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読書ノート

【読書ノート】2019年

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【読書ノート】2019年

『ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ 著 今枝由郎 訳 岩波文庫

 第1章 仏教的な心のあり方

■「カーラーマたちよ、あなたたちが疑い、戸惑うのは当然である。なぜなら、あなたたちは疑わしい事柄に疑いを抱いたのであるから、カーラーマたちよ、伝聞、伝統、風雪に惑わされてはならない。聖典の権威、単なる論理や推理、外観、思弁、うわべ上の可能性、「これが私たちの師である」といった考えに惑わされてはならない。そうではなく、カーラーマたちよ、あなたたちが自分自身で、忌まわしく、間違っており、悪いと判断したならば、それを棄てなさい。あなたたちが自分自身で、正しく、よいと判断したならば、それに従いなさい」

 ブッダはさらに、修行者は、自らが師事する人の真価を十分に得心するために、ブッダ自身のことさえも吟味すべきである、と言っている。(29頁)

■すべての悪の根源は無知であり、誤解である。疑問、戸惑い、ためらいがある限り、進歩できないのは否定できない事実である。そしてまた、ものごとが理解できず、明晰に見えない限り、疑問が残るのは当然である。それゆえに本当に進歩するためには、疑問をなくすことが絶対に不可欠である。そして疑問をなくすためには、ものごとを明晰に見ることが必要である。(30頁)

■ブッダはたえず疑問をなくすことを心がけた。死の直前になっても、ブッダは弟子たちに向かって、あとになって疑問が晴らせなかったことを悔いることがないように、今まで自分が教えたことに関して何か疑問があるかどうかを質(ただ)した。しかし、弟子たちは黙して答えなかった。そのときのブッダのことばは感動的である。

 「弟子たちよ、そなたたちはもしかしたら、師への敬意ゆえに質問しないのかもしれない。もしそうなら、それはよくないことだ。友人に問いかけるように質問するがいい」(31頁)

■ニガンタ・ナータプッタ(ジャイナ・マハーヴィーラ)はブッダと同時代の人であったが、カルマに関してブッダと意見を異にしていた。あるとき彼は、弟子の一人で裕福な在家信者であったウパーリをナーランダにいたブッダの許に使わし、論戦を挑ませた。ところがまったく予想に反して、論戦の末にウパーリはブッダの意見が正しく、自分の師の説が間違っていることを確信した。そこで彼は、ブッダに弟子入りを願い出た。ところがブッダは「あなたのように知られた人にとって、慎重に検討することはいいことだから」と言って、急いで決断せず、もう一度考え直すように促した。ウパーリが再度弟子入りを乞うと、ブッダは彼に、今まで師事した先生たちを従来通り尊敬し、支持するように促した。(31~32頁)

■彼は真実を見たのである。薬が良ければ、病は治る。薬を調合した人が誰であるか、薬がどこからもたらされたかを知る必要はないのである。(40頁)

■信仰は、ものごとが見えていない――「見える」ということばのすべての意味において――場合に生じるものである。ものごとが見えた瞬間、信仰はなくなる。もし私が「私は掌の中に宝石を隠しもっている」と言ったら、あなたはそれが見えない以上、私が言ったことが本当かどうか、私のことばを信じるかどうか、という問題が生じる。しかし、私が掌を開き宝石を見せれば、あなたはそれを自分で見ることになり、信じるかどうかという問題は起こらない。それゆえに、古い経典には、こう記してある。

 「掌の中の宝石(あるいはミロバラン〔訶梨勒、かりろく〕の果実)を見るように、真実を見よ」(41~42頁)

■ 訳注(10)

◯アラハント――欲望、憎しみ、悪意、無知、傲慢、うぬぼれといった汚れや不純さから解放された人。ニルヴァーナに至る第四段階すなわち最終段階に達した人で、叡智、慈悲といった高貴な資質に満ちたひと。〔訳注。漢訳仏典では阿羅漢〕ブックサーティは、アナガーミ(後戻りしない人)と呼ばれる第三段階に達した人であった。第二段階はサカダーガーミ(一度後戻りする人)、第一段階はソーターバンナ(修行の過程に入った人)と呼ばれる。(41頁)

■「汚れと不純さの消滅は、ものごとを知り、ものごとが見える人にとってのみ可能なことであり、ものごとを知らず、ものごとが見えない人には不可能である」

 常に問題なのは、知ることと見ることであり、信じることではない。ブッダの教えは、「エーヒ・バッシカ」、すなわち「来て、見るように」という誘いであり、「来て、信じるように」ということではない。

 経典のいたるところで、真理の実現は「汚れることなく、錆びることがないダルマの日が生じた」、「彼はダルマを見、ダルマに到達し、疑念を乗り超え、ためらうことがない」、「彼は正しい叡智でもって、ものごとをありのままに見る」などと表現されている。ブッダは自らの「目覚め」に関して、「目が生まれ、知識が生まれ、叡智が生まれ、知性が生まれた」と述べている。肝心なのは、知識あるいは叡智を通じて見ることであり、信心を通じて信じることではない。(42~43頁)

■「信仰のある人が、〈これは私の信仰です〉と述べる限りにおいて、彼は真実を保持している。しかし、そこから一歩進んで〈これのみが真実であり、他はすべて偽りである〉と断言することはできない。

 言い換えれば、人は自分の好きなことを信じる権利があり、〈私はこう信じます〉と述べて差しさわりはない。その限りにおいて、彼は真実を尊重している。しかし自らの信仰から、自分が信じていることのみが真実で、他のすべては偽りであると主張することは許されない。

 ある一つの見解に固執し、他の見解を見下すこと、賢者はそれを囚われと呼ぶ」(岡野注;全元論では当然)(45頁)

■「弟子たちよ、この見解は純粋で明晰である。しかしあなたたちがそれに固執し、思い入れ、尊び、拘(こだわ)るならば、教えは流れを渡るために乗る筏(いかだ)に似たものであり、保有するものではない、ということを理解していない」

 教えは流れを渡るために必要な筏のようなものであり、保持して背中に負い運ぶものではない、というこの有名な譬えを、ブッダはいたるところで説明している。(46頁)

■弟子たちよ、私の教えは筏と同じである。それは、流れを渡るためのもので、持ち歩くためのものではない。あなたがたは、私の教えは筏に似たものであると理解したならば、よき教えすら棄てなければならない。ましてや悪しき教えを棄てるのは、言うまでもないことである」(47頁)

■ブッダは智的好奇心を満足させるために説いたのではない。ブッダは実践を教える師であり、人を平安と幸福に導く上で役立つ教えのみを説いた。(48頁)

■ブッダは、単なる推測にしか過ぎない想像上の不毛な形而上学的問題を論議する気はなかった。ブッダはそうしたテーマを「思想の荒野」と見なした。弟子の中には、ブッダのこうした態度を喜ばなかった者たちもいた。その一人であるマールンキャプッタ(岡野注:マールンクヤ)は、よく知られた古典的形而上学的問題に質問し、回答を求めた。

 「ある日、午後の瞑想を終えてから、マールンキャプッタはブッダの許へ行き、師に挨拶をして、その傍に坐り尋ねた。

 「師よ、私は瞑想中に、以下の疑問を抱きました。

 ⑴宇宙は永遠か、⑵否か、

 ⑶宇宙は有限か、⑷無限か、

 ⑸魂と肉体は同一か、⑹否か、

 ⑺ブッダは死後、存在するか、⑻否か、

 ⑼ブッダは死後、(同時に)存在もし、存在もしないか、

 ⑽それともブッダは死後、(同時に)存在もせず、存在しないことこともしないか。

◯訳注(12)

 ⑼、⑽は肯定・否定が同時に成立する、一般の論理上は有り得ない事であり、インド的な思弁法。(岡野注;アンティノミー)

 しかしブッダは、私の疑問に答えて下さらず、なおざりにされます。私は、師の態度が意に満ちませんし、よいとは思いません。ブッダがこれらの問題を説明して下さるのなら、私は師の許で修行を続けます。説明していただけないのなら、私は別な師を求めて去ります。もし師が、宇宙は永遠である、とご存じなら、私にそう説明して下さい。もし師が、宇宙は永遠ではない、とご存じなら、私にそうおっしゃって下さい。もし師が、宇宙は永遠なのかそうでないのかをご存じないのなら、〈私は知らない、私にはわからない〉とはっきりとおっしゃって下さい」」

 マールンキャプッタに対して、ブッダは以下のように答えたが、この答えは形而上学的問題を前に、貴重な時間を無駄に費やし、不必要に心の静逸を乱している何百万という現代人にとってきわめて有益である。

 「マールンキャプッタよ、私は今までに「私の許で修行をしなさい。こうした問題を説明してあげよう」と言ったことがあるか」

 「師よ、ありません」

 「ではマールンキャプッタよ、そなたは今までに「ブッダよ、私は師の許で修行をします。師よ、こうした問題を説明して下さい」と言ったことがあるか」

 「師よ、ありません」

 「マールンキャプッタよ、今でも私は「私の許で修行をしなさい。こうした問題を説明してあげよう」とは言わない。そなたも「ブッダよ、私は師の許で修行をします。師よ、こうした問題を説明して下さい」と私には言っていない。だとすれば、誰が誰を拒否するのか。

 マールンキャプッタよ、もし誰かが「私は、ブッダがこうした問題を説明して下さらなければ、ブッダの許で修行しません」と言うならば、彼は問題を説明してもらえずに死ぬことになるだろう」

 毒矢の譬え

「マールンキャプッタよ、ここに毒矢に射られた一人の人がいるとしよう。そのとき、彼の友だちや親族が彼を医者の許に連れて行った。ところが彼が「私を射ったのは誰か? カーストは何で、どんな家系で、身長はどれくらいか? どんな弓と弦で射ったのか、矢羽根、矢尻はどんなものか? それがわからない間は、この矢を抜いてはならない」と言い張ったら、どうなるだろう。彼はその答えを得る前に死んでしまうだろう。

 マールンキャプッタよ、それと同じく、もしある人が「私は、ブッダが宇宙は永遠か否か、といった問題を説明して下さるまでは、ブッダの許で修行しません」と言ったら、彼は問題の解決を得る前に死ぬであろう」

 そこでブッダはマールンキャプッタに、そうした問題は修行とは無関係であることを説明した。

「宇宙が有限であるか無限であるかという問題にかかわらず、人生には病、老い、死、悲しみ、愁い、痛み、失望といった苦しみがある。私が教えているのは、この生におけるそうした苦しみの「消滅」である。

 それゆえにマールンキャプッタよ、私が説明したことは説明されたこととして、説明しなかったことは説明されなかったこととして受け止めるがよい。

 マールンキャプッタよ、私は、宇宙が有限か無限か、といった問題は説明しなかった。マールンキャプッタよ、私がなぜ説明しなかったのかというと、それは無益であり、修行に関わる本質的問題ではなく、人生における苦しみの消滅に繫がらないからである。それゆえに私は説明しなかったのである」

 四聖諦

「ではマールンキャプッタよ、私は何を説明したのか。私は、

 ⑴ドゥッカの本質

 ⑵ドゥッカの生起

 ⑶ドゥッカの消滅

 ⑷ドゥッカの消滅に至る道

 を説明した。マールンキャプッタよ、私がなぜ説明したのかというと、それは有益であり、修行に本質的に関わる問題であり、人生における苦しみの消滅に繫がるからである。私はそれゆえに説明したのである」(49~54頁)

 第2章 第一聖諦 ドゥッカの本質

■四つの真理(四聖諦、ししょうたい)(55頁)

■四つの真理とは、

 ⑴ドゥッカの本質

 ⑵ドゥッカの生起

 ⑶ドゥッカの消滅

 ⑷ドゥッカの消滅に至る道

 である。(55~56頁)

■ブッダは、人類の病いに対する賢明にして科学的な医者である。(57頁)

■確かに第一の真理のドゥッカには、普通の意味での苦しみも含まれているが、それに加えて不完全さ、無常、空しさ、実質のなさといったさらに深い意味がある。(58頁)

■同じく五部経典の一つである中部経典の一つのスッタ〔経〕では、瞑想の精神的幸せを賞賛したあと、ブッダは、

 「それらは無常で、ドゥッカで、移ろうものである」

 と述べている。ここで注意しなければならないのは、ことさらドゥッカという用語が使われていることである。普通の意味での苦しみがあるからドゥッカなのではなく、「無常なるものはすべてドゥッカである」からドゥッカなのである。(59頁)

■ドゥッカの三面

 ドゥッカの概念は、

 ⑴普通の意味での苦しみ

 ⑵ものごとの移ろいによる苦しみ

 ⑶条件付けられた生起としての苦しみ

 の三面から考察することができる。

 老い、病い、死、嫌な人やものごとの出会い、愛しい人や楽しいこととの別れ、欲しい物が入手できないこと、悲痛、悲嘆、心痛といった、人生におけるあらゆる種類の苦しみは、普通の意味での苦しみである。

 人生における幸福観、幸せな境遇は、永遠ではなく、永続しない。それらは、遅かれ早かれ移ろう。そしてものごとが移ろうときに、痛み、苦しみ、不幸が生じる。この浮き沈みは、移ろいによって生じる苦しみとしてドゥッカに含まれる。

 以上の二種類の苦しみは容易に理解でき、誰にも異論がないだろう。第一の真理である「ドゥッカの本質」のこの点は容易に理解できるので、一般によく知られている。それは、誰しもが日常生活で体験することである。(62頁)

■「条件付けられた生起(2)」としての苦しみ

 しかし、第三の「条件付けられた生起」としての苦しみという面こそが、「ドゥッカの本質」のもっとも重要な哲学的側面であり、それを理解するのには、一般に存在、個人あるいは「私」とされているものを分析してみる必要がある。

 仏教的観点からすれば、私たちが一般に存在、個人あるいは「私」と見なしているものは、たえず移ろい変化する肉体的、精神的エネルギーの結合にしか過ぎず、それらは五集合要素から構成されている。そしてブッダは、

 「これら執着の五集合要素はドゥッカである」

 と述べている。また他の箇所では、「ドゥッカとは五集合要素はである」とはっきりと定義している。

 「弟子たちよ、ドゥッカとは何か。それは執着の五集合要素はである」

 ドゥッカと五集合要素は二つの異なるものでなく、五集合要素そのものがドゥッカである、とはっきり理解する必要がある。

◯訳注(2)

 漢訳仏典では「縁起」。本訳書では、現在の日本語の縁起ということばに付随している概念を抜きに、著者の論考を明らかにするために、あえてこのことばを用いなかった。(63~64頁)

■意識は対象を認知しない、という点をはっきり理解せねばならない。それは、対象が存在するということに気付く、感知の一種に過ぎない。目が色――たとえば青――と接触すると、視覚意識が生じるが、それは単に色がそこに存在するということに気付くだけで、青であるとは認知しない。それが青であると認知するのは、識別作用(三番目の集合要素)である。「視覚意識」は、一般にいう「見る」ということを意味する哲学用語である。「見る」ことは、識別することではない。他(聴覚、嗅覚、味覚、触覚)の意識に関しても同様である。(68~69頁)

■ブッダは、意識は物質、感覚、識別、意志に依存しているのであって、それらから独立しては存在しえない、と明白に述べている。

 「意識は、物質を手段とし、物質を対象とし、物質に依拠して生起し、喜びを求めて成長し、増大し、発展する。物質の代わりに、感覚、認識、意志に関しても同様である。

 ある人が、「物質、感覚、識別、意志と無関係に、意識が生起し、去来し、成長し、増大し、発展するのをお見せしよう」と言ったとしたら、彼は何か実在しないもののことを語っているのである」(72頁)

■すべては移ろう

 要するに、存在するのは五つの集合要素である。私たちが存在、個人あるいは「私」と呼んであるのは、この五つの集合要素の結合に対する便宜上の名称に過ぎない。それらはすべて無常であり、絶えず移ろうものである。「無常なものはすべてドゥッカである」というのが、「要するに、執着の五集合要素はドゥッカである」というブッダのことばの真意である。二つの連続する瞬間を通じて、同一であり続けるものは何一つとしてない。すべては、一瞬ごとに生起し、一瞬ごとに消滅し、流転を続けている。ブッダはラッタオア=ラにこう言っている。

 「バラモンよ、それはあたかも、すべてを流し去り、遠くまで流れゆく山間の急流のようなものである。流れが止むことは、一瞬、一時、一秒たりともない。流れ続けるだけである。

 バラモンよ、人の命はこの山間の流れのようなものである。世間は絶えず流動し、無常である(注6)」

 因果律に従って、一つのものが消滅し、それが次のものの生起を条件付ける。その過程で、変わらないものは何一つとしてない。そのなかで、持続的「自己」、「個人」、あるいは「私」と呼べるようなものは存在しない。物質、感覚、識別、意志、意識の中で、一つとして本当に「私」と呼びうるものがないというのは、誰もが合意するであろう。ところが、相互に依存し合うこれら五つの肉体的、心的集合要素が、肉体的、心的機械として結合して機能するとき、「私」という概念が生まれる。しかし、それは間違った考えであり、四番目の集合要素の意志の項で言及した五二の意図的行為の一つに過ぎない。(72~74頁)

◯訳注(6)

 ブッダは、この見解をアラカという名の、欲望から解放された古(いにしえ)の師に帰している。〔ギリシャの思想家〕ヘラクレイトス(紀元前五世紀)〔訳注。最新の研究では、紀元前540年頃ー480年頃とされる〕は、万物は流転すると考え、「人は同じ河に二度と入ることはできない。なぜなら、その水はたえず新しいから」という有名なことばを残しているが、両者を比較してみるのは興味深いことである(73頁)

■一般に「存在」と呼ばれる、この五つの集合要素の全体はドゥッカそのものである。ドゥッカを体験するするこれら五集合要素の背後には、「存在」も「私」もない。ブッダゴーサはこう述べている。

 「苦しみは存在するが、苦しむ主体は存在しない。

 行為は存在するが、行為主体は存在しない」

 移ろいの背後には、自らは移ろうことがない移ろいの主体はいない。ただ単に移ろいがあるだけである。人生は移ろうというのは間違っていて、人生は移ろいそのものである。人生と移ろいは二つの異なったものではない。言い換えれば、思考の背後に思考者はいない。思考そのものが思考者である。仮に思考を取り除いてみても、その背後に思考者は見出せない。仏教的思考は、デカルトの「われ思う。ゆえにわれあり」という立場とはまっこうから対立するものであることがわかる。(74~75頁)

■生命には始まりも終わりもない

 さてここで、生命には始まりがあるかどうかという問題を検討してみよう。ブッダの教えによれば、生きものの生命の始まりは考えられない。「神」による生命の創造を信じる人たちにとって、この考えは信じられないであろう。しかしもし「神の信者」に「神の始まりは何か?」と尋ねたら、彼はためらうことなく「神に始まりはない」と答え、自分の答えに驚きはしない。

 ブッダはこう言っている。

 「弟子たちよ、この輪廻の周期には目に見える終わりがない。そして、この無知に包まれ、渇望の足枷に束縛された彷徨も、いつから始まったのかわからない」

 輪廻の最大の原因である無知に関して、ブッダはさらにこう述べている。

 「無知の始まりは、この時点以前には無知はなかったというように理解されるものではない」

 そうしてみると、この時点以前には生命はなかったということは不可能である。

 突き詰めると、これがドゥッカと、これがの真理の意味である。この第一の真理を明確に理解することは、非常に大切である。なぜなら、ブッダが言っているように、

 「ドゥッカ「を見るものは、ドゥッカの生起を見、ドゥッカの消滅を見、ドゥッカの消滅に至る道を見る」

 からである。(74~76頁)

■仏教徒は幸せ

 ここから言えることは、仏教徒にとっては人生はけっして憂鬱なものでも、悲痛なものでもない。ある人たちがそう思っているのは、誤解である。実際はその逆で、本当の仏教徒ほど幸せな存在はない。仏教徒には、恐れも不安もない。仏教徒は、ものごとをあるがままに見るがゆえに、どんなときでも穏やかで、安らかで、変化や災害によって動揺し、うろたえることがない。ブッダが、憂鬱、あるいは沈鬱だったことはけっしてない。同時代人も「ブッダはたえず微笑みを湛えていた」と伝えている。仏教絵画や彫刻でも、ブッダはいつも幸せで、静逸で、充足し、慈しみ深く表現されており、苦しみ、不安、苦痛の片鱗さえも窺えない(注10)。仏教芸術、建築、寺院には、陰鬱、悲嘆といった趣がなく、いつも平安で静逸な雰囲気が醸し出されている。

 ◯訳注(10)

   ガンダーラおよび中国の福建でつくられた各々一体の仏像では、ゴータマは肋骨が露わになり憔悴した苦行者の姿をしている。これは、彼が「目覚め」に至る前に、激しい苦行を行っていたときのものであり、ブッダとなってからの彼はこうした苦行を弾劾した。

 確かに人生には苦しみがあるが、仏教徒はそれに対して陰鬱になったり、立腹したり、いらだってはならない。仏教的観点からして、人生における主要な悪の一つは、嫌悪あるいは憎しみである。嫌悪は「他の生きものに対する悪意、苦しみおよび苦しみに対する邪な気持であり、不幸および悪事を生む原因になる」と定義されている。それゆえに、苦しみに対していらだつことは間違っている。苦しみに対していらだったり、立腹しても、苦しみはなくならない。その逆に、さらに問題をふやし、すでに不愉快な状況をいっそう深刻なものにし、悪化させる。必要なのは、怒ったりいらだったりすることではなく、苦しみという問題を正しく理解することである。苦しみがいかに生起し、それをいかにして取り除くかを見極め、心棒強く、賢く、決意をもって、努力することである。

 初期の仏教経典に『テーラーガーター〔仏弟子の告白〕』と『テーリーガーター〔尼僧の告白〕』という二つの作品があるが、それらはブッダの教えによって人生に平安と幸福を見出した男性・女性の弟子たちによる、その喜びの表現をまとめたものである。コーサラ国王はかってブッダに向かって、他の教師の弟子たちが憔悴し、粗野で、血の気がなく、やせ細り、魅力がないのとは違い、ブッダの弟子たちは「楽しく元気で喜びに沸き、意気揚々として精神生活を喜び、健やかで、不安がなく、落ち着き、心安らかで、「鹿の心」で生きている、すなわち心軽やかである」と述べた。王はさらに、「こうした尊敬すべき弟子たちが心健やかにいるのは、必ずやブッダの偉大なる教えの精髄を理解したがゆえであると思う」と述べている。

 仏教は、心が陰鬱で、沈痛で、後悔しているような重苦しい態度は真理の実現にとっての障害と見なし、その対極の立場を採る。仏教では、喜びはニルヴァーナの実現のために養育すべき必須な七つの資質、すなわち「目覚めの七要素」の一つと見なされているが、これはけっして偶然ではなく興味深い。(76~79頁)

 第3章 第二聖諦 ドゥッカの生起

■それゆえに、渇望はドゥッカの生起の第一の、あるいは惟一の原因ではない。しかしそれはもっとも明白な直接的原因であり、主因あるいは支配的要因である。それゆえに、いくつかのパーリ語原典におけるドゥッカの生起の定義には、渇望が第一に挙げられているが、それ以外の汚れたもの、不浄なものも記されている。ここでは紙幅の制約から、この渇望は、主として無知から来る誤った自己の考えに起因していると述べるだけで十分である。(82頁)

■ここでいう渇望は、単に感覚的喜び、富、権力に対する欲望、あるいは執着を指すだけでなく、アイデア、考え、意見、理論、概念、信仰に対する欲望、あるいは執着を意味する。ブッダの分析によれば、この世における問題や係争は、家庭内の小さな個人的喧嘩から、国家間の大戦争に至るまで、すべては利己的な渇望から生じる。この観点からすれば、経済的、政治的、社会的問題はすべて、この利己的な渇望に根付いている。国際間の係争の解決や戦争と平和に関して、経済的、政治的な事柄だけを問題にする政治家は、表面的であり、問題の核心に深く踏み込めない。ブッダはラッタパーラにこう説いている。

 「世界は物質に欠乏し、物質を欲しがり、渇望の奴隷と化している」(82~83頁)

■生存および生存の継続

 生存および生存の継続には、原因あるいは条件という意味で四つの「栄養素」がある。

 ⑴普通の物質的な食べ物

 ⑵(心を含めた)感覚器官と外的世界との接触

 ⑶意識

 ⑷心的意図あるいは意志

 である。

 このうちの最後の心的意図が、生き、存在し、再存在し、継続し、増大しようとする意志である。それが、善悪の行為を行なうことにより、存在、継続の根源を生み出す。それが意図である。先に見たように、ブッダ自身『意図はカルマである」と定義している。今しがた触れた心的意図に関して、ブッダは「心的意図の栄養素を理解すれば、渇望の三つのかたちが理解できる」と述べている。こうして、渇望、意図、心的意図、カルマは同一のものを指している。それは、欲望であり、生存し、存在し、再存在し、増大し、一層蓄積しようという意志である。これが、ドゥッカの生起の原因であり、存在を構成する五集合要素の一つである意志のうちに含まれる。(83~84頁)

