岡野岬石の資料蔵

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画中日記

【画中日記】2016年

投稿日:2020-04-30 更新日:

【画中日記】2016年

2016.01.03 【新年に】

 新しい年を迎えて、今日で3日目だ。私の場合、画は美神への信仰なので、新年といえども、やる事はおなじで絵を描いている。それでも、年がかわると、しなければならない事はこなしてゆく。

 新年をあらためて感じるのはもちろん年賀状だが、パソコンをやりはじめての新年の行事は、去年の送受信メールをすべて削除する、去年のいろいろなフォルダを保存、新しく今年のフォルダを作る。この過程で、「画中日記」、「山中湖村だより」、「読書ノート」等、去年一年の、自分の行動が浮かびあがってくる。そのなかで、今日は「読書ノート」について書く。

 私は子供の時から活字中毒で、これから読みたい本が手元に数冊ないと、読み終 わったらどうしようかと、不安にかられたものだ。そして、ここ数年、行ついた究極の本が、道元の『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』だった。

 去年の「読書ノート」の最後の本は10月31日の『正法眼蔵』の第3巻だった。今年、現在抜き書きを打ち込んでいるのは『正法眼蔵』第4巻「画餅(がびょう)」の章。講談社学術文庫の『正法眼蔵』は全8巻なので、パソコンに打ち込むのはまだまだ時間がかかるが、そのうちに、いつかは全巻打ち込み終わるだろう。『正法眼蔵』以上の本は私にはもう出会いそうもないので、永久に終りが来ないでほしい心境だ。

 イーゼル画と同じで、『正法眼蔵』を打ち込んでいると心が落ち着く。

 2016.04.11 【桜】

 9日(土)に、自転車に水彩の道具を乗せて、柏の16号線のトンネルの上の桜を描きに出かけた。何年か前の記憶のある場所は、フェンスに囲まれて入れず、その近くの桜(ソメイヨシノ)の前にイーゼルを立てる。水彩で描くのは、久しぶりなので、最後まで調子が出なかったが、それでも、やはりイーゼル画は楽しい。描いた作品は、この後アトリエで、パステルとアクリル絵具で作品化するつもりだ。

 アトリエまでの帰り道は、大津川沿いの土手を、写真を撮りながら帰る。そのうちに、このなかの何カ所かは、描く機会があるだろう。

 2016.07.12 【たたずまい】

 今日は『イーゼル画会』展のDMと、画廊の外に吊り下げる旗の制作を頼みに東京に出かけた。会社は、DMが茅場町、旗が東上線の北池袋にあって、茅場町から午後1時頃北池袋にまわる。全部終わったら、帰りにこの町で餃子と生ビールで閉めくくろうと予定して、駅から明治通りまでの初めての道を、キョロキョロチェックしながら歩いた。東上線の地上の踏切や、町並み、公園、交番は私が美校生だった50年前の東京の下町の雰囲気がまだ残っている。

 途中で、昔の町のラーメン屋のたたずまいの、中華料理店が眼に入った。昔のラーメン屋では、餃子も中華スープもどこも手作りで、安くて美味しかったものだが、そんな期待をこめて、この店をキープしておいて、仕事を終わらせた。

 店に入って、すぐに餃子と生ビール、生ビールは餃子と一諸に、と注文したけれど、周りのお客や、メニュー、全体のたたずまいが、これはいけそうだと感じさせる。生ビールはまだ注いでいないので、紹興酒の小ビンのオンザロックに変更、餃子で飲んで、予定外のラーメンを注文した。最近の紹興酒は、味にバラツキがあり、昔ほど飲まなくなったが、紹興酒、餃子、ラーメンともに満足、おまけに食後の一服も店内でOKで、なんと、ささやかで、慎み深く、幸せな仕事帰りのひと時なのだろう。また、自分の眼力の衰えていないことに、自信をもつ。人生70年、ダテに修行を積んではいないのだヨ。

 帰ってから、ネットで調べると、地元の人だけでなく、結構ファンの多い店みたいだ。「中華料理北池袋吉華苑」で検索すればヒットします。私はもう二度と、この町に行くことはないと思いますが、勝手に広報しておきます。

