岡野岬石の資料蔵

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山中湖村だより

山中湖村だより(2017年)

投稿日:2021-04-10 更新日:

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山中湖村だより(2017年)

「山中湖村だより」 2017.01.10【富士(219)、富士(220)、湖畔の朝陽(霧)、富士(221)】

新年の山中湖行は、3日から今日(10日)まで山中湖村で過ごした。5日は今年初めての富士を描こうと調節池でイーゼルを立てた。快晴で、光も安定していて、落ちついて、筆を走らせた。『富士(219)』(P15号)は、現場の描画で空間もバルールもほとんど破綻なく画面を埋めることができた。これは、私にとって待ちに待った嬉しい出来事で、画面がここまで出来ると、持ち帰って、アトリエでの暗紫(ウルトラマリンブルー+モーブ)色のハッチングと薄めたチタニウムホワイトの全面塗布の2工程を省くことができる。この、絵画空間とバルールの地ならし作業は、言わば必要悪で、基礎の地面をブルドーザーで平らにしないと、上の構造物がキッチリと建ち上がらない。しかし、絵具の発色は、白いキャンバスの上の、最小限の塗り重ねが、ベストである。この、2工程を省いて『富士(219)』を完成することができれば、今後の私の完成へのスキルは、確実にアップするだろう。

描き終えて、帰りに(行きは早く現場に立ちたいので落ちつかない)、山神社に初詣(チャンとお賽銭ははずむ)をして、帰る。

翌日(6日)は調節池の周辺の、やはり何度も描いた場所に、初めての冬枯れの木立と白い冠雪の富士をSの15号で描く。これも、前日の絵と同じく、2工程を省こうと思う。

晴天が続くので、7日は、S8号とP8号のキャンバスを持って、7時40分発の月江寺行きのバスで忍野で描くつもりで、バス停に立つと、当のバスは土日運休。ちょうど、山中湖に朝霧がかかっていて、朝陽が大きく霧に乱反射しているので、予定を変更して、バス停の近くで、急いでイーゼルを立てる。霧はアッというまに晴れて、光が変わり、実質描いたのは30分位か。天気もいいので、次のふじっこ号で忍野に向かい、やはり、忍野では初めての冠雪の富士を描く。最初の予定では、S8号で描くつもりだったが。S8号は『霧の朝陽』の絵で使ってしまったので、合せて持っていったP8号で描く。即断即決の、慌ただしい作画だったが、どんな、状況にも対応できる描画のスキルに自信を持った。ダテに齢をとってはいないヨ。

「山中湖村だより」 2017.01.20【富士(222)、富士(223)】

新年2度目の山中湖行は、17日から今日(20日)まで山中湖村で過ごした。18日は、小品(『富士(222』、F5号)で富士を描こうと調節池でイーゼルを立てた。いつ降ったのか山中湖では、道路は凍結しているし、調節池の周囲はかなりの積雪で、ビューポイントまでの道は誰の足跡もないので歩きにくく疲れる。

透視図法でいえば、小品での風景画は、画面の設定がイーゼル上のキャンバスのある位置と違うので(つまり対象に近く、ズームアップしている)、画家の立ち位置が暗示しにくい。画面上のタッチが、現場の画家の裸眼の内でおきているのだという、行為の証拠を、残していかないと、完成作は図的に、工芸的に見える恐れがある。イーゼル画で大きなサイズの作品を描くのは難しいが、小さなサイズの作品を描くのも同じように難しく、様々のハードルを乗り越える工夫が必要なのだ。

楽しいね、齢をとっても現場でイーゼルを立てれば、元気いっぱい、筆が走るのだよ。

当日は、現場にデジカメを入れたポーチを忘れたので、現場での写真は撮れず。翌日は、快晴の前日とは一変、高曇りの白い空の富士を、同じ場所で、やはり同じ大きさのキャンバス(『富士(223』、F5号)で描く。前日の雪の上の自分の足跡を踏んで歩くので、前日よりも楽だ。これも、なんだか暗示的だなあ。

「山中湖村だより」 2017.01.27【富士(224)、山中湖朝陽】

一月最後の山中湖行は、24日から今日(27日)まで山中湖村で過ごした。25日は、太陽が富士の稜線に落ちる直前の情景をねらって、調節池でP4号のキャンバスでイーゼルを立てた。この時期の富士山は、一日中姿を現わしていることが多いので、午後からでも描きに出かけられる。デジカメをポーチに入れ忘れたので、現場での写真は撮れず。

26日は、昨年の12月16日に描いた、山中湖の昇陽を描きに、重郎渕に行く。湖畔の道路から、湖畔までの道はかなりの積雪で、岸ぎりぎりの場所まで行くのは諦め、イーゼルを立てる。小品(F4号)なのと、太陽の光が直接眼に入ると、対象の調子が飛んでしまうので、色や調子の種類が少なく、描画はあっと言う間に終わった。先週の小品から、今回の小品にかけて、描画の方法に気付くところがあって、試行している。近々、画中日記に書いて投稿します。

山中湖は、寒さが厳しいけれど、先人の画家や、道元の山居(さんご)に比べれば、暮し易さは比較にならないだろう。そんな軟弱な生活振りで、修行というのも恥ずかしいが、山中湖と柏と行き来できることは、有難いことだ。古希を過ぎた老画家を、修証一等の修行の場に、今だに立たせてくれているのだから。

わが住処(すみか)は、たった三間四方のまことに粗末な茅屋だが、秋の清々(すがすが)しい気配に満たされ

あたりには鼻をだましようもない秋菊の香りが漂っている

身体は衰えたといっても、鉄の眼、銅でできている鋭く堅固な道心は衰えはしない

ここ越州の永平寺で九回目の重陽(ちょうよう)の節句を迎えようとも。

(道元「永平広録 真賛・自賛・偈頌」全訳注大谷哲夫 講談社学術文庫、306頁)

「山中湖村だより」 2017.02.02【富士(221)】

今回の山中湖行は、1月31日から今日(2月2日)まで山中湖村で過ごした。もう1日 居たかったが、柏での溜まっている資源ゴミ(ダンボール類、ビン)の収集日が金曜日なので、仕方なく帰柏した。

メインの2日は、午後3時頃から調節池で、F10号かP15号で、落日の富士を描こうと、前日キャンバスを張って準備していたのだが、雲が多く諦めた。その分、アトリエ内で、1日中過ごしたので、『富士(221)』P8号を完成させた。明日、フェイスブックに投稿します。

今日は2月に入り、もう1年の12分の1が過ぎてしまった。時間は疾風(はやて)のように過ぎていくけれど、山中湖に居る時には、絵を描くだけなので、画家にとっては、禅僧の坐禅のごとく、充実した、真実の時間を過ごしている。この時間がなければ、手をこまねいて、近い将来訪れる死を待つ老年は、過ぎ行く時間が辛いだろうな。マチスが言ったように、「真の画家は、何歳(いくつ)で死んでも夭折(ようせつ)だ」のように生きたい。

(今回は、外に描きに出なかったので、写真は、今朝の高速バスの停留所、〔山中局前〕から撮った山中湖)

「山中湖村だより」 2017.02.09【山中湖朝陽、富士(225)、富士(226)】

今回の山中湖行は、2月6日から今日(2月9日)まで山中湖村で過ごした。7日は、山中湖の朝陽を描きに湖畔の国道下に、S4号のキャンバスでイーゼルを立てた。一度波打ち際でイーゼルを立てたが、風が強かったので、道路の下にイーゼルを移す。それでも風に煽られたが、キャンバスが小さかったので助かった。風が強い分、水面に波が立ち、太陽の反射光が一段と輝く。

8日は、紅富士の小品(F5号、F3号)を描きに、早朝、調節池でイーゼルを立てたのだが、この日は、どうした訳か(たぶん、東の空の雲が太陽光をさえぎったか)紅色が薄く、想定外だったが、それでも、描き出せば忠実に対象を追う。小品だったので、合せて持って行った F3号のキャンバスも絵具を埋める。

このところ、小品で風景画を描くことに凝っているが、少し慣れてくると、自然に、筆が走る。このタッチ(筆触)を、なるべく残すようにして絵を完成させれば、画角の狭い、つまりズームアップした、画家の立ち位置が分かりにくい小品といっても、現場で描いた証拠は暗示できるだろう。なにしろ、無心に筆を走らせることができれば、自然に物感は出ることだろう。

「山中湖村だより」 2017.02.16【富士(227)、富士(228)】

今回の山中湖行は、2月13日から今日(2月16日)まで山中湖村で過ごした。14日(火)は、今年の描き初めで先日完成させた『富士(219)』(P15号)の、アトリエでの暗紫(ウルトラマリンブルー+モーブ)色のハッチングと薄めたチタニウムホワイトの全面塗布の2工程を省く描法を確認するために、同じ場所でP20号のキャンバスでイーゼルを立てる。描き慣れた場所なので、眼と手が無意識に対応して迷いなくスムースに動き、この作品もうまくいきそうで、満足、満足。描き始めから快晴で、雲一つなかったが、書き終える頃、小さな雲が山稜にかかり、急いで書き足した。山稜に雲がかかると、山の高さを見た目に表わせるので、山頂を隠す雲以外はむしろ望むところだ。来週は、P30号のキャンバスで、描いてみようとおもう。

