岡野岬石の資料蔵

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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『100年の難問はなぜ解けたのか』 春日真人著 新潮文庫

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『100年の難問はなぜ解けたのか』 春日真人著 新潮文庫

■しかし、だからといって、ペレリマン博士が金銭的に余裕のある生活をしていたわけではない。当時は自分と母親の二人の暮しを月々5000ルーブル(約2万2000円)の給料で支えていた。給料の振り込みが少しでも遅れると深刻な顔でタマーラさんのもとにやってきて、今月はまだ給料が入っていないのだが、と訴えたという。

「つまりペレリマンは、自分の決めた行動原理を守っているだけなのです。このことは私の知る限り、多くの数学者に共通した特徴と言えます。彼らの多くは自分が決めた原則に忠実で、他人との人間関係のためにその原則を曲げることは稀です。ですから、ペレリマンの行動を社会一般の基準と比べることにまったく意味はありません。そういう意味では、私はペレリマンの取った行動を理解できないというより、むしろもっともなことだと思っています」(30~31頁)

■ボエナル博士は授業の最後、地球儀にアリの絵を描いてこう説明した。

「地球の表面にいるアリが地球の『形』を知るのは、とても難しいことです。地球の外には出られませんからね。同じように、人間は宇宙の外に出ることはできません。ポアンカレは、宇宙の外に出なくても、宇宙の形を知る手がかりがあるはずだと予想したのです」(58頁)

■数学の命題であるはずのポアンカレ予想が、なぜ宇宙の形にかかわるのだろうか?

不思議に思っている方のために、なるべく数学的な表現から逃げないようにしてポアンカレ予想をひもといてみよう。

本来の記述は、「単連結な3次元閉多様体は、3次元球面に同相である」。聞き慣れない単語を、それぞれすこしずつ言い換えてみる。

・単連結=その表面にロープをかけたときに必ず回収できる

・3次元閉多様体=4次元空間の表面

・3次元球面=丸い4次元空間(4次元球)の表面

・同相=同じ

全部合わせると、こう読み換えられる。

「ロープをかけたとき必ず回収できる4次元空間の表面は、4次元球の表面と同じである」(62頁)

■ハーケン博士が初めてポアンカレ予想に出会ったのは大学生のときだ。最初はやさしい問題だと思ったのだが、やがて、一度入り込んだら決して抜け出すことのできない底なし沼のような存在となってゆく。

「ポアンカレ予想を初めて目にしたとき、ひどく簡単そうに見えました。『証明が見つからないのは、私がバカなのか、十分に努力していないのか、のどちらかだ』と思ったほどです。若かったから……としか言いようがありません。

思えば4色問題も、似たような歴史を辿りました。1900年代初め、ドイツの有名な数学者ヘルマン・ミンコフスキーが4色問題の噂を聞き、『そんな簡単な問題が証明されていないのは、一級の数学者が取り組んでいないからに違いない』と考え、自ら4色問題に取り組んだのです。

当時はまだ『ゲーデルの不完全性定理』もなかった時代ですから、数学には解決できない問題があるという考え方すら存在しません。ミンコフスキーは『解決は簡単だ。単に思考が妨害され、どうやるか明確な方法が見えないだけだ』と思ったのです。しかし挑戦を1年続けたあと、彼は認めました。『神は我々に研究を続けてほしくないのであろう』と。

数学者として成功するためには、ある意味で非常に楽観的でなければならないし。しかし優れた楽観主義者も、ときには大きな間違いに陥るのです」(93~94頁)

■この頃、ハーケン博士やパパ(岡野注;パパキリアコプロス)を悩ませていたのは、宇宙空間でできるロープの結び目だった。宇宙を一回りさせたロープを回収しようとすると、いわばロープが複雑に絡まり、結び目ができてしまうのだ。結び目の問題を解決しなければポアンカレ予想の証明には辿り着けない。ふたりには、どうしてもその方法がわからなかった。

「いつも証明の98パーセントまでは簡単に辿り着くのですが、あと一歩で失敗しました。でもそのうちに解決策が見つかり、しばらくはそれに夢中になる。それがダメだとわかる頃、また他にアイデアがでてくる。そうやって精神的に振り回され、ドンドンはまりこんでいきました。最初持っていた希望はやがて絶望に代わり、最後には自分の怒りをコントロールできなくなる。それが、ポアンカレ予想の罠なのです」(ハーケン博士)(95頁)

