(23)セザンヌの前に(写真の登場)(78頁)
セザンヌがなぜ、「近代絵画の父」と言われるのか。
その前に言っておかなければなければならないのは、まず印象派が、印象派を完成したモネの印象派が一番の革命だった。リアリズムの、対象を実体存在として捉える方法が、光と空間、特に光の関係に還元して対象を認識する方法になった。それは、認識の革命だったわけだ。
そうすると、モネの絵を見れば分るように、しだいに輪郭がボヤケるわけだ。輪郭線もなくなる。輪郭線がなくなるというのは、写真を見ると分るように、そもそも輪郭線というものはない。写真の中のどこを捜しても、線はない。
光の量の差だけがあるという事が、モノクロ写真を見たらよく解る。その当時モノクロ写真のみだから色はないわけで、あるのは物にあたっている光の量の差だけ。そして、リンゴとか皿とかテーブルとかとか、実体的な差は、どう見ても、写真の中にはない。リンゴとか、空間とか、人物とか、というふうには、写真は捉えない。
写真では、レンズの前の世界が、ただ光の差だけがこちらに現れる。初期の写真もしだいに、一般の人の目に触れるようになった。ナダール(【注】1820~1910 青年時代からジャーナリズムで活躍し、風刺画家から写真家としてアトリエを構える(1854)。カピュシーヌ大通りの彼のアトリエで第一回印象派展が開かれる(1874))などの写真が、印象派の画家達にものすごく刺激を与えた。印象派というよりも、絵描き全般に影響したのだ。
画家にとって一番驚いた事は、物を認識するのにあたって、それまで人は、自分の意識が世界を認識すると思っていた。ところが、写真器には心がない。デカルトの機械論的世界観や自然主義リアリズムの証拠のような現象がカメラの中で起こっている。
機械の中には主体がない。認識する主体がなくても、光だけでも、絵描きがデッサンするのと同じように認識できるという事に、画家は驚いた。
そういった機械による認識と、自分が今までの認識の仕方の差が、比べるとはっきりと出てきた。従来は、画家が対象を認識しながら描くという行為は、目と、脳に意識があって、意識が対象を補正していく面もあるし、対象を構造化することも可能であった。つまり、見えていない物も、見てしまっていた。
しかし、写真という、具体的に機械的なものが出てきて、なおかつこれが、主体抜きに認識していくわけだから、、驚いてしまう。
つまり、目と脳の関係が一体として動いている事に、何の疑いも持たなかったのに、目と脳が次第に分かれて構造化していき、「こういう形で認識しているんだなぁ」という事が、画家が絵を描く行為のなかで、段々と分ってきた。
こういう事を、絵描きが過去に延々と丁寧にプロセスを踏んできたわけだ。しかし、最近では、一足飛びに、一切飛ばしてポスト・モダンになってしまう。本来絵描きが、プロセスを踏んでやっていたころは、そういう一足飛びをするのは、才能のない一部の者だった。つまり、自分が競う自信のない競技のルールを改正して、自分だけの新しい競技種目で自己満足しようとするようなものだ。だから、最近の絵はホームレスの人がベンチで、誰も聞く人がいないのに、独り言をブツブツいっているような印象をうける。