【創文】520号/2009・6
■《現象を救う》 ――ハイデガーのプラトン―― 後藤 嘉也
古代ギリシャには「現象を救う」という定式があった。惑星の不規則運動という現象を数学的理論によって規則的運動として説明するプログラムのことである。新プラトン主義者のシンプリキオスによれば、これはプラトンが弟子たちに与えた課題です。この現象を救う種々の企ては中世を経て近代に至るまで続けられた。さらに、天体の運動に限らず現象一般について、また数学的理論以外にちうて語られることも少なくない。
晩年のハイデガーも、1965年に、デカルトの方法が数学的明証性に基づいてものの存在を確保するのに対して、ギリシャでは現象を「救う」ことが根本動向だと述べた。現象を救うとは、自らを示す現象が純粋に現前して存在するようにさせることだという。(1頁)
――(中略)――
『存在と時間』によると、現象学とは「現象を語ること」、すなわち「自らを示すもの[現象]を、それがそれ自身のほうから自らを示すとおりに、それ自身のほうから見させること」である。現象とは、描く別な意味で隠され続けている事象、つまり存在者が存在するということである。存在するという隠された現象を救うこと、存在が隠されていることさえ忘れている人間の在りようを、そのつどの仕方で洞窟の外(岡野注;プラトンの『国家』篇の洞窟の比喩)へと解放すること――これは、ハイデガーなりの現象学であった。(5頁)
2009年7月7日