岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『意識と本質』(精神的的東洋を索めて)井筒俊彦著 岩波文庫

投稿日:

『意識と本質』(精神的的東洋を索めて)井筒俊彦著 岩波文庫

 意 識 と 本 質

――東洋哲学の共時的構造化のために――

■いわゆる東洋の哲人とは、深層意識が拓かれて、そこに身を据えている人である。表層意識の次元に現れる事物、そこに生起する様々の事態を、深層意識の地平に置いて、その見地から眺めることのできる人。表層、深層の両量域にわたる彼の意識の形而上的・形而下的には、絶対無分別の次元の「存在」と、千々に分節された「存在」とが同時にありのままに現れている。

常に無欲、以て其の妙を観

常に有欲、以て其の徼(きょう)を観る

と老子が言うのはそれである(『老子』1)。この文は先に引用した「名無し、天地の始め。名有り、万物の母」に続く。「常無欲」とは深層意識の本源的なあり方。常に無欲、すなわち絶対に執著するところのない、つまり名を通して対象として措定された何ものにも執著しない、「廓然無聖」的、「本来無一物」的意識状態である。ここでは意識は「……の意識」ではない。無対象的、非志向的意識、つまり無意識である。東洋思想では、どこでもこのような意識ならぬ意識、メタ意識とでもいうべきものを体験的事実として認める。それが東洋哲学一般の根本的な1つのとくちょうである。

「以観其妙」、そういう意識ならぬ意識、メタ意識、によって「其の妙」すなわち絶対無分別的「存在」(「道」)の幽玄な真相が絶対無分別のままに観られる。注意すべきは、先行する文との関聯上、この「妙」は「無名」だということである。名がない、とは分節線がない、「本質」がないということ。この境位にある意識に現われる「存在」には、どこにも「本質」的区分がない。まさしく言語脱落、「本質」脱落の世界。それを老子は「妙」という言葉で表現する。(16~17頁)

■聖人はその意識を空洞にして(「……の意識」としての表層意識が志向する対象を払拭して無意識の次元に立ち、その見地から経験的世界を見るので)、いかなるものも「本質」によって固定された客体として認知することなく、従ってまたそのようなものとして意識することなく、実際に活動する日常的現実の世界に身を処しながら、しかも無為の境地にとどまり、あらゆるものがそれぞれの名を通して分節された世界の中におりながら、しかも言語の「本質」喚起作用を超絶したところに住んでいるのであって、その境位はひっそりと静まりかえってものの影すらなく、形象とコトバで捉えられるようなものは1つだにない――およそ、そんな世界に聖人は住んでいるのである、という。(18頁)

■我々の側で、表層意識が深層意識に転換し、様々な存在的「現われ」が払拭され尽くせば、当然、一切の事物の幻影のような姿は消えて、絶対無分別の実在者そのものが了々と現われてくる。深層意識の立場からすればすべての事物は実在性を欠く虚妄のまぼろしにすぎないけれど、それらがすべてブラフマンの「名と形」てきな歪(ひずみ)であり、ブラフマン自身の限定的現われであるかぎりにおいて、一切の経験的事物にはある種の実在性が認められなければならない。このことを本質論的に言いなおすなら、個々別々の事物の個々別々の「本質」のはシャンカラにとって虚妄だけれども、そのかわり彼は全ての経験的事物に唯一絶対の「本質」を認める、ということになるだろう。事実、彼にとって、ブラフマンはあらゆる経験的事物の真の、そして唯一の、「基体」だったのだから。(27~28頁)

■中国的思考の特徴をなす――と宣長の考えた――事物にたいする抽象的・概念的アプローチに対照的な日本人独特のアプローチとして、宣長は徹底した即物的思考法を説く。世に有名な「物のあはれ」がそれである。物にじかに触れる、そしてじかに触れることによって、一挙にその物の心を、外側からではなく内側から、つかむこと、それが「物のあはれ」を知ることであり、それこそが一切の事物の唯一の正しい認識方法である、という。明らかにそれは事物の概念的把握に対立して言われている。

概念的一般者を媒介として、「本質」的に物を認識することは、その物をその場で殺してしまう。概念的「本質」の世界は死の世界。みずみずしく生きて躍動する生命はそこにはない。だが現実に、われわれの前にある事物は、1つ1つが生々と自分の実在性を主張しているのだ。この生きた事物を、生きるがままに捉えるには、自然で素朴な実存的感動を通じて「深く心に感」じるほかに道はない。そういうことのできる人を宣長は「心ある人」と呼ぶ。(35~36頁)

■事物のこのような非「本質」的把握の唯一の道として、宣長は「あはれと情(こころ)の感(うご)く」こと、すなわち深い情的感動の機能を絶対視する。物を真に個物としてあるがままに、それの「前客体化的」存在様態において捉えるためには、いっさいの「こちたき造り事」を排除しつつ、その物にじかに触れ、そこから自然に生起してくる無邪気で素朴な感動をとおして、その物の個的実在性の中核に直接入っていかなくてはならない、というのだ。(38頁)

■「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と門弟に教えた芭蕉は、「本質」論の見地からすれば、事物の普遍的「本質」、マーヒーヤ、の実在を信じる人であった。だが、この普遍的「本質」を普遍的実在のままはでなく、個物の個的実在性として直感すべきことを彼は説いた。言いかえれば、マーヒーヤのフウィーヤへの転換を問題とした。マーヒーヤが突如としてフウィーヤに転成する瞬間がある。このの次元転換の微妙な瞬間が間髪を容れず詩的言語に結晶する。俳句とは、芭蕉にとって、実在的緊迫に充ちたこの瞬間のポエジーであった。

一々の存在者をまさにそのものたらしめているマーヒーヤを、彼は連歌的伝統の述語を使って「本質」と呼んだ。千変万化してやまぬ天地自然の宇宙的存在流動の奥に、万代不易な実在を彼は憶った。「本質」とは個々の存在者に内在する永遠不易の普遍的「本質」。内在するといっても、花は花、月は月という『古今』的「本質」のように、事物の感覚的表層にあらわに見える普遍者ではない。事物の存在表層に隠れた「本質」である。「物と我と2つになりて」つまり主体客体が2極分裂以前の根源的存在次元ということである。(57~58頁)

■裂け目も接目もない塊りに、認識の第2段階で、理性が割れ目をつけて、「本質」と「存在」に分ける。ということは、ここで始めてXが存在する何々として意識されるということ、例えば存在する花として。それが本来的意味での「Xの意識」。スコラ哲学は「本質」と「存在」へのこの分割を、理性の最も本源的な作用であると考える。そしてこの本源的分割作用こそ、スコラ哲学的意味での存在論(オントロギー)の第一歩をなす。

今まで1つの全体である何かとして、どこにも裂け目を見せず、捉えどころもない無規定、無分節様態で現前していたにすぎないXが、理性の存在論的分析の光に照明されて、「存在」と「本質」との組合わせになる。つまり、「Xは実在する」「Xは……である」という2つの命題が同時にここで成立する、ということだ。Xが存在する、だが、ただ存在するだけでなくて、……として(例えば花として)存在する、というのである。

「存在」は現実性または現前性の原理であって、それがXを現実化し、現前させる。Xは存在することによって最も切実に現実であり、リアルである。Xをリアルにはするけれども、しかし「存在」は決してXをして花たらしめはしない。Xをして花たらしめるものは、Xの存在性ではない。言い換れば、Xは存在することによって花であるのではない。そこには何か別の原理が働いているはずだ。その別の原理を「本質」と呼ぶ。花はその「本質」、つまり花性のゆえに花なのである。

しかし、また反対に、Xの「本質」は、Xを「……」として規定はするけれども、Xの「存在」を保証しはしない。花性は、それ自体としては、どこまでもただ花性であって、現実に一輪の花をも咲かせない。「本質」と「存在」とが組み合って、あじめてXは存在する花となるのだ。そして「花」という語は、Xの「存在」にはなんの関わりもなく、ただ花であるというXの「本質」を措定し、固定するのである。それによって、流動して止まぬ「存在」の渾沌の只中に、花という1つの凝固点が出来上る。(64~66頁)

■このように「窮理」が、意識の表層から始めて、次第に深層に向う道であるかぎりは、そしてまた上述のとおり、意識の深層領域が意識のゼロ・ポイント(意識の無の極点であって同時に意識の有の始点)に究極するものであるかぎりは、「窮理」の道程は、意識即存在の根本原則に従って、その極限において、存在のゼロ・ポイント(存在の絶対無であって同時に有の始源、「無極にして太極」)に到達するものでなくてはならない。この全過程をみごとに素描した朱子の文章を思い出す。曰く、

「致知在格物(知を致すは物に格(いた)るに在り)と経文にある、その意味するところは、もし我々が己れの知を完全無欠にしようと望むならば、経験界に存在する一々の物について、それぞれの理(本質)を窮め尽そうとする努力が必要だ、という。思うに、人は誰でも、その霊妙な心のうちに必ず知(事物の本質認知の能力)を備えており、他方、天下に存在する事物、一つとして本来的に理を備えていないものはない。ただ(心の表層能力だけしか働いていない普通の状態においては)事物の理を窮めるということができない。つまり、せっかく人間の心に備わる知もその本来の機能を充分に果すことができないというわけだ。されば、儒教伝統における高等教育においては、必ずまず何よりも真っ先に、学人たちに、自分が既に理解しているかぎりの事物の理を本として、およそ天下に存在するすべての事物の理を次々に窮め、ついにその至極に到達することを要求する。こうして努力を続けること久しきに及べば、ある時点に至って突如、豁然(かつぜん)として貫通するものだ。そうなれば、一切の事物の表も裏も、精も祖も、あますところなく開示されるとともに、(あらゆる理を一に蔵めて内含する)己れの心の本体がそっくりそのまま開顕し、同時にその心の広大無辺の働きが残りなく明らかになる」(『大学章句』5章補伝)。(91~92頁)