■それゆえに、ドゥッカの原因、芽は、ドゥッカ自身の中にあり、外にあるのではないということを、はっきりと、注意深く理解し、認識しなければならない。同様に、ドゥッカの消滅、破壊の原因、芽も同じくドゥッカのうちにあり、外にあるのではない、ということをよく認識する必要がある。これが「生起する性質のものは、消滅する性質のものである」という、有名なパーリ語定言の意味である。存在、ものごと、システムは、うちに生起の性質をもっていれば、同様にそのうちに消滅、破壊の原因、芽をもっている。こうしてドゥッカ(すなわち五集合要素)は、自らのうちに生起の性質をもっており、同じく自らのうちに消滅の性質をもっている。(84~85頁)

■カルマは、行為行ないを意味する。しかし仏教のカルマの理論では、カルマには特別の意味がある。それは、すべての行為を指すものではなく、意図的行為のみを指す。また多くの人は、カルマをその結果を意味することばとして用いているが、それは誤りである。仏教ではカルマは、けっしてその結果を意味しない。カルマの結果は、カルマの果実あるいは結実として〔カルマそのものとは区別して〕認識される。(85~86頁)

■私たちが生と呼ぶものは、繰り返し述べてきたように、肉体的、心的エネルギーのコンビネーション、五集合要素のコンビネーションである。これらは絶えず変化しており、連続する二つの瞬間において同一のままであることはない。毎瞬間、生まれ、死ぬ。

 「弟子たちよ、集合要素が生起し、朽ち、死ぬとき、あなたがたは生まれ、朽ち、死ぬ」

 こうして、この今の生においても、各瞬間ごとに私たちは生まれ死んでいるが、それでも私たちは継続する。自己とか魂といった永続的、不変的実体なしで、私たちが今この生を継続しているということが理解できたなら、こうした力が、身体の機能が停止したあとも、あとに残された自己や魂なしで継続できる、ということが理解できるだろう。(88頁)

■死後のエネルギーの継続

 この肉体的身体が機能しなくなっても、それとともにエネルギーは死なない。それは何か別なかたち、姿をとって継続するが、それが再生と呼ばれる。子供の肉体的、心的、知的能力は幼くて弱いが、成人となる可能性を秘めている。存在を継続する肉体的、心的エネルギーは、自らのうちに新たなかたちをとり、次第に成長し、成熟する力を内在している。

 永続的、不変的実体が存在しない以上、ある瞬間から次の瞬間に継続するものは何もない。それゆえに、ある生から次の生へと生まれまわる永続的、不変的なものは何もないことは明らかかである。途切れなく継続するのは連鎖であるが、それは一瞬一瞬変化する。連鎖とは、実際のところ運動に他ならない。それは夜通し燃え続ける炎のようなものである。それは、夜を通して同じものでもなく、また別なものでもない。子供は六〇歳にまで成長する。六〇歳の大人は、六〇年前の子供と同じではないが、かといって別人でもない。同様に、ここで死に、別なところに生まれかわった人の場合、同一人でもなければ、別人でもない。それは、同じ連鎖の継続である。死と生の区別は、思考瞬間の違いだけである。この生の最後の思考瞬間が、いわゆる次の生の最初の思考瞬間を条件付ける。この生においても、ある思考瞬間が次の思考瞬間を条件付ける。それゆえに、仏教的観点からすれば、死後の生は、神秘でもなんでもない。仏教徒はこの問題にけっして煩わされることがない。

 この存在しよう、生成しようという渇望がある限り、継続の輪(すなわち輪廻)は続く、それが止むのは、現実、真理、ニルヴァーナを見る叡智によって、その原動力である渇望が断たれるときである。((89~90頁)

 第4章 第三聖諦 ドゥッカの消滅

■第三の聖諦は、ドゥッカの継続から解放され、自由になることができる、という真理である。これは「ドゥッカの消滅すなわちニルヴァーナの真理」として知られる。

 ドゥッカを完全に消滅させるには、その主な根源――すなわち、先に見られたように渇望――を消滅させねばならない。それゆえに、ニルヴァーナはまた「渇望の消滅」とも呼ばれる。(91頁)

■「それは、かの渇望の完全な消滅である。それを諦め、放棄し、それから解放され、それに囚われないことである」

 「あらゆる条件付けられたものの沈静、あらゆる不浄の放棄、渇望の消滅、無執着、停止、ニルヴァーナ」

 「ビックたちよ、絶対とは何か。ビックたちよ、それは欲望の消滅、憎しみの消滅、幻惑の消滅である。ビックよ、これが絶対と呼ばれるものである」

 「ラーダよ、渇望の消滅がニルヴァーナである」

 「ビックたちよ、条件付けられたものであれ、条件付けられていないものであれ、すべてのなかで最高なのは、無執著である。すなわち、うぬぼれからの自由、渇望の破壊、執着の根絶、継続の切断、渇望の消滅、無執著、停止、それがである」

 ある修行者からの「ニルヴァーナとは何か」という単刀直入な質問に対し、ブッダの一番弟子であるシャーリプトラは、先に見た絶対に関するブッダの答えと同じく「欲望の消滅、憎しみの消滅、幻惑の消滅である」と答えている。(94頁)

■このように、ニルヴァーナは否定的なことばで表現されるので、多くの人はは否定的なものであり、自己否定だと誤解している。しかし、そもそも否定すべき自己そのものがないのであるから、はけっして自己否定ではない。否定すべきものがあるとすれば、それは自己に関する誤った概念、幻覚である。

 ニルヴァーナが肯定的であるとか、否定的であるとか言うのは正しくない。肯定的、否定的というのは相対的なものであり、二元論の世界での話である。こうした用語は、二元論、相対性を超えたニルヴァーナ、絶対真理には適用できない。(96頁)

■自由が否定的だと言う者は、一人もいないだろう。しかし自由にも否定的側面がある。自由はたえず何か邪魔なもの、悪魔的なもの、否定的なものからの解放である。しかし自由は否定的ではない。それゆえに、ニルヴァーナ、絶対自由を意味するムッティあるいはヴィムッティは、悪からの自由であり、渇望、憎しみ、無知からの自由、二元性、相対性、時間、空間からの自由である。(97頁)

■他の箇所では、ブッダはニルヴァーナの代りにまぎれもなく真理ということばを用いている。

 「私はあなたたちに真理および真理に至る道を教えよう」

 この場合、真理とは確実にニルヴァーナを指している(岡野注;真・善・美、全存在)。

 では、絶対真理とは何か? 仏教でいう絶対真理とは、世界には絶対的なものはなく、変わることなく、永続する絶対的な自己、魂、あるいはアートマンといったものは内にも外にもない、ということである。これが絶対真理である。否定的真理といった一般的表現があるが、真理はけっして否定的ではない。ものごとをあるがままに見る、というこの真理は、渇望の消滅であり、ドゥッカの消滅であり、ニルヴァーナである。(99~100頁)

■ニルヴァーナは結果ではない

 渇望の消滅の自然な結果がニルヴァーナだと考えるのは間違っている。ニルヴァーナは、何かの消滅の結果ではない。もし結果であるとすれば、何らかの原因によって生み出されたものである。そうならば、それは「創造されたもの」であり「条件付けられたもの」である。ニルヴァーナは原因でも結果でもなく、それを超えたものである。真理は原因でも結果でもない。それは、瞑想のような創造された神秘的、精神的、心的な状態ではない。真実は実在し、ニルヴァーナは実在する。人ができる惟一のことは、それを見、それを体現することである。ニルヴァーナの達成に至る道がある。しかし、ニルヴァーナはこの道の結果ではない。道を辿って山頂にたどり着けるが、山頂は道の結果ではない。光を見ることはできるが、光は視覚の結果ではない。(100~101頁)

■ニルヴァーナの先には何もない

 しばしば、こう質問される。ニルヴァーナの先には何があるのか? この質問はありえない。というのはニルヴァーナは究極真理だから。究極である以上、その先には何もない。もしの先になにかがあるとすれば、ニルヴァーナは究極真理ではない。ラーダという弟子が、別なかたちでブッダに質問した。「な何のためのものですか?」この質問は、ニルヴァーナの目的を問題にしている以上、ニルヴァーナの先に何かがあることを前提にしている。それゆえにブッダはこう答えた。「ラーダよ、この質問は的外れである。人は聖なる生を、ニルヴァーナを最終ゴール、目標、究極終着点として生きる」(101~102頁)

■ニルヴァーナは死ではない

 一般に「ブッダは死後(あるいはパリニルヴァーナ)に入った」といわれるが、それは誤りである。しかしこの誤りから、ニルヴァーナに関して多くの想像的な推測がなされるようになった。「ブッダはニルヴァーナ(あるいはパリニルヴァーナ)に入った」という表現を耳にすると、ニルヴァーナは一般的存在の一つの形態と理解される。一般的に「ニルヴァーナに入る」といわれるが、この表現は原典には見当たらない。「死後ニルヴァーナに入る」ということはない。パリニルヴァーナということばは、ブッダあるいはニルヴァーナを体現したアラハントの死を指すが、「ニルヴァーナに入る」という意味ではない。パリニルヴァーナは、文字通りには「完全に逝った」「完全に消された」「完全に消滅した」を意味するが、それはブッダあるいはアラハントは死後存在することがないからである。(102~103頁)

■死後のアラハントは、薪がなくなった火、芯と油がなくなった炎に譬えられる。ここではっきりとさせておかねばならないのは、火あるいは炎に譬えられるのは、ニルヴァーナではなく、ニルヴァーナを体現した、五集合要素から構成された存在(アラハント)である。このことは強調しておかねばならない。なぜなら、多くの人たち――大学者でも――は、この譬えを誤ってニルヴァーナに当てはめているからである。ニルヴァーナは、けっして消えた火、あるいは炎に譬えられることはない。(104頁)

■ニルヴァーナを体現する主体

 それゆえに、生起の芽も、消滅の芽も、共に五集合要素のうちに含まれている。「この背丈大の身体に、世界、世界の生起、世界の消滅、世界の消滅に至る道のすべてがある」というブッダの有名なことばの真意はこれである。ということは、四聖諦のすべては五集合要素、すなわち私たちの内にある、ということである。(105頁)

■ニルヴァーナは今の生で体現するもの

 ほとんどのすべての宗教においては、最高善は死後にしか到達できない。しかしかこの今の生で実現することができ、到達するのに死を待つ必要はない。

 真実、ニルヴァーナを体現した人は、世界でもっとも幸せな人である。その人は、他の人たちを悩ませている、あらゆる煩わしさ、強迫観念、心配、問題から解放される。彼は心的に完全に健康である。過去を悔やまず、未来を思い悩まない。彼は、今というときを全力で生きる。それゆえに、彼は肩肘張ることなく、もっとも純粋な意味でものごとを味わい、享受する。彼は喜びに溢れ、意気揚々とし、純粋な生を楽しみ、五感は心地よく、不安がなく、晴朗で安らかである。あらゆる利己的な欲望、憎しみ、無知、うぬぼれ、奢り、汚れから解放され、純粋で、やさしく、博愛、慈しみ、正直さ、同情、理解、寛容に富んでいる。彼は自己という概念をもっていないので、他人への奉仕はまさに純粋である。彼は自己という幻想、生成の渇望から解放されているがゆえに、精神的なことも含め、何一つ得ないし、集積しない。(106頁)

■ニルヴァーナは、二元論、相対的なことばを超えたものである。私たちの一般的な善悪、正邪、存在と非存在という概念を超えている。(107頁)

■シャーリプトラが言った。「友よ!ニルヴァーナは幸せなり、ニルヴァーナは幸せなり」

 ウダーイが尋ねた。「友シャーリプトラよ、感覚がないのなら、幸せとはどんなものですか」

 この問いに対するシャーリプトラの答えは、非常に哲学的で、普通の理解領域を超えている。

「感覚がないということ自体が幸せである」(107頁)

■ニルヴァーナは「賢者が自らの内に体現すべきものである」。もし私たちが、八正道を根気よく熱心に歩み、自らを修練し、浄化し、必要な精神的発展を遂げれば、高尚な、わけのわからないことばを操ることなく、ある日ニルヴァーナを内に体現できるであろう。(107~108頁)

 第5章 第四聖諦 ドゥッカの消滅に至る道

■第四の聖諦は、「ドゥッカの消滅に至る道」であるが、このこの道は二つの極端な道を避けるがゆえに、「中道」と呼ばれる。二つの極端な道の一方は、感覚的な快楽を通じて幸福を求める道で、それは「低俗で、通俗的で、無益な、凡人の道」である。もう一方は、さまざまな禁欲的行為によって自らを苦しめることにより幸福を求める道で、「苦痛を伴い、無価値で、無益である」。自らこの二つの極端な道を経験し、それらがともに無益であることを理解した上で、ブッダは自らの経験から静逸、洞察、目覚め、ニルヴァーナに至る「中道」を見出した。(109頁)

■八正道

 それは八項目から構成されているので、一般的に「八正道」と呼ばれる。すなわち、

 ⑴正しい理解

 ⑵正しい思考

 ⑶正しいことば

 ⑷正しい行ない

 ⑸正しい生活

 ⑹正しい努力

 ⑺正しい注意

 ⑻正しい精神統一

 ブッダが四五年間にわたって説いた教えは、実質的にはこの八正道に凝縮される。ブッダは、弟子の発展段階、理解能力、実践能力に応じて、さまざまな場所で、さまざまなかたちでこれを説明した。ブッダの何千という教えのエッセンスは、この八正道に集約されている。(109~110頁)

■この八項目(正道)は、右に列挙した順に一つずつ実践していくものと思ってはならない。それらは、各人の能力に応じて、すべてを同時に実践しなくてはならない。八つは各々繫がっており、一つの実践が他の実践に役立つ。(110頁)

■これらの八項目は、仏教的修練と規律における三つの基本を増進し完成することを目的としている。三つとは、

 •倫理的行動

 •心的規律

 •叡智(岡野注;貪・瞋・癡の対極)

 である。それゆえに、これら八項目は三つの部類に分けて考察するのが妥当である。(110~111頁)

■倫理的行動

「正しいことば」とは、①嘘をつかない、②人びとや集団の間に憎悪や敵意、不一致や不調和をもたらすような蔭口、中傷、噂話を慎む、③荒々しく、粗暴で、無作法なことばや悪意を含むことば、罵(ののし)りのことばを慎む、そして④無用で役にたたない馬鹿げたおしゃべりや雑談をやめることである。

 これらの誤った有害なことばをやめると、人は自然に真実をかたり、友好的で慈悲深いことば、快く優しいことば、そして意味深い、役に立つことばを使うようになる。軽率に話してはならず、発言は正しいときと場を心得たものでなければならない。もし、何か有益なことが言えない場合は「尊い沈黙」を守るべきである。(112頁)

■「正しい行ない」とは、道徳的で、尊敬に値し、安らかな行動を促進することを指す。命を傷つけたり、盗みを働いたり、不誠実であったり、邪(よこしま)な性的関係をもったりすることを慎むと同時に、他の人たちが正しく、安らかで、尊敬に値する生活を送るのを助けなくてはならない。(113頁)

■「正しい生活」とは、武器や兵器、酒、毒物の取引、屠殺、詐欺といった、他者を害することで生計を立てることを慎み、他者を傷つけることがなく、他者から批難されることがなく、尊敬される職業に就くことである。仏教は、武器や兵器の取引は邪悪で正しくない生計であると見なしていることから、仏教はいかなるかたちの戦争にも強く反対していることが明らかである。(113頁)

■八正道のこの三つの項目(「正しいことば」「正しい行ない」「正しい生活」)が倫理的行動を形成する。仏教の倫理的、道徳的行動は、個人および社会にとっての幸せで調和のとれた生活を促進することを目的としている。道徳的行動は、すべての高度な精神的達成にとって不可欠な基礎と見なされている。この道徳的基盤をなくして、いかなる精神的発達も不可欠である。(113頁)

■心的規律

 次の「心的規律」には、八正道のうちの三つの項目が含まれる。すなわち、正しい努力、正しい注意、そして正しい精神統一である。

「正しい努力」とは、①邪で不健全な気持が起きるのを防ぎ、②すでに起きた邪で不健全な気持を取り除き、③正しく健全な心を起こし、④すでに起きた正しく健全な心を完成に導くことである。

「正しい注意」とは、①身体の活動、②感覚や感じ、③心の動き、④考え、思考、概念とものごとに関しては、はっきり意識し、気を遣い、注意することである。

 身体に関しては、呼吸に注意することは精神的発達のためのよく知られた訓練の一つである。同じく身体に関連した事柄では、瞑想など他にも精神的発達を促す方法がある。(114頁)

■心的規律の三番目で最後の項目が、一般にトランスあるいは瞑想と訳されるジャーナ(注)で、四段階の「正しい精神統一」である。

◯訳注

 漢訳仏典では「禅那」と音写され、現在日本語で、一般に用いられている「禅」の訳語。(115頁)

■ジャーナの第一段階では、感覚的欲望、悪意、物憂さ、不安、落ち着きのなさ、猜疑心といった情欲と不健全な考えが取り除かれ、ある種の心的活動に際して喜びと幸せの感情が伴う。

 第二段階では、すべての知的活動は抑圧され、平静と心の「一点集中」状態が発達し、喜びと幸せの感情が保たれる。

 第三段階では、アクティブな感覚である喜びの感情はなくなり、幸せの感情は残り、心の平静が加わる。

 第四段階では、幸・不幸・喜び・悲しみといったすべての感覚がなくなり、ただ純粋な、平静と自覚だけが残る。

 こうして、正しい努力、正しい注意、正しい精神統一によって心は訓練され、律せられ、啓発される。(115~116頁)

■叡智

 残りの二つの項目、すなはち正しい理解と正しい思考が「叡智」を構成する。

「正しい思考」とは、すべての生きものに対する無私無欲な放棄あるいは無執着、愛の思い、非暴力の思いである。この無私無欲な無執着、愛、非暴力が叡智と併記されるのは興味深く重要である。このことからはっきりわかるのは、叡智にはこうした高貴な要素が具わっているということである。個人的であれ、社会的、政治的であれ、人生における利己主義的な欲望、悪意、憎しみ、暴力といった考えは、叡智に欠けていることの結果に他ならない。(116~117頁)

■仏教では、二種類の理解がある。私たちが一般に理解と呼んでいるのは、知識、すなわちある種のデータに基づいた、ある事柄の知的把握である。これは、「ものごとに准じた知識」と呼ばれるが、深いものではない。本当の深い理解は「透視」と呼ばれ、ものごとの本質を、名前や名称なしで見抜くことである。この「透視」は、心に一切の汚れがなくなり、心が瞑想によって完全に啓発されたときに初めて可能である。(117頁)

■以上ざっと見てきたところからわかるように、八正道とは、一人ひとりが、自らの人生において、歩み、実践し、開発する道である。それは、身口意の自己規律であり、自己啓発であり、自己浄化である。それは、信仰、崇拝、儀礼とは無関係である。この意味において、それは一般的に「宗教的」といわれるものとは無縁である。それは道徳的、精神的、知的完成を通じての究極の実存、完全な自由、幸せ、平和に至る道である。

■まとめ

 四聖諦に関連して、われわれがなすべきことは以下のとおりである。

 第一聖諦はドゥッカの本質で、人生の本質は苦しみ、悲しみ、楽しさ、不完全さ、不本意さ、無常さである、ということである。これに関連してわれわれがすべきことは、それを事実として明瞭に、完全に理解することである。

 第二聖諦はドゥッカの生起である。すなわちもろもろの欲情、汚れ、不純さを伴った渇望、欲望の生起である。このことをただ理解するだけでは不十分であり、われわれがすべきことは、この渇望を退け、除き、破壊し、根絶することである。

 第三聖諦はドゥッカの消滅、すなわちニルヴァーナ、絶対真理、究極実存である。われわれがすべきことは、それを体現することである。

 第四聖諦はドゥッカの消滅に至る道、すなわちニルヴァーナの実現に至る道である。どれだけ完璧にこの道を知ろうと、単なる知識では不十分である。この場合われわれがすべきことは、それを辿り、歩むことである。(118~119頁)

 第六章 無 我(アナッタ)

■我の概念の否定

 この魂、自己、アートマンの 存在を否定するという点で、仏教は人類の思想史の中でユニークである。ブッダの教えによれば、自己という概念は実体に該当しない想像上の誤った考えである。それは、「私」、「私の物」、利己主義的欲望、渇望、執着、憎しみ、悪意、うぬぼれ、傲慢、エゴイズム、不純さ、その他、さまざまな問題を生み出す、それは、個人的いざこざから国家間の戦争に至るまで、世界のあらゆる問題の源である。突き詰めていえば、世界における諸悪の根源はこの誤った考えに辿り着く。(122頁)

■ブッダには、このことがよくわかっていた。彼は、自分の教えは「世の潮流に逆らう」、人間の利己主義的な欲望に逆らうものだと言っている。「目覚め」の四週間後、菩提樹の下に坐って、ブッダはこうつぶやいた。

「私が体現したこの真実は、見がたく、理解しがたく、賢者にしか把握されない。潮流に逆らい、高遠で、深く、微妙で、難解なこの真理は、欲情に打ち負かされ、闇に包まれた者たちにには見えない」(123頁)

■「条件付けられた生起」

 アートマンのことを論じる前に、「条件付けられた生起」に関して見てみることが有益である。この教えの要点は、次の四行詩で明らかである。

「これが存在するとき、あれが存在する。

 これが生起するとき、あれが生起する。

 これが存在しないとき、あれが存在しない。

 これが消滅するとき、あれが消滅する」(124~125頁)

■十二項目〔因縁〕

 この条件性、相対性、相互依存性の原理に基づいて、すべての生の存在、継続そして消滅が、十二項目からなる「Aを条件として、Bが生起する」という定式によって説明される。

 ⑴無知を条件として、意図的行為あるいはカルマが生起する。

 ⑵意図的行為あるいはカルマ条件として、意識が生起する。

 ⑷精神的、肉体的現象を条件として、六器官が生起する。

 ⑸六器官を条件として、接触が生起する。

 ⑹接触条件として、感知が生起する。

 ⑺感知を条件として、渇望が生起する。

 ⑻渇望を条件として、執着が生起する。

 ⑼執着を条件として、生成が生起する。

 ⑽生成を条件として、誕生が生起する。

 ⑾誕生を条件として、⑿老い、死、悲嘆、痛みなどが生起する。

 こうして生が生起し、存在し、継続する。

 これを逆の順序でたどれば、消滅の過程となる。無知の完全な消滅から、意図的行為あるいはカルマが消滅し、意図的行為あるいはカルマの消滅から、意識が消滅し、……、誕生の消滅から、老い、死、悲嘆、痛みなどが消滅する。

 はっきりと理解しなくてはならないのは、これらの一つひとつの要素は、〔他を〕条件付けると同時に、〔他により〕条件付けられているという点である。それゆえに、すべては相対的であり、相互に関連しており、何一つとして絶対ではなく、独立していない。それゆえに、先に述べたように、仏教では何かが絶対的主因であるとは見なさない。条件生起は、〔完結する閉じた〕輪と見なすべきであり、〔完結しない単なる〕連鎖とみなすべきではない(注)。

◯注

 紙幅の制約から、この最も重要な教義をここでは精細に論じられない。仏教哲学に関する別の本でこのテーマに関する批判的比較研究を行なう予定である。〔訳注。この本は、訳者の知る限り刊行されていない〕〔岡野注;存在の中に、完結する閉じた輪の存在を認めるならば、禅宗の空の理論とは矛盾する。特異点があることになる。弦理論や数字、素数の存在とも関係ありそうだ〕(125~126頁)

■自由意志も条件付けられている

 西洋思想・哲学では、自由意志の問題が重要な位置を占めてきた。しかし「条件付けられた生起」を現則とする仏教では、この問題は存在しないし、存在しようがない。すべてが相対的で、条件付けられて、相互依存してる以上、どうして意志だけが自由でありえようか。他のあらゆる思いと同じく、意志も条件付けられている。いわゆる「自由」自体も条件付けられており、相対的である。条件付けられてなかで相対的〔傍点は訳者による。次も同じ〕に自由な意志は否定されないが、すべてが相互依存的であり、相対的である以上、絶対的に自由なものは、肉体的なものであれ、心的なものであれ、何も散在しない。もしも自由意志を条件から、あるいは因果律から独立したものとするなら、そのようなものは存在しない。すべての存在が、条件付けられ、相対的であり、因果律に律せられている以上、意志が、あるいは別の何かが、条件なしに、因果律から独立して生起することはありえない。ここでまたしても、自由意志とという概念は、神、魂、正義、報賞、罰則という概念と結びついている。いわゆる自由意志そのものばかりか、自由意志という考え自体が、条件から解放されたものではない。

「条件付けられた生起」の理論、および存在の五集合要素の分析から、人間の内あるいは外に、アートマン、「我」、魂、自己、あるいはエゴといった不変、不死なるものを想定するのは、誤っており、単なる心的投射に過ぎない。これが、仏教のアナッタ、無魂、無我の教理である。(127~128頁)

