岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『ムッシュー・テスト』 ポール・ヴァレリー 清水徹訳 岩波文庫

投稿日:

■どうだろうきみ、ひどく怖い気がするんだけれど、わたしたちは、わたしたちを知らぬ多くのものによってつくられているのではないかしら。だからこそ、わたしたちはわたしたち自身を知らないのだ。もし、そういうものが無限にあるとしたら、いかなる思索も空しいね……(47~48頁)

■きっとあのひとの魂は、自然の掟に反して葉ではなく根のほうが明るいほうへと伸びてゆく奇異な植物にでもなってしまうのでしょう!(75頁)

■神父さまはわたくしにこうおっしゃいました。「あのかたは恐ろしいまでに善から身をひきはなしておいでだが、幸いなことに悪からも身をひきはなしておいでだ…… あのかたのなかには、なにかしらぞっとするような純粋さ、なにかしれぬ超然たるところ、なにかしら議論の余地のない力と光とがある。深く磨きぬかれた知力のなかに、あれほど混乱も疑惑も不在だという例を、わたしはいまだかって見たことがありません。あのかたの静かなことといったら恐ろしいほどです!魂の不安という言葉も、内面の影という言葉も、なにひとつあのかたにはあてはまらない、――それに恐怖や渇望への本能から由来するようなところは、まったくない…… だがまた、「神の愛」へと向うようななにものも。(85~86頁)

■――「神なき神秘家!……光かがやく無意味! おや、口がすべった、言うは易しだ! いつわりの明晰…… 神なき神秘家、いや奥さん、それなりの方向も意味ももたぬ動き、結局どこのも行きつかぬ動き、そんなものは考えられぬのですぞ!……神なき神秘家!……イッポグリフォだ、ケンタウロスだ、と言ってはどうしていけないんだ!」

――「スフィンクスではいけないんですの、神父さま?」(87頁)

■そしてそれが何であれ切断してしまう、あの突然の自己への回帰、そしてあれらの二股にわかれた視力、あれらの三叉にわかれた注意力、ある事象群がそれらの世界ではばらばらに分割されているのを、別の世界で触れあわせるあの接触……それこそは自己だ。(110頁)

■『自分ひとりでやるゲーム』

ゲームの規則

もしも、みずから賞讃に値いする思えば、この勝負は勝ちだ。

もしも、勝ちの勝負が計算により、意志と一貫性と明晰さをともなって勝ったものならば、――儲けは最大限に大きい。(110頁)

■わたしは(可見の)世界から、ただ力しか借りたくない――形態ではなく、形態をつくるのに必要なものを借りたいのだ。

物語はいらない――「装飾」はいらない――岩とか空気とか水とか植物的素材といった物質そのものの感覚――それから、それらの基本的な力の感覚。

そしてさまざまな行為と位相――個人とその記憶ではなく。(143頁)

『ムッシュー・テスト』 ポール・ヴァレリー 清水徹訳 岩波文庫

2008年12月2日

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

執筆者:

関連記事

no image

画中日記(2013年)

画中日記(2013年)  2013.01.13 【塩谷定好写真集】 昨日は、夕方写真家の足立氏がアトリエに遊びにきた。今まで買い集めた本や画集や写真集は処分出来なくて大量にあるが、写真集は私が死蔵する …

no image

『自我の哲学史』酒井潔著 講談社現代新書

『自我の哲学史』酒井潔著 講談社現代新書 ■あらかじめ見通しをいえば、われわれが通常、社会生活で是とする自我概念は、基本的には西洋哲学の自我概念の上に成り立っており、日本人は近代化においてそれを受容し …

『セザンヌ』 アンリ・ペルショ著 みすず書房

『セザンヌ』 アンリ・ペルショ著 みすず書房 ■人を、その到達すべき目標にまで連れて行くことの出来るのは、ただ根本の力、即ち、気質だけである。セザンヌ「シャルル・カモワンへの手紙」1903年2月22日 …

no image

『マチスの肖像』ハイデン・ヘレ-ラより

■マチスはこう述べている。「自然は非常に美しいので、私はただそれを出来るだけ単純に再現するだけでよい。私は心惹かれる対象の前に身を置き、対象に自分を一体化させ、それをカンヴァスに写し取ろうと試みるので …

『道元禅師語録』 鏡島元隆著 講談社学術文庫

『道元禅師語録』 鏡島元隆著 講談社学術文庫 ■上堂して言われた。もし人があって、一句を言い得て全世界の無限の量をなくして一真実に帰せしめても、それはなお春の夜の夢の中で吉凶を説くようなもので、何の役 …