■「脱然貫通」という言葉で表現される意識のこの突然の飛躍転換がいかに劇的な実存的体験であったかは、その決定的瞬間の実感を描く朱子の文章に生々と写されている。

「突如、真夜中の静寂(しじま)を劈(つんざ)く烈しい雷鳴(表層意識のかたく閉された闇の厚みを、耳を聾するばかりの凄じい雷鳴が貫通する)。と、見る間に、数かぎりない扉が一斉に開く(突然、深層意識が発動し、それに呼応して太極の扉が四方八方に向って開かれて、この意識と存在の原点から無数の事物が発出してくる光景を目撃する)」と。そして、この異常な体験を通じて、「無心(未発の至極ににおける深層意識)そのものの中にあれつる経験的事物(己発の状態における現象界のすべて)が内含されていることを悟ったなら、その時、その人は、まさに『易』の創始者その人と面々相対してた立つ(太極そのものと完全に一化している)といっていいだろう」と朱子はこの文章を結ぶ(『朱子文集』38。原文は詩。ここには大意を取る)。(93~94頁)

■或る人が伊川に問うた。「格物(窮理)を実践するためには、あらゆる物について、それぞれのその理を窮め尽さなくてはならないのでしょうか。それとも、ただ1つの物だけ取り上げて、その理を完全に窮めてしまえば、あとはそのまま万里に貫通することができるのでしょうか」。

伊川は答える、「たった1つの物の理を把握しただけで、どうして一時に万里に貫通することができよう」。だが、と彼は付け加える。そうかといってまた、天下にあるかぎりの一切の理を窮め尽せというわけではない、と。先に引用した一文(『遺書』18)がこれに続く。曰く、「今日は一物の理を窮め、明日はまた別の一物の理を窮めるというふうに、段々に積習していくべきであって、こうして窮め終った理が多く積もると、突然、自らにして貫通体験が起るのだ」と。つまり、あらゆる事物のあらゆる「理」を窮めなくとも、習熟の度が或るところまで来ると、突然、次元転換が起る、というのである。

ということは、しかし、「窮理」の最終目的からすれば、事物の「理」、すなわち一物一物の「本質」そのものがそれ自体として問題なのではない、いやそれも問題であり重要であるにしても、むしろそれより、こうした修練を通じて、事物をそういう形で、そういう次元で、見ることのできる意識のあり方を現成させることのほうが、はるかに重要なのだということである。そのような意識の次元が拓かれて、全存在界の原点である「太極」そのものを捉えてしまえば、ひるがえってその立場から、経験的世界の個々の事物に分殊して内在する個別的「太極」を窮め尽すことなど、いともたやすいことなのである。(94~95頁)

■「窮理」修道の初段界にいる学人には、己の求める「理」の形而上的側面はほとんど――あるいは、きわめて漠然とした、歪んだ形でしか――見えていない。だが形而下的側面だけは、そのつもりになって努力しさえすれば、はっきり見える。形而下的側面における「理」は相対的な、質料的に特殊化され限定された「理」であって、その限りにおいて理性の省察に向って開かれているからである。それを唯一の手掛りにして「窮理」の道に学人は踏み入る。個々の事物の「理」の形而下的側面を窮めつつ、彼はそれらの「理」の形而上的側面に次第に迫っていく。そして最後に、個々の「理」の形而上性を越えて、その彼方に、それらすべてを統合する至極の「理」すなわち「太極」の純粋無雜な形而上性を見る。それが「脱然貫通」である。

しかし、不思議なことに、万有の唯一の窮極的「本質」である「太極」は、同時にまた、あらゆる事物の「本質」が無に帰して消滅してしまう無「本質」の一点、全存在界のゼロ・ポイント、「無極」でもあるのだ。(97~98頁)

■宋儒たちは、これに反して、経験的事物それぞれの「本質」を、それらの死と「忘却」の彼方にではなく、むしろ存在の経験的次元そのものにおいて、溌剌と躍動する事物の生命そのものの中に探究する。そして窮め終ったすべての「本質」の形而上性のさらにその彼方、あらゆる「本質」のより深い、あるいはより高次の形而上性の源としての絶対的無に出合う。そこに彼らの「脱然貫通」が実体験的に現成する。彼らのこの形而上的無の体験には、しかし、虚無の臭いはなく、そこに絶望の影もなかった。なぜなら、それは経験的事物の死によって成立する無ではなかったから。存在するものの死ではなく、生の源泉で、それはあった。あらゆる経験的事物それぞれの「本質」を無化し尽す形而上的無「本質」。宋儒たちは、あらゆる「本質」の実在的原点、すべての「本質」を己れの形而下的自己限定として、意識と存在の経験的次元に現成させる唯一の「本質」、をそこに見たのだった。

「無極而太極」、私が既に繰り返し口にしてきたこの言葉。無極にして太極、無極でありながら同時にそれがそのまま太極である、という。無・即・有。「理」の形而上的極限における無と有の、この矛盾的相即のうちに、我々は宋学的「本質」把握の東洋的性格を見るべきであるのかもしれない。(98~99頁)

■本論のこの場面で私に関心があるのは、「3徳」論を踏まえた『バガヴァド・ギーター』の認識の3段階説それ自体である。すなわち「純質的」認識、「激質的」認識、「闇質的」認識。第1は全存在界を究極的一者性において眺める純粋叡智の煌々たる光、第2は現象的多者の間に動揺ただならぬ意識、第3は愛憎に縛られた沈重な意識。先ずケクストを読んでみよう。

(あらゆる経験的事物のうちに、唯一なる不易不変の実在を見、分節された〔すべての〕もののうちに無分節の実在を見る――それこそ純質的認識と知るがよい。)

(あらゆる経験的事物のうちに、個々別々なさまざまなものを、個々別々に識別する認識――それこそ激質的認識と知るがよい。)

(ある1つの対象に、まるでそれがすべてであるかのごとく、ただわけもなく、実在の真相を忘れて執著する狭隘な認識――それをこそ闇質的認識と知るがよい。)(121~122頁)

■禅ではよく「心を擬(ぎ)する」という表現を使う。心を擬する、とは意識のエネルギーをある一定の方向に向かって緊張させ、その先端に1つの対象を認知すること。本論で最初から問題にしてきた「……の意識」のことである。それが「本質」認知――より正確には「本質」措定――の操作を通じてはじめて成立する内的事態であることは、今まで述べてきたところによって明らかであろう。禅の見地からすると、「心を擬する」ことこそ見性、すなわち「至道」、への最大の障礙(しょうがい)である。(125頁)

■禅者の好んで引用する『維摩経』の1文、「無住の本より一切の法を立つ」はこの存在風景の構造を1言で喝破する。経験界、そこにあらゆるものが存在している。この点までは普通の見方と同じ。但し、それらのものの成立するのは、ひたすら「無住の本」よりである。無住、つまり依拠するところがない、もののものとしての存在根拠、すなわち「本質」がない。無「本質」でありながら、しかもそれぞれのものがそれぞれのものとして現象している、それが経験的世界だ、という。(137頁)

■常識的な見方では、「本質」は誰が決定するものでもない、はじめから各々の事物に備わっている。花には花の「本質」が最初から自然に与えられている。そのあたえられている「本質」を我々が見付け出す。その上で、花は花として我々に認識されるのである。

宇宙万有の創造主なるものを措定して、その基礎の上に存在論を立てる1神教的伝統、例えば正統派イスラームなどでは、「本質」決定は完全に神の手に委ねられる。天地創造の日、神はまったく自由な意志に従って、種々様々な事物を、それぞれその「本質」とともに無から創造した、と『旧約聖書』「創世記」でも、同様に、天地創造に当って、神はあらゆるものを、それぞれ「その種に従って」創り給うた、とある。事物を「種(類)」に従って創る、とは、まさしく、いろいろなものを「本質」的に区別して創るということにほかならない。「本質」を備えた形で創造されたからこそいろいろ違うものが存在しているのであって、「本質」がなければ、種々の事物ということも意味をなさない。「種」と「類」とは、まぎれもなく「本質」そのものなのであるから。(149~150頁)

■経験的世界のあらゆる存在者が本来、無「本質」なのだと思い定めることが禅者の向上心への第一歩である、と私は言った。事物の無「本質」性を『般若経』『中論』以来の大乗仏教の述語では「空」と呼ぶ。仏教で「本質」に該当する語は「自性(じしよう)」であるので、無「本質」性の意味での「空」を「無自性」ともいう。

諸法――経験的世界において表層意識の対象となる一切事物――の実相は「空」であり、その空性は、理論的には、一応、因縁所生ということで説明される。原始仏教の縁起哲学につながる非常に歴史の長い考え方である。山は山の「本質」(自性)があって山というものとして実在するのではない。ただ限りなく錯綜する因と縁との結び合いによって、今ここにXが、たまたま山として現象しているだけだ、という。山であるXが実在するわけではない。従ってまた山であるXが川であるYと明確に区別されるのも、結局は「妄想分別」にすぎない。XとYとが別のものとして区別されるのは妄想分別であるとするならば、妄想を取り払ってしまいさえすれば、たちどころにXとYとの区別はなくなる。少なくとも、なくなるはずだ。そしてXとYだけでなく、一切の存在者について、そこに働く我々の意識の妄想分別的、すなわち分節的機能を停止してしまえば、すべては、法蔵の言葉にもあったように、「唯だ一真如」に帰してしまうのである。(153~154頁)

