(4)マチスの切り絵(25頁)
先日、マチス展(2004年9月10日~12月12日、於…国立西洋美術館)を観て、マチスといえども、人間だなと思った。
切り絵というと、地と図で構成されている。その二つの関係だけで平面を造形して行くのだが、どうして、ハサミで切る所と手で千切る所との、両方を使わなかったのかと思う。地と図の関係は、千切る事を加えればミニマルな要素に無用な要素を加えないで、より複雑な空間を造形できたのに、何で使わなかったのかな…と。それは、僕が今やっていることと関わるわけだが、マチスといえども、その発想が浮かばなかったのかな…。まあ、そのお陰で、後生の絵かきにやる事があるのだけれども。
切るだけだと、地と図の関係が全部同じ関係である。しかし、千切ると、切るのと違って、地との関係が違ってくる。紙を千切ると、印象派というかベラスケス的というか、ギザギザの断面は輪郭が変わる。ハサミで切るだけでは、ピシャッとし過ぎている。
高村知恵子の切り絵は、同じ切り絵でも切り離さないで、切り込みを入れただけで、また貼り付けている作品が数点ある。切り目があって…。マチスは、貼ってあるけれども、切っておいて、一つ一つ切り離してから貼り重ねている。
高村知恵子の発想は、非常にいいアイデアだと思う。貼り付けるものと、貼り付けられるものとは、その関係と空間に目がいかなければ、そのような発想はあり得ない。だから、それと同じで、切り絵というなら、もっともっと、色々できそうな気がする。だからある意味ではマチスといえども、まだまだやりつくしたわけではなく、それを乗り越えていける次の世代に、まだまだやるべき事はあるのではないかと思う。
マチスやピカソは、天才で、神様のような存在で、後世の画家が何もやる事がなく、巨匠のパンくず拾いで終わるという事ではない。まだまだ、やるべき事はある。やるべき余地はまだある、と思った。