■「私はこう思いました。自分はポアンカレ予想の証明に98パーセント近づいているどころか、遙か遠くにいるのではないかと。なにしろ、非常にシンプルな特別な例だけを取り上げても正しいと証明できないのですから。そこで私は、反例を見つける試みをシステマティックにやってみようと思いついたのです」

つまり、たとえ宇宙にまわしたロープが回収できたとしても、その宇宙が丸いとは限らないのではないか?というのである。ハーケン博士は、当時まだ珍しかった電子計算機を使って「ロープが回収できる、丸くない宇宙の例」を探し始めた。

そしてある日、ハーケン博士はパパに自分のアイデアを打ち明けた。

「ポアンカレ予想は間違っているかもしれない、と私が言った途端、パパはこの上なく不愉快だという顔をしました。それはいわば、この世はパパにとって意味がないというのに等しいものだったからです。彼がポアンカレ予想に対して抱く宗教のような信念を打ち砕く、恐ろしい一言だったのかも知れません」――中略――

次の週、コモン・ルームのいつもの場所で平穏に座っているパパを見つけました。もう苛立ってはいませんでした。私が『誰かがポアンカレ予想をコンピューターで解くのを心配していないのですか』と聞くと、彼は落ち着いて答えました。『心配したよ。でも、この週末考えたんだ。そして数学は自己防御するはずだと決めたんだ』。

パパは数学の深さを信じていました。数学は長年培われた人類の知恵の集合体で、いわばそれ自体に生命が宿っていると考えていたのです」(98~100頁)

■そしてハーケン博士はついに「ポアンカレ病」からの脱出に成功する。なんとその研究を中断し、代わりの難問を解決したのだ。

「長い間、ポアンカレ予想でひとつのアプローチにこだわりましたが、それはどうやらうまくいかないことがわかりました。ちょうどそのころ、4色問題に挑戦してみないかと数学者のハインリヒ・ヘーシュから連絡があったのです。彼が言うには、私が以前彼にアドバイスした計算機の設定の小さな変更によって、突然効率が20倍も良くなったとのことでした。私は思いました。『すごい。ポアンカレ予想に1年かけるより、4色問題ではⅠ日、それも午後楽しく過ごすだけで、こんなに進展できる』。そこで、鞍替えしたらどうだろうという誘惑を感じたのです。

結局、私はポアンカレ予想では絶望のどん底に落ち込みましたが、4色問題ではどんどん成功し、ポアンカレ予想から抜け出すことができました。ポアンカレ病を重度にすることなく、回復することができたのです」

ハーケン博士が4色問題の証明に成功したのは、パパが亡くなってからわずかひと月後のことだった。

ポアンカレ病から抜け出すために、新たな難問を必要とした博士。数学者とは結局、「難問に挑み続ける」という病から逃れられない生きものなのだろうか。(103~104頁)

■ふたりの数学者の物語を取材した最後、私たちはプリンストン大学の共同墓地を訪ねた。パパキリアコプーロス博士が葬られている可能性があると聞いたからだ。

だが、この共同墓地に葬られているという記録は存在しなかった。アメリカに身寄りのなかったパパは、葬式すらおこなわれなかったという。生前に親しかった数学者の中にも、彼の墓の場所を正確に知る人はいない。

パパは不幸な人生を送ったのだろうか。そうではないとカペル博士は言う。

「パパはよく私に言ったものです。自分の人生を他人に勧めようとは思わないが、自分はこれで良かったんだと。その気持はわかります。数学者が難問に惹かれる気持ちは、皆同じですから。

数学者は常に、楽しみと苦痛とが織りなす日常、そして『特別な数学の世界』とのあいだを往き来しています。数学の世界への扉を開けられる者は限られていますが、そこには永遠の真理があり、すべてを理解できる者だけが、その世界で完璧な美を目撃することができるのです。まるで迷宮に迷い込んでしまったかのように、クリスタルの壁に乱反射する美しい光に数学者は思わず取り憑かれてしまうのです。

多くの数学者を凌駕する存在だったパパは、自分の人生のほとんどを、その『もうひとつの世界』で過ごすことに決めました。ときどき、食事とお茶のために日常の世界に出てきましたが……。彼がその世界で見つけた最後の宝物が『ポアンカレ予想』でした。最終的にはその世界から舞い戻って、究極の美しさを見つけたよと報告したかったはずです。さぞ無念だったでしょう。しかしこれは、科学の世界ではよくある話です」(105~106頁)

■「間違っているのは明らかなのに、証明の中の欠陥に気づかない。原因は自信過剰や興奮状態、あるいは過ちを犯すことへの恐怖により、正常な思考が邪魔されることである。こうした落とし穴に陥らない方法を、若い数学者が見つけてくれることを祈る」(ジョン・ストーリング博士)(109頁)

