岡野岬石の資料蔵

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片瀬白田だより(2010年)

投稿日:2021-01-12 更新日:

片瀬白田だより(2010年) 片瀬白田だより(2011年) 片瀬白田だより(2012年)

片瀬白田だより(2010年)

2010年5月7日〜2010年12月23日

 目の洗濯 2010.05.07

いよいよ、東伊豆の片瀬白田での最初の作品にとりかかりました。おあつらえむきに家のすぐ裏が大家さんの夏みかん畑で、まず手始めに10号2点を描きはじめました。画学生の時以来のイーゼル絵画で、調子がでるまで少し時間がかかりそうですが、明るい陽光の下で筆を走らせていると、まるで「干天の慈雨」のごとく、美しい光がジュンジュンと目にしみ込んでくるのを実感します。天気もよくて画家にとっての至福の時間でした。

 油絵具はスグレもの 2010.05.14

今週は、向って左のF10号の作品を現場で描き、先週描きはじめた真中と右の作品に手を加えた。

キャンバスを外に持ち出すと、油絵具がイーゼル絵画に向いていることを実感する。最初はアクリル絵具でスケッチしてからその上に油絵具で書き加えようと計画していたのだが、実際にやってみると直接陽の当たるパレットの上のアクリル絵具はすぐに乾いてしまい、描画を無理矢理急かされてしまうのだ。早々にアクリル絵具を油絵具に替えた。そして筆は豚毛の平筆が一番描きやすい。

ナンだ!結局は回り廻って画学生の頃の方法が一番良かったんじゃないか。

 ロケハン 2010.05.21

19日(水)は午前中先週の画に手を入れ、午後から次の画のモチーフ探しに、白田と稲取を山越えで結ぶトンネルの手前のハンの木沢まで自転車で出かけた。肩に掛けているのは愛用のフィルムカメラ(ニコンF4)と交換レンズです。キャンバスを外に持ち出して絵を描くにはイーゼルを置く場所の設定をクリアすることが条件になる。近景に遮蔽物が無く(だから森や林の中はかえって画にはなりにくい)眺望も良くて、イーゼルと画家の立ち位置の前後が平坦な場所は、昔のように道路上にイーゼルを立てるわけにはいかないので車社会の現代では限られる。それと、実際に描いてみなければ気付きにくいが、ヤブ蚊やアブの多い場所や強い風も悩ましい。

そんな中で今回は、いい場所が見つかったので来週天気が良ければ描きに出かけようとおもう。うまくいけば来週のこのページにその絵を載せます。

2010/ 5/19 11:59

 ハンの木沢にて 2010.05.28

26日は天気が良くて、先週ロケハンしておいた新白田トンネルの手前のハンの木沢にある、何か公共の施設があったらしい跡地にイーゼルを立ててP10号のキャンバス2点に手をつけた。敷地の法面の赤土とそこにある二つの大きな花崗岩の石が周囲の緑の中で美しい。ここを見つけて、すぐに連想したのは岸田劉生の赤土の風景画とセザンヌの風景画の土の色だ。うまくいけばいいのだが。

それにしても伊豆は雨が多いので、天気がいいと家にいるのがもったいなくてついつい外に描きに出かけてしまう。そのために、まだまだ手をつけたばかりで完成にほど遠い描きかけの作品が5点もたまってしまった。来週はそれらの作品をなんとか完成に向って進めようと思う。

2010/ 5/27 19:39

 廃隧道 2010.06.04

一昨日は、天気が良かったのでちょっとのつもりで取材に出かけたのだが結局1日つぶしてしまった。写真は廃隧道の「白田隧道」で、白田と稲取を分ける友路(トモロ)岬を3つの隧道で抜ける海岸沿いの旧国道の白田寄りのトンネルの入口で、この道は昭和53年の伊豆大島近海地震による崖崩れで廃道になり今はその後の荒廃によって3つのトンネルのうち2つのトンネルは土砂で塞がっている。ここまでは、薮がひどくて行けないとおもっていたのだが、意外と簡単に行けて現場に立てて興奮した。車が入れる行き止まりの平坦な眺望のいい場所で、来週天気が良ければイーゼルを立てようとおもう。

