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(77)美術史の本流は抽象印象主義に至る

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(77)美術史の本流は抽象印象主義に至る(267頁)

クールベの自然主義的リアリズムからモネの印象派、セザンヌの後期印象派まで、近代美術史は一本道で進んできたが、セザンヌの後二つの道に分かれていく。造形、客観、超越、意識、描写、インプレションと、その対概念の表現、主観、内在、無意識、発動、エクスプレッションのふたつの方向。もちろん僕は前者だが、現代美術はむしろ後者の方が美術ジャ-ナリズムを賑わしてきた。

クールベ、モネ、セザンヌ、マチスの絵は認識の革新だ。世界に対して画家がどう認識し、どう描写するかの形式、フォームの革新の歴史だ。描かれた内容は、四人とも風景であり、人物、静物とまったく変わりがない(ピカソは場合は造形的だが内容が実存主義的)。これは、科学の世界観と符合する。つまり外部世界(物)の客観的、超越的実在への信頼があるわけだ。真善美のプリンキピア(原理)は人間を超越して時空を貫いているという世界観だ。そう信じていなければ花や女や風景を描くだけで、美の追求だけで一生を過ごせないはずだ。物理、科学も数学的、論理学的「真理」の超越性を前提にしなければ実証も成り立たない。仮説を証明する数学や論理そのものが相対的な存在なら証明そのものが成り立たないではないか。「真」と同じように「美」も超越である。美の超越的実在を信じなければ画家の仕事は成り立たない。

一方、ダリやマグリットのシュールリアリズムの絵を見てみると、内容は新しいが様式は従来通りだ。時計が柔らかかったり、キリンの背中が燃えていたりと意味内容は異常だが、それらの物が存在する空や大地はあたりまえの空間と光だ。つまり形式は従来通りだ。これは、美を人間の内在と考えるヒューマニズム、実存主義の世界観と符合する。美を超越と考えないのだから、美を内在と考えるのだから、人間の内部世界にベクトルが向けられるのは当然だ。シュールリアリズム、表現主義、ダダイズム、抽象表現主義、ネオダダイズム、ポップアート、ニュー・ペインティング…すべてこの流れの絵画だ。

前者の流れも、絶えたわけではなくて、オプティカルアート、ミニマリズム、抽象表現主義の仲間に入れられているがゴーキー、ロスコ、バーネット・ニューマン、日本でも岸田劉生、梅原龍三郎、横山大観、オノサト・トシノブ、などとしぶとくバトンを繋いでいる。

やはり、美術の流れは、リアリズム→印象派(モネ)→後期印象派(セザンヌ)→マチスに行って「抽象印象主義」に至る…。そう、僕はそれが主流だと信じている。美術史の分岐点は、シュールリアリズムが出た頃からで、そちら側の流れの画家達からはマチスは保守反動の画家とみなされていた。シュールリアリズムの流れは、ベクトルが違うというかルールが違う。芸術家が、そんなことをやる必要は少しもない。芸術は、美しいものを、美を措定して、美に向かって、天の方向に飛翔すべきなのだ。

画面の美しさを別にして、画家の人生観とか内面性とかそんなことを言われても、他人の僕には別に関係ない。他人の無意識の世界とか幼児体験がどうとか、あるいは政治的、社会的メッセージなどは、僕は聞きたくない(僕自身がしゃべりたい誘惑には時々かられるが)。

僕は、そんな情報を他の画家の絵に見ない。僕が他の画家の絵に感動するのは絵が美しいからであって、そういう絵なら見たい。絵画を、内面性の表現などと考えるというのは作者の勝手で、どうぞご自由にという事なんだけれど、僕はそんな絵は見ないし、見たくもない。キーファー(Anselm Kiefer 1945~ ドイツ)のような絵は、美しくない暗く気持ち悪いような絵はいやである。キーファの描いたような作品は、戦争資料館のような場所にこそ展示されるべきで、美術館(福岡市美術館)には展示して欲しくない。