■古代中国的シャマニズム自身の理論によれば、このようなイマージュ体験の主体は、「魂(こん)」である。元来、人間の肉体の中には2つの違った魂(たましい)が住む。その1つは「魂」、他は「魄」。「魂」は陽性で天に属し、人体に宿っては人の霊性を代表する。これに対して「魄」は陰の性で、もともと地に属し、人体にあってはその身体的、物質的側面を司る。『礼記』によれば、人が死ぬと、「魂」は霊性的原理として天に昇り、「魄」は肉体的原理として地に帰る、という。(195頁)

■事物の「本質」を象徴的に呈示する、といま私は言った。このような意味での「元型」イマージュのみによって構成された雄大なシステムを、私は古代中国の「易」に見る。「易」の表わす存在世界は、まさに1つのmundus imaginalisであり、それの構成要素はことごとく「元型」イマージュ的次元における事物、事象の「本質」である。64卦も、またその基礎にある8卦も。

『周易』「繋辞伝」(上)な、神話的太古の聖人たちが、いかにして、現在我々の見るような「易」の記号体系を作り上げるに至ったのかを説明する有名な箇所がある。「象」の成立を説くその1節に、「聖人、以て天下の賾(さく)を見る有り、而して諸(これ)をその形容に擬(なぞら)え、その物宜に象(かたど)る。この故にこれを象と謂う」とある。大意――その昔、「易」の象徴体系を作った聖人は、陰陽2元気の相互作用による変易の原理に基き、その見地から(「以て」)、天地間のあらゆる存在者の真相の幽深にして容易に把握しがたい有様(これは孔穎達(くようだつ)の古説による「賾(さく)」の意味。朱子の新説によれば、入り乱れ錯綜すること)を看取して、それを比喩的に形象化する「象」なるものを設定し、それ(「諸」)を、無相無形のリアリティーの形状に比擬(なぞら)え、それによって、事物の「本質」(「宜」、物がその宜(よろ)しきにかなうところ)にかたどった(すなわち、本来、形のない事物の「本質」を仮りに形象を与えて表わした)のである、と。短く単純なように見えて、実は意外に難解なこのⅠ文、大意を汲んで訳せば、おおよそこんなことになるだろう。それはとにかく、この文によって、易の記号体系の基である「象」が、3画の爻(こう)からなる8卦も、6画の爻(こう)からなる64卦も、すべて前述したスフラワルディーの「似姿」「比喩」であり、要するに「元型」イマージュそのものであることを、我々は知る。(208~209頁)

■「易」の聖人の意識は、広い意味でのシャマン的意識。そういう意識に直結した特殊な目で、彼は外界を見る。その彼の目に、事物は幽玄な象徴性を帯びて現われてくる。その象徴性は、経験的存在秩序とは根本的に異る「元型」的存在秩序の象徴性である。(210頁)

■禅宗第5祖、弘忍(601-674)は、坐禅する初心者に向って、こう忠告する。夜中、坐禅していると、聖・俗、ありとあらゆる種類のものをお前は見るかもしれない。様々な色、青や黄や赤や白などが、瞑想状態にあるお前の目の前に現れてくるだろう。ある時は巨大な光が、爛爛と輝きながらお前自身の身体から発出し、ある時は仏陀が肉身の姿で現われる。かと思うと、また多くの不思議なものが、猛烈な速度で、互いに変融し合う有様が見える。こんなことが起ったら、じっと静かに心を保ち、けっしてどれにも注意を払ってはいけない。みんな虚妄で無根拠なのだ。お前自身の妄想の働きでそんなものが見えるだけなのだから、と(「修身要論」)。

シャマニズムや密教のような精神的伝統と、これはまるで正反対の態度である。これらの伝統では、このような状態にある人の意識に現われるこの種のイマージュに重大な意義を認める。どんなイマージュでもいいというわけでは、無論、ないけれど、とにかく瞑想によってこういう異常現象が経験されるということ自体、本論でいうM領域が意識深層で開けつつあることの証拠であるからだ。(219頁)

■ヘブライ語の子音、すなわち「文字」は全部で22個。これら22の子音のシステム(アルファベット)の第1位を占めるのが「アーレフ」という子音。従って、1つ1つの子音に、存在的エネルギーの凝縮された形を認めるカッパーラにおいては、すべての子音の最初に来る「アーレフ」は、神的言語そのものの初点、すなわち世界創造に向って神の最初の動きを表示する。神のコトバはこの1点から始まり、全存在がここから生起するのだ。空海の阿字真言にならって、「アーレフ」真言と名付けることもできよう。だが「ア」は1個の母音。こてにたいして「アーレフ」は「ア」という母音そのものの発音を起す開始の子音である。この意味では、「アーレフ」真言は阿字真言より、語音象徴主義をさらにもう1歩極端に進めたものと言えるかも知れない。(237頁)

■神のコトバ――より正確には、神であるコトバ――は、上に述べたように、先ず「アーレフ」という語音(絶対「文字」)にその全存在分節的エネルギーを凝集し、次いでこの絶対「文字」は内的に分裂して22の「文字」となり、次にそれらの「文字」は互いに自由自在に結び合って、我々にとってはまったく無意味な子音結合体を構成あい、さらに次の段階に至って、我々にとって有意味な「文字」結合体、つまりいわゆる語根、を構成する。ここまで来れば、我々にそのまま理解できるような普通のヘブライ後の出現にあと1歩。ただ母音を加えて語根を開きさえすれば、それで普通のヘブライ語が出来上がる。

「アーレフ」から語に至るこのコトバの自己展開の全過程が、神自身の自己展開であり、いわば神の内部の深みで起る事柄であるということに注意する必要がある。神の外で起ることでは、それはない。従って人はそてを客観的に眺めることはできない。ただ、神の内部で形成される「文字」結合体の意味を、人(カバリスト)は、己の意識の深層(M領域)に立ち現われてくる「想像的」イマージュとして追体験――あるいは、同時体験――していくだけである。(242頁)

■仏教徒が、その瞑想的ヴィジョンにおいて、キリストやマドンナを見ないのはなぜだろう、とカッパーラー学の権威ゲルショム・ショーレムが問うている。そういえば、逆に、キリスト教徒の瞑想意識の中に、真言マンダラの諸尊、如来や菩薩の姿が絶えて現われてくることがないのはなぜだろう、と問うこともできよう。同様に「セフィーロート」――カッパーラーが神的世界の基礎構成要素として立てる存在の「元型」的「本質」――も実に濃厚にユダヤ的だ。また、陰・陽を最も根源的、第1次的な「元型」とし、それら2元の数学的組合わせによって、先ず8卦、次いで64卦という次第に複雑な「元型」群を組織的に展開させていく易の純粋「元型」的記号たいけいも、著しく中国的な性格のものである。

このような強い「文化的枠組」の制約を受けていることが、「元型」的「本質」の1つの大きな特徴なのであって、この見地からすれば、「元型」的「本質」は、ある特定の文化的コンテクストに密着した深層意識が事物の世界に認知する「本質」である、と考えられなければならない。だから、この意味では、さっきも言ったように、全人類に共通する普遍性をもった「元型」といったようなものは存在しない。個々の「元型」も。それら相互間に成立するシステムも、各文化ごとに違う。そしてそれは、決してイマージュだけの違いではないのだ。深層意識に生起する「元型」そのものが、文化ごとに違うのである。ただ、どの文化においても、人間の深層意識は存在を必ず「元型」的に分節する、そういう意味で「元型」は全人類に共通なのであり、またそういう意味でのみ、人間意識の深層機構自体に組に込まれた根源的存在分節としての「元型」なるものが認められるのである。(246~247頁)

■禅を無彩色文化とすれば、密教は彩色文化だ、と言った人がある。たしかに、密教的世界は極彩色の世界だ。特に原色をふんだんに使ったインド・チベット系のマンダラは、絵画としても、禅の水墨画を見慣れた人の目には、どぎつい、ギラギラした世界として映る。禅は、既に述べたとおり、「無」の境位における存在リアリティーの無色性を強調し、経験界、現象界についても、その「無」的性格を重視する。経験界の雑多で華麗な色彩の只中にすら、そこに顕現する「無」の無色性を、禅は見る。そのために、経験界の色彩が可能な限界まで消去されることは当然だ。禅は最後には――すなわち前述の分節(Ⅱ)の段階では――再び経験的現実の存在の豊饒に還るとはいっても、その豊饒さは、密教の見る現実の華やかな豊饒さとは比すべくもない。しかも、この密教的現実の華麗さは、経験界のそれではなくて、「想像的」イマージュの織りなす「想像的」現実のそれなのであって、それだけにその色彩は原色的に純粋、かつ強烈。マンダラの色彩性は、「元型」イマージュの発散する存在エナルギーの感覚化なのである。(254~255頁)

■マンダラ――「マンダ」とは、もともと、牛乳を精醇して得られる「醍醐」を意味する。比喩としては、事物の1番貴重なところ、精髄。まさしく「本質」、一切事物の存在深層にひそむ「本質」である。ことさら、存在深層という言葉を添えたのは、ここで考えられている「本質」が、事物の存在表層に理性が見出す普通の意味での「本質」ではなくて、意識深層においてはじめて覚知される特殊な「本質」、つまり「元型」であることを明示するためである。(255頁)

■正名、「名を正す」。勿論、「名」を「実」にむけて正しくすること、もっと具体的に言うなら、「実」にぴたりと焦点を合わせた形ですべての人が「名」を使うような社会状況を作り出すことだ。そしてこの場合、決定的に重要なことは、孔子にとって、「実」とは個体としての物ではなくて、物の「本質」を意味する、ということである。

