岡野岬石の資料蔵

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画中日記

『画中日記』2015年

投稿日:2020-04-30 更新日:

『画中日記』2015年

 2015.01.01 【新年に】

 新しい年を迎えた。今年の新年は、今日から額を作ろうと思っていたのだが、暮の29日に山中湖で転んで打った背中の痛みで作業がおっくうなので、私には珍しくゆっくりしている。

 身体の中に、一箇所でも不具合があると、身体全体がテンセグリティ構造になっていることが分かる。患部に直接関係のない姿勢で患部に痛みが走るし、咳をする時に、背中に痛みが走るので強い咳ができない。

 私が何もしないでブラブラしていても、身体の一部の細胞は今、必死で修復の作業をしているのだろう。そして、いつのまにか正常な身体に戻り、時間が解決する。

 国も同じで、先の選挙で組織ぐるみとしか思えない選挙管理委員会の不正行為がネット上で散見されるが(被害者は「次世代の党」)、これも時間が解決するだろう。善因善果、悪因悪果で嘘やごまかしや不正はネットの力ですべてあばかれる。

 逆にいえば、人に知られたくない弱みを持っている人間や組織はネットに出てこないし、それを、知られあばかれることを恐れる。

 時間は世界存在を「真・善・美」の方向に彫琢(ちょうたく)する。悪の栄えたためし無し、嘘は100回つき続けても本当にはならない、石ころは何年たっても金にはならない。

 といっても、私は他の分野は門外漢だし、そちらに向ける力もお金もないので、ひたすら「美」に向って、絵画に専念しますが。

 2015.02.17 【個展前】

 3月3日からの個展の出品作を今日ほぼ描き終えた。あとは、明日から山中湖に行って20日(金)に帰ってきて小品数点の仕上げと、仮縁とダン箱作りで個展の準備はすべて終り。

 普段から個展のために絵を描いているわけではないので、いつも通りの生活を崩さないが、発表を前にすると、あれも見せたいこれも見せたいと、欲がでてくる。特に今回は、アトリエ画の個展なので、イーゼル画では出来なかった、富士の大作を5点完成させた。

 当初は、DMに使った『海・空・日射し』のような半具象の作品と、抽象印象主義の作品の展覧会にしようと思っていたのだが、三栖さんのご遺族にいただいた大作の木枠(Mサイズが多い)を使いきる使命があるので予定を変更した。柏のアトリエで、去年から、個展のためというわけではなく描いていたM80号の富士の絵がなんとか出来あがり、アトリエ画の富士の描写のスキルを身に付けたので、急に今年になってキャンバスを張ってとりかかり、今日最後のM50号2点が完成した。

 ベストは尽くしたので、あとは展示を待つばかりだ。

 2015.03.08 【個展中】

 3月3日から個展中だが、午前3時頃目が覚めたのでパソコンに向う。

 歳をとると、自然に早寝早起きになるが、睡眠の途中で一度眠りが浅くなり、そのまま目が覚めると、そんな時は逆らわず起きて、本を読むか、パソコンのキーボードで「読書ノート」に読んだ本の抜き書きを打ちこむことにしているのだが、今日は、「画中日記」の文章を打ち込むことにする。

 下の文章は、昨年の10月11日の私のフェイスブックに投稿したノートだが、この2匹のアゲハチョウの蛹のなかの一匹は(もう一匹は寄生蜂で死んだ)、寒さと、ときおり吹き込む雨に耐えて冬を越した。暖かくなって、いつ脱皮して蝶になるのか楽しみに注視しよう。

 この蛹から、道元の『正法眼蔵』のなかの「現成公案」のなかの難解な文章、

――薪は灰となる。だが、灰はもう一度もとに戻って薪とはなれむ。それなのに、灰はのち、薪はさきと見るべきではなかろう。知るがよい、薪は薪として先があり後がある。前後はあるけれども、その前後は断ち切れている。灰もまたはいとしてあり、後があり先がある。だが、かの薪は灰となったのち、もう一度薪とはならない。

 それと同じく、人は死せるのち、もう一度生きることはできぬ。だからして、生が死になるといわないのが、仏法のさだまれる習いである。このゆえに不滅という。

 生は一時のありようであり、死もまた一時のありようである。たとえば、冬と春とのごとくである。冬が春となるとも思わず、春が夏となるともいわないのである。(現代語訳、増谷文雄)――

 の、私の解釈を次回の「画中日記」にアップしようとおもう。

 ……もう一度寝ます。

 

(前から気付いていたが、柏のアトリエの壁にアゲハの蛹が2匹くっついている。前の家のミカンかユズの葉を食べ、はるばる道を越えてアトリエの壁で蛹になったのは、今年の何らかの条件でそうなったのだろう。先日の台風の大雨にも耐え、この蛹は冬を越して来春羽化する。