佐倉の川村記念美術館にも入口の外にステラの大きな産業廃棄物のような彫刻が置かれている。川村美術館にはロスコ、ニューマン、トゥウォンブリィの名品や、ステラの初期の美しいミニマルな平面作品も収蔵されているのだが、入口の立体はひどい。立体そのものが醜悪なうえに、メンテナンスが悪いと野外のために落葉が挟まったり、雨水がたまってボウフラが湧いたりと、まるでゴミ捨て場のようになってしまうだろう。美しい作品は、たとえゴミ捨て場にあったとしても美しい。だから歴史はそれを残していくのだ。ゴミ捨て場にあったらゴミとして処分されるような作品が、時代が変われば美しくなるという事はないのだ。絵は、画家の手を離れた時から、価値は大きく変動するが、画面の情報量は少しも変わっていない。金は金のままだし、石ころは石ころのままだ。ゴミが将来貴重な資源になる事があるとしても、ゴミそのものが金そのものに変わるわけではない。

デュシャン(Marcel Duchamp 1887~1968 フランス→アメリカ)もいやだ。デュシャンはダダイズムの中心人物で、一時期は現代美術の神様のように言われていた。彼は、美しいだけの、目だけを楽しませる視覚だけの絵というものを、否定している。この言説は画家に対して矛盾している。一〇〇Mランナーは速さだけを競っているので、速さの記録だけを目的にしないと言っても、それは本人の勝手というもので、現に速くなければ選手としての価値はない。画家は、画面の美しさを競っているので、「美しいだけ」といわれても、ランナーに向かって、君は走るのがただ速いだけじゃないかと言うのと同じで、矛盾した批判だ。イチローはヒットを打つからイチローなのであって、野球場で人生論や野球論を演説されても観客は困るだろう。僕はもう美しいものを、それこそ大目的というか、美しいものこそ作りたい。絵描きが他に何をするの?この世の中に、何の必要があるの?美しいものを作らない限り、絵描きに何の存在理由があるんだ。

以前、NHK教育テレビの日曜美術館でデュシャンの謎を解明する特集番組を見た。遺作の、覗いて見る作品『1.落ちる水、2.照明用ガス、が与えられたとせよ』がある。裸の女の人が寝そべっていて、穴から覗く作品なのだけど、このポーズは他の作品にも使われていて、このモデルは実在していたのだ。

しかしデュシャンは、その辺の事情を全部隠していて、謎になっている。有名な「デュシャンの謎」だ。現実にいた女性でデュシャンと、スキャンダラスで、かつ当人達だけの謎めいた出来事があったようだ。ところが、その女性の遺族が、デュシャンがイギリスで展覧会をやった時に訪ねてきた。証拠のデッサン(例の寝そべるポーズの)を持っていて、「じつは、私の、あの…」と、やって来たわけだ。

その女性は、中南米のどこかの国(ブラジル?)の大使の奥さんとかで、その人がサロンを作っていて、そこに芸術家が集まる。その女性も彫刻を造っていたらしい。女性は、作家兼パトロンのような存在で、美術グループのようなサロンだったようだ。国家公務員の大使の奥さんだから、やがて移動で、他の国に行ってしまったらしい。それで、その人の遺族が、後年のデュシャンの展覧会に来た。

その時、デュシャンは戸惑いをみせたそうだ。彼にとっては、そういう人の出現で、せっかく謎めいた秘密が「なんだ、こんなことだったのか…」という地上的な話に落ちてしまうと危惧したのだろう。

デュシャンは五四歳の時に、過去の自分の代表作のミニチュア版のような作品『トランクの中の箱』(一九四一年)を作った。アタッシュケースのような箱の中に、ガラス絵とか何枚かを差し込んで、それを何セットか作った。その中の一枚に「遺作」と同じポーズの絵があったのだが、その人体を描いた絵具が不思議な顔料でその素材が分らない。そこで、その番組を制作したアメリカのテレビ局が、その絵をNASAに持ち込んで顔料を分析してもらったそうだ。そうしたら、気持ちが悪い…絵具の中に、自分の精子を混ぜてあるという。何だか気持ちが悪い。

