岡野岬石の資料蔵

岡野岬石の作品とテキスト等の情報ボックスとしてブログ形式で随時発信します。

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片瀬白田だより(2011年)

投稿日:2021-01-15 更新日:

片瀬白田だより(2010年) 片瀬白田だより(2011年) 片瀬白田だより(2012年

片瀬白田だより(2011年1月7日〜2011年12月25日)

 2011.01.07 【大島遠望】

暮れの29日から1月の6日まで東伊豆で過ごした。新年といっても画家は他にやることがないので普段どおりに絵を描いていた。写真の場所は迂回路の新白田トンネルを稲取側に抜けた斜面に一軒ある農家のみかん畑から東に大島を望む場所にイーゼルを立てたもの。この自然の光と空間をなんとしてもキャンバスに変換して定着、顕現したい。だって、世界はそうあるんだもの、世界はそうなっているんだもの。

謹賀新年。今年もかわらず画を描いて過ごしていきます。

 2011.01.12 【年金の歳でも】

今週の「片瀬白田だより」は、デジカメを持って行くのを忘れたので、元日の友路(トモロ)岬からの写真を載せます。

明日から新宿で展覧会があるので、いつもはもうⅠ日いるのだが今日柏に帰ってきた。片瀬白田に着いた日(11日)の午后、ロケハンとサイクリングを兼ねて、自転車で稲取の山側をグルッと回った。坂道の斜度が急で登りも下りも自転車を押しどおしで、むしろ歩いた方がよかった。ほとんど休憩なしで登りの時は心臓がフルスロットルで息が切れたが、まだまだ体力は衰えていないと自信がついた。今年年金をもらえる歳になったが、イーゼル絵画にはタンペラマンがいるのだが体力も必要で、「♪歳は取っても櫓を漕ぐ時は元気いっぱい櫓がしなう♪」のだ。

 2011.01.20 【冬枯れのハンの木沢】 

19日は、5月28日に描いたハンの木沢の近くの赤土の法面のある場所に再びイーゼルを立てた。夏の間はススキが生い茂りイーゼルを立てる場所が無くて描くのを諦めていたのだが、ススキが枯れてやっとイーゼルを立てるスペースを確保できた。自然は刻々と様相を変えるので、いつか描こうと思ってもその時にはもう以前の様子と違う。法面のむきだしの赤土も来年には植物に浸食されて小さくなり、やがてただの段差のある雑木林になっていくのだろう。

だから、イーゼル絵画は忙しいのです。

 2011.01.27 【見高入谷から】

26日は、稲取から見高入谷の河津町営の日帰り温泉に行く途中の道の、傍のみかん畑の端にイーゼルを立てた。時折風が強く吹き抜けるので、引出しの後に石を置き、P10号はキャンバス止めに引っ掛からないのでイーゼルに縛り付けた。自然に直接対峙して、ハードルをひとつひとつ克服して描写していくと、スキルが身体に沁み込む感じがする。

じつは、先週片瀬に着いた日の午後、要害山の尾根に取り付き、箒木山の風車まで行って帰ろうと思って登ったのだが、下山で2度も道を迷い、危うく遭難しそうになった。結局、遠回りになるのだが、下ってきた道を息を切らしながら登って風車のゲートまで戻り、舗装した道を下り、帰り着いたのは夜の7時少し前で、かろうじて人に迷惑を掛けないですんだ。自然はナメてかかると恐ろしい。(この事については、近々画中日記に書きます)

 2011.02.02 【宮後から】

2日は白田の伊豆八十八ヶ所霊場31番札所で曹洞宗の古刹、東泉院の横の道からT路路を右に入って、東京理科大学の研修所の上のみかん畑の端にイーゼルを立てた。描き終わってT路路を左に上がるマリンハイツ白田の別荘地に初めて登った。別荘地の一番上の行き止まりの道路から左に登る階段があり、地図には出ていないが踏み跡をたどればアスド会館の上に出られそうなので、そのうちに歩いてみよう。このところ、知らない山道を歩くおもしろさにすっかりハマり、忙しい。それにしても、伊豆の山は人家の近くでも地形が急峻で、迷うと恐いので、来週までには使い勝手のよいGPSを手に入れておこうとおもう。

 

 2011.02.10 【堤の上から】

9日は、晴れたら先週イーゼルを立てた場所を少し上がったところの風景を描くつもりだったのだが、前夜からの雨につづいて午前中曇り空で、室内で以前の描きかけの絵に手を入れていた。午後、雲間から日が差して来たのでジっとしていられず、急きょ予定を変更して、借家のすぐ裏の白田川の堤の上にイーゼルを立てた。画材はキャンバスではなく、水張りした画用紙にアクリル絵具です。前景の家は画面に入れず遠景の友路岬に落ち込む尾根の稜線を描いた。いつもの油彩と勝手が違い、1枚めはてこずったが、2枚めに方向を変え逆光の浅間山を描いていて重要なコツをみつけた。キャンバスに油彩と違って、水墨画や紙に透明水彩等透過する画材で描く場合は、光を加算できないので明度の明るい方のパートを、暗い方で塗り残すように描かなければ、画面の光量がおちてしまう。だから、透明な画材で描く場合は逆光で描いた方が描きやすい。長谷川等伯の松林図が、スクリーンや障子に映る物の影の調子とよく似ているのは、松の周りの紙の白さが逆光の光に変換されているからだ。このことから、次々に推論が広がってくる。(この事については、近々画中日記に書きます)

2011.02.17 【事件は現場で】

16日は、先週描こうとおもっていた、2月2日に描いた場所を少し上がって大畑から下久保方向に右に入ったところにイーゼルを立てた。来た日(15日)の午後も、要害山から風車尾根に取り付く他のルートを歩く予定を変えて、先週描いた堤の上から浅間山をアクリル絵具オンペーパーで2枚仕上げる。こんなにがんばるのも、先週オンペーパーの仕事をして、セザンヌの水彩の作品と油彩の作品とのつながりからヒントを得て、セザンヌが対象をどう見ているかの解釈の糸口をつかんだからなのだ。セザンヌはピサロから印象派の技法を教わり、近代美術の父と呼ばれるような大画家になるのだが、印象派の画家達の光で対象をとらえる捉え方と、セザンヌの後期の絵やキュービズムの画家達の絵のように、空間で対象をとらえる捉え方は質が違うのだ。私は絵を描きはじめた時から一貫して光で対象をとらえてきたが、光でない、空間で世界を変換するスキルを新たに身に付ければ、これからの私の絵は一段とステージを上げることだろう。これも、去年からのイーゼル絵画のおかげだ。「事件はつねに現場(目)で起こっている」。