この続きは画中日記で。

 友路(トモロ)岬にて(1) 2010.06.11

9日は曇りで時々パラパラ雨が降ったので、室内で以前の絵に手を入れてⅠ日をすごしたが、翌日は写真のように天気がいいので、午前中友路岬を望む廃道上にイーゼルを立てた。写真の右上の地肌が見えている下に先週の写真の廃隧道の白田側入口があるのだが、そして右上を新道が通っているのだが、そこからの車の音が聞こえるホンのすぐ近くの美しい風景のなかで、初夏の光に包まれて絵を描いていると不思議な感覚におそわれる。

この続きは【画中日記】に書きます。

 川久保川上流 2010.06.18

15日は曇りで、16日も夜明けは雨がぱらついていたのだが、昼前から晴れ間がでたので前日から室内で描いていた絵を放りっぱなしにして外に出た。1時間くらいで帰るつもりが結局山道を3時間も歩きっぱなしだった。初めての道は先の予想がつかないので、ビューポイントの期待でなかなか引き返す決断がつかないのだ。

歩きはじめて前半は、自分の歳が還暦を過ぎているのを忘れて快調にとばしていたのだが、そして『伊豆天城ハイランド』までいって白田川の側に降りてくるコースを考えていたのだが、股関節が痛くなってきたので沢の水を飲んで休息後引き返した。翌日も晴れていれば逆コースを歩こうと思っていたのだが、快晴なのに筋肉痛で出歩けなかった。トシだね~トホホ……!!

 東伊豆風景 2010.06.19

片瀬白田での最初の作品が、柏のアトリエで今日ほぼ出来あがった。これで7月2日からのギャラリー仁家での個展に出品が間に合う。実物は個展会場でご覧ください。写真よりもずっといいですヨ。

 散歩の楽しみ 2010.06.25

23日は、前夜からの激しい雨で借家の前の白田川は濁流で逆巻く。この川は、天城山系の源流から河口まで高低差の割に距離が短いので短時間に川の様子を変える。外は雨なので、途中のキャンバスに手をいれていたのだが、午後3時頃雨が上がったのでたまらず散歩にでかけた。

24日はもう白田川はもとの清流に戻っていて、湯が岡の上流の水力発電所にかかる橋まで自転車で廻った。帰る途中自転車を置いて枝道を登っていくと先日行った新白田トンネルを抜ける稲取への迂回路に合流。この道は地図で見ていつか歩いてみようと思っていた道なので納得して(車と違って自転車や歩きだと、分岐ごとに残した道がどこに行くのかの結果に心が残る)嬉しくなった。帰って地図やネットの情報と現場の現実を照らし合わせる楽しみがあり、こうやって情報量が増えれば増えるほど散歩やサイクリングの面白さは増すのだ。芸術も人生も同じ。

 自転車で転倒 2010.07.01

6月30日はロケハン中、写真の場所の近くの道路上で転びあぶなく大けがになるところだった。通行する車もなく顔と体に数ヶ所の擦り傷ですんで不幸中の幸いだった。生きものは、日々の坦々と流れる平和な時空の薄い紙一枚下に可能的時空をかかえて生きている。この今流れている時間も空間も、人の数だけ同時に存在していて、一人一人のすぐ横に可能的な時空がたくさんあって、タマタマその時空の一つを他の可能的時空と一緒に生きている。ちょっとサイドステップしたり、道に迷ったり、事故ったりするだけで簡単に世界が変わる。幸運も、不運も、死さえも、可能的時空のページを「今」、「ここ」、のすぐ横に抱えながら生きている。

明日から個展だが、大事にいたらなくてよかった。もう歳なんだからギヤを少し落せという天からの警告だと受けとめ、自戒しよう。

 個展会場にて 2010.07.07

今週は、個展会期中なので片瀬白田には行けなかったので、かわりに個展会場での写真を載せました。左はギャラリー仁家の小沼氏です。この画廊では開廊以来こんどで3度目の個展で、この度はじめての試みで毎日ギャラリートークをやっています。個展は7月11日までやっていますのでぜひご来廊ください。案内は当サイトの【展覧会予告】のページを見てください。

