美術雑誌『美術の窓』に寄稿した原稿です
セザンヌ、ルノワールに続いて今ゴッホ展も開催されていますが、各展の人気と会場の熱気は美術館の外の美術シーンとは対照的です。なぜに現代の画家の絵は人の心を惹きつけないのでしょうか。その理由は会場に行くとすぐに理解できます。画家ならば、横浜美術館のセザンヌ展での展示のようにセザンヌの絵の隣りに自分の絵を並べて掛けることを想像すれば、その理由がすぐに理解できるでしょう。
モネ、セザンヌ、ルノワール、ゴッホ、モランディー、岸田劉生、坂本繁二郎、梅原龍三郎、林武、・・・美術市場でも、一般の人にも、また絵描きにも人気のこれらの画家の共通点はどこにあるのでしょうか。
それはイーゼル絵画です。現代の画家にはほとんど見かけなくなってしまった、また美術の会話のなかで死語になってしまっている「イーゼル絵画」が上記の画家たちの共通の作画法なのです。
イーゼル絵画との対立概念はアトリエ絵画で、私が画家を志したころは絵描きが絵を描くのに対象を目前に置き、画面と画家の目の位置、つまり〈世界〉と〈自分の立ち位置〉と〈画面〉の3角形を描き始めから描き終わりまでくずさずに作画するイーゼル絵画は画家としては当然のことでした。しかし、美大の卒業時にはもうモチーフをダイレクトに描写するイーゼル絵画は、アメリカから押しよせてきたポストモダンの美術に席巻されて、古くさい過去の様式と見なされました。そして描写絵画自体も、対象を直接に裸眼で見るのではなく、写真や出版物の資料や自分のスケッチや下絵からアトリエで制作する、イーゼル絵画以前の様式のアトリエ絵画にたち戻り、いまやモネやセザンヌやゴッホや林武のように、外に出て眼前の風景の前にイーゼルを立てて描いているプロの画家はほとんどいなくなりました。
私も過去の具象の作品は写真やスケッチを使ったアトリエ絵画で、美大卒業後長年描いてきました。それが、2009年のセザンヌ展、2010年ルノワール展を鑑賞してイーゼル絵画の目のおいしさと同時に、彼らといえども彼らのアトリエ絵画は美のヒエラルキーがおちることに気がつきました。例えれば、生イカはスルメにはなるけれど、スルメは生イカにはなりません。写真はもとより自分のデッサンからでも、一度平面化したものから作画するのは私にとっては安易な制作態度でした。そのことに気づいたので今年の5月から東伊豆に借家を借り、40年ぶりに今年の猛暑のなかイーゼル絵画に取り組みはじめました。成果は今後の私の作品に現われることでしょう。
1925年第一回の渡欧でヨーロッパ近代絵画から大きな刺激を受け、1928年の
第二回渡欧でユトリロやスーチンの作品に深い感銘を受けた国吉は、やがて第二
期に向う新しい傾向を見せはじめた。1922年にパリに戻っていたパスキンとの再
開、また彼の手引きによるヨーロッパの近代絵画やエコール・ド・パリの作家た
ちとの接触は、国吉にとって教えられるところが多かった。それは国吉自身の後
年の回想によって明らかである。
「私はフランスの近代作家から、とくに彼らのメディアムに対する理解の鋭さ
に感銘を受けた。あちらではほとんどの作家が対象から直接に描いている。それ
は当時の私の方法とは異るものであった。私はそれまではほとんど想像と過去の
記憶から描いていたので、その方法を変えるのに苦心した」と、国吉は述べてい
る。この頃より彼の作品に写実性が加わり、好んで女をモチーフにして描くよう
になった。(みづえ1975年10月号、ヤスオ・クニヨシ 祖国喪失と望郷 村木明
)
ここのところが、ベン・シャーンやアンディー・ウォホールや竹久夢二のデザイン的な作品とせザンヌや坂本繁二郎の画の、描かれているものが画面の上に在る、モティーフが画面上の光と空間の中に在るという「物感」の違いではないでしょうか。それが芸術の薫りのするファインアートの魅力なのではないでしょうか。しいては、モネやセザンヌやマチスが切り開いた、人を惹きつけて止まない豊かな芸術の漁場を、現代美術が伝承できなかったことにつながっているのかもしれません。【岡野 岬石(画家)】