 2011.02.24 【東浦路】

23日は、2010.01.20と2011.01.20のページに載せたハンの木沢の赤土の法面に3度目のイーゼルを立てた。今回は先々週から取り組んでいる空間の要素を加えた作品への試みだ。イーゼルを立てた写真は1月20日の写真とほとんど同じなので、載せた写真は、アスド会館の体育館の裏でみつけたビューポイント。遠景の木立に葉が出たらイーゼルを立ててみようとおもう。

描き終えた後、2月4日に載せた「描き終わってT字路を左に上がるマリンハイツ白田の別荘地に初めて登った。別荘地の一番上の行き止まりの道路から左に登る階段があり、地図には出ていないが踏み跡をたどればアスド会館の上に出られそうなので、そのうちに歩いてみよう」の道を、アスド会館の方から下りてみようとおもい登山靴をリュックに入れゼンリンの地図を用意して歩いた。地図には出ていないが、その道は稲取と白田をつなぐ古道だったらしく、以前歩いた旧稲取灯台から友路トンネルの白田側の横に出る東浦路(天城峠を越える下田街道とは別の、東伊豆の海沿いの古道)の別ルートであるにちがいない。伊豆の山を歩くのことは、画家としてのロケハンを兼ねているので面白さが倍増する。

 2011.03.03 【河津桜(1)】

2日は2月17日に載せた場所を少し上った平戸にある農家の作業所だったらしい廃屋の庭に咲いている満開の河津桜を描いた。河津桜はピンクがつよく、染井吉野よりやや品が悪いが絵にするにはちょうどいいかもしれない。もう一ヶ所、北川(ほっかわ)の長磯の崖の上にある展望場所だったらしいさびれた広場にある桜を描こうとねらっている。北川の方が本命で、河津桜ではないので咲くのはまだまだ先だが、時期がバッティングしないのでこちらにとっては都合がいい。

描いてみると、周りの情景がうまく画面に入り、河津桜のピンクもカーマインとホワイトの混色で気にならず、むしろ白っぽい染井吉野より画面の色としてはいいかも知れないので当日は快調に筆が進んだ。河津桜は、観光ポスターで見なれた河津川の両岸の写真などからあまり期待していなかったのだが、周りのロケーションのおかげで予想以上にうまくいきそうだ。気を良くしたので、また河津桜は開花の期間が長いので、来週もキャンバスをかえて描いてみようとおもう。2日は曇り空だったので、来週晴れるといいけど。

 2011.03.11 【河津桜(2)】

9日は先週の場所に行って2枚描いた。快晴で、河津桜のピンクと空のセルリアンブルーが美しい。東伊豆はもうウグイスが鳴きはじめた。ヒッソリと描いていると、メジロ、ウグイス、ツグミ、ヒヨドリなどが間近に飛び回り、〝チョットコイ〟の声はすれども姿は見えぬコジュケイも足もとのすぐ近くまで地面を突つき廻り、初めてその姿を見た。開花の期間の長い河津桜ももうそろそろ終りで、散りはじめた花びらが風に舞い、「時間」が現象として、目に見える形象として動いているのだと実感する。時は常に流れている。「諸行無常」のやさしい風が身を包み、無為の誘惑が忍び寄る。しかし老人は「諸行無常」の循環の輪の中に締念してはならない。もうひと踏ん張り「美」に向かってがんばることにしよう。

 2011.03.31 【坂道】

30日は、冬のあいだ道路工事のために通行禁止だったセンゲン山の風車への道がやっと開通したので、震災後久しぶりの東伊豆で風車の手前の坂道の前にイーゼルを立てた。道ばたのシートや風車は画面からはずして、新しい道路は半分自然に浸食されていた以前の道に直して描こうとおもう。震災で2週間伊豆に来れなかったので外で描くよろこびに全身が浸された。

 2011.04.07 【山桜(1)】

6日は、伊豆急北川(ほっかわ)駅の近くの「望洋公園」と名前の大きな割に人に出会ったことのない崖の上の小さな広場にイーゼルを立てた。海に向かっての当初予定していた山桜はまだ一分咲きで、やむなく奈良本の風車尾根の方向の山桜をモチーフにする。今回は、対象が画面の中にうまく入らなかったので、アトリエで大幅に構図を変えることになるだろうが、それはそれで、自分の描画上の腕力を強くするのに役立つのだ。画の上の苦労は、どんなことでも楽しい。美の女神に対して私は、ひたすらドMなのです。

 2011.04.13 【山桜(2)】

13日は、今まで何度も描いた場所だが今回は桜の咲く友路(トモロ)岬で午前中は筆を走らせ、一服して午後から稲取に抜ける迂回路の途中から下りて、小さなみかん畑の斜面に咲いている白い山桜に向かってイーゼルを立てた。かろうじて果樹園が生きているのでここまで入ってイーゼルを立てることができ、また前面の視界が開けているが、人の手が入っていなければとても絵など描けなかっただろう。1週間前は満開だったがすでに盛りを過ぎ、また当日の強風で、この絵が今年の桜の絵の打ち止めだ。イーゼル絵画は描ける時に描いておかないと自然は刻々と様相を変えるので2度と同じ情景は見られない。「地のオファー」は注文がなければ暇になるが、「天のオファー」は忙しい。

 2011.04.21 【舗装されていない道】

20日は、浅間山(せんげんさん)の風車の近くのパラグライダーのテイクオフ場に向かう舗装されていないダブルトラックの坂道にイーゼルを立てた。岸田劉生の有名な切り通しの絵のような舗装されていない、そして薮に視界を邪魔されないで、夏は蚊やアブや蜂が出ない、そんな道に出会う事は今や奇跡的だ。今は新緑の若葉と枯れたススキと青空の組み合わせが変化があって描きやすいが、夏の緑や秋の枯れ色も描いてみたい。