■アートマン

―前略ー

 人びとは、アートマンに関するブッダの教えによって、彼らが想像していた自己が破壊されることになると思い、神経質になった。ブッダにはそれがわかっていた。

 あるとき弟子が尋ねた。

「師よ! 内なる永遠のものが見つからないとき、人は苛(さいな)まれるということがありますか?」

「弟子よ、それはある。ある人がこう考えたとしよう。

 「宇宙はかのアートマンであり、私は死後、永遠で、不変で、永続的で、不易なそれとなろう。そして私は永遠にそのようにあろう」

 その彼が、ブッダあるいはその弟子が、渇望の消滅を目指して、また執着を離れたを目指して、〔自分の〕推測的な見解を完全に打破する教えを説くのを聞いたとしよう。彼は、

 「私は無に帰される。私は破壊される。もはや私は存在しない」

 と思うだろう。そして彼は嘆き、心配し、泣き、胸を叩き、打ちのめされるだろう。こうして、内なる永遠のものが見つからないと、人はさいなまれることがある」

 また他の箇所で、ブッダはこういっている。

「弟子たちよ、私は存在しないかもしれない、私は所有しないかもしれない、と思うと、一般の人は恐怖心に襲われる」(130~131頁)

■第一に、ブッダは、人間の内であれ外であれ、あるいは宇宙のどこであれ、アートマン、魂、エゴの存在については断固として、明瞭に、一度ならず否定している。いくつかの例を検証してみよう。(132頁)

■最初の二句は、

「条件付けられたものはすべて無常である」

「条件付けられたものはすべてドゥッカである」

 第三の句は、

「すべてのものごと(ダルマ)は、無我である」

 ここで注意しなくてはならないのは、最初の二句では「条件付けられたもの」ということばが用いられ、第三句では、その代わりに「ものごと(ダルマ)」ということばが使われていることである。どうして第三句では、最初の二句と同じように、「条件付けられたもの」ということばがもちいられずに、その代わりに、「ものごと」ということばが使われているのだろうか。すべての鍵はここにある。

「条件付けられたもの」ということばは、物質的であれ心的であれ、すべて条件付けられ、相互依存し、相対的な五集合要素およびその状態のすべてを指す。第三句が「すべての条件付けられたものは、無我である」であったなら、人は、条件つけられたものは無我であるが、条件つけられていないもの、すなわち五集合要素以外のものには我がある、と思うであろう。こうした誤解が生じないために、第三句では「ものごと」ということばが用いられているのである。

 仏教用語としての「ものごと」ということばは、「条件付けられたもの」ということばよりもずっと広い意味をもっている。「ものごと」は、ただ単に条件付けられたものとその状態を指すだけはでなく、絶対とかニルヴァーナといった条件つけられていないものをも含む。宇宙の内であれ外であれ、善悪を問わず、条件付けられている・いないを問わず、相対的・絶対的を問わず、このことばにふくまれないものは何もない、それゆえに、「すべてのものごと(ダルマ)は、無我である」という句によれば、五集合要素の内に限らず、その外であれ、どこであれ、自己はなく、アートマンはない、ということは明らかである。(132~134頁)

■中部経典の「アラガッドゥパナ・スッタ」の中で、ブッダは弟子たちにこう言っている。

「弟子たちよ! 嘆き、悲しみ、心痛、辛苦のない魂理論があれば、それを受け入れよ。しかし弟子たちよ、嘆き、悲しみ、心痛、辛苦のない魂理論が、どこにあるのか?」

「師よ、どこにも見当たりません」

「弟子たちよ、その通りである、私自身も、嘆き、悲しみ、苦しみ、心痛、辛苦のない魂理論は、どこにも見出せない」

 もしブッダが受け入れた魂理論があったのなら、ブッダはここでそれを説明したであろう。なぜなら、ブッダは弟子たちに、苦しみを生起しない魂理論を受け入れるようにと言っているのだから。しかしブッダからすれば、そんな魂理論はなく、いかに緻密で優れたものであれ、すべての魂理論は誤っており、想像的なものにしか過ぎず、嘆き、悲しみ、苦しみ、心痛、辛苦を生起するものである。

 同じ経の中で、ブッダは続けてこうも言っている。

「弟子たちよ、自己も、自己に関連する何ものも本当の意味で、実際に見出せないなら、「宇宙はかのアートマン(魂)であり、私は死後、永遠で、不変で、永続的で、不易なそれとなろう。そして私は永遠にそのようにあろう」という考えは、完全に、完璧に愚かではなかろうか?」

 ここでブッダは、アートマン、魂、自己は、実際にはどこにも見当たらず、そんなものがあると信じることは愚かしい、とはっきり断定している。(134~135頁)

■アートマンに関する誤解(一)

 ブッダの教えの中に自己を見出そうとする人たちは、いくつかのことばを引用するが、実際にはそれらを誤解し、語訳している。その一つが『ダンマパダ』の「アッター・ヒ・アッタノ・ナート」という有明な一句である。それは、「自己は、自分の主である」という句で、偉大なる「自己」は、小さな「自分」の主であると解釈される。

 まず、この解釈は間違っている。「アッター」は、魂の意味での自己を意味しない。パーリ語のアッターは、ことに哲学的に魂理論に言及する限られた場合を除き、一般的には再帰代名詞、あるいは不定代名詞である。『ダンマパダ』のこの句の場合もそうで、「自分自身」「あなた自身」「彼自身」「人」「人自身」を指す。

 次に、「ナート」は「主」ではなく、「避難所」「よりどころ」「支援」の意味である。それゆえに「アッター・ヒ・アッタノ・ナート」は、「自分自身が、自分のよりどころである」あるいは「自分自身が、自分の避難所である」という意味である。この句は、形而上学的魂あるいは自己とは何の関係もない。意味するところは単に、他人ではなく、自分自身を頼りにしなくてはならない、ということである。(135~136頁)

■アートマンに関する誤解(二)

 ブッダの教えに自己の考えを導入しようとしてよく引用されるもう一つの句は、『マハーパリニッパーナ・スッタ〔大般涅槃経〕』中の有名な「アッタディーバ・ヴィハラタ・アッタサラナー・アナッニャサラナー」である。この句は、「自分自身をよりどころとし、自分自身を避難所とし、他の誰をも避難所とすることなかれ」という意味である。仏教の中に自己という概念を導入しようとする人たちは、この句のアッタディーバとアッタサラナーを、「自己をよりどころとみなす」「自己を避難所と見なす」と解釈している。この句は、ブッダがアーナンダに授けた助言であるが、その背景を理解しない限り、その本当の意味は完全にはわからない。

 ブッダはこのときベルヴァという村に滞在していた。死の三カ月前のことであった。ブッダは八〇歳で、重い病いに苦しんでおり、瀕死状態であった。しかしブッダは、親しい弟子たちに別れを告げずに死ぬことはできないと思った。それで勇気と決断をもって痛みをこらえ、病気を克服し、立ち上がった。しかし、体は弱っていた。回復してから、ある日住いの外の木陰に坐っていた。もっとも親しかった弟子のアーナンダがブッダの近くに行き、傍らに坐って言った。

「師よ、私は師の健康を管理し、看病してきました。しかし、師の病いを見るにつけ、世が暗くなり、気分がふさぎます。しかし、一つ気が安らぐことがあります。師はサンガに関する指示を与えないではお亡くなりにならないでしょう」

 そこでブッダは、慈悲からそして人情から、もっとも愛しい弟子であるアーナンダに語った。

「サンガは私に何を望むことがあるのか。私は、内外のいかなる区別をすることもなく真理を教えた。教師としてブッダは掌のうちに隠すことは何一つない。「私がサンガを導き、サンガは私の指導を仰がねばならない」と思うものがいたら、彼に彼自身の指示を記させよ。ブッダにはそうした意図はない。それゆえに、どうしてサンガに関する指示を残す必要があろうか。アーナンダよ、私は年老いて、齢八〇である。使い古された車が修理によって動き続けるように、ブッダの身体は修理によって動き続ける。それゆえに、アーナンダよ、

 自分自身をよりどころとし、

 自分自身を避難所とし、

 他の誰をも避難所とすることなかれ

 ダルマをよりどころとし、

 ダルマを避難所とし、

 他の何ものをも避難所とすることなかれ」

 ブッダがアーナンダに伝えようとしたことはきわめて明らかである。アーナンダは悲しくて、気落ちしていた。アーナンダは、偉大な師が亡くなったあとは、彼らは全員避難所もなく、師もなく、ひとりぼっちで、途方に暮れると思っていた。そこでブッダは、彼を慰め、勇気づけ、自信をもたせるために、自分自身とブッダの教えを頼りとし、他の誰にも、他の何ものにも頼ってはいけないと言った。この文脈に、形而上学的アートマンを見出すのはまったく場違いである。

 さらにブッダはアーナンダに、身体、感覚、心、心の対象に対する正しい思いによって、いかにして自分自身をよりどころあるいは避難所とし、ダルマをよりどころあるいは避難所とするかを説明した。ここではアートマンあるいは自己は一切話題となっていない。(136~139頁)

■アートマンに関する誤解(三)

 ブッダの教えの中にアートマンを見出そうとする人たちがよく引用するのが次のレファレンスである。あるときブッダはベナレスからウルヴェーラーに向かう途中の森の中で一本の木の下にいた、その日、三〇人の若い王子たちが若い妃たちを伴って、その森にピクニックに出かけた。そのうちの一人の王子は未婚だったので、娼婦を伴っていた。皆が浮かれている間に、娼婦はいくつかの貴重品を盗み、いなくなった。彼らは森の中で女を捜し回っている間に、木の下に坐っているブッダに出くわしたので、女を見なかったかと訊ねた。ブッダは何が起きたのかと訊ねた。彼らが説明すると、ブッダは言った。「若者たちよ、どう思うか?女を捜すのと、自分を捜すのと、どちらが大切か?」

 これも単純で自然な質問であり、ここに形而上学的なアートマンとか自己といったアイデアを導入する正当性はない。若者たちは、自分を探す方が大切であると答えた。

 これも単純で自然な質問であり、ここに形而上学的なアートマンとか自己といったアイデアを導入する正当性はない。若者たちは、自分を捜す方が大切であると答えた。そこでブッダは彼らに坐るように促し、ダルマを説明した。知られている原典では、アートマンには一言も触れられていない。(139~140頁)

■ブッダの沈黙

 修行者ヴァッチャゴッタに、アートマンは存在するか否かを尋ねたときの、ブッダの沈黙に関して、今までさまざまに論議されてきた。その話は、次のとおりである。

 ヴァッチャゴッタがブッダの許にやってきて訊ねた。

「師ゴータマよ、アートマンは存在しますか?」

 ブッダは黙していた。

「では、師ゴータマよ、アートマンは存在しないのですか?」

 またしてもブッダは黙していた。

 ヴァッチャゴッタは立ち上がって、去っていった。

 修行者が去ったあと、アーナンダがブッダにどうしてヴァッチャゴッタの質問に答えなかったのかと尋ねた。ブッダは自分の立場をこう説明した。

「アーナンダよ、ヴァッチャゴッタは「自己は存在しますか?」と尋ねた。もし私が「自己は存在する」と答えたなら、私は永遠主義のバラモンの側についたことになる。

 またアーナンダよ、ヴァッチャゴッタが「自己は存在しないのですか?」と尋ねたとき、もし私が「自己は存在しない?」と答えたなら、私は虚無主義の修行者やバラモンの側についたことになる。

 またアーナンダよ、ヴァッチャゴッタが「自己は存在しますか?」と尋ねたとき、もし私が「自己は存在する」と答えたなら、「もろもろのものごとには自己がない」という私の考えと一致するだろうか」

「師よ、一致しません」

「またアーナンダよ、ヴァッチャゴッタが「自己は存在しないのですか?」と尋ねたとき、もし私が「自己は存在しない?」と答えたなら、すでに(先の問答で)混乱していたヴァッチャゴッタをいっそう困惑させることになっただろう。というのは、彼は、「私は今まで、たしかにアートマンをもっていたのに、もはやもっていない」と思うからである」

 なぜブッダが沈黙を保ったかは、今や明らかであろう。しかしその背景およびブッダの質問および質問者への対処の仕方――このことは従来無視されてきた点である――を考慮に入れたら、いっそう明瞭になるであろう。(140~142頁)

■ブッダの対応

 (前略)

 ある人たちは、「自己」を一般に「心」「意識」と言われているものだと考える。しかしブッダは、普通の人にとっては、心、考え、意識よりは、むしろ自分の身体を「自己」と見なした方がいい、と言っている。なぜなら、心、考え、意識は日夜たえず身体よりも速く変化するもので、身体の方が堅固だからである。

「私は存在する」という曖昧な感覚が、該当する実体がない「自己」という考えを生み出す。この事実がわかることがニルヴァーナを体現することであるが、それは容易なことではない。(144~145頁)

■ケーマカ

 (前略)

「ケーマカは、「私は存在する」というのは、物質でも、識別でも、意志でも、意識でもなく、それを離れたものでもないと、と説明した。しかし彼は、五集合要素に関して「私は存在する」という感覚があるが、はっきりと「これが私の存在である」とはわからない、と言う。

 かれは、それは花の匂いのようなものであると言う。それは、花弁の匂いでも、色の匂いでも、花粉の匂いでもなく、花の匂いである。

 ケーカマは、さらにこう説明した。ある程度の修行レベルに達した人でも、未だに「私は存在する」という感覚をもっている。しかし、修行が進むにつれてこの感覚はすっかりなくなる。あたかも、衣類を洗濯した直後には洗剤の匂いが残るが、収納されている間に消えていくかのように。

 この対話は非常に有益であったため、ついにケーカマを含めた全員がアラハントとなり、あらゆる汚れから解放され、「私は存在する」という感覚がなくなった。(145~146頁)

■まとめ

 ブッダの教えによれば、「私には自己がない」という考えも、「私は自己をもっている」という考えも、ともに間違っている。なぜなら、両者ともに「私は存在する」という誤った感覚から生起する足枷だからである。アナッタ(無我)の問題に対する正しい見解は、いかなる見解にも見方にも固執せず、心的な投射を行なわずにものごとをありのままに見ようとすることである。私たちが「私」「存在」と呼んでいるものは、各々が独立に、因果律に従い刻一刻と変化する物質的、心的要素の結合に過ぎない。そうした存在には、恒久で、永続し、不易で、永遠なものは何もない。

 ここで必然的に一つの質問が出てくる。もしアートマンあるいは自己がないのなら、カルマ(行ない)の結果を享受するのは何なのか? この質問にも、ブッダが誰よりも的確に答えている。一人の修行者がこの質問をしたとき、ブッダはこう答えた。「弟子たちよ、私はあなたがたにすべてのものごとに条件性を見るように教えた」

 アナッタ、無魂、無自我の教えは、否定的、あるいは虚無的に理解すべきではない。ニルヴァーナと同じく、それは真理、実体であり、実体は否定的ではありえない。否定的なのは、本来存在しない自我を想像上存在すると信じることについてである。アナッタの教えは、誤った信念の闇を除き、叡智の光を生み出す。それは否定的ではない。アサンガの次のことばは的を射ている。

「無自我という真実が存在する」(146~147頁)

 第7章 心の修養(バーヴァナ)

■ブッガが言った。

「弟子たちよ、病いには二種類ある。肉体的な病いと心的な病いである。

 肉体的な病いは、一年、二年、……100年さらにはそれ以上にわたって、かからない幸せな人がある。

 しかし弟子たちよ、心的な汚れから解放された者(すなわちアラハント)たちを除いて、この世の中で心的な病いのない状態を一瞬たりとも享受できる人は稀である」(149頁)

ブッダの瞑想法

 (前略)

 瞑想ということばは「修養」「啓発」すなはち心的修養、心的啓発を意味する原語バーヴァナーの訳ではあるが、けっして適切ではない。仏教のバーヴァナーは心の修養である。それは心の肉欲、憎しみ、悪意、怠惰、心配、落ち着きのなさ、疑いといった汚れや動揺から浄化し、集中力、気付き、知性、意志、エネルギー、分析力、自信、喜び、静けさといった資質を啓発し、最終的にはものごとをありのままに見、究極の真理、ニルヴァーナを実現する叡智に到達させるものである。(150~151頁)

2種類の瞑想

 集中力 瞑想には2種類ある。一つは心の一点集中の啓発のためのものである。経典にはさまざまな方法が記してあるが、「無の領域」や「感受でもなく、無感受でもない領域」といった高度な神秘的段階に至る。ブッダによれば、こうした神秘的段階は、すべて心によって生起し、心によって生み出され、条件付けられたものである。それらは、実存、真理、ニルヴァーナとは何の関係もない。この種類の瞑想は、ブッダ以前に存在した。それゆえに、これは純粋には仏教的ではないが、仏教から除外されはしなかった。しかし、これはニルヴァーナの実現にとっては本質的なものではない。ブッダ自身「目覚め」に至る前に、さまざまな師についてこうしたヨーガを行ない、最高の神秘的境地に達した。しかし、彼は満足できなかった。なぜなら、それらによって完全な解放が得られず、究極実存の透視は得られなかったからである。ブッダは、こうした神秘的境地を「この生における幸せなせいかつ」「平安な生活」とみなしたが、それ以上のものではなかった。(151頁)

ヴィバーヴァナー それゆえに、ブッダはヴィバーヴァナーと呼ばれるもう一つの瞑想、すなはちものごとの本質の「透視」を発見した。これは、究極の真理、ニルヴァーナの実現、心の完全な解放へと導くものである。これこそが、仏教の本質的な瞑想で、仏教の心的修養である。これは、気付き、自覚、注視、観察に基づく分析的な方法である。

■身体的活動に関する心的修養の、重要で、実践的で、有益なもう一つのかたちは、公私を問わず、仕事中であるかどうかを問わず、日常生活ですること、話すことを問わず、日常生活ですること、話すことを十分に意識し注意することである。歩く、立つ、坐る、横たわる、眠る、身体を曲げる、伸ばす、周りを見る、服を着る、話す、沈黙する、食べる、飲む、トイレに行くなど、すべての行ないに対して、それをする瞬間にそれを意識することである。すなわち、今この時点で、今行なうことに集中する、ということである。(155~156頁)

■弟子たちが、一日一食のシンプルで静かな生活を送っていながら、顔色が輝いているのはどうしてかと尋ねられ、ブッダはこう答えた。

「かれらは過去を悔やまず、未来のことを気に病まない。彼らは現在を生きている。だから彼らの顔色は輝いている。愚かな者たちは、未来のことを気に病み、過去を悔やんで、それはまるで青々とした葦が刈り取られ、陽に当たって枯れてしまうようである」(155~156頁)

■気付きあるいは自覚といっても、「私はこれをしている」「私はあれをしている」といつも思い、意識することではない。その逆である。「私はこれをしている」と思う瞬間、あなたには自意識が生まれ、行なっていることにではなく、「私は存在する」という考えに生きている。その結果、行ないはだめになる。あなたは自分を完全に忘れ、今行なっていることに自分を没入しなければならない。たとえば講師に「私はこの聴衆に話している」という自意識が生まれた瞬間、講演は乱れ、思考の流れが途切れる。しかし講演に、そしてテーマに没入しているとき、講師の能力は最大限に発揮され、話もスムーズで、説明もうまく行く。芸術的、詩的、知的、精神的分野における偉大な仕事は、本人が制作に没入し、自分を完全に忘れ、自意識から解放されたときになされる。(158頁)

■私たちの活動に関する気付きあるいは自覚に関してブッダが教えたことは、今の瞬間、今していることに生きることである(これはまた、本質的にはこの教えに基づいた「禅」の教えでもある)。この瞑想法では、気付きあるいは自覚を発達させるのに、ことさら何かを行なう必要はなく、自分が行なうことに絶えず気を遣い、自覚するだけで十分である。「瞑想」に、あなたの貴重な時間を一瞬たりとも費やす必要はない。あなたは、自分の日常生活におけるあらゆる行ないに関して、昼夜たえず気付きあるいは自覚を修養しなければならない。今まで述べた二種類の瞑想は、身体(的活動)に関するものである。(158~159頁)

⑵感覚、感情に関する心的修養

 次には、幸せ、不幸せ、そのどちらでもないといった感覚、感情に関する心的修養がある。その一例だけを挙げるとしよう。不幸な、悲しい感覚を経験したとしよう。こうした状況では、あなたの心には雲が立ちこめ、すっきりとせず、気落ちしている。場合によっては、あなたはどうして不幸せなのかがはっきりわからない。まずは不幸せと観じたとき、そのことでさらに不幸せになったり、心配事があるとき、そのことでさらに心配したりすることがないようにすべきである。そして、どうして不幸せ、心配、悲しみという感覚、感情が生まれるのかをはっきりと観察する必要がある。それがどのようにして生起するのか、何が原因なのか、どのようにして消滅するのか、どのようにして止むのかを検討する。科学者が対象を観察するように、外側に立ち、主観的反応を交えずに状況を吟味する。ここでも、主観的に「私の感覚」「私の感情」としてではなく、客観的に「一つの感覚」「一つの感情」として眺める必要がある。そして「私」という誤った概念を棄てなければならない。感覚や感情の本質、それがどのように生起し、消滅するかがわかると、心がそれに左右されなくなり、執着がなくなり、自由になる。これはすべての感覚、感情について当てはまる。(159~160頁)

⑶心に関する心的修養

 次には、心を検討しよう。心は、情熱的であったり、超然としていたり、あるいは憎しみ、悪意、嫉妬に打ち負かされていたり、その逆に感情、慈しみに溢れていたり、曇っていたり、あるいは明晰であったり、実にさまざまに変化するが、そのすべてを完全に意識しなければならない。往々にして、私たちは自分の心を直視するのを恐がったり、恥ずかしがったりし、それを避けたがるということを認めなくてはならない。しかし鏡で自分の顔を見るように、勇気をもって、真険に自分の心を直視しなければならない。

 正邪、善悪の批判、判断、区別、といった問題ではない。単純に観察し、眺め、検討するだけである。あなたは裁判官ではなく、科学者である。自分の心を観察し、その本当の性質が明らかになると、あなたは情熱、感情、ストレスに対して冷静になれる。そうすると執着がなくなり、自由になり、ものごとがありのままに見えてくる。

 一例を挙げてみよう。あなたは本当に立腹しており、怒り、悪意、憎しみが煮えたぎっているとしよう。不思議にも、そして逆説的に、立腹している当人は、自分が立腹していることを本当に意識せず、それに気が付いていない。自分の心の状態に気付き、それを意識し、自分の怒りが見えると、自分が恥ずかしくなり、怒りが静まり始める。怒りの本質、その生起、消滅を吟味しなければならない。ここでも「私は怒っている」とか「私の怒り」ということを思ってはいけない。怒っている状態に気付き、意識するに留めなくてはならない。怒った心をただ客観的に観察し、吟味するだけである。これが、すべての感覚、感情、心の状態に対してとるべき態度である。(160~161頁)

⑷倫理的、精神的、知的事柄に関する心的修養

 最後に、倫理的、精神的、知的事柄に関する心的修養がある。私たちの学習、読書、討論、会話、論議はすべて、この心的修養に含まれる。この本を読み、そこで扱われているテーマを深く検討することは、一種の瞑想である。先にニルヴァーナの実現に至った心的修養についてのケーマカと僧侶たちとの会話をみた。

 この種類な心的修養では、五つの障害について学習し、考え、討議する必要がある。五つの障害とは①色欲、②悪意、憎しみ、怒り、③もの憂さと無感覚、④落ち着きのなさ、心配、⑤懐疑的な疑いである。この五つは、いかなる明晰な理解、実質的進歩にとっても障害となると見なされる。こうした感情に打ち負かされ、それを取り除くことができないときには、人はものごとの正邪、善悪が判断できない。(161~162頁)

■また「目覚めの七要素」を瞑想することもできる。

 ⑴気付き。今まで見てきたような、心的および肉体的すべての活動、動きに対する自覚。

 ⑵教えのさまざまな問題に対する検討と研究。宗教的、倫理的、哲学的学習、読書、研究、討議、対話、そしてこうした事柄に関する講演を聴くこと。

 ⑶熱意をもって仕事をやり遂げるエネルギー。

 ⑷喜び。すなわち悲観的、沈鬱でふさぎ込んだ心的態度の正反対の資質。

 ⑸肉体と心のくつろぎ。肉体的にも心的にも、硬直していてはいけない。

 ⑹今までみてきたような、集中。

 ⑺平静。冷静に、落ち着いて、心が乱れることなく、人生の浮き沈みを直視できること。

 こうした資質を修養するのに、もっとも本質的なのは、願望、意志、あるいは意向である。テクストの中には、先の七資質の各々を発達させるための物質的・心的条件が説明されている。

 また、「存在とは何か」とか「「私」と呼ばれるものは何か」ということを探究するために五集合要素を瞑想したり、四聖諦を瞑想することもできる。こうしたテーマを学習し、探究することは、究極の真理の実現に至る四番目の瞑想にあたる。(162~163頁)