 7月14日のロケハンで 2010.07.15

7月14日は、前日張ったキャンバスで外に描きに出かけようとおもっていたのだが、時おり走り雨のふる天気で、やっと少し晴れ間も出た午後3時頃からたまらずデジカメを持って出かけた。日が差すと東側の海の方向に低い虹がかかり自然は無限の変様を見せてくれる。来週はこの場所の見えるところでイーゼルを立てようと思う。

 友路(トモロ)岬にて(2) 2010.07.22

21日は夏本番の天気のなか、友路岬の廃道から伊豆急のトンネル(トンネルの上を越すと海岸に降りられる)に降りる道の途中にイーゼルを立てた。写真の左の木を中心にした構図で海と緑の岬の木を描こうという目論見だ。先週の場所をここに変更した理由は、夏草の茂る前に描いておかないとイーゼルを立てる場所がなくなる心配があったからだ。カンカン照りの太陽の下で麦ワラ帽子一つで筆を走らせているとさすがに身にこたえて、日本人も西洋人も昔の実景をダイレクトに描く画家の大変さがよく分った。しかし身体への負担に反比例して絵画上の成果は絶大で、写真やスケッチでは決して分らなかった視覚の不思議さが体験できて、セザンヌの言葉や画がリアルに理解できる。一例として、木をはさんで右側の水平線と左側の水平線の高さが違って見えるのだ。昔の画家のようにイーゼル絵画を試行するまでは、この歳になって眼のこんな体験や発見をするなんて思いもしなかった。絵描き冥利につきるこの頃だ。

 下り坂は上り坂 2010.07.28

27日は夏本番の快晴で、朝先週の画に手を入れ11時頃白田から天城山の方向に山を登った所にある別荘地の「伊豆天城ハイランド」まで車で送って貰い2時間くらいロケハンしながら片瀬まで歩いて降りてきて、午后3時頃から14日の場所で画を描こうと思っていたのだが、途中で行き止まりの尾根筋の林道に入り込み、降りてきた道を登って引き返して1時間ロスしたので結局新しい絵は描けなかった。写真はその林道から天城高原の方向を撮ったもので、左側にあるピークは万二郎岳だろうか。2万5千分の1の地図と磁石も持っていったのだが、美しい風景の中だと地図を見る手間をめんどくさがって失敗する。でも道を間違ったおかげで思いがけず美しい風景と遭遇したりするのだから、道に迷うことが一概に失敗ともいえないのが人生と同じで面白いところだ。

今日(28日)は雨で外には出られず朝少し画に手を入れては午后1時頃片瀬を出る。

 タンペラマン 2010.08.05

8月4日は夏本番の太陽の下、このページで7月15日に載せた場所でイーゼルを立てた。片瀬と奈良本をつなぐ横平山の古道のそばの、別荘の駐車場のフェンス越しに見える木立と海の風景をモティーフに、12号のキャンバス2点に手をつけた。左右の木立の緑と、間に見える海の青が美しい。日差しは強く体力的にはキツいけれど、筆を持っている時は時間を忘れる。つくづく昔の画家のタンペラマン(仏語で「気質」。セザンヌが他の画家の評価によく使った言葉。「あいつはタンペラマンが無い」などと使う。画家でいえば「絵描き根性」とでもいう意味か。)の強さに感心する。だって当時はこの場所まで人も荷物も運んでくれる車も、氷の入った冷たいスポーツドリンク入りのジャーもないんだよ。年とったなどと、弱音を吐くなんてナサケないヨ。根性!! 根性!! 

