岡野岬石の資料蔵

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片瀬白田だより(2012年)

投稿日:2021-01-21 更新日:

 

片瀬白田だより(2010年) 片瀬白田だより(2011年) 片瀬白田だより(2012年)

 

片瀬白田だより(2012年)

2012年1月5日〜2012年12月6月27日

 2012.01.05 【謹賀新年】

新年4日は、描き初めのつもりで、F8号のキャンバスを用意していたのだが、当日天気は良かったが風が強く、やむなく室内で溜まっている途中の作品に手を入れて過ごした。写真は12月15日に載せた作品を進めたもの。

いよいよ明後日(7日)から新宿の「ギャラリー絵夢」で片瀬白田で描いた作品の展覧会で、明日はその搬入、飾り付けだ。出来上がった作品が思いのほか多くて、花や静物の小品を入れると、あれも出したいこれも出したいで5、60点にもなってしまった。明日赤帽が来る前に何点か削って、3、40点にセレクトしなければならないが、よく頑張った証拠で嬉しい悲鳴だ。今年は11月に、銀座「藤屋画廊」でも個展があり、そちらの個展も具象イーゼル絵画を中心にした展覧を予定しているので、また、7月には片瀬白田の借家を引っ越して富士山を描こうと思っているので、忙しい年になりそうである。

ウレチイナ~、ウレチイナ~、天のオファーは忙しい。謹賀新年。今年もかわらず画を描いて過ごしていきます。

 2012.01.06 【電子版・片瀬白田だより】近日発売

明日からの個展に合せて、出版する予定であった、『電子版・片瀬白田だより』は残念ながら間に合わず、個展会場では予告の案内ビラだけになってしまった。まあ、それも止む無し。発売すれば、改めて案内しますが、BookLive、紀伊国屋 BookWeb 電子書籍、ソフトバンクブックストア等で500円でダウンロードできます。電子書籍が発売された時点で、本に載せたページや写真は削除いたします。たったワンコインで、世阿弥の『風姿花伝』のような油絵の奥義書が手にはいるのだから、皆さん買って読んでネ。

 2012.01.26 【個展が終り】

1月18日に個展が終り、搬出してアトリエに作品を放り込んで片付けもそのままに、翌日から今日(26日)まで片瀬白田に居続けた。1週間のうち全般に天気が良くなく、外で描いたのは1日だけで2010年10月7日に載せた、借家の近くの白田川の河原の同じ場所を角度と季節を変えてF8号の縦と横で2点手を付けた。久しぶりのイーゼル絵画はやはり楽しく外光を浴びて筆を走らせていると、身体の内側から英気が湧きあがる気がする。

「認識の初源を写真や記号に頼ってはいけない。事件は眼で始まり眼で終わる。」このメモは東伊豆からケイタイで自宅のパソコンに送信しておいたもので、この1年半のイーゼル絵画のおかげでセザンヌ解釈の間違いから始まった(特にピカソ)以後の現代美術史の洗い直しが私の中で始まっている。近々、画中日記に少しずつ書こうとおもう。

 2012.02.02 【要害山の三角点】

1日は風が強かったので、1年前に下山で迷い込み、あやうく遭難しそうになった要害山の尾根から奈良本の風車尾根の林道に出るルートを、要害山の三角点経由の別ルートで攻めてみようとおもいたち、3時間くらい山歩きを楽しんだ。「熱川サンシティー希望ヶ丘」別荘地の最上部の道路の左にある水道施設の建物の横から取りつき、なだらかな尾根道を上るとあっというまにあっけなく最初の目標の三角点に着いた。いままで、2度も道のない山中で迷った経験から、どんなに簡単で近くても、帰り道の目印にタフテープを2、3ヶ所結んでおいた。前に迷って後日テープで印を付けておいた、尾根筋の途中から川久保川側に下りるルートを確認し見つけられればそちらから下りようとおもったのだが、おもわしい場所には私の結んだテープは見つからず少し下ってみたのだが自信が持てないのでもと来た道を引返した。三角点までは簡単な尾根道だが三角点からのなだらかな下りの別荘地の道路までの道は、上りに結んだ目印のおかげで簡単だった。三角点のあった場所はなだらかな場所なので、下りる方向が少しでもずれると迷いやすい。今回は以前の経験がモノをいった。

