岡野岬石の資料蔵

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山中湖村だより(2014年)

投稿日:2021-02-23 更新日:

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山中湖村だより(2014年)

 2014.1.09 【富士(87、88)】

今回の山中湖行は、4日から今日(9日)まで新年を過ごした。初詣は、山中浅間神社と山中諏訪神社(「富士(83)」を描いた明神山の山頂に奥宮がある)に参拝、両神社は国道を跨ぐ陸橋でつながっている。

5日は山中湖村の初仕事で、パノラマ台にM30号を持ち込む。大きなキャンバスなので風にあおられ、目と手の動きが中断されるので描きにくかったがなんとか描き切った。天気が良ければ、合せて持っていったもう1枚のキャンバスにも手を付けようと思っていたのだが、風もさることながら寒さで足の指先がジンジンしてきたので諦めた。

この「富士(87)」は、今年の11月の藤屋画廊の個展に出品しようとおもっているM80号の富士の画のための作品で、M80号のキャンバスの画面を想像し、それをM30号に縮小して描いてみた。しかし、実際に描いてみると眼前の1つの視角だけでは左右の風景が入らないので、富士山の向って左の裾野を入れた作品と、山中湖の右側を入れた作品の2点を用意すれば、柏のアトリエでも描けるだろう。雪舟の『天橋立図』はたぶん現場で描いたのだろうから、参考にして研究しようとおもう。

「富士(88)」はアトリエの近くで今回見つけたビューポイントなのだが、近景がイマイチなので今後点数が伸びるかどうか分からない。今回は、太陽が富士に隠れた直後の、シルエットになった富士を描いたが、近景を入れない夜明け前の紅富士は、家の裏の伐採地跡の紅富士と共に、ここでも描こうとおもう。

 2014.1.16 【富士(89)】

今週の山中湖行は、15日は曇りで予定していたパノラマ台には行かず、アトリエで御殿場から持ち越した作品に手を入れて1日過ごした。その日の夕方から晴れてきたので、今日(16日)は早朝の紅富士を描くため、東部調節池の堤の上にイーゼルを立てた。陽が昇ると気温はグングン上がるのだが夜明け前の寒さは半端でない。手足の指先はもちろんだが、呼吸も、首に巻いたフリース越しでなければ、直接大きく冷気を吸い込むと身体には当たりが強すぎる。かじかむ指先でイーゼルのセッティングや油壺や絵具のチューブの蓋開けに手こずってモタモタすると癇癪がおきてしまう。いつも絵具はパレットに出しておくのだが、それでも、足りなくなったり出している以外の色を出すときのチューブの固着したキャップを開けるため用に、墓参の時の線香に着火用の風防付きのバーナー形の使い捨てライターを持っていっているのだが、今日はなぜかそれが着火せず、現場で開けるのは諦めた。アトリエであらためてキャップを開けて色の手直しをしたのだが、こんな時自衛隊の野戦訓練ではどんなライターを使っているのだろうか、ネットで検索してみよう。ヒットしなければ、ジッポーのオイルライターを柏の東急ハンズで買えばいいや。

こうやって、過酷な条件下でも、ひとつひとつクリヤーして良い作品ができれば、一人現場で「ド~だ、ド~だ」という気になって気持イイもんだよ。文房堂のジュリアンボックスを担いで、家から直接現場に歩いて出る時に、キビしい条件下では、子供の時に父から教わって覚えた「勝ってくるぞと勇ましく~♪」という歌が思わず口をついてでてくる。

 2014.1.23 【富士(90)、山中湖風景(1)】

今週の山中湖行は、昨日(22日)朝食後パノラマ台で富士を右に寄せた視角の作品(F15号)と、富士山は画面には入らない大平山方向の山中湖の作品(P15号)の2点に手を付けた。1月9日に描きはじめたM30号の「富士(87)」とこの日の2点を組合わせて、現場に立てられない大作の富士の絵を柏のアトリエで描こうというモクロミだ。その場合にはディテールは写真を参考にするだろうが、写真を含めて、自分自身の描いた下絵的作品でも平面から平面への変換なので、裸眼の視線のアリバイがなく作品が図的(平面作品には絵と図がある。モチロン芸術作品を目指すなら図的になってはいけない)になるおそれがある。対象の「物感」と、私の「裸眼」の交換のアリバイを如何に大作に持続させるかが勝負所だろう。そう簡単に計画通りにはいかないだろうが、新たなハードルが立ちふさがっても、それを越える時点でまた新たな絵画上の発見があるので楽しみである。私は齢をとってもいつまでもネアカ(古い言葉でスビマセン)だネー。

 2014.1.30 【富士(91)】

今週の山中湖行は、昨日(29日)朝食後先週と同じパノラマ台で、駐車場から少し下った場所でイーゼルを立てた(『富士(91)』/F15号縦)。寒さ対策は万全にしていったが、この日は風もなく陽が射して気温がグングン上がり厚手のダウンジャケットのファスナーを開けないと汗ばむくらいだ。山頂の冠雪は、雪の降った後が一番美しく、暖かい晴天が続くと尾根筋の雪が融け、黒いシワ状の筋がでて、現場ではどうしてもそれを眼が追ってしまうのでディテールが煩雑になって描きにくい。富士の冠雪の白と枯れた茅原のライトオーカー、湖面のブルーの組合わせのある間に、あと何度かここに通うことになるだろう。描き終わって、少し周りを歩くと、この場所のすぐ下に松の木があり、近景に緑のパートが入るので、来週はそこにイーゼルを立てようとおもうが、狭いポイントなので、茅を少し刈らなければならないだろう。キャンバスはF20号を今朝張って用意した。今日、山中湖では雨だったが、富士山頂が雪だったら来週が楽しみだ。

 2014.2.05 【富士(92)】

今週の山中湖行は、予定では昨日(4日)朝食後パノラマ台に出かけようと思っていたのだが、3日の雪で道路が渋滞らしく、タクシーを呼んでもいつ迎えに行けるか予定が分からないとのことで諦め、近くの調整池のダムの上まで歩いて行きイーゼルを立てた。ここにイーゼルを立てるのはは3度目だが今回は昼間なので、誰かが通報したらしく、車で来た村役場の職員に下の道路から注意され、描き終わるまで30分を残して片付けるハメになってしまった。杓子定規で融通の利かない村役場の職員にはムカッときたが争わず、次回からはもう1ヶ所見付けておいた林の端にイーゼルを立てようとおもう。

以前の私なら、こういう時には怒りがなかなか治まらず、相手の言い分を論破して、自分の行動の正当性を主張していたのだが、最近は道元をはじめ、仏教関係の本にハマッているので、人との関係も争わず、「犀の角のようにただ独り歩め」を心掛けている。心掛けてはいるが、修行が浅いので、心は治まらない。まあ、それだけ気が若いということで我慢しよう。

 2014.2.27 【大雪】

今週の山中湖行は、行った日の午後雪かきをして、翌日(26日)は外に描きに行こうとおもっていたのだが、着いてみると予想をはるかに超えた雪の量で、雪かきで2日間つぶれてしまった。先週、行くのを断念したのだが、結果は正解で、借家にたどり着くのも大へんだが、たどり着いてもこんどは閉じ込められたかもしれない。

おまけに、冬、借家を数日使わないときは、水まわりの凍結防止のため、完全に水抜きをしてから家を出るのだが、外の水道管の凍結止めのヒーターのコードが、コンセントの上まで雪が積もってソケットからはずれ、お湯系統の配管と蛇口が凍結でパンクして使えず、絵を描くどころではなかった。さいわい、大家さんが近くに住んでいて、おまけに水道工事の会社をやっているので、翌日の午前中には全て直してもらったが、思い掛けないトラブルだった。ヒーターのコンセントが外れても、水抜きが完全ならば数カ所のパンクは起こらなかっただろうから、材料費の実費はこちらが持つことにした。

