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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『黒澤明』文藝別冊追悼特集 河出書房新社

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『黒澤明』文藝別冊追悼特集 河出書房新社

■《黒澤監督がいる 黒澤組にて 大寶智子》

「芝居なんて、そんなに急に、上手くなるもんじゃないんだ。薄い紙を重ねていくと、分厚くなるだろう。1枚1枚は薄くても、毎日、重ねていく。気がつくと、それだけ、分厚くなっている。芝居もそれと同じでね」(18頁)

■《ワンショットの力 宮崎駿》

力のある映画の、連続するショット群の中には、その作品の顔といえるショットがいくつか含まれている。その映像は必ずしも山場にあるとは限らない。終章であったり、継なぎのシークエンスにさりげなくあったりする。そのショットが観る者の脳裡に焼き付いて、記憶の中で作品全体の象徴に育っていく。『生きる』では、そのショットが導入部の役所のシークエンスにあった。

書類の山の前で、主人公の市民課の課長が書類をくり、判を押している。処理済の書類に重ねる。次の書類を取り上げ、チラッと目を走らせるが、読むほどの必要がない事は先刻判っている。また判をとりあげ押す。その男の背後に積み上げられた厖大な書類の山。陰影の濃い画面、哀しい仕事を正確に律儀にくり返す男の所作。胸を衝く美しい緊張感と存在感溢れる映像である。これは正座して観なければならない映画だと、その瞬間に思った。ひとりの映画監督が生涯に何本とつくれないフィルムに、いま出会っているのだと実感したのだった。

(中略)

以前から、僕はストーリーや、テーマ、メッセージで映像を論ずるのは、バカ気ていると思って来た。お役所仕事や、無意味な人生への揶揄だけで、あのショットが撮られていたら、とてもあれ程の映像はつくれない。古い築地塀や、時を経た壁面のような美しさが、あの書類の山にあるはずがないではないか。極論すれば、あのショットとあらすじを聴くだけで、僕は『生きる』が名作にちがいないと論じてはばからない。(22~23頁)

■《姿三四郎 黒澤明》

「強い、全く強くなった……お前の実力は今や私の上かもしれぬ、しかし、姿、お前の柔道と私の柔道とは天地の距たりがある……気がつくか……姿、お前は人を見れば、すぐどうして倒そうかとしか考えぬのだろう」(31頁)

■《対談 黒澤明 萩原健一》

萩原 「蜘蛛巣城」の、三船さんが矢で射られるシーン。あれは、ほんとうに弓をピュ、ピュッと射たんですか?

黒澤 見えないナイロンの糸を、身体に止めておいて、節を抜いた矢にそれを通してあるわけ。糸がたるんでいたら、あぶないんだよね。ピンとしていないと、矢がどこに飛んでいっちゃうか、わからない。三船が向こうで動き回っているわけだから、たえず釣りのリールでいっぱいに、糸をピーンと張っておく。アメリカ式のリールだと、向こうの俳優が動くとピューッと糸が出るから、たえずギリギリと巻いていりゃいいんだよ。

萩原 じゃ、身体に当たる以外の矢は、本物ですか?

黒澤 本物。

萩原 やばいなあ。

黒澤 だいじょうぶだよ。人物の前や後ろに、相当距離をおいて射る。それを望遠レンズで撮っているから、ぐっと距離感が圧縮される。ここと、ここと、と決めて目印をつけて、それをちゃんとした弓の師範の人が、ねらって射るんだから。三船の首に矢のささるシーンは、そうやって撮ったうちの、首の近くを矢が通るジョットに、作り物の首を貫通した矢を三船がつけたショットを、つないだわけさ。三船ちゃんも、さすがにこわかったらしいけどね。そういうことがまた、黒澤は人間を本当の矢でブスブス射っている、なんて伝説になるんだね。「野良犬」で犬を使ったシーンを撮ったときのことなんて、今でも腹が立つな。アメリカの動物愛護協会の婆さんだよ「狂犬を撮るために、犬に狂犬病の血清を注射した。動物愛護の面から許せない」なんて抗議してきた。ふざけちゃいけない、あれはね、野犬狩りでつかまった犬を借りてきて、狂犬病みたいに犬にメイクアップして撮ったんだよ。夏の真っ最中で、自転車で新東宝のグラウンドをグルグル回らせて、ハアハアさせて、肉をつるして、こっちを向かせてね。それをアメリカの動物愛護協会の婆さんが、しつっこくせめて、最後には「証言しろ」ってサインさせられたよ。「日本人は大体残酷だから」って。戦争直後だから、しようがなかったけどね。(56頁)