 2012.02.09 【熱川温泉のホテル『粋光』の前で】(1)

8日は、熱川温泉のホテル『粋光』の玄関前の道路横の斜面にイーゼルを立てた。この場所は国道135号から熱川温泉街に下りるルートの1つで最初のヘヤピンカーブを曲がると一瞬だけ目に入る、ちょっと気付きにくいビューポイントだ。写真の右端の島影は大島の一部で、海から上る日の出や満月もいつか見てみたい。最近見つけて、実際に描いてみると、写真左側の松を画面にいれて穴切り湾の方向も絵になりそうなので来週天気が良ければもう1度イーゼルを立てようとおもう。ホテルのチェックアウト時に、従業員や上の道を歩く人に描いているところを見られるが、ほとんど気にならない。若い時と違って、歳をとって面(つら)の皮が厚くなったのは確かだろうが、前面の世界とダイレクトに裸眼で対峙していると、背後の地上的実存的世界が消え去ってしまうのも事実だ。だから実生活でも、地デジの受信できるテレビもないし、新聞も10年前からとっていなくても何ら不自由はない。

「真・善・美」に係わる人は本来、世界の前の属性の無い単独者なのだから、「岬石(こうせき)」という画号は、陸地の最前面で海からの波風をかぶって対峙する1個の石のイメージで、今後歳をとるごとに「名は体を表す」になればいいとおもってつけたのだが。少なくとも、「岬石」のサインの画は私の生の証拠としてこの世に残すのだから、画が残れば、岡野浩二という実存と名前は瞬く間に世界から消え去っても、「岬石」という名前は残るだろう。だから、画家のゴールは、いい画を描くことに尽きるのだ。

 2012.02.23 【一週間室内で】

今週は、先週の金曜日(17日)から一週間東伊豆に居続けた。描きかけのキャンバスが一室の壁には掛けきれなくなっているので、それを消化するためだ。

とは言っても、今までは現場で描いた絵を柏のアトリエに持って帰らないと完成まで描き進められなかったが、やっとこちらの生活空間が自分の内面世界に写り込んできたので柏のアトリエと同じく、一週間屋内に閉じこもっても平気でいられるようになったのだろう。行帰りも、片瀬白田の町も、大家さんも、借家のお隣さんも、こちらに来た時は一度は入る近所の「花チョッピリ温泉」(正式名;「花いっぱい温泉」)の従業員も、相手の内的世界と自分の内的世界に、お互いに写り写られすると、ほとんど話はしなくても居心地がよくなる。

借家の隣りの、若夫婦が一昨日隣町の稲取に引っ越していった。つき合いは一切なく話したこともないのだが、子供のRクンのかわいい話し声が聞かれず、無人の家はセツなさがこみあげる。引っ越して行くほうはあまり感じないのだが、残されるほうは寂しいものだ。今週は、終わりになんだか感傷的になってしまった。

 2012.03.01 【人生の証拠品】

2月29日は、2月8日に描いた熱川温泉のホテル『粋光』の玄関前の道路横の斜面で新たにもう2点描こうと予定していたのだが、雨で(柏は雪だった)出られず、以前の絵を描き進めた。アップした写真はその時の1点です。

自然を相手のイーゼル画は、その日、その場所にイーゼルを立てた時が勝負で何らかの条件で描き逃すと2度とこの世界には存在しない。セザンヌのサント・ヴィクトワールも、ゴッホのヒマワリも、いくつかの条件が一つでも欠けると現実の世界には存在しない。そして、1度うまく描けたからといって2度と同じ絵が再生産できないのだ。だから、「地のオファー」が有ろうが無かろうが「天のオファー」は忙しい。7月に、ここを引っ越して今度は富士山を描こうとおもっているのだが、それまでに、片瀬白田で描こうと予定していてまだ描き残している何点かの絵は、なんとしても手を付け完成したい。それらの作品が、画家としてその時その時を生きてきた私の人生の証拠品だから。

2012.03.08 【熱川温泉のホテル『粋光』の前で】(2)

