岡野岬石の資料蔵

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室蘭(イタンキの丘)だより

投稿日:2022-10-22 更新日:

室蘭(イタンキの丘)だより

イントロダクション

『画中日記』2022.08.13【北海道に】

室蘭にイタンキ浜という海浜がある。このところ、その浜を中心に、室蘭のユーチューブをネットサーフィンしていたのだが、いよいよ昨日、来月の1日から15日まで、現地でイーゼル画を描くことに決め、宿泊と、飛行機の予約をした。

宿泊は、イタンキ浜の上の丘にあるユースホステルで、おあつらえ向きの場所にある。ユースホステルの宿泊は若い時に、飛び込みで数回あるが、今回は予約をした。ネットでアップされているので、だいたいの様子がわかり、安心して電話した。北海道には、礼文島で見、ホステラーの一行とも海岸ですれ違った桃岩ユースホステルのような、私の苦手のユースホテルがあるので、ネットの情報は大変助かる。

交通手段は、東北新幹線で新函館経由で室蘭に行きたかったのだが、新函館から室蘭へ、噴火湾沿に直接行く長距離バスにヒットしなかったので、新千歳空港に着く飛行機にした。ネットで買えば、安いキップも予約できるので、行きも帰りもネットで予約した。いい時代になったねぇ。私がパソコンを使いはじめ、電話回線も光に変えてネットを使いはじめる以前は、旅行の情報収集と、各種予約は大変手間のかかる作業だった。そのため、決断をすれば一切をはぶいて、行き当たりばったりの旅行をしていたのだが、これはこれで若くなければできない、大変な体験であった。

まあ、人生はいつも同じで、これが最後かなあとおもった伊豆大島のイーゼル画を乗り切ったので、この旅行が浮かんできた。重い画材を背負ってのイーゼル画はこれが最後かなぁ、と今回もおもい、歴戦の老兵は昨日唐突に決断した。宿泊期間も一週間あればと思ったが、もう二度と現場にイーゼルを立てる時はないだろうから、余裕をみて二週間にした。戦場の、現場での決断は、いつの時代もこういうものだ。

『画中日記』2022.08.25【時は常に過ぎゆく】

8月13日に、室蘭のイタンキ浜に描きに行くことを決断し、時は過ぎて、来週は北海道でイーゼルを立てる。その準備のために、今日はキャンバスを10枚張り、荷造りをした。明日は、もう一つの荷物の、絵具箱と生活雑貨を荷造りして、近く同時に発送する。

こうやって、一週間後に室蘭に行き、室蘭の初めての場所にイーゼルを立て、10枚のキャンバスを描き切り、9月15日にアトリエに帰ってくる。

芸大卒業以来半世紀、ずっとこうやって生きてきたんだなぁ。未来の時は、確実に来るのだけれど、いつもいつの間にか目の前に来て、そしてすぐに通り過ぎていく。そして、画家には通り過ぎた時間の上にその時に描いた作品が残る。さて、今度はどんな作品が出来るのだろうか。

『画中日記』2022.08.31【明日は室蘭】

今朝は、最新作をフェイスブックにアップし、日帰り温泉に行って、今帰ってこの文章を書いている(14時10分)。明日からは室蘭のイタンキ浜の、室蘭ユースホステルに15日まで連泊し、15日の夕方柏に帰る。その間、毎日ルーティンでアップしていたフェイスブックは休みます。16日から、「室蘭(イタンキの丘)だより」で、現地で描いたイーゼル画の完成途中の作品、フォトデータと文章で再開アップします。

ちょうど50年前の1972年から、1975年まで、札幌市の手稲山のふもとに住んで、北海道全土の風景を描いてまわったが、室蘭という都会のすぐ近くに、こんな風景があったとは知らなかった。昔と違って、データが簡単に入手できるユーチューブのおかげです。イーゼルを立てる予定のポイントは、すでに何箇所かはチェックしている。ほとんどは、近くまで車で行けるので、画材を背負って歩く距離は短いだろうから、老画家にはおあつらえ向きだ。

この歳になると、毎回これがイーゼル画のラストチャンスかなぁ、と思うのだが、乗り切ると、次のモチーフが浮かんでくる。今回も、急に浮かんできた室蘭行で、明日からが楽しみだ。

今、15時10分。これから明日の旅行の準備をします。

『画中日記』2022.09.01【これから出発】

今朝は、いつも通りに起床し、いつも通りにルーティンをこなして、9時にアトリエを出発する予定だ。室蘭から帰ってきてから、フェイスブックの投稿を再開します。「室蘭(イタンキの丘)だより」を“乞うご期待!”(昔の映画の予告編によく使われていた文章)。

室蘭(イタンキの丘)だより

『イタンキの丘(室蘭)だより』① 2022.09.01【室蘭ユースホステルに到着

室蘭ユースホステルに到着。昔々と違って、今はデジカメで写真が惜しげもなく撮れ、日付も時間も、入れる・入れない、が自由に選択できるので、メモがわりに使えて、この文章のように、後で書く場合に助かる。

