岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

画中日記

【画中日記】2017年

投稿日:2020-04-30 更新日:

【画中日記】2017年

『画中日記』2017.01.02【新年に】

 新しい年を迎えて、今日で2日目だ。私の場合、新年といえども、やる事はおなじで絵を描いている。今日も、山中湖で、ほとんど仕上げた富士の絵を仕上げ、フェイスブックにアップした。今年仕上げた最初の作品だ。

 明日(3日)から10日まで、山中湖で過ごすつもりなので、そのための食料品の買い物(買い物がやや不便なので、なるべくこちらから持っていく)に、一度家を出たのだが、夕方の日射しが、理想的なので、デジカメを取りに帰り、以前からチェックしておいた場所に向かった。写真はフェイスブックに載せます。

 私の絵は、ほとんどが自然の風景だが、都市の風景も、描いてみたいところは多々ある。写真に撮った場所は、すぐ近所の団地だが、カメラはともかく、イーゼルを立てて絵を描くのは、さすがの私も、ちょっと気後れする。簡単なスケッチと、写真と、記憶で、作品にするかもしれないし、出来なくても、描きたい風景がストックから常に溢れていることは、画家として重要なことだ。展覧会のために、絞り出すように絵を描くと、コンテンツの少ない、瘠せた画面になって、チープで鑑賞者を満足させない。

 今日は、念顏だったいい条件で写真が撮れて、満足、満足…!

 柏に帰ってきて、11日は、いよいよ2m×2mのキャンバス張りだ。

『画中日記』2017.01.28【イーゼル画のスキルの完成形(1)】

 『富士(219』の作品は、1月26日に山中湖で完成、27日に柏に持ち帰って、今朝フェイスブックに投稿した。この作品は、私にとって、意味ある作品で「

やっとここまで来れたか」という満足感で一杯だ。

 現場で、直接対象を描いても、時間や、光の変化を追うのが精一杯で、アトリエに持ち帰ると、バルールや空間の破調を修正するのに、いわば整地作業の2工程がどうしても必要だった。この工程は、例えれば、一刀彫りの空間に、サンドペーパーをかけるようなもので、画面空間は整えられるが、その分、セザンヌが印象派の画に言った〔綿で出来ているような空間〕になってしまう。つまり、フォルムの切れ込みが浅くなり(画面のリズムがなくなる)、絵具の鮮やかさも犠牲にしてしまうが、私にとって避けて通れない工程だった。

 現場での描画が「一発描き」でも、バルールと空間のズレがほとんどなく描画出来れば、完成までの整地作業は略することができる。出来るはずだと、6年前のイーゼル画を描き始めた時から、信じてやってきたが、ここにきて、完全なイーゼル画のスキルの完成形を手の内に入れた。

 『富士(219)』は、今年の1月5日に現場で描き、絵具を乾かし、1月26日に山中湖のアトリエで手を入れて、わずか、3週間、2回の描画で完成した。この間の、途中の逡巡と、迷いがフッきれた理由は、続けて近い内に投稿します。

『画中日記』2017.02.04【イーゼル画のスキルの完成形(2)】

 『富士(219)』、富士(222)』、富士(223)』、富士(221)』と、このところ立て続けに、アトリエでの、空間とヴァルールを整える、2工程を省いた作品が出来あがった。これで、イーゼル画の私の描き方は、ほぼ決ったか。

 ここへきて、技法が急展開したのは、富士(222)』、富士(223)』の2点の小品(F5号)で富士を描いたのが原因だ。

 アトリエ画と違って、イーゼル画で、小品を描くのは難しい。イーゼル上のキャンバスの画面と、透視図上のキャンバスの画面設定の位置が違うので、画家の立ち位置がどこにあるかが分かりにくいのだ。そのせいで、当の作品が、現場で眼と手が、対象(モチーフ)と直接ヤリトリしているという感じが稀薄になり、アトリエ画との差がなくなってしまう。

 現場での、直接取引の証拠は、画面のタッチなので、今までのように、筆触を消していくのではなくて、できるだけ残していかないと、小品のイーゼル画はミニアチュールの空間のように、図的なアトリエ画になってしまう恐れがある。ということで、この小品のイーゼル画は現場でのタッチの修正は最小限に抑えて完成させた。

