岡野岬石の資料蔵

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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『伊豆の國』第二集 温泉 木蓮社

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■ 四月十七日 伊東温泉伊東屋。

晴、うららかだった。

茅ヶ崎まで歩く、汽車で熱海まで、そこからまた歩く、行程七里、疲れた。

富士はほんとうに尊い、私も富士見西行の姿になった。

熱海はさすがに温泉郷らしい賑やかさだった、伊東も観光祭。

今日の道は山も海も美しかったけれど自動車がうるさかった。

山の水をぞんぶんに飲んだ、おりおりすべったりころんだりした。

旅のおもしろさ、旅のさびしさ。

・松並木がなくなると富士をまともに

・とおく富士をおいて桜まんかい

四月十八日 滞在、休養、整理

伊豆はさすがに南国情緒だ、麦が穂に出て燕が飛びこうている。

○伊豆は生きるにも死ぬるにもよいところである。

○伊豆は至るところ花が咲いて湯が湧く、どこかに私にふさわしい寝床はないかな!

大地から湧きあがる湯は有難い。

同宿同行の話がなかなか興味深い、トギヤ老人、アメヤクズレ、ルンペン、ヘンロ、ツジウラウリ。……

焼酎ひっかけてぐっすり眠った。

・なみおとのさくらほろほろ

・春の夜の近目と老眼とこんがらがって

・伊豆はあたたかく死ぬるによろしい波音

・湯の町通りぬける春風

四月十九日 雨、予想した通り。

みんな篭城して四方山話、誰も一城のいや一畳の主だ、私も一隅に陣取って読んだり書いたりする。

午后ははれた、私は行乞をやめてそこらを見物して歩く、淨の池で悠々泳いでいる毒魚。

伊東はいわゆる湯町情調が濃厚で、私のようなものには向かない。

波音、夕焼、旅情切ないものがあった。

一杯ひっかける余裕はない、寝苦しい一夜だった。

(伊東町)

・おなごやの春もにぎやかな青木の実

・まいにち風ふくからたちの芽で

・はるばるときて伊豆の山なみ夕焼くる

・こうして生きていることが、草の芽が赤い

4月二十日 快晴、下田に出立する。

川奈ゴルフ場、一碧湖、富戸の俎板岩、光の村、等々を横目で眺めつつ通りすぎる、雑木山が美しい、天城連山が尊い、山うぐいすが有難い。

風、風、強い風が吹く、吹きまくられつつ歩く、さびしい、つかれる。

赤沢あたりから海岸の風景が殊によろしくなる。茫々たる海、峨々たる巌、熱川温泉に安宿があるというので下って行ったが断られた、稲取へ暮れて着いて宿をとってほっとした、行程八里強。

・芽ぶくより若葉する湯けむりおちこち

・山路あるけば山の鴉がきてはなく

四月二十一日 谷津温泉、 一郎居。

しずかな、わびしい宿だった、花屑がそこらいちめんに散りしいていた。

昨夜のルンペン君と別れる、今生ふたたび逢うことはなかろう。

今日も晴れて風が吹く。

今井浜は伊豆舞子とよばれるだけあって海浜がうつくしい。

行程三里弱、午前中に谷津の松木一郎君を訪ねる、一郎居は春風駘蕩だ、桜の花片が坐(ママ)敷へ散り込む。

メロン、トマトを御馳走になる、それは君の手作りだ、内湯の御馳走は何より。

・うらうら石仏もねむそうな

四月二十二日

雨、ふと目覚めて耳を疑った。

ここはほんとうにあたたかい、もう牡丹が咲いて、蚊が出てくる。

温泉は湧出量が豊富で高温である、雑木山の空へ噴き上げる湯煙の勢いよさ。

△  △  △

朝湯のあつさよろしさありがたさ。

朝酒とは勿体なし。

ほんとうではない、といって、うそでもない生活、それが私の現在だ。

△洗濯、身も心も内も外も。

△花菖蒲の輸出。

△栖足寺の甕(銘は祖母懐、作は藤四郎)