 走る雲 2010.08.12

8月11日は台風が日本海を通過した間のⅠ日だけの晴れ間で、奈良本の夏みかん畑の中にある小屋の前の道にイーゼルを立てた。写真の奥の山は天城山系で台風の影響で山の上を速く走る雲が美しい。今度のモチーフは私にはめずらしく画面に海や川の入らない風景で、ゆくゆくは富士山も描いてみたいと思っているので好い小手調べになるとおもう。遠景の山脈の上の雲は、海や平野の雲と比べて大きくて変化が激しく雲の間の青と雲の白とグレーが美しく新鮮に感じた。遠景の山と空を大きくとった構図の絵も今度描いてみよう。

 浅間山(せんげんさん、海抜561m) 2010.08.19

18日は新白田トンネルを通る稲取に向かう迂回路の途中にあるペンション、オレンジヒルズ・イン東伊豆から南熱川別荘地を通って浅間山(せんげんさん、海抜561m)に登った。別荘地を抜けて稲取側に降りる峠から山道を登るものだとばかり思っていたのだが意外にも山頂まで車で登れるコンクリートの路がついていた。山頂には小さな展望台がありその奥には斜面の木を切ったパラグライダーの滑走路であろうススキの草はらがあった。写真はそこから撮ったもので直下の町が片瀬白田、その上が熱川、その日は湿気が多くかすんでいるが右上が相模灘で首を右にふれば大島が見えます。そこから東伊豆町風力発電所の風車が3台見えるのだが、事前に調べた地図にはどこにも載っていなかった、風車の一番奥に通じているらしい小径を見つけた。予想したとおり通じていたのだが、その道は昔からある道らしく途中に大きな自然石でできた窪みに祠が奉ってあった。お供えの花やワンカップのお酒も新しく、赤い鳥居のペンキも塗り直されて今も大事にされているらしい。誰もいない場所で人間の行為の「善きもの」に出会うとホッとするし幸せな気分になる。その反対にゴミや落書きに出会うと気分が萎えてしまう。自分の描く画は、観る人に幸せな気持になってもらいたいし、またそのような行為で生きていける自分を幸せだと思う。

風車から稲取側に降りて迂回路に合流して新白田トンネルを抜けて帰ってきたのだが、結局浅間山をグルっと一周したことになる。猛暑の中をかなりの距離を歩いたのだが、近くまで車で入いられてイーゼルを立てやすい何ヶ所かのビューポイントに出会い、収穫も多かったので疲れも心地よい。近く何点か手をつけてみようとおもう。

 天城山を望む(1) 2010.08.26

25日は、先週の浅間山(せんげんさん)の山頂に至る道路の途中にイーゼルを立てた。正面の山並みが天城山、最高峰が万三郎岳で1405m、万二郎岳は1299mだ。緑の斜面を動く青い雲の影が美しいけれど、さて、常に動く影を画面の上でどう扱ったらいいのか悩ましい。モネのような時間を微分化していったある瞬間の光景と、セザンヌの画のような視線を積分化してフォルムと空間の恒常性との、相矛盾する問題のジレンマにさいなまれるのだ。

まあ、そういう命題をかかえながら画を描くことはそれはそれで楽しいことで、ギブアップせずにやっていればそのうちにアウフヘーベン(止揚)できるだろう。

 天城山を望む(2) 2010.09.02

9月Ⅰ日は、先週に続いて浅間山(せんげんさん)の山頂の駐車場のはずれにイーゼルを立てた。先週と同じく正面の山並みが天城山、最高峰が万三郎岳で1405m、万二郎岳は1299mだ。左手前の浅間山の山道と稜線を入れた構図と、キャンバスをP12号から今週はF12号に変えたのが先週と違うところだ。描いている途中にポッカリと白い雲が山頂の手前にかかり、その影を緑の斜面に落した。あわててデジカメで写真を撮ったが、以前から数点描いていた『雲の影』の想いもよらぬ光景に、あらためて自然の組み合わせの多様さに脱帽した。自然にはとてもかなわないネ。つまり、その雲は私と山頂の間にありその影が斜面に青く影を落としているんだよ。南斜面と天候と時間の組み合わせでとてもめずらしい現象に偶然出会ったに違いない。その絵は厳密にはイーゼル絵画とはいえないがいつか近いうちに作品にしようとおもう。