15日(水)は、午後3時頃、落日間際の太陽を入れた富士山を狙って、久しぶりの平野浜でイーゼルを立てる。最初P15号のキャンバスを横に使って描くつもりだったが、予想より太陽の位置が高いので、合せて持って行った、F10号のキャンバスを縦構図で描く。私は知らなかったが、いつもは静かな湖畔も、この日は、ダイヤモンド富士を狙ったカメラマン達で、賑わっている。風がないので波が小さく、湖面が太陽の光を反射するかどうかが心配だったが、平野浜側の湖面に碓氷が張り、それが反射して、湖面の光が予想を上まわる美しさだ。存在は楽々と人智を超える美しさをジャブジャブと溢れさせてくれる。

この時間を超えると、太陽は富士山の後ろに廻って、山塊全体が逆光になり冠雪が反射しないので、ここでのイーゼル画では、この時間帯がベストか。描き終えて平野バス停に向かう途中、湖畔に向かうカメラマンの車に、何台もスレ違った。

「山中湖村だより」 2017.02.23【富士(229)】

今回の山中湖行は、2月21日から今日(2月23日)まで山中湖村で過ごした。22日は前日張った30号のPとMサイズのキャンバスを合せて、いつもの調節池に出かけた。これから、暖かくなってくると、冠雪が融けて地肌が出るので、雪化粧が剥げ雪山の器量が落ちる。先週まで見えていて描いた、山麓のカヤトの雪形も今週は消えてしまっている。太陽の方角も、軌跡も変わるので、峰裏の影の足も短く、全体に、ノッペリとしている印象だ。たった一週間経っただけなのに、自然は常に変化してゆく。現場での、光と空間の一期一会のセッションを逃(のが)せば、その時描かれたであろう作品は、この世に現成しないのだ。

「山中湖村だより」 2017.03.02【富士(230)】

今回の山中湖行は、2月28日から今日(3月2日)まで山中湖村で過ごした。3月1日は30号のPとFサイズのキャンバスを合せて、月江寺(げっこうじ)行きのバスで忍野村に出かけた。山頂の冠雪は、先週、山麓の雨が雪だったらしく新雪が地面を覆い、描き易い。午後から、天気は下り坂なので、遠景の富士山が雲に隠れる前に描かなければならないので、F30号のキャンバスに、変則だが、簡単なアタリから、富士山を最初に描写して、後、全体を描ききった。

2010年5月、東伊豆の片瀬白田で始めたイーゼル画も、7年弱過ぎた。去年までは、現場で絵画上の問題が湧きあがることと、それを乗り越える努力とで『山中湖だよリ』や『画中日記』の文章は、書く種が次々と浮かんできたのだが、今年に入って、描画の方法論が確定してきたので、この文章を書くのに苦労する。

「ホーホー、と、呟きながら、桃源郷で絵を描いている老人が、自分の老いの理想だ」、と昔画家の友人に、語ったことがあるが、まさにその通りになりつつある。三昧境だね、まったく。三昧境は不立文字(ふりゅうもんじ)で文章化し難いのだ。

「山中湖村だより」 2017.03.09【富士(231)】

今回の山中湖行は、3月7日から3月9日まで山中湖村で過ごした。8日は、一の橋バス停、朝7時26分発の「道志小学校」行きのバスで平野浜に行く。乗客は私一人。

去年の暮れに描いた『富士(218)』の場所(一の砂川の川口)に、P30号のキャンバスでイーゼルを立てる。描いている間は風がなく、逆さ富士が川口に像を映す。逆さ富士は冠雪の白が水面に写らないとはっきりしないので、最近の山の雪がちょうど都合がよい。一度は消えた、向かって左下のカヤトの白い雪の島も、再び現れている。

描き終えて、写真を撮ろうとイーゼルを離れた時、キャンバスが大きいために、風に煽られてイーゼルが倒れ、左右の脚のアンカー部分が抜けて、使用不可能になってしまった。途中だったら、その後の描画は不可能だったろうから、描き終えた時だったのでよかった。帰ってから、ボックスにアンカーを2液混合の接着剤で埋め込んで修理したので、多分、これで来週は大丈夫だろう。

「山中湖村だより」 2017.03.16【外に描きに行かず】

今回の山中湖行は、3月14日から今日(3月9日)まで山中湖村で過ごした。15日の朝は、前日の雪で、周りの景色は白一色。さすがにこの時期、気温が高いので枝にも着雪、午後には大方の雪は融けてしまった。そのせいもあって、一日中アトリエで、完成途中の絵に手を入れて過ごした。

そのせいで、イーゼルを立てた写真がないので、15日の朝、ゴミ出しのついでに撮った写真と、今日(16日)の帰拍の高速バスの車窓からの写真を投稿しました。

イーゼルを立てて描く機会は無いと思っても、目に入って、少しでも心が振れた風景は、面倒がらずに、かかさず写真に撮っておくことだ。デジカメとパソコンという、編集もプリントも保存も、簡単に自分一人で出来る道具もあるので、楽になった。昔のアナログカメラは、お金も、手間も、技術も大変だったんだよ。

知識もシーンも、自分の内部から外化することが、重要だ。眼の経験を多く積んで、まだ描いていないシチュエーションの絵のストックが、オーバーフローしていなければ、現在描いている絵も、ヤセてしまう。高速バスの車窓から見える、八王子インターの近くの山中の梅林も今が見頃で、今から、ネットで調べるのも楽しみだ。車が無くても、簡単に行けるようだったら、イーゼルを背負って柏から行ってみようかな。

「山中湖村だより」 2017.03.23【富士(232)】

今回の山中湖行は、3月21日から今日(3月23日)まで山中湖村で過ごした。着いた日(21日)の午後、山中湖は雪だったが、翌日の準備に、F30号とP30号のキャンバスを張る。22日は、午後2時頃のバスに乗って、平野浜からの富士を、山頂の上の太陽と光った湖面を入れて描こうという予定だ。当日は、事前の目論見(もくろみ)通りの状況でイーゼルを立てられたが、太陽の位置が、山頂から離れているため、F30号のキャンバスを縦に使ってしか太陽から湖面まで入らない。F30号を縦に使うと、キャンバスの上面のストッパーが届かないので、キャンバス立ての当て木と木枠を紐で結んで描き始めた。キャンバスが大きいのと、重心が高くなるので、少しの風でも、イーゼルを倒されそうになる。特にキャンバスの裏面方向からの風には弱い。イーゼルの方向を変え、キャンバスを出来るだけ寝せて、なんとか描ききった。これも、今までの経験があったからで、左手はずっとキャンバスの下面に添えていなければならないため、パレットや筆を持てず、パレット上の溶き油を何度もこぼしそうになる。この日は、一度もこぼさなかったけれども、そしてトラブルがなかったけれども、イーゼル画は、画家の都合よく自然は動いてくれないので、臨機応変にトラブルをリカバーする準備とスキルを身に付けなければならない。これは、人生も同じ。現場では、絵の写真は撮れなかったので、アトリエに帰って、少し描き足した写真をアップしました。

「山中湖村だより」 2017.03.30【外に描きに行かず】

今回の山中湖行は、3月28日から今日(3月30日)まで山中湖村で過ごした。山中湖に行った日の28日は、晴れてはいたが、前日(27日)柏での大雨が、山中湖では大雪、29日にイーゼルを立てる予定をしていた場所が積雪で、着いた早々、翌日(29日)描きに行くのを諦めた。28日の午後と、29日の一日、アトリエでたまっている絵に手を入れて過ごしたので、15号の絵を2点ほぼ仕上げて柏に持って帰ってきた。近々フェイスブックにアップします。

今回、写真が撮れなかったので、先日、「最新作」でアップした、『富士(220)』の作品の、1月6日にイーゼルを立てた現場の写真とその時に描いた途中の作品の写真を載せました。

「山中湖村だより」 2017.04.06【山中湖朝陽】

今回の山中湖行は、4月4日から今日(6日)まで山中湖村で過ごした。5日は、先週描こうとおもっていた、湖畔の遊歩道の降り口にイーゼルを立てた。朝の太陽と湖面を入れて、溢れ出る光を掴まえたい。昇る太陽の位置の変化や、気象条件で刻々と変化する湖面の写り込みや、太陽の反射光で忙しい。モネのように、変化の分だけ、何枚も描けばいいのだから、今後、何度もイーゼルを立てることがあるだろう。

来週は、この場所で早朝1枚描いて、そのまま、7時24分発の「道志小学校」行きのバスに乗って、山間の桜の下見に行ってこようとおもう。道志は、2015年の2月に1度行って、30分ほどブラブラして、そのまま来たバスに乗って帰ったことがある。便が少ないので、10時40分発「旭ヶ丘」行きのバスを逃せば、あと、15時20分の便まで待たなければならないが、それはそれで、時間をつぶすことは山ほどある。桜の木そのものと、開花時期の問題と、イーゼルを立てる場所の問題があるが、無ければ無いで構わない。歳とって、さすがに画材を背負って山道を上るのはこたえるが、近くに描く場所がなければ、バス停に画材を置いて、散策しようとおもう。楽しみだ。