■クルト・ゲーデル(1906~1978)が1931年に発表した数学基礎論および論理学における重要な定理。数学は自己の無矛盾性を証明できないことを示したもので、正確にはふたつの定理からなる。

・第1不完全性定理

「いかなる論理体系においても、その論理体系によって作られる論理式の中に、証明することも反証することもできないものが存在する」

・第2不完全性定理

「いかなる論理体系でも、それが無矛盾であるとき、その無矛盾性をその体系の中だけでは証明できない」

「数学には、証明できない命題が存在する」ことを初めて示したこの定理は、数学界に計り知れない衝撃を与えた。「無矛盾性、完全性などが有限の立場で遠からず証明できるであろう」と宣言したドイツの大数学者ダフィット・ヒルベルト(1862~1943)の楽観的な期待を裏切り、多くの数学者を夜も眠れぬほどの不安に陥れた。

■サーストン博士の専門は双曲幾何学である。双曲幾何学とはユークリッド空間のような「まっすぐな空間」(曲率が0の空間)ではなく、負の曲率を持つ曲がった空間「双曲空間」の中で定義される幾何学だ。馬の鞍のような形がその典型である。ちなみに「丸い空間」(曲率が正の空間)で成り立つ幾何学を「球面幾何学」と呼び、ポアンカレ予想に出てくる「丸い宇宙」も、この幾何学が成立する空間である。

「双曲幾何の世界というのは、モノを見失いやすい世界です。理由をご説明しましょう。あなたは今、私から3メートル離れた距離にいます。その地点から歩いて私から離れて行けば、当然あなたの姿は小さくなっていきます。私たちが暮らすユークリッド空間では、3メートルの距離にいたあなたの大きさが半分になるには倍の6メートル離れれば良い。12メートル離れれば4分の1、24メートルで8分の1の大きさになります。2倍の距離を離れれば、サイズは半分になるのです。(岡野注;遠近法と、実際の眼球の見えとは違っている。網膜の面は球面なので写真や遠近法では、肉眼より近景が大きく遠景が小さく透写される)

ところが双曲空間の中では、もっと急激にサイズが小さくなります。3メートルから6メートルに離れれば半分のサイズになりますが、9メートルで4分の1、12メートルで8分の1、24メートルでは1000分の1、60メートルでは100万分の1のサイズになります。

もしあなたが私の子どもだったら、すぐ迷子になって私は大パニックです。もし飛行機のパイロットが双曲空間の中を飛び回ったら、簡單に軌道を見失って、2度と地球への帰り道を見つけることはできないでしょう」(岡野注;老人は大変だろうが、その空間で生活すれば若い人はすぐに慣れるだろう。つまり、世界認識を組み替え直せばよいのだから。もちろん、その空間に生まれ育てばなんの問題もない。例、逆さ眼鏡の実験)(147~148頁)

■ポアンカレ予想は、こう言っている。

「宇宙にロープを1周させて、その輪が回収できれば宇宙は丸いと言えるはずだ」

しかし気を付けて見てみると、この問いかけは「もしロープが回収できなかった場合、宇宙はどんな形をしているのか」については、まったく触れていないことがわかる。

サーストン博士が目をつけたのは、そこだった。

「宇宙が丸くないとすると、他にどんな形があり得るのだろう」

これが革命的なアプローチへの入り口だった。

「私は夢見たんです。宇宙が取り得る形を全部調べあげることはできないかと。無茶な挑戦だとおもったけれど、やってやろうと決心しました。もちろん最初は、考えられる宇宙のパターンをおぼろげに分類するのが精一杯でしたがね」

丸い形以外に、宇宙の形にはどんなものがあり得るのか。サーストン博士は身のまわりにある形をヒントに、その分類を始めたのだ。(152~153頁)

■博士は切り取った葉の「輪郭」をスケッチブックの上に乗せ、テープで固定した。すると、切り取る前にはくっついていた端と端が、交差したのだ!私とカメラマンは思わず声を上げてしまった。先ほどリンゴで見た「開いてしまった」状態とはまったく逆である。博士は、端と端が交差した(行き過ぎた)部分の「角度」を測った。

「角度は90°以上ですね……約100°だ。リンゴの場合とは反対に端と端が交差してしまったので、リンゴの曲率につけた+ではなく-を付けます。曲率は-100°です。曲率をπ(=180°)で表すと、-100π/180つまり-5π/9です。この測定値の意味がわかりますか。