現実の世界に存在する一切の事物、事象に、普遍的で永遠不易の「本質」があって、それが一々の物にまさにその物たらしめるリアリティーなのだという確信が孔子にはあった。「名」この意味での「実」に対して志向的に制定されたもの。「名」と「実」との間には、だから、1対1の関係、1直線の関係が、本来、あるはずだ。それなのに、人間生活の現実においては、「名」と「実」との間には、大抵の場合、ずれがある。そして言語使用のこういう不正は、孔子にとって、社会秩序の紊乱(びんらん)を意味した。事実、孔子は自分のまわりに、至るところ、「名」と「実」との間の恐るべき不整合を見聞するのだった。「名と実と相怨むこと久し。故に絶えて交わらず」(『管子』「宙合」)。孔子が理想とした古き周王朝の文化的価値秩序は急速に崩壊の一路を辿りつつあった。語とその指示対象との乱れに、彼はその事実の悲しむべき徴表を見た。(299頁)

■いまニヤーヤ・ヴァイシェーシカの思想を、私がことさら「インドの名実論」とする所以は、それが、名実論のように、コトバの意味指示作用と、外界に置けるそれの指示対象である事物との認識論的関係を極度に重要視する哲学だからである。特にヴァイシェーシカ哲学の大成者といわれるプラシャスタパータ(西暦5世紀後半)以来、「名」によって指示される「実」を外界に実在する普遍的「本質」として櫓界するに至って、ヴァイシェーシカの立場は、孔子の正名論のそれと、ある意味で、根本的に近いものとなった。

我々が普通、現実と呼んで実在性を疑わぬ経験的世界を心の産み出す幻影として、その実在性を一挙に否定し、普遍的「本質」を概念以外の何ものとも認めない大乗仏教に対抗して、経験的世界の外的実在性をヴァイシェーシカは主張する。我々の経験する世界は、元来、客観的にそこにあるものであって、我々の主観の産物ではないし、また我々の心の働きによって変るものでもない。そしてこの外的世界に実在する事物を、我々の感覚器官は直接、無媒介的に(直接触れることによって)認識する、という。但し、ここで外的に実在するものというのは、たんに個別的な事物のことではない。ヴァイシェーシカにとっては普遍者もまた外的に実在するものであって、人は個別的に内在する普遍者を、個別者とともに知覚するのである。

ヴァイシェーシカの存在論は、徹底した実在論(レアリスム)としてひろく知られているが、この場合、実在論とは唯名論(ノミナリスム)に対立する西洋哲学史の述語、いわゆる「実念論」の意味に解さなければならない。それは普遍者実在論、「本質」実在論なのである。たんに個別的なものが外界に存在するというのではない。個体としてのものを内面から支える「本質」、普遍者、が外界に実在していて、それによってはじめてものは「……」であるものとして実在する、というのだ。そして、コトバは、外界に実在するこの普遍的「本質」を第一義的に意味志向する、と考えるのである。(310~311頁)

■常識との違いは、先ず、Xを花として認識する1段前の、より原初的なXの認識段階から考え始めるところにある。この原初的認識段階をヴァイシェーシカの述語で「不定知覚」と呼ぶ。Xとの接触から生起する漠然たる感覚。まだXの意識ですらない。後の段階からひるがえって反省してみれば、本当は、花を見ているのだけれど、認識体験の事実としては、花を花としては見ていない。ただ、これが現前しているだけである。この段階でも、これはあれとは区別されていはいる。だが、花としてのこれが、蝶としてのあれから区別されているわけではない。ヴァイシェーシカ的に考えると、まだ「花」というコトバが意識に浮んでいないのだ。不定的、無限的にXが現われているだけ。つまり、これはまだ「本質」規定を受けていないのである。

「本質」規定は、認識の第2段階ではじめて起る。これを述語的に「限定知覚」という。第1段階はXとの言語以前の身体的接触だった。それが第2段階に至って、言語的認識となる。「花」という語(コトバ)が意識に浮び、それがXと結びつくことによって、Xは花であるものとして現れる。すなわち、この段階において、Xは「本質」的限定を受けるのである。

「本質」的限定を受けたXは、人の主観的としては個物であるけれども、構造的には、普遍的にからみ付かれた個別、普遍者の内在する個体であって、その限りにおいて純粋無雑な個別ではない。有「本質」的に「……」として意識された個体Xは、もうそれだけで普遍者化されたいるのだ。『ニヤーナ・スートラ』に「語の意味対象(としての存在者)は、個体と形象と普遍者と(の3側面を1に合せたもの)である」とあるのはこのことを指す。要するに、個体としての花の認識は、それに内在する普遍者「花」を通じてのみ可能なのである。(312~313頁)

■同様に、「限定知覚」の段階で現われる「本質」すなわち普遍者、についても注意すべきことがある。さきに一言したように、ヴァイシェーシカは普遍者に実在するものと見る。すべての個体的花に内在して、それらを花であらしめる普遍者、花性(花の「本質」)が、そのまま外界に存在する、というのだ。しかし外界、すなわち我々の日常的経験世界に実在して、そこで通常の知覚の対象となるものであるからには、それを認知する意識は、当然、表層意識でなければならない。(314頁)

禅 に お け る 言 語 的 意 味 の 問 題

1

■言語は音声的記号の体系であり、言語記号は対象志向、対象指示機能、すなわち「意味」があってこそ記号である。そして言語記号がいかにしてその対象を志向し指示するかということ、つまり意味の構造の分析的解明は、現代哲学の1つの中心課題である。また科学論系統の現代アメリカ哲学や、現代のイギリスの経験主義的哲学においては、言語の有意味的(ミーニングフル)なあり方とその哲学的意義とが思想家たちの関心を集め、尖鋭で精緻な分析の対象となっている。このような思想界の動向を反映しつつ、日常的思考の領域においても意味に関する多くの通俗書が書かれ、いかにすれば言葉を有意味的な仕方で使用し得るか、どうすれば無意味な言葉を語る危険からのがれ得るかと言う、いわゆる正しい言語使用法――ひいては正しいものの考え方――の重要性が説かれ、そのためのテクニークが教えられている。現代人にとって、無意味(ノンセンス)に言語を使い、知らず知らずに意味をなさない考えに陥るということは愧ずべきことと考えられている。いかなる形にせよ無意味を語ることは、現代社会の常識を基本的に規制する科学性に反することだからである。無矛盾性と整合性を原理とする科学的思考は先ず何よりも言葉の意味的使用を要請する。(355~356頁)

■有意味と無意味の問題を禅はどう考えるであろうか。言葉が本質的に――宿命的に――もつ意味というものの構造を禅はどう理解するであろうか。

私がこのような形で問題を提起するのは、禅自身が言語の問題を徹底的に無意味性というパラドクシカルな形で提起するからである。言語の有意味的使用に対して、禅はまっこうから反抗し挑戦するかのごとくに見える。

ぜんはその活動のあらゆる場において、無意味性という現象を重視する。「無意味性」は禅の語録や公案集のいたるところに顔を出す。言語以前の行動の次元においても、禅は既に無意味性に満ちている。有名な禅者たちの特徴ある行動は、常識的観点から見る限り、すべて、ほとんど例外なしに、無意味である。無意味でなければあたかも禅的行為ではないかのように彼らは振舞う。天龍和尚や倶胝和尚の1本指。何をどう尋ねられても、彼らは必ずただ1本の指を立てるのを常とした。無意味である。しかし、禅自体の中では、倶胝和尚のこの奇行は公案として扱われるほど重要視されてきた。して見ると、禅自体の見地からすれば、倶胝の1本指は有意味的行為であるに違いない。すなわち禅には禅の立場からする独特の有意味性の基準があるに違いない。常識的見地から見て無意味であるものを有意味に転成する、その基準とはどのようなものであろうか。

身体的行動の領域を離れて言語行動の領域に入ると、禅の無意味性はもっとむき出しな、はげしい形で露呈される。「橋が流れている、川は流れない」とか「山が水上を歩いて行く」というような無意味な言辞が横行する、それは世界なのである。しかしこのような言葉の使い方は、常識的に言えば、言語的意味を言語そのものによって破壊する言語の自殺行為にほかならない。

禅の最も禅らしい言語活動は問答という形をとって展開するが、問答形式では禅独特の無意味性が更に一段とむき出しになる。無数の例が語録や公案集にある。ある時、ある僧が趙州(じょうしゅう)禅師に問うた「如何なるか是れ祖師西来(せいらい)の意」。趙州答えて曰く「庭前の柏樹子(はくじゅし)!」祖師、達磨はどんな意図でわざわざインドから中国にやって来たのか、つまり仏法の最深の意義はどこにあるのか、と僧は問う。これに対して趙州は庭さきの木を指しつつ、ただぽつんと「柏の木!」と言った。「如何なるか是れ仏」(仏とはどんなものか、絶対者とは何か)という問いにたいして、洞山守初(とうざんしゅそ)禅師は、唐突に「麻三斤(まさんぎん)!」(重さ3斤の亜麻)と言った、と伝えられている。全くわけがわからない。趙州の答えも、それぞれの問いにたいして、答えとしては意味をなさないのである。問いと答えの間に何の聯関もないからである。問いと答えの間に意味的聯関性がなければ対話(ディアロゴス)は対話にはならない。

ディアロゴスとは2つに分れて展開していく形である。そこには1本の筋が通っていなければならない。対話にならない対話は無意味である。そして意味が成立しなければ言語はコミュニケーションというその第一義的な機能を果たせない。だからこそ、禅における言葉のやりとりは、大抵の場合、一瞬にして終了してしまう。ロゴスの線が続いて行かないから先に進みようがないのである。