「山中湖村だより」 2017.04.13【山中湖朝陽、富士(233)】

今回の山中湖行は、4月11日から今日(13日)まで山中湖村で過ごした。11日は山中湖は大雨だったので、メインの12日は、ほとんど諦めていたのだが、念のため天気予報を聞くと晴れるという。こんな時は、緊張が緩み寝過ごすことがないように、先週からの予定の通りに、早朝起床した。

先週描いた場所で、周りの状況はほぼ同じだが、太陽の湖面への反射が、先週とは違っている。P15号で描く。

描き終えて「道志小学校」行きのバスで山伏峠を越え、道志村に行く。前回は終点の道志小学校までいって引き返したが、今回は、道の駅のある「中山」バス停で降りて道志川を渡り、国道の対岸の村落を歩いた。桜の開花は月末あたりかまだ気配もない。白梅の木が数本見えたので、画材を置いて写真を撮りに行くと、いきなり、その場所から、先々週の春の大雪の真白い富士山頂が目に飛び込んできた。山伏峠を超え、山峡の道志村から富士山が望めるとはおもっていなかったので、この場所でイーゼルを立てる。多分、ここが道志村では唯一の富士見ポイントだろう。白い梅の花は、枯れ色風景の中ではジミ目なので、桜のピンクであればもっといいのだが、現場では変えられない。この後、完成まで描き進めるうちに、桜の木に変えるかどうか迷うだろうなぁ。

F10号のキャンバスを描き終え、帰りのバス停の時間を確かめると、20分位待ち時間があるので、道の駅の食堂で、食事は時間がないのでソフトクリーでも食べようと入ったら、パイが数種類置いてあったので、ポテトパイと小ビンのビールで遅い朝食にする。パイが作りたてで美味しかったし、ビールと合っていたので、ポテトパイとソーセージパイと2個食べればよかったけど、まあ、今日は出来過ぎなので、この次。

道志小学校までの沿線で、もう一カ所、白井平バス停周辺も、魅力的な山村の風景がありそうなので、青田になって以降、この村には何度か通うことになるだろう。とりあえず、再来週桜を描きに、ここに来る予定にしておこう。

「山中湖村だより」 2017.04.20【山中湖朝陽】

今回の山中湖行は、4月18日から今日(20日)まで山中湖村で過ごした。

このところ、風景のなかに太陽を入れた描写に凝っているので、19日は、前回、前々回と同じ場所にイーゼルを立てた。今回は、日の出直後の太陽を描こうとおもったので、現場で5時20分にスタンバイする。時折、強い風が吹くので、P20号のキャンバスは角度を寝せてセットした。ここではもう1点、もう少し陽が上って、空が青くなる状況の作品を描きたい。

来週は、道志村の桜か、忍野村の桜と富士か、調節池の富士か、山中湖の朝陽か迷う。イーゼル画を始めた東伊豆では、一日に4点描いた日もあったが、今は、朝の1点が精一杯だ。しかし、「今描かなければ、いつ描く!お前が描かなければ、誰が描く!」だ。朝、湖畔で1点描いて、道志村か忍野村に廻る予定にしよう。

「山中湖村だより」 2017.04.27【ロケハン】

今回の山中湖行は、4月25日から今日(27日)まで山中湖村で過ごした。

移動日の25日は、高速バスの車窓から忍野村の桜(ソメイヨシノ)がほぼ満開なのを確認、翌日の予定を、朝山中湖畔の朝陽を描いて、バスで忍野村に行って、昨年描いた富士と桜のポイントで描く予定でキャンバスを張った。

26日は、5時半に起床したが、天気は曇りで、湖畔の朝陽も富士山もどちらも期待できず、それならばとすぐにロケハンに切り替えた。

山中湖周辺の自然の桜はマメザクラで、寿命が短いのか、大木はみたことがない。直射日光を好まないのか、林の中で、ひっそりと咲いている。花も小さく、恥ずかしそうに下向きに咲く様子は、気はやさしくて力持ちの日本男児を自認する、私の父性の琴線をくすぐる。重郎淵から湖の渚を歩いて国道に上がると、「山中湖村文学の森公園」の前に出たので、公園を一周する。朝からお茶も飲んでいないので、このところ、外で愛飲しているロイヤルミルクティーを自動販売機で買って、喫煙所で一服、その後、近くのコンビニで発泡酒とサンドイッチで朝食、旭ヶ丘のバスターミナルから路線バスに乗って、一の橋バス停で降り、10時頃アトリエに戻った。画材を背負っての歩きは辛いが、昔のフィルムカメラと違って、軽く簡単なデジカメだけの歩きは楽しいね。

何カ所か、絵になりそうなポイントがあったが、縁があれば、何カ所か将来作品化出来るだろう。とりあえずは、花が散らないうちに、来週、忍野村に行くのを変更して、「山中湖村文学の森公園」のマメザクラを描いてみようかな。

「山中湖村だより」 2017.05.04【フジザクラ、富士(234)】

今回の山中湖行は、5月2日から今日(4日)まで山中湖村で過ごした。

2日の午後は、翌日の林間のマメザクラのイーゼルを立てるポイント探しに、近くの雑木林を歩いた。ちょうど、薄桃色と、白の2本のマメザクラが、一画面に入るポイントがあったので、3日の早朝イーゼルを立てた。朝の斜光が林間に差し込み一期一会の美しさだ。今年の桜も、この日がラストチャンスだった。S6号のキャンバスで描く。

終わって、一の橋バス停8時21分発のフジッコ号のバスで、忍野村の桂川のフライフィッシング釣り場にイーゼルを立てる。ゴールデンウイーク中なので、釣り人がいつもより多い。目の前の釣り人が、描いている間に2匹ヒットし、キャッチ&リリースした。若い時は、釣りにも凝っていた時期があったが、今では無趣味で、目の前で魚を釣っていても、心は全く動かない。北海道で一人で、釣り歩いた場所も、今は、イーゼルとキャンバスを持って絵を描けばよかった、もったいなかったなあ、と、チョッピリ反省する。

ゴールデンウイーク中なので、山中湖行の状態は、日頃とは違う。天は「真・善・美」に溢れていて、すべての人達を幸せな気分にしてくれているし、その幸せな様子を見るのは、こちらも幸せになる。

人が、居ようが居まいが、見ようが見まいが、陰日なたなく、常に平等に、無償で「真・善・美」をジャブジャブと振りまいてくれている、「存在」に感謝、感謝。

「山中湖村だより」 2017.05.11【雨のち曇り】

今回の山中湖行は、5月9日から今日(11日)まで山中湖村で過ごした。

10日は朝から雨で、終日アトリエで過ごす。『富士(231)』をほぼ完成させたので、近日中に投稿します。

連休が終わり、桜も終わった。山中湖周辺の雑木林は、やっとこれから新緑の季節だ。画面に緑が入るのは歓迎なのだが、その分、富士山の冠雪が融けて、だんだん小さくなり、残雪の部分が、キャンバスの白を残して描くので描きにくく、また斑(まだら)な状態が美しくないのが今イチ不満だ。その分、周辺の、山麓風景の絵を描くことになるだろうが、まだ描いていないいくつかのポイントがあるので、まだまだ、毎週山中湖に通うことになるだろう。

写真は、アトリエ内の写真をアップします。

「山中湖村だより」 2017.05.26【山中湖朝陽、湖畔風景】

今回の山中湖行は、5月23日から今日(26日)まで山中湖村で過ごした。

24日は雲の多い一日だったが、午前中は時折陽が射していたので、P10号とF10号のキャンバスを持って、2週間ぶりに早朝アトリエを出た。1点目はこのところ何点も描いている、山中湖局前のバス停の後ろの、遊歩道から湖畔に下りる階段の踊り場の端にイーゼルを立てる。時間は5時40分、早朝に急いでイーゼルを立てたのは、冬と違って、夏至までは、太陽の昇る角度が急なので、日の出から時間が経つと画面に太陽が入らない。この日は、理想的に雲間から太陽が出るし、湖面にも太陽の光りが届き、湖面の一部が反射している。太陽の位置も、以前より向かって左(北東)方向に変わってきたので、対岸の場所が以前と違う。この日の空の色と、対岸のシルエットの色は、描きたかったイメージ通りだったので、「馬ナリ(競馬用語)」で描きあげた。

P10号で1点描き上げ、そのまま、7時24分発の「道志小学校」行きのバスで平野の手前の、「撫岳荘前」バス停まで行く。この場所は、2015年7月10日に描いた場所で、もうこんなに時間が経ったのかと、今、過去のデータを調べて驚いた。別荘の跡地だったのだろうけれど、手は入っているので、以前とあまり変わりはない。ここでも、柔らかい日射しと、対岸の湖面への写し込みが理想的なのと、以前描いたときより、私に描画のスキルがついたせいもあって、2点目もF10号のキャンバスを「馬ナリ」で描き上げる。2週間ぶりで、ご機嫌な一日だった。

25日は雨だったが、今週は中2日あり、前日外に描きに行けたので、気分は楽だ。来週から、山中湖行は中2日にしようかな。2日あれば、余裕を持って描けるし、2日とも描ければ、それもやってやろうじゃないの。描ける時に描いておかないと、いつイーゼルを背負って、外に描きに行けなくなるか分からない年齢なんだから。