しかし、地元の人も見たことのない大雪の傷口を、あっという間に平常に戻してしまう日本人の世界観,人生観は素晴しく、外国人から見るとうらやましく不思議だろう。現在の都会では、ライフラインはトラブルがないのが当たりまえだが、重機もなく行政も救いの手を差しのべる力のない(村道はすべて除雪してあった)時代に、人力と共同体の助け合いでいつのまにか復旧していく歴史をもった(富士山の宝永火山のスコリアを人力で取り除き、農地を立て直す、等々)働き者の日本人のモラルの高さは驚くべきものだ。だって、地震、津波、毎年の台風、原爆を2度も落され、日本中の各都市を一般市民ごと爆撃空襲され、無政府状態の戦後でも、掠奪、暴動などの火事場泥棒的な行為を考えもしないで、黙々とやっつけ仕事をせずに働くんだよ。「フーテンの寅」のような人物や生き方をもてはやすようなかっての時代の風潮は、私の父親(実存主義から超越的実在論者に変わった私にも)には決して理解容認できなかったであろう。

 2014.3.07 【「富士(92)」を】

今週の山中湖行は、描きに出かける水曜日(5日)だけ雨で、これで3週連続外光で描けなかった。気温はともかく陽の光と角度はもう春で、おまけに、雪の反射で外はキラキラと輝き、そんな情景のなかで、描いている時のペインターズ ハイに、はやく浸りたい。まるで薬の切れかかったジャンキーだね、まったく。

ということで、5日はアトリエで「富士(92)」を仕上げた。この絵は2月4日にあと30分を残して、現場を離れざるを得なかった作品で、描き初めといい、仕上げるまでといい、外部状況のマイナスポイントが手の仕事量の少なさとなって、かえってやわらかな絵に仕上がった。今後の画に使えそうな技法も新たに気付き、次の作品から試してみようと思う。

 2014.3.13 【「富士(93)」】

今週の山中湖行は、昨日(12日)やっと4週間ぶりに外光の中にキャンバスを立てた。以前からねらっていた、松の木を入れて縦構図で富士を描くポイントは、先日来の積雪で入れず、やむなくすぐ横のカメラマンの踏み跡のイーゼルが立つギリギリの場所をやっと確保。F20号のキャンバスを用意していたのだが、この位置からだと松の木と山中湖を画面に入れるのが苦しいので、キャンバスを横位置に変更して描きはじめた。

この日は、風も穏やかな暖かい春の陽気で、富士も白く霞んでいる。雲に隠れず山容の全体が紗のかかったように霞む富士山を見るのは初めてで、うれしくなってしまった。長く外で描けなかったので、この数時間はまさに「干天の慈雨」であった。

この場所からもう少し左に寄れれば、縦構図で松の木の根元から、富士山と山中湖を入れた絵が描けそうなので、天気が良ければ来週にでもイーゼルを立てようとおもう。

 2014.3.27 【「富士(94)、(95)、(96)、(97)、(98)」】

 今週は、先週都合により行けなかったので、23日(日曜日)より今日(27日、木)まで山中湖に居た。日、月、火の三日間は快晴で、おまけに着いた日の午後から試しに6号のキャンバスを2点持って描きにいった、富士山の真上に太陽のある光景が、山頂の全面の雪の反射が美しくて、毎日1点、都合3点も描いてしまった(富士(95)、(96)、(98))。

山中湖はダイヤモンド富士が有名だが、太陽が後にあると前面の山は明度差がありすぎてシルエットになり、どうも不満だ。空や、太陽の方が主役になって前面の風景の物感が薄れるのだ。それを克服するアイデアを初日の午後、6号の縦構図で描いている時(「富士(95)」)に出遇い、おもいついた。実際の太陽と山塊の距離を画面上で縮めるのだ。これで、夕日や、山中湖では見えないが将来朝日が入った富士が描けるかもしれない。

翌日の24日は午前中自転車でロケハン、山中湖を1周した。途中、自転車を置いて山の上のホテルまで歩いて登り途中で1箇所、湖畔で2箇所、ビューポイントに出遇った。戻ってから、借家の裏の伐採地に太陽が山頂の真上にある時間に(午後3時ころ)イーゼルを立てる(「富士(96)」)。

25日は朝食後、前日見つけておいたホテル下のビューポイントにイーゼルを立て(「富士(97)」)、午後からキャンバスを張って調整池に描きに出かける(「富士(98)」)。こんなに頑張るのも、山頂の真上の太陽の光線に反射する、今年の厚い雪が消えないうちに描かなくてはもう2度と出遇えないおそれがあるからだ。チャンスの神様は後頭部はハゲている(ダ・ヴィンチの言葉)から、出遇った時に前髪を摑まないと後から追いかけても摑かまえ所がなくて逃がしてしまう。写真や資料から描くのと違って、イーゼル絵画は1点1点がこの世に2度と現成しない一期一会の幸運なのだから。​

 2014.4.03 【「富士(87)」】

 今週は、着いた日だけ冨士が見えたが、昨日は曇り、今日は雨。昨日は終日、今年の1月6日にパノラマ台で描いた「冨士(87)/M30号」に手を加え、ほぼ完成させた。明日、最後のチェックを入れて、近作横型のページにアップします。

写真は着いた日の夕方、裏の伐採地からの夕日の風景写真を載せます。将来、富士山の西側に引っ越しをして、朝日と富士山を同一画面に入れた風景を描こうとおもっているのだが、いくつかクリヤーすべきハードルがあるので、ここ山中湖の夕日でトレーニングしておかなければ。先週の、山頂の真上の太陽の絵はうまくいきそうなので、今度は、夕日あるいは夕焼けと富士山の絵にトライしようとおもう。

 2014.4.10 【「富士(99)」、(100)】

 今週は、着いた日の午後3時頃から5時頃まで調整池で日没前の冨士をM8号で2点描いた。この時間の富士山と陽の落ちる直前のイエローオレンジ色の空を組み合わせれば、冨士が真逆光によってシルエットになり、明暗の調子がつぶれてしまうのをふせげるのではないなるのではないかという仮説の実験検証である。

光源を画面の空間の最奥に入れると前にある物は全て逆光になるので、写真家はレフやフラッシュの光線を使って対象の光量不足を補うのだが、遠景の富士のようなモチーフは人工的な補助光線は使えない。さて、画家ならばどうするか……。

画の上で、このような命題が立ち上がると、ワクワクして嬉しくなる。「ゴルディアスの結び目」は解くのを諦めたり、結び目を切っては日本人の仏教的世界観に抵触する。どんなに解くのが困難でもひとつひとつ解いていくしかないし、また少しづつ結び目がほぐれていくことは大きな喜びである。こんな時、老いた私の脳のなかにもドーパミンがドバドバ出ていることだろうネ。

 2014.4.17 【イーゼル絵画は小休止】

 今週は、山中湖には出かけたが、イーゼル絵画は小休止。2012年7月12日に御殿場で『富士(1)』に著手して、2年間で100点の富士山の絵を描く仮の目標が、先週の4月8日の『富士(100)』でアッサリと、予定より早めにクリヤーしてしまった。『富士(100)』といっても、特別な絵ではなく、M8号の淡々としたなんでもない作品で、それが、イーゼル絵画の特徴なのだ。

イーゼル絵画でないピカソの『ゲルニカ』は勿論、イーゼル絵画の画家達も、セザンヌの『大水浴』、モネのオランジェリー美術館の睡蓮の大作群等、どんな巨匠といえども、自我を無にすることは至難の技で、現場を離れると自己のオファーが画面に出てしまう。

