(65)汽車の中で駅弁を食べる(232頁)
これはかって実存主義者を自認していた五十代以前の僕にとって、重要なテーマに気付いた体験なんだ。「生きられる空間」という問題だ。これは、僕の世界観の中でも最も生き方に影響を与えた体験である。僕は一つの経験からの疑問をいつまでも温存して、それをまた繰り返し繰り返し、似たような体験を重ねる事で、その疑問を解答にまで推論してきた。子供の時に、山に水晶を採りに行った時や溺れかかった時の事など、世界に対する不思議な印象が温存されていた。これは、その延長線上の共通の体験なのだ。
高校一年の二学期に千葉に転校して、高三の春休みに鈍行列車(各駅停車)で、玉野まで帰った事がある。東京から一六時間くらいかかって岡山まで行った。運賃は急行券も座席指定券も必要なく、おまけに当時学生の国鉄(JRの前身)の運賃は一〇〇キロを超えると半額になったので(学割)一二〇〇円位だったと思う。
午后に東京駅を発車して、翌日の早朝に米原に着いた。米原駅には、ホームに鏡と水道の洗面コーナーがあったのでそこで歯を磨いて、米原発下関行きの鈍行列車に乗り換えた。何しろ各駅停車だから、動いている時はともかく、すべての準急、急行、特急列車に追い抜かれるのだから、単線区間は駅で通過列車の待ち時間もかなりあった。それはそれで面白かったけれど。
熱海の先、小田原あたりでの事だった。各駅だから、長距離のお客だけではなく、通勤通学の人やその土地の人の生活列車の役割も当然含まれる。しかし、その時はそういう発想がなかったので、なんの考えもなく夕飯の駅弁を買った。その駅弁を食べていたが、当然ながら客車内はガランとしていて何事もなかった。
ところが駅弁を食べている途中、ある駅でドドドーっと通勤通学の人が乗ってきた。全ての席は埋まり、通路にも立っている。東京のラッシュアワーの七、八〇%位だろうか。昔のSL箱型の客車で、1人で食べていたときに…。それもラッシュだから、凄い。夕方の丁度帰りの時間だったのだ。僕はもう恥ずかしくて、でも、あと少し残っているし、またこの状態が何処まで続くか分らないし、ともかく食べとかなきゃあという事で、恥ずかしい思いをしながら駅弁を食べ終えた。
それはただ、そういう体験なんだ。経験としては、それだけなんだけれど、そこでまた僕の得意な現象学的アプローチが始まる。「何で、僕は恥ずかしいんだろう?」と考える。羞恥心の因ってきたる所は何か。
待てよ…これがもし、全員が遠距離の乗客だったら、駅弁を食べていても別に恥ずかしくはない。その当時のスキー列車とか、帰省列車のように、乗客全員が同じ空間を共有していたら、僕が駅弁を食べていても、満員だからといって恥ずかしくはない。ところが全員が通勤通学の乗客の中で、僕だけが遠距離で、ポツンと一人夕飯を食べている、つまり、客車の空間の全体の中で僕だけが全員の空間からズレているから恥ずかしいのだ。そういう事なんだ。