例えば2つ穴のトーラスは、表面の曲率の合計が必ず-4πになることがわかっています。-5π/9の7・2倍です。ということは、この葉っぱを8枚集めてくっつければ、2つ穴のトーラスを作るのに十分だということなのです。いま手軽に測った曲率ですが、その背景には非常に美しく厳密な理論が隠れているのです」(156~157頁)

■――この葉っぱのように、幾何学やトポロジーの原則を美しく示す例は、日常生活や自然の中で簡單に探せるものですか。

「今の質問はとても重要です。あなたは『幾何やトポロジーは日常生活の中にあるのか』と聞いたのではなく、『日常生活の中に探せるか』と聞きましたね。幾何やトポロジーを探す視点がすでにあるなら、生活のあらゆるところに見つかるはずです。

数学の本質とは、世界をどういう視点で見るかということに尽きます。数学的な考え方を学べば、日常はまったく違って見えてきます。文字どおりの『見る』、つまり網膜に映るという意味ではありません。学ぶことによって見えてくるという意味です。

新しい言葉を学ぶと、それまでその言葉にまったく出会ったことがないのに、次の日に出会ったりして不思議に感じます。それと同じことです。物事を習うことは、物事を見ることです。あなたにとっては、もう幾何やトポロジーは生活の至るところにあるはずです」(157~159頁)

■様々なモノの形を通して、サーストン博士はこう確信した。世の中には、丸いモノよりむしろ、そうでない形が多い。

だが、手にとって見ることができる形を分類するのはまだ簡單だ。かってポアンカレがやったように、リンゴは丸い形の代表。それ以外は穴の数で分類することができた。

問題は、宇宙のように「決して外から眺めることができない」形を、どうやって分類すればいいのか……。

10年以上にわたる試行錯誤の末、サーストン博士は驚くべき結論に達した。

1982年に発表された論文 ‘ Three dimensional Manifolds, Kleinian Groups and Hyperbolic Geometry ’(「3次元多様体、クライン群、そして双曲幾何」)の中で、博士はあるひとつの壮大な予想を述べている。

「宇宙がたとえどんな形であろうとも、それは必ず最大で8種類の異なる断片から成り立っているはずだ」

この大胆な予想は、サーストンの「幾何化予想」と名付けられた。

サーストン博士は幾何化予想を、よくオモチャの万華鏡にたとえて説明するという。

万華鏡を回したときに見える模様は実に変幻自在で、同じ模様は2度と現れない。しかしもとを辿れば、いくつかの形の決まったビーズがその複雑な模様を作っているに過ぎない。

サーストン博士によれば、宇宙の形もまた同じ。宇宙がたとえどんなに複雑な形であったとしてもいわば8種類のビーズが絡み合ってできているはずだというのである。

つまり有限な数のビーズが、無限に複雑な図形を生み出す。同じように、宇宙が丸い以外のどんな形であったとしても、最大で8つの種類の断片がつながり合ってできているはずなのだ。

サーストン博士が提唱したこの「幾何化予想」は評価され、フィールズ賞に輝いた。それは数学者たちが、幾何化予想は、実はその一部にポアンカレ予想をも含む、壮大なる問いかけであると気づいたからだった。

もしサーストン博士の予想どおり、宇宙が最大8種類の断片の組み合わせでできていたとしよう。博士によると、その8つの断片とは、ひとつは丸い形で、それ以外は、ドーナツ形などの「丸くない」形である。

ここで、ポアンカレのロープを思い出してほしい。宇宙の断片の中に、ひとつでも「丸くない」形が含まれていた場合、ロープが引っかかって回収できないことに、数学者たちは気づいたのである。つまり、幾何化予想が正しいならば、ロープが回収できる宇宙はただひとつ、ポアンカレの予想どおり丸い形のみで作られている宇宙だけなのだ。(160~162頁)

■多くの数学者が長年、丸い宇宙(3次元球面)を念頭においてポアンカレ予想に取り組んできた。サーストン博士はなぜ、丸い宇宙にロープを巡らせるという発想から離れ、3次元の宇宙の形を全部リストアップしてみるという着想を得ることができたのだろうか。

「私は当たり前の考え方をしただけです。例えば1000ピースのジグソーパズルがあったとします。あなたが1000ピースのうち100ピースだけを渡されて、それを正しい位置に置こうとしても、まず無理でしょう。でも1000ピース全部を床に並べてみて、全体を眺めると、どう組み立てるべきかが簡單に見えてくるはずです」(163~164頁)