■今まで述べてきたこと以外に、伝統的には四〇に分類されるテーマに関する瞑想がある。その内で特筆すべきは、

 ⑴「母親が自分の一人子を愛する」ように、すべての生きものに対していっさいの区別なく、無限の普遍的愛と善意を向けること

 ⑵苦しみや問題を抱え、苛まれているすべての生きものを悲しむこと

 ⑶他人の成功、安楽、幸せを共に喜ぶこと

 ⑷人生の浮き沈みに平静であること

 である。(163~164頁)

 第8章 ブッダの教えと現代

誰にでも開かれた教え

 ブッダのおしえは、僧院の僧侶たちだけでなく、家族と一緒に家庭生活を営む普通の男女にも向けられたものである。八正道という仏教の生活規範は、いっさいの区別なく、すべての人に向けられたものである。(165~166頁)

■一般に、ブッダの教えを実践するには実生活から隠遁しなければならない、と思われているが、それは誤解である。それは実践したくない人が、無意識に口にする言い逃れである。仏教経典の中には、普通の生活を送り、家族生活を営みつつも、ブッダの教えをしっかりと実践し、ニルヴァーナを実現した男女への言及が数多くある。修行者ヴァッチャゴッタはブッダに、普通の生活を営む男女で、ブッダの教えを実践して高度な精神的境地に達した者がいるかどうか、単刀直入に尋ねた。ブッダは、一人や二人ではなく、数百人でもなく、さらに多くの男女が、普通の生活を営みながら高度な精神的境地に達した、と答えた。(166~167頁)

■騒音や煩わしさから遠ざかった静な場所での生活を楽しむ人たちもいる。しかし、普通の人たちに交じって、彼らを助けつつ、彼らに役立つかたちで仏教を実践する方が、より価値があり勇敢である。ある人たちにとっては、自らの心と性格を向上させるための予備的な道徳的、精神的、知的訓練として、ある期間引きこもって生活するのは有益で、その後に強くなって普通の生活に戻り、他人を助けることができる。しかし、自らの幸せと解脱のことだけを考え、他の人のことを顧みずに、孤高の生活を営むのは、愛、慈悲、他人への奉仕を基本とするブッダの教えに沿わないものである。(167頁)

■こう質問するひとがあるだろう。普通の生活を営みつつ仏教を実践できるのなら、ブッダはどうしてサンガ、すなわち出家者の集団を設立したのか。サンガは、自分の人生を、ただ自分の精神的、知的成長のためだけではなく、他人への奉仕のために捧げたい人にそうする機会を提供するものである。普通の人は、人生を他人への奉仕にだけ捧げるわけにはいかない。ところが、家族的責任がなく、世間的絆をもたない僧侶は、「多くの人びとのために、多くの人びとの幸福のために」全人生を捧げる立場にある。こうして、仏教寺院は、歴史の歩みとともに、単に精神的中心となったばかりでなく、教育、文化の中心となっていった。(168頁)

仏教徒

 (前略)

 仏教徒になるのには、入門儀礼(洗礼)は必要ない(しかしサンガの一員となるのには、長期にわたる規律的訓練と教育課程を経なければならない)。ブッダの教えを理解し、その教えが正しい道だと確信し、それに従おうとするなら、その人は仏教徒である。しかし、仏教国での伝統的な慣習では、ブッダ、ダルマ、サンガの三宝をよりどころとし、五戒(バンチャシーラ)――①殺生をしない、②盗まない、③不倫をしない、④嘘をつかない、⑤酒を飲まない――を守ることを、定形句を唱えて誓う者が仏教徒である。(172頁)

経済的基盤――貧困は諸悪の源

『チャッカヴァッティシーハナーダ・スッタ』(長部経典26番)には、貧困は不道徳、盗み、虚言、暴力、憎しみ、残虐行為といった犯罪の原因である、とはっきりと述べられている。

(後略)(174頁)

今生の幸福の四因

 かってディーガジャーヌという男がブッダを訪れて尋ねた。

「師よ、私たちは、妻子をもって家族生活を営む、普通の俗人です。私たちが、この世でそしてあの世で幸せになれる教えを授けていただきますか」

 ブッダは、この世で人を幸せにする四つの項目があると答えた。

 ⑴どんな職業に就こうとも、自分の職業を熟知した上で、技術を身に付けており、手際がよく、熱心で、エネルギッシュであること。

 ⑵まっとうに、汗水たらして得た収入を守ること(盗難に遭わないようにすることの意。当時の社会背景を考慮に入れる必要がある)。

 ⑶忠実で、徳があり、自由で、頭がよく、悪事を避け、正しい道を歩むように助けてくれるいい友だちをもつこと。

 ⑷収入に見合うように、多すぎもせず、少なすぎもせず支出すること。言い換えれば、貪欲に富を蓄えたり、派手に浪費しないこと。すなわち、身の丈に沿って生きること。(175~176頁)

来生の幸福の四因

 次にブッダは、あの世で人を幸せにする四つの項目を挙げた。

 ⑴信頼(サッダー)。道徳的、精神的、知的価値を確信すること。

 ⑵規律(シーラ)。命を害したり、殺(あや)めたりせず、盗みを働かず、嘘をつかず、不倫をせず、酒を飲まないこと。〔訳注;五戒を守ること〕

 ⑶喜捨(チャーガ)。自らの財産に執着せずに、慈善、施しを行なうこと。

 ⑷叡智(パンニャー)。苦しみの完全な消滅、すなわちニルヴァーナの実現に至る叡智を発達させること。

 ときとしてブッダは、貯蓄と支出に関してさらに細部にわたって述べている。たとえば、シガーら青年には、収入のうち、四分の一は日常の支出に、半分は事業への投資に、そして四分の一は緊急事態のための貯蓄にあてるようにと助言している。(176~177頁)

四種類の幸せ

 あるときブッダは、サーヴァッティのジュータ林の精舎を寄進してくれた、最大の支持者の一人であったアナータビンディカ(「孤独な人たちに食べ物を施す長者」を意味する)という金持ちにこう述べた。普通の家庭生活を営む者にとっては四種類の幸せがある。

 ⑴まっとうな手段で得た十分な富と経済的安定を享受すること。

 ⑵自分のため、家族のため、友だちと親族のため、そして慈善事業のために自由に支出できること。

 ⑶借金がないこと。

 ⑷身口意(しんくい)の悪業を犯さずに過ちのない、清らかな生活を営むこと。

 の四つである。この内三つが経済的なことであることは注目すべきことであるが、忘れてはならないのは、ブッダは経済的、物質的幸せは、過ちのない、清らかな生活から生まれる精神的幸せの「一六分の一にも満たない」とも言っていることである。〔訳注;一六分の一はインドでは象徴的な数字で、「一六分の一」は「ごくわずか」の意味〕

 以上から、ブッダは経済的福利が人間の幸せに不可欠と見なしていたことがわかる。しかしブッダは、精神的、道徳的基盤のない、ただ単なる物質的な進歩を、本物だとは見なさなかった。仏教は、物質的な進歩を推奨しつつも、幸せで、平和で、充足した社会の実現のために、道徳的、精神的側面の発達に常に重点を置いている。(177~178頁)

現代の国際情勢

 (前略)

 ブッダは言う

 「じつにこの世においては

 怨みが、怨みによって消えることは、ついにない。

 怨みは、怨みを捨てることによってこそ消える。

 これは普遍的真理である。〔「ダンマパダ」5偈〕

 「怒りには、怒りを捨てることによってうち勝ち

 悪い行いには、善い行ないによってうち勝ち

 物惜しみには、施しによってうち勝ち

 虚言には、真実によってうち勝て」〔同223偈〕

 隣人を征服し、服属させようとする欲望と渇望がある限り、平和と幸せはない。ブッダが言う通り、

 「勝者は怨みをかい

 敗者は苦しみを味わう。

 安らかな人は勝敗を捨て

 幸せに生きる」〔同201偈〕

 安らぎと幸せをもたらす惟一の勝利は、自己の征服である。

 「戦場において

 百万の敵に勝つよりも

 己一人にうち克つ人こそ

 じつに最上の勝者である」〔同103偈〕

 (中略)

国、国家は行動せず、行動するのは個人である。個人が思うこと、行なうことが、国、国家が行なうことである。個人に当てはまることは、国、国家にも当てはまる。個人レベルで、憎しみが愛と親切さで静められるのなら、国家レベルでもそれは実現可能である。個人の場合でも、憎しみに対して親切さで応えるのには、とてつもない勇気、決断、道徳の力に対する信頼と確信が必要である。国際間ともなれば、それ以上である。「実践的でない」ということばを、「容易でない」という意味で用いているなら、それは当たっている。仏教的態度を採ることはけっして容易ではない。しかし、それは試してみるべきである。試すのはリスクを伴う、と言われるかもしれない。しかし、核戦争を試してみるよりは、遥かにリスクは小さいであろう。(182~185頁)

アショーカ王

 歴史上によく知られた偉大な統治者で、広大な帝国の内政、外交を司るのに、この非暴力、平和、愛の教えを適用する勇気、自信、ヴィジョンをもった人が一人でもいたことは、慰めであり、ものごとを考えるためのインスピレーションを与えてくれる。それは、「神々から愛された者」と称えられたインドの偉大な仏教王アショーカ(紀元前3世紀)である。(185頁)

■彼は最初は父(ビンドゥサーラ王)、祖父(チャンドラグプタ王)を手本として、全インド征服を完成しようとした。カリンガ国を侵略、征服し、併合した。この戦争で何十万人という人びとが、殺され、傷つけられ、拷問され、捕虜となった。しかし後に仏教徒になった彼は、ブッダの教えにより全く別人となった。この王の有名な石碑の一つは現存しており、そのテクストを読むことができるが、カリンガ国征服に関するものである。その中で王は公に「後悔」を表明し、この大虐殺のことを思い起こすのがいかに「心痛」であるかを述べている。王は再び剣を揚げて征服を企てることはなく、「生きとし生けるものに非暴力、自制、穏やかさと優しさの実践」を願った。この「敬虔による征服」は、言うまでもなく「神々から愛された者」アショーカの最大の征服である。彼自身が戦争を放棄したのみならず、「私の子供、孫たちも、〔武力による〕新たな征服が意義あることと考えず、……敬虔による征服のみが価値あるものと考えるように。これが、現世にとっても、来世によってもいいことである」と願った。

 勢力の絶頂にあり、さらなる領土の征服を続ける力がありながら、戦争を放棄し、平和と非暴力を志向した征服者は、人類の歴史上、彼が惟一である。(186頁)

結び

 仏教は、

 自滅的な権力闘争が放棄され、

 征服と敗北がなく、平和と平安が持続し、

 罪のない人たちに対する迫害が断固として糾弾され、

 軍事的、経済的戦争において何百万という人びとを征服する者よりも、自らを制する者の方が尊敬され、

 憎しみが親切により、悪が善により征服され、

 敵意、嫉妬、悪意、貪欲が人の心を侵食せず、

 慈悲が行動の原動力であり、

 生きとし生けるものがすべて公正さと配慮と愛情でもって扱われ、

 平和で調和のとれた生活が、物質的にも恵まれた状態で、最高の、もっとも高貴な目的すなをち究極の真理であるニルヴァーナに向かって前進する社会を作り上げることを目指している。(187~188頁)

(2019年1月14日)

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『釈尊のことば』増谷文雄+奈良康明  放送ライブラリー7

■ちゃんとその基本の公式、いまのわれわれのことばで申しますれば公式ですね、ものの考え方のいわゆる思惟方法と申しますか、そういうものがちゃんとあるのですね。お釈迦様はどういうぐあいに考えられていつもこういう種々様々な説法をやったかというー私どもはやはり近代人でございますから、つい公式といったようなことばを使うわけなのですが、昔のひとはそれをむずかしいことばで言っておりますね。「軌持」という言い方です。(増谷)(14頁)

■『唯識論』に、「法を軌持と名づく』とかいった文句が出てまいりますね。(増谷)(14頁)

■その法を定義いたしまして、『唯識論』のなかでは、法を軌持となすとか、名づけるとか、そういう言い方をしておりますね。軌持なんていう熟語はちょっとふつうには出てこないことばでございますが、『倶舎光記』というのは、これは注釈本でございますよね。このなかにはそれを注釈いたしまして「能持自性、軌生勝解」という。このばがよく知られておるわけですね。これは定義を注解したわけですね。注解したことばでございます。その注解を申し上げれば、軌持という意味はわかりますね。

 どういうことかと申しますと、そんな変なことを言わないでもいいだろうと思うように考えられますが、「能く自性を持し」というのは、自分自身は自分の本性を保ち持って変わらない。だから「「能く自性を持し」でございます。それが軌となってー軌というのは軌範、いまのことばでレールですな、それがレールとなって「勝解を生ず」、よき理解を生ずる。「勝解」というのは、いいかげんにわかるのじゃなくて、学問的にとか、思想的にわかるといいったときに使うことばなのでございます。すなわち、それ自身はまったくかわらないで、それがレールになって、もののよきよき理解を生ずるという、そういうことばですね。(増谷)(15頁)

■大徳よ、人々は私を暴悪である、乱暴者であるというが、いったいひとはいかなる員によって暴悪となるのでありましょうか。世には、柔和といわれるひともありますが、いったい人はいかなる因によって柔和となるのでありましょうか。

 これにたいして釈尊の答えでありますが、

 村の長よ、もし人がいまだ貪欲を捨てなかったならば、彼はそれによって他人を怒らしめ、他人の怒りに遭うて、みずからも怒るであろう。

 そのとき、彼は暴悪と呼ばれるだろう。(奈良)(22頁)

■そうするとお釈迦さまがそれにたいして答えておるのは、これはだれが見てもすぐわかるように、「これあればかれあり、これ生ずればかれ生ず」、この公式でそれに答えておられます。これはもう私が注釈する必要も何もない、いま読んでもらいましたのを私がもう一度申し上げればいいわけですな。「村の長よ、もし人がいまだ貪欲を捨てなかったならば、彼はそれによって他人を怒らしめ、他人の怒りに遭うて、みずからも怒るであろう」、そうするときみは乱暴者と呼ばれることになるのじゃないかと、こう言っておるのですから、「これあればかれあり」ですな。貪欲あれば乱暴者と呼ばれることになるのじゃないかと、こう言っておるのですね。それからさらにお釈迦さまはそこで貧(どん)につづいて瞋(しん)と痴、むさぼりと怒りと愚かさとその三つを挙げて、乱暴者と呼ばれる原因はそれぞれそこにあるのだということをまず説いていわゆる有因(ういん)の法をそこで明らかにしておいて、そしてそれをひょっとひるがえして、それではその貧をなくした場合にはどうなるか、さらにその瞋をなくした場合にはどうなるか、さらにその痴をなくした場合にはどうなるか、それはもうくどいと思われるでしょうけれども、「これなければかれなし」ですね。汝の貪・瞋・痴がなければ汝は暴悪といわれない、そのときは柔和だといわれるであろう、と。(増谷)(23頁)

■増谷–だいたい「阿含」ということばを見ただけでは、いったい何を意味しているかということがわかりません。じつはわからないはずでございまして、これはもともと彼の地インドのことば、むこうのことばですね。サンスクリットやパーリーで両方ともアーガマという。その音をそのまま写したことばでございます。

奈良–音写語でございますね。翻訳ではないはずですね。なるほど。

増谷–その意味を申しますと、これは先生のほうがよくご存じのとおり、「伝来」とか「伝承」とかいうことばでございます。きょうの題目が「説法の伝承」となっておりましたね。たいへんぴったりした題目だと思います。釈尊が法を説かれた、だから説法です。「説法」というのはだいたい仏教にしかないことばでございます。とくにお釈迦さまのはまさしく説法ですな。そのお釈迦さまの説かれた説法がいかにして今日にまで伝わってきているかというと、それは結局この阿含部の経典ですね、「阿含経」という題目でございますが、もっとわかりやすくいうと阿含部のいろいとな経典のことでございますね。(32頁)

■耕田

 かようにわたしは聞いた。

 ある時、世尊は、マガダの国の南山なるエーカサーラという婆羅門村に住しておられた。その時、耕田と称されれるバーラドヴァージャ姓の婆羅門は、種蒔きの時期にあたって、五百の鋤を準備していた。

 そこに世尊は、早朝に、衣を着け、鉢を執(と)って、耕田なるパーラドヴァージャ姓の婆羅門の仕事場に現れた。その時、その婆羅門はちょうど人々に食物の分配をしているところであった。だから、世尊は、ちょうどその食物の分配のところにいたって、その傍らに立ったわけである。

 耕田なるパーラドヴァージャ婆羅門は、世尊がそこに托鉢のために立ちたまえるのを見た。見て、彼は世尊にいった。

 「沙門よ、われは、田を耕し、種を蒔いて、食を得る。沙門よ、汝もまた、田を耕し、種を蒔いて、食を得るがよろしい」

 「婆羅門よ、われも田を耕し、種を蒔く。耕し、種を蒔いて、食を得ている」

 「だが、沙門よ、わたしどもは、まだ誰も、あなたが田を耕したり、牛を追ったりするところを見たものはない。それなのに、いったい、あなたはどうして、自分もも耕し、種をまいて、食を得ているというのであるか」

 その時、耕田なるパーラドヴァージャ婆羅門は、また、偈をもって世尊にもうしていった。

 「汝は農夫であるというも われらは汝の耕すのを見たものはない われは汝に問う、語るがよい いかにしてわれら汝の耕すのを知らん」

 世尊はいった。

 「信はわが蒔く種子にして 智慧はわが耕す鋤である

 身口意において悪業をのぞくは わが田における草とりである

 精進はわがひく牛にして 行(つ)いて退くことなく

 おこないて悲しむことなく われを安らけき境地に運ぶ

 かくのごときがわが耕田にして その収穫を甘露の果となす

 人はかかる耕田をおこないて 一切の苦を解脱するのである」(50~51頁)

■自己の依り処は自己のみである。ほかにいかなる依り処があろうや。

 自己のよく調御せられたるとき、人は得がたい依り処を得るであろう。

増谷–ここにまいりまして、なんだか少しジーンとするような気がいたしますが、仏教というのは福音を説く宗教でもない、あるいは予言を説く宗教でもないですね。

奈良–もし、予言あるいはおまじない的なものであるならば、みずからに依る必要はないわけでございますね。

増谷–そうなのでございます。あるいは何か摩訶不思議なことを示現する宗教でもないですね。それはある意味においてきわめてわかりやすい教えですね。まさに如来は道を教えるものであるという、その道はいかなる道であるかというと、人間が自己自身を開発していく。その開発されたものこそ、ほんとうにそこに依ることのできる自己というものをつくり上げていくのである。人間開発ということがこちらにあり、こちらに自己調御ということがあるあるわけですね。その二つでどうやら私は仏教というものの性格をつかむことができたような気持ちになっております。結局努めねばならんのは自分自身である。

奈良–また同時に、努めさえすればそこに安穏の境地が誰にでも得られる可能性があるのだということでございましょう。(65頁)

■羅陀ー「大徳よ、悪魔悪魔と説くは、いかなることをか悪魔となすや。」

 釈尊ー「羅陀よ、色(受想行識)は悪魔である。羅陀よ、そのように観じて、有聞の聖弟子は、色(受想行色)において厭い離れるゆえに解脱する。」(78頁)

■羅陀ー「大徳よ、願わくば略してわがために法を説きたまえ……」

 釈尊ー「羅陀よ、悪魔において欲を断つがよい。羅陀よ、悪魔とは何であろうか。羅陀よ、色(受想行識)は悪魔であるから、そこにおいて欲を断つがよいのである。」(79頁)

■比丘よ、執着するときは、すなわち悪魔に縛せられる。執着しないときは、すなわち悪しきものより解脱する。(79頁)

■雪山を化して黄金となし、

 さらにそれを二倍にしても、

 よく一人の欲を満たすことを得ず。

 かく知りて、人々よ正しくおこなえ。

■縁起

 かようにわたしは聞いた。

 ある時、世尊は、サーヴァッティー(舎衛城)のジュータ林なるアナータビンディカの園にましましました。

 その時、世尊は、かように仰せられた。

 「比丘たちよ、わたしは汝らのために、縁起および縁生の法について説こうと思う。汝らは、それを聞いて、よく考えてみるがよろしい。では、わたしは説こう」

 「大徳よ、かしこまりました」

 と、彼ら比丘たちは世尊に答えた。世尊はつぎのように説いた。

 「比丘たちよ、生によって老死がある、という。このことは、如来が世に出ようとも、また出まいとも、定まっているのである。法として定まり、法として確立しているのである。それは相依性のものである。如来は、これを証(さと)り、これを知ったのである。これを証 り、これを知って、これを教え示し、宣布し、詳説し。開顕し、分別し、明らかにして、しこうして『汝らも、見よ』というのである」(90~91頁)

■奈良–そうしますと、いま三つの内容がここからひき出せるのではないでしょうか。第一が理法としての性格。それからもう一つが、相依性といういわば内容からみていく面。

増谷–そして第三番目は、それに対する私自身、すなわちお釈迦さまですね。お釈迦さまの役割は何であるかというと、それは、それを悟り、それを知り、そしてそれをはっきりと吟味いたしまして、それを宣布することであると、そういう言い方をなさっておられます。ずばりと申しますと、私はそれの証得者であり、そして説法者であると、こう言っておられると受け取ることができるのでございます。

■『城邑(じょうおう)』にみる

増谷–それはじつは縁起というのは古道である、前からあったのだということでございますね。ただ、森のなかにあってその古い道が途絶えてしまっておったのを人が行ってみつけたといったようなものだ、その人が行って、そこにりっぱな町がある、すばらしい所があるということをみつけ出して、それを帰ってきて王様に報告をし、王よ、あそこをひとつ開発なされよといっておすすめした。そこで王様がそのとおりにしたら、そこがすばらしい都市になったという。そういうたとえを引いておられるのですね。

奈良–そうしますと、釈尊のお悟りの内容は、けっして天や予言者の声を聞いたものでもなければ、まして釈尊自身がつくり出したなどというものでは絶対にない。釈尊が世に出ようと出まいとかかわりなしに、大昔から存在しているものである。だからこそ理法だ、ということでしょうか。

増谷–理法ということばはおそらく釈尊以前にはなかったのじゃないですか。あるいは理法なる考え方はなかったとおもうのです。それから法ということばで思い出すのですが、昔の人は法ということばを説くのにひじょうに苦労しておりますね。法とは何であるかというと、「法は軌持なり」と前にここでいっしょにお話しをしたことがあるのですが、わたしはまだ若いころ「法は軌持なり」ということばに会いましてびっくりしたことがあるのですが、それがレールになってほかのいっさいのものがわかるのだという、そういうものが法ですね。そういう法則性とか理法とかいうこと、いまお互いに話をしながらこれは理法だといえば、お互いにああそうだとすぐわかるのですが、あの時代の人たちにはそういうわけにはいかなかったのでしょう。

奈良–そうした普遍的な法というものを、つくられたのではなくて、見出されたところに当時の釈尊の新しさがあったかと思います。(98~99頁)

■識と名色で説く相依性

 友よ、しからばたとえを説こう。識者はそのたとえによりて、所説の義をしるであろう。

 友よ、たとえば二つの芦束はたがいに相依りて立つつであろう。

 友よ、それと同じく、名色(みょうしき)によりて識あり、識によりて名色あり…。

 友よ、もしそれらの芦束のうち一つを取り去ったならば、一つは倒れるであろう。他を取り去ったならば、他もまた倒れるであろう。

 友よ、それと同じく名色の滅によりて識の滅あり。識の滅によりて名色の滅あり…。(岡野注;サーリープッタ)

 ーーーーーーーーー

 友舎利弗よ、稀有である。友舎利弗よ。未曾有である。これは尊者舎利弗によりてよく説かれた。(岡野注;マハーコティタ)(101頁)

■無常

 かようにわたしは聞いた。

 ある時、世尊は、サーヴァッティ(舎衛城)のジュータ林なるアナータビンディカ(給孤独)の園にましました。

 そのとき、世尊は、比丘たちを呼んで、「比丘たちよ」と仰せられた。比丘たちは、「大徳よ」と世尊に答えた。

 世尊は、つぎのように仰せられた。

 「もろもろの比丘たちよ、色(肉体)は無常である。無常であればすなわち苦である。苦であればすなわち無我である。無我であればすなわち、それは我所にあらず、それは我にあらずと、そのように正しい智慧をもって、あるがままに感ずるがよい。

 受(感覚)は……。

 想(表象)は……。

 行(意志)は……。

 識(意識)は無常である。無常であればすなわち苦である。苦であればすなわち無我である。むがであればすなわち、それは我所にあれざ、それは我体にあらずと、

 そのように正しい智慧をもって、あるがままに感ずるがよいのである。(110~111頁)