「山中湖村だより」 2017.06.02【富士(235)、リンゴ、池畔(出口池)、リンゴ】

今回の山中湖行は、5月30日から今日(6月2日)まで山中湖村で過ごした。5月31、6月1日と中2日あるので、いつもより余裕がある。

5月31日は、曇りながら、富士が顔を出しているので、久しぶりに調節池に行く。高曇りの空と、新緑から青味の増した木々の緑の組合わせは初めてだ。青空だと、林の中の道を、30号で描いてみようとおもっているポイントに、行くつもりだったが、それはまだ先だ。描き終えて、太陽を見ると、日暈がかかっている。このままの天気で午後になると、3時頃には富士山の真上の空に、日暈がかかった太陽が見えるだろうと予想して、2時頃、アトリエを一旦出たのだが、富士は雲に隠れていて、早々に引き返した。

6月1日は、早朝の天気予報もかんばしくないので、柏から持って行った紅玉に似た小ぶりのリンゴを、スペインで買ってきた銀のお皿に置き、ゴッホのアルルの椅子のレプリカの上に乗せて、サムホールのキャンバスで描いた。このリンゴは不思議で、果柄(かへい)のある上部の方が黄色っぽい。日光に当たると皮が赤くなるので、どうやって成らせたのだろう。まあ、絵のモチーフとしては、変化があって描きやすい。2個持って行ったので、2個のリンゴの絵と、さらにグレープフルーツを加えた絵を描くつもりだったが、朝食後、薄日が射しているので、たまらず9時17分のバスで忍野村の出口池に向かった。

出口池は忍野八海(富士山の8つの湧水池)の1つで、ほとんど観光客が行かない離れたところにあり、一度見たかったので、8号のキャンバスを持って出かけた。思ったより小さい池で、水底も浅く、描くポイントが一つしかなく、F8号を縦に使ってキャンバスを埋めた。一点でも描いたので、もう描くことはないだろうが、これで気が済んだ。山中湖周辺の山林に多い、オレンジ色の山ツツジが池畔に咲いていた。

アトリエに帰って、リンゴ2個の絵をF4号で描く。今回はこれで終わり。

「山中湖村だより」 2017.06.08【梅雨空の湖】

今回の山中湖行は、6月5日から今日(6月8日)まで山中湖村で過ごした。6月6日、7日と中2日あるのは、先週と同じ。

6日は朝から曇り空、富士山も見えないので一日中アトリエで過ごす。7日は、前日と同じような天気だが、雲が低いので、先週の帰りの高速バスのバス停前で見た、モノクロームの湖の風景を描こうと決め、ありあわせの張っておいたキャンバスを持って(M8号とF5号)出かけた。F8号のキャンバスを前日に張っておけばよかったのだが、当日は気が急いてゆっくり出来ない。現場では、太陽は一瞬しか顔を見せなかったので、M8号のキャンバスでかまわなかったのだが、雲の間から太陽が出れば、そのうち大きめのキャンバスでも描いてみたい。モノクロームな、墨絵をおもわせる湖の風景は、西洋の画家には絵ごころもわかないだろうし、描写もできないだろうから、日本人の私にまかせなさい。小品だが、一点でも描けると気が済む。

今日は、途中、高速バスの終点東京駅から、銀座1丁目のOギャラリーの住谷美知江さん(『イーゼル画会』展のメンバー)の個展に寄ってから帰柏した。

「山中湖村だより」 2017.06.16【野の花、山麓の道】

今回の山中湖行は、6月13日から今日(16日)まで山中湖村で過ごした。

14日は朝から曇り空、曇っていても、雲の後ろから太陽が白く出れば、山中湖畔で描こうと思っていたのだが、諦めて朝からアトリエで過ごす。昼ごろから日射しが出てきたので、散歩がてら、道端に咲いているムシトリナデシコとシオンを切ってきて、久しぶりに野の花の絵を描く。F6号か、P6号のキャンバスがベストなのだが、木枠がなく、やむなくF5号のキャンバスで描いたので、上下を少し縮めて画面に入れた。

15日は、朝霧がかかっているので、霧でも晴れてもどちらででも描こうとおもって、初めてのポイントにでかける。この道は、舗装していないし、周りの自然林は、標高のせいか、マント群落で覆われたり、藪が入れないほどひどくない、描くのには理想的な場所だ。ただし、絵に描くのには、大きな画面で、多くの木々や、木漏れ日の迷彩パターンは手のかかるモチーフなので、緑が濃くなるまで待っていた。この日は、ベストの条件を待ちきれず、P30号を持っていったが、時々日射しがあり、青空も出たので、なんとか描き切った。いつも、外で描く時は休憩無しだが、この日は、いつもより時間がかかったので、たまらず途中で、周りにたくさん生えている山椒の葉を嚙んでタバコを一服した(もちろん、携帯の灰皿で)。現場で塗り残した、葉の間の空は、アトリエに帰ってから埋めた。いまのところ、予想より上手くいっている。

別枠で、久しぶりに、現場の動画と、目の前の枝にとまって囀る小鳥の動画をアップします。小鳥の名前は、ネットで調べてみたらホオジロかミヤマホオジロのようだが。

「山中湖村だより」 2017.06.24【湖畔朝陽、富士(236)、山麓の道】

今回の山中湖行は、6月21日(水)から今日(24日、土)まで山中湖村で過ごした。いつもの曜日と1日ずらしたのは、20日(火)に大作の『青天白日富士』の発送のため、柏のアトリエを離れられなかったためだ。

22日の朝は、薄曇りで富士山は見えているので、まず山中湖湖畔でS10号のキャンバスでイーゼルを立てる。この日の空は、雲の層が薄くなるに従って、そこを乱反射する太陽の外側の円形が大きく膨らんでくる。、この場所での作品は、朝陽が入っていないM8号の作品を入れて、この作品で6点目だ。

7時8分頃描き終えて、7時24分発の道志小学校行きのバスで平野浜に行く。平野のバス停のコンビニでサンドイッチ、鮭のおにぎりと発泡酒で朝食と、タバコを一服。平野浜で、ここでの久しぶりの富士(236)をF10号で描く。湖の水量が減っていて、水際が遠のいているので、いつも描くところより湖に近づいてイーゼルを立てた。夏になると、陽が上るとたいてい富士山頂は雲に隠れるので、早目に山頂から描き出して9時41に描き終え、平野発10時24分のふじっこ2号に乗り、一の橋のバス停で降りる。若い時は、早起きが苦手だったが、齢をとるごとに、早寝早起きになる。朝早く起きると、これだけ仕事をしてアトリエに帰り着いてもまだ、11時過ぎだ。ただし、午後はしばし昼寝をする。山中湖の昼寝は、外からの緑のそよ風が気持ちいい。極楽、極楽!

23日は、久しぶりに朝から陽が射しているので、先週描いた『山麓の道』をもう少し上った所で、P30号のキャンバスでイーゼルを立てた。この場所は先週目星を付けていた場所で、予定通りの状態だが、その場所から坂道を振り返って見ると、朝陽が木立の間から射し込んできている。標高が高く、自然林の中は、枝の隙間が多いので、道や下草に直接光りが射し込み、緑陰が殊の外美しい。ここも同じような状況で近い内に描いてみようとおもう。このときの絵に限らず、描写に面倒な複雑な物や光りは、なにしろジレないことだ。ジレて端折って、視線の証拠が無いのに、適当にバァッと塗って画面を埋めると、かえって廻り道になる。少々の全体の辻褄は合わなくとも、同じ明度と色を、部分部分に置いていくことだ。画面の全部が埋まると、光りと空間は、画面に横溢する。バルールと空間の調整はアトリエでゆっくりと手を入れればいいのだ。現場では、視線の証拠のないものは画面のどこにもないという状態に向かって、目と手が主客合一で連動して動くと、画面は自然に埋まっていく。

大抵は、描き終えるまで休みなしに一気に通貫するのだが、この日は7時に描き始めて、途中で写真を撮った9時16分に、さすがの私も、一服した。空は、樹の間が面倒なので、帰ってからアトリエで埋めた。

「山中湖村だより」 2017.06.30【山麓の朝】

今回の山中湖行は、6月27日(火)から今日(30日、金)まで山中湖村で過ごした。

山中湖に居る間、毎日梅雨空で雨か曇り。前日の天気予報から、まったく予定外だったのだが、29日の朝は、薄曇りながら時折太陽が顔を覗かせる。晴れた朝の太陽と違って、薄い雲越の太陽と、手前の木々との明暗の差を弱めた林間の風景を描くことにして、急いで出かけた。歩いて、5分とかからない近所の場所なので、こんな時に使える便利な場所だ。山中湖の雑木林は高度のためか、植林された杉や檜、低地によくある照葉樹や葛などの蔓性の植物などがなく、以前住んでいた(1972年~1975年)北海道の植生に似て、木々の間に風が通り、風景が西洋風で画になる。山中湖周辺ではどこにでもあるありふれた風景だが、この場所を離れると、以外と出会えないかもしれない。(別の欄に、この日のイーゼルを立てた場所の動画をアップします)

それにしても、2010年の東伊豆でのイーゼル画から始まり、2012年7月の御殿場での富士(1)から、山中湖での富士も通算して230点を越えたし、アトリエ周辺の風景もほぼ描き尽くしたし、来年10月の契約日を最長のリミットにして山中湖の借家を引き払らおうかな。その後は、ジュリアンボックスとキャンバスを旅館に送って、今までの取材から描いた日本中の色んな場所で、直接イーゼルを立てて描いてみようかな。