とはいっても、淡々とした歩みの途上で、100点の大台を超えたということは、自分の内では感慨がある。感慨はあるけれども、私がイーゼルを立てなければ世界のなかの「而今」の美しさは2度と再臨してくれないとおもうと、やはり出来るかぎり、万難を排して、現場でイーゼルを立てなければならない。来週は山中湖越しの富士のポイントに初めてイーゼルを立てようとおもう。

写真は今朝、御殿場駅構内で撮った窓と日射し。窓の外は箱根側の風景。

 2014.4.24 【富士(101)】

 今週は、昨日(23日)山中湖村平野(ひらの)の湖畔の岸辺にイーゼルを立てた。湖越しの富士は初めてだが前景が水だと描きやすい。P12号とM15号のキャンバスを持っていってまずP12号で描いたのだが、最前景の岸辺が入らず、来週はF12号で描いてみようとおもう。

しかし、アトリエに持ち帰り現場の絵に手を入れているとき、いいアイデアが浮んだ。視線を下に下げて岸辺を描くのではなくて、視線を上に上げて太陽を入れたらどうだろうか。そして、富士の真上の太陽と、山頂の冠雪の光る富士山、湖面が太陽の反射でキラキラ輝く山中湖をMサイズの大作を縦構図で、組み上げたらどうだろうかというものだ。

ということで、来週は、太陽が富士山の真上に来るだろう午後3時頃から、現地でイーゼルを立てようとおもう。

 2014.5.01 【富士桜(別名豆桜)】

 今週は、昨日が大雨で終日アトリエで途中の絵に手を入れて過した。一日中描いたので、3月12日に描きはじめた『富士(93)』が完成したので、明日最新作にアップします。

写真は2階のアトリエの窓から写した借家の敷地内の富士桜。富士桜は御殿場の清宏園でも見たし、東伊豆の山中でも見たが、このあたりの富士桜は、今年が特別かもしれないが、花付きが良い。この桜の大木は見たことがなく、庭の桜は私の見た内では大きい方の部類だ。まだ、冬枯れ色の木立のなか、雨の中を下向きに、ピンクのガクで白い小さな花を咲かせる風情(ふぜい)は、老年に入った男の琴線をくすぐる。

モネのように、自分で庭を造り、それを描いて過せれば理想的だが、日本の場合、風景に恵まれているので、ちょっとイーゼルを外に持ち出すだけでモチーフは溢れている。こういう心奥の揺れを忘れないで持ち続けていれば、富士桜を描く機会と情景に、何時かは遭遇するだろう。

 2014.5.09 【富士(102)】

 今週の山中湖行は7日(水)に柏を出て、今日(9日、金)帰った。昨日は、午後3時頃『富士(101)』と同じ場所にイーゼルを立てたのだが、太陽はすでに山頂の真上を通り越して富士山の右側に移っていた。季節によって、太陽の軌跡が違うので、私の予想の時間が違っていた。それも仕方がないし、当日の絵はそもそも太陽は画面に入れるつもりはなかったので、かまわずF12号のキャンバスで描き始める。高曇りのモノクロームの空、おまけに逆光なので固有色がとんでしまうが、イーゼル画の強み、絵造りを考えないで見えたとおりにガシガシ描いていく。風が強くキャンバスがあおられて描きにくかったが、風のせいで湖水が波立ち、おあつらいむきに太陽の光が反射してキラキラ輝く。水面と太陽の位置の関係ばかりでなく、波の形でも光りかたが変わるだろうから、当日の湖面の光を裸眼で見られたことは幸運だった。さて、肝心のこの絵はどんな作品に仕上がっていくのだろう。

 2014.5.15 【富士(103)】

 今週の山中湖行は、昨日(5月14日)先週『富士(102)』を描いた同じ場所(4月24日の『富士(101)』も)にイーゼルを立てた。晴れて、湖面が太陽の日射しでキラキラ反射する情景を狙っていたのだが、先週と同じく高曇りの空で、湖面は光らない。この日も先週と同じく風が強く、おまけに、この場所は吹きさらしなので、描いているあいだじゅう、パレットでイーゼルを押え付けながら描画を乗り切り、風の強い時の、描画の仕方を学習した。

モチーフの条件はベストではないが、イーゼル画ではあくまで絵作りはしない(自己のオファーは入れない)というのが、今の私の描画の「縛り(決まり)」で、見えるがママを裸眼で追っていく。太陽には日暈(ひがさ、にちうん)がかかり、これも描写する。日暈にはかすかに虹色がついているが、色の順序は、後でパソコンで検索して確認すればいいや。

太陽を画面に入れるために、M15号を縦に使って描いたのだが、そのぶん遠景が見た目のナチュラルな大きさより、小さくなるために、物感が稀薄になってしまうのに途中で気付く。気付いても、その場ではどうすることもできない。今後、この絵を描き進める過程でいろんな視覚の問題が分かってくるだろうから、だから、画家にとってイーゼル画は死ぬまでやめられない。

 2014.5.22 【富士(104、105)】

 今週の山中湖行は、月曜日(19日)から今日(22日、木曜日)まで山中湖村で過した。移動日以外はできるだけ外で描きたいのだが、昨日は雨、結局20日(火)に最近毎週通っている平野(ひらの)の湖畔にイーゼルを立て、「富士(104)」P12号と「富士(105)」F12号に手を付けた。当日は、いつもの場所で自衛隊の訓練生の水上訓練を行なっていて、その邪魔をしないように、小川の端にイーゼルを立てた。すぐ横で一心不乱で描いていて視線はそちらには向けなかったが、訓練の様子は素晴しく頼もしく、そして画家にとっても参考になる点が多々あった。

例えば実際の戦闘や震災救助活動で、それを為すために、それ以前の段取りにどれほど多くのスキルを身につけなければならないか、そしてそのスキルなしにはいくら戦闘能力があっても、現場に立つ前に味方の足手まといになってしまうかが分かる。(一例、5人乗りのゴムボートが転覆し全員が水に投げ出された場合、ボートをチームワークで復元し、5人全員をボートに引き上げる教練)

昔、私が中学生だったころ、当時テレビで『人間の条件』(五味川純平原作)という長編の連続戦争ドラマをやっていた。主人公の梶(加藤剛)に対して、私の父と戦後の若い先生達の意見が違うのだ。父の意見は「こんな奴とは、上司でも部下でも同僚でも、一緒に仕事をしたくない」というものだった。

 2014.5.29 【富士(106)】

 今週の山中湖行は、先週と同じく月曜日(26日)から今日(29日、木曜日)まで山中湖村で過した。その間、描いたのは『富士(106)』、F8号1点のみ。天気も良く、実はあと2、3点描くつもりで用意していたのだが、御殿場での富士と同じく、晴れて陽が上ると広大な裾野が暖められ、その上昇気流で雲がわき上がり山頂を隠してしまう。これからは早朝の一時が勝負で、来週からは朝食前にイーゼルを立てる予定で現場にのぞもうとおもう。

『富士(106)』は27日(火)の朝食後、いつもの調節池。木々は全て新緑に変わり、冬は常緑樹で目立っていたモミや松も、緑の中にのみ込まれてしまっている。昨年(御殿場)より格段に多い冠雪も稜線の雪融けが目立つ。1点描き終わる頃には、写真のように山頂は雲に隠れてしまった。

カッコーやホトトギスの鳴き声も聞こえる(真夜中の午前1~2時頃ホトトギスの鳴き声を聞いた。いったいそんな時間に何をしているのだろう)。両鳥共托卵をするので、他の野鳥も今は巣作りの季節。樹間からセミらしき声も聞こえるがあれがハルゼミなのだろうか。

一見不動の富士山も、イーゼル絵画では2度と同じ絵は描けない。まさに「青山常運歩」(『正法眼蔵』(山水経))である。

 2014.6.09 【梅雨入りで】

 今週の山中湖行は、4日(木)から8日(日)まで山中湖で過した。行き帰りの移動日だけ曇りで、あとは大雨に降りこめられる。3日間家に閉じこめられたおかげで、溜まっていた山中湖村で手を付けた作品が、残り2点まで消化できた。