 2016.10.05 【老画家が二人で(1)】

 今年は、6月の個展、9月、10月に『イーゼル画会』の巡回展が終わって、一段落したところで、今は、山中湖に行って、外で絵を描きたいのだが、年末まで借家が使えないので、気持ちがモヤモヤしている。ジュリアンボックスは、山中湖に置きっぱなしなので、もう我慢ができず、新たにもう一つ注文(昔は文房堂が販売していたのだが、今はホルベインが販売している)して、それでもって、以前取材したポイントのある、外房の鵜原に来週描きに行こうと思っている。

 『イーゼル画会』のメンバーである、千正氏は鴨川に住んでいるので、一諸に描かないかとメールで誘ったら、すぐにOKの返事がきた。千正氏が都合が悪ければ、私一人でも行くつもりだったが、同じイーゼル画を描く同志の画家が連れで描けば、楽しさも倍化するだろう。一週間前から何だかウキウキするなぁ。

 人気のない海辺の崖の上で、絶滅危惧種の老イーゼル画家が二人、ウキウキと絵を描いているなんて、こんな光景は、これはもう「盲亀の浮木」、「優曇華の花」だよ。

 この時の写真と文章は、フェイスブックの私のページと「イーゼル画会」のページに投稿する予定です。

 2016.10.07 【老画家が二人で(2)】

 今日、午前中、発送の手違いがあったが、注文したジュリアンボックスが届いた。40年前、文房堂で買った時は、帆布で作った文房堂製の背負い袋が付いていたが、今の製品には肩掛け用のベルトは付いているが、これが付いてない。イーゼルボックスは背負わないと、条件の悪い場所には持って行けないので、午後から柏に、持ち運び用のザックを買いに出かけた。

 ビックカメラの旅行用品、東急ハンズの柏店、以前、今使っている軽登山靴を買った登山用品店の「エルデ」の3カ所を心づもりにして、終われば旭湯で銭湯に入って外食して帰ろうとバスに乗る。最初の、柏のビックカメラの旅行用品の売り場では、カメラマン用のザックしかなく、そして値段の高いのに驚く。ボックスのサイズを合せると5~6万もするのだ。諦めて、登山ザックの値段が高ければ、軽金属製の背負子にしようと思い、「エルデ」に向かった。

「エルデ」では、背負子は注文でしか入らなく、それも来週の水曜日には間に合わない。高くても仕方がないので、サイズを測ってザックを探していたら、ちょうど、店頭のワゴンセールの品物(定価の3割引)を店主に勧められた。ちょうど、ピッタリでそれに決める(1万円弱)。ツギハギだらけの山中湖のイーゼルのカバーが限界に近いので、ついでに背負子も注文しておいた。

 以前の、ジュリアンボックスの仕様では、折り畳み式パレットの折り方が今回のと違うし、パレットの上にクルミ材のカバーが付いていたのだが、それがない。明日は、ベニヤ板をカットして、それを作ろうとおもう。こんなことも、一つ一つクリアーしていくことは、楽しいのだよ。

 終わって、旭湯に寄ったら、ことところずっと臨時休業。老人の店主が、いよいよ動けなくなったのか。時は、ユックリと動いているのだなあ。

 2016.10.08 【老画家が二人で(3)】

 今日、朝起きて、ジュリアンボックスのカバー蓋を作ろうと思って、大型のオルファのカッターを探したが、見つからない。前日までダン箱を作っていたので、それまであったのは、確かだ。最近は、こういうことが多くて、これも一種の老化現象か。長年使ってきた品物なので、今ここでなくなるのは、ちっともかまわないが、なくなった原因が判らないのが、居心地の悪い事だ。予定外に、カッターを買いにいって、それから作った。作る過程で、スケールもなくなっていることに気付く。それならば、カッターを買ったときに、スケールも買ってくればよかった。なんだか、今日は、チグハグな日だなぁ。