■博士は幾何化予想の証明をあきらめたのか、それとも敢えて続けなかったのだろうか。サーストン博士の真意を確かめるため、取材の終盤、思い切って聞いてみた。

――多くの数学者が、幾何化予想を提唱したあなたが、なぜそれを自分で根気良く追究しなかったのかと考えているようです。

「証明しようと努力はしたのです。でも私の考えたいくつかの方法は枯れてしまいました。追究しても可能性が見えない場合は、引き下がるのが賢明です。人生の目的はたったひとつではありません」

――あなたは自分ひとりで証明するというこだわりを捨て、敢えて周囲の数学者とのコミニケーションを大切にする道を選んだのではないですか。

「今では多くの数学者が、かって私がひとりで考えていたことを学んでいます。素晴らしいではないですか。多くの人が、幾何化や双曲幾何学など、私が背負ってきた研究分野に貢献してくれているのです。理解してくれる人が多くなって、昔のように寂しくなくなりました。私は身に沁みて知っています。最初に何かを考え出すとき、そこには孤独がつきものなのです」

博士はこの話題に関して、それ以上語ろうとはしなかった。(169~170頁)

■アンリ・ポアンカレはその著書「科学と方法」にこう書いている。

「数学とは、異なった事柄に同一の名称を与える技術である。言葉を適当に選べば、或る既知の対象について行なわれたすべての証明が直ちに多くの新しい対象についてもそのまま通用するのを見れば、まったく驚嘆に値するほどである」

ある一面では数学者とは、世の中に存在する無数の事柄のあいだに共通点を見出し、それに名称を与えて巧みに分類する仕事だ、と言えなくもない。(172頁)

■つまりポアンカレは「穴の数」を数えているように見せかけて、実は「表面の形」を見ていたわけである。これを数学的には「2次元多様体の分類」と呼び、この分類は20世紀初めにはすでに完成していた。(岡野注;双曲面、平面、2次元球面)

ポアンカレ予想「単連結な3次元多様体は、3次元球面に同相である」は、実はこの「2次元多様体の分類」を1次元上の3次元に置き換えた「3次元多様体の分類」にかかわるものだった。そしてその「3次元多様体の分類」を鮮やかに予想したのがサーストン、それを証明したのがペレリマンなのである。(173頁)

■双曲幾何学;19世紀前半にニコライ・ロバチェフスキー(ロシア)、ヤーノシュ・ボヤイ(ハンガリー)、フリードリッヒ・ガウス(ドイツ)らがそれぞれ独立に提唱した幾何学で、ボヤイ・ロバチェフスキー幾何学とも呼ばれる。非ユークリッド幾何学のひとつ。双曲幾何学が成り立っている空間を双曲空間と呼び、馬の鞍のような形がその典型とされる。ちなみに正の曲率をもつ「丸い空間」(曲率が正の空間)で成り立つ幾何学を「球面幾何学」と呼ぶ。(175頁)

■葉層構造論;自然界や身のまわりにある様々な模様のうちで層状に積み重なっているもの、例えば崖の断面に見える地層の模様、葉っぱの葉脈、木材の表面に現れる木目模様などを、葉層構造(foliation)という。サーストン博士によれば、葉層構造論とは3次元宇宙の表面に描かれたストライプ模様の研究のことだそうである。(176~177頁)

■世界の第一線の数学者たちが集い、しかも高収入が保証されるアメリカでの研究生活を捨て、故郷で難問に挑むというのは、数学者として大きな決断だったはずだ。

ペレリマン博士と同郷の先輩数学者ミハイル・グロモフ博士は、ペレリマン博士がふと漏らした言葉を覚えている。

「いつだったか私が、大きな難問に挑むのは魅力的だが大きければ大きいほど失敗したときのダメージは計り知れないと言ったのです。するとペレリマンは真面目な顔でこう答えました。『私には、何も起きない場合の覚悟がある』と」(191~192頁)

■イギリスの数学者G・H・ハーディーは、かってこう言った。

「物理学や化学における『真理』は時代によって移り変わる。しかし数学的真実は、1000年前も、そして1000年後も真実であり続ける」

実用的であることより、むしろ普遍的な真実であり続けることを望んできた数学者たち。だが数学を見つめる社会の目は、確実に変りつつあった。(193頁)

■――では100万ドルの賞金は、数学者が難問に取り組む一番の動機になるのでしょうか。

「それはあり得ません。この質問には、ひとりの数学者として答えさせてください。数学者が問題に挑む動機、それは未知なるものへの憧れです。数学者に意欲を起させるものは、子どもたちに意欲をおこさせるものとまったく同じです。ただ、知らないことを知りたいのです。