柏でも、買い物以外はアトリエに閉じこもって画を描いているので何も辛くはないが、山中湖に来て1度も外にイーゼルを立てられないのはやはり不満が残る。そのせいなのか、山中湖のアトリエの窓からの風景に、2箇所いいアングルを見付けた。近々にその作品もアップできるだろう。

とにかくイーゼル絵画は、私の身心の浄化に役立っていることは間違いない。

写真は、窓からの風景のひとつ。写真では分かりにくいが、肉眼では富士の山頂の一部がしっかりと見えている。

 2014.6.14 【山中湖村風景(2)、富士(107)】

 今週の山中湖行は、11日(水)から14日(土)まで山中湖で過した。昨日(13日、金)、今日(14日、土)やっと晴れ、今日は移動日なので、昨日久しぶりに朝4時半起きで2点手を付ける。1点はS8号で2階の窓から朝日をいれた前の家の木立(カラマツとニレ?)を、7時頃それを終えるとすぐにいつもの調節池にF20号でイーゼルを立てた。9時過ぎに富士(107)を描き終えるころには、やはり山麓からあやしい雲が出始め、その後はⅠ日中周りは晴れているのに山頂を隠す。これから富士を描くには朝食前の9時までが限度かな。

山頂の雪融けで冠雪も融け上がり、稜線も太くなって、土色系統から緑一色に移った山麓の色の変化共々、同じ場所で同じ対象を描いているとはとてもおもえない。世界は、過去、現在、未来と流れているのではなく、今→今→今→今と、切れ目なく現成(げんじょう)していることを実感する。2010年以降、イーゼル絵画と道元に出合って本当によかった。

 2014.6.19 【富士(108)】

 今週の山中湖行は、17日(火)から19日(木)まで山中湖で過した。昨日(水)は朝から曇りで富士は姿を見せず、今日(木)の早朝(6時頃)近くの『ニュー山中湖ホテル』の跡地にイーゼルを立てた。

この場所で描くのは初めてで、アトリエから歩いて来れる距離でもあり、これから何点か描くことになるだろうが、まず手始めにP10号で描いてみた。手前が草原(くさはら)だと視界がひらけて描きやすいが、草原(くさはら)の部分は、どこでも、うまく描写しないとゴルフ場の風景のようになってしまうおそれがある。

立ち位置の背後は、湖畔の国道に平行する昔のメイン道路の馬車道で、早朝でも車の行き来はあるが、敷地内の目立たなく、小高い絶好のポイントがあった。少々目立ってもこの歳になると一向にかまわないが、人の視線を気にせずに、たった一人で対象に対峙できる場所の方がより良いにきまっている。

今日も、「求めよ、さらば与えられん」でした。

 2014.6.27 【興聖寺(こうしょうじ)と智積院に】

 今週の山中湖行はお休み。京都宇治の、道元が宋から帰って入越前に開創した興聖寺(注;今の興聖寺と違っていた)と、かってほぼ50年前芸大の古美術研究旅行で行った智積院で、長谷川等伯、久蔵父子の障壁画を観てきた。

智積院の『桜図』を描いた翌年、若くして急逝(26歳)した長谷川久蔵の作品を私が知っているのはこの1点のみで、印象に残っている画である。かって観た時は、庭園の前の部屋に直接展示してあったが、今は保存の関係で展示室に展覧、ラクガンのように胡粉で厚く盛り上げて描かれていた八重桜の花は、すべて剥落していた。

もちろん、障壁画はイーゼル絵画ではない。様式的に対象をとらえ、装飾的に表わす。でも作品から物感は色濃く漂う。その秘密の1つは画面を構成する雲型だろうが、その他研究の余地はある。芸術は奥が深い。いや、道元の世界観(全元論)を知ると、芸術(芸術だけではなくて全ての物や事にも)には底がない。

写真は『桜図』をネットで落としたものと、私が写した、興聖寺の下を流れる宇治川の上流の朝6時頃の写真。

 2014.7.03 【富士(109)、富士(110)】

 今週の山中湖行は、Ⅰ日(火)から今日(3日、木)までいた。梅雨はまだ明けず、着いた日も、翌日も富士は顔を出さず、今朝の早朝のワンチャンスを綱渡りのようにモノにした。

着いた日にM15号のキャンバスを2枚張って、予定していた6月19日に描いた(「富士-108」)「ホテルニュー山中湖」の跡地にイーゼルを立てる。アトリエの窓から5時半頃に、薄曇りながら富士が見えることを確認して出たのだが、そして現場に着いた時まで見えていたのだが、キャンバスをセッティングしている時にうすい雲に隠れる。朝もやのような雲なので、晴れていれば待てば消えるだろうけれど、今日のように梅雨空ではどうなるか予想もつかないので、このまま描かないで帰ることを含めてしばらく逡巡した。

しかし、富士が画面に入らなくても、その時には〈富士山麓風景〉として絵を描けばいいや、と決断、…「富士(101)」の写真まで描いたところで富士が顔を出す。モネは「積み藁」の連作を描く時には、何枚もキャンバスを用意して、光が変わるごとにキャンバスを替えた、その事を知っているので、すぐにもう1枚のキャンバスに替えて「富士(109)」を描く。それを描き終えてから、「富士(110)」の、途中までだったキャンバスをうめた。その時には、左上に富士の一部の山裾が画面に入ったので、この作品も、「富士」の通し番号の題名にする。

帰り道ではすでに富士は隠れ、結局その後1日中顔を見せず、いちだんと雪融けが進んだ山頂の姿も含め、一期一会のワンチャンスチャンスに立ち会って掴まえたと言うことになるだろう。天はキマエよくじゃぶじゃぶ恩寵をふりまいているが、その恩寵の有り難さは、日常生活に頽落していたのでは気付かない。「求めよさらば与えられん、探せよさらば見出さん、叩けよさらば開かれん」である。

 2014.7.09 【富士(111)、富士(112)】

 今週の山中湖行は、8日(火)から今日(10日、木)までいた。9日(水)久しぶりにパノラマ台でイーゼルを立てた(「富士(111)」)。今は緑一色で、枯れ色の中でポイントになった松の木の緑も埋没している。冠雪もすすみ先週までは尾根筋の黒い線だったのが、今週は谷筋の白い線になっている。画では、描き始めの白は、キャンバスの白を残して周りの暗い色で描いていくので、この時期の富士の山頂はちょっと面倒だ。おまけに、当日は最初に山頂の形をとったところで、薄い雲に隠れてしまった。さらに、デジカメも忘れてきたので、写真も撮れない。載せた写真の状態で描くのをやめ、アトリエに一旦戻る。天気がよければ翌日(今日)か、来週描けばいいやと思っていたら、朝食後雲が切れたので、いつもの調整池に山頂を中心にした絵(「富士(112」)を描きにでかける。見る方向もパノラマ台とほとんど変わらないので、アトリエで「富士(111)」の山頂部分を今描いてきた「富士(112)」を見ながら絵具をうめた。台風も近づいて、変わりやすい天気ながら、今回もワンチャンスをモノにしたのだ(ドーダ!)。

 2014.7.17 【富士(113)、富士(114)】

 今週の山中湖行は、15日(火)から今日(17日、木)までいた。16日(水)は先週に引き続いてパノラマ台に行く(富士113、S20号)。朝、来る前にアトリエで気付いていた残月が丁度画面に入る位置に下りてくる。スッキリと晴れた空でないと残月は目立たない、当日はおあつらえむきだったので、当然画面に入れる。翌日(今日、17日、木)早朝、調節池で、やはり残月を画面に入れた富士を描く(富士114、F8号)。