来週はここから反対側の天城山とその手前の新緑の木々と枯れ草の尾根を描いてみようとおもう。ススキが緑に変わらないうちにイーゼルを立てないと、アッという間に自然は様相を変えてしまうのだから。

 2011.05.05 【天城ハイランドから三筋山を】

連休中は結局9日間片瀬白田にいた。いたうちの1日は浅間(せんげん)山の風車への道の途中で、もう1日は天城ハイランドの別荘地のなかの、白田川をはさんで三筋山の見える対斜面の道路の上にイーゼルを立てた。天城ハイランドで1泊したペンション『エルブルズ』までの行帰りは水力発電所の取水池から戸塚尾根を歩いて行こうとしたのだが、登りは問題なかったのだが今度も下りで迷ってしまった。前回奈良本の風車までの要害山の 尾根道で迷った経験から、事前の情報は用意していたのだが、登山道のない道は地図をよむ力がないとどうにもならないことを思い知らされた。木立の中に入ると自分の現在地が地図上のどこにいるのかが分からないのだ。何度もグルグルまわってしまった。結局天城ハイランドまで戻りタクシーを携帯で呼んで帰ったのだが、もう山には懲りました。エルブルズで天城山の登山ガイドの人を紹介してもらったので、登る時には案内してもらおうとおもう。あ~くやしい。

 2011.05.12 【雨で】

10日の夕方からの雨が今日まで続き、今回の東伊豆は借家から一歩も出なかった。体調もよくなかったので(急性副鼻腔炎らしく、明日医者にいこうとおもう)かえって雨で閉じ込められてよかったのかもしれない。それなので載せた写真は、連休中にイーゼルを立てた2ヶ所のうちの先週載せた天城ハイランドとは別の場所と、浅間(センゲン)山の風車尾根から天城山の万二郎(バンジロウ)岳の方向を見た写真です。

 2011.05.19 【光のコンポート】

18日は浅間(センゲン)山の風車に向かう道の横にイーゼルを立てた。天気もよく木々の葉も陰影が濃くなり枯れ色だったカヤの斜面も、夏に向かって内側から緑に変わりはじめている。こんな美しい自然の光の中で筆を走らせていると、世界をキャンバスに描写定着する力を持てたこと、つまり画家になり画家として生きてこられたことの幸せをしみじみと感じる。この眼前の存在の空間と、空間からあふれこぼれる光をキャンバスに描写定着できれば、画面は自動的に美しくなることだろう。

 2011.05.26 【坂道】

25日は、先週描いた浅間(センゲン)山の風車に向かう道の横のほぼ同じ場所にイーゼルを立てた。木枠が20号でMサイズ(縦横の比率が細長い)のキャンバスにしたので、坂道の両サイドの木立を画面にいれることができる。道路は新しく舗装されて色がわるいので昨年までの砂利道に変えて描こうとおもう。この浅間山の風車に向かう道はアップダウンのきつい場所が数カ所あって、また道の左右が刈り払われたのかススキの原になって眺望がきくので、この場所の他にまだ数カ所モチーフになりそうな坂道がある。この構図がうまくいきそうなので、20号Mのキャンバスであと数点坂道を描いてみようとおもう。

 2011.06.02 【枝付きの枇杷の実】

Ⅰ日は、大家さんの敷地内にビワの木が数本あるので、黄色く熟れた実を一枝貰って、小品を数点手をつけた。ツヤのある肉厚の葉の濃いグリーンとイエローオレンジの実は以前から描いてみたかったのだが、借家の窓から黄色く色づいたビワの木が見えたので急きょ予定を変更してⅠ日中室内で過ごした。去年お亡くなりになった先輩画家の三栖さんの残されたたくさんのキャンバスを奥さんからいただいたので、惜しげもなく使える。木枠も、キャンバスも、絵具も、途中できれると制作を中断しなければならない恐怖から、常に充分の量のストックを保持するようにしていたのだが、この歳になってみると、描けないで余らせてしまうかもしれない。イーゼル絵画は対象の視角に画角を合わせなければならないので、10~15号のキャンバスが一番描きやすい。いきおい、大作と小品のモチーフが限定されるので、ストックしてある大作と小品の木枠が使いきれない可能性が大だ。しかし考えてみれば、画材、本や写真集や画集、取材旅行、モデル、借家、アトリエ等画に関する出費は美大卒業後いつもクリアーできたことは、そしてなんとか死ぬまでこのまま行けそうだということはなんと幸せなことなんだろう。残された人生を使いきることと同時に、ストックしてある画材を全て使いきることを道標の1つに加えて「村の渡しの船頭さん」は櫓を漕いでいくのだ。

 2011.06.09 【イーゼル絵画の弱点】

8日の東伊豆は、例年より早い梅雨入りから、午後から日も射して来たのだが午前中が雨で外に描きに出られなかった。中途半端な時間から晴れたので、また、途中で雨にあう心配があるので結局Ⅰ日中家から出なかった。セザンヌは、強風の中でキャンバスを飛ばされ、せっかく途中まで上手くいっていた絵を癇癪を起こして地面に叩きつけたり、外で制作中に大雨に濡れ、肺炎を起こして寝付いたのが原因で死んだ。イーゼル絵画の弱点は風景がモチーフの場合、天候によって外にイーゼルが立てられないことや、大きなキャンバスの絵も外で直接描くのは困難だ。人物画の場合はドガの絵のような、人間や動物(競馬場の作品)の瞬間の動きはスケッチやクロッキーや下絵や写真を使わないと、ダイレクトにモチーフをキャンバスに変換できない。

というわけで、当日は、イーゼル絵画ではないのが心苦しいのだけれど、以前から描いてみたかった自然の中の裸婦(これも、イーゼル絵画では困難)を、写真集(イーゼル絵画をやる前から用意していた)からひろって描いてみた。もちろん、もう1年もイーゼル絵画で目を鍛えているので、写真を素材にするデザインやイラストレーションの方向に作品化するのではなく、イーゼル絵画のダイレクトに目でモチーフと交換する結果うまれる、キャンバスに描かれている世界は画家の眼前の世界を画家の目で直接捉えたもの、つまりキャンバス上に成されているものは、画家の眼前に存在しているというリアリティー、「物感」をだすように描くつもりだが、うまくいくかどうか。うまくいくと、作品の素材は一段と広がるのだけれど。

