岡野岬石の資料蔵

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伊豆大島だより

投稿日:2022-06-21 更新日:

『画中日記』2022.05.17【伊豆大島にイーゼル画を】

 来週、23日から28日まで伊豆大島にイーゼル画を描きに行く。イーゼル画を描いたのは、2021年1月19日の東伊豆以来だ。その間、ずっとアトリエでアトリエ画を描いていたので、ウズウズしていた。来週の日曜日のさるびあ丸で行こうと思っている。もちろん年金生活者は、2等で充分、昭和生まれの、貧乏旅行で日本全国を取材してまわった、そして人生の上でも歴戦のホーボーは、無駄なお金は極力ケチる。いや、ただお金がないだけなのだけれども。お金の余裕があれば、以前のように、借家を借りて、柏のアトリエと行ったり来たりしたいけれど。でも、イーゼル画を決断して、東伊豆から御殿場、山中湖と借家を借りて描きまくった時も、お金に余裕があったわけではなく、年金のお金を家賃にまわして乗り切ったのだから、今後も、天は私を見捨てないだろう。

 画材を、前もってホテルに送るのに、明日荷造りして送る準備をする。うれしいなぁ。

『画中日記』2022.05.29【伊豆大島だより①2022–5-23】

 5月23日(月)、竹芝桟橋から14時15分発の東海汽船のジェット船で伊豆大島の元町港に16時に着く。揺れも少なく、あっという間だ。昭和世代には、甲板に出ることもできないし、自由席や個室の席の選択の楽しみもなく、シートベルトで予約で決められた席でなんだか味気ないが、これが時代だろう。乗り慣れると、船も飛行機も新幹線も、通勤通学の移動手段と変わらない、単なるツールに過ぎなくなって、老画家のロマンや感傷を考慮したりしてくれないし、また今、そのようなロマンや感傷を味わおうとすれば、コストや時間の負担が大きいのだ。私は、窓際の席で外が見えれば、なんの問題はありません。

 写真には写っていないが、光る海をバックに海鳥が水面近くを飛んでいる。黒いシャープな形の鳥(帰ってからパソコンで調べてみよう)で、水面の小魚をハントしているのだろう。イーゼル画では描けないが、写真を組み合わせれば昔の私ならば1枚の絵にするだろう。いや、描いてみようかな。

 港に着いて、路線バスの時間を見て、なければタクシーで、と思って歩いていると、港の端に大島温泉ホテルのバンが駐車している。急いで乗り込むと、他の宿泊客が何人も乗っている。今の旅行客は、自分で電話予約して、自分でコースを考え、自分で移動手段を調べ、行動するということは時代遅れということか。そんなことなら、予約の電話を入れたときに、フロントがひとこと、私に迎車の用意のあることを伝えてくれていればいいのに、とにかく、山の上のホテルまで、無事に着いた。なんだか、はるばると離島にきたのに、呆気ないなぁ。

『画中日記』2022.05.30【伊豆大島だより②2022–5-24の1】

 この文章は5月30日の『画中日記』に挿入して書いているのだが、その時に、デジカメで撮ったの写真の日付と時間の記録がおおいに助けになる。

 5月24日(火)、5時半に起床。若い時は、カシオの腕時計のアラームをセットしておかなければ起きられなかったが、いつのまにか、セットしておいてもその時間の前に起きるようになり、今では、なにもしなくても起きるようになり、腕時計は旅行用のリュックの小物入れのポケットに何年も入れたままだ。

 写真のように天気は快晴、7時の朝食まで、室の窓からや、ホテルの屋上から三原山の写真を撮る。朝食後、8時過ぎに三原山登山口まで行こうとホテル前のバス停の時刻表をみると、今の時期は、金(午後だけ)土日だけの運行とでている。

 タクシーを呼んでもらおうと、すぐにフロントに戻ると、近いのでホテルの車で送ってあげますといわれた。帰りのタクシーでわかるのだが、島のタクシーは観光客だけなのか、貸切料金プラスメーター料金で近い距離なのに約3000円なのだ。ホテルのフロントの親切に助かった。

