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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

読書ノート(2013年)全

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読書ノート(2013年)

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『正法眼蔵随聞記』懐奘編 和辻哲郎校訂 岩波文庫

正法眼蔵随聞記第一

■一日示して云く、人其家に生れ其道に入らば、先づ其家業を修すべしと、知(しる)べきなり。我道にあらず己(おの)が分(ぶん)にあらざらんことを知り修するは即ち非なり。今も出家人として便(すなは)ち仏家(ぶっけ)に入り僧侶とならば須(すべから)く其業を習ふべし。其業を習ひ其儀を守ると云(いふ)は、我執をすてゝ知識の教に随ふなり。吾我(ごが)を離るゝには、無常を観ずる是れ第一の用心なり。世人多く、我はもとより、人にもよしと云はれ思はれんと思ふなり。然(しか)あれども能(よく)も云はれ思はれざるなり。次第に我執を捨て知識の言(ことば)に随ひゆけば、精進するなり。理をば心得たるように云(いひ)て、さはさにあれども我は其事を捨てえぬと云て、執(いふ)し好み修(しふ)するは、弥(いよい)よ沈淪(ちんりん)するなり。禅僧の能(よ)くなる第一の用心は、只菅打坐(しくわんたざ)すべきなり。利鈍賢愚を論ぜず、坐禅すれば自然(じねん)によくなるなり。(20頁)

■夜話に云く、悪口(あくく)を以て僧を呵嘖(かしやく)し毀呰(きし)すること莫れ。設(たと)ひ悪人不当なりとも左右(そう)なむ悪(に)くみ毀(そし)ることなかれ。先ずいかにわるしと云(いふ)とも、四人巳上集会(しふえ)しぬればこれ僧体にて国の重宝(ぢゆうはう)なり。最も帰敬(ききやう)すべきものなり。若(もしく)は師匠知識にてもあれ、弟子不当ならば慈悲心老婆心にて教訓誘引すべし。其時設(たと)ひ打(うつ)べきを打ち、呵嘖すべきを呵嘖すとも、毀訾謗言(きしぼうごん)の心を発(おこ)すべからず。先師(せんじ)天童浄和尚住持(ぢゆうぢ)のとき、僧堂にて衆僧(しゆそう)坐禅の時、眠りを誡(いま)しむるに、履(くつ)を以て打ち謗言呵嘖(ぼうごんかしやく)せしかども、衆僧(しゆそう)皆打たるゝを喜び讃歎(さんだん)しき。有時(あるとき)亦上堂の次(つい)でに云く、我れ既に老後、今は衆(しゆ)を辞し菴に住して老を扶けて居るべけれども、衆(しゆ)の知識として各(おのおの)の迷(まよひ)を破り道(どう)を授けんがために住持人(ぢゆうぢにん)たり。是に依(より)て或は呵嘖(かしやく)の詞(こと)ばを出(いだ)し、竹箆(しつぺい)打擲(ちやうちやく)等のことを行ず。是頗る怖れあり。然あれども、仏に代(かはつ)て化儀(けぎ)を揚(あぐ)る式なり。諸兄弟(しよひんでい)慈悲を以て是を許し給(たま)へと言(いへ)ば、衆僧皆流涕(るでい)しき。此(かく)の如きの心を以てこそ衆(しゆ)をも接し化をも宣(のぶ)べけれ。住持長老なればとて、乱(みだり)に衆を領じ我が物に思ふて呵嘖(かしやく)するは非なり。況や其人にあらずして人の短処を云ひ他の非を謗るは非なり。能能(よくよく)用心すべきなり。他の非を見て悪(あ)しゝと思ふて慈悲を以て化せんと思はゞ、腹立(はらたつ)まじきやうに方便して、傍(かたは)ら事(ごと)を云ふようにてこしらふべきなり。(24~25頁)

正法眼蔵随聞記第二

■故公胤(こういん)僧正の云く、道心と云ふは一念三千の法門なんどを胸に学し入れてもちたるを道心と云ふなり。なにと無く笠を頸に懸けて迷ひありくをば天狗魔縁の行と云ふなり。(48頁)

■夜話に云く、今此国の人は、多分、或ひは行儀につけ、或ひは言語(ごんご)につけ、善悪(ぜんなく)是非世人の見聞識知を思ふて、其の事をなさば人悪しく思ひてん、其の事は人善しと思ひてんと、乃至向後(きやうこう)までをも執(しふ)するなり。是れ全く非なり。世間の人必ずしも善とすることあたはず。人はいかにも思はゞ思へ、狂人とも云へ、我が心に仏道に順じたらんことをばなし、仏法(ぶつぽふ)に順ぜずんば行(ぎやう)ぜずして、一期をも過ごさば、世間の人はいかに思ふとも苦るしかるべからず。遁世と云(いふ)は世人の情を心にかけざるなり。たゞ仏祖の行履菩薩の慈悲を学して、諸天善神の冥(ひそか)に照す所を慚愧(ざんぎ)して、仏制(ぶつせい)に任(まか)せて行(ぎやう)じもてゆかば、一切苦るしかるまじきなり。さればとて亦人の悪しゝと思ひ云(いは)んも苦るしかるべからずとて、放逸にして悪事を行じて人を愧(はぢ)ざるは、是れ亦非なり。たゞ人目にはよらずして一向に仏法に依りて行ずべきなり。仏法の中には亦然(しか)のごとき放逸無慚をば制するなり。(56~57頁)

■一日学人(がくにん)問て云く、某甲(それがし)なを学道を心にかけて年月を経(ふ)るといへども、いまだ省悟の分あらず。古人多く聡明霊利に依らず、有智明敏を用ひずと云ふ。然(しか)あれば我が身、下根劣器なればとて卑下すべきにもあらずときこへたり。若し故実用心(注;コゝロモチ)を存ずべき様ありや、如何ん。

示して云く、然(しか)あり。有智(うち)高才を用ひず、聡明霊利によらぬは、まことの学道なり。あやまりて盲聾痴人(まうろうちにん)のごとくなれとすゝむるは非なり。学道は是れ全く多聞高才を用ひぬ故へに、下根劣器と嫌ふべからず。誠の学道はやすかるべきなり。然(しか)あれども大宋国の叢林(そうりん)にも、一師の会下(えか)の数百千人の中に、まことの得道得法の人はわずかに一人二人なり。然(しか)あれば故実用心もあるべきなり。今ま是を案ずるに志の至(いたる)と至らざるとなり。真実の志しを発(おこ)して随分に参学する人、得ずと云ふことなきなり。その用心の様は、何事を専(もっぱら)らにしその行(ぎょう)を急(すみやか)にすべしと云(いふ)ことは、次のことなり。先ず只欣求(ごんぐ)の志しの切なるべきなり。譬(たと)へば重き宝をぬすまんと思ひ、強き敵をうたんと思ひ、高き色にあはんと思ふ心あらん人は、行住坐臥(ぎようぢゆうざぐあ)、ことにふれおりに随(したがつ)て、種種の事はかはり来るとも其れに随て、隙(すきま)を求め心に懸くるなり。この心あながち切なるもの、とげずと云ふことなきなり。此(かく)の如く道(どう)を求(もとむ)る志し切になりなば、或は只菅打坐(しくわんたざ)の時、或は古人の公案に向はん時、若(もしく)は知識に逢はん時、実(まこと)の志しを以て行ずる時、高くとも射つべく深くとも釣りぬべし。是れほどの心ろ発(おこ)らずして、仏道の一念に生死(しょうじ)の輪廻をきる大事をば如何んが成(じやう)ぜん。若し此の心あらん人は、下智劣根をも云はず、愚痴悪人をも論ぜず、必ず悟りを得べきなり。亦此の志しをおこす事は切に世間の無常を思ふべきなり。此の事は亦只仮令(けりやう)の観法(くわんぽふ)なんどにすべきことにあらず。亦無きことをつくりて思ふべきことにもあらず。真実に眼前の道理なり。人のおしへ、聖教(しょうげう)の文(もん)、証道の理を待つべからず。朝(あした)に生じて夕ふべに死し、昨日(きのふ)みし人今日(けふ)はなきこと、眼に遮り耳にちかし。是は他のうへにて見聞することなり。我が身にひきあてゝ道理を思ふに、たとひ七旬八旬に命を期(ご)すべくとも、終(つひ)に死ぬべき道理に依(よつ)て死す。其の間の憂へ楽しみ、恩愛(おんない)怨敵(をんてき)等を思ひとげばいかにでもすごしてん。只仏道を信じて涅槃の真楽を求むべし。況や年(とし)長大せる人、半ばに過ぬる人は、余年幾く計(ばか)りなれば学道ゆるくすべきや。此の道理も猶(なほ)のびたる事なり。真実には、今日今時こそかくのごとく世間の事をも仏道の事をも思へ、今夜明日よりいかなる重病をも受て、東西をも弁へぬ重苦の身となり、亦いかなる鬼神の怨害(をんがい)をもうけて頓死をもし、いかなる賊難にもあひ怨敵も出来て殺害(せつがい)奪命(だつみやう)せらるゝこともやあらんずらん。実(まこと)に不定(ふぢやう)なり。然(しか)あれば是れほどにあだなる世に、極て不定なるなる死期(しご)をいつまで命ちながらゆべきとて、種種の活計を案じ、剰(あまつ)さへ他人のために悪をたくみ思て、いたづらに時光を過すこと、極めておろかなる事なり。此の道理真実なればこそ、仏も是れを衆生の為に説きたまひ、祖師の普説法語にも此の道理のみを説(とか)る。今の上堂請益(じやうだうしんえき)等にも、無常迅速生死事大と云ふなり。返返(かえすがえす)も此の道理を心にわすれずして、只今日今時ばかりと思ふて時光を牛なはず、学道に心をいるべきなり。其の後は真実にやすきなり。性(しょう)の上下と根(こん)の利鈍は全く論ずべからざるなり。(57~60頁)

■夜話(やわ)に云く、古人の云く、朝(あした)に道を聞いて夕べに死すとも可なりと。いま学道の人も此の心あるべきなり。曠劫多生(くわうごふたしやう)の間(あいだ)に、いくたびか徒らに生じ徒らに死せしに、まれに人身(にんじん)を受けてやまたま仏法にあへる時此の身を度せずんば、何れの生にか此の身を度せん。縦(たと)ひ身を惜みたもちたりともかなふべからず。ついに捨てゝ行く命ちを一日片時鳴りとも仏法のために捨てたらんは、永劫(やうこふ)の楽因なるべし。後のこと明日の活計を思ふて棄つべき世を捨てず、行ずべき道を行ぜずして、徒らに日夜を過すは、口惜きことなり。只思ひきりて、明日の活計なくば飢え死にもせよ、寒(こ)ごへ死にもせよ、今日(こんにち)一日道(どう)を聞て仏意(ぶつち)に随(したがつ)て死せんと思ふ心を、まづ発(おこ)すべきなり。然るときんば道(どう)を行じ得んこと一定(いちぢやう)なり。此の心なければ、世をそむき道を学する様なれども、猶(なほ)しり足をふみて夏冬の衣服(えぶく)等のことをした心(ごころ)にかけて、明日(みょうにち)猶明年の活計を思ふて仏法を学せんは、万劫(まんごふ)千生(せんしやう)学すともかなふべしともおぼへず。亦さる人もやあらんずらん、存知の意趣、仏祖の教へにはあるべしともおぼえざるなり。(61~62頁)

■夜話に云く、学人(がくにん)は必ずしぬべきことを思ふべき道理は勿論なり。たとひ其のことばを思はずとも、暫く先づ光陰を徒らに過さじと思ひて、無用のことをなして徒らに時を過さず、詮(せん)あることをなして時を過すべきなり。其のなすべきことの中にも、亦一切のこといづれか大切なると云ふに、仏祖の行履(あんり)の外はにな無用なりと知るべし。(62頁)

■夜話の次(ついで)に、奘(じやう)問て云く、父母(ぶも)の報恩等の事は作すべきや。

示して云く、孝順は最用(さいよう)なる所なり。然(しか)あれども其孝順に在家出家の別あり。在家は孝経(かうきやう)等の説を守(まもり)て生(しやう)につかへ死につかふること、世人みな知れり。出家は恩をすてゝ無為に入る故に、出家の作法は恩を報ずるに一人(いちにん)にかぎらず、一切衆生をひとしく父母(ぶも)のごとく恩深しと思ふて、なす処の善根に法界(ほつかい)にめぐらす。別して今生一世の父母(ぶも)にかぎらば無為の道(どう)にそむかん。日日の行道、時時の参学、只仏道に随順しもてゆかば、其れを真実の孝道とするなり。忌日(きにち)の追善中陰の作善なんどは皆在家に用ふる所ろなり。衲子(のっす)は父母(ぶも)の恩の深きことをば実の如くしるべし。余の一切も亦かくの如くしるべし。別して一日を占(うらなひ)てことに善を修(しゆ)し、別して一人(いちにん)を分(わかち)て廻向(えかう)するは、仏意(ぶつち)にあらざるか。戒経の父母兄弟死亡之日の文(もん)は、旦(しばら)く在家に蒙むらしむるか。大宋叢林の衆僧、師匠の忌日(きにち)には其儀式あれども、父母(ぶも)の忌日(きにち)には是を修(しゆ)したりとも見ヘざるなり。(62~63頁)

■一日示して云く、人の利鈍と云ふは志しの到らざる時のことなり、世間の人の馬より落(おつ)る時、いまだ地におちつかざる間に種種の思ひ起る。身をも損じ命ちおも失するほどの大事出来る時は、誰人も才学念慮を廻(めぐら)すなり。其時は利根も鈍根も同(おなじ)くものを思ひ義を案ずるなり。然(しか)あれば今夜死に明日死ぬべしと思ひ、あさましきことに逢ふたる思ひを作して、切にはげまし志しをすゝむるに、悟りをえずと云ふことなきなり。中々世智弁聡(べんそう)なるよりも鈍根なるやうにて切なる志しを発(ほつ)する人、速に悟りを得るなり。如来在世の周梨槃特(しゆりはんどく)のごときは、一偈(いちげ)を読誦(どくじゆ)することも難かりしかども根性切なるによりて一夏(いちげ)に証を取りき。只今ばかり我が命は存ずるなり。死なざる先きに悟を得んと切に思ふて仏法を学せんに、一人も得ざるはあるべからざるなり。(63~64頁)

■因(ちなみ)に問て云く、学人(がくにん)若し自己これ仏法なり、外に向(むかつ)て求むべからずとききて、深く此の言(ことば)を信じて、向来の修行参学を放下して、本性(ほんしやう、ムマレツキ)に任せて善悪(ぜんなく)の業(ごう、ワザ)をなして一期(いちご)を過さん、此の見解(けんげ)いかん。

示して云く、此の見解(けんげ)、言(ごん)と理と相違せり。外に向て求むべからずと云(いひ)て、行を捨て学を放下でば、此の放下の行を以て所求(しよぐ)ありときこへたり。これ覓(もと)めざるにはあらず。只行学(ぎやうがく)もとより仏法なりと証して、無所求(しよぐ)にして、世事悪業(あくごふ)等は我が心になしたくともなさず、学道修行の懶(もの)うきをもいとひかへりみず、此行を以て打成(たじやう)一片に修(しゆ)して、道成(だうじやう)ずるも果を得るも我が心より求ることなふして行ずるをこそ、外に向(むかつ)て覓(もとむ)ることなかれと云(いふ)道理にはかなふべけれ。南嶽(なんがく)の磚(せん)を磨(ま)して鏡となせしも、馬祖の作仏を求めしを戒めたり。坐禅を制するにはあらざるなり。坐はすなはち仏行なり、坐はすなはち不為なり。是れ便ち自己の正体なり。此の外別に仏法の求むべき無きなり。(65頁)

■一日請益(しんえき)の次(つい)でに云く、近代の僧侶、多く世俗に随ふべしと云ふ。今思ふに然あらず。世間の賢すらなを民俗にしたがうことをけがれたることと云ひて、屈原の如きんば世は挙(こぞつ)て皆よへり我は独り醒(さめ)たりとて、民俗に随はずして、終(つひ)に滄浪に没す。況や仏法は事と事とみな世俗に違背(いはい)せるなり。俗は髪を飾る、僧は髪を剃る。俗は多く食(じき)す、僧は一食(じき)す。皆そむけり。然(そかう)して後に還(かえつ)て大安楽の人となりなる。故へに僧は一切世俗にそむけるなり。(65~66頁)

■亦云く、我れ大宋天童禅院に寓居せし時、浄老宵(よひ)には二更の三点まで坐禅し、暁は四更の二点三点よりおきて坐禅す。長老と共に僧堂裡(り)に座す。一夜も懈怠(けだい)なし。其の間だ、衆僧(しゆそう)多く眠る。長老巡り行て睡眠する僧をば或ひは拳を以て打ち、或ひは履(くつ)をぬいで打ち、恥かしめ進めて眠りを醒す。猶(な)を眠る時は照堂に行て鐘を打ち、行者(あんじや)を召し蠟燭をともしなんどして、卒時に普説して云く、僧堂裡に集り居て徒らに眠りて何の用ぞ。然(しか)あらば何ぞ出家して入叢林(につそうりん)するや。見ずや、世間の帝王官人、何人か身をたやすくする。君は王道を治め臣は忠節を尽し、乃至庶民は田を開き鍬(くわ)を取るまでも何人かたやすくして世を過す。是れをのがれて叢林に入(いつ)て空しく時光を過して、畢竟(ひつきやう)じて何の用ぞ。生死(しやうじ)事大なり、無常迅速なりと教家も禅家も同く勧(すす)む。今夕(こんせき)明旦如何なる死をか受け如何なる病をかうけん。且(しばら)く存ずるほど、仏法を行ぜず、眠り臥して空(むなし)く時を過すこと最も愚なり。かくの如くなる故に仏法は衰へ行くなり。諸方仏法の盛んなりし時は、叢林皆坐禅を専らにせしなり。近代諸方坐禅を勧め澆薄しゆくなりと。かくの如くの道理を以て衆僧(しゆそう)をすゝめて坐禅せしめられしこと、まのあたり是れを見しなり。今の学人(がくにん)も彼の風(ふう)を思ふべし。亦或る時き、近仕の侍者等云く、僧堂裡の衆僧(しゆそう)、眠りつかれて或ひは病ひ起り退心も起りつべし、これ坐の久き故か、坐禅の時剋を縮められばやと申しければ、長老大に嗔りて云く、然あるべからず。無道心の者の仮令(けりやう)に居(こ)するは半時片時(へんし)なりとも猶を眠るべし。道心ありて修行の志し有らんは、長からんにつけていよいよ喜び修(しゆ)せんずるなり。我れ弱(ワ)かゝりし時諸方の長老を歴観せしに、ある長老此(かく)の如く勧めて云く、巳前は眠る僧をば拳も欠(かけ)なんとするほどに打ちたるが、今は老後になりてちからよはくなりて、つよくも打ち得ざるほどに、よき僧も出来(いできた)らざるなり。諸方の長老も坐を暖く勧(すすむ)る故に仏法は衰微せるなり。我は弥(いよいよ)打(うつ)べきなり、とのみ示されしなり。(68~69頁)

■亦云く、道(どう)を得ることは心を以て得るか、身を以て得るか。教家(けうけ)等にも身心一如(しんじんいちにょ)と云(いひ)て、身を以て得るとは云へども、猶(なほ)一如(いちにょ)の故にと云ふ。しかあれば正(まさし)く身の得ることはたしかならず。今我が家(け)は身心(しんじん)ともに得るなり。其の中に心を以て仏法を計校(けこう、モクロミ)する間は、万劫千生(まんごふせんしやう)得べからず。心を放下して知見解会(ちけんげえ)を捨(すつ)る時得るなり。見色明心聞声悟道(けんしきみやうしんもんしやうごだう)の如きも、猶を身の得るなり。然(しか)あれば心の念慮知見を一向に捨て只菅打坐(しくわんたざ)すれば道(どう)は親しみ得るなり。然あれば道を得ることは正(まさ)しく身を以て得るなり。是に依(よつ)て坐を専らにすべしと覚(おぼ)へて勧むるなり。(69~70頁)

正法眼蔵随聞記第三

■夜話に云く、今時世人を見る中に、果報もよく家をも起す人は、皆心の正直に人の為によき人なり。故に家をも保ち子孫までも昌ゆるなり。心に曲節ありて人の為に悪き人は、設(たと)ひ一旦は果報もよく家も保てる様なれども、終(つひ)にはあしきなり。設(たと)ひ亦一期は無事にして過す様なれども、子孫必ず衰微するなり。亦人のために善きことをして、其の人によしと思はれ喜びられんと思ふてするはあしきに比(ひ)すれば勝(す)ぐれたるに似たれども、猶を是は自身を思ふて人のために真(まこと)によきにはあらざるなり。其の人には知られざれども、人のために好き事をなし、乃至未来までも誰れが為と思はざれども、人の為によからん事をしをきなんどするを誠との善人とは云ふなり。況や衲僧(なふそう)は是にこへたる心をもつべきなり。衆生を思ふ事親疎を分たず、平等の済度の心を存じ、世出世間(せしゆつせけん)の利益(りやく)すべて自利を思はず人にも知られず喜こびられずとも、只人の為によきことを心の中に作(な)して、我れはかくの如くの心もちたると人に知られざるなり。此の故実はまづ世を捨て身を捨つべきなり。我が身をだにも真実に捨てぬれば、人にとく思はれんと謂(おも)ふ心は無きなり。然あればとて亦人はなにとも思はゞ思へとて、悪しきことを行じ放逸ならんは亦仏意(ぶつち)に背くなり。只よき事を行じ人の為に善事をなして代りを得んと思ひ我が名を顕はさんと思はずして、真実無所得にして、利生の事をなす。即ち吾我を離るゝ、第一の用心なり。此の心を存ぜんと思はゞまづ無常を思ふべし。一期は夢の如し。光陰は早く移る。露の命ちは消へ易し。時は人を待ざるならひなれば、只しばらく存じたるほど、聊(いささ)かのことにつけても人の為によく仏意(ぶつち)に順(したが)はんと思ふべきなり。(72~74頁)

■夜話に云く、学道の人は最も貧なるべし。世人を見るに財ある人はまづ嗔恚(しんに)〈注;自分の心に違うものをいかりうらむこと〉耻辱の二つの難定めて来るなり。宝らあれば人是を奪ひ取らんと思ふ、我は取られじとする時、嗔恚(しんに)たちまちに起る。或は是を論じて問答対決に及びついには闘諍(とうじやう)合戦(かっせん)をいたす。かくの如くのあひだに嗔恚(しんに)も起り耻辱も来るなり。貧にして貪らざる時は先ず此の難を免れて安楽自在なり。証拠眼前なり。教文(けうもん)を待(まつ)べからず。爾(しか)のみならず古聖(こしやう)先賢是を謗(そし)り諸天仏祖皆な是を恥かしむ。然あるに愚痴なる人は財宝を貯へそこばくの嗔恚(しんに)をいだくこと、耻辱の中の耻辱なり。貧しふして道(どう)を思ふは先賢古聖(こしやう)の仰ぐ所、諸仏諸祖の喜ぶ所ろなり。近来仏法の衰微しゆくこと眼前にあり。予始て建仁寺に入りし時見しと、後七八年過て見しと、次第にかはりゆくことは、寺の寮寮に塗籠をおき、各各(おのおの)器物(きもつ)を持し美服を好み財物(ざいもつ)を貯へ、放逸の言語(ごんご)を好み、問訊(もんじん)礼拝(らいはい)等の衰微することを以て思ふに、余所(よそ)も推察せらるゝなり。仏法者は衣盂(えう)の外に財宝等を一切持べからず。なにを置かんが為に塗籠をしつらふべきぞ。人にかくすほどの物をばもつべからざるなり。盗賊等を怖るゝ故にこそかくし置(おか)んと思へ、捨て持たざれば還(かへつ)てやすきなり。人をば殺すとも人には殺されじと思ひ定めつれば、用心もせられず盗賊も愁へられざるなり。時として安楽ならずと云ふことなし。(74~75頁)

■僧の云く、唐土の寺院には定まりて僧祗物(ぎもつ)あり常住物(じやうぢゆうもつ)等ありて置れたれば、僧の為に行道の資緑となりて其の煩(わずら)ひなし。此の国は其の義なければ、一向捨棄せられては仲中行道の違乱とやならん。かくの如くの衣食(えじき)資緑を思ひあてゝあらばよしと覚ゆ、いかん。

示して云く、然あらず。中中唐土よりは此の国の人は無理に僧を供養じ非分に人に物を与ふることあるなり。先づ人は知らず、我れは此の事を行じて道理を得たるなり。一切一物も持たず、思ひあてがふことも無ふして、十余年過ぎ了りぬ。一分(いちぶん)も財を貯へんと思ふこそ大事なれ。僅の命をいくるほどのことは、いかにと思ひ財へざれども天然としてあるなり。人皆な生分あり、天地是れを授く。我れ走り求めざれども必ず有(ある)なり。況や仏子は如来遺嘱(ゆいしよく)の福分あり、不求(ふぐ)自得なり。只一向にすてゝ道を行ぜば、天然これあるべし。是れ現証なり。(82~83頁)

■亦云く、学道の人、多分云ふ、若し其のことをなさば世人是を謗(ぼう)ぜんかと。此の条太(はなはだ)非なり。世間の人いかに謗(ぼう)ずるとも、仏祖の行履(あんり)、聖教(しやうげう)の道理ならず、祖師も行ぜざることならば、依行(えぎやう)すべからず。其れ故に世人の親疎我れをほめ我れを誹(そし)ればとて彼の人の心ろに随ひたりとも、我が命終(みやうじゆう)の時悪業のも引れ悪道へ落なん時、彼の人いかにも救ふべからず。亦設(たと)ひ諸人に謗ぜられ悪(にく)まれるゝとも、仏祖の道に依行せば、真実に我れをたすけられんずれば、人の謗ずればとて道を行ぜざるべからず。亦かくの如く謗じ讃ずる人、必ずしも仏祖の行を通達(つうだつ)し証得せるにあらず。なにとしてか仏祖の道を世の善悪(ぜんなく)を以て判ずべき。然あれば世人の情には順(したが)ふべからず。只仏道に依行すべき道理ならば一向に依行すべきなり。(83頁)

■亦ある僧云く、某甲(それがし)老母現在せり。我れは即ち一子なり。ひとへに某甲(それがし)が扶持に依りて渡世す。恩愛(おんない)もことに深し。孝順の志しも深し。是れに依(よつ)ていさゝか世に随ひ人に随ふて、他の恩力を以て母の衣糧(えりやう)にあつ。我れ若し遁世籠居(とんせいろうきよ)せば母は一日の活命(くわつみやう)も存じ難し。是れに依(よつ)て世間にありて一向仏道に入らざらんことも難事なり。若し猶も捨てゝ道に入るべき道理あらば其の旨いかなるべきぞ。

示して云く、此こと難事なり。他人のはからひに非ず。たゞ自ら能々(よくよく)思惟(しゆい)して誠に仏道に志し有らば、いかなる支度(したく)方便をも案じて毋儀(ぼぎ)の安堵活命をも支度(したく)して仏道に入らば、両方倶(とも)によき事なり。切に思ふことは必ずとぐるなり。強き敵、深き色、重き宝らなれども、切に思ふ心ふかければ、必ず方便も出来(いでく)る様あるべし。是れ天地善神(ぜんじん)の冥加もありて必ず成(じやう)ずるなり。曹渓(さうけい)の六祖は新州の樵人(せうじん)にて薪を売て母を養ひき。一日市(いち)にして客の金剛経を誦(じゆ)するを聴て発心し、母を辞して黄梅(わうばい)に参ぜし時、銀酢十両を得て毋儀の衣糧(えりやう)にあてたりと見えたり。是れも切に思ひける故の天の与へたりけるかと覚ゆ。能々(よくよく)思惟(しゆい)すべし。是れ最(もつ)ともの道理なり。毋儀の一期の待(まち)て其の後障碍(しやうげ)なく仏道に入らば次第本意の如くにして神妙なり。しかあれども亦知らず、老少不定(すぢやう)なれば、若し老母は久くとゞまりて我は先に去ること出来(いできた)らん時に、支度(したく)相違せば、我れは仏道に入らざることをくやみ、老母は是れを許さゞる罪に沈(しづみ)て、両人倶(とも)に益なふして互いに罪を得ん時いかん。若し今生(しやう)を捨てゝ仏道に入りたらば、老母は設(たと)ひ餓死すとも、一子を放(ゆ)るして道(どう)に入らしめたる功徳、豈に得道の良縁にあらざらんや。尤(もつと)も曠劫多生にも捨て難き恩愛(おんない)なれども、今生人身(にんじん)を受(うけ)て仏教にあへる時捨てたらば、真実報恩者の道理なり。なんぞ仏意(ぶつち)にかなはざらんや。一子出家すれば七世の父母得道すと見えたり。何ぞ一世の浮生の身を思ふて永劫安楽の因を空(むなし)く過さんやと云(いふ)道理もあり。是らを能々(よくよく)自ら計らふべし。(83~85頁)

正法眼蔵随聞記第四

■亦示して云く、学人(がくにん)の第一の用心は先ず我見を離るべし。我見を離るゝと云ふは、此の身を執(しふ)すべからず。設(たと)ひ古人の語話(ごわ)を究め常坐鉄石の如くなりとも、此の身に著(ぢやく)して離れずんば、万劫千生にも仏祖の道を得べからず。いかに況や、権実(ごんじつ)の教法、顕密の正教(しやうげう)を悟り得たりと云(いふ)とも、身を執するこゝろを離れずんば徒らに他の宝を数(かぞへ)て自ら半銭の分なし。只請ふらくは学人静坐(じやうざ)して、道理を以て此の身の始終を尋ぬべし。身体髪膚(はつふ)は父母(ぶも)の二滴、一息とゞまりぬれば山野に離散して終に泥土となる。何を持てか身と執(しふ)せん。況や法を以て見れば、十八界の聚散(じゆさん)、いづれの法をか決定(けつぢやう)して我が身とせん。教内教外(けうないけうげ)別なりとも、我が身の始終不可得なることを行道の用心とすること、是れ同じゝ。先づ此の道理に達すれば寔(まこと)の仏道顕然(けんねん)なるものなり。(88~89頁)

■嘉禎二年臘月(らふげつ)除夜、始て懐奘(えじやう)を興聖寺(こうしやうじ)の首座(しゆそ)に請(しやう)ず。即ち小参(せうさん)の次(つい)で、初て秉払(ひんぽつ)を首座(しゆそ)に請ふ。是れ興聖寺(こうしやうじ)最初の首座(しゆそ)なり。小参の趣きは、宗門の仏法伝来の事を挙揚(こやう)するなり。初祖西来して、少林に居(こ)して機をまち、時を期(ご)して面壁(めんぺき)して坐せしに、某(なにがし)の歳の窮臘(きゆうらふ)に神光来参しき。初祖最上乗の器(き)なりと知(しり)て衣法(えほふ)共に相承(さうじよう)伝来して、児孫天下に流布し、正法(しやうぼふ)今日(こんにち)に弘通(ぐつう)す。当寺初て秉払(ひんぽつ)を行なはしむ。衆(しゆ)の少なきを憂ふること莫れ。身の初心なるを顧みることなかれ。汾陽(ふんやう)は僅に六七人、薬山(やくさん)は十衆(じつしゆ)に満たざるなり。然あれども皆仏祖の道を行じき。是を叢林のさかんなると云き。見ずや、竹の声に道(どう)を悟り、桃の花に心を明(あき)らむ。竹豈に利鈍あり迷悟あらんや。花何ぞ浅深あり賢愚あらん。花は年年に開くけれども人みな得悟するに非ず。竹は時時(じじ)に響けども聞く者尽(ことごと)く証道(しやうだう)するにあらず。たゞ久参(きうさん)修持(しゆぢ)の功により、弁道勤労(ごんらう)の縁を得て、悟道明心(みやうしん)するなり。是れ竹の声の独り利なるにあらず。亦花の色の殊に深きにあらず。竹の響き妙なりと云へども自ら鳴らず、瓦らの縁をまちて声を起こす。花の色(い)ろ美なりと云へども独り開くるにあらず、春風を得て開くるなり。学道の縁もまたかくの如し。此の道(だう)は人人(にんにん)具足(ぐそく)なれども、道を得る事は衆縁(しゆえん)による。人人(にんにん)利(り)なれども、道を行ずることは衆力(しゆりき)を以てす。ゆえに今ま心をひとつにし志をもつぱらにして、参究尋覓(さんきうじんみやく)すべし。玉は琢磨によりて器となる。人は錬磨によりて仁となる。いづれの玉か初より光ある。誰人か初心より利なる。必ずすべからくこれ琢磨し錬磨すべし。自ら卑下して学道をゆるくすることなかれ。古人の云く、光陰空くわたることなかれと。今問ふ、時光は惜むによりてとゞまるか。惜めどもとゞまらざるか。すべからくしるべし。時光は空(むなし)くわたらず、人は空くわたることを。人も時光とおなじくいたづらに過すことなく、切に学道せよと云ふなり。かくのごとく参究を同心にすべし。我れ独り挙揚(こやう)するも容易にするにあらざれども、仏祖行道の儀、大概みなかくの如くなり。如来の開示に随ひて得道するもの多けれども、亦阿難(あなん)によりて悟道する人もありき。新首座(しゆそ)非噐なりと卑下することなかれ。洞山(とうざん)の麻(ま)三斤(さんぎん)を挙揚(こよう)して同衆(どうしゆ)に示すべしと云(いひ)て、座を下(くだつ)て後ち再び鼓(く)を鳴らして首座(しゅそ)秉払(ひんぼつ)す。是れ興聖(こうしやう)最初の秉払(ひんぽつ)なり。懐奘(えじやう)三十九の歳なり。(89~91頁)

■一日示して云く、俗人の云く、何人か好衣(こうえ)を望まざらん、誰人か重味を貪ぼらざらん。然あれども道を存ぜんと思ふ人は、山に入り雲に眠り寒むきをも忍び飢へをも忍ぶ。先人苦しみなきに非ず、是れを忍びて道を守ればなり。後人是れを聴(きき)て道を慕ひ徳を仰ぐなり。俗すら賢なるは猶をかくの如し。仏道豈に然らざらんや、古人もみな金骨にはあらず。在世もことごとく上器にははあらず。大小の律蔵によりて諸の比丘(びく)をかんがふるに、不可思議(オモヒヨラヌ)の不当の心を起すもありき。然あれども後には皆得道し羅漢となれりと見へたり。しかあれば我れらも賤く拙なしと云ふとも、発心修行せば決定(けつぢやう)得道すべしと知て、即ち発心するなり。古へも皆な苦を忍び寒にたえて、愁ひながら修行せしなり。今の学者苦しく愁るとも只しひて学道すべきなり。(91~92頁)

■示して云く、愚痴なる人は其詮(せん)なきことを思ひ云ふなり。此こにつかはるゝ老尼公ありけるが、当時(イマ)いやしげにして在るをはづる顔にて、ともすれば人に向(むかつ)ては、昔しは上臘にてありしよしをかたる。たとひ而今(いま)の人にさもありと思はれたりとも、なんの用とも覚へぬ、甚だ無用なりとおぼゆるなり。皆人の思はくは此の心あるかと覚ゆるなり。道心の無きほども知られたり。是れらの心を改ためて少し人には似るべきなり。亦有る入道の究て無道心なるあり。去り難き知音(ちいん)にてある故に、道心おこらんこと仏神に祈誓(きせい)せよと云はんと思ふ。定て彼れ腹立して中をたがふことあらん。然あれども道心を発(おこ)さゞらんには得意(ネンゴロ)にてもたがひに詮なかるべし。(94~95頁)

■示して云く、善悪ち云ふこと定め難し。世間の人は綾羅錦繍(りようらきんしう)をきたるをよしと云ふ。麁布糞掃衣(そふふんぞうえ)をわるしと云ふ。仏法には此れをよしとし清しとし、金銀錦綾をわるしとしけがれたりとす。かくの如く一切のことにわたりて皆然り。予が如きも聊(いささ)か韻声(いんせい)をとゝのへ文字をかきすぐるゝを俗人等は尋常ならぬことに云(いふ)もあり。亦有(ある)人は、出家学道の身としてかくの如きのこと知れるとそしる人もあり。いづれをか定めて善として取り悪としてすつべきぞ。文(もん)に云く、ほめて白品(びやくほん)の中にあるを善と云ふ、そしりて黒品(こくほん)の中におくを悪と云ふと。亦云く、苦を受くべきを悪と云ふ、楽をまねくべきを善と云ふと。かくの如く子細に分別して真実の善を見て行じ、真実の悪を見てすつべきなり。僧は清浄(しやうじやう)の中より来れるものなれば、人の欲を起すまじきものを以てよしとしきよしとするなり。(99頁)

■示して云く、世間の人多分云く、学道のこゝろざしあれども世は末世なり、人は下劣なり、如法(によほふ)の修行にはたゆべからず、只随分にやすきにつきて結縁(けちえん)を思ひ、他生に開悟を期(ご)すべしと。今ま云ふ、此の言(ことば)は全く非なり。仏教に正像末を立(たつ)ること暫く一途(いちづ)の方便なり。在世の比丘必ずしも皆すぐれたるにあらず。不可思議に希有にあさましく下根なるもありき。故に仏け種々の戒法等をまふけ玉ふこと、皆わるき衆生下根の為なり。人人皆な仏法の器(き)なり。かならず非噐なりと思ふことなかれ。依行せば必ず証を得べきなり。既に心あれば善悪を分別しつべし。手あり足あり合掌歩行にかけたる事あるべからず。しかあれば仏法を行ずるには器をえらぶべきにあらず。人外の生は皆な是器量なり。余の畜生等の生にてはかなふべからず。学道の人只明日を期(ご)することなかれ。今日今時ばかり仏法に随て行じゆくべきなり。(100頁)

■一日有る客僧問て云く、近代遁世の法は各の各の斎料等のことをかまへ用意して、後のわづらひなきやうに支度す。是れ小事なりと云へども学道の資縁なり。かけぬればことの違乱出来たる。今師の御様(おんさま)を承り及ぶには、一切其の支度なく只天運にまかすと。若し実(まこと)にかくのごとくならば後時(ごじ)の違乱あらんか、いかん。

答て云く、事皆な先証あり。敢て私曲を存ずるにあらず。西天東地の仏祖、皆かくの如し。白毫(びやくがう)一分(いちぶん)の福の尽(つく)る期(ご)あるべからず。何ぞ私に活計をいたさん。亦明日の事はいかにすべしとも定め図り難し。此の様は仏祖のみ行じ来れる所ろにて私なし。若し事(こ)と闕如(けつじよ)して絶食(ぜつじき)せば其の時にのぞんで方便をもめぐらさめ。兼て是を思ふべきことにはあらざるなり。(102頁)

正法眼蔵随聞記第五

■一日示して云く、仏法の為には身命(しんみやう)を惜しむことなかれ、俗猶(な)を道(みち)の為には身命(みやう)をすて、親族をかへりみず忠を尽し節を守る。是を忠臣とも云ひ賢者とも云ふなり。昔し漢の高祖隣国といくさを起す時、ある臣下の母敵国にありき。官軍も二た心有らんかと疑ひき。高祖も、かれ若し母を思ひて敵国へさることもやあらんずらん、若しさあらば軍(いくさ)やぶるべしとてあやぶむ。爰(ここ)に彼の母も、我が子もし我れによりて我が国へ来ることもやあらんかとおもひ、誡(いましめ)ていはく、われによりていくさの忠をゆるくすることなかれ、我れもしいきていたならば汝ぢ二た心ろもやあらんと云ひて、剣に身を投げてうせてげり。其の子本よりふた心ろなかりしかば、其のいくさに忠節を致す志し深かりけると云ふ。況(いはん)や衲子(のつす)の仏道を存ずるも、必(かならず)しも二た心無き時、まことに仏道に契(かな)ふべし。仏道には慈悲智慧本よりそなはる人もあり。設(たと)ひ無きひとも学すれば得(うる)なり。只身心(しんじん)を倶(とも)に放下して、仏法の大海(だいかい)に廻向(えかう)して、仏法の教に任せて、私曲を存ずることなかれ。亦漢の高祖の時、ある賢臣の云く、政道の理乱はなはの結ぼふれるを解くが如し。急にすべからず。能々(よくよく)道理を心得て行ずべきなり。法門を能く心ろふる人は、必ず強き道心ある人よく心得(こころうる)なり。いかに利智聡明なる人も、無道心にして吾我(ごが)をも離れえず名利をも棄(すて)えぬ人は、道者ともならず、正理をも心ろ得ぬなり。(105~106頁)

■一日僧問て云く、智者の無道心なると無智の有道心(うだうしん)なると、始終いかん。答て云く、無智の有道心は終に退すること多し。智慧ある人は無道心なれども終には道心を起すなり。当世も現証是れ多し。然あれば先ず道心の有無を云はず、学道を勤むべきなり。道を学せば只だ貧なるべし。内外(ないげ)の書籍(しよじやく)を見るに、貧ふして居所(きよしよ)もなく、或は滄浪の水に浮び、或は首陽の山にかくれ、或は樹下(じゆげ)露地に端坐し、或は塚間(ちよげん)深山に卓菴する人もあり。亦富貴にして財多く、朱漆をぬり金玉をみがきて宮殿等を造るもあり。倶(とも)に典籍(てんじやく)にのせたり。然といへども後代をすゝむるには皆貧にして財なきを以て本とす。謗(そし)りて罪業を誡(いまし)むるには、富て財多きを驕者(けうしや)の者と云て誹(そし)れるなり。(110頁)

■示して云く、古へに謂(いは)ゆる君子の力は牛に勝れり、然あれども牛とあらそはずと。今の学人、我が智慧(ちえ)才学人(ひと)に勝れたりと存ずるとも、人と諍論(じやうろん)を好むことなかれ。亦悪口(あくく)を以て人を呵嘖(かしやく)し、怒目(どもく)を以て人を見ることなかれ。今時の人、多く財をあたへ恩を施せども、嗔恚(しんに)を現じ悪口を以て謗言する故に、必ず逆心を起すなり。昔真淨文和尚(しんじやうぶんをしやう)、衆に示して云く。我むかし雲峰とちぎりをむすんで学道せしきとき、雲峰同学と法門を論じ、衆領(しゆれう)にてたがひに高声(かうしやう)に論談し、ついには互に悪口に及び諠譁(けんくわ)しき。諍論(じやうろん)已(すで)にやんで雲峰我れに謂て云く、我と汝と同心同学なり、契約浅からず、何が故ぞ我れ人とあらそふに口入(くちいれ)をせざるやと。我れそのとき揖(いつ)して恐惶(きようくわう)せるのみなり。其の後彼も一方の善知識たり、我れも今住持たり。往日(そのかみ)おもへらく、雲峰の論談、畢竟(ひつきやう)無用なり。況や諍論(じやうろん)は定りて僻事(ひがごと)なり。諍(あらそ)ふて何の用ぞと思ひしかば、我は無言にして止りぬと云云。今の学人も最もこれを思ふべし。学道勤労(ごんらう)の志しあらば時光を惜(おしみ)て学道すべし。何の暇(いと)まありてか人と諍論(じやうろん)すべき。畢竟じて自他共に無益なり。法門すらしかなり。何かに況や世間の事において無益の論をなさんや。君子の力ら牛に勝れりといへども牛と諍(あら)そはず。我れ法を知れり、彼に勝れたりと思ふとも、論じて人を掠(かす)め難ずべからず。若し真実の学道の人ありて法を問はゞ、法を惜むべからず。為に開示すべし。然あれども猶それも三度(みたび)問はれて一度(ひとたび)答ふべし。多言閑語(たごんかんご)することなかれ。我れも此の真淨の語を見しより後、尤(もつと)も此咎(とが)は我身にもあり、是れ我をいさめらるゝと思ひし故に、以後終(つひ)に他と法門の諍論(じやうろん)せざるなり。(111~112頁)

■示して云く、古人多くは云ふ、光陰空しく度(わた)ること莫れ。亦云く、時光徒らに過すことなかれと。今学道の人須(すべから)く寸陰を惜むべし。露命消やすし、時光速かにうつる、暫くも存ずる間だ余事を管ずることなかれ。唯(ただ)須(すべから)く道(どう)を学すべし。今時の人、或は父母(ぶも)の恩を捨て難しと云ひ、或は主君の命に背き難しと云ひ、或は妻子眷属に離れ難しと云ひ、或は眷属等の活命存じ難しと云ひ、或は世人誹謗しつべしと云ひ、或は貧ふして道具調(ととの)ひ難しと云ひ、或は非噐にして学道堪えがたし云ふ。かくのごとく識情を廻らして、主君父母(ぶも)をも離れえず、妻子眷属をもすてえず、世情に随ひ財宝を貪るほどに、一生空く過して、正しく命終(みやうじゆう)の時に当(あたつ)ては後悔すべし。静坐(じやうざ)して道理を案じ、速かに道心を起さんことを決定(けつぢやう)すべし。主君父母(ぶも)も我に悟りを与ふべからず。妻子眷属も我が苦みを救ふべからず。財宝も我が生死輪廻を截断(せつだん)すべからず。世人も我をたすくべきにあらず。非噐なりと云て修(しゆ)せずんば何れの功(こふ)にか得道せんや。只須(すべから)く万事を放下して一向に学道すべし。後時を存ずることなかれ。(112~113頁)

■示して云く、学道は須(すべから)く吾我を離るべし。設(たと)ひ千経万論を学し得たりとも、我執(がしふ)を離れずんば終(つひ)に魔坑(まきやう)に落(おつ)べし。古人の云く、若し仏法の身心(しんじん)なくんばいづくんぞ仏(ぶつ)となり祖と成らんと云云。我を離るゝと云は、我が身心(しんじん)を仏法の大海に抛向(はうかう)して、苦しく愁ふるとも仏法に随(したがひ)て修行するなり。若し乞食(こつじき)をせば人是をわるしみにくしと思はんずるなれど、かくのごとく思ふ間だはいかにしても仏法に入(いり)得ざるなり。世の情見をすべて忘れて、唯道理に任せて学道すべし。我身の器量を顧(かへり)み仏法に契(かな)ふまじなんど思ふも、我執(がしふ)を持たる故なり。人目を顧み人情を憚るは、即ち我執の本なり。只仏法を学すべし。世情に随(したが)ふことなかれ。(113~114頁)

■示して云く、先師(せんじ)全和尚、入宋(につそう)せんとせし時、本師(じ)叡山(えいざん)の明融(みょうゆう)阿闍梨重病起り、病床にしずみ既に死せんとす。其の時かの師云く、我既に老病起り死去せんこと近きにあり、今度(このたび)暫く入宋(につそう)をとゞまりたまひて、我が老病を扶(たす)けて、冥路を弔ひて、然して死去の後其の本意をとげらるべしと。時に先師(せんじ)弟子法類等を集めて議評して云く、我れ幼少の時双親の家を出て後より、此の師の養育を蒙(かうむり)ていま成長せり。其の養育の恩最も重し。亦出世の法門大小権実(ごんじつ)の経文、因果をわきまえ是非をしりて、同輩にもこえ名誉を得たること、亦仏法の道理を知(しり)て今入宋(につそう)求法(ぐほふ)の志しを起すまでも、偏(ひとへ)に此の師の恩に非ずと云ことなし。然るに今年すでに老極(らうごく)して、重病の床に臥(ふし)たまえり。余命存じがたし。再会期(えご)すべきにあらず。故にあながちに是を留(とど)めたまふ。師の命もそむき難し。今身命を顧みず入宋(につそう)求法(ぐほふ)するも、菩薩の大悲利生の為なり。師の命を背(そむい)て宋土に行ん道理有りや否や。各の思はるゝ処をのべられるべしと。時に諸弟人人皆云く、今年の入宋(につそう)は留まらるべし。師の老病死巳に極れり。死去決定(けつぢやう)せり。今年ばかり留りて明年入宋(につそう)遅きとても何んの妨げかあらん。師弟の本意相違せず。入宋(につそう)の本意も如意なるべしと。時に我末臘(まつらふ)にて云く、仏法の悟り今はさてかふこそありなんと思召さるゝ儀ならば、御留り然あるべしと。先師(せんじ)の云く、然あるなり、仏法修行これはどにてありなん。始終かくのごとくならば、即ち出離得道たらんかと存ずと。我が云く、其の儀ならば御留りたまひてしかあるべしと。時にかくのごとく各(おのお)の総評し了(おはり)て、先師(せんじ)云く、おのおのゝ評議、いづれもみな留まるべき道理ばかりなり。我の所存は然あらず。今度留りたリとも、決定(けつぢやう)死ぬべき人ならば其に依て命を保つべきにもあらず。亦われ留りて看病外護せしによりたりとて苦痛もやむべからず。亦最後に我あつかひすゝめしによりて、生死を(しやうじ)を離れらるべき道理にもあらず。只一旦命に随て師の心を慰むるばかりなり。是れ即ち出離得道の為には一切無用なり。錯(あやまつ)て我が求法(ぐほふ)の志しをとげて、一分の悟りをも開きたらば、一人有漏(いちにんうろ)の迷情に背くとも、多人得道の因縁と成りぬべし。此の功徳もしすぐれば、すなはちこれ師の恩をも報じつべし。設(たと)ひ亦渡海の間に死して本意をとげずとも、求法の志しを以て死せば、生生(しやうしやう)の願(ぐわん)つきるべからず。玄奘三蔵のあとを思ふべし。一人(にん)の為にうしなひやすき時を空く過さんこと、仏意(ぶつち)に合(か)なふべからず。故に今度(このたび)の入宋(につそう)一向に思切(おもひき)り畢(をは)りぬと云て、終に入宋(につそう)せられき。先師(じ)にとりて真実の道心と存ぜしこと、是らの道理なり。然あれば今の学人(がくにん)も、或は父母(ぶも)の為、或は師匠のの為とて、無益の事を行じて徒らに時を失ひて、諸道にすぐれたる仏道をさしをきて、空く光陰を過すことなかれ。時に奘(じやう)問て云く、真実求法の為には有為の父母(ぶも)師匠の恩愛の障縁を一向にすつべき道理は、まことに然かあるべし。たゞし、父母(ぶも)師匠の恩愛等のかたは一向に捨離すとも、亦菩薩の行を存ぜん時は、自利をさしをきて利他を先とすべきか。然あるに老師重病切にして、亦他人のたすくべきもなく、幸に保護の我れ一人、其の仁に当りたるを、自らの修行ばかりを思ひて渠(かれ)を扶けずんば、菩薩の行に背けるに似たるか。たゞ大士の善行をきらふべからず。縁に随ひ事に触れて仏法を存ずべきか。もしこれらの道理によらば、亦止(とどま)りてたすくべきか。何ぞ独り求法を思ひて老病の師を扶(たす)けざるや、いかん。示して云く、利他の行も、たゞ劣なる方を捨てゝ勝なる方をとらば、大士の善行なるべし。老病を扶(たす)けとて水菽(すいしゆく)の孝をいたすは、只今生暫時の妄愛迷情の喜びばかりなり。迷情の有為に背いて無為の道(どう)を学せんは、設(たと)ひ遺恨は蒙ることありとも、出世の勝縁と成るべし。((115~118頁)

■示して云く、大慧禅師(だいえぜんじ)の云く、学道は須(すべから)く人の千万貫の銭(ぜに)を債(お)ひけるが、一文をも持たざるに、乞責(こひせめ)らるゝ時の心の如くすべし、若しこの心あれば、道(どう)を得ることやすしといへり。(123頁)

■示して云く、古人の云く、百尺の竿頭にさらに一歩をすゝむべしと。此の心は、十丈の竿のさきにのぼりて、なを手足(しゆそく)をはなちてすなはち身心(しんじん)を放下するが如くすべし。是に付(つき)て重々の事あり。今時の人は世をのがれ家を出(いで)ぬるに似たれども、其の行履(あんり)をかんがふればなを実(まこ)とに出家の遁世にてはなきなり。いはゆる出家と云ふは、第一まず吾我名利を離るべきなり。是を離れずんば行道は頭燃(ずねん)を払ひ精進は翹足(げうそく)をしるとも、只無理の勤苦(ごんく)のみにて出離(しゆつり)にはあえあざるなり。(124頁)

■示して云く、衣食(えじき)の事は兼てより思ひあてがふことなかれ。若し失食(しつじき)絶烟(ぜつえん)せば、其の時に臨(のぞん)で乞食(こつじき)せん。その人に用事いはんなど思ひ設けたるも、即ち物を貯(たくはふ)る邪命食(じやみやうじき)にて有(ある)なり。衲子(のつす)は雲の如く定れる住所もなく、水の如くに流れゆきて、よる処もなきをこそ僧とは云ふなり。縦(たと)ひ衣鉢(えはつ)の外に一物を持たずとも、一人の檀那をも頼み一類の親族をも頼むは、即ち自他ともに縛住せられて不浄食(ふじやうじき)にてあるなり。かくのごとくの不浄食(ふじやうじき)等を以てやしなひもちたる身心(しんじん)にて、諸仏清浄(しやうじやう)の大法を悟らんと思ふとも、とても契(かな)ふまじきなり。かとへば藍にそめたる物は青く、檗(きはだ)に染めたる物は黄なるが如く、邪命食(じやみやうじき)を以てそめたる身心(しんじん)は即ち邪命身なるべし。此の身心(しんじん)を以て仏法をのぞまば、沙(すな)を圧して油を求めるが如し。只時にのぞみて兎も角も道理に契(かな)ふやうにはからふべきなり。かねてとかく思ひたくはふるは、皆たがふことなり。能能(よくよく)思量すべきなり。(126~127頁)

■示して云く、学道の人、衣食(えじき)を貪ることなかれ。人人皆食分あり、命分あり、非分の食命(じきみやう)を求むるとも得べからず。況や学仏道の人にはおのづから施主の供養あり。常乞食(じやうこつじき)たゆべからず、亦常住物(じやうぢゆうもつ)もこれあり、私の営みにあらず。果蓏(くわら、コノミクサノミ)と乞食と信心施との三種の食(じき)は、皆な是れ清浄食なり、其の余の田商士工の四種の食は、皆不浄の邪命食なり。出家人の食分にあらず。昔一人の僧あり、死して冥途(めいど)に行く。閻王(えんわう)の云く、此の人は命分いまだつきず、かへすべしと。冥官(みやうくわん)云く、命分つきずといへども食分すでに尽く。王の云く、荷葉(かえふ)を食せしむべし。しかりよりその僧よみがへりて後ち、人中(にんぢゆう)の食物食することをえず、只荷葉(かえふ)のみを食して残命(ざんみやう)を保てり。しかあれば出家は学仏のちからによりて食分も尽べからず。白毫(びやくがう)の一相、二十年の遺因(ゆいいん)、歴劫(りやくこふ)に受用すとも尽べきにあらず。たゞ行道を専らにして、衣食(えじき)を求むべきにはあらざるなり。身体値肉だによくもてば、心も随(したがつ)てよくなると医方等にも見へたり。いはんや学道の人、持戒梵行(ぢかいぼんぎやう)して仏祖の行履に任(まかせ)て身を治むれば、心も随(したがひ)て調ふなり。学道の人、言ばを発せんとする時は、三度(みたび)顧(かへりみ)て自利利他の為に利あるべくんば是を云(いふ)べし。利なからん言語(ごんご)は止(とど)まるべし。かくのごときの事も一度にはえがたし。心にかけて漸々(ぜんぜん)に習ふべきなり。(132~133頁)

■雜話(ざふわ)の次(つい)でに示して云く、学道の人、衣食(えじき)にわづらふことなかれ。此の国は辺地(へんぢ)小国(せうごく)なりといへども、昔も今も顕密の二教に名をえ、後代にも人にも知られたる人おほし。或は詩歌管弦の家、文武学芸の才、其道を嗜む人もおほし。かくの如き人人未だ一人(いちにん)も衣食(えじき)に豊かなりと云ことを聞かず。皆貧を忍び他事を忘れて一向に其の道を好むゆへに、其の名をも得るなり。いはんや祖門学道の人は、渡世を捨てゝ一切名利に走らず。何としてか豊かなるべきぞ。(133~134頁)