 

 2011.06.16 【イーゼル絵画は坐禅に似ている】

15日は3週間ぶりに屋外で筆を走らせた。かろうじて、梅雨の間の雨のふらない1日で、曇り空だったが充分に楽しんだ。この写真の場所も以前に何点も描いた浅間山(せんげんさん)の風車に向かう坂道の途中で、車はほとんど通らないので道路の右端にイーゼルを立てる。風景画はなるべく晴れた方が良いのだけれど、曇りの日には、「光」よりも「空間」の比重を上げれば問題ない。1年間ほぼ毎週イーゼル絵画に取り組んできて、着実に描写力のスキルがアップしていることを実感する。65歳を過ぎてもまだまだ伸びしろがあるということで、こうやって死ぬまでイーゼル画を描き続けられたら、「竿頭進歩」も禅問答ではなくリアルな命題になってくる。近々『道元』(和辻哲郎著、河出文庫)を【読書ノート】にアップしますが、「仏性」を「美」に、「坐禅」を「イーゼル絵画」に対応させると、すらすらと読み解けて面白かったし、勉強になった。西田哲学も道元もこの歳になってハッキリと理解できるのは、1年前からのイーゼル絵画への挑戦と、その体験のおかげだと思う。

 2011.06.23 【ウレシくて、張り切り過ぎ】

22日は6時頃目を覚ましたら、このところ続いていた雨か曇りの梅雨空が、スッキリと晴れて青空が見えたのでうれしくなって、前日10号のキャンバスを2枚用意していたのだが、急きょ8号のキャンバスを2枚張って加え、いつもより早めに浅間山(せんげんさん)の風車尾根に向かった。久しぶりの太陽の下で、小鳥がさえずるように4枚のキャンバスを絵具でうめていった。外光で絵を描くと、太陽の動き(陰影の変化)や雲や天候の変化で、変化の幅の少ないうちに速写しようとするので、筆を持つと少しも休憩する暇がない。結局、持っていった4枚のキャンバス全部に手をつけて、このところの太陽光への欲求不満は解消したのだが、やっぱりすこし疲れた。疲れたけれども、翌日(つまり今日)の午前中、借家の庭に植えたクチナシの花が咲いたので、青い切り子のグラスに入れてサムホールのキャンバスで2点手をつけた。自分のタンペラマン(気質、根性)が、まだまだ衰えてはいないことに満足するが、柏に帰ってきて、今、パソコンのキーボードをたたいていると、さすがにグッタリする。こういったことを、「年寄りの冷や水」というのだろうか。

 2011.06.30 【猛暑日に】

29日は先週に続いて朝から快晴。先週、初めてⅠ日に4枚のキャンバスに手をつけることができたのに味をしめて、今回も4枚キャンバスを持って行ったのだが、暑さと直射の陽の光で途中でバテ、結局10号と8号の2枚しかキャンバスをうめられなかった。ジャーに入れて持っていったスポーツドリンクもほとんど飲み干し、全身汗でぐっしょり、特に額の汗は流れて目に入るので描きにくくてしょうがない……、これから夏にかけてのイーゼル絵画は暑さとの戦いだ。イーゼルの前の茅もこれ以上伸びると視界をさえぎるので、このポイントは来週がタイムリミットかな。写真の作品はP10号なのだが、右にある木立をもっと画面に入れた方がよさそうなので来週は同じ場所でM20号のキャンバスで描いてみようと思う。

イーゼル絵画は時間的、身体的、金銭的にはかなり厳しくキツいが、その分に相応しての実際の絵画上のスキルの発見と向上は著しく、楽しくて麻薬のように画家を虜にする。「事件は常に現場(眼)で起こっている」のだから。

 2011.07.06 【マーキング】

6日は、先週描いた場所にイーゼルを立て、角度を変えてM20号とP10号の2点のキャンバスに手をつけた。この場所は写真の左上に見える浅間山の風車のための車道ができる前の山頂までの遊歩道の跡らしい。枯れ草のころ、道の跡がのこっていて知っていたのでこの場所まで来れたが、今は両側の茅が大人の胸くらいまで覆いかぶさりこの季節にこの道を歩く人はいないだろう。今週も行ってみると、先週イーゼルを立てた場所の草が踏みしだかれて凹みとなってのこっていた。その存在を認識する人がいようといまいと、ジャブジャブと気前よく垂れ流され、刻々と過ぎていく美しい自然のなかに、1週間前の自分の立ち位置の痕跡がはからずもマーキングされている、なんだか嬉しいような誇らしいような気分だ。

これで、ここで手をつけた作品が完成できれば、世界存在の美を顕現したことになり、自分の存在の痕跡を世界の中にマーキングしたことになる。自分の満足のためにだけ世界をわざわざ汚して周りを不快にさせる、腹立たしい落書きとは正反対の行為だ。美を顕現させ、周りを幸せにする悦びを1度でも経験すると、麻薬のように虜になってしまう。だから、ハイリスクノーリターンの「芸術」に人生を賭ける人が絶えないのだ。代償は、現場で画家に対して、すでに支払われているのだから。

 2011.07.13 【夏空】

13日は、先週、先々週に続いて同じ場所から角度を変えて、梅雨も明けた夏空の下で、F8号のキャンバス2枚に筆を走らせた。写真の茅原の少しへこんだラインが下りて来た道。この日は、日差しは強かったが、湿度が低く風も適当にあったので、気持よく快調に描画した。海側の水平線の上には、普段ここからは白く霞んでほとんどボヤケてしまう伊豆大島のシルエットも、くっきりと空間に刻んでいる。来週もこんな天気で、大島と青い海が見えれば、アスド会館の裏の、前からねらっていたビューポイントにイーゼルを立ててみようと思う。ここ何週かかよった浅間山の風車尾根の道は、まだ何ヶ所かのポイントを描き残しているのだが、イーゼルを立てる条件が良く、いつでも描ける場所なので後回しだ。