 こういう作業の過程で、現場でうまくいき、加えるかどうかを迷っていた『富士(219)』(F15号)も、アトリエでの2工程を省いて出来あがり、なんだか、いつのまにかあっけなく壁をブレイクスルーしている。

「一発(ほつ)菩提心を百千万発するなり」だなぁ、まったく。

『画中日記』2017.02.09【イーゼル画のスキルの完成形(3)】

 イーゼル画では、遠景の風景の小品を描くのが難しい。その理由は、遠景の風景は、ズームアップするために、近景が入らない。だから、画面から画家の眼までの空間が、遠すぎて、画面を見る鑑賞者の眼を画家の眼まで引っぱってきてくれないのだ。そのために、物感が稀薄になり、画面が図的になる。

 それを防ぐには、制作現場での、画家の眼と対象との直接取引の証拠を、できるだけ残すことだ。印象派の画家の絵が、アトリエ画の画家達から非難を受けた、絵画技法としては、未完成でタッチが荒く未熟である、という意見を逆用して、むしろ積極的に使うのだ。画面上のタッチは、画家の眼と対象の上の点と1対1に常に対応、変換されているのだとの証拠を残せば、小品といえども、何とか物感は出せるだろう。そしてこのスキルは、描き慣れれば、中大作にも敷衍できるだろう。

『画中日記』2017.04.24【抽象印象主義】

 このところ、毎日、「裸眼のリアリズム」の作品を描いているが、「抽象印象主義」の作品に、久しぶり、今年初めて手を付けた。

 イーゼル画の修行のおかげで、画面の光りと空間に対する評価の物差しが、一段と精緻になっているのを身体が感じる。そして、イーゼル画だけではない、抽象の世界と、イーゼル画では抜け落ちる具象の世界(例;夜の世界や、瞬間の世界等々)、世界存在は無窮だということを、抽象画を描いていて感じる。

 画家になる志を立て、半世紀以上、描写絵画の修行を積み、そのおかげで、4回転半のジャンプを飛ぶような描写スキルを身に付けても、スケートはジャンプだけではない。つまり、私のなかの「抽象印象主義」の世界も、まだまだ記録が伸ばせるし、伸びしろには余裕がある。

 今日は、イーゼル画でいえば、現場で手を付けただけの過程だが、久しぶりの作業に、全身が悦(よろこ)ぶ。イーゼル画では描けない大作の木枠が残っているので、それを消化するためにも、抽象の作品をイーゼル画の合間に描こうとおもう。

 残り時間は少ないのだから。 

『画中日記』2017.10.07【「青天白日富士(F100号)」を】

 今日、「青天白日富士(F100号)」描き始めた。昨日F100号のキャンバスを張って、今日アクリル絵具で下描きを終えた。

 もともとこの絵を描く動機は、芸大の先輩画家で、1976年、1978年、1980年、1984年と4回『赫陽展』を一緒に開催した三栖右嗣氏の遺されたキャンバスと木枠が私のところに廻ってきたことのためで、もうそのほとんどを使い切り、最後に残ったのが2m×2mの木枠4本で、それも順次消化するつもりでいた。その内の2本は去年今年と描きあげ、先日、もう一つの梱包を開けると、2m×2mではなくて、2m×1mの木枠が2本だった。こんな細長いキャンバスで三栖さんはどんな絵を描こうとしていたのだろう。とりあえず私はこのキャンバスでは、抽象印象主義の作品を縦構図と横構図で描こうと思っている。

 ということで、2m×2mのキャンバスを張るつもりが、昨日急遽F100号のアクリル絵具用キャンバスに変更して張り、アクリル絵具で下描きをした。明日からは、この上に油絵具で仕上げる。完成した絵は、来年一月の藤屋画廊の個展に展示します。

