岡野岬石の資料蔵

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(22)参照文「銀ヤンマ(初めての構造主との出会い)」

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(22)参照文「銀ヤンマ(初めての構造主との出会い)」(70頁)

現在私は54歳(2000年9月)なので今から40年くらい前の話である。小学生のころ、ふるさとの川辺に飛ぶギンヤンマは男の子供たちにとって宝物だった。そのころの学校の夏休みの自由研究の宿題は、男子は昆虫採集、女子は植物採集が定番だった。そのため、男の子たちは毎年夏休みになると虫捕りに熱中して外を飛び回っていた。虫捕りには夢中になるが標本作りはお粗末なもので厚紙の石鹸などの外箱のコーナーに別の紙で3角形を作り、ナフタリンを2、3個入れ、透明なセロハン紙でノリ付けした様々な標本が、2学期の初めには学校の廊下に並んだものだった。

色々な虫のなかでもすべての男の子が欲しがって虫は、カブトムシとギンヤンマで、それらのない標本は肉の入っていないカレーのようにみすぼらしく見えて、本人の狩猟能力を測られるのだった。ありふれたセミ等の標本しか提出できない年は、男の子の間で何となく肩身の狭い思いをしたものだった。つまりそのような標本は低学年の作る標本で、逆に言えば低学年のときに自分で捕ったギンヤンマやカブトムシの入った標本を作れば、それだけで誇らしく皆から一目置かれるのだった。

ギンヤンマは美しかった。その大きな複眼、オスは透明、メスはうすいベッコウ色の羽、腰の所はオスはコバルトブルー、メスはエメラルドグリーン、全身のオキサイドグリーンの冷徹さ。どれ一つとっても無駄を削ぎ落とした精悍さに溢れていて、当時の男の子の美意識のすべてを満たしていた。美しさに加えてその飛ぶスピードが速くテレビやおもちゃも満足にない時代の子供たちにとってはハイテクでメカニカルな貴重なお宝だった。そのような貴重な宝物を自分の力だけで捕ったときの感動はいまだに忘れられない。

そのギンヤンマを簡単に捕るワザを私は小学生のときに偶然見付けたのだ。

ギンヤンマを捕る方法はいくつかある。

(その1)

木綿糸の両端に小石を2つ結びつけてギンヤンマの回遊している前に放り投げると、小石を虫と錯覚して食べに来る。何度か繰り返すうちに石と石の間の糸に羽がからんで地面に落ちて来る。

この方法は時と場所を選ぶのだ。広い原っぱでその上の方にギンヤンマが回遊しているときに有効で、私が子供のときによく行った場所は小さな川の河口で、満潮時、川の水位が上がり、小川が池のようになった時、ギンヤンマがよく集まる。そのような場所ではこの方法は使えない。

(その2)

ギンヤンマのオスとメスが交尾してつながった状態のことを私の地方では「デン」(たぶん「連–レン」がなまったものだろう)そのデンが水辺の草にとまったり、つながったまま水面に産卵しているときは、数が少ないのかメスを単独でつかまえる事はめったになくデンをとってメスを手に入れると、これはもう大金持ちになったような気持ちで50センチくらいの竹の先に1メートルくらいの木綿糸をしばり、その先にギンヤンマの羽の間を通して結んで、オスのいるところで飛ばすとオスが交尾してつながるので地面におろし網をかぶせると簡単にオスを何匹でもつかまえる事ができる。

(その3)

川のなかにズボンをたくし上げて入り、ギンヤンマの回遊路の間に立って水面上を飛んでくるギンヤンマを待ち構えてつかまえる。

 この方法は水のなかに入るので中学生にしかできない。当時はまだ今のようにプラスチックの虫かごがなく、一匹岸に上がるのが大変だし、網で両手がふさがっているので左手の指の一匹ずつギンヤンマの羽をたたんではさみもったり、唇で羽をくわえながら川のなかで中腰になり網を水面に平行に構えてギンヤンマを待ち構える上級生の姿は何ともかっこうがよかった。

 

さて私の見つけた方法は以上の方法のいずれでもない。おそらく今でも私と、私の弟と隣にすんでいたカズちゃん以外は誰も知らないと思う。

その日は夏休みが終わり、2学期の初日で午前中に学校が終わり、すぐに網を持って一人で川に遊びに行きました。ちょうど上げ潮時でいつも通り手の届かない向こう岸を飛んでいるギンヤンマを見つけた。他には誰もいないし、どうせ捕れないのだからと、やけくそになって網を水面上に思いきり左右に振ってみた。するとどうだろう、なんとギンヤンマがスッーと近寄ってきた。そして簡単に捕れたではないか。

嬉しさと驚きと感動で、何が起こったのかよく分からない。それはたまたまの偶然だろうか。なぜ網を左右に振るとギンヤンマが寄って来るのだろうか。

その後、何日もかけてギンヤンマを追って観察し、また何匹も同じ方法で採集した。分かった事は、あみは虫捕り用の目の細かい白い網では駄目で、子供が魚を掬(すく)うときに使う木綿の目の粗い網でないと近寄ってこない。色はえんじ色か紺色だっただろうか。ギンヤンマは振っている網を、その大きな複眼で見付けると一直線にそれをめがけて飛んでくる。そして網を追うように網の動きに合わせて反転する。

私の推測では網を速いスピードで振ると、たぶんギンヤンマには蚊柱のような、小さな虫の集合体に見えるのではないだろうか。だからそれを食べるために網を追うのだろう。ちょうど魚をルアーで釣るときのように、ルアーで魚を誘う動きを網の動きがギンヤンマに対してしていたのだろう。

その事で私が理解した事は、以後の私の人生に大きく役立った。

 

個人の能力では手の届かない、世の中の複雑で、不規則で、多様で、理解不能な事象も、目に見えないけれども、その内に通徹している法則や構造を見分け、知れば、自分の能力内に引き寄せる事ができる。

そして、それができた事への自信が、さまざまな他の事象に対してのフォームを形造っていった。

ギンヤンマという子供の私の手の届かない貴重な昆虫も、その生活の構造や法則を知ると、あっけなく捕まえる事のできるウラ技が見つかるのだ。

その後その方法で見つけた私のウラ技の一部は、満員の映画館で座席を確保する方法、ジャンケンで勝つ確率を上げる方法、トランプのさまざまなゲームで勝つ方法、等々またいつか書く機会があるだろう。

私の人生にとって最も重要な事は、高校2年生の夏休み、画家になろうと決めたときの事で、芸術という何処からどう手を付けてよいか分からない困難な世界に、自分の人生を賭けようとしたときに、小学生の自分が自力でギンヤンマを捕った、つまり、教えられたのではなく、自力で、世界の構造を知ったという事が大きな自信となって、その方法で努力すれば、自分も芸術家にきっとなれるはずだという、根拠のない、めちゃくちゃで無謀な決断となったのだ。(2000年9月)

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