岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

画中日記

【画中日記】2019年

投稿日:2020-04-30 更新日:

画中日記(2019年)

『画中日記』2019.01.01【新年に】

新しい年を迎えた。パソコンに向かっているアトリエの窓から快晴の空の朝陽が目に飛び込んできている(時間は8時50分)。

今年の干支は亥で、私は今年の3月で73歳になる。ここ数年、世界は、構造的地殻変動が起こり、パラダイムシフトが起こっている。色んな事が、自分にも、自分の周りにも、国にも、世界にもこれまで起こっているが、絵を描くことだけでよくぞここまで生き続ける事が出来て、感慨深い。そして私が、この良き時代の変化を、目にし、生きられ、生きることを天に感謝します。

以下の文章は、去年の新年の画中日記の文章をペーストしたものですが、今年も同じ気持ちで過ごしたいと思います。

今日のこの時を迎えられるのは、実存の煩悩に振り廻され、迷い道に何度も入り込んでも、美への信仰心の強さとベクトル(進む方向)が正しかったという証拠だろう。

仏教用語に八正道という修行の実践の徳目がある。正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定(しょうじょう)の8つ、すべて正という字が頭に付いている。行き先も方向も決めないで、ブラブラ歩いても、せいぜい自分の身の周りをぐるぐる廻るだけでどこにも行き着けない。地図や海図と、磁石や羅針盤無しに、なんとかなるだろうとガムシャラに進んでも道に迷う。

世界は、「正」という文字を頭に付けると全ての物事がキッチリと見えてくる。それは、正しいのか間違っているのか、だ。行き先は正しいのか間違っているのか、持っている地図は正しいのか、持っていく物は正しいのか(余計な持ち物は反って邪魔になる)。

この先、日本はますます世界中から尊敬される国になるだろう。どうしてかというと、仏教的『全元論』の世界観を、仏教の伝来する以前から持ち続け、その世界観を国民一人一人が持ち、生きていて、間違いを国民全体で正して現成している、昔から現成していた、奇蹟のような国だから。日本人の世界観が、世界の存在の法(ダルマ)を、身の内に持って生きているから、つまり、地図と、磁石が正しいから。

新年から明るいね、今年も頑張るぞ。

『画中日記』2019.01.13【ひと区切り】

ここ数日、額作りで、絵筆を持てなかった。額も作り終わり、『イーゼル画会』展のDMの宛名書きも、新しく買ったパソコンで書き終えた。明日は、額装した2訪玉での作品を発送して、明後日は4度目の玉野の風景を描きに行く。

昨日は新幹線の切符の購入と、DMの別納で郵便局の本局(土曜日で、近くの郵便局が開いてない)のある柏に出かけた。

少し見ない間に、柏も随分と変わっている。本好きの私がよく行っていた新星堂書店は蔦屋に変わり、ずっと閉めていた銭湯の旭湯も取り壊して更地にしている。諸行無常だなぁ。

先年上梓した『全元論』のまえがきからの引用、

いくら、自分にとって価値ある物や人や事であっても、関係が切れれば、ゴミや、タダの人や、そんな事もあったなぁ、ということになってしまう。諸行無常、すべての物はゴミになる。関係が切れているのに、いつまでも過去の世界に執着していると、ノスタルジーの感傷に悩まされる。時間空間の、周りの世界が相転移したのならば、私も当然相転移しなければならない。相転移できなければ、私自身が世界のゴミになってしまうだろう。

今日はこれから荷造り、明日は集荷してもらって発送、明後日の始発のバスで玉野にお昼頃着き、いよいよ、絵を描くだけの三昧境の生活だ。ヨッシャ!ヨッシャ!

『画中日記』2019.02.01【今日帰柏】

今日の午後帰柏した。今回の玉野は、天候に恵まれて、休みなしに毎日外で絵を描いて過ごした。雨は昨日だけで、昨日は、荷物の発送や帰柏の準備で、どうせ絵は描けなかったので私の思い通りに時は過ぎていった。玉野の生活は、明日から『玉野だより』で写真と共にフェイスブックに投稿します。

4日は『イーゼル画会』展の搬入飾りつけ。5日から16日まで銀座藤屋画廊での同展の展示。3月の最終週は、急遽決まった藤屋画廊での「抽象印象主義」の個展と、私のなかの絵のみの生活で、時間は流れていく。画家として理想的な晩年だ。若い時に画家を志して生きてきて、こんな、晩年を迎えられるとは、本当に、爪の先ほども思わなかった。これも、イーゼル絵画と道元とお釈迦様に出会って、若い時からの実存主義から、全元論に世界観を組み換え直したおかげであろう。

『画中日記』2019.02.19【路上の死んだ雀】

『イーゼル画会』展が2月16日に終わり、毎日画廊に出かけて楽しかった。私は無趣味だが「趣味は個展」と豪語していた時期もある。

展覧会の最終日、純画廊の内藤さんに『全元論』の本を届け、藤屋画廊に行く途中で、道路の脇のゴミのようなものが目の端に引っ掛かった。何気なく目を止めて見るとそれは、死んだ雀だった。

まず、ランダムなドットのなかで、視界の端の小さな乱調に目を止める自分に満足し、加えて、若い時の実存主義から今の全元論に世界観のテンセグリティを組み替えられた幸せを、天に感謝する。

雀の死は無ではない。西洋の、神と人間の、2元論の関係の末流の実存主義では、神を否定すれば当然雀の死は無だが、全元論では、全関係にもう一度全関係する全体が世界なのだから、小さな雀の死も、無ではない。雀の生きていた時の因はいつまでも残るし、死んでも、今、私がこの文章を書いている。

『画中日記』2019.03.10【5度目の玉行】

明後日の12日に5度目の玉行だ。3訪目の作品を数点残して、ほぼ全点今日玉に発送する。4訪目の作品は全点、まだこちらでは手付かずだ。光陰は矢の如く過ぎていくが、画家は幸せだなぁ。世界の存在に、単独で向き合う「場と時間(イーゼル画)」を過ごし、そして、その証拠が作品としてこの世に現成するのだから。