しかもなお、禅者は好んで問答する。問答は、古来、坐禅とならんで重要な精神修練の形式であり、悟りの深度を測る極めて有効な手段ですらあった。とすれば、問答する2人の禅者の間には何らかのコミュニケーションが成立しているはずである。日常的条件の下では無意味としか考えられないような言葉のやりとりが、現に問答している2人の禅者にとっては普通以上に有意味であるのでなければならない。このような場で成立する言語的意味とは何だろう。それが本論の主題である。(355~356頁)

■「言語は存在の家だ」とハイデッガーが言った。そこには言語にたいするこの哲学者の深い信頼感がある。もっとも、ここでハイデッガーが考えている「言語」とは、日常的な、つまり惰性的で非創造的な言葉ではなくて、例えばヘルダーリンのような詩人によっいぇ詩的創造的に使用されたみずみずしい言葉のことではあるが。

これに反して禅では「言無展示(ごんむてんじ)」(洞山守初)という。言語は存在をそのままに、あますところなく提示することができぬ、というのである。ここには言語にたいする根深い不信感ががある。この不信の故にこそ、禅は不立文字を標榜するのだ。しかし言語にたいするこの不信は日常的、慣習的言語にたいするそれであることが注意されなくてはならない。非創造的言語への不信である。こう考えてみると、禅の「言無展示」はハイデッカーの「言語は存在の家だ」という言葉を裏側から言ったものにすぎないことがわかる。だから、解釈のしかたによっては、このハイデッカーの命題は、禅の考えをより積極的な形にして考えた方が、理性的に思惟を展開する目的のために初歩的段階としては手がかりが得やすい。

「言語は存在の家だ」。根源的に無限定で、絶対にあるものとして把捉しがたい窮極者――それは「存在(ザイン)」、「有」、「実在」と呼ぼうが、あるいはまた逆に「無」と呼ぼうが問題ではない――は人間の言語を通じて、言語において、様々に限定されつつ自己を開示してくる。言語は存在の自己限定的開示の場所である。言語――第1次的には個々別々の語、いわゆる単語――の形で、絶対無限定的な存在(「廓然無聖(かくねんむしょう)」の無漏法)が自己を様々に限定し、限定された形で結晶する。山が現われ、川が現われる。限りない数の結晶体が世界を満たす。根源的非限定者との関聯において、これらの結晶体をどう処理するかが問題である。

ハイデッカーは語源、すなわち歴史的根源的意味、を探ることによって、そこに露呈されている形而上学的に根源的な意味を直感しようとする。語源とは無限定的たる存在が、まさに自己を限定して限定態に移ろうとする決定的瞬間に成立するものである。ハイデッカーはこの決定的瞬間を自ら生きることによって語の内部に翻入し、それによって、本来的には把握しがたい無限定者そのものに迫ろうとする。

禅は言語にたいしてこのような態度はとらない。禅者にとって個々の語の語源など問題にもならない。「言無展示」。始めから言語不信なのである。

言語にたいする禅の態度は著しくダイナミックで行動的である。極限的な精神的緊張の真只中に言葉を投げこみ、その坩堝のなかで一挙にその意味志向性の方向を、いわば無理やりに水平から垂直にねじまげる。言語は自然に与えられたままの形では全然使いものにならないのである。どうしても徹底的なデフォルマシオンが必要となる。そしてそのためには、言葉を現実の生きた禅的場面で、禅的に使用するほかない。どうしてこんなことをしなければならないのだろうか。

禅の言語にたいするこのような特殊な態度は、もし人が存在の結晶体から出発し、結晶体においてのみ存在を見ている限り、無限定者としての存在そのものは絶対に見ることができないという根本テーゼに立っている。ハイデッカーの言うように、存在は言語を家として宿る。すなわち語は存在を分節された形で提示する。世界はばらばらに切り離されて独立に存立する事物の集合体として現れる。暗闇の舞台に無数のスポットライトが照らされ、数限りないものが浮び出る。ハイデッカー的に言うと、「存在」は見失われ「存在者」のみが顕現する。かくて世界は自己同一的事物(「山は山、水は水」)に充たされた存在領域となるのである。そしてこのような存在領域においては、それらのものを眺めつつ、それらをものとして認知する自分もまた他の一切から切りはなされた1つの事物にすぎない。我もここではものと化す。認識論的に見ると、ここに主体と客体の区別と対立が成立する。

こうして言語はもともと無限定的な存在を様々に限定してものを作り出し、ものを固定化する。ここで固定化とは言語的意味の実体化にほかならない。

だが禅はものの固定化をなによりも忌み嫌う。一切のものを本来無自性と信じ、かつそう見るからである。本来無自性とは、永遠不変の、固定した「本質」などというものをもたないということである。山が山性によってがっしりと固定され、山以外の何ものでもなく、また何ものでもあり得ないという柔軟性を欠いた存在論は、哲学的にも前哲学的にも、山の本当のあるがままにたいして人を盲目にする、と仏教は考える。

「僧肇(そうじょう)は『天地と我とは同根。万物と我れとは一体』と言っているが、私にはどうもこの点がよくわからない」と言った人にたいして、南泉普願禅師は庭に咲く1株の花を指しつつ「世人のこの1株の花を見る見方はまるで夢でも見ているようなものだ」と言った(碧巌録、40)。世人の目に映る感覚的花は花性をその本質として動きのとれぬように固定されたものである。花の花的側面だけはありありと見えているが、花の非花的側面は全く見えていない。つまり花を真に今ここに咲く花として成立させている本源的存在性が見えていないのだ。このような形で見られた花は夢の中に現われた花のように実は取りとめもないものだ、というのである。

一たん分節されて結晶体となった存在は、もしそのものとして固定的、静止的に見られるならば、分節される以前の本源的存在性を露呈するどころか、逆にそれを自己の結晶した形のかげに隠蔽するものである。このような場所では、人は存在を見ずに、ただ存在の夢を見る。

禅はこの覆いを一挙に取りはらうために言語を使用する。言語の意味的志向性によって分節された存在を、瞬間的にもとの非分節の姿に還らせるために分節的言語を逆用するのである。勿論、全然言語を使わないこと――沈黙――によってもそれはなされるし、「喝(かつ)」という非分節的音声によってなされることもあるが、それは本論文の埒外の問題である。

意味作用が働いている限り――意味作用を失った瞬間に言語記号は記号としての生命を失って死物と化す――個々の語は現実のある1断片を切り出してこれを固定的に結晶せざるを得ない。そのような言語の本来的機能を活かしながら、しかも意味の結晶体を溶解させようと、禅はする。結晶体を結晶体の姿で見ることにとどまらずに、本源的非結晶体が転じ、そしてまたたちまちもとの非結晶体にもどる微妙な全過程を、電光ひらめく一瞬の言語活動に捉えようとし、捉えさせようとする。自然的言語が極度に歪曲されることは当然であろう。この歪曲が普通の人の目には「無意味」と見える。(358~363頁)

■しかし絶対非分節の場(フィールド)は限りなく力動的で柔軟であり、その働きは自由無礙である。今この瞬間に人(にん)として主体性の極に結晶しているかと思うと、もう次の瞬間にはたちまち重心を「客」の極に移してものという形に結晶する。「庭前の柏樹子」、「麻三斤」。この「麻三斤」は前にも言った通り、仏(すなわち絶対者)とは何かという問いに対して洞山守初禅師が答えた言葉である。絶対者という語はここで我々が使っている場(フィールド)という語にあたる。洞山は、言下に、場(フィールド)をものに結晶させて質問者の面前につき出したのである。

このような境位で、本来的に禅的な形で分節されたものは勿論外的世界にあって「主」と対立し、その認識の対象となるただのものではない。表面にこそ現われていないが、人(にん)もそこにある。全世界がそっくりそこにある。このことを『趙州録』に見られる柏樹子公案の言語が実にはっきり示している。曰く、「時に僧有り、問う『如何なるかこれ祖師西来の意』(仏教から見た絶対的真理、つまり我々のいわゆる禅的無分別の場、とはどんなものか、と問いかける)。師云く『庭前の柏樹子』(僧はこの答えに不満である)。『和尚、境を将(も)って人に示す莫(なか)れ』(外界の事物など持ち出してきても答えにならぬ)。師云く『我、境を将って人に示さず』(わしは外界のもののことなど言っているのではない)。(そこで僧があらためて問う)『如何なるかこれ祖師西来の意。』師云く『庭前の柏樹子』。」この問答で質問者が理解している柏樹は普通に分節されたものである。それは我に対立し、他の一切の

ものに対立して独立する柏樹である。趙州の柏樹は禅的に高次の分節によって成立するものである。それは我をも他の一切のものをも全てを1点に凝集した柏樹である。このように高次の分節によって成立したものを、臨済は「奪人不奪境」と呼ぶ。

しかし、自由無礙(げ)な場(フィールド)は、また時に主も客も奪わず、主客共に成立させることもある。臨済のいわゆる「人境倶不奪」である。その例はさきに掲げた(風穴の「長(とこし)えに憶(おも)う、江南3月のうち」)。人も境も共に生きつつ、しかも両者が全く一体化した風光を描くこの詩句には春風駘蕩としてうららかな雰囲気が漂う。

絶対無分別の場(フィールド)を人境倶不奪な、極めて特殊な分節形において体認することが、中国と日本で、極めて特徴的な自然観を生んだ。多くの詩人や画家たちがこのような見地から自然を描いた。それは風穴の「長えに憶う」のように長閑(のどか)な風景として描かれることもあり、また夾山(かつさん)の「猿は児を抱いて青嶂(せいしょう)の後に帰り、鳥は花を啣(ふく)んで碧巌の前に落つ」というような深山の幽邃(ゆうすい)な景色として描かれることもある。描き方は様々であるが、いずれも人境倶不奪の示現であることに違いない。