■年取って出家した弟子だということででしたが、羅陀(ラーダ)というのが、大徳よ、苦、苦というが、苦というのは何でございますかといって聞いておりました。そのときにお釈迦さまは、いまのような形で苦をちゃんと説いておられます。それでも羅陀はどうもぴったりこなかったのかもしれないと思うのですが、その羅陀がどこかでまた聞いておるのですよ。舎利弗に聞いておるのです。舎利弗は、苦とはいったい何かといわれまして、ずばりと三つの項目を挙げて答えております。前にちょっと申したことがあるのですが、それはまず第一番に苦苦ですね。というのを挙げております。これはテロップがございませんから申し上げますと、苦しいから苦だというのですね。(増谷)(116頁)

■おなかがすいた、ここが痛いというのもいらいらしますよね。あるいは耐えられないということになるわけです。これを苦というのはよくわかる。それから第二番目に壊苦(えく)というのが出てまいります。いまのことばで申しますと、壊れていく苦ですね。(増谷)(116頁)

■よき状態から転落していく苦でございますね。第三番目に、これが大事だと思うのですが、不思議な苦が出てくるのです。それは行苦というものです。この行というのは意志や何かではございません。ここは全然違う。サンサーラ、あのことばなのでございまして、ここの行というのは移ろふということですね。いっさいがうつろふ、無常であることですね。無常であることが苦であると、こういっておりますね。(増谷)(116~117頁)

■無我というのは、これも漢訳のことばでございますけれども、どう読んだって「無我」は「我を無くする」とは読めないと思いますね。「我無し」ですね。我無しというのは何かというと、それは我所なし、我体なしだということだとお釈迦さまはいつも繰り返し繰り返し言っておられるところですね。(増谷)(120~121頁)

■無我と我

 さればアーナンダよ、なんじらはここに自己を洲とし、自己を依り処として、他人を依り処とせず、法を依り処として、他を依り処とせずして住するがよい。(122頁)

■友たちよ、わたしが〝我あり〟というのは、この肉体(色)が我であるというのではない。またこの感覚(受)や意識(識)を指していうのでもない。あるいはそれをはなれてなお別に我があるというのでもない……。

 友たちよ、それはたとえば花の香りの如きものである。もし人ありて、弁に香りがあるといったら正しいだろうか。茎に香りがあるといったら正しいだろうか。あるいは蕋(しべ)に香りがあるといっても正しくないであろう。

 そこはやはり花に香りがあるといわねばならない。

 それと同じく、肉体(色)や、感覚(受)や、意識(識)が我であるというのは正しくない。あるいは、それを離れてなお別に我の本質があるというのも正しくない。わたしは、その統一体において〝我あり〟というのである。(124頁)

■「六所相応」にみる

 わたしは汝らのために、一切について語ろうと思う。これを聞くがよい。

 比丘たちよ、

 一切とは何であろうか。

 眼と色とである。耳と声とである。鼻と香りとである。舌と味とである。身と蝕とである。意(こころ)と法である。

 これを名づけて、一切というのである。ー

 比丘たちよ、

 もし人が〝わたしはこの一切を棄てて他の一切を教えよう〟などと、

 そのようなことをいう者があるならば、その人はただ言葉を弄しているだけであって、他の人の問いに逢えばもはや答えることもできず、たださらに困るばかりであろう。

 それは何の故であろうか。

 比丘たちよ、

 それはちょうど、見もせず聞きもしたことのない世界について語るようなものだからである。(138頁)

◾️これは仏教の立場を、他のいろいろな宗教的な行者や何かが不思議なことを言う、それと比べまして、仏教における一切はこれだ、これ以上の神秘なこと、空想的なこと、あるいは虚妄なことは仏教にはならないんだという、これがお釈迦さまの宗教の世界で、これをわれわれは昔から「諸法実相」といっております。この世のあるがままの姿をこそ仏教は対象にするのだというのです。(増谷)(139頁)

■「根本五十品」にみる

 比丘たちよ、

 眼は無常である。およそ無常なるもの、それは苦である。およそ苦なるもの、それは無我である。およそ苦なるもの、それは無我である。およそ無我なるもの、そは〝これわがものにあらず、これわれにあらず、これわが本質にあらず〟と、そのように正しき智恵をもってこれを如実に見るべきである。

 耳は無常である……

 鼻は無常である……

 舌は…………………

 以下同じ文章がつづくわけでございます。これは「相応部経典」のなかの「無常・内」と名づけられたお経でございますね。(140~141頁)

◾️比丘たちよ、

 色は無常である。およそ無常なるもの、それは苦である。およそ苦なるもの、それは無我である。およそ苦なるもの、それは無我である。およそ無我なるもの、そは〝これわがものにあらず、これわれにあらず、これわが本質にあらず………………

 ……………………

 声は無常である……

 舌は無常である……

 味は…………………

奈良–これは「無常・外」と名づけられております。いま読みました「外」と、前に読みました「内」とはまったく同じ文章で、ただ違うのは、眼と色がいれかわっているだけでございますね。というのは、眼で見る対象、物でございますね。そうすると、なるほど一切は内と外、つまり眼と物とで縁起している。それがすべてで、無常である、ということでしょうか。(141頁)

■「苦」の問答

それで舎利弗のところに行ってまた聞いておるなどという場合があるのです。そうすると、舎利弗はそれには3つある、苦苦、壊苦(えく)、行苦がそれであると言っておりますね、苦苦というのは、苦が苦しいのですね。苦しいことというと、痛い、ひもじい、寒い、いろいろあります。(144ページ)

■増谷–いちばん思いのままにならないのは何であるかというと、移ろふがゆえにという考え方が仏教には多いようでございますね。行苦が仏教の苦の中心だと、そういうぐあいに考えていきますと、無常なるがゆえに苦なりということが、ズバッとくるんですな。(144頁)

■奈良–三法印ないし四法印ということばがございまして、仏教の旗じるしといいます。そこには諸行無常、諸法無我、一切皆苦という句があるわけですが、これはそうしますと、お釈迦さんの説き方とすれば、順番がかなり狂っていると申しますか、考慮なしにただ並べられているにすぎないということになりますね。やはりお釈迦さんにはまず無常があり、それから苦があり、それから無我があると、はっきりした順番があった……。(145頁)

■耕田

 比丘たちよ、陽のいずるにあたっては、まず東の空が明るくなってくる。すなわち、東の空が明るくなるのは、陽ののぼるきざしであり、その先駆である。

 比丘たちよ、それと同様に、なんじらが聖なる八支の道を起こすときにも、その先駆があり、そのきざしがある。それは善き友をもつということである。

 比丘たちよ、だから善き友をもった比丘は、彼がやがて聖なる八支の道をならい修め、ついに成就するであろうことを、期して俟(ま)つことができるのである。(159頁)

■増谷–「善友」というのは、あとでひょっと気がついてみますると、のちの仏教のなかにもしばしば言及されておりますね。その場合は「ぜんぬ」という穏便でいう読み方をしております。そのほか、すぐれたという意味で「善友」という訳をつけておる場合もありますし、それから「友」ということばが軽いとでも思ったのでしょうか、「知識」という字をあてはめております。「善知識」というのは、じつは「善友」ということばそのものを訳したもので、同じ原語の訳でございますね。(160頁)

■それは、これから実践論に入ってまいりますと、当然申さなければならないだいじなことでございますが、仏教の実践でいちばん根本項目というのは、これは八正道でございますね。それを「聖なる八支の道」、「八支の聖なる道」、それから「八支聖道」とか、そういう言い方がされておるわけであります。それだから仏教の実践というものを言うときには、聖なる八支の道ということば、われわれのことばでは八正道ということばがしょっちゅう使われるわけですね。(増谷)(160頁)

■八正道が成るか成らんか、成るときには、その前兆がちゃんとあるのだ、その前駆があるのだ、それは何かというと、善き友をもつことだ、善き友とともにあることだ、と。(増谷)(161頁)

■「大徳よ、わたしどもが善き友をもち、善き仲間とともにあるということは、すでに聖なる修行のなかばに成就したに同じだと思われます。」

 「アーナンダよ、そういう言い方は正しくない。

 アーナンダよ、善き友をもち、善き仲間とともにあるということは、この聖なる修行のすべてなのである。

 アーナンダよ、善き友をもち、善き仲間とともにある比丘においては、彼が聖なる八支の道を習い修め、ついに成就するであろうことを期して俟(ま)つことができる。

 アーナンダよ、これをみてもわかるではないか。人々は、わたしを善き友とすることによって、老いねばならぬ身にして老いより解脱することができる。病まねばならぬ身にして病いより解脱することができる。また死なねばならぬ身にして死より解脱することができる。

 アーナンダよ、このことを考えてみても、善き友をもち、善き仲間とともにあることが、この聖なる修行のすべてであるという意味がわかるではないか。」(162頁)

■増谷–それなんですよね。結局善友がだいじだということは、言いかえますと。精舎の生活がいちばんだいじだということでございますが、あなたは道元禅師の徒でございますが、道元禅師は叢林の生活に徹するということをひじょうにだいじにして説かれておりますね。そこの精神をあなたにお聞きしたいと思って出てきたのでございますが、それとまったく同じだと私思うのでございます。(164頁)

■「正覚涅槃に資せず」

 ……その故に摩羅迦(マールンクヤ)よ、ここに予によりて説かれざることは、説かれざるがままに授持するがよい。また予によりて説かれしことは、説かれしままに授持するがよい。では摩羅迦よ予によりて説かれざることとは何か。いわく世界は常住なりとは予によりて説かれなかった。また、世界は無常なりとは予によって説かれなかった。……では摩羅迦よ、それらは何故に予によって説かれなかったのであろうか。

 摩羅迦よ、実にそれらは、道理の把握に役立たず、正道の実践に役立たず、厭離、離貧、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立たぬからである。その故に予はそれらのことを説かないのである。(181~182頁)

■……摩羅迦よ、しからば予によりて説かれたことは何であろうか。いわく〝こは苦なり〟と予は説いた。〝こは苦の原因なり〟と予は説いた。〝こは苦の滅尽なり〟と予は説いた。〝こは苦の滅尽にいたる道なり〟と予は説いた。

 では、摩羅迦よ、それらは何故に予によって説かれたのであろうか。

 摩羅迦よ、実にそれらは道理の把握をもたらし、正道の実践に基礎をあたえ、厭離、離貧、滅尽、寂静、智通、正覚、涅槃に役立つからである。その故に、予はそれらのことを説いたのである。

 摩羅迦よ、その故に、予の説かないことは、説かないままに受持するがよいのである。(182頁)

■増谷–じつは矢のたとえというのは、お釈迦さまの説法をいろいろとみますと、たびたび出てまいりますね。これは明らかにすぐわかりますように、矢のたとえそのものは、ほかのところに出てくるときも、人間にあたってそれが苦であるという形をいつもとっておりますが、それで死にそうになっているときに、なおほかのことを一生懸命夢中になって知りたいというのはおかしいじゃないかと、こう言っておるのでございます。(183頁)

■しかし思想家であるという言い方ではお釈迦さまを覆いつくすこともできない。よくよく考えてみますると、お釈迦さまが思想的なことばかりといたのでは、とてもあのデリケートな問題は一般の人々にはわかってもらえなかったと思う。説法のことに苦労なさいましたときなんかも、実践の問題こそだいじであるというところに注目しておられるところが、お釈迦さまのひじょうにだいじなところではないかと私は思うのです。(増谷)(184頁)

■苦諦ー四苦八苦

増谷–それの漢訳がいいですから、漢訳で申し上げてみますると、まず第一番には愛別離苦でございますね。これは、愛するものに別れねばならんのも苦しいことであるということでございます。第2番めには怨憎(おんぞう)ーいまはエンゾウと読んでもかまわないと思いますが、怨憎会苦、いやなやつに会わねばならんのも苦しいことである、こういうことですな。(186頁)

■それから求不得苦、求めて得ざるも苦なりですね。この世の中は求めて得ざることばかりでございますが。そして略説するに、最後に五陰盛苦(ごおんじょうく)というのが出てまいります。五陰というのは、これは旧訳(くやく)ですね。五蘊(ごうん)ということばでよくいわれているあのことばであります。五蘊ということばで人間存在のすべてをいうことばでありますね。それで五蘊盛苦というと、略説すれば、人間存在はすべて苦がこんなになっているという、そういうことばでございますね。初めが四つで、あとが四つで、合わせて八つなものですから、四苦八苦という。この内容を知らない方でも、四苦八苦ということばはしょちゅうお使いになるわけでございます。(増谷)(186頁)

■滅諦ー苦の滅尽

増谷–それでは第三諦をひとつ読んでいただけますか。

 比丘たちよ、苦の滅尽の聖諦とはこれである。

 いわく、この渇愛をあますところなく滅尽し、棄て去り、棄て切って、解脱して執着なきに至るのである。(189頁)

■第四諦もある意味においては簡単でございます。

 比丘たちよ、苦の滅に至る道の聖諦とはこれである。

 いわく、八支の聖道なり。

 いわく、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定がそれである。(189頁)

■実践の本体は八正道でどざいます。(増谷)(190頁)

■つまり、先ほどたい伺ったかぎりでは、人間には苦というものがつきまとっている。その苦は人間の渇愛、欲望の高ぶりによって引き起こされているという。こうした発想からスタートしているとすると、やはりこれは一種の欲望論とでも言っていいような感じなのですが……。(奈良)

増谷–四諦八正道、ここにお釈迦さまの説法の全重量がずっとのしかかってきておると思うのです。それほどだいじな説法であるが、その内容を見ると、いま読んでいただきました第一諦は、苦というものの現実、第二諦は、その原因は何か、渇愛だといっております。第三番めは何であるかというと、渇愛滅するとき苦もまた滅する。そして第四番めには八正道とこうくるわけですね。つまり第一諦から第二諦に移り、二諦から三諦に移る。そこは結局人間の欲望の問題が語られておりますね。私は、仏教徒いうのは欲望論ではないか、これを中心にして仏教の実践があるのではないかと、そう思うのです。(増谷)(190~191頁)

■増谷–本能ででしょう。ところが、ひょっと気をつけてみますると、もっと詳しく言わないといかんのですけれども、お釈迦さま自身は、欲望をなくせよとは言っておられないのですよ。渇愛をなくせよと言っておられますね。

奈良–ということは、欲望そのものをなくするのではなくて、欲望の高ぶりといいますか、欲望の燃えさかるものをなくせよということでございますか。

増谷–それです。それでたとえば無欲ということば、あるいは離欲ということばはじつは出てこないのです。何と出てくるかというと、離貪と出てくる。

奈良–むさぼりを離れる。

増谷–ええ。渇愛といったことばは、のちには貧ということばに置きかえられますが、貪りを離れるという形で出てくるのです。(191頁)

■道諦ー教理の実践とは

いままでは、「人間の真実」を釈迦がどういうふうにとらえられ、お説きになってきたのか、いわば「法」というものを中心におきながらいろいろと考えてきたわけでございます。とくに前回におきましては、そうした人間の真実、法を実際の瀬尾かつのうえにどう具現していくかという、実践の問題に焦点をしぼりまして、いりいろとお話を伺ったわけです。前回、問題になりましたのは、「四諦、四つの真理」ということでした。ごく簡単に要約をいたしておきますと、まず、人生、つまり、私どもの毎日の生活のなかには、さまざまな苦しみ、不安、苦悩というものがある。これはもう動かすべからざる真理ではないか、というのが「苦悩ー苦の真理」といわれているものでした。それではその苦はどうして起こるのか、その原因追求の真理が一つございまして、しょせんそれは人間の欲望から起こることである、という結論が「集諦(じったい)ー苦の原因の真理」といわれています。しかし三番めに、人生は苦に満ちているというだけではなくて、その不安、苦悩をほんとうに根本から解決し、克服した境涯があるわけで、それが「滅諦(めつたい)」でありますし、それに到達するには、結局、実践、修行が必要なのであって、それが「道諦」といわれるものである。こういうことを前回見てきたわけですが、今回はその道諦、つまり具体的な実践に焦点をしぼりながら考えてみたいと思うわけでございます。(奈良)(200頁)

■それから、よくよく仏教のものを読んでみますと、少なくともお釈迦さまは、たとえば不思議ということ、あるいは稀有、滅多にないこと、あるいは神通といったようなこと、そういうことはあまりお好みみにならなかったように思われます。それでは、そのような仏教の実践をお釈迦さまが総体的におっしゃる場合に何といわれたかというと、それはやはり中(ちゅう)まんなかでございます。それから「中道」というあのことばで代表せしむべきものではないかと、私はそう思うのでございます。(増谷)(201頁)

■ソーナの問いかけ

ヴァイシャ(吠舎)とあるヴァイシャ、庶民の出でございますけれども、じつは長者の家でございまして、これは初めは若者ですが、この若者はたいへん美男子だったらしくて、ソーナという名前は「黄金」という意味です。注釈ものなんかを見ますと、黄金のような肌をしておったなどということですが、そのころチャンパを併合いたしましたマガダ(摩掲陀)の国王ビンビサーラの目につきまして、経典のことばでいうと、位高き侍者となっておったということです。

 ちょうどそういうことになっていたところにお釈迦さまがお悟りに開かれて、伝道をはじめられ、もう一度王舎城に帰ってこられたときに、ビンビサーラがソーナに、こういう方が王舎城に来られたから、ひとつ行って会ってみなさいといって勧められた、というより遣わされたようですね。それでソーナはお会いいたしまして、たちまちお釈迦さまの魅力にとらえられまして出家をしたという、そういう筋でございます。(増谷)(202頁)

■釈尊の答え

 「ソーナよ、この道もまたまさにその通りである。あまりに刻苦精進にすぎれば、心たかぶって静かになることを得ない。

 だからと云って、精進がゆるやかにすぎると、また懈怠におもむくであろう。

 ここでもまた、汝はその中(ちゅう)をとらねばならない」(奈良)(203頁)

■奈良–ソーナが自分でつくった歌のようですが、

 われ極度の努力をなせしとき

 この世の最高の師にまします仏は

 琴をぞ喩えとして

 わがために法を説きたまえり。

 それよりわれは教えを楽しみ

 最高の理(涅槃)を実現せんがため

 ただ三昧の境地にあそんで

 ついに仏の教えを成就せり。(203頁)

■『如来所説』にみる中道

 もろもろの比丘よ、出家したるものは、一つの極端に親しみ近づいてはならない。その二つとは何であろうか。

 諸欲のなかにあって、欲の快楽にふけるは卑しむべき凡人ににして聖ならず。道理のないことに執着しているのである。

 また、みずからを苦しめて苦をこととするのは、ただ苦しむだけであって聖ではない。

 それもまた道理のないことに執着しているのである。

 もろもろの比丘よ、如来はこの二つの極端を捨てて中道を悟った。

 これは、眼をひらき、智を生じ、寂静を得せしめ、覚悟を与え、正覚にいたらしめ、涅槃におもむかしめる。

 もろもろの比丘よ、では如来が中道を悟り、それが眼をひらき、智を生じ、寂静を得せしめ、覚悟を与え、正覚にいたらしめ、涅槃におもむかしめるとは、どのようなことであろうか。

 それは八支の聖道である。いわく正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。

 もろもろの比丘よ、これが如来の悟り得た中道であって、これが眼をひらき、智を生じ、寂静を得せしめ、覚悟を与え、正覚にいたらしめ、涅槃におもむかしめるのである。(207頁)

■増谷–いまのお釈迦さまのことばのなかに「二つの極端」ということばが出てまいりましたね。二つの極端というと、古い経典のなかでは二辺といっておる。「辺」というのは一番端っこという児でございますね。ここの机は角が少し丸いんですけれども、この机にもこちらの端っこがあり、そして向こうに端っこがあります。物にはすべて両端があるわけですね。その両端はいかんとこう言っておられるんですね。そして物はまんなかのほうに置きなさいという。中というのはもともとそこからとってきたのでございます。(208頁)

■しかもきょうの初めに先生が解説をしてくださいましたあの四諦の第一、第二、第三、そして第四にまいりましたときに、では、苦を滅するための実践の真理は何であるか、それは八正道であるといういうぐあいにずばりと説いておられますね。そうすると、中は中道であり、中道は八正道であり、八正道はそれが道理だということになるわけですね。道理とはまさに仏教の実践そのもの、道でございます。だから、その仏教の道とは何であるかというと、それはずばりと申しまして八正道を行ずることである、というのですね。(増谷)(209頁)

■正思・正語・正業ー身・口・意の三業

しかまず正見というのは何かというと、それは四諦を知ることなのですね。四諦をしらなければいけない。(増谷)(210~211頁)

■奈良–第2番めは「正思」で「出離・無恚(むい)、無害の思い」要するに世俗のさまざまなことをすてる……出離と申しますから出家のことでしょうが……。

増谷–俗世間を脱け出したいというその思い、それから無恚(岡野注;無恚の恚)というのは、おなかのなかの腹立たしさ。

奈良–怒りの意味ですね。

増谷–怒りがないことですね。それから無害、不害とも申します。アヒンサーですね。生きものを害しない、害しようという心がない。そういう出離の思い、無恚の思い、無害の思い、これが正思だというのですね。正しい思いというのはたくさんあるだろうが、これだけは忘れるなといった分析でございます。なんとも頭が下がります。(211頁)

■奈良–つづきまして「正語」これは「虚誑語(こおうご)、離間語、粗悪語、雑穢語を離れること」だとあります。

増谷–ちょっと見たところはむずかしそうなことばでございますが、虚誑語(こおう)はいつわりですね。離間後、これは人と人との間を仲悪くさせるためのことば。

奈良–いまのことばでいえば中傷ですね。

増谷–それから粗悪語、これは乱暴なことばですね。それから雑穢語、きたないことばです。ことばについてお釈迦さまはなかなかおやかましい方であったと思うのでございますが、これだけのことばを離れることというのを正語となさっておられます。(211頁)

■さらにつづきまして第四が「正業」。(増谷)

奈良–正しいおこない、正しい行為という意味かと思いますが、具体的には「殺生、不与取、非梵行を離れること」。

増谷–殺生は生きものを殺すことでございます。いま無害の思いというものもありましたが。それから不与取というのは、与えられざるものを取ることなかれということであうね。それから非梵行というのは、邪淫を離れること、よこしまを離れることでございますね。これを見ておりますと五戒を思い出しますね。五戒はこのほかに不飲酒戒やら何やら入っておるわけでございますが、殺生、不与取、非梵行、これだけをあげて、これが正業あるとおっしゃっております。お釈迦さまはそれでは五戒に足りないじゃないですかなんて言うわけにもまいりません。これはたとえばじゃなくて、これだけはという、それがこのなかに入っていると思うのです。そして、いまの正思、正語、正業、これで人間の三業が正しくされるわけでございますね。

奈良–いわゆる身口意の三業などといいますですね。からだのおこない、口と心ということでしょう。(211~212頁)

■正命・正精進・正念・正定

増谷–つづきまして五番目が「正命」でございます。

奈良–正命とは「正しい出家の法を守って生きること」だ、とあります。

増谷–この「命(みょう)」というのは、生活の仕方、生き方ということでございます。正しい出家の法を守る。在俗の人の場合には、正しい人間の行き方を守ることでございますね。(212頁)

■奈良–つづきまして第七は「正念」。「己の身心を観察して、貪りと憂いを調伏して住すること」。これは正しい「おもい」ということでしょうが、「おもい」といいましても、さきほどの思い考えるの思いとは違って、念ずるほうででございますね。

増谷–心のおきどころといったらどうでしょうね。心のおきどころを正しくすることだと私は思うのです。それに身心を観察して、貪り、憂いといったもののないありようを実現するのでございますね。(212~213頁)

■そして第八番めに「正定」と出てまいります。(増谷)

奈良–「禅定を修して内心平等なる境地にいたること」この「定」は禅定ということでよろしいのでしょうか。

増谷–はい。これはさきほど出てまいりましたことばで申しますと、サマーディ(三昧)、何々三昧というあれですね。あなたのほうのご宗旨では自受用三昧ということばをよくお使いになるでしょう。道元禅師のお好きなことばですね。

奈良–はい。三昧王三昧といいましたり、自受用三昧といいましたり。

増谷–あれは結局この境地をずっと味わっているときの境地でしょう。こまかいことを申しますれば、禅定は第一禅定から第四禅定にいたるまでだんだん上がっていって、そして最後にはという説明がのちの法相分別(ほうそうふんべつ)の人たちまではこまかく説かれておりますが、そこに行き着いたところは何かというと、それは「内心平等」ということばがここに使ってございますね。もはやいっさいの波立のない心境、心の状態を完全にすることですね。その状態は何かというと平等、平等というのはひらたいことですね。そこにはありとあらゆるものが映ってきます。それを道元禅師は海印三昧なんていって、春の海のごとき心持なんかじゃないですか。そこに到達するのが、最後のところでございましょうね。(213頁)

■実践の道ー八正道

増谷–第一には、ずばりと正は中なりですな。これが仏教の正の特徴だと思います。正が中だというのです。だから、八正道がそのまま中道なのですね。そのほかは、いまおっしゃいましたいわゆる常と無常とをとりちがえないようにといったり、あるいは美と醜をとをとりちがえないようにといったり、いろいろな考え方があります。これは転倒せずですね、不転倒ですね。ひっくり返してはだめなんです。そうしたら正ではないわけですね。第一は、端っこにもっていったらそれは正ではないわけです。第二は、ひっくり返してはいかんのですね。それから第三には、仏教のなかで諸法というものは、結局のところ、あるがままのものだという考え方ですね。「万法露露」ということばも道元禅師のことばですね。

奈良–すべてのものがいや応なしにほんとうの姿そのままにあらわれているじゃないかという見方ですね。

増谷–正というのは結局何かというと、それは「諸法実相」なのでしょう。「諸法実相」とはいったい何かというと、万法露露、いっさいのものはあるがままでしかないんだ、と。あるいは万法露露のことを万法不覆と申しますが、万法はけっしてみずからを隠してはいないというあの考え方なのですね。私どもはここらあたりで何が正しいのか考えてみてもいいのではないかと思いますが、お釈迦さまが、あるいは仏教が説いている正というのは、結局これだと私は考えております。(214~215頁)

■『大般涅槃経』の仏伝

 アーナンダよ、わたしは老い衰えた。老齢すでに八十におよんだ。たとえば、アーナンダよ、古い車は革紐のたすけによってやっと動くことができるが、思うに、わたしの身軀もまた、革紐のたすけによって、やっと動いているようなものである。(250頁)

■さればアーナンダよ、みずからを洲となし、みずからを依処となし、他人を依処とせず、法を洲となし、法を依処となして、他を依処とせずして住するがよい。

奈良–よく、自燈明、法燈明といわれている句です。

増谷–あるいは自帰依、法帰依と申しますね。

(2019年8月16日)

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『素数の音楽』マーカス・デュ・ソートイ  新潮文庫

 第1章 億万長者になりたい人は?