天然の旅情が再び騒ぎだして私を呼ぶ。古希は過ぎても、気力体力どちらも若いゾ。

「山中湖村だより」 2017.07.06【富士(237)】

今回の山中湖行は、7月4日(火)から今日(6日、金)まで山中湖村で過ごした。

5日は雨、6日も朝曇りだったのでアトリエで描いていたら、10時頃雲が切れて青空と太陽が顔を出す。急いで、調節池に行って、P20号のキャンバスでイーゼルを立てた。この時間に富士を描くのは珍しく、台風一過の空は青が深く、ここで、もう何点も描いているのに、この青空は初めて見た。しかし、やはり夏の日中の富士山は雲がジャマをする。向かって右側の山頂から描いていったのだが、時間がたつうちに左の山頂に雲がかかり、残雪を描けずに終わった。この部分はアトリエに持ち帰って、デジカメのモニターを見ながら埋めたのだが、次からは、左側から描いていくか、鉛筆で残雪の形を予(あらかじ)めデッサンしてから着色するかにしよう。この日は、富士山頂が見えたのは私が描いている時間だけで、結局ワンチャンスをモノにしたことになる。これも日頃の行ないが良いのと、タンペラマンのせいだナ。

今朝は、1時間早く目が覚めて、東京駅行(7時54分発)の高速バス停の近くのデニーズの開店時間の7時まで1時間弱できたので、持ち帰るキャンバスとリュックを背負って、あちこち寄り道をして写真を撮りながら、デニーズに向かった。太陽は山中湖の方向から上るので、この時間は太陽の位置が問題だ。こうやって、予定外の空いた時間を無為に過ごさなければ、チャンスの神さまは微笑んでくれるのだよ。ほんの歩いてすぐの場所で、ビューポイントに2カ所出遇ったので、近いうちに画にできるだろう。

「山中湖村だより」 2017.07.14【山麓の朝】

今回の山中湖行は、7月11日(火)から今日(14日、金)まで山中湖村で過ごした。

12日は曇り空で、逡巡した分30分現場に立つのが出遅れた。キャンバスをセットしている時に、当初狙っていた木の間の位置に太陽が入って、ちょうど雲の切れ間から、光りが私の立ち位置に射しててきた。今から、描き始めたのでは、太陽の位置も、光りに当たった木立もどんどん変化するので間に合わない。そのまま、眼に任せて、F25号のキャンバスを埋めた。次の機会に、狙っている状況の絵を、もう1点描けばいいや。この時描いた絵が、良い作品に仕上がれば、この分岐の選択の決断も正解になるのだから。

13日は、前日キャンバスを張って、準備していたのだが、梅雨空で曇り時々小雨で一日描きに出られず、アトリエで2点ほぼ完成させた。

「山中湖村だより」 2017.07.21【山麓朝陽、富士(238)】

今回の山中湖行は、7月18日(火)から今日(21日、金)まで山中湖村で過ごした。

梅雨はもう明けたのか、今回は晴天続きで予定していた絵を、描きこなした。19日は朝から快晴で、近くの雑木林の昇る太陽を描きにでかけた。前回忘れた蚊取り線香も持って、30分前に完璧にセッティングして、描こうとしたのだが、陽が上り光りがキャンバスの裏へ直接当たって、描きにくいのでイーゼルの向きを変えようとした際に、三脚の足の1本を蹴飛ばし、脚と箱本体とのアンカー部分が抜けて外れてしまった。固定はしていないが、かろうじて一カ所で支えて、そっと描き切ったが、それが出来なければ、この絵を描くことは無理だっただろう。私自身の身体の経年疲労もあるが、このジュリアンボックスも何十年も酷使されて満身創痍だ。2液混合の接着剤で修理して、翌日の忍野村の富士(238)に持って行ったが、この修理法だと、無理な構造なのでやはり外れてしまった。今日21日、脚だけを柏に持ち帰って、何とか修理しようとおもう。

漁師が独力でマグロを釣ろうと志したならば、漁場で仕掛けを降ろすこと以外に数々のハードルを越えなければならない。まず、操船技術の修得、舟を買うお金、身体の健康、船舶器械やソナーなどの読み取り、操作、修理。最後にマグロの情報をシッカリ集めて、マグロの目の前にマグロの仕掛けを降ろす。それでも終わらない。喰い付いても、バラさず船上に取り込む技術がまだ必要なのだ。

画家が美しい作品を1点完成するには、漁師が独力で大きなホンマグロを釣り上げるのと同じように、数々の目に見えないハードルを、地道に一つ一つ潰していかなくてはならない。イーゼルの脚1本の修理に大げさだが、仕掛けの不具合でせっかく喰い付いたマグロをバラしたら、チャンスの神様は、2度とチャンスを与えてくれないだろうから。

「山中湖村だより」 2017.07.28【イーゼルの修理】

今回の山中湖行は、7月25日(火)から今日(28日、金)まで山中湖村で過ごした。

今回は、26日、27日共に、太陽も富士山も顔を出さず、ずっとアトリエに籠りきりだった。そのせいで、6月29日に描き始めた『山麓の朝(F15号)』を完成させ、柏に持ち帰った。明日「最新作」でFBにアップします。

先週壊した、ジュリアンボックスの脚は、柏の東急ハンズで補修の材料を揃え、着いた日の25日にキッチリと予定通りに修理した。子供の時の模型飛行機の、作ったらすぐに飛ばしてみたいのと同じで、翌日すぐに使いたかったのだが、今回は機会がなく、来週以降にお預け。外での写真がないので、修理した部分の写真を、ピンボケですがアップしました。常日頃、芸術という非線形の問題に取り組んでいるので、日常生活のああすれば、こうなるというような線形の問題の解決は簡単だ。

「山中湖村だより」 2017.08.03【山麓の朝】

今回の山中湖行は、8月1日(火)から今日(3日、木)まで山中湖村で過ごした。

2日朝は、天気は曇りだが7月6日に高速バス停に行く道を変えて見つけたビューポイントだ。描いている背中側を馬車道が通っていて、もう何度も通っているのだが、太陽が木立の背景に入る朝歩かないとチョット気付きにくい。アトリエから近いので、今後もう何点か描けるだろう。この日は、太陽が雲に隠れていたけれど、今後太陽を入れた絵を描くのが楽しみだ。それと、満月の日も、チェックしておこうとおもう。この日は、手前の草原(くさはら)に花期の最後のシオンが群生して咲いていて、山中湖村内では昔から開けた場所なのに、エアーポケットのような空き地の風景に、現在なっている。

来週は、「イーゼル画会」のメンバーの北氏が、常滑から車で山中湖まで来て、一緒に絵を描きたい、という。富士山頂が顔を出せば、パノラマ台を予定しているのだが、どうなりますか。来週の「山中湖だより」にアップします。

「山中湖村だより」 2017.08.11【富士(239)】

今回の山中湖行は、8月8日(火)から今日(11日、金)まで山中湖村で過ごした。

9日は、今回山中湖滞在中唯一、台風一過の晴れた日で、常滑からイーゼル画会のメンバーの北君が、早朝山中湖のアトリエに車で到着、すぐにパノラマ台に向かった。途中、平野浜でのイーゼルを立てるポイントを案内しながら現場に立ったので、すでに富士山頂は雲がかかり始め、ここで初めてイーゼルを立てた北君には難しい条件になってしまった。山頂の様子は、私が過去の写真を探して、渡そうとおもう。描き終えて、アトリエに帰ってコンビニで買ってきた食事をして、描いた絵に手を入れながら、イーゼル画の技法の話をする。録音したので、近く編集してユーチューブに投稿します。デッサンの重要性やイーゼル画の技法等、聞いたこともやったこともない、若い画家達にぜひ聞いて貰いたい。そして、世界に稀有な(日本の美術以外ではバルビゾン派と印象派の一時期だけ)日本人の全元論的世界観のイーゼル画(直接描画)を伝承していってほしい。

北君は2時頃アトリエを出発、前夜から休みなしの1日だったろう。

「たとい人は弱いものであるにしても、ある人々はそれをなし遂げたのである。我々のみがその道を踏み得ないわけはない。もとよりこの道は困難である。が、本来仏法そのものが釈迦の難行苦行によって得られたものではないか。本源すでにしかりとすれば流末において難行難解であることは当然であろう。古人大力量を有するものさえも、なお行じ難しと言った。その古人に比すれば今人は9牛の1毛にだも及ばない。今ひとがその小根薄織もってたとい力を励まして難行するとも、なお古人の易行には及ばないのである。その今人が易行をもってどうして深大な仏の真理を解し得るか。困難であるゆえをもって避け得られる道ならば、それは仏の真理ではない。」(道元『学道用心集』第6)

「山中湖村だより」 2017.08.18【外に出られず】

今回の山中湖行は、8月15日(火)から今日(18日、金)まで山中湖村で過ごした。

今年の夏は、ずっと曇りや雨で外に描きに出られない。そのせいで、溜まっていた絵も少なくなってきた。今回は、6月23日に描いた『山麓の道(P30号)』をほぼ仕上げて、今日持ち帰った。柏のアトリエで見ると、数カ所気になるところがあるので、手を入れて近々「最新作」でアップします。9月に開催する『イーゼル画会』展の出品作は既に決めているのだが、「山麓の道(P30号)」の出来いかんで、この作品と、既に決めている『富士(219)』を差し替えて出品するかもしれない。