せっかく、天から与えられて、この歳まで絵を描くだけで生きてこれて、なおかつ、60歳を過ぎてからイーゼル画と道元に出遇い、明後日から、玉野の風景の前にイーゼルを立てる。これで、画家が何を如何(どう)すべきか、考えたり悩んだり逡巡したりする余地は寸毫も無い。世界存在を、つまり眼前の光と空間を、キャンバス上に、〈美〉に向かって変換、統合、定着するのみである。

明後日から、帰柏(未定)までフェイスブックは休みます。

『画中日記』2019.04.02【今日帰柏】

今日の午後、玉から帰柏した。明日から柏でのルーティンが待っている。これはこれで楽しんでやっているので、なんの不満もないが、今回の玉での最後のイーゼル画を描いた後は、なんだか感傷的になってしまった。その気持ちはICレコーダーに録音したので、いつか文章化して、フェイスブックに発表しようとおもう。

『画中日記』2019.04.14【ブラックホールの画像】-1

先日、史上初のブラックホールの映像化に成功し、その画像が公開された。新聞もテレビももう何年も前から見ていないので、昨日、パソコンで検索して見た。

これは、驚くべき世界の大ニュースで、私にとっても、先日作った『全元論』の世界観の正しさを、証明する出来事だ。つまり、「世界は特異点を持たない」。そして、「総(すべ)ての存在が特異点である」ということだ。

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静で、お釈迦様も道元もこの世界存在のありようを知っていた。その存在のありようの法(ダルマ)を通貫している軌持(きじ、道、レール)が「真・善・美」なのだ。そして、画家は「美」という超越に向かって生きているのです。

『画中日記』2019.04.14【ブラックホールの画像】-2

私は、1994年頃から『抽象印象主義』を標榜して、現在もイーゼル画で具象とともに抽象画も制作している。2004年に作った、作品集に書いた文章の中に「光と空間の在りようを通して、世界を描出しようとする思いを持って日々制作している(私の抽象印象主義とは何か−制作意図について、より)」と書いた。

その頃の作品から、ブラックホールの画像と似ているものを、過去のデータから、紹介しよう。「真」から目指し現成した映像がブラックホールの映像であり、「美」から目指した映像が私の作品の映像なのです。イーゼル画と同じく抽象印象主義の作品も描写絵画なのです。そして、微細な部分も広大な宇宙存在も、フラクタルで諸行無常、諸法無我、涅槃寂静なのです。

ああ、もう一冊、続『全元論』を書きたいなあ。

『画中日記』2019.04.18【時は過ぎ行く】

今日のフェイスブックにアップした【玉野だより】に、いい文章が書けたのでこちらにもコピペしておきます。

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今回の訪玉も、描けるのは今日と明日の二日で終わり。時は過ぎ行く。いや、自分から見れば時が過ぎてゆくのだが、世界から見れば自分が過ぎて行っているのだ。画家はいいなぁ、世界と過ぎ行く自分の現象の証拠を、絵に定着できるのだから。だからこそ、美しい作品を描いて世界に現成(げんじょう)させなければ。

この日は、丸山浜でイーゼルを立てた。浜辺の松を描くつもりだったが、浜ダイコンの白と薄紫の花が咲いている。今まで気付かなかったが、花が開けば美しく目に入ってくる。精一杯、存在を継なぐ虫を誘っているのだろう。その花が老画家の目に留まる、そしてこの絵を描いている。(「玉野だより」2019.03.30)

『画中日記』2019.04.20【玉野だより】

昨日で、3月に訪玉した時の『玉野だより』のフェイスブックへのアップが終わった。4月2日に帰柏してから、毎朝、パソコンに打ち込むことが日課だったので、今日から、その空いた時間のルーティンを変えようとおもう。

このところ中断していた、【読書ノート(2019年)】への抜き書きの打ち込みを再開しようと決めた。日々(にちにち)の行為をキッチリと組みあげなければ、何事も成し得ない。

自炊料理ができても、オーナーシェフにはなれない。スケートが好きで毎日リンクで滑っても、4回転半は飛べないし、また突然に4回転半は飛べない。1回転から順々に回数を増やすしか方法はない。修証一等、つまり悟りと修行は別ではないのだ。

「真・善・美」の前には、自我の自由意志なんてものはない。

『画中日記』令和元年(2019)5月2日【令和元年】

昨日元号が令和に変わった。

日本人の神道、仏教の全元論的世界観は奇跡のように、二千数百年続き未来へバトンを継いでいる。世界中の他の国は、一元論的世界観なので、人も国も他者の一元論と相争う。国家も人も喧嘩腰で世の中を渡る。だから、グローバリズムとナショナリズム、唯物論(科学、経済)と唯心論(宗教、芸術)、身体と心、主観と客観、自分と他人、全て境界線を引いて分けてゲームをし、勝った負けたで世の中を過ごす。しかし、日本では矛盾も葛藤もなく、全てを受け入れ消化して他者に分け与える。全元論では、最初から自分と国家、自分と社会、自分と他者との境界のないインドラ網のような世界観なのだから世界観の根底が違う。

昨日でフェイスブックの「読書ノート」の抜き書きが終わり、今日からは、菅江真澄の抜き書きに移る。この本を手に入れ読んでいたのは2013~4年頃だから、この5年間で時代は激変した。これは、パソコンとネットのおかげで、菅江真澄は、名前は知ってはいたが、神保町の古本屋やブックオフの時代では実際に読むことはなかったろう。現に5年前でも、ネット情報は少なかった。

昨晩、「菅江真澄」でネット検索したところ、ここ数年で続々とネットに情報が上がっている。日本の存在が奇跡的なように、菅江真澄の為した行為も、為した書籍もデータも世界から消えさらず、ますますその存在が光り輝くことだろう。個人の情報がどんどんネットに上げられるようになると、オールドメディアから抜け落ち、あるいは、抜け落としたていた情報も個人が拾い上げ、それに出遇う人も増えるだろう。