久しぶりの飛行機だったので、今の時代の飛行機に乗ることに色々と齟齬があった。今回は私のパソコンで予約したので本名と画号の岬石が違って打ち込まれていたらしく、搭乗券の発券に本人と証明されるものを要求された。私は運転免許証を持っていないので、個人番号登録書を持っている。念のために、旅行の時は持って行くが、持っていてよかった。それと、飛行機のセキュリティーのための検査が以前より厳しく、ポーチの中の、じゃまな枝や草を切るためや、目印のテープや荷物を吊り下げるための紐を切るための万能ハサミと、固まった絵の具のキャップを炙ってあけるためのキャンプ用の野外用のライターを没収された。まあ、こちらの都合が通用しないのだから仕方がないが、旅の初っぱなだから気持ちが萎える。禁煙もマスク(ワクチンは打たない)も、アトリエの外では仰せのとおりにいたします。

飛行機の中は満席で通路側の席、帰りもそうだったので、パソコンで直接予約の通常運賃より安い席は、自動的に通路側なのだろうか。私は乗り物はすべて、窓の外が見える席が好きで、夜でも外を見ていると長時間でも飽きない。でも今は、飛行機の窓を開けている人は少ない。寝たり、自分の用事をしている。

スチュアデスは、今はルームアテンダントというのか、本人もお客も高嶺の花感があったが、新幹線のワゴンの売り子とほとんど差がない感じだ。

新千歳空港に着いて、手荷物引換証と手荷物タグの検査もなく、これまたアレっという感じで空港を出て、室蘭行きの道南バスに乗る。これも、事前に予約がいり、電話で予約はしていたが昭和生まれの後期高齢者には、ナンダかなぁ、という感じ。

「日本製鉄前」のバス停で降り、歩いてもたいした距離ではなかったが、道を知らないので、タクシーをさがした。流しのタクシーが通らないので(知らない町ではよくあることだ)、向かいのバス停で待っている婦人に、知っているタクシー会社の電話番号を聞いている時に、ちょうど、空車が通りかかり室蘭ユースホステルに着いた。

室蘭行き、新千歳空港高速バス停

室蘭行き高速バス停前のベンチにて、タイマーで自撮り


室蘭ユースホステル

夕食、湯呑みの中身はウイスキーの麦茶わり。タイマーで自撮り

『イタンキの丘(室蘭)だより』② 2022.09.02【まずは、地球岬に

室蘭での初日は、前日流しのタクシーに乗った時に、8時にユースホステルに迎車を予約しておいた。帰りの車も、その会社のタクシーを使ったのだが、ユースホステルのフロントに地元のタクシー会社の名刺が置いてあったので、翌日から、滞在中はズッとその会社のタクシーに現場への送り迎えをたのんだ。電話をする時間は不定なので、そのつど運転手は違うのだが、何度か同じ人にもあたった。地元に生まれ育った人がほとんどなので、車内での話は、室蘭の良い情報源で、いろんなことを聞いてあきない。

地球岬は、室蘭の観光スポットなので、描画の後半、バスツアーの団体がそれぞれ2台やってきた。団体客はよく話かけてくるので、描いていておちつかず、早めにイーゼルをかたずける。イーゼルを立てた写真を撮り忘れ、近くのベンチの上に置いて現場で描いた絵の写真を撮った。

売店の、つぶ貝の串焼きとビールでも飲んでから、今日乗ったタクシー会社に電話しようとおもって大きな駐車場の入り口に荷物をおいていたら、たまたま、その時入ってきて車を降りた地元の人が、私の荷物を見て話しかけてきた。

私は事前に情報を得ていた、遊歩道をその人に聞いたら、そこを歩くつもりだから、一緒に案内してくれるという。荷物をそこにデポし、チャラツナイ方向とぐるっと回って駐車場に帰る二股で別れた。私の方は、途中のベンチで一服したり、写真を撮りながらゆっくり歩いていると、チャラツナイまで行ってきた彼と再び合流した。駐車場まで帰ると、行きでタクシーで通った道でなく、観光道路という横道(傾斜地の町村の道は、縦道と横道がある)で案内しながらユースホステルまで送ってあげるという。翌日のイーゼルポイントの確認と、観光道路という道を知ったのは、後の取材に大きなプラスになった。室蘭に限らず、いろんなところを歩き回るのが趣味だそうで、後で思いついたのだが、もし時間が自由ならば、タクシーの代わりをしてもらえばよかった。ユースホステルの前にある、汐見ヶ丘展望台にはよく行くと聞いたので、会えるかもしれないとおもったけど、再会できなかった。

固辞されたけれど、車のフロントにタクシー代相当のお金を置いて、お礼がわりにさせてもらった。

地球岬灯台/F15号/油彩/2022年

現地での途中作品

チャラツナイへの遊歩道のベンチ

 