 前後空間のオールオーバー 2010.09.08

9月7日は台風の影響で一日中雨で外に出られず、室内で天城山の画に手を入れた。

先週の天城山と浅間山の間の雲の考察から、絵画上の大きな命題に気づいた。キャンバス上の絵画空間は上下左右の表面の上に、つまり横の空間に穴があってはいけないが、画面の前後、つまり無限遠方の空から画家の立ち位置までの縦の空間も穴があってはいけない。画面は横方向に(表面上に)もオールオーバーでなければならないが、縦方向(画面の前後)にもオールオーバーでなければならない、というものだ。この考えの糸口を手繰ればサツマ芋の収穫のように地中から大きな実りを掘り出せる予感がする。

 友路(トモロ)岬にて(3) 2010.09.15

9月15日は、6月11日、7月22日に続いて3度目の友路(トモロ)岬だ。廃道から伊豆急のトンネル(トンネルの上を越すと海岸に降りられる)に降りる道の途中(7月22日の場所のすぐそば)にイーゼルを立てた。友路岬と浅間山の山頂からの眺めは、これから何枚も絵に描きたいとおもう。画になるかどうかは分らないが、秋になって海からのぼる満月をこの近くから見てみたいものだ。

前日までの猛暑がやっとおさまり気持よく制作でき、そんなとき時間はアッという間に過ぎていく。ここ数ヶ月の体験から、プロの絵描きの間ではほとんどすたれてしまっているイーゼル絵画の楽しさと素晴らしさと重要性を、今後ことあるごとに叫んでいきたい。イーゼル絵画の復興なくして美術が芸術を名のる資格はないとおもうから。

 13夜の月 2010.09.24

21日は『視惟展』の初日だが画廊には午后1時頃までいて、それから片瀬白田に向かった。展覧会の会期中だが家賃を払っているので借家を使わないと勿体ないという、ケチくさい気持がおさえられない。着いたのは5時頃で絵にも描いた大家さんの夏みかん畑の上に13夜の月が出ていた。デジカメで写真を撮ったが、月や太陽を撮ると写真と肉眼の違いがハッキリと分る。だからこの歳になって再びイーゼル絵画に挑戦しているのだが。

(この続きは【画中日記】に掲載しています)

 三昧境 2010.10.01

9月29日は、8月12日に描いた奈良本の夏みかん畑の近くの坂道にイーゼルを立てた。木漏れ日の光景が美しい。描きはじめた時に少し蚊が寄って来たがさいわい大したことがなくて助かった。

今回気づいたことは9月2日の浅間山の雲と近似の問題で、遠景の空と近くの木の間の空が前後に一続きの同じ空間であるということだ。あたりまえのことだがキャンバス上の平面にそれをそう見えるように描くのは難しい。こんなことを毎回のイーゼル絵画で気づき、またその問題をクリアーするスキルを考えながら美しい光と空間のなかで筆を走らせていると画家冥利につきる。絵描きになって良かった。

まるで仏教でいう三昧の境地だね、これは。

 「ホンコ」 2010.10.07

6日は先週に続いて秋晴れのイーゼル絵画日和で、午前中から快調に筆が進み午后4時頃まで充実した時間を過ごした。子供の時、パッチン(メンコ)やランタン(ビー玉)を現物をやりとりして取り合うときは「ホンコ」、ただの遊びの時は「ジャラコ」とよんでいたが、イーゼル絵画は視線が対象とキャンバスの間を現物でやりとりする、いわば「世界と自分の目とのホンコのゲーム」といってよいだろう。自分が描いているのか対象に描かされているのか分らなくなるこんな時間の経験を、「純粋経験」「本質直感」「主客合一」と呼ぶのだろうか。

写真はその時のもので、借家の近くの白田川の河原で、葦と土手から河原に降りる小径を描いているところを『湯が岡赤川橋』の上から写してもらいました。

 和魂洋才 2010.10.14

13日は、友路岬の廃道の最奥にある大きな自然石2つ(車止めために置いたのか)の前にイーゼルを立てた。西洋の油絵によくある画角の広い大きな風景と違って、自然の一部を切り取るいわば俳句の視点というべき日本人の得意とする日本人にしかできない独特の世界観を、油絵で顕現させたい。この絵がうまくいけば、浅間山(せんげんさん)の山頂や友路岬のような大きな風景と、視角の一部をスナップショットする小さな風景とで、絵のモチーフは限りなく湧いてくるだろう。

