『無門関』西村恵信訳注 岩波文庫
■私は紹定元年(1228)の安居(あんご)を、東嘉の竜翔寺で過ごし、学人を指導する立場にあったが、学人たちがそれぞれ悟りの境地について個人的な指導を求めてきたので、思いついて古人の公安を示して法門を敲く瓦とし、それぞれ学人の力量に応じた指導をすることにしたのである。それらの中のいくつかを撰んで記録するうちに、思いがけなくも一つの纏まったものができあがった。もともと順序だてて並べたわけではないが、全体で48則になったので、これを『無門関』と名付けた。もし本気で禅と取り組もうと決意した者ならば、身命を惜しむことなく、ずばりこの門に飛び込んでくることがあろう。その時は3面8臂の那吒のような大力鬼王でさえ彼を遮ることはできまい。インド28代の仏祖や中国6代の禅宗祖師でさえ、その勢いをかかっては命乞いをするばかりだ。しかし、もし少しでもこの門に入ることを躊躇すならば、まるで窓越しに走馬を見るように、瞬きのあいだに真実はすれ違い去ってしまうのであろう。
頌(うた)って言う、
大道に入る門は無く(大道無門)、
到るところが道なれば(千差(しゃ)路有り)、
無門の関を透過して(此の関を透得(とうとく)せば)、
あとは天下の一人旅(乾坤(けんこん)に独歩せん)。
禅宗無門関(無門慧開の自序)(19~20頁)
■瑞巌の彦和尚は、毎日自分に向かって「おい主人公」と喚びかけ、自分で「はい、はい」と応えられるのであった。「しっかりしなされや」。「どんな時にも他人に騙されてはなりませんぞ」。「はい、はい」。と自問自答されるのが常であった。
無門は言う、「瑞巌親父は自分で自分を買ったり売ったりして胡散臭い一人芝居をなさったもんだが、一体何が言いたいんだろう。さあ此処だぞ。一人は喚ぶ者、一人は応える者。一人ははっきり目覚めている者、一人は他人に騙されたりせぬ者。しかしどの一人を肯(うけ)がってもやはり駄目だ。そうかといって瑞巌和尚の真似をして、一人二役でもしたならば、野狐禅もいいところだ」。(12、巌喚主人。巌(がん)、主人を喚(よ)ぶ)(64~65頁)
■雲門和尚は言われた、「この世はこんなに広々として果てしない。なのに、お前さん達はどうして鐘が鳴ると、そんなにお行儀よく袈裟などを身に著けるのか」。
無門は言う、「そもそも禅に参じ仏道を学ぶものにとって、もっとも気をつけるべきは、、周りの世界の音や形に引きずられてはならないということだ。なるほど「聞声悟道、見色明心」などということもあるが、そんなことなら誰にでもあることだ。しかし、禅者をもって自負する者でさえ、外から来る音に跨がり、形あるものならば抱きかかえるような主体性をもって、それぞれをはっきりと受け取り、それぞれとの妙なる関係を持つべきことの大事さを知らないらしい。ところで、それはともかくとして、言うてみよ。いったい音が耳の方へやってくるのか、耳が音の方へ行くのか、どちらだ。たとい音響も静寂もともに超えたような境地を得ている者でも、問題はここの処をどう説明するかである。もし、声を耳で聴くようではここの処は分るまい。眼で声を聞いてこそ、はじめて声と一体といえるのであろう」。
頌(うた)って言う、
分かってしまえばすべては同じ、
分らなければバラバラだ。
分らなくてもすべては同じ、
分ってしまえば、それぞれよ。(16、鐘声七条)(80~81頁)
■南泉和尚はあるとき趙州から、「道とはどんなものですか」と尋ねられ、「平常の心こそが道である」と答えられた。ついで趙州が、「やはり努力してそれに向かうべきでしょうか」と尋ねると、南泉は「いや、それに向かおうとすると逆に逸れてしまうものだ」と言われる。「しかし、何もしないでいて、どうしてそれが道だと知ることができるのですか」と趙州。そこで南泉は言われた、「道というものは、知るとか知らないというレベルを超えたものだ。知ったといってもいい加減なものだし、知ることができないといってしまえば、何も無いのと同じだ。しかし、もし本当にこだわりなく生きることができたなら、この空らのようにカラリとしたものだ。それがどうしてああだこうだと詮索することがあろうか」。この言葉が終わらぬうちに、趙州はいっぺんに悟った。