『イタンキの丘(室蘭)だより』③ 2022.09.03【トッカリショに

この日の、タクシーは地元輪西の室蘭ハイヤーに前日8時に予約しておいた。後で知るのだが、この会社は24時間営業していて、配車はいつでもそのつど電話をすればいいとのこと、今後は、朝準備でき次第に電話することにする。地球岬は、まだ2ヶ所描くところがあったが、前日の時間の観光客の多さで、描く時は、朝早い時間にイーゼルを立てなければならない。

この日は、前日熊谷さんの案内で下車して写真を撮った、トッカリショの展望所にイーゼルを立てた。崖の向こうには、イタンキの浜が遠望できる。太平洋に直に面した崖と浜の風景はは、人の住み着く以前から、今私が見ている風景とほとんど変わりがないだろう。こんな風景に出合おうとおもって、以前は全国を歩き回ってさがしたのに、まして、そこでイーゼルを立てられるなんて、年齢もくわわって、もう諦めていた。北海道の大都市の近くで、車で来れて、その場でイーゼルを立てられる。今、ここで、老イーゼル画家に、天の配剤が出遭わせてくれたことを感謝します。

ユースホステルに帰って、現場での絵に手を入れ筆を洗ってから、輪西の町に買い物に出た。坂道の途中で、朝、ユースホステルの前でも見た鹿が向かいの斜面で草を食んでいる。カメラを出しても逃げないので写真を撮っておいた。

イタンキ浜遠望/F15号/油彩/2022年

『イタンキの丘(室蘭)だより』④ 2022.09.04【亀岩に

この日は、9月2日に、地元の熊谷さんの運転で案内され、亀岩という場所に、イーゼルを立てる。ここは、事前にユーチューブで、ドローン撮影の動画を見ていて、滞蘭中にイーゼルを立てることは予定していたが、実際の場所は知らなかった。

なぜここが亀岩というのか、という由来を熊谷さんは知っていて、道から外れて、草むらの中のある地点に案内される。草むらの向こうは斜面なので、うかつには近づけない場所だ。その時の写真を、載せておく。なるほど、亀だ。タクシーの運転手は、ここが亀岩という名称だということを知らなかったので、一部地元民しか知られていないのだろう。

素晴らしいロケーションで、しかも、柵も、案内板や標識類も何もない。画家にとってはおあつらえ向きの場所だ。しかし、その分イーゼルを立てるには、怖いよ。おまけに、海から太平洋の風が吹き上げてくる。左右の崖の間に、海が入る場所にイーゼルを立てる。

筆を持てば、恐怖心は消える。〈美〉という大義は人を強くするのだ。

いつ、どこででも、針の穴を通すがごとく、絶妙のイーゼルポイントを見つけるのは、半世紀以上の、絶え間のない描写の修行を積まなければ、一朝一夕では無理ですよ。

崖上風景(1)/F15号/油彩/2022年

亀岩、亀に見えるでしょう

『イタンキの丘(室蘭)だより』⑤ 2022.09.06【風の日のイタンキ浜

前日の9月5日は、台風が沖縄近海をゆっくり北上している時で、室蘭では午後から天気がくずれるという予報なので、朝準備して亀岩に向かった。タクシーを下り、現場の立ったが、あまりにも風が強く、ときどき小雨もはしる。小雨くらいでは傘をさして描けるが、風が強いと傘もさせない。傘と、イーゼル上のキャンバスがあおられるのとで、ここで描くのをあきらめ、もう一度タクシーを呼んでユースホステルに帰った。

今日6日は同じような天気で、朝食後ユースホステルの玄関前の喫煙イスで一服し、さてこれからどうするかを考える。

風が強すぎて、昨日の崖の上は今日も無理だろう。目の前のイタンキ浜は9月2日の午後、汐見ヶ丘展望台を散歩をした際に、浜と2階の駐車場(地元の人は浜辺の駐車場は1階の駐車場、上の駐車場を2階の駐車場、とよんでいたことをユーチューブで知る)の斜面の、キクイモの花の群落を写真に撮っていた。キクイモは単独では、花弁が下がっていて貧相だが、群落で咲くと、黄色が絵の中では美しい。雨は降ってないのと、風のために、打ち寄せる波の白さの幅が広いので、ここでイーゼルを立てることに決める。

あらためて準備し、10時23分、海から吹き上げる強風のため、イーゼルの脚を短くし、歩道の端の、あちこちほころびのある、道に沿って長く造られた、ベンチなのか草止めなのかよくわからないタイル張りの台の上に腰を下ろして描き始めた。11時10分、現場での作業はここまでにし、12時51分ユースホステルに持ち帰っての加筆を終える。これで、この絵が美しい絵に完成すれば、今日のすべての状況判断が、正解になるのだ。

満足!満足!