3月7日は、先週雨で描けなかった熱川温泉のホテル『粋光』の玄関前の道路横の斜面にイーゼルを立てて、F10号とM8号のキャンバスに縦構図で2点手をつけた(アップした写真は2月8日に同じ場所で撮った写真です)。イーゼルを立てた場所は庭ではない斜度のキツい場所だが、ホテルの土地らしく、描いている時オーナーらしきご主人と美人の若女将に話しかけられた。そして、途中でおいしい日本茶の差し入れも「お接待」された。というわけで、勝手に少しホテルの宣伝をしておきます。写真の右端の島影は大島の一部で、海から上る日の出や満月を全館オーシャンビューの客室から眺めればさぞや美しいことだろう。(ホテル『粋光』のHPアドレスはhttp://www.a-suiko.com/)

これで、この場所で4点描いたが、今回手をつけたM8号の縦構図がうまくいきそうなので、近いうちにM10号とM12号で、あともう一度イーゼルを立ててみようとおもう。来週は、遅れていた『城東桜』(キトウザクラ;城東は、天城の城に東伊豆の東で実際の地名が片瀬白田に昔からある。桜の観光は隣の河津町にすっかりとられてしまっているので、東伊豆町の早咲きの桜を私が勝手に命名)がやっと咲きそうなので、描きたかった白田の大畑山の逆光の城東桜の前でイーゼルを立てようとおもう。天気がよければいいが。桜は、当日描いた絵はまだ出来てはいないが、去年の4月14日に載せた白い山桜を、今年は満開のときに描ければとおもっている。

2012.03.15 【紅梅、白梅

3月14日は、大畑山のミカン畑の中の大きな紅梅の前にイーゼルを立てた。左奥の木は白梅です。片瀬白田では『城東桜』(キトウザクラ;城東は、天城の城に東伊豆の東で実際の地名が片瀬白田に昔からある。桜の観光は隣の河津町にすっかりとられてしまっているので、東伊豆町の早咲きの桜を私が勝手に命名、正式名「河津桜」)が満開なので、桜を描くつもりで行ったのだが、描き終わってもしやと思い、確かめにいったら紅梅だった。平安時代のお花見は梅の花だったらしいが(本当かどうかは知りません)、この時期、早春の最初のピンク色と日射しに心が浮き立つ。毎年お花見は欠かさないが、今年は、4月になって山桜が咲いたら去年お花見をしてイーゼルも立てた、桜の穴場なのに人に出会ったことの無い北川(ほっかわ)の、名前の大きい割に小さな『望洋公園』にいこうとおもっている。画のほうは、このところすっかり縦構図の風景にハマっていて、F8号とP8号の縦構図で2点、来週はホテル『粋光』の玄関前の道路横の斜面でM10号とM12号の縦構図で手をつけようとおもっている。

2012.03.22 【熱川温泉のホテル『粋光』の前で】(3)

3月21日は、3度目の『粋光』の玄関前の道路横の斜面でM10号とM12号の縦構図で手をつけた。写真左側の松を画面にいれて穴切り湾の方向の構図が予定外にふくらんで、ここでは都合6点のキャンバスに描き始めたが、ここに立つのもこれで最後だろう。7月に、御殿場方面に引っ越して、富士山をモティーフにして描く予定なので、この地を離れる日までに、まだ描いていない何ヶ所かの東伊豆のビューポイントを描き尽くしたい。富士山の他にも、まだ描きたい場所があるので、残された時間の少ない身には、もう2度とここ東伊豆の同じ場所にイーゼルを立てることはないだろう。イーゼル画は再生産やコピーのできない、この世の中にたった1点しかない存在なので、つまり、キャンバス外の画家の実存上の無数の条件と、キャンバス上の絵具の無数の組み合わせを、すべて美の秩序にそろえてはじめて結晶するので、一期一会で、だから、油彩のイーゼル画は芸術の薫りがするのだ。だから金や宝石の美しさとは違う、また工芸やデザインの美しさとは種類の違う、「芸術」美なのだ。

2012.04.05 【東浦路】

今回の東伊豆は3月の27日から10日間居続けて、溜まっている途中の作品を描き進めた。頑張ったおかげで、風景が2点、花の絵が2点、ほとんど仕上がったので近々アップします。ほとんど屋内に籠りきりだが、天気が良いと時々散歩に出かける。写真はその時のもので、今はほとんど廃道にちかい小道と、片瀬白田の子供達が山を越えて熱川の奈良本の小学校まで通う通学路になっている、コンクリート舗装の急な坂道の分岐点に立っている石碑です。石碑の文字は、「右むらみち」、「奉納経秩父坂東供養塔」、「左いとう」、「施主木田利七」、向って右側の面に「文久二壬戌年」と刻まれている。この道はなんの案内もないが、平安時代からすでにあったという説さえある東浦路(ひがしうらじ)という伊豆の東海岸の古道の一部で、吉田松陰も下田から密航を企てた時に通ったといわれています。興味があれば、グーグルで検索すると面白いですよ。という訳で、今回は新作に手を付けなかったので、画と関係のない話でした。来週は天気が良ければ、今年の2月に見付けておいた今井浜と河津の間にある海岸沿いの遊歩道にイーゼルを立てようとおもう。