という訳で、今回は載せる写真がないので、今朝の山中湖の写真をアップします。

「山中湖村だより」 2017.08.25【空地の朝陽(1)、道志村の夏、空地の朝陽(2)】

今回の山中湖行は、8月22日(火)から今日(25日、金)まで山中湖村で過ごした。

23日は、夜明け前から星空が見えて快晴の様子、8月2日に描いた、近くの空地に、日の出の太陽を入れた風景を描きに出かけた。太陽がどこから上るか分からないが、大体の見当で日の出前の5時15分頃(甲府の日の出、5時11分)から描き始める。思った所より、向かって右よりに太陽が登ったが、それはそれでかまわずP12号のキャンバスで描き上げた。木の枝の間の広さによって、太陽の光の大きさが大きく異なり、もう少し待った方が良かったかもしれないが、待った方が悪い場合もあるので、それはそれで翌日描けばいいやと思い、無心に筆を走らせる。結果的に、手前の草地を走る一条の木の間越の光や、画面左の木の葉に真横から当たる光は、一期一会だろうから、満足する。

6時18分に描き終えて、一旦アトリエに帰り、キャンバスを換えて、7時24分発の道志小学校行きのバスに乗る。今回は、ロケハンを兼ねた初めての場所なので、PとFの8号のキャンバスを用意した。道志村は、神奈川県の津久井湖の方から山伏峠に向うのが表コースで、山中湖から山伏峠を越えて道志村に行く人はほとんどいない。この日も路線バスは行きも、帰りの旭ヶ丘(山中湖)行きのバスも私一人(道志村に入って、地元の中学生が4、5人乗って来たが)。いかにも山峡の淋しい村だが、表コースを行けば、夏は道志道のサイクリングやバイクのツーリング、道志川沿いのキャンプ、オートキャンプ、北の道志山系、南の足柄山系の軽登山等で夏休みは大賑わいだ。

以前バスの車窓からおおよその目安をつけていた場所で、コンビニのあった白井平のバス停で降りて、朝食を買おうとするが、品揃えが少なく、サンドイッチもおにぎりもない。仕方なく、ビールとナッツのおつまみと、ワサビマヨネーズとソーセージをはさんだあやしげな菓子パンで朝食にする。レジで店主のおばあさんに座って食べるに適当な場所はないかと聞いたら、表の灰皿のある場所のビールケースを使ってくれと言われる。しかしそこは、日射しがまともに当たっているので、店の横の日影の外階段に座って朝食にした。その横は、駐車場にもなっているので、店に車で来た主婦と、目があってギョッとされ、“私はアヤシい者ではありません”、と目礼をした。こんな侘びしい朝食も、朝すでに一点描いているので、余裕で過ごせる。漂泊の老イーゼル画家の映画を撮るとしたら、1シーンに使えるね。

余裕のお蔭か、すぐ近くでイーゼルを立てる場所に当たった。9時38分に描き終え、11時4分の帰りのバスまで、板橋のバス停に画材を置いて、道志川を渡り、向う岸の道を歩き、下流の橋を渡って、グルっと一周してバス停に戻った。途中、板橋バス停の近くの『おばアの台所』という食堂があったので、時間がないのでカンビールと芋ケンピ、ここでようやく一服。店の人が、サービスで冷えた、トマトを切ってくれたし、タバコも吸えるしで、開店時間を聞いたら朝9時からだという。次からは、描き終えたら、ここでゆっくりと朝食とビールが飲める。

24日は、前日の近くの空地に、上る太陽の位置を遅らせてP15号で描く。曇りがちの空だったが、日の出から描くまでの間だけ、太陽が雲に隠れずにいて、停滞なく描ききった。朝食後は、久しぶりに調節池で富士を描こうとおもっていたが、雲に隠れていたので諦め、この日と前日描いた空地の絵に、ファン筆でハッチングを入れた。

「山中湖村だより」 2017.09.01【山峡の田】

今回の山中湖行は、8月29日(火)から今日(9月1日、金)まで山中湖村で過ごした。

8月30日は先週描いた場所にF30号のキャンバスを持ち込んでイーゼルを立てた。手前の田んぼと道志川の間にある立ち木の陰影が、緑一色の夏の山里の風景に変化を加えている。おあつらえ向きに、菰釣山(このつるしやま)山頂が画面の最遠景に入るので、30号の大きな画面にもメリハリがつく。この周りに、もう数カ所イーゼルを立てたい場所があるし、秋の稲穂が黄色く色づいた頃も描きたいし、当分道志村に通うことになるだろう。

翌31日は、朝から曇りで前日描いた絵にハッチングを入れた。

来週は『イーゼル画会』展(9月5日~9月16日)があるので、山中湖に行けないが、再来週はまだ会期中で日程は未定だが山中湖に行こうとおもう。

時は過ぎて行く。富士山を描きに、御殿場から山中湖と廻って来たのだが、富士の絵も239点描いた。最近は富士周辺の新たなビューポイントに画材を拡げているのだが、もうそろそろ限界かなぁ。今年の冬は山中湖で越すのには、モチベーションがやや不足気味だ。借家を引き払って、来年は、全国を、イーゼルとキャンバスを現地に送って、描いて廻ろうかな。

まず、行きたいのが五島列島福江島の大瀬崎灯台、ここは、思い出の取材地で、今度はイーゼルを立てて、直接描いてみたい。しかし、近くに宿泊施設がないのでどうするか。こんなことを、あれこれ考えるていると、徐々に未来に向かってのモチベーションが湧いて来るんだね。齢をとると、あれやこれや、だましだまし、やっとこさっとこ、生きていくことは大変だ。画家で良かった。

「山中湖村だより」 2017.09.15【山峡の田(道志川1)、山峡の田(道志川2)】

今回の山中湖行は、9月12日(火)から今日(9月15日、金)まで山中湖村で過ごした。先週は『イーゼル画会』展(9月5日~9月16日)があったので、山中湖に行けなかった。今週はまだ展覧会期中だが、初日から11日まで毎日画廊に出たので我慢出来ずに行って来た。美しい風景を前にして、日の光を浴びて筆を走らせると、身心(しんじん)が浄化される気がする。何年後かの死は決して免れえないが、このまま老いて、筆を握ってイーゼルの前で死にたい。

13日は道志小学校行きのバスで道志村唐沢橋で降り、先日来描いている田んぼの稲穂の黄色く色づいている風景を見越して行ったのだがまだ緑のまま。それならばと、近くの道志川の土手の上にイーゼルを立てた。真正面に朝の太陽が入り、ちょうどPの20号のキャンバスを持って行ったので、縦構図で太陽を入れて描いた。この時間の太陽は初めてで、青空と逆光の雲とでどんな絵になるのか楽しみだ。現場の写真は、前の週、イーゼル画会展の会場の動画を撮ったので、蓄電池の電気切れで撮れず、持ち帰ってアトリエでタッチの隙間を埋めた絵の写真のみをアップしました。

14日は、13日と同じく道志村に行って、板橋(いたはし)のバス停の横にイーゼルを立てた。こんな所で、ビューポイントを見付ける画家は私しかいないだろう。

いよいよ、11月一杯で、山中湖のアトリエを引き払う決断をする。残りの日々はいつも通り毎週通うつもりだが、道志村で何回かイーゼルを立てようと思う。借家を引き払えば、もう2度と、今まで山中湖村周辺で出遇った風景を描くことはないだろうから。時は過ぎて行く。

「山中湖村だより」 2017.09.23【山峡の田(道志村)3、富士(240)】

今回の山中湖行は、9月19日(火)から今日(9月22日、金)まで山中湖村で過ごした。20日(水)は『おばぁの台所』が木曜日定休日なので、店が開いている日に合せて道志村に出かけた。板橋の次の停留所で降りて、道志川に下りる道の途中でイーゼルを立てる。遠くに道志川を跨ぐ白い橋桁が見えるし、手前の木が風景のちょうどいいポイントになっている。休耕田を稲刈り前の田んぼに変えて、絵の具を埋めた。描き終えて、帰りのバスの時間まで1時間あるので、今回は、ビールと食事とタバコを一服、『おばぁの台所』でゆったりと過ごした。

翌21日は、朝から快晴、8月11日の『富士(239)』から久しぶりの富士山を描きに調節池に出かけた。雲一つない秋空の中の富士山を前にして、存在そのものと、ダイレクトに向き合い、存在の光と空間に包まれて筆を走らせていると、100年以上前のモネや、セザンヌと同じ画材、同じ方法、同じ条件で絵を描いているのだと実感する。ノッキングや停滞なく筆を走らすことが出来れば、まるで三昧境である。

明日は、大倉山のギャラリー仁屋での『イーゼル画会』展のオープニング。藤屋画廊で、浜田さんと北君の小品が売れたので、明日、常滑から上京する北君には大きな励みになるだろう。