『画中日記』2022.05.31【伊豆大島だより②2022–5-24の2】

 最初の写真は、三原山頂口の三原山登山コースの入り口の展望所からのもの。右下方に少し見えるのがその登山道。私が今日行くのは、この道ではない。ここから少し下ると、表砂漠との分岐がある。それを右に、外輪山の下の道を雨後だけに出現する幻の池まで、30分くらい歩くのだ。

 赤ダレという名の、赤い崖はそこから山頂方向と外輪山に沿った道に分岐、20分くらい上がったところの進行方向右端にある。標識はないし赤ダレは道からは見えないし、初めての道なので、外輪山の端っこという右方向にいつ入るかということに確信が持てない。

 写真を撮りながら重い絵具箱を背負い、キャンバスを持って、外輪山からの獣道に時々さそわれながら、やっと、それらしき表砂漠の端っこにある幻の池の分岐点に着く。表砂漠といっても、噴火後の年月で草と黒いスコリアがマダラ模様だ。幻の池は、表面が白っぽい。

 初めての道で、斜度はゆるいとはいえここからは上りで、赤ダレを探しながら外輪山の尾根を歩くのは体力的に限界と判断、キャンバスと絵具箱を岩の上にデポして赤ダレの確認に向かった。

『画中日記』2022.06.01【伊豆大島だより②2022–5-24の3】

 重いジュリアンボックスとキャンバスをデポすれば、赤ダレには行けるだろう。時間はまだたっぷりあるが、今日は場所の確認をするだけにしても、持ってきた画材で、途中のビュウポイントで1点はイーゼル画を描こうと、当初のプランを変更したので、ゆっくりはしていられない。イーゼル画は、描き終えるまでは、忙しいのだ。

 今は、あまり人の通らない、外輪山の峠状の凹みに向かってのだらだら坂を登って、崖の尾根につき、そこから、写真を撮りながら赤ダレのランドマークの尖った石を目標にして尾根を歩く。そのランドマークを、事前にユーチューブで見ていたことに安心感がある。それを知らないでウロウロと探しながら歩くと、辿りつけるかどうかの不安と焦りとで、疲労は倍増するだろう。

 峠の近くに、祠が祀ってある。三原山は山自体が神様で、今回の滞在中は行けなかったが三原神社が山頂下にある。

『画中日記』2022.06.02【伊豆大島だより②2022–5-24の4】

 祠から少し上がったところに、コンクリートの台座の跡がある。廃墟や廃道など人工物が、自然に還っていく姿には、いつも心が惹かれるが、ネアカな私には、絵にするには暗いので写真は撮らなかった。後でホテルにあったので読んだ『大島町史』で、ここの外輪山の斜面に以前滑り台があったらしい。あんこ姿の女性が二人並んで滑っているモノクロの写真も載っている。かなり長い距離、滑り下りてから、また歩いて上るのは大変だったろうなぁ。私の故郷の渋川海水浴場でも一時海岸の崖に滑り台を作って、直接当たる皮膚が摩擦熱でやけどをしたり、その後キャンバス地のシートに乗せて滑らせたりしたが、結局短期間に使われなくなったりした。奥の細道の立石寺でも滑り台の遺跡を「やまいが」のサイトのレポートでみたこともあるので、そのころ日本全国で滑り台が観光客向けのセールスポイントになっていたのだろう。

 このコンクリートの台座が、滑り台のスタート地点の台座だと事前に知っていれば、今はデジカメなので、バチバチ撮って後で削除すればいいことで、手間を惜しんだことに、この文章を書いていて反省するが、身体の疲れも多少あったのだろう。

 

『画中日記』2022.06.03【伊豆大島だより②2022–5-24の5】

 滑走台跡から赤ダレまでは尾根道だが草だけのスコリアの砂漠なので迷うことはない。ダラダラとした上りを崖にそって写真を撮りながら歩いた。途中、赤くはないが2つの小規模の崖の谷があり、この谷も充分絵になるポイントだ。しかし、この規模の谷で崖の色が赤いだけなら、期待値のポイントは下がる。赤ダレは、思っていた距離よりも遠く、ランドマークの尖った石が見えた時はホッとした。今回の、大島に絵を描きにきた目的の場所だ。

いいぞ!