 今日は、先ほどカッターを買いに、自転車で出た時、小学校と幼稚園で運動会をやっていたが、先ほどの一時的な雨で、中止とならなければいいが、いまは薄日が射している。

【画中日記】2016.10.11「鵜原行(1)」

 明日は、朝5時半過ぎの柏駅行きのバスに乗って、外房の鵜原に絵を描きに行く。千正氏は、体調不良で同行できず、私一人で行くことになった。今回は、駐車場から、イーゼルを背負ってかなり歩くので、大病後の氏にとって、計画がハード過ぎたので、医者に止められたようだ。氏の体調が回復して、再び同行する機会があれば、今度は、移動にやさしい場所を計画して実行しよう。

 これから、一眠りして、帰ってきたら、結果と写真を投稿します。

【画中日記】2016.10.13「鵜原行(2)」

 先日の鵜原行は、感傷旅行だった。

 千葉駅から1時間に1本の外房線の鴨川行きの電車に乗り、高校の通学に使った本千葉駅(ちょうど、通学時間だったので、気分がシンクロした)、ほんの短期間だが別荘を持っていた太東駅を通過し、勝浦の先の鵜原駅に着く。茂原までは、電車内も、車窓からの風景も、東京の近郊都市の風景と変わりはないが、茂原駅を過ぎると、昔と変わらない、いや、リゾートで賑わっていた頃よりさびれた様子の駅周辺のたたずまいに、時代の推移を感じる。

 観光や旅行の形態が、変わってしまったせいかもしれないなぁ。ツアーの客は団体だし、個人の客は車だし、民宿や旅館に泊まる客はほとんどいないのかも知れない。私が、一人旅で、ほとんど予約なしに、日本中を旅して廻った、またそれが可能だった昔が、嘘みたいだ。

 鵜原には、過去何回か取材で来たことがあるし、鵜原理想郷入口にある『鵜原館』にも泊まったことがある。何度来ても、家を改修しているだけで、景色はほとんど変わっていない。

 描いている時は、絵に集中するが、イーゼルを立てるポイントに行く途中の気分は、私が、同じ風景を見たその時々の、自分の生活状態が走馬灯(古い譬喩だね)のように連なって浮かんでくる。「国破れて山河在り、城、春にして草木深し」とか「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」だね。まったく、古人は、こんなときの気分を、ドンピシャリと言い当てているなぁ。

 早朝5時半のバスに乗って、アトリエに午後5時頃帰ってくる。描き終えて、帰りの電車の待ち時間に、食堂もコンビニもないので、千葉駅の駅蕎麦まで我慢をする。次からは、行きの途中で用意していこう。鵜原から千葉までの電車のなかでは、だらしない顔で(今、自分は、口を開けてだらしない顔で寝ていると、判っているのだが、どうしようもない)寝っぱなし、情けないけど、齢だなァ。

 まだ、数カ所描くポイントがあるので、来週も行こうかな。

【画中日記】2016.10.14「鵜原行その後」

 12日の鵜原行は、私の脳内の、最近使っていない部位に、刺激を与えたらしい。

 昨日は、倉庫に入れっぱなしの、昔撮った風景写真を入れたダンボール箱を引っぱり出して、午後いっぱい、見て過ごした。その中に、以前、私の作品のポジフィルムをパソコンのデータに保存したときに、見つからなくて出てこなかったボックスがあった。これは、めんどうだがデータを保存しながら、フェイスブックに順次アップしていこうと思う。「今やらなければいつやる、お前がやらなければ誰がやる」、だよ。

 それにしても、取材旅行した、様々の場所といい、新たに出てきた過去の作品のポジといい、人生上の絵以外のところでは反省と後悔が多少あるが、まあ、天から与えられた存在の使命に対する努力と修行は、目一杯果してきたとの、満足感がある。

「年たけて また越ゆべしと思ひきや 命なりけり 小夜(さや)の中山」

 (注;西行法師『山家集』にある「年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけりさやの中山の下の句。「年とってまた越えることができるとは思わなかった、命があったればこそできたのである」との意。「小夜の中山」は静岡県掛川市にある坂路。箱根路に次ぐ東海道の難所として知られた。〈講談社学術文庫『善の研究』28頁〉)