無門は言う、「南泉和尚は趙州に問いつめられて、ガラガラ音を立てて崩れたな。もう何の言い訳も出来ないだろう。趙州の方だって、たとえここで悟ったといっても、本当にそれが身に付くためには、まだあと30年は参禅しなくてはなるまい」。
頌(うた)って言う、
春に百花有り、秋に月有り、
夏に涼風有り、秋に雪有り。
つまらぬ事を心に掛けねば、
年中この世は極楽さ。(19、平常是道。平常(びょうじょう)是(これ)道(どう))(88~89頁)
■六祖はある時、法座を告げる寺の幡がバタバタ揺れなびき、それを見た二人の僧が一人は「幡が動くのだ」と言い、他は「いや、風が動くのだ」と、お互いに言い張って決着がつかないのを見て言った、「風が動くのでもなく、また幡が動くのでもない。あなた方の心が動くのです」。これを聞いて二人の僧はゾっとして鳥肌を立てた。
無門は言う、「風が動くのでも、幡が動くのでもない。まして心が動くのでもない。では、何処に六祖の言い分をみるべきであろうか。もしそこのところを見抜くことができて、六祖とピッタリであれば、この二人の坊さんたちが、鉄を買うつもりであったのに、思いがけなくも金を手にしてしまったことが分るであろう。それにしても六祖は優しさが抑えきれないばかりに、とんでもない失敗劇を演じてしまったものだ」。(29、非風非幡。風に非ず、幡(はた)に非ず)(123~124頁)
■馬祖和尚はある時、大梅から、「仏とはどういうものですか」と問われ、「心こそが仏である」と答えられた。
無門は言う、「もし直ちに馬祖の言ったことが分るならば、仏衣を著け、仏飯を喫し、仏話を説き、仏行を行ずることができるのだから、彼はそのままで仏ということになる。とはいえ、よくも大梅和尚たるものが多くの人を引き込んで意味のないことを教えたものだ。そんな人に、どうして仏という字を口にしただけで3日間も口を洗い清めたというような話が分かるものか。仏法のよく分っている男ならば、「即心是仏」などと説くのを聞いたとたん、耳を塞いで走って逃げるに違いないよ」。
頌(うた)って言う、
こんなに明るい空の下、
尋ね求めて何とする。
その上仏を問うことは、
盗品片手の罪のがれ。(30、即心即仏)(126~127頁)
■馬祖和尚はある時、僧に、「仏とはどういうものですか」と問われ、「心でもない、仏でもない」と言われた。
無門は言う、「もしここの処を見て取ることができるならば、禅の修行は完了だ」。
頌(うた)って言う、
剣客見れば剣を出し、
詩人でなければ詩を出すな。
人には三分を語るべし、
すべてを施すことなかれ。(33、非心非佛。非心非仏)(136頁)
■ 頌(うた)って言う、
雲と月とは同じもの、
谷と山とは別のもの。
それがめでたしめでたしさ、
1でもあれば2でもあり。(35、倩女離魂(せいじょりこん))(141頁)
■五祖法演和尚は言われた、「路上で禅を究めた人に出会った場合には、ことばで対しても沈黙で対してもいけない。さて、そうとなれば何をもって対すべきであろうか」。
無門は言う、「もしこういう事態に直面してピタリと対することができれば、はなはだ愉快なことであろう。しかし、そうはいかないとすれば、常にいかなる状況においても、眼を開いていなければなるまい」。
頌(うた)って言う、
道を究めた人見れば、
語るも黙るも間に合わぬ。
顎をつかんで一撃すれば、
分かる者ならすぐ分かる。(36、路逢達道。路に達道(たつどう)に逢う)(143頁)