 天気がいいので、崖の陰影はクッキリとしている。東京から日帰りで来れるような場所に、地球の存在の、先端の切り口のような風景が、ヒッソリと眼前に展開している。その存在を見て認識している人間は、〈今〉〈ここ〉に私一人しかいない。この風景は画家として描かずにはいられない。この場所で絵を描くことは、画家冥利につきる。2010年64歳の時に、イーゼル画をやろうとした決心は正しかったし、その結果は幸せだ。明日は、絵具箱とキャンバスを持って、ここで絵を描こう。

 この場所の絵を描くことは、天からの、私に対するオファーだ。

『画中日記』2022.06.04【伊豆大島だより②2022–5-24の6】

 赤い崖の写真を数枚撮って、一服していると、朝ホテルで見かけた写真学校の生徒らしい若者が7、8人やってきて、赤い崖を撮影している。私がイーゼルを立てて描いているポイントはたいてい一人だが、たまたま同じ風景を対象にしている場に出会うと、同じビジュアル関係の同志感がわいて嬉しい。この視角は有名ではなく、遊歩道コースから外れて来るのも大変だけど、「知る人ぞ知る」のだ。いい時代になったなぁ。私がここに来れたのも、ユーチューブで、大島の単身赴任の教師のドローンでの映像がアップされていたからなのだ。

 デポしていた画材を背負って、来た道の途中で出会ったポイントにイーゼルを立てたのが11時半、12時42分に描き終える。帰り道は、コルセットのおかげか腰の痛みはないが、股関節の痛みが少しあるヨレヨレの歩みで三原山登山口に2件あった、『御神火茶屋』にたどりつくが営業していない。もう一軒の『歌の茶屋』がやっていて、ガランとした大きな食堂の窓際の座席でやっと、人心地つく。

 ビールだ!、やっとビールが飲める。

『画中日記』2022.06.05【伊豆大島だより②2022–5-24の7】

 ホテルに帰ってもイーゼル画は仕事が残っている。現場で描いた絵の隙間、キャンバスクリップの痕やキャンバス受けで描けなったところを埋める。それが終わってその写真を撮ったのが16時24分、パレットナイフとウェス(切ったボロ布)でパレットを掃除、筆を石油で洗った後、石鹸で3度洗い、筆先の毛にリンスをつけて洗い流して、これで、今日の画家の一日は終わった。

 明日は、いよいよ、今回の大島行の主目的の赤ダレで、赤い崖の絵を描くのだ。

ホテルにて

三原山/P15号/2022年/油彩

『画中日記』2022.06.06【伊豆大島だより③2022–5-25の1】

 朝早く目がさめる。若い時は低血圧で、宵っ張りの朝寝坊だったが、いつのころからか、最近では、空が明るくなると目が自然にさめる。アトリエでもホテルでも同じだ。

 ホテルの、7時からの朝食前にイーゼル画の準備をする。ジュリアンボックスを、柏の登山用品の店で見つけたサイズがピッタリの登山用のリュックに納め、キャンバスはF15号を2枚キャンバスクリップで合わせて用意した。水分は、昨日、自動販売機で買った、紅茶のアルミ缶にホテルのお茶を入れ、室内の冷蔵庫で準備していたのに入れ忘れてしまった。ついでに、毎日、お茶道具と一緒に用意されている、大島のお菓子も、描き終えた後に、お茶と一緒に食べようとおもっていたのに、これも忘れてしまった。外で描く時は、描き終えての、お茶とお茶菓子、そして、その後のタバコが、イーゼル画家の至福の一時なのだが、現地で描き終えるまでそれに気がつかなかた。

 8時に、ホテルのフロントの好意で、昨日の大島登山口入口まで車で送ってもらう。

『画中日記』2022.06.07【伊豆大島だより③2022–5-25の2】

 8時にホテルを出て、10時に現場で描き始めているので、重い画材を背負って1時間半近く歩いたことになる。覚悟はしていたが、この日もつらかった。しかし、現場に着けば、気力はみなぎる。問題は描き終えての帰り道なのだが、描く前はこれから描く絵の期待で、自発製ドーパミンが駆け巡っているので、キャンバスをセットすれば、気分は♪勇気りんりん瑠璃の色♪~。マラソンランナーはランナーズハイというものがあるそうだが、イーゼル画家が美しいモチーフを目の前にすると、ペインターズハイという幸福感が自然に湧いてくる。

 8時にホテルを出発し、現場で10時に描き始め、11時24分に1枚目の絵を描き、すぐに、2枚目の絵をセットし12時40分に描き終えた。休憩なし、小休止もなしだ。

 フー、終わった…! 

