『宮本常一著作集4』 日本の離島 第1集 未来社
■寛政5年3月16日に、阿賀浦のエビ漕網が鹿老渡の沖で網をこいでいると、水死体がかかった。ふねからおちて溺死したものらしく着物は着たままであった。その肌身につけていた通行手形で肥前国の者とわかった。無縁墓地へうずめた。
安政4年2月26日に大田屋へとまった肥前島原の松木末吉という者が病気で死んだ。伊勢詣りの道中で連れがあった。信順寺では無縁墓地にうずめた。それから46年すぎた明治36年4月20日、信順寺をおとずれた肥前の松本末太郎というものがあった。松本末吉の養子であった。父が伊勢参宮の途中鹿老渡で死んだということを一緒に詣った人びとからきいて、いちどはそこを訪れたいと思っていたのが、50歳をすぎてその機会ができ、伊勢参宮の途中を鹿老渡へ寄ったのである。46年まえに旅人を埋めて供養した僧はまだ生きていた。そして古い記憶をよびおこして、墓をほりおこしてみると白骨はそのままのこっていた。死んだ父親は前歯が3本かけていたというので目じるしであったが、まさにそのとおりであった。子は涙をながして喜び、白骨を背負うて伊勢へ詣った。そして老僧にぜひ肥前にあそびに来るようにとのことで、老僧は肥前の松本家をおとずれた。松本家では親類一同よりあつまって老僧を心のかぎりもてなしてくれた。老僧はこの世の極楽にあうたようだと思った。古い港にまつわるエピソードである。(186~187頁)
(2011年9月17日)