■身の病者なれば病ひを治(ぢ)して後より修行せんと思は無道心のいたす処なり。四大和合の身は誰か病無からん。。古人必ずしも金骨にあらず。只志しだに至りぬれば他事を忘れて行ずるなり。大事(だいじ)身の上に来れば必ず小事を忘るゝ習ひなり。仏道は一大事なれば、一生に窮めんと思ひて日日(にちにち)時時(じじ)を空くすごさじと思ふべきなり。古人云く、光陰虚しく渡ることなかれと云云。病を治せんと営むほどに除かずして増気し苦痛いよいよせめば、少しも痛のかるかりし時に行道せんと思ふべし。強き痛みを受(うけ)ては尚を重くならざるさきにと思うべし。重く成(なり)ては死せざるさきにと思ふべきなり。病を治するには減ずるもあり増ずるもあり。亦治せざれども減じ、治するに増ずるもあり。これを能能(よくよく)思ひ分くべきなり。行道の人、居所(きよしよ)等を支度し衣鉢(えはつ)等を調へて後に行道せんと思ふことなかれ。貧窮(びんぐう)の人、衣鉢(えはつ)資具にともしくて調ふを待(まつ)ほどに、次第に臨終ちかづきよるはいかん。ゆへに居所(きよしよ)を持ち衣鉢(えはつ)を調へて後に行道せんと欲せば、一生空く過すべきなり。只衣鉢(えはつ)等はなけれども、在家も仏道は行ずるぞかしと思ひて行ずべきなり。亦衣鉢(えはつ)等は只有(ある)べき僧体のかざりなればなり。実(まこと)の仏道行者はそれにもよらず、より来らば有るに任すべし。あながちに求ることなかれ。有ぬべきを持じとも思ふべからず。病も治しつべきを、わざと死せんと思ひて治せざるも外道の見(けん)なり。仏道の為には命を惜むことなかれ。亦惜まざることなかれ。より来らば灸治一所煎薬一種なんど用ひん事は、行道の障りともならじ。行道をさしおきて、病を治するをさきとして後に修行せんと思ふは非なり。(136~138)

■道(どう)を得ることは根(こん)の利鈍にはよらず、人人(にんにん)皆法を悟るべきなり。精進と懈怠(けだい)とによりて得道の遅速あり。進怠の不同は志しの至ると至らざるとなり。志しの至らざることは無常を思はざる故なり。念念に死去す、畢竟(ひつきやう)じて且(しばら)くも留まらず。暫(しばら)く存ぜる間だ、時光を空しくすごすことなかれ。古語に云ふ、倉にすむ鼠み食に飢へ、田を耕す牛草に飽かずと。云(いふ)心は、食(じき)の中にありながら食(じき)にうえ、草の中に住しながら草に乏し。人もかくのごとし。仏道の中に有りながら道(どう)にかなはざるものなり。名利希求(けぐ)の心止まざれば、一生安楽ならざるなり。(139~140頁)

(2013年1月29日)

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『ブッダのことば(スッダニバータ)中村 元訳 岩波文庫

■第1 蛇 の 章

1、蛇

13)走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って迷妄を離れた修行者は(注1)、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

注1;迷妄を離れた修行者は――貪りまたは愛欲、憎悪、迷妄という3つの煩悩は、人間にとって根本的なものであるから、古来の仏教の学問では「貧・瞋・癡の3毒」という。

2、ダ ニ ヤ

22)牛飼いダニヤがいった、

「わが牧婦(=妻)は従順であり、貪ることがない(注1)。久しくともに住んできたが、わが意(こころ)に適っている。かの女にいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨をふらせよ。」

23)師は答えた、

「わが心は従順であり、解脱している。永いあいだ修養したので、よくととのえられている。わたしにはいかなる悪も存在しない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨をふらせよ。」

25)師は答えた、

「わたしは何びとの傭い人でもない。。みずから得たものによって全世界を歩む。他人に雇われる必要はない(注2)。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨をふらせよ。」

23)師は答えた、

「未だ馴らされていない牛もいないし、乳を飲む仔牛もいない。孕んだ牝牛もいないし、交尾を欲する牝牛もいない。牝牛どもの主である牡牛もここにはいない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨をふらせよ。」

33)悪魔パーピマンがいった、

「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執著(しゅうじゃく)するもとのものは喜びである。執著するもとのもののない人は、喜ぶことがない。」

34)師は答えた。

「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著(しゅうじゃく)するもとのものである。執著するもとのもののない人は、憂うることがない。」

注1;貪ることがない――食物、装飾品、男、財を貪ることがないのである。

この詩句は当時のインド人のあいだでの理想的な妻のすがた――夫に対して従順であるのみならず、婚化先の人々すべてに対しても従順でなければならぬ――を描いている。これに対して、対をなす文句で釈尊は自分の立場を宣言するのである。

注2)他人に雇われる必要はない ――多人に傭われることなく、精神的には全く独立して生きてゆくという強い確信をもっていた。そうしてそれが高らかな誇りを成立させるのである。

3、犀 の 角(注1)

38)子や妻に対する愛著(あいじゃく)は、たしかに枝の広く茂った竹が相(あい)絡むようなものである。筍(たけのこ)が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。

39)林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところの赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

40)仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

41)仲間の中におれば、遊戯と歓楽とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。

42)四方のどこでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

47)われらは実に朋友を得る幸を讃(ほ)め称(たた)える。自分より勝(すぐ)れあるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過(とが)のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。

50)実に欲望は色とりどりで甘美であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を攪乱する。欲望の対象にはこの患(うれ)いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

53)肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群を離れて、欲するがままに森の中を散歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。

55)相争う哲学的見解を超え、(さとりに到る)決定に達し、道を得ている人は、「われは智慧が生じた。もはや他の人に指導される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め。

57)義ならざるものを見て邪曲にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪りに耽(ふけ)り怠っている人に、みずから親しむな。犀の角のようにただ独り歩め。

58)学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁・明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め。

70)妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、理法をあきらかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。

75)今のひとびとは自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。

注1;犀の角――仏教では、後世になると、3つの実践法(3乗)があるという。「声門(しょうもん)」(釈尊の教えを聞いて忠実に実践する人)。「独覚」(山にこもって一人でさとりを開く人)。「菩薩」(人々を救おうという誓願を起して実践する人)。

そのうちで、「独覚」には2種類ある。1、部行独覚(仲間を組んで修行する独覚。「部行」とは、仲間をつくって修行することである)。2、麟角喩(ゆ)独覚(常にひとりでいて伴侶のいない独覚。麟が1つの角のみをもっていることに譬えていう)。「麟角喩」とは「麟の角(1本しかない)に喩えられる」の意。この場合麟とは犀のことを言ったのだと考えられる。角が1本しかないからである。

さて、犀のことを、なぜ漢訳者は「麒麟」と訳したのか?想像が許されるならば、シナ人には犀はあまり知られておらず、むしろキリンのほうがなじみがおおかったからではなかろうか。

ところで、いま第35詩以下説かれているのは、『独りで覚る人」の実践である、とパーリ文の注釈は解する。

ここで「独りで覚った人」というのは、最初期の仏教の理想である。後代の仏教数学で考えた「独覚」とは必ずしも一致しない。

4、田 を 耕 す バ ー ラ ド ヴ ァ ー ジ ャ

76)「あなたは農夫であるとみずから称しておられますが、われらはあなたが耕作するのを見たことがない。おたずねします、――あなたが耕作するということを、われらが了解し得るように話してください。」

77)(師は答えた)、「わたしにとっては、信仰が種子(たね)である。苦行が雨である。智慧がわが軛(くびき)と鋤(すき)とである。慚(はじること)が鋤棒である。心が縛る縄である。気を落ちつけることがわが鋤先と突棒とである。

78)身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。わたくしは真実をまもることを草刈りとしている。柔和がわたくしにとって〔牛の〕軛を離すことである。

79)努力がわが〈軛をかけた牛〉であり、安穏の境地に運んでくれる。退くことなく進み、そこに至ったならば、憂えることがない。

80)この耕作はこのようになされ、甘露の果実(みのり)をもたらす。この耕作を行なったならば、あらゆる苦悩から解き放たれる。」

5、チ ュ ン ダ  

85)鍛冶工チェンダはいった、「目ざめた人々は誰を〈道による勝者(注1)〉と呼ばれるのですか?また〈道を習い覚える人〉はどうして無比なのですか?またおたずねしますが、〈道によって生きる〉ということを説いてください。また〈道を汚す者〉をわたくしに説き明かしてください。」

86)「疑いを超え、苦悩を離れ、安らぎ(ニルヴァーナ)を楽しみ、貪る執念をもたず、神々と世間とを導く人、――そのような人を〈道による勝者〉であると目ざめた人々は説く。

87)この世で最高のものであると知り、ここで法を説き判別する人、疑いを絶ち欲念に動かされない聖者を、修行者たちのうちで第2の〈道を説く者〉と呼ぶ。

88)みごとに説かれた〈理法にかなったことば〉である〈道〉に生き、みずから制し、落ち着いて気をつけていて、とがのないことばを奉じている人を、修行者たちのうちで第3の〈道によって生きる者〉と呼ぶ。

89)善く誓戒を守っているふりをして、ずうずうしくて、家門を汚し、傲慢で、いつわりをたくらみ、自制心なく、おしゃべりで、しかも、まじめそうにふるまう者、――かれは〈道を汚す者〉である。

90)(かれらの特徴を)聞いて、明らかに見抜いて知った在家の立派な信徒は、『かれら(4種の修行者)はすべてこのとおりである』と知って、かれらを洞察し、このように見ても、その信徒の信仰はなくならない(注2)。かれはどうして、汚れた者と汚れていない者と、清らかな者と清らかでない者とを同一視してよいであろうか。」

注1;道による勝者――道による勝者とはブッダサマーナのことである。これを逆に解すると、ブッダとは、世の中に多数いる修行者のうちの1種類にほかならないのである。

注2;信仰はなくならない――当時、「世の中には〈道の人〉(修行者)と称する人々が多数いるなあ」という感情をこめて、ゴータマ・ブッダが4種の修行者の区別を説いたのであるとすると、われわれはその情景を思い浮べることができる。有力な金属工は最新の技術を獲得し、また製品を売却するために種々の種類の人々と接触したであろうし、またかれが富裕であるならば多くの宗教者が近づいてきたにちがいない。だからこそブッダは真偽の見定めを説いて教えたのである。

ところでゴータマ・ブッダがどの生き方を最上と見なしたかは不明であるが、文脈から見ると〈道による勝者〉または〈道に生きる者〉を特に尊んでいたようである。かれは特殊な哲学説や形而上学説を唱導したのではない。人間としての真の道を自覚して生きることをめざし、生を終わるまで実践していたのである。

6、破 滅 

92)(師は答えた)、「栄える人を識別することは易く、破滅を識別することも易い。理法を愛する人は栄え、理法を嫌う人は敗れる。」

94)「悪い人々を愛し、善い人々を愛することなく、悪人のならいを楽しむ。これは破滅への門である。」

96)「睡眠の癖あり、集会の癖あり、奮励することなく、怠りなまけ、怒りっぽいので名だたるひとがいる、――これは破滅への門である。」

98)「みずからは豊かで楽に暮しているのに、年老いて衰えた母や父を養わない人がいる、――これは破滅への門である。」

100)「バラモンまたは〈道の人〉(注1)または他の〈もの乞う人〉を、嘘をついてだますならば、これは破滅への門である。」

102)「おびただしい富あり、黄金あり、食物ある人が、ひとりおいしいものを食べるならば、これは破滅への門である。」

104)「血統を誇り、財産を誇り、また氏姓を誇っていて、しかも己(おの)が親戚を軽蔑する人がいる、――これは破滅への門である。」

106)(注2)「女に溺れ、酒にひたり、賭博に耽(ふけ)り、得(う)るにしたがって得(え)たものをその度ごとに失う人がいる、――これは破滅への門である。」

112)「酒肉に荒み、財を浪費する女(注3)、またはこのような男に、実権を托すならば、これは破滅への門である。」

114)「クシャトリヤ(王族)の家に生まれた人が、財力が少いのに(注4)欲望が大きくて、この世で王位を獲ようと欲するならば、これは破滅への門である。

115)世の中にはこのような破滅のあることを考察して、賢者・すぐれた人は真理を見て、幸せな世界を体得する(注5)。」

注1;バラモンまたは道の人――漢訳では「沙門」と訳す。

注2;俗な表現であるが、世間でよく「飲む、打つ、買う」が身を滅ぼすもとであると言うように、それと同じことが説かれている。人間というものは、何千年たっても変わらないものだということが解る。

注3;財を浪費する女――パーリ文注釈には「魚・肉・酒などに耽溺している女」の意に解している。「浪費する」とは「魚・肉・酒に耽溺するために財を塵芥のごとくに散じ尽して消費する」ということである。

注4;財力が少ないのに――これは権勢欲を戒めているのである。

注5;幸せな世界を体得する――幸せな世界を体得すると気づいた境地が〈幸せな世界〉である、というのであろう。(中略)「天」という別の場所に到達することを意味しているのではない。いま生きているこの場所に〈幸せな世界〉が存在するのである。

7、賤 し い 人(注1) 

116)「怒りやすくて怨みをいだき、邪悪にして、見せかけであざむき、誤った見解を奉じ、たくらみのある人、――かれを賤しい人であると知れ。

118)村や町を破壊し、包囲し、制圧者として一般に知られる人、――かれを賤しい人であると知れ。

119)村にあっても、林にあっても、他人の所有物をば、与えられないのに盗み心をもって取る人、――かれを賤しい人であると知れ。(注2)

120)実際には負債があるのに、返済するように督促されると、『あなたからの負債はない』といって言い逃れる人、――かれを賤しい人であると知れ。

121)実に僅かの物が欲しくて路行く人を殺害して(注3)、僅かの物を奪い取る人、――かれを賤しい人であると知れ。

(岡野注:仏教は全元論である。世界存在は法〈プラトン的イデア界=真・善・美〉によって、今、今、今と現成公按している。偽・醜・悪は存在の法に反しているから、所詮、滅する)

122)証人として尋ねられたときに、自分のため、他人のため、また財のために、偽りを語る人(注4)、――かれを賤しい人であると知れ。

(岡野注;そもそも、「真・善・美」という法(ダルマ)が、この世界に存在しないと思って生きている人には、嘘をついたら恥ずかしいという良心を持ち合せていないので、平気で嘘をつく)

124)己は財豊かであるのに、年老いて衰えた母や父を養わない人、――かれを賤しい人であると知れ。

126)相手の利益となることを問われたのに不利益を教え、隠し事をして語る人、――かれを賤しい人であると知れ。

127)悪事を行っておきながら、『誰もわたしのしたことを知らないように』と望み、隠し事をする人(注5)、――かれを賤しい人であると知れ。

128)他人の家に行っては美食をもてなされながら、客として来た時には、返礼としてもてなさない人、――かれを賤しい人であると知れ。

131)この世で迷妄に覆われ、僅かの物が欲しくて、事実でないことを語る人、――かれを賤しい人であると知れ。

133)ひとを悩まし、欲深く、悪いことを欲し、ものあしみをし、あざむいて(徳がないのに敬われようと欲し)、恥じ入る心のない人、――かれを賤しい人であると知れ。

(岡野注;仏教は全元論である。一元論は他の一元論と争いが絶えないし、無神論者は自己の欲望の追求以外に生きる意味はない。だから仏教では、「かれを賤しい人であると知れ」と軽蔑するだけで、争わない。自分の賤しい行為は恥じ入るし、賤しい人とは、付き合わなければいいのだ)

135)実際は尊敬さるべき人ではないのに尊敬さるべき人(聖者)であると自称し、梵天を含む世界の盗賊(注7)である人、――かれこそ実に最下の賤しい人である。

142)生まれによって賤しい人となるのではない。生まれによってバラモンとなるのでもない。行為によって賤しい人ともなり、行為によってバラモンともなる。」

(岡野注;仏陀の有名な言葉。2000年以上前の時代に言った言葉が、正法である証拠で今だに、生き続けている。「生まれ」の単語を、別の言葉(例えば、性別、人種、才能、財産等々)に置き換えてみると、仏陀及び道元の仏教的世界観=全元論の正しさが、今、ここ日本に現成している)

注1;賤しい人――インドのどの階級にも属さない最も卑しい人々をいう。。

注2;仏教では国王と盗賊とは本質的に区別のないものであると考えていた(この点ではシナも墨子と共通である)。だから、第118詩で国王を非難し、つづけて第119詩で盗賊を非難しているのである。国王と盗賊とは、いつも並んで出てくる。

注3;盗む為に人を殺すなどというのはもってのほかである。インドでは旅人を襲って殺す山賊は、他国にくらべて比較的に少かった。山賊は現代に至るまで存在したが、人を殺す割合は低かった。しかし山賊がいたことは事実であるから、それがここに反映しているのである。現代インドでも若干の峠は盗賊の出る名所として知られている。古代インドにおいてはなおさらであったであろうから、それを戒めているのである。

注4;インドでは、日常生活のうちに法律の果たす役割は少かった。西アジアやヨーロッパに比べて法廷はさほど大きな意義をもっていなかった。そこで「偽証をなすなかれ」という教えの説かれることは少かった、その稀な事例の1つがここに見られる。

注5;嘘をつくのが何故いけないのかというと、他人の利益をそこなうからである。その急所をついているのである。ここでは良心の問題が出てきているわけであるが、インドでは「アートマンが見ている」ということを説く。たとい他人が見ていなくても、〈本来の自己〉が見ているというのである。

注6;人は何故嘘をつくのか?それは何ものかを貪ろうという執着があるからである。人間が嘘をつくのは、特に利益に迷わされた場合が多い。保守的仏教では10の完全な徳を説くが、そのうちの第7として真実を立てる。「たとい雷が頭上に落ちようとも、財宝などのために、利欲心などのために、知りつつも虚言をのべることをしてはならない。あたかも暁の明星が、あらゆる時節を通じて、自分の行くべき路を捨てて他の路を行くことがなく、必ず自分の路をとって進むように、汝もまた真実を捨てて虚言を述べることがないならば、ブッダとなることができるであろう」。事実を知らなかったために、偶然虚偽の申し立てとなったのは仕方がない。しかし意識して虚偽を述べてはならぬというのである。

注7;盗賊――尊敬されるに値しない人が尊敬を受けているのは、盗人だというのである。実に厳しい教えである。

8、慈 し み

142)究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上ることのない者であらねばならぬ。

144)足りることを知り(注1)、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。

145)他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

146)いかなる生物(いきもの)生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉(ことごと)く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、

147)目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

148)何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。

149)あたかも、母が己が独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起すべし。

150)また全世界に対して無量の慈しみの意(こころ)を起すべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。

151)立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。

注1;足ることを知り――僅かのもので満足することを足るを知る(「知足」)という。

これはまたストアの哲人の目ざす人生の理想でもあった。清沢満之が人生の師と仰いだエピクテートスは、「満足」という1章で次のように言う。

君は苦労もしないし、また満足もしていない。そしてもし君が独りぼっちならば、君は孤独だというし、またもし人々と一緒ならば、君は彼らを騙り屋だとか、泥棒だとかいう、また君自身の両親や、子供たちや、兄弟たちや、隣人たちをも非難するのである。だが君はただ独りいる時には、それを平和とか自由とか呼び、自分を神的なものに似ていると思うべきであったし、また多くの人々と一緒の時には、俗衆とか喧騒とか不愉快とか呼ばないで、お祭りとか集会とかいって、そしてそのようにしてすべてを満足して受けるべきであったのだ。そうするとそういうふうに受けとらぬ人々には、どういう罰があるか。彼らが持ってるようなそういう気持にあることがそれだ。或る人は独りでいることに不満だって。彼は孤独であるがいい。或る人は両親に不満だって。その人は悪い息子として、悲しんでいるがいい。或る人は子供に不満だって。その人は悪い父親でいるがいい。

「彼を牢獄に入れるがいい。」

どんな牢獄にか。彼が今いる処がそれだよ。というのは彼がいやいやながらいるからだ。人がいやいやながらいる処は、彼にとっては牢獄である。ちょうどソークラテースが、喜んでいたために牢獄にいなかったように。

「それでわたしの脚が跛になったのです。」

つまらんことをいうね君は、すると君は小っぽけな1本の脚のために、宇宙に対して不平なのか。それを全体のために、君は捧げないのだろうか。君は退かないだろうか。君はその授けてくれた者に、喜んで従わないのだろうか。君はゼウスによって配置されたもの、つまりゼウスが彼のところにいて、君の誕生を紡ぎ出した運命の女神と一緒に、定めたり、秩序づけたりしたものに対して不平で不満なのだろうか。君は全体に較べれば、どれほど小さい部分であるかを知らないのか。だがこれは肉体の点においてだ、というのは少なくとも理性の点では、神々に何ら劣りもしなければ、より小さくもないからである。なぜなら理性の大きさは、長さや高さによってではなく、その考えによって判定されるからだ。(エピクテートス『人生談義』上、岩波文庫、61~64頁)

哲人の帝王マルクス・アウレーリウスは、『自省録』のなかで次のような反省を述べている。

16 尊ぶべきは植物のように発散による呼吸を営むことでもなく、家畜や野獣等のように呼吸することでもなく、感覚を通して印象を受けることでもなく、衝動のまにまにあやつられることでもなく、群をなして集うことでもなく、食物を摂ることでもない。それは食物の残滓を排泄するのと同じたぐいのことだ。

では何を尊ぶべきか。拍手喝采されることか、否。また舌の拍手でもない。というのは、大衆から受ける賞讃は舌の拍手に過ぎないからだ。また君はつまらぬ名誉もおはらい箱にした。では何が尊ぶべきものとして残るか。私の考えでは、自己の(人格の)構成に従ってあるいは活動し、あるいは活動を控えることである。あらゆる職業や技術の目的となすところもそこにある。なぜならばあらゆる技術の目標は、すべて作られたものが、その作られた目的である仕事に適応することにある。葡萄の世話をする葡萄栽培者、子馬を仕込む者、犬を馴らす者、みなこれをめざしているのである。また子供の教育法や教授法もこれに向って努力する。これこそ尊ぶべきものなのである。このことをしっかりと身につけたならば、君は自分のために何もほかにかちえようとしないであろう。それとも君は自由の身にもならず、自足した人間にもならず、また激情にうごかされぬ者ともならないであろう。なぜならばその場合、君が羨んだりねたんだり、そういうほかのものを君から奪い取りうる人びとを疑ったり、君の大切に思うものを持っている人びとにたいして陰謀を企てたりするのは必定である。つまり、そういうもののいずれかを必要とする人間は、必然的に混乱の中にあらざるをえず、その上神々にたいしてもさまざまの非難を口にせずにいられないものである。ところが自分自身の精神を敬い尊ぶならば、それによって君は自己の意にかなう人間となり、人びとと和合し神々と調和する者、すなわちすべて神々の配し定めるところに喜んで服する者となるであろう。(岩波文庫、85~86頁)

考えて見れば、足るを知ること、すなはち自分の持ち分に満足して喜びを見出すということは、だれにでも可能な〈幸せへの道〉であると言えよう。

9、雪 山 に 住 む 者 

171)「世間には5種の欲望の対象があり、意(の対象)が第6であると説き示されている。それらに対する貪欲(とんよく)を離れたならば、すなわち苦しみから解き放たれる。

173)「この世において誰が激流を渡るのでしょうか?この世において誰が大海を渡るのでしょうか?支えなくよるべのない深い海に入って、誰が沈まないのでしょうか?」

174)「常に戒(いましめ)を身にたもち、智慧あり、よく心を統一し、内省し、よく気をつけている人こそが、渡りがたい激流を渡り得る。

175)愛欲の想いを離れ、一切の結び目(束縛)を超え、歓楽による生存を滅しつくした人――かれは深海のうちに沈むことがない。」

10、ア ー ラ ヴ ァ カ と い う 神 霊

182)「この世では信仰が人間の最上の富である。徳行に篤(あつ)いことは安楽をもたらす。実に真実が味の中での美味である。智慧によって生きるのが最高の生活であるという。」

184)「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。勤勉によって苦しみを超え、智慧によって全く清らかとなる。」

187)適宜に事をなし、忍耐づよく努力する者は財を得る。誠実をつくして名声を得、何ものかを与えて交友を結ぶ。

188)信仰あり在家の生活を営む人に、誠実、真理、堅固、施与というこれらの4種の徳があれば、かれは来世に至って憂えることがない。

11、勝 利 

203)〈かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう〉と、内面的にも外面的にも身体に対する欲を離れるべきである。

204)この世において愛欲を離れ、智慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。

12、聖 者 

207)親しみ慣れることから恐れが生じ、家の生活から汚れた塵が生ずる。親しみ慣れることもなく家の生活もないならば、これが実に聖者のさとりである。

208)すでに生じた(煩悩の芽を)断ち切って、新たに植えることなく、現に生ずる(煩悩)を長ぜしめることがないならば、この独り歩む人を〈聖者〉と名づける。かの大仙人は平安の境地を見たのである。

209)平安の境地、(煩悩の起る)基礎を考究して、そのたねを弁(わきま)え知って、それを愛執(あいしゅう)する心を長ぜしめないならば、かれは、実に生を滅ぼしつくした終極を見る聖者であり、妄想をすてて(迷える者の)部類に赴(おもむ)かない。

210)あらゆる執著(しゅうじゃく)の場所を知りおわって、そのいずれをも欲することなく、貪りを離れ、欲のない聖者は、作為によって求めることがない(注1)。かれは彼岸に達しているからである。

211)あらゆるものにうち勝ち、あらゆるものを知り、いとも聡明で、あらゆる事物に汚されることなく、あらゆるものを捨て、妄執が滅びて解脱した人、――諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。

212)智慧の力あり、戒めと誓いをよく守り、心がよく統一し、瞑想(禅定)を楽しみ、落ち着いて気をつけていて、執著から脱して、荒れたところなく、煩悩の汚れのない人、――諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。

213)独り歩み、怠ることのない聖者、非難と賞讃とに心を動かさず、音声に驚かない獅子(しし)のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、他人に導かれることなく、他人を導く人、――諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。

214)他人がことばを極めてほめたりそしったりしても、水浴場における柱のように泰然とそびえ立ち、欲情を離れ、諸々の感官をよく静めている人、――諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。

215)梭(ひ)のように真直ぐににみずから安立し、諸々の悪い行為を嫌い、正と不正とを(注2)つまびらかに考察している人、――諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。

216)自己を制して悪をなさず、若いときでも、中年でも、聖者は自己を制している。かれは他人に悩まされることなく、また何びとをも悩まさない。諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。

219)世間をよく理解して、最高の真理を見、激流を超え海をわたったこのような人、束縛を破って、依存することなく、煩悩の汚れのない人、――諸々の賢者は、かれを〈聖者〉であると知る。

220)両者は住所も生活も隔っていて、等しくない。在家者は妻を養うが、善く誓戒を守る者(出家者)は何ものをもわがものとみなす執著がない。在家者は、他のものの生命を害って、節制することがないが、聖者は自制していて、常に生命ある者をまもる。

221)譬えば青頸(あおくび)の孔雀が、空を飛ぶときには、どうしても白鳥の速さに及ばないように、在家者は、世に遠ざかって林の中で瞑想する聖者・修行者に及ばない。

注1;作為によって求めることがない――「あれこれの執著を生ずる、善または悪をなさない。」だから、この解釈によると、善をも悪をもなさず、善悪を超越するのが聖者(ムニ)の理想であった。善だけをなすというのではないのである。

注2)正と不正とを――原語から見ると、すべて他のものに対して「平らか」であるのが正であり、「平らかでない」のが不正なのである。西洋人の考える〈正〉〈不正〉とは、少しく食い違うところもあると考えられる。

■第2 小 な る 章

1、宝

224(注1))この世また来世におけるいかなる富であろうとも、天界における勝れた宝であろうとも、われらの全き人(如来)に等しいものは存在しない。この勝れた宝は、目ざめた人(仏)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

226)最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定(注2)を、ひとびとは「〔さとりに向って〕間をおかぬ心の安定(注3)」と呼ぶ。この〈心の安定〉と等しいものはほかに存在しない。このすぐれた宝は理法の(教え)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

231)〔1〕自身を実在とみなす見解と〔2〕疑いと〔3〕外面的な戒律・誓いという3つのことがら(注3)が少しでも存在するならば、かれが知見を成就するとともに、それらは捨てられてしまう。かれは4つの悪い場所(注4)から離れ、また6つの重罪(注5)をつくるものとはなり得ない。このすぐれた宝が〈つどい〉のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

注1;「この真理にによって幸せであれ」という句が繰り返されるが、古代インドにおいては、真理、真実であることばは、必ずそのとおり実現されると考えていた。このことばが真実であるならば、必ずそのとおり実現されるはずだ、というのである。

注2;心の安定――原語は「三昧」と音訳される。心を統一して思うこと。漢訳仏典では「禅定」ということばで訳されるが、禅はジァーナの音写で「心に思うこと」、「定」は精神を統一安定する意味。

間をおかぬ心の安定――この禅定を得た直後に、間をおかずに、なんらの障礙(しょうがい)なくして聖果を得るので、このようにいう。

注3;3つのことがら――ここに挙げられた3つは十結のうちの最初の3つである。それらは聖者(預流向以上)では消え失せる。

4つの悪い場所――原語は「四悪趣」と漢訳される。地獄、餓鬼、畜生、阿修羅をいう。普通は「地獄・餓鬼・畜生」を三悪道という。ただし注釈から見ると、ここでは四悪道を認めていたのではなくて、三悪道という境地と、そのほかに阿修羅という特殊な生存者の身体を認めていたのである。

6つの重罪――母を殺し、父を殺し、阿修羅を殺し、仏の身体から血を出し、僧団の和合を破り、異教徒の教えに従うことをいう。第6のものは、原語から見ると、「他の師の教示を実行すること」である。だからゴータマ・ブッダ以外の師につくことを戒めているのである。

2、な ま ぐ さ

241)梵天(注1)の親族(注2)(バラモン)であるあなたは、おいしく料理された鶏肉とともに米飯を味わって食べながらしかも〈わたしはなまぐさものを許さない〉と称している。カッサパ(注3)よ、わたくしはあなたにこの意味を尋ねます。あなたの言う〈なまぐさ〉とはどんなものなのですか。」(ティッサの言葉)

242)「生物(いきもの)を殺すこと、打ち、切断し、縛ること、盗むこと、嘘をつくこと、詐欺、だますこと、邪曲を学習すること、他人の妻に親近すること、――これがなまぐさである。肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

243)この世において欲望を制することなく、美味を貪り、不浄の(邪悪な)生活をまじえ、虚無論をいだき、不正の行いをなし、頑迷な人々、――これがなまぐさである。肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

244)粗暴・残酷であって、陰口を言い、友を裏切り、無慈悲で、極めて傲慢であり、ものおしみする性(たち)で、なんびとにも与えない人々、――これがなまぐさである。肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

245)怒り、驕り、強情、反抗心、偽り、嫉妬、ほら吹くこと、極端の高慢、不良の徒と交わること、――これがなまぐさである。肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

246)この世で、性質が悪く、借金を踏み倒し、密告をし、法廷で偽証し、正義を装い、邪悪を犯す最も劣等な人々、――これがなまぐさである。肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

247)この世でほしいままに生きものを殺し、他人のものを奪って、かえってかれらを害しようと努め、たちが悪く、残酷で、粗暴で無礼な人々――これがなまぐさである。肉食することが〈なまぐさい〉のではない。

249)魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢にまみれることも、粗い鹿の皮(を着ること)も、粗い鹿の皮(を着ること)も、花神への献供(けんく)につとめることも、あるいはまた世の中でなされるような、不死を得るための苦行も、(ヴェーダの)呪文も、供犠(くぎ)も、祭祀も、季節の荒行も、それらは、疑念を超えていなければ、その人を清めることができない。

250)通路(6つの機官)を(注4)まもり、機官にうち勝って行動せよ。理法のうちに安立し、まっすぐで柔和なことを楽しみみ、執著を去り、あらゆる苦しみを捨てた賢者は、見聞きしたことに汚されない。」

251)以上のことがらを尊き師(ブッダ)はくりかえし説きたもうた。ヴェーダの呪文に通じた人(バラモン)はそれを知った。なまぐさを離れて、何ものにもこだわることのない、跡を追いがたい聖者(ブッダ)は、種々の詩句を以てそれを説きたもうた。(岡野注;編者の言葉)

252)目ざめた人(ブッダ)のみごとに説きたもうた――なまぐさを離れ一切の苦しみを除き去る――ことばを聞いて、(そのバラモンは)、謙虚なこころで、全き人(ブッダ)を礼拝し、即座に出家することをねがった。(岡野注;編者の言葉)

注1;梵天――ブラーフマン、世界を創造した主神として当時の人々から尊崇されていた。

注2;梵天の親族――「梵天の親族」といったわけは、「汝はバラモンとしての徳を欠いていて、ただ生まれのみのバラモンである」といって嘲っているのである。

注3;カッサパ――過去世においてカッサパ仏が求道者であったときのことをいう。

注4;6つの機官を――6つの機官とは眼、耳、鼻、舌、身、意をいう。

3、恥(注1)

253)恥じることを忘れ、また嫌って、「われは(汝の)友である」と言いながら、しかし為し得る仕事を引き受けない人、――かれを「この人は(わが)友に非ず」と知るべきである。

254)諸々の友人に対して、実行がともなわないのに、ことばだけ気に入ることを言う人は、「言うだけで実行しない人」であると、賢者たちは知りぬいている。

255)つねに注意して友誼(ゆうぎ)の破れることを懸念して(甘(うま)いことを言い)、ただ友の欠点のみ見る人は、友ではない。子が母の胸にたよるように、その人にたよっても、他人のためにその間を裂かれることのない人こそ、友である。

256)成果を望む人は、人間に相応した重荷を背負い、喜びを生ずる境地と賞讃を博する楽しみを修める。

257)遠ざかり離れる味と平安となる味とを味わって、法の喜びの味を味わっている人は、苦悩を離れ、悪を離れている。

注1;恥――註によるとバラモンの子である苦行者にこの教えを説いたという。この5つの詩句は殆んど同じかたちで、「恥の過去世物語」に出ている。また漢訳『雑阿含経』のも相似た内容が伝えられている。こういう一連の詩句としてまとまって伝えられたものに、後世の人が種々の因縁物語を付して、現在ののような種々の経典となったのであろう。

4、こ よ な き 幸 せ(注1)

259)諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ(註2)、尊敬すべき人々を尊敬すること、――これがこよなき幸せである。

260)適当な場所に住み(註3)、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい誓願を起していること、――これがこよなき幸せである。

261)深い学識があり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること(注4)――これがこよなき幸せである。

266)耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の〈道の人〉に会うこと、適当な時に理法についての教えを聞くこと、――これがこよなき幸せである。

267)修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること(注5)、――これがこよなき幸せである。

268)世俗のことがら(注6)に触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚(けが)れを離れ、安穏であること、――これがこよなき幸せである。

269)これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。あらゆることについて幸福(注7)に達する。――これがかれらにとってこよなき幸せである。

注1;私たちはどのように生きたらいいのか、ということを教えてくれるものが仏教であるが、では仏教は私たちにとって〈幸福〉とはどんなものだと教えているのだろうか。この短い一節は、〈人生の幸福とは何か〉をまとめて述べている。いわば釈尊の幸福論である。

注2;愚者に親しまないで賢者に親しむ――人間の理に気づかない人が愚者なのであり、理を知って体得している人が賢者なのである。金儲けだけうまくても、自分のもっている財産をふやすことに汲々として夜も安眠できないというような人は、いくら頭がよくても愚者であるといわねばならぬ。また、知識に乏しく、計算や才覚が下手でも、心の安住している人は賢者なのである。

注3;適当な場所に住む――工場で始終機械の運転を耳に聞き、あるいは鉄道のそばで列車の音を聞きつけている人には、騒音がそれほど気にならない。どの駅の近くにも飲み屋やパチンコ屋があるが、それらに、気づかなければ、そんなものはないのと同じである。

注4;ことばがみごとであること――立て板に水というようにしゃべりまくることではなくて、相手をおそれないで、思っていることが自由に口をついて出てくることである。この態度は仏教では常に尊ばれた。

現実に社会人として生きていくためには、ぼんやり暮しているのであってはならない。つねに新しい知識を得るように心がけ、日進月歩の技術を体得し、みずから自己を訓練し、向上につとめなければならない。そこで〈深い学識あり,技術と訓練をよく学び受ける〉ということが尊ばれるのである(のちの大乗仏教になると、「六度」という徳目を説くが、その最後の「智慧」とは、世俗の技術や学問に通じていることをも意味するのである)。

注5;安らぎを体得すること――世俗の生活をしている人が、そのままでニルヴァーナを体得できるかどうかということは、原始仏教においての大きな問題であったが、『スッタニバータ』のこの一連の詩句からみると、世俗の人が出家してニルヴァーナに達しうると考えていたことがわかる(しかし、のちに教団が発達すると、このような見解は教団一般には採用されなかった)。

注6;世俗のことがら――世俗のことがらとは、利得、不利得、名声、不名声、賞讃、譏(そし)り、楽、苦の8つをいう。「世俗のことがらに触れてもその人の心が動揺せず」ということは、志を固くもって誘惑に負けないことである。

注7;幸福――ここに述べられている幸福論は、必ずしも体系的とはいえない。原文は詩句のため韻律の関係もあり、論理的に筋道たてて述べられているわけではない。ただ、幸福に喜び満ちあふれている心境がつぎからつぎへとほとばしっている。その喜びの気持――それは現在の私たちのものでもあるといえる。

5、ス ー チ ロ ー マ

そこでスーチローマという神霊は、次の詩を以て、師に呼びかけた。――

270)貪欲(とんよく)と嫌悪とはいかなる原因から生ずるのであるか。好きと嫌いと身の毛のよだつこと(戦慄)とはどこから生ずるのであるか。諸々の妄想はどこから起って、心を投げうつのであるか?――あたかもこどもらが鳥を投げすてるように。

271)貪欲と嫌悪とは自分から生ずる。好きと嫌いと身の毛のよだつことは、自分から生ずる。諸々の妄想は、自分から生じて心を投げうつ、――あたかもこどもらが鳥を投げすてるように。

272)それらは愛執から起り、自身から現れる。あたかも榕樹(バニヤン)の新しい若木が枝から生ずるようなものである。それらが、ひろく諸々の欲望に執著していることは、譬えば、蔓草が林の中にはびこっているようなものである。

273)神霊よ、聞け。それらの煩悩がいかなる原因にもとづいて起るかを知る人々は,煩悩を除きさる。かれらは、渡りがたく,未だかつて渡った人のいないこの激流を渡り、もはや再び生存を受けることがない。

6、理 法 に か な っ た 行 い

274)理法にかなった行い、清らかな行い、これが最上の宝であると言う。たとい在家から出て家なきに入り、出家の身になったとしても、

275)もしもかれが荒々しいことばを語り、他人を苦しめ悩ますことを好み、獣(のごとく)であるならば、その人の生活はさらに悪いものとなり、自分の塵汚(ちりけが)れを増す。

276)論争を楽しみ、迷妄の性質に蔽(おお)われている修行僧は、目ざめた人(ブッダ)の説きたもうた理法を、説明されても理解しない。

277)かれは無明に誘われて、修養をつんだ他の人を苦しめ悩まし、煩悩が地獄に赴(おもむ)く道であることを知らない。

281)汝らはすべて一致協力して、かれを斥(しりぞ)けよ。籾殻(もみがら)を吹き払え。屑を取り除け。

282)次いで、実は〈道の人〉ではないのに〈道の人〉であると思いなしている籾殻どもを除き去れ。――悪を欲し、悪い行いをなし、悪いところにいるかれらを吹き払って。

283)みずからは清き者となり、互いに思いやりをもって、清らかな人々と共に住むようにせよ。そこで、聡明な者どもが、ともに仲よくして、苦悩を終滅せしめるであろう。

7、バ ラ モ ン に ふ さ わ し い こ と

298)バラモンたちは、手足が優美で、身体が大きく、容色端麗で、名声あり、自分のつとめに従って、為すべきことを為し、為してはならぬことは為さないということに熱心に努力した。かれらが世の中にいた間は、この世の人々は栄えて幸福であった。

299)しかるにかれらに誤った見解が起った。次第に王者の栄華と化粧盛装した女人を見るにしたがって、

300)また駿馬に牽(ひ)かせた立派な車、美しく彩られた縫物、種々に区画され部分ごとにほど良くつくられた邸宅や住居を見て、

301)バラモンたちは、牛の群が栄え、美女の群を擁するすばらしい人間の享楽を得たいと熱望した。

302)そこでかれらはヴェーダの呪文を編纂(へんさん)して、かの甘蔗王のもとに赴いていった、「あなたは財宝も穀物も豊かである。祭祀(さいし)を行いなさい。あなたの富は多い。祭祀を行いなさい。あなたの財産は多い。」

311)昔は、欲と飢えと老いという3つの病いがあっただけであった。ところが諸々の家畜を祀りのために殺したので、98種の病いが起った。

314)このように法が廃(すた)れたときに、隷民(れいみん、シュードラ)と庶民(ヴァイシャ)との両者が分裂し、また諸々の王族がひろく分裂して仲たがいし、妻はその夫を蔑むようになった。

315)王族も、梵天の親族(バラモン)も、並びに種姓(の制度)によって守られている他の人々も、生れを誇る論議を捨てて、欲望に支配されるに至った、と。

8、舟

318)未だことがらを理解せず、嫉妬心のある(注1)、くだらぬ人・愚者に親しみつかえるならば、ここで真理(理法)を弁(わきま)え知ることなく、疑いを超えないで、死に至る。

321)堅牢な船に乗って、橈(かい)と舵とを具えているならば、操縦法を知った巧みな経験者は、他の多くの人々をそれに乗せて渡すように、

322)それと同じく、ヴェーダ(真理の知識)に通じ、自己を修養し、多く学び、動揺しない(師)は、実に(みずから)知っているので、傾聴し侍坐しようという気持を起した他の人々の心を動かす。

323)それ故に、実に聡明にして学識の深い立派な人に親しめ。ものごとを知って実践しつつ、真理(注2)を理解した人は、安楽を得るであろう。

注1;嫉妬心のある――師が弟子に対して嫉妬心があり、弟子の成長発展に堪えられないことをいう。

この点では、原始仏教が主知主義的または貴族主義的表現を愛好していたことが知られる。そうしてこの点では、原始仏教は。ストアの哲人を思わせる。

注2)真理――この場合、真理とは人間の真理である。

9、い か な る 戒 め を

327)真理を楽しみ、真理を喜び、真理に安住し、真理の定めを知り、真理をそこなうことばを口にするな。みごとに説かれた真実にもとづいて暮せ。

328)笑い、だじゃれ、悲泣(ひきゅう)、嫌悪、いつわり、詐欺、貪欲(とんよく)、高慢、激昂、粗暴なことば、汚濁、耽溺をすてて、驕りを除去し、しっかりとした態度で行え。

329)みごとに説かれたことばは、聞いてそれを理解すれば、精となる。聞きかつ知ったことは、精神の安定を修すると、精になる。人が性急であってふらついているならば、かれには智慧も学識も増大することがない。

330)聖者の説きたもうた真理を喜んでいる人々は、ことばでも、行いでも、最上である。かれらは平安と柔和と瞑想とのうちに安立し、学識と智慧との真髄に達したのである。

10、精 励

331)起てよ、坐れ(注1)。眠って汝らになんの益があろう。矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。

332)起てよ、坐れ。平安を得るために、ひたすら修行せよ。汝らが怠惰でありその〔死王の〕力に服したことを死王が知って、汝らを迷わしめることなかれ。

333)神々も人間も、ものを欲しがり、執著にとらわれている。この執著を超えよ。わずかの時をも空しく過すことなかれ。時を空しく過した人は地獄に墜ちて悲しむからである。

334)怠りは塵垢(ちりあか)である。怠りに従って塵垢がつもる。つとめはげむことによって、また明知によって、自分にささった矢を抜け。

注1;坐れ――足を組んで禅定を修せよ、の意。

人間にはいろいろの欲望があるが、強い意志があれば、それを制御することができる。しかし、いかんとも超克し難いのは、睡眠したいと言う欲望である。だから、それを制御せよ、というのである。

11、ラ ー フ ラ(注1)

注1;ラーフラ――伝説によると、釈尊が故郷カピラヴァットゥへ帰ったときに一子ラーフラを出家せしめ、成年に達したときにサーリプッタ(岡野注;舎利子)がかれに完備した戒律を授けたという。ところでラーフラは生れが良かったことなどの故に、サーリプッタを軽蔑する傾きがあったという。開祖の実子であるという気持が、かれをしてつけ上がらせたのであろう。そこで次の対話が伝えられている。

12、ヴ ァ ン ギ ー サ

わたくしがこのように聞いたところによると、――あるとき尊き師(ブッダ)はアーラヴィーにおけるアッガーラヴァ霊樹のもとにおられた。そのとき、ヴァンギーサさんの師でニグローダ・カッパという名の長老が、アッガーラヴァ霊樹のもとで亡くなってから、間がなかった。そのときヴァンギーサさんはひとり閉じこもって沈思していたが、このような思念が心に起った、――「わが師は実際に亡くなったのだろうか、あるいはまだ亡くなっていないのだろうか?」と。

そこでヴァンギーサさんは、夕方に沈思から起き出て、師のいますところに赴いた。そこで師に挨拶して、傍に坐った。傍に坐ったヴァンギーサさんは師にいった、「尊いお方さま。わたくしがひとり閉じこもって沈思していたとき、このような思念が心に起りました。――〈わが師は実際に亡くなったのだろうか、或はまだ亡くなっていないのだろうか?〉」と。そこでヴァンギーサさんは坐から立上がって、衣を左の肩にかけて右肩をあらわし、師に向って合掌し、師にこの詩を以て呼びかけた。

348)風が密雲を払いのけるように、〔この人(注1)〕(ブッダ)が煩悩の汚れを払うのでなければ、全世界は覆われて、暗黒となるでありましょう。光輝ある人々(注2)も輝かないでありましょう。

注1;人――ブッダのこと。ブッダは原則的に人なのである。

注2;光輝ある人々――サーリプッタ(岡野注;舎利子)など智慧の光のある人々。

13、正 し い 遍 歴(注1)

360)師はいわれた、「瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ、吉凶の判断をともにすてた修行者は、正しく世の中を遍歴するであろう。

361)修行者が、迷いの生存を超越し、理法をさとって、人間及び天界の諸々の享楽に対する貪欲(とんよく)を慎しむならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

368)修行者が、自分に適当なことを知り、世の中で何ものをも害(そこな)うことなく、如実に理法を知っているのであるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

369)かれにとっては、いかなる潜在的妄執も存ぜず、悪の根が根こそぎにされ、ねがうこともなく、求めることもないならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

370)煩悩の汚(けが)れはすでに尽き、高慢を断ち、あらゆる貪りの路を超え、みずから制し、安らぎを帰し、こころが安立しているならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

374)究極の境地を知り、理法をさとり、煩悩の汚れを断ずることを明らかに見て、あらゆる(生存を構成する要素)を滅しつくすが故に、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。」

注1;正しい遍歴――古代インドのバラモン教の法典によると、バラモンは人生の4時期の慣習を実行すべきであるとされている。それは実際問題として制度化されている。ところでこの4つの時期のうちで、最後の第4の時期、すなわち遍歴修行の時期が最も尊いとされていた。そこでゴーダマ・ブッダはこの「遍歴」とは何であるか、ということをここで論議して、その内容を倫理的なものに改めているのである。

14、ダ ン ミ カ

390)実に或る人々は(誹謗の)ことばに反撥する。かれら浅はかな小賢しい人々をわれらは賞讃しない。(論争の)執著があちこちから生じて、かれらを束縛し、かれらはそこでおのが心を遠くへ放ってしまう。

393)次に在家の者の行うつとめを汝らに語ろう。このように実行する人は善い〈教えを聞く人〉(仏弟子)である。純然たる出家修行者に関する規定は、所有のわずらいある人(在家者)がこれを達成するのは実に容易ではない。

404)正しい法(に従って得た)財を以て母と父とを養え。正しい商売を行え。つとめ励んでこのように怠ることなく暮している在家者は、(死後に)〈みずから光を放つ〉という名の神々のもとに赴く。」

■第3 大 い な る 章

2、つ と め は げ む こ と(注1)

426)(悪魔)ナムチはいたわりのことばを発しつつ近づいてきて、言った、「あなたは瘠せていて、顔色も悪い。あなたの死が近づいた。

427)あなたが死なないで生きられる見込みは、千に1つの割合だ。きみよ、生きよ。生きたほうがよい。命があってこそ諸々の善行をなすこともできるのだ。

428)あなたがヴェーダ学生としての清らかな行いをなし(注2)、聖火に供物(そなえもの)をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる。(苦行に)つとめはげんだところで、何になろうか。

429)つとめはげむ道は、行きがたく、行いがたく、達しがたい。」

この詩を唱(とな)えて、悪魔は目ざめた人(ブッダ)の側に立っていた。

430)かの悪魔がこのように語ったときに、尊師(ブッダ)は次のように告げた。――「怠け者の親族よ、悪しき者よ。汝は(世間の)善業を求めてここに来たのだが、

431)わたくしにはその(世間の)善業を求める必要は微塵もない。悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい。

432)わたくしには信念があり、努力があり、また智慧がある。このように専心しているわたくしに、汝はどうして生命(いのち)をたもつことを尋ねるのか?