ただ人境倶不奪は他の3つの境位と違って人とものとが共にそこにある場合であって、その限りにおいては日常的な認識と同じであり、従って、それを表現する言語も、一応表面的にはそのまま意味が通る。しかし、それだからこそ、実はかえって分かりにくい。禅的言語特有の分節がともすると日常言語の分節と混同されやすいのである。こういう混同が起ると、いま引用した夾山禅師の詩は外的自然の純客観的描写となってしまう。すなわち夾山という人がいて、彼が自分の住む深山の風景を眺めていることになるのである。現に法眼文益(ほうげんもんえき)禅師はこの詩について、自分の修業時代を回想しつつ、「私は30年間、うかつにもこれを外的自然の描写とばかり思いこんでいた」(我れ30年来錯(あやま)って境の会(え)をなす)と言っている。とすると、これは内的風景の象徴的な提示であろうか。勿論そうでもない。この詩は明らかにものを描いている。ただ、それらのものが同時に我でもあるのだ。時間・空間の世界に、我とものの微妙な融和として展開する非時間的・非空間的根源存在の場(フィールド)の明歴々たる姿なのである。「長(とこし)えに憶(おも)う、江南3月」には「憶う」という動詞に結晶した我(「人(にん)」)がはっきり出ている。夾山の描く山間風景にはそれがない。けれども、我はまごうことなくそこに顕現している。この境位を「人、山を見る。山、人を見る」とも言う。

 

以上のように解された絶対無分別態と、その絶対無分別者がそのまま直接無媒介的に顕現して成じた分節態との間に、本来的な禅の言語は働く。仏教の述語を使えば聖諦(しょうたい)と俗諦との間の振幅が、禅的言語の展開する場面である。聖諦とは存在の絶対非分節的次元であり、俗諦とは言語的に分節された存在の次元である。洞山良价(とうざんりょうかい)禅師の嗣、曹山本寂(そうざんほんじゃく)禅師は「正位は即ち空界にして本来無物、偏位は即ち色界にして万象形あり」と言う。聖諦(しょうたい)と俗諦との間を往来する禅的言語は、また洞山の立てた「正位」と「偏位」の間の消息としても捉えられよう。

禅的言語は必ず聖諦から発する。聖諦から発出した言葉は、一瞬俗諦の地平の暗闇にキラっと光って、またそのまま聖諦にかえる。この決定的な一瞬の光閃裡に禅的言語の有意味性が成立する。(371~374頁)

対 話 と 非 対 話

――禅問答についての1考察――

1

■対話、すなわち言語記号を手段とする意味の相互伝達に関して、それがいかにして、またどの程度まで本当に可能であるかという点については、言語学は、概括的に申しますと、未決定の態度を取っているといわざるを得ないのが現状であります。事実、意識内容の言語的伝達の可能性を全く否定する徹底的な言語的独我論を一方の極として、反対に全てが言語的に伝達可能であるとする素朴なコミュニケーション肯定論を他方の極として立てますと、様々にニュアンスと強調点を異にするほとんど無数の立場が、これら両極の中間に認められるのであります。(379頁)

■意味の直接な言語的コミュニケーションは、いかなる形においても、絶対に不可能だという極論にまでは至らないにしても、今日はほとんど全ての言語理論家は、純粋に個人的あるいは実存的な体験の内容を、その生きた独自性のままにそっくり言葉で他人に伝えることは不可能であると考える点では、ほぼ一致しております。

これと正反対の極に近いあたりには、言語は、人間の意識に生起したことを、それがどのような種類のものであれ、本質的には他人に伝達できるという古来の合理主義的立場を固持する人々がおります。この言語観は、我々の常識に密着した、従って非常に根深い言語観でありまして、人間の心はいついかなる所においても根本的には均等であり、認識形態も基本的には同一であり、それゆえ、すべて人は要するに同一の現実を同じ形で経験しているのであるという確信に基礎を置いております。(380頁)

■以上のように考えてきますと、意識内容の伝達と「現実」の分節という人間言語の2つの根本的機能ののうち、禅思想において中心的位置を占めるものは後者、すなわち意味的分節機能の方であることが明らかでありましょう。古来の禅の伝統そのものの中には、別にまとまった形の言語論があるわけではありませんけれど、実際上、禅はこのような言語理論を内藏しているのです。そして禅が内藏するこの言語観によりますと、言語は主として、あるいは第1義的には、一種の認識パターンである、つまり本来なんの区別もなく、なんの線も引かれていない絶対無限定者の平面に多くの複雑な線を引いてそれを区分し、そこに無数の意味単位の「目に見えぬ格子」、すなわち輻輳する分節線の体系を作り出すものであると考える。しかもこの分節線を構成する意味単位はそのまま認識の単位となり、それに対応する「現実」の諸部分はそれぞれ独立に存在するものや事柄として認識されて、そこにいわゆる経験的世界なるものが提出してくると考えるのであります。

この点においては、言語にたいして禅の取る――あるいは、取ると想定し得る――立場は、現代のフンボルト学派に属する意味論者たちの立場に非常に近いものであります。フンボルトに従う人たちについては前章で説明しました。この人たちの見方では、言語は第1義的には認識範型あるいは分節形態を通して「現実」を分節し、それの提供する認識パターンによって世界を見る、というより、むしろ世界を創り出すのです。こうして各言語は、それぞれ1つの独自な世界像を確立するわけでありまして、従ってその言語を母国語として話す人々の心に既成の、つまりあらかじめ分節された世界の、ヴィジョンを押しつけることにならざるを得ない、と、大体こういうような主張であります。

禅がもし独特の言語学を発展させるとしたら、きっと大体においてこういった考え方に近いものになると私は思います。事実、禅はフンボルト派の意味論と同じく、言語的分節が我々の世界認識に及ぼす強大な影響力をいろいろな形で指摘してきております。ただし、禅がフンボルト流の意味論と違うところは、存在にたいする言語分節の影響力をただ観察したり分析したりするにとどまらず、もっと積極的、建設的な形でこの事実に対処しようとするところにあります。

ぜんは、今申しました言語の人間意識にたいする影響力を徹底して否定的に見ることから始めます。すなわち、言語の意味分節の枠組を通して見られた世界は、の完全な歪曲以外の何ものでもないとかんがえるのです。そして禅は、言うまでもなく、第1に、第1義的に、修道であり、精神鍛錬の道であり、ここで精神鍛錬とは人間の意識構造を根本的に練りなおして、今までかくれていた認識能力の扉をひらき、それによって今まで見えなかった事物の真相を摑むことができるようにしようというのでありますから、当然のこととして、ここで問題としております「現実」の言語的歪曲を払拭し、言語の分節作用の全然働かないところで、ありのままの「現実」を認識させる方法を編み出してきたのであります。坐禅とは、言語的に言いますと、まさにそういう言語否定への修行方法です。深い観想のうちに、言語分節の蹤跡が消え去り、あらゆる事物の無が体験されるとき、そのときはじめて歪曲されぬが顕現するという考えです。この点を以下もう少し立ち入って考察してみたいと存じます。

本論の第1章で私は、現代言語理論を代表するある人々によると、世界についての我々の認識体験には2つの違った次元が識別される。その1つは巨視的次元、他は微視的次元、ということを申しました。そして巨視的次元で体験されることだけが言語的に伝達可能であるということも。巨視的次元の体験内容が言語で伝達できる性質のものであるということは、それがもともと言語的「現実」分節の所産だからであります。今までお話ししてきたことから、それはすぐおわかりいただけると思います。

体験の巨視的次元とは「公共的に観察できる」事物事象から成り立っているといわれますが、それは別の言い方をすれば、体験の巨視的次元が名称あるいは名前の領域だということです。感覚的、感情的、情緒的、あるいは理性的にいろいろな事物や事象が、名称によって与えられる意味的指示に従ってそれぞれ他とは違ったものとして識別され確立されて互いに他にたいして自己を主張する存在領域で、それはあるのです。あるものがある名前をもつということは、それがそれ自身としてはっきり分節されているということにほかなりません。この意味で、巨視的世界は言語的分節の世界であります。

ところで禅の修行の道の第1歩は、このようにして巨視的次元に生じた意味的凝結体を、観想によって次々に――というより、できることなら、一挙に――溶かしてしまうことにあります。言語的意味分節論の見地から申しますと、坐禅とは、意味的に凝結している事物を溶解して、もとの姿に戻すために考案された方法であると申せましょう。

ざぜんの経験のおありの方はどなたも御承知でしょうが、坐禅で観想状態が深まって参りますと、意識の深層が次第に活発に働き出します。そしてそれと同時に凝結していた世界がだんだん溶けていきます。いわば流動的になっていきます。今まで峻別されていたあらゆる事物の形象はその尖鋭な存在性を失って仄かになり、ついにはいまにも消滅せんばかりのかそけさとなります。いわゆる「本質」なるものによって造り出されていた事物相互の境界線は取り除かれ、いろいろな事物の輪廓はぼやけてきます。そして、今ではほとんど区別し難くなったものたちが相互に浸透し合い、とうとう最後には全く1つに帰してしまいます。それが「一者」の次元です。

最初「一者」は万物の1に帰した状態、現象的多者の形而上的合一ないし帰一として体験されます。形而上的体験のこの段階では、「一者」は事実上、多者の一者、つまり多者の統一でありまして、多者はその姿こそ見えませんが、可能的にはまだ互いに区別されている、あるいは区別され得べき状態にあります。多者のこの可能的な存在区別は、さきほどからお話ししております言語分節の名残りなのでありまして、「現実」を常に区分と異別化において見ようとする人間意識の根深い傾向のゆえに、「一者」の次元に来てもなお依然として心に纏綿(てんめん)して離れないのです。だが、観想のより1段の深化とともに、この多者の可能的区別もついに消え去って、万物は絶対の無限定の中に消溶してしまいます。これこそ真の意味での形而上的「一者」の現成。大乗仏教ではこれを「空」と呼ぶ。禅ではよく「無」という言葉を使いますが同じことです。「万法」に帰す。一いずくにか帰す」というわけです。