 2011.07.21 【台風で】

20日は、台風の影響で風雨が激しくて、終日家に閉じ込められてしまった。室には描きかけのキャンバスが何点もたまっているので、絵を完成させるには室内でもやることが沢山あるのだが、外光の中でダイレクトに描画しないと、欲求不満に落ち入る。昨日のように1日中閉じ込められて、外にイーゼルが立てられない週が2、3週続くと禁断症状がでそうだ。イーゼル絵画を自分の描画の方法にすると、ゴッホ、セザンヌ、マチス等が南仏の明るい陽光に狂喜したことがよく理解できる。

外に出られなかったので、5月19日の【片瀬白田だより】にアップしている写真と違う方向を、同じ日に描いた写真を載せました。完成した作品は今のサイトのトップに使っています。

 2011.07.28 【今週も雨】

27日も雨で外に出られず、3日間とも屋内で過ごした。梅雨は明けたと気象庁は発表したのに、こんな気候を戻り梅雨というのだろうか、ジメジメして鬱っとうしくてに頭の中にカビが生えそうだ。学校は夏休みに入り、国道135号線沿いの伊東あたりの海水浴場の海の家の呼び込みもはじまっているのに海岸の人出は少ない。

という訳で、外に出られなかったので、6月23日の【片瀬白田だより】にアップしている写真と違う場所を同じ日(6月22日)に描いた、『海の見える坂道』の写真を載せました。作品は出来上がって【近作/横型】に載せていますし、今日からトップに載せている写真は同じ作品の写真です。

 2011.08.04 【3週間ぶり】

3日は、前日まで長く続いたはっきりしない天気が、早朝から日差しが窓に映っていたのでうれしくて、朝食をとって早めにアスド会館の裏の茅原にイーゼルを立てた。写真は午前中と少し場所を変えて午後からの2枚目のキャンバスで、午前中は霞んで見えなかった伊豆大島が思わぬ高さで姿を現した(写真中央の雲の下の青いぼんやりしたシルエットが島影)。島はまるで中空に浮かんでいるようだ。左手前方の松の木の陽の当たり具合を含めてこの場所は午後の方が光の具合は良い感じだ。空と海は太陽の位置や雲や天気の関係で刻々と変化するが、描いている途中で、大島の左側の水平線が海の方が空よりも明るい(白い)ときがあった。来週は9日から18日まで東伊豆に居続ける予定なので、他の予定の作品を描く間に、6号くらいの作品でそんな海と空と遠景の伊豆大島の絵を描いてみようと思う。自然は楽々と卑小な人間の予想を超える。そして事件は常に現場で起こる。

 2011.08.16 【夏空】

先週は9日から今日(16日)まで東伊豆に居続けた。写真は10日に、いつものビューポイントの浅間山の風車の丘への坂道でのもの。今回は外で描いたのはココでの2枚のみで、あとは室内で以前の作品に手を加えたり小品を何点か描いたりして過ごした。来週は『視惟展』があるのでこちらには来られず、再来週も来るかどうか分からないので大家さんに9月分の家賃を払っておいた。

1点の絵が完成するには、いくつかの障害を越えて、いくつかの偶然が重なってカードを揃えなければ作品としてこの世に顕現できない。まして高い役のカードを揃えようとするならばより一層のタンペラマンが必要だろう。実存が生きていく基盤を、その上に立ち上げる芸術世界に耐えられるように整地しないと芸術そのものが瓦解してしまう。実存の生老病死によって前線から撤退を余儀なくされるのはなんとしても避けたい。肉体には「食う寝るところに住むところ(落語の『じゅげむ』にでてくる名前の一部)」の兵站は必要だが、精神にも、意志を持続し維持するための兵站の補給は欠かせないのだ。

 2011.09.01 【白く塗った石】

8月31日は台風の影響で時々驟雨が通り過ぎるので外に描きに出られず、家の中で前の絵に手を入れたり静物を描いて過ごした。写真のモチーフの白い石は、昨年の11月19日に載せた3個の石の1つでターナーのネオカラーのホワイトで白く塗ったもの。あの時の3個の石の絵はまだそのままで完成できずにいます。石の色が気に入らないので白く塗ってみたら石膏でできた石のようになって、デジカメで掲載写真を撮った後、すんなりと前回描き始めた1枚目が完成した。雨で外に出られない時はこの石を組み合わせて何枚か描けるだろう。気を良くしてF5とF4のキャンバスを張って3個の石のうちの他の石を同じ場所に置いて着手したが、これも停滞なく完成できるだろう。自画自賛ですが、普通の石を絵の中で白くするのと違って、石を白く塗るというアイデアはなかなかのものでしょう。石を違う色にするという手もあるし、以外に伸びしろがあるモチーフかもしれないなぁ。

 2011.09.08 【3週間ぶり】

9月7日は、先々週の藤屋画廊の『視惟展』と、先週は台風の影響の驟雨で屋外に出られず、3週間ぶりに晩夏の光にひたることができた。イーゼルを立てたのは午前中浅間山(センゲンサン)の風車尾根と午後アスド会館裏の茅原で、写真のアングルの絵はこれで3枚目だ。イーゼル画はキャンバスサイズ、季節、時間、天候でモチーフが刻々と変化するので何点描いても限界がない。だから「イーゼル画にスランプなし」である。絵が出来ないのは自分の描写技術の拙さ故で、日々の勉強と修行しかそれを克服する道はない。

道元は言っている。「たとい人は弱いものであるにしても、ある人々はそれをなし遂げたのである。我々のみがその道を踏み得ないわけはない。もとよりこの道は困難である。が、本来仏法そのものが釈迦の難行苦行によって得られたものではないか。本源すでにしかりとすれば流末において難行難解であることは当然であろう。古人大力量を有するものさえも、なお行じ難しと言った。その古人に比すれば今人は9牛の1毛にだも及ばない。今ひとがその小根薄識をもってたとい力を励まして難行するとも、なお古人の易行には及ばないのである。その今人が易行をもってどうして深大な仏の真理を解し得るか。困難であるゆえをもって避け得られる道ならば、それは仏の真理ではない。(学道用心集第6)」