イタンキ浜風の日/P15号/油彩/2022年

『イタンキの丘(室蘭)だより』⑥ 2022.09.07【望洋(トッカリショ)

この日は、9月4日亀岩を描き終えて、すぐ上の海側に、観光道路からの踏み分け道が見えたので、歩いてみて出逢ったポイントでイーゼルを立てた。イタンキの浜から、地球岬を経て、絵鞆半島展望所までの外海岸沿いの、踏み分け道は、ビューポイントの宝庫だ。すべて歩いてみたいが、結果的に、今回は地球岬から先は歩けなかった。次回来ることができれば、描きたい所が3か所あるが、今回でも描き残した所がまだあるので、どうなるか。

私にとって理想的なのは、タクシーをおりて、画材を背負って歩く距離が短いこと。太平洋からの海風が強いので立木が少なく、崖上は草原で、視界をさえぎられられないこと。地球岬を除いて、一般的な観光地ではないので、地元の人以外、観光客が少ないことで、描画に集中できること。柵や、看板、標識、トイレ等、キャンバス上では不用な人工物がほとんどないこと。

ということでこの絵を描いたが、この場所は、道から少し入るが、知っている人はよく使うのか、草の短い小いさな広場状になっていて、天気も良く、風も弱く、ゴキゲンだった。ハワイアンソングの題名に『Sea Breeze』という曲があるが、そんなことも思い出す。頰にあたる風はまさにシーブリーズ、海のそよ風だ。目の前の海が、太平洋で、この海風が、太平洋からの風なんだよ。太平洋の生まれたての風を、その風をマスクなしで頬に受けながら、太平洋の光る海を描いているんだよ。絵描き冥利に尽きるね。

望洋(トッカリショ)/P15号/油彩/2022年

『イタンキの丘(室蘭)だより』⑦-1 2022.09.08【トッカリショ

この日は、昨日描いた『望洋(トッカリショ)」と同じ場所でイーゼルを立てる。

来年の6月に、ギャラリー絵夢で第7回イーゼル画会展が開催されるが、会場が広いので、メンバー全員に、出品作に大作を要請している。

イーゼル画は、万能ではない。夜の風景、動物や人物の瞬間的なポーズ、それと大作。30号以上のキャンバスは、仮小屋を建てないかぎり外では描けない。私は以前山中湖で富士山を80号で描いた時には、現場で15号から30号の作品を3点描いて、中央・右・左の3点を組み合わせて、80号の作品1点をアトリエで仕上げた。

第7回イーゼル画会展の出品作に、60号で同じ方法で、描こうとおもって、今日の絵を描いた。明日は左側の絵を、描くつもりだ。

トッカリショ/P15号/油彩/2022年

『イタンキの丘(室蘭)だより』⑦-2 2022.09.08【崖上風景

この日(8日)、1枚目のトッカリショの2枚目(右側)を描いてから、少し下りてきて、亀岩で、今日2枚目のキャンバスに手をつけた。この時間にイーゼルを立てたることにしたのは、朝早い時間では、光が真逆光に近くなって、岩の影が多くなり色彩が寂しくなるので、この時間まで待っていた。

イーゼルを立てて描き始めたが、途中で、溶き油がなくなった。予備の小瓶に溶き油を補充していなかったのが、うっかりミスだった。ということで、現場ではここまでしかできなかった。

でも、途中までしか描けなかった絵を、完成まで持っていった経験は、過去何度も経験している。特に故郷の大仙山での絵は、むしろ視線の縛りがゆるい分、自由度が増し、うまくいく場合もあるのだ。

完成作は、完成時にアップしますが、仮に、これまでの写真をアップしておきます。

崖上風景(1)/F15号/油彩/2022年

 

『イタンキの丘(室蘭)だより』⑦-3 2022.09.08【新聞の取材を受ける

この日(8日)は忙しく、午後3時頃、北海道新聞の室蘭支社の村上真緒さんから、今回の訪蘭の取材を受ける。旅行中に忙しいことは妙に嬉しい。翌日(9日)は室蘭民報社の奥野浩章氏の取材を受け、紙面には共に写真入りで13日に出たのだが、この出来事は、私が広報したのではなく、室蘭ユースホステルのペアレントとして、室蘭で長年地域活動をしてこられた藤当満氏のネットワークのつながりの力だ。その切り抜き記事と、私のテキストは13日のイタンキだよりに投稿します。

両者とも、記事はシンプルな短い文章だが、いつものとおり、私の世界観は全元論なので、あちこち飛び回り、関係ない話でもしゃべり出したら止まらない。村上さんの取材ノートは、メモでいっぱいになり、あとでどうやって記事にするのか、気の毒になりながらも、私は聞いてくれれば満足なのです。私の『全元論』の持ちネタ、「香嚴撃竹(きょうげんげきちく)」の話までしてしまった。