「山中湖村だより」 2017.09.28【道志村風景(道志川3)】

今回の山中湖行は、9月26日(火)から今日(9月28日、木)まで山中湖村で過ごした。27日(水)は、先週と同じく道志村に出かけた。道志道の近くの先週描いた場所を下りて、道志川沿いに少し下った、川を跨ぐ無名の橋の上にイーゼルを立てる。F15号とS15号のキャンバスを持っていって、現場でチョット迷ったが、結局S15号に決め、やはりそれが正解で、画面にうまく収まった。10時8分に描き終え、10時半頃『おばァの台所』に行く。この日は、11時4分の山中湖旭ヶ丘行きのバスの時間までゆっくりできないので慌ただしく、ビールとサラダうどんとタバコを一服する。途中、女性の本格的な装備のサイクリストが一人お客として入ってきたが、道志道のサイクリングの途中でいつも気になっていたお店だとのこと、またテレビでも紹介されていたということだ。11月の末の、山中湖を引き払う前まで、あと数回道志村に来ることになるだろうが、この店と出会って、現場で描き終わっての満足感を引き続いて、いい気分にして貰った。描く現場と店が近く、帰りの板橋のバス停が近いのも、まるで計ったみたいだ。

11月の末に、山中湖村の借家を引き払うが、新しい場所に引っ越すのと違って、老いと秋の季節とあいまって、喪失感に時々襲われ、切なく淋しくなる。2016年12月24日にコピペした、道元の本の中の文章をもう一度転載して、自分に鞭を入れよう。

松風がより高く鳴り響く夏の末の宵、秋の初めのころ、

竹も響き、竹葉の露もしきりに落ちて物寂しい暁の時分、移ろいゆく気配に無常を感じて涙が頬を伝う、

そのようなときであるからこそ、松風・竹響の見聞声色(けんもんしょうしき)にとらわれず、心を発動せねばならなぬ。

誰が、古仏の辿った仏祖道を忘れ、初秋のもの悲しき無常世界に身をゆだねていられよう。(『道元「永平広録 真賛・自賛・偈頌」大谷哲夫全訳注 講談社学術文庫、204~205頁)

「山中湖村だより」 2017.10.05【道志風景】

今回の山中湖行は、10月3日(火)から今日(10月5日、木)まで山中湖村で過ごした。4日(水)は、先週と同じく道志村に出かけたが、これで5週連続道志村に通ったことになる。まだ、もう少し描きたい場所があるので、来週も行くことになるだろう。

この日は朝起きると雨、天気予報は日中は晴れるとのことで、バスの時間まで逡巡したが、雨がかすかな霧雨に変わったので折り畳みの傘を持って、7時26分「道志小学校」行きのバスに、一ノ橋のバス停から乗車した。板橋のバス停で降り、予定していた、坂道に着いたが、この場所は雲の通り道なのか、周りよりも霧雨が強い。しばらくウロウロと、イーゼルを立てる他の場所を探したが、思わしい所がなく、傘をさして描くことを決断した。キャンバスは立てているので濡れるのは少なく、豚毛の硬い筆でこすりつけて描くのでまだ何とかなるが、パレットの上の水滴は、絵の具の混色の時にハジイて描きにくい。8時半から30分位傘をさして描いたが、小雨が上がったので残りの30分間は傘を置いて描きあげた。対象が比較的単調なので時間が短くて済んだためで、雨で端折った訳ではありません。

この日も、『おばァの台所』で煮卵でビール、掻き揚げソバで朝昼兼用の食事をし一服して、11時4分の山中湖(旭ヶ丘)行きのバスで帰る。山中湖での残り少ない時間は、少しでも外で描いていたいので、この日も充足した。

今日はお昼に、Oギャラリーの住谷重光氏(イーゼル画会のメンバー)の個展に寄ってから帰拍した。同じ方向を向いた画を描いている画家の、常に負荷をかけた仕事を観るのは、こちらが嬉しく元気になる。みんな、頑張ろう。私も頑張るぞ。

「山中湖村だより」 2017.10.12【道志風景(秋色)】

今回の山中湖行は、10月10日(火)から今日(10月12日、木)まで山中湖村で過ごした。11日(水)は、このところ連続して通っている道志村に出かけた。久しぶりに動画で撮ったので見てください。

遠景の山は御正体山(みしょうたいやま)で、この日の道志村は秋晴れで、風もない気持ちのいい日本の山里の平和な風景だ。今まで、日本国中、色々の場所を取材してきたが、たいてい夏休み過ぎの晩夏か初秋に旅行することが多かったので、こんな日は、思い出の景色が頭に浮かび、センチメンタルな気分が少し過(よぎ)る。まあ、ちゃんとした老人(71歳)なんだから、仕方がないか。

その日の夕方、引っ越しの見積もりに、運送屋さんがくる。おまかせ引っ越しで、多くの物を捨てていくが、多くの本、映画やテレビの番組を録画したビデオテープ、FMラジオを録音したカセットテープ、LPレコードは処分したが、その後集めたCDディスクなど、この際、近々処分しようと思う。欲しい人は貰ってください、差し上げます。

来週、北君が山中湖に来るので、今まで集めて来たモチーフの花瓶類は、全部彼にあげよう。どんなに貴重だったものでも、持主を離れればただのゴミになってしまう。自分の絵は、捨てられない、捨ててはいても誰かが思わず拾って持ち帰るような作品を残していかなければならない。

「山中湖村だより」 2017.10.19【富士(241)】

今回の山中湖行は、10月17日(火)から今日(10月19日、木)まで山中湖村で過ごした。19日(水)は、このところの秋の長雨(すすき梅雨、秋霖)のなかの、たった一日の晴れで、それも夜明け前から東の空も晴れているので、赤富士を期待して6時前に調節池でイーゼルを立てた。

この日は、常滑から北君が山中湖のアトリエに来ることになっていたので、前夜の雨から、富士山を描くのはほぼ諦めていたのだが、日頃の美神への信心と修行せいで、奇跡的に朝から快晴だし、描いている間中天気は安定していた。私は山中湖でもう何度も似たような富士を見た事はあるが、北君にとっては、これからも見る事はない、一生に一度の経験だろう。彼が用意してきたキャンバスに適当な号数のものがなかったので、私の張っておいた、M30号のキャンバスを彼に提供、私はF25号のキャンバスで筆を走らせた。

こういう、圧倒的な存在そのものを目の前にして、時空の切断面に立ち、光と空間に含まれて、描画という行為を経験すると、世界観は、実存主義や欲望が行動原理の此岸(しがん)の世界から脱け出る。11月末の引っ越しまでに、北君はもう一度来たいそうだが、彼には、この日の描画の経験は、彼の今後の芸術の進路にとって、重大なポイントになるだろう。引っ越しまでの少ない機会のなかで、各種条件に恵まれる幸運に出遇えてよかった。

その日は、デニーズで朝食後、アトリエで、現場の絵に手を入れながら、いつもながら、絵画について私が一方的に話す。この話の録音は、近日中にユーチューブに岡野岬石『イーゼル画(直接描画)の技法』-(8)という動画でアップします。

「山中湖村だより」 2017.10.26【富士は初冠雪】

今回の山中湖行は、10月24日(火)から今日(10月26日、木)まで山中湖村で過ごした。25日は前後が晴れの日の間の雨で、一日アトリエで過ごす。外での写真がないので、今溜まっている途中の作品の写真を撮って載せます。11月末の引っ越しまでに、このうち何点柏に持ち帰ることができるだろうか。そして、残りの日で実質描ける日は最大あと4週4回。それが過ぎれば、もう2度と山中湖周辺でイーゼルを立てることはないだろう。時は過ぎてゆく。

2012年6月27日の『片瀬白田だより』の最終回と、2013年1月10日の『御殿場だより』の最終回を下記にコピペします。ちょっと前の、同じような出来事だが、文章が若いね。ここへ来て落ち入りがちな、老人のセンチメンタルな気分を払拭して、もうひと踏ん張り、制作に負荷を掛けて生きてゆこう。

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  『片瀬白田だより』2012.06.27【最終回】

2010年の5月から始めた、「片瀬白田だより」も今日で最終回です。7月からはこのページのキャプションは【御殿場だより】になります。引っ越しは、少し手違いはありましたが、なんとかクリアでき来週行って荷物の整理をし、再来週からいよいよ、富士山に対峙します。これから御殿場で出来た作品は「富士(1)」から通し番号を打ち、とりあえず2年間で100点を目標に私の晩年の具象画の集大成を目論んでいます。

東伊豆の風景も溜まっているキャンバスを完成させれば、たぶんこれで描くことはないだろうが、この2年間のイーゼル絵画への試みは私の絵画上の大きなエポックでした。片瀬白田で描いた作品の上で、気付き、試みた数々の絵画上の問題は、新たな富士山の絵で引き続き試され、生かされることでしょう。東伊豆の自然、知りあいお世話になった人たち、ありがとうございました。

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  『御殿場だより』2013.11.21【最終回】

2012年の7月から始めた、「御殿場だより」も今日で最終回です。来週からはこのページのキャプションは【山中湖村だより】になります。来週引っ越しをして荷物の整理をし、再来週から山中湖からの富士山に対峙します。御殿場で出来た作品は「富士(1)」から「富士(80)」まで描きましたが、「富士(81)」からは山中湖側からの富士山になります。