いっとき、ホームの他の人のタイムラインでキアゲハの幼虫を鳥の被害から守るために、室内で育て羽化させていたが、これは蝶にとっては有難迷惑だったかな。

そもそも、蝶が幼虫、蛹、蝶と完全変態する理由とは何かというと、幼虫は食べるということに特化し、成虫は生殖に特化するために、姿形(すがたかたち)から行動まで変化する。つまり、幼虫の行動様式のまま成虫になると、交尾相手の選択範囲が狭くて種の劣化が免れない。羽化した蝶は飛びまわって交尾の相手に出会い、食草に卵をうむ。

つまり、どんな動物、どんな虫、どんな微生物(どんな物にとっても)も、周りの環境とずれると生きていけないのだ。季節はずれに羽化した蝶は、交尾する相手と、もし交尾できたとしても、産卵する食草と、産卵できたとしても幼虫が育つ食物の量が確保できるかという問題と、そもそも、冬の寒さを越すという問題のすべてをクリアしなければならない。

人間も、動物も、昆虫も、この世界に生まれ、生きていくことは、奇跡的なことなのだ。)

 2015.03.20 【美味しいカマボコ】

 先日、大磯に住んでいる画家から「井上蒲鉾店」のハンペンとさつま揚げをいただいた。生れ故郷(岡山県玉野市玉)の「藤原蒲鉾店」(今はもうありません)のグチ(イシモチ)で作ったカマボコの味を思い出す。吟味した素材としっかりとした作り手の気魂がこもると、こんなに美味しいものができるものかと感動し嬉しくなった。私はグルメでもないし、食生活はいたってシンプルに暮らしているのだが、美味しいものを食べて口が喜ぶというよりも、大磯の町で小規模に作り続けているらしい(後でグーグルで検索してみますが)職人達の心意気が伝わり、人を元気にさせる。私もいい画を描かなくてはと、気力が湧いてくる。日本中の皆が、このような仕事をし、地元の人がそのような仕事を大事にして買い物をすれば、日本はますます良い国になっていくだろう。

 2015.04.20 【大作を(1)】

 個展も終り、今年はあと秋に第10回『視惟展』(最終回)があるのみ。出品作品もはやばやとめどがついたので、先年お亡くなりになった三栖さんのご遺族からいただいた大作の木枠を出してきて組んだ。2梱包あったので、2本かとおもったら、2本づつ入っていて2m×2mのサイズが4本。2本キャンバスを張ろうとおもっていたが、これはキャンバスを張るだけでも、ひと仕事だ。結局1本木枠を組むだけで今日は諦めた。大作はアトリエ内の足掻きがわるいので、今後1枚づつ仕上げていこうとおもう。

 しかし、あらためてサイズの大きさを目の前にすると、いつか描こうと思っていても、今描かなければ無理かもしれない。気力、体力が揃っているときでないと、大きさをもてあましてしまう。三栖さんの生前はたせなかったご意志と、それが私のアトリエに廻ってきた因と縁は、これは、天が私に描けといってくれているのだろう。

「今やらなければ、何時やる」「自分がやらなきゃ、誰がやる」

ーーーーーーーーーー

■道元が天童山で修行していた夏のある日のことである。ちょうど昼食が終って廊下を歩いていく途中、仏殿のまえで用(ゆう)という典座が、これまた椎茸の話であるが、それを乾かしていた。手には竹の杖をもっているが、頭には笠もかぶっていない。太陽はさんさんと照りつけ、敷瓦は焼けつくように暑い。典座は、したたる汗もかまわず、精を出して椎茸を乾かしている。いかにも苦しそうである。その背骨は弓のように曲がり、長い眉毛は鶴のように真白い。聞けば、すでに68歳にもなるという。道元は、「そんな仕事は若い修行者にやらせればよいのに、どうしてそれをなさらないのですか」と尋ねた。すると典座は、「他はこれ吾れにあらず」――他人にやってもらったのでは、自分がしたことにはならないからですと答えた。そこで、道元はさらに、「あなたのやっている作業は、確かに法にかなっていて、実に見上げたものだと思います。けれども、こんな炎天下で、どうしてそんなに苦しんでやる必要があるのですか」と尋ねた。すると典座は、即座に、

 「さらにいずれに時をか待たん」

と答えた。いまやらなければ結局やらないことになってしまう、いまやらなければ一体何時やるときがあるというのかという。この用典座の修行に対する厳しい態度を知って、道元は深く頭が下がる思いがし、ただもう沈黙のほかはなかった。道元は廊下を歩きながら、典座という役目も禅修行の大切なかなめであることを、しみじみと、ここで又悟るのであった。(『道元』坐禅ひとすじの沙門 今枝愛眞 NHKブックス、44~45頁)

 2015.04.25 【大作を(2)】

 今日午後から、2m×2mのサイズの木枠にキャンバスを張った。キャンバス張りは昔から苦にしないが、この大きさにはさすがに少し手こずった。踏み台にのっての釘打ちに、釘のアタマが見えないので時間がかかりそうだったが、椅子にキャンバスを斜にもたせかけて、座って釘を打って乗り切った。

