■「貴方の詩集『防風林』を送っていただきました。有難く御礼申上げます。未だよく読みませんが夜の静かな折読ませていただきます。孤独ななかでこんなに気取らないで極めて平易でそれでいてするどいまた骨節のあるものをボクに見せてくれようとしています。最初のものでしたでしょうがそうでない感じがしてボクはおずおずします。親しく、貴方の手をとるように思います」(三野混沌の斉藤庸一の詩集への礼状のはがきの文面)(29㌻)
■二つのうち一つを断ち切って喋らずに進むことの出来なかった者であります(草野天平)
おうい雲よ ゆうゆうと 馬鹿にのんきさうぢゃないか(山村暮鳥)(29㌻)
■ おなじく(山村暮鳥)
おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうじゃないか
どこまでゆくんだ
ずっと磐城平(いわきたいら)の方までゆくんか
ある時
雲もまた自分のやうだ
自分のやうに
すっかり途方にくれているのだ
あまりにあまりにひろすぎる
涯のない蒼穹なので
おう老子よ
こんなときだ
にこにことして
ひょっこりでてきませんか(64㌻)
■ 地の果 (三野混沌)
みんなめいめいのみちをいく
たれもいなくなった
たれもいなくなったところに
ひろびろと土地が拡がっていて
果ての方に荒地さえ黄色に見える
ことりの巣立ったあとの空しいとこのように
私もまたいつかここを離れていく
けれどもここで死ぬ
ここで仕事をし さようならする
クサや木や それらの果実に別れて
私はもう何もしなくなる
何も考えたりもしない
語ることもしない
そしてより一層 ここは寂しくなろう
ウツギが小さく立っている
エダ葉の先に丸い花咲くだろう(106㌻)
■ 詩(遺稿) 三野混沌
たいそうのろのろにみえるぎちぎちだ
死んでしまえといえば死んでもいいほど
そうして どういうものか分からなくなる
そのふあんが口をあけてあるいている
おおいくさはらの中のま白い尾花が
ふらふら動くのとかはりはない
雷雲のしたではなおさらだった
自分のかんがえを歌うべきでない
自分はいつでも客だ
つくりごとでもねたみでもない
かたらない おもしろくない
ま夏のあつい野中のことだ
そこを いつも もっている
どんなことがあっても ぽかんとする
そこが血をふきだした
牛蠅がさした
シャツのやぶけたところからだ(112㌻)
■ 柱時計 (淵上毛銭)
ぼくが
死んでからでも
十二時になったら 十二
鳴るのかなあ
まあいいや
しっかり鳴って
おくれ
死算
じつは
大きな声では言えないが
過去の長さと
未来の長さとは
同じなんだ
死んでごらん
よくわかる(130㌻)
■「しばしば、自殺をおもい立つのであったが、そのたびに詩人は未練がましく、もう少し書きたいという気持をどうすることも出来ないで、とうとう自殺したつもりで生きることに決めたのである。この決心は、ぼくから、見栄も外聞も剥ぎとってしまって、色色なことを僕にさせることができたのである。それは職歴にも反映しているようだ」(山之口貘 現代詩人全集より)(141㌻)
■静かな、こころよいブルタイニュの薄明りの中に、
僕らは口数もきかず、黙々と坐っていた、あんたのおっ母さんが叱口をいひに
やってくるまで、
でも、もう草には露が下りていたものね。でも僕は知っていた、あんたの心臓
が、おどろかされて、まごついている鳩のやうに波うっているのを。
あんたは憶えているかね、イヴォンヌ!
この恋のはじめの弱いはにかみを。
アーネスト・ダウスン 火野葦平訳(151㌻)
■ 秋の夜の会話 (草野心平)
さむいね。
ああさむいね。
虫がないているね。
ああ虫がないているね。
もうすぐ土の中だね。
土の中はいやだね。
痩せたね。
君もずいぶん痩せたね。
どこがこんなに切ないんだろうね。
腹だろうかね。
腹とったら死ぬだらうね。
死にたかあないね。
さむいね。
ああ虫がないてるね。(234㌻)
■『(略)これがですね、すでに芭蕉が日本では、奥の細道という言葉によって象徴している。それは、
この道や 行く人なしに 秋の暮
この有名な文句は、これは芸術の極地を、誰も行かない道、今の、
われのゆく道もありなむ、
たぐいなく軽ろく巧みなる道、
われらともどもにうけがうべきそこはかの道、
あるかないかの細道です。しかしそれが非常に大事なんです。つまり、
ほほえみの……
ほほえみはすぐ消えるもの、つまりさっき言ったように非常にtransientなもの、早く、すぐ消えて行くもの、
ほほえみのごと、さりげなき、不実なる道。
これは芸術の、あるいは芸術家のみち、非常にむつかしい。芭蕉も「軽み」「細み」ということをいいました。俳句は軽く細く、重かったら俳句にならない。その「軽み」ということは、非常に大事なことなんでありますが、これは芸道の極地だと思うんであります。これは現代的エリオットも、芭蕉的な境地をこういう言葉で表していると思うのであります。』(深瀬基寛 昭和三十四年十月「歴程」十月号の「悦しき知識」―停年講義より)(350、351㌻)