433)(はげみから起る)この風は、河水の流れをも涸らすであろう。ひたすら専心しているわが身の血がどうして涸渇しないであろうか。

434)(身体の)血が涸れたならば、胆汁も痰も涸れるであろう。肉が落ちると、心はますます澄んでくる。わが念(おも)いと智慧と統一した心とはますます安立するに至る。

435)わたくしはこのように安住し、最大の苦痛を受けているのであるから、わが心は諸々も欲望にひかれることがない。見よ、心身の清らかなことを。

436)汝の第1の軍隊は欲望であり、第2の軍隊は嫌悪であり、第3の軍隊は飢渇(きかつ)であり、第4の軍隊は妄執といわれる。

437)汝の第5の軍隊はものうさ、睡眠であり、第6の軍隊は恐怖といわれる。汝の第7の軍隊は疑惑であり、汝の第8の軍隊はみせかけ(注3)と強情と、

438)誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉と、また自己をほめたたえて他人を軽蔑することである。

439)ナムチよ、これらは汝の軍勢である。黒き魔の攻撃軍である。勇者でなければ、かれにうち勝つことができない。(勇者は)うち勝って楽しみを得る。

440)このわたしがムンジャ草を取り去るだろうか?(敵に降参してしまうだろうか?)この場合、命はどうでもよい。わたくしは、敗れて生きながらえるよりは、戦って死ぬほうがましだ。

441)或る修行者たち・バラモンどもは、この(汝の軍隊)のうちに埋没してしまって、姿が見えない。そうして徳行ある人々の行く道をも知っていない。

442)軍勢が4方を包囲し、悪魔が象に乗ったのを見たからには、わたくしは立ち迎えてかれらと戦おう。わたくしはこの場所から退けることなかれ。

443)神々も世間の人々も汝の軍勢を破り得ないが、わたくしは知慧の力で汝の軍勢をうち破る。――焼いてない生の土鉢を石で砕くように。

444)みずから思いを制し、よく念い(注意)を確立し、国から国へと遍歴しよう。――教えを聞く人々をひろく導きながら。

445(注4))かれらは、無欲となったわたくしの教えを実行しつつ、怠ることなく、専心している。そこに行けば憂えることのない境地に、かれらは赴くであろう。」

446)(悪魔はいった)、

「われは7年間も尊師(ブッダ)に、一歩一歩ごとにつきまとうていた。しかもよく気をつけている正覚者には、つけこむ隙をみつけることができなかった。」

447)烏(からす)が脂肪の色をした岩石の周囲をめぐって『ここに柔らかいものが見つかるだろうか?味のよいものがあるだろうか?』といって飛び廻ったようなものである。

448)そこに美味が見つからなかったので、烏はそこから飛び去った。岩石に近づいたその烏のように、われらは厭(あ)いてゴーダマ(ブッダ)を捨て去る。」

449)悲しみにうちしおれた悪魔の脇から、琵琶がパタッと落ちた。ついで、かの夜叉は意気銷沈してそこに消え失せた。

注1;つとめはげむこと――主として精神的な努力精励をいう。ここにえがかれていることは、諸伝説と対照して考えると、成道以前のブッダが悪魔と戦ったことをいう。

注2;あなたがヴェーダ学生として清らかな行いをなし――ここでは独身の学生として師のもとでヴェーダ聖典を学習する第1の時期と、次に家に帰ってから結婚して家長となり祭祀を司る第2の時期とに言及している。いずれもバラモン教の律法書に規定されていることであり、その規定を守るべきことを、ここで悪魔が勧めているのである。

注3;みせかけ――偽善に通ずるものである。

注4;(444)-(445) この2つの詩句から見ると、人々に対して教えを説くことが、義務とされているのである。

3、み ご と に 説 か れ た こ と

  わたくしが聞いたところによると、――或るとき尊き師ブッダはサーヴァッティー市のジュータ林、〈孤独な人々に食を給する長者の園〉におられた。そのとき師は諸々の〈道の人〉に呼びかけられた、「修行僧たちよ」と。「尊き師よ」と、〈道の人〉たちは師に答えた。師は告げていわれた、「修行僧たちよ。4つの特徴を具えたことばは、みごとに説かれたのである。悪しく説かれたのではない。諸々の智者が見ても欠点なく、非難されないものである。その4つとは何であるか?道の人たちよ、ここで修行僧が、⑴みごとに説かれたことばのみを語り、悪しく説かれたことばを語らず、⑵理法のみを語って理にかなわぬことを語らず、⑶好ましいことのみを語って、このましからぬことを語らず、⑷真実のみを語って、虚妄を語らないならば、この4つの特徴を具えていることばは、みごとに説かれたのであって、悪しく説かれたのではない。諸々の智者が見ても欠点なく、非難されないものである。」尊き師はこのことを告げた。そのあとでまた、〈幸せな人〉である師は、次のことを説いた。

450)立派な人々は説いた――⑴最上の善いことばを語れ。(これが第1である。)⑵正しい理(ことわり)を語れ、理に反することを語るな。これが第2である。⑶好ましい言葉を語れ。このましからぬことばを語るな。これが第3である。⑷真実を語れ。偽りを語るな。これが第4である。

そこでヴァンギーサ長老は師の面前で、ふさわしい詩を以て師をほめ称えた。

451)自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。これこそ実に善く説かれたことばなのである。

452)好ましいことば(注1)のみを語れ。そのことばは人々に歓び迎えられることばである。感じの悪いことばを避けて、他人の気に入ることばのみを語るのである。

453)真実は実に不滅のことばである。これは永遠の理法である。立派な人々は、真実の上に、ためになることの上に、また理法の上に安立しているといわれる。

454)安らぎに達するために、苦しみを終滅させるために、仏の説きたもうおだやかなことばは、実に諸々のことばのうちで最上のものである。

注1;好ましいことば――漢訳仏典ではしばしば「愛語」と訳すが、愛情のこもったことばである。

4、ス ン ダ リ カ ・ バ ー ラ ド ヴ ァ ー ジ ャ

  わたくしが聞いたところによると、――或るとき尊き師(ブッダ)はコーサラ国のスンダリカー河の岸に滞在しておられた。ちょうどその時に、バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャ(注1)はスンダリカー河の岸辺で聖火をまつり、火の祀りを行った。バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、聖火をまつり、火の祀りを行ったあとで、座から立ち、あまねく4方を眺めていった、――「この供物(そなえもの)のおさがりを誰に食べさせようか。」

バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは、遠からぬところで尊き師(ブッダ)が或る樹の根もとで頭まで衣をまとって坐っているのを見た。見おわってから、左手で供物のおさがりをもち、右手で水瓶をもって師のおられるところに近づいた。そこで師はかれの足音を聞いて、頭の覆いをとり去った。そのときバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは「この方は頭を剃っておられる。この方は剃髪者である」といって、そこから戻ろうとした。そうしてかれはこのように思った、「この世では、或るバラモンたちは、頭を剃っているということもある。さあ、わたしはかれに近づいてその生れ(素性)を聞いてみよう」と。

そこでバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャは師のおられるところに近づいた。それから師にいった、「あなたの生れは何ですか?」と。

そこで師は、バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァージャに詩を以て呼びかけた。

462)生れを問うことなかれ。行いを問え。火は実にあらゆる薪から生ずる。賤しい家に生まれた人でも、聖者として道心堅固であり、恥を知って慎しむならば、高貴の人となる。

463)真実をもてみずから制し、(諸々の感官を)慎しみ、ヴェーダの奥義(おくぎ)に達し、清らかな行いを修めた人――そのような人こそ適当な時に供物(そなえもの)をささげよ。――バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

464)諸々の欲望を捨てて、家なくして歩み、よくみずから慎しんで、梭(ひ)のように真直ぐな人々、――そのような人こそ適当な時に供物(そなえもの)をささげよ。――バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

465)貪欲(とんよく)を離れ、諸々の感官を静かにたもち、月がラーフの捕われから脱したように(捕われることのない)人々――そのような人こそ適当な時に供物(そなえもの)をささげよ。――バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

466)執著(しゅうじゃく)することなくして、常に心をとどめ、わがものと執(しゅう)したものを(すべて)捨て去って、世の中を歩き廻る人々、――そのような人こそ適当な時に供物(そなえもの)をささげよ。――バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

467)諸々の欲望を捨て、欲にうち勝ってふるまい、生死のはてを知り、平安に帰し、清涼なること湖水のような〈全き人〉(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

468)全き人(如来)は、平等なるもの(過去の目ざめた人々、諸仏)と等しくして、平等ならざる者どもから遙かに遠ざかっている。かれは無限の智慧あり。この世でもかの世でも汚(けが)れに染まることがない。〈全き人〉(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

469)偽りもなく、慢心もなく、貧欲を離れ、わがものとして執著することなく、欲望をもたず、怒りを除き、こころ静まり、憂いの垢を捨て去ったバラモンである〈全き人〉(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

470)こころの執著をすでに断って、何らとらわれるところがなく、この世についてもかの世についてもとらわれることがない〈全き人〉(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

471)こころをひとしく静かにして激流をわたり、最上の知見によって理法を知り、煩悩の汚(けが)れを滅しつくして、最後の身体をたもっている(注2)〈全き人〉(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

472)かれは、生存の汚れも、荒々しいことばも、除き去られ滅びてしまって、存在しない。かれはヴェーダに通じた人であり、あらゆることがらに関して解脱している〈全き人〉(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

473)執著を超えていて、執著をもたず、慢心にとらわれている者どものうちにあって慢心にとらわれることなく、畑及び地所(苦しみの起る因縁)とともに苦しみを知りつくしている〈全き人〉(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

474)欲望にもとづくことなく、遠ざかり離れることを見、他人の教える異った見解を超越して、何らこだわってとらわれることのない〈全き人〉(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

475)あれこれ一切の事物をさとって、それらが除き去られ滅びてしまって存在しないで、平安に帰し、執著を滅ぼしつくして解脱している〈全き人〉(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

476)煩悩の束縛と迷いの生存への生れかわりとが滅び去った究極の境地を見、愛欲の道を断って余すところなく、清らかにして、過ちなく、汚れなく、透明である〈全き人〉(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

477)自己によって自己を観じて(それを)認めることなく、こころが等しくしずまり、身体が真直ぐで、みずから安立し、動揺することなく、心の荒(すさ)みなく、疑惑のない〈全き人〉(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

478)迷妄にもとづいて起る障りは何ら存在せず、あらゆることがらについて智見あり、最後の身体をたもち、めでたい無上のさとりを得、――これだけでも人の霊(たましい)は清らかとなる。――〈全き人〉(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

479)「あなたのようなヴェーダの達人にお会いできたのですから、わが供物は真実の供物であれかし。梵天こそ証人としてみそなわせ。先生!ねがわくはわたくしから受けてください。先生!ねがわくはわがお供えの菓子を召し上ってください。」

480)「詩を唱(とな)えて得たものを、わたくしは食うてはならない。バラモンよ、これは正しく見る人々(目ざめた人々、諸仏)のなすきまりではない。詩を唱(とな)えて得たものを目ざめた人々(諸仏)は斥(しりぞ)けたもう。バラモンよ。このきまりが存するのであるから、これが(目ざめた人々、諸仏の)行いのしかた(実践法(注3))である。

481)全き者である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽し悪行による悔恨の消滅した人に対しては、他の飲食をささげよ(注4)。けだしそれは功徳を積もうと望む者の(福)田であるからである。」

482)「先生!わたくしのような者の施しを受け得る人、祭詞の時に探しもとめて供養すべき人、をわたくしは――あなたの教えを受けて――どうか知りたいのです。」

483)「争いを離れ、心に濁りなく、諸々の欲望を離脱し、ものうさを除き去った人、

484)限界を超えたもの(煩悩)を制し、生死を究め、聖者の徳性を身に具えたそのような聖者が祭詞のために来たとき、

485)かれに対して眉をひそめて見下すことをやめ、合掌してかれを礼拝せよ。飲食物をささげて、かれを供養せよ。このような施しは、成就して果報をもたらす。」

486)「目ざめた人(ブッダ)であるあなたさまは、お供えの菓子を受けるにふさわしい。あなたは最上の福田(ふくでん)であり、全世界の布施を受ける人であります。あなたにさし上げた物は、果報が大きいです。」

注1;スンダリカ・バーラドヴァージャ――最後の散文の部分は「蛇の章」の第4「田を耕すバーラドヴァージャ」の終わりの一部に同じ

インド人は大きな衣で身を包むことがあるが、寒いよきには頭までもその衣ですっぽりとかぶってしまう。釈尊もそのような恰好で樹の下に坐していたことがあるのであろう。また釈尊は剃髪していて、いわゆる坊主頭であった。仏像に見られるような髪を整えていたのではないのである。

注2;最後の身体をたもっている――もはや生まれかわってさらに新たな身体を受けることがない、との意。ニルヴァーナに達した人のことをいう。ニルヴァーナに入ると、もはや身体をたもつことがない、と考えていたのである。

注3;実践法――「詩を唱えて得たもの」というのは、恐らく仏教が興起した時代に、バラモンたちがヴェーダの呪句を唱えてそれに対する布施として種々の物品を得ていたが、真の求道者はそのようなことをしてはならない、ということを述べたのであると考えられる〔一般民衆のために祭詞を実行したり呪句を唱えることを、当時バラモンたちが実行し、それによって得る収入がかれらの生活源であった〕。

その裏面に内含されている趣意をいうと、バラモンたちが呪句を唱えたのに対して、物品の謝礼を与えることは無意味であるということを言おうとしているのである。

すると、バラモンたちは生活に困るわけであるが、当時は農耕、労働などに従事するバラモンたちも次第に現れてきた。そのことは、殊にジャータカ物語の中に顕著である(かれらの転職についての補償などはどこからも来なかった)。

最初期の仏教の修行者たちは、合理的な確信をもって行動していた求道者であった。だからこのようなことをキッパリと断言したのである。ところが仏教教団が発展して民衆の間に根を下ろすと、「お経を唱えて布施を受ける」という習俗が成立した。

注4;他の飲食をささげよ――呪句を唱えたことに対する布施としての飲食物ではなくて、他の性質の飲食物を真の求道者に(=仏教の修行者に)ささげよ、というのである。

6、サ ビ ヤ

  わたくしが聞いたところによると、――或るとき尊き師(ブッダ)は王舎城の竹園林にある栗鼠飼養の所に住んでおられた。そのとき遍歴の行者サビヤに、昔の血縁者であるが(今は神となっている)一人の神が質問を発した、――「サビヤよ。〈道の人〉であろうとも、バラモンであろうとも、汝が質問したときに明確に答えることのできる人がいるならば、汝はその人のもとで清らかな行いを修めなさい」と。そこで遍歴の行者サビヤは、その神からそれらの質問を受けて、次の〔6師〕のもとに至って質問を発した。すなわちブーラナ・カッサパ、マッカリ・ゴーサーラ、アジタ・ケーサンバリ、パクダ・カッチャーヤナ、ベッラーッティ族の子であるサンジャヤ、ナータ族の子であるニガンタとであるが、かれらは〈道の人〉あるいはバラモンであり、衆徒をひきい、団体の師であり、有名で名声あり、教派の開祖であり、多くの人々から立派な人として崇(あが)められていた。〔しかるに〕かれらは、遍歴の行者サビヤに質問されても、満足に答えることができなかった。そうして、怒りと嫌悪と憂いの色をあらわしたのみならず、かえって遍歴の行者サビヤに反問した。そこで遍歴の行者サビヤはこのように考えた、「これらの〈道の人〉またはバラモンであられる方々は衆徒をひきい、団体の師であり、有名で名声あり、教派の開祖であり、多くの人々から立派な人として崇められている。かれら、すなわちブーラナ・カッサパからさらについにナータ族の子であるニガンタに至るまでの人々は、わたしに質問されても、満足に答えることができなかった。満足に答えることができなないで、怒りと嫌悪と憂いの色をあらわしたのみならず、わたしに反問した。さあ、わたくしは低く劣った状態(在俗の状態)に戻って諸々の欲望を享楽することにしよう」と。

そのとき遍歴の行者サビヤはまたこのように考えた、「ここにおられる〈道の人〉ゴータマもまた衆徒をひきい、団体の師であり、有名で名声あり、教派の開祖であり、多くの人々から立派な人として崇(あが)められている。さあ、わたしは〈道の人〉ゴータマに近づいて、これらの質問を発することにしよう」と。

ー中略ー〈道の人〉ゴータマはわたくしの発したこれらの質問に明確に答え得るであろうか。〈道の人〉ゴータマは生年も若いし、出家したのも新しいことだからである」と。

次いで遍歴の行者サビヤはこのように考えた、「〈道の人〉は若いからといって侮ってはならない。軽蔑してはならない。たといかれが若い〈道の人〉であっても、かれは大神通(だいじんづう)があり、大威力がある。さあ、わたしは〈道の人〉ゴータマのもとに赴(おもむ)いて、この質問を発してみよう」と。

そこで遍歴の行者サビヤは王舎城に向って順次に歩みを進め、王舎城の竹園林にある栗鼠飼養所におられる尊き師(ブッダ)のもとに赴いた。そうして、師に挨拶した。喜ばしい、思い出の挨拶のことばを交したのち、かれは傍に坐した。それから遍歴の行者サビヤは師に詩を以て呼びかけた。――

523)サビヤがいった、「諸々の目ざめた人(ブッダ)は誰を〈田の勝者〉と呼ぶのですか?何によって巧みなのですか?どうして〈賢者〉なのですか?どうして〈聖者〉と呼ばれるのですか?先生!おたずねしますが、わたくしに説明してください。」

524)師が答えた、「サビヤよ天の田・人の田・梵天の田という一切の田を弁別して、一切の田の根本の束縛から離脱した人、――このような人がまさにその故に〈田の勝者〉とよばれるのである。

525)天の蔵(くら)・人の蔵・梵天の蔵なる一切の蔵を弁別して、一切の蔵の根本の束縛から離脱した人、――このような人がまさにその故に〈巧みな人〉とよばれるのである。

526)内面的にも外面的にも2つながらの白く浄らかなものを弁別して、清らかな智慧あり、黒と白(善悪業)を超越した人、――このような人はまさにその故に〈賢者〉とよばれる。

527)全世界のうちで内面的にも外面的にも正邪の道理を知っていて、人間と神々の崇敬を受け、執著(しゅうじゃく)の網を超えた人――かれは〈聖者〉である。」

そこで、遍歴の行者サビヤは尊き師(ブッダ)の両足に頭をつけて礼して、言った、――「すばらしいことです、尊いお方さま。すばらしいことです、譬えば倒れた者を起すように、覆われたものを開くように、方角に迷った者に道を示すように、あるいは『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって暗闇の中で灯火をかかげるように、ゴーダマさまは種々のしかたで理法を明らかにされました。ここでわたくしはゴーダマ(ブッダ)さまに帰依したてまつる。また真理と修行僧のつどいに帰依したてまつる。わたくしは師のもとで出家したいのです。完全な戒律を受けたいのです。」

(師はいわれた)、「サビヤよ。かつて異説の徒であった者が、この教えと戒律とにおいて出家しようと望み、完全な戒律を受けようと望むならば、かれは4カ月の間別に住む。4カ月たってから、もういいな、と思ったならば、諸々の修行僧はかれを出家させ、完全な戒律を受けさせて、修行僧となるようにさせる。しかしこの場合は、人によって(期間の)差異のあることが認められる。」

「尊いお方さま。もしもかつて異説の徒であった者が、この教えと戒律とにおいて出家しようと望み、完全な戒律を受けようと望むならば、かれは4カ月の間別に住み、4カ月たってから、もういいな、と思ったならば、諸々の修行僧はかれを出家させ、完全な戒律を受けさせて、修行僧となるようにさせるのであるならば、わたくしは(4カ月ではなくて)、4年間別に住みましょう。そうして4年たってから、もういいな、と思ったならば、諸々の修行僧はわたくしを出家させ、完全な戒律を受けさせて、修行僧となるようにさせてください。」

さて遍歴の行者サビヤは(直ちに)師のもとで出家し、完全な戒律を受けた。それからまもなく、この長老サビヤは独りで他人から遠ざかり、怠ることなく精励し専心していたが、やがて無上の清らかな行いの究極――諸々の立派な人々はそれを得るために正しく家を出て家なき状態に赴いたのであるが――を現世においてみずからさとり、証し、具現して日を送った。「生まれることは尽きた。清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。もはや再びこのような生存を受けることはない」とさとった。そうしてサビヤ長老は聖者の一人となった。

8、矢(注1)

582)汝は、来た人の道を知らず、また去った人の道を知らない。汝は(生と死の)両極を見きわめないで、いたずらに泣き悲しむ。

583)迷妄にとらわれ自己を害っている人が、もしも泣き悲しんでなんらかの利を得ることがあるならば、賢者もそうするがよかろう。

588)ひとびとがいろいろと考えてみても、結果は意図とは異なったものとなる。壊(やぶ)れて消え去るのは、このとおりである。世の成りゆくさまを見よ。

589)たとい人が百年生きようとも、あるいはそれ以上生きようとも、終には親族の人々から離れて、この世の生命を捨てるに至る。

590)だから〈尊敬さるべき人(注2)〉の教えを聞いて、人が死んで亡くなったのを見ては、「かれはもうわたしの力の及ばぬものだ」とさとって、嘆き悲しみを去れ。

592)己が悲嘆と愛執と憂いとを除け。己が楽しみを求める人は、己が(煩悩の)矢を抜くべし。

593)(煩悩の)矢を抜き去って、こだわることなく、心の安らぎを得たならば、あらゆる悲しみを超越して、悲しみなき者となり、安らぎに帰する。

注1;矢――〈近親が亡くなった悲しみに打ちひしがれるな〉という教えを述べている一節である。或る在俗信者が子を失って、悲嘆のあまり、7日間食をとらなかったのを、ブッダが同情して、かれの家に赴いて、かれの、悲しみを除くために、この教えを説いたと、パーリ文註解には説明されている。

注2;尊敬さるべき人――この場合には、ブッダのことをいう。或いは諸宗教を通じての聖者と解してもよい。

9、ヴ ァ ー セ ッ タ

601)草や木にも(種類の区別のあることを)知れ。しかしかれらは(『われらは草である』とか、『われらは木である』とか)言い張ることはない。かれらの特徴は生れにもとづいている。かれらの生れはいろいろと異なっているからである。

607)これらの生類には生れにもとづく特徴はいろいろと異っているが、人類にはそのように生れにもとづく特徴がいろいろと異っているということはない。

610)手についても、足についても、指についても、爪についても、脛(すね)についても、腿(もも)についても、容色についても、音声についても、他の生類の中にあるような、生れにもとづく特徴(の区別)は(人類のうちには)決して存在しない。

611)身を稟(う)けた生きものの間ではそれぞれ区別があるが、人間のあいだではこの区別は存在しない。人間のあいだで区別表示が説かれるのは、ただ名称によるのみ。

620)われは、(バラモン女の)胎(はら)から生れ(バラモンの)母から生まれた人をバラモンと呼ぶのではない。かれは〈きみよ、といって呼びかける者〉といわれる。かれは何か所有物の思いにとらわれている。無一物であって執著にない人、――かれをわたくしは〈バラモン〉と呼ぶ。

648)世の中で名とし姓として付けられているものは、名称にすぎない。(人の生まれた)その時その時に付けられて、約束の取り決めによってかりに設けられて伝えられているのである。

650)生れによって〈バラモン〉となるのではない。生れによって〈バラモンならざる者〉となるのでもない。行為によって〈バラモン〉なのである。行為によって〈バラモンならざる者〉なのである。

652)行為によって盗賊ともなり、行為によって武士ともなるのである。行為によって司祭者となり、行為によって王ともなる。

653)賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報いとを熟知している。

654)世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は業(行為)に束縛されている。――進み行く車が轄(くさび)に結ばれているように。

655)熱心な修行と清らかな行いと感官の制御と自制と、――これによって〈バラモン〉となる。これが最上のバラモンの境地である。

10、コ ー カ ー リ ヤ(注1)

661)嘘を言う人は地獄に堕ちる。また実際にしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人もまた同じ。両者ともに行為の卑劣な人々であり、死後にはあの世で同じような運命を受ける(地獄に堕ちる)。

663)種々なる貪欲(とんよく)に耽(ふけ)る者は、ことばで他人をそしる。――かれ自身は、信仰心なく、ものおしみして、不親切で、けちで、やたらにかげ口を言うのだが。

664)口穢(くちぎたな)く、不実で、卑しい者よ。生きものを殺し、邪悪で、悪業をなす者よ。下劣を極め、不吉な、でき損(そこな)いよ。この世であまりおしゃべりするな。お前は地獄に堕ちる者だぞ。

678)ここに説かれた地獄の苦しみがどれほど永く続こうとも、その間は地獄にとどまらねばならない。それ故に、ひとは清く、温良で、立派な美徳をめざして、常にことばとこころをつつしむべきである。

注1;しかし、ここでブッダは、コーカーりやに対して、むしろサーリプッタとモッガラーナをかばっている。そこから解ることは、⑴ブッダは、教団内の異なった意見に対して寛容であった。⑵かれは他人を非難することを好まなかった。

12、二 種 の 観 察

■「修行僧たちよ。善にして、尊く、出離を得させ、さとりにみちびく諸々の真理がある。そなたたちが、『善にして、尊く、出離を得させ、さとりにみちびく諸々の真理を聞くのは、何故であるか』と、もしだれかに問われたならば、かれらに対しては次のように答えねばならぬ。――『2種ずつの真理を如実に知るためである』と。しからば、そなたたちのいう2種とは何であるか、というならば、『これは苦しみである。これは苦しみの原因である』というのが、1つの観察〔法〕である。『これは苦しみの消滅である。これは苦しみの消滅に至る道である』というのが、第2の観察〔法〕である。修行僧たちよ。このように2種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、2つの果報のうちのいずれか1つの果報が期待され得る。

――すなわち現世における〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないこと(不還(ふげん))である。――

■「修行僧たちよ。『また他の方法によっても2種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?『およそ苦しみが生ずるのは、すべて素因に縁(よ)って起るのである』というのが、1つの観察〔法〕である。『しかしながら素因が残りなく消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第2の観察〔法〕である。このように2種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、2つの果報のうちいずれか1つの果報が期待され得る。――すなわち現世における〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」――

師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師(ブッダ)は、さらにまた次のように説かれた。

728)世間には種々なる苦しみがあるが、それらは生存の素因にもとづいて生起する。実に愚者は知らないで生存の素因をつくり、くり返し苦しみを受ける。それ故に、知り明らめて、苦しみの生ずる原因を観察し、再生の素因をつくるな。

■「修行僧たちよ。『また他の方法によっても2種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?『どんな苦しみが生ずるのでも、すべて無明に縁(よ)って起るのである』というのが、1つの観察〔法〕である。『しかしながら無明が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第2の観察〔法〕である。このように2種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、2つの果報のうちいずれか1つの果報が期待され得る。――すなわち現世における〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」――

師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師(ブッダ)は、さらにまた次のように説かれた。

■「修行僧たちよ。『また他の方法によっても2種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?『およそ苦しみが生ずるのは、すべて潜在的形成力に縁(よ)って起るのである』というのが、1つの観察〔法〕である。『しかしながら潜在的形成力が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第2の観察〔法〕である。このように2種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、2つの果報のうちいずれか1つの果報が期待され得る。――すなわち現世における〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」――

師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師(ブッダ)は、さらにまた次のように説かれた。

■「修行僧たちよ。『また他の方法によっても2種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?『およそ苦しみが生ずるのは、すべて識別作用(識)に縁(よ)って起るのである』というのが、1つの観察〔法〕である。『しかしながら識別作用が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第2の観察〔法〕である。このように2種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、2つの果報のうちいずれか1つの果報が期待され得る。――すなわち現世における〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。」――

師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師は、さらにまた次のように説かれた。

735)およそ苦しみが生ずるのは、すべて識別作用に縁(よ)って起るのである。識別作用が消滅するならば、もはや苦しみの生ずることは有りえない。

736)「苦しみは識別作用にに縁って起るのである」と、この禍を知って、識別作用を静まらせたならば、修行者は、快をむさぼることなく、安らぎに帰しているのである。

■「修行僧たちよ。『また他の方法によっても2種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?『およそ苦しみが生ずるのは、すべて妄執(愛執)に縁(よ)って起るのである』というのが、1つの観察〔法〕である。『しかしながら妄執が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第2の観察〔法〕である。このように2種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、2つの果報のうちいずれか1つの果報が期待され得る。――すなわち現世における〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。――

師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師(ブッダ)は、さらにまた次のように説かれた。

740)妄執を友としている人は、この状態からかの状態へと永い間流転して、輪廻を超えることができない。

741)妄執は苦しみの起る原因である、とこの禍いを知って、妄執を離れて、執著することなく、よく気をつけて、修行僧は遍歴すべきである。

■「修行僧たちよ。『また他の方法によっても2種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?『およそ苦しみが生ずるのは、すべて執著に縁(よ)って起るのである』というのが、1つの観察〔法〕である。『しかしながら諸々の執著が残りなく消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第2の観察〔法〕である。このように2種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、2つの果報のうちいずれか1つの果報が期待され得る。――すなわち現世における〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。――

師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師は、さらにまた次のように説かれた。

742)執著に縁って生存が起る。生存せる者は苦しみを受ける。生まれた者は死ぬ。これが苦しみの起る原因である。

743)それ故に諸々の賢者は、執著が消滅するが故に、正しく知って、生れの消滅したことを熟知して、再び迷いの生存にもどることがない。

■「修行僧たちよ。『また他の方法によっても2種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?『およそ苦しみが生ずるのは、すべて起動に縁(よ)って起るのである』というのが、1つの観察〔法〕である。『しかしながら諸々の起動が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第2の観察〔法〕である。このように2種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、2つの果報のうちいずれか1つの果報が期待され得る。――すなわち現世における〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。――

師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師は、さらにまた次のように説かれた。

■「修行僧たちよ。『また他の方法によっても2種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?『およそ苦しみが生ずるのは、すべて動揺に縁(よ)って起るのである』というのが、1つの観察〔法〕である。『しかしながら諸々の動揺が残りなく消滅するならば、苦しみの生ずることがない』というのが第2の観察〔法〕である。このように2種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、2つの果報のうちいずれか1つの果報が期待され得る。――すなわち現世における〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。――

師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師は、さらにまた次のように説かれた。

750)およそ苦しみが起るのは、すべて動揺を縁(として起る諸々の動揺が消滅するならば、もはや苦しみの生ずることもない。

751)「苦しみは動揺の縁から起る」と、この禍いを知って、それ故に修行僧は(妄執の)動揺を捨て去って、諸々の潜在的形成力を制止して、無動揺・無執著で、よく気をつけて、遍歴すべきである。

■「修行僧たちよ。『また他の方法によっても2種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?『従属する者は、たじろぐ』というのが、1つの観察〔法〕である。『従属することのない者は、たじろがない』というのが第2の観察〔法〕である。このように2種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、2つの果報のうちいずれか1つの果報が期待され得る。――すなわち現世における〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。――

師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師は、さらにまた次のように説かれた。

752)従属することのない人は、たじろがない。しかし従属することのある人は、この状態からあの状態へと執著していて、輪廻を超えることがない。

753)「諸々の従属の中に大きな危険がある」と、この禍いを知って、修行僧は、従属することなく、執著することなく、よく気をつけて、遍歴すべきである。

■「修行僧たちよ。『また他の方法によっても2種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?『物質的領域よりも非物質的領域のほうが、よりいっそう静まっている』というのが、1つの観察〔法〕である。『非物質的領域よりも消滅のほうが、よりいっそう静まっている』というのが第2の観察〔法〕である。このように2種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、2つの果報のうちいずれか1つの果報が期待され得る。――すなわち現世における〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。――

師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師は、さらにまた次のように説かれた。

754)物質的領域(注1)に生まれる諸々の生存者と非物質的領域(注2)に住む諸々の生存者とは、消滅を知らないので、再びこの世の生存に戻ってくる。

755)しかし物質的領域を熟知し、非物質的領域に安住し、消滅において解脱する人々は、死を捨て去ったのである。

■「修行僧たちよ。『また他の方法によっても2種のことがらを正しく観察することができるのか?』と、もしだれかに問われたならば、『できる』と答えなければならない。どうしてであるか?『神々と悪魔とともなる世界、道の人(沙門)・バラモン・神々・人間を含む諸々の生存者が〈これは真理である〉と考えたものを、諸々の聖者は〈これは虚妄である〉と如実に正しい智慧をもってよく観ずる』――これが1つの観察〔法〕である。『神々と悪魔とともなる世界、道の人(沙門)・バラモン・神々・人間を含む諸々の生存者が〈これは虚妄である〉と考えたものを、諸々の聖者は〈これは真理である〉と如実に正しい智慧をもってよく観ずる』というのが第2の観察〔法〕である。このように2種〔の観察法〕を正しく観察して、怠らず、つとめ励んで、専心している修行僧にとっては、2つの果報のうちいずれか1つの果報が期待され得る。――すなわち現世における〈さとり〉か、あるいは煩悩の残りがあるならば、この迷いの生存に戻らないことである。――

師(ブッダ)はこのように告げられた。そうして、幸せな師は、さらにまた次のように説かれた。

756)見よ、神々並びに世人は、非我なるものを我と思いなし、〈名称と形態〉(個体)に執著(しゅうじゃく)している。「これこそ真理である」と考えている。

757)あるものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、そのものはそれとは異なったものとなる。何となれば、その(愚者の)その(考え)は虚妄なのである。過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。

758)安らぎは虚妄ならざるものである。諸々の聖者はそれを真理であると知る。かれらは実に真理をさとるが故に、快を貪ることなく平安に帰しているのである。

762)他の人々が「安楽」であると称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。解し難き真理を見よ。無智なる人々はここに迷っている。

763)覆われた人々には闇がある。(正しく)見ない人々には暗黒がある。善良なる人々には開顕(かいけん)される。あたかも見る人々に光明のあるようなものである。理法が何であるかを知らない獣(のような愚人)は、(安らぎの)近くにあっても、それを知らない。

764)生存の貪欲にとらわれ、生存の流れにおし流され、悪魔の領土に入っている人々には、この真理は実に覚りがたい。

765)諸々の聖者以外には、そもそも誰がこの境地を覚り得るのであろうか。この境地を正しく知ったならば、煩悩の汚れのない者となって、まどかな平安に入るであろう。

注1;物質的領域――色界をいう。

注2;非物質的領域――無色界をいう。

■第4 八 つ の 詩 句 の 章

1、欲 望 

766)欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくゆくならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。

767)欲望をかなえたいと望み貪欲(とんよく)の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは、矢に射られたかのように、悩み苦しむ。

768)足で蛇の頭を踏まないようにするのと同様に、よく気をつけて諸々の欲望を回避する人は、この世でこの執著をのり超える。

769)ひとが、田畑・宅地・黄金・牛馬・奴婢・傭人・婦女・親族、その他いろいろの欲望を貪りもとめると、

770)無力のように見えるもの(諸々の煩悩)がかれにうち勝ち、危い災難がかれをふみにじる。それ故に苦しみがかれにつき従う。あたかも壊(やぶ)れた舟に水に浸入するように。

771)それ故に、人は常によく気をつけていて、諸々の欲望を回避せよ。船のたまり水を汲み出すように、それらの欲望を捨て去って、激しい流れを渡り、彼岸に到達せよ。

2、洞 窟 に つ い て の 八 つ の 詩 句

772)窟(いわや)(身体)のうちにとどまり、執著し、多くの(煩悩)に覆われ、迷妄のうちに沈没すている人――このような人は、実に〈遠ざかり離れること〉(厭離)から遠く隔っている。実に世の中にありながら欲望を捨て去ることは、容易ではないからだ。

773)欲求にもとづいて生存の快楽にとらわれている人々は、解脱しがたい。他人が解脱くれるのではないからである。かれらは未来をも過去をも顧慮しながら、これらの(目の前の)欲望または過去の欲望を貪る。

774)かれらは欲望を貪り、熱中し、溺れて、吝嗇で、不正になずんでいるが、(死時には)苦しみにおそわれて悲嘆する、――「ここで死んでから、われらはどうなるのだろうか」と。

775)だから人はここにおいて学ぶべきである。世間で「不正」であると知られているどんなことであろうとも、それのために不正を行ってはならない。「ひとの命は短いものだ」と賢者たちは説いているのだ。

776)この世の人々が、諸々の生存に対する妄執を離れないで、死に直面して泣く。

3、悪 意 に つ い て の 八 つ の 詩 句

785)諸々の事物に関する固執(はこれこれのものであると)確かに知って、自己の見解に対する執著を超越することは、容易ではない。故に人はそれらの(偏執の)住居(すまい)のうちにあって、ものごとを斥け、またはこれを執(と)る。

786)邪悪を掃(はら)い除いた人は、世の中のどこにいっても、さまざまな生存に対してあらかじめいだいた偏見が存在しない。邪悪を掃(はら)い除いた人は、いつわりと驕慢とを捨て去っているが、どうして(輪廻に)赴くであろうか?かれはもはやたより近づくものがないのである。

4、清浄についての八つの詩句

788)「最上で無病の、清らかな人をわたくしは見る。人が全く清らかになるのは見解(注1)による」と、このように考えることを最上であると知って、清らかなことを観ずる人は、(見解を、最上の境地に達し得る)智慧であると理解する。

789)もしも人が見解によって清らかになり得るのであるならば、あるいはまた人が知識によって苦しみを捨て得るのであるならば、それでは煩悩にとらわれている人が(正しい道以外の)他の方法によっても清められることになるであろう。このように語る人を「偏見ある人」と呼ぶ。

790)(真の)バラモンは、(正しい道の)ほかには、見解・伝承の学問・戒律・思想のうちのどれによっても清らかになるとは説かない。かれは禍福に汚(けが)されることなく、自我を捨て、この世において(禍福の因を)つくることがない。

791)前の(師など)を捨てて後の(師など)にたより、煩悩の動揺に従っている人々は、執著をのり超えることがない。かれらは、とらえては、また捨てる。猿が枝をとらえて、また放つようなものである。

792)みずから誓戒をたもつ人は、想いに耽って、種々雑多なことをしようとする。しかし智慧ゆたかな人は、ヴェーダによって知り、真理を理解して、種々雑多なことをしようとしない。

795)(真の)バラモンは、(煩悩の)範囲をのり超えている。かれが何ものかを知りあるいは見ても、執著することがない。かれは欲を貪ることなく、また離欲を貪ることもない(注2)。かれは〈この世ではこれが最上のものである〉と固執することもない。

注1;見解――諸宗教や哲学の「教義」を意味する。

注2;欲を貪ることなく、また離欲を貪ることもない――ブッダゴーサは、前者は欲界の貪りに執することなく、の意で、後者は、色界、無色界を貪ることに執することなく、の意に解する。しかし『スッタニパータ』の最古層においては、まだ三界説は成立していなかったから、後代の思想にもとづいたこの解釈は無理である。恐らく、「欲望にとらわれることなく、また無理に欲望をなくそうと思ってその願望にとらわれることもなく」というのが、原意であったのであろう。

理想の修行者は、欲望を離れているのみならず、〈欲望を離れている〉ということをも離れているのである。こういう表現は、後代の空観、または禅僧のさとりを思わせるものがある。

5、最 上 に つ い て の 八 つ の 詩 句

796)世間では、人は諸々の見解のうちで勝れているものとみなす見解を「最上のもの」であると考えて、それよりも他の見解はすべて「つまらないものである」と説く。それ故にかれは諸々の論争を超えることがない。

797)かれ(=世間の思想家)は、見たこと・学んだこと・戒律や道徳・思索したことについて、自分の奉じていることのうちにのみすぐれた実りを見、そこで、それだけに執著して、それ以外の他のものをすべてつまらぬものであると見なす。

798)ひとが何か或るものに依拠して「その他のものはつまらぬものである」と見なすならば、それは実にこだわりである、と〈真理に達した人々〉は語る。それ故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない。

799)智慧に関しても、戒律や道徳に関しても、世間において偏見をかまえてはならない。自分を他人と「等しい」と示すことなく、他人よりも「劣っている」とか、或いは「勝れている」とか考えてはならない。

800)かれは、すでに得た(見解)〔先入見〕を捨て去って執著することなく、学識に関しても特に依拠することをしない。人々は(種々異なった見解に)分れているが、かれは実に党派に盲従せず、いかなる見解をもそのまま信ずることがない。

801)かれはここで、両極端に対し、種々の生存に対し、この世についても、来世についても、願うことがない。諸々の事物に関して断定を下して得た固執の住居(すまい)は、かれには何も存在しない。

802)かれはこの世において、見たこと、学んだこと、あるいは思索したことに関して、微塵ほどの妄想をも構えていない。いかなる偏見をも執することのないそのバラモンを、この世においてどうして妄想分別させることができるであろうか?

803)かれらは、妄想分別をなくすことなく、(いずれか1つの偏見を)特に重んずるということもない。かれらは、諸々の教義のいずれかをも受け入れることもない。バラモンは戒律や道徳によって導かれることもない。このような人は、彼岸に達して、もはや還(かえ)ってこない。

6、老 い

804)ああ短いかな、人の生命よ。百歳に達せずして死す。たといそれよりも長く生きたとしても、また老衰のために死ぬ。

805)人々は「わがものである」と執著(しゅうじゃく)した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまっていてはならない。

806)人が「これはわがものである」と考える物、――それは(その人の)死によって失われる。われに従う人は、賢明にこの理を知って、わがものという観念に屈してはならない。

809)わがものとして執著したものを貪り求める人々は、憂いと悲しみと慳(ものおし)みとを捨てることがない。それ故に諸々の聖者は、所有を捨てて行なって安穏を見たのである。

811)聖者はなにものにもとどこおることなく、愛することもなく、憎むこともない。悲しみも慳(ものおし)みもかれを汚すことがない。譬えば(蓮の)葉の上の水が汚されないようなものである。

812)たとえば蓮の葉の上の水滴、あるいは蓮葉の上の水が汚されないように、それと同じく聖者は、見たり学んだり思索したどんなことについても、汚されることがない。

813)邪悪を掃(はら)い除いた人は、見たり学んだり思索したどんなことでも特に執著して考えることがない。かれは他のものによって清らかになろうとは望まない。かれは貧らず、また嫌うこともない。

7、テ ィ ッ サ ・ メ ッ テ イ ヤ

822)(俗事から)離れて独り住むことを学べ。これは諸々の聖者にとって最上のことがらである。(しかし)これだけで『自分が最上の者だ』と考えてはならない。――かれは安らぎに近づいているのだが。

9、マ ー ガ ン デ ィ ヤ

839)師は答えた、「マーガンディヤよ。『教義によって、学問によって、知識によって、戒律や道徳によって清らかになることができる』とは、わたくしは説かない。『教義がなくても、学問がなくても、知識がなくても、戒律や道徳を守らないでも、清らかになることができる』、とも説かない。それらを捨て去って、固執することなく、こだわることなく、平安であって、迷いの生存を願ってはならぬ。(これが内心の平安である。)」

842)『等しい』とか『すぐれている』とか、あるいは『劣っている』とか考える人、――かれはその思いによって論争するであろう。しかしそれらの3種に関して動揺しない人、――かれは『等しい』とか『すぐれている』とか、(あるいは『劣っている』とか)いう思いは存在しない。

843)そのバラモンはどうして『(わが説は)真実である』と論ずるであろうか。またかれは『(汝の説は)虚偽である』といって誰と論争するであろうか?『等しい』とか『等しくない』とかとかいうことのなくなった人は、誰に論争を挑むであろうか。

10、死ぬよりも前に

848)「どのように見、どのような戒律をたもつ人が『安らかである』と言われるのか?ゴータマ(ブッダ)よ。おたずめしますが、その最上の人のことをわたくしに説いてください。」

849)師は答えた、「死ぬよりも前に、妄執を離れ、過去に(注1)こだわることなく、現在においてもくよくよと思いめぐらすことがないならば、かれは(未来に関しても)特に思いわずらうことがない。

850)かの聖者は、怒らず、おののかず、誇らず、あとで後悔するような悪い行いをなさず、よく思慮して語り、そわそわすることなく、ことばを慎しむ。

851)未来を願い求めることなく、過去を思い出して憂えることもない。〔現在〕感官で触れる諸々の対象について遠ざかり離れることを観じ、諸々の偏見に誘われれることがない。

852)(貪欲などから)遠ざかり、偽ることなく、貪り求めることなく、慳(ものおし)みせず、傲慢にならず、嫌われず(注2)、両舌(かげぐち)を事としない(注3)。

853)快いものに耽溺せず、また高慢にならず、柔和で、弁舌さわやかに、信ずることなく(注4)、なにかを嫌うこともない(注5)。

854)利益を欲して学ぶのではない。利益がなかったとしても、怒ることがない。妄執のために他人に逆うことがなく、美味に耽溺することもない。

855)平静であって、常によく気をつけていて、世間において(他人を自分と)等しいとは思わない。また自分が勝れているとは思わないし、また劣っているとも思わない。かれには煩悩の燃え盛ることがない。

856)依りかかることのない人は、理法を知ってこだわることがないのである。かれには、生存のための妄執も、生存の断滅のための妄執も存在しない。

857)諸々の欲望を顧慮することのない人、――かれこそ〈平安なる者〉である、とわたくしは説く。かれには縛(いまし)めの結び目は存在しない。かれはすでに執著を渡り了(お)えた。

858)かれには、子も、家畜も、田畑も、地所も存在しない。すでに得たものも、捨て去ったものも、かれのうちには認められない。

859)世俗の人々、または道の人・バラモンどもがかれを非難して(貪りなどの過(とが))があるというであろうが、かれはその(非難)を特に気にかけることはない。それ故に、かれは論議されても、動揺することがない。

860)聖者は貪りを離れ、慳(ものおし)みすることなく、『自分は勝れたものである』とも、『自分は等しいものである』とも、『自分は劣ったものである』とも論ずることことがない。かれは分別を受けることのないものであって、妄想分別におもむかない。

861)かれは世間において〈わがもの〉という所有がない。また無所有を歎くこともない。かれは〔欲望に促されて〕諸々の事物に赴くこともない。かれは実に〈平安なる者〉と呼ばれる。」

注1;過去に――過去の生存、前世という意味ではなくて、瞬間瞬間に推移してゆく時間のうちの過去の時間をいうのである。

注2;嫌われず――人々から嫌悪されるような下劣な行動をしない、という意味である。人々の嫌がるようなことはしないようにしよう、という意味である。

注3;信ずることなく――西洋の訳者は「軽々しく信じない」「自信をもって厚かましくならない」と訳している。しかしブッダゴーサによると、もっと徹底した合理主義の立場をとっている。自分の確かめたことだけを信ずるのである。いかなる権威者をも信ぜず、神々をさえも信じない。

注4;なにかを嫌うこともない――すでに欲情がなくなっているのだから、欲情がなくなるということもないのだと解する。

もう1つの可能な解釈は、「特に欲情を去るということもない。欲情をそのままにしておく」ということである。今は解り易い解釈に従った。

11、争 闘

865)「世の中で愛し好むもの及び世の中にはびこる貪り(注1)は、欲望にもとづいて起る。また人が来世に関していだく希望とその成就とは、それにもとづいて起る。」

866)「さて世の中で欲望は何にもとづいて起るのですか?また(形而上学的な)断定は何から起るのですか?怒りと虚言と疑惑と及び〈道の人〉(沙門)の説いた諸々のことがらは、何から起るのですか?」

867)「世の中で〈快〉(不快)と称するものに依って、欲望が起る。諸々の物質的存在には生起と消滅とのあることを見て、世の中の人は(外的な事物にとらわれた)断定(注2)を下す。

868)怒りと虚言と疑惑、――これらのことがらも、(快と不快との)2つがあるときに現れる。疑惑ある人は知識の道に学べ。〈道の人〉は、知って、諸々のことがらを説いたのである。」

870)「快と不快とは、感官による接触にもとづいて起る。感官による接触が存在しないときには、これらのものも起らない。生起と消滅ということの意義と、それの起るもととなっているもの(感官による接触)を、われは汝に告げる。」

872)「名称と形態とに依って感官による接触が起る。諸々の所有欲は欲求を縁として起る。欲求がないときには、〈わがもの〉という我執も存在しない。形態が消滅したときには〈感官による接触〉ははたらかない。」

876)「この世において或る賢者たちは、『霊の最上の清浄の境地はこれだけのものである』と語る。さらにかれらのうちの或る人々は断滅を説き、(精神も肉体も)残りなく消滅することのうちに(最上の清浄の境地がある)と、巧みに(注4)かたっている。

877)かの聖者は、『これらの偏見はこだわりがある』と知って、諸々のこだわりを熟考し、知った上で、解脱せる人は論争におもむかない。思慮ある賢者は種々なる変化的生存を受けることがない。」

注1;世の中にはびこる貪り――迷いのなくなった人には苦は消滅している。欲望のなくなった人には、迷いは消滅している。貪りのなくなった人には、欲望が消滅している。何ものも所有しない人には、貪りが消滅している。

注2;断定――愛執にもとづく断定と誤った見解、すなわちアートマンがあると思う見解にもとづく断定と、2種あるという。

注3;名称と形態――これはウバニシャッドに説かれている2つの概念であって、現象界の事物の2つの側面を示す。

注4;巧みに――仏教、特にいわゆる小乗仏教の伝統説によると、無余涅槃にに入ることが修行の目標であった。ところが、ここでは、そういう見解は偏見であるとして、それを排斥しているのである。

12、並 ぶ 応 答――小 篇

884)真理は1つであって、第2のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。かれらはめいめい異なった真理をほめたたえている。それ故に諸々の〈道の人〉は同一の事を語らないのである。

893)自分の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。他(の説)を、「愚かである」、「不浄の教えである」、と説くならば、かれはみずから確執をもたらすであろう。

894)一方的に決定した立場に立ってみずから考えを量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起すことがない。

13、並 ぶ 応 答――長 篇

900)一切の戒律や誓いをも捨て、(世間の)罪過あり或いは罪過なきこの(宗教的)行為をも捨て、「清浄である」とか「不浄である」とかいってねがい求めることもなく、それらにとらわれずに行え。――安らぎを固執することもなく。

903)ねがい求める者には欲念がある。また、はからいのあるときには、おののきがある。この世において死も生も存しない者、――かれは何を怖れよう、何を欲しよう。

907)(真の)バラモンは、他人に導かれるということがない。また諸々のことがらについて断定をして固執することもない。それ故に、諸々の論争を超越している。他の教えを最も勝れたものだと見なすこともないからである。

911)バラモンは正しく知って、妄想分別におもむかない。見解に流されず、知識にもなずまない。かれは凡俗の立てる諸々の見解を知って、心にとどめない。――他の人々はそれに執著しているのだが。――

912)聖者はこの世で諸々の束縛を捨て去って、論争が起ったときにも、党派にくみすることがない。かれは不安な人々のうちにあっても安らけく、泰然として、執することがない。――他の人々はそれに執著しているのだが。――

913)過去の汚れを捨てて、新しい汚れをつくることなく、欲におもむかず、執著して論ずることもない。賢者は諸々の偏見を離脱して、世の中に汚されることなく、自分を責めることもない。

914)見たり、学んだり、考えたりしたどんなことについてでも、賢者は一切の事物に対して敵対することがない。かれは負担をはなれて解放されている。かれははからいをなすことなく、快楽に耽ることなく、求めることもない。

――師はこのように言われた。

14、迅 速

916)師(ブッダ)は答えた、「〈われは考えて、有る〉という〈迷わせる不当な思惟〉の根本をすべて制止せよ。内に存するいかなる妄執をもよく導くために、常に心して学べ。

918)これ(慢心)によって『時分は勝れている』と思ってはならない。『自分は劣っている』とか、また『自分は等しい』とか思ってはならない。いろいろの質問を受けても、自己を妄想せずにおれ。

922)〔師いわく〕、「眼で視ることを貪ってはならない。卑俗な話から耳を遠ざけよ。味に耽溺してはならない。世間における何ものをも、わがものであるとみなして固執してはならない。

923)苦痛を感じることがあっても、修行者は決して悲嘆してはならない。生存を貪り求めてはならない。恐ろしいものに出会っても、慄(ふる)えてはならない。

924)食物や飲料や硬い食べものや衣服を得ても、貯蔵してはならない。またそれらが得られないからとて心配してはならない。

925)こころを安定させよ。うろついてはならない。あとで後悔するようなことをやめよ。怠けてはならぬ。そうして修行者は閑静な座所・臥所(がしょ)に住まうべきである。

926)多く眠ってはならぬ。熱心に努め、目ざめているべきである。ものぐさと偽りと談笑と遊戯と淫欲の交わりと装飾とをすてよ。

927)わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法と夢占いと相の占いと星占いとを行なってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術や医術を行なったりしてはならぬ。

15、武 器 を 執 る こ と

941)聖者は誠実であれ。傲慢でなく、詐りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪な貪りと慳(ものおし)みとを超えよ。

942)安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠惰を宿らせてはならぬ。高慢な態度をとるな。

943)虚言(うそ)をつくように誘(ひ)き込まれるな。美しいすがたに愛著を起すな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。粗暴になることなく、ふるまえ。

944)古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。牽引する者(妄執)(注1)にとらわれてはならない。

950)名称と形態について、〈わがものという思い〉の全く存在しない人、また(何ものかが)ないからといって悲しむことのない人、――かれは実に世の中にあっても老いることがない。

951)「これはわがものである」また「もれは他人のものである」というような思いが何も存在しない人、――かれは(このような)〈わがものという観念〉が存しないから、「われになし」といって悲しむことがない。

952)動揺して煩悩に悩まされることなく、叡智ある人にとっては、いかなる作為も存在しない。かれはあくせくした営みから離れて、至るところに安穏(あんのん)を見る。

注1;索引する者――すべては移り行くということの認識にもとづいて、現実に即した柔軟性に富んだ実践原理が成立するのである。人生の指針として、こんなすばらしいことばがまたあるだろうか!

総じて人間の習性であろうが、年老いた者は昔を懐しみ、昔あったものを何でも良いものだと思う。他方若い人は何でも新奇なものにひきつけられ、古いものを破戒しようとする。この2つの傾向は互いに矛盾し抗争する。これは、いつの時代でも同じことである。最初期の仏教における右の詩句は、明言しているわけではないが、恐らくこういうことに言及しているのであろう。

しかしどちらの傾向も偏っていて、一面的であると言わねばならぬ。もしも昔のもの、古いものをことごとく是認するならば、進歩や発展はあり得ないであろう。またもしもすべて過去のものも否定するならば、人間の文化そのものが有り得ないであろう。またもしもすべて過去のものを否認するならば、人間の文化そのものが有り得ないであろう。文明は過去からの人間の努力の蓄積の上に成立するものであるからである。だから、新しいというだけで跳びついてはならぬ。

人間はどうかすると、人間の根底にひそむ、眼に見えぬ、ごす黒いものに動かされて衝動的に行動することがある。だが、それは、進路をあやまり、破滅のもととなるから、「索引する者(妄執)」に、とらわれていてはならない。

では、過去に対して、「どちらでもない中道をとるのだ」といって、両者の中間をとるならば、それは単に両者を合して稀薄にしただけにすぎないのであって、力のないものになってしまう。

転換期に当って、或る点に関して古いものを残すか、或いはそれを廃止して新しいものを採用するか、という決断に迫られるのではあるが、その際には、その決断は一定の原理に従ってなされねばならぬ。

その原理は、人間のためをはかり、人間を高貴ならしめるものでなければならぬ。それをサンスクリット語でarthaと呼び、漢訳では「義」とか「利」とか訳しているが、邦語でいえば「ため」とでも言い得るであろう。それは「ひとのため」であり、それが同時に高い意味で「わがため」になるのである。

人間のよりどころであり、人間を人間のあるべきすがたにたもつものであるという意味で、原始仏教ではそれを「法」(ダルマ)と呼んだ。仏はその〈法〉を見た人であり、仏教はその〈法〉を明らかにするものである(だから「仏法」ともいう)。その法は、民族や時代の差を超え、さらに諸宗教の区別をも超えて、実現さるべきものなのである。

16、サ ー リ プ ッ タ

964)しっかりと気をつけ分限を守る聡明な修行者は、5種の恐怖にあじけてはならない。すなわち襲いかかる虻と蚊と爬虫類と4足獣と人間(盗賊など)に触れることである。

965)異った他の教えを奉ずる輩(ともがら)(注1)をも恐れてはならない。――たといかれらが多くの恐ろしい危害を加えるのを見ても。――また善を追究して、他の危難にうち勝て。

966)病いにかかり、饑(う)えに襲われても、また寒冷や酷暑をも耐え忍ぶべきである。かの〈家なき人〉は、たといそれらに襲われることがいろいろ多くても、勇気をたもって、堅固に努力をなすべきである。

971)適当な時に食物と衣服とを得て、ここで(少量に)満足するために、(衣食の)量を知れ。かれは衣食に関しては恣(ほしい)ままならず、慎しんで村を歩み、罵られてもあらあらしいことばを発してはならない。

972)眼を下に向けて、うろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。心を平静にして、精神の安定をたもち、思いわずらいと欲のねがいと悔恨とを断ち切れ。

974)またさらに、世間には5つの塵垢がある。よく気をつけて、それらを制するためにつとめよ。すなわち色かたちと音声と味と香りと触れられるものに対する貧欲を抑制せよ。

975)修行僧は、よく気をつけて、心もすっかり解脱して、これらのものに対する欲望を抑制せよ。かれは適当な時に理法を正しく考察し、心を統一して。暗黒を滅ぼせ。」

――と師(ブッダは)はいわれた。

注1;異なった他の教えを奉ずる輩――場合によっては、仏教外の人々を外道と呼ぶが、ここではまだ「外道」というはっきりした観念が成立していなかったのである。

■第5 彼 岸 に 至 る 道 の 章

1、序 

995)かのバーヴァリはこころ喜び、歓喜し、感動して、熱心に、かの女神に問うた。

「世間の主は、どの村に、またどの町に、あるいはどの地方にいらっしゃるのですか?そこへ行って最上の人である正覚者をわれは礼拝しましょう。」

997)そこでかれは(ヴェーダの)神呪(じんじゅ)に通達した諸々の弟子・バラモンたちに告げていった、

「着たれ、学生どもよ。われは、そなたらに告げよう。わがことばを聞け。

998)世間に出現すること常に希有であるところの、かの〈目ざめた人〉(ブッダ)として令名ある方が、いま世の中に現われたもうた。そなたらは急いでサーヴァッティーに赴いて、かの最上の人に見(まみ)えよ。」

2、学 生 ア ジ タ の 質 問 

1033)師(ブッダ)が答えた、

「アジタよ。世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない。欲心が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」

1036)アジタさんがいった、「わが友よ。智慧と気をつけることと名称と形態とは、いかなる場合に消滅するのですか?おたずねしますが、このことをわたしに説いてください。」

1037)「アジタよ。そなたが質問したことを、わたしはそなたに語ろう。識別作用が止滅することによって、名称と形態とが残りなく滅びた場合に、この名称と形態とが滅びる。」

6、学 生 ド ー タ カ の 質 問 

1061)ドータカさんがたずねた、「先生!わたくしはあなたにおたずねします。このことをわたくしに説いてください。偉大な仙人さま。わたくしはあなたのおことばを頂きたいのです。あなたのお声を聞いて、自分の安らぎ(ニルヴァーナ)を学びましょう(注1)。」

1064)「ドータカよ。わたくしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させ得ないであろう。ただそなたが最上の真理(注2)を知るならば、それによって、そなたはこの煩悩の激流を渡るであろう。」

注1;ここでは、「自分の安らぎ(ニルヴァーナ)を学びましょう」という。この文章から見るかぎり、安らぎを実現するために学ぶことがニルヴァーナであり、ニルヴァーナとは学びつつ(実践しつつ)あることにほかならない。ブッダゴーサの注によると、「貧欲などをなくすために(ニルヴァーナのために)戒などを実践をするのだ」と言い、ニルヴァーナを目的と見なし、戒などの実践を手段と見なしている。後代の教義学はみなこういう見解をとっている。しかしこういう見解によるならば、人間はいつになっても、戒律の完全な実践は不可能であるから、ニルヴァーナはついに実現されないであろう。この詩の原文によって見る限り、学び実践することがニルヴァーナであると漠然と考えていたのである、と解することができよう。

注2;最上の真理――ニルヴァーナ、をいう。

ここでは、、徹底した〈自力〉の立場が表明されている。仏は、人々を救うことができないのである。

7、学 生 ウ パ シ ー ヴ ァ の 質 問 

1069)ウパシーヴァさんがたずねた、

「シャカ族の方よ。わたくしは、独りで他のものにたよることなく(注1)して大きな煩悩の激流をわたることはできません。わたくしがたよってこの激流をわたり得る(よりどころ)をお説きください。あまねく見る方よ。」

1070)師(ブッダ)は言われた、「ウパシーヴァよ。よく気をつけて、無所有をめざしつつ、『何も存在しない』と思うことによって、煩悩の激流を渡れ。諸々の欲望を捨てて、諸々の疑惑を離れ、妄執の消滅(注2)を昼夜に観ぜよ。」

1074)師が答えた、「ウパシーヴァよ。たとえば強風に吹き飛ばされた火炎は滅びてしまって(火としては)数えられないように、そのように聖者は名称と身体(注3)から解脱して滅びてしまって、(存在する者としては)数えられないのである。」

注1;他のものにたよることなく――ブッダゴーサによると、「〔他の〕人にたよることもなく、教義にたよることもなく」というのである。

〈宗教〉とは、普通は他のなにものかにたより帰依することだ、と考えられ、またそのように勧められている。ところが、ここでは、他人の権威にたよったり、教義にたよったりすることを否定しているのである。これは偶像破戒の精神に通ずる。

注2:妄執の消滅――ニルヴァーナというものは、固定した境地ではなくて、〈動くもの〉である。前掲の「妄執の消滅を昼夜に観ぜよ」という文章を解釈して、ブッダゴーサは「昼夜にニルヴァーナを盛んならしめて、観ぜよ」という(あるいは「ニルヴァーナを消滅せるものとなして」とも訳し得る)。われわれが、ホッとくつろいだときにには、その安らぎの境地を増大させることができる。それと同様にニルヴァーナを栄えさせ、増大させるか、あるいは少なくとも作り出すことのできるものだと解していたのである。

注3;名称と身体――他の箇所で「名称と形態」と呼んでいるものに同じ。結局、精神と身体とを意味する。

8、学 生 ナ ン ダ の 質 問 

1077)ナンダさんがたずねた、

「世間には諸々の聖者がいる、と世人は語る。それはどうしてですか?世人は知識をもっている人を聖者と呼ぶのですか?あるいは〔簡素な〕生活を送る人を聖者と呼ぶのですか?」

1078)(ブッダが答えた)、

「ナンダよ。世のなかで、真理に達した人たちは、(哲学的)見解によっても、伝承の学問によっても、知識によっても聖者だとは言わない。(煩悩の魔)軍を撃破して、苦悩なく、望むことなく行う人々、――かれらこそ聖者である、とわたしは言う。」

1082)師(ブッダ)は答えた、

「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆われている』と説くのではない。この世において見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究め明かして、心に汚れのない人々――かれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』と、わたしは説くのである。」

9、学 生 ヘ ー マ カ の 質 問 

1086)(ブッダが答えた)、「ヘーマカよ。この世において見たり聞いたり考えたり識別した快美な事物に対する欲望や貪りを除き去ることが、不滅のニルヴァーナの境地である。

1087)このことをよく知って、よく気をつけ、現世において全く煩(わずら)いを離れた人々は、常に安らぎに帰している。世間の執著を乗り超えているのである。」と。

10、学 生 ト ー デ イ ヤ の 質 問 

1089)師(ブッダ)は答えた、

「トーデイヤよ。諸々の欲望のとどまることなく、もはや妄執が存在せず、疑惑を超えた人、――かれには別に解脱は存在しない。」

1090)「かれは願いのない人なのでしょうか?あるいは智慧を得ようとはからいをする人なのでしょうか?シャカ族の方よ。かれが聖者であることをわたくしが知り得るように、そのことをわたくしに説明してください。あまねく見る方よ。」

1091)〔師いわく〕、「かれは願いのない人である。かれはなにものをも希望していない。かれは智慧のある人であるが、しかし智慧を得ようとはからいをする人ではない。トーデイヤよ。聖者はこのような人であると知れ。かれは何ものをも所有せず、欲望の生存に(注1)執著していない。」