この話が、事実かどうかは知らないが、デュシャンらしい話だ。そうやってわざわざ謎めかしたりするけれど、たいした謎でも何でもないのだ。

日本では、当時の美術ジャーナリズムはさかんにデュシャンを取り上げ、五〇年代にはブームになっていた。しかし、そういうものはやがて過去形になってしまう。実際に美しくないのだから。ジョン・ケージの音楽やデュシャンの作品は図書館や資料館の中では残るだろうけれども、現実の世界には世界と関係する居場所がない。誰も聞いていないのに、ベンチで独りぶつぶつしゃべっている独り言、つまりモノローグだ。一時期評価されて、その結果、皆が勘違いしたとしても、美しくないものが将来まで残るわけはないのだ。美しいから残るのであって、美しいから人は捨てられなくて残していくのだから。

フォービズムがマチスの造形とブラマンクの表現に分かれたように、どのイズムにもインプレスとエクスプレスの分かれ道が控えている。その、客観描写と主観表現の分岐点の近くにあって、紛らわしく若い画家にとって悩ましいのがエコール・ド・パリの画家達やエゴン・シーレなどの作品をどう分析評価するかと言う問題だ。

人生とか、ロマンチックであるとか、そういうことと造形は、ちょっと違うのだ。モジリアニとか、パスキンとか、ピカソの「青の時代」の作品は、そういうエコール・ド・パリ的な匂いのするものは、僕には格落ちな感じがする。

超一流なものは、人生とかロマンとか、そんなことからは超越しているのだ。人の個人的な事など、あまり関係ないではないか。自分とか、自分の人生とか、自分自身の実存とか…、人生派、あるいはロマン派の作品からは、画面から飛んでくる情報の周波数が違う。僕自身一時は実存主義者で、若い時は随分と影響されたけれど、超越的実在論者になった今はそれらの絵に惹かれない。

絵描きを志して画学生として勉強している時に、最初に訪れる分岐点が、対象をありのまま見える通りに描写する、というステージをステップアップする時だ。そのまま、「見える」という問題にこだわって印象派に進むのが正解だが、それに気が付く人は少ない。いざ対象の描写という、外側の羅針盤を失ってしまうと、一足飛びに「自分」になってしまう。造形は、ほんとうは自分などではないのだ。画面の良し悪しのスケール(物差し、判定尺度)は外側にあるのだけれど、最初のスケールの見た通りという事を見失ってしまうと、あとは好きなように、あなたの感覚のままいきなさいというような事しか言えなくなる。そうなると、とたんに迷ってしまって進む道が分らなくなる。一方では、一時期流行ったように、地を作ってテンペラでというように、目ではなくて手の職人的な技術に走ったり、一方では主観表現の方向に進んだりと混沌としてくる。その結果、現代美術はポスト・モダンの風潮、美は好き好きで百人百通りだという個人の相対主義のニヒリズムに落ち込んでしまった。

僕は今、

 『世界を光と空間に還元し、「美」を超越として措定して、それに向かって画面を全体化する』

という、抽象印象主義を標榜して画家としての人生を歩んでいるのだが、描画のスタイル、フォームは、走り高跳びの「背面跳び」と同じように、今のところこの方法が、美に向かって一番高く跳べるフォームだと信じている。そして、このフォームで毎日アトリエに篭って自己記録の更新を目指している。日常生活がこういう状況になるまでほぼ半世紀の時間がかかったのだが、過去を振り返れば、討ち死にしないでよくぞここまで来たもんだなぁと思い、また毎日絵が描ける満足感に独りしみじみと幸せを噛みしめている。

最後に、これから画家を目指す若者達に送る言葉として、昨年(二〇〇四年)に出版した僕の画集の「あとがき」からの文章を引用してこの本を締めくくる事にしよう。

 『美(芸術、超越)は永遠で、それに対して個人の人生は短い。そして個の人生はただ単に生きて行くだけでも辛く厳しい。卑小で有限な生物としての人間が、超越(真、善、美)に向かって自らの生を賭けていった事は歴史が教えてくれる。また、歴史に埋もれた、途中で討ち死にした無名の亡きがらも累々としている。

しかし、だがしかし、生物としての卑小で有限な人間が、「美」という超越に関わりあって過ごせる喜びは何物にもかえがたい。人類が生き続く限り、芸術というハイリスク・ノーリターンの分野に参入する若者は絶えないだろう。

代償はアトリエで、すでに支払われている。』 (2005年9月28日脱稿)

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