現に私もフェイスブックに今日から抜き書きをアップしている。

『画中日記』令和元年(2019)5月4日【アダージェット】

この曲は、私にとって思い出深い曲で、振り返れば私の絵の上での、時々の分岐点の上に重なって聴こえ、また聴いてきた。もちろん、現在たどり着いた「全元論」の世界観ではきっちりと解釈できるけれども、その過程では、私のその時の世界観を超えた文学、音楽、映画との出遭いは、自分の行き先の地図作り及び羅針盤の一つであったなあ、と感慨する。

つまり「美」は超越かどうかの問題だね。かつて私は実存主義で生きていた。しかし、実存主義では、実存を超えた「真・善・美」の存在を説明できない。

『画中日記』令和元年(2019)5月21日【玉野の作品を描き終える】

今日、昨年の6月から1年間かかりきりだった、玉野での作品を全て描き終えた。トータルで88点、6月の玉での個展会期中も、午前中は描きに出かけるので、100点はすぐに越えるだろう。玉での展覧会に合わせて開いたサイトの、『ギャラリー仁家』でまとめて見てみると、サイトとその作品群共々達成感がある。

紙一枚一枚は薄くても、重ねれば分厚くなるように、毎日の描画が、まとまればこれだけの存在に現成するのだ。そして、絵描きを志し、歩んできたこれまでの日々の微々たる行程のつみ重ねが、先日上梓した『全元論』ー画家の畢竟地ーの地点にまで来ることが出来たのだ。

世界情勢はネットのおかげで、嘘やインチキや暴力や賄賂が通用しない時代に、大きく変わりつつある。「真・善・美」が世界存在の法(ダルマ)、軌持(きじ、レール)なのだから、真善美に反する行為、存在が力を失っていくのは当然だ。その流れは、個人だろうと、団体だろうと、国家だろうと、例外はない。

美を否定し、フェイクが大手を振って横行した悪夢のような昭和、平成の時代を、画壇のはぐれガラスとして通り抜けて、〔美〕という方向に向かって、絵を描くことだけで、半世紀以上歩んできた一歩一歩の距離が、今回の作品群に結実したのだ。そして、まだ、私は生きて描き続けられている。随分遠くまできたなぁ、そして、新しく望ましい時代の令和に間に合った。満足、満足…。

明日から額作り、それが終われば、抽象印象主義の作品にとりかかります。

『画中日記』令和元年(2019)5月30日【明日岡山に】

昨日、ヤマト便で『玉野百景』展の作品を発送した。今日は、これから、明日の玉行きの準備。一か月間柏のアトリエを留守にするので、やり残したり、忘れた事や物があったら、リカバーができないから、年は取ってもボケてはいられない。

フェイスブックは、今日の投稿で、一か月間休みます。7月に帰柏したら、今度の個展の様子をデジカメに撮って、『玉野だより』にアップし再開する予定です。

 

『画中日記』令和元年(2019)6月8日【モチーフは尽きない】

今までに沢山の絵を描いてきたが、また、描き残した作品も多くある。少ないチープなアイデアを、搾り出すようにして作品を作ると、原資が枯渇して作品が痩せてくるのは当然の成り行きだ。また、芸術を、自我とか実存とか表現とか創造とかと考えるとこれまた、狭くて暗い迷い道に閉じ込められる。

世界存在は、ハナから個人の自我意識ごときの小さな器(うつわ)に入る訳がないし、また、世界と自我を分けて戦わせて自我の方が勝つ訳はないのだ。

世界存在を全肯定すると、「全元論」で生きると、全世界は「真・善・美」の法(ダルマ)の軌持(きじ、レール)なのだから、美そのものなのだから、やるべきことは尽きないし、出来ないのは自分の所為なので、それはそれでしょうがない。

『画中日記』令和元年(2019)6月12日【雄町米の酒】

今日、玉のマザーズの佐々木紀子さんから、岡山の宮下酒造の日本酒、『極聖(きわめひじり)吟醸雄町米』が送られてきた。この酒は、マザーズの2階に下宿中、隣の桜本酒店で買って飲んだ偶然出会ったもので、まあ、旨くて驚いた。紀子さんの兄の井上君も、わざわざ、大阪まで買って帰るくらいだ。雄町米のお酒が旨いとは知っていたが、雄町米が、岡山県の雄町で発生した酒米であることは、知らなかった。

今まで私が飲んだ日本酒の中で、トップ3本(他の2本は、広島の『賀茂泉』の生しぼり、松田の吟醸『松みどり』)の指に入る。

まあ、普段はこんないい酒は飲まないが、故郷岡山の酒だから、勝手に宣伝しておきます。ネットで検索すると¥3240だから、そんなに高くはないので試しに、飲んでみてください。

桜本酒店は、近々店を閉めるらしく、秋にはもう一度玉に行こうと思っているので、その時にはもう飲めない。残念だが仕方がない。

『画中日記』令和元年(2019)6月13日【「はやぶさ2」の成功】

昨日から、ネットで「はやぶさ2」の2度目のタッチダウン成功の動画をみている。先日のブラックホールの撮影を含めて、日本人はなんと素晴らしい、謙虚でモラルを持った人たちなんだろう。「真・善・美」の前では、私、自分、の入る余地はない。

この、成功に比較して73歳の私が思い出すのは、約半世紀前の、アメリカのNASAの月から宇宙飛行士が石を持って帰ってきた時のテレビ中継だ。

時代や文化、世界観、使う言葉、人格等、「真・善・美」に対してフェイクな国や団体や人たちの為すことは、時間が経てばすべてフェイクが露わになる。

日本は、いつの時代も大丈夫だ。自衛隊もどんな時代もキッチリと存続し続けたし。はやぶさ2の成功結果も、1955年の糸川教授からのペンシルロケットの技術を存続発展させてきたからなのだ。日本がいつの時代にも、大丈夫なのは、分を守ってキッチリと正しい行動をするという、神道的、仏教的「全元論」を一人一人が持って生きているおかげなのだ。