 これから石に腰掛けて、お茶と、お菓子の後、タバコを一服だとおもったら、バカバカバカ、昨日から用意していたのに、ホテルに忘れてきた。タバコはすったが、水分と甘いものの後でないのが、画竜点睛を欠く。

 こういうちょっとしたミスが、重い画材を背負った帰り道のつらさを増すのだ。

『画中日記』2022.06.08【伊豆大島だより③2022–5-25の3】

 やはり、帰り道はツラかった。

 吹上のサンド斜面下の道の上に、私の故郷の玉野の山道でよく見かけたハンミョウと違う種類のハンミョウと、同種の小型のハンミョウがたくさんいる。玉野のハンミョウは羽がハデハデしいが、ここのハンミョウは地味だ。帰ってネットで検索してみよう(検索の結果は、ニワハンミョウとコニワハンミョウ)。その近くには、白い小さな巻貝の殻が散らばっている。海洋生の巻貝の殻がなんで、こんなところにあるのだろう。古代の地層が風で吹き飛ばされて表面に出てきたのだろうか。こうやって立ち止まって休み、気を紛らわせながら、茶屋の直前の急坂を上りきって、昨日の『歌乃茶屋』にたどり着く。

 今日のビールは一番搾りの大瓶にする。札幌に住んでいた頃は、サッポロ黒ラベルだったが、市原、柏ではキリン一番搾りを愛飲していた。やはり缶ビールより瓶ビールの方がウマい。昼食代りのつまみは、ホテルの食事の量が多いので昨日と同じオデンにする。

 昨日と同じく、お店の人にタクシーを呼んでもらおうとすると、タクシーは今出払っているとのこと。それならば、お客は他にいないので、近いので送ってあげますといわれ、ホテルまで車で送ってもらった。昨日のタクシー代は、貸切料金を上乗せされて3000円だったので、同額をダッシュボードの上に置いてお礼をいった。多すぎますと2000円返そうとして、ホテル入口の自動扉の前まで追いかけてきたが、私は車の運転ができないので、取材時の移動のお金は最初から覚悟をしている。助かったのは私の方だ、『歌乃茶屋』の人、ありがとう。

 今日の仕事は、まだ残っている。2枚の絵に、手を入れ、後片付けをして今回の大島行のメインの一日は順調に終わった。時間は17時7分、一枚目の横位置のキャンバスの絵の写真は撮り忘れた。

(写真は『歌乃茶屋』の窓からの写真と絵の写真)

(上)大島風景(赤い崖)15F2022

(右)大島風景(赤い崖)15F2022

『画中日記』2022.06.09【伊豆大島だより④2022–5-26の1】

 今日も、三原山山上は晴れている。メインの絵は2枚、昨日、順調にこなした。残りのキャンバスはあと3枚だから、今日は1枚描くだけにしよう。送り迎えは昨日の送りの車中で頼んでおいたので、8時にホテルを出発、三原山登山口に着いた。昨日も、時間を指定されれば迎えも来てあげますよ、といわれたが、昨日は2枚描く予定だったので時間が確定できなかったが、今日は1枚なので、時間の余裕を持って、1時に来てくださいとお願いした。

 描く場所は入口から近いので、8時29分から描き始めた。描き終えた写真を撮り忘れたので、時間は分からないが、『歌乃茶屋』からの写真が12時5分なので、11時45分頃描き終えたのだろう。描き終えた写真を撮り忘れた原因は、茶屋が近いので、お茶とお菓子とその後のタバコの一服は、茶屋でビールとオデンとコーヒーの後とおもいそれを持ってこず、描き終えてすぐに、ビールとタバコの欲望(大袈裟だが)が、頭の中を占領したので失念したのだろう。何事にも根拠、原因があるということだ。まだ、修行が足りない。