■五祖が言われた、「たとえば水牛が通り過ぎるのを、窓の格子越しに見ていると、頭、角、前脚、後脚とすべて通り過ぎてしまっているのに、どういうわけで尻尾だけは通り過ぎないのだろうか」。
無門は言う、「もしこの事態に対して、逆のほうから真実の眼をもって見抜き、ハタラキのある一句を投げかけることができるならば、自分が被っているあらゆる恩に報いることができ、またこの世界で悩み苦しんでいるあらゆる生き物を救うこともできるに違いない。しかし、そういうことがまだできないとあらば、是非ともあの水牛の尻尾だけは見届けておくことが先決であろう」。
頌(うた)って言う、
通り過ぎれば穴に落ち、
引き返しても粉みじん。
いったい尻尾というやつは、
なんとも奇怪千万さ。(38、牛過窓櫺。牛、窓櫺(そうれい)を過ぐ)(147~148頁)
■達磨が面壁して座禅をしている。二祖慧可は雪の上に立ち尽くしていたが、自分の臂(ひじ)を切り落として言った、「私の心はまだ不安であります。どうか安心させて下さい」。達磨が言われた、「心をここへ持ってくるがよい。お前のために安らぎを与えてやろう」。二祖慧可は言った、「心を捜し求めましたが、どうしても摑むことができません」。達磨が言われた、「お前のためにもう安心させてしまったぞ」。(41、達磨安心。達磨の安心(あんじん))(157~158頁)
■石霜(せきそう)和尚が言われた、「百尺の竿頭に在るとき、どのようにしてさらに一歩を進めるか」。また古徳が言われた、「百尺竿頭に坐り込んでいるような人は、一応そこまでは行けたとしても、まだそれが真実というわかではない。百尺竿頭からさらに歩を進めて、あらゆる世界において自己の全体を発露しなくてはならない」。
無門は言う、「一歩を進めることができ、世界のただ中に身を現じることができたならば、ここは場所がよくないから、尊しとはいえないなどという処がどうしてあり得よう。そうはいうものの、一体どのようにして百尺竿頭から歩を進めるのか、言ってみるがいい、ああ」。
頌(うた)って言う、
頂門の眼を失えば、
無用のものに眼がくらむ。
身を投げ命を捨ててこそ、
衆生を導く人ならん。(46、竿頭進歩。竿頭(かんとう)、歩を進む)(172~173頁)
■規則ばかりに従っているようでは自分で自分を縛る不自由であり、自由奔放ばかりではこれも外道悪魔というもの。心を澄ませて沈めるばかりでは沈黙の静寂主義であり、傍若無人に振る舞うと深い谷間に転落する。常によく目覚めの状態を維持するものは、自分の首に枷を嵌めるようなもの。善いの悪いのと思惑するのは地獄天国の迷いの世界。仏や法を有り難がるのも二重の鉄山に取り囲まれたようなもの。念が起こればこれをはっきりと自覚するやり方に頼るものは、霊魂を弄ぶ者にほかならぬ。じっと坐ってばかりもひとりよがりの穴ぐら住まい。前進しようとすれば法理を見失い、後退すれば宗旨に背いてしまう。進まず退かずでは、息だけしている死人も同然。さて、それでは禅をどのように実践すべきであろうか。この人生において努力して結論を出さねばならない。憂いを永久に留めるようなことのないように。(禅箴(ぜんしん))(188~189頁)
■達磨はインドからやってきて、文字を用いず、ただ「人心を直指し、見生して成仏する」ことを教えた。しかし、直指と説くことが已にまわりくどいし、まして成仏などということは耄碌した話である。すでに無門なのにどうして関などというのか。老婆心切のおかげで無門慧開も悪名高くなってしまったものだ。私の要らざる一語も四十九則ということになろうか。ここにたとえわずかの間違いでもあったならば、おおいに目くじらを立てて捉えて頂きたい。淳祐乙巳の夏、再び刊行するに当たって。(孟珙(もうこう)の跋(ばつ))(195頁)
2010年9月21日