この先、日本はますます世界中から尊敬される国になるだろう。どうしてかというと、神道的、仏教的『全元論』の世界観を、仏教の伝来する以前から持ち続け、その世界観を国民一人一人が持ち、生きていて、間違いを国民全体で正して現成している、昔から現成していた、奇蹟のような国だから。日本人の世界観が、世界の存在の法(ダルマ)を、身の内に持って生きているから、つまり、地図と、磁石が正しいから。

『画中日記』令和元年(2019)8月4日【自衛隊習志野駐屯地に】

7月30日に自衛隊習志野駐屯地に行ってきた。私は免許証を持ってなく、当然車も持っていないので、自衛隊の中神優氏のマイカーでの送り迎えで、去年の4月17日に、私が寄付をした『青天白日富士』の絵の感謝状をアトリエに持って来てくれた、第一空挺団特科大隊大隊長の吉水憲太郎氏の栄転(市ヶ谷駐屯地に)による、習志野での離任ギリギリの日、表敬訪問に間に合った。

私の東京芸大の時の教授は小磯良平先生であった。小磯先生は戦前戦中に戦争画を描いて軍部に協力したということで、戦後の左翼系画壇に叩かれ、いわれなき非難を受け、大きく傷ついた。私も学生時代に、その風潮や理論に反論する理論武装がまだできていなかったので、悔しい思いをしていた。

小磯先生の『斉唱』が戦争画として描かれた名品のように、私の『青天白日富士』も私の戦争画である。自衛隊の隊員の後には、この美しい世界を背負っているのだ。しっかりと訓練を積んで、この日本という美しい国と国民を守っていただきたい。

自衛隊は、御殿場でも山中湖村でも、最近はユーチューブでも出会うが、頼もしい。こんな軍隊が後ろにいてくれて、日本国民として誇りに思います。

慰安婦の強制連行や徴用工は日本ではなかったことが分かったように、日本の軍隊にライダイハンのような事件は、ありえない。軍人だけでなく、日本人の男には、同じ局面に居合わせても、そもそも男性性器が勃起しないだろう。もし思わず勃起しても、そのことを恥じて自分を責めるだろう。

自我の外側に、神やアプリオリな真・善・美を持たない世界観の国や、国民は不幸だ。そして結局は不幸に終わる。善因善果、悪因悪果・善因楽果、悪因苦果である。

『画中日記』令和元年(2019)8月19日【愛知トリエンナーレ】

このところ、愛知トリエンナーレの中止問題が世間を騒がせている。世界存在の軌持から外れた世界観の人たちには、こちらは、争いも係わりも持ちたくないのだが、今日、「読書ノート」をパソコンに打ち込んでいて、私の気持ちにピッタリと同調する文章があったので、ここにペーストします。

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『素数の音楽』マーカス・デュ・ソートイ  新潮文庫

■数学者にすれば、自然が素数を定める方法に説明が付かないということは絶対に認められない。数学に構造がないとしたら、数学が美しく単純でなかったとしたら、そんなものは研究するに値しない。余暇にホワイトノイズに耳を傾けて楽しむなど、とうてい考えられないことだ。フランスの数学者アンリ・ポアンカレが記したように、「科学者が自然を研究するのは、自然が有益だからではない。喜びをもたらしてくれるから研究するのであり、なぜ喜びをもたらすかというと、自然が美しいからだ。自然が美しくなければ、そんなものは知るに値せず、自然が知るに値しないものだとすれば、人生も生きるにあたいしないものなのだ」。(22頁)

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画家は、この文章の、数学を芸術に置き換えて考えれば、自分の為すべき方向が決まるだろう。「真・善・美」ですよ。

『画中日記』令和元年(2019)8月30日【昨日から】

このところ、玉野での個展開催中に現地で描いた作品の完成後の8月2日から、額とダン箱作りがやっと終わり、昨日から約一ヶ月ぶりに絵筆を握った。ダン箱に入れた作品の地下倉庫への収納はまだ残っているが、我慢しきれない。

2010年にお亡くなりになった三栖右嗣さんのアトリエから、遺されて私のアトリエにまわってきた画材は、全て有意義に使わせて貰ったが、あと2点、200×80㎝の変形の木枠が残っている。

来年の6月開催予定の藤屋画廊の個展に、描きあげて出品しようとおもう。P8号とP4号の木枠から、変形8号の細長いキャンバスを張り(残りの木枠を組むとS4号)、昨日描き始めた。エスキースを兼ねた準備運動だ。ウレチイナァ。

(写真は、今日あとでフェイスブックにアップします)

『画中日記』令和元年(2019)9月10日【クロアナバチ】

今日は、週に一回通っている手賀沼の日帰り温泉に、行ってきた。昨日行くつもりだったのだが、台風で出られなかった。そこまでの往復は、柏駅行きとは別路線で日に数本か通っているバスに乗る。

いつも乗る大津が丘団地のバス停の近くには、毎年この時期クロアナバチが穴を掘り、クサキリやツユムシを狩って、仮死状態にして穴に入れ産卵する場所がある。毎年バス停で気付くたびに、花見や、月見と同じで、しみじみとした幸せ感をおぼえる。誰も気付かないけれども、片隅で、黙々と、過去からの生のリンクをつないでいるハチの姿は、今年も、精一杯充実した生をつないでいけた私と、シンクロする。

バス停の横の、道路沿いの緑地帯は一昨年、去年と、産卵後の大雨で全滅、今年は穴がひとつも見つからない(穴は、掘り出した土の色が違うので、すぐに見つかる)。デジカメを持って行ったのだが、昨日の大雨もあり見つからないかとおもったが、歩道の上の斜面で、数カ所見つけた。そのなかの一つから、穴掘り途中のハチが出てきたので、その姿を写真に撮った。君は、チャンと生き残っていて、過去からのリンクを継いでいるんだなぁ。ガンバレよ。