 2011.09.15 【同じ場所でも】

14日は今年の1月7日の【片瀬白田だより】に載せた写真とほぼ同じ場所にイーゼルを立てた。この場所は果樹園農家の敷地内なので、また入口はいつも開いてはいるが門もあって「立ち入り禁止」のカンバンもかかっているので、1月に描いた時に菓子折りを持って挨拶にいっておいた。一度挨拶をしているおかげで、ポイントに入る途中で農作業中の老夫婦に会った時に説明や言い訳をすることもなく、また描いているところを見に来られることもなく、ノビノビと気持よく筆を走らせることができた。

同じ場所でも季節が違うとこうも印象を変えるものなのか、青い海と緑の斜面、9月になってようやくクッキリとした輪郭をあらわした伊豆大島(夏の間は水蒸気の関係か風向きのためなのか白く霞むことが多い)、大島の上にポッカリと浮かぶ白い雲。風景全体が、その風景の中にいる私の身体全体が青く染まりそうな心地がする。

イラストや工芸やデザインではない、ファインアートを目指す画家の皆さんはイーゼル絵画をゼッタイにやるべきです。イーゼル絵画をやると幸せになりますよ、私のように。

 2011.09.22 【日々草】

21日は今回の台風で室内に閉じ込められ、おまけに風雨のために雨戸を閉めたので自然光が入らず静物画も描けなかったので、一日中溜っている描きかけの絵に手を入れて過ごした。翌日、つまり今日は快晴だったので、午前中写真の日々草を、サムホールと0号で4点手をつけた。この夏の間中、人が居ようと居なかろうと、借家の庭で陰日なたなく、けなげに咲き続けて目を楽しませてくれた花の美しさを描写、定着できれば、画家冥利につきる。もちろん、手をつけたのは4点だが1点1点、出来上がるのは何時になるか分らない。

イーゼル絵画は、実存上の様々な条件と、天候や季節、キャンバス上のひとタッチひとタッチの偶然がすべて揃ってはじめて絵が完成するので、過去の名画と呼ばれるイーゼル絵画の作品は一期一会で奇跡的なのだ。いつでも簡単に同じ作品が再生産でき、また代作や発注が可能な作品は、工芸品と言えても芸術とは言えない。何故なら、キャンバス上に変換する全ての情報は、ひとタッチといえども画家自身の目の中で起っている現象なのだから、また、その全てのタッチを画面の光と絵画空間に揃えないと完成とは言えないのだから。

 2011.09.29 【秋日の天城山】

28日は借家から歩いていける、中芝原の農地跡にイーゼルを立てた。秋日の天城山が美しい。この場所に入る道は昔から使われていたものらしく、長い年月使われた為に深く掘り割り状にえぐれた場所があったり、下って湯ケ岡の集落の入口の家の前には塞の神様なのか道祖神なのか何本も苔むした石柱が立っている。しかし、今はほとんど歩く人がいないので夏草の薮に覆われて、この美しい風景に出会う人も、それに対峙して絵に描く画家も、私以外はいないだろう。こういう所で、一人筆を走らせていると、天からのオファー(「お前しか、今この美しさに気付いている人はいないし、この美しさを描写、定着するするスキルを持った画家は今いないのだから、シッカリ描写するのだよ」という)を自分だけに選ばれ託された、誇りと恍惚感にひたされる。画家にとっての代償は、キャンバス上ですでに支払われている、ということだ。

(注;天城山という山は実際には無く、天城山系の山々で、写真の雲の下のピークが「万三郎(ばんざぶろう)岳」(1405m)でその右の尖ったピークが「万二郎(ばんじろう)岳」(1299m)です)

 2011.10.06 【室内で】

5日は、今年の1月27日の【片瀬白田だより】に載せた見高入谷の同じ場所で、木の葉の落ちないうちに描こうと思って用意していたのに、あいにくの雨に降り込められ、室内で先週と先々週の絵に手を入れて過ごした。これで、来週も再来週もその場所に行けなくて、遠景の木立の葉が落ちて狙っていた風景が描けなくても、天がそのように私に采配しているのだから、黙って諦めるしかない。その分、イーゼル絵画でモチーフに恵まれ、思い通りに絵が仕上がった時の喜びは、画家にとって他には替え難い。イーゼル絵画は、実存上の様々な条件と、天候や季節、キャンバス上のひとタッチひとタッチの偶然、そのような無数の偶然の断片を、画面上の在るべき場所にキッチリと揃えてはじめて1枚の絵が完成するのだから、そのような方法で出来あがる美しい絵は、一期一会で2度と再生産できない。それが、名画が画面から放射する「芸術」の薫りの大きな基になっているのであろう。

 2011.10.13 【花梨(カリン)】

12日は、先週雨で描けなかった、今年の1月27日の【片瀬白田だより】に載せた見高入谷の同じ場所でイーゼルを立てた。P12号とP10号のキャンバスで描いたのだが、右側の視界をもう少し入れた構図も画になりそうなので、来週もMサイズのキャンバスで描いてみようとおもう。こんな時、去年お亡くなりになった三栖さんの残されたキャンバスをたくさん貰ったので助かっている。画の上で、どちらにするかの選択に迷った場合、両方ともやればいいのだから。

生活の上では慎ましく出費を削っても、芸術の上では、時間もお金も材料(物)も、ケチってはいけない。自分のスキルの手に余る美しさが対象(モチーフ)にある場合には、画家は「眼の世界」に集中するので、〝認識〟と〝描写〟に撤していて、頭のなかの〝表現〟や〝イメージ〟が画面の中に入る余地は少しもないのだから、そういう、ゴージャスで崇高なモチーフを求め、探し、用意し、その前にイーゼルを立てるべきだ。チープな材料で、勉強や修行の努力に時間をかけないで、結果だけ人を感動させる芸術作品を捻(ひねり)り出そうなんて、土台無理な話である。

あいにく現地にデジカメを忘れたので、載せている写真は、今日の午前中、大家さんの庭になっていた花梨の実を枝付きで切らせて貰って、それをモチーフにしてサムホールのキャンバスに描いているところのもの。来週天気がよければ同じ場所で描く予定なので、戸外の写真は来週載せます。

 2011.10.20 【見高入谷で】(1)