 2012.04.12 【熱川さくら山パーク】

東伊豆では、行帰りの移動日の中日を現場で描くのにあてるのだが、今回は生憎その日だけが雨になりイーゼルを立てられなかった。写真は、以前から気になる道であったのだが、5月までやっている伊豆急全線ウォークの熱川駅と北川(ほっかわ)駅間の地図に載っていたので、着いた日の途中にちょっと寄ってみた、「熱川さくら山パーク」の山桜です。伊豆の桜は、並木や公園に新しく植えたものは染井吉野や河津桜がほとんどだが、山に自然に生えている山桜が多く、そういう桜を絵に描き、その風情を静かに味わうと、年に1度の花見や月見は、こういう所でなくちゃと思う。向って右上の斜面は、今年の2月から3月にかけて、3度イーゼルを立てた場所で、最奥の建物がホテル『粋光』です。あの場所から海上の満月を見てみたいが、そして画にもしてみたいが、7月の引っ越しまでに、伊豆行きの日と満月の日がうまく合うかどうかや、日にちは合ってもその時間の天候によって見られるかどうかなど、困難な条件が山積している。だからこそ、それをクリヤーして良い花見や月見が出来れば、その年の花見や月見は記憶にいつまでも残り、日本人なら自然とへたな俳句でもうかんでくるのだ。

ボクちゃんは、先週いい花見をしたもんネ~。そこで、出来た俳句。

桜見に ひとり降り立つ 無人駅

風強く 桜も折れし 岬の道

望洋の 波立つ風の 花見かな

光る海に 花散る風の 岬かな

ほろ酔いで ひとり乗り込む 無人駅

 2012.04.19 【今井浜】(1)

18日は天気にめぐまれ、今井浜と河津の間にある海岸沿いの遊歩道にイーゼルを立て、1ヶ月ぶりの外光での描画に、満ち足りた時間を過ごした。今井浜はゴロタ石の浜の多い伊豆では珍しく白砂の海岸で、もう1、2ヶ所画にしたい場所があるのだが、6月末の引っ越しまでの残された東伊豆での期間内に、何とかイーゼルを立てたい。

その日の夕方、大家さんがタケノコをゆがいて持ってきてくれたので、引っ越しのことを伝えた。この2年間で、ほとんど話はしないのだが片瀬白田で顔見知りになった何人かの人たちや、行帰りの途中で立ち寄る何軒かの店の人も、私の残りの人生ではもう2度と会うことはないだろう。実存の上の時間は諸行無常だね。

だからこそ、画家という天職に出会い、幸運にも恵まれ、他の職業にもつかず画家としてこの歳まで生きてこれたのだから、作品の上の時間は、超越や普遍に一歩でも近づきたい。そのために富士山を描きに引っ越すのだから、「天」はなんとかしてくれるだろう。なんとかならなくて途中で討ち死にしても、それはそれで、自分の力がそれまでだということなのでしょうがない。昨日のような幸せな時間を味わっているのだもの、生活上の恐怖心など無視して、タンペラマンを持って残りの人生を画家として突き進みたい。

ピカソは、当時一緒に暮らしていた若いフランソワーズ・ジローから、別れる時に、「歴史的記念碑も、一緒に暮らせばタダの老人よ」と言われたそうだ。私は「画家の岡野岬石」でタダの「爺さんの岡野浩二」ではないゾ~。タンペラマン!タンペラマン!