去年、御殿場で見たような夜明け前の満月を、ここでも見たいものだ。うまく山頂の真上にあればベストなのだが、さてどうなるか。今後、山中湖に行く前は月齢をパソコンでチェックを忘れないようにしなくては。

 2014.7.24 【富士(115)】

 今週の山中湖行は、22日(火)から今日(24日、木)までいた。23日(水)は先週に引き続いてパノラマ台に行く(富士115、S15号)。ここは、左下の赤松の幹が近景の変化をつけるのでお気に入りのポイント。このポイントの下に近景の木が大きく入る場所があるので、来週描いてみようとおもう。

今年の冬は雪でイーゼルを立てる場所に苦労をしたが、夏は草薮で苦労をする。パノラマ台では大人の身長より高く伸びる茅が視界をさえぎるので道路沿いの数カ所しかイーゼルが立てられない。この場所でもそうだが、来週もいつもお気にいりのウエストバッグ(御殿場の『樹空の森』の売店で買った自衛隊の迷彩柄のバッグ)に入れてある剪定バサミの出番だろう。

写真では、描き終える頃(9時頃)にはやはり山頂は雲で隠れてしまった。

 2014.7.31 【富士(116)、(117)】

 今週の山中湖行は、29日(火)から今日(31日、木)までいた。30日(水)は先週に引き続いてパノラマ台に行く。先週、目星をつけていたポイントで〈富士(116、F12号)〉を描く。この場所はイーゼルを立てるポイントが、Ⅰ点しかないがちょうど鹿の獣道がV字型に茅を分けて視界が開け、かろうじて木立と富士が画面に入った。描き終わってから、視界を邪魔する左手前の茅を、来週の画のために少し刈っておいた。この場所は初めてで、冬は除雪の雪でイーゼルが立てられなかったが、今後何度か通うことになるだろう。

翌日(今日、31日)は、、2階のアトリエの窓から庭の楡の木の緑陰を描こうとおもって準備をしたのだが、早朝の斜光が予想通りに木の幹にあたらず、思い直して木立ちの上に山頂を少し覗かせる富士山をF4号の小品に描く。窓をいっぱいに開け、体を窓枠に押しつけるようにすると描画の視界は保たれるのだが、右端の一部は覗き込まなければならない。イーゼル画のスキルを身体が覚え、手と眼が同時に動く、西田哲学のいう「行為的直感」で筆が動くようになると、覗いた眼と、それを一旦記憶して描かねばならない、手の動きのズレがどうにもイライラする。それにはマチスのように窓枠も画面に入れれば解決するのだが、今はまだイーゼル画としてどうすべきかの理論的解決はついていない。でもやはり、窓枠は画面にはジャマなので今は描きません。

こんなことも「事件は現場で起こる」のが、そして「事件は現場で起こり続ける」のがイーゼル絵画の醍醐味なのだ。

 2014.8.08 【野の花、山上の湖、富士(118)】

 今週の山中湖行は、5日(火)から今日(8日、金)までいた。6日は晴れていたのだが、朝富士山が雲に隠れていたので、滞っている絵に手を入れ、午後は山中湖では初めての花の絵を2点サムホールで手をつけた。描いていて、目線の高さが東伊豆で描いた花の絵と違い、どうも描きにくい。椅子の下に、高さを調節する台を置かなければと思ったが、かまわず描き進めた。描き終わって、伊豆(東伊豆のアトリエは畳の部屋だった)のように床に坐って描けばいいのだと気付き、歳のせいなのか、頭の固さを反省する。

7日朝は、雲が多いが、天気予報の晴れを信じ、また、山頂が見えるのをアトリエで確認したので、30号のMとPを用意してパノラマ台に向った。現地に着いたら富士山は雲の中、それならばと、それはそれで、近景を大きくとって『山上の湖』の絵を描く。

8日(今日)の朝は、曇り空だが富士山の姿は見えていたので、家の裏の伐採地に出かける。F6号で描いていたのだが、あと30分位のところで小雨がパラつき途中でイーゼルをたたんだ。来週、もう一度イーゼルを立てて、残したところをうめよう。

 2014.8.14 【富士(119)、野の花】

 今週の山中湖行は、12日(火)から今日(14日、木)までいた。13日はパノラマ台、晴れているのだが山頂は雲に隠れている。だが、かっての明神山の山頂の時のように、雲が切れることを信じて、また画面に入る位置を予想して描いていると、一瞬予想した位置と大きさで姿を現わした。描くのが精一杯で、ディテールの忘備録代わりの写真を撮る余裕もなかった。

午後からは、先週、雨が降ってきたために途中で終った富士(118)を、裏の伐採地で描き進めた。その時に咲いていた名前を知らない野の花を切って帰り、今日(14日)の午前中にP6号で描く。初めて使うオレンジ色のガラスの花瓶が花や周りの色とハモって、明るく美しい。美しいモチーフの前にイーゼルを立てれば、造形や絵創りが入る余地がない。ただ無私になって描写するだけである。

 2014.8.21 【富士(120)】

 今週の山中湖行は、19日(火)から今日(21日、木)までいた。20日は朝5時頃目が覚め、東に朝焼けの雲が見えたので、赤富士が見えるかもしれないと調節池に急いで行って6時にセットしたのだが、陽は上り間に合わなかった。御殿場で経験したように、日の出前の30分が勝負で初冠雪まで(山頂が冠雪すると赤富ではなく紅富士になる。これは描きました)何度かトライしてみよう。御殿場では用意していなかったが、山頂に光が当たる前の、薄暗いなかでの、セッティングや構図の当たりをつけるためのキャップライトは、すでに買ってある。

それでも、赤富士のような特別な条件の富士でなくても、富士はいつも美しく、至福の時を過した。溜まった絵を描いたり、花を描いたりと、やることはキリなくあるが、山中湖村に来て、1度外でイーゼルを立て、美しい光と空間のなかで主客合一の時間をもてれば、身心脱落の境地を味わえる。タマリマセン…!

帰って、描いた絵に手を入れ、午後、御殿場のホームセンターで買って来て移植した花に水をやったが、一隅にツリガネニンジンが咲いている。私は移植した花にだけしか水をやらないが、天は気前がいいねえ。世界全部にもれなく、差別なく、タダでジャブジャブ恩惠をふりまく。そして、ディテールまで完ぺきに秩序だっていて美しい。そんな天の恩惠を、ヌクヌクと、衣装もポーズもすべてオマカセで、モデル代も税金も払わず、タダで、こちらの都合で絵が描けるんだよ。ありがたくて、タマリマセン…!

 2014.8.28 【富士(108)、富士(111)】

 今週の山中湖行は、26日(火)から今日(28日、木)までいた。今回は天気が悪く、アトリエから外に、一歩も出られなかった。こういう時もないと、絵が滞まる一方なので、負け惜しみでなく、ホッとする一面もある。山中湖のアトリエでやることは山ほどあるのだから、以前の旅行中の取材中、雨で旅館やホテルに閉じ込められ、やることがなく時間がつぶせない苦しさに比べれば、雲泥の差だ。別荘を借りてアトリエに使うのは、チョッと贅沢だが、ちゃんとモトはとっている。

というわけで『富士(108)』、『富士(111)』をほぼ完成させた。近日中に最新作でアップします。

『富士(108)』は6月19日、『富士(111)』は、7月9日にイーゼルを立てたのだが、2010年に東伊豆でイーゼル画を始めた頃に比べて、途中の道に迷って同じ地点をグルグル廻る時間と労力の無駄が無くなってきたので、時間も技術も停滞なくスムースに完成に向っている。これは、画面が、こうすればああなるという経験則と、その記憶力の蓄積のお蔭だ。禅の「祗管打坐(しかんたざ)」と同じで、画家のイーゼル絵画の効用は、絶大であり必須である。