■数学において、なぜ素数が重要なのか。それは、素数を使えばほかのあらゆる数が作れるからだ。素数でない数はすべて、素数をいくつかかけることで作りだせる。物質界にある分子はすべて、化学元素の周期表にある原子を使って作ることができる。素数の表は、いわば数学者の周期表であり、2や3や5といった素数は、数学者の実験室の水素やヘリウムやリチウムなのだ。数の構成要素であるこれら素数をとことん知り尽くすことができれば、広大で複雑な数学の世界をどう進んでいけばよいのか、その進路を定める新たな方法が見つかるかもしれない。(20~21頁)

■しかし素数は、基本的で単純そうに見えるにもかかわらず、数学者の研究対象のなかでももっとも謎めいた存在でありつづけている。パターンと秩序を見つけることをもっぱらとする数学という学問において、素数は究極の挑戦課題なのだ。素数の表を見てみると、どうやら次の素数がいつ現れるかは予想不可能であるらしい。素数の表はまるで秩序がなくでたらめで、次の数がどうやって決まるのか、皆目見当がつかない。そすうの表が数学の心臓の鼓動だとすると、その脈拍は、強力なカフェインを摂取したかのように乱れきっている。(21頁)

■数学者にすれば、自然が素数を定める方法に説明が付かないということは絶対に認められない。数学に構造がないとしたら、数学が美しく単純でなかったとしたら、そんなものは研究するに値しない。余暇にホワイトノイズに耳を傾けて楽しむなど、とうてい考えられないことだ。フランスの数学者アンリ・ポアンカレが記したように、「科学者が自然を研究するのは、自然が有益だからではない。喜びをもたらしてくれるから研究するのであり、なぜ喜びをもたらすかというと、自然が美しいからだ。自然が美しくなければ、そんなものは知るに値せず、自然が知るに値しないものだとすれば、人生も生きるにあたいしないものなのだ」。(22頁)

■しかも素数はこれほどでたらめに見えるにもかかわらず、数学が継承してきたほかのなによりも普遍的で、時空をも超越している。素数は、人類が素数を素数と認識できるようになる前から存在していたのだ。ケンブリッジの数学者G・Hハーディーが有名な著書『ある数学者の弁明』(邦題は『ある数学者の生涯と弁明』)で述べているように「317は、われわれが素数だと考えるから素数なのでなく、われわれの精神の形成とは無関係に、素数だから素数なのだ。数学的実在は、そのように作られているもの」なのである。(24頁)

■哲学者のなかには、人間存在を超えたところに絶対で永遠な現実が存在するというこのようなプラトン的な世界観に異議を唱える人々もいる。しかし思うに、それこそ説学者の哲学者たるゆえんで、数学者は違う。ポンピエリのメールに登場した数学者アラン・コンヌと神経生理学者のジャン=ピエール・シャンジューが、『考える物質』という本のなかで興味深い対話をしている。数学者であるコンヌが、数学は人間の精神の外にそんざいすると主張するのに対して、神経生理学者であるシャンジューが断固として異議を唱える場面で、コンヌとシャンジューの間の緊張が一気に高まる。コンヌが「不変で生の数学的実在は、人間の精神とは独立に存在する」といい、その数学世界の中心には不変の素数列があると言い張ると、シャンジューはいらだちとともに、「それならなぜ、空中に“π=3,1416”と金文字で書かれているのをこの目で見ることができないのだ?なぜ”6.02×10(23乗)”(訳注;化学で登場するアボガドロ数という定義を指す)という文字が水晶球に浮かび上がっているのを見ることができないのだ?」と迫る。コンヌによれば、「数学が唯一の不変的言語であることは否定できない!」のであって、宇宙の反対側にまったく別の生物学や化学が存在するするというのなら想像できるが、素数はどの銀河系にいっても素数なのだ。」(24~25頁)

■リーマンは、いってみれば数学の鏡を見つけ、それを通して素数をのぞき見ることでこの洞察を得た。『鏡の国のアリス』では、鏡のなかに踏み込んだとたん、世界がさかさまになる。これに対して、リーマンの鏡の向こうに広がる不思議な数学の世界では、素数の混乱状態が数学者の望みうるもっとも強固な秩序に変わる。リーマンは、鏡の向こうに果てしなく広がる世界をどこまで進んでも、この秩序が崩れることはないと考えた。鏡の向こう側にこのような秩序があるからこそ、素数はあれほど混沌として見えるのだ。ほとんどの数学者が、リーマンの鏡によって混乱が秩序へと変わる様子はまさに奇跡といってよい、と考えている。そしてリーマンは、自分が予想した秩序が実際に存在することの証明を数学界への課題として残した。(29頁)

■リーマンの残した課題の結果如何で、非常に多くの成果の当否が決まることから、英語でこの問いを指すときには、単なる「予想」という言葉ではなく「仮説」という言葉が使われている(訳注;日本語では以前から「リーマン予想」と呼ばれているので、ここでは前例に従った)。「仮説」という言葉を使うと、数学者が理論をうち立てるときに必要に迫られて作る作業仮説であることが強調される。これに対して「予想」というと、世界のしくみがどのようなものであるかをただ予測したものでしかなくなる。自分にはリーマンの謎は解けないという事実を受け入れたうえで、この予想を作業仮説として採用してきた人は多い。この「仮説」を「定理」にできたなら、これらすべての成果が正しいといえるのだ。(31頁)

■インターネット上のあらゆる商取引のセキュリティーが、100桁以上の素数にかかっている。インターネットの役割が拡大すれば、やがてひとりひとりに特定の素数が割り当てられ、身元確認に使われるようになるだろう。(33頁)

 第2章 算術を構成する原子

■ケレスの軌跡に関して華々しい成功を収めはしたが、ガウスのほんとうの情熱を傾けていたのは、数の世界のパターンを見つけることだった。数の宇宙はガウスに向かって、ほかの人々の目には混沌しか見えないところに構造と秩序を見つけよ、という究極の課題を突きつけていた。(49頁)

■まだ若かったガウスの数額への最大の貢献のひとつに、時計計算機の発明がある。これは、実際に動く機械ではなくひとつの考え方であって、この考え方によって、それまで桁(けた)が大きすぎて手に負えないと思われていた数を計算できるようになった。時計計算機の原理は、ごく普通の時計とまったく変わらない。かりに時計が9時を指しているとして、そこに4時間を加えると時計の針は1時を指す。同様に、ガウスの時計計算機もこの足し算の答えとして、13ではなくて1を指す。さらに、7かける7のような計算をすると、時計計算機は7×7=49を12で割った余りを示す。したがって、この答えも1になる。(50頁)

■貧しい家庭に生まれたガウスは、運良く数学の才能を生かすチャンスに恵まれることとなった。当時はまだ、数学をしたければ、宮廷やパトロンの援助という特権を得るか、あるいはピエール・ド・フェルマーのようにアマチュアとして余暇にやしなむしかなかった。(51~52頁)

■ここに、ガウスが好んで「数学の女王」と呼んだ「数論」という分野が誕生したのである。ガウスにすれば、長年数学者を魅了し悩ませてきた素数こそが、この女王が戴(いただ)く冠の宝石だった。(52頁)

■今、15個の豆があるとして、これを5個ずつ3列に並べると長方形ができる。ところが17個の豆で長方形を作ろうとすると、17個をずらりと1列に並べるしかない。(53頁)

■ギリシャ人は、事物を構成している要素は火と空気と水と大地であると信じていた。この信念は的はずれだったが、算術の最小不可分な要素、つまり算術の原子についてのギリシャ人の考えは正鵠を射ていた。化学者たちは何百年にもわたって、自分たちの扱っている物体を構成する基本要素を特定しようと努力を重ねてきた。そしてついに、ギリシャ人の洞察はドミトリー・メンデレレーエフの周期表となって実を結び、化学元素を漏らさず数え上げた表が完成した。ところが数学の世界では、ギリシャ人が幸先よく計算の基本要素を突き止めたにもかかわらず、いまだに素数の表を理解しようと悪戦苦闘している。(54頁)

■素数表をはじめて作ったのは、アレクサンドリアにあった古代ギリシャの巨大な研究者の司書、エラトステネスだとされている。紀元前3世紀、エラトステネスは、たとえば1から1000までの数のうちのどの数が素数かを調べるわりと楽な手順を発見した。エラトステネスはまず、1から1000までの数をすべて書き出した。次に、最初の素数である2に注目し、そこから表の数をひとつおきに消していった。これらの数はすべて2で割り切れるから、素数ではない。次に、消されていない次の数、つまりこの場合でいう3に移り、表の数を今度は2つおきに消していく。これらの数もすべて3で割り切れるから、素数ではない。こうして、表に残っている次の数に移っては、その数で割り切れる数をすべて消すという作業を延々と繰り返すことで、エラトステネスは素数の表を作り上げた。この手法は後に「エラトステネスのふるい」と呼ばれるようになる。(54~55頁)

■1、2、6、10、15……

 1、1、2、3、5、8、13……

 1、2、3、7、11、15、22、30……

 最初の列は3角数と呼ばれる数の列だ。たとえばこの列の10番目の列の10番目の数は、最初の列には1個の豆、2列目には2個の豆というように、次々に豆の数を増やしながら豆を並べていき、最後に10個の豆を並べて10段の3角形を作ったときの豆の総数になっている。(56~57頁)

■2番目の数列、1、1、2、3、5、8、13……は、いわゆるフィナボッチ数からなっている。この列の裏には、直前の2つの数を足すと新しい数になるという規則が潜んでいる。(59頁)

■さて、3つ目は1、2、3、7、11、15、22、30……という数列だが、これはひとまず後のお楽しみにとっておくことにしよう。20世紀のもっとも興味深い数学者のひとりシュリヴァーサ・ラマヌジャンは、この数列の性質に関する考察で名声を確立した。ラマヌジャンは、ほかの数学者たちがパターンをみつけようとしては失敗していた分野で新たなパターンや公式を見つける特異な才能を持っていた。(61頁)

■数学者は、数学の世界に存在するパターンや構造を発見したら、今度はそのパターンがいつまでも続くことを「証明」しなくてはならない。(64頁)

■数学におけるこのような推測や予想を、数学者は「予想」とか「仮説」と呼ぶ。(64頁)

■一方、先程述べた2Nを使った素数判別テストは、1819年に問題外だとして葬り去られることになった。このテストを使うと、340までのすべての数について正しい結果が得られて、その次の数341は素数だという結論が出る。しかし、341=11×31だから、この判定は間違いだ。この判例が見つかったのは、盤面が341時間のガウスの時計計算機を使って2341のような数が簡単に分析できるようになってからのことだった。通常の計算機では、2341は100桁を超えてしまう。(66頁)

■ハーディーによれば、

「(数学の世界を観察する人には)Aはくっきりと見えているが、Bは一瞬ちらりとしか見えない。観察者はついにAからはじまる稜を見つけ、その稜を最後までたどると最高点Bに達することに気づく。この観察者がほかの人にもBを見せたいと思ったなら、直接Bを指し示すか、自分自身がたどったように、Bへと続く稜をたどっていってBを指し示すことになる。その頂が相手に見えたとき、その研究と議論と証明は完了する。

 証明とは、苦難に満ちた旅の物語であり、その旅程の緯度経度を記した地図であり、数学者の航海日誌である。証明を読むことで、その証明を成し遂げた人物と同じ世界が見えてくる。しかも、頂への道がわかるだけでなく、その先どんなことが起ころうとも、この新しいルートが崩れ去ることはないと確信できる。証明の細かい部分は省略されていることが多い。証明は、あくまでもその旅がどのようなものかを述べているのであって、必ずしも旅の一歩一歩を再現しているわけではない。数学者は証明を、読み手の心の中に激しい流れを引き起こすように組み立てる。ハーディーは数学者の証明についてこう述べている。それは、わたしとリトルウッドがガスと呼ぶもの、数々の心を揺さぶるように仕組まれた華やかなレトリックであり、講義における黒板の上の図であり、学生の想像力を刺激するための装置なのだ」(67~68頁)

■科学のほかの分野では、ほんとうに信頼できるのは実験で得られた証拠である、という態度が支配的だが、数学者には、いかなる数値データも証明なしには信用すべからず、という姿勢が染みついている。

 あるいは、精神の産物である数学には形がないので、数学者たちは証明によって数学の世界にある種の現実感を与えようとしているのかもしれない。(69頁)

■他の分野では、ある世界像が何十年か後には崩れ去っているという可能性がある。しかし数学では、証明のおかげで、たとえば素数に関する事実は、将来なにが見つかろうと決して変わらないことが100パーセント保証されている。数学では、いわばピラミッドのような存在で、それぞれの世代が前の世代の業績の上に立って、足下が崩れる心配をせずに業績を積み上げていくことができる。数学者にすれば、この頑強さがクセになる。古代ギリシャ人のうち立てた業績が今でも正しいといえる科学の分野は、数学以外にない。(71頁)

■大学のほかの学部の人々は、数学者が証明によって手にする確信をあざけると同時に、うらやましくも思っている。ひとつの事象は証明によって永久不変のものとなり、ハーディーも触れた正真正銘の不朽の名声へとつながっていく。だからこそ、不確かな世界に暮らす人々が数学に引かれるのだ。数学は、現実の世界にうまく対処できずにいる若い頭脳に再三再四、逃避の場を提供してきた。(71頁)

■絶対的な証明にたどり着けると信じるなど、傲岸不遜にすぎるのではないか? 原子は不可分であるとする理論やニュートン力学の理論のように、あらゆる数が素数から作られているという証明も、覆(くつがえ)されるおそれがあるとは考えられないのか。しかしほとんどの数学者は、この先いくら詮索したところで、数に関して自明の真実とみなされてる公理は崩れないと信じている。そして、これらの基礎の上に数学を構築する際に用いられてきた論理法則を正しく使いさえすれば、数に関する言明は証明できる。さらに、新たな洞察が得られたとしても、その証明は決して崩れ去ることはないというのだ。哲学としては素朴かもしれないが、これが数学の中心をなす信条なのである。(72頁)

■数学とは、はたして想像するものなのか。それとも、発見するものなのか。数学者の多くは、自分がなにかを創り出しているという感じと、科学の絶対的真理を見出しているという感じの間を揺れている。数学的な着想は、個人に深く根ざしていて創造的な頭があるからこそ生まれたと感じられることが多い。そかしその一方で、数学者は論理的なものであって、数学者はみな不変の真実に満ちた同じひとつの数学的世界に暮らしているとも信じられている。真実は、ただそこで発見されるのを待っているだけであって、いかに創造的な思考をもってしても、真実を崩すことはできない。(73頁)

■すべての数学者にないざいするこの創造と発見のあいだの緊張を、ハーディーはみごとに捉えてみせた。「思うに、数学的な実在はわれわれの外にある。それを発見し、観察することがわれわれのつとめであって、われわれが証明し、自分たちが『創り出した』と大言壮語する定理もその観察発見に過ぎないのだ」とはいえふだんの彼は、一連の数学的研究をもっと芸術的に述べることを好んでいた。(73~74頁)

(岡野記;芸術も同じで、存在の法を超えるものは、そもそもあり得ない。偽や醜や悪は、時間の軌持によって必ず撓められる)

■たとえば、あらゆる数を素数の積で表せるということを証明するために、まず140という具体的な数の列を考える。今仮に、140以下の数がすべて素数あるいは素数の積になっていることまでは確認済みだとしよう。では、140そのものはどうであろう。この差ううが素数でなく、素数の積でもないはみ出しものだという可能性はあるだろうか。まず、この数が素数でないことがわかる。どうして? もっと小さな数の積になっているからだ。140は、たとえば4×35と書ける。これでもうだいじょうぶ。問題の140という数より小さな4や35が素数の積で表せることは、すでに確認済みだ。4は2×2となり、35は5×7になる。これらをまとめると、140は2×2×5×7と書くことができて、結局はみ出しものでなかったことがわかる。

 ギリシャ人は、このような具体例をすべての数で成り立つ一般的な議論に読み替えるにはどうすればよいかを知っていた。とはいっても妙なことに、ギリシャ人たちは、素数でもなければ素数の積で表すこともできないはみ出しものの数が存在すると仮定することから議論を始めている。かりにそのような例外的な数があるとすれば、あらゆる数をずらりと並べたときに、最初に出てくるはみ出しものがあるはずだ。そこでそれをNとする。Nは素数ではないから、もっと小さな二つの数A、Bの積で表せるはずだ。そうでなければ、Nは素数になってしまう。

 さて、AとBはいずれもNより小さいから、素数の積で表せるはずだ。そこで、Aを素数の積として表したものとBを素数の積として表したものをすべて掛け合わせると、元の数Nになる。つまり、N自体も素数の積で表せたことになるが、これは元々のNの選び方に反する。ということは、そもそも例外的な数Nが存在すると仮定したことが間違いだったわけで、すべての数は素数であるか、素数の積として表せるかのどちらかなのだ。(76~77頁)

■エウクレイデスは、「原論」のなかほどで数の性質を取り上げている。多くの人々が世界初のすばらしい数学的推論とするものが載っているのも、この部分である。エウクレイデスは命題20で、素数に関する単純だが奥深い真理を述べている。いわく、素数は無数にある。エウクレイデスは、素数をかければどのような数も得られるという事実から出発した。そして、証明を次のように構成した。どのような数もこれらの素数から作られているとして、このような要素が有限個しかないことがありえるだろうか。2003年現在メンデレーエフの作った化学元素周期表には、109の原子が載っていて(訳注 2013年現在、承認されている元素は114、承認待ちを含めると、118種にのぼる)、あらゆる物質はこれらの原子から作り上げることができる。はたして素数でも同じことがいえるのだろうか。数学界のメンデレーエフが、109の素数からなる表をエウクレイデスに見せて、この表から漏れている素数があることを証明せよと迫ったらどうなるのか。

 たとえば、2と3と5と7をいろいろと組み合わせてかければあらゆる数が作り出せる、というようなことはありえないのか。エウクレイデスは、これらの素数から作り出せない数を見つけるにはどうすればよいか、考えた。「そんなのは簡単じゃないか。その次の素数11を持ってくればいいだろう」という人がいるかもしれない。なるほど、確かに2と3と5と7をどうかけても11にはならない。だが、このようなやり方は早晩破綻する。なぜなら今日に至るまで、次の素数がどこにあるかを保証する術(すべ)は、いっさいわかっていないから。となると、素数の表がどんなに長くてもうまくいくような、別の方針を試すしかない。

 はたしてそれがエウクレイデス自身の着想なのか、あるいはアレクサンドリアのほかの誰かが思いついたものを記録しただけなのかは定かでないが、いずれにしてもエウクレイデスは、与えられた有限個の素数だけでは作れない素数を作る方法を示して見せた。素数2と3と5と7の例で考えよう。まずこれらすべての数を掛け合わせて、2×3×5×7=210を得る。そして、ここがエウクレイデスの天才たるゆえんなのだが、この積に1を足して211にした。この211という数は2、3、5、7のどれでも割り切れない。1を加えてあるため、どの素数で割っても必ず1余るのだ。

 さて、エウクレイデスはあらゆる数が素数の積で表せることを知っていた。では、211はどうだろう。2、3、5、7では割り切れないのだから、他の素数があって211を割り切るはずだ。特にこの例では、211自体が素数になっている。しかしエウクレイデスは、こうして作った数が常に素数になると主張しているわけではない。できた数が数学界のメンデレーエフが提供したリストに載っていない素数で作られている、といっているだけなのだ。(78~80頁)

■たとえば誰かが、2、3、5、7、11、13という限られた素数を掛け合わせればすべての数を作り出せる、といったとする。これらの素数からエウクレイデスのように数を作ると、2×3×5×7×11×13=30031になる。しかし30031はそすうではない。エウクレイデスはあくまでも、有限個の素数の表を与えられたよきに、その表に素数だけでは作れない数を作ることができる、といっているにすぎない。今の例でいえば、30031を作るには、59と509の二つの素数が必要だ。しかしエウクレイデスにも、この新しい素数の正確な値を求める一般的な方法はわからなかった。そのような素数が存在することを知っていただけなのだ。(80~81頁)

■エウクレイデスのこの証明により、あらゆる素数を網羅した周期表を作るという望みは絶たれ、何十億という素数にコードをつけた素数ゲノムを発見する望みも潰えた。蝶を収集するようにただ素数を集めただけでは、素数を理解することはできないのだ。数学者たちを待ち受けていたのは、限られた武器を手に無限の広がりを持つ素数に切り込むという究極の課題だった。はたしてこんなめちゃくちゃな風景のなかに、道をつけることができるのだろうか。素数の行動を予測できるパターンをみつけることは可能なのだろうか。(81頁)

■そのころエカテリーナ女帝は、フランスの高名な哲学者にして無神論者であるドニ・ディドロを客人として招き、もてなしていた。ディドロはつねづね数学を酷評するきらいがあり、数学は経験になにものをも加味せず、せいぜい人間と自然とのあいだに帳(とばり)をかけるくらいのことしかできまいといってはばからなかった。だがエカテリーナ女帝は、じきにこの客人を厄介者扱いしはじめた。ディドロが数学を蔑(さげす)んだからではなく、廷臣たちの宗教心を揺るがそうとしたからだ。すぐにオイラーが宮廷に呼ばれて、このしゃくに障(さわ)る無神論者の口を封じたいので手を貸してほしいといわれた。オイラーはエカテリーナの庇護にたいする感謝の気持ちを表すべく、並み居る宮廷人の面前で大まじめな顔をしてディドロにいった。「お客人、(a +bn=x であるからして、神は存在するのです。さあ、あなたのお考えはいかに」この数学からの猛攻を前にして、ディドロはさっさと退却したといわれている。(88頁)

■科学の他の分野でなら、このような醜い数も決して珍しくはない。しかし数学の世界では、常にできる限り美的な構成が追求される。今から見ていくリーマン予想も、「醜い世界と美しい世界のどちらかひとつを選ぶとしたら、自然は常に美しい世界を選ぶ」という、数学者が広く共有する哲学の一例と見ることができる。数学者たちは、このような数学の美しさにいつも驚嘆し、うっとりするのだ。(110頁)

 第3章 リーマンの架空の鏡

■ナポレオンにとって、教育は旧体制(アンシャンレジーム)の陋習(ろうしゅう)を撲滅するはずのものだった。教育こそが、新生フランスを作り上げる際の背骨である。そう考えたナポレオンは、パリにいくつかの研究所を創設した。今日まで名をとどろかせているこれらの研究所は、あらゆる階層の学生を受け入れる実力主義の単科大学で、教育や科学は社会に奉仕すべし、という教育哲学を特に重んじた。フランス革命当時の1794年には、ひとりの地方役人が大学教授に宛てて、「共和国の算術について」の講座を開設するよう求め、次のような手紙をしたためている。「拝啓。革命によってわれわれのモラルが高められ、われわれの、さらには来る世代の幸福への道が平坦になっただけではない。革命により、科学の進歩を妨げていた足かせもまたはずされたのである」(121頁)