『イタンキの丘(室蘭)だより』⑧-1 2022.09.09【3日続けて

この日(9日)は、一昨日(中央)、昨日(右)と同じ場所で、視角を左に振ってイーゼルを立てた。もっと左に振るとイタンキの浜が見える。崖の向こうの岩礁の白波の位置を、キャンバスの上に決め、構図を決めていった。画面では二つの島のように見えるが、奥が鷲別岬、手前がイタンキ岬だ。

この場所は、一昨日、昨日共風が強く、イーゼルの後ろに重石を置いたが、今日は微風で重石はいらない。描画時に、眼と手が何らかの障害で伝達がスムースに動いていかないと、パレット上の色を筆につけ、その筆先をキャンバス上のある位置におくという無意識(これも、修行がいる)の一連の動作が躓き、イラつくのだ。

天気もよく、誰もいない緑の草原(くさはら)の崖の上で、目の前太平洋からの生まれたてのシーブリーズと初秋の日射しを、マスクなしで身体に受けながらキャンバスにむかっている。周りの空間と光は、世界存在のありのままの、今、ここである。そして、それを認識しているのは、今、ここの私一人だ。いや、私ではなく私の眼だ。眼を自我意識から切り離し独立させ(これは、慣れないと難しいが、イーゼル画で鍛錬するとコツをつかめます)手に伝える。この、一連の動作を、躓きもなくスムースに進められれば、画家の畢竟(ひっきょう)地だ。

とにかく、この日は画家にとっては、作品の良し悪しとは関係ないが、マイナスポイントのない極上の時間だった。

望洋/P15号/油彩/2022年

『イタンキの丘(室蘭)だより』⑧-2 2022.09.09【イワツバメ

室蘭の外海岸は崖になっているので、イワツバメが崖に巣をつくり、多く飛び回っている。亀岩の崖は、とりわけ多く目につく。今日は、そのイワツバメがときどきひとかたまりに群れて、鳴きあっている。私のかってな推理だが、なにかの羽虫の集団婚の群れを、捕食しているのではないか。

デジカメで追ってみたが、ツバメが小さくて写っているかどうか。鳴き声は、ICレコーダーを持ってこなかったが、以前富士山麓でホオジロの鳴き声を、デジカメで録画、録音したことを思い出し、2度やってみた。

イーゼル画では、描くことはできないが、こんな資料を使えば、いつかアトリエで小品を描くこともあるかもしれない。

『イタンキの丘(室蘭)だより』⑨ 2022.09.10【エニ山駐車場上から

この日は、朝の日の出から海から上る満月まで、一日中、世界存在の切断面に同調した。海から上る満月や太陽は、海面の反射する光、波の状態、反射角度、水平線上の雲の状態等々一期一会の幸運の数字が揃わなくては、出合えない。2010年にイーゼル画を始めて、つくづくそのことを確信する。

「1点の絵がこの世界に現成するのは、人間一人ひとりを含めて万物の現成、存在と同じく不思議で奇跡的なことなのです。セザンヌの『サントヴィクトアール』、ゴッホの『向日葵』、岸田劉生の『切り通し風景』の絵は、画家とその風景がその時に出遭わなければ、その時にイーゼルを立てなければ、イーゼルを立てキャンバスをセットしても画家が描写スキルを持っていなければ、画面の美しさはこの世界に現成しないのです。

美(超越)を信じる画家は、個展や画集のために絵を描くのではありません。まして、名利のためでもないし、結果としてその絵が売れれば大喜びですが、売ることが目的ではありません。画面の美しさのため、美に向かって自己目的的に筆のタッチを重ねていくのです。制作現場でそのように為(な)した1点1点の、一期一会(いちごいちえ)の積み重ねが100点強の作品になり、その展覧会になり、そしてこの本になるのです。」(『瀬戸内百景』まえがきより)

この日は、イタンキの丘のエニ山下の駐車場から少し上がった小ピークで、イーゼルを立てた。前日と同じく、風のない快晴の下で筆を走らせる、至福の時間を過ごした。

途中、眼下の駐車場に車を止め、ドローンを飛ばして周りの風景を撮っている。昔観たアンゲロプロス監督の『永遠と一日』の映画の中で、主人公の老人が、岬の岩の下に埋め、忘れていた思い出の品を空からヘリコプター(ドローンなどないので)で撮ったのワンシーンを思い出す。(ついでに、子供の時に大原美術館で観たミレーの作品、岬の崖の上に寝そべる牧童を描いた、子供心にショボく感じた絵も思い出す)。ああ、緑の崖の上で、白い長袖のシャツと麦わら帽子の老いた画家が、一人イーゼルを立てて絵を描いている、今の自分をドローンで撮ってもらいたい。