 

 雨の日の東伊豆 2010.10.21

今回の伊豆行きは、3日間とも雨で外に出られなかったので、家の中で10月1日と7日に描きはじめた作品に筆を加えた。今のところ現場で描くのは最初の日だけなので雨の日でもやることはたくさんある。11月9日からの藤屋画廊での個展には従来の抽象印象主義の作品に加えて東伊豆風景の作品もできるだけ出品しようとおもっているのでぎりぎりまで頑張ろうとおもう。このペースでいくと、2年以内には、東伊豆風景の作品を中心にした具象の作品だけの個展ができそうだ。そして東伊豆の次はいよいよ、富士山に挑戦しようかな…。

写真は、この日の写真ではありません。

 法面(のりめん)の草 2010.10.28

27日は、伊豆大川の赤崎の崖の法面の前にイーゼルを立てた。伊豆の幹線道路の135号とちがい、通る車が少ないので道の端にギリギリなんとか立ち位置を確保、東向きの崖で午前中しか日があたらないのでいつもより1時間早く9時頃から描きはじめた。落石止めのためにコンクリートで吹き固められた法面の間から草や木が根付き、そこに日差しがあたると、まるで屏風のように縦のスクリーンで自然を見ている視点が新鮮だ。以前にも礼文島や隠岐で自然の崖を取材したことがあるが、かって絵にしたことのある場所も、もう一度イーゼルを立ててダイレクトに描いてみたいものだ。どんな絵になるのだろうか。

 崖の上から 2010.11.04

3日は、先週描いた伊豆大川の赤崎の崖の近くの汐見崎別荘地に上る道路の端にイーゼルを立てた。通る車は別荘地の人たちだけなので道路の上でもなんとかなった。写真の左側の島が大島で、逆光で青くかすみ、刻々と光る位置を変える海とこの日の雲が美しかった。1枚めはF12号のキャンバスで、それが今日の目当てのアングルだった絵を描いた後、2枚めにPの12号のキャンバスで急きょ予定を変えて大島と雲をメインにした絵にとりかかると意外にうまくいった。イーゼル絵画はこのような不確定な〈ゆらぎ〉でどんな絵になるのか予想がつかず、ネアカな私には画面の結果が楽しみで、描いているひとタッチひとタッチがわくわくして楽しい。

 「空間」を見る 2010.11.19

17日は個展中で2週間ぶりの伊豆なので、曇り空だったが浅間山の風車に向かったのだが、途中の道路が通行止めでのぼれず、予定を変更して何度も描いた友路岬にイーゼルを立てた。曇り空の風景は私にはめずらしく、しかもダイレクトに対象に対峙するイーゼル絵画でどう描けばいいのか、イメージもなしのぶっつけ本番だったが、またもや絵画上の重要な問題に気付かされた。それは対象の「光を見る」ということと「空間を見る」ということ。「空間」は目に引っ掛かりにくい。「空間」を錯視させるスキルをみつければ苦手だった曇り空の風景も描けるだろうし、光と空間を合体できれば画のレベルはもう一段上昇するだろう。記録はまだまだ伸び続ける可能性がある。(考えがまとまれば、画中日記にこの続きを載せます)

写真は翌日の午前中、あまりに天気が良くて光が美しかったので、たまらず以前から拾って用意していた3個の石をF10号のキャンバスに描いたもの。

 逆光で 2010.11.25

24日は、紅葉と落ち葉の坂道を描くつもりで10月1日に載せた同じ場所でイーゼルを立てた。時間が早かったのと、季節が進んだ関係で太陽の位置が低く光がまともに目に入ってしまった。最初は手をかざして光をさえぎって描いていたのだが、思い直して途中から見えたとおりにそのまま描くことにした。太陽の光は遮蔽物を回り込んで、シルエットを覆い隠してしまう。その光を、そのまま描くことができれば、描写力はいちだんとスキルアップすることだろう。イーゼル絵画は楽しいね、もう病み付きだよ。

