『マーク・ロスコ』 川村記念美術館 淡交社
■絵を描くことについて、お話しようと思います。絵を描くことが自己表現に関わると考えたことは、これまでに一度もありません。絵とは、自分以外のひとに向けた世界に関わるコミュニケーションにほかなりません。このコミュニケーションの内容に納得すると、世界は生まれ変わります。ピカソ、あるいはミロ以降、世界はそれまでの世界とはまったく別のものになりました。ふたりの世界の見方が、わたしたちの物の見方を変えたのです。美術に関するかぎり、自己表現の教えはすべて誤りです。自己表現は心理療法の分野に属します。自分自身を知るのが貴重なのは、そうすれば作品制作の過程から自己を排除できるからにすぎません。このことを強調するのは、自己表現の過程そのものに多くの価値を見るひとがいるためです。美術作品の制作はそれとはまた別問題であり、わたしは仕事としての美術について語ろうと思います。(188頁)《ロスコの言葉――プラッド・インスティテュートにおける講演》
■――自己抑制(コントロール)の問題について、若者は語るべきではないでしょうか?
自己抑制の問題に、若者か年配かは関係ないと思います。どう決めるかの問題です。決めるべきは、抑制するものがいったいあるのか、ということ。より自由な、荒々しい種類の絵は白髪頭の老人より若者が描くほうが自然、ということはないと思います。年齢の問題ではありません。選択の問題です。そうした考え方が流行している。今日では、画家は自由であればあるほど良くなると漠然と思われている。それは流行にすぎません。(190頁)《ロスコの言葉――プラッド・インスティテュートにおける講演》
■――自己表現ですが……「コミュニケーション」対「表現」。うまく折り合いをつけることはできませんか、私的なメッセージと自己表現との間で。
私的なメッセージとは何かというと、自分でそのことを考えつづけてきたということです。それは自己表現とはちがいます。あなたは自分自身のことをひとに伝えることもできます。わたしには、わたしのものだけではない世界の見方を伝えるほうが好ましい。自己表現は退屈です。わたし自身の外側にある無について、広範な経験について語りたい。(190~191頁)《ロスコの言葉――プラッド・インスティテュートにおける講演》
■――抽象表現主義を定義できますか?
定義は一度も読んだことはないし、今日のこの日までそれが何を意味するのか知りません。最近目にした記事のなかで、わたしはアクション・ペインティングの画家と呼ばれていました。なんのことだかわからないし、わたしの絵が抽象にしろなんにしろ、表現主義と関係があるとも思いません。わたしは反表現主義者です。(191頁)《ロスコの言葉――プラッド・インスティテュートにおける講演》
■(岡野注:ジャスパー・ジョーンズの1958年、レオ・キャステリ・ギャラリーの個展で、星条旗や標的を描いた絵画を目にして)ロスコは「こういったものすべてから逃れるのに、われわれは何年も費やしたんだ」と評している。(209頁)
2009年3月28日