 この歌は、昨日思い浮かんで、過去の、私の「読書ノート」で調べた(西田幾多郎の『善の研究』のなかで出会った。パソコンは便利だね)西行の歌。

 来週も鵜原に行く。

【画中日記】2016.10.19「鵜原行(3)」

 今日は、鵜原での2作目の作品を、描きに行ってきた。山中湖への行き来は、ほぼルーティン化しているが、鵜原への行き来の行動は、まだベストだとはいえない。来週も、描きに行こうと思っているので、改良した案を試そうと思う。

 移動日なしに、一日のうちに日帰りで柏と鵜原を往復すると、世界が電話帳のようになっていると子供の時に感じたことを、改めて確認する。今日の午前中に描いていた場所は、アトリエでこの文章をキーボードでパソコンにうちこんでいる今も、鵜原で日が暮れて存在している。鵜原も、山中湖も、玉野も、北海道も、私が出遇ったすべての場所も、まだ出遇っていない世界中のすべての場所も、この同じ時間に、分厚い電話帳のように、薄い紙のページに分かれて過ぎていっているのだ。

 カタツムリのように、自我の狭い時空を引きずって生きてはいけないし、ラスコールニコフやムルソーのように、自我を肥大させてはいけない。池より大きな魚はいない。自我意識を小さく(理想的には無くする)すれば、各人が今住んでいる小さな世界は、天地一杯と等しくなるのだ。

【画中日記】2016.10.25「鵜原行(4)」

 今日は、鵜原での3作目の作品を、描きに行ってきた。前2作を描いた、鵜原理想郷の中の手弱女(たおやめ)平から、毛戸岬への分岐を通って、白鳳岬の小高い、名前はたぶん観光用に付けたのだろう、「黄昏(たそがれ)の丘」でイーゼルを立てた。手弱女平からの距離は大したことはない。

 午前中は天気が良かったので、海の色と、鵜原の湾をはさんだ守谷側の崖との対比が美しい。ここは、風の通りがよいので、条件が悪いと、風に悩まされそうな場所だったが、この日は手で押さえながら描くということはなく、助かった。

 描き終えて、道具を片づけて、周りを取材がてら歩いたが、安井曾太郎の『鵜原風景』の描いたであろうポイントも見付けた。その絵では、手弱女平には松が何本か生えていたように記憶するが、今はもうない。

 ハイキングコースで手が入って、草刈りや、眺望を邪魔する枝をはらっているので、以前には気付かなかった、ビューポイントもあり、ここでは近日中に、もう1枚描く事になるだろう。それと、この岬は南を向いているので、晴れた日は海が光り、以前何点か描いた『光る海』の作品をイーゼル画で描けるだろう。

 このあたりの石は、砂岩で柔らかく加工しやすいのか、手掘りのトンネルや崖下の岩場には、カツオ漁等に使ったイワシの、手掘りの生け簀跡がそこここにある。白鳳岬の下には浜がないので、昔は漁師が使った道を、今は釣り人が使っているのだろう、まだ生きている、崖下に降りる道があった。5年前なら行ける所までチャレンジしただろうが、大変な割に、絵にはならないし、ポイントがあってもイーゼルを背負って降りられないので、はなから諦める。「どうせ、あのブドウはすっぱい」、さ。

【画中日記】2016.11.02「鵜原行(5)」

 今日は、鵜原での4作目の作品を、描きに行ってきた。鵜原行も、毎週通うと、ルーティン化して、苦にならない。

 昨日は、一日の後半晴れたので、今日も続いて晴れると思って、早朝曇ってはいたが、予定通り朝始発のバスに乗った。結局、今日は一日中曇り。以前と違って、別に天候は、どのようにでも天の差配におまかせしますが、海の色が、グレーなのは、画面が少々寒々しいかな。