御殿場側からの富士は、溜まっているキャンバスを完成させれば、たぶんこれで描くことはないでしょうが、イーゼル絵画は1点1点が、現場での真実の裸眼の記録なので、忘れられません。御殿場で描いた作品の上で、気付き、試みた数々の絵画上の問題は、新たな山中湖村での富士山の絵に引き続き試され、生かされることでしょう。御殿場の自然、知りあいお世話になった人たち、ありがとうございました。

今週の御殿場行は、来週の引っ越しの準備で、描くのはあきらめた。昨日(13日)は片付けが早めに終ったので、午後から御胎内温泉に出かけた。山中湖村に引っ越すことは、レストラン『利顧』の店長勝間田氏には先月末に伝えてあったので、最後もやはりメニューにはない料理をサービスしてくれた。別荘とはいっても、ほとんどの時間を絵を描くことに使っているので、水曜日の夕方温泉にはいり、レストラン『利顧』のおいしい料理で1杯やって帰るのが、御殿場での唯一の楽しみであり骨休みでした。店長の勝間田氏をはじめ、従業員の方々も顔を覚えてくれ、よくしてもらって、ありがとうございました。

たまたま、引っ越しの連絡にケイタイを持っていたので、掲載写真は店長勝間田氏と副店長児玉さんと私の『利顧』店内での写真をアップしました。この、ページには写真が1枚しか載らないので、このとき休憩中でいなかった黒木さんとの写真はフェイスブックに載せます。

「山中湖村だより」 2017.11.02【道志風景(錦秋)】

今回の山中湖行は、10月30日(火)から今日(11月2日、木)まで山中湖村で過ごした。今回は、先週の初冠雪が融けていなければ富士を描こうと思っていたのだが、山頂に雪はなく、11月1日は道志村に出かけた。今回は、板橋のバス停で降車せず、長又のバス停で降りて道志道の対岸の道を板橋まで下る。前から気になっていた道で、この日歩いて気が済んだ。いい風景がなければ、板橋の橋の上からの風景を描けばいいやと思って写真を撮りながら歩くと、結局板橋近くで好ポイントに出遇った。ここは前に一度見ていたのだが、黄葉の風景はまったく印象が変わる。帰りのバスの時間が11時4分なので、朝時間を使った分、途中までしか描けなかったが、残りはアトリエで埋めた。今年の黄葉は、山中湖周辺でもここ数年より美しく、普段の色使いとは違った絵で楽しかったし、この作品を完成に進めていくのが楽しみだ。来週、イーゼル画会のメンバーの浜田さんと道志道の駅で落ち合って、絵を描く予定なので、ここで、描こうと思う。この場所の少し下に、もう一カ所イーゼルを立てるポイントがあるので、来週私はそこで描くつもりだ。それまで、黄葉が散らないで保ってくれればいいが。

「山中湖村だより」 2017.11.09【道志風景(道志川錦秋)】

今回の山中湖行は、11月7日(火)から今日(11月9日、木)まで山中湖村で過ごした。今回は曇り時々小雨の中、道志道の駅でイーゼル画会のメンバーの浜田さんと待ち合わせて、道志村の風景を一緒に描いた。天気が良ければ、陽にあたる錦秋の御正体山を入れた風景を予定していたのだが、この日のこの場所は、9月28日に描いた無名の橋の上からの、水量が増えた道志川の風景で、黄葉が美しい。天気予報は時間とともに雨は止むというのに、小雨は描いている間中続いて、傘をさしながら描き終える。今まで、何度か悪条件の中で描いたことがあるが、その時に描いた絵が良い絵になれば、途中がどうであれ全てが正解になるので、少し描き急いだが、持ち帰ってなんとか完成にまでもっていきたい。描き終えて、道の駅の食堂で昼食(私はソーセージパイとポテトパイとビール)後山中湖のアトリエに浜田さんの車で送ってもらい、私は持ち帰った絵に手を入れた。浜田さんは、その時の私をスケッチして、4時頃御殿場乙女峠経由で箱根のお母さんの家に向かった。

山中湖も描けるのはあと2回。北氏は休みがとれず山中湖には来れないとメールがあり、最後は一人で山中湖の絵を描き、一人で山中湖を離れることになる。あと2回のうち、1回は調節池か平野浜で富士を描きたいと思う。30号のキャンバスを張ってあるので、それを、最後の富士にしたい。「犀の角のようにただ独り歩め」(スッタニバータ)である。淋しさを紛らわすカラ元気かなぁ。

描き終えての写真は、雨で急いで現場では撮り忘れたので代わりに9月28日の同じ場所での写真を載せました。

「山中湖村だより」 2017.11.16【川口の秋(一ノ砂川)】

今回の山中湖行は、11月14日(火)から今日(11月16日、木)まで山中湖村で過ごした。15日は朝から曇り空で富士は顔を見せず。それならば道志村に行こうと思ったが、バスに乗ってから急遽平野浜の一ノ砂川の川口に予定を変え、平野のバス停で降りた。イーゼルを立てた場所は、2016年12月7日に一度『橋のある風景』の題名で描いた場所で、今回は川幅が広がって、橋はみえないし川端の木立の黄葉の色も前回とは違う。キャンバスを立てた時に、逆方向の富士山頂が一瞬顔を出したので描き終わってから、もう1枚のキャンバスに富士を描くことを期待したのだが、結局この日は雲に隠れたままだった。

これで、山中湖で描ける日は来週の1回を残すのみ。富士が見えれば調節池、見えなければ、道志村に行こうと思う。

11月13日は私の父親の命日なので墓参りをし、今日は、柏でよく買っていた古本屋に、蔵書やCDの一括処分をお願いする。山中湖の借家の荷物の処分を含めて、もうそろそろ自分自身の身辺整理をしておかないといけない年齢になってきた。ほとんどの物は持主の手から離れるとゴミになる。私の作品を、天は残してくれるだろうか。ともあれ、美術に関する以外の物は、極力整理していこうとおもう。

「山中湖村だより」 2017.11.23【御正体山(みしょうたいさん)】

今回の山中湖行は、11月21日(火)から今日(11月23日、木)まで山中湖村で過ごした。来週いよいよ山中湖の借家を引き払うので、22日は、ここで描く最後の作品になる。富士山か道志村か迷ったが、張ってあるF30号のキャンバスに合せて道志村にする。前にチェックしていた、11月2日に描いた場所の、少し下の風景は、木立の葉が落ち、木立の後ろの別荘がジャマなので諦める。それではと、今いい感じにその絵が仕上がりつつある、10月12日に描いた場所にイーゼルを立てた。視角の広い風景を大きな画面で描くのは気分がいい。描き終えて、昼頃アトリエに帰り着いてから天気は下り坂、今朝まで山中湖は大雨だった。ラストチャンスを、間一髪叶えてくれた天に感謝します。

今日の帰柏は、いつもの高速バスに東京まで乗ったのだが、車窓からの景色も多分もう見ることはないだろうから、感傷的になってしまった。2016年の3月から御殿場線廻りから、東京⇄山中湖の高速バスに切り換えたのだが、来週、引っ越し荷物を出した後は、予約のいらない御殿場廻りで帰るつもりだ。御殿場線廻りも、高速バスに変える前に何度も通った道なので、一層感傷的になるだろう。2010年の5月、東伊豆の片瀬白田に家を借りて始めたイーゼル絵画も、御殿場そして山中湖と、2017年11月30日に終える。この間、多くの物を得、自分自身の気力体力を含めて多くの物を失った。

誰でも若い頃から喪失感は何度も経験することで、何かを得、何かを失うのだが、老人の相転移は、自然にまかせるとどんどん「昔は良かった、あの頃は良かった」式の感傷に落ち入ってしまう。この、感傷のメカニズムの因って立つところは、一応自分の中では分析しているので、近く『画中日記』で文章にまとめたらアップします。『山中湖村だより』は来週が最終回です。

岡野岬石「山中湖村だより」 2017.12.01【最終回】

今回の山中湖行は、11月28日(火)から昨日(11月30日、木)まで山中湖村で過ごした。2010年の5月、東伊豆の片瀬白田から始まり、御殿場、山中湖と7年半の借家と柏のアトリエとの往復の生活も昨日の引っ越しでピリオドを打った。少しづつ揃えていった生活用品と絵の道具は、半分は廃棄処分しても、柏のアトリエに運ぶ品物は思いのほか量がある。ひとつひとつ揃えていった思い出の品も、大半はゴミになった。若い時と違って、残り時間の少ない老人の今回の引っ越しは、感じ気付く処が多々あった。残ったのは作品だが、この間の絵を含めて、地下の倉庫にほぼ満杯の私の絵は、ゴミにならないことを願うがどうだろうか。

今日は、柏のアトリエに荷物が届くが、ここ当分片付けと整理に追われる。その後は、アトリエの中の物を、大幅に廃棄して行こうとおもう。64歳でイーゼル画を始め今年で71歳、この間は楽しく充実した時間を過ごした。ひとつの時代が終わったということで、今後は、私自身が相転移しなければならない。相転移がうまくいかなければ、「昔は良かった、あの頃は良かった」という老いの感傷の、淋しさと切なさに襲われるだろう。さて、次の私の相はどのように展開するのだろうか。

という訳で、本日で『山中湖村だより』は最終回です。

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