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(65)生きられる空間

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(65)生きられる空間(234頁)

これは、生きられる空間というその人の実存が持っている空間の問題である。人間は自我が直接に外部空間に接しているのではない。いったん自分の身体の中に外部空間を写し込んで、その空間の中で自我が外部世界に接している。乱暴に言えば、脳の中に自分という小人がいる。自分の中でも自我意識は部分なのだ。

その人の「生きられる空間」に目を向けると、たとえばいじめの問題、車内で気になる携帯電話やお化粧、お年寄りの時代遅れによる戸惑いなどは、すべて空間が違うのだという事が分る。周りの全体が成している空間とズレた空間を生きている人は、周りからは非常の目障りで迷惑な存在なのだ。しかし、その空間の持ち主が多数派になって全体の空間を成せば、車内の携帯電話もお化粧も何でもなくなるだろう。現在は、車内のお化粧が少数派だから、空間を共有していないから、若い女性たちの方が非難されている。もし、非難している怒っている大人がポツンと孤立していたら、その空間では「変なヒト!」と言われて、その人が非難されるだろう。

ヌーディストクラブでは服を着ている人の方が恥ずかしいのと同じで、人間の恋愛もそうだし(僕は、思春期に女性にモテる方法を考え、見付けた)、俳優やタレントなんかのカリスマ性についても、その人の「生きられる空間」を認識すればより分りやすい。その人の「生きられている空間」自体が、自分(自我)ではなくて空間が、そういう現象を発するのだ。

僕が駅弁を食べていて恥ずかしかったのは、あちらの空間とこちらの空間、つまり車内の全体の空間と、自分の空間がずれている事のせいだ。これは、昔の人間のカルチャーショックがそうで、田舎から都会に出て来ると、言葉も含めて今までの空間を都会の空間に組み替え直すのにしばらく時間がかかる。外国に行くのも大変だった昔は、空間が共有されていないから、生まれ育った空間と異なる空間の所にポンと行くと、そこで生活する事だけでも大変な努力がいるのだ。夏目漱石のように。

夏目漱石がイギリスに留学した時、カルチャーショックからだろうか鬱状態になっている。でも今の人は、生まれた時から都会も田舎も、空間というものがテレビを含めて様々な情報で共有されている。外国だって、今は海外旅行に行くことにプレッシャーがかからない。でも、昔は大変だったのだ。

あるいはホステスのいるクラブで飲むとか、一流のホテルで会食するとか、何も知らない「向こう」の空間に順応するまで、昔はいちいち大変だった。今では、情報がまんべんなく行き渡っているので空間の地域差が少ないから平気だろうけれど。

「生きられる空間」を理解すれば、絵描きになって生活している今、前の文章で書いたように海老原喜之助が散歩の時に同じ道しか通らなかったという事の意味がよく分る。

生活空間を海老原喜之助のように一つにすると、絵はおのずと生まれてくる。もし空間を継続しないで、日常生活には別の空間があって、絵を描く時はまた改めて画家の空間に組み替え直すとしたら、絵を描く行為は、日常とは違う仕事というように、分けてしまう事になる。そうなると、絵画は「お仕事」になってしまい、他の分野の平面(デザイン、写真、イラストレーション等)と変わり無くなってしまう。

この空間を、僕の「生きられる空間」そのものを、自分の絵画の空間と密着させるというか、生活と芸術を一つにする。ただ生きていくだけでも人生は辛く厳しいけれども、出来るかぎり生活と芸術を一致させるように努力する。つまり、車内で僕一人が弁当を食べていたとしても、僕が弁当を食べないで、その車内全体である通勤通学の空間の方に合せてしまっては、いけないのだ。

だから、僕が絵描きで、このアトリエに篭りきりになるのは、そういうことなのだ。

出歩きたくないわけではない。皆が僕の空間に合せてくれれば、出歩くのもヤブサカではない。でも、実際に周りは、合せてくれない。僕は柏の町に出たら、単に「路傍の石」だから。アトリエの中では僕は独裁者で、全能感を持って世界とダイレクトに接している、この空間は僕が支配していると思っているけれど、外ではまともな職業ではないあやしげなジイさんに過ぎない。僕の空間に、周りの社会の方が合せてくれれば楽しいだろうけれど、そうではない。

こういう見方を身につけると、世の中が理解し易くなってくる。それぞれの人の実存を見ないで、その人の生きられる空間をイメージする。この人は、こういう空間で生きているんだなあという事をイメージすると、見えてくるものがいっぱいある。

特に世代間、人種間、宗教間、国家間のトラブルなど、こっちが当たり前と思っていると、向こうは「えっ?」と驚く。価値観が違うというのは、生きている空間が違うから、その空間の事を思い描くと理解しやすくなる。

「何だかなあ、恥ずかしくないのかなぁ…」と思うじゃないか。今の子は、もう車内で弁当を食べていても、恥ずかしくないのだろうな。僕は恥ずかしかったよ。

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