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(8)パズルのピースがぴっちりと嵌った

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(8)パズルのピースがぴっちりと嵌った(47頁)

僕はもともと広範囲に興味があった。たとえばジグソーパズルの全体を思い浮かべてほしい。僕の場合、ばらばらにピースを持っていたとしても、興味のある部分のそれぞれにピースを寄せ集め、各々の島がいくつもできていた。そこで、全元論にいたった近ごろは、それまでの島同士がカチャカチャと、ピッタリとうまく嵌り合う。これはじつに感動的だよ。しかもピースは平面だけでなく立体である。空間だけでなく、今度は時間軸も出てくる。そうなると、平面のジグソーパズルどころか立体的に、ものすごく分かりやすい、堅固な構造の世界観が出来上がるのだ。

だから相手の論理に、ちょっと違うところがあると、それが分かる。「ここが飛び出てしまっていない?」とか「そこ、ズレているぞ」等、すぐに見えてくる。自分の目の前のものは、きっちりと秩序ができている。しかし、もし壁に墨のようなものが付いていると、それは破調であり、ズレているということがすぐに見える。それでは論理がおかしいのだ。

近ごろ余計に、そういうことが可能になってきた。「世界はそうなっている」のだ。「僕が」ではない。道元もお釈迦さまも凄い人だけれど、道元やお釈迦さまを含めて本来の世界がそうなんだということ、世界存在全体がそうなっているということ。万物が、万人がその世界内に、その世界の構成物として存在し生きているのだから、画家の場合は、それを美に持ってくる。イチローならバッティングに持ってくる。それぞれの世界に持っていくのだ。

さっきの話で言うと、ほとんどの人は、僕と同じ時代に生まれた人は同じだけのピースを持っている。僕は子どもの頃から、ピースを各々まとめてきたから覚えている。しかしほとんどの人にとって、ジグソーパズルのピースがただ、ばらばらになっている。しかし一塊(ひとかたまり)にすると、一つだけを覚えておけばいから覚えておける。ギンヤンマ(注)というと、あの塊が出てくる。しかし一個一個のピースがバラバラなら、全部を覚えないといけないので、これは脳のなかにあっても記憶として取り出すのは不可能だ。僕は、全部が生きている。だからとても面白いよ。全元論という言葉が頭にひらめき、それとマンデルブロー集合と、時間軸の存在と…。そういう存在で僕が生きている。自分のやることがはっきりと決まってくる。

自己の世界観がしっかりとしてくると、自己そのものの悩みなんてなくなってくるのだ。「ないもので悩んでいる」ということ。そういう話が出てくる。雪舟の絵にあるが『慧可断臂の図』の話である。慧可というのは、達磨の弟子である。達磨がインドから中国にやってくるのだが、その前に、達磨と武帝との会話が面白いのであるが、武帝というのは仏教を庇護しており「これだけやっているのだ」という自負もあった。それで「私はやっている」という思いから達磨に「何かいいことがありますか?」と問うと達磨は「何もない」と答える。仏教はそもそも、なにか利得を得るためというような、そんなものではなく、質問自体が達磨からしたら、もう話にならないだろう。

武帝もムッとして、では「仏教の一番の根本義は何か」聞くと達磨の答えは「廓然無聖」とひと言であった。青空のように天地一杯の清々しい境地に入れるよ、ということである。

武帝はそれを聞いても何を言っているか理解できずに「私の前に座っているお前は何者か」と聞くと達磨は「知らん」と、答えたという。これらは僕なりの解釈であるが、武帝は、身分や職業や名前、つまり世俗社会の存在としての達磨のことを聞いたのであろうが、ともかく「そんなこと知るか!」ということだ。

達磨はそれで西の方、少林寺に行き、やがて洞窟で「面壁九年」となる。壁の前に9年座り続けて、達磨さんになり中国禅宗の祖となる。そこに弟子が何人か来るのだけど、その弟子の一人が慧可である。禅宗の一祖が達磨で、慧可が二祖。禅宗というのは、お釈迦様の二祖が摩訶迦葉(まかかしょう)が一番近いのだが、お釈迦さまはおよそ生き方を説く。一方で禅宗は世界を説く。世界観の元になるものは同じであるが、地域性もあるだろう。

さて、慧可断臂の慧可であるが、もともと勉強家で、達磨のところに弟子入りしたらいいと聞いてやってきたが、達磨はまったく出てきてくれない。それで雪の中で膝まで雪に埋もれてじっと待ち続け、やがて慧可は肘を切って達磨に差し出して弟子にしてもらった。その逸話は伝説のようであるが、ともかくそうやって弟子になった。

雪舟の『慧可断臂の図』という絵は、肘を切って差し出す場面。そして慧可はその後、修行しても修行しても心のモヤモヤはとれません、という自分の苦しみを達磨に尋ねる。達磨は「では明日、君のその心をここに持ってきなさい」と言った。そこで慧可は翌日「昨日一晩、ずっと探しても、私の心は見つかりませんでした」と言う。

達磨の答えは、「それは良かったね」というような言葉だった。そこで慧可は悟った。ーーここは分かりにくいでしょう。分からないけれど、普通の会話で、もし達磨でなかったら「何を悩んでいるの?」とか答えそうだ。

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