道元は言っている、「専心修行せよ」と、セザンヌは言っている、「タンペラマン!、タンペラマン!」と。

 2014.9.04 【富士山麓風景(20)、野の花(F6号)、野の花(P4号)】

 今週の山中湖行は、2日(火)から今日(4日、木)までいた。着いた日の2日(火)が晴れていたので夜のうちに準備をしておき、翌日(3日、水)夜明け前の5時頃、調節池に立ったのだけれど、現場は朝もやの中。朝もやは、陽が昇れば消えるだろうが、御殿場ではわざわざ霧の風景をねらって描きに行ったのだから、サッさと予定を変更して、以前から目を付けていた池の近くの小径(こみち)に場所を移して、F12号のキャンバスに手を付けた。なんでもない風景なのだが、道が上(のぼ)っているので、描きやすい。これで、調節池まできて富士が見えなくても、イーゼルを立てる代わりの場所があるので、空振りの心配がなくなった。

その日の午後、散歩がてら、一の橋通りの道端の野草を切ってきて、今日(4日)午前中、小品2点に手を付ける。野の花は園芸種の花とは別種の美しさがあって、この美しさを認識する感受性は、仏教的世界観、自然観をもつ日本人の独壇場で、こんな野の花のモチーフは日本人のイーゼル画家にしか描けないだろう。

イーゼル画家の標語。『自分がやらなきゃ誰がやる。今やらなきゃ何時やる』

道元が天童山で修行しているとき、典座の職に慶元府出身の某用という僧がいた。典座とは一山の衆僧のために食事を管する役目である。

夏の日に、法会(ほうえ)が終って東廊をすぎ超然斎という名の堂宇に行こうとしたら、途中で年老いた典座の姿を見た。手に竹の杖を持ち、笠をかぶっていない。太陽はかんかん照りつけ、地面の敷き瓦は焼けている。典座は仏殿の前で、しきりに茸をさらしている。流れる汗をものともせずに、懸命に茸をさらしているが、この作務はいかにもいたましく見えるのであった。典座の背は弓のように曲り、長い眉毛は鶴のように白い。

道元は近づいて、年齢を問うたら、68になるという。

「貴僧はなぜ人を使ってこの作務をやらせないのか。」

このとき老典座いわく、

「他は是れ吾れにあらず。」(『道元のことば』 田中忠雄著 黎明書房、89~90頁)

 

この老典座との問答は、つづけてもう1つある。このとき道元は感激して、

「老僧の如法(にょほう)の(法そのままの)作務には頭がさがります。しかし、この炎暑のなかで、このように苦しい作務をやる必要がありましょうか。」

ときに老典座いわく

「さらに何の時をか待たん。」

この応答には、無常迅速なり、この時をおいて、いずれの時にか作務せん、というひびきがある。道元は、この老典座によって生活の全体について開眼(かいげん)するところがあったのである。(『道元のことば』 田中忠雄著 黎明書房、90~91頁)

 2014.9.11 【野の花(0号)、野の花(0号)、野の花(F3号)、野の花(F3号)】

 今週の山中湖行は、9日(火)から今日(11日、木)までいた。行く前日の8日が中秋の満月だったので、雪の無い山頂を赤く染める日の出前の冨士と、残月を期待して、10日、11日と朝の4時頃起きたのだが、いずれの日も曇りで富士も月も姿は見えず、そのまま改めて床についた。10日の起床後、少し描きかけの作品に手をいれ、朝食後、近所で野の花(トリカブト、ホトトギス、白いミヤコワスレ、ヤマハギ)を切ってきて、0号2点と3号1点を10日に、今日の午前中に3号1点に手をつけた。

風景も静物も、今は描けないものはない。イーゼル絵画は、モノを見る眼と、スキルを身につければ、自我の想像力、創造力を絞り出すということではないので、いわゆるスランプがまったくない。私は再来年古希の歳になるが、2010年に東伊豆でイーゼル絵画に挑戦して本当によかった。キッチリと的に当っているという実感を持って、筆を走らせる幸せ、まさに「廓然無聖(かくねんむしょう)」の畢竟地(ひっきょうち)だよ、これは。

 2014.9.19 【富士山麓風景(21)/F10号】

 今週の山中湖行は、『視惟展』の会期中なのだが、17日(水)から今日(19日、金)までいた。個展では毎日登廊するが、グループ展なので、いつものルーティンを1日ずらして、やはり山中湖に来た。『視惟展』は来週の日曜日まで、私は来週は火、水、木とやはり山中湖に行きます。

昨日(18日、木)は、前日曇りで、翌朝の富士の姿が期待出来ず、つい油断して起床が遅れてしまった。6時半頃起きると外は霧、急いで用意して裏の伐採地に行ったのだが、すでに霧は消えていた。朝霧は陽が上ると消えるので、それでも流れて来る幸運をひそかに期待していたのだが、結局そのまま描き進めた。この絵が、この先いい絵になれば結果オーライになるので、途中の段階では期待通りにいかなくても、ガッカリすることはない。深い霧の作品は、持ち越しでいつかは描けるだろう。

明日は『視惟展』に行きます。

 2014.9.25 【富士(121)/P15号】

 今週の山中湖行は、『視惟展』の会期中なのだが、23日(火)から今日(25日、木)までいた。24日(水)は、日の出が5時半頃なので4時半に起きるつもりが、5時頃起き、急いで5時半過ぎに現場に立ったが、雲が多く、それでも描き進めて、ただ一度山頂が顔を覗かせたチャンスに描ききった。この日は、早朝を過ぎると天気はどんどん悪くなり、少し時間は遅れたが、諦めずにイーゼルを立ててよかった。一度でも外で描くと、気がすんで心がスッキリする。早朝の赤い光の中の富士は美しく、また何度も通ってみたい。

山中湖からの帰りに、銀座の視惟展に寄ってすぐに柏に帰るつもりが、画廊に視惟展のメンバーの住谷氏がいたので、例によって芸術論がはずみ、閉廊後も居酒屋で話続けて、柏の帰宅が遅くなって、この文章のアップがいつもより遅くなってしまった。写真は、デジカメを山中湖に忘れてきたので、別の写真を仮に載せますが、来週「富士(121)」の現場写真に差し替えます。

 2014.10.03 【富士(122)/F6号】

 今週の山中湖行は、1日(水)から今日(3日、金)までいた。今週から今後毎週、火→木、から水→金に山中湖行を変更する。中日の、昨日2日(木)が外で描くメインの一日なのだが、このところ天気のローテーションが悪く、朝から終日曇り空で富士は描けなかった。

今朝(3日、金)は、5時頃起きると、晴れてはいるが富士山頂は雲に隠れているので、9月3日にイーゼルを立てた調節池の周囲の小径(富士山麓風景)と、いつもの富士の見える場所とを二股にかけて調節池に行った。現場に着くと、やはり富士は雲に隠れている。すぐに諦めて、池の周囲を廻って林の小径まで行くと、驚いたことに、以前描いたアングルから富士が山頂を覘かせている。山頂が薄い雲に隠れたり、急に現われたりと安定した天気の条件ではないが、嬉しくなってF6号のキャンバスに筆を走らせた。ここでは、もっと大きなキャンバスで、冨士の絵が何点か描けるだろう。

先週、山中湖のアトリエに忘れてきたと思っていたデジカメが、今週行った時に探したが見付からず、それではと、柏に帰ってきて、先日『視惟展』の動画を撮ってフェイスブックに投稿したので、画廊への行き帰りに使っているショルダーバッグの中だと見当をつけたのだが、やはりない。探しまわって、最後、リュックサックの底の隅から出てきた。これでホッとした。まったく、最近、「ナイ、ナイ、ナイ、ナイ……アッター」が多すぎる。これも老化現象かナァ、イカンイカン。