子どもは自分の周りの世界を理解したい生きものです。生まれついての科学者なのです。私たち数学者はいわば、大人になってもその好奇心を持ち続けているだけなのです。数学者の好奇心は、南極や北極やアマゾンを発見した探検家たちとも変わりません。いまやこの地球上では、まったく未開拓だと思われる場所はだいぶ少なくなってきました。でも頭の中の知的世界には、何の制限もありません。未知なるものは無限にあるのです」〔岡野注;「ミレニアム懸賞問題」と名付け、1問につき100万ドルを賞金として支払うと発表した、クレイ数学研究所(1998年設立、私設)の所長で数学者でもあるジム・カールソン博士の発言〕(199~200頁)

■数学者たちを苦しめていたのは、ペレリマン博士の証明の進め方だった。それはトポロジーの研究者たちが100年ものあいだ慣れ親しんで使ってきた手法とは、似ても似つかぬものだったのだ。

100年にわたるポアンカレ予想の研究について知り抜いているポエナル博士でさえ、圧倒されていた。

「トポロジーの専門家たちは、ペレリマンの話をまったく理解できませんでした。話の内容は確かにポアンカレ予想を扱っていたのですが、ついて行けなかったのです」

そして、トポロジーこそが数学の王者だと信じて研究を続けてきたジョン・モーガン博士は、とんでもないことに気づいていた。

「皮肉なことにその証明には、、トポロジーではない、あの『微分幾何学』が使われていたのです」

なんとペレリマン博士は、トポロジーの象徴と見なされてきた世紀の難問を、かつてトポロジーがふるくさいものとして退けた、「微分幾何学」の最新知識を駆使して解き明かしていったのである。

さらに証明には、「エネルギー」、「エントロピー」、「温度」などの言葉が頻繁に登場した。ペレリマン博士は、高校時代に育んだ物理学の延長線上にある熱力学の世界にまで立ち入って、難問に挑んでいたのである。

それはトポロジーこそが数学の王者であると信じてきた研究者にとって、とてつもない衝撃だった。

「まさに悪夢でした。私の知らない方法でポアンカレ予想が証明されてしまう瞬間を、ずっと恐れていたのです」(ヴァレンティン・ポエナル博士)

「そてまでポアンカレ予想に取り組んできた数学者は、証明が終わってしまったと落胆し、トポロジートの手法が使われなかったことに落胆し、さらに証明が理解できないと落胆しました。トポロジーの専門家たちは、『ああ、ついにが証明されてしまった。でも、自分にはその証明がまったく理解できない。誰か助けてくれ』という感じだったのです」(ジョン・モーガン博士)(207~209頁)

■短い散歩の間に、ペレリマン博士は驚くべき事実を次々と打ち明けた。

博士によればロシアに帰国して間もなく、1996年の2月には問題の突破口が見つかり、本格的な研究に取り組む決心をしたという。さらに驚いたことには、論文を発表する2年も前に既に問題を解決していたというのだ。2000年には問題を解いていたことになる。万が一ミスがあってはいけないと考え、証明が正しいと確信できるまで発表しなかったのだという。(211頁)

■だが、ペレリマン博士の証明を読み進めるのは至難の業だった。言葉遣いは極めて簡潔なのだが、博士が「自明」と考えている部分が省略されているため、初めて見る者には証明が飛び飛びに見えてしまうのだ。

「たとえば本文に、『単純な議論によって…AはBになる…』という言葉が頻繁に出てきます。しかしAとBは、普通すぐにはつながらない話なのです。ペレリマンは何を根拠にAとBをつなげたのか……。私たちはひたすら、彼の思考の道筋を追いかけて行ったのです」

ペレリマン博士の言う「AからB」をつなぐ道は、既存の論理の組み立てでは理解できない斬新なものばかりだった。しかしひとたび理解すると、その道以外には考えられないというほど単純な道だと気づいたという。そう気づいたときペレリマン博士は議論を省略したのではなく、確かに一度この道を歩いたのだと確信させられた、とジョン・モーガン博士は言う。

「数学でもっとも特別な瞬間は、問題を違った角度から眺めたとき、以前見えていなかったものが突然明確になったと気づく瞬間です。鬱蒼とした森だと思っていたのに、適切な場所に自分が立つと、木が整然と並んでいるのが見えるのです。他の角度から見るとその構造は見えずに、混沌とした木だけが見えます。でも、適切な方向に自分が向くと、突然、この構造が見えます。数学とはこのようなものです。私にとってペレリマンの論文はその連続でした。私は何度も『美しい』と思いました」(213~214頁)