 2012.04.29 【今井浜】(2)

今回の伊豆行きは、23日(月)の午前中にセザンヌ展を観てその足で伊豆急で片瀬白田に行き、今日(29日、日曜日)まで1週間居続けた。旅館と違って借家はいいね。空間が、自分の世界に写りこみ、なじんでくると、柏のアトリエと変わりなく東伊豆でも絵が描ける。今までは描き始めは現場で描いても、完成までには、柏のアトリエに持って来なければ筆を進めることができなかったのだが、今回初めて、借家の仮アトリエで1点完成させた(その作品は、明日、近作のページにアップします)。1週間のうちⅠ日(24日)は、借家から歩いていける去年の秋に何度かイーゼルを立てた中芝原のビューポイントの近くで、もうⅠ日は、昨日(28日)、前回写真に載せた場所と同じ今井浜の遊歩道のポイントで過したのだが、その他の3日間は、雨で借家に綴じ込められ、そのせいで今回の絵が完成したともいえる。なにしろ、旅先で雨に降られた時は、画家はどうしようもない。やることがないのにくわえて、自分の世界の無い旅先の旅愁に落ちこみ、孤独感に耐えられなくなる。そのてん、画が描けさえすれば何日でも大丈夫、たぶん、もし刑務所に入っても、絵の道具と読む本さえあればたとえ終身刑でもこたえないだろう。

 2012.05.10 【海芋(カラー)】

9日は今井浜でイーゼルを立てるつもりでいたのだが、朝の天気予報と怪しげな空模様で外に出るのを諦めて、たまたま来た日に農協に出ていたので買ったカラーの花を、P8号のキャンバスを2点張って手を付けた。2010年の5月からイーゼル絵画を始めて2年経ったが、カラーのようなモチーフを画にするとき裸眼で対象を描写する技法の卓越性を実感する。向って右から2本目の花の上から覗き込まないと見えない黄色のシベの部分や、全体の花の高さ、花瓶敷きの楕円形などを写真上のモチーフとキャンバス上の図像を見比べると、ナチュラルな視点異動で自由自在に伸び縮みさせながら、キャンバス上に対象を描写変換していることが分るでしょう。こうやって、眼前の対象の光と空間がキャンバス上にうまく掴めたとき、画家は、心の中では小さなガッツポーズが出て「ど~だ」とひとり言をいって満足しているのです。

完成までの第1行程を描き終えて余った時間は、今年の1月26日に載せた、白田川の河原の葦の絵を、ほぼ完成まで描き終え、今日アトリエに持ち帰った(近日中に当サイトにアップします)。来週は、17日から24日まで1週間東伊豆に居続ける予定なので、今井浜にはその時に、描きに行けるだろう。

 2012.05.22 【今井浜】(3)

今回は、17日(金)から今日(22日、火)まで東伊豆に居た。その間、今井浜にⅠ日、借家の近くの白田川の川原でⅠ日、都合2日現場でイーゼルを立てた。今井浜はこれで3度目、6月末の引っ越し前に、あと2回はイーゼルを立てたい。瀬戸内の造船所のある町で、高校1年の1学期まで生まれ育ったので、海辺で陽の光を浴びながら風景を描画するのは小学生時代の図画の時間での写生を思い出し、楽しい。特に、小学校6年の時の担任広畑先生の図画の時間は、天気がいいと外での風景写生が多かったので、楽しかった。その授業で、町では大きな造船所の病院を描いた絵は、先生が外部の小学生の美術コンクールに出品して、初めてオフィシャルな賞を貰った。もっとも、賞を貰ったのはそのときかぎりで、その当時は(今もそうだが)、戦後民主主義のアメリカ型美術教育が全盛で、個性重視のノビノビ元気のいいフォービックな絵がいいとされ、大人びた描写力などはむしろマイナスの評価をされたものだった。今回は、海つながりで、子供の頃のことを思い出ましたが、時は流れ、一生を画に賭けて生きてきた老画家は、断言します。今も昔も、大人も子供も、プロもアマも、絵画の基本はイーゼル画で描写力を身に付けることに尽きる!! 、と。

 2012.05.22 【今井浜】(4)