 でも絵は完成するまでわからない。水平線の見える海と、崖上からの厳しい風景は、何度か取材旅行に行って、結局は絵にできなかった、北海道の天売島の崖が連想された。北海道には1972年から1975年まで、札幌市西区手稲に転居して、北海道中旅行して描いてきたのだが、天売島の取材の時も、海の色も、崖や、植物の色も、全て寒々しくて、いい写真が撮れず、取材はカラ振りに終わった。

 でも、今は違うよ。長年の描写スキルの積み重ねと、なんといっても、近年のイーゼル画のおかげで、どんな状況でも、自分に描けるだろうかというおびえはない。

 楽しいので、今はやはり、1週間に1度は、外で描かないと、気がそわそわして落ち着かない。

【画中日記】2016.11.07「江津(ごうつ)行」

 11月3日より11月27日まで開催している『岡野岬石(浩二)T・Sコレクション展』の、6日のギャラリートークのため、島根県江津の今井美術館に、5日から今日(7日)まで行っていた。ギャラリートークは1時間くらいのつもりでも、れいによって、1時間半までしゃべってしまったが、まだしゃべり足りない。「香厳撃竹」のことから始めて、全元論とイーゼル絵画の共通性のことまで喋ろうと思っていたのだが、全元論は、テンセグリティー構造になっているので、どの方向にも話が絡まって、私のなかでは、解りやすく、例えているつもりなのだが、聞いている人には、なんでそれが、関係あるのか、反って解りにくいようだ。でも、それでいいのだ。画家の使命は「美」を現成することなのだから。おなじ画家どうしでも理解しにくいことを、理解してもらおうなんて、どだい無理な話だ。でも、懲りずに我慢して話についてきてください、また、絵を観にきてください。

 T・S氏とは、広島にお住まいの繁田隆氏のことで、今回の展覧会は、今井美術館に関係のある、浜田で『みゆき洋画材料店』をやっている、田邊勝大の仲介で実現したものです。作品数は、40点以上あり、日本橋画廊での最初の個展の作品もあって、驚ろき、そして、少し感傷的な満足感に包まれた。「夏草や 兵(つわもの)どもの 夢の跡」の句や、「命なりけり 小夜(さや)の中山」の歌(上の句は後で、パソコンの検索で調べます)が頭に浮かぶ。

(「年たけてまた超ゆべしと思ひきや命なりけり小夜(さや)の中山」西行)

岡野岬石【画中日記】2016.11.28「年たけて」

 先日出てきた、過去の作品のデータのなかの、日本橋画廊での第一回個展のポジフィルムをフラッシュメモリーに保存、及び、フェイスブックに投稿が終わった。

 日本橋画廊での最初の個展は1971年なので、今から45年前、私の25歳の時の作品に、感慨が深い。この頃は、今のように、デジカメで簡単に絵の写真を撮れないし、後に、マミヤの6×7のカメラを買って、自分で撮影する以前は、人に頼んで撮ってもらっていた。この時も、画廊に、無理に頼んで撮って貰ったとおもう。

 これらの作品は、その時に描いていなければ、この世に存在しないし、また、捨てて、焼却されないかぎり、壁に掛けられていなくても、この世のどこかに存在している。また、その時の1点が、今井美術館での展覧会で出遇った『線路のある風景』だ。

 絵は、完成して、画家が筆を離した時から、画面は、変わらず、同じままで時間を過ごす。ゴッホの絵は、高い価格がついてから、絵が良くなったわけではない。生前、売れなかった時から、画面は変わっていないのだ。

 つまり、自分の絵は、売れようが売れまいが、他者からのオファーがあろうが、あるまいが、世界の中に、存在させられる場を与えてもらうだけの理由を、持たなければならない。どんな時でも、画家の手を離れたら、狐の使うお金のように、時間が経てば元の葉っぱにもどったり、後でゴミになるような作品を描いては老いて後悔するのだ。

 45年前の私の絵は、スキルは未熟で、コンセプトも生で気恥ずかしいが、その時の、ベストを尽くした精一杯の制作で、感傷的な満足感がある。今年、古希を過ぎて、何度も引用した、西行の歌、

「年たけて また超ゆべしと思ひきや 命なりけり 小夜(さや)の中山」。

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