■部屋の中でストーブに火をつけると、最初はその周りだけ暖かくなって、離れたところは寒いままだ。だが時間の経過とともに部屋全体が暖かくなり、そこで火を消すと、部屋の温度はだんだん均一になってゆく。つまり、最初は部屋の温度に凹凸があっても、それがだんだん均質になってゆくという現象である。

この熱方程式で扱っている「熱」を、「形(曲率)」に置き換えたのが、リッチフローなのである。いわば、「凹凸な形」を時間とともに「スムーズな形」に変化させる方程式なのだ。例えば、ギザギザな形をしたハンダにコテで熱を加えたとき、たとえ最初はどんな複雑な形でも、時間とともに丸い形に変化する……というようなイメージだ。

またはストローでシャボン玉を吹いたときのことを考えてみる。ストローから出たシャボン玉は、最初は凸凹を持ったグニャグニャな形だ。だが一定の時間を経れば必ず「きれいな球」になる。

形の凹凸をならしてスムーズにする。大ざっぱにいえば、それがリッチフロー方程式の役割なのだ。

このアイデアによってハミルトン博士は、切り分けた宇宙のピースの「形」を整えることに成功した……かに思えた。しかしこのアイデアには、やっかいな欠点があった。

宇宙の形を「シャボン玉」のように変化させるとき、その形はコントロールが難しく、ときに割れてしまう。ちょうどシャボン玉の膜が薄くなり、割れてしまうときのように。割れると宇宙の形そのものが消えてなくなり、計算が続けられなくなってしまうのだ。このような現象を数学的に「特異点が生じてしまう」と呼ぶのだが、ハミルトン博士はそこから先にどうしても進めなかった。(216~217頁)

■ブルース・クライナー博士は、難問が解決した背景は「ポアンカレ予想に応用できる数学のテクニックがようやく生まれたから」だという。だが同時に、ペレリマン博士が数学の幅広い分野にわたる知識を身につけることができる、極めて稀な「万能選手」であることを認める。

「数学において、ほとんどの人はふたつ以上の分野で重要な貢献をすることはできません。時間がかかるだけでなく、ふたつ以上の分野を習得するには、新しい考え方を一から再構築する必要があるからです。

ペレリマンはいわば、棒高跳びと100メートル競走、走り幅跳びと砲丸投げ、それらすべての種目で金メダルを取る能力を持った陸上選手のようなものです。これらの競技には違った筋力や精神力、違った訓練が必要です。重量挙げの選手はバーベルを持ち上げるために筋力を鍛える必要がありますが、それはマラソン走者の筋肉とは違います。ペレリマンのようにかけ離れたことを同時におこなう能力を持ち、かつそれが非常に高いレベルであることは、とても稀なことなのです」(223~224頁)

■「100年に1度の奇跡を説明するのは、実に困難です。しかし、ペレリマンが孤独に耐えたことが成功の理由かも知れません。孤独の中の研究とは、日常の世界で生きると同時に、めくるめく数学の世界に没入するということです。人間性をまっ二つに引き裂かれるような厳しい闘いだったにちがいありません。ペレリマンはそれに最後まで耐えたのです」

グロモフ博士は、世紀の難問を解決したこととフィールズ賞の拒否が、裏表の関係にあると考えている。

「彼は必要でないものを徹底的にそぎ落とし、社会から自分を遮断させて問題だけに集中しました。その純粋性が7年間もの孤独な研究を可能にし、同時にフィールズ賞を辞退させたのです。人間の業績を評価する場合、純粋性は大切です。なぜなら、数学、芸術、科学、何においても、堕落が生じれば消滅の途をたどってしまうからです。私たちの社会も、倫理の純粋性が一定のレベルで存在しなければ崩壊するでしょう。意識する、しないに関係なく、数学は何よりも純粋性に依存する学問です。自己の内面が崩れては、数学はできません」(224~225頁)

■特異点

数学において、与えられた数学的な対象が定義されない点、または微分可能性のように、ある性質がたもたれなくなるような例外的な集合に属する点をいう。

例えば、1/Xの値はX=1なら1、X=2ならば1/2、3なら1/3……等と定義できるが、X=0の場合だけは無限大になってしまって定義することができない。このとき、X=0は特異点であるという。

日常生活の例で言うと、例えば鉛筆の先、物体の輪郭のような、特別な点は「特異点」的な性格を持っていると言える。(227頁)