注1;欲望の生存に――註解は(欲望の迷いと生存とに)と解する。

12、学 生 ジ ャ ト ゥ カ ン ニ ン の 質 問 

1098)師(ブッダ)は答えた、

「ジャトゥカンニンよ。諸々の欲望に対する貪りを制せよ。――出離を安穏であると見て。取り上げるべきものも、捨て去るべきものも、なにものも、そなたにとって存在してはならない。

1099)過去にあったもの(煩悩)を涸渇せしめよ。未来にはそなたに何ものもないようにせよ。中間においても、そなたが何ものにも執著しないならば、そなたはやすらかにふるまう人となるであろう。

1100)バラモンよ。名称と形態とに対する貪りを全く離れた人には、諸々の煩悩は存在しない。だから、かれは死に支配されるおそれがない。」

14、学 生 ウ ダ ヤ の 質 問 

1106)師(ブッダ)は答えた、

「ウダヤよ。愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、沈んだ気持を除くこと、悔恨をやめること、

1107)平静な心がまえと念(おも)いの清らかさ、――それらは真理に関する思索にもとづいて起るものであるが、――これが、無明を破ること、正しい理解による解脱、であると、わたくしは説く。」

1109)「世人は歓喜に束縛されている。思わくが世人をあれこれ行動させるものである。妄執を断ずることによって安らぎがあると言われる。」

1111)「内面的にも外面的にも感覚的感受を喜ばない人、このようによく気をつけて行っている人、の識別作用が止滅するのである。」

16、学 生 モ ー ガ ラ ー ジ ャ の 質 問 

1119)(ブッダは答えた)、

「つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り超えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、〈死の王〉は見ることがない。」

17、学 生 ピ ン ギ ヤ の 質 問 

1121)師(ブッダ)は答えた、

  「ピンギヤよ。物質的な形態があるが故に、人々が害われるのを見るし、物質的な形態があるが故に、怠る人々は(病いなどに)悩まされる。それ故に、そなたは怠ることなく、物質的形態を捨てて、再び生存状態にもどらないようにせよ。」

1123)師は答えた、

「ピンギヤよ。ひとびとは妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それ故に、ピンギヤよ、そなたは怠ることなくはげみ、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」

18、16 学 生 の 質 問 の 結 語

1137)即時に効果の見られる、時を要しない法(注1)、すなわち煩悩なき〈妄執の消滅〉、をわたくしに説示しました。かれに比すべき人はどこにも存在しません。」

1146)(師ブッダが現われていった)、「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ(注2)。そなたは死の領域の彼岸に至るであろう。ピンギヤよ。」

1147)(ピンギヤはいった)、「わたくしは聖者のおことばを聞いて、ますます心が澄む(=信ずる)ようになりました。さとった人は、煩悩の覆いを開き、心の荒みなく、明察のあられる方です。(注3)

1149)どこにも譬(たと)うべきものなく、奪い去られず、動揺することのない境地に、わたくしは確かにおもむくことでしょう。このことについて、わたくしには疑惑がありません。わたくしの心がこのように確信していること(注4)を、お認めください。」

注1;時を要しない法――この文から見ると、ニルヴァーナは即時に体得されると考えていたのである。

注2;信仰を捨て去れ――直訳すれば「信仰を解き放つ」であって、多くの訳者のように「信仰によって解脱する」と解することは、語法上困難である。

「信仰を捨て去れ」という表現はパーリ仏典のうちにしばしば散見する。釈尊がさとりを開いたあとで梵天が説法を勧めるが、そのときに釈尊が梵天に向って説いた詩のうちに「不死の門は開かれた」といって、「信仰を捨てよ」という。この同じ文句は、成道後の経過を述べるところに出てくる。恐らくヴェーダの宗教や民間の諸宗教の教条(ドグマ)に対する信仰を捨てよ、という意味なのであろう。最初期の仏教は〈信仰〉なるものを説かなかった。何となれば、信ずべき教義もなかったし、信ずべき相手の人格もなかったからである。『スッタニバータ』の中でも、遅い僧になって、仏の説いた理法に対する「信仰」を説くようになった。

注3;この詩および前の詩から見ると、最初期の仏教では、或る場合には、教義を信ずるという意味の信仰は説かなかったが、教えを聞いて心が澄むという意味の信は、これを説いていたのである。

注4;最初期の仏教のめざすことは、このように確信を得ることであった。

解 説

■それと同時にこの書は、現代のアジア仏教圏にとっても非常に重要な意義をもっている。例えば、スリランカでは、結婚式の前日に、僧侶を幾人も招待して、祝福の儀式を行う。その場合に僧侶は、この『スッタニバータ』のうちの「悲しみ」の一節、または「宝」の一節、または「こよなき幸せ」の一節、を唱え、つづいて説教を行い、若い二人が新たな人生の旅に出で立つに当っての心得をさとし、祝福を述べる。そのほか人心教化のために非常に重んぜられている聖典である。したがって多分に現代的意義をもっているのである。(439頁)

(2013年4月14日)

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『カオス・シチリア物語』ルイジ・ピランデッロ 白水社

■かわいそうなベッルーカが収容された保護施設に向う道すがら、私はひとりで考え続けました。

「ベッルーカのようにこれまで『ありえない』人生を送ってきた男にとっては、ふとぶつかった路傍の石のように、どんなに当たり前なもの、どんなにありふれた出来事であっても、途方のない結果を生むことがある。そして、その男の人生が『ありえない』ものだと考えないかぎり、だれにもその説明がつかない。こうしたありえない人生の条件に関連づけて説明しなければだめだ。それさえできれば自ずと単純で明解な説明が現われてくるだろう。尻尾しか見ず、その先の怪物本体を無視する者は、尻尾そのものを怪物と勘違いする。尻尾を怪物に付け直さなければならない。そうすればもはや怪物には見えず、『あるべき姿』に、つまりは怪物にくっついた尻尾に見えるだろう。きわめて自然な尻尾に」【列車が汽笛を鳴らした……】(161頁)

■2日まえの晩、かれはくたくたになって例のソファに身をなげだしましたが、おそらく疲れすぎていたためでしょう、いつものとうにすぐに寝付くことができませんでした。すると突然、夜の深い静寂(しじま)のなかで、遠くから、列車の汽笛が聞えてきました。

30年の歳月を経て、なぜだか突然両耳の詮が抜けてしまったようなのです。

あの列車の汽笛が、ぞってするほど狭苦しく惨めな暮らしを突然引き裂き、そこから彼を引っ張り出してくれたのです。それはまるで、上蓋の取れた墓から飛び出し、周囲に大きく開け放たれた世界の渺茫(びょうぼう)たる空間を、期待に息を切らしながら飛翔するかのようでした。

彼は毎晩かけている毛布に無意識にしがみつきながら、頭のなかでは、夜になると遠くへ出発するあの列車を走って追いかけるのでした。

ああ、あの胸くそ悪い家の外には、あの苦しみの外には、世界があるんだ!遠い世界がいくらでもいくらでもあるんだ!その世界にあの列車は向って行くんだ!……フィレンツェ、ボローニヤ、トリーノ、ヴェネツィア……若いときに行ったこともあるいろいろな町では、今晩もきっと地上でいろんな光が輝いているんだろうな。そう、おれは知っているんだ!あそこで人々がどんな暮らしをしてるか。おれだってあそこでしばらく暮したことがあるんだから!今でも続いてるんだろうなあ、あの暮らし。おれが目隠しされた動物のように粉ひき機の横木を回しているあいだにも、相変わらず続いているんだろう。考えたことさえなかった!おれの世界ときたら、家の責め苦と、窮屈で辛い帳簿付けに閉じ込められていたんだから……ところが今や、激しい溢血でも起ったかのように、世界がふたたび彼の精神のなかに入ってきたのです。この牢獄のなかにいる彼に向って突進してきた瞬間が、でんきショックのように全世界をびりびりと駆けめぐり、彼は、突如として目覚めた想像力ととともに、こうして、世界をあちらこちら辿ることができるようになったのです。有名無名の町といわず、荒野といわず、山といわず、森といわず、海といわず……この時間と同じ振動、同じ拍動。おれがこの「ありえない」人生を送っているあいだにも、地上に散らばった無数の人間は違う人生を送っているんだ。ここでおれがくるしんでいるまさに同じ瞬間にも、雪を頂いた孤高の山々は存在し、夜空に「青藍の勇姿」をもたげている……そうだ、そうだ、それが見える、そのままの姿で、海原がある……森がある……【列車が汽笛を鳴らした……】(163~164頁)

■「それにしても、私になんの関係があるのでしょうね?ツグミがさえずろうと、あなたの小さなお庭でバラが咲き誇ろうと。あのツグミに口枷をかけていただいても、あんなバラ、引きむしっていただいてもかまいませんよ!もしもお出来になれば、ですけどね。だって、小鳥たちがおとなしく口枷をかけられるとは思えないし、この5月のバラを、どこの庭からも残らず根こそぎにするなんて、そう簡単ではないでしょうから……。私を窓からほうり出したいのですか?けっこうですとも、また別の窓から入らせていただきましょう。あなたの戦争が、私にとって、それから小鳥たちやバラや噴水にとって、なにか意味がないといけないのですか?ツグミを、あのアカシアの木から追い払ってごらんなさいな。隣の庭に飛んでいって別の木にとまって、そこでまた同じように、おだやかにたのしげに歌い続けるでしょうよ。あなた、私たちには戦争なんかどうでもよいのです。もしも私の言うことに耳を傾けて、そんな新聞なんかぜんぶ蹴散らしてやる気になれば、そうしておいてよかったと思うときが、きっといつか訪れますよ。なぜって、なにもかも、うつろいゆくものだからです。痕跡くらいはなにか残すかもしれないけれど、でも、ほとんど気づかないていどのものです。だって、春は、いつだってまた同じようにめぐってくるんですもの。いいですか、バラが3本多いとか2本すくないとかいうことはあるかもしれないけれど、いつでも春は春です。人間は、眠ったり食べたり、泣いたり笑ったり、殺したり愛したりするものです。きのう笑ったことに今日は泣き、今日死にゆく者たちをいとおしむ。レトリックだとおっしゃりたいのですね?しかし、レトリックでしかお話しできません。あなたが、今のところはこうも無邪気に、戦争という現実の出来事によってすべてが変わるはずだと信じておられるからです。どう変わってほしいのですか?現実がなんだっていうんです。いかになみはずれていようと、現実は現実にすぎません。うつろいゆくものです。それを超えることのできなかった個々の人間を巻き込んで過ぎ去っていきます。しかし、生命(いのち)は、つねに変わらぬ欲求、変わらぬ情熱、変わらぬ本能とともに留まります。いつも同じだから、まるでなんでもないかのようにね。理性を欠いた盲目的な生命の場合はには、ちょっと厄介ですけれど。この世は過酷なもの。この生命(いのち)はこの世のものです。戦争だろうが地震だろうが、ひとつ天変地異なり大惨事が起れば、生命(いのち)なんてあっという間にふっとんでしまいます。しかし、ほどなくすればまたもどってくる、なにごともなかったかのように。それは、生命(いのち)が、いかに過酷ではあってもこの世のものだからです。自らのおるべき場所を、ほかのどこでもないここなのだと、ずっと前から決めているからです。あの世も、いろいろな理由で必要でしょう。しかし、あの世が必要なのは、とりわけこの世で安らぎを得るためですよ。あなたは今、動揺しておられる、わなないておられる、自分と同じように感じない人間、行動を起こさない人間に怒りをおぼえておられる。声をあげて、すべての人間に同じ思いを共有させようとしておられる。しかし、もしもほかの人にそんな気がなかったら?なにもかもおしまいだとお考えなのでしょう。おそらく、あなたにとってはなにもかも台無しなのかもしれない……しかし、それはいつまでのことです?あなただって、そのために、まさか死にたくはないでしょう。いいですか、空気をあなたは吸っておられる、あなたが空気を吸っても、空気はあなたに、生きていますね、と言っていない。5月という季節に花の咲きみだれる庭で生まれた小鳥たちのさえずりをあなたは聞いておられる。しかし、さえずりや芳香を楽しんでいるときに、小鳥たちも庭も、あなたは生きていると言ってはいない。思考というつまらないものが、小鳥や庭の声を吸い込んでしまうのです。開かれた五感をとおしてあなたのなかに入ってくるこれだけの生命(いのち)に、あなたは気がつかない。そして不平をたれる。なにかご不満なのでしょうか?思考というあのつまらないもの、過去が思いどおりにならず、夢が叶わなかったことへの不満なのですよ。ぶつくさ言っているうちに、人性のすばらしいものがなにもかも、あなたのもとから逃げ去っていくのです!いや、そうではありません。あなたの意識から逃げ去っていくのであって、心の深奥そのままから逃げていくわけではありません。あなたは、そうとは気づかずに、心の奥ではほんとうは生きていて、えも言われぬ人生の喜びを味わっておられるのです。逆境はどれも、思考などするから耐えがたいものとなるのだけれど、それを受け入れられるようにあなたを支えてくれているのは、こうした、人生の喜びなのです。ほんとうに大事なのはこれですよ。大勢の死者を出したあとで、目下のこの混乱がすべて終結したと想定してごらんなさい。明日には、利益を得た者と損害を受けた者、勝利と敗北の歴史が作られることでしょう……正義が勝利するとよいのですが……しかし、それが無理なら?今から1世紀の後に、正義は鬨(かちどき)をあげるでしょう……歴史は、肺活量が大きい。いったん呼吸が止まっても、すぐにまた別のものになっているかもしれません。信じられるものなんてありません。大切なのは、いいですか、そんなことではないのです。ほんとうに大切なのは、無限にちいさくて、かつ無限に大きななにかなのです。嘆きや笑い、そういったものをあなたが、あるいはあなたでないだれかほかの人が、時間を超えて、つまり、今のあなたのかりそめの苦悩を超えたところに、創り出してきたはずです。嘆きや笑いからしたら、この戦争だろうがほかの戦争だろうが、そんなことはどうでもよいのです。戦争なんて、どれもこれもけっきょく同じです。戦争がもたらす嘆きはひとつだし、笑いもひとつでしょうからね」【登場人物との対話――母との対話】(255~257頁)

■私の内で、母のささやく声が聞える。しかし、なんて遠い声なのだろう、

「ものごとを、それをもう見なくなった人たちの目でも、見るようにしてごらん!きっと辛いだろうけれどもね、おまえ。でもそうすれば、めにするものが、もっと神々しく、もっと美しく見えてくるはずだよ」【登場人物との対話――母との対話】(270頁)

(2013年4月21日)

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『月を見つけたチャウラ』ピランデッロ短編集 光文社古典新訳文庫

■まわりに誰か人がいるとき、わたしはけっして彼女を見ることはない。しかし、彼女がわたしをみているのを感じる。彼女が見ている。一瞬たりとも視線をそらすことなく、わたしをじっと見つめている。

面と向きあって、説明してやりたい。たいした問題ではないのだと。不安になる必要はないと。この束の間の行為は、おまえ以外の相手とはできないのだからと。おまえにとってはどうでもいいことでも、わたしにとってはすべてなのだ、と。毎日わたしは好機をうかがい、誰にもしられないようこっそりと、おぞましいほどの悦びとともにその行為に至る。行為に耽ることにより、神がかった恍惚と自覚のうえの狂気を味わい、身震いする。ほんの一瞬、己を解き放ち、すべてに対する復讐をなしとげるのだ。

この行為を誰にも暴かれることはないという確信が、わたしには必要だった(そんな確信を持てる相手は、彼女以外には考えられまい)。万が一他人にしられでもしたら、もたらされる損害は――それも9、わたしにだけおよぶのではない――はかりしれないものになるだろう。そんなことになったら、わたしはおしまいだ。恐れられ、捕えられ、縛りあげられ、精神を病む者たちが入る療養所にひきずっていかれる。

わたしのこの行為を知られた場合にまわりの人びとが感じるだろう恐怖は、ちょうどいま、わたしの犠牲となる彼女の眼に浮かんでいる恐怖とおなじものだ。

数えきれないほどの人びとの人生、名誉、自由、財産が、わたしの手に委ねられている。彼らは、わたしの文書や、助言や、サポートを求め、朝から晩までつきまとうのだ。それだけではなく、公の場においてもプライベートにおいても、わたしには多大な責任が重くのしかかっている。妻もいれば子どもたちもいる。妻も子も、身の処し方を心得ていないことがしばしばで、つねにわたしの威厳ある態度によってコントロールする必要があった。わたしが、非の打ちどころなく、ありとあらゆる義務にぶれることなく従ってみせることによって、つねに模範を示しつづけなければならなかったのだ。夫として、父として、一市民として、法学教授として、弁護士として、いずれも甲乙つけがたいほど重大な義務が、わたしにはあった。そのため、万が一秘密を知られでもしたら、たいへんなことになる!

たしかに、わたしの犠牲者である彼女は喋ることができない。それにもかかわらず、数日来、わたしは以前のような確信がもてなくなり、不安にかられ、打ちひしがれていた。というのも、彼女が喋れないのは事実だが、わたしをじっと見つめるのだ。なんともいえない目でわたしを見る。その目に明らかな恐怖の色が浮かんでいるため、いまにも誰かが気づき、理由を追及しようとするのではあるまいか……。わたしはそれを恐れていた。

繰り返すが、そんなことになれば、わたしは一巻の終わりだ。わたしのその行為の真の意味を理解し評価してくれる人は、sるとき不意に人生の本質を垣間みたわたしとおなじように、人生の本質を垣間みたことのある、ごくひと握りの人間にすぎないのだ。

言葉にし、他人に理解してもらうのは容易ではないことを承知のうえで、あえて話してみることにしよう。

わたしは、出張で滞在していたペルージャから、半月ほど前に戻ってきたところだった。

わたしのもっとも重大な義務のひとつが、全身にのしかかる疲労感や、自ら課した、あるいは他人に課せられたあらゆる責任の、とてつもない重みを知覚しないよう努めることだった。そして、わたしの疲れきった意識が、折にふれて気分転換の必要があると求めてくるのに対し、頑として屈しないことであった。手ぐすねを引いて待ちかまえる煩わしい諸事から生じる疲労が臨界点に達したとき、わたしに許された唯一の対処法は、別の新たな雑事に意識をふり向けることだった。

そんなわけで、列車に乗り込むさい、わたしは読んでおくべき新しい書類をいくつか革鞄に入れておいた。そして、それらに目を通しているうちに最初に行きあたった難解な箇所で、視線をあげ、列車の窓を見た。外の景色を眺めてみた者の、意識は難解な箇所で、視線をあげ、列車の窓を見た。外の景色を眺めてみたものの、意識は難解な箇所に集中していたため、目はなにも見ていなかった。

いや、じつのところ、なにも見ていなかったというのは正確ではない。目にはたしかに映っていた。ウンブリア地方の田園風景ののどかな美しさを目にし、おそらく眼球ではそれを堪能してもいた。それでもわたしは、目に映るものには明らかに注意をはらっていなかった。

わずかずつながら、わたしをとらえている難問に対する意識がゆるむことはあっても、だからといって、わたしの眼前をかろやかに通りすぎてゆく、心安まる澄んだ田園生活をしっかりと知覚するわけではなかった。

わたしは、目にしているものについて考えていなかっただけでなく、もはやなにも考えてはいなかった。どれくらいの時間そうしていたかわからないが、曖昧で不可解であると同時に、明晰で穏やかな思考停止のような状態に、わたしはあった。それはまた、風通しのよいものだった。わたしの精神が、あたかも感覚からひきはがされ、はてしなく遠ざかってしまったようだ。そうして不思議なことに、わたしの精神のものとはとても思えない繊細さでもって、別の人生の蠢(うごめ)きをかすかに感じていた。それはわたしの人生ではないが、わたしのものとなり得たかもしれない人生だった。この場所ではなく、今という時でもなく、あの、はてしない遠い場所の、遥かに彼方の人生なのだ。それはおそらく、わたしの精神の人生だったのだ。いつのことかも、どのようにしてなのかもわからないが……。

その人生におけるさまざまな行為ではなく、様相でもなく、生じるそばから消えてしまう願望のようなものの記憶だけが、わたしの精神にまとわりついていた。そこに存在しないという苦悩とともに。それは漠然としてはいたものの、心を苛(さいな)む、烈(はげ)しい苦悩だった。おそらく、花を咲かせることのできなかった蕾(つぼみ)にも似た、そんな苦悩だった。要するに、生きるに値したはずの人生の蠢(うごめ)きなのだ。あのはるか彼方で、光が点滅し、揺れながら、その存在を誇示している。だが、それは生じなかった人生なのだ。その人生においてこそ、わたしの精神はようやく、すべて完全な形で、欠けることなく、自身の姿を見いだせるはずなのだ。その人生において、わたしの精神はただ楽しむだけでなく、苦悩も味わうのだが、その苦悩はまぎれもなくわたしの精神のものなのだ。

知らず知らずのうちに瞼(まぶた)が閉じていき、眠りのなかで、わたしはその生じなかった人生の夢のつづきを見ていた。おさらくそうだったのだろうと思う。というのも、もう少しで目的地に着くというところ、身体じゅうがしびれ、口のなかが苦く、からからに渇いた状態で目が覚めたとき、わたしは別の精神にのっとられていたから。これまでの人生に対して途轍(とてつ)もない倦怠を感じ、陰鬱でどんよりとした驚きのなかにいた。これまでの習慣だった諸事が、あらゆる意味を失ってしまったかのように見え、しかもそれがわたしの目には、おそろしく耐えがたいほど深刻に思えたのだ。

このような精神状態でわたしは駅に降りたち、出口で待っていた車に乗り込み、家へと向った。

こうしてわたしは自分のアパートメントの階段に着き、自分の家のドアの前の廊下に立っていた。

そのとき、ブロンズ色をした暗いドアの前に、ふと見たのだった。ドアには、わたしの名前が刻まれた楕円形の真鍮の表札がかかっている。名前の前には肩書きが、後にはこれまでのわたしの学術・職業上の業績が記されている。そのドアの前に、まるで外から眺めているかのように、わたし自身の姿とわたしの人生を垣間見たのだ。だがわたしは、それをわたし自身だと認めることも、わたしの人生だと認めることもできずにいた。

突如として、わたしは革の鞄を小脇に抱えてドアの前に立っている男が、その家に住んでいる男が、自分でないのだという確信を抱いて、ぎょっとした。これまでもずっと、自分ではなかったのだ。不意にわたしは、自分がその家だけでなく、その男の人生からもずっと不在だったことを思い知った。いや、いっさいの人生において、まぎれもなく、確実に不在だったのだ。わたしは、これまでけっして生きたことなどなかった。1度だって人生に存在したことはなかった。つまり、わたしのものだと認めることのできる人生、わたしが望み、わたしのものとして実感できる人生において、わたしが存在したことはなかったのだ。目の前にいきなり、そのような服装で、そのような恰好をしてあらわれたわたし自身の身体も、わたしという人物も、わたしとは無関係な人間のように思えたのだ。あたかも何者かがたくらんで、そのような人物像をわたしに押しつけたとでもいうように。わたしを他人の人生において繰るために、つねに不在だった人生に、あたかもわたしが居るような行動をとらせるために……。そして今、わたしの精神が、これまで一時たりとも、一瞬たりともそこに居なかったことに、突如として気づいたのだった!

わたしを装っているあの男を、あのように造りあげたのは誰なのか。私のように望んだのは誰なのか。あの男にあのような服を着せ、ズボンをはかせたのは誰なのか。あの男をあんなふうに動かし、喋らせているのは誰なのか。あのおとこに、ことごとく重苦しくいやらしい義務をあれほど押しつけたのは誰なのか。受勲者(コンメンダトーレ)、教授、弁護士……誰もがあの男を求め、あの男に敬意をはらい、賞賛する、誰もが競い合うようにしてあの男の文書や助言、サポートなどを欲しがり、一時たりとも安らぎを与えず、息をつかせもしない……。あの男がわたしだと?わたしだというのか?ほんとうに?そんなはずがない!あの男が朝から晩までどっぷりと浸(つ)かっていた煩わしい諸事など、わたしにいったいなんのかかわりがあるというのか。もろもろの尊敬も、彼が享受していた特別扱いも、受勲者、教授、弁護士といった地位も、そしてさまざまな義務や職務を怠ることなく、せっせと果たすことによって得た富も栄誉も、わたしにはいっさいかかわりのないことだ。

わたしの名の入った楕円形の真鍮の表札を掲げたドアの向こうには、1人の女と4人の子どもが待っていた。彼らは毎日、わたしであるはずの我慢ならないその男を――いまやわたしは、その男の姿にわたしとは別の人物を……敵を見ていた――、嫌悪感とともに眺めていた。それは、わたし自身が抱いていた嫌悪感と同種のものだったが、わたしは、そのような気持を彼らが抱くことに耐えられなかった。あの女はわたしの妻なのか?わたしの子どもたちなのか?だが、あの男がこれまでずっとわたしではなかったのなら、ドアの前に立っている我慢ならない男がわたしはないのなら(わたしは、そのことにおそろしいまでの確信を抱いていた)、あの女はいったい誰の妻なのか?あの4人の子どもたちは、いったい誰の子だというのか?わたしのではない!あの男の妻子だ。わたしの精神が、この瞬間において肉体を持つことができたなら、まがいもない肉体を持つことができたなら、まがいもない姿を持つことができたなら、すべての煩わしい諸事や義務や名誉や尊敬や富とともに、足蹴にし、つまみだし、引き裂き、めちゃめちゃにしてやったであろう男のものなのだ。妻も一緒に。そう、おそらく妻も一緒に……。

だが、子どもたちは?

わたしは両手をこめかみに持っていき、ぎゅっと頭を抱えた。

だめだ。わたしの子どもたちだと感じることはできなかった。それでも、これまで毎日まいにち顔をつきあわせ、わたしを必要とし、わたしの世話や助言や仕事を求めてきた、わたしの外の世界にあるはずの彼らの、なんとも奇妙な、重苦しい、不安に満ちた感情に押されるように、こうした感情越しに列車のなかで知覚した、やりきれない倦怠感とともに、わたしはドアの前に立っているその我慢ならない男のなかに戻ることにしたのだ。

わたしは、ポケットから鍵をとりだし、ドアを開け、その家のなかに……これまでの人生のなかに入って、いった。

これこそがわたしの悲劇だった。「わたしの」と言ったが、いったい何人の人がこうした悲劇に見舞われていることだろう。

要するに、生きている人は、生きているかぎり、己を見ているのではなく、ただ生きているのみ……。もしも己の人生が見えるとしたら、それはもう、その人生を生きていない証拠である。ただ人生を耐え忍び、ひきずっているにすぎない。あたかも、息絶えてしまったかのような人生をひきずっているだけなのだ。なぜならば、あらゆる形が、それじたい、死なのだから。

そのことを理解している者は、ごくわずかにすぎない。ほぼ全員といってもいいくらい大多数の人間が、世間一般にいわれている地位を築くために、形に到達するために、日々闘い、憔悴する。そしてひとたび形に到達すると、自分たちの人生を掌握いたと思いこむが、じっさいには死へと歩みはじめているのだ。ただし、誰もそれを知らずにいる。なぜなら、己の姿は見えないのだから。ようやく到達した瀕死の形から、もはや逃れることはできない。己が死んでしまったことに気づかずに、生きていると思いこむ。自ら与えた、あるいは他人に与えられた形や幸運、めぐりあわせ、各人が生まれついた境遇というものを見極められる者だけが、己を知ることができる。

だが、その形が見えるということは、われわれの人生がもはやそこにはないという証拠である。たしかに、人生が目の前にあれば、われわれはそれを見ることなく生きるほかはないのだから。そのなかで、正体を知りもせずに、1日いちにちと死んでいく。なぜなら、それじたいが死なのだから。つまり、われわれが目にし、知り得ることは、われわれのなかの死んだ部分だけなのだ。己を知るということは、すなわち、死を意味する。

わたしのおかれた状況は、さらに悪かった。わたしが見ていたのは、わたしのなかの死んだ部分ではなく、これまで一時(いっとき)たりともわたしは生きていなかったという事実だった。他人が――わたしではない――わたしに与えた形を目にし、わたしの人生は、わたしの本物の人生は、いちどだってその形のなかに存在していなかったことを知覚する。わたしは、どこにでもある材料のように扱われ、脳と、精神と、筋肉と、神経と、肉体とをあてがわれ、彼らの思うがままに練りあわされ、形成されたのだった。仕事をし、行動し、ひたすら義務を果たすために。

わたしは必死になってそこに自分自身の姿を探し求めるが、見つからない。そこで叫びだす。1度だってわたしのものだったことのない、この死んだ形のなかで、わたしの精神が叫びだす。いったいどういうことだ?これが、わたしだって?こんな人間が、わたしだって?そんなはずがあるものか!わたしは吐き気をもよおし、戦慄する。わたしではない、一時(いっとき)たりともわたしであったことなどない、その形に対する憎悪。わたしのものとはとうてい思えない義務ばかりが、重くのしかかる形。わたしにはかかわりのない、煩わしい諸事で抑圧された形。わたしにはどうでもよい敬意の対象となっているかたち……。

もろもろの義務も、煩わしい諸事も、このような敬意も、いっさいがわたしの外部にあり、わたしのうえを素通りする。わたしに重くのしかかり、苦しめ、押しつぶし、息さえもさせてくれない、虚しいことども。死んだことども。

そこから自分を解き放てばいいと?だが、事実が起らなかったようにすることは誰にもできない。死がわたしたちを捕えて放さないのに、それを打ち消すことは誰にもできない。

事実というものがある。人は、いったん行為をおこなったならば、たとえおこなった行為のなかに、のちのち己を感じることができなかったとしても、己の姿を見いだすことができなかったとしても、その行為が、己を捕える檻(おり)のように、そこにとどまるものだ。おして、その行為の招いた結果が、あたかもとぐろのように、蛸の足のように、己のまわりをとりまくのである。その行為と、それが招いた結果のために、望みもしないまま、予期しないまま、引き受けざるを得なくなった責任が、息もできないほど濃密な空気のように、己のまわりに重苦しくまとわりつく。そんな状態で、どうやって自己を解き放てというのだ?わたしのものではないにもかかわらず、こうしてわたしを象徴し、あらゆる人びとがわたしを見出し、わたしだと認識し、望み、尊敬している形に囚われているわたしが、どうやったら別の人生を、本物のわたしの人生を手に入れ、動かすことができるというのか?わたし自身は死んでいると感じたとしても、ほかの人たちにとっては存続しつづけなければならない、彼らがほかでもなくそのように望み、造りあげた形を成した人生ではないのか?

わたしの人生の形は、なんとしてでもこうあるべきなのだ。こうであることが、妻にとっても、子どもたちにとっても、社会にとっても、ひいては法学部の学生にとっても、わたしに人生や名誉、自由や財産を委ねる顧客たちに撮っても、必要だった。そうでなければならず、わたしにはその形を変えることも、足蹴にすることも、とりのぞくこともできない。抵抗も復讐もできない。唯一わたしに可能なのは、毎日、ほんの一瞬だけ、誰のも見られないように細心の注意をはらい、好機をうかがいながら、こっそりと例の行為に至ることだけだった。

そう。わたしは、雌の老いたシェパードを1頭、11年前から室内で飼っている。白と黒のぶちで、太っていて、背が低く、毛むくじゃらで、目は老いのせいですでにどんよりと濁っている。

わたしと彼女とは、これまでよい関係にはなかった。おそらく、彼女は当初、家のなかで音をたててはいけないというわたしの仕事を、受け入れられなかったのだろう。だが、齢をとるにしたがって、しだいにみとめていった。そして、いつまでも彼女と庭で駆けずりまわりたがる子どもたちの、気まぐれな横暴から逃げだすために、しばらく前からわたしのいるこの書斎に非難してくるようになった。

朝から晩まで、絨毯のうえで、両の前足のあいだにとがった鼻先をうずめて眠っている。ここにいれば、たくさんの書類や書物にかこまれ、守られているような安心感があるのだろう。そして、ときおり片目をうすく開け、わたしを見あげる。

まるで、「偉いはねえ。そう、その調子で働きなさい。そこから動いてはダメよ。だって、あなたがそこで仕事をしているかぎり、子どもたちは誰もここには来ないから、あたしの眠りが妨げられることもないの」とでも言いたげだ。

哀れな犬は、そんなふうに考えていたにちがいない。もう半月ほど前になるだろうか、そんな目でわたしを見あげる彼女を見ているうちに、彼女を相手に復讐をなしとげたいという欲望がこみあげてきた。

べつに痛い思いをさせるわけではない。彼女に、とくになにをするというわけではない。可能なタイミング、すなわち来客たちが一瞬わたしを一人にしてくれるような時をうかがい、わたしは物音をたてないよう、慎重に肘掛け椅子から立ちあがる。人びとがおそれ羨むわたしの学識が、法学教授であり弁護士であるわたしのすばらしい知識が、夫としての、父親としての非のうちどころのない威厳が、わずかのあいだ、この玉座のような肘掛け椅子から離れることを、誰にも知られないように。そして、爪先立ちで部屋の入り口へ向かい、誰かがとつぜんあらわれないか、廊下をこっそり偵察し、ほんのしばらくのあいだ、ドアに鍵をかける。

わたしの目は悦びに輝き、これからおこなおうとしている快楽のために両手が震える。それは、狂人になるという快楽だ。ほんの一瞬だけ、狂気に身を委ねる。ほんの一瞬だけ、牢獄のようにわたしを捕えているこの死んだ形から脱けだす。わたしを窒息させ、押しつぶすこの学識や威厳を、ほんの一瞬だけ嘲笑い、めちゃめちゃにし、否定する。わたしは彼女のもとに……絨毯のうえで眠っている雌犬のもとに走り寄る。そして、彼女の2本の後ろ足を優しくそっとつかみ、手押し車のように歩かせるのだ。後ろ足をわたしが支え、前足だけで8歩か、多くても10歩、歩かせる。

それだけのことだった。ほかになにをするわけでもない。それが済むとドアへと急ぎ、カチャリとも音を立てないように静かに鍵を開け、ふたたび玉座のような肘掛け椅子に座る。先ほどと変わらぬ、非のうちどころのない威厳とともに、わたしのすばらしい知識を充填した大砲のような状態で、次の客を迎える。

ところが、ここ半月ほど、その雌犬が、あの濁った目を恐怖のあまり見ひらいて、愕然とわたしを見つめるようになった。わたしは彼女に説明したい。先ほども言ったとおり、たいした問題ではないのだと。不安になる必要はないと。そんな目でわたしを見ないでほしいと。

だが、犬はわたしの行為のおぞましさを理解している。

もしも子どもたちの誰かが、ふざけ半分にそのようなことをするのならば、少しも問題ではない。だが、わたしがふざけるわけのないことを、彼女は知っている。そのときだけわたしがふざけているとは考えられない。だからこそ、恐怖にかられ、あのような忌まわしげな目でわたしのことを見つづけるのだ。(1915年)(118~135頁)(『手押し車』全文)

■信仰を失うには幾通りもの理由が考えられる。信仰を失った者はたいてい、少なくとも信仰のうちは、なにかしら代償を得たという確信があるものだ。せめて、それまでは信仰によって許されなかった言葉を気兼ねなく口にし、してはいけなかった行為ができる自由を得たと思うものだ。

ところが、信仰を失った原因が抑えがたい世俗的な欲求ではなく、祭壇の聖杯や聖水ではもはや満たすことのできない精神の渇望である場合、信仰を失った者が、その代償としてなにかを得たという確信を抱くことは難しい。せいぜい、とどのつまり、己にはもはやなんの価値もなくなっていたものを失くしただけのことだと思い、信仰を失ったことに対して、とりあえずは不平を口にしない程度だろう。

トンマシーノ・ウンツィオは、信仰とともにすべてを失うことになった。司祭であった亡き伯父の条件つきの遺言に従い、父親が彼に与えてやれた唯一の社会的地位までうしなったのだ。(140頁)(『使徒書簡朗誦係』)

■ところが、突如として、とあるニュースがあたかも疾風のように村じゅうを駆けめぐり、みんなを驚かせた。使徒書簡朗誦係のトンマシーノ・ウンツィオが、分遣隊の指揮官であるデ・ヴェネラ中尉から平手打ちをくらっただけでなく、決闘を挑まれたらしい。というのも、その前の晩、トンマシーノは、サンタ・マリア・ディ・ロレート教会へと続く田舎道で、中尉の婚約者であるミス・オルガ・ファネッリに、「バカヤロー!」と面と向かって叫んだことを認めながら、その理由を説明しようとしなかったというのだ。(145~146頁)(『使徒書簡朗誦係』)

■誰もが――とりわけ父や母、決闘を見守る2人の介添人、そしてデ・ヴェネラ中尉に、ミス・ファネッリ自身が――暴言の真の理由を知りたくて身悶えするなか、誰にも増して悶々としていたのは、それを打ち明けることのできないトンマシーノだった。理由が理由なだけに、たとえ話したとしても、誰も信じてはくれまいし、それどころか、明かすことのできない秘密を、戯言(ざれごと)でごまかそうとしていると思われるのが落ちだった。(147~148頁)(『使徒書簡朗誦係』)

■存在と言う不思議の、得体のしれない、途轍もない虚しさよ。小さな蟻が生れ、ショウジョウ蝿が生れ、1本の草が生える。この世界に、1匹の蟻!この世界に、1匹のショウジョウ蝿、1本の草……。1本の草が生え、生長し、花が咲き、そして枯れていく。永遠にその繰り返しだが、1本としておなじものはないのだ。そう、けっして!

こうして、1か月ほど前から、トンマシーノは来る日も来る日も、ほかでもなくそんな1本の草の短い一生を見守っていたのだった。それは、荒れはてたサンタ・マリア・ディ・ロレート教会の裏の、苔生(こけむ)した2つの灰色の岩のあいだに生えた、1本の草だった。(148~149頁)(『使徒書簡朗誦係』)

■彼は立ちどまり、近づこうとはせずに、ひとしきり休んだ彼女がその場を彼にゆずるのを待っていた。果して、しばらくすると彼女は立ちあがった。おそらく、彼がこっそり見ていることに気づいて、気分を害したにちがいない。彼女はあたりを少し見まわした。そして、なにげなく手を伸ばし、ほかでもなくその1本の草を折ると、ゆらゆらと垂れさがる穂とともに、口にくわえた。

トンマシーノ・ウンツィオは、まるで心をひきちぎられたように感じた。そして、草を口にくわえた彼女が目の前を通りすぎる瞬間、耐えきれずに、「バカヤロー!」と叫んでしまったのだ。(151頁)(『使徒書簡朗誦係』)

■瀕死の枕元で、司祭が彼に尋ねた。

「我が子よ、なぜだね?話してごらん」

すると、トンマシーノは半ば瞼を閉じたまま、吐息とも、やさしい微笑みともつかぬ息をもらしながら、消え入るような声で、たったひとこと、こう答えた。

「司祭さま、1本の草のためです……」

トンマシーノは、死ぬまぎわまでうわごとを言いつづけた……誰もが、そう思った。(1911年)(153頁)(『使徒書簡朗誦係』)

(2013年5月12日)

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うちのお寺は『曹洞宗』双葉社

■道元が伝えようとしたのは経典でも仏像でもない。厳しい修行の末、最後に学びとった釈尊正伝の仏法である。その正法(しょうぼう)の根本にあるのが坐禅。坐禅は釈尊の教え・体験そのもの。釈尊の教えを信じ実践すれば、貴賤・賢愚・男女の別なく、だれにでもきわめられるとした。焼香・礼拝・念仏・懺法(せんぼう)・看経(かんきん)は不必要、坐禅にうちこむだけで釈尊正伝の仏法を学びとることができる。

悟りを求めて坐禅するのではない。ただ一心に坐る。

「身の結跏趺坐(けっかふざ)すべし、心(しん)の結跏趺坐すべし」と『正法眼蔵』にある。身体で坐り、心で坐り、ついには身体の痛みも心のなかの妄想も抜け落ちた〝心身脱落〟の状態で坐る。それが〈只管打坐〉だ。身体は正身端坐、口は一字に結び、心のこだわりも消え失せている。

「ただ是れ安楽の法門なり」(『普勧坐禅儀』)。坐禅修行そのものが仏の行。一寸坐れば一寸の仏。身体で学ぶ〝身学道〟だともいっている。(『坐禅こそ正法である』)(86~87頁)

■道元は『弁道話』で、「修証一等」といい、「本証妙修(しゅ)」という。

修証一等とは、修行と本証(本来の悟り)は1つのものなのだという意味。悟りと修行を2つのものと考えてはいけない。悟りを目的、修行を手段と考えるのは大きな間違いだ。こだわりを捨て、身も心も一切の束縛から脱して全身全霊で坐禅に打ちこむ〈只管打坐〉は、修行と悟りが一体になった人間本来の清浄な姿、仏そのものの姿にもたとえられる。

修行は坐禅に限らない。農作業・道普請などの作務、食事や睡眠、日常生活すべてが修行だ。「威儀即仏法 作法是れ宗旨」は、洗面から食事の仕方など細かに修行の仕方を説く〝生活禅〟を表現した言葉だが、食器を洗う作業に修行を徹底する向上心が働くかどうか。それが修行のカギだ。

本証妙修(しゅ)とは、仏としての可能性を持つ人間が、修行をゆるめず、一心に仏道に打ちこむことで、仏のはからいの中にある自己を自覚すること。自己という束縛から解き放たれたところに仏性が現れる。〝即心是仏〟である。(『修行と悟りは一つ』)(87頁)

■『正法眼蔵』現成公案の一節

仏道をならふといふは、 自己をならふなり。

自己をならふといふは、 自己をわするるなり。

自己をわするるといふは、 万法(まんぽう)に証せらるるなり。

万法に証せらるるといふは、 自己の身心(しんじん)、

および佗己(たこ)の身心をして脱落せしむるなり。

[解説]

仏道を学ぶということは、実は自分自身を学ぶということだ。自分自身を学ぶということは、身についた知識や経験、思慮分別を捨て去ることだ。自我を捨て生まれたままの清浄な自己をとり戻すことだ。清浄な自己は自然と一体となり、何のわずらいもない。真心だけで生きれば身も心も清らかに澄み、自分ばかりか接する他人の身心も清浄にすることができるのだ。(103頁)

■鈴木正三(しょうさん)は出家してからも俗名のまま通した。反骨の禅僧だ。その禅風は〝仁王禅〟と呼ばれる。参禅する者には仏像を手本にして修行せよと教えたが、初心者には、仏敵に憤怒の表情で挑む「仁王・不動の像などに眼をつけて、仁王坐禅をなすべし」といった。一途に、なにくそと強い心で気合いをいれないと、煩悩には勝てないというのだ。

道元の只管打座とは、もちろん違う。正三独特の禅で「睨(にら)み禅」「果たし眼(まなこ)禅」とも呼ばれた。また、武士に対しては「鯨波(ときのこえ)坐禅をもちうべし」と教えて、実際にその場で、戦場の鯨波(ときのこえ)をあげてみせた。なんともすざましい禅である。

念仏の効用も説いた。阿弥陀仏の力にすがる他力本願ではなく、「念仏に勢いを入れて、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱(とな)うべし。是の如くせば、妄想(もうぞう)いつ去るとなく自(おの)ずから休むべし」といい、貧しい農民たちには「一鍬、一鍬に耕作せば、必ず仏果に至るべし」と教えた。煩悩を捨てよ、捨てよという禅的念仏で、これも正三独特のものだ。(『鈴木正三』)(150~151頁)

■殺気だった半生である。しかし信州上田城の戦いで体験した〝捨身(しゃしん)の心〟は仏道修行の基盤となった。(『鈴木正三』)(151頁)

■41歳、大阪城勤番。ところが、大阪から江戸へ帰った1620(元和6)年、旗本大番に列せられたというのに、突然出家してしまう。42歳。3人の実子と妻を捨てた。(『鈴木正三』)(151頁)

■出家の動機について、正三は詳しく語らない。「しきりに世間いやになりなりける間、曲事(くせごと)とおぼしめさば、ご成敗あれとまかりいでて、腹切らんと思い定め、ふと剃りたり」という。(『鈴木正三』)(151~152頁)

■正三の晩年の言葉に「必ず心をハッシと守るべし。我れ常に是れ一つを云う也。正三は何年生きても死より別に云うことなし」というのがある。修行者が常に〝死に習う〟ことを教えてきた。(『鈴木正三』)(152頁)

■【語録】「仏法世法、二にあらず」

『万民徳用』にある言葉。「仏法は深遠で、厳しい修行をしなければ真理を会得しがたいと思いがちだが、そうではない。日常の行き方と仏法は一つである。毎日の仕事を正直に、一生懸命に世に役立つように精出すことが、すなわち仏道の修行である」(『鈴木正三』)(152頁)

■こうした、戦場の実体験からにじみ出るような教えからすると、道元すらひ弱く見えたらしい。道元は『学道用心集』で中国の美女を引用して人生の無常を説いたがが、なぜ美女を糞土臭穢(ふんどしゅうえ)と書かないのかとまくし立てた。さらに「道元和尚などを、隙(ひま)の明いた人のようにこそ思わるらん、未(いま)だ仏教界に非ず」といった。まだ悟っていなかったというのだ。

正三は一人の人間として、釈迦と直に対面しようとした。悟りを開いたのは釈迦牟尼仏のみという立場だから、道元ばかりか最澄や空海も批判の対象になる。仏教界への批判は、さらにものすごい。

「慰(なぐさ)み仏法、でき口仏法、だて仏法、へご仏法。…皆な是れ病也」

幕府の定めた檀家制度によって、眠っていても食べていける仏教界は、生きた宗教活動をしないという痛烈な批判だ。「世間の用に立つのが真の仏法」といいきり、農民・職人・商人が人々の役に立つように働くことが仏法だといった。この〝在家仏教〟の主張からすれば、僧は社会の寄生虫ということになる。(『鈴木正三』)(153頁)

(2013年5月18日)

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『意識と本質』(精神的的東洋を索めて)井筒俊彦著 岩波文庫

意 識 と 本 質

――東洋哲学の共時的構造化のために――

■いわゆる東洋の哲人とは、深層意識が拓かれて、そこに身を据えている人である。表層意識の次元に現れる事物、そこに生起する様々の事態を、深層意識の地平に置いて、その見地から眺めることのできる人。表層、深層の両量域にわたる彼の意識の形而上的・形而下的には、絶対無分別の次元の「存在」と、千々に分節された「存在」とが同時にありのままに現れている。

常に無欲、以て其の妙を観

常に有欲、以て其の徼(きょう)を観る

と老子が言うのはそれである(『老子』1)。この文は先に引用した「名無し、天地の始め。名有り、万物の母」に続く。「常無欲」とは深層意識の本源的なあり方。常に無欲、すなわち絶対に執著するところのない、つまり名を通して対象として措定された何ものにも執著しない、「廓然無聖」的、「本来無一物」的意識状態である。ここでは意識は「……の意識」ではない。無対象的、非志向的意識、つまり無意識である。東洋思想では、どこでもこのような意識ならぬ意識、メタ意識とでもいうべきものを体験的事実として認める。それが東洋哲学一般の根本的な1つのとくちょうである。

「以観其妙」、そういう意識ならぬ意識、メタ意識、によって「其の妙」すなわち絶対無分別的「存在」(「道」)の幽玄な真相が絶対無分別のままに観られる。注意すべきは、先行する文との関聯上、この「妙」は「無名」だということである。名がない、とは分節線がない、「本質」がないということ。この境位にある意識に現われる「存在」には、どこにも「本質」的区分がない。まさしく言語脱落、「本質」脱落の世界。それを老子は「妙」という言葉で表現する。(16~17頁)

■聖人はその意識を空洞にして(「……の意識」としての表層意識が志向する対象を払拭して無意識の次元に立ち、その見地から経験的世界を見るので)、いかなるものも「本質」によって固定された客体として認知することなく、従ってまたそのようなものとして意識することなく、実際に活動する日常的現実の世界に身を処しながら、しかも無為の境地にとどまり、あらゆるものがそれぞれの名を通して分節された世界の中におりながら、しかも言語の「本質」喚起作用を超絶したところに住んでいるのであって、その境位はひっそりと静まりかえってものの影すらなく、形象とコトバで捉えられるようなものは1つだにない――およそ、そんな世界に聖人は住んでいるのである、という。(18頁)

■我々の側で、表層意識が深層意識に転換し、様々な存在的「現われ」が払拭され尽くせば、当然、一切の事物の幻影のような姿は消えて、絶対無分別の実在者そのものが了々と現われてくる。深層意識の立場からすればすべての事物は実在性を欠く虚妄のまぼろしにすぎないけれど、それらがすべてブラフマンの「名と形」てきな歪(ひずみ)であり、ブラフマン自身の限定的現われであるかぎりにおいて、一切の経験的事物にはある種の実在性が認められなければならない。このことを本質論的に言いなおすなら、個々別々の事物の個々別々の「本質」のはシャンカラにとって虚妄だけれども、そのかわり彼は全ての経験的事物に唯一絶対の「本質」を認める、ということになるだろう。事実、彼にとって、ブラフマンはあらゆる経験的事物の真の、そして唯一の、「基体」だったのだから。(27~28頁)

■中国的思考の特徴をなす――と宣長の考えた――事物にたいする抽象的・概念的アプローチに対照的な日本人独特のアプローチとして、宣長は徹底した即物的思考法を説く。世に有名な「物のあはれ」がそれである。物にじかに触れる、そしてじかに触れることによって、一挙にその物の心を、外側からではなく内側から、つかむこと、それが「物のあはれ」を知ることであり、それこそが一切の事物の唯一の正しい認識方法である、という。明らかにそれは事物の概念的把握に対立して言われている。

概念的一般者を媒介として、「本質」的に物を認識することは、その物をその場で殺してしまう。概念的「本質」の世界は死の世界。みずみずしく生きて躍動する生命はそこにはない。だが現実に、われわれの前にある事物は、1つ1つが生々と自分の実在性を主張しているのだ。この生きた事物を、生きるがままに捉えるには、自然で素朴な実存的感動を通じて「深く心に感」じるほかに道はない。そういうことのできる人を宣長は「心ある人」と呼ぶ。(35~36頁)

■事物のこのような非「本質」的把握の唯一の道として、宣長は「あはれと情(こころ)の感(うご)く」こと、すなわち深い情的感動の機能を絶対視する。物を真に個物としてあるがままに、それの「前客体化的」存在様態において捉えるためには、いっさいの「こちたき造り事」を排除しつつ、その物にじかに触れ、そこから自然に生起してくる無邪気で素朴な感動をとおして、その物の個的実在性の中核に直接入っていかなくてはならない、というのだ。(38頁)

■「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と門弟に教えた芭蕉は、「本質」論の見地からすれば、事物の普遍的「本質」、マーヒーヤ、の実在を信じる人であった。だが、この普遍的「本質」を普遍的実在のままはでなく、個物の個的実在性として直感すべきことを彼は説いた。言いかえれば、マーヒーヤのフウィーヤへの転換を問題とした。マーヒーヤが突如としてフウィーヤに転成する瞬間がある。このの次元転換の微妙な瞬間が間髪を容れず詩的言語に結晶する。俳句とは、芭蕉にとって、実在的緊迫に充ちたこの瞬間のポエジーであった。

一々の存在者をまさにそのものたらしめているマーヒーヤを、彼は連歌的伝統の述語を使って「本質」と呼んだ。千変万化してやまぬ天地自然の宇宙的存在流動の奥に、万代不易な実在を彼は憶った。「本質」とは個々の存在者に内在する永遠不易の普遍的「本質」。内在するといっても、花は花、月は月という『古今』的「本質」のように、事物の感覚的表層にあらわに見える普遍者ではない。事物の存在表層に隠れた「本質」である。「物と我と2つになりて」つまり主体客体が2極分裂以前の根源的存在次元ということである。(57~58頁)

■裂け目も接目もない塊りに、認識の第2段階で、理性が割れ目をつけて、「本質」と「存在」に分ける。ということは、ここで始めてXが存在する何々として意識されるということ、例えば存在する花として。それが本来的意味での「Xの意識」。スコラ哲学は「本質」と「存在」へのこの分割を、理性の最も本源的な作用であると考える。そしてこの本源的分割作用こそ、スコラ哲学的意味での存在論(オントロギー)の第一歩をなす。

今まで1つの全体である何かとして、どこにも裂け目を見せず、捉えどころもない無規定、無分節様態で現前していたにすぎないXが、理性の存在論的分析の光に照明されて、「存在」と「本質」との組合わせになる。つまり、「Xは実在する」「Xは……である」という2つの命題が同時にここで成立する、ということだ。Xが存在する、だが、ただ存在するだけでなくて、……として(例えば花として)存在する、というのである。

「存在」は現実性または現前性の原理であって、それがXを現実化し、現前させる。Xは存在することによって最も切実に現実であり、リアルである。Xをリアルにはするけれども、しかし「存在」は決してXをして花たらしめはしない。Xをして花たらしめるものは、Xの存在性ではない。言い換れば、Xは存在することによって花であるのではない。そこには何か別の原理が働いているはずだ。その別の原理を「本質」と呼ぶ。花はその「本質」、つまり花性のゆえに花なのである。

しかし、また反対に、Xの「本質」は、Xを「……」として規定はするけれども、Xの「存在」を保証しはしない。花性は、それ自体としては、どこまでもただ花性であって、現実に一輪の花をも咲かせない。「本質」と「存在」とが組み合って、あじめてXは存在する花となるのだ。そして「花」という語は、Xの「存在」にはなんの関わりもなく、ただ花であるというXの「本質」を措定し、固定するのである。それによって、流動して止まぬ「存在」の渾沌の只中に、花という1つの凝固点が出来上る。(64~66頁)

■このように「窮理」が、意識の表層から始めて、次第に深層に向う道であるかぎりは、そしてまた上述のとおり、意識の深層領域が意識のゼロ・ポイント(意識の無の極点であって同時に意識の有の始点)に究極するものであるかぎりは、「窮理」の道程は、意識即存在の根本原則に従って、その極限において、存在のゼロ・ポイント(存在の絶対無であって同時に有の始源、「無極にして太極」)に到達するものでなくてはならない。この全過程をみごとに素描した朱子の文章を思い出す。曰く、

「致知在格物(知を致すは物に格(いた)るに在り)と経文にある、その意味するところは、もし我々が己れの知を完全無欠にしようと望むならば、経験界に存在する一々の物について、それぞれの理(本質)を窮め尽そうとする努力が必要だ、という。思うに、人は誰でも、その霊妙な心のうちに必ず知(事物の本質認知の能力)を備えており、他方、天下に存在する事物、一つとして本来的に理を備えていないものはない。ただ(心の表層能力だけしか働いていない普通の状態においては)事物の理を窮めるということができない。つまり、せっかく人間の心に備わる知もその本来の機能を充分に果すことができないというわけだ。されば、儒教伝統における高等教育においては、必ずまず何よりも真っ先に、学人たちに、自分が既に理解しているかぎりの事物の理を本として、およそ天下に存在するすべての事物の理を次々に窮め、ついにその至極に到達することを要求する。こうして努力を続けること久しきに及べば、ある時点に至って突如、豁然(かつぜん)として貫通するものだ。そうなれば、一切の事物の表も裏も、精も祖も、あますところなく開示されるとともに、(あらゆる理を一に蔵めて内含する)己れの心の本体がそっくりそのまま開顕し、同時にその心の広大無辺の働きが残りなく明らかになる」(『大学章句』5章補伝)。(91~92頁)

■「脱然貫通」という言葉で表現される意識のこの突然の飛躍転換がいかに劇的な実存的体験であったかは、その決定的瞬間の実感を描く朱子の文章に生々と写されている。

「突如、真夜中の静寂(しじま)を劈(つんざ)く烈しい雷鳴(表層意識のかたく閉された闇の厚みを、耳を聾するばかりの凄じい雷鳴が貫通する)。と、見る間に、数かぎりない扉が一斉に開く(突然、深層意識が発動し、それに呼応して太極の扉が四方八方に向って開かれて、この意識と存在の原点から無数の事物が発出してくる光景を目撃する)」と。そして、この異常な体験を通じて、「無心(未発の至極ににおける深層意識)そのものの中にあれつる経験的事物(己発の状態における現象界のすべて)が内含されていることを悟ったなら、その時、その人は、まさに『易』の創始者その人と面々相対してた立つ(太極そのものと完全に一化している)といっていいだろう」と朱子はこの文章を結ぶ(『朱子文集』38。原文は詩。ここには大意を取る)。(93~94頁)

■或る人が伊川に問うた。「格物(窮理)を実践するためには、あらゆる物について、それぞれのその理を窮め尽さなくてはならないのでしょうか。それとも、ただ1つの物だけ取り上げて、その理を完全に窮めてしまえば、あとはそのまま万里に貫通することができるのでしょうか」。