■X2=–1という方程式の解となる数をどこからともなくひねり出すなんて、まるでいんちきのように思える。なぜ、この方程式には解がないという事実を受け入れないのだろう。たしかにそのような道もある。しかし、数学者はもっと楽観的でありたいと思うものなのだ。新しい数があるという考えを受け入れさえすれば、方程式が解ける。はじめは不安でも、このような創造的なステップにはためらいを押し切るだけの長所があって、いったん名前を付けてしまえば、その数が存在することは必然のように思われてくる。もはや人工的に作り出された数ではなく、ずっと前からそこに存在していたにもかかわらず、正しい問いかけをしなかったために見つからなかった数になるのである。一八世紀の数学者は、このような数があり得ることを認めまいとした。しかし一九世紀の数学者たちは勇敢にも、従来受け入れられてきた数学の規範に楯突くこの新たな思考様式は正しい、と信じることにした。(136~137頁)

■ありていにいうと、マイナス1の平方根は、2の平方根と同じくらい抽象的な概念だ。どちらも方程式の解として定義されているにすぎない。となると、新しい方程式が登場するたびに、新しい数を作り出さなければならないのだろうか。X2=–1という方程式が解きたくなったら、どうすればいい? 新たな解を表すために、次から次へと文字を使い続けなければならないのだろうか。そのような不安に終止符を打ったのが、1799年のガウスの博士論文だった。ガウスはこの論文で、これ以上新たな数が不要であることを証明した。i という数を使えば、どのような方程式でも解くことができる。方程式の解はすべて、通常の実数(分数や無理数)と新しい数 i で構成された数になっているのである。(137頁)

■ガウスの証明の鍵は、数直線上に実数が並んでいるという周知の図を拡張するところにあった。数直線は東西に伸びる直線で、その上のひとつひとつの点が数を表している。これらの数は、すべてギリシャ時代からなじみのある実数だ。しかしこの線上には虚数という新たな数、たとえばマイナス1の平方根の居場所がない。そこでガウスは、新しい方向を作り出したらどうなるかと考えた。1を、数直線から北に1単位長さいった点で表したらどうだろう? 方程式を解くのに必要な数は、たとえば1+2iのように、どれもiと普通の数を組み合わせた形になっている。ガウスは、あらゆる数をこの二次元の地図上の点で表せることに気づいた。つまり、虚数をこの地図上の座標と考えることができて、たとえば1+2iは、東に1単位いき、北に2単位いった点で表されるのだ。

 ガウスは、虚数がこの想像上の世界の地図における方向の組みを表していると解釈することにした。虚数A+Biと虚数C+Diを加えるというのは、この二つの方向に続けて移動することで、たとえば6+3iに1+2iを加えると、7+5iに達する。(137~138頁)

■17世紀のデカルトは、幾何学の研究を数学と方程式に関する純粋な言明にしようとした。「感覚による理解は、感覚による欺(あざむ)きである」というのが、デカルトのモットーだった、居心地のよいシュマルフスの読書室でデカルトの著書を読んでいたリーマンは、こんなふうに物理的な図をはねつけるのは嫌だと思った。(139頁)

■ガウスは、虚数を表す自分の地図が当時の数学者たちに毛嫌いされることを知っていて、この図を証明からはずした。数は加えたりかけたりするものであって、図に描くものではない。ガウスが博士論文で使ったこの足場のことを白状したのは、40年ほど後のことだった。(140頁)

■関数は、いわばある数を入れると計算が行われて別の数が出てくるコンピュータプログラムのようなものだ。(141頁)

■このような波を作り出す関数をサイン関数という。サイン関数のグラフは、よく見かけるくり返しのある曲線で、360度ごとに同じ形が現れる。今日では、サイン関数はさまざまな日常の計算に利用されている。たとえば、角度を利用して地上からビルのてっぺんまでの高さを測るのにはサイン関数を使う。楽音を再生するときにもこのサイン波が鍵となるという事実が明らかになったのも、オイラーの時代のことだった。ピアノの調律に使う音叉を叩いたときに出るイ音のような純音は、このような波で表されるのだ。(142頁)

■オイラーが2xという関数に虚数を入れると、ある特定の音を表す波が姿を現した。オイラーは、ひとつひとつの音の特徴がそれに対応する虚数の係数によって決まることを示した。係数が大きくなって、虚数の地図の北にいけばいくほど音は高くなる。地図の東にいけばいくほど、音は大きくなる。オイラーの発見によって、虚数が数学の風景に予想外の道を切り開く可能性が、はじめて明らかになったのだった。数学者たちは、オイラーに続けとばかりにこの虚数の世界を旅しはじめ、新たな関係を発見しようという動きが伝染病のように広まった。(142~143頁)

■リーマンがゲッティンゲンでどうにか親交を結ぶことができた教授のひとりに、高名な物理学者ヴォルヘルム・ヴェーバーがいた。ヴェーバーは、ゲッティンゲンでガウスと一緒に数多くのプロジェクトを行っていた。科学界のシャーロック・ホームズとワトソン博士とでもいおうか、ガウスが理論的な支えを提供し、ヴェーバーがそれを実行する。なかでももっとも有名なのが、電磁気を使えば離れた場所のあいだで通信ができるという事実を検証する実験だった。ふたりはガウスの観測所とヴェーバーの研究室とを電信線でつなぎ、それを通してメッセージをやりとりした。

 ガウスがこれを単なる物珍しい発見にすぎないと考えていたのに対し、ヴェーバーは、この発見からなにが始まるかをきちんと見据えていた。「地球が鉄道と電信線の網で覆われたとき」とヴェーバーは記している。「その網は、交通の手段として、また考えや感情を高速で伝播(でんぱ)するしゅだんとして、人間の体における神経システムにも匹敵する役割を果たすことになるだろう」電信機が急速に普及し、ガウスの発明した時計計算機が後にコンピュータセキュリティーの実現に寄与したことを考えれば、ガウスとヴェーバーはいわばイージービジネスとインターネットの祖父といえよう。ふたりの協力関係を永遠に称えるべく、ゲッティンゲン市にはふたりの彫像が立てられている。(145~146頁)

■リーマンは、ヴェーバーの助手をしながら幾何学や物理学について考えるうちに、物理学の根本的な問いは、すべて数学だけをつかって解くことができると確信するようになった。リーマンの数学に寄せるこの信頼は、やがて物理学のその後の発展によって裏付けられることになる。今では多くの人々が、リーマンの幾何学理論は科学に対するリーマンの最大の貢献のひとつだと考えており、実際のこの理論は、アインシュタインが20世紀初頭に科学に革命を引き起こす際の土台の一部になった。(147頁)

■数学者がこの無限和に関心を持ったきっかけは音楽にあり、元をたどるとギリシャ人の発見に行き着く、数学と音楽の基本的な関係にはじめて気がついたのは、ピタゴラスだった。ピタゴラスは、水を入れた壺を槌で叩いて音を立てた。次に水を半分に減らして壺を叩くと、音は1オクターブあがった。さらに水を減らし、3分の1、4分の1にして叩くと、最初の音と調和する音がした。これ以外の水量で音を立てても、元の音と調和しない。どうやらこれらの分数は、美しく聞こえることと関係しているようだった。1、2分の1、3分の1、4分の1……が調和するということに気づいたピタゴラスは宇宙全体を音楽が統べていると信じるようになり、「天空の音楽」という言葉を作った。(152頁)

■ライプニッツの言葉を借りれば、「音楽は、人間の頭脳が知らず知らずに数えることによって経験する喜び」なのである。(153頁)

■数学では美に重きがおかれていて、美しい証明とかエレガントな解法という話をよく耳にする。美に対する特別な感受性をもつ者だけが、数学的事実を発見できるのだ。数学者が望んでやまない解法の瞬間は、ピアノの鍵盤を強打しているうちに突然ほかの和音とは異なる調和を秘めた組み合わせが見つかる、あの瞬間にも似ている。(153頁)

■数学や音楽には記号という専門の言語があって、これを使えば、自分が創り出したり発見したパターンを表現することができる。譜面に書かれている2分音符や8分音符だけでは音楽にならないように、数学で使われる記号も、それに基づいて頭のなかで数学が奏でられたときにはじめて生き生きとしたものとなる。(154頁)

■バイオリンの弦の振動によって出る音が、基音とあらゆる倍数をすべて加えた無限和になっていることから、数学者たちは、数学の世界のこれと似た無限和に注目し始めた。こうして、1+1/2+1/3+1/4+1/5……という無限和は調和級数と呼ばれるようになった。この無限和はまた、ゼータ関数にx=1を入れたときの値でもある。次々に項を足していっても、この和はごくゆっくりと増えるだけだが、それでも14世紀には、最終的にこの和が無限大にふくれあがることが知られていた。

 つまり、ゼータ関数にx=1を入れると、値は無限になる。だがx=1を入れではなく1より大きな数を入れると、もはや値は無限にはならない。たとえばx=2とすると、

 1/12+1/22+1/32+1/42+1/52……=1+1/4+1/9+1/16+……

となって、調和級数の各項の二乗を加えることになる。すると、x=1の時より小さくなる。オイラーは、この場合の答えが無限ではなく、ある特定の値になることを知っていた。(155頁)

■見慣れたものを新しい言葉で表してみると、それまで見えなかったなにかが見えてくる場合がある。ディリクレはオイラーによる再公式化に触発されて、時計計算機に素数を入れると無限回1時を指すというフェルマータの予想を、ゼータ関数を使って証明しようと考えた。素数が無限にあるというエウクレイデスの議論だけでは、フェルマーの直感を確認することができなかったのだ。ところがオイラーの証明のおかげで、時計計算機で、1時を指しそうな素数だけを数えればよくなった。この証明は成功し、ディリクレは、素数に関する発見にオイラーのアイデアを活用した最初の人物となった(訳注;ディリクレは、ゼータ関数の形を少し変えたL関数という関数を作り、オイラーの論法を利用して、この事実「算術級数定理」を証明した)。これは、素数というユニークな数の理解に向けた大きな一歩だったが、素数生成の謎の解明には、まだまだ遠かった。(160頁)

■リーマンは、自分が素数をまったく新しい視点から見ていることに気づいた。ゼータ関数が、突然素数の秘密を明らかにするかもしれない音楽を奏ではじめたののである。(161頁)

■リーマンはゼータ関数のおかげで、素数を変身させる鏡を手に入れた。数学者たちはリーマンの論文に導かれ、不思議の国のアリスがウサギの穴を通るように、なじみの深い数の世界から直観に反することの多い新たな数学の世界に引き込まれていった。(162頁)

■この10ページの論文には視覚的なところがあったが、同時にひじょうにいららたしい著作であった。リーマンはガウスのように、論文をまとめるにあたって足跡を消すことが多かった。次々に結果を並べておきながら、その証明を述べる段になると、一応証明できたのだが自分の目からするとまだ発表するところまでいっていない、というじれったい言葉だけを書き残している。この論文にいくつかの欠陥があったことを思うと、リーマンが素数に関する論文を書きあげたこと自体が奇蹟といってよかった。論文作成をぐずぐずと先延ばしにしていたら、本人が証明はできないが正しいと考えていたあの予想も、この世に現れることはなかったはずだ。この10ページの文書のなかにほとんど気づかれることもなくひっそりと隠れていたのが、現在100万ドルの値がついている問題、リーマン予想だったのである。(163頁)

 第4章 リーマン予想 でたらめな素数から秩序だったゼロ点へ

■ガウスがリーマンの学位論文にあれほど深い印象を受けたのも、この若き数学者が関数に虚数を入れる際に発揮する強烈な幾何学的直感力を目(ま)の当たりにしたからだ。(167頁)

■コーシーにとって、関数はあくまでも方程式で定義されるものだった。しかしリーマンはそこに、たとえ方程式から出発したとしても、ほんとうに重要なのは方程式によってていぎされたグラフの幾何学である。という見方を付け加えた。(168頁)

■虚数の地面全体を覆う完璧な風景を手にしたリーマンは、さらに考えを進めた。リーマンは博士課程に在籍中、この風景に関する重要で直観に反する事実をふたつ発見していた。まず、この風景の形状は非常に厳格で、この風景を拡張する方法はたったひとつしかない。西側の風景は、オイラーが描いた東側の風景によって完全に決められていて、好き勝手なところに丘を作ることはできない。すこしでも変更を加えようものなら、二つの風景の継ぎ目が裂けてしまうのだ。

 この風景にまったく柔軟性がないというのは、すばらしい発見だった。この風景のほんのわずかな部分を地図にできさえすれば、残りも再現できることになる。リーマンは、ひとつひとつの丘や谷に、風景全体の地形に関する情報が含まれていることに気づいた。これはまったく直観に反している。現実世界の地図を作る場合に、オクスフォード近郊の地図ができたとたんにブリテン島全体の風景が決まるなんて、とうていありえない。

 しかもリーマンは、この新しい奇妙な数学を巡って、もう一つ重要な発見をした。この風景のDNAともいうべきものを明らかにしたのである。この風景が二次元の虚数の地図のどこで海抜ゼロになっているか、その点がつきとめられれば、風景全体のすべてを再現できる。海抜ゼロの点を記した地図は、いわば虚の風景の宝の地図なのだ。これは驚くべき発見だった。現実世界では、世界中の海抜ゼロの地点の座標がすべてわかったからといって、アルプスを再現できるわけではない。だがこの虚数の風景では、ゼータ関数のゼロ点と呼ばれるこれらの点の位置さえわかればすべてがわかる。(173~174頁)

■リーマンは、この探索の出発点を忘れてはいなかった。このゼータ関数の風景は、オイラーの素数を使ったオイラー積によるゼータ関数の再公式化という一大転機(ビックバン)から生まれたのだった。同じ風景を作るのに、素数とゼロ点の両方が一役買っているのだから、ふたつのあいだにはなにか関係があるはずだ。リーマンはそう考えた。一つのものが二通りの方法で作られているという事実から、これらふたつが実は同じ式の二つの側面であることをつきとめられたのは、リーマンに非凡な才能があればこそだった。(174頁)

■つまりフーリエは、膨大な数の音叉を同時に鳴らせば、ひとつのオーケストラ全体の音を作り出せることを証明したのである。目隠しをした人間の耳には、どちらが本物のオーケストラでどちえあが何千という音叉なのか、区別がつかないはずだ。これは、CDの音の符号化の元になる原理で、オーディオ機器のスピーカーは、CDの指示に従って振動し、音色を構成するすべての正弦波を耳にした人は、オーケストラやバンドが居間で生演奏しているような不思議な感じを抱くことになる。(186頁)

■振動数の異なる純粋な正弦波を加えあわせることで再生できるのは、楽器の音だけでない。たとえば、周波数を合わせていないラジオやきちんと閉めていない蛇口から聞こえてくる意味のないホワイトノイズやテープを早回しにしたときの音は、正弦波の無限和で表される。オーケストラの音を再生するときには、互いの振動数をはっきり識別できるいくつかの波が必要なのに対して、ホワイトノイズはあらゆる振動数の波を含んでいる。(186頁)

■フーリエの革命的な洞察は、音の再生に留まらなかった。音以外の物理現象や数学現象を表すグラフを正弦波を使って描く方法がわかりはじめたのだ。当時は、正弦波のような単純なグラフを元にしてオーケストラの音色や蛇口から滴る水の音のような複雑なグラフを作り上げられるかずがない、と疑いの目を向ける人が多かった。実際、フランス数学界の長老の大半が、声を大にしてフーリエの考えに異を唱えた。しかし、ナポレオンという後ろ盾を得たフーリエは、ためらうことなく権威にたてつき、正弦波の振動数の選び方しだいでどのような複雑なグラフでも作れることを示してみせた。CDで、音叉の純音を組み合わせれば複雑な楽音が再生できるように、正弦波の高さを加えることによって、複雑なグラフの形を作ることができるのだ。(187頁)

■リーマンがあの10ページの論文で成し遂げたのは、まさにこれだった。フーリエとまったく同じように、ゼータ関数の作り出す風景のなかのゼロ点から導いた波動関数の高さを加えることで、素数の個数を表す階段状のグラフを再生したのである。したがってもしフーリエが生きていたなら、素数の個数に関するリーマンの式を、素数の音色を作り上げている基本的な音の発見と捉えたはずだ。素数が奏でる複雑な音は、階段状のグラフで表わされており、一方、リーマンがゼータ関数の風景のゼロ点から作り出した波は、いわば音叉の音のような純音で、基本となるこれらの音をいっせいに奏でたときに、素数の音色が再生されるのだ。では、リーマンが再生した素数の音楽はどんな調べだったのだろう。オーケストラの響きに似ているのだろうか。あるいは、蛇口から聞こえてくるホワイトノイズに似ているのか。リーマンの音にあらゆる振動数が含まれれていれば、素数はホワイトノイズを発する。だが孤立した振動数であれば、素数の音はオーケストラの響きに似ているはずだ。(187~188頁)

■したがって、素数が奏でる音はホワイトノイズではない。つまりゼロ点はそれぞれが独立していて、別々の音をだしている。自然は素数のなかに、音楽のオーケストラともいえる音楽を隠していたのだ。(188頁)

■リーマンの秘密の小道がいかに重要であるかは、後に数学者たちがこの線を「臨界線(クリティカルライン)」と呼ぶようになったことからもわかる。(192頁)

■リーマンは、自然がゼロ点を整頓するにあたっても、この対称軸を利用したにちがいないと考えた。(192頁)

 第5章 数学のリレー競走 リーマンの革命が現実のものとなる

■リーマンが数学の大海にもたらした変化の意味を当時誰よりも正しく認識していたのは、どうやらヒルベルトだったらしい。リーマンは、公式や長々とした計算に集中するよりも、数学世界を支える構造やパターンを理解するほうが実り多いということをはっきりと理解していた。(208頁)

■自身が1897年に記しているように、ヒルベルトは「証明は計算によってではなく思考のみによって推し進められるべきだとするリーマンの原則」を実践したいと考えていた。(208頁)

■数学の抽象力を深く信じるヒルベルトにとって、対象が実在するかどうかはどうでもよかった。ヒルベルトは、これらの新しい幾何学の基礎となっている抽象的な構造や関係を研究しはじめた。重要なのは、対象物のあいだの関係だった。(212頁)

■「数学のあらゆる問題は解決できるというこの信念は数学者にとって大きな励ましであり刺激である。われわれの心の内には、次のような呼び声が響き続けている。『ここに問題がある。その解を求めよ。純粋な理性さえあれば、解は見つかる。なぜならば、数学に無知は存在しないのだから』」(ヒルベルト)(219~220頁)

■ヒルベルトはあるとき人に尋ねられて、リーマン予想は「数学の世界だけでなく、絶対的な意味で」もっとも重要な問題だと思う、と答えている。(222頁)

■一度、ヒルベルトをして、もうじきリーマン予想が解けると思わせる出来事があったといわれている。ある学生から、リーマン予想を解いたという手紙を受け取ったのだ。ヒルベルトはすぐにその証明に欠陥があるのに気づいたが、手法には感心した。いたましいことに、その学生は一年後に死亡し、ヒルベルトはその墓の前で弔辞を読んでほしいといわれた。そこでヒルベルトは学生の着想を称賛し、やがていつの日か、これらの着想に触発されてこの偉大な予想が証明される日が来ることを心待ちにしている、と述べた。そして「今かりに虚数上で定義された関数を考えると……」という言葉を皮切りに、いかにも現実社会から隔絶した数学者らしく、葬式の場にまるで似つかわしくない脱線をはじめた。学生の証明の欠陥について、詳細にまくし立てたのである。真偽のほどはさておき、いかにもありそうな話ではある。数学者は時として、視野狭笮を起こすものなのだ。(224頁)

■ハーディーはリーマン予想を証明した。ゼロ点は無限にあって、無数のゼロ点がリーマンの線上にあることをハーディーが証明したのだから、目的は達せられたはずだ。そうだろう?

 残念ながら、無限はじつにつかみどころのない存在だ。(233頁)

■フェローになるには、ケンブリッジ大学が求める厳しい試験を次々にこなさなければならなかった。ハーディーは後になって、わざとらしい技巧的な問題や数学パズルを解くことに力点が置かれた試験制度のせいで、数学の学位を取った人間のほとんどが実は数学がどういうものなのかを知らずにいる、という事実にきづいた。1904年にはゲッティンゲンのある教授が、イギリスの学生に出される問題を皮肉って次のようなパロディーを作っている。「弾力性のある橋の上に、質量を無視できるような象がいる。その鼻の上に、質量mの蚊がいる。今、この象が鼻を回して蚊を動かしたときの、橋の振動を算出せよ」学生たちには、聖書のようにニュートンの『プリンピア』を引用することが求められた。内容を知っているといっても、その結果がどのような意味を持っているかを知っているのではなく、それが本の何ページに出ているかを知っているにすぎなかった。ハーディーは、イギリスの数学が荒廃したのはこのような制度のせいだと考えた。イギリスの数学者たちは、最終的にどれほど美しい音楽を奏でられるかも知らされぬまま、ひたすら音階を速くさらう稽古をさせられているようなものだった。(238~239頁)

■今やリーマン予想は、数学の殿堂を作るのに欠かせない構成要素になろうとしていた。(251頁)

■線から外れたゼロ点が見つかってリーマン予想の上に立てたすべての構造物が崩壊するかもしれないという危険は常につきまとっているのだから、数学者にも覚悟が必要だ。(251頁)

■素数はその本性を数の宇宙の奥底深く隠していて、人間の計算能力をはるか超えたところまで探りを入れなければ、その本性を目にすることはできない。素数のほんとうの振る舞いは、抽象的な証明という鋭い目を通してしか見えてこないのである。

 リトルウッドの照明はまた、数学は本質的にほかの科学と異なると主張する人々にとってまたとない武器となった。数学者たちはもはや、最低限の計算を追って理論が進むという一七世紀や一八世紀風の経験主義では満足できなくなっていた。経験主義は、もはや数学の世界を進むのにふさわしい手段ではなかった。科学のほかの分野では、何百万ものデータがあれば十分な証拠になるかもしれない。しかしリトルウッドの手で、数学ではそんなものは薄氷に過ぎないことが示された。ここから先は証明がすべてなのだ。なにによらず、断固たる証拠なしには信用することができない。(252頁)

■神の考えを表すものでないかぎり、わたしにとって方程式は何の意味も持たない。 シュリニヴァーサ・ラマヌジャン(254頁)

■若い科学者の生涯には、必ず将来の成長の鍵となる転回点がある。(256頁)

■ふたりは、世にも奇妙なこの無限和が、ラマヌジャンが再発見したリーマンのゼータ関数の風景の失われた部分の定義方法であることに気づいた。ラマヌジャンの公式を読み解くには、2という数を1/(2-1)と書き直せばよい(2-1は1/2の別の書き方)。ハーディーとリトルウッドは、ラマヌジャンの公式の無限和のすべての数をこのように書き直した。

 1+2+3+……+n+……=1+1/2-1+1/3-1……1/n-1……=-(1/12)

  ふたりの目の前にあるのは、ゼータ関数にマイナス1を入れたときの値をどう計算するか、という問題に対するリーマンの答えだった。

■年を重ねるにつれ、ハーディーは気鬱に悩まされるようになった。ハーディーは、自分は常に若いと考えるタイプだった。老いた自分の顔を見るのが嫌で、部屋にはいるときには、必ずすべての鏡を裏返しにした。年とともに数学の能力が落ちることを忌みきらっており、『ある数学者の弁明』は、数学者としてのキャリアの終わりにさしかかった人間の手になる忘れがたい心情の吐露となっている。数学者が数学をしようと思ったら、「年を取りすぎてはだめなのだ。数学では、観察や熟考ではなく創造性が重要だ。創造する力や創造しようという意欲を失った者は、数学からさしたる慰めを得られない。しかも数学者は、創造力をかなり早くに失うことが多いのである」。

 ハーディーもラマヌジャン同様、自分の命を絶とうとした。電車に飛び込むのではなく錠剤を飲んだ。しかし錠剤を吐いてしまい、結局評判を落としただけに終わった。C・P・スノーは病床のハーディーを見舞ったときのことを、こう回想している。「ハーディーは自虐的になっていた。自分はへまをしたのだ。これほど大きなへまをした人間が、かつていただろうか」『ある数学者の弁明』によれば、ハーディーにとってはマヌジャンが慰めだったという。「落ち込み、尊大で退屈な人々のいうことに耳を傾けなければならなくなると、今でも自分に言い聞かせる。『わたしは、余人には決してできないことをひとつした。リトルウッドやラマヌジャンと、対等といってもいいような形で共同研究をしたのだから』」(283~284頁)

■ヒルベルトが思索者と呼んだ人物は、実は計算の達人だった。リーマンは、集めた証拠のなかからパターンを見つけ、これらの計算の上に立って世界の概念図を作り上げていたのである。(295頁)

■数学の定理のなかには、いったん大まかな方向性が得られると、ごく自然に展開していくものがある。難しいのは、とっかかりからしばらくのルートを見つけることなのだ。それでも、セルバーグの評価を超えるのは容易なことではなかった。証明には非常に繊細な分析が必要で、ひとつの大きな着想で事が決まるのではなく、最後まで見通すにはおびただしい忍耐が要求される。ルートの至るところに罠がしかけられていて、一歩間違えればゼロより大きいはずの数が負になってしまう。一歩一歩非常に注意深く進まねばならず、容易に間違いが忍び込んでくるのである。(334頁)