■・宇宙の年齢は、およそ137億歳である。

・宇宙の大きさは少なくとも780億光年以上である。

・宇宙の組成はおよそ5パーセントが通常の物質、23パーセントが正体不明の     ダークマター、72パーセントがダークエネルギーだと考えられる。

・WMAPのデータに現在の宇宙モデルの理論を適用すると、宇宙は永遠に膨張を続けるという結果になる。

そして問題の「宇宙の形」である。

宇宙の形は通常、時空の曲率(曲がり具合)で表現される。宇宙に存在する物質の平均密度が臨界質量(10-29g /cm3)より上なら曲率がプラス、同じなら0、下ならばマイナスとなり、それぞれ「閉じた宇宙」、「平坦な宇宙」、「開いた宇宙」に対応する。現在、宇宙論の主流となる「インフレーション理論」は、宇宙の曲率は0だと予測していた。

そしてWMAPの観測結果は、理論を裏付けるものだった。宇宙の曲率は0、つまり平らだというのである。

だが、この結果は「宇宙の全体の形」を示しているわけではない。あくまでも部分的、局所的な宇宙の「曲がり具合」が平らだと言っているに過ぎないのだ。現在の最新技術をもってしても、広大な宇宙のほんの一部しか見られていない可能性が高いのだという。(229~230頁)

■かって人類は、地球をひたすら平らな平面だと信じていた。それと同じように、いま私たちは、ようやく大宇宙の渚に立ち、見える範囲の中だけで、宇宙の形の手がかりを摑もうとしているのだ。(231頁)

■若い頃、数学と同じくらい命がけの登山に魅せられたというヴァレンティン・ポエナル博士。

「例えば登山家は、普通の人とは違い、山で命を落とすことを恐れません。数学も同じなのです。たとえ命と引き替えでも構わない、世の中の他のことなど、愛する数学に比べれば、取るに足らないものだ。数学の真の喜びを1度でも味わうと、それを忘れることはできなくなるのです」

迷路のようなパリの地下鉄をぐるぐる回るのが今でも好きだというミハエル・グロモフ博士。

「数学の魅力は、謎を解くときの興奮そのものです。例えば、子どもにとっては世界のすべてが謎に映ります。手足を動かしては、不思議なことを体験し、食事をすれば、味とはいったいなんだろうかと考えます。普通の人は大人になるに連れ、そうした好奇心を失いますが、謎への興味を絶やさなければ、その人は、宗教家になるかもしれませんし、芸術家になるかも知れません。難問に挑む数学者も、そういう人たちの中から生まれるのです」

そして、数学者になって初めてありのままの自分でいられるようになったというサーストン博士。

「数学は旅に似ています。見たことのないものを、何とか見ようとする努力なのです。数学は不思議な力で私たちの目の前の世界を彩り、徐々にその神秘を明らかにしてくれるのです」(239~240頁)

■――解決された柏原予想とは、どんな問題なんですか?

「専門的になってしまいますが〝射影多様体上の半単純な正則ホロミックD-加群の圏が種々の関手によって保存される〟というものです」(京都大学数理解析研究所の望月拓郎准教授)

――論文が1000頁とはかなりの分量ですが、なぜそんなに長い論文になるんでしょうか?

「本質的な証明の部分はかなり短いはずですが、言葉が未発達だったので、一つ一つ定義していったら長くなってしまいました」

――言葉が未発達、という意味は?

「つまり、予想を証明する過程では〝新しい道具〟をいくつか使わないといけないんですが、それは初めて見る人には新しい概念なので、その意味を定義しておかないと混乱の元になって証明を読み進められないんです。例えば〝ツイスター構造〟という概念をこの証明ではよく使うので、論文のチャプタ-ひとつをまるまるその言葉の準備にあてました」

ここまで聞いて、私は「1000ページの論文」の意味をようやく理解した。〝数学は1つの言語だ〟という考え方をスティーブン・スメール博士の取材の際に知ったが、その〝言語〟は数学研究の最前線で望月氏のような開拓者によって日々更新され、今この瞬間も語彙を増やし続けているのだ。日本数学会による解説で、望月氏の仕事が〝解析的にはまったく未開拓の状況で、道具から作る必要があった〟と評価されていたのを思い出した。

4畳半あるかないかの狭く薄暗い部屋の中、細長いテーブルをはさんで望月さんと向い合いながら、私は考え始めていた。「もしペレリマン博士に直接質問が出来たとしたら、こんな風だったろうか?」(251~252頁)

(2012年5月4日)

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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