伊川は答える、「たった1つの物の理を把握しただけで、どうして一時に万里に貫通することができよう」。だが、と彼は付け加える。そうかといってまた、天下にあるかぎりの一切の理を窮め尽せというわけではない、と。先に引用した一文(『遺書』18)がこれに続く。曰く、「今日は一物の理を窮め、明日はまた別の一物の理を窮めるというふうに、段々に積習していくべきであって、こうして窮め終った理が多く積もると、突然、自らにして貫通体験が起るのだ」と。つまり、あらゆる事物のあらゆる「理」を窮めなくとも、習熟の度が或るところまで来ると、突然、次元転換が起る、というのである。

ということは、しかし、「窮理」の最終目的からすれば、事物の「理」、すなわち一物一物の「本質」そのものがそれ自体として問題なのではない、いやそれも問題であり重要であるにしても、むしろそれより、こうした修練を通じて、事物をそういう形で、そういう次元で、見ることのできる意識のあり方を現成させることのほうが、はるかに重要なのだということである。そのような意識の次元が拓かれて、全存在界の原点である「太極」そのものを捉えてしまえば、ひるがえってその立場から、経験的世界の個々の事物に分殊して内在する個別的「太極」を窮め尽すことなど、いともたやすいことなのである。(94~95頁)

■「窮理」修道の初段界にいる学人には、己の求める「理」の形而上的側面はほとんど――あるいは、きわめて漠然とした、歪んだ形でしか――見えていない。だが形而下的側面だけは、そのつもりになって努力しさえすれば、はっきり見える。形而下的側面における「理」は相対的な、質料的に特殊化され限定された「理」であって、その限りにおいて理性の省察に向って開かれているからである。それを唯一の手掛りにして「窮理」の道に学人は踏み入る。個々の事物の「理」の形而下的側面を窮めつつ、彼はそれらの「理」の形而上的側面に次第に迫っていく。そして最後に、個々の「理」の形而上性を越えて、その彼方に、それらすべてを統合する至極の「理」すなわち「太極」の純粋無雜な形而上性を見る。それが「脱然貫通」である。

しかし、不思議なことに、万有の唯一の窮極的「本質」である「太極」は、同時にまた、あらゆる事物の「本質」が無に帰して消滅してしまう無「本質」の一点、全存在界のゼロ・ポイント、「無極」でもあるのだ。(97~98頁)

■宋儒たちは、これに反して、経験的事物それぞれの「本質」を、それらの死と「忘却」の彼方にではなく、むしろ存在の経験的次元そのものにおいて、溌剌と躍動する事物の生命そのものの中に探究する。そして窮め終ったすべての「本質」の形而上性のさらにその彼方、あらゆる「本質」のより深い、あるいはより高次の形而上性の源としての絶対的無に出合う。そこに彼らの「脱然貫通」が実体験的に現成する。彼らのこの形而上的無の体験には、しかし、虚無の臭いはなく、そこに絶望の影もなかった。なぜなら、それは経験的事物の死によって成立する無ではなかったから。存在するものの死ではなく、生の源泉で、それはあった。あらゆる経験的事物それぞれの「本質」を無化し尽す形而上的無「本質」。宋儒たちは、あらゆる「本質」の実在的原点、すべての「本質」を己れの形而下的自己限定として、意識と存在の経験的次元に現成させる唯一の「本質」、をそこに見たのだった。

「無極而太極」、私が既に繰り返し口にしてきたこの言葉。無極にして太極、無極でありながら同時にそれがそのまま太極である、という。無・即・有。「理」の形而上的極限における無と有の、この矛盾的相即のうちに、我々は宋学的「本質」把握の東洋的性格を見るべきであるのかもしれない。(98~99頁)

■本論のこの場面で私に関心があるのは、「3徳」論を踏まえた『バガヴァド・ギーター』の認識の3段階説それ自体である。すなわち「純質的」認識、「激質的」認識、「闇質的」認識。第1は全存在界を究極的一者性において眺める純粋叡智の煌々たる光、第2は現象的多者の間に動揺ただならぬ意識、第3は愛憎に縛られた沈重な意識。先ずケクストを読んでみよう。

(あらゆる経験的事物のうちに、唯一なる不易不変の実在を見、分節された〔すべての〕もののうちに無分節の実在を見る――それこそ純質的認識と知るがよい。)

(あらゆる経験的事物のうちに、個々別々なさまざまなものを、個々別々に識別する認識――それこそ激質的認識と知るがよい。)

(ある1つの対象に、まるでそれがすべてであるかのごとく、ただわけもなく、実在の真相を忘れて執著する狭隘な認識――それをこそ闇質的認識と知るがよい。)(121~122頁)

■禅ではよく「心を擬(ぎ)する」という表現を使う。心を擬する、とは意識のエネルギーをある一定の方向に向かって緊張させ、その先端に1つの対象を認知すること。本論で最初から問題にしてきた「……の意識」のことである。それが「本質」認知――より正確には「本質」措定――の操作を通じてはじめて成立する内的事態であることは、今まで述べてきたところによって明らかであろう。禅の見地からすると、「心を擬する」ことこそ見性、すなわち「至道」、への最大の障礙(しょうがい)である。(125頁)

■禅者の好んで引用する『維摩経』の1文、「無住の本より一切の法を立つ」はこの存在風景の構造を1言で喝破する。経験界、そこにあらゆるものが存在している。この点までは普通の見方と同じ。但し、それらのものの成立するのは、ひたすら「無住の本」よりである。無住、つまり依拠するところがない、もののものとしての存在根拠、すなわち「本質」がない。無「本質」でありながら、しかもそれぞれのものがそれぞれのものとして現象している、それが経験的世界だ、という。(137頁)

■常識的な見方では、「本質」は誰が決定するものでもない、はじめから各々の事物に備わっている。花には花の「本質」が最初から自然に与えられている。そのあたえられている「本質」を我々が見付け出す。その上で、花は花として我々に認識されるのである。

宇宙万有の創造主なるものを措定して、その基礎の上に存在論を立てる1神教的伝統、例えば正統派イスラームなどでは、「本質」決定は完全に神の手に委ねられる。天地創造の日、神はまったく自由な意志に従って、種々様々な事物を、それぞれその「本質」とともに無から創造した、と『旧約聖書』「創世記」でも、同様に、天地創造に当って、神はあらゆるものを、それぞれ「その種に従って」創り給うた、とある。事物を「種(類)」に従って創る、とは、まさしく、いろいろなものを「本質」的に区別して創るということにほかならない。「本質」を備えた形で創造されたからこそいろいろ違うものが存在しているのであって、「本質」がなければ、種々の事物ということも意味をなさない。「種」と「類」とは、まぎれもなく「本質」そのものなのであるから。(149~150頁)

■経験的世界のあらゆる存在者が本来、無「本質」なのだと思い定めることが禅者の向上心への第一歩である、と私は言った。事物の無「本質」性を『般若経』『中論』以来の大乗仏教の述語では「空」と呼ぶ。仏教で「本質」に該当する語は「自性(じしよう)」であるので、無「本質」性の意味での「空」を「無自性」ともいう。

諸法――経験的世界において表層意識の対象となる一切事物――の実相は「空」であり、その空性は、理論的には、一応、因縁所生ということで説明される。原始仏教の縁起哲学につながる非常に歴史の長い考え方である。山は山の「本質」(自性)があって山というものとして実在するのではない。ただ限りなく錯綜する因と縁との結び合いによって、今ここにXが、たまたま山として現象しているだけだ、という。山であるXが実在するわけではない。従ってまた山であるXが川であるYと明確に区別されるのも、結局は「妄想分別」にすぎない。XとYとが別のものとして区別されるのは妄想分別であるとするならば、妄想を取り払ってしまいさえすれば、たちどころにXとYとの区別はなくなる。少なくとも、なくなるはずだ。そしてXとYだけでなく、一切の存在者について、そこに働く我々の意識の妄想分別的、すなわち分節的機能を停止してしまえば、すべては、法蔵の言葉にもあったように、「唯だ一真如」に帰してしまうのである。(153~154頁)

■古代中国的シャマニズム自身の理論によれば、このようなイマージュ体験の主体は、「魂(こん)」である。元来、人間の肉体の中には2つの違った魂(たましい)が住む。その1つは「魂」、他は「魄」。「魂」は陽性で天に属し、人体に宿っては人の霊性を代表する。これに対して「魄」は陰の性で、もともと地に属し、人体にあってはその身体的、物質的側面を司る。『礼記』によれば、人が死ぬと、「魂」は霊性的原理として天に昇り、「魄」は肉体的原理として地に帰る、という。(195頁)

■事物の「本質」を象徴的に呈示する、といま私は言った。このような意味での「元型」イマージュのみによって構成された雄大なシステムを、私は古代中国の「易」に見る。「易」の表わす存在世界は、まさに1つのmundus imaginalisであり、それの構成要素はことごとく「元型」イマージュ的次元における事物、事象の「本質」である。64卦も、またその基礎にある8卦も。

『周易』「繋辞伝」(上)な、神話的太古の聖人たちが、いかにして、現在我々の見るような「易」の記号体系を作り上げるに至ったのかを説明する有名な箇所がある。「象」の成立を説くその1節に、「聖人、以て天下の賾(さく)を見る有り、而して諸(これ)をその形容に擬(なぞら)え、その物宜に象(かたど)る。この故にこれを象と謂う」とある。大意――その昔、「易」の象徴体系を作った聖人は、陰陽2元気の相互作用による変易の原理に基き、その見地から(「以て」)、天地間のあらゆる存在者の真相の幽深にして容易に把握しがたい有様(これは孔穎達(くようだつ)の古説による「賾(さく)」の意味。朱子の新説によれば、入り乱れ錯綜すること)を看取して、それを比喩的に形象化する「象」なるものを設定し、それ(「諸」)を、無相無形のリアリティーの形状に比擬(なぞら)え、それによって、事物の「本質」(「宜」、物がその宜(よろ)しきにかなうところ)にかたどった(すなわち、本来、形のない事物の「本質」を仮りに形象を与えて表わした)のである、と。短く単純なように見えて、実は意外に難解なこのⅠ文、大意を汲んで訳せば、おおよそこんなことになるだろう。それはとにかく、この文によって、易の記号体系の基である「象」が、3画の爻(こう)からなる8卦も、6画の爻(こう)からなる64卦も、すべて前述したスフラワルディーの「似姿」「比喩」であり、要するに「元型」イマージュそのものであることを、我々は知る。(208~209頁)

■「易」の聖人の意識は、広い意味でのシャマン的意識。そういう意識に直結した特殊な目で、彼は外界を見る。その彼の目に、事物は幽玄な象徴性を帯びて現われてくる。その象徴性は、経験的存在秩序とは根本的に異る「元型」的存在秩序の象徴性である。(210頁)

■禅宗第5祖、弘忍(601-674)は、坐禅する初心者に向って、こう忠告する。夜中、坐禅していると、聖・俗、ありとあらゆる種類のものをお前は見るかもしれない。様々な色、青や黄や赤や白などが、瞑想状態にあるお前の目の前に現れてくるだろう。ある時は巨大な光が、爛爛と輝きながらお前自身の身体から発出し、ある時は仏陀が肉身の姿で現われる。かと思うと、また多くの不思議なものが、猛烈な速度で、互いに変融し合う有様が見える。こんなことが起ったら、じっと静かに心を保ち、けっしてどれにも注意を払ってはいけない。みんな虚妄で無根拠なのだ。お前自身の妄想の働きでそんなものが見えるだけなのだから、と(「修身要論」)。

シャマニズムや密教のような精神的伝統と、これはまるで正反対の態度である。これらの伝統では、このような状態にある人の意識に現われるこの種のイマージュに重大な意義を認める。どんなイマージュでもいいというわけでは、無論、ないけれど、とにかく瞑想によってこういう異常現象が経験されるということ自体、本論でいうM領域が意識深層で開けつつあることの証拠であるからだ。(219頁)

■ヘブライ語の子音、すなわち「文字」は全部で22個。これら22の子音のシステム(アルファベット)の第1位を占めるのが「アーレフ」という子音。従って、1つ1つの子音に、存在的エネルギーの凝縮された形を認めるカッパーラにおいては、すべての子音の最初に来る「アーレフ」は、神的言語そのものの初点、すなわち世界創造に向って神の最初の動きを表示する。神のコトバはこの1点から始まり、全存在がここから生起するのだ。空海の阿字真言にならって、「アーレフ」真言と名付けることもできよう。だが「ア」は1個の母音。こてにたいして「アーレフ」は「ア」という母音そのものの発音を起す開始の子音である。この意味では、「アーレフ」真言は阿字真言より、語音象徴主義をさらにもう1歩極端に進めたものと言えるかも知れない。(237頁)

■神のコトバ――より正確には、神であるコトバ――は、上に述べたように、先ず「アーレフ」という語音(絶対「文字」)にその全存在分節的エネルギーを凝集し、次いでこの絶対「文字」は内的に分裂して22の「文字」となり、次にそれらの「文字」は互いに自由自在に結び合って、我々にとってはまったく無意味な子音結合体を構成あい、さらに次の段階に至って、我々にとって有意味な「文字」結合体、つまりいわゆる語根、を構成する。ここまで来れば、我々にそのまま理解できるような普通のヘブライ後の出現にあと1歩。ただ母音を加えて語根を開きさえすれば、それで普通のヘブライ語が出来上がる。

「アーレフ」から語に至るこのコトバの自己展開の全過程が、神自身の自己展開であり、いわば神の内部の深みで起る事柄であるということに注意する必要がある。神の外で起ることでは、それはない。従って人はそてを客観的に眺めることはできない。ただ、神の内部で形成される「文字」結合体の意味を、人(カバリスト)は、己の意識の深層(M領域)に立ち現われてくる「想像的」イマージュとして追体験――あるいは、同時体験――していくだけである。(242頁)

■仏教徒が、その瞑想的ヴィジョンにおいて、キリストやマドンナを見ないのはなぜだろう、とカッパーラー学の権威ゲルショム・ショーレムが問うている。そういえば、逆に、キリスト教徒の瞑想意識の中に、真言マンダラの諸尊、如来や菩薩の姿が絶えて現われてくることがないのはなぜだろう、と問うこともできよう。同様に「セフィーロート」――カッパーラーが神的世界の基礎構成要素として立てる存在の「元型」的「本質」――も実に濃厚にユダヤ的だ。また、陰・陽を最も根源的、第1次的な「元型」とし、それら2元の数学的組合わせによって、先ず8卦、次いで64卦という次第に複雑な「元型」群を組織的に展開させていく易の純粋「元型」的記号たいけいも、著しく中国的な性格のものである。

このような強い「文化的枠組」の制約を受けていることが、「元型」的「本質」の1つの大きな特徴なのであって、この見地からすれば、「元型」的「本質」は、ある特定の文化的コンテクストに密着した深層意識が事物の世界に認知する「本質」である、と考えられなければならない。だから、この意味では、さっきも言ったように、全人類に共通する普遍性をもった「元型」といったようなものは存在しない。個々の「元型」も。それら相互間に成立するシステムも、各文化ごとに違う。そしてそれは、決してイマージュだけの違いではないのだ。深層意識に生起する「元型」そのものが、文化ごとに違うのである。ただ、どの文化においても、人間の深層意識は存在を必ず「元型」的に分節する、そういう意味で「元型」は全人類に共通なのであり、またそういう意味でのみ、人間意識の深層機構自体に組に込まれた根源的存在分節としての「元型」なるものが認められるのである。(246~247頁)

■禅を無彩色文化とすれば、密教は彩色文化だ、と言った人がある。たしかに、密教的世界は極彩色の世界だ。特に原色をふんだんに使ったインド・チベット系のマンダラは、絵画としても、禅の水墨画を見慣れた人の目には、どぎつい、ギラギラした世界として映る。禅は、既に述べたとおり、「無」の境位における存在リアリティーの無色性を強調し、経験界、現象界についても、その「無」的性格を重視する。経験界の雑多で華麗な色彩の只中にすら、そこに顕現する「無」の無色性を、禅は見る。そのために、経験界の色彩が可能な限界まで消去されることは当然だ。禅は最後には――すなわち前述の分節(Ⅱ)の段階では――再び経験的現実の存在の豊饒に還るとはいっても、その豊饒さは、密教の見る現実の華やかな豊饒さとは比すべくもない。しかも、この密教的現実の華麗さは、経験界のそれではなくて、「想像的」イマージュの織りなす「想像的」現実のそれなのであって、それだけにその色彩は原色的に純粋、かつ強烈。マンダラの色彩性は、「元型」イマージュの発散する存在エナルギーの感覚化なのである。(254~255頁)

■マンダラ――「マンダ」とは、もともと、牛乳を精醇して得られる「醍醐」を意味する。比喩としては、事物の1番貴重なところ、精髄。まさしく「本質」、一切事物の存在深層にひそむ「本質」である。ことさら、存在深層という言葉を添えたのは、ここで考えられている「本質」が、事物の存在表層に理性が見出す普通の意味での「本質」ではなくて、意識深層においてはじめて覚知される特殊な「本質」、つまり「元型」であることを明示するためである。(255頁)

■正名、「名を正す」。勿論、「名」を「実」にむけて正しくすること、もっと具体的に言うなら、「実」にぴたりと焦点を合わせた形ですべての人が「名」を使うような社会状況を作り出すことだ。そしてこの場合、決定的に重要なことは、孔子にとって、「実」とは個体としての物ではなくて、物の「本質」を意味する、ということである。

現実の世界に存在する一切の事物、事象に、普遍的で永遠不易の「本質」があって、それが一々の物にまさにその物たらしめるリアリティーなのだという確信が孔子にはあった。「名」この意味での「実」に対して志向的に制定されたもの。「名」と「実」との間には、だから、1対1の関係、1直線の関係が、本来、あるはずだ。それなのに、人間生活の現実においては、「名」と「実」との間には、大抵の場合、ずれがある。そして言語使用のこういう不正は、孔子にとって、社会秩序の紊乱(びんらん)を意味した。事実、孔子は自分のまわりに、至るところ、「名」と「実」との間の恐るべき不整合を見聞するのだった。「名と実と相怨むこと久し。故に絶えて交わらず」(『管子』「宙合」)。孔子が理想とした古き周王朝の文化的価値秩序は急速に崩壊の一路を辿りつつあった。語とその指示対象との乱れに、彼はその事実の悲しむべき徴表を見た。(299頁)

■いまニヤーヤ・ヴァイシェーシカの思想を、私がことさら「インドの名実論」とする所以は、それが、名実論のように、コトバの意味指示作用と、外界に置けるそれの指示対象である事物との認識論的関係を極度に重要視する哲学だからである。特にヴァイシェーシカ哲学の大成者といわれるプラシャスタパータ(西暦5世紀後半)以来、「名」によって指示される「実」を外界に実在する普遍的「本質」として櫓界するに至って、ヴァイシェーシカの立場は、孔子の正名論のそれと、ある意味で、根本的に近いものとなった。

我々が普通、現実と呼んで実在性を疑わぬ経験的世界を心の産み出す幻影として、その実在性を一挙に否定し、普遍的「本質」を概念以外の何ものとも認めない大乗仏教に対抗して、経験的世界の外的実在性をヴァイシェーシカは主張する。我々の経験する世界は、元来、客観的にそこにあるものであって、我々の主観の産物ではないし、また我々の心の働きによって変るものでもない。そしてこの外的世界に実在する事物を、我々の感覚器官は直接、無媒介的に(直接触れることによって)認識する、という。但し、ここで外的に実在するものというのは、たんに個別的な事物のことではない。ヴァイシェーシカにとっては普遍者もまた外的に実在するものであって、人は個別的に内在する普遍者を、個別者とともに知覚するのである。

ヴァイシェーシカの存在論は、徹底した実在論(レアリスム)としてひろく知られているが、この場合、実在論とは唯名論(ノミナリスム)に対立する西洋哲学史の述語、いわゆる「実念論」の意味に解さなければならない。それは普遍者実在論、「本質」実在論なのである。たんに個別的なものが外界に存在するというのではない。個体としてのものを内面から支える「本質」、普遍者、が外界に実在していて、それによってはじめてものは「……」であるものとして実在する、というのだ。そして、コトバは、外界に実在するこの普遍的「本質」を第一義的に意味志向する、と考えるのである。(310~311頁)

■常識との違いは、先ず、Xを花として認識する1段前の、より原初的なXの認識段階から考え始めるところにある。この原初的認識段階をヴァイシェーシカの述語で「不定知覚」と呼ぶ。Xとの接触から生起する漠然たる感覚。まだXの意識ですらない。後の段階からひるがえって反省してみれば、本当は、花を見ているのだけれど、認識体験の事実としては、花を花としては見ていない。ただ、これが現前しているだけである。この段階でも、これはあれとは区別されていはいる。だが、花としてのこれが、蝶としてのあれから区別されているわけではない。ヴァイシェーシカ的に考えると、まだ「花」というコトバが意識に浮んでいないのだ。不定的、無限的にXが現われているだけ。つまり、これはまだ「本質」規定を受けていないのである。

「本質」規定は、認識の第2段階ではじめて起る。これを述語的に「限定知覚」という。第1段階はXとの言語以前の身体的接触だった。それが第2段階に至って、言語的認識となる。「花」という語(コトバ)が意識に浮び、それがXと結びつくことによって、Xは花であるものとして現れる。すなわち、この段階において、Xは「本質」的限定を受けるのである。

「本質」的限定を受けたXは、人の主観的としては個物であるけれども、構造的には、普遍的にからみ付かれた個別、普遍者の内在する個体であって、その限りにおいて純粋無雑な個別ではない。有「本質」的に「……」として意識された個体Xは、もうそれだけで普遍者化されたいるのだ。『ニヤーナ・スートラ』に「語の意味対象(としての存在者)は、個体と形象と普遍者と(の3側面を1に合せたもの)である」とあるのはこのことを指す。要するに、個体としての花の認識は、それに内在する普遍者「花」を通じてのみ可能なのである。(312~313頁)

■同様に、「限定知覚」の段階で現われる「本質」すなわち普遍者、についても注意すべきことがある。さきに一言したように、ヴァイシェーシカは普遍者に実在するものと見る。すべての個体的花に内在して、それらを花であらしめる普遍者、花性(花の「本質」)が、そのまま外界に存在する、というのだ。しかし外界、すなわち我々の日常的経験世界に実在して、そこで通常の知覚の対象となるものであるからには、それを認知する意識は、当然、表層意識でなければならない。(314頁)

禅 に お け る 言 語 的 意 味 の 問 題

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■言語は音声的記号の体系であり、言語記号は対象志向、対象指示機能、すなわち「意味」があってこそ記号である。そして言語記号がいかにしてその対象を志向し指示するかということ、つまり意味の構造の分析的解明は、現代哲学の1つの中心課題である。また科学論系統の現代アメリカ哲学や、現代のイギリスの経験主義的哲学においては、言語の有意味的(ミーニングフル)なあり方とその哲学的意義とが思想家たちの関心を集め、尖鋭で精緻な分析の対象となっている。このような思想界の動向を反映しつつ、日常的思考の領域においても意味に関する多くの通俗書が書かれ、いかにすれば言葉を有意味的な仕方で使用し得るか、どうすれば無意味な言葉を語る危険からのがれ得るかと言う、いわゆる正しい言語使用法――ひいては正しいものの考え方――の重要性が説かれ、そのためのテクニークが教えられている。現代人にとって、無意味(ノンセンス)に言語を使い、知らず知らずに意味をなさない考えに陥るということは愧ずべきことと考えられている。いかなる形にせよ無意味を語ることは、現代社会の常識を基本的に規制する科学性に反することだからである。無矛盾性と整合性を原理とする科学的思考は先ず何よりも言葉の意味的使用を要請する。(355~356頁)

■有意味と無意味の問題を禅はどう考えるであろうか。言葉が本質的に――宿命的に――もつ意味というものの構造を禅はどう理解するであろうか。

私がこのような形で問題を提起するのは、禅自身が言語の問題を徹底的に無意味性というパラドクシカルな形で提起するからである。言語の有意味的使用に対して、禅はまっこうから反抗し挑戦するかのごとくに見える。

ぜんはその活動のあらゆる場において、無意味性という現象を重視する。「無意味性」は禅の語録や公案集のいたるところに顔を出す。言語以前の行動の次元においても、禅は既に無意味性に満ちている。有名な禅者たちの特徴ある行動は、常識的観点から見る限り、すべて、ほとんど例外なしに、無意味である。無意味でなければあたかも禅的行為ではないかのように彼らは振舞う。天龍和尚や倶胝和尚の1本指。何をどう尋ねられても、彼らは必ずただ1本の指を立てるのを常とした。無意味である。しかし、禅自体の中では、倶胝和尚のこの奇行は公案として扱われるほど重要視されてきた。して見ると、禅自体の見地からすれば、倶胝の1本指は有意味的行為であるに違いない。すなわち禅には禅の立場からする独特の有意味性の基準があるに違いない。常識的見地から見て無意味であるものを有意味に転成する、その基準とはどのようなものであろうか。

身体的行動の領域を離れて言語行動の領域に入ると、禅の無意味性はもっとむき出しな、はげしい形で露呈される。「橋が流れている、川は流れない」とか「山が水上を歩いて行く」というような無意味な言辞が横行する、それは世界なのである。しかしこのような言葉の使い方は、常識的に言えば、言語的意味を言語そのものによって破壊する言語の自殺行為にほかならない。

禅の最も禅らしい言語活動は問答という形をとって展開するが、問答形式では禅独特の無意味性が更に一段とむき出しになる。無数の例が語録や公案集にある。ある時、ある僧が趙州(じょうしゅう)禅師に問うた「如何なるか是れ祖師西来(せいらい)の意」。趙州答えて曰く「庭前の柏樹子(はくじゅし)!」祖師、達磨はどんな意図でわざわざインドから中国にやって来たのか、つまり仏法の最深の意義はどこにあるのか、と僧は問う。これに対して趙州は庭さきの木を指しつつ、ただぽつんと「柏の木!」と言った。「如何なるか是れ仏」(仏とはどんなものか、絶対者とは何か)という問いにたいして、洞山守初(とうざんしゅそ)禅師は、唐突に「麻三斤(まさんぎん)!」(重さ3斤の亜麻)と言った、と伝えられている。全くわけがわからない。趙州の答えも、それぞれの問いにたいして、答えとしては意味をなさないのである。問いと答えの間に何の聯関もないからである。問いと答えの間に意味的聯関性がなければ対話(ディアロゴス)は対話にはならない。

ディアロゴスとは2つに分れて展開していく形である。そこには1本の筋が通っていなければならない。対話にならない対話は無意味である。そして意味が成立しなければ言語はコミュニケーションというその第一義的な機能を果たせない。だからこそ、禅における言葉のやりとりは、大抵の場合、一瞬にして終了してしまう。ロゴスの線が続いて行かないから先に進みようがないのである。

しかもなお、禅者は好んで問答する。問答は、古来、坐禅とならんで重要な精神修練の形式であり、悟りの深度を測る極めて有効な手段ですらあった。とすれば、問答する2人の禅者の間には何らかのコミュニケーションが成立しているはずである。日常的条件の下では無意味としか考えられないような言葉のやりとりが、現に問答している2人の禅者にとっては普通以上に有意味であるのでなければならない。このような場で成立する言語的意味とは何だろう。それが本論の主題である。(355~356頁)

■「言語は存在の家だ」とハイデッガーが言った。そこには言語にたいするこの哲学者の深い信頼感がある。もっとも、ここでハイデッガーが考えている「言語」とは、日常的な、つまり惰性的で非創造的な言葉ではなくて、例えばヘルダーリンのような詩人によっいぇ詩的創造的に使用されたみずみずしい言葉のことではあるが。

これに反して禅では「言無展示(ごんむてんじ)」(洞山守初)という。言語は存在をそのままに、あますところなく提示することができぬ、というのである。ここには言語にたいする根深い不信感ががある。この不信の故にこそ、禅は不立文字を標榜するのだ。しかし言語にたいするこの不信は日常的、慣習的言語にたいするそれであることが注意されなくてはならない。非創造的言語への不信である。こう考えてみると、禅の「言無展示」はハイデッカーの「言語は存在の家だ」という言葉を裏側から言ったものにすぎないことがわかる。だから、解釈のしかたによっては、このハイデッカーの命題は、禅の考えをより積極的な形にして考えた方が、理性的に思惟を展開する目的のために初歩的段階としては手がかりが得やすい。

「言語は存在の家だ」。根源的に無限定で、絶対にあるものとして把捉しがたい窮極者――それは「存在(ザイン)」、「有」、「実在」と呼ぼうが、あるいはまた逆に「無」と呼ぼうが問題ではない――は人間の言語を通じて、言語において、様々に限定されつつ自己を開示してくる。言語は存在の自己限定的開示の場所である。言語――第1次的には個々別々の語、いわゆる単語――の形で、絶対無限定的な存在(「廓然無聖(かくねんむしょう)」の無漏法)が自己を様々に限定し、限定された形で結晶する。山が現われ、川が現われる。限りない数の結晶体が世界を満たす。根源的非限定者との関聯において、これらの結晶体をどう処理するかが問題である。

ハイデッカーは語源、すなわち歴史的根源的意味、を探ることによって、そこに露呈されている形而上学的に根源的な意味を直感しようとする。語源とは無限定的たる存在が、まさに自己を限定して限定態に移ろうとする決定的瞬間に成立するものである。ハイデッカーはこの決定的瞬間を自ら生きることによって語の内部に翻入し、それによって、本来的には把握しがたい無限定者そのものに迫ろうとする。

禅は言語にたいしてこのような態度はとらない。禅者にとって個々の語の語源など問題にもならない。「言無展示」。始めから言語不信なのである。

言語にたいする禅の態度は著しくダイナミックで行動的である。極限的な精神的緊張の真只中に言葉を投げこみ、その坩堝のなかで一挙にその意味志向性の方向を、いわば無理やりに水平から垂直にねじまげる。言語は自然に与えられたままの形では全然使いものにならないのである。どうしても徹底的なデフォルマシオンが必要となる。そしてそのためには、言葉を現実の生きた禅的場面で、禅的に使用するほかない。どうしてこんなことをしなければならないのだろうか。

禅の言語にたいするこのような特殊な態度は、もし人が存在の結晶体から出発し、結晶体においてのみ存在を見ている限り、無限定者としての存在そのものは絶対に見ることができないという根本テーゼに立っている。ハイデッカーの言うように、存在は言語を家として宿る。すなわち語は存在を分節された形で提示する。世界はばらばらに切り離されて独立に存立する事物の集合体として現れる。暗闇の舞台に無数のスポットライトが照らされ、数限りないものが浮び出る。ハイデッカー的に言うと、「存在」は見失われ「存在者」のみが顕現する。かくて世界は自己同一的事物(「山は山、水は水」)に充たされた存在領域となるのである。そしてこのような存在領域においては、それらのものを眺めつつ、それらをものとして認知する自分もまた他の一切から切りはなされた1つの事物にすぎない。我もここではものと化す。認識論的に見ると、ここに主体と客体の区別と対立が成立する。

こうして言語はもともと無限定的な存在を様々に限定してものを作り出し、ものを固定化する。ここで固定化とは言語的意味の実体化にほかならない。

だが禅はものの固定化をなによりも忌み嫌う。一切のものを本来無自性と信じ、かつそう見るからである。本来無自性とは、永遠不変の、固定した「本質」などというものをもたないということである。山が山性によってがっしりと固定され、山以外の何ものでもなく、また何ものでもあり得ないという柔軟性を欠いた存在論は、哲学的にも前哲学的にも、山の本当のあるがままにたいして人を盲目にする、と仏教は考える。

「僧肇(そうじょう)は『天地と我とは同根。万物と我れとは一体』と言っているが、私にはどうもこの点がよくわからない」と言った人にたいして、南泉普願禅師は庭に咲く1株の花を指しつつ「世人のこの1株の花を見る見方はまるで夢でも見ているようなものだ」と言った(碧巌録、40)。世人の目に映る感覚的花は花性をその本質として動きのとれぬように固定されたものである。花の花的側面だけはありありと見えているが、花の非花的側面は全く見えていない。つまり花を真に今ここに咲く花として成立させている本源的存在性が見えていないのだ。このような形で見られた花は夢の中に現われた花のように実は取りとめもないものだ、というのである。

一たん分節されて結晶体となった存在は、もしそのものとして固定的、静止的に見られるならば、分節される以前の本源的存在性を露呈するどころか、逆にそれを自己の結晶した形のかげに隠蔽するものである。このような場所では、人は存在を見ずに、ただ存在の夢を見る。

禅はこの覆いを一挙に取りはらうために言語を使用する。言語の意味的志向性によって分節された存在を、瞬間的にもとの非分節の姿に還らせるために分節的言語を逆用するのである。勿論、全然言語を使わないこと――沈黙――によってもそれはなされるし、「喝(かつ)」という非分節的音声によってなされることもあるが、それは本論文の埒外の問題である。

意味作用が働いている限り――意味作用を失った瞬間に言語記号は記号としての生命を失って死物と化す――個々の語は現実のある1断片を切り出してこれを固定的に結晶せざるを得ない。そのような言語の本来的機能を活かしながら、しかも意味の結晶体を溶解させようと、禅はする。結晶体を結晶体の姿で見ることにとどまらずに、本源的非結晶体が転じ、そしてまたたちまちもとの非結晶体にもどる微妙な全過程を、電光ひらめく一瞬の言語活動に捉えようとし、捉えさせようとする。自然的言語が極度に歪曲されることは当然であろう。この歪曲が普通の人の目には「無意味」と見える。(358~363頁)

■しかし絶対非分節の場(フィールド)は限りなく力動的で柔軟であり、その働きは自由無礙である。今この瞬間に人(にん)として主体性の極に結晶しているかと思うと、もう次の瞬間にはたちまち重心を「客」の極に移してものという形に結晶する。「庭前の柏樹子」、「麻三斤」。この「麻三斤」は前にも言った通り、仏(すなわち絶対者)とは何かという問いに対して洞山守初禅師が答えた言葉である。絶対者という語はここで我々が使っている場(フィールド)という語にあたる。洞山は、言下に、場(フィールド)をものに結晶させて質問者の面前につき出したのである。

このような境位で、本来的に禅的な形で分節されたものは勿論外的世界にあって「主」と対立し、その認識の対象となるただのものではない。表面にこそ現われていないが、人(にん)もそこにある。全世界がそっくりそこにある。このことを『趙州録』に見られる柏樹子公案の言語が実にはっきり示している。曰く、「時に僧有り、問う『如何なるかこれ祖師西来の意』(仏教から見た絶対的真理、つまり我々のいわゆる禅的無分別の場、とはどんなものか、と問いかける)。師云く『庭前の柏樹子』(僧はこの答えに不満である)。『和尚、境を将(も)って人に示す莫(なか)れ』(外界の事物など持ち出してきても答えにならぬ)。師云く『我、境を将って人に示さず』(わしは外界のもののことなど言っているのではない)。(そこで僧があらためて問う)『如何なるかこれ祖師西来の意。』師云く『庭前の柏樹子』。」この問答で質問者が理解している柏樹は普通に分節されたものである。それは我に対立し、他の一切の

ものに対立して独立する柏樹である。趙州の柏樹は禅的に高次の分節によって成立するものである。それは我をも他の一切のものをも全てを1点に凝集した柏樹である。このように高次の分節によって成立したものを、臨済は「奪人不奪境」と呼ぶ。

しかし、自由無礙(げ)な場(フィールド)は、また時に主も客も奪わず、主客共に成立させることもある。臨済のいわゆる「人境倶不奪」である。その例はさきに掲げた(風穴の「長(とこし)えに憶(おも)う、江南3月のうち」)。人も境も共に生きつつ、しかも両者が全く一体化した風光を描くこの詩句には春風駘蕩としてうららかな雰囲気が漂う。

絶対無分別の場(フィールド)を人境倶不奪な、極めて特殊な分節形において体認することが、中国と日本で、極めて特徴的な自然観を生んだ。多くの詩人や画家たちがこのような見地から自然を描いた。それは風穴の「長えに憶う」のように長閑(のどか)な風景として描かれることもあり、また夾山(かつさん)の「猿は児を抱いて青嶂(せいしょう)の後に帰り、鳥は花を啣(ふく)んで碧巌の前に落つ」というような深山の幽邃(ゆうすい)な景色として描かれることもある。描き方は様々であるが、いずれも人境倶不奪の示現であることに違いない。

ただ人境倶不奪は他の3つの境位と違って人とものとが共にそこにある場合であって、その限りにおいては日常的な認識と同じであり、従って、それを表現する言語も、一応表面的にはそのまま意味が通る。しかし、それだからこそ、実はかえって分かりにくい。禅的言語特有の分節がともすると日常言語の分節と混同されやすいのである。こういう混同が起ると、いま引用した夾山禅師の詩は外的自然の純客観的描写となってしまう。すなわち夾山という人がいて、彼が自分の住む深山の風景を眺めていることになるのである。現に法眼文益(ほうげんもんえき)禅師はこの詩について、自分の修業時代を回想しつつ、「私は30年間、うかつにもこれを外的自然の描写とばかり思いこんでいた」(我れ30年来錯(あやま)って境の会(え)をなす)と言っている。とすると、これは内的風景の象徴的な提示であろうか。勿論そうでもない。この詩は明らかにものを描いている。ただ、それらのものが同時に我でもあるのだ。時間・空間の世界に、我とものの微妙な融和として展開する非時間的・非空間的根源存在の場(フィールド)の明歴々たる姿なのである。「長(とこし)えに憶(おも)う、江南3月」には「憶う」という動詞に結晶した我(「人(にん)」)がはっきり出ている。夾山の描く山間風景にはそれがない。けれども、我はまごうことなくそこに顕現している。この境位を「人、山を見る。山、人を見る」とも言う。

 

以上のように解された絶対無分別態と、その絶対無分別者がそのまま直接無媒介的に顕現して成じた分節態との間に、本来的な禅の言語は働く。仏教の述語を使えば聖諦(しょうたい)と俗諦との間の振幅が、禅的言語の展開する場面である。聖諦とは存在の絶対非分節的次元であり、俗諦とは言語的に分節された存在の次元である。洞山良价(とうざんりょうかい)禅師の嗣、曹山本寂(そうざんほんじゃく)禅師は「正位は即ち空界にして本来無物、偏位は即ち色界にして万象形あり」と言う。聖諦(しょうたい)と俗諦との間を往来する禅的言語は、また洞山の立てた「正位」と「偏位」の間の消息としても捉えられよう。

禅的言語は必ず聖諦から発する。聖諦から発出した言葉は、一瞬俗諦の地平の暗闇にキラっと光って、またそのまま聖諦にかえる。この決定的な一瞬の光閃裡に禅的言語の有意味性が成立する。(371~374頁)

対 話 と 非 対 話

――禅問答についての1考察――

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■対話、すなわち言語記号を手段とする意味の相互伝達に関して、それがいかにして、またどの程度まで本当に可能であるかという点については、言語学は、概括的に申しますと、未決定の態度を取っているといわざるを得ないのが現状であります。事実、意識内容の言語的伝達の可能性を全く否定する徹底的な言語的独我論を一方の極として、反対に全てが言語的に伝達可能であるとする素朴なコミュニケーション肯定論を他方の極として立てますと、様々にニュアンスと強調点を異にするほとんど無数の立場が、これら両極の中間に認められるのであります。(379頁)

■意味の直接な言語的コミュニケーションは、いかなる形においても、絶対に不可能だという極論にまでは至らないにしても、今日はほとんど全ての言語理論家は、純粋に個人的あるいは実存的な体験の内容を、その生きた独自性のままにそっくり言葉で他人に伝えることは不可能であると考える点では、ほぼ一致しております。

これと正反対の極に近いあたりには、言語は、人間の意識に生起したことを、それがどのような種類のものであれ、本質的には他人に伝達できるという古来の合理主義的立場を固持する人々がおります。この言語観は、我々の常識に密着した、従って非常に根深い言語観でありまして、人間の心はいついかなる所においても根本的には均等であり、認識形態も基本的には同一であり、それゆえ、すべて人は要するに同一の現実を同じ形で経験しているのであるという確信に基礎を置いております。(380頁)

■以上のように考えてきますと、意識内容の伝達と「現実」の分節という人間言語の2つの根本的機能ののうち、禅思想において中心的位置を占めるものは後者、すなわち意味的分節機能の方であることが明らかでありましょう。古来の禅の伝統そのものの中には、別にまとまった形の言語論があるわけではありませんけれど、実際上、禅はこのような言語理論を内藏しているのです。そして禅が内藏するこの言語観によりますと、言語は主として、あるいは第1義的には、一種の認識パターンである、つまり本来なんの区別もなく、なんの線も引かれていない絶対無限定者の平面に多くの複雑な線を引いてそれを区分し、そこに無数の意味単位の「目に見えぬ格子」、すなわち輻輳する分節線の体系を作り出すものであると考える。しかもこの分節線を構成する意味単位はそのまま認識の単位となり、それに対応する「現実」の諸部分はそれぞれ独立に存在するものや事柄として認識されて、そこにいわゆる経験的世界なるものが提出してくると考えるのであります。

この点においては、言語にたいして禅の取る――あるいは、取ると想定し得る――立場は、現代のフンボルト学派に属する意味論者たちの立場に非常に近いものであります。フンボルトに従う人たちについては前章で説明しました。この人たちの見方では、言語は第1義的には認識範型あるいは分節形態を通して「現実」を分節し、それの提供する認識パターンによって世界を見る、というより、むしろ世界を創り出すのです。こうして各言語は、それぞれ1つの独自な世界像を確立するわけでありまして、従ってその言語を母国語として話す人々の心に既成の、つまりあらかじめ分節された世界の、ヴィジョンを押しつけることにならざるを得ない、と、大体こういうような主張であります。

禅がもし独特の言語学を発展させるとしたら、きっと大体においてこういった考え方に近いものになると私は思います。事実、禅はフンボルト派の意味論と同じく、言語的分節が我々の世界認識に及ぼす強大な影響力をいろいろな形で指摘してきております。ただし、禅がフンボルト流の意味論と違うところは、存在にたいする言語分節の影響力をただ観察したり分析したりするにとどまらず、もっと積極的、建設的な形でこの事実に対処しようとするところにあります。

ぜんは、今申しました言語の人間意識にたいする影響力を徹底して否定的に見ることから始めます。すなわち、言語の意味分節の枠組を通して見られた世界は、の完全な歪曲以外の何ものでもないとかんがえるのです。そして禅は、言うまでもなく、第1に、第1義的に、修道であり、精神鍛錬の道であり、ここで精神鍛錬とは人間の意識構造を根本的に練りなおして、今までかくれていた認識能力の扉をひらき、それによって今まで見えなかった事物の真相を摑むことができるようにしようというのでありますから、当然のこととして、ここで問題としております「現実」の言語的歪曲を払拭し、言語の分節作用の全然働かないところで、ありのままの「現実」を認識させる方法を編み出してきたのであります。坐禅とは、言語的に言いますと、まさにそういう言語否定への修行方法です。深い観想のうちに、言語分節の蹤跡が消え去り、あらゆる事物の無が体験されるとき、そのときはじめて歪曲されぬが顕現するという考えです。この点を以下もう少し立ち入って考察してみたいと存じます。

本論の第1章で私は、現代言語理論を代表するある人々によると、世界についての我々の認識体験には2つの違った次元が識別される。その1つは巨視的次元、他は微視的次元、ということを申しました。そして巨視的次元で体験されることだけが言語的に伝達可能であるということも。巨視的次元の体験内容が言語で伝達できる性質のものであるということは、それがもともと言語的「現実」分節の所産だからであります。今までお話ししてきたことから、それはすぐおわかりいただけると思います。

体験の巨視的次元とは「公共的に観察できる」事物事象から成り立っているといわれますが、それは別の言い方をすれば、体験の巨視的次元が名称あるいは名前の領域だということです。感覚的、感情的、情緒的、あるいは理性的にいろいろな事物や事象が、名称によって与えられる意味的指示に従ってそれぞれ他とは違ったものとして識別され確立されて互いに他にたいして自己を主張する存在領域で、それはあるのです。あるものがある名前をもつということは、それがそれ自身としてはっきり分節されているということにほかなりません。この意味で、巨視的世界は言語的分節の世界であります。

ところで禅の修行の道の第1歩は、このようにして巨視的次元に生じた意味的凝結体を、観想によって次々に――というより、できることなら、一挙に――溶かしてしまうことにあります。言語的意味分節論の見地から申しますと、坐禅とは、意味的に凝結している事物を溶解して、もとの姿に戻すために考案された方法であると申せましょう。

ざぜんの経験のおありの方はどなたも御承知でしょうが、坐禅で観想状態が深まって参りますと、意識の深層が次第に活発に働き出します。そしてそれと同時に凝結していた世界がだんだん溶けていきます。いわば流動的になっていきます。今まで峻別されていたあらゆる事物の形象はその尖鋭な存在性を失って仄かになり、ついにはいまにも消滅せんばかりのかそけさとなります。いわゆる「本質」なるものによって造り出されていた事物相互の境界線は取り除かれ、いろいろな事物の輪廓はぼやけてきます。そして、今ではほとんど区別し難くなったものたちが相互に浸透し合い、とうとう最後には全く1つに帰してしまいます。それが「一者」の次元です。

最初「一者」は万物の1に帰した状態、現象的多者の形而上的合一ないし帰一として体験されます。形而上的体験のこの段階では、「一者」は事実上、多者の一者、つまり多者の統一でありまして、多者はその姿こそ見えませんが、可能的にはまだ互いに区別されている、あるいは区別され得べき状態にあります。多者のこの可能的な存在区別は、さきほどからお話ししております言語分節の名残りなのでありまして、「現実」を常に区分と異別化において見ようとする人間意識の根深い傾向のゆえに、「一者」の次元に来てもなお依然として心に纏綿(てんめん)して離れないのです。だが、観想のより1段の深化とともに、この多者の可能的区別もついに消え去って、万物は絶対の無限定の中に消溶してしまいます。これこそ真の意味での形而上的「一者」の現成。大乗仏教ではこれを「空」と呼ぶ。禅ではよく「無」という言葉を使いますが同じことです。「万法」に帰す。一いずくにか帰す」というわけです。

言葉との間聯で申しますと、観想のこの段階では、言葉はその意味的分節機能を完全に停止してしまいます。ここにはもう何1つ分節されたものは残っておりません。言語的分節の織りなすヴェールは取り除かれ、事物が事物であることをやめつつ、すなわち、事物がそれぞれ自分がであることをやめつつ、それぞれの形而上的真相を露呈します。前に申しましたように、これこそ「山」がもはや「山」ではない境地なのです。「山」が山」という意味で限定され分節された形を失って無に帰した境地。「山」――あるいは、より厳密に言うと、今まで「山」だったもの――はここでは「無」なのであります。自分の名前を完全に失ってしまったのですから。もう「山」という名前はどこにもありません。老子の表現を借りれば「無名」です。

しかしながら、この「無名」の境地が禅の究極するところではないこともまた注意する必要があります。もしこれが究極の境地であるなら、1度言語分節の存在的次元を超え出てしまったら、もう言語など、なんの用もない、無用の長物ということになりましょう。言葉もなければ対話もなく、一切の言語活動はただ純粋に否定的意義においてしか問題にもならないことになるはずでしょう。なぜなら、言語はの偽りの図像を描き出してみせる存在的悪にほかならないのですから。そして事実、私はここまで、ただ言語的意味分節の否定的側面だけを論じてきました。だが本当は、言語にたいする禅の見方には、これとは反対の積極的、肯定的な側面もあるのです。

この第2の側面に関して先ず注意されなければならないのは、「無といい「空」という絶対無分別の形而上的状態としての」「現実」はそれ自身のうちに自己分節への存在的傾向を内包しているという事実――これもまた禅においては理屈ではなくて体験的事実なのですが――であります。絶対無分別者はいわばどうしても自己自身を分節せずにはおられない。「無名」は「有名」に転じていかずにはおられないのです。そして禅の観想的意識は、本源的形而上的「一者」が次第に自己分節を重ねつつ、ついに具体的事物事象の世界として完全に現象化された形で現れるところまで、「一者」の自己分節の全行程をくまなく辿るべく定められているのであります。ここに「一者」の自己分節の過程とは、「無名」が自らを名付けていく過程にほかなりません。本来なんの名もないものが、いろいろな名称を自己に与えて「有名」となる過程です。この「無名」の名付けが言語を通じてなされることは申すまでもありません。

ここまで来て、事の表面だけ見ますと、結局もとの木阿弥で、出発点の経験的世界に逆戻りしてしまったかのように思われるかもしれません。つまり、一々のものが自分の名前をもち、自分自身の存在論的本質によってはっきり他から自己を区別して存立する、例の意味的分節の世界にまた返って来たかのように。

たしかにそういう面もないではありませんが、しかし最初の経験的世界と今度の経験的世界の間には、外面的には同じ1つの分節の世界でありながら、その内面的構造において根本的な相違があるのです。ということは実は、同じ意味分節の世界を見る意識そのものの構造が根本的に変っているということです。

まだ観想体験を通じて万物の「無」を自覚していない最初の段階では、世界にはいろいろなものがあって――つまり「現実」が意味的に無数の単位に区分けされていて――それらのもののそれぞれがその名前で示される独特の「本質」をそなえた独立の存在者として現われていました。これに反して「無」の観想的自覚を経た後の段階では、同じそれらのものが全て絶対無限定者としての「一者」の顕現形態として覚知されるのです。禅の立場から見てここで一番大切なことは、経験的多者界の存在者の1つ1つがどれも「一者」がそっくりそのまま自己を露現した姿として覚知されるという点にあります。「一者」がたくさんの部分に自らを細分し、それらの部分がそれぞれ独立したものになる、というのではない。そうではなくて、経験界に分節は分割とまぎらわしいので、混同されるおそれなきにしもあらずですが、とにかくここで私は述語的に、分節を分割とはまったく違う特殊な形而上学的・存在論的事態を指す言葉として使います。例えば、がA・B・C・Dに自己分割すると申しますと、それは、全体としての「一者」が4つの部分に分れて別々のものになるという意味ですが、自己分節の場合には、「一者」が4部分に分れるのではなく、AもBもCもDも、それぞれが「一者」そのものの、4つの違った現われ方、4つの限定的現象形態である、という意味。その意味で、一々の事物事象がいずれも絶対無分別者の言語的自己分節なのであります。

この見地からすると、一切のものがそれぞれ「一者」それ自体であって、それ以外のものは全世界に何1つないのです。ですから例えば、今私が山を見る場合を取ってみますと、私の目前に聳え立つこの山は、今ここでの「一者」の直接無媒介的な自己提示であり、同様にそれを見ている私も、今ここでの「一者」の直接無媒介的自己提示であります。従ってこういう境地において私が山を見ることは「一者」が「一者」自身を見ることにほかなりません。私が山を見るという一見極めて単純な経験的事実が、実は「一者」が自らを自らの鏡に映して見るという形而上的事件なのです。だがそれでもやはり経験的あるいは現象的には私は私であり、山は山であります。

この微妙な事態を指示するために、禅はよく「われ山を見、山われを見る」というような言表を用います。「無」の現象的皮層において私と山とが、互いに他を排除しつつしかも互いに浸透し合う形而上的事態を言い表わそうとしたものであります。私と山とが互いに他を排除し合うのは意味分節形態として両者が混同を許さないからであり、私と山とが互いに浸透し合うのは両者が共に「一者」の自己提示として根本的には同じ1つのものであるからです。

経験的世界がこのような異常な様相の下に現成するこの境地において、言語の分節機能そのものもまた普通の場合とは全く違った様相を呈することは当然でなければなりません。言語の分節機能は、ここでは形而上的「一者」の自己分節機能そのものであります。それ自体としては本源的に全く無分節である「一者」が存在的に自己を分節していく、この「一者」の自己分節が言語的意味分節として現れるのです。

この点から見ますと、形而上的「一者」は絶対未分節の言語、言語以前の言葉、それ自体は絶対の沈黙であり、まだ言葉としての分節作用を全く現わしてはいないけれど、しかも無限に自己を意味的に分節していくことのできる根源的非言語と考えることができます。西洋流の表現を使えばVerbum Aeternumとでもいうところでしょうか。絶対の沈黙でありながらしかも永遠の言葉であるもの、非言語――私は今この非言語という語を無言語から区別して、例の薬山惟儼(いげん)の「非思量」に合せて使っているのですが――でありながら、しかもあらゆる言葉、すなわちあらゆる存在形態の本源であるようなコトバです。

禅自身、伝統的にはあまりこういうことは言っておりませんが、以上のように考えてきますと、禅の言語哲学の中には、インドの「言語的不二論」を代表する哲人バルトリハリ(530-630B.C.)によって提唱された「語・梵」の考えに非常に近いものがあるように私は思います。勿論、禅は絶対者というようなものを立てることを断乎として拒否しますので、宇宙全体の絶対的根源実体として考えられた「語・梵」など認めるはずはありませんけれど、その理論的構造において、コトバすなわち言語的絶対者としての「語・梵」と禅のコトバすなわち根源的未分節者、非言語との間には注目すべき類似点があるように思われます。

あらゆる意味的分節、すなわちあらゆる存在的区別が消滅して無に帰一し融入してしまった状態として、禅が「無」とか「空」とかを説くことは前に申しましたが、この禅の「無」と同じく「語・梵」もまたそれ自体としては絶対の無であります。絶対の無でありますが、その展開面においてはそれは全現象界の究極因であります。すなわち経験的世界におけるあらゆる事象事象の生起は「語・梵」の自己分節によるのであります。しかも「語・梵」はその本性上、永遠不断に自己分節の過程にあるのでありまして、ここでもまた禅の場合と同じように、根源的非言語が絶えず自己を分節して具体的な個々の語となり、それらの語が個々の事物事物を現成させて、その結果、我々の経験界が現われてくるという考えであります。

この考え方は、コトバとしての「無」の言語的存在的自己分節を説く禅の考え方と根本的には少しも変わるところがありません。なんだかマラルメの口真似みたいになりますけれど、私が「山」という語を発音する。するとたちまち「無」の深淵の奥底から「山」が立ち現われてきます。「無」の直接無媒介的自己顕現として。そしてそれは同時に、「山」という1点に集約された全存在の生起でもあるのです。他方、私が「山」と言い、その発音された語を私から離れた他者として聞くとき、私の中に意識が、主体としての「私」の意識が、これもまた同じ「無」の深淵のさ中から立ち現れてきます。これが意識の発生です。そして永遠のコトバの創造的エネルギー全てを挙げての瞬間的凝結である「山」と、これまた同じ永遠のコトバの全エネルギーの瞬間的凝結点である「意識」とが、山を意識する私の意識として統一されます。根源的非言語の直接の分節体としての「山」がこうして現成します。

禅の見る言語の本源的な働きとはおよそこのようなものであります。いわゆる「転語」というのがそれです。禅は実に厳格に、徹底して、言語が第1次的にはこのような形でつかわれることを要求します。すなわち全ての語がコトバの直接そのままの顕現としての自覚において話者によって発せられ、またまさにそのようなものとして聴者に受けとられることを要求します。だから「1転語を持ち来れ」と言います。

しかしながら、絶対的非分節者として「無」が自覚されていないところでは、今申しましたような言語行為の自覚が成立するはずもありません。それゆえにこそ禅では、この非分節者を先ずその本源的無言、すなわち沈黙の次元において、次にその分節的意味的展開の過程において瞥見するために、たゆみない訓練が行われるのです。しかしその訓練の場としては、具体的な対話における実際の言語使用の場面をおいてほかには求めようもありません。禅において対話という言語行為が特別に重要な修道的意義を帯びてくるのはそのためであります。

本論の第2章に入ったところで私は、禅の対話を一応Beyond Dialogueとして特徴づけ、この表現は2つの互いに密接に関聯した2つの違う次元において理解されなければならないと申しました。第1の次元における意味とは文字通り「対話を越える」ということです。私はここまでのところで主としてこのように解されたBeyond Dialogueが禅にとって、禅の立場から、どういう内的構造を展開するかを説明して参りました。しかしまた、今まで申し述べたところによって、Beyond Dialogueが単に対話を越えてその向う側に行く、つまり簡単にいえば対話をやめてしまう、ということではないことはほぼおわかりいただけたかと存じます。そこにBeyond Dialogueの第2の次元における意味が生じてきます。この第2の意味とは、第1の意味のようにいわば消極的なものではなくて、積極的、肯定的なものであります。すなわちBeyond DialogueはBeyond Dialogueとして、一種の積極的な対話の形にまで展開されねばならないというのです。対話を越えた局面において、普通の意味での対話を越えた対話として、いわば「向う側の対話」あるいは「超対話の対話」として新生しなければならないというのであります。2人の人間の間に成立する普通の対話的関係の地平の彼方の痛烈な実存的状況のうちに演じられる1つの形而上的ドラマとして現成する特殊な対話形式、それを私は仮りにBeyond-Dialogueという表現で表わしてみたのです。このような意味に解されたBeyond-Dialogueを伝統的に禅は「問答」と呼びならわしてきました。

