(注)ギンヤンマと仮説演繹法(51頁)
科学の方法である仮説演繹法について話そう。
仮説演繹法というのは自然科学の方法である。ある現象を、統一的な因果率で認識しようというアプローチの方法なのだ。具体的には(1)仮説の設定、(2)その仮説により実験観察可能な命題の演繹、(3)その命題の実験観察のテスト、(4)その結果が満足なものであれば、さきの仮説の受容。その結果が不満足なものであれば、さきの仮説は修正または破棄される…という四つの段階をへて一つの見解が成立する。
こういう方法をとっていくのが仮説演繹法なのだ。仮説と実験観察。
逆もある。公理から個別に向かうのとは逆に、個々の具体的な事実をいっぱい集めてそこから共通点を見つけて、こういう法則があるのではないかという原則を立てるのが帰納法だ。
この、演繹と帰納を、僕は子供のときからいつの間にか遊びの中でやっていたんだ。たとえば、僕にとってはギンヤンマを捕る事がそうだった。ヤンマは最初、偶然に捕れた。僕がまだ幼い時だったので、捕れっこないと思っていたのに偶然捕れた。捕れたら嬉しくて感動する。どうして捕れたんだろう…。そこで今度はいろいろと実験を繰り返す。
そうすると、魚をすくう網でないと捕れない。目の細かい白い昆虫網では、チラッと見るだけで近づいて来ない。そういうことを何度か繰り返していって、次第に、トンボには網の動きが蚊柱のように見えるのではないかという、結論に達した。…その後も、知識が増えていくと、複眼という問題がある。単眼と複眼とでは、見える構造が違うらしい。
複眼というのは、動くものがすごくよく見える。たいへんよく認識できる構造になっているらしい。ところが、動かなければ何ともない。ジーっとしているものは、トンボには見えない。見えてはいるのだろうが、認識できない。一方、動くものにはすごく反応する。
その実験は、厳密には昆虫ではないが、子供にとっては同じ虫のハエトリグモで試した。まだ水洗ではない当時のトイレにはよくハエトリグモがいた。ハエトリグモは網を作らず、チョコチョコ歩き廻って餌を捜す、動きがユーモラスで可愛いいクモだ。獲物の手前から、三センチくらいピョンとジャンプして虫を捕まえる。そのハエトリグモに死んで動かないハエを与えても跳びつかない。目の前に死んだハエを置いて、そのハエをこよりでチョコチョコっと動かしてやると、とたんにパッと跳びつく。
つまり、ギンヤンマには、目の細かい白い昆虫網では実体が見え過ぎるのに比べて、タマ網を勢いよく振るとボーっと小昆虫の集団に見えるらしく、そのため餌と勘違いして網の動きを追うのだろう。本当にそうかどうかは分らないが、僕はそういうふうに子供ながら思ったのだ。