■2003年現在、ゼロ点の割合の記録保持者は、オクラホマ州立大学のブライアン・コンリーである。コンリーは、1987年にゼロ点の40パーセントが線上にあることを示した。さらに評価を上げるためのアイデアがあるにはあるが、評価をあと数パーセント上げるのに必要な膨大な作業を考えるとそこまでしようとは思わない、とのことだ。「これが、50パーセントを超すところまで評価を上げられるのなら、やってみてもいいと思う。そうなれば、すべてとはいわないまでも、過半数のゼロ点が線上にあるといえるのだから」(335~336頁)

■エルデシュは、素数定理の初等的な証明が誰のものかを巡る議論で深く傷ついたが、それでも生涯を通じて数多くの成果を生みだし、老化や数学における燃え尽き症候群の神話などどこえやらといった勢いだった。プリンストンの研究所の常勤研究員になり損なうと、遍歴の数学者として生きることに決めた。家も仕事もなく、世界中にあまたいる友人の誰かの家を突然訪れ、そこで大好きな共同研究にふけり、何週間も滞在したかと思うと突然立ち去る、といった具合だった。エルデシュは、素数定理の最初の証明からちょうど100年後の1996年に死んだ。83歳になっても、あいかわらず共同論文を執筆し続け、死ぬ直前には、「素数を理解するには、少なくとも後100万年はかかるだろう」といった。(336頁)

■セルバーグはかって大戦後にコペンハーゲンで行った講演のなかで、リーマン予想が正しいと確信するだけの証拠はないのではないか、とこの予想に疑問を投げかけたことがあった。証拠があるというのは、希望的観測に過ぎないのではないか。しかし今やセルバーグの見方は変わった。戦後50年で明らかになった証拠は、それほど圧倒的だった。そしてその圧倒的な証拠を探り出したのは、第2次大戦のおかげ、わけてもプレッチリー・パークの暗号解読者のおかげで開発された機械だった。コンピューターである。(337~338頁)

■ゲーデルは子どもの頃、のべつ幕なしに質問を浴びせることから「どうして君」と呼ばれていた。(347頁)

■当時物理学者たちは、ヴェルナー・ハイゼンベルグの不確定性原理から、自分たちの知識に限度があるということを学んでいる最中だった。一方ゲーデルの証明は、数学者たちも自分たちの不確かさを受け入れていかなくてはならないということを示すものだった。ひょっとすると、突然数学そのものが幻想だと判明するかもしれない。数学者のほとんどは、まだ幻想だということになっていないのだから、これからもそうはならないだろうと考えて納得している。実際、無矛盾であるという根拠になりそうなモデルは存在する。しかし、そのモデルは無限に広がっていて、途中で公理と矛盾することが絶対にないとはいいきれない。それに、すでに見てきたような無邪気そうなものでさえ、数の宇宙のはるかかなたに実験や観察では遭遇するはずもない驚くべき事実を隠している場合がある。(350~351頁)

■しかもこれだけではなかった。ゲーデルは、博士論文にもうひとつ爆弾をしかけていた。かりに数学のある公理群が無矛盾だとすると、数に関する言明のなかに、常に成り立つにもかかわらずそれらの公理からは形式的に証明することができないものが存在するはずだ、というのである。これは、古代ギリシャの時代からの数学の精神そのものに反する主張だった。証明こそが数学における真理への道筋とされてきたのに、ゲーデルは、証明の力にたいするその信頼をもののみごとに吹き飛ばしたのだ。新しい公理を付け加えれば、数学の殿堂を繕うことができるだろうと考える者もいた。しかしゲーデルは、そのような努力が無駄であることを示した。数学の基礎にどれほどたくさんの公理を付け加えようと、必ず証明できない真の言明が残るのだ。(351頁)

■これが、ゲーデルの不完全性定理と呼ばれるものである。無矛盾な小売体系はすべて、それらの公理から演繹できない正しい言明が存在するという意味で、必然的に不完全なのだ。数学に対するこのテロ行為に、ゲーデルはほかでもない素数を援用した。数学の言明それぞれにゲーデル数と呼ばれる素数のコード番号を付け、これらの数を分析することによって、どのような公理群を選んできても、それらの公理からは証明できない正しい言明が必ず存在することを示したのである。(351頁)

■しかし、ゲーデルの成果を大げさに考えることは慎むべきだろう。数学の息の根が止められたわけではないのだから。ゲーデルの業績によって、これまで証明されてきたことが否定されたわけでもない。ゲーデルの定理が示しているのは、数学には公理から定理への演繹のほかにも実体が存在しているという事実なのだ。数学はただのチェスゲームではない。したがって、数学の上に殿堂を築き上げる作業が形式張っているのにたいして、基礎を展開する作業では、数学の世界について語るのに最適な公理はどのようなものかといったことが問題になり、数学者の直観に負う部分が大きくなる。(353頁)

■ニューマンは、ヒルベルトのプログラムが1930年にゲーデルによって根底から覆されたのを知ると、ゲーデルの複雑なアイデアを詳しく調べはじめた。そして5年後、ゲーデルの不完全性定理が理解できたと確信すると、連続講義を行った。この講義を聴いたチューリングは、ゲーデルの証明のみごとなひねりや展開にただただ呆然としていた。ニューマンは講義の最後を、チューリングの想像力に火をつけることになるひとつの問いでしめくくった。証明を付けられる言明と付けられない言明を峻別する方法ははたして存在するのか。ヒルベルトはこの問いを、「決定問題」と呼んでいた。(357頁)

■マンチェスターに移ると、チューリングにも、ブレッチリーでの暗号解読で身につけた専門的な技術を活用する時間がとれるようになった(もっとも、戦時下のチューリングの活動は長らく機密あつかいだったのだが)。そこでチューリングは、戦前夢中になっていたアイデアに立ち戻ることにした。機械を使ってリーマンの風景を使ってリーマンの風景を調べ、リーマン予想の反証、つまり臨界線からはずれているゼロ点を見つけようというのだ。ただし今回は、問題の特性を反映した構造の機械ではなく、ニューマンとともにブラウン管と磁気ドラムを使ってユニバーサルコンピュータを作り、さらにそのコンピュータで実行可能なプログラムをつくるつもりだった。(331~372頁)

■当然のことながら、理論上の機械はまったく問題なくスムーズに動く。しかし、チューリングもブレッチリー・パークで気づいたのだが、実際の機械ははるかに気まぐれだった。それでも1950年には新しい機械が完成し、ゼータ関数の風景に踏み込む準備が整った。戦前、リーマンの線上に載っているゼロ点の個数の最高記録を樹立していたのは、ハーディーの下で学んだこともあるテッド・ティッチマーシュだった。ティッチマーシュは最初の1041個のゼロ点がリーマン予想を満たすことを確認していたが、チューリングは自作の機械でこの記録を伸ばし、最初の1104個のゼロ点が線上にあることを確認した。しかし、チューリング自身も書いているように、「残念ながら、その時点で機械が壊れた」。壊れかけていたのは、機械だけではなかった。(372頁)

■分析には回されなかったが、リンゴがシアン化合物に浸されていたのはまちがいなかった。ディズニー映画「白雪姫」の、魔女が白雪姫を眠らせるために毒リンゴを作るシーンは、チューリングのお気に入りだった。「リンゴを秘薬に浸すのじゃ。永久の眠りが染みこむように」(373頁)

■「今の化学や生物学と違う化学や生物学と違う化学や生物学を想像することはできても、数に関する数学が今のものと異なるなんて、想像もできません。数について証明されたことは、どの宇宙にいっても事実なのです」(ジュリア・ロビンソン、1919-85、米、女性)(381頁)

■ロビンソンは、チューリングマシーンのひとつひとつに固有の方程式があるとする根拠を理解しようと試みた。チューリングマシーンが出力する数列につながるような答えを持つ方程式を捜したのだ。本人も、自分に課したこの問いをおもしろがっていた。「通常、数学では方程式がさきにあって、その答えを求めようとします。ところがここでは、答えが先にあって、それに合う方程式を見つけなくてはならないのです。わたしはこの問いが気に入りました」1948年に突然かき立てられた関心は、時とともに強迫観念になっていった。(383~384頁)

■マティヤセヴィッチとロビンソンは、どちらが証明を成し遂げたかを巡って争うことになった。とはいっても、自分を大きく見せようとしてのことではなかった。逆に、互いに困難な部分を成し遂げた相手だと言い張ったのだ。確かに、ジグソーパズルの最後のはめ終えたのはマティヤセヴィッチで、ヒルベルトの第10問題を解決したのはマティヤセヴィッチといわれることが多い。だがほんとうのことをいえば、ヒルベルトが1900年にこの問題を発表してから解決されるまでの70年のあいだに、大勢の数学者がその長い道のりに力を貸してきたのである。

 この問題自体は「否(ノー)」という形で解かれ、方程式に解があるかどうかを判断できるようなプログラムはないということになったが、悪いことばかりではなかった。チューリングマシンの作る数列が方程式で表されるというロビンソンの着想は正しかった。つまり、素数の列を再生できるチューリングマシンが存在することがわかったのだ。ということは、ロビンソンやマティヤセヴィッチの結果からして、理論上、すべての素数を導き出す式が存在するはずだ。

 はたして、ほんとうにこのような公式が見つかるのだろうか。マティヤセヴィッチは1971年に、問題の式を導く明確な手法を編み出したが、答えは求めなかった。AからZまでの26の変数を使ったこの素数公式がついにみつかったのは、1976年のことだった。(386~387頁)

■オイラーは、相当数の素数を作り出す方程式を見つけたものの、あらゆる素数を作り出す方程式を見つけたものの、あらゆる素数を作り出す方程式は見つけられそうにないと考えていた。だが、オイラー以降の時代は変わり、数学者はリーマンの精神を尊重するようになった。単に方程式や公式を研究するのではなく、その下に潜む構造や数学世界を流れるテーマを研究することが重要だと考えるようになったのだ。数学世界を探検する人々は、今や新たの世界への通路を地図にするのに大忙しで、この素数方程式の発見は時代錯誤な出来事だった。新しい世代の数学者からみれば、かつて探検されてすでに顧みられなくなった土地の非常に技巧的な調査結果でしかなかった。(389頁)

■分数の集合より大きく、πやルート2や無限小数といった無理数を含む実数の集合より小さい集合が存在するのか。

 コーエンが1年後に提示した解を見て、おそらくヒルベルトは墓の中でのたうち回ったにちがいない。そのような集合はあるともいえるし、ないともいえるのだ。コーエンは、このもっとも基本的な問いがゲーデルの証明不可能な命題のひとつであることを証明した。こうして、たいしたことのない問題だけが決定不能であるという望みは潰 (つい)えたのだった。コーエンが証明したのは次のようなことだ。現代数学で使っている公理群から出発したのでは、分数の集合よりもはっきりと大きく、実数の集合よりもはっきりと小さい数の集合が存在することは証明できない。同様に、そのような集合が存在しないことも証明できない。さらにコーエンは、数学の公理群を満たしつつ、しかも一方ではカントールの問いへの答えが「イエス」になり、もう片方では「ノー」になるような、異なる2つの数学世界を実際に構築してみせた。(391頁)

■人によっては、コーエンのこの結果はわたしたちのまわりの現実せかいの幾何学だけでなく別の幾何学があるとするガウスの認識に匹敵するという。確かにそうもいえるだろう。だが、数学者は数という言葉の意味するものについて、しっかりとした感覚を持っているものなのであって、この結論はその感覚に抵触する。確かに、現在数に関する証明で使われている公理を満たす別の「超自然的な」数が存在するかもしれない。しかしほとんどの数学者は、カントールの問いに対する答えはひとつであって、数学の建造物を造る素材となっている数についてはそれが正しいと信じている。コーエンの証明に対する多くの数学者の反応は、ロビンソンがコーエン宛の手紙にしたためた次のような言葉に要約されている。「後生だから!『ほんとうの数論』はひとつしかないのよ!わたしは心からそう信じているの」だがロビンソンは、この手紙を投函する前に、この最後の一文を消したという。(392頁)

■コーエンの独創的な業績は数学の正統性を揺るがすものだったが、コーエンはそれによりフィールズ賞を受賞した。数学の従来の公理ではカントールの問いの答えは決められないという驚くべき事実を発見したコーエンは、引き続き、もっとも挑戦しがいのありそうなヒルベルトの問題に取りかかることにした。リーマン予想である。コーエンのように、この名うてのの難しい問題に取り組んでいることを認める数学者は希である。だが、今のところリーマン予想は、コーエンの攻撃にもびくともしていない。(392頁)

■メルセンヌが考えついたのは、2を幾度もかけておいて1を引いて素数を作るという方法だった。たとえば、2×2×2=7は素数になる。さらにメルセンヌは、2n乗-1が素数でありうるのは、nが素数であるときに限ることに気づいた。だが、メルセンヌ自身もしっていたように、nが素数でありさえすれば必ず2n乗-1が素数になるというわけではない。たとえば、11は素数だが2(11)乗-1は素数ではない。メルセンヌは、257まで 

 2、3、5、7、13、19、31、67、127、257

の時に限ると予想した。(398~399頁)

■コンピュータのほうが人間より計算がじょうずだというのなら、数学者はご用済みになるのではないのか? 幸いなことに、そうはならない。コンピュータの出現によって数学が終わるどころか、創造性に富んだ芸術家である数学者の存在が、単純な計算をこなすコンピュータとの対比でくっきりと浮かび上がってきている。コンピュータは確かに数学世界を進む数学者の強力な助っ人となり、リーマン山に登頂する際のたくましいシェルパとなる。しかし、絶対に数学者に取って代わることはできない。有限の計算をさせれば数学者に勝るが、無限に広がるイメージを思い浮かべて数学の底に潜む構造やパターンを明らかにする想像力は持っていないのだ。(408頁)

■ザギエが1級の懐疑論者なのに対して、ボンピエリは典型的なリーマン予想の信者だった。1970年代のはじめ、ボンピエリはまだプリンストンに移っておらず、母国イタリアの大学で教授を務めていた。ザギエいわく、「ボンピエリにとって、リーマン予想が正しいというのは絶対的な信条なのだ。リーマン予想がほんとうでなければならないというのは宗教的な信念であって、そうでなければ世界全体が間違っていることになる」。実際、ボンピエリは次のように述べている。「わたしは11年生のときに、数人の中世の哲学者について学んだ。ウィリアム・オブ・オッカムもそのひとりで、オッカムは、2つの説明のうちどちらかを選ばなければならなくなったら、常に単純なほうを選ぶべきだという考えを採用している。『オッカムのかみそり』と呼ばれるこの原則によって、困難は排除され、単純なほうが選ばれる」ボンピエリにとって、線からはずれたゼロ点はオーケストラの「ほかの音をかき消す、不快な」楽器であり、「ウィリアム・オブ・オッカムの信奉者として、わたしはこのような結論を却下し、リーマン予想の正しさを受け入れ」たのだった。(417~418頁)

■ガウスの時計計算機での足し算は、おなじみ12時間時計での時の計算と同じで、9時の4時間後が1時になる。つまり、数を足して答えを12で割った余りを求めるというのが、時計計算機の足し算の原則なのである。約200年前のガウスにならって、これを

 4+9=1(modulo12)(訳注「1モデュロ12、あるいは「12を法として1」と読む)

と書くことにしよう。

 ガウスの時計計算機でかけ算や数のべきを求めるときも同じで、普通に計算した答えを12で割って余りを求める。

 ガウスは、12時間という時間にこだわらなくてもよいことに気づいていた。しかも、ガウスが時計算術の概念を明確に公式化する前に、フェルマーは時計算術について基本的な発見をしていた。素数p時間の時計計算機に関する「フェルマーの小定理」である。それによると、適当な数を選んでこの計算機でp乗すると、常に元の数に戻る。たとえば、5時間時計の場合、2を5乗すると32になるが、32は5時間時計の2時にあたる。どうやら、2をかけるたびに、時計の針が一定のパターンを描いているらしく、針は5回動いたところで元の位置に戻り、ふたたび同じパターンを繰り返す。(453~454頁)

■モンゴメリーが数学者として花開いたのは、1960年代の学校の数学教育における実験的な手法のおかげだった。この教育の狙いは、数学をしているときの数学者の精神そのものを体得させることにあった。周知の結果を、それがどのようにして発見されたかを説明せずに教え込むのはやめよう、それよりも、現役数学者の真の精神に触れさせようというのである。生徒たちは基本公理を習うと、演繹によって自力で結果を出すようにいわれた。できあがった記念碑を旅人のように見物するのででゃなく、演繹の規則だけを手に、自力で数学の殿堂を再構成せよ。こうしてモンゴメリーは数学への第一歩を踏み出した。(600頁)

■ダイソンによると、科学を探究する人には、鳥とカエルの2つのタイプがあるという。鳥はその領域の空高く舞い上がって、風景全体の雄大なつながりを俯瞰することができる。一方カエルは泥の中をぴちゃぴちゃと歩き回り、小さな池を泳いでまわって、そこになじむ。数学という学問は鳥向けで、自分はカエルだと思ったダイソンは、物理学の実際的な問題へと方向転換した。(512~513頁)

■20世紀初頭に浮かびあがってきた原子のイメージは、それ以上分割できない粒子から構成された小さな太陽系のようなものだった。ミニ太陽系の中心にある太陽は原子核と呼ばれ、やがて物理学者は、この原子核が陽子と中性子からできていることを突き止めた。原子核のまわりをまわっている電子は、いわば原子構造の惑星だ。ところが理論や実験が発展すると、物理学者たちはじきにこのモデルを考え直さなければならなくなった。原子の振る舞いが、惑星系よりドラムに似ていたのだ。ドラムを叩いたときの振動は、いくつかの基本的な振動パターンからなっていて、それらの基本的な波動は、それぞれ固有の振動数を持っている。理論上、振動数の種類は無限にあって、ドラムの音はさまざまな振動数の組み合わせになる。バイオリンの弦の和音と違って、ドラムの音はさまざまな振動数の組み合わせになる。バイオリンの弦の和音と違って、ドラムの音には、ドラムの形や皮の張り具合や外部の空気圧などで決まるさまざまな振動数が複雑に混じっている。オーケストラの打楽器の音の多くが似たように聞こえてしまうのは、ドラムが作り出す音の波動パターンが複雑だからなのだ。(516~517頁)

■ここで、ドラムの音を構成する複雑な振動の様子を目で見る方法を紹介しよう。18世紀の科学者エルンスト・クラドニは、ある実験を考案し、ヨーロッパの宮廷で実演してみせた(ナポレオンはとりわけこの実験が気に入って、クラニドに6000フランを与えたという)。クラドニは、ドラムの代わりに真四角な金属板を用意した。金属板を激しく叩くと大きくて耳障りな音がするが、クラドニはバイオリンの弓を使って板をうまく振動させ、その音を構成する振動数の異なる成分を取り出してみせた。板を薄く砂で覆っておくと、板の振動しない部分に砂が集まって奇妙なパターンができ、基本振動数それぞれに応じた振動の様子が実際に目に見えるようになるのだ。クラドニがバイオリンの弓であらためて板を振動させるたびに新たなパターンが現れて、前とは異なる振動数であることがわかる。(517頁)

■ドラムの表面に現れる模様、あるいは波形を説明するために、ひとつの数学理論が展開された。この理論の元をたどると、オイラーの波動方程式に行き着く。波動方程式にドラムの形や皮の張り具合やドラムを取り巻く空気圧といった物理的特徴を入れると、解として可能な波形が得られる。ただし原子の物理学には、ドラムの物理学と違って虚数が含まれている。原子の振る舞いを決定する方程式を解こうとした物理学者たちは、つかみどころのない虚数の世界に入らなければならないことに気づいた。量子物理学が妙に確率論的性質をもつのも、この虚数のせいだった。(519頁)

■量子物理学は、観察者が絡(から)む前の粒子になにが起こっているのかを解明しようとする。ところが、巨視的な世界に暮らすわれわれが量子の世界を観察するまでは、量子の世界は虚数の世界にのみ存在する。そして、われわれの観察からは一見不可解に思える観察結果を説明するのが、この虚数なのだ。たとえば、観察されていない電子は、同時に異なる2ヶ所に存在したり、いくつかのバラバラな振動数のエネルギー準位で振動できるように見える。われわれが量子の世界の出来事を観測する場合、その出来事をありのままに観察しているわけではなく、われわれの「実」世界、実数の世界に映ったその出来事の影をみているいるにすぎない。観察するという行為によって2次元の虚の世界が崩れて、実数の1次元の線になってしまう、といったところだろうか。観察する前の電子は、ドラムのようにいくつかの異なる振動数を組み合わせて振動している。ところが観測したとたんに、あらゆる振動数を同時に探知することは不可能となって、単一の振動数で振動している電子しか観測できなくなる。(520~521頁)

■ヒルベルトは、ハイゼンベルクが電子のエネルギー準位を説明するために展開した振動の数学を使えば、リーマンが作った風景のゼロ点の位置を説明できるのではないかと思いはじめていたが、その着想は、結局展開されることなく終わった。ところがモンゴメリーの発見によって、このヒルベルトのアイデアが、ふたたび取り上げられることになった。リーマンのゼロ点の振る舞いを理解するには、かってボルンとハイゼンベルクがエネルギー準位を説明するために創り出した量子ドラムの数学を使うのが一番だ、というのである。虚数と波動が混じり合って生じるのは、通常のオーケストラの奏でる音ではなく、量子物理学を源とするドラムに固有の波動群だった。それどころか、モンゴメリーがプリンストンでダイソンと話すうちに悟ったように、リーマンのゼロ点の位置にもっとも波長のあう振動数をもっていたのは、量子オーケストラのなかでももっとも複雑な原子だったのである。(521頁)

■どうやらコンヌは、それまでに数学の他の分野の謎を解明するにあたって使ってきたさまざまな強力な技法を用いてリーマン予想に取り組もうとしているようだった。コンヌが作り出した非可換幾何学という分野は、リーマン幾何学の現代版との呼び声が高かった。リーマン幾何学は19世紀数学の流れに多大な影響を与え、アインシュタインが相対性理論への道を前進できたのもリーマンの業績があればこそだったが、コンヌの非可換幾何学もまた、複雑な量子物理学の世界を理解する強力な言語であることが明らかになっていた。(564頁)

■コンヌの理論は抽象的で近寄りがたい感すらあるが、コンヌ自身は7歳のころの少年らしい陽気さを残している。コンヌにとって数学は、なによりも自分を究極の真理という概念に近づけてくれるものだった。コンヌは子どもの頃から数学にその身を捧げ、この目的を嬉々として追及してきたのである。コンヌ自身もいうように、「数学における実在は、空間にも時にも位置づけることができない。それだけに、ほんのちっぽけではあってもその実在を運良く発見できたときには、時空を超えた途方もない喜びがもたらされる」のである。(594~595頁)

■すでに見てきたように、素数のおかげで数学の従来無関係とされていた分野を隔てていた扉が開かれた。数論、幾何学、解析学、論理学、確率論、量子物理学、リーマン予想を解くために、これらすべてが結集した。そして、数学には新たな光が当てられ、数学者たちは、数学の各分野が驚くほど深く関連しあっているのを知って驚嘆することになった。数学は、パターンの学問ではなく、関係の学問になったのだ。(609頁)

■つながっていたのは、数学の分野だけではなかった。かつて素数は、象牙の塔の外ではまったく無意味な究極の抽象概念とみなされていた。G・H・ハーディーに代表されるように、数学者たちは、外の世界とのつながりに煩わされず、対象を一人きりで研究できることに喜びを感じてきたものだった。しかしリーマンなどの時代と違って、もはや素数研究は現実世界の苦悩からの逃避の場所ではなくなった。今や素数はコンピュータセキュリティーの中心に位置しており、量子物理学と響きあうことで、物理的な世界の性質についても語ってくれそうだ。

 かりにリーマン予想が証明されたからといって、それですべてが終わるわけではない。たくさんの問いや予想が、出番を待って焦(じ)れている。リーマン予想が証明されなければはじまらないとばかりに、数多くの心躍る新たな数学が待ち構えているのだ。リーマン予想の解決は、いわば地図に載っていない処女地のとば口であり、物事の始まりなのである。アンドリュー・ワイルズによれば、17世紀の冒険家たちが、経度の問題が解決されてはじめて海原にこぎ出せるようになった如く、われわれも、リーマン予想が証明されてはじめて未知の世界にこぎ出せるようになる。(609~610頁)

■それまでは、すべてを理解することはできないにしても、この気まぐれな音楽にうっとりと耳を傾けることにしよう。素数は、常に数学世界を探検する数学者の仲間でありながら、どの数よりも謎に満ちた存在であり続けている。偉大な数学者たちが、この神秘的な音楽の転調や変化を理解しようと最善を尽くしてきたにもかかわらず、その謎は未だに解けずにいる。素数を歌わせた数学者として永遠に名を残すはずの人物の登場が、今なお待たれているのである。(610頁)

(2019年12月9日)

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