19日は、先週と同じ場所の、稲取から見高入谷の河津町営の日帰り温泉に行く途中の、農免道路の傍のみかん畑の端にイーゼルを立てた。この場所はこれで3度目だ。入谷という地名のごとく谷が入り組んでいて、かなり急坂の曲がりくねった道ばかりで、枝道に入ると地図を用意していても迷ってしまう。谷の空間の変化がある、絵になりそうなビューポイントが歩けばまだまだありそうなのだが、イーゼル絵画は、絵具箱とキャンバスを現場まで担いでいかなければならないので、車の通れる道を大きくは外れられない。谷あいの視界の開けた場所は、風が強く吹き抜けるので、イーゼルの引出しの後に持っていった重しの石を置いて描いたのだが、それでもキャンバスがあおられるので、結局この日はM15号Ⅰ枚に手をつけただけで午前中でイーゼルをたたんだ。セザンヌはサン・ヴィクトワール山を描いていて、途中の画を風で吹き飛ばされ、癇癪を起してキャンバスを踏みつけた、という。そんな日でもイーゼルを立てて画を描き続けていたのが凄いことで、ゴッホやセザンヌのタンペラマンの強靭さに、あらためて感服する。

でも、僕チャンもう老人だもんネ~。タンペラマンの弱くなるのはしょうがないワ。

2011.10.27 【見高入谷で】(2)

26日は快晴で、先週と同じ場所で、強風のために描き残した絵を午前中に1枚描き、午後からそのすぐ上の荒れたコンクリート道路の上から、下の農免道路を画面の真中に入れてP10号で描いた。来週もこの場所で今度はF10号の縦と横で2枚描いてみようと思う。この場所は写真のように地形が入り組んでいて、空間が面白い。こんなポイントが眼に入ってくるのは、光で対象をとらえる従来の自分のスキルに加えて、空間で対象をとらえるスキルが身に付いてきたためであろう。加えて、最初描こうとしたポイントより左にずらして、写真の左側の槙の木と右手前のミカンの木の近景を画面に入れた。

セザンヌの近景の立ち木の枝や、マチスの窓と窓の外の風景を同じ画面にとりいれた作品のように、近景を画面に入れると、空間も明暗の調子も、その描写が格段に複雑困難になるけれども、そのハードルを越えられれば、画家の立ち位置が画面上で明確になる。画家の立ち位置が画面上で明確になれば、鑑賞者は画家の目にシンクロして、画家と同じ対象を見ている実感をトレースするのでモチーフの「物感」が強く表われる。「物感」、その感覚がデザインやイラストや写真とファインアートの違いなのだ。

イーゼル絵画は、画集などと違って美術館などで現物の作品を前にすると、キャンバスの大きさや筆のタッチなどで、作者の眼にシンクロするので、まるで自分が描いているような気持になる。そのため、作品の絵画空間は壁の位置に在るのではなく、その画を描いた画家と同じように画面から鑑賞者の網膜の位置まで隙間なく埋まっているように見える。名画は例外なくそうなっている。……そんな絵を私も描きたい。

2011.11.03 【見高入谷で】(3)

2日は、先週と同じ場所で、F10号のキャンバスを縦と横に使って、2枚手をつけた。最遠景の見高の山神様のある山から、近景のミカンの木まで画面に入れて描くと、絵画上のいろいろな問題に気付く。

トンネルの中から、トンネルの外の風景を描くとすると、近景のトンネルを画面に入れなければ、トンネルの中にイーゼルを立てたという状況が分らず、ただの風景画になってしまう。つまり、近景のトンネルから立ち位置までの空間が抜け落ちてしまう。そのために、画家自身を含んだ、オールオーヴァーな空間に穴があき、鑑賞者は画家の目にシンクロしにくくなるのではないだろうか。

2011.11.10 【縦構図、横構図】

9日は、2010年11月4日の【片瀬白田だより】に載せた同じ場所、伊豆大川の赤崎の崖の上を通る県道(旧国道135号)から汐見崎別荘地に上る道路の端にイーゼルを立てた(載せた写真はその時の完成した作品)。

キャンバスの大きさの問題は、すでに私の画では決着はついているのだが、先々週からの近景の問題を考えているうちに、今まで特に理由もなく本能的、感覚的、恣意的に選んでいた、キャンバスを縦に使うか横に使うか、あるいはM、P、F(縦横の比率が違う)のどの型のキャンバスが最適なのかという命題の、推論の糸口を見つけた。その検証のために、この絵の場所でF12号のキャンバスを縦と横の2枚で描いてみた。

現時点での仮説は、動画で風景を撮るとして、カメラを縦に動かす時は縦構図、カメラを横に動かす時は横構図に決まってくるのではないだろうか。逆から考えれば、持って行くキャンバスによって、眼前のモチーフの視角および視線が限定されるということになる。この問題に決着をつけなければ、富士山のような遠景から近景まで広大な風景を描く場合に、現場で立ち往生するだろう。

目の高さにある、つまり横に視ている遠景の大島から、下を視ている崖下の波打ち際の岩までを視線を縦に動かして、この絵を、縦構図で描いたらどんな画になるのだろうか、というのが今回この場所でイーゼルを立てた動機で、さて、どんな作品ができるのだろうか。

2011.11.17 【近景、縦構図】(1)

16日は去年(2010年)の10月1日と11月25日に載せた同じ坂道にF10号のキャンバス2枚を持って出かけた。1枚目は11月25日と同じ逆光の坂道を縦構図で、2枚目は光の違う同じ坂道を描く予定を変更して、イーゼルの向きをを下りに回し(イーゼルから左上に向って下っている)写真の右手の坂道の横の雑木林をやはり縦構図で描いた。こんな所は今までの私の守備範囲では、1度もモチーフとして目に入らなかったビューポイントで、今までの視線を横に動かす視角の広い風景に、このような近景から遠景まで視線を縦に動かす風景が加われば、モチーフは一気に広がり、かつ、画家の網膜から無限遠点までのオールオーヴァーな空間が変換できるだろう。

しかし、いざ描いてみると、空間の入り組んだ近景はもつれた糸のように複雑で、それを的確に描写するのは面倒で根気がいる。歳をとるとこんな時に弱気になったり、またラクをしようとしてついつい近道を捜そうとする気がおこりがちだ。「でも、僕チャンもう老人だもんネ~。タンペラマンの弱くなるのはしょうがないワ」なんて、ナサケナイ。ナニクソ!……道元も言っている。

「たとい人は弱いものであるにしても、ある人々はそれをなし遂げたのである。我々のみがその道を踏み得ないわけはない。もとよりこの道は困難である。が、本来仏法そのものが釈迦の難行苦行によって得られたものではないか。本源すでにしかりとすれば流末において難行難解であることは当然であろう。古人大力量を有するものさえも、なお行じ難しと言った。その古人に比すれば今人は9牛の1毛にだも及ばない。今ひとがその小根薄織もってたとい力を励まして難行するとも、なお古人の易行には及ばないのである。その今人が易行をもってどうして深大な仏の真理を解し得るか。困難であるゆえをもって避け得られる道ならば、それは仏の真理ではない。(学道用心集第6)」

タンペラマン!タンペラマン!