■『―芸術とは或る意味で芸術家の宗教であり、……。詩人が在るところのもの、いな、いつの時代にもかって在りしところのもので、どこまでも在ろうとするためにのみ、彼がみずからをまもらざるを得ないという時、詩人のヴァニティを以てどうして詩人を責めることができよう。――人間を裏切った罪を問うべきは芸術にではない。人間にこそ、芸術を裏切った罪が問われるべきである。』(深瀬基寛 昭和三十三年十一月十五日発行、筑摩書房刊「現代の詩心」の中の「詩の道と宗教の道より)(354,355㌻)
■「岡倉天心の先生でね、アメリカの人でフェノロサという人がいる。この人が明治の美術を批評しているんだ。詩もやった人だよ。この人が言ってるんだが、すべては『見る』ことから始まっているというんだ。そして私たちはすでに漢字のセンスを失ってしまったのだが、彼は『見る』の『見』という字は、上は目で、下は人間の足だというのだ。右足は跳ねている、左足は蹴っている、土を蹴って跳ねている二本の足の上に目があるというのだ。走りつつある目、活動しつつある目、人間が動いている作用を見ている目だというのだ。見るという動作は、象形文字で、どう表わしているかというのだ。日は太陽で、木は樹木だという、単なる伝統の約束、言葉だけではなくて、漢字の形、フォルムを、見るわけだ。何千年前の誰かが考えて作ったんだけれども、漢字の形はそのまま詩になっているのだ。死んだ目、魚の目で見ることは、見るではない。土を蹴って飛んでいる二本の足の上に目があるというのだ。直覚的体験、感じられたそのままの内面の流れが一じ一句になって詩になるのでなければいけないのでないかね」(深瀬基寛)(358㌻)
■『―略―。追憶がおほくなれば、つぎにはそれを忘却することが出来ねばならぬだろう。そして、ふたたび想ひ出だけは何のたしにもならぬ。追憶が僕らの血となり、眼となり、表情となり、名まへのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と、区別することが出来なくなって、初めて、ふとした偶然に、一篇の詩の最後の言葉はそれら想ひ出のまんなかに想ひ出のかげからぽっかりうまれて来るのだ』(昭和十六年十一月一日発行、白水社刊「マルテの手記」大山定一訳より)(360㌻)
■家はもらぬほど、食事は飢ぬほどにてたる事也,是仏の教、茶の湯の本意也,水を運び、薪をとり、湯をわかし、茶を立てて、仏にそなえ、人にもほどこし、吾ものむ,花をたて香たく、みなみな仏祖の行ひのあとを学ぶ也。(利休居士)(372㌻)
■茶は服のよきように点て、炭は湯の沸くように置き、花はその花のように活け、さて夏は涼しく、冬は暖かに、降らぬとも傘の用意、相客に心せよ。(利休居士)(372㌻)
■深瀬さんが何度もいったり、書いたりしているエリオットの「たぐひなく軽ろく巧みなる道、われらともどもうけがふべきそこはかの道、ほほえむごと、手を振るがごと、さりげなき、不実なる道」と、「この道や行く人なしに秋の暮れ」の芭蕉の「奥の細道」が、同じ「軽み」「細み」の芸術の道だという意味が、見えはじめてくる。唐木順三氏の『千利休』によって、「能」の世阿弥の「姿を善く見するは心なり」の「さび」から、「茶」の利休の「夏ハいかにも涼しきやう、冬ハいかにも暖かなるやうに、炭ハ湯のわくやうに茶ハ服のよきやうに、これにて秘事ハすみ候」の「わび」へ。そして芭蕉の「物の見へたるひかり、いまだ心にきえざる中にいひとむべし」「命ふたつ中に活けたる桜かな」の「さび」へ至る、日本の芸の「こころ」の伝承を知って、私は、深瀬さんの長い談話を貫いていた「そこはかの道」への考え方がわかりかけてくる。(374㌻)
■ 桜 (岡本弥太)
おたっしゃでいてください
そんな風にしか言へないことばが
さくらのちるみちの
親しい人たちと私の間にあった
そのことばに
ありあまる人の世の大きな夕日や涙がわいてきた
私は
いまその日の深閑と照るさくらの花のちる岐路に立っている
おたっしゃでいて下さい
私はその路端のさくらの花に話かける
さくらは
日の光に美しくそよいでいる(398㌻)
■ われもゆく道もありなむ、
たぐいなく軽ろく巧みなる道、
われらともどもにうけがうべきそこはかの道、
ほほえみのごと、手を振るがごと、さりげなき、不実なる道。
(T・S・エリオット 「なげく少女」より)(424㌻)
■「…俗人のなりわいの、普通の人間のくらしの損得の毎日を渡ってゆく道ではない。俗人でもない。かといって仙人でもない。悟りきった道でもない。その仙俗ふたつにわたってしまって、詩というものは、ごくふつうの人の使う言葉を使うんだが、俗にいて俗でないところ、悟れなくて迷っていて、なお悟れない。その世界に入ってしまって、わかりきってしまえば仙だけれども、それでもない、俗の範疇の言葉でもないし仏教やキリスト教の言葉でも語れない。不実なる道というのはね、信仰なきというのかね。帰依していない、帰依なんかかんたんにできない。実にすっとあらわれて、ふっと消えてしまう刹那的なものを追っていて、追いつめようとしていて、その一瞬のものをかたちにしようとしている。何ものにもしばられない道だ。その見えてくる淡い光の線のようなものが見えるという、一心不乱のこころは信仰や観念に偏ったら見えないものだ。どうも私も、よくわからんけれども、どうもこのへんでないかと思うのだよ」(深瀬基寛)(425㌻)
『詩に架ける橋』 斎藤庸一著 五月書房 2007年9月1日