 2本のみかんの木 2010.12.02

Ⅰ日は、先週見つけておいた奈良本の横平山と丸山の間にある寺ノ上のみかん畑の廃園の2本の形の良いみかんの木の前にイーゼルを立てた。先週と同じく逆光で物の固有色は白(光)と青(影)にトンでしまうがかまわずそのまま描きすすめる。描写のスキルが一段と身に付いていることを実感、齟齬なく筆が進めば楽しくて〈至福の時〉だ。再来年には富士山にイーゼル絵画で挑戦するつもりだが、この調子で「光と空間」の描写のスキルアップすればなんとかクイつけるだろう。今からワクワクしている。

 天城山を望む(3) 2010.12.10

8日は、夏に描いた浅間山(せんげんさん)の山頂の駐車場のはずれにイーゼルを立てた。午前中は山頂が雲に覆われていたために、海側の風景を大島を入れて1枚、午後から雲が切れてきたので予定通りに山側に向いてもう1枚描いた。天城山系の南斜面に射し込む雲間からの光と雲の影があいかわらず美しい。帰りは、『南熱川別荘地』から『オレンジヒルズ』に抜ける道を来週のモチーフを探しながら歩いた。すこし迷ったけれど、そのおかげでいい場所がみつかったので来週天気が良ければそこでイーゼルを立てようとおもう。

(この続きは【画中日記】に掲載しています)

 雲の描き方 2010.12.16

15日は先週見付けておいた場所にイーゼルを立てた。天気は良かったが風が強く、2度キャンバスごとイーゼルを倒された。石を引き出しの後に重しとして置いたり、キャンバスをイーゼルに縛ったり、油壺に入れる溶き油の量を少なくしたりして予定通りにクリアーしたが、自然の中に裸眼で身をさらす昔の画家の苦労が想像できる。描きはじめは快晴だったがそのうち空には絹雲(絹雲がでると天気は下り坂になる)がでてきて、夕方には予想通りに曇って来たが、その雲を描いていて空の中の雲の捉え方を新たに気付いた。(この続きは明日【画中日記】に掲載します)

当日デジカメを持っていくのを忘れたので、14日にムベというアケビに似た(アケビよりも小さく実は割れない、アケビは落葉するが、ムベは常緑)果実を片瀬白田農協にでていたのを買ったので、それを0号に描いているところの写真を載せました。

 天城山遠望 2010.12.23

22日は先週描いた所の1段下の道にイーゼルを立てた。遠くに見える山並みがが天城山で左のピークが万二郎岳、周りの一画はもう大分前から廃園になっているような新王子製紙の花の樹のフラワーセンター。今はススキが枯れてかろうじてイーゼルが立てられるが、夏には虫と薮とでとても絵を描くのは無理だろう。帰りは廃園の道を地図を見ながら歩いて帰ってきたが、最近ハマっているサイトの『山いが』(http://yamaiga.com/road/index01.html)の影響で、、道幅や古い石垣造りの法面や斜面に落ちている古い形の車で、別荘地の道や私道ではない様子の廃道に迷い込んだ。途中の小さな沢で引き返したが、昔の曲がりくねった道はその先の期待に人を誘い込んでなかなか引き返す決断ができない。

英語は不得意ですがアメリカの画家のミルトン・エイブリーの画集の巻頭に載っている画家自身の文章を下記に紹介します。

[ In order to paint one has to go by the way one does not know. Art is like turning corner; one never knows what is around the corner until one has made the turn. ]

「絵を描くためには、画家は見知らぬ道の途上でも進むほかない。芸術は知らない街角を曲がることに似ている。画家は角を曲がり切るまでその先に何があるかを決して知ることはできないのだから」こんな意味だろうと思うけど、正しい日本語訳は私には自信がないので自分でやってください。

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