言葉との間聯で申しますと、観想のこの段階では、言葉はその意味的分節機能を完全に停止してしまいます。ここにはもう何1つ分節されたものは残っておりません。言語的分節の織りなすヴェールは取り除かれ、事物が事物であることをやめつつ、すなわち、事物がそれぞれ自分がであることをやめつつ、それぞれの形而上的真相を露呈します。前に申しましたように、これこそ「山」がもはや「山」ではない境地なのです。「山」が山」という意味で限定され分節された形を失って無に帰した境地。「山」――あるいは、より厳密に言うと、今まで「山」だったもの――はここでは「無」なのであります。自分の名前を完全に失ってしまったのですから。もう「山」という名前はどこにもありません。老子の表現を借りれば「無名」です。

しかしながら、この「無名」の境地が禅の究極するところではないこともまた注意する必要があります。もしこれが究極の境地であるなら、1度言語分節の存在的次元を超え出てしまったら、もう言語など、なんの用もない、無用の長物ということになりましょう。言葉もなければ対話もなく、一切の言語活動はただ純粋に否定的意義においてしか問題にもならないことになるはずでしょう。なぜなら、言語はの偽りの図像を描き出してみせる存在的悪にほかならないのですから。そして事実、私はここまで、ただ言語的意味分節の否定的側面だけを論じてきました。だが本当は、言語にたいする禅の見方には、これとは反対の積極的、肯定的な側面もあるのです。

この第2の側面に関して先ず注意されなければならないのは、「無といい「空」という絶対無分別の形而上的状態としての」「現実」はそれ自身のうちに自己分節への存在的傾向を内包しているという事実――これもまた禅においては理屈ではなくて体験的事実なのですが――であります。絶対無分別者はいわばどうしても自己自身を分節せずにはおられない。「無名」は「有名」に転じていかずにはおられないのです。そして禅の観想的意識は、本源的形而上的「一者」が次第に自己分節を重ねつつ、ついに具体的事物事象の世界として完全に現象化された形で現れるところまで、「一者」の自己分節の全行程をくまなく辿るべく定められているのであります。ここに「一者」の自己分節の過程とは、「無名」が自らを名付けていく過程にほかなりません。本来なんの名もないものが、いろいろな名称を自己に与えて「有名」となる過程です。この「無名」の名付けが言語を通じてなされることは申すまでもありません。

ここまで来て、事の表面だけ見ますと、結局もとの木阿弥で、出発点の経験的世界に逆戻りしてしまったかのように思われるかもしれません。つまり、一々のものが自分の名前をもち、自分自身の存在論的本質によってはっきり他から自己を区別して存立する、例の意味的分節の世界にまた返って来たかのように。

たしかにそういう面もないではありませんが、しかし最初の経験的世界と今度の経験的世界の間には、外面的には同じ1つの分節の世界でありながら、その内面的構造において根本的な相違があるのです。ということは実は、同じ意味分節の世界を見る意識そのものの構造が根本的に変っているということです。

まだ観想体験を通じて万物の「無」を自覚していない最初の段階では、世界にはいろいろなものがあって――つまり「現実」が意味的に無数の単位に区分けされていて――それらのもののそれぞれがその名前で示される独特の「本質」をそなえた独立の存在者として現われていました。これに反して「無」の観想的自覚を経た後の段階では、同じそれらのものが全て絶対無限定者としての「一者」の顕現形態として覚知されるのです。禅の立場から見てここで一番大切なことは、経験的多者界の存在者の1つ1つがどれも「一者」がそっくりそのまま自己を露現した姿として覚知されるという点にあります。「一者」がたくさんの部分に自らを細分し、それらの部分がそれぞれ独立したものになる、というのではない。そうではなくて、経験界に分節は分割とまぎらわしいので、混同されるおそれなきにしもあらずですが、とにかくここで私は述語的に、分節を分割とはまったく違う特殊な形而上学的・存在論的事態を指す言葉として使います。例えば、がA・B・C・Dに自己分割すると申しますと、それは、全体としての「一者」が4つの部分に分れて別々のものになるという意味ですが、自己分節の場合には、「一者」が4部分に分れるのではなく、AもBもCもDも、それぞれが「一者」そのものの、4つの違った現われ方、4つの限定的現象形態である、という意味。その意味で、一々の事物事象がいずれも絶対無分別者の言語的自己分節なのであります。

この見地からすると、一切のものがそれぞれ「一者」それ自体であって、それ以外のものは全世界に何1つないのです。ですから例えば、今私が山を見る場合を取ってみますと、私の目前に聳え立つこの山は、今ここでの「一者」の直接無媒介的な自己提示であり、同様にそれを見ている私も、今ここでの「一者」の直接無媒介的自己提示であります。従ってこういう境地において私が山を見ることは「一者」が「一者」自身を見ることにほかなりません。私が山を見るという一見極めて単純な経験的事実が、実は「一者」が自らを自らの鏡に映して見るという形而上的事件なのです。だがそれでもやはり経験的あるいは現象的には私は私であり、山は山であります。

この微妙な事態を指示するために、禅はよく「われ山を見、山われを見る」というような言表を用います。「無」の現象的皮層において私と山とが、互いに他を排除しつつしかも互いに浸透し合う形而上的事態を言い表わそうとしたものであります。私と山とが互いに他を排除し合うのは意味分節形態として両者が混同を許さないからであり、私と山とが互いに浸透し合うのは両者が共に「一者」の自己提示として根本的には同じ1つのものであるからです。

経験的世界がこのような異常な様相の下に現成するこの境地において、言語の分節機能そのものもまた普通の場合とは全く違った様相を呈することは当然でなければなりません。言語の分節機能は、ここでは形而上的「一者」の自己分節機能そのものであります。それ自体としては本源的に全く無分節である「一者」が存在的に自己を分節していく、この「一者」の自己分節が言語的意味分節として現れるのです。

この点から見ますと、形而上的「一者」は絶対未分節の言語、言語以前の言葉、それ自体は絶対の沈黙であり、まだ言葉としての分節作用を全く現わしてはいないけれど、しかも無限に自己を意味的に分節していくことのできる根源的非言語と考えることができます。西洋流の表現を使えばVerbum Aeternumとでもいうところでしょうか。絶対の沈黙でありながらしかも永遠の言葉であるもの、非言語――私は今この非言語という語を無言語から区別して、例の薬山惟儼(いげん)の「非思量」に合せて使っているのですが――でありながら、しかもあらゆる言葉、すなわちあらゆる存在形態の本源であるようなコトバです。

禅自身、伝統的にはあまりこういうことは言っておりませんが、以上のように考えてきますと、禅の言語哲学の中には、インドの「言語的不二論」を代表する哲人バルトリハリ(530-630B.C.)によって提唱された「語・梵」の考えに非常に近いものがあるように私は思います。勿論、禅は絶対者というようなものを立てることを断乎として拒否しますので、宇宙全体の絶対的根源実体として考えられた「語・梵」など認めるはずはありませんけれど、その理論的構造において、コトバすなわち言語的絶対者としての「語・梵」と禅のコトバすなわち根源的未分節者、非言語との間には注目すべき類似点があるように思われます。

あらゆる意味的分節、すなわちあらゆる存在的区別が消滅して無に帰一し融入してしまった状態として、禅が「無」とか「空」とかを説くことは前に申しましたが、この禅の「無」と同じく「語・梵」もまたそれ自体としては絶対の無であります。絶対の無でありますが、その展開面においてはそれは全現象界の究極因であります。すなわち経験的世界におけるあらゆる事象事象の生起は「語・梵」の自己分節によるのであります。しかも「語・梵」はその本性上、永遠不断に自己分節の過程にあるのでありまして、ここでもまた禅の場合と同じように、根源的非言語が絶えず自己を分節して具体的な個々の語となり、それらの語が個々の事物事物を現成させて、その結果、我々の経験界が現われてくるという考えであります。

この考え方は、コトバとしての「無」の言語的存在的自己分節を説く禅の考え方と根本的には少しも変わるところがありません。なんだかマラルメの口真似みたいになりますけれど、私が「山」という語を発音する。するとたちまち「無」の深淵の奥底から「山」が立ち現われてきます。「無」の直接無媒介的自己顕現として。そしてそれは同時に、「山」という1点に集約された全存在の生起でもあるのです。他方、私が「山」と言い、その発音された語を私から離れた他者として聞くとき、私の中に意識が、主体としての「私」の意識が、これもまた同じ「無」の深淵のさ中から立ち現れてきます。これが意識の発生です。そして永遠のコトバの創造的エネルギー全てを挙げての瞬間的凝結である「山」と、これまた同じ永遠のコトバの全エネルギーの瞬間的凝結点である「意識」とが、山を意識する私の意識として統一されます。根源的非言語の直接の分節体としての「山」がこうして現成します。

禅の見る言語の本源的な働きとはおよそこのようなものであります。いわゆる「転語」というのがそれです。禅は実に厳格に、徹底して、言語が第1次的にはこのような形でつかわれることを要求します。すなわち全ての語がコトバの直接そのままの顕現としての自覚において話者によって発せられ、またまさにそのようなものとして聴者に受けとられることを要求します。だから「1転語を持ち来れ」と言います。