 この絵は、アトリエ画なので、アクリル絵具で下描きができるが、イーゼル画は油絵具でないと描けない。野外の直射日光にあたると、筆と絵具がすぐに固まってしまって描画をせかされ気持ちが焦るので、東伊豆での最初のイーゼル画ですぐに油絵具に変更して、今の描画方法に固まった。元の絵は、先日の『イーゼル画会』展に出品した、「富士(232)」で、今年の3月22日に山中湖平野浜でイーゼルを立てて描いたものです。「富士(232)」F30号に、もう少し装飾味を加えて完成にもって行きたい。

『画中日記』2017.12.03【『山中湖村だより』を終えて】

 11月30日に山中湖の借家を引き払い、12月1日に引っ越し荷物がアトリエに到着、今日やっと、片付けの目星がついてきた。

 今回の引っ越しの経験で、多くの事に気付かされた。そのため、このタイミングで、先先週から柏でよく古書を買っていた「太平書林」に、約半世紀にわたって、読んだ本をほとんど引き取ってもらった。本好きの人間にとって、読んだ本を廃棄することは出来ない。貰ってもらって、どこかで再利用してもらうことはかえってありがたいので、助かった。つい近々に古書店を引き継いだ若い店主が、買い取りのお金を出そうとしたが断る。その代わりに、これも大量にあるCDやLP、LPプレイヤー、カセットテーププレイヤー、SDプレイヤー、アンプ、スピーカーのステレオコンポーネントセットも持っていってもらった。全部で3回に分けて、毎週1回きてもらって、昨日終了、終わってみると、スッキリ清々しい気分だ。

 最近は、音楽もユーチューブで聴くので、CDを含め、FMラジオも付けることもなくじゃまであった。あとは、テレビからの録画や、ビデオデッキを2台買ってダビングして集めた名画が中心のビデオテープ(アダルトビデオは以前に既に捨てた)、FMラジオから録音して長年集めていたカセットテープはゴミの日に出すとしよう。

 物は捨てだすとクセになるなぁ。次々と捨てるべき物が目につく。それにしても今の日本は有難い。自分でやれば大変な作業を、引っ越しから、廃棄、ゴミは出せば持って行って処理してくれる。

『画中日記』2017.12.04【相転移】

 不用になった物の処理は、自分がやらなくてもゴミ置き場に出せば行政がやってくれる。しかし自分の内なる煩悩の残滓の処理は、いくら無視しようとしても自身で自我意識を脱落しなければいつまでも残る。道元の師の如浄(にょじょう)は「身塵脱落(しんじんだつらく)」といい、道元は「身心脱落(しんじんだつらく)」といった。慧可(えか)が達磨(だるま)に、「修行しても修行しても、心が揺れて証(さとり)の世界に入れません」と聞くと、達磨は「その心をここに持って来なさい」と答えた。(その後のストーリーは自分でネットで調べてください)

 いくら自分にとって価値ある物や人や事であっても、関係が切れれば、ゴミや、タダの人や、そんな事もあったなぁ、ということになってしまう。諸行無常、すべての物はゴミになる。関係は切れているのに、いつまでも過去の世界に執着していると、ノスタルジーの感傷に悩まされる。

 時間空間の、周りの世界が相転移したのならば、私も当然相転移しなければならない。相転移できなければ、私自身が世界のゴミになってしまうだろう。

『画中日記』2017.12.13【一段落】

 山中湖からの荷物の整理と合せて、柏のアトリエにあった以前からの不用品の処分が一段落した。処分すべき物はまだまだあるが、それらは今後徐々にやっていけばよいだろう。

 同時に、来年1月の個展のDMの宛名を、9年間、今も使っているマックのパソコンのラベル印刷がうまくいかないので、ネット専用に使っているもう一台の富士通のウィンドーズ10のパソコンで印刷しようと試みた。おっくうなので、グズグズと先延ばしにしていたのだが、これも、因と縁だろう、数日前にドッコイショと腰を上げた。まず、エクセルでの住所録作りと、その住所録をワードで読込んでのラベル印刷のプロセスは、マックのパソコンに、ネットで検索した画面を見ながら、なんとかクリアした。住所録作りも、ラベル印刷も、それが載っているサイトのアドレスさえ保存しておけば、安心だ。昔は大変だったなぁ。本に栞をはさんでいても、必要な情報が時系列では繋がりにくいので、身体に慣れるまで毎回手間がかかった。地図と磁石があっても、自分の現在地が判らなければ迷ってしまう。そのてん、スクロールで変わる画面は、時間的な前後があるパソコンの操作には合っていて理解しやすい。というわけで、なんとかDMの住所録のラベル印刷をクリアして今日DMを発送した。