『画中日記』令和元年(2019)9月15日【玉野行(1)】

昨日、秋の稲が黄色く色づくころの田園風景を描くための、玉野行の日にちを9月24日に決めた。玉野での同級生だった岡本氏の話だと、当地の稲刈りは10月10日前後だろうとのことなので、十分に描ける日にちはあるだろう。

地面全面が麦の実る風景は北海道で見たことがあるが、そして、近年山中湖にアトリエを借りていた頃、山中湖から御殿場行きのバスの車窓から稲の黄色く実った風景を見て、一度そこでイーゼルを立てたいとおもっていたのだが、富士を描くのにかかりっきりではたせなかった。

冬の枯れ色と違い、まだ周りの木々は緑の中で、地面は明るく黄金色に色づいている風景の美しさは、ゴッホの絵を観るまでもなく、イーゼル画家としては放っておけない、描かずにはいられないモチーフだろう。今回そんな場に立てるのも、60歳過ぎからイーゼル画をやったおかげだ。

玉野滞在中に、島根県の浜田に行き、海岸の海蝕洞の中から、夕日が正面から差し込んでくる絵をS15号で描こうと目論んでいる。これは、完成すれば、来年の第5回『イーゼル画会展』に出品予定の作品だ。初めてのモチーフなので、さて、どうなりますか。昔の豪傑は、戦う前には「腕が鳴る」そうだが、今の老イーゼル画家は「勇気凛々、瑠璃の色 (少年探偵団の歌詞より)」だ。ウレチーナァ。

『画中日記』令和元年(2019)9月22日【玉野行(2)】

明後日(24日)の玉野行の前にやるべきことは、あと二つ。一つは、今度作る本、『瀬戸内百景』の前書きを書くこと。もう一つは、片付けて少しスペースをあけた地下の倉庫に、はみ出してきた近作をできるだけ片付けること。倉庫が今までの作品で満杯近くなり、うっとうしい作業だが、今後もどんどん作品が増えるのだからなんとかやっておかねばならない。

今日はこれから『瀬戸内百景』の前書きの原稿を書こう。昔は、パソコンがなかったので、手書きで文章を作り、こんなことも大変だったが今は楽になった。パソコンでの文章作りも、昔は文章をクロッキーブックに書いてから、たどたどしくキーボードで打ち込んだものだ。ああ、そのクロッキーブックがまだ部屋の隅にあるから、暇な時に、パソコンに打ち込んで、保存しておこうとおもう。(保存も、USBメモリーがまだなかったので、容量の小さいフロッピーディスクだったし、デジカメもなかったので、作品の写真撮影も、そのポジフィルムの管理保存も大変だったなぁ)

『画中日記』令和元年(2019)9月23日【玉野行(3)】

明日(24日)朝始発のバスで玉野に行く。やるべきことは全部片付けたし、冷蔵庫の食料も、残したものはピーマンを3個だけ、それを入れてゴミ出しもした。玉に滞在中、フェイスブックは帰柏するまで休むし、ネットも一切見れないし、パソコンのキーボードにも触れられないが、私は、絵さえ描ければ十分に満足した生活がおくれるし、またおくってきた。ウレチーナァ。

『画中日記』令和元年(2019)10月27日【「道」についての考察①】

今日『玉野だより』をパソコンに打ち込んでいて、面白いことに気付いた。どうも、外でイーゼルを立てる場所は、車にせよ自転車にせよ歩きにせよ道に沿っている。そのことを考えてみれば、それは当然のことで、作品の1点だけ単独に考えれ

ば、道に沿おうが沿うまいが関係ないが、その前後の作品群に時間軸を入てポイントを打てば、きれいに道の形が浮かび上がる。

考えてみれば、そのことはイーゼル画では当たり前のことで、ロケハンからイーゼルを立てる場所、そこに通う手段、そこで描き終えて次の作品のためのロケハンまで、道がなければどうしようもない。

このことは、人間の身体や、人生について比較、類推すると色々のことが、具体的に見えてくる。またもや『全元論』が出てきた。続く。

『画中日記』令和元年(2019)11月03日【「道」についての考察②】

人間はたった一個の細胞から分裂していって、何十兆という細胞数のこの複雑な身体ができてくる。その大部分の一個一個の細胞に、血管という道から途切れることなく、新陳代謝のための血液が送られ来、出て行っている。もちろん、心臓の細胞も脳の細胞も同じだ。一個の細胞は直接新鮮な血液を受け取り、生きて排泄している。決して心臓の細胞の余分の血を分けて貰っているのではない。ましてや、隣の細胞からのお貰いの血で生きているのではない。健康な身体とはこうなっているのだ。

全元論では、世界存在をマンデルブロー集合(ネットで図像だけ見てください)のような形態と考えるので、当然部分と全体は自己相似形でフラクタルだ。一人の人間、一つの社会、国家、世界の健康な形態が類推できる。

日本の国体(国の形態)は世界のなかで最もこの形態と相似形で、現在まで歴史を生きてきた。個人も、天から直接に恩恵を頂き、頂いた恩恵も、自分の食分、命分以上を貪り貯え執著することを恥じる。そういう、国民と国家であれば、健やかに生き続けられるのは当然だ。

不健康な国やイズムは、形態のどこかが歪だ。その形を一人一人の国民が自身から直し、全体も直さなければ、紛争は続くだろう。

自分の人生や、芸術についても「道」のアナロジーで考えれば見えてくるものがある。それはまた次回に。

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(示して云く、学道の人、衣食(えじき)を貪ることなかれ。人人皆食あり、命分あり、非分の食命(じきみやう)を求むるとも得べからず。況や学仏道の人にはおのづから施主の供養あり。常乞食(じやうこつじき)たゆべからず、亦常住物(じやうぢゆうもつ)もこれあり、私の営みにあらず。(『正法眼蔵随聞記』懐奘編 和辻哲郎校訂 岩波文庫 132~133頁)