『画中日記』2022.06.10【伊豆大島だより④2022–5-26の2】

 昨日の『歌乃茶屋』での写真は間違いでした。あの写真は、食べ終わって荷物を茶屋に置かせてもらい、12時頃から1時の迎えの時間まで付近を歩き回っていた時の写真で、だから、描き終わった時間は、10時45分頃だろう。

 『歌乃茶屋』で昼食代わりのビールとオデンとコーヒーの後、店の前の灰皿の前で一服、荷物を置かせてもらい、デジカメをもって付近を歩いた。あわよくば、明日の、イーゼルポイントを探す目的もある。

 写真の順番に、11時42分の写真は大きな駐車場の柵から、11時54分の写真はトイレの横の階段を上がった、今はあまり利用されていない展望所から、ここは三原山が正面に、登山道が真ん中に見えるので明日はここで描こうかとおもう。まだ1時間あるので、茶屋の横の道に入る。「もく星号遭難者慰霊碑」の標識があった。私は、この事故のことは知らないが、石碑類は興味がある。柏に帰ってからネットで調べてみよう。石碑類に記された名前や出来事は忘れ去られても、関係者の遺族や物や情報は消え去らないのだ。現に、この時何の関係もない私と出遭って、私が写真を撮り、フェイスブックにこの写真を載せ、それを偶然見る人がいるのだ。

 下記の俳句は、私が以前鹿児島に取材旅行した時に、坊津(ぼうのつ)で梅崎春生の『幻花』の碑を探し、見つけた時の句。『幻花』の建碑式には東京から名の知れた文学者も来賓し、地元の新聞にも大きく載ったということだが、地元の人に聞いても、知っている人はいなかった。

 誰の碑か 海辺の丘に 苔むして (岬石)2004年10月22日

 ホテルで、2時6分現場の作品に手を入れて、今日の仕事は終わった。

大島風景(三原山)15F2022

『画中日記』2022.06.11【伊豆大島だより⑤2022–5-27の1】

 昨日、ホテルの人から、今日は車で送り迎えはできない、その代わりに、今日は金曜日なので11時頃にバスが運行している、帰りは2時頃のバスがある、と連絡が入る。そのつもりで、1点は登山口バス停の近くの展望台から、もう1点はホテルに帰ってから、部屋のすぐ前にイーゼルを立てて、残りのP15号のキャンバスを描ききろうと予定していた。

 しかし、昨夜から強い風雨がつづき、今朝も三原山は雲の中。明日は、午前中に帰るので、今日しか描けない。予定を変更して、絵具箱と、キャンバスを梱包して、柏に宅急便で送ることにする。

 お昼頃から、風雨は止み、空は明るくなり、2時頃には晴れてきた。アア、このぶんなら、宿泊を1日延長すればよかったのか、その選択肢が頭に浮かばなかった自分に反省。しかし、頭に浮かんだとしても、その決定をいつするのかという問題が新たに出てくる。軍隊を率いる隊長の決断の責任は、大変なものだなぁ。

『画中日記』2022.06.12【伊豆大島だより⑤2022–5-27の2】

 以前から、取材旅行中に雨に降られると、何もすることがなく宿の部屋に閉じ込められるので、逃げ場のない旅愁におそわれ苦しんだ。そんな時のために、いつも本を用意しているのだが、近年は新潮文庫の『素数の音楽』(マーカス・デュ・ソートイ)を用意してきている。数学の〈真理〉が、個別の時空の歴史を超えて、存在の軌持(レール)が通徹している、ということに、若き日の実存の懊悩や、ノスタルジーの穴倉に入り込もうとする老いの憂愁から解放されるのだ。

 この時は、すでにメインの目的の赤ダレの絵は描き終えているので、旅の初期に出会う雨と違って気が楽だ。午前中アトリエに送る画材の梱包、宅急便の発送をフロントに頼み、ロビー近くにあった書棚から『大島町史』4巻本の中の、文化、自然の巻を部屋に持ち帰り読んだ。人間も歴史もその土地の自然も、知識量が増えれば増えるほど、興味も体験のおもしろさも増すのだ。「大島温泉ホテル」の歴史、「歌乃茶屋」の歴史、「与那国馬」の大島での歴史、「もく星号遭難」、三原山の火山活動が活発な時期に火口に飛び込み自殺者が多数いたこと、ボランティアでその自殺を止める人のこと、外輪山の斜面に距離の長い滑り台があったこと等、時間つぶしにのつもりだったが、たいへん面白く為になった。この本を読んだことで、もう一度大島に来るかも知れない。