 パソコンの思考回路は、私の考え方に似ている。「真」と「偽」がハッキリと存在する、という考え方だ。目的に向うプロセスのひとつひとつの手順の正しいコマンドが、物事を完遂するのだ。「真・善・美」は実存を超えて存在する。人間(実存)が決めたり、創造したり、ましてやアドリブや、偶然出来たりするものではない。この「全元論」的世界観は、日本人だけのものだ。この世界観は、世界の中で奇跡的に日本に残り伝承されてきた。この世界観を日本人一人一人が持つかぎり、日本は不滅で、またそれだからこそこうやって二千数百年一国で変わらず存在している。現在にも伝承されていることは、先の三陸大地震の後証明されている。周りの他の仕事は、安心して、それぞれの分野の専門家にまかせてもキッチリ仕事をしてくれているので、自分の持ち分の仕事で、正しく、美しく、善き仕事を成していこう。

『画中日記』2017.12.19【全元論の生き方】

 私の世界観が、2010年からのイーゼル画の参究、そしてその頃から読み始めた道元との邂逅(かいこう)によって、それまでの実存主義の世界観から180度方向が変わった。そのことによる変化は、画家としての物の見え方にかぎらず、半世紀以上読み続けた本の種類(実存に関するアレコレを書いた小説類、実存主義的哲学、心理学は興味がなくなった)や、自分の生き方のベクトルを決める人生の価値観まで変わってしまった。先日の、本やCD、多くの捨てられないで執著(しゅうじゃく)していた物を処分したり、貰ってもらったりして、スッキリした。今後、いっそうこの態度を押し進めていこうとおもう。

 昨日フェイスブックに投稿した、『道元禅師語録』の抜き書きの、注に書いた私の文章を、もう一度ここに記します。

「『全元論』では、世界の全存在がフラクタルな形態、構造なのだから、そうなっているのだから、全体から部分を分けられない。内と外、主観と客観、我と汝(なんじ)、物と心とイデア界、超越と内在、神と人間、全ての名の付く存在は、境界をもって分けられない。だから、〈在る〉といっても〈無い〉といってもどちらも正しく、またどちらも間違っている。部分、要素、本質、自我、超越は世界存在の全体から境界をもって分けられない。在るのは而今(にこん)に相転移しながら現成公案している一(いつ)なる全、世界存在なのだから」。

-画中日記

執筆者:

関連記事

『画中日記』2014年

『画中日記』2014年  2014.02.18 【私のフェイスブックより】  現在、私のフェイスブックには『ブッダの真理のことば(ダンマパダ)』(中村元訳 岩波文庫)の抜き書きを投稿しているのだが(サ …

【画中日記】2016年

【画中日記】2016年 2016.01.03 【新年に】  新しい年を迎えて、今日で3日目だ。私の場合、画は美神への信仰なので、新年といえども、やる事はおなじで絵を描いている。それでも、年がかわると、 …

『画中日記』2010年

『画中日記』2010年  2010.01.13  新年最初の「画中日記」です。1月3日の「読書ノート」に載せた色川武大に続いて、今寝る前に読んでいる本は黒澤明の特集本です。読み終わったら、当然「読書ノ …

『画中日記』2012年

『画中日記』2012年  2012.03.25 【「抽象印象主義」その後】  2010年5月からのイーゼル絵画への取り組みから、ギャラリー絵夢での東伊豆風景の個展と、近年すっかり具象の作品を中心に制作 …

『画中日記』2013年

『画中日記』2013年  2013.01.13 【塩谷定好写真集】  昨日は、夕方写真家の足立氏がアトリエに遊びにきた。今まで買い集めた本や画集や写真集は処分出来なくて大量にあるが、写真集は私が死蔵す …