 2014.10.10 【富士(123)、小品2点】

 今週の山中湖行は、8日(水)から今日(10日、金)までいた。メインの9日は8日の満月の残月と冨士を期待したのだが、曇りで見られず、午前中、庭のツリガネソウとノギクをサムホールと0号に、切花にしないで外で直接描いた。室内と違って、外の花を描く場合、花もバックも全体に複雑なのだが、じれずはしょらず、追った視線の証拠のみを丹念に置いていけば、そのうちにキャンバスは埋め尽くされる。これで、第1工程は終り。

今日(10日)は、朝、高曇りで冨士が見えるので、先週描いた【冨士(113)】の場所にイーゼルを立てた。描き終わって、遠回りになるが、いつも描いている調節池のポイントに廻って帰ると、途中で、一箇所別のポイントに出遇った。来週は、そこで、イーゼルを立ててみようとおもう。

(写真のイーゼルの角度がいつもとは逆の理由は、日射しが背中から射して、キャンバスの上に自分の影が写って描きにくかったためです)

 2014.10.17 【富士(124、125、126)】

 今週の山中湖行は、15日(水)から今日(17日、金)までいた。今週は天気に恵まれ秋空の下風もなく、富士の絵を3点も描いて、身塵脱落した。おまけに、前日の雨のおかげで、16日は山頂が今年の初冠雪で、まだ木々が葉を落とす前の色彩豊かな山麓と、山頂の雪の白と、早朝のやや紫がかった青空が、明るく美しい。

富士(124)はP15号で16日に、朝6時に起きるつもりが油断して7時に起床、17日(今日)は目覚ましを6時にセットして5時45分に起床、現場は雲ひとつない快晴。今日は昼頃帰るので、そしていつもの場所の近くの先週見付けた初めてのポイントで、手始めにP6号に手をつけた。1点描き終えても、いつもと違って雲が出ず、条件がいいので、合せて持って行ったもう1点のP6号を、いつもの場所に移して手をつける。

風景画の場合座ると視点が低くなり、手前の草に視界を邪魔されるので通常は立って描くのだが、今回のポイントで椅子を使って描いている。これは、以前通報されて役場の職員に注意されたため、下の道路から見付からないためです。これだけ気を使って、今度役場の職員に注意されることがあれば、今度は、怒り狂って断固戦うゾ。想定問答はチャンと用意しています。

 2014.10.19 【富士山麓風景(22)/F10号】

 昨日は、カメラマンの足立氏と柏から同行、変則日帰りで山中湖に行って来た。6時半頃柏駅を出発、昼ごろ山中湖に着き、すぐに調節池まで行き、私は富士山麓風景(22)を制作、足立氏は私の制作現場での写真を撮り、5時ころ山中湖からの路線バスで御殿場駅へ(道路は好天の日曜日の帰り車で渋滞)、柏駅で手早く遅い食事をして、バス停で足立氏と別れ、結局11時ころアトリエに帰還した。その間、例によってシャベリ詰め、おまけに、撮影とはいえ、現場でキャンバスに実際に描き始めればやめる訳にはいかない。しかし、いつもと手順が違うので、溶き油と油壺をジュリアンボックスに入れ忘れ、やむなく、のびない絵具を擦り付けて、なんとか現場での第1工程を終了した。私の絵としては、風変わりの描き出しだが、なんの問題なく完成にもっていけるだろう。(長年、数々の修羅場をくぐり抜けてきて身につけた刀傷は、ダテではないのだヨ、フッ、フッ、フッ…)

足立氏が撮ったこの時の私の写真は、年内に、他の作家の写真と共に柏のアトリエ グリュで展覧されます。

 2014.10.24 【富士山麓風景(23)、F12号】

 今週の山中湖行は、22日(水)から今日(24日、金)までいた。メインの23日は雨、なので、終日7月16日にパノラマ台で描いた富士(113)を、ほぼ完成させた(明日完成させて、最新作にアップします)。今日(24日、金)は、前日の雨で富士山頂は新雪で新たに白く冠雪しているだろうし天気予報も晴れなので、5時半に起きて、調節池の先日描いた新ポイントにセットしたのだが、山頂は雲に隠れている。空の様子は全体に晴れる方向なので、少し逡巡したのだが、決断して場所を変えた。

こんなことは、絵でも人生でもよくあることで、この時に描いた富士山麓風景(23)がいい絵になれば、「終り(結果)良ければ全て良し」なのだ。

 2014.10.31 【富士(127、128、129、130)】

 今週の山中湖行は、29日(水)から今日(31日、金)までいた。29日(水)は、朝から快晴、小田急からも、御殿場線からも、御殿場から山中湖までの富士急の路線バスからも富士はよく見え、昼頃アトリエに到着後、F8号2点を持って紅葉の調節池に出かけた。当たりまえだが、同じ場所でも、早朝と太陽の位置と角度が違うため、富士山にあたる光が異なる。おまけに、早朝以外は雲に隠れて滅多に姿を現わさないので丁寧に光を追って、キャンバスを埋めた。1点描いてもまだ快晴、太陽は富士の天頂に近づく。太陽の位置と、冠雪の反射は少し創作を加えたが、もう1枚のF8号に手をつけた。

翌日(30日、木)も晴れ、朝から調節池へ。前日のポイントの近くに見つけた、立って描ける所に場所に移して、P15号で絹雲の秋空と紅葉の富士を、絵におさめた。その後、まだ富士が姿を現わしているので、先週描いた富士山麓風景(23)の場所で、富士山の姿が入った、富士(130)をF12号で描いた。ここは、前日、絵を描いた帰りに、午后から夕方にかけて逆光になり、以前東伊豆で描いた『逆光の坂道』(この絵は朝の光ですが)の光が再び見られる。その画面に富士のシルエットが入ればいいのだが、それは出来過ぎで屋上屋か。それも天のなすところ。

来週から個展で2週間山中湖には来れない。葉を落とす前の錦秋の富士を描きたかったのだが、今週はそのラストチャンスに恵まれた。これも、日頃の行ないが良いから天がご褒美を与えてくれたのだろうと、自画自賛して鼻をふくらませる。これをやっては駄目なんだと道元はいうけれども、どうしても我慢ができない、ゴメンチャイ。

 2014.11.21 【新作ナシ】

 今週の山中湖行は、19日(水)から今日(21日、金)までいた。藤屋画廊での個展があったので3週間ぶりだ。外で描きたかったのだが天候に恵まれずアトリエに籠って、描きかけの絵に手を入れて過した。

12月6日から、柏のアトリエ グリュで『作家とその作品展』(写真家足立紳一郎が撮る創作者の風貌)が始まる。10月18日に、足立氏が撮影した写真の、私が現場で描いている作品〔「富士山麓風景(22)」〕を今回の山中湖村滞在中にほぼ完成させた。上記の展覧会に出品します。

冬になると、太陽の、日の出、日の入り、南中の高さが変わり、午前中、冬木立と太陽が、アトリエの窓から目に入ってくる。アトリエの窓からの作品は今まで2点描いているが、まだ何点かは描けそうだ。

写真は今日のアトリエの窓からの写真。写真ではうまく撮れていないが、私の裸眼はシッカリと世界存在の現成公按を写し込んでいます。

 2014.11.28 【富士(131、132、133、134)】

 今週の山中湖行は、26日(水)から今日(28日、金)までいた。27日は天気に恵まれ1日中快晴、1ヶ月ぶりの外光の下でのイーゼル絵画を堪能した。午前中調節池で「富士(131)、P8号」と「富士(132)、F8号」の2枚、午后から平野の山中湖畔から「富士(133)、P10号」と「富士(134)、F10号」の2枚、都合4枚のタブローに手を付けた。前日(26日)の雨が山頂は雪で、新雪のホワイトが美しく、雪の範囲も下がってきている。