『画中日記』令和元年(2019)11月08日【「特異点」についての考察①】

球の表面はどこも平等で、特異点がない。ところが三角錐というのは、頂点は他の場所とは異なる。こういうのが特異点で、時間でいえば始まりとか終わり。ビッグバンの一番の始まりは、特異点になる、現在の時間・空間とは違って特別の点になる、尖ったところになる。

特異点をなくすのが、現代物理学の課題だ。どうして特異点があると困るのかというと、そこだけ、法則が違う。今までの真理とされているものが、そこだけ違うというものになると、自分たち物理学者が一生懸命に証明しようとしたものまでも、そこだけ特別の、一種の神様というか、特別の飛躍したもの、別世界になってしまう。それが特異点で、これをなんとか消して、説明しようとする。ビッグバン以前の時空と以後の時空が特異点なしに継がらないと「無」から現世界の「有」へとの継がりが説明できない。

(続く)

『画中日記』令和元年(2019)11月09日【「特異点」についての考察②】

人間の存在、そしてまた個人である自分自身の存在は、最大の特異点だろう。目の前のリンゴも特異点だ。香嚴も竹も石もカンという音も特異点だ。個々の特異点を否定しないで、時空の円錐の特異点を消せないのだろうか。

10年ほど前に、私はいいアイデアを思いついた。球(中身のないシャボン玉の表面のような時空、中がムクだと内外の問題が新たに発生する)の上を、円錐形で埋め尽くしたらどうだろうか。つまり、特異点だらけというだけでなく、特異点が当の球の表面を成形していると考えたらどうだろうか。空間と物とを分けて考えないで、特異点そのものが、全体を構成していると考えたらどうだろうか。

世界存在のゲシュタルトをそのようにイメージすると、実存主義のように、人間、自我意識一元論では自分の誕生と死以外の時間と自分以外の世界の存在を説明できない。ハイデッカーが人間の現実存在のことは言い得ても、存在一般(物)の事は言い得なかったように。

実存主義では、自分の誕生と死が特異点になるように、もし、この宇宙がたった一つだけなら、宇宙の誕生と死は特異点になる。全ての特異点の誕生と死、生成と消滅を考えれば、この宇宙の誕生と死もありふれた出来事だろう。ということは、この宇宙空間以外に、並行宇宙だけでなく、無数の宇宙が存在しているということになる。

自分が特異点であるように、他者も、動物も、昆虫も、植物も、物自体も、地球も、銀河も、この宇宙も特異点である。オールオーヴァーで平等に而今に現成公案している。そして、万物は時間(因)と空間(縁)で諸行無常、不増不減に生成、消滅している。特異点は生成、消滅するけれど、全体の存在の有時(うじ)は、存在の設計図である法(ダルマ)が通貫している。どうですか、2400年前のお釈迦さま、800年前の道元の言っているとおりでしょう。これが、昨年私が上梓した『全元論』の骨子です。(続く)

『画中日記』令和元年(2019)11月10日【「特異点」についての考察③】

ビッグバン以前も、この宇宙で証拠を見つけるのは不可能かもしれないが、理論的にはそのうちに解明されるだろう。

話は変わるが、私は昔から人格神にたいして、素朴な疑問を持っていた。世界を人格神が創造したのなら、神がいる周りの時間や空間は誰がつくったのだろうか、という疑問だ。

一神教のヘブライズムと、世界を分けて分けていって根源的な、これ以上分けられない1を見つけようとするギリシャ哲学とが融合して、展開してきたのが西洋の世界観だ。「1」に「1」に収斂する。1に収斂しない現実世界の現象は、パラドックスとしてとりのこされる。

世界の中に存在する物は、実体の周りの空間と実体の内部にも空間を抱えている。細胞も、分子も、原子も、空間を抱えている。原子をもっと分けていったら、素粒子になるが、素粒子を粒という内部を持たない実体と考えると、エネルギーと分割前の内部空間はどこにいったのか。

本来、物は分割できるけれど、空間を分割していって素空間というものは存在するのだろうか。

(続く)

『画中日記』令和元年(2019)11月11日【「特異点」についての考察④】

存在するものはミクロもマクロもすべて動いている。固体を構成する原子の内部も動いている。素粒子もスピンというかたちで動いている。物質界に動かないものは存在しない。動きには、時間と空間が含まれている。つまり、部分という内部空間を持たない粒という実体と、静止という時間を持たない存在はこの世界には物質、実体としては無いということです。

「諸行無常」「諸法無我」です。

(続く)

『画中日記』令和元年(2019)11月15日【昨日から】

新聞もテレビも昔から、手元になく絵と読書とパソコンだけで毎日を過ごしていますが、それでも、生活上の雑用は、なんとかクリアしていかなければなりません。

昨日から、やっとキャンバスに向って。昨日今日と、アクリルで下絵を描きました。明日、これらの絵に油絵具で描き加えて、完成にもっていきます。玉野からの絵も、あと14点ありますので、それらを順次完成させていきます。年内に全部終わればいいのですが。それが、終わったら三栖さんからまわってきた、200×80の木枠にキャンバスを張って、来年6月の藤屋画廊での個展用の作品にかかろうとおもっています。

なにしろ、こうやって絵が描ければ、ウレシイのです。

『「特異点」についての考察』はまだ続きます。天のオファーは忙しく、これもまたウレシイのです。傍迷惑でゴメンネ。

(続く)

 『画中日記』令和元年(2019)11月23日【「特異点」についての考察⑤】

点という、時間も空間も持たない抽象的な概念を、物としてこの世にダウンロードしたものが素粒子だとして、その形態が粒状の固体だとして考えるから「光は波か粒か」というような問題がでてきたのではないか。数字という、空間的イメージはあるが時間を持たない抽象的な概念を、実有(じつう)という存在世界にダウンロードするときに、やはり、粒状の固体的イメージを持つから、様々な数学的パラドックスが出てくるのではないか。(今最新の「非可換幾何学」は、「超弦理論」と同じく数学の新しい地平を拓くだろう)