■《明治のイノセンス・昭和のダイナミズム 原田眞人》

リアリティに関して、40代のクロサワはこう言っている。

「今、そのへんにいるやつを書けばリアリティというのか、といったらそうじゃない。書くことによって、そういうやつが世の中にどんどん出てきちゃうのがリアリティなんだ。セリフひとつでも、映画で使われたら世の中に出ちゃう。それでなければリアリティは生まれない」。これは、言語の壁を越えて、広く、監督術の基本となりうる。(100頁)

■《対談 黒澤明 ビートたけし》

黒澤 今度の映画(岡野注;『まあだだよ』)でカメラマンたちにいったのは、構えて撮ってるような絵は欲しくないと。そこで実際に起きていることを自然に撮ってくれと。だから先生の家に生徒が訪ねてくるところなんてゴチャゴチャしているけれども、あのシーンは随分やかましくいったんです。

例えば、襖を外している人なんかがちゃんと入ってるんじゃなくて、そういうのは画面の隅でチラッと見えればいいんでね。そんな風にごくなんでもなく撮れるかってところがとっても難しかったですね。(114頁)

■《映画の秘密 黒澤明 侯孝賢》

黒澤 ぼくは映画評論家じゃないからうまく言えないけれど、全部がとっても素敵です。とくに『戯夢人生』はとても気に入って4回観ました。本当に感動しましたよ。ぼくもああいう撮り方をやってみたいと思ってるんだけど、とてもああいう具合にいかなくてね。

―― 具体的にはどんな撮り方が気に入りましたか?

黒澤 映画会社で育ったりすると、例えば話をしている人が重なっちゃって見えなかったり、画面の外の人に向って話しかけたり、そういうのは常識ではありえないのでね。

(画面から外れて)向こうで何かをして戻ってくるというところも、だいたい飛ばすわけです。映画会社の作品というのは、そこからなかなか抜けられないんだよね。溝口(健二)さんなんか、もつれっぱなしで撮っているけど、候さんのとは全く違う。

候 台湾にはプロの俳優さんがほとんどいないんですよ。だからいいのかな。

黒澤 あの映画(『戯夢人生』)を観て、ぼくのスタッフが「台湾っていいな、こんな風景があって」って言ってたけど、あれは台湾じゃないんですってね。

候 そうなんです。台湾でもあんな風景の場所は今ではもうありません。あれは福建省で撮影したものなんです。すべてロケセットでした。

黒澤 ぼくもロケセットは好きなんですよ。セットはあまり好きじゃない。これについては小津(安二郎)さんとも話したの。小津さんはロケーションもセットみたいにしか撮れないというんですよ。山でも何でも静物画を撮るというのかな。でもぼくは「黒澤君はセットもロケーションみたいに撮っているね」と言われたぐらい。そういう点では、ぼくは他の人とはちょっと違うんだけど。それにぼくは表が出てくるシーンでは、表でセットを建てちゃいますしね。太陽の光線というのは、ライトではどうしても出ないんですよね。そういう点で、わりと候さんに近いんですよ。(164~165頁)

■《黒澤明 あるいは旗への偏愛 蓮實重彦 野上照代 伊丹十三》

蓮實 アノネ、僕は映画の中に旗が出てくるの、割合好きなんですね。好きというか、一番子供っぽいところでわくわくした気持になるんですね。ところがまた、最近の人たちが非常に旗を撮るのが下手なんですね、アノオ「幸福の黄色いハンカチ」というヤマダ・ヨージの作品の最後に、ここはどうしても黄色い旗がはためかないとまずいんですけどね、これがまるで駄目なの。旗のとらえ方といい、旗までの距離といい、映画的空間ゼロなんですね

野上 そうだったですね……もっとも、あの映画に関しては旗以外の不満もなくはないけど(笑)(207頁)

■《必ず仕掛けのポイントがありました 斎藤孝雄(カメラマン)》

斎藤 例えば、撮影日が曇天だった際、伴淳三郎さんの家の影を地面に墨汁で描いたりしていました。面白い感じだったですねえ。また、赤い家、黄色い家などと……。

斎藤 黒澤さんの作品には必ず一つの宿題があって、その連続でした。先ほどお話しした椿とか煙突とか、仕掛けのポイントというのが必ずありました。

―― それは、台本が上がった段階で斎藤さんに対して直接相談があったわけですね。

斎藤 そうです。

―― 『八月の狂詩曲』(91)の中では、そのような宿題とは何だったのでしょうか?

斎藤 ロケセットのお婆ちゃんの家で、縁側に座って真正面を見た時に山が重なり合うようなところを探してくれ、ということでした。北海道から九州まで駆けずり回りました。結局、秩父にそれに近いロケーションが見つかりました。『影武者』や『乱』の場合も、あれだけの馬が全力疾走できるということで……。

―― 『まあだだよ』(93)のかくれんぼのシーンの場所などは、ここはいったいどこなんだろうと思いましたが。

斎藤 あれは御殿場です。

2010年3月6日

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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