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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

うちのお寺は『曹洞宗』双葉社

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うちのお寺は『曹洞宗』双葉社

■道元が伝えようとしたのは経典でも仏像でもない。厳しい修行の末、最後に学びとった釈尊正伝の仏法である。その正法(しょうぼう)の根本にあるのが坐禅。坐禅は釈尊の教え・体験そのもの。釈尊の教えを信じ実践すれば、貴賤・賢愚・男女の別なく、だれにでもきわめられるとした。焼香・礼拝・念仏・懺法(せんぼう)・看経(かんきん)は不必要、坐禅にうちこむだけで釈尊正伝の仏法を学びとることができる。

悟りを求めて坐禅するのではない。ただ一心に坐る。

「身の結跏趺坐(けっかふざ)すべし、心(しん)の結跏趺坐すべし」と『正法眼蔵』にある。身体で坐り、心で坐り、ついには身体の痛みも心のなかの妄想も抜け落ちた〝心身脱落〟の状態で坐る。それが〈只管打坐〉だ。身体は正身端坐、口は一字に結び、心のこだわりも消え失せている。

「ただ是れ安楽の法門なり」(『普勧坐禅儀』)。坐禅修行そのものが仏の行。一寸坐れば一寸の仏。身体で学ぶ〝身学道〟だともいっている。(『坐禅こそ正法である』)(86~87頁)

■道元は『弁道話』で、「修証一等」といい、「本証妙修(しゅ)」という。

修証一等とは、修行と本証(本来の悟り)は1つのものなのだという意味。悟りと修行を2つのものと考えてはいけない。悟りを目的、修行を手段と考えるのは大きな間違いだ。こだわりを捨て、身も心も一切の束縛から脱して全身全霊で坐禅に打ちこむ〈只管打坐〉は、修行と悟りが一体になった人間本来の清浄な姿、仏そのものの姿にもたとえられる。

修行は坐禅に限らない。農作業・道普請などの作務、食事や睡眠、日常生活すべてが修行だ。「威儀即仏法 作法是れ宗旨」は、洗面から食事の仕方など細かに修行の仕方を説く〝生活禅〟を表現した言葉だが、食器を洗う作業に修行を徹底する向上心が働くかどうか。それが修行のカギだ。

本証妙修(しゅ)とは、仏としての可能性を持つ人間が、修行をゆるめず、一心に仏道に打ちこむことで、仏のはからいの中にある自己を自覚すること。自己という束縛から解き放たれたところに仏性が現れる。〝即心是仏〟である。(『修行と悟りは一つ』)(87頁)

■『正法眼蔵』現成公案の一節

仏道をならふといふは、 自己をならふなり。

自己をならふといふは、 自己をわするるなり。

自己をわするるといふは、 万法(まんぽう)に証せらるるなり。

万法に証せらるるといふは、 自己の身心(しんじん)、

および佗己(たこ)の身心をして脱落せしむるなり。

[解説]

仏道を学ぶということは、実は自分自身を学ぶということだ。自分自身を学ぶということは、身についた知識や経験、思慮分別を捨て去ることだ。自我を捨て生まれたままの清浄な自己をとり戻すことだ。清浄な自己は自然と一体となり、何のわずらいもない。真心だけで生きれば身も心も清らかに澄み、自分ばかりか接する他人の身心も清浄にすることができるのだ。(103頁)

■鈴木正三(しょうさん)は出家してからも俗名のまま通した。反骨の禅僧だ。その禅風は〝仁王禅〟と呼ばれる。参禅する者には仏像を手本にして修行せよと教えたが、初心者には、仏敵に憤怒の表情で挑む「仁王・不動の像などに眼をつけて、仁王坐禅をなすべし」といった。一途に、なにくそと強い心で気合いをいれないと、煩悩には勝てないというのだ。

道元の只管打座とは、もちろん違う。正三独特の禅で「睨(にら)み禅」「果たし眼(まなこ)禅」とも呼ばれた。また、武士に対しては「鯨波(ときのこえ)坐禅をもちうべし」と教えて、実際にその場で、戦場の鯨波(ときのこえ)をあげてみせた。なんともすざましい禅である。

念仏の効用も説いた。阿弥陀仏の力にすがる他力本願ではなく、「念仏に勢いを入れて、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱(とな)うべし。是の如くせば、妄想(もうぞう)いつ去るとなく自(おの)ずから休むべし」といい、貧しい農民たちには「一鍬、一鍬に耕作せば、必ず仏果に至るべし」と教えた。煩悩を捨てよ、捨てよという禅的念仏で、これも正三独特のものだ。(『鈴木正三』)(150~151頁)

■殺気だった半生である。しかし信州上田城の戦いで体験した〝捨身(しゃしん)の心〟は仏道修行の基盤となった。(『鈴木正三』)(151頁)

■41歳、大阪城勤番。ところが、大阪から江戸へ帰った1620(元和6)年、旗本大番に列せられたというのに、突然出家してしまう。42歳。3人の実子と妻を捨てた。(『鈴木正三』)(151頁)

■出家の動機について、正三は詳しく語らない。「しきりに世間いやになりなりける間、曲事(くせごと)とおぼしめさば、ご成敗あれとまかりいでて、腹切らんと思い定め、ふと剃りたり」という。(『鈴木正三』)(151~152頁)

■正三の晩年の言葉に「必ず心をハッシと守るべし。我れ常に是れ一つを云う也。正三は何年生きても死より別に云うことなし」というのがある。修行者が常に〝死に習う〟ことを教えてきた。(『鈴木正三』)(152頁)

■【語録】「仏法世法、二にあらず」

『万民徳用』にある言葉。「仏法は深遠で、厳しい修行をしなければ真理を会得しがたいと思いがちだが、そうではない。日常の行き方と仏法は一つである。毎日の仕事を正直に、一生懸命に世に役立つように精出すことが、すなわち仏道の修行である」(『鈴木正三』)(152頁)

■こうした、戦場の実体験からにじみ出るような教えからすると、道元すらひ弱く見えたらしい。道元は『学道用心集』で中国の美女を引用して人生の無常を説いたがが、なぜ美女を糞土臭穢(ふんどしゅうえ)と書かないのかとまくし立てた。さらに「道元和尚などを、隙(ひま)の明いた人のようにこそ思わるらん、未(いま)だ仏教界に非ず」といった。まだ悟っていなかったというのだ。

正三は一人の人間として、釈迦と直に対面しようとした。悟りを開いたのは釈迦牟尼仏のみという立場だから、道元ばかりか最澄や空海も批判の対象になる。仏教界への批判は、さらにものすごい。

「慰(なぐさ)み仏法、でき口仏法、だて仏法、へご仏法。…皆な是れ病也」

幕府の定めた檀家制度によって、眠っていても食べていける仏教界は、生きた宗教活動をしないという痛烈な批判だ。「世間の用に立つのが真の仏法」といいきり、農民・職人・商人が人々の役に立つように働くことが仏法だといった。この〝在家仏教〟の主張からすれば、僧は社会の寄生虫ということになる。(『鈴木正三』)(153頁)

(2013年5月18日)

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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