今回は26日(土)から今日(31日、木)まで東伊豆に居た。東伊豆に居る日にちも残り少ないので、描き残した風景がないように、6日間のうち3日外で画を描いた。今回は天気にも恵まれ、、27日(日)、28日(月)の2日の今井浜で、4月19日から短い期間にほとんど連続して通ったので(全部で8枚)全てのタブローがうまく完成までもっていければ、今井浜の風景を描き尽し締め括った達成感がある。まだ、引っ越しまでにⅠケ月あるので、総括するのには気が早い気もするが、片瀬白田で顔見知りの人達に6月末の引っ越しのことを告げるたびに、この2年間のここでのイーゼル絵画への試みの生活の感慨がひとしおだ。冨士山を描き終えて、また再び東伊豆に仮アトリエを借りないかぎり、もう2度と、この地の数々のイーゼルを立てた場所に、再びイーゼルを立てることはないだろうし、ここで顔見知りになった人達にも2度と会うことはないだろう。一期一会で2度とかえらない無常な美しい情景と、幸せな時間を画面の上に定着できれば、それこそが画家の為すべき仕事であって、そんな天職に出会い、画家として一生を過すことができる幸せを感謝するこの頃です。

 2012.06.07 【引っ越し準備】

今回は5、6日の2日間東伊豆にいて、昨日柏に帰ってきた。19日に御殿場の不動産屋に行って物件の選択と、27日に片瀬の借家の引っ越しを決めた。生まれてから今までに親の社宅、アパート、持家、自分の間借、アパート、借家、持家、別荘(売りました)、今回のような仮アトリエ、などを全部数えてみると私は生れてからトータルで20回引っ越しを経験したことになります。今はパソコンの検索で楽に情報を得られるので、また、引っ越しの運送も専門業者がいるので、昔に比べると格段に楽になりましたが、物や状況に対して執着心が強いと引っ越しも簡単なことではない。人生を旅(時間の旅)だとアナロジーすると、引っ越しは、人間が知らず知らずいかに多くの古着を身に着けて暮らしているかということを知る、いい経験になる。必要のないものを背負って旅することはできないのだから、いらないものはドンドン捨てなければならない。通常わざわざ旅する必要はないけれど、生きることに超越的な目的地(「真・善・美」。画家の場合は「美」)を措定した人は、人生は目的地のない、結局は家に帰ってくる散歩や観光旅行なんかじゃないのだから、それに向っての旅はさけることはできない。つまり旅するそのこと自体が日常なのです。それに気付けば、画家のタブローが自己の生活や考えを「語る」表現主義の様式で描くものではない、ということが分るでしょう。

というわけで、今回は、外に描きに出なかったので、写真は、先々週載せた今井浜の同じ場所を先週別のアングルで描いた時のものを載せました。

 2012.06.14 【2年前】

今回の伊豆行きも外に描きに出かけなかった。まだ御殿場の借家は決まっていないが、とにかく引っ越しは27日から24日に変更になった。それまでにもう1回外に描きに出かけられるかどうかだろう。そういうわけで、載せた写真は、2年前の2010年の5月に、借家の前の大家さんの夏ミカンと木立ちの前で、イーゼル絵画に挑戦し始めた時の、以前当サイトに載せた写真の別バージョンです。

この時のタブローは3点描き、すべてうまくいったので、いつでもまた描けると思っていたのだが、写真の向って右側の木立の枝が伐られて樹形が変わってしまった。モチーフとしていまひとつなのだ。でも、東伊豆での最初の絵と最後の絵を同じ場所にイーゼルを立てると「画家」と「モチーフ」と「作品」の、2年の時間のスパイラルが見られて、自分にとっても興味深いので、残されたあとわずかの時間のなかで、なんとか実現したい。さて、どうなりますか。

 2012.06.27 【最終回】

2010年の5月から始めた、「片瀬白田だより」も今日で最終回です。7月からはこのページのキャプションは【御殿場だより】になります。引っ越しは、少し手違いはありましたが、なんとかクリアでき来週行って荷物の整理をし、再来週からいよいよ、富士山に対峙します。これから御殿場で出来た作品は「富士(1)」から通し番号を打ち、とりあえず2年間で100点を目標に私の晩年の具象画の集大成を目論んでいます。

東伊豆の風景も溜まっているキャンバスを完成させれば、たぶんこれで描くことはないだろうが、この2年間のイーゼル絵画への試みは私の絵画上の大きなエポックでした。片瀬白田で描いた作品の上で、気付き、試みた数々の絵画上の問題は、新たな富士山の絵で引き続き試され、生かされることでしょう。東伊豆の自然、知りあいお世話になった人たち、ありがとうございました。

載せた写真は、引っ越しの荷造りの間の午後行った、赤沢の日帰り温泉の休憩室から撮ったものです。

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