しかしながら、絶対的非分節者として「無」が自覚されていないところでは、今申しましたような言語行為の自覚が成立するはずもありません。それゆえにこそ禅では、この非分節者を先ずその本源的無言、すなわち沈黙の次元において、次にその分節的意味的展開の過程において瞥見するために、たゆみない訓練が行われるのです。しかしその訓練の場としては、具体的な対話における実際の言語使用の場面をおいてほかには求めようもありません。禅において対話という言語行為が特別に重要な修道的意義を帯びてくるのはそのためであります。

本論の第2章に入ったところで私は、禅の対話を一応Beyond Dialogueとして特徴づけ、この表現は2つの互いに密接に関聯した2つの違う次元において理解されなければならないと申しました。第1の次元における意味とは文字通り「対話を越える」ということです。私はここまでのところで主としてこのように解されたBeyond Dialogueが禅にとって、禅の立場から、どういう内的構造を展開するかを説明して参りました。しかしまた、今まで申し述べたところによって、Beyond Dialogueが単に対話を越えてその向う側に行く、つまり簡単にいえば対話をやめてしまう、ということではないことはほぼおわかりいただけたかと存じます。そこにBeyond Dialogueの第2の次元における意味が生じてきます。この第2の意味とは、第1の意味のようにいわば消極的なものではなくて、積極的、肯定的なものであります。すなわちBeyond DialogueはBeyond Dialogueとして、一種の積極的な対話の形にまで展開されねばならないというのです。対話を越えた局面において、普通の意味での対話を越えた対話として、いわば「向う側の対話」あるいは「超対話の対話」として新生しなければならないというのであります。2人の人間の間に成立する普通の対話的関係の地平の彼方の痛烈な実存的状況のうちに演じられる1つの形而上的ドラマとして現成する特殊な対話形式、それを私は仮りにBeyond-Dialogueという表現で表わしてみたのです。このような意味に解されたBeyond-Dialogueを伝統的に禅は「問答」と呼びならわしてきました。

「問答」は、第2義的、ないし偶成的にしか思想感情の伝達行為ではありません。ただの思想感情の言語的コミュニケーションとしてこれを取り扱おうとすればはたちまちノンセンスになってしまいます。始めから、2人の対話者の間の水平的なコミュニケーションのつもりではないものを水平的コミュニケーションとして取り扱おうとするのですから当然です。既に充分おわかりいただいたところと思いますが、「問答」とは第1義的には決してそのようなものではなくて、極度に緊迫した精神的状況の中で2つの実存の間に起る異常な形而上的出来事なのです。話者と聴者の各々に生じる言語行為は、相手に何かをわからせようとかわかったということではなく、また相互に自分の意識内容を伝えようとするものでもなくて、絶対的に無分節なあるものの言語的自己分節の自覚です。従ってこの特殊な出来事に参加する2人の人間の各々は、本源的非言語の垂直的が言語化の場であります。2人の人間、2つの実存、すなわち非言語の自己言語化の互いに平行する2つの実存的機構が、相関的展開の過程において、互いに刻々呼び合い応じ合いつつ、瞬間ごとに全く新しい対話的場面を創造していく、それがBeyond-Dialogueとしての禅の問答の本質的構造であります。

本論の冒頭、私は世界の現代的状況のうちにあって果して異文化間の対話は可能であるか否かという問題を自らに提出しました。結局、私はこの問題になんらの解答も与えないままに膜切れの時間になってしまいました。今ここにこの拙い話しを終るにあたり、多少言い訳めいてひびくかも知れませんけれど、もともと私の本当の意図は、異文化間の対話の可能性を論じるところにはなくて、むしろそのようなことを大問題とせざるを得ない現代の言語理論の動向にたいし、対話というものについてそれとは全然違った別のアプローチがあり得るし、また現にあることを指摘するところにあったということを申し上げておきたいと思います。当然なことですが、現代の言語理論が問題とする対話とは、要するに常識的な言語観に基いた対話の概念であります。禅の問題とする対話は、これに反して、非常識な言語観に基いた対話の概念であります。禅の問題とする対話は、これに反して、非常識な言語観に基いた非常識な対話です。この非常識なじげんでは、異文化間の対話であれ同一文化内部の対話であれ、それが可能であるかないかなど問題にもならないのです。こんな非常識な対話だけではこの世の中は実際成り立ってはいかないので、これだけでいいとか、これでなければならないとか申すつもりは全然ありませんが、対話というものにたいして、またより一般に言語というものにたいして、常識的言語理論とは全く違った見方もある、そしてそれが人間精神の形成にとって、それから人間についての哲学的思索にとって重大な意義をもつものであるということを自覚しておくのは悪いことではないと思うのです。

じじつ、禅本来の観点から言いますと、普通の意味での対話、あるいはついさっき申しました言語による思想感情の水平的コミュニケーションは全て第2義的なものにすぎません。勿論、人間の一般的社会生活、人間の社会的存在にとっては、思想感情の水平的コミュニケーションは欠くことのできない大切なものではありますが、禅に言わせればそれよりもはるかに重要な問題、人間実存そのものの存否をかけた大問題があるのです。その大問題は人間の自覚という一事であります。そして人間の自覚は、本論のコンテクストにおきましては、人間が自己を「無言」の言語化として悟るということを措いてはあり得ないのです。人間実存の中核に関わるこの問題が解決されない限り、水平的対話――2人の個人の間の対話であれ、2つの異文化の間の対話であれ――にかかずらうことは、禅の観点からすれば、全く無意味なのであります。

禅の観点からすれば、現代の言語理論内に生じている言語的コミュニケーションの難問と、それに関聯する数々の複雑な問題は、主として言語の伝達機能に不相応な重点が置かれるところに起因します。むしろ言語については、意味分節的機能にこそ第1の重点が置かれなければならない、否定的意味においても肯定的意味においても。これが言語にたいする禅の根本的態度です。否定的意味においては、言語の意味分節的機能は、あらかじめきちんと分節された認識形態のシステムを押しつけることによって、我々の心に「現実」の歪んだ形象を生みつける。言語の分節機能のこの否定的な影響力が先ず何より第1に取り除かれなければならない。それが完全に払拭されたとき、その上で、第2段階として、我々の言語行為が今度は肯定的積極的に、非言語が具体的な言葉として自己を分節していく形而上的プロセスとして自覚されなければならない、というのです。

単純率直に申しますと、形而上的深みを欠いた水平的言語コミュニケーションは、禅に言わせれば実存的意味のないあだ事であります。他人を理解しなければならないとか、他人に自分を理解させなければならない、などと申しますが、もし当の私が自分自らを理解しないでおいてそんなことして一体何になるでしょう。それがまさに禅の問題とするところなのであります。(393~408頁)

後 記

■3年前の夏、スイスのエラノス学会の食卓で、D・ラウフ教授が、熱っぽい口調で、私の耳に吹き込むように言った言葉を、私は時々憶い出す。「我々西洋人は、今や、東洋の叡智を、内側からが把握しなければならないんです。まったく新しい『知』への展開可能性がそこに秘められているんですからね」と。ラウフは現代ヨーロッパ屈指のチベット系タントラの大家。同じスイスの思想界の一部でカリスマ的存在だったジャン・ゲプセルの提唱する「精神の比較現象学」の立場の熱烈な支持者でもある。が、それはともかくとして、西洋人としての主体性を失うことなく、しかも東洋思想の深部にまでもぐりこんで、それを内側から、つまり実存化した形で、了解していこうとするラウフ氏のこの態度、私は非常に面白いと思った。西洋人を俟つまでもなく、先ず我々東洋人自身が、己れの哲学的伝統を内側から、主体的実存的に了解しなおす努力をしなければならないのではなかろうかと、その言葉を聞きながら私は考えていた。

それは、東洋の様々な思想伝統を、ただ学問的に、文献学的に研究するだけのことではない。厳格な学問的研究も、それはそれで、勿論、大切だが、さらにもう1歩進んで、東洋思想の諸伝統を我々自身の意識に内面化し、そこにおのずから成立する東洋哲学の磁場のなかから、新しい哲学を世界的コンテクストにおいて生み出していく努力をし始めなければならない時期に、今、我々は来ているのではないか、と私はおもう。(411~412頁)

(2013年7月2日)

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

執筆者:

関連記事

no image

読書ノート(2007年)全

読書ノート(2007年) ■そしてこれをシュベングは、「なによりもまず素材としての物質からではなく、運動の相互作用から形態形成がなされるという可能性を理解すべきである」という。「素材を利用してこれを鋳 …

『プロティノス「美について」』 斎藤忍随・左近司祥子訳 講談社学術文庫

『プロティノス「美について」』 斎藤忍随・左近司祥子訳 講談社学術文庫 ■雑多なものと1つのもの。雑多なものは、変化きわまりないほとんど「夢」といったほうがいいようなこの世のものであるのに対して、1つ …

no image

『カーヴァーズ・ダズン』レイモンド・カーヴァー(村上春樹編・訳)より

■おしまいの断片 たとえそれでも、君はやっぱり思うのかな、 この人生における望みは果たしたのかと? 果たしたとも。 それで、君はいったい何を望んだのだろう? それは、自らを愛されるものと呼ぶこと、自ら …

no image

『人生を〈半分〉降りる』 中島義道著 ちくま文庫

■生きることをやめる土壇場になって、生きることを始めるのでは、時すでに遅しではないか。(12頁)(『道徳書簡集』セネカ) ■さあ家に帰ろう。そうして帰ったうえは、どうか交わりをやめ、世人との遊びを絶ち …

no image

かすがい(時空のゆがみ)

●かすがい(時空のゆがみ)  過去は過ぎ去らない。「今・ここ」に流れ込み、未来にも存在の因と縁は滅しない。そのことに、気付いた体験の話です。(2021年記) この話は今から何年前の出来事だったのだろう …