崖上風景/F15号/油彩/2022年

『イタンキの丘(室蘭)だより』⑩ 2022.09.11【再び亀岩の崖に

今回の、室蘭の外海岸でイーゼルを立てたポイントは、地球岬からイタンキ浜までの東半分で、地球岬から絵鞆岬までの西半分は、予定には組んでいたのだがまだ行ってもいない。それは、亀岩の崖付近が、思いのほかに、イーゼルを立てる場所があったことによる。このポイントでイーゼルを立てるのは2度目だが、前回9月8日に描き残していた、『崖上風景』を今日の1作目を描き終えた後に描こうとおもっていた。

この日は、風が強く、イーゼルを立てる場所を決めるまで、風が比較的弱く、なおかつ視界が良い場所をウロウロとさがした。それでも、風は強い。キョンバスやパレットをおさえると、無意識で動いていた、混色した筆先の絵具の、キャンバス上のおき場所を、再確認しなくてはならないのと、一旦筆をおいても、その瞬間、キャンバスが風で揺れれば、筆先はポイントからずれてしまうので、そのつど、描画は中断する。しかし、経験をつんだ歴戦の老兵は、イラつかないで、端折らないで、タンペラマン(絵描魂)で描き切ることができる。アゲンストの風をのりきって「どうだ!」という気もするが、最近、すべてのことにイラつかず、怒るということがなくなっているので、たんなる、老化による感情の経年劣化かもしれないなぁ。

もう1枚手を加えるつもりでいた『崖上風景』の途中の絵は、描いた場所の風のために、描くのを諦める。結局この絵は、この後手を入れる時間がなく、そのまま柏のアトリエに持ち帰り、先日(10月5日)完成させた。

イタンキ浜遠望/F15号/油彩/2022年

『イタンキの丘(室蘭)だより』(11) 2022.09.12【地球岬に

今回の室蘭の滞在は、9月1日から15日までで今日をいれてあと4日。14日には、画材とキャンバスの発送があるので、絵が書けるのは今日と、明日の2日のみになってしまった。時はいつの間にか来て、いつの間にか過ぎていく。

天候にめぐまれ、絵が描けなかったのは1日だけ。用意した10枚のキャンバスは昨日で使いきってしまったため、室蘭の昔の繁華街である中央町の中林紙店で、F10号の張りキャンバス2枚と、足りなくなるかもしれない、筆洗油(灯油でいいのだが)とパンドルとテレピンのそれぞれ小瓶を買ってきた。中央町は室蘭で一番の繁華街だったが、人口の減少と交通の流れの変化で、シャッター通りとなっている。多くの人とお金で賑やかだった昭和の残照が、街並みのそこここに残っていて、ノスタルジックになり、昔のことを思い出す。平林紙店の近くの店の看板に津田という名前があった。私の芸大の同級生の津田和歌子さんは、室蘭出身だったことを思い出し、多分、ここと関係があるのだろう。津田さんは一級上の芸大生と結婚して、千葉の在に住んでいると聞いている。時は流れて無常だけれど、過去の実在の残身は、消え去っていないんだなぁ。

この日は、室蘭にきて最初に描いた地球岬灯台の左上の小径にイーゼルを立てた。この道は行き止まりで、観光客も来る人は少ない。おまけに、風も弱められるのか、木立も育っていて、空と海と灯台と草と道と木立、F10号のいつもより小さい画面なので、盛り沢山の画面になってしまった。FかPの15号のキャンバスが最適だったろうが、F10号のキャンバスしか室蘭で手に入らなかったので仕方がない。

地球岬灯台への小径/F10号/油彩/2022年

『イタンキの丘(室蘭)だより』(12) 2022.09.13【金屏風展望台

今日は、今回の滞蘭中の最後の作品を金屏風展望台でイーゼルを立てた。ここの隣の入江がトッカリショで、崖下の入江はよく似ていてまぎらわしい。室蘭の外海岸は、地形的なシチュエーションが、イタンキ浜から地球岬をはさんで絵鞆岬まで長くつづいているので、予定オーバーの12枚のキャンバスを埋めても、地球岬から先のポイントを描ききれなかった。まあ、描ききれなかったことは、宿題だとおもわず、私にもう一度描きに来なさいという、天からのオファーと考えればありがたいことだ。こんな老画家にも天からまだオファーがくる。幸せな、画狂老人だなぁ。いや、「絵バカ」とか「画狂老人」ではなく画幸老人と名乗ろう。「画幸老人」、岡野岬石いいね。

9月8日、北海道新聞室蘭支社、9日、室蘭民報社から取材をされ、今朝の記事で、それぞれの新聞に掲載された。金屏風展望台で描いている時に、地元の女性に新聞でみました、見ていていですかと、話しかけられた。「ドーゾ」と答えたが、話し相手にはなれない。絵を描いている時は、無愛想でしかたがないのです。婦人はしばらく後ろで見ていて、「ありがとうございました」といって、離れた。その声を聞くまで、婦人がまだいたとは気づかず描画に集中していた、自分のイーゼル画による修行の成果に、「オレもここまできたか」と自己満足した。