現実世界は諸行無常である。昨日のリンゴは今日のリンゴではない。設計図は現実の建物ではない。紙の上に落とされた設計図そのものも、物としては劣化する。

お釈迦さまの説く法(ダルマ)や、超越としての「真・善・美」、プラトン的イデア界は三界(全世界 )を通貫している。

画家は、通貫している抽象的な法を、自我の貪瞋痴(とんじんち)のバイヤスをかけないで、正確にダウンロードしなければならない。「美」を目指せば、当然そうなるはずだ。

(続く)

 『画中日記』令和元年(2019)11月25日【「特異点」についての考察⑥】

コップの水を半分飲む。残った水をまた半分飲む。こうやって順次繰り返していくと、最後には水が1個になる。これが水の分子だ。水の分子は、水素原子1個と酸素原子2個で出来ている。出来てはいるが、水も水素も酸素も特異点だ。

小学生の時に分数を習い、分数とは分子の数を分母で割ったものだと教わった。

1/3+1/3+1/3=1である。

1÷3=0,3333… 1÷3=0,3333… 1÷3=0,3333…

0,3333…+0,3333…+0,3333…=0,9999…

1=0,9999…

これが、納得いかない。先生は納得いく説明をしてくれない。自分でもつい最近まで説明できなかった。

(続く)

『画中日記』令和元年(2019)11月26日【「特異点」についての考察⑦】

0,99999…=1=0,00000… 無限個…1

これが正しいのならば、そのまままるごと認め、今までの概念世界を、認めた概念世界に修正するしかない。存在の設計図から、存在世界の有に落とし込む時には、確率が入るのはさけられない。まず。正法 (しょうぼう)を間違いなく正確に設計図に描かなければならない。次に、設計図からプラトンのいう似姿をこの世に顕現させなければならない。この行為を存在自体が全体で成してきた結果が「今、ここ」だ。

ミクロもマクロも、ジョン・シュワルツの超弦理論、エドワード・ウィテンのM理論、数学の非可換幾何学、天文学のブラックホールの撮影、完全な理論的産物である質量0のヒッグス粒子の発見、量子コンピューターの量子ビットの概念など、すべて、ナチュラルな世界概念を根本的に変えなければ理解、認証できない。理解、認証できないからといって、世界はそうなっているので、世界=内=存在の人間ごときがドウコウしようがないし、ドウコウできない。

『画中日記』令和元年(2019)12月09日【読書ノートに】

『読書ノート』の2019年のファイルに『素数の音楽』(マーカス・デュ・ソートイ 新潮文庫)の抜き書きを、今日打ち込み終わった。今年中に終わらせなければ、読書ノートのインデックスには、来年度の欄になるので、押しつまってから頑張ってキーボードに向かった。今年は、1年間で3冊打ち込んだことになる。

イーゼル画をやり始めた2010年から道元関係の本を読みあさってから以後、近年は、お釈迦さまと道元関係以外の本はほとんど読まなくなった。そのなかで、この本は、数年前に買ってからずっと電車の中や旅で持ち歩き、読書の楽しみを味合わせてもらった。

さて、来年はどの本を『読書ノート(2020)』に打ち込もうか。

『画中日記』令和元年(2019)12月10日【今日で】

昨日、10月に玉野から柏に持ち帰った作品の最後の1点を描き終え、今朝フェイスブックにアップした。今年の新作はこれで終わり。これから、額とダン箱を作って来年からの、抽象印象主義の作品の準備だ。来年の6月に藤屋画廊で個展の予定なので、来年も忙しい。

ユーチューブにかつて投稿した録音を編集し直して、新たに投稿しているが、10年前からの世界の政治、経済、軍事、芸術、哲学の変化は激しく、近年の1年ごとの変化は隔世の感がある。この変化の分岐点は、振り返ってみれば2011年3月11日の東日本大震災だろう。天災は日本に大きな被害をもたらしたけれども、復興の過程で、その日以前に日本も世界も席巻していた、文化を含めたレジームの潮目が大きく方向を変えた。2011年3月11日以前に、世の中を大きな顔で振る舞い、蔓延っていた集団や人たちを思い起こして現在と比較すれば、ベクトルの違いは一目瞭然だ。

2011年3月11日以前ならば、あいちトリエンナーレは大成功に終わっただろう。来年、広島トリエンナーレが公金を投入して開催されるらしいが、私は、玉野での作品が予想外に売れたので『瀬戸内百景』の本をもうすぐ自費で出版する。

世界存在の軌持(法、真・善・美)に沿っていれば、国も人も悪くなるはずがない。善因善果、悪因悪果である。

『画中日記』令和元年(2019)12月11日【大倉氏のコメントへの返事】

今は、ネットのクラウド情報で、瞬時にウソが暴かれる時代になりました。言論や映像を仕事としている企業や人たちの、言説や行動の嘘が暴かれれば、その後の情報をだれも信じて聞く人はないでしょう。

法(ダルマ、真・善・美)を身に持っていない人は、そもそも、嘘をつくのが平気です。そもそもの「真」がないのだから。そして、周りの皆が嘘つきならば、個々の嘘にペナルティが付けられない。「善」も「美」も同じで、そもそもそれを持っていないので、平気で人倫に外れた犯罪的行為をしたり、グロテスクで醜悪な作品を芸術と称して発表できるのです。

日本以外の国は、一神教か無神論者で、一神教は他の宗教との争いの調停ができないし、無神論者は、生きることの意味が、自我の欲望を求めることしかなくなる。

戦後、一時的に迷走した日本は、これから先ますます良い国になるだろう。そして、日本の国柄は、見本として、世界に徐々に広がっていくだろう。世界存在の軌持に沿っているのだから。