27日は、朝起床したら周りは霧、しかたなく滞っている絵に手を入れていると、霧が晴れ陽が差してきたので、急いで調節池に出かける。調節池でイーゼルにP8号をセットすると、再び霧に包まれ富士は見えない。

霧は大抵朝の一時だろうが、ジッと待つ事ができない性格なので、近くで霧の林と霧越しの太陽の絵をF8号で描き始めると、霧が晴れる。また元に戻してP8号のキャンバスをうめ(富士-131)、F8号のキャンバスは「富士(132)」に廻した。一日の最初に少しバタバタしたが、現場にいたおかげで、霧の流れてくる一瞬と、霧の晴れる一瞬しか見れない、珍しい霧越しの富士に出逢った。これはさすがにイーゼル絵画では描けないが、シッカリと裸眼にプリントしたし、デジカメでもメモったのでいつかアトリエで描いてみようとおもう。

Ⅰ日に4枚はさすがに疲れたが、光を浴びながら無心に筆を走らせていると、身心はスッキリと浄化された。

 2014.12.05 【富士(135)】

 今週の山中湖行は、3日(水)から今日(5日、金)までいた。着いた日の3日は快晴なので午后3時頃湖面が光る情景をねらって、平野の湖畔にイーゼルを立てた。木立越しの太陽は光が弱まって周りの色彩が残ってうまくいったが、直接のほぼ真正面の太陽は前面が真逆光になって色彩が飛んでしまう。この絵のすべり出しは今のところうまくいってはいないが、まあその分、今後の行程が画家の腕力の見せ所であってファイトがわく。

4日は天気が悪く、終日、7月から持ち越している「富士(115)」に手を入れてほぼ完成させた。今朝は、夜明け前に美しい紅富士だったが、前夜描く準備をしていなかったのでチャンスを逃してしまった。まあ、でもそんなにガツガツする事もないか。……イカン、イカン!!

イーゼル画家の標語。『自分が描かなきゃ誰が描く。今描かなきゃ何時描く』

 2014.12.10 【富士(136、137)】

 今週の山中湖行は、8日(月)から今日(11日、木)までいた。いつもとは違う曜日なのは、山中湖村の不燃物のゴミ出しが火曜日の朝なのと、明日金曜日の朝はこちら柏での資源ゴミの収集日のためだ。両方共出せなくて溜まっていたので、新年を前に明日にはスッキリするだろう。

9日は前日P15号のキャンバスを張って、夜明け前の紅富士を描く予定で、準備していたのだが、電池の不調で 目覚まし時計が1時間遅れて紅富士には間に合わず、それでも、雲ひとつない早朝の青空と、すっかり葉を落とした木立の茶色と、白い冠雪の広がった富士とに、充分堪能した。

午后から、何時か歩こうと思っていた、東富士五湖道路の山中湖インター附近のの道をロケハンした。場所としては上々なのだが、木立に遮られて視界が開けた所が無く今回のロケハンはカラ振りに終った。あと、もう1ヶ所歩いてみたい道はあるが、このぶんだと期待薄だな。今歩いて通って描いている、調節池のポイントは希有の出逢いだとつくづく思う。

10日は、またもP15号のキャンバスを張って、6時半頃調節池にイーゼルを立てた。今回は、ドンピシャリ美しい紅富士に立ち会えた。おまけに、描いている途中で、冠雪がピンクから白に変る途中、紫と水色の混じった空の前の、夢のような美しい富士に出遇った。裸眼の記憶と、デジカメでの写真のメモで、次の作品の目標ができた。ありがたい、ありがたい。

電車の中で『正法眼蔵(一)』(増谷文雄全訳注 講談社学術文庫)を読んでいるが(この本は、多くの『正法眼蔵』の現代語訳のうちで最もすぐれています)、ちょうど、下記の文章に出遇った。

■これも一種の正しい修行であり、正しい信心であり、正しい信身である。それを正しく修するときには、谿(たに)の声も谿の色も、山の色も山の声も、みな八万四千偈(げ)を惜しみはしない。自己がもし名利(みょうり)の身心(しんじん)を惜しまないならば、谿も山もまたそれらを惜しまないのである。たとい谿声山色(けいせいさんしょく)が八万四千偈(げ)を実現しようと実現しまいと、あるいはそれが夜であってもなくても、谿山の谿山たることを挙げて示す力が具(そな)わらなければ、誰か谿の声を聞き、山の色を見ることを得るであろうか。(「渓声山色」、214頁)

 2014.12.18 【富士(138)】

 今週の山中湖行は、17日(水)から今日(19日、金)までいた。18日(木)は久しぶりにパノラマ台に行き、夏に見付け、何点か描いたポイントにイーゼルを立てた。この場所は、近景の松の木の緑が、ほとんど枯れ色の風景の中で変化をつけ、冬はこの場所とあらかじめ決めておいた場所だ。去年は除雪した雪で、ここにはイーゼルが立てられなかったので、この冬は大雪がふらなければ何度か通うことになるだろう。

しかし、山中湖村は寒い。昨日の最低気温はマイナス6度、今朝の最低気温はマイナス9度だったそうだ。一昨夜は家の中の水道も朝凍りついていたので、昨晩は水をチョロチョロだしっぱなしにしておいた。これからは、外で描くときはホカロンが手放せない。足の指先と、特に手の指先がジンジンしてくると、描画にさしつかえる。おまけに昨日は、風も強かったので、二重に厳しい条件だった。指先を暖めるのと、キャンバスやパレットを押さえるのに、何度も視線を中断させられて、そのつど筆先の行き場所を失ってしまうので、鳥がさえずるように眼と手が動いてくれないのだ。最後は我慢できず少し端折ってしまったが、アトリエに戻って少し手を入れたら、いい絵になりそうな気配がする。結果良ければすべて良し、だ。

タンペラマン!タンペラマン!

 2014.12.29 【富士(139)、富士(140)、富士(141)、富士(142)】

 今週の山中湖行は、24日(水)から今日(29日、月)までいた。連日、冬型の天気で一日中富士がよく見え、湖畔の風に悩まされた日が1日あったが、連日筆を走らせた。

これで、今年の山中湖は終りだけれど、そして、予想以上に絵画上の成果があった年だったのだが、「好事魔多し」で、今朝、山中湖の〈一の橋〉のバス停までの、うっすらとミゾレ混じりの道路で滑って仰向けに倒れ、したたかに背中を打ってしまった。幸いにも、骨や神経に異常はない様子で、今も姿勢によっては少し痛いが、2、3日すれば治るだろう。

先週は、日帰り温泉の露天風呂で滑り、浴槽の中に仰向けに倒れ込んだので、これで2度目だ。良い現象に出遇うのは一期一会だが、厄災に出遇うのも一期一会だ。いくつかの偶然が重なって、原因になって、滑って転ぶという現象に現成(げんじょう)する。滑りやすい道、私の歳、長年履き慣れた軽登山靴だが靴底の凹凸の角がすり減って丸くなっている、右足の靴の踵の部分の凹みに大きめのジャリ石を嚙んでいた、……こんなことが重なって、厄災に出遇い、結果が悪ければ身体や実存に歪みをつくる。その歪んだ世界観と視線でモチーフを見て描写する。

恐ろしいよ。背中の痛みで、普段は気にもしない、御殿場の立食い蕎麦屋でのカップルの女性のウドンの食べ方(猫舌らしく、ウドンを一本づつフーフー吹いて食べている)にまで腹が立つ。こんな風に世界を見ると、美しい画が描けるはずがない。

世界を、「美しさに満ちている」、その世界を描写して、「美しい画を現成(げんじょう)させる」、ためにもマイナスポイントは避けなければならない。マイナスポイントは歳をとると増える一方なのだが。

……タンペラマン!タンペラマン!

 

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