この日は、新聞に載ったせいで、室蘭ユースホステルですべてを終えて、玄関横の喫煙所で一服していると、車が入ってきて、地元の人が話かけてきた。アマチュアカメラマンで自分の写真を見てほしい、という。今日やるべき事はすべて終わっているので、部屋で彼の写真を見た。丁寧にアドバイスをして、私にデータを送れば、私がユーチューブに動画を作って投稿してあげる、といって別れたが、パソコンもメールもやっていないそうで、住所と電話番号のメモは渡したがその後の連絡はない。彼とは、今後それっきりかも知れないが、私の内(なか)では過去につながる。彼の仕事の話のなかで、私の父の仕事のなかの、私が長年知りたかった「スタンフレーム ラダー」という単語の意味がわかったのだ。この話は近々、エッセイで私のフェイスブックにアップしようとおもう。まあ、すべては全元論、「袖擦り合うも他生(多少ではありません)の縁」だね。

金屏風展望台より/F10号/油彩/2022年

『イタンキの丘(室蘭)だより』(13)-1 2022.09.14【荷物の発送

今日は午前中、滞蘭中に描いた全作品、F15号6枚、P15号4枚、F10号2枚と、画材と生活用品と、忘れずに飛行機の持ち込み検査に引っかかりそうな品物を、発送時に手作りしたダン箱に梱包してアトリエに発送した。これで、明日10時50分日本製鐵前のバス停で高速はやぶさ号に乗車(要予約)、新千歳空港から、帰柏する。

アトリエでは一日中やることは山ほどあるので、憂愁の気分に落ちいることはないのだが、旅先で、何もすることがなく部屋に閉じこもると、旅愁から始まり、郷愁や、老いの孤独感も加わり、どんどん鬱のドツボに陥る。百人一首にこんな気分にピッタリの句(寂しさに 宿をたちいで 眺むれば 何処も同じ 秋の夕暮れ)があったのを思い出し、柏に帰ってからパソコンで調べなくてはとメモする。2005年に自費出版した『芸術の杣径(そまみち)』の出版の頃から、パソコンのキーボードで文章を書くのをたどたどしくはじめ、電話回線を光にかえ、パソコン本体の進歩もあいまって、動画も自作できるようになった。こんなことが脳の老化防止になっているのかもしれないなぁ。

旅行中に、憂愁のドツボに入らないために、本は必ず持ってくるのだが、中学生の時に読んだ、ドーデの『風者小屋だより』がユースホステルの談話室の本箱にあったので、ベッドで寝る前に読んでいた。まだ途中なので、この本でも読もうかとおもったが(この本は、アトリエに帰ってからネットで手に入れ読んだので、今の抜き書きが終わったら、次の【読書ノート】に打ち込み、アップします)、天気がいいので、明日の新日鐵前のバス停を確認しがてら、ユースホステルの下の輪西の町を写真を撮りながら見てまわった。

写真は、滞蘭中の花を載せました。

高山植物のウスユキソウ、エーデルワイスとおもうが、正確にはわかりません

高山植物のウスユキソウ、エーデルワイスとおもうが、正確にはわかりません

 

ハマナス

 

ノコンギク

『イタンキの丘(室蘭)だより』(13)-2 2022.09.14【輪西の町

荷物を発送し終え、天気がいいので、明日の新日鐵前のバス停を確認しがてら、ユースホステルの下の輪西の町に坂を下りた。坂のある町は、陰影と変化があって、旅行者の散歩するには飽きないが、生活するには、大変だろうな。私は引っ越し好きで、絵のモチーフが多い所は、すぐに何年か住みたくなり、そうやってこの歳まで過ごしてきた。私は運転ができないので、買い物は自転車なのだが、坂道の上りは自転車を押さなくてはならない。私のような、運転できない後期高齢者には、坂の上の家で生活するのはむりだなぁ。

まずは、新日鐵バス停の確認だが、前日の今日、確認しておいてよかった。通りのバス停のある場所が、思い込んでいた方向とは逆で、明日ブッツケだったら、ちょっと焦っただろうな。若い時は、泊まるところも行き当たりばったりで旅行してきたが、振り返れば、そんな体験も、今の私の行動を形作っているのだからと、昔の経験に固執してはいけない。世界は相転移するし、自分も相転移しなければならない。明日乗る予定の高速バスも、予約がいるのだ。