『画中日記』2022.06.13【伊豆大島だより⑤2022–5-27の3】

 午後2時頃温泉に入り、すっかり天気は晴れたので、ホテルの外に写真を撮りに散歩をする。ホテルの横から、4本ある三原山登山コースの1本があるので、それを、途中まで歩く。この時は、画材なしの空身なので文字通りの散歩だった。今回は、行かなかった裏砂漠に、このコースから行けそうなので、次回来る時は、そちらを描いてみよう。途中に出会った「大島つつじ園」も、ホテルから近いので天気のわるい時の、エスケープポイントとして使える。

 トンネル状になっている低木の下を、雨上がりのスコリアの黒い道が一本道で通っている。スコリアの道は、水はけがよいので歩きやすいが、こういう場所は、ヤブ蚊を含めて、小さな吸血昆虫が怖い。私はアレルギー体質で、虫に刺された跡が固定蕁麻疹になるので、次回大島に来るときには、蚊取り線香を忘れず持ってこよう。

 歩いていると、白い花が道の上にたくさん落ちていて、あたりに花の香りらしい、いい匂いがする。山中湖村でよく見た、花が白く群れて咲いていたウノハナに似ているが、この木の花は一輪ずつが離れている。帰ったらパソコンで調べてみよう。その木の写真を撮って、引き返した。

『画中日記』2022.06.14【伊豆大島だより⑤2022–5-27の4】

 夕食まで時間もあるので、道の途中にあったつつじ園に入ってみた、低木で、南向きの日当たりいい順回路で、気持ちがいい。私の故郷の玉野の山に似ている。

 大きな椿の木のツヤのある葉が、太陽の光の反射で白い花のように見える。せっかく大島に来たのだから絵には描かないが、ここの風景はイーゼルを立てたいポイントがあちこちにある。ホテルから近いので、天候で三原山周辺にイーゼルが立てられない時の、エスケープポイントになるので大島に再訪の気持ちも高まる。

 道の横に、サルトリイバラの葉を見つける。故郷の玉野では、子供の頃はこの葉っぱで作ったものが柏餅だった。たしか、おいしくはないが青い実がなって、食べた思い出もあるが、どうだったか。サルトリイバラは玉野ではガメと言ったとおもう。私の家では、この葉を2枚使って1個の柏餅を作っていた。

 こんなことも、大島再訪のポイントを上げる。

『画中日記』2022.06.15【伊豆大島だより⑥2022–5-28の1(最終回)】

 今日は柏に帰る日、天気は晴れ。【伊豆大島だより⑤2022-5-27-1】で書いた、宿泊延長の選択肢は、アトリエに帰ることに、気持ちはもう充たされているので少しも浮かんでこない。朝食前に、ホテルの屋上で写真を撮り、7時の朝食後チェックアウトをすませ朝食後9時のホテルから港への送迎車の時間まで、ぶらぶら外で写真を撮って過ごす。ジェット船の出港時刻は10時半で、今日は岡田(おかた)港、乗船まで、港の周りの写真を撮って待ち時間を過ごす。

 これで、下記の、2022年5月28日の『画中日記』の文章につづき、【伊豆大島だより】は終わりです。(終わり)

『画中日記』2022.05.28【伊豆大島からアトリエに今帰った】

 現在5月28日の午後4時。今朝、大島温泉ホテルを9時のホテルの送迎車で、岡田港まで、大島発10時30分のジェット船に乗り、12時15分に竹芝桟橋に着く。行きは、浜松町駅から歩いたが、竹芝桟橋の目の前に、ゆりかもめの竹芝駅があるので、初めて乗る。ゆりかもめの竹芝駅から、新橋駅まで行き、新橋駅からJRで柏駅、柏に着いて、最近知って凝っている、モスバーガーのロースカツサンドとオニポテとコーラ(コーラがビールだったら完璧なんだがなぁ)で遅い昼食、ホテルでの量が多く、重いご馳走料理に飽きていたので、選択はピッタシだった。スーパー京北で明日の朝食の買い物をして、冒頭の4時に帰り着いた。

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