(3)芸大受験(20頁)
僕が大学受験をしたとき、受けたのは東京芸大一校だけであった。他の美術系大学は、家の経済的事情では考えられなかった。受験に失敗したらどうしようかと、まったく考えない訳ではなかったけれど、岐路に立った時は、結果を心配するよりも、まずは一歩踏み出して行動する事、ハードルを超える事に全力をつくすべきだという事を、小学生のときに体得していたのだ。(【参照】随筆「うなぎ(男が決断する時は…)」)
思い返すと、芸大に入る前から抽象的というか、日常の生活から遊離した生き方が望みだった。絵に出会う前は、昆虫学者や数学者なんかいいなあと漠然と思っていた。数学者は数式を解くのに一生を賭ける。その知識をお金に換えて生活するという事はまったく頭に浮かばない。
そう考えると、たとえば数学の勉強のためにどこかの大学の数学科に入ったとしても大学を出ると、教師になるか、コンピューターの会社に入るか(今なら投資顧問会社等)、最終的にはすべて具体的な生活になってしまう。そういう現実が、現実の生活が、どうしても私には無理だろうと思っていた。
サラリーマンや教師等々、そういう事は、数学をやるのではなく、職業だ。哲学も好きだけれど、社会の先生と哲学者とは、やるべき事が少し違う。教師など、具体的な生活になると思うと、突然、何故か、いやになってしまうのだ。
他の職業もそういうことだったから、芸大すなわち芸術というものに自分の将来の可能性があると思ったら、天職に出会ったというか、芸大に入ろうが入るまいが、これなら悔いの無い生き方が出来そうだと覚悟をしたわけだ。自分の実存的空間と現実の空間を密着させて生きて行く事が、私の理想の生活だった。
今の生活は理想的だ。こういう風に生きていけるんだと…。現在、その当時漠然と思い描いていた、こうなれればいいなあという生活をしている。数学者だったら、数式を解くのに一生を賭けるというような生活。稼ごうという事を先に考えたら、それは大変だ。
哲学者、芸術家、数学者など…、これらは純粋に、理念で一生を過ごす。現実に張り付いて人生を送らない。思い描いていた通りに、生きていける可能性がある。
僕は現在、その当時思い描いていた理想的な生活をしている。こういう生活をしたかったのだ。僕は、幸運にも今まで画家のほかに職業をもたずに過ごして来られた。一日中絵を描き、芸術の事を考え、それで生きていけるなんて、果報者でいうことなしだ。
という事は、もし芸大に入れなかったらという仮説はあまり切実ではなかった。相当障害はあったと思うし、大変だったろうけれど、入れなくても、別に絵を描いていけばいい事だ。
芸大に入っていなければ、また違っていただろうけれども。でも、落ちたら落ちたで、その時に考えればいいわけで、そんな仮定はそもそも不毛な仮定だ。
当時の僕の気持ちは「やっとめぐり合えた」「人生っていいな」というような喜びの感覚以外にはない。天職とはそういうものだ。