2011.11.24 【近景、縦構図】(2)

23日は、視線を縦に動かす縦構図にこだわり、9月29日の【片瀬白田だより】に載せた同じ場所に、イーゼルを立てた。F10号のキャンバスの縦構図で、最遠景の天城のスカイラインを画面に決めてから順次視線を下げていくと、おもったより近景が画面に入らない。

理由は分った。遠近法や写真が間違いなのだ。人間は見ている対象の各部分をつねに視界の真中でとらえる。2点透視図法ように水平線は目の高さとは決まっていないし、画面設定は地面に垂直とも決まっていない。そしてカメラのように上下左右の周辺を横目で見たりしない。つまり、1つ1つの視線で画面設定とそれに伴う消失点が違うのだ。だからむしろ、遠景を上に上に積んでいく(逆に、近景を下に下に継ぎ足す)伝統的な日本画の風景のとらえ方のほうがよりナチュラルなのかもしれない。

来週も、天気が良ければ同じ場所で、15号のFとMの縦構図で描いてみようとおもう。

2011.11.30 【近景、縦構図】(3)

29日は、先週に続いて快晴で、15号のFとMの縦構図で描いた。今週は、1日目に現場でキャンバスを埋めた画面を中心の写真を載せようとおもって用意しておいたのだが、縦構図の写真ばかりだったので、右のフレームの写真は画面の近景の部分をトリミングして横構図にしたものです。偶然の結果だが、近景ばかりの画面は空間も光も複雑になって、まるで抽象になってしまう。今はまだなんともいえないが、なんだか重要な種が秘んでいるよう気がする。

2011.12.08 【光が変れば】

7日は、2月24日に写真を載せた、アスド会館の体育館裏の海の見える小さな広場に入る道にイーゼルを立てた。写真の、イーゼルに掛かっている2枚の絵(F10号の縦と横)がその日に描いた、完成に向っての最初の行程の作品です。

翌日(つまり今日)の午前中、素焼きの小壷に挿した菊とイワタバコの花を、窓辺に置いて0号3点に手をつけた。壁際に置くいつもの場所と違って、窓辺に置くと光線が変って、ありふれた菊でも黄色の階調が新鮮で美しい。イーゼル絵画で直接世界を描写していると、「美」が〈光かがやき〉と〈秩序ある空間〉であることを確信する。

2011.12.15 【マグロを船上に取り込むスキル】

14日は、2010年12月2日に載せた同じ場所に(奈良本の横平山と丸山の間にある寺ノ上のみかん畑の廃園の2本の形の良いみかんの木の前)、ほぼ1年ぶりにイーゼルを立てた。午前中の1枚目はF10号の最近凝っている縦構図で、去年と同じく真逆光で物の固有色は白(光)と青(影)にトンでしまうがかまわずそのまま描きすすめる。描写のスキルが1年間で一段と身に付いていることを実感する。載せた写真は、午后からのF10号の横構図で、午前中の絵とは角度の違う場所でのもの。太陽の位置も、天気(午后からは薄曇り)も変わるのだが、どのような自然の変化にも身体(特に眼)を全開して、感覚(特に視覚)で反応し、絵具で変換し、描写すればいいのだ。これは、漁師でいえば魚を取り込む技術で、芸術という魚は、大きな本マグロと同じで、魚に食い付かせるのも大変だが。魚が針がかりしても船上に取り込むのも大変なスキルが必要なのだ。ちなみに、漁師が独力でマグロを釣ろうとすると、いくつかの種類の違うスキルの習得が必要だ。自分の体力健康維持、天候をよむ力、操船技術、仕掛け、餌、魚の居る場所、魚の習性等々、それだけのカードを揃えて魚の目の前に餌を下ろして、やっと食いついて、アタリがあるのだ。マグロのアタリがあっても、写真やパソコンや光学器械やエヤーブラシを使っていたのでは、イーゼル絵画のトレーニングなしには、シッカリと魚の口に針がかりさせ、バラさず船上に取り込むスキルは決して身に付きませんよ。

2011.12.25 【今年の描き納め】

今回の東伊豆は、20日の火曜日から25日の日曜日まで居たので、2回外に描きに出かけた。21日は、今年の2月17日に載せた同じ場所で、F15号のキャンバスの縦と横で、24日は載せた写真の場所で源八山の斜面のミカン畑から天城山に向ってF8号の縦と横で風景は都合4枚、室内では21日の帰りに切ってきた紅白のサザンカを以前沖縄の石垣島で買って持っていたパナリ焼きの塩壷に入れてF5号で2枚、借家の前の白田川の堤に咲いていたヒメスイセンと、ミヤコワスレの花をサムホールで2点手を付けた。写真や資料やスケッチから制作するアトリエ絵画と違い、イーゼル絵画は風景の現場の状況が一期一会なので、花も今年を逃すと来年まで待たなければならないので、今描かなければ2度とこの絵は世界に存在しないのだという、卑小な実存には身の程知らずの使命感に突き動かされる。当然、完成までには時間がかかるので、描きかけの絵が溜まる一方だ。でも、描きかけの作品がアトリエの中にゴロゴロしていると、何だか幸せな気分になってくる。来年も再来年も、死ぬまで、私が描かなければこの世から諸行無常の世界に消え去ってしまう世界存在の美しい切断面を、眼に現像し、キャンバスに密着させる仕事を与えられているのだから。

-テキストデータ, 随想
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