四月二十二日〔続〕花時風雨多、まったくその通りの雨風だった。

熱い湯を自分で加減して何度も入浴する、奥さんが呆れて笑われる。

湯、そして酒、ああ極楽々々。

午后だんだん晴れる、一郎君といっしょに下田に向かう。

山蕗が咲きほうけている、ふきのとうが伸びて咲いて、咲きおえているのである。

○伊豆の若葉はうつくしい。

白浜の色はほんとうにうつくしかった、砂の白さ、海のみどり。

太平洋をまえに、墓をうしろに、砂丘にあぐらをかいて持参の酒を飲んだ。

至るところに鉱山、小さい金鉱があった、それも伊豆らしいと思わせた。

下田近くなると、まず玉泉寺があった、維新史の第一頁を歩いているようだ。

浜崎の兎子居に草鞋をぬぐ、そして二三子と共に食卓を囲んで話しつづける。

酔うて書きなぐる、いつもの私のように。

そして一郎君と枕をならべて熟睡。

伊豆は、湯はよいけれど水はよろしくない、温泉地のどこでもそうであるように。

伊豆に多いのは旅宿の立看板と隧道と、そしてバス。

・この木もあの木もうつくしい若葉

・別れようとして水を腹いっぱい

△天草を干しひろげる

△来の宮神社の禁酒デー!

四月二十三日 曇、 うすら寒い。

朝早く、二人で散歩する、風が落ちて波音が耳につく、前はすぐ海だ。

牡丹の花ざかり、楓の若葉が赤い。

蛙が鳴く、頬白が囀ずる。

弁天島は特異な存在である、吉田松陰の故事はなつかしい。

九時すぎ、三人で下田へ、途中、一郎君とわかれる、一郎君いろいろありがとう。

稲生沢川を渡ればまさに下田港だ、港町情調ゆたかであろう、私は通りぬけて下賀茂温泉へ。

留置の手紙は二通ありがたかった。

雑木山がよい姿と色とを見せてくれる。

下賀茂は好きな温泉場である、雑木山につつまれて、のびやかな湯けむりがそこここから立ち昇る、そこここに散在している旅館もしずかでしんみりとしている。

その一軒の二階に案内された、さっそく驚くべき熱い強温泉だ、ぽかぽかあたたまってからまた酒だ、あまりご馳走はないけれどうまいうまい。

兎子君が専子君を同伴して紹介された、三人同伴で専子居へ落ちつく、兎子君は帰宅、私と専子君とはまた入浴して、そして来訪のSさんと飲みだした。

今夜も酔うて、しゃべって、書きなぐった、湯と酒とが無何有郷に連れていってくれた、ぐっすりねむれた。……

ノンキだね、ゼイタクだね、ホガらかだね、モッタイないね!

・波音強くして葱坊主

・道は若葉の中を鉱山へ

・きょうのみちはすみれたんぽぽさきつづいて

・すみれたんぽぽこどもらとたわむれる

△黒船襲来、異人上陸で、里人は牛を連れて山へ逃げたそうな。

△黒船祭の前日。

四月二十四日 晴、后曇。

早朝、川ぶちの共同湯にはいる、底から湧きあがってくる湯のうれしさ。

湯けむりが白く雑木若葉へひろがってゆく、まことに平和な風景。

七時のバスで出発、松崎へ急ぐ。

峠のんzがめはよかった、山またやま、木という木が芽ぶいて若葉してかがやく。

バスガールと運ちゃんちの会話、お客は私一人。

九時松崎着、海岸づたいに歩く。

昨夜、飲みすぎたので、さすがの私も弱っている、すべってころんで向脛をすりむいた。

遠足の小学生がうれしそうにおべんとうを持ってゆく、私の頭陀袋にも、一郎君から貰った般若湯が一壜ある。

田子からすみれ丸に乗って沼津へ。

今夜は土肥温泉に泊る筈だったがその予定を変更したしたのである、だいたい私の旅の予定なんかあるべきでない、ゆきあたりばったり、行きたいだけ行き、留まりたいところに留まればよいのである、山頭火でたらめ道中がよろしいのである。ふさわしいのである。

凪で気楽で嬉しい海上の三時間だった。

沼津に着いたのは五時、ようやく梅軒を探しあてて客となる。

夜は句会、桃の会の方々が集まって楽しく談笑句作した。

・明けてくる若葉から炭焼くけむり

・山のみどりを分けのぼるバスのうなりつつ

・鴉さわぐしこは墓地

・水平線がうつくしい腰掛がある

・山の青さ海の青さみんな甲板に

(田子浦)

・そこらに島をばらまいて春の海

△さよなら伊豆よ

やって来ましたぞ駿河

△伊豆めぐりで

東海岸は陸から海を

西海岸は海から陸を鑑賞した

(『其中日記』抄 種田山頭火より 俳人 昭和十一年春)

『伊豆の國』第二集 温泉 木蓮社(107頁~115頁)2008年1月12日

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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