町を歩いていると、『蘭』という喫茶店があったので、ビールとナポリタンで昼食、後でコーヒーをたのんだら、ブルーダニューブのカップで出された。1970年頃、銀座通りの松屋デパートの近くに、ブルーダニューブの食器専門があった。日本橋画廊と契約して、初めてお金に余裕ができたので、そこで、自分の朝食用のマグカップを買ったのだ。当時はネットで検索など影も形もなく、自分の足でさがすしか方法はない。マグカップを探し歩いたのだが、この店でやっと気に入った品に出遭い買った。青い模様も昔のままだが、取っ手の形にも特徴がある。このカップもふくめて、喫茶店の店内の調度品には、使われていないアップライトのピアノやダーツがあって、私と同世代の、半世紀前の最先端の風俗がそこここにあふれている。今は喫茶店になっているが、かつては、夜は洋酒やカクテルを出す、輪西の町では洒落た高級サロンだったのだろう。若い店主らしい女性に「昭和の香りがするねぇ」と話かけたら、「ええ、古いですから」といって、カウンター席の同級生だったらしい2人の女性の話の輪にもどった。私は褒め言葉のつもりで「昭和」と言ったのだが、彼女の世代には、昭和はマイナスイメージなのか。昭和は遠くなりにケリ(この言い方も古いね)。

 

『イタンキの丘(室蘭)だより』(14) 2022.09.15【帰柏

今日は帰柏の日。画材を発送し、絵が描けない状態になると、すでに気持ちは、アトリエに帰りたいという、旅先での里心(さとごころ)におそわれる。こういう時に、室蘭ユースホステルの立地は助かる。玄関の前から、散歩ルートが数本あるので、朝食後時間をつぶし、日本製鐵前10時50分発の新千歳空港行きの高速バスに乗った。

羽田空港までは、別段書くことはないが、行きと同じく、飛行機に預けたリュックをラベルの照合なしに外に出ることに、今はこうなのかと思った。つまり今は、飛行機も、電車やバスと同じで、飛行機から出れば後は、自己責任というわけか。

もちろん、昭和生まれはモノレールで浜松町乗り換えで、山手線、上野駅から常磐線で柏駅に着いた。私が初めて飛行機に乗ったのは、北海道に取材旅行の帰りで、女満別空港から羽田まで、飛行機はYS11だったと思うが、その頃のモノレールは、未来の乗り物の感があったなぁ。昭和の美人も、年老いる。モノレールも老長(ろうた)けてがんばっている。モノレールの外側の風景は、年ごとに変化し、昭和の風景から一変している。湾岸のビル群ののなかを走る、昭和のモノレールに乗っている取材帰りの老画家は、映画のワンシーンになるね。モノレールの窓に向き合う席に座っている老画家の正面のショットから、後ろから、頭と車窓のシーンに移り、ドローンで空から撮った、湾岸を走る昭和のモノレールで終る、どうこれ。

あとがき

『画中日記』2022.09.15【先ほど室蘭からアトリエに帰る】

先ほど、アトリエに帰りました。作品は、送った15号のキャンバス10枚と室蘭で買い足した、張りキャンバスF10号2点の計12点描きました。充実した毎日でした。明日は、日帰り温泉で旅先の疲れをほぐし、明後日の午前中にむこうで描いた作品が配送されてくるので、それらの作品を完成させる日々が待っています。【室蘭(イタンキの丘)だより】は1日の情報量が多いので、徐々に投稿していきます。歳をとるほど、やることが増えていく…幸せな老画家ですね。

『画中日記』2022.09.17【柏のアトリエでのルーティンに戻る①】

先ほど、『読書ノート』に一文をキーボードで打ち込み、フェイスブックにアップした。これはアトリエでの毎日の朝のルーティンで、歯磨きや、朝の体操と同じく一日の始まりで身体も脳もウォーミングアップされる。

今日は、室蘭での荷物が宅急便で配送されてくるので、それまで、室蘭ユースホステルの藤当さんの撮った、イタンキの浜と丘の写真の動画をつくるかな。

午後1時45分、室蘭の荷解きも終わり、藤当さんの動画もアップし終わり、いよいよ、室蘭での作品を完成にまでもっていく。それと同時に、【室蘭(イタンキの丘)だより】をユーチューブにアップし始める。ユーチューブにアップする時系列は柏に帰ってから、室蘭での出来事を思い出しながら書くので、『岡野岬石の資料蔵』に保存する時には、実際の時系列に直して保存し、加えて完成作もアップします。

『画中日記』2022.09.18【柏のアトリエでのルーティンに戻る②】

今日は、今まで室蘭で描いた地球岬の灯台の絵を完成に向かって進めた。ほぼメドがついたので明日には完成するだろう。

2010年にイーゼル画を始めた頃は、いったいこの絵は完成するのだろうか、つまり、道に迷って目的地にたどりつけるのだろうか、という不安が、現場で描いている時から襲われていた。本来、ネアカな私だが、勇気をもってチャレンジするもんだねぇ。完成までの、必ず完成できる、という数々のスキルを身につけると、途中の、画面の中のあちこちにある数値の狂いは、後で直せばいいのだ。つまり、正確な地図を持って、その地図が読めて、自分の位置を正確にプロットし、正確な方向に道を進んで行けば、目的地に最短距離で到達できるというワケだ。

仏教の八正道だね。若い絵描き志望の皆さん、老画家のいうことはすなおに聞くもんだよ。

 

 

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