岡野岬石の資料蔵

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読書ノート

【読書ノート】2020年

投稿日:2020-05-02 更新日:

読書ノート(2020年)

『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

 第1章 この人を見よ

■1898年、プッペが、ネパールの南境ピプラーバーにおいて舎利瓶(へい)を発掘した。その瓶(つぼ)の側にはインド古代文字をもって、「この世尊なる仏陀の舎利瓶は、サキャ族が兄弟姉妹妻子とともに、信の心をもって安置したてまつる所である」と刻みつけられてあった。『遊行経』そのほかに記し伝えるところの仏骨八分の記においては、サキャ族の人々もまたその一分をえて、これをカピラヴァッツに安置したてまつったとある。その古き経典の記し伝えるところは、いま仏証をもって実証せられた。されば、今後もはや、この人がかってわたしどもと同じくこの地上に生をいとなんだことを疑うものはないであろう。(10頁)

■『仏所行讃』も、『仏本業集経』も、わたしどものいわゆる「大蔵経」の中にその位置をしめている。経はわたしどもにとってもまた、最高の信のよりどころでなければならぬ。釈尊は、その死に際して、比丘たちのために説いて、「われによりて説かれ教えられたる教法と戒律とは、わが亡き後になんじの師である」と、教えられたという。それは、この師の最後の教えとしてまことにふさわしく、この教えのもつ意味はまことに重い。したがって、その教法と戒律とを記しつたえる経は、滅後の弟子たらんとするわたしどもにとっては、師その人として仰ぎ尊ばれなければならぬ。だが、それにもかかわらず、いずれの経が、かの教法もしくは戒律をより正しく記し伝えるものであるかについては、わたしどもの批判的精神は、するどくはたらくことを許されねばならないであろう。(12頁)

■釈尊の十大弟子の一人に、カッサパ(迦葉)という人があった。師の釈尊とは別に、多くの比丘たちとともに遊行していたが、途中で遇った一人の波羅門によって師の入滅せられたことを知った。その時、なげき悲しむ比丘たちの中にあって、ただ一人「友よ、悲しむなかれ。われらは今や自由になったのである」と暴言を吐くものがあった。それを耳にして、正しい教法と戒律とがやがて乱れ汚されるであろうことを憂えたカッサパは、主なる長老たちを集めて、いわゆる「結集」の仕事にとりかかった。結集とは、簡単に言えば、経典編集の事業であるが、まだ文字の常用せられていなかった当時においては、これを各人の記憶の中において、確立するよりほかはなかった。その結集の方法は、つぎのようであったと記されている。

 アーナンダ(阿難)は、師の侍者であったので、師がどこでいかなる教えを説かれたかを、もっともよく知っていた。したがって、教法については彼が中心になった。ウパーリ(優波離)は、戒を持することもっとも厳であって、持戒において弟子中の第一とされていた。戒律については彼が誦出者(じゅしゅつしゃ)となった。そして、誦出者を中心として、師がどこで、何びとにたいして、いかなる教えを説かれたか、また師は、いずこにおいて、いかなる因縁によっていかなる戒律をさだめられたかを検討した。検討の結集、それが正しいとされると、列座の比丘たちは、それを同声に誦(じゅ)した。

 それゆえに、結集はまた「等誦」と称せされる。この等誦によって、比丘たちはみな、確認せられたる教法または戒律を、おなじ文言によって、おのれの記憶の中に確立した。そこに、教法と戒律とは、整理と統一とを与えられ、異端邪義の侵入に対してみずからを守る用意をととのえることを得た。その精神を、経典は、カッサパの結集提唱のことばとして、「友よ、われらは、よろしく法と律とを結集し、非法おこりて法おとろえ、非律おこりて律おとろえ、非法を説く者つよく正法を説く者よわく、非律を説く者つよく正律(しょうりつ)を説くよわくならんことに先んぜん」と伝えている。(13~14頁)

■清沢満之は、『阿含経』を自己の「三部経」の一つに数えて、「別けて『阿含経』は、釈尊が諄々(じゅんじゅん)としてお弟子を教訓したもう様子が、眼に見えるようでありがたい」と語ったことがあるが、この経の価値の最大なるものは、まさにそこに存するのである。なにほど表現を巧(たくら)んでみようとも、いかほど荘厳なことばをつみ重ねようとも、とうていおよぶことのできない素朴なる真実のもつ強さというものが、つくづくと、そこに感じられる。「かようにわたしは聞いた」という冒頭のことばが、そのままなんの掛け値もなくうけとれる経文がそこにあるのである。したがって、そこにある釈尊のすがたは、わたしどもに身近に感ぜられ、そこに語られる釈尊のことばは、人間的な親しみにあふれている。それはもはや、天界の神話などとはまったく関係なく、わたしどもとおなじようにこの地上に生をいとなみ、しかも人間としてきわめうる最高のあり方を実現した