世界はそうなっています。

『画中日記』令和元年(2019)12月17日【「特異点」についての考察⑧(最終回)】

理解、認証できないからといっても、世界はそうなっているので、世界=内=存在の人間ごときがドウコウしようがないし、ドウコウできない。しかし、人間は智の力で、その正法に肉薄し続けてきたのだ。

0,99999…=1=0,00000… 無限個…1 は、やはりおかしい。

光は粒か波か、という古典的なアンチノミーな問題も、今では量子という、光子1個を雲のような存在のイメージでとらえることで解明したし、その後の超弦理論は素粒子そのものの実態に分け入った。

0,99999…=1=0,00000… 無限個…1 は間違いで、今では昔習わなかった記号[≒]を使って 0,99999…≒1≒0,00000… 無限個…1 こう書くらしい。

数学的な点も数学的記号の1も、空間と現実の時間を含めた実有(じつう)の世界に落とせば全てが特異点になる。

悉有(しつう)は而今(にこん)に特異点で現成している。万物は諸行無常、諸法無我である。しかし万物はデタラメに動いてはいない。軌持、法、ダルマ、予定調和、真善美、は悉有を通貫している。

『画中日記』令和元年(2019)12月17日【「大倉氏のコメントの疑問に対する答え】

マンデルブロー集合は、関係に関係する集合です。万物も関係に関係する存在です。世界全体も個々の存在も、関係に関係しているいじょう分けることはできません。

ゴミは、分別しても別の存在になるだけで、地球上から、消滅したわけではありません。万物は不生不滅です。

世界内存在は万物の在り様です。神も、仏も、地球も、日本も、家庭も、自分も、数学も、芸術も、宗教も、哲学も、政治も、経済も、個人の人生も、日々の時間も。
マンデルブロー集合の、一つの点が、私であり物自体であり、銀河であり、この宇宙であり、この宇宙以外の宇宙なのです。悉有(しつう)は而今(にこん)に特異点で現成しています。万物は諸行無常、諸法無我です。しかし万物はデタラメに動いてはいません。軌持、法、ダルマ、予定調和、真善美、は悉有を通貫しています。
お釈迦さまや、道元は「世界はそのようになっている」ことを悟ったのです。決して、お釈迦さまや道元が創造したのではありません。だから、お釈迦さまも道元も、修行すれば誰でも成仏する可能性がある、といったのです。

『画中日記』令和元年(2019)12月19日【フェイスブックの大倉氏へのコメント返し】

男と女の上位概念が人間です。同じく、善人と悪人の上位概念が人間です。心の世界、身体の世界、物質の世界、時間、空間、プラトン的イデア界、別々に在るようにみえる全ての存在の最上位概念が、「存在の最上位概念」が、お釈迦さまのいう、涅槃(ニルヴァーナ)なのです。

天国は地獄に対応していますが、涅槃は天国、地獄を超えた概念です。幸、不幸も超えています。有る、無いも超えています。

道元も、お釈迦さまも禅の公案もそのことを繰り返し述べているのです。

三宝印(仏教の3つの旗印)の「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」や般若心経のなかの言葉、「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」意味はこのことを言っているのです。禅の公案の「仏性」も「達磨の西来意」も同じ涅槃のことです。このことが、解れば禅の公案が読み解けます。私も「香嚴撃竹」を読み解いて、「全元論」に至ったのです。

おまけに、マンデルブロー集合のように、部分と全体が自己相似形なのです。ですから、部分の形態に全体の形態が立ち現れているのです。だから、禅師が「仏性」や「達磨の西来意」の答えに、「有」と言ったり、「無」と言ったり、「麻三斤」と言ったり「庭前の柏樹子」と言ったりするのです。

例題として、白隠禅師の「片手の音を聞いてこい」という公案をどう答えるか自分で考えてみてください。

『画中日記』令和元年(2019)12月26日【今年のクリスマス】

もうあと数日で新しい年を迎える。今年は天皇陛下の御代替わりで平成から令和に元号が替わった。ムードが一変したのか、今年のクリスマスは気づかぬうちに過ぎ去った。近所の住宅地でも、禍々しい電飾で飾った家は見あたらなくて、落ち着いていて静かだった。町中はどうだったんだろう。

私が生まれたのは昭和21年の終戦の年で、戦後のベビーブームの前の出生数の極端に少ない年だった。父は三井造船所玉野工場から呉の海軍工廠へ出向して、軍艦を造っていたので、戦場に兵隊として行くのを免れ(海軍工廠では軍人扱い)、そして私が生まれた。戦後のベビーブームの最中(さなか)に弟が生まれ、そのせいで3歳の時に私は母から離され、父親が私の面倒をみた。

父は私を可愛がり、どこへも(釣りや墓参りや、その頃できだしたパチンコ屋や競輪場にも)小さな私を連れて行き、私もいやがりもせずどこにも付いていった。昭和、平成の世田谷左翼的な偽善的反日的運動(美術界は特に多い)に、私が今までずうっと巻き込まれなかったのは、私の父親の美意識というか職業モラルというかに、いつのまにか染ったことがひとつの原因だろう。今でも判断に迷う時は、“父ならどう行動する”と思うことも度々だ。

例;小学校5年生の時、自宅で誕生会をひらく家がでてきた。私も招かれたので、本をプレゼントに持ってでかけた。母が、家(うち)でもやったものかどうかを父に相談すると、父は、「ワシ達(ら)の子供の誕生日をなんで皆に祝ってもらわにゃならんのじゃ。お祝いは、周りがやるもんで、自分でやるもんじゃネー(ない)。皆がお祝いするのは天皇陛下のお誕生日だけじゃ。浩二が大きゅうなって立派な仕事をスリャー(すれば)、自分でやらいでも、周りが祝おてくれるじゃろ、の、浩二」といった。

そのせいで、私は今でもフェイスブックの誕生日の投稿には素っ気ない。

その他、まだまだ思い出はあるが、今年のクリスマスからの連想からでした。

-画中日記

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