「問答」は、第2義的、ないし偶成的にしか思想感情の伝達行為ではありません。ただの思想感情の言語的コミュニケーションとしてこれを取り扱おうとすればはたちまちノンセンスになってしまいます。始めから、2人の対話者の間の水平的なコミュニケーションのつもりではないものを水平的コミュニケーションとして取り扱おうとするのですから当然です。既に充分おわかりいただいたところと思いますが、「問答」とは第1義的には決してそのようなものではなくて、極度に緊迫した精神的状況の中で2つの実存の間に起る異常な形而上的出来事なのです。話者と聴者の各々に生じる言語行為は、相手に何かをわからせようとかわかったということではなく、また相互に自分の意識内容を伝えようとするものでもなくて、絶対的に無分節なあるものの言語的自己分節の自覚です。従ってこの特殊な出来事に参加する2人の人間の各々は、本源的非言語の垂直的が言語化の場であります。2人の人間、2つの実存、すなわち非言語の自己言語化の互いに平行する2つの実存的機構が、相関的展開の過程において、互いに刻々呼び合い応じ合いつつ、瞬間ごとに全く新しい対話的場面を創造していく、それがBeyond-Dialogueとしての禅の問答の本質的構造であります。

本論の冒頭、私は世界の現代的状況のうちにあって果して異文化間の対話は可能であるか否かという問題を自らに提出しました。結局、私はこの問題になんらの解答も与えないままに膜切れの時間になってしまいました。今ここにこの拙い話しを終るにあたり、多少言い訳めいてひびくかも知れませんけれど、もともと私の本当の意図は、異文化間の対話の可能性を論じるところにはなくて、むしろそのようなことを大問題とせざるを得ない現代の言語理論の動向にたいし、対話というものについてそれとは全然違った別のアプローチがあり得るし、また現にあることを指摘するところにあったということを申し上げておきたいと思います。当然なことですが、現代の言語理論が問題とする対話とは、要するに常識的な言語観に基いた対話の概念であります。禅の問題とする対話は、これに反して、非常識な言語観に基いた対話の概念であります。禅の問題とする対話は、これに反して、非常識な言語観に基いた非常識な対話です。この非常識なじげんでは、異文化間の対話であれ同一文化内部の対話であれ、それが可能であるかないかなど問題にもならないのです。こんな非常識な対話だけではこの世の中は実際成り立ってはいかないので、これだけでいいとか、これでなければならないとか申すつもりは全然ありませんが、対話というものにたいして、またより一般に言語というものにたいして、常識的言語理論とは全く違った見方もある、そしてそれが人間精神の形成にとって、それから人間についての哲学的思索にとって重大な意義をもつものであるということを自覚しておくのは悪いことではないと思うのです。

じじつ、禅本来の観点から言いますと、普通の意味での対話、あるいはついさっき申しました言語による思想感情の水平的コミュニケーションは全て第2義的なものにすぎません。勿論、人間の一般的社会生活、人間の社会的存在にとっては、思想感情の水平的コミュニケーションは欠くことのできない大切なものではありますが、禅に言わせればそれよりもはるかに重要な問題、人間実存そのものの存否をかけた大問題があるのです。その大問題は人間の自覚という一事であります。そして人間の自覚は、本論のコンテクストにおきましては、人間が自己を「無言」の言語化として悟るということを措いてはあり得ないのです。人間実存の中核に関わるこの問題が解決されない限り、水平的対話――2人の個人の間の対話であれ、2つの異文化の間の対話であれ――にかかずらうことは、禅の観点からすれば、全く無意味なのであります。

禅の観点からすれば、現代の言語理論内に生じている言語的コミュニケーションの難問と、それに関聯する数々の複雑な問題は、主として言語の伝達機能に不相応な重点が置かれるところに起因します。むしろ言語については、意味分節的機能にこそ第1の重点が置かれなければならない、否定的意味においても肯定的意味においても。これが言語にたいする禅の根本的態度です。否定的意味においては、言語の意味分節的機能は、あらかじめきちんと分節された認識形態のシステムを押しつけることによって、我々の心に「現実」の歪んだ形象を生みつける。言語の分節機能のこの否定的な影響力が先ず何より第1に取り除かれなければならない。それが完全に払拭されたとき、その上で、第2段階として、我々の言語行為が今度は肯定的積極的に、非言語が具体的な言葉として自己を分節していく形而上的プロセスとして自覚されなければならない、というのです。

単純率直に申しますと、形而上的深みを欠いた水平的言語コミュニケーションは、禅に言わせれば実存的意味のないあだ事であります。他人を理解しなければならないとか、他人に自分を理解させなければならない、などと申しますが、もし当の私が自分自らを理解しないでおいてそんなことして一体何になるでしょう。それがまさに禅の問題とするところなのであります。(393~408頁)

後 記

■3年前の夏、スイスのエラノス学会の食卓で、D・ラウフ教授が、熱っぽい口調で、私の耳に吹き込むように言った言葉を、私は時々憶い出す。「我々西洋人は、今や、東洋の叡智を、内側からが把握しなければならないんです。まったく新しい『知』への展開可能性がそこに秘められているんですからね」と。ラウフは現代ヨーロッパ屈指のチベット系タントラの大家。同じスイスの思想界の一部でカリスマ的存在だったジャン・ゲプセルの提唱する「精神の比較現象学」の立場の熱烈な支持者でもある。が、それはともかくとして、西洋人としての主体性を失うことなく、しかも東洋思想の深部にまでもぐりこんで、それを内側から、つまり実存化した形で、了解していこうとするラウフ氏のこの態度、私は非常に面白いと思った。西洋人を俟つまでもなく、先ず我々東洋人自身が、己れの哲学的伝統を内側から、主体的実存的に了解しなおす努力をしなければならないのではなかろうかと、その言葉を聞きながら私は考えていた。

それは、東洋の様々な思想伝統を、ただ学問的に、文献学的に研究するだけのことではない。厳格な学問的研究も、それはそれで、勿論、大切だが、さらにもう1歩進んで、東洋思想の諸伝統を我々自身の意識に内面化し、そこにおのずから成立する東洋哲学の磁場のなかから、新しい哲学を世界的コンテクストにおいて生み出していく努力をし始めなければならない時期に、今、我々は来ているのではないか、と私はおもう。(411~412頁)

(2013年7月2日)

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『宝慶記』(道元の入宋求法ノート)池田魯参著 大東出版社

1 随 時 参 間 の 許 可

■私は幼少の頃から仏道に志し、日本国内の諸師に道をたずね、いささか仏道のいろはを知ることができました。しかし顧みますと、仏法僧の三宝の真意も明らかでなく、いたずらに文字面に拘泥している始末です。その後、栄西禅師の門に入り、初めて臨西禅を学びました。その縁で今、明全和尚に随伴して大宋国に参り、万里の波涛を越える航海をして、ついに如淨和尚さまの教えを受けることができたのです。前世からの僥倖というのは、きっとこういうことだと存じます。

和尚さまの大きな慈悲の心を仰ぎ、遠方の外国から参りました拙僧の願いますことは、身なりや作法の無礼をお許し頂き、時刻を問わないでたびたび和尚さまの居室にうかがい、愚問をお聞き願いたいということです。時は迅速で無常です。一瞬のうちに人を死へと追いたてます。生死の問題は重大です。仏と出会っているうちに明らめなければきっと後悔するでしょう。

私お本師であり、天童山の堂上大和尚であられる大禅師さま。どうか大いなる慈悲をもって哀愍され、私が仏道についておたずねすることをお許し下さいませ。私の赤心を御照覧頂きますよう、伏して願い上げます。

私儀、道元、百拝し叩頭して申し上げます。

道元君は、今後、昼夜を問わずいつでも、袈裟を着けても着けなくても、私の居室に来て仏道について質問してよろしい。私は君を、父親が子供の無礼をゆるすように迎えるでしょう。

太白山住持(如淨和尚)(2~3頁)

2 教 外 別 伝

■宝慶元年7月2日、如淨禅師の部屋をたずねた

私は次のように質問した。

現在、方々で、教えの外に伝えるものがあって、達磨大師はインドから中国へ来られたというように説いていますが、それはどういう意味でしょうか

和尚さまは次のように示された。

仏祖の大いなる道は、そのように教えの内だとか、教えの外だとかにこだわりません。にもかかわらず、教えの外に別に伝えた、というのは、初めて中国に仏教を伝えた迦葉摩騰(かしょうまとう)などのほかにも、達磨大師がインドから親しく中国に渡り、仏道修行の仕方を伝授したという意味でそういうのです。だから世界に2つの仏法があるなどというのでは決してありません。達磨大師が中国に来られるまでは、あたかも使者だけ先に着いて、本隊はまだ到着していないようなものです。達磨大師が中国に到ったのは、ちょうど人民が王を迎えるようなもので、その時、国宝も国民もみな王に帰属するようなものです。「教外別伝」「祖師西来」の意はそのように解さなければいけません。(8頁)

4 自 知 即 正 覚

■私は次のようにあずねた。

今も昔も指導者は「魚が水を飲み、冷たい暖いを知るように、人が自然に知覚する、それが仏のさとりに他ならない」といっています。しかし、私はこのような考えはおかしいと疑うものです。なぜなら、もし自然に知覚することが仏のさとりだというなら、すべての人は生れながら知覚能力をそなえていますから、この資格に於いて、人はみなさとりを開いた仏と同じだということになるでしょう。ある人は「その通り。すべての人は、本来、如来なのだ」といいます。また、ある人は「みながみな如来だというわけではない。なぜなら、生れながらにそなわる自覚の智慧のはたらきが如来であると知っている人は如来であるが、知らない人は、如来ではないからである」といいます。しかし、果してこのような説が仏教の教説だといえましょうか。

和尚さまは次のように言われた。

もしも、すべての人は、本来、仏である、というのなら、もはや、すべてはなるようになるのだと主張する自然外道と同じ考えです。吾我(われおれ)の観念や私のものであるという意識をはたらかせて、仏のこともそうだろうと想定するのは、本当はわかっていないのにわかった、といい、さとってもいないのにさとった、というのと同じくらいの、とんでもない間違いを犯しています。(14頁)

5 弁 道 功 夫 の 種 類

■大魚や大海、毒々しい絵や大男やせむしなどを出かけていって見ないこと。

いつも心がけて青山や谿谷を見ること。(19頁)

■小人と卑賤のものには親しみ近づかないこと。

おたずねした。小人とはいかなる人のことですか。

和尚さまはいわれた。小人とは欲が深い人のことです。(19頁)

10 仏 祖 の 聖 胎

■和尚さまは、ある時私を呼び寄せ次のようにいわれた。

君は年は若いがとてもよい風貌です。深山幽谷に住み、しっかり仏祖の正法を修養しなさい。きっと仏祖と同じさとりの境地にいたるでしょう。

その時、私は起って和尚さまの足下に礼拝した。(35頁)

18 感 応 道 交 と 教 家 の 是 非

■私はおたずねした。

昨夜の三更の普説で、和尚さまは、「礼拝するものも礼拝されるものもその性はなく、感応が1つになるのは、人の思慮を超えている」といわれました。深い意味があることと思いますが、充分に理解できません。浅はかな思いをめぐらしてみますと、次のような疑問が起ります。といいますのは、「感応が1つになる」ということは、天台宗でも同じようにいうからです。その意味は祖道でも同じなのでしょうか。

和尚さまは次のように示された。

あなたは「感応が1つになる」という意味を知るべきです。感応が1つになるということがなければ、諸仏も世に出られなかったでしょうし、祖師もインドから来られることはなかったでしょう。また、経典に説く教えを目のかたきにしてはいけません。これまでの仏法を間違いだとして目のかたきにするのは、実際には使用することのない、円形の袈裟と四角い応量噐を使うような不合理をきたすからです。ですから、礼拝するものとされるものは、必ず感応が1つになる、というようにわきまえなければいけません。

先日、阿育王山の大光長老にお会いした時、いくつか質問しましたが、大光さんはこのようにいっていました。「仏祖の言葉と天台宗の説は、水と火ほどの違いがあり、天と地ほどもかけはなれている。天台宗の教説と同ようのものと考えているうちは、ついに祖師の家風はわからないだろう」と。このような大光さんの言葉は、果して正しいでしょうか、いかがでしょう。

和尚さまは教えられた。

このような思慮の浅い言葉は、大光一人に限りません。大方の長老は、みな同じようなことをいいます。これらの人々は天台宗の教えを正当に評価する眼がありません。勿論、祖師の奥深い教えもわかってはいません。これらの人々は、仏道をいいかげんに学んで来たものといわねばなりません。(64~65頁)

27 四 箇 の 寺 院

○一心の三止三観 止は禅定のこと、観は智慧のこと。例えば『楞伽経』や『起信論』でも、禅定と智慧の波羅蜜を止と観の2字で示している。三止は、体真止・方便随縁止・息二辺分別止のこと。三観は、空観・仮観・中観のこと。一心のさまざまなうごきを、止と観の両面から、それぞれ3点で検することによって諸法の真実相が正しく把握できるという。三止と三観は一心の表裏の両面とでも解するとよい。体真止は、あらゆるものごとは因縁によって生じていることをみすえて、ものごとに対する妄執の想をやめることである。これは空の理をさとる空観に相当する。方便随縁止は、そのような空の理において、しかも種々に現われて止まない現実のものごとを正しく方向づけ導くことである。これは仮の理をさとる仮観である。息二辺分別止は、空を知り、仮を知って、均衡がとれた状態に心を整えること、これは中観に相当する。このような観察によって成就する真実が、空諦(諦は真実の義)・仮諦・中諦である。一心の三止三観は、後に出るように「一心三観」ともいい、この観察によって成就する真実のありようを「円融三諦」という。この「円融三諦一心三観」が、天台の諦観法として重視され、諸法実相の正観基本構造として強調される。(93頁)

30 大 悲 を 先 と す る 坐 禅

■ある時、和尚さまは、次のようにいわれた。

羅漢や縁覚の2乗の坐禅は、心の束縛はありませんが、大きな慈悲に欠けます。だから慈悲を第1にして、あらゆる衆生を済度しようと誓う仏祖の坐禅とは異なるのです。インドの外道にも坐禅があります。しかし、外道の坐禅は、必ず3つの欠点があります。それは、禅味に執着することと、因果の道理を否定することと、傲慢な心を起すことの3つです。ですから仏祖の坐禅とは永久に異なるものです。声聞にも同ように坐禅があります。しかし、声聞の坐禅は慈悲の心が薄いので、鋭い智慧によって、諸法の真実に通底することができないのです。自分一人のさとりにかまけ、衆生を再度する諸仏の行いを欠きます。

■――。くり返しくり返しこのような坐禅をして、さまざまな功徳を修め、心は柔軟になるのです。

私は礼拝して申し上げた。

柔軟な心は、どのようにしたら実現するのでしょうか。

和尚さまはいわれた。

仏祖はそれぞれ、身心の脱落を、納得するまで修行されました。これが柔軟な心のようすです。これが仏祖の心のようすです。

私は6度、礼拝した。

◯諸法実相 大慈悲心を起して、諸法の真実の相に通達することが仏祖の坐禅ということになる。

◯廻向 自分で積んだ善根功徳を、仏や衆生に振り向け施すこと。

◯欲界 欲界・色界(物質界)・無色界(精神界)と分類する三界の1つ。『法華経』はこの三界を火宅にたとえ、この三界から解脱することを教える。なかでも欲界は貪欲・瞋恚・愚痴などの欲望が渦巻く世界。上は6欲天から下は8大地獄にいたる6道世界のこと。釈尊をはじめ仏祖は、この欲界において仏道を修めたのであり、自己のさとりの境地を楽しむあまり欲界を見捨てるようなことは決してなかったことを再確認しなければならないと如淨は示す。

◯心の柔軟 後には「柔軟心」と出る。坐禅弁道によって心が柔らかになるという。閉塞した自己が解き放たれて、身心の脱落を確認できる姿勢のことである。

32 風 鈴 頌

■私は百拝して次のようにたずねた。

さきごろ承りました和尚さまの風鈴の頌は、第1句に「渾身が口のよう、虚空にかかっている」とあり、3句目に「わけへだてなく人のために般若を説く」とあります。ここでいわれる虚空は、よもや文字通りの虚空ではないでしょう。人々はきっと目に見える虚空だと解するにちがいありません。近頃の修行者は、仏法を充分に学びもしないで、虚空とは青空のことだ、という始末で、実になげかわしいことです。

和尚さまは教えられた。

ここでいう虚空とは、智慧のことです。目にみえる文字通りの虚空のことをいうのではありません。だから、空だ、空だ、と主張するような空ではなく、空こそ真実であるとばかり主張するような空でもありません。

◯風鈴の頌;この頌の訳は「全体を口にして虚空にかかる/風の向きなど頓着せず/無心に般若を説く/ティティントンリャンティティントン」というほどの意である。

40 心 は 左 掌 に お く

■和尚さまは教えられた。

坐禅をする時、心をいろいろな場所におく方法がありますが、それにはみな相応の理由があります。

仏祖正伝の方法では、心は左の掌の上におきます。

42 初 心 後 心 得 道

■私はおたずねした。

師について仏道を学ぶことは、古今の仏祖がすすんで範を示されたことです。ところで、初めて心を開明したとき、さとったと思われても、修行者を集めて法を説いてみると仏法でないことがあります。また発心した当初は何のこともないように思われても、法を説き悟を語るうちに古人を超えるか、と思われるような心意気があることもあります。そうしてみますと、一体、悟は最初の心で得るのでしょうか。それとも修行した後の心で得るのでしょうか。

和尚さまは教えられた。

あなたの質問は、釈尊の在世中に、菩薩声聞が釈尊に質問した内容と同じものです。これについては、インド・中国で、古今に正しく伝えられた教えがあります。すなわち、「法は初の心だからといって減ることはなく、後の心だからといって増えることはないというのであれば、さとりはどのようにして得ることができようか。それは仏だけのことで、菩薩には無関係なことなのではなかろうか」、と。(そういう疑問である)。

これは、仏祖の正伝の教えではこのようになります。「さとりをえるのは初の心だけではない。しかし、初の心を離れてさとりをえることはできない。なぜそうなのか、というと、もし初の心だけでさとりをえるのであれば、菩薩が初めて発心する時、それが仏だということになる。この表現は充分なものではない。しかし、どこかで発心することがなかったら、後の第2、第3の心や、第2、第3の法がどうしてありえようか」。そうとすれば、後の心は、初の心を根本とし、初の心は後の心によって実現することになちます。このことを現実のことで喩えます。「たとえば、ろうそくの灯心が燃えるようなものである。今、燃えている灯心は最初火をつけた時の灯心ではないが、最初に火をつけた灯心と別なものではない。また今燃えている灯心は燃え尽きるときの灯心とは異なるが、燃え尽きるときの灯心と別のものでもない。このように、もとにもどることはなく、だからといって先に越えることもない、新しいものではないが、古いものでもない、それ自らが燃えているのでもなく、他のものによって燃えているのでもない。そういうように燃えている」のです。この教説では、灯を菩薩のさとりにたとえ、灯心を無明にたとえるのです。焔は初の心と相応する智慧のようなものです。仏祖は、一行三昧を修行し、相応の智慧を習い、無明の惑を尽すのですが、それは初の心だけでも、後の心だけでもなく、しかも初の心と後のこころとを離れることはなく、さとりを成就するのです。これが仏祖が正伝する宗旨です。(139~141頁)

『 宝 慶 記 』の 研 究

■道元の「正伝の仏法」の主張は、単なる「中国禅宗の輸入」というような視点では把握し切れないものである。そこには伝統教学である天台宗の富なども脱構築化するような大掛りな目論見があったことが知られる。そこはいわば当時の日本仏教が内包していた歴史的な課題に答えようとしたのであり、それなればこそ一層鋭く自らをも含む仏者の存在意義に迫る根本的な課題ともなったのである。

道元が「一生参学の大事ここにをはりぬ」(『弁道話』)と心底からうなずき、入宋求法の目的を成就したのは、如浄の下で己の一生を委ねるに足る確かな根拠を発見することができたからに他ならない。それは「仏祖の坐禅」であった。その意味で『宝慶記』のすべての記録はこの1点に集約される参問であったといって過言ではない。(231頁)

■如浄は道元に、身心脱落・只管打坐の坐禅を示し、道元はこの坐禅を体得して帰国したのである。この坐禅を勧めようとして道元は帰国早々に『普勧坐禅儀』を撰述した。そして道元の開宗宣言の著述ともみなされる『弁道話』の中でも、

宗門の正伝にいはく、この単伝正直の仏法は、最上のなかに最上なり。参見知識のはじめより、さらに焼香・礼拝・念仏・修懺・看経をもちいず。ただし打坐して身心脱落することをえよ。もし人一時なりといふとも、三業に仏印を標し、三昧に端坐するとき、遍法界みな仏印となり、尽虚空ことごとくさとりとなる。

と、高らかに記している。(232頁)

■如浄は恐らくこのように共通する覆義を読み取り、五蓋のなかで位置づけられている睡眠蓋の意と重ね、調身・調息・調心の直前に調睡眠が重説されていることを重く視て、睡眠の因縁こそ最も用心しなければならないことであると判断したのだと考えられる。(243頁)

(2013年8月5日)

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『禅談』(改訂新版)澤木興道著 大法輪閣

辻占根性

■あやふやで、犬が餌を探すように鼻をクンクン鳴らして幸福を探している。一生幸福に行き当たらず、結局そこら辺でズボッと棺桶の中に入る。気の毒なものだ。そんなあやふやを解決して、絶対にめでたい世界へ行く秘訣が仏教である。(12~13頁)

真の無念無想

■我々人間には先祖から受けついだたくさんの文化がある。新しい文化ではない、何年も前からの先祖伝来の文化がある。なんとかして我々はこの根本を取り戻す方法がなければならない。つまり我々は自然に近寄らなければならない。この自然の空気を腹いっぱい吸うというのが仏教でいう非思量、無念無想ということです。

それだから無念無想というのは、本当に作り物でないということです。道元禅師は仏法を「目横鼻直(がんのうびちょく)」と仰せられた。これは眼は横に、鼻は縦についているということです。

これは作り物でない。これが反対に口が臍について、臍が口についておったら作り物です。無念無想は当たり前のことです。ちょっとも作り物がない。それが無念無想ということなんです。(42~43頁)

創造の生活

■道元禅師が法華経という題で詠まれた歌に、

此の経の心を得れば世の中の うりかふ声も法(のり)をとくかは

というのがあります。世の中の一切の物柄事柄がことごとく、お経だというのです。もともと宇宙いっぱいが自分のものであるのに、文化人は小さい眼の間口に入るだけが自分のものであると区別しているようです。自分のものはこれだけしかないと思っている、そして根性がひがんでいる。そうして大地から離れて、ずんずん作り物の移り変わるのに押し流されて行く。これがすなわち流転輪廻です。真実を離れて虚偽に馴れる。そこで私共はどうしても元に還る必要がある。本当のものに還る。つまり土に親しむ。天地の気を呑む。これを「本家郷に還る」と言うのです。

本当の所に還る人達なら毎朝お経を誦まぬわけにはゆかぬ。禅宗坊主は毎朝、大乗妙典観音普門品(だいじょうみょうてんかんのんふもんぼん)……大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)……と大きな声でやる。そうして集むる所の功徳は誰に回向するかと言うと、「真如実際に回向す」と言うのです。ずいぶん徹底して回向したもんですな。お布施に回向するとは書いていない。これはピンとくるですな。私達の生活の全分を真如実際に回向する。つまり本家郷に還るということです。

仏遣教経(ぶつゆいきょうぎょう)の第8の究竟功徳(くきょうくどく)という所を読んで見ると、

「汝等比丘若し種々の戯論(けろん)は其心則(そのしんすなわ)ち乱る」とある。戯論の戯はたわむれということですが、戯論という場合には作り物です。現代の言葉で言うたら私はこれを既成概念と言うている。作り物の概念です。戯論というのは一切の作り物の概念です。この作り物の概念に押し移されているならば、「其心則(そのしんすなわ)ち乱る」と言うのです。

そうすると散乱とか、分別、妄想とかいうことは作り物の概念です。ところが、文化人というものは作り物の概念をこね回しているんです。真実に関係のない字の数を数える。正味に入らず、その外側をグルグル回わりしているのが戯論です。それだから自分の実生活と関係のない所をグルグルしているんです。(48~49頁)

■この事実に適中せぬ概念があるならば、「其心則(そのしんすなわ)ち乱る」です。散乱、分別、妄想ということは事実に適中しない概念です。だから「是の故に比丘当(まさ)に急(すみやか)に乱心戯論(らんしんけろん)を捨離(しゃり)すべし」と言われている。(50頁)

■「若し汝寂滅の楽を得んと欲せば唯当(ただまさ)に善く戯論(けろん)の患(とが)を滅すべし」――寂滅の楽ということは幸福も不幸も一切を抜けて、総て好き嫌い、生と滅を抜けたもの、それが寂滅の楽です。それが最後の幸福、最終最高の行き着く所です。その行き着く所に行くには、ただ当(まさ)によく戯論(けろん)の患(とが)を滅すべし。この作り物の穢れを滅するには坐禅です。坐禅は作り物でない。(51頁)

願のための職

■我々には、この生活をふり向けて行くところがないと、まるで夢遊病者です。願がなければ幽霊です。ブラ提灯のようなものです。「男子志(こころざし)を立てて卿関を出ず」などと、酒に酔払ってどなる奴があるが、どんな志を立てているのか分かったもんでない。だから、人生を意義あらしめるためには、ぜひとも願がなければならんのです。願がない人生は無意義です。夢遊病者の旅です。ヒュードロ、ヒュードロと出てくる幽霊です。その幽霊に足を生やすのが願です。人生において我々をして、本当にはっきり生きさせるのが願であります。

だから願を起こす前に我々は自分を省みなければいかん。「お前さんは、何のために人間界に生れてきたか」と自分によく問うてみるがよい。願のない者は「はい、糞を製造いたします」ということになる。「口から餌を通します。食道から胃袋、腸を通って便所まで運搬いたします。ただいままで大分運搬いたしました」。その他には何にも勤めておらんのです。もし願がなければ、金さえもらえればどんなことでもするのです。(63頁)

乞食月僊

■『正法眼蔵』生死の卷に、道元禅師は、

「ただわが身をも心をもはなちわすれて、仏の家になげいれて、仏のかたよりおこなはれて、これにしたがひもてゆくとき、ちからをもいれず、心をもつひやさずして、生死をはなれ仏となる」

とお示しになりましたが、これが仏教者の願です。また「礼拝得髄」の巻には、

「ただまさに法をおもくし、身をかろくするなり。いささかも身をかへりみること法よりもおもきには、法つたはれず」

とある。まったく仏道の今日あるは、古聖(こしょう)先徳の願行のおかげである。とにかく仏の教えに生きようという者は、一生の間「願」を持たねばならぬ。(75頁)

鏡・玉・剣

■智慧と、慈悲と、勇気と、この3つがなければ人間一匹、具足せぬ。夏目漱石が、「智に働けば角が立つ、情に棹せば流される,とかく、人の世は住みにくい」よいうたそうな。それでは泣みそにならなければならぬ、そんな泣きみそになる必要はない。やることだけどうとやったらそれでよい。どんどんやったらよい。そしてこの3つがよく渾然として、たった1つになって働くのだ。(87頁)

利和敬

■自分だけがうまいことをしようという胸勘定が我々にはあるもんだから、山の中で財布を蹴るような迷いを起こす。お宮さんに朝早く詣って南無大明神、金比羅大権現、八百万の神々、どうぞ帰りに財布が落ちていますようにと拝んで、帰り路に財布が落ちているのを見た。足で蹴ってみたがコチコチに凍て付いている。これはどうもならん。道具を取って来たいが、その間に他の人に拾われては、せっかく神様のお恵みになった財布だから申し訳がない。ぜひとも自分で拾わなければならん。どうしようか知らんと思っていると、下腹に温(ぬ)くたい物がどっさり溜っているのに気が付いた。それで凍て付いているのを溶かすために小便をひっかけた。よい具合に溶けてきたので、よしきたと思って拾おうとしたところが、ピチャピチャとした。もうその辺一面ベタベタになってしまった。

それは夢であった。財布も何もあらせん。あるものは小便ばかり、寝床の中が小便の洪水だ。これは自分だけ得しようと思っとる人の面白い例ですな。これは利和敬(りわきょう)じゃない。(96~97頁)

意和敬

■第6番目が意和敬(いわきょう)。心の和敬です。涅槃経に「心の主となれ、心を主とすることなかれ」とある。この心の主とならなければならぬ。心を主としてはならぬ。

『正法眼蔵』礼拝得髄の巻に、

「ただまさに法をおもくし、身をかろくするなり。世をのがれ道(どう)をすみかとするなり。いささかも身をかへりみること法よりもおもきには、法つたはれず、道うることなし」

とある。これはもと阿含経に出ているもので,非常に大切な言葉です。出家ということが藁小屋に住むとか瓦小屋に住むとかいうことでなく、世を逃れて、すなわちこの浮世の流転輪廻の迷いを逃れて、道を住家として、法を重くし身を軽くしなければ本物じゃない。そうすると法の中に身を打ち込んで法通りに引っぱられてゆく。それが我々の意和経です。(101頁)

■我というものはおれの独占の品物だとこう思っている。この自分は自分のものだと思っている。自分の物か、国の物か家の物か、訳が分からんですな。人間の家庭を見ても親父が嬶(かかあ)の使用人やら何やら訳が分からぬ。嬶(かかあ)が家で玉子を温めておって、主人になんぞ餌を拾って来いというような気持がする。かと思うと親父が、おれは餌を拾って来るから貴様は玉子を温めろというのか、どちらが主になっているのか訳がわからぬ。

人間というものは、この和というもの1つ、つまり己れを空しうしてよく調和したものがない場合、すなわち我というものがある間は、まだまだ何をしているのか訳が分からんと思う。この我の尽きたところが和の徹底するところである。(103頁)

■法華経のなかに「諸の苦の原因は大欲(だいよく)を以て本(もと)となす」とあるが、この大欲が常に我々を禍いするものです。我々はある意味から言うと、欲という悪魔のために踊り回わされているようなものです。

お釈迦様が欲を戒(いまし)められることは実に至れり尽せりである。欲にもいろいろあるが、まだもらわぬうちの欲を戒めたのが少欲で、もらってからの欲を戒めたのが知足である。少欲と知足とは人間の欲全体を戒めた掟である。

この少欲と知足とは遺教経(ゆいきょうぎょう)というお経に説かれたのだが、遺教経というのは、いわばお釈迦様の遺言と言ってよいものです。40何年の長い間説法せられて、最後に涅槃経(ねはんぎょう)を説かれ、そのまた最後に遺教経(ゆいきょうぎょう)を説かれた。「2月15日夜半の極唱(ごくしょう)、これよりのち、さらに説法ましまさず、つひに般涅槃(はつねはん)しまします」というわけである。お釈迦様自身でも「これよりわが最後に教誨(きょうけ)するところなり」と仰せられた。

遺教経(ゆいきょうぎょう)では仏の内容を8通りに分けて、この8通りの仏則を行なえば、最後の幸福の涅槃に入ることができる。この遺教経の仏則を本当に行ずることが、人間に生まれた最高最大の幸福であるという意味のことをお説きになったものである。8通りの仏則は、世に八大人覚(はちだいにんがく)と言っている。すなわち少欲、知足、寂静を楽しむ、勤めて精進する、不妄念、禅定を修(しゅ)す、智慧を修む、不戯論(ふけろん)の8つで、大人というのは仏のことで、覚というのは仏のさとりを言うのである。つまり、8通りの仏の覚(さと)りということが八大人覚である。昔から、この遺教経は非常に大切なお経とされていて、道元禅師は、

「このゆえに、如来の弟子は、かならずこれを習学したてまつる、これを修習(しゅうじゅう)せず、しらざらんは仏弟子にあらず」

とまで仰せられ、さらに、

「如来の般涅槃(はつねはん)よりさきに涅槃にいり、さきだちて死せるともがらは、この八大人覚をきかず、ならはず。いまわれら見聞したてまつり、習学したてまつる、宿殖善根(しゅくじきぜんこん)のちからなり」

と、八大人覚を聞くことができた喜びを述べられている。

遺教経の話が長くなったが、この八大人覚の初めの2つが少欲と知足である。

最初に少欲の功徳についてお話しするのであるが、お釈迦様は遺教経の中で、次のようにお説きになった。

「汝等比丘、当(まさ)に知るべし、多欲の人は多く利を求むるが故に苦悩も亦(また)多し。少欲の人は求め無く欲無ければ即ち此の患(うれい)なし。直爾(ただち)に少欲なるすら尚応(まさ)に修習すべし、何(いか)に況(いわ)んや少欲の能く諸の功徳を生ずるをや。少欲の人は即ち諂曲(てんごく)して以て人の意(こころ)を求むることなし、亦復(また)諸根の為めに索(ひ)かされず、少欲を行するものは心即ち坦然(たんねん)として憂畏(うい)する所無し、事に触れて余りあり、常に足らざること無し。少欲ある者は即ち涅槃あり、是れを少欲と名(なづ)く」

道元禅師はこれを説明されて、

「彼の未得の五欲の法の中に於て、広く追求(ついぐ)せざるを名(なづ)けて少欲となす」

と仰せられたが、五欲を追求しないのが少欲である。

五欲というのは、五欲の枝だとか、五欲の賊だとかよく使っているが、財欲、色欲、食欲、名聞欲、睡眠欲という5つの人間の根強い欲のことです。(130~132頁)

不平の本

■次は知足であるが、これは已得(いとく)の五欲のうえで言うことだから、お金ならば、もらってから、「なーんだこれぽっちか」などと言わぬことである。すなわち足ることを知ることである。安心というものは、足ることを知らねば出来ることじゃない。誰でも、幾らもらえばそれでたくさんだとは言わない。もっと欲しい欲しいで血眼になっている。ところが遣(や)る方には限りがあるが、もらう方には限りがない。それを戒められたのだ。

『汝等比丘、若し諸の苦悩を脱せんと欲せば当(まさ)に知足を観ずべし。知足の法は即ち是れ富楽安穏(ふらくあんのん)の処(ところ)なり。知足の人は地上に臥すと雖(いえど)も猶(なお)安楽なりとす。不知足の者は天堂に処(しょ)すと雖も亦意(こころ)に称(かな)わず。不知足の者は富めりと雖も而(しか)も貧し、知足の人は貧しと雖も而も富めり。不知足の者は常に五欲の為めに牽(ひ)かれて、知足の者の為に憐愍(れんみん)せらる。是れを知足と名づく」

読んだだけでもよく分かるが、仏教では、「足ることを知る者は常に富む」ということをよく教える。足ることを知るということは『老子』の中にも出ている。(144頁)

■越後の良寛和尚は、自分の住んでいる所を五合庵と言った。毎日托鉢して五合になれば帰って坐禅していた。

あるとき藩主が、良寛和尚を召し出そうと思って使いをやった。ところがちょうど托鉢に出て留守だったから、使いの者が庭掃除をしながら待っていた。帰った良寛和尚、奇麗になった庭を見て喜ぶかと思いのほか、余計なことをしてくれたと言わぬばかりの不機嫌な顔をして、「これじゃ、虫が来て鳴かないだろう」とつぶやいた。もっとも良寛和尚の庭のことだから、定めし草茫々だったろう。五合庵の床の下に筍が生えて、伸びられないのを見て、床の板を剥がしたということだ。

さて、使いの者が殿様の思召しを伝えると、良寛和尚の答えは至って簡単明瞭だ。

焚く程に風がもて来る落葉かな

そしてせっかくの召し出しを断ったという。この良寛和尚、至って粗末な風をして、いつもの通り托鉢に出た。あいにく、昨夜、泥棒が入ったと言って大騒ぎをしているところへ通りかかって、良寛和尚すっかり泥棒と間違われて袋叩きにされたんです。ちょうどそこへ、顔を知ってる村の人が通り合わせ、「あんた方は何をなさる。もったいない、この方は良寛様ですぞ」ということになって、みなの者も平謝りに謝った。村の人は「良寛様、なぜあなたは、私は盗人じゃないぞ、良寛だとおっしゃらなかった」と訊くと、良寛和尚は、いつものようににこにこして、「何事も因縁じゃからのう」と澄ましたものである。

安心とは足ることを知る日暮らしである。あべこべに、足ることを知らぬ日暮らしが煩悶である。いくらあってもまだ欲しいと餓鬼のような根性でいるものを「不知足の者は富めりと雖(いえど)も貧し」と戒(いまし)められたのである。(146~147頁)

汝自身を求めよ

■涅槃経というお経の中に「生をも滅をも滅し已(おわ)って寂滅を以て楽となす」とありますが、生をも滅をも滅しおわるところ、追っかけるのも逃げるのも2つながら滅しおわって、そこに寂滅最後の安楽ということがある。それをただ観念のうえだけで考えているのだから難しい。

風外和尚の道場に、典座(てんぞ)という炊事係の役で徹堂という坊さんがいた。なにせ、30人、50人、100人分もの味噌汁の味や、お菜(かず)を指図する役目だが、あるとき風外和尚のところに出した椀の中に、変な物が入っている。風外和尚よくよく見ると、蛇の頭だ。カンカンになって怒って「徹堂を呼べ」と怒鳴った。

どこの禅宗の和尚もみな恐い顔をしているが、この風外もまた人に劣らぬ怖い顔つきをしている。徹堂が恐る恐る出ていくと、お椀の中からチョイと挟んで出したのが例の蛇の頭だ。

「これは何じゃ」

手に受けて見ると、これは驚いた蛇の頭だ。どこをどう入ったものか、徹堂も今更どうしようもない。

「ハイ、これは芋です」

と言うなりパクッと口の中へ入れてしまった。蛇だと言えば自分の役目が相済まぬ。責任が果たせない。風外和尚の方でも、来たら怒鳴りつけてやろうと待ち構えている。ところが「芋です」と言ってパクッとやられてしまったのだから、怒るわけにもゆかない。黙って食事をしてしまった。ここに典座(てんぞ)の役になりきった徹堂和尚の面目がある。仕事になりきる。自己になりきる。このなりきるところに知足がある。

この自己になりきる人にして始めて、即処是道場(そくしょこれどうじょう)の活(い)きたはたらきができるのである。(155~156頁)

透明な雰囲気

■坐禅が本当に円熟してくると、一堂に何十人坐っていても、10分か20分は、実にシーンとして、それだけの人間がいるとは思われぬまでに、それこそ物凄いほど静かな澄んだ雰囲気ができる。その雰囲気ができることが大事なのです。(168頁)

■この雰囲気ができれば、何十人一緒におっても、全体が透明になる。一歩進めば大円境智と言うて、広く大きな鏡のごとく、時間空間が透明になる。そこに自己を見出せば、これはいつもの自己とまた別の自己であります。石頭大師が「回光返照便(すなわ)ち還(かえ)り来たる。霊根(れいこん)に廓達(かくたつ)すれば向背(こうはい)にあらず」と言うておられるが、我々が回光返照するというのは、天地と同根、万物と一体の自己を体験するのです。「回光返照便(すなわ)ち還(かえ)り来たる」――譬えてみれば鏡を見るようなものです。自分を向うに置いて見る。それだから、ああなるほど、ここに墨が付いているわいと、よう分かるのです。自己を見ることができるのです。ところが我々は回光辺照しないと、他人の墨のついたのは分かるが、自己に付いているのは分からんのです。

「霊根(れいこん)に廓達(かくたつ)すれば向背(こうはい)にあらず」――寒巌(かんがん)禅師の塔に霊根塔というのがあるが、これは天地と同根、万物と一体になることを表わしたものです。廓達し透明になるのです。広く大きく明らかになることです。しかるに人間というやつはケチ臭いもので、自分の巾着を見るくらいのことしか考えておらぬ。天地と同根、万物と一体、天地万物が自分へぶっ続きのものであるあることに気がつかないのです。(169ページ)

天地1枚の笛の音

■これまた、「霊根(れいこん)に廓達(かくたつ)すれば向背(こうはい)にあらず」で、自他法界平等の境涯である。この境涯を得ることは笛も坐禅も同様である。『正法眼蔵』現成公案の卷に「仏道を習うといふは自己を習ふなり」と示されてあるが、これが回光辺照の第一級です。「自己を習ふといふは自己を忘るるなり」、これが第二級である。「自己を忘るるといふは、万法(まんぽう)に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心、および他己の身心をして脱落せしむるなり」、すなわち自他透明になる、これが第三級である。そしてさらに「悟迹(ごしゃく)の休歇(きゅうかつ)なるあり」、悟りの跡形も無くして、しかも「休歇(きゅうかつ)なる悟迹(ごしゃく)を長々出(ちょうちょうしゅつ)ならしむ」るのである。今生より未来、尽未来際、今日は今日限(ぎ)り、明日は明日限(ぎ)りと、一生永遠に回光辺照して、止めどなく自己を見つめ自己を体験することが、修行に終りなしという相(すがた)である。常に磨き常に回光辺照してゆく、常に新しく回光辺照してゆく、ここに我々の本当の修行がある。回光辺照しない者には「雖近而不見(すいごんにふけん)」と言うて、近い所に仏はあっても見ることができない。常に回光辺照する者には、「常在霊鷲山(じょうざいりょうじゅせん)」で、いつでも仏を見ることができる。浄土は近いところにあるわけである。

それだから「言(こと)を尋ね語を逐(お)ふの解行(げぎょう)を休すべし、須(すべか)らく回光辺照の退歩を学す」るということが大切なので、これさえ努めれば、「身心(しんじん)自然(じねん)に脱落して、本来の面目現前」するのである。ここに到る方法はいろいろあろう。例えば笛も極致になればそうであろうし、武道の奥義もそれであろう。諸々の芸術もそうでなくてはならないが、なによりも先ず坐禅が、回光辺照には1ばんの表門であり、正門であります。これが坐禅の本筋であります。(175~176頁)

威儀即仏法

■洞山(とうざん)大師という方の衣線下(えせんか)の則にこういう話がある。衣線下(えせんか)というのは、お袈裟をかけているということである。さてその則の話であるが、洞山大師がある坊さんに「甚麼(なにもの)か最も苦なる」と尋ねた。すると坊さんは、「地獄最も苦なり」と答えた。そこで大師の言わるるには、「然(しか)らず、衣線下(えせんか)に大事を明らめざるを始めて是れ苦なり」と言われた。お袈裟に包まれながら、生死の一大事、人生の真実を明らめないのが、すなわち苦じゃと言うのです。

何が1番楽しいかと問うてもよいわけです。お袈裟をかけていながら極楽はどこだと尋ねるようでは、一生かかっても行くべき所に到着することはできない。自分を冒瀆して、自分の生活のほかに一大事を探すのは苦であり、流転の生活であり、迷いである。お袈裟をかけるそのことが、飯(はん)たり粥(しゅく)たりで、袈裟をかけながらそのほかに大事を探すのが苦である。

言い換えれば、お袈裟をかけるそのことが、一大事を成就することであり、行きつく所まで行きついたことである。すなわちお袈裟をかけて満足できぬということが最も苦しみなのである。ここまで来んと、幸い福田衣下の身になりてという境涯が出てこない。(205~206頁)

法然上人と天野四郎

■私が小僧の時に、お布施を2銭くれよった人がある。バカにしとる。それで、談判してやろうかと思った。しかし考えた。つまり煩悶したわけである。そして結局そんな荒げたことは止めてしまった。それはなぜかと言うと、こういう話が、その当時読んだ本の中に書いてあったからだ。ちょうど私のように、人に物をくれということの嫌いな――私は人にやることは好きだが、人に物をくれということは嫌いだ。一生やることに努力をしている――人がいた。その人が自分の家の軒(のき)に草鞋(わらじ)をぶら下げおって、通りがかりの草鞋の欲しい人に、心持ち次第でよろしいから持って行ってくれという気で、竹筒をそばに置いて、その中へ心持ちでお金を入れてもらうことにした。ところがそれが平和に続けばよかったが、悪い奴が多く、草鞋は無くなっても竹筒の中へは金はたまらず、馬の糞が入っておった。そこでその御仁は「我れ食尽きたり」と、ウンと坐禅して死んだという。

簡単な文章で尻切れかも分からないが、当時その話は私をひどく感激せしめた。よしきた!食わんで死んでやろうと思った。食わすならば食ってやるが、食わしてくれとは言わん。おれに生きてくれというのなら食わせろ。死んでよければ死んでやるぞ――と、こういう態度になった。それから、すっと気楽になった。(260頁)

ただ本(もと)を得よ

■本当に修行そのものが悟りそのものである。形そのものが精神そのものである。態度そのものが道そのものである。

自分が寝転んでおって、人だけ修行させようと思っても人は承知しない。自分が救われる時には人も救われる。そこに微妙な道理があるのであります。

一方究尽(ぐうじん)

■葛城の慈雲尊者が「天地長育して殺さず、万物与えて奪わず、四時代謝して其跡を見ず、日月下土を照覧して其功を誇らず」と言っているが、それが宇宙をⅠ眼に見た相(すがた)です。時間空間という広大無辺の宇宙を1つに見て、それを道徳にしたものが『十善法語』です。それで見たら、個人の悟りなどは問題でない。「縁に対せずして照らす」、照らすばかりです。お天道様は照らすばかりである。何のため――ではない。ただ照らすだけです。そのただ照らすところにお天道様の偉大さがあるのです。

そこを行という。行というのは一方究尽ということです。一方究尽でただ照らすのです。ただ坐るのだ。曹洞宗には只管打坐という言葉があるが、そのただ坐るというところに深い道理がある。ただ坐るところに言わなくとも悟りはあるのです。ただ坐るところに悟りは引っ付いている。それが一方究尽です。(286~289頁)

汚(けが)れなき悟り

■大智禅師の『十二時法語』に、

「仏祖の正伝はただ坐禅にて候。坐禅と申すは、手をくみ足をもくみ、身をもゆがめず、正しく持(もた)せたまひて、心に何事もおもふことなく、たとひ仏法なりとも、心をかけずして御座候べし。其を仏(ほとけ)にもこへたると申し候なり。況(いわん)や生死の流転をや。此の身一たび諸仏の願海に捨て候て後には、ただ諸仏の御振舞の如くに行ぜさせたまひ候ひて、二たび私に我身をかへりみることあるべからず」

仏法の中へボソッとはまり込んでしまって、自分――我身というものを顧みない。この『十二時法語』は、大智禅師が菊池武時に授けられた法語です。ここの所だけが容易に体得できぬものと見えて、いつの時代でも、ここの所に行き悩みができるのです。(289頁)

緊張の妙味

■坐禅した者と、した者同士、している者と、している者同士なら、ちゃんと分かるわけである。葉隠武士道の中に、

浮世から何里あろうか山桜

という句があるが、味を知らぬ者には話しようがない。いわゆる「説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう)」だ。

口で、なんとうまいことを言っても、うまいにもいろいろある。筍飯のうまいのもあれば、松茸飯のうまいのもある。お汁粉がうまい、薩摩芋がうまいと言う。そんならどんなふうにうまいかと言うと、食べたことのない者には分からない。うまいという言葉は1つだけれども、説いて一物を示してもすなわち中(あた)らず、何と言うても中(あた)らん。結局、自分で味わわねば分からぬ。最後はやるだけだ。

仏教というものを理念のように考えていることは大間違いだ。それならつまり、どんなものかと言うと「諸法本時寂滅相(しょほうほんじじゃくめつそう)」で、銘々行きつく所まで行きつくことだ。その行きつく所まで行きつくというのは、仕方で鍛錬するのである。弓の稽古をするにしても、胸を張り手を伸ばして一生懸命にやっているが、あの一生懸命にやるところに妙味があるのである。ダラーッとしてやっていたのでは、ちょっとも妙味がない。修行というものは萱(かや)を抜くようなもので、いい加減にムスーッとやると手を怪我してしまう。ウンと気張って根本を摑んでピッとやったら根引きするのもわけはない。とにかく、やることに一生懸命になることだ。(305頁)

■一生懸命になるところに妙味があるのです。一生懸命になりさえすれば「一超直入如来地(いっちょうじきにゅうにょらいち)」で、そのままが仏さんとちょっとも違わぬ。(306頁)

狙いの定め方

■以前に私は、博多の七里和上(しちりわじょう)さんに付いておった村田静照師の念仏を聞いたことがあるが、静照師は常に「皆さん、はまりが浅い、はまりが浅い」と言われていました。この「はまりが浅い」ということは、つまり実の入らない念仏で、グニャッとして「なんまんだぶ、なんまんだぶ」と何万遍繰り返したって、極楽とは一向関係がないという意味だ。射撃と同じように、しっかり狙いがつかなければいかん。それが工夫である。そんなこと何十年したって仏法とは関係がない。

鉄砲だけ向けても的には当たらない。ただボンヤリ坐禅をやったからって、それで仏になるものじゃない。それから先の狙いの定め方が坐禅の修練というものである。坐禅する者に言わしたら、もう何度も坐禅をしたから卒業したと言う。ところがいくら慣れているからとて、狙いを定めずに撃ったら的は外れる。工夫なしに坐禅をしても何にもならぬ。狙いが定まって初めて的が見える。そこで撃ってこそ初めて百発百中当たるので、そこに坐禅の要領がある。(307頁)

天地一枚の坐禅

■今までの私の話を十分に呑み込んで、狙いの外れぬ工夫の道がついたなら、そこが、道元禅師様の『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』の中に仰せられている「心意識の運転を停(や)め、念相観の識量を止め」ということである。「妄想(もうぞう)が起りますが、どうしましょう」などと言って、ボーッとなることを悟りだと思っている。そんなものは悟りでも何でもない。

『坐禅用心記』の中には、

「心若し或いは沈むが如く、或は浮ぶが如く、或は朦(もう)なるが如く、或は利なるが如く、或は室外を通見し、或は身中を通見し、或は仏身を見、或は菩薩を見、或は知見を起こし、或は経論に通利す。是(かく)の如き等の種々の奇特、種々の異相は悉(ことごと)く是れ、念息不調の病なり」

とある。今の言葉では変態心理、脳神経科の患者である。

坐禅は正気にならなければ困る。正気に的を狙って、坐禅に一生懸命になって覚触の整うたところを「心意識の運転を停(や)め、念相観の識量を止め」と言うのであって、「坐禅をすると無念無想、何も思わんようになりますか」などと訊く奴があるが、そんなこととは問題が違う。隣りの赤ちゃんが泣いている。坐禅していたら聞こえんかというと、耳には勝手に聞こえてくる。前を美人が通れば、目には勝手に見えてくる。そこのところが「縦(たと)え是の念生ずるも電の払うが如し」で何が通ろうと、何が聞こえようと一向お構いなしである。ガラスに私の顔が映るのも同じだ。(308~309頁)

(2013年9月1日)

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『禅の境涯』〔信心銘提唱〕澤木興道著 大法輪閣

■稲荷さんでも、金比羅さんでもよい。お参りした人がよう言う。盗っ人が神さんを拝んで、「南無大明神、金比羅大権現、どうか阿呆な人が私に盗られてくれますように」「盗った以上はみつからんように」「刑事が後から追っかけて来ないように、どうぞ本願成就せしめたまえ」。――そんなのが信心と言うなら間違うておる。わしはそんなのを信心と言わん。

わしの信心というのは清き心、心の清らかなること、透明なること、透き通る気持ちになること。まあもっと難しい解釈もあろうけれども、そんな難しい解釈をしても、難しいばかりで分からん。そうすると、心を信ずる。心という字は、みな分かったつもりで話しておるけれども、この心という字を首楞厳経(しゅりょうごんきょう)というお経の中には、常住の理を信ずるとある。これを意味から言うと、間違いのない、過去現在未来、間違いのないところの道理を信ずるということです。これなら本当の信心でしょう。(24~25頁)

至道無難(しいどうぶなん)、唯嫌揀択(ゆいけんけんじゃく)

■これは非常に結構な文句で、卍山(まんざん)禅師という人は、「至道(しいどう)最も難し、須(すべか)らくこれ揀択(けんじゃく)すべし。若し憎愛なくんば、争(いかで)か明白を見ん」と、これを現在に作り替えて、ことに間違わないように教えてござる。で、至道ということは、今言ったように天地いっぱい、人間のこしらえたものでないというが至道です。(34頁)

■至道ということは、それは神様の道、仏様の道。人間のこしらえたものではない。根から生えたものなら、何にもどうせんでもいい。それを道元禅師は、眼は横、鼻は縦と言われた。眼横鼻直(がんのうびちょく)。天桂和尚という人は、鼻は飯を食わんものじゃぞよ、臍が飯を食っても行かんぞよ、飯は口から食うものだ、屁は臀(しり)からひるものじゃと言われた。これが至当(しとう)だ。元からある。元からある通り、終いまである通り、お天道様が東から出て、お月さんが西の空にぽおっとかかる。元からある通り。これは譬(たと)えなので、元からある通りの道理、それは何もこしらえられたものではないから、難しいことはない。これが人間にすれば天真爛漫じゃ。孔子に言わしたら、天なにをか言わんや。老子に言わしたら、自然に則(のっと)る。趙州(じょうしゅう)という人は大道長安に到る、真っすぐ行け、と。そうすると、真っすぐに行く。(35~36頁)

■そんなものではない。真っすぐにすっとこう入って行く。その真っすぐにすっと入って行くのが非常に難しい。真っすぐにポッと入れん。いわゆる素直でない。で、素直なものなら、回り道をせずにすうっと入る。ところが、邪魔する妙なものがたくさん入っておる。これを先ず学問というか、邪魔をする。ああも言えるのではないか、こうも言えるのではないか、そう言えばしようがない。こうしようじゃないか。――遠回わりして、とうとう入れ物のぐるりから中へ入らないでしまう。そこが唯嫌揀択(ゆいけんけんじゃく)です。ただ揀択(注)を嫌う。(38頁)

(岡野注) ;揀択(かんたく)――より分け選ぶ。区別する(角川漢和中辞典)。

但(た)だ憎愛莫(ば)ければ、洞然(とうねん)として明白なり

■そこに好き嫌い、うまい味ない、良し悪し、いろいろな概念が起こって、憎愛するからであるが、憎愛なければ本来無一物(もつ)です。

六祖大師はこれを本来無一物と言うた。般若経には畢竟空とある。

この憎愛のない人を、『証道歌』の中には「絶学無為の閑道人(かんどうにん)」と言っとるでしょう。絶学無為の閑道人というのは、この憎愛のない人である。冬と夏とどちらが好(い)いかと言えば、それは冬が好いとか、夏が好いとか。なあに、冬になると夏が好いと言うし、夏になると冬が好いと言うのじゃ。昼と夜とどっちが好いか。夜になると昼が好い、昼になると夜が好い。そうして鬼ごっこをしておるが、」それが人間の迷いというもので、夜が夜で、昼が昼じゃ。(42頁)

円(まど)かなること大虚に同じ、欠くること無く余ること無し

■これは「至道無難」の至道を受けて、「円かなること大虚に同じ」。我々は無理やくたいを信じんならんことはない。天地いっぱいの、疑いのないところを見届けるのである。

人間、一体なんのために生れて、何をどうすればよいのか。でたらめ放題に、黙って放っておけば、動物とあまり違いはない。ロダンの言葉に、「人間は自己の鍛工者(たんこうしゃ)となり得る」というのがある。自己の幸福を自分でこしらえることが出来るのが人間だ.猫や犬は自分の幸福をどうすることも出来ない。人間が可愛がってくれれば、あれは幸福なのである。人間が可愛がってくれなければ、虐待すれば、不幸なのである。それがどうすることも出来ない。警察へ言って行くことも出来ない。馬が警察へ言うて行った、そんなことはありゃせん。

人間は自分の幸福を自分で工夫し鍛錬するところの工夫、職工となり得る。それには、我々は修養せねばならん.それは自分の幸福を鍛錬するのである。こしらえるのである。(50~51頁)

■高杉晋作が結核になった。気性の強い奴の結核患者だから、歯痒かったと思う。野村望東尼が看病をした。野村望東のことを、お婆さんお婆さんと言う。

「お婆さん、筆と紙を取ってくれ」

そして、俯(うつむ)けに寝たまま「面白くない世の中を面白く」と書いてから、

「お婆さん、それから後を書いてくれ」と言う。そうすると野村望東が「過ごすは人の心なりけり」と下の句を付けた。

面白くない世の中を面白く、過ごすは人の心なりけり

高杉晋作は感心した。「やはりお婆さんは、うまいな」と感心したという。(52頁)

■この同じは、通常の外側のものが同じという意味ではない。無差別である。一切のものが無差別じゃが、おなじではない。それだから我々でも、顔はみな違うけれども、これを照焼きにしたらみな同じであろう。また、生まれて来る前もそうだ、器量が良(い)いたら、悪いたら言うけれども、あの生物学の標本を御覧なさい。顕微鏡で見たら拡大される、大きな単細胞である。(59頁)

