く外に出られなかった。そのため写真を撮らなかったので、先週の16日の午後、台風で残った雲と、富士山に落とした雲の影のブルーと、青空が美しかったので、写真を撮りに(風でキャンバスを立てるのは無理)桜公園に出かけた時の写真を載せました。

行った日の15日、山中湖村に借家の物件を見にいき、即決して、来週の契約と来月の20日に引っ越しの手配をした。山中湖は山梨県だが、静岡県の御殿場の借家とは思ったよりも近く、籠坂峠を越えて車で30分程だ。【御殿場だより】もあと数回。【片瀬白田だより】【御殿場だより】と続いて来月の終りから【山中湖村だより】が始まる。

時は過ぎゆく。

 2013.10.31【富士(78)、富士(79)】

今週の御殿場行は、来た日(29日)は雨、昼から山中湖村に行き貸別荘を2年間借りる契約を済ませる。その日の雨で山頂は雪、翌日の冠雪の富士は私にとって今年最初のお目見えだ。山頂に雪のホワイトが入った「富士(78)」(F15号)は、空のブルーと松のグリーンとでこの場所(一木塚)での何点かの絵の中では、比較的明るい感じの作品になりそうだ。翌日(今日、31日)も朝は快晴、前日の晴天で冠雪は山頂に向って少し融け上がり、稜線の黒い筋の数も多いが、雲ひとつない青空の「富士(79)」をF25号で手を付けた。秋空の明るい冠雪の富士を2点、最後に間に合ってよかった。

引っ越しの片付けもあるので、来週が御殿場でイーゼルを立てる最後の機会だが、天気の条件が全てそろえば、日の出前の20分くらい山頂を紅に染める富士を、一木塚で描いてみたいが、さてどうなるのだろう。ダメならダメでどのようにでも天の思し召しに従いますが。

 2013.11.06【富士(80)】

今週の御殿場行は、来週は引っ越し準備の片付けがあるので、御殿場でイーゼルを立てる最後の機会、ラストチャンスを富士との素晴らしいコラボレーションで終った。夜明け前の一瞬(20分位)頂上だけに光があたり、冠雪を紅に染める富士は、以前桜公園で描いたことがあるが、近景まで入れた、紅富士のラストチャンスに、幸運にも恵まれた。前日F25号のキャンバスを張って、朝5時半頃起床して現場に立ち、6時10分から7時15分まで約1時間、「存在」に反射する「光」の交響曲に包まれて、主客合一、本質直感、捨身本能覚で筆を走らせた幸せなひと時でした。

学生時代、有楽町の日劇アートシアターで『真実の瞬間』(フランチェスコ・ロージ監督)という映画を観たことがあるが、まさに画家のこのような時間を「真実の時間」とよんでも許されるでしょう。制作現場の制作前と制作後の動画は、ユーチュ-ブに投稿しました。〔岡野岬石『富士(80)』の制作現場〕で検索して見て下さい。

 2013.11.14【御殿場だより最終回(1)】

2012年の7月から始めた、「御殿場だより」も今日で最終回です。来週からはこのページのキャプションは【山中湖村だより】になります。来週引っ越しをして荷物の整理をし、再来週から山中湖からの富士山に対峙します。御殿場で出来た作品は「富士(1)」から「富士(80)」まで描きましたが、「富士(81)」からは山中湖側からの富士山になります。

御殿場側からの富士は、溜まっているキャンバスを完成させれば、たぶんこれで描くことはないでしょうが、イーゼル絵画は1点1点が、現場での真実の裸眼の記録なので、忘れられません。御殿場で描いた作品の上で、気付き、試みた数々の絵画上の問題は、新たな山中湖村での富士山の絵に引き続き試され、生かされることでしょう。御殿場の自然、知りあいお世話になった人たち、ありがとうございました。

今週の御殿場行は、来週の引っ越しの準備で、描くのはあきらめた。昨日(13日)は片付けが早めに終ったので、午後から御胎内温泉に出かけた。山中湖村に引っ越すことは、レストラン『利顧』の店長勝間田氏には先月末に伝えてあったので、最後もやはりメニューにはない料理をサービスしてくれた。別荘とはいっても、ほとんどの時間を絵を描くことに使っているので、水曜日の夕方温泉にはいり、レストラン『利顧』のおいしい料理で1杯やって帰るのが、御殿場での唯一の楽しみであり骨休みでした。店長の勝間田氏をはじめ、従業員の方々も顔を覚えてくれ、よくしてもらって、ありがとうございました。

たまたま、引っ越しの連絡にケイタイを持っていたので、掲載写真は店長勝間田氏と副店長児玉さんと私の『利顧』店内での写真をアップしました。この、ページには写真が1枚しか載らないので、このとき休憩中でいなかった黒木さんとの写真はフェイスブックに載せます。

(写真は、後年、勝間田氏が地元の印野に開店した『レストラン パパ』の写真を載せました)

 2013.11.21【御殿場だより最終回(2)】

昨日(20日)、御殿場から山中湖村に引っ越しが終った。引っ越し後の片付けに忙殺され、山中湖村での写真が撮れなかった。そのため、引っ越しの日の早朝、満月に近い残月が、冠雪の富士の横に出ていたので、おもわず御殿場の借家の2階から撮った写真を載せます。写真がそれぞれビミョウに違うのは、オート撮影の他、カメラのシーン別オプションで、トワイライトや夕焼け他で撮ったためです。

この写真は、2012年7月12日の『御殿場だより』の初回「裸眼の富士山」に載せた写真と同じ位置からのもので、3次元の空間に、時間の方向を加えれば、時間の厚みのぶん世界は螺旋状に進んでいて、同じ場所が同じではないのだ。時は過ぎてゆく。

-テキストデータ, 画中日記
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