 この大きさの画面は、アトリエのスペースを含めて、クリヤーすべき条件が多々あるので、私の手元に来たのは何かの因縁だろう。しかし、いざ現実にキャンバスを張ってみると、絵画の行程は昔から変わらず一人力(いちにんりき)なので、当初どんどん描いていくという予定を、今年から毎年1点づつ4年をかけて描きあげるということに変更した。

 これも、キャンバスを現実に張ったから出て来た動きで、何事も、世界は「現成公按」する。

 2015.04.26 【大作を(3)】

 昨日張ったキャンバスに、今朝、木炭でアタリをつけ、これから最初の色付けをする。その前に、興奮して、入れ込んで(競馬用語)しまった。まず、『天頂富士』を描こうとおもっているのだが、次々に描いておきたいイメージが湧いてきて、すでに大作4点の作品とまだ既製の大作の木枠があるので、その他の作品も今後描いていこうという意欲が湧きあがる。幸せな画狂老人だね。

 2m×2mの4点の作品の題名は『天頂富士』(太陽が山頂の真上にあって下は湖)、『天頂富士』(太陽が山頂から離れていて下は光る湖)、『寂光富士』(光る海からの遠景の富士で、これはイメージ画)、これで3作、あと1作は、『天橋富士』(御殿場の一木塚で描いた虹のかかる富士)か『霧中富士』(霧の中の富士で下を林にするか明神山から見た茅原にするか湖にするか。どっちにしろ他の木枠で全部描きますが)だ。

 セザンヌが晩年サン-ヴィクトアールに出逢った幸運とおなじように、日本人の私は富士山というモチーフに出会い、それを今現在150回強イーゼルを立ててきて、また、大作で描けるという巡り合わせを天に感謝します。

 2015.05.15 【サイトの更新ができない】

 昨日から、市販のソフトで作った私のサイトの更新が出来なくなっている。ソフトの会社に連絡しても、古い製品なので、電話サポートはすでに中止しているとのこと。ソフトの買い替えか、無料ブログでサイトを作り直すかを考えたが、最後にサーバーとの接続設定の確認に電話を入れると、サーバーの方でトラブルがあり、一両日中に復旧するとのこと、原因が分かるとスッキリした。

 パソコンには、自然治癒というものが無い、原因と結果が直線的だ。そのぶん、トラブルを乗り超えたときには、気持がスっとする。

 日頃、芸術という全元的で最も難しい問題に取り組んでいると、原因と結果が直線的で、ああなればこうなる、ああでないならこうならないという真偽がはっきりしている問題は簡単だ。クリアできればスッキリするし、できなければその後のことを考えればいいのだ。

 2015.09.06 【第10回『視惟展(銀座展)』のDMの宛名書きが終る】

 昨日からパソコンで24面シールに宛名を印刷してDMに張り終えた。何百枚もの作業もパソコンを使えば楽なものです。10年前に一人でパソコンを始め、最初は電話回線のため読込みが遅いので、ネットはほとんど使わなかったが、数年前回線を光に変えたので検索、ユーチューブ、フェイスブックと居ながらにして世界が広がり、今では無くてはいられません。私のように、日常的な話ができないし、芸術の話は聞いてくれる人がいない、発信一方の老人には、たまりませんね。車の運転はできないし、携帯もラクラクフォンでほとんど使わないけれど、パソコンは、最初は苦労して泣いたが、やってよかった。

 『視惟展』も今回が10回目で、一応最終回です。10年前に偶然生まれた会だが、メンバーに恵まれてここまで続き、目出たくひと区切りがつきました。

 今後は、まだ未定ですが、視惟展の事務局を頼んでいた綾康文氏が、会を引き継ぎたいとの意向を示してくれたので、来年からは全面的に彼の企画で、『新視惟展』(仮称)を立ち上げる話も浮かんでいます(その場合には、私はいち出品者として参加いたします)。さて、どうなりますか。

 2015.12.22 【もう、年の暮れ】

 毎日を、ほぼ決まりきったルーティンで送って、またその日々(にちにち)もオンオフ無しの空間で過ごしていると、一日一日、日が変わるという感覚が無くなってくる。それでも、新年だけは、齢は取っても未来への視界が開くので、毎年あらためて発心(ほっしん)を決意するので感慨が湧く。

 来年は、6月に個展(11月予定から変更)、9月に第1回『イーゼル画会』展で、有難い事にいつもながら忙しい。個展用のイーゼル画の絵は充分間にあっているが、銀座の画廊の、窓側の作品3点と、一階道路側のウインドウの作品は場所に合わせて描かないといけないので、今日S15号のキャンバスで2点着手した。アクリル用キャンバスとアクリル絵具での下絵だが、これからはこの上に、油絵具で完成にもってゆく(アクリル絵具は、出した絵具や筆がすぐ固まり、野外でのイーゼル画には向かないので、アトリエ画でないと使えない)。

 久しぶりの、抽象作品だが、イーゼル画での「物感」と、「斜の空間」、「線」の使用と、新たな命題がでているので楽しくファイトが湧く。……こうやって、今年も暮れてゆく。

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