能は境に随(したが)って滅し、境は能を逐(お)うて沈む。境は能に由って境たり、能は境に由って能たり

■能というのは主観です。主観は客観に随って滅すである。境は客観である。で、花を見る時には、花より他に人もなければ――そうでしょう。花を見る時は花ばっかりじゃ。ボタ餅を食っておる時は、わしはない。ボタ餅ばかりだ。「境は能を逐うて沈む」。わしがボタ餅を食っておらんなら、わしばかりしかない。(107ページ)

大道(だいどう)体寛なり、難無く易(い)無し

■お前の幸福はわしの幸福、お前の嘆きはわしの嘆き、ここに人間の長閑(のどか)な――右に至れば君侯の位に住する、――大道体寛なり。天地もガラス張りですよ。大道体寛なり。だから、円かなること大虚に同じ。大道体寛なり。(111頁)

■「難無く易無し」、なんでもない。(113頁)

昏沈(こんちん)は不好(ふこう)なり

■ウンウンやるのが繋念で、ボーッとしておるのが昏沈は暗い世界に行くんだから、不明瞭な世界に行くんだから、これはよいものじゃない。元来人間は不明瞭なんである。不明瞭なせかいにおって、さらにその上に不明瞭になるんだから、本物じゃない、だから「昏沈は不好なり」。(123頁)

不好(ふこう)なれば神(しん)を労(ろう)す、何(なん)ぞ疎親(そしん)を用

いん。一乗に趣かんと欲すれば、六塵(ろくじん)を悪(にく)むこと勿れ

■仏教は仏になる道です。一乗に趣かんと欲せば、仏になる、すなわち成仏の究竟(くきょう)の道ということです、もうこれより他に何もない。この究竟(くきょう)の道、この一乗に趣かんと欲せば、「六塵を悪(にく)むこと勿れ」――悪いものは何もない。(128頁)

一如体玄(いちにょたいげん)なれば、兀爾(ごつに)として縁を忘(ぼう) ず

■葛城の慈雲尊者は「業(ごう)は報を知らず。この知らざるところ、道存(みちそん)して滞(とどこお)らず塞(ふさ)がらず。この中に楽しみあり。間断なく欠失(けつしつ)なし」と。(151頁)

■世界の事実がこうあるんです。「風定まって花なお落つ」――風は止んだけれども、それでも花は散る。なにも風があるのに限らない。「鳥啼いて山さらに幽なり」――鳥が啼けば騒がしいかというと、鳥の啼声を聞いておると、「鳥啼いて山さらに幽なり」「風定まって花なお落つ」。――この事実です。この事実が一如体玄です。(153頁)

其の所以(ゆえん)を泯せば、方比(ほうひ)すべからず

■「人のところがめでたいのに文句を言う」と言いよったが、それが、5年か6年後には、その母親が子供を置いて死んで、もう早めでたいのは、6年前の夢になってしまった。実際、実に、めでたくもあり、めでたくもなし。「其の所以(ゆえん)を泯せば」――泯滅(みんめつ)する、なくするということです。どうでもないということです。(162頁)

真如法界は、他無く自無し

■真如法界は天地いっぱいのものであって、お前もわしも、山も河も、天地いっぱい、真如法界でないものはない。真如法界の他には、わしもあんたもない。(172頁)

禅宗における行について

1、禅宗と坐禅

■「禅宗における行について」――もとより禅宗と言っても、道元禅師のお言葉によれば、禅宗という宗旨が取り立ててあるべきはずはない。釈迦の正法(しょうぼう)を行なう宗旨であるが、達磨が坐禅をしておったその時分には、他の人はあまり坐禅をしていなかったものとみえる。それは翻訳が忙しいために、いつでも学者というものは坐禅をする暇がない。それがために坐禅をする者が珍しかった。そこで坐禅をする宗旨というものを簡略にして坐禅宗、もう1つ略して禅宗、とこういうふうになったということになっております。しかし単に坐禅するというだけでなく、仏の教えによって生活をするということが私達の信ずる宗旨でありますが、その坐禅というものがこの正門(しょうもん)となる。(185頁)

2、迷の根源と仏教の真髄

■結局何かと言うと、この「智慧なし」ということは無量無辺ということがうまく入らぬことです。仏教というものをよく研究してみると、無量無辺ということである。無量無辺無念無想という。無念無想というのはどういうことかと言うと、無量無辺ということがうまく入る境涯です。無量無辺ということがうまく入らぬから、それは邪念です。他力と言うたり仏任せと言うたりするけれども、仏に任せてこっちで考えぬから無量無辺がうまくぼそっと入る。法華経の中に久遠実成(くおんじつじょう)、真身久遠ということが書いてある。それがうまくぼそっと入るのは無念無想だからである。(195~196頁)

4、覚触(かくそく)の生活

■そこで我々は何とかして澄んだ世界からこの生活を見、生活によって澄んだものを工夫し、澄んだ鏡によってこの生活を導き鍛錬して、造次(ぞうじ)にも顚沛(てんぱい)にも一切の場合に、この自己を見失わないようにせねばならぬ。これがすなわち私達の生活即宗教である。それに立脚すれば、そこに一脈の澄んだものが現われる。

そういう坐禅即生活の中に覚触ということがあります。私達の宗教的形式の中には、こうした澄んだ気持がある。肉身でこの気持を体験するのが覚触です。こうやって、ふらふらしておるのが酒飲んで酔っぱらった覚触、こうして坐ったら坐った覚触、この覚触によって人生の羅針盤のような、バロメーターの狂いつつあるものを徹底的に狂いのないものとするような、標準時計のような、標準物差しのような、そういう宇宙とぶっ続きの、仏とぶっ続きの、一切衆生とぶっ続きの覚触を得るのが我々の坐禅の修行であります。(210~211頁)

(2013年10月4日)

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『沢木興道聞き書き』酒井得元著 講談社学術文庫

■「半偈(はんげ)の真実の道を開くために身を捨てた雪山童子の話」――雪山童子が雪山に住したとき、天帝釈(てんたいしゃく)が化けて羅刹(悪鬼)となり、雪山童子の面前に現われて「諸行無常是れ生滅の法」と言った。童子はこの言葉を聞いて心に喜びを感じ、「どうかそのつづきを言ってほしい、言ってくれたら、自分はあなたの弟子になりましょう」と言った。すると羅刹は「つづきの半分(半偈)はよく知っているが、おなかがすいて、もう一口もしゃべれないよ」とうそぶいた。そのとき童子は、すこしもためらわず、「では、私の身をさしあげましょう。どうかあとの半分を言ってください、そしたらすぐ私を食べてください」。ここにおいて羅刹が、「生滅已寂(いじゃく)滅為楽(いらく)」と叫んだ。童子はこれを木や石に書きつけておいて、それからもう思い残すところなしと、高い木から身を投じた。その瞬間、羅刹に化けた天帝釈が童子の身体を受けて救った。この童子こそは、釈尊がこの世に生まれる前身だったというのである。(44頁)

■笛岡方丈は身体の弱い人だったので、時とすると一晩中方丈で頭を揉むようなことがあった。そんなとき、師はいろいろな話をしてくださった。あるときの話に、

「宗門の多くの人は、教外別伝や不立文字(ふりゅうもじ)ということを浅く解して、教相(仏教学一般)を勉強せぬ人が多い。しかし教相を知らぬようでは、宗門の最上乗禅を発揮することはできない。石川素童和尚がかって、東京の日ケ窪の曹洞(とう)宗大学林の講師をして、『従容録(しゅうようろく)』の提唱をしたときに、天台宗の坊さんが聴講に来て、自分(笛岡)に『あれが、あんたんところの宗乗(宗旨)ですか』と尋ねたから、『ええ、そうです』と答えたら、『では曹洞宗という宗旨は、別教の分際ですな』と言った。ところが、そのころの自分は別教ということが、どんなことだったたかわからなかった。それで、それからは広く仏教一般の教相を学ばねばならぬと思って比叡山へ行って勉強することにした。天台宗では教相判釈といって、仏教をその宗旨の浅深によって、蔵教、通教、別教、円教の4つに分けて、円教を最高最深の教えとした。すると別教は、円教より1だん低い教えということになる。そういう他宗の学問も広く勉強していないと、このように天台宗でいう円教にすら到達せぬ別教の坐禅を、とくとくとして、みずからもやり他人にも説いていることがある。外道も小乗の人も、権大乗の人も、実大乗の人もみな同じように坐禅して、外形は同じだ。ただ、その坐る内容がまったくちがうのである。それゆえ、広く仏教のいろいろな教相を勉強して知っていないと、自分のやっている坐禅が小乗か、大乗かさえわからず、道元禅師のお教えになる最も深い『只管打坐』(ただ坐る坐禅)もわからないであろう。

――只管打坐ということは、教相や学問を持ち込んで坐るのではないが、祖の『只管』という意味内容が納得できて、只管打坐するのでなければならぬ。それにはどうしても、深く教相を学んで修行を誤らないようにしなければだめだ。教相は、もの指しであり、秤(はかり)である。興道さんも、だから教相をうんと勉強しなければいけない」――

師はこんなふうに教えられた。後年になって、わしが法隆寺で教相を本腰になって勉強したのも、あのころの笛岡方丈の示唆によるものである。(87~88頁)

■実際、人間というものは一時の興奮で、他人との張り合いに命がけになって、なんでもやるものである。しかしどこまでも冷静に命がけで日々の行持(ぎょうじ)を守り通して、静かにやってゆくことはなかなかむずかしいことである。

だいたいこのわしという人間は、いつも命がけの名人であった。戦争中の武勇は、まったく法被がけに、豆絞りの手拭いのねじ鉢巻、尻まくりで、大暴れに暴れ回ってきたようなもんだ。そんなところが、前半生のわしというものである。

ところがその後、道元禅師の前に出て、もじもじしながら尻まくりをおろし、ねじ鉢巻をそっと解いて、腰をかがめて、おとなしく、小さくなって、ひざまずいた、というのが現在のわしというものである。

道元禅師の『学道用心集』にいわく。

――「その骨をくじき髄を砕くを観るに亦(また)難(かた)からざらんや、心操を調(ととの)ふるのこと尤(もっと)も難し。長斎梵行(ちょうさいぼんぎょう)も亦難(かた)からざらんや。身行を(しんぎょう)を調(ととの)ふるのこと尤(もっと)も難し。若し粉骨貴(とうと)ぶべくんば、之(これ)を忍ぶ者昔より多しと雖(いえど)も得法の者惟(こ)れ少なし。斎行の者貴(とうと)ぶべくんば、昔より多しと雖(いえど)も悟道の者惟(こ)れ少なし。是(こ)れ乃(すなわ)ち調心甚(はなは)だ難きが故なり。聡明を先きとせず。学解を先きとせず、心意識を先きとせず。念想観を先きとせず。向来(きょうらい)都(すべ)て之(これ)を用(もち)ひずして身心を調へて以(もつ)て仏道に入(い)るなり」

わしなども道元禅師の家風に入ったからこそ、修行もさせてもらえたので、もしそうでなかったとしたら、わしなどは非常にずるい性質で、商売をやろうと、何をやろうと一人前以上やり、相当に悪辣なことをやってのけたことであろう。非常に腹を立てやすい人間だったから、人の一人や二人は殺していたかもしれない。

しかしそんなことをいっさいやめて、神妙にして、目立たないようにして、一向にご利益のない坐禅に安住することのできたのは、じつに永平高祖のおかげである。

身心(しんしん)を調(ととの)え――どんなことに出会っても、乱れない、乱されない。自己の本心を見失わない。これは真の勇者でなければ、できることではない。これぞ大丈夫の仕事であり、仏法行であるのだ。(120~121頁)

■ところがある日、「学問の為に寝食を忘れる者はあれど、行法の為に寝食を忘れるものは珍らし」という文章を読んで、得意な鼻がペシャンコに押しつぶされた。一ぺんに、ペシャンコになってしまった。相手があっての頑張り合いのために、すなわち名利のためには、我々は容易に熱狂し、寝食を忘れることができるが、冷静透明に行法のために命を投げ出すことは容易なことではないのである。(130頁)

■ 実際、真実の道はいつも社会性をもつとはかぎらず、流行るとはきまってはいない。社会性があり流行るものに、必ずしも真実のものがあるとはかぎらない。人間の五官の欲望を満足させるようなものには、かえって真実のものがないのだ。だから我々はどこまでも、ひたすら真実のところに向って、真の自覚をもち、人間の欲情を相手にすることなく、仏祖のみを相手にして精進するのでなければならない。

こういうしっかりした自己を持っていないと、もし自分の行道(ぎょうどう)に随喜するものがなく、弟子もできず、同行者もないということになると、ただ一人の淋しさに堪えかねて、自信を失い、さらに時分のしていることが、果してよいことであるかどうかもわからなくなる。だれもやるものがなくて、自分一人だけ馬鹿正直にやっていることが、いかにも馬鹿馬鹿しく思われて、ついに中絶することもあるであろう。(176~177頁)

■「今度の講習の7日間は、みなさんのご努力のお蔭で、本当に理想的な共同生活をすることができました。それにつけても思い出すのは、私が大和におったころ、わが国の学校教育がみな西洋の学校教育の模倣にすぎず、何1つ西洋にまさるところがない。それでも何か1つぐらい昔からの日本の教育制度に採るべきよい点はないかと、文部省で方々へ人を派して各宗の学校及び叡山、高野山などを視察させたことがありました。ところが、そのどちらもが、現代の学校制度のまねばかりで、しかもそれが東京の多くの学校より劣っているというのです。そして私のいた法隆寺勧学院にもその視察がやってきましたが、そのとき私も何らよい具体案をもっていませんでした。しかし、いまにして思えば、わが宗門の叢林生活、僧堂生活こそ、現代の学校教育に大いに取り入れらるべき、すぐれてよいものをもっていると思います。叢林には、配役ということがあります。この配役の制度がよく行なわれるときにのみ、はじめて共同生活というものは理想的に営めるのです。今度の講習会にしても、典坐をやる人などは数多い人の食事をつくらなければならないのだから、お袈裟の講習に出席しているとはいいながら、7日間1度も法益を聞かずに、大衆のため次の食事の用意をしなくてはならない。しかもその人たちは私のお膳でもさがってきて、お膳の皿などがきれいになっているのを見て『まあ、よく召しあがってくだされた』と言って、それで満足するくらいなものであります。広い社会で、みんながみんな花形になれるわけはない。――

獅子舞の太鼓たたかず笛吹かず、後ろ足となる人もあるなり

だれか縁の下の力持ちにならなければ、社会は成り立たぬわけであります。配役にはもちろん、花形の役もあれば、縁の下の力持ちの役もある。元来、配役に高下のあるべきものではない。ただ、これを尽くす人の態度にあるのであります。――

後ろ足となっても、不平も言わず、文句も言わず、その後ろ足に成り切って、その後ろ足を十全に果たす、そのときに人間の深い悦びが自覚されるのであります。この自覚された人間の深い悦びというのは、表立って多くのものを支配したり、所有したりする誇らしい喜びではありません。つまり、外目にはどんなつまらぬことにせよ、力一ぱい働くところに本当の浄(きよ)らかな悦びがあるのであります。この浄らかな悦びには敵するものなく、競争もなく、永遠に失望することもありません。これほど偉大な悦びは、またとあるまいと思います。こんなところに、本当の実物の仏法、正味の仏法があるのであります。――

仏法僧の三宝と言いまして、僧宝が1つかけてはならないことは言うまでもないことであります。僧宝は僧伽(そうか)と言うことで、理想的な共同生活のことであります。この共同生活は仏法の具体的な活動でありまして、この共同生活を円成させるもの以上に淨らかな悦びはほかにはありません。この浄らかな競争のない悦びのなかには、自分の権利だとか、何だとかいう、とかく生活をぎこちなくするものは存在しないのでありましょう」(240~241頁)

■これまでのわしの生活は、これといって仕事といったものをもたず、それかといって遊んでいるというのでもなかった。衣食住のことは、ほとんど念頭になかった。食わされれば食う、食わされなければ食わぬ。衣類も着せられれば着るが、自分では着ぬ。一切生活を追い求めることはしないというのが、わしという人間の日常である。「ただ真っ直ぐにむこうを向いて行くばかり」というのが、これまでのわしの一生であったが、今後もそうであろう。「嬶(かか)をもつことはあっても寺はもたぬ」と発心し、寺をうかがうことを放棄してある。そうでなければ、「ただ真っ直ぐにむこうを向いて行くばかり」ということはできない。

また出世しようということも断念して、出世しないように努力しなければ、やはり「ただ真っ直ぐにむこうを向いて行くばかり」なんていうことはできることではない。そのわすが、昭和10年(56歳)に、どういう都合か、どういう風の吹き回しか、駒沢大学に就職しなければならなくなってしまった。(258頁)

■経済生活を追い求めたら道は求められないと決まっている以上、仏道の行者にとっては、宗門の規則や資格というようなものは別に益するところはあるまい。これらのものは仏道のことでなくて、人間娑婆世界の生活上のことである。仏道の行者が修道を捨てて娑婆と関係をもとうとするとき、規則と資格によらなければならなくなるのであろう。

娑婆世界のことは、そのときどきのご都合次第だけのことであるから、猫の眼のように変わるのが当たり前である。真実に生きんとするものは、こちらからその都度これに応ずるには及ばない。次から次へと変わってゆくものを追っかけて一生ふらふらしていたのでは、それこそ一生を空しくしてしまうものである。(263頁)

(2013年10月12日)

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『正法眼蔵』仏性を味わう 内山興正著 大法輪閣

■この涅槃については涅槃経の獅子吼菩薩品(ししくぼさつぼん)にいろいろ述べられていますが、大切なのは次の2点です。

「涅槃とは、即ち是れ煩悩諸結の火を滅す」

「涅槃とは畢竟帰に名(なづ)く」

梵語では涅槃のことをニルヴァーナといって、火をフッと吹き消すことがもともとの意味だという。われわれの心のなかでは、いつもなんとなしにムシムシしています。そして時々それがトサカに来ちゃってカッとするじゃないか。ムシムシ、いつも何か物足りようとしているのは煩悩、カッとして結ぼれた処は諸結です。そういう煩悩のノボセの火を滅する。いつも何かにつけて物足りようの思いが働くけれど、そういう思いの丸転がしにならないというのが涅槃だ。

そしてそこが畢竟帰「つまり帰する処」だ。澤木興道老師はこの畢竟帰を現代語に訳して、「仏法とは行きつく処へ行ついた行き方を教えるものである」といわれた。これはまったく名訳です。(11~12頁)

■その点坐禅とは、もっとも洗練された人生態度であり、畢竟帰です。要するに涅槃というのは煩悩諸結の火を滅すること――坐禅して、いま事実アタマを手放しすることだ。アタマでしっかり握ってしっかり結ぼれたものをとにかくパッと手放す。そうすると結ぼれが解けて落っこちてしまう、身心脱落(しんじんだつらく)だ。それが結局畢竟帰、つまり帰する処なのです。どんな煩悩にも流されない、この本当の安らい処が涅槃ということである。(12頁)

■ただしかし、「ふつうのクルマ」と、われわれの「自己の人生というクルマ」とでは、少し違ったところがあることも事実です。というのはどういう点かというと、ふつうのクルマではAという地点からクルマに乗り込んで、Bという地点へ行ってそのクルマから降りることができます。それでAからBへの2点間の道を走ったということになります。

ところが自己の人生というクルマはそうではない。オギャアと生まれて自己の人生というクルマの運転台から降りることはできない。いや根本的には、この生まれる死ぬということさえも、自己の人生というクルマの前に展開する1つの風景でしかないのであって、とにかく自己というクルマの運転台から降りることはできません。たとえノイローゼになって、自分はもう自分を生きているような気がしないといってみても、そういう「自分を生きている気のしない自分」を生きるよりほかはないのないのですから。

つまり、この「自己の人生というクルマ」におうては絶対にその運転台から降りることはないのだから、確かに「自己の人生というクルマ運転」しているわけだが、決して「Aというこちら」から「Bというあちら」への2点間の道を走るわけではありません。かえってただ「自己から自己への道」以外にはないのです。

しかもこの「自己の人生というクルマ」においては、目前にいろいろに展開する風景というものが決して自己の人生より外側にあるものではなく、かえって自己の人生の内容です。それでいろいろに展開する風景ぐるみの人生として、いかに適中運転していくかこそが「自己の人生というクルマの道」です。

つまりここに「道」とは決してこちらからあちらへの2点間の道ではなく、「自己の生命実物が自己の生命実物に畢竟帰して生きる」(仏法の為に仏法を修す)という「的運転する」なのです。それで以上いってきた「仏性=第1義空=涅槃空=畢竟帰空=中道」ということを、自己の人生によく当てはめて考えてみると、結局このような「自己の人生において畢竟帰運転をしていく」ことだというべきでしょう。つまり仏性とは、いまもいったように、決して固定した「あるもの」として名詞的に表現されるべきものではなくして、「刻々に自己の人生を畢竟帰運転していく」と動詞的にいうよりほかはない「行」なのです(岡野注)。(17~18頁)

(岡野注;運転しているのは自分だが車は天地一杯の存在の中を走っている。人生は此岸から彼岸への道であるが、彼岸も自己もクルマも風景もすべて世界=内=存在である。仏教が他の宗教と異なる点は、ここのところで、他の宗教はこの世界の外に超越を措定して、それを信じて祈る。行為として「只管打坐」は彼岸と此岸を含めたこの世界の実相を体感する行為で、この世界に対して超越した存在に「祈る」行為とは意味内容の異なる行為なのだ。)

■その点みんな過去から現在、未来と流れる時間のなかに自分も置かれていると思っているが、そこが違う。過去は過ぎ去っていないのだし、未来はいまだ来ないのだからないのだ。では現在だけはカチッとしてあるかのかというと、一瞬前は過去、一瞬後は未来であって、そのような過去と未来にはさまれている現在は少しも幅がない。まったくの無の一点だ。ところがその無の一点のなかに、あらゆるものが展開され、すべての時間を映している。過去を思うというのもいまおもうのだし未来を考えるというのもいまかんがえる。過去も未来も、いまという無の一点のなかに映っているだけだ。

これは接心をやっているとよく分かる。「日長うして太古に似たり」というけれど、朝から晩までただ坐禅をしていてごらんなさい。そうすると時間のなかに私が坐っているのではなく、私が生きているというのが時間として刻々に生み出されていくということがよく分かる。亙古亙今(こうここうこん)の如々だ。(38~39頁)

■ 「かの説・行・証・亡・錯・不錯等も、しかしながら時節の因縁なり。時節の因縁ををもて観ずるなり。払子(ほっす)・拄杖(しゅじょう)等をもて相観するなり。さらに有漏智・無漏智、本覚・始覚・正覚(しょうがく)等の智をもちいるには観ぜられざるなり」

とにかく自己尽有尽界時々を生きているかぎり、あれもこれもであって、たとえ「錯(あやま)」った、間違ったと言っても、間違ってどこへ行くわけではない。そこも自己尽有尽界時々なのだ。

そういう自己尽有尽界が時々する「時節の因縁を観じ」ようと思ったら、能観所観分かれる以前のいまこの実物をもって観じなければならない。「払子」(もとは獣毛・綿などの柔らかい毛を束ねて柄をつけ蚊などを払うもの)とか「拄杖(しゅじょう)」(行脚のときに使う杖)という日常の手元足元の行動で観じていくほかない。

それは「有漏智」(生存競争のための智慧)や「無漏智」(本来具わっている覚(さと)り)や「始覚」(修行して初めて得られる覚り)、「無覚」(一切の知覚分別を離れたもの)や「正覚」(仏の究竟(くきょう)の覚り)などという閑名目、死物では観ぜられるものでない。自己尽有尽界時々というのは刻々にいきいきしているのだ。(50~51頁)

■「時節の若至せざる時節いまだあらず」ということも、どっちへどう転んでも仏性の真只中にあるということだ。だから仏性とは何か手の届かない神秘的なものなんだと、向こう側に置いて考えたら外れてしまう。誰でも彼でも自己尽有尽界時々の生命実物をこうして生きている。(54頁)

■こういうふうにものを分けて考える西洋人の根本に何があるのか振り返ってみると、「主観と客観」あるいは「自分と世界」という対立するものが、絶対相容れないものとして前提されている。西洋哲学の出発点となる認識論の第1ページを開いてごらんなさい。その初端(しょっぱな)に「認識主体」と「認識の対象」の2つが厳然として出てくる。そしてこの両者が関係し合うところに1つの認識経験が起こるという。見る人と見られたものと関係し合うことによって初めて認識ということが体験されるというわけです。

ところが、この西洋認識論の初めになんの疑いもなく置かれている「主観と客観」「自分と世界」「能と所」というもの――じつはこういうふうに分けるのは1つの仮定でしかない。それに気づかないほど当たりまえのこととしてもう前提され切っているだけだ。

そして西洋のレアリズムのレアルとは、こうして2つを予め分けた上での客体の側のことをレアルというのです。ふつうわれわれの日常会話でも「それそこにある実物が……」というように、実物という言葉を向う側に使う。これもすでに「見る」「見られる」の主客を分けた上で、向う側に在るもののことをいっている。

しかしいま私のいう生命実物、仏教でいう諸法実相、真如実際というのはコレではない。決して自他、能所、主客と分けた上での向う側のものではない。(57~58頁)

■だから仏性という絶対一元の大海は「山河大地皆依建立(さんがだいちかいえこんりゅう)、三昧六通由慈発現(さんまいろくづうゆうじほつげん)」として現われてくる。

この絶対一元の仏性海に生きるということは、道元禅師の仏法の根本であるといっていいと思う。

それというのは道元禅師に一生随侍され「正法眼蔵随聞記」を書かれた2祖懐奘禅師は、ご自身の本としてはたった1冊「光明蔵三昧」を書き残されただけですが、澤木老師はこの光明蔵三昧を提唱されるとき、必ず次のような前置きをされたものです。

「懐奘禅師はご開山がすでに正法眼蔵において仏法の全部を説きぬかれていたので、もはや自分としては何もいうことはなかった。しかしながら『ご開山の1番大切な処はここだ』ということだけは、どうしても書き残しておかなければならないというお気持でこの光明蔵三昧を書かれたのである」

その本の初めに次のようなくだりがあります。

「それ光明蔵とは、諸仏の本源、衆生の本有、万法の全体にて、円覚の神通大光明蔵なり。三身、四智、普門塵数の諸(もろもろ)の三昧も、みな此の中より顕現す」

つまり仏法において1番大切なのは、光明蔵三昧だということです。その光明蔵三昧とは、一切諸仏、一切衆生の根本であって、あらゆる働きは皆そこから出てくる。(60~61頁)

■ 『「三昧六通由慈発現(さんまいろくづうゆうじほつげん)」。しるべし。諸三昧の発現(ほつげん)未現、おなじく皆依仏性なり。全六通の由慈不由慈、ともに皆依仏性なり。六神通はただ阿笈(あぎゅう)摩教(注)にいふ六神通にあらず。六といふは、前三々後三々(ぜんさんさんごさんさん)を六神通波羅蜜といふ。しかあれば、六神通は明々百草頭、明々仏祖意なりと参究することなかれ。六神通に滞累(たいるい)せしむといへども、仏性海の朝宗(ちょうそう)に罣礙(けいげ)するものなり』

要するにもう仏性から逃れられない。生命実物から転がり出ようがない。落ちこぼれようがない。落第しようがない。どっちへどう転んでも、私は駄目ですと思おうまいと、みんな仏性という大光明の真只中に生きているということ――これは間違いないことです。これを知っただけでも今日来た甲斐がありますよ。(64~65頁)

注;阿笈摩教――阿含教のこと。

■だから六神通は明々百草頭、明々仏祖意でよさそうなのだけれど、そう「参究することなかれ」というのはなぜか。ここの処を西有禅師の啓迪は面白く説いている。

「神通というとき仏性という借り物はいらぬ。仏祖意などというものをもってきてくっ付けるには及ばぬ」

要するに只管のみということだ。神通といったかぎり神通が事実働いているのであって、もうただ働くだけだ。そこへ仏性とか仏祖意とか余計なものをくっ付けるには及ばない絶対一元のなかでは、その只管よりほかになにもない。(66頁)

■しかし「是」が「何性」だというだけで説きつくされたのではない。「是」のときも仏性だ。「不是」のときも仏性だ。決して不合格は駄目だから合格をねらおうという話ではない。そういう合格不合格ののない処へいかに刻々的中して覚め覚めるか――その畢竟帰運転が仏性だ。

だから「是」といって、一応きまってはいるけれど、それは「何」で無辺際であり、畢竟帰運転としての「仏」なのだ。そしてそういうことさえも手放して、「脱落し」「透脱し」てしまったらもうどっちへどう転んでも御いのち、十方仏土中唯有一乗法という「姓」を名のるほかない。私がいつもいうけれど年とって頭もうろく体もきかず、面倒みてくれる人もなくて、クソまるけになって転がっていようと結構だ。絶対そういうふうになりたくないと考えなくてもいいのです。(84頁)

■「仏法はまさに自他の見をやめて学するなり」(正法眼蔵「弁道話」卷)

これが一番大切なのです。仏道修行に入っても、オレの見をもっていたら何十年やっても駄目だ。オレの考えを捨てないでそこから仏道を見ていたら、どこまで行っても出会わない。自と他、主観と客観、能と所、この2つに見る見方をやめて仏道を学するのが根本だ。いまの「すべからく我慢を除くべし」ということも、「自他の見をやめて」ということです。(136頁)

■普勧坐禅儀の冒頭に「原(たず)ぬるに夫(そ)れ、道本円通(どうもとえんつう)」という言葉があります。私はこれを分かりやすい言葉でなんとか現代語訳しようと思って、ずいぶん苦心した。円通をなんと訳したらいいのか。円というのは丸くて端がないのだから「足し前がいらない」でピッタリする。だけど通というのはなかなかうまくいえない。便所に入りながら――ははあ通じがいいのだな、通じがいいならフン詰まりしていないんだな。それで「足し前いらず、フン詰まりなし」という言葉が出てきた。この無欠無余の円通のことを、いま満月輪の如しというのです。(139~140頁)

■これは大いに満たされてカッカ燃えているような日輪の姿ではありません。どこまでもアタは満たされないで物足りぬまま、無色透明な処にただ澄んでいく。これはいかにも秋の皓々とした満月の姿です。

そういう生命実物地盤にあるかぎり、龍樹という人の業相の姿は隠れてしまう。2つは1つでその1つさえも隠れてしまい、天地一杯の生命から鳴ってくる「法音」だけになってしまう。

『彼の衆(しゅ)の中に、長者子(ちょうじゃし)迦那提婆(かなだいば)といふもの有り、衆会に謂(い)って曰く、「此の相を識(し)るや否や」。衆会曰く、「而今(いま)我等目に未だ見ざる所、耳に聞く所無く、心に識る所無く、身に住する所無し」』

迦那提婆(かなだいば)という人は龍樹尊者の法を嗣(つ)いだ人です。先に「法音のみを聞いて」といい、後で「耳に聞く所無く」というのは、いかにも言葉が矛盾しているようだけれど同じことをいっている。それは天地一杯からの法音のみを聞いているということは、決して感覚的な六識地盤で2つに分けた後の向う側のものを、見たり聞いたりという話ではない。それで「目に未だ見ざる所、耳に聞く所無く、心に識る所無く、身に住する所無し」という。(142~143頁)

■ここで道元禅師のいわれている衆生と仏性のことを、もう少し分かりやすくいまの哲学の言葉でいったらどうなるのか。一切衆生というのはあるかぎりのあるもの、旧約聖書でいうと在りて有るもの、つまりこれは「存在」のことだ。それに対して仏性というのは、行きつく処へ行きついた生命実物に畢竟帰る運転、まさに帰るべき処なのだから「当為(まさに為すべき)」ということだ。

じつはこの存在と当為の問題が、宗教の一番最後のギリギリの問題なのだ。われわれが自分の人生に目覚めそれを意識したとき、この世の歓楽を貪りたいという強烈な欲望とともに、いやそんな朽ち果てるものに身を任すのではなく、もっと朽ち果てない絶対価値こそ求めなくてはならないという気持もまた起こらざるを得ない。いま在ることと、あるべき姿と――この矛盾ですね。パウロがこの悩みを、宗教的に深めて端的に言い表わしています。

「われ中(うち)なる人にては神の律法(おきて)を悦(よろこ)べど、我が肢体のうちに他の法(のり)ありて、我が心の法と戦い、我を肢体の中にある罪の法の下に虜(とりこ)とするを見る。噫(ああ)。われ悩める人なるかな。此の死の体より我を救わん者は誰ぞ」(ロマ書、7の22-24)(177頁)

■ 『仏性これ仏性なれば、衆生これ衆生なり。衆生もとより仏性を具足せるにあらず。たとひ具せんともとむとも、仏性はじめてきたるべきにあらざる宗旨なり。張公喫酒李公酔(ちょうこうきしゅりこうすい、張公酒を喫すれば李公酔ふ)といふことなかれ。もしおのづから仏性あらんは、さらに衆生にあらず。すでに衆生あらんは、つひに仏性にあらず』(189頁)

■ 『百丈山大智禅師、衆に示して云く、「仏は是れ最上乗なり、是れ上々智なり。是れ仏道立此人(りっしにん)なり、是仏有(う)仏性なり、是れ導師なり。是れ使得無所礙風(すとむしょげふう)なり、是れ無礙慧(むげえ)なり』

仏は無上正徧智者(むじょうしょうへんちしゃ)といい、この上のない正しい徧(あまね)き智慧をもっている者。

「最上乗」とは、人間・天上・縁覚・声聞、菩薩の5乗よりも勝れているとということ。ただ、この上ないとか最上乗というのは、比較しての話ではない。そのケタが外れているということです。

「上々智」は無等々智ともいって等しきもののない智慧のこと、上下という比較を絶している。

「仏道立此人(りっしにん)」とは、仏道はこの人より建立するということ。

「仏有仏性」とは、仏それ自身が仏有(う)仏性だという。(194~195頁)

■ 『これすなはち百丈の道処なり。いはゆる五蘊(ごうん)は、いまの不壊身(ふえしん)なり。いまの造次(ぞうじ)は門開なり、不被五陰(ふひごおんげ)なり。生を使得するに生にとどめられず、死を使得するに死にさへられず。いたずらに生をあいすることなかれ、みだりに死を恐怖(くふ)することなかれ。すでに仏性の処在なり、動著し厭却(えんきゃく)するは外道なり。現前の衆縁(しゅえん)と認ずるは使得無礙風(すとむげふう)なり。これ最上乗なる是仏なり。この是仏の処在、すなはち淨妙国土なり』(197~198頁)

■スミレが大人になればスミレの花が咲くのだし、バラが大人になればバラの花が咲く。それぞれの生命実物がそれぞれの生命実物を発現するだけだ。(207頁)

■「一音の法」と出てきますが、真言宗では「阿字本不生(あじほんぶしょう)」といって阿字が万有の根本です。「阿」という1音ですべてを言い尽くしてしまう。(264頁)

■それなのに動のときは仏性があり不動のときは仏性がないと思い、意識するかしないかで「神」(霊妙な働き)があったりなかったりすると思い、知ればこそ仏性があるので、知らなかったら仏性はないと決め込んでいるのは外道だ。仏法としてはいつも思っても思わなくても、信じても信じなくてもという地盤であって、まったく次元が違っている。(266頁)

(2013年11月2日)

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『道元禅師語録』鏡島元隆著 講談社学術文庫

■あらゆる既成の枠組みを超え、勇猛果敢であり、人情俗情を超えた、家風峻厳な宗師家(しゅうしけ)でなければ、どうして修行僧の癒(いや)すことのできない病弊をなおし、枝づるの根のようにはびこった誤った知見の根を断ち切ることができようか。昔はそのような宗師家が少なくなかったが、今日においては誰があろうか。このような澆季(ぎょうき)の世にあって、太白山如浄禅師(たいはくざんにょじょうぜんじ)は奮然として一たび出でて、独り宗風を振ったのである。諸方の宗師家(しゅうしけ)はみなこれを忌み遠ざけ、修行僧はこれを畏(おそ)れ避けて、近づくものがなかった。しかるに日本の道元禅師は、遠く海を渡ってこの国に来り、ただちに如浄禅師の室に投じ、心の塵である煩悩を除き去って一生参学の大事を了えられた。その後、故国へ帰って、思慮を傾け尽くして仏法の精髄をあらわし示された。いま、禅師の弟子の義尹禅人(ぎいんぜんにん)が、禅師が説かれたその言葉を拾い集めて、自分のもとに来て、序文を作るよう求めるのである。そこで、自分はこのもののために言おう、「君の師は縦横無尽に説法されたが、その説法は一言も舌の先を動かして生まれたものではない。だからして、驢馬(ろば)の鞍(くら)をみて、これをおやじの下あごと見るのが誤りであるように、残された言葉の上に君の師の仏法があると思ってはならぬぞ」 景定5年11月1日 無外義遠(むがいぎおん)書す(16~17頁)

〔付記〕 禅僧が号と諱(いみな)を称するようになったのは、南宋のころからであって、世俗化事象である。本録に序・跋を撰した無外義遠、退耕徳寧、虚(き)堂智愚についていえば、無外、退耕、虚堂は号であって、義遠、徳寧、智愚は諱である。しかし、天童如浄、永平道元においては天童、永平は寺号であって、いわゆるの号ではない。如浄や道元が号を称しなかったのは、彼らの反俗精神を示すものである。如浄が長翁如浄、道元が希玄道元と呼ばれることがあるが、長翁は如浄のニックネームであり、希玄は晩年の道元の別称であるから、いずれも号ではない。(18頁)

■〔訳文〕上堂し説法された。山僧(わたし)は、諸方の叢林(そうりん)をあまり多く経たわけではないが、ただはからずも、先師(じ)天童如浄禅師にお目にかかり、その場で、眼は横、鼻はまっすぐであることがわかって、もはや天童如浄禅師にはだまされなくなった。そこで、何も携えずに故郷に還ってきた。だからして、山僧(わたし)には、いささかも仏法はない。ただ、なんのはからいもなく自分の思うままに、時を過しているだけだ。看よ。毎朝毎朝朝日は東に昇るし、毎夜毎よ月は西に沈む。雲がかれあがると、山肌が現われ、雨が通り過ぎると、あたりの山々は低い姿を現わす。結局、どうだというのだ。しばらくしていうには、3年ごとに閏年(うるうどし)がⅠ回やってくるし、鶏は五更(ごこう、午前4時)になると時を告げて鳴く。大衆諸君。長いあいだ立たせてご苦労であった。といって、法堂(はっとう)の座を下りた。〈謝詞(しゃし)は記録しない。〉(20~21頁)

■〔訳文〕上堂して言われた。仏法とは、身や心についての執(とら)われがすっぽりなくなることだ。対境がすべて執著(しゅうちゃく)の相手でなくなることだ。ここにいたれば、悟りもないが、どこにも迷いのつけようもない。いま、この座に誰か江南の客がいるか。おれば、鷓鴣(しゃこ)(注)の声ならぬ声を聞くがよい。(28頁)

注;鷓鴣――鳩の一種。江南、揚子江の南に鳴き、その声を聞けば江南の人は故郷を憶い出すという。

〔付記〕 身心脱落は、『如浄語録』では心塵(じん)脱落と記され、本録の無外義遠の序にも「心塵(じん)脱落の処(ところ)に向(おい)て生涯を喪尽(そうじん)す」と述べられている。そこで、道元は如浄の心塵脱落を身心脱落と聞きちがえたのではないか、という説が唱えられたことがある。しかし、中国語では心塵脱落と身心脱落とは発音が異なるというから、道元が聞きちがえたはずはない。心塵脱落と身心脱落とは、身心不二の立場からしては結局、同じことに帰するが、心塵脱落は心を清めることに重点がおかれ、身心脱落は身を整えることに重点がおかれて、重点の異なるものがある。それゆえに、如浄におけるが、道元によって身心脱落へと深化されたとみるべきである。(28~29頁)

■〔訳文〕上堂して言われた。釈迦牟尼な言われた。「暁の明星が現われた時、自分と大地のありとあらゆる衆生(いきもの)は同時に悟りを得た」と。さて、ここで言ってみよ、釈迦牟尼が悟った真理とは、一体、どのような真理であるか……。もし、人がこれを会得すれば、釈迦牟尼は慚愧のために身のおきどころがあるまい。どうしてそうなのか、早く言ってみよ、早く、早く。悟ってみれば、仏法の真理など、どこにもないのに、これをあるかのように、吹聴した釈迦牟尼は、恥を知らぬもの。(32頁)

■〔訳文〕上堂して言われた。端的に言えば、本来無一物(もつ)である。が、本来無一物とは全世界が隠すところなく現われていることであることを誰が知ろう。といって法座を下りた。(33頁)

■〔訳文〕上堂して、公案をとり挙げて言われた。東(とう)印度の国王が、般若多羅尊者(注)を請(しょう)してお斎(とき)を供養した折、国王が質問して言うには、「ほかの人びとは、みな供養に応えてお経を読んだのに、尊者(あなた)はどうしてお経を読んでくれないのですか」と。尊者はこれに答えて言った。「貧道(わたし)は、出る息はもろもろのものの世界に吐かないし、入る息は体のどこにも吸いこまない、そのような天地いっぱいの経をいつも百千万億巻、読んでいるんです」と。師はこの公案をとり挙げおわっていうには、尊者以上に、更に一段の道理を説いてみよ、と。(35頁)

注;般若多羅――禅宗第27祖とされ、菩提達磨の師。

〔付記〕 東(とう)印度の国王と般若多羅の問答を通して、経典を読むことの真実の意味は、天地自然の道理を感得するにあることを示す。(36頁)

■〔訳文〕上堂して、公案をとり上げて言われた。昔、迦葉(かしょう)尊者(注1)が壁に塗る土を捏ねていた時、ひとりの沙弥(しゃみ)が質問した。「尊者は何でご自分でなされるのですか」。尊者は言われた。「わたしがもししなければ、誰がわたしのためにやってくれよう」。師がこれについて言うには、尊者の心は12月の扇のようなものだ(注2)。何のためのものでない。身は寒谷の雲のようなものだ。何の執(とら)われもない。もし、尊者の「我が為す」ことがわかれば、一切の人の為すことがわかる。尊者の行為は、「我」とか「誰」とかの2見にわたらないものであって、その行為は鉄壁のように切り立って、外から窺いようもない境地である。(38頁)

注1;迦葉尊者――摩訶迦葉は釈迦牟尼の弟子。禅宗の伝統だい第1祖。

注2;12月の扇云々――この季節には扇は風を起こす要がない、めざす目的のないことのたとえ。また寒い谷には雲は雨を呼ばない、寄りつくもののないことのたとえ。

〔付記〕 この沙弥と摩訶迦葉の問答の背景には、一般仏教と禅宗の勤労に対する考え方のちがいがある。仏教の伝統では、僧侶自らは生産・勤労には従事しないものとされた。勤労することは、これを禁止した釈尊の戒律に触れるからである。したがって、中国の仏教教団では、勤労は沙弥が辺り、大僧(だいそう、一人前の僧)がこれに当たることはなかった。しかし、禅宗は百丈の有名な「1日作(な)さざれば、1日食(くら)わず」の言葉が示すように、敢(あえ)て戒律を破って、勤労を僧団の規則にとり入れたのである。本録はこの1沙弥と摩訶迦葉の問答には、このような禅宗の勤労観が窺える。(39頁)

■〔訳文〕上堂して言われた。もし人があって、1句を言い得て全世界の無限の量をなくして1真実に帰せしめても、それはなお春の夜の夢の中で吉凶を説くようなもので、何の役にも立たない。また、もし人があって、1句を言い得て、Ⅰ微塵を破ってその中から無限の真理を説く経をとり出しても、それはなお紅白粉(おしろい)で美人を塗りたくるようなもので、余計なことである。そんなことよりも、その場でただちに夢でない真実の悟りの世界を照見しおわれば、全世界といっても大きくはなく、1微塵と言っても小さくないことがわかる。さて、そのように上に述べた両句がともに真実でないとき、真実のⅠ句は何と言ったものだろうか。それは、井戸のひき蛙が天の月を呑み尽くし、天辺の月が雲の上で自由に眠ると言ったらよい。(41頁)

〔付記〕 真実の1句は、法界を1微塵に帰せしめした言葉でもなく、1微塵を法界に拡げた言葉でもなく、法界即Ⅰ微塵、Ⅰ微塵即法界を言い表わした言葉でなければならぬとして、それを言い表わした言葉として、「井底(せいてい)の蝦蟇、月を呑却(どんきゃく)し、天辺の玉兔(ぎょくと)、自(おのずか)ら雲に眠る」の語を示す。(42頁)

■〔付記〕 高尚な理論も、平俗な言説も駄目だが、かといって他人の口真似でも困る。心底、自分の肺腑から出た、自分の言葉を言ってみよ。(45頁)

■〔訳文〕上堂。僧が「古仏心とは何でしょうか」と問うと、師は、春がきて鶯が鳴くのは、どこでも同じである。(古仏心とは、どこにも遍満している仏のいのちである)と答えた。「では、本来の人とはなんでしょうか」と問うと、師は、大脳が眼を覆いかくした異相の男である、(見るはたらき、聞くはたらきがすべて般若の智慧としてはたらく男である)と答えた。これをさらに総括して師は言われた。古仏心・本来の人について、あれこれと問答するのは、糞や小便を撒き散らすように、古仏心・本来の人を汚すものだ。問答を交わさなくても、激しい雷がとどろき鳴りわたれば、耳をふさぐことができないように、古仏心・本来の人は隠しようがない歴然たる事実だ。この古仏心・本来の人を会得すれば、十方大地はひとしくシ沈み、一切虚空はほとばしり裂ける、悟りの世界が開ける。この悟りは、外から入るものでもなく、内から出てゆくものでもなく、一槌(いっつい)を痛く下すところに、万事落着するのである。だが、悟りの世界が開けても、従来通り鼻は大きな顔に垂れ、眼は両眼とも黒々としていることに変わりはねい。(45~46頁)

■〔訳文〕仏を外に求めて一歩を進めるときは、他国をさまよい歩くを免れない。これに反し、仏を内に求めて1歩を退くときは、祖父の田園(本来の自己)にとらわれるのを免れない。であれば、外に求めて進みもせず、内に求めて退きもしないとき、そこに解脱の道があるであろうか。そこにこそ解脱の道がある。しばらくして云うには、仏というのは方便をもって垢衣(くえ)をかけて泥にまみれるものをいうのであるが、天子の立派な衣服をまとうものは誰としよう。これもまた仏である。(50頁)

〔付記〕 仏は外に求めるも誤まり、内に求めるも誤まり、2見を超えて直下に承当するものが仏であると示す。(51頁)

■〔訳文〕上堂して言われた。人びとはすべて天をも衝(つ)く志気がなければならぬ。如来がなされた跡をもとめてはならない、と言って法座を降りた。(53~54頁)

■〔訳文〕上堂して言われた。仏法を会得したものは、何ものにも依存せず、一切の執(とら)われを脱して完全に真実である。かれは、あらゆるものと渾然と1つでありながら、ものとははっきり別であり、しっかりと揺るぎない境地に立ちながら、いきいきと動いている。そのさまは、月が水に映っても月自体は水に跡を留めないようなものであり、風が空を吹き抜けても空自体は風に動かされないようなものである。もし、このような境地をわがものとすることができれば、狭い路地では飾りたてた立派な馬には騎(の)らないで、帰り途(みち)には破れた衣服を着るのである。(57頁)

〔付記〕 仏法者は何ものにも依存せず、事に処して無礙自在である。かくして衆生の機根に応じた教化もできる。(58頁)

■〔訳文〕上堂して云われた。人びとすべては、夜光の珠にも比すべき明珠(めいじゅ、仏性)を本来抱いているのであり、それぞれは荊山(けいざん)の玉(注)にもたとえるべき宝珠(仏性)を本来蔵しているのである。それなのにどうして、回光返照(えこうへんしょう)してこれを覚らないで、せっかくの宝を抱きながら、迷うて他国にレイ(足ヘンに令)ヘイ(足ヘンに并)しているのであるか。古人も言っているではないか。(仏性が)眼に応ずるときは、千の太陽が照らせばどんなものでも隠れる余地のないように、眼に応じて現われないものはない。このように(仏性は)歴然として眼の前の対象に明らかに現われるものであるのにこれをはずして、そのほかに仏性を求めるならば、達磨西来の教えを大いにゆがめるものである。(59頁)

注;荊山の玉――楚(そ)人下和(べんか)が荊山において得たあらたま。下和はこれを厲(れい)王・武王に献じて罰せられ、文王に献じてはじめてその真価が見出されたという(『韓非子』)。仏性にたとえる。

■覚えていることだが、丹霞子淳(たんかしじゅん)和尚は古則ををとり挙げて、つぎのように言っている。

「徳山が衆に示していうには、『我が仏法においては、宗旨の堂奥は言葉では示されない、また何1つとして人に与えるものはない』と。徳山がこのように言うのは、草をかき分けて人を求めたもので、全身、泥水をかぶるのを知らないものである。よくよくみれば、ただ1見識を具えているだけで、完全な仏法把握とは言えない。もし丹霞(わたし)ならそうは言わぬ。わが仏法においては、宗旨の堂奥を示す言葉がある。ただその言葉は、金の刀のように堅い刃をもって切っても分別できないものであり、深く幽玄な妙旨であり、玉女(ぎょくじょ)が夜、懐胎するような思議を超えたものである」と。これについて、師は言われた。丹霞和尚がこのように言うのは、がさつな徳山を照破するものだ。ではあるが、永平(わたし)はそうは言わぬ。わが仏法においては、宗旨の堂奥は言葉では示されない。体験と言葉は一致しないからである。ではあるが、言葉を拈(ひね)李出して人に示すのは、驢馬や馬の胎(おなか)に入る慈悲行によるものである。(64頁)

■〔訳文〕結夏上堂。払子(ほっす)をもって1円相を作って云われた。結制安居(あんご)はこれ(円相)を超越している。また1円相を作って云われた。90日間の禁足安居は、これ(円相)を究明するにある。だからして、次のように言えよう。過去久遠劫(ごう)の昔の仏というも、これ(円相)を受け、仮に仏と名づけるのであり、歴代の祖師というも、これ(円相)によって人間界・天上界に仏法を弘(ひろ)めるのである。してみれば、諸君が結制安居するのは、威音王仏(いおんのうぶつ)・歴代の祖師とともに、いたるところに安居し、いつも禁足しているのである。ではあるが、これ(円相)をもって究極の道理としてはならぬ、これ(円相)をもって仏の上の境涯としてはならぬ。究極の道理をも一掃して留(とど)まらず、仏の上の境涯をも踏み倒して進まねばならぬ。永平(わたし)がいまここに結ぶ安居は、今後、諸方の叢林のために手本となることができよう。(66~67頁)

■〔訳文〕仏性はあらゆるはたらきを動かしながら、それ自身はいささかも動かないものであり、それぞれのものは仏性のまったき現われとして個々の相を示している。このあらゆるはたらき、あらゆるものの根源としての仏性は、仏の眼をもっても見ることができないし、迷悟の対立的眼をもってもとらえることができない。この仏性を具えていることにおいては、仏の鼻がこのわたしの眼であり、このわたしの眼が仏の鼻であるように、仏とわたしに何の異なることはない。この仏の眼からみれば、山を隔てて煙を見ただけで、それが火であることがわかり、垣根を隔てて角を見ただけで、それが牛であることがわかる。払子をとりあげていうには、ただこれ(仏性)においては、わたしと諸君との間に寸毫の隔てもない。畢竟、これをどう呼んだらよいのであろう。仏性は、夜が明けてくると山鳥が夜明けを知らせて鳴き、春になれば早咲きの梅が春を知らせて芳しくにおう、そのうちにある。(70頁)

〔付記〕 仏性はあらゆるはたらき、あらゆるもののうちにあって、それをしてあらしめるものである。従って、それはこのわたしのうちにも、諸君のうちにもあって、わたしと諸君との間に寸毫の隔てもない(71頁)

■〔訳文〕仏法を学ぶのに教学を究めて仏法の悟りにいたろうとするのは、海に入って沙(いさご)を数えるような空しい努力である。かといって、教学を捨てて、悟りをめあてに修行するのは、塼(かわら)を磨いて鏡とするように、これまた空しい工夫である。高い山の雲を見るがよい。雲は、何のはからいもなく、自然と縮んだり延びたりしている。滔滔と流れる谷川の水を見るがよい。水は、何のはからいもなく、曲がったところは曲がり、まっすぐなところはまっすぐに流れている。人間の日常も、雲や水のようでなければならぬ、雲や水は自由無礙であるが、人間はそうはいかない。もし雲や水のようであれば、人間が三界に流転生死することも、起こりようがないのである。(75頁)

■〔訳文〕8月1日上堂。公案をとりあげて言われた。趙州(じょうしゅう)和尚にある僧が質問した、「道を会得した人がお目にかかりに来たときは、どうなされますか」。趙州は云った、「漆塗りの道具を呈上しよう」。これについて、師が言うには、趙州古仏は、群をとび抜けたはたらきはあるけれども、平常語で話すはたらきがない。もし誰かがわたしに、道を会得した人がお目にかかりに来たときは、どうなされますか、と訪ねるものがあれば、ただそのものに言おう。8月(陰暦)の秋ともなれば、どこにも熱さはなくなる。平生(へいぜい)そのままでお目にかかるだけだ。(82頁)

〔付記〕 趙州の、道を会得した人が相見(しょうけん)に来たらどうする、という公案をとりあげて、平生(へいぜい)底以外に示すものはないと提示する。(83頁)

■〔訳文〕上堂して言われた。永平(わたし)はある時は、仏法の深い道理の立場に立って説くが、それはただ諸君の心を穏やかにさせたいためである。ある時は、方便手段を用いるが、それはただ諸君をして自由無礙なはたらきをさせたいためである。ある時は、けたはずれなすばやいやり方をするが、それはただ諸君をして身心への執われを抜け出させたいためである。ある時は、坐禅三昧に入るが、それは諸君をして仏法を自由に拈提(ねんてい)させたいためである。だがもし人が出てきて、それらを超えたその上のことはどうか、と聞くものがあれば、そのものに言ってやろう。朝の風が吹いてものを洗い流すと、夕べのもやが清らかとなり、おぼろげに現われた青山は画図を述べたように美しい。(84頁)

〔付記〕 仏法を会得させたいためにさまざまの手段方法を用いて説き、示すが、究極のねらいは自然と一如して生きることにある。(84頁)

■〔訳文〕上堂。公案をとりあげて言われた。ある僧が趙州に質問していうには、「狗(いぬ)には仏性があるでしょうか」。趙州がいうには、「ない」。僧がいうには、「一切衆生はみな仏性があるというのに、どうして狗(いぬ)にはないのでしょう」。趙州がいうには、「それは、狗(いぬ)にものを分け隔てる分別の働きがあるからじゃ」。これについて、師は言われた。趙州のこのような学人指導は、まことに親切である。が、山僧(わたし)はちがう。もし山僧(わたし)に狗に仏性があるかないか問うものがあれば、彼にいうであろう。あるというも、ないというも、いずれもまちがいであると。さらに、それはどういうことかと問うものがあれば、声もろともに棒で打とう。(87頁)

■〔訳文〕上堂して云われた。仏法は、すべてのものとピタッと1つであって、その間に裂け目はなく、すべてのものに明白な事実であって、蔽い隠されているものではない。それゆえに、この仏法を釈尊が摩訶迦葉(かしょう)に伝えたというのも嘘であり、達磨がどうして慧可にこれを授けよう。いたるところに仏法を示す言葉が現われており、人びとすべてに般若の知見が具わっているのである。だからして、虚空が仏法を説くと、あらゆるものはこれを聞くのであって、人間の口を借りずによく仏法を挙揚(こおう)しているのである。それゆえに、諸君は1日中、眼に見えるところ耳に聞くところすべて仏法の中にあり、古を超えていついかなる時も仏法の中にあり、自分といわず他といわず誰もが仏法の中にあり、迷っていようが悟っていようがすべて仏法の中にある。このことがわかるか。しばらくして言われた。趙州が師の南泉にお目にかかったかと聞かれて鎮(ちん)州大根ができると答えたのと、青原(せいげん)仏とは何かと聞かれて廬陵(ろりょう)の米はいくらかと答えたのと、どっちがすぐれていよう。いずれも同じ趣旨である。(91~92頁)

■いままでもふだんのやり方に拙ないものがあっても、任に当たって努めれば、大丈夫の志気があらわれて、自ずから然るべきはたらきが出てくるのである。(94頁)

〔付記〕新旧の維那(いの)、知客(しか)が交代するに際し、その役職の任務と重要性を説いて、旧知事を慰労し新知事を激励する。『禅苑清規』が1年交代であったから、永平寺でも1年交代であったと思われる。(94頁)

■〔訳文〕上堂。公案を挙して示された。昔、(ある僧が)鵝湖(がこ)大義禅師に質問した。「欲界には禅がないのに、どうして禅定の修行をなさるのですか」。鵝湖が云うには、「お前は、欲界に禅がないことだけ知って、禅界に欲がないのを知らないな」。(僧は)何とも答えることができなかった。これに対し、師は次のように云われた。坐禅は、七顛八倒する欲界の只中でこそ行ぜられるべきものである。欲界に禅がないというのも、禅界に欲がないというのも、2つながら誤りである。真と妄、禅と欲を対立させてみるのは、2つながら誤っていることが分かって、はじめて仏法を行ずる人が見えてくるのである。(99~100頁)

■○中下は多く聞いて多く信ぜずー「上士は一決して一切了ず。中下は多く聞いて多く信ぜず」(『証道歌』)による。(102頁)

■〔訳文〕上堂して言われた。ある僧が華厳休静禅師(けごんきゅうじょうぜんじ)に質問した。「大悟した人が迷うことがあるでしょうか」。休静が云うには「1度(ひとたび)大悟すれば2度と迷うことはない。それは1ぺん破れた鏡は、2度と照らすことがなく、1度地に落ちた花はふたたび枝に著けられないようなものだ」。これに対し、師は云われた。永平(わたし)は今日、華厳休静の境界に入って、華厳休静の境界のはてをさらに明らかにしよう。というのは、已むを得ず、口を開いてお喋りせざるを得ないからだ。もし誰か、大悟した人が迷うことがあるでしょうか、とわたしに聞くものがあれば、そのものに言おう。大海がもし、もう水は十分だと満足すれば、大海に注ぐ百川の川は逆流せざるを得ない、と。(103頁)

■〔訳文〕上堂し、大衆を召して言われた。ただ6祖慧能だけが仏法を会得していないだけでなく、インドにおいても、仏法をインドにおいても、仏法を会得している人はいないのである。このようにいうと、もしかしたら一人のものが出てきて、和尚がそんなことを言えば、露柱や灯籠に笑われますぞ、というものがあるかもしれないが、わたしはただそのものに言おう。これは、僧堂の長連単の上で学び得たもので、さらにその上のことはどうじゃと。しばらくして(師は)いった。胡人の鬚(ひげ)はそのように赤いと思っていたら、何のもとに、もともと赤い鬚の胡人であったわい。(114頁)

■〔訳文〕もし仏法を人間の思慮分別の立場から解すれば、眉や鬚が落ちる仏罰を受けるのを免れない。かといって、人間の思慮分別を破り除いてその上に仏法を高く掲げても、地獄に入ることは矢を射るように速い。では、永平(わたし)の学人指導はどういうものか、見たいと思うか。それはつぎのようだ。ただ雪が消えてしまえば、自然と春はやってくる。思慮分別をとくに除かなくても、修行していくところに思慮分別は自ずから消えて、仏法が現われてくるのである。(120~121頁)

■〔訳文〕上堂して言われた。仏はほとけへ手ずから授け、祖師は祖師へ相い伝えたが、一体、何を相い伝え、何を手ずから授けたか。大衆諸君、その究極のところを知りたいと思うか。これについては、三世の諸仏・六代の祖師は、破れ草鞋や破れ柄杓のように、何の役にも立たぬものと知るべきである。そのことに疑いためらうならば、永平(わたし) は諸君の脚(あし)の底にある。諸君自身、自分の脚下(あしもと)をよくみるがよい。(122頁)

〔付記〕仏仏祖祖の授手し相伝する仏法の当体は、他によって教えられるものではなく、自ら工夫し、自ら究明するほかない。(122頁)

■〔訳文〕上堂して言われた。世尊が言われるには、「一人でも菩提心を起こして、真実に帰入すれば、十万の虚空世界がことごとくみな消えうせる」と。五祖法演和尚が言うには、「一人でも菩提心を起こして、真実に帰入すれば、十万の虚空世界がいたるところつきあたり、ぶつかりあう」と。夾山(かつさん)の円悟禅師が言うには、「一人でも菩提心を起こして、真実に帰入すれば、十万の虚空世界が錦の上に花を添えたように光り輝く」と。仏性法泰和尚が言うには、「一人でも菩提心を起こして、真実に帰入すれば、十万の虚空世界はただ十方の虚空世界である」と。天童山の先師(じ)如淨禅師がが言うには、「一人でも菩提心を起こして、真実に帰入すれば、十万の虚空世界がことごとくみな消えうせるとは、世尊のお言葉であるが、これはなお特別すぐれた見解の提示であるのを免れない。天童(わたし)はそうは言わない。一人でも菩提心を起こして、真実に帰入すれば、乞食が飯椀をぶちこわしてしまう」と。これについて、師はいわれた。5人の尊宿(そんしゅく)はこのように言われたが、永平(わたし)はそうは言わない。一人でも菩提心を起こして真実世界に帰入すれば、十万の虚空世界が菩提心を起こして真実に帰入するのである。(124~125頁)

■〔訳文〕天童如浄禅師の忌日(きにち)に上堂して言われた。わたしは入宋(にっそう)して天童如浄和尚に仏法を学んだが、かんじんの仏法もみな忘れてしまった。ただ、眼が横に鼻がまっ直にあるのがわかっただけで、格別のことはない。だからして、天童和尚が学者(わたし)をだましたなどと言ってはならない。天童和尚がかえって永平(わたし)にだまされたのだ。(126~127頁)

■〔訳文〕上堂して言われた。天下が泰平であるあるからして、いたるところに鉢盂(はつう、応量噐)で食事する人があり(出家修行ができる)、人民が安楽であるからして丸柱がいつも花開かれている(法莚が盛んである)。だからして、摩訶迦葉(かしょう)は世尊のもとに破顔微笑し、慧可は達磨のもとに礼拝得髄したのである。たとい、この境地を得ても、ここにとどまらず、さらに年長く修行しなければならぬ。だからして、「太山に登らなければ、天の高いことはわからないし、大海原を渡らなければ、海の広いのはわからぬ」と言われるのである。もし修行のできたものならば、天地を1粒の粟の中に納めることができるし、大海を1本の髪の毛の先に置くことができるし、華蔵(けぞう)世界、常寂光土(じょうじゃっこうど)をすべて眉の毛、睫(まつげ)の上におくこともできよう。さて、このような人はどこにおいて安身立命(あんじんりゅうみょう)するであろうか、といって、師は膝をいちどたたいて言われた。山川を渉(わた)り歩いて、草鞋の底をすり破るほど修行を重ねて、はじめていままでの自分が、眼にあざむかれていたことがわかるのである。(128~129頁)

〔付記〕 仏法は無限に広く、かつ深いからして、その参究もまた限りない精進の道でなければならない。(129頁)

■〔訳文〕上堂して言われた。ある僧が投子(とうす)大和尚にたずねた。「仏法においていちばん究極の問題は何でしょう」。投子がいうには、「それはいま、尹司空(いんしくう)が老僧(わたし)を請(しょう)じて開堂させていることじゃ」。師がいうには、もし永平(わたし)ならばそうは言わぬ。仏法においていちばん究極の問題は何でしょう、と問うものがあれば、、ただそのものに答えて言おう。それは、早朝には粥を食べ、昼には飯を食べ、体がすこやかであれば経行(きんひん)し、疲れれば眠ることだ。(130頁)

■〔訳文〕上堂して言われた。ある僧が古徳(帰宗道詮、きすどうせん)に聞いた。「深い山の切り立った崖、そんなところにも仏法はありますか」。古徳は答えた。「石の大きなのは大きいなりに、小さなのは小さいなりにある、それが仏法だ」。先師天童如浄和尚は言われた。「深い山の切り立った崖に仏法があるかの問いに、石の大きなのは大きいなりに、小さなのは小さいなりにあるとの答え。それはなお崖に執(とら)われ石に執われるものだ。崖は崩れ、石はつんざき裂かれ、虚空はガアガア騒いでいる」と。これについて、師は云われた。帰宗(きす)と天童、2人の尊宿はこのように言われたが、永平(わたし)はさらに1語を加えよう。もし誰か、深い山の切り立った崖に仏法があるかと、問うものがあれば、そのものに言おう。虚空は消え失せ、頑石はうなずいていると。しかし、このようにいうもなお仏法に執われた見方である。結局、どうなんだ、といって、払子(ほっす)を投げて、法堂の座を下りられた。(132~134頁)

■〔訳文〕元日に上堂して言われた。ものを見て心を明らめることによって、釈尊は悟りを得たのであり、声を聞いて道を悟ることによって、祖師達磨は釈尊の道を受け継いだのである。それゆえに、悟る以前の釈尊は、霊鷲山(りょうじゅせん)において月に語りかけて修行したのであり、悟った以後の達磨は、釈尊の教えをさらに世に弘めたのである。このことはしばらく措くとしても、たとえばどんな純金であっても鍛(きた)えに鍛えなければどうして光りを発しよう。また、どんな至宝であってもこれを鑑別する人がいなければどうして真贋が見分けられよう。そのように、仏法も百錬の修行によって始めて達せられるのである。万物みな改まるこの元旦を迎えて、さて諸君はどうか。しばらくして言われた。初春とはいえ、なお寒気がきびしい。伏して願うことは、大衆諸君の起居が、この上もなく幸多からんことを。(136頁)

■〔訳文〕上堂して言われた。ある僧が百丈に質(たず)ねた、「この世の中で、いちばんすばらしいことは何でしょう」。百丈が言うには「わしが、この百丈山に独坐していることだ」と。今日もし永平(わたし)に、この世の中で、いちばんすばらしいことは何か、と聞くものがあれば、わたしはそのものに言おう、今日、法鼓(ほっく)を鳴らして上堂することだ。

〔付記〕この世の中でいちばんすばらしいことは、ただ平生の生活のうちにある。百丈は百丈、永平は永平、その生き方は異なるにしても。(141頁)

■〔訳文〕降誕会(ごうたんえ)上堂。釈尊の真身は兜率天より降下されたのではないし、ましてや摩耶夫人のお腹を借りて生まれたものではない。釈尊の降誕とは、無量の功徳のあつまりが肉身の姿を借りて突然現われ出たことであり、三千年に一度花開くという優曇華(うどんげ)の花が、火の中に一枝開いたようなすばらしい出来事である。こういう釈尊にもまた泣きどころがあるが、わかるか。それは、家の財産を身代かぎりにして、売るものがなくなって、あろうことか、小さな赤ん坊(誕生仏)まで売りに出したことだ(注)。(142頁)

注;小嬰孩(しょうえいがい)を売弄(まいろう)す――小さな赤ん坊を売りに出す。誕生仏をお祝いすることをこのようにいう。それが釈尊の泣きどころであるというのは、後のちのものに法要を営ませ迷惑をかけたこと、今日にいたるまで降誕を祝う盛儀を生んだことを逆説的に讃歎した言葉。(142頁)

■〔訳文〕禅僧の面目をずばりと示すものは、坐禅することだ。参禅は参ずべきものがなくなるまで修行するのが、正しい伝承である。だが、この正伝にも執われてはならない。それが、皆の人が達磨の西来を頌(たた)える正しいあり方である。(143頁)

■〔訳文〕夏安居の解制にちなむ上堂。君たち、夏安居の無事終了を見たいと思うか。一円相を描いていうには、この一円相を会得せよ。また一円相を描いていうには、この一円相に参ずれば、如来禅は君たちが会得したことは許してやるが、祖師禅を見ようと思ったなら、万里を隔つというものだ。さて、そういう永平(わたし)の意図はどこにあろう。君たちは、ただ日が東に昇ることはみな知っているが、夏安居の終りが秋のはじまりであることを誰が知っていよう。祖師禅とはこれを知ることだ。(144頁)

■〔訳文〕上堂。公案をとりあげて言われた。ある僧が巌頭(がんとう)和尚に質問した。「古い帆をまだ掛けないとき、つまり、ものの成立以前の世界とは、どのような世界でしょうか」。巌頭が答えて言った。「小魚が大魚を呑むことである。大小の対立を超えることだ」。師が言われるには、この公案の趣意を会得したいと思うならば、永平(わたし)の一頌を聴くがよい。巌頭のいう小魚、大魚を呑むとは、和尚が儒書を読むことだ。仏教とか儒教の対立を超えることだ。さらに、仏教とか外道の対立を超えて、仏教に対する執われもなくしてしまうことだ。(146頁)

■〔訳文〕上堂して言われた。仏性とは時節因縁(注)である。そのときそのときに現われ、前にも後にも完全に現われている。ただこの道理を自分自身に回光返照してよくよく参究すれば、牛乳は牛乳として、酪(らく)は酪として、それぞれ仏性であることがはっきりする。(147頁)

注;時節因縁――時節が到り因縁が熟すること。道元はこれを未来に望めず、現にいま、時節は到っており、因縁は熟しているとみる。「いわゆる仏性をしらんとおもわば、しるべし時節因縁これなり」(『正法眼蔵・仏性)(147頁)

■〔訳文〕夏案居開始の前の晩の説法。ー中略ー これについて、師は言われた。古人は、「断じて心を第二念(分別心)に流れないようにせよ」と言われたが、諸君に敢えて聞くが、ではどれを指して第一念(無分別心)というのであるか。永平(わたし)は今夜喋るのを惜しまず諸君に言おう。90日の安居(あんご)は明日から始まる。規則外のことを行なってはならぬ。坐蒲(ざふ)の上に坐ってそのほかのことを一切顧みなければ、毎日毎日がⅠ日じゅう、寂(しず)かで天下泰平な安らかな日暮らしができるのである。(149~150頁)

■〔訳文〕夏案居の解制の日の晩の説法。一円相を描いていうには、この一円相は数量を超えた仏法の根本問題である。過去・現在・未来の三世の諸仏もこの根本問題をあきらめたのであり、歴代祖師もこの根本問題を悟ったのであって、仏道修行者はすべてこの根本問題に参ずるのである。もし毎日の生活においてこの根本問題をすっかりわがものとすれば、親しく仏祖をも一段超えた境地にいたるであろう。これについて、次のような公案を知らぬことはあるまい。趙州(じょうしゅう)が大慈に尋ねた。「般若は何をもって根本とするか」。大慈がいうには、「般若は何をもって根本とするか」。きいて、趙州はからからと大笑した。翌日、趙州が地を掃いていたところへ大慈がやってきて問うには、「般若は何をもって根本とするか」。聞くや、趙州は箒をほうり出して、からからと大笑した。大衆諸君、大慈と趙州、この二人の古仏の一世一代の出会いは、すばらしいではないか。諸君は、今日解制の期に臨んで、この公案をどのように工夫するか。わたしは言おう。昨日は応量器でご飯を頂いたが、今朝は鉢盂(はつう)でお粥をいただいた。さて、わたしの言うところと、この二人の古人とは、同じことを言っているのか、別のことを言っているのか。さて、どうじゃ。しばらくして、云われた。大慈がもしももう一ぺん尋ねれば、趙州はまたもや新たに大笑するであろう。久しく立たせてしまった、諸君、ではさようなら。(152~153頁)

■〔訳文〕冬至の晩の説法。長いあいだの苦節を経て一陽来復の佳節を迎えた。あらゆるものはその本に帰って、はじめてその真の姿を現わすのである。だからして、宏智(わんし)禅師も言っている。「全世界はhpかでもない君自身の1つの眼であり、全世界はほかではない君自身であり、全世界はほかではない君自身の光明であり、全世界は1つの悟りの世界である。どんなところであれ君が説法し人を救うところでないところはない。だからして、古人も言っているではないか。『釈尊が護明菩薩として兜率天より降下しない前に、一輪の明月が十万を照らして、一切の衆生は救われている』と」。(154頁)

■〔訳文〕12月30日、大晦日の晩の小参に云われた。小参というのは、仏祖の家訓である。わが国では、いままでに行なわれたことのないもので、永平(わたし)が始てこれを伝えて以来、すでに20年経っている。達磨祖師がインドから中国に来って仏法を中国に伝えてよりこのかた、前代の祖師は小参を家訓といってきたのである。家訓というのは、仏祖の行ないでなければ行なわず、仏祖の法服(ほうぶく)

でなければ身に着けないことである。さらに言えば、名利を抛(な)げ捨て、己我を捨て去り、三谷に隠れ住んで、叢林をを離れずに、さしわたし一尺もある玉(たま)も貴ばず寸陰も惜しんで、万事も顧みず純一に修行することで、これが仏祖の家訓であり、人間界・天上界の指標となるものである。

しかしながら、立派な善知識となることは三阿僧祇劫(あそうぎごう)という無限の長時の修行によるのでなければ不可能のことである。大衆諸君よ、この無限の長時の修行とは何か、これをみたいと思うか、といって(師は)指をポンと1度弾(はじ)いて云われた。無限の長時の修行といってもこの一弾指(だんじ)にある。この一弾指はもとからあるものということができようか、いまここで修行されたものということができようか。そんなことはないのだ。ここのところがわかれば、時移り年変わって、12月が終って正月がくることがわかる。これがわかれば、十方の世界はみな断ちきられてわがものとなり、過去・現在・未来の三世の世界とも知らないうちに一つになる。12月が終わって正月がくるといっても、実は旧い年が去るのでもなく、新しい年がくるのでもなく、くる年は去る年の連続ではなく、新年は新年として、旧年は旧年としてそれぞれ絶対である。それゆえに、この道理を古人は次のように示している。ある僧が石門和尚に、「1年の最終日にはどうしたらよいでしょう」と尋ねたところ、石門は「東村の王老人が夜、紙銭を焼くことだ」(大晦日には大晦日の行事を行う)と答えた。同じ僧が、開先(かいせん)和尚に「1年の最終日にはどうしたらよいでしょう」と尋ねたところ、開先は「いままで通り春を迎えてもあいかわらず寒い」(正月を迎えても何も変わったことはない)と答えた。今夜、もし諸君のうちの誰かが永平(わたし)に、1年の最終日にはどうしたらよいでしょう、と問うものがあれば、わたしはそのものに答えよう。前方の村々は深い雪の中にあるが、昨夜梅の花が一枝咲いたぞ、と。寒い時候に長いあいだ立ってご苦労。(157~158頁)

■〔訳文〕禅人に示す 近来仏道修行するものは、本ものと贋(まが)いものを弁別せず、豆と麦とを区別せずに、仏法をきわめようとしているが、それでは仏法をきわめることがまことに困難なわけである。どうしてかというに、古者(法昌倚遇(ほうしょういぐう))は次のように言っている。「大地に雪いっぱい積もれば、春になっても依然として寒い。そのように悟りを得ても、雪が降れば寒いのは、悟らぬ前と同じである。だから、つまるところ、悟ることは易しいが、悟りの境涯を説くことはむずかしい」と。こういう誤りは、仏祖といえどもなお免れないところである。どうして免かれないかというと、悟ることは易しいが、悟りの境涯を説くことはむずかしいとか、悟りの境涯を説くことは易しいが、悟ることはむずかしいとか、そんなことをいう手合いの仏法の難易は、情識の上の難易を脱(まぬか)れないのだ。よくきくことではないか。ある僧が雲門に質問した。「樹が枯れ、葉が落ち尽くすとは、どういうことでしょう」。雲門は答えた。「秋風がその本性を現わすことだ」。この雲門の言葉を、仏照禅師はとりあげていうには、「さすがの雲門和尚も備えつけの品で、仏法を示す人情に堕した」と。しかし、この仏照禅師の拈提(ねんてい)は、病いのないのに薬を施す余計な口だしである。

釈尊がこの世に出られた理由は、すぐれた医者となることであった。釈尊は、衆生が深く苦海に沈んでいるのに憐んで慈悲の念を起こし、種々の方便をもって一大蔵経を説法されたが、これはみな衆生の病いに応じて薬を与えられたものであり、一切衆生に大安楽をもたらすために処方箋を書いて与えたものである。ところが、達磨が西来(せいらい)するにおよんで、その子孫はみな劇薬を用いるようになり、病人を一旦気絶させ、後に甦らせる手段を用いるようになった。なるほど、これは不老不死の妙薬のように、効き目は多いにちがいないが、正しい眼からみれば、立派な肉体にわざわざ傷をつけるようなものである。もし本当の手段から言えば、そうではない。処方箋も書かないし、脈もみないで、目でみただけ一目でわかり、臨機応変の処置をとるのである。よしんば相手が仏病祖病のような病いであっても、軽々しくひとにぎりで済ますようなことをしないで、そのもののすべての骨を換え腸を洗って、仏祖に対する執(とら)われを洗い流して、身も心も浄らかに爽やかにさせずにはおかないのである。従って、これ1つですべての病いを癒すのであり、あれこれの処方箋を必要としないのである。ただ釈迦老漢自身の病いは、諸人の病いとは異なり、全身が病いで、病いのもとはどこから起こったかわからないから、衆生の病いが癒らないかぎり癒しようがないのである。普灯都正(ふとうとしょう)はこのように種々の病いに処する作略をよくご存じであるから、よく眼をつけて看ていただきたい。もしこのへんのことをよく見究められれば、古の名医である扁鵲廬医(へんじゃくろい)も、すべて下座について仰ぎみるであろう。(163~164頁)

■〔訳文〕諸仏の大道は深く勝れて思議を超えたものであるから、仏道修行者はどうしてたやすく考えてよかろう。よくみるがよい、古人はいのちを捨て、国や妻子を捨て、これらをみること瓦や石ころ同然であったのである。そうして後、長い長いあいだ、独りで山林に住み、身心を枯木のようにして、始めて仏道と1つになったからこそ、山川を借りて仏法を示すことができたのである。このようであれば、どんなことでも仏法を示すに用いられないものはなく、どんなことでもいけないことはない。仏道に志すものは、このような古人のお手本に従わなければならない。

昔、ある僧が法眼(ほうがん)禅師に尋ねた。「古仏とはどういうものでしょう」。法眼は言った。「いまここにあるお前、それが古仏であることに何の疑いもないぞ」。僧がまた尋ねた。「ならば、Ⅰ日じゅうどのように行なったらよいでしょう」。法眼はいった。「一歩一歩、踏みしめよ」と。法眼はまた言っている。「出家人たるものは、そのときどきの時節に従うがよろしい。寒いときには寒がり、暑いときには暑がるのだ。仏の言われるように、『仏性ということを知りたいならば、時節因縁を観よ』とあるとおりだ。ただ、時節を守り、時節に従うだけだ」と。子細にこの言葉の意味を参究するがよい。時節に従い、時節を守るとはどういうことかというに、それは、ものの上において、ものでないないとみてはならない、かといって、ものであるとみてもならない。このようであれば、自分が古仏であることに何の疑いもなくなり、他の古仏と同じく住し、同じく行ずることは、2つの鏡が互いに照らし合うようなものである。

だからして、釈尊は言われた。「出家が村に托鉢するのは、ちょうど蜜蜂が花から蜜を吸うようなものである。ただ花の甘味だけをとって、花の色香を傷つけてはならぬ」と。どうして、この時節の教えに従わなくてよかろう。出家はⅠ日中、さまざまの縁に出会い、さまざままの境に出会うが、そのときただものの味のみとって、ものの色香を傷つけてはならない。君に言うが、さまざまの縁に出会い、さまざままの境に出会う、そのときこそ、釈尊の教える、ものの色香を傷つけてはならない、という時節である。このときを離れて、釈尊の教えがどこにあろう。そのことは、ほかでもない、あらゆるものごとが君のために証明してくれるところだ。山僧(わたし)がこのようにいうのも、事情やむを得ずしていうのである。了然(りょうねん)道者の仏道を志求する心の切実なことは、他のもののとうてい及ぶところではない。それゆえに筆をとっていささか書き示して参究の参考に供する次第である。よくよく努め励んでいただきたい。(167~169頁)

■〔訳文〕一体、坐禅するには静かな室でするのがよい。。飲食に節度を保ち、あらゆるかかわりあいを投げ捨て、すべての執(とら)われをやめて、善いの悪いの、正しいの間違っているのという判断をやめて、心があれこれと外へ動くのもやめ、あれこれと内へ動くはからいをやめるのである。その際、仏になろうとするめあてさえもってはいけないのであるから、どうして坐臥のすがたに執(とら)われることがあろう。

平常、坐禅すうところには、厚く坐褥(ざにく)を敷き、その上に坐蒲を用いるのである。これには、結跏趺坐と半跏趺坐の2通りの仕方がある。結跏趺坐というのは、まず右足を左の腿の上におき、左足を右の腿の上におくのである。半跏趺坐は、ただ左足で右の腿を押さえるだけである。ゆったりと着物をき、帯をしめて、きちんと整えるがよい。次に右手を左足の上におき、左の掌を右の掌の上において、両方の親指が向き合って互いにささえあうようにする。これがとりもなおさず、正身端坐することである。。前後左右どちらにも姿勢をくずしてはならない。それには、まずもって耳と肩とがまっすぐに、鼻と臍(ほぞ)とがまっすぐに対し合い、舌は上の腭(あざと)につけ、唇と歯とをつけ、目はかならず常に開いて、鼻息が微かに通うようにしなければならぬ。このようにして身相が整ったところで、一息にフーッと息を吐き出し、右と左に体をいちど揺って、山の動かぬように坐りこみ、思量分別を超えたところを思量するのである。思量分別を超えたところをどうして思量するかといえば、それは思量をなくすことではなくて、思量の1つ1つに思量を超えた智のはたらきを現わしていくことである。これが坐禅にとっていちばん大事な要訣である。

仏道の坐禅は禅定修行ではない。禅定修行は苦行であるが、仏道の坐禅は安楽の教えであり、禅定修行は悟りへ向かっての道であるが、仏道の坐禅は悟りを究め尽くした修証である。この坐禅の上に現われる絶対の境地は、いままで自分を縛っていたあらゆる分別の網の届かない世界である。それゆえに、もしこの境地を得れば、竜が水を得るように、虎ガ山によるように、人は人の」本来のあり方に落ちつくのであって、そこに正しい仏法がおのずから現われて、心が暗く沈んでいく動きや、明るく浮き上がる動きは、自然と消え失せてしまうのである。(176~177頁)

■〔訳文〕もし坐禅の床を起つときは、静かに身を動かし、ゆったりと起(た)ちなさい、いきなり荒々しく起ってはならない。よくよく観察するに、凡を超え聖を超えるすぐれたはたらき、また坐したまま死に、立ったまま死ぬという自由なはたらきは、すべて坐禅の力によるのである。そればかりではない、古人が旗竿を指し針をみせ鎚を下ろして学人を導くはたらきを挙げてみても、これらはすべて思慮分別で理解できることではない。どうして小乗の神通力や修行・証(さと)りの方法でわかることであろう。それは、眼や耳の感覚器官を超えた行ないである。どうして知識以前のはたらきでないことがあろう。であるからして、上根であるとか下根であるとかは問わず、利口であるとか愚鈍であるとかは択(えら)ばず、専心一意に坐禅しさえすれば、それが正しい修行である。この只管打坐は、修行や証(さと)りによって汚されない修行であり、その趣意とするところは何も変わったことのない当たり前の世界である。

一体、この娑婆世界であれ他土の世界であれ、インドであれ中国であれ、仏の正法(しょうぼう)を保持し、もっぱら仏道を宣揚するものは、ただ坐禅を務めて、山之動かないように不動の姿になりきったのである。人の機根には千人は千人、万人は万人、それぞれ相違があっても、ただ参禅弁道するがよい。どうして自分の坐禅の床を放り出して、やたらと他国の塵境をうろつくことがあろう。ここにおいて、もし一歩をふみ錯(あやま)れば、目の前の大道とすれちがうことになる。すでに受けがたい人間の大切な身を受けたものであるからには、虚しく月日を過ごしてはならない。仏道の大切ないのちを保任するものである以上、誰が石火のようにすぐ消え失せる楽しみに耽(ふ)けろう。そればかりではない、人の体は草に宿った露のようにはかないものであり、人の一生は稲妻のように瞬時のものである。あっという間に忽ちに空しくなり、すぐさま消え失せるものである。であれば、是非ともお願いしていことは、仏法を学ぶ立派な学人よ、彫竜(坐禅)を久しく習って、それが真竜(証リ)に出会う道であることを驚き怪しんではならない。ほんものをずばりと示す仏道に精進し、仏法を学び尽くして有為の世界を超えた真実の人を貴び、過去の仏仏が証してきた悟りにピタッと合致し、祖祖が伝えてきた坐禅を正しく受け継ぐ人になっていただきたい。久しくこのように精進すれば、かならずそのような人になるにちがいない。そのときは、仏の智慧はおのずから開かれ、これを受用することは思うままであろう。(180~181頁)

■〔訳文〕仏祖にとってもっとも大切なはたらき、仏の智慧は、思慮を超えて思量の世界に現われるものであり、対立を超えて対立せる物の世界に現われるものである。思慮を超えて思量の世界に現われるものであるから、その現われた思量は不思量と1つであり、対立を超えて対立せる物の世界に現われるものであるから、その現われた物は無対立と1つである。思量は不思量と1つであるから。その思量には何の汚れも留めないのであり、物は無対立と1つであるから、その物には何の対立も残さないのである。何の汚れも留めない思量であるからして、その思量はいくら思量しても思量の執(とら)われを脱(ぬ)け出ており、何の対立も残さない物であるからして、その対立はいくら物として現われても物の執われを超え出ているのである。この坐禅の境地を偈(うた)で示せば次のようである。

水はあくまで澄んで地の底にまですき透っている

その中を泳いでいる魚は、魚の動きが天地の動きで、魚の姿をとどめない

空はどこまでも広く天のはてにまですき透っている

その中を飛んでいる鳥は、鳥の動きが天地の動きで、鳥の姿をとどめない(183~184頁)

■〔訳文〕風をみ、草の根をかき分けても師をたずねて参禅すべきである。祖師が伝えた仏法は明明と明らか、その妙旨は言葉に伝えることはできぬ、山や河をいく千万里踏み破らなければならぬと恨んではならぬ、踏み破って、脚下の1つ1つが君のために仏法の幽玄な門を開いてくれよう。(192~193頁)

■〔訳文〕仏法の奥深い旨を言葉で説くのはすべてそれごと。口を槌(つち)のように、言葉を忘じ、黙々と独坐するがよい。とはいえ、仏法は説けないものと、はじめから固守し、孤絶を誇るべきものではない。あらゆるものが、それみずから仏法を発揮している。(193頁)

(2013年12月6日)

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『禅に聞け』澤木興道老師の言葉  櫛谷宗則編 大法輪閣

■泣き顔をヤメイ。ちっちゃな気で「オレはツマラヌ」と思い、「ヒトはエライ」と思うて泣き顔してコセコセして。――そせてちょっとツマルと調子づきやがって。(12頁)

■宗教をもって生きるとは自分で自分を反省し反省し、採点してゆくことである。(12頁)

■世の中はヒトやヨソモンを背景にして自分をエラク見せようとする。味ないものを、皿で味をもたすようなもんじゃ。

そんなことで世間では、人間を見失う。(13頁)

■宗教では連帯責任ということはない。私一人である。(13頁)

■凡夫は見物人がないとハリアイがなくなる、見物人さえあれば火の中にまで飛び込む。(13頁)

■ネズミが子供につかまえられて、ナブリモノにされ、コブチ(ネズミ取り)の中でバタバタ、バタバタ……――鼻はすりむけ、尻尾はちぎれ、それで最後に猫の鼻先につきつけられて、食われてしまう。

わしが、この場合ネズミならと思うことがあるな。「畜生、だれが人間の奴のナブリモノなんかになるもんか」と、コブチの中で坐禅してやるな。(14頁)

■よそ見なしが成仏である。よそ見がやんで、はじめて飯もだまって食える。(14頁)

■仏道とはよそ見せんこと。そのものにナリキルことである。これを三昧という。

飯を食うのはクソをするためではない。クソをするのはコヤシをつくるためではない。ところがこのごろは、学校へ行くのは上の学校へ行くため、上の学校へ行くのは就職するため、と思うている。(14頁)

■菩提心をおこすとは「よそ見をやめる」ことである。「坊主しよか、坊主やめよか。坊主しよか、坊主やめよか」――このよそ見がやんで「ただ正法眼蔵をもって重担となして随処に主宰とならん」(「大智禅師発願文」)とキマッタとき、菩提心をおこしたのである。(14~15頁)

■よそ見なしに、この肉体を仏道につかうのが、大尊貴生、露堂々(たいそんきせいろどうどう、この上なく尊く、行きつく所へ行きついて、はっきりしている)ということである。

仏とは「よそ見のやんだ人」である。(16頁)

■人間という奴は頭の早い奴で、化けものを見てはや腰ぬからかして、幻影を見ておびえておる。(17頁)

■クラガリを手探りでゆくことをやめろ。大手をふって歩ける所で歩け。「夜行を許さず。明に投じてゆくべし」(『景徳伝燈録』15・投子同章)――これが宗教の極則である。(17頁)

■すべきことをするのが最上安楽であるに決まっている。(63頁)

■一生涯、負け戦さして、逃げづめに逃げて、ついに逃げおおせない。――そんな負け戦さの生涯ではダメだ。(63頁)

■昼寝する身体で坐禅もできる。坐禅する身体で昼寝もするのである。(68頁)

■今晩泥棒しに行くためにメシ食うなら、「ドロボウめし」でありパンパンしに行くためにメシ食うなら「パンパンめし」だし、坐禅するためにメシを食うなら「仏道メシ」である。――いったいわれわれは何のためにメシ食うておるか。(68~69頁)

■安泰寺でフトン新調するのと、女郎屋のおやじがフトン新調するのとはワケが違う。女郎屋のおやじは人をつるませて金儲けするためなのだし、われわれの所では坐禅する人に風邪をひかせないためである。坐禅する人とは仏さまなのじゃから、つまり仏さまのフトンである。(69頁)

■坐禅するために食う。坐禅するために寝る。してみれば食うのも寝るのも坐禅することになる。(69頁)

■われわれの本尊は坐禅である。この本尊さまはわれわれ凡夫という一切衆生を、この生肉をヘシマゲテ坐禅させることによって救いとるのである。(69頁)

■坐禅するのは、生死から仏道へのキリカエじゃ。それで「一超直入如来地(いっちょうじきにゅうにゅらいち)」(『証道歌』)とも「坐禅は三界の法にあらず、仏祖の法なり」(『別本正法眼蔵』仏道)とも言う。(69~70頁)

■飢え死するつもりで坐禅しておればいい。「法輪転ずれば食輪転ず」などということをアテにしておるとワケが違う。法輪さえ転ずれば食輪などどうでもいいんじゃ。(72頁)

■とにかく俗情にイロメをつかったのは、みんな禅ではない。

仏法は。人間の考えの特用向きのことではないんじゃ。(72頁)

■安心(あんじん)があって念仏するから念仏である。安心があって坐禅するから坐禅である。

安心がのうてする念仏は念仏ではない。安心がのうてする坐禅は坐禅ではない。

飯を食うのも、ゆきつくところへゆきついた食事ををすればこそ仏行である。(74頁)

■わが宗では「坐禅」が本尊。

非思量が法身(ほっしん)。

「修せざれるにはあらわれず、証せざるにはうることなし」(『正法眼蔵』弁道話)が報身(ほうじん)。

「行も亦(また)禅、語黙動静体安然(ごもくどうじょうたいあんねん)」(『証道歌』)が応身(おうじん)。(74頁)

■「坐禅したら肚ができる」――そんな「肚」なんかどうでもいいというのがハラであり、坐禅である。(75頁)

■ハラをつくるとは、メイメイ持ちの小さな根性がなくなるこっちゃ。(75頁)

■仏教を簡単に言えば無我である。無我とはオノレなしということ。オノレがないから、宇宙いっぱいじゃ。宇宙いっぱいということを、諸法実相と言う。(76頁)

■求めたものは失われる。

求めざる豊かさ――回向返照(えこうへんしょう)、退歩してみれば、求めるものは何もない。逃げも追いもできぬものである。実相は不生不滅、不垢不浄、不増不減なのじゃから。(76頁)

■薬山和尚が坐禅しておった。師匠の石頭大師が、「汝、なにをしとるか」

「なんにもしておりません」

「なんにもしておらんのなら、遊んどるのか」

「遊んどるなら、遊んどるおいうことをしています。遊んどることもしておりません」

「汝、為さずという。この什ニ(なに、漢字変換できず)をかなさざる、という」

「千聖(せんしょう)もまた知らず」

――この薬山の坐禅を、石頭大師は、極力、讃嘆してござるが、まったく「千聖(せんしょう)もまた知らず」という坐禅こそは、途方もなく幽邃(ゆうすい)なものである。

今では速修料を払って、1週間ぐらい坐って、見性たらなんたらいう世界もあるそうじゃが、「千聖(せんしょう)もまた知らず」という薬山禅師の坐禅は、そんなものではないことは言うまでもない。

「千聖(せんしょう)もまた知らざるところ」に坐るのじゃから、――それが祗管打坐である。(77~78頁)

■宗門の坐禅は張り合いがない。「張り合いのいい」のが好きなのは凡夫の性である。

スポーツやパチンコ、競輪など、なんではやるか――勝った負けたで張り合いがいいからじゃ。(82頁)

■無量無辺というものが、この人間の欲に物足りたものであるはずがない。(82頁)

■尽十方ということが、凡夫の思いに物足りたものであるはずがない。(83頁)

■物足りぬ、坐禅を承当するだけである。

物足りぬ、坐禅を身をもって行ずるだけである。

物足りぬ、坐禅を身につけることである。(83頁)

■坐禅ににらまれ、坐禅に叱られ、坐禅に礙(さ)えられ(邪魔され)、坐禅に引きずられながら、泣き泣き暮らすということは、もっとも幸福なことではないか。(83頁)

■ 「坐禅をしている時には、なるほど成仏かもしれませんが、坐禅していない時には凡夫ですか」と言うてきた者がおる。

ではヌスットしている時にはヌスットだが、かれがヌスットしておらん時にはヌスットでないか。またこれからヌスットをしに行くために飯を食うておるのと、これから坐禅するために飯を食うておるのと、これ同じか、これ異か。――ヌスットいっぺんやっただけでも世の中は相手にせん。坐禅をいっぺんやっただけでも坐禅は永劫やったのである。(83頁)

■仏法が宇宙いっぱいなのは、無所得だからである。常精進も無所得なればこそ疲れないのである。(84頁)

■坐禅しておると、よう妄念がおこりますと言うてくる人があるが、妄念がおこるということがわかるのは、波風がおさまりノボセが下がったからである。(84頁)

■妄念を気にするのは、「凡夫」が気にするだけである。(87頁)

■グズグズ言うな。よそ見せんと、ただ坐れ。(87頁)

■「船子和尚、薬山にあること30年、ただこの事をあきらめ得たり」(『正法眼蔵三百則』上)――何をあきらめたか。――「オッと坐禅じゃ」ということをあきらめたのじゃ。(87頁)

■小乗とは自他の心をおこした所にある。小乗の解脱はつくりものである。(90頁)

■仏法のサトリと言えば時間空間いっぱい、天地いっぱいのものでなくてはならぬ。キンカンやホオズキみたいなサトリを1つ2つサトッテも屁でもない。(91頁)

■ええことすると、「ええことをした、した」とベッタリそれがひっつく。

サトレば「サトッタ、サトッタ」と、またこれがベッタリひっつく。

ええことしたり、サトッタりせんほうがええんじゃ。――サッパリしておらねばならぬ。足をおろしてはならぬ。(91頁)

■うっかりと立脚地をさだめてはならぬ。(91頁)

■修行がマチガッテおるのなら、悟りもマチガッテいることは言うまでもない。(92頁)

■非思量とは胸算用なし。(92頁)

■淨穢(じょうえ)という2つがあるなら、淨穢がケンカする。淨穢そのものを超えねばならぬ。(92頁)

■われわれが道を追うのではない。仏道からわれわれが追いかけられているのである。(93頁)

■学問したり、スポーツしたり、サトリだとか迷いだとか――坐禅までサトリのマラソン兢走して、手をつっこむつもりでやりおるから間違ってしまう。

いらいなぶり(もてあそび)なし――そのとき、宇宙とつづいた本来の面目がある。(93頁)

■道を求めると言うても、我見我欲が道を求めているのでは仕方ない。(93頁)

■もの足りようで追いかけるのではなく、いつどこでも「ゆきつくところにゆきついた」境涯が「非思量」である。(94頁)

■仏法は個人の解脱ではない。だから釈尊も「我与大地有情同時成道(われとだいちうじょうどうじじょうどう、山川草木悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」と言われる。

メイメイ持ちのサトリを得ようというのは仏法ではないんじゃ。(94~95頁)

■人間はサトリまでメイメイ持ちをほしがる。(95頁)

■仏法とは無我である。

我とは「メイメイ持ち」ということである。ところが坐禅してまで「メイメイ持ちのサトリ」をひらこうとするから間違う。

メイメイ持ちでないことが無我というんじゃ。(95頁)

■メイメイ持ちの自分だけが、サトリを得、安心を得たいと考えておる。――貴様ひとりのために仏法はあるんじゃないぞ。(95頁)

■うっかりするとメイメイ持ちのものが一番大切なものかと思う。そうして宇宙いっぱいのものを忘れてしまっている。(95頁)

■坐禅しながら仏になろうと思うのは、たとえば故郷に帰るのに、早く帰りたい帰りたいと、汽車に乗っていながら汽車の中でかけだしているようなもんじゃ。(96頁)

■坐禅のとき「作仏(さぶつ)をも図(はか)らぬ」というのが仏祖正伝の祗管打坐である。

それをもし、坐禅の外に、向こうに仏やサトリを置いて、これを追いかけるならば神我外道(じんがげどう)となる。仏を行ずるから「行仏」である。仏を向こうにみとめるなら、すべて神我外道である。(97頁)

■人間的要求を捨てなければ、身心脱落でないことはわかっとる。(100頁)

■仏法というものは不可得じゃ。ツカムものではなく、ハナツものじゃ。それをツカミながら地獄へ行くんじゃね。どうせツカンダッテ、馬糞みたいなものをつかんでおるだけじゃ。ナンゾにするのが流転輪廻のモトである。(100頁)

■仏法はいつでも不可得、無所得。――ところが「何かを求めうる」と思うので、いつの間にやら、マチガッテしまう。(100頁)

■仏道修行は迷いもなし、悟りもなし。――迷いと言うても悟りと言うても、人間沙汰である。悟りと迷いと分別するのじゃから、人間の沙汰なのである。見聞覚知はどこまでも見聞覚知であり、分別揀択はどこまでも分別揀択であって、仏法ではない。仏法は迷いを捨てて悟るのでない。逃げたり追うたりせぬのが坐禅である。(101頁)

■好肉上に「サトッタ」と入墨して歩いたらどうか。

胃を忘れているのが胃の健全なることである。サトリ、サトリと忘れられないのはサトッテおらぬ証拠じゃ。(102頁)

■厳陽(ごんよう)尊者(嗣趙州)、趙州に問う、「わたしは無になりきって何も持っておりませんが、どうですか」

州いわく、「そんなもの捨ててしまえ」

厳いわく、「何にも持っておらんのに何を捨てるのですか」

州いわく、「そんなに持っとらん持っとらんと言うのなら、背負ってけ」

(103頁)

■自分の本当の歸着点はいったい何か。――みんな道連れなし。まったく余人所不見(よにんしょふけん)――自分ギリの自分の行きつく所がなければならぬ。(105頁)

■「一生参学の大事ここにおわりぬ」ということは、仏道が実物となることじゃ。身についてくることじゃ。(105頁)

■祗管(しかん。ひたすら、ただ)ということが大切である。タダする。――何のためにする?――何のためでもない。何の駄賃もない。タダする。(106頁)

■サトリとは泥棒が空家に入ったようなものじゃ。入ってみたものの、盗る物がない。逃げなくともいい。追いかけてくる者もない。――だからはなはだモノタリナイ。(107頁)

■お釈迦さまはおれだけ悟ったとはおっしゃらぬ。有情非情同時成道なのだから。

ところがみんなは、そんな」連帯的サトリでは物足らぬ。個人もちの悟り、ご利益が好き。――つまり「我」が好きなのだ。。(107頁)

■サトリとは決して面倒な所へ行くのではない。当たりまえになることである。(108頁)

■アタリマエ――だから坐禅するよりほかなくなった。(108頁)

■智慧とは、行きつくところへ行ついた判断を、つねに持つことである。(112頁)

■人間で相場のつくようなものなら、相場が狂うに決まっている。相場の狂うものを有為法という、ツクリモノというこっちゃ。

仏とはツクリモノなし。(114頁)

■しずかに落ち着いてよく読んでみれば、マルクスもエンゲルスも「餌の分配」の話でしかない。(115頁)

■月ひとつでも、嬉しいつきもあれば悲しい月もあり、月見酒ということもある。――どれも人間の見る月は業識相応(ごつしきそうおう)の月であって、どれもこれも本当ではない。(117頁)

■新聞ひとつ見るのでも、みんな見る所は違うじゃろう。株式相場を真先に見る奴やら、スポーツ欄を真先に見る奴やら、小説を見るもの、政治欄を見るもの――みんなおのおの違う、人間の思いで見ればみなこのように違う。分別妄想すればみな違うのじゃ。

人間の分別妄想せぬ所ではじめて、万人共通の世界がある。人間の考えでないから、メイメイの見た所ではないからじゃ。

ところが人間という奴は、「考えに考えたうえ」マチガウ。(117頁)

■自分の今、見ている世界を真実じゃと思うておるから間違う。みんなおのおのの業感でながめているのでしかない。猫の見ているのと、わしが見るのとでは違う。便所に入ると、蝿の千分の一ぐらいの小ちゃな虫がおるが、あの虫はいったい何を考えているか。わしと同じじゃない。世界観も社会観も、あの虫とわしとでは違う。――そういう業感から見た見方をすべてやめてしまったところにこそ真実の世界がある。(118頁)

■われわれはウマイとかマズイとか好き嫌い、善い悪い――みんな2つあると思うている。それでは本当に2つあるのかと言うと、本当はそうではない。実物は1つである。そうしてしかも、この1つも空である。(119頁)

■宇宙にものは2つはない。

――それを好き嫌い、善悪、正不正と2つを見るのは、各々業感によって見るからである。それでみんな見る所によって異なるだけである。(119頁)

■われわれ、自主意識の幻覚の中の自分を自分と思うておるから間違う。

霊魂不滅等と、新興宗教はよう言うが、これも自主意識の幻覚の自己でしかない。

本当の自分は、諸仏衆生平等の自性、心仏及衆生是三無差別である。(133頁)

■めいめい持ちの心を自主意識という。(133頁)

■宇宙いっぱいのものを、即今即今、一切につくしてゆくことが三昧である。(146頁)

■仏法では1ギリの1はない。有ギリの有もない。無ギリの無もない。

仏法では一即一切、一切即一であり、有即是無、無即是有である。(146頁)

■だれやらが数学者に「1」というものがあるのかと聞いたら、じつは数学では「1」というものが「あることにして」それから先の話じゃげな。

仏教では「1」というものはない。「2は1によってあり。1もまた守ることなかれ」――一即一切、一切即一である。(146頁)

■どこでも天地いっぱい。いつでも永遠。(146頁)

■人生のすばらしい一刹那を、いつでも今ここに活動することが、仏道の「行」ということである。(146頁)

■安楽とは「よろこび」「たのしみ」「おちつき」であると面山和尚が言っておる。ゆきつく所へゆきついたのが安楽である。

「することをまっすぐにする」のが安楽であり、おちつきである。(147頁)

■すべてとりあわぬのが観無常である。(147頁)

■宗教として大切なことは、われわれ自身の生き方ということでなくてはならぬ。(168頁)

■人生観と関係のない宗教なんかペケだ。(168頁)

■ヨコのつながり、タテのつながり――こんなツナガリがあるのは、みんな仏法ではない。こんなつながりはもともと絶対としてあるものではない。それをあると思うてアテにするのが凡情じゃ。(中略)

人間はこんなタテ、ヨコのつながりで、泣いたり笑ったり怒ったり悲しんだり苦しんだりしておるばかりじゃ。流転とは、こんなヨコやタテの連絡をアテにし、今をおろそかにしてしまっている生活のこっちゃ。ヨコ、タテの連絡で「ありゃこりゃ」するところを書くのが文芸というもので――だから、そんなものがなんにもない道元禅師などは、小説のタネにはならぬ。

こんなヨコ、タテのつながりは、すべて世間というもので、――こんな「ヨコ、タテのつながりのない、今ぎり、ここぎり」が坐禅である。そして「ヨコ、タテのつながりなし」が諸法実相と決まっているのである。(169~170頁)

■この世の中では大きいか小さいか――めいめい勝手なモノサシで測って言うから大騒ぎとなる。仏教では大小広狭(こうきょう)無礙(むげ)自在という。――モノサシをもって大きい、小さいを言うのではない。(170頁)

■仏教は無量無辺、――それゆえ、もし無量無辺を度外視して仏教を知ろうとしたら全然ダメである。(170頁)

■ババンチ(婆んち)が「ありがたい」と言うのがおかしゅうてかなわん。なんぞ雀の涙ぐらいの効能功徳でもあると、すぐ「ありがたい」と言いおる。「ありがたい」というのが第一まちがいじゃ。自分を標準にして「ありがたい」と言うのじゃから。――仏をアテにして、なんぞウマイことしようと思うておる。(171頁)

■自分というものは自分をもちこたえてゆくことはできない。自分が自分を断念した時かえって宇宙とつづきの自分のみとなる。(176頁)

■メイメイ持ちがなくなったところを、諸法実相とも言い、悉有仏性とも言う。(176頁)

■尽十法界自己光明――

おれとは尽十法である。おれとは、がまぐちの中をセセッているような小さなものではない。(176頁)

■「この身は尽十法界なり」――ここまで自信をもっていないとシッポがでるぞ。ヤキモチやいたり調子づいたりシッポが出るぞ。(176~177頁)

■思うても思わいでも尽十法界である自己を信ずるのが信心というものである。この信心だけが、絶対くたびれることのない精進でもある。(177頁)

■仏道は自己の仏性を信ずることである。(177頁)

■われわれみずから、知っても知らいでも、仏性を持っている。つまり諸法実相をもっておる。(177頁)

■実相は始末がついている。

迷う張り合いがない。(177頁)

■ちっとも「ユガメラレテいない自分」、ちっとも「呆(ぼ)けさせられていない自分」を学ぶことが仏道というものである。(177頁)

■「無常を観ずることを菩提心と名づく」と『学道用心集』にはある。ところでまた「菩提とは、如実に自分を知る」ことじゃと、『大日経』には言うておる。つまり「無常を観ずる」ことが、何より「実のごとく自心を知る」ことじゃ。(178頁)

■無我とは、阿呆ということではない。宇宙いっぱいということである。(178頁)

■無我を裏返して言えば諸法実相である。(178頁)

■無我、無心と言うてもべつにボーッと意識がなくなるということではない。

無心とは必然に反抗せぬことである。つまり宇宙とのつづきに服従することだ。

宇宙とのつづきで働くことである。(178頁)

■われわれは自己でありながら宇宙いっぱいであり、宇宙いっぱいでありながら自己である。――唯有(ゆいう)一乗法、無二亦(やく)無三(『法華経』方便品)というのはそのことである。(179頁)

■1滴の水が大海に入り、1塵が大地に埋まる時、1滴の水はもはや大海であり、1塵はもはや大地である。(179頁)

■宗教の理念が最高潮までいった時、「天地いっぱいの自己」という仏教までゆくのである。(179頁)

■思想とは「すべて出来上がったうえでの話」でしかない。仏法とは「すべて出来上がる以前」のことである。(182頁)

■宗教は思想ではない。修行するものである。(182頁)

■宗教行とはモノつまり実物である。効能書ではない。(182頁)

■仏法をウスボンヤリさせてはならぬ。(182頁)

■ややもすると、仏法を、実物と関係のない缶詰めにして持っていようとする。(183頁)

■仏法は書物ではない。経蔵にいくらお経が積んであっても、人間がのうては何にもならぬ。人間と人間でなければならぬということは、「仏法が行である」ということだ。(183頁)

■概念の中身は時々刻々に変わる。固定したものは何もない。だから『般若心経』には、無眼耳鼻舌身意とあり、五蘊皆空とある。また見渡すかぎり一切のものは、1つとして同じものはない。どの人の顔も違うように一切別々じゃ。(183頁)

■色即是空、空即是色と――言葉で言えばすでに順序がつき、言うている間に片方がおくれる。実物は同時じゃ。実物とは行である。(183頁)

■実物さえあれば言葉は自由自在に表現できる。しかし言葉は実物ではない。言葉の中に実物があるなら、「火、火」と言うたら舌は火傷し、「酒、酒」と言うたら酔っぱらうじゃろうが、しかしそうはゆかんじゃないか。(183~184頁)

■平言葉で言えぬ奴は、学問がこなれておらぬからじゃ。(184頁)

■世界中の思想というが、凡夫と凡夫の考えの違いでしかない。どうせ「ともに是れ凡夫なるのみ」じゃ。(184頁)

■世間では「信心」というと、仏さんにオベッカ言うことぐらいに思うておる。――「ほかの者はどうなってもようございますが、私だけはどうぞ極楽の特等席へ」――そんなこと願うのは信心ではない。

「信」とは「澄淨」の義であり、「心」とは三界唯一心である。つまり三界唯一心の「心」に澄み浄くなること、「実のごとく自心をしる」ことが「信心』というものである。(188頁)

■信とは「澄み浄き」ということである。ノボセの下がったことである。それをノボセ上がることを信だと思って、一所懸命ノボセ上がろうとするが、なかなかノボセられぬ。そこでノボセタ真似している奴さえいる。(188~189頁)

■凡夫根性のコワバリをよくもみほぐすこと。信心とは「澄み浄き」ということで、そういう波風がしずまることである。(190頁)

■信心とは身体健全、商売繁盛、家運隆盛、子孫繁栄を願うことではない。信とは澄浄の義で、つまり言うたら、澄みきよく、濁りのやんだこと、ノボセの下がったことである。――正気になることじゃ。(190頁)

■メイメイ持ちの話ならナンデモナイ。宇宙いっぱいが問題である。メイメイ持ちなら、どんなサトリをひらこうがエラクなろうが、よいことをしようが、みんな迷いの一環である。南無とは「メイメイ持ちでないところに帰命(きみょう)」することである。(191頁)

■菩提心をおこすということは「自未得度先度他」(おのれいまだ度らざるさきに、他を度さんとねがうこと)であり、われと一切衆生と別々でないことである。(202頁)

■われのほかに神を見れば神我外道となる。神は我でなければならぬ。万物をつくった神がほかにあるなら仏法なはならぬ。(202頁)

■凡夫は業にひかれ、この業感からこの世を見、おたがい腐れ合うて生々世々(しょうじょうせせ)ひきつづく。これが流転輪廻である。

それで今この業のままで、この業を解脱するよりほかはない。この業感のメガネをはずしてみると、釈尊が成道のとき仰せられたように「大地有情同時成道、山川草木悉皆成仏」なのじゃ。

それゆえ釈尊のてまえひとりも迷ってはおらぬ。ところが衆生は自ら迷っていると思うている。そこを自覚させようというのが、釈尊の慈悲であり、仏の教えである。(203頁)

■凡夫はひがんでおるもんじゃから、やれ餓鬼だの、畜生だの、地獄だの――妙なクセがこびりついて、クセだけになってしまっておる。(203頁)

■成仏からこぼれてしまうようなスキマがないと知ることが一切知である。(204頁)

■阿弥陀も観音も薬師も文殊、普賢もみんなお釈迦さまの内容の表現である。(205頁)

■釈迦というものは、どういうものかと言うと、白紙というより、青空のように透明で、「一切衆生とベタ一面つづき」ということである。(205頁)

■十万億土とは「自分から自分への距離」である(205頁)

■仏法の根本精神は「個人もちなし」(無我)ということである。(222頁)

■無我とは放心していることではない。大乗の菩薩行とはウッカリしておらぬことだ。

小乗では阿呆がいいのだが、大乗は阿呆を修繕するこっちゃ。(222頁)

■世界中のあらゆる人から自分が見られて、どう思われるか――よく工夫しなくてはならぬ。金持から見たらどうか。貧乏人から見たらどうか。西洋人から見たらどうか。マルクス主義者から見たらどうか。ネール首相から見たらどうか。――あらゆる方角から見て、ハクの剥げないものを持っておらねばならぬ。(223頁)

■久遠の道でなければ真の納得はゆかぬ。久遠の道とは、「無所得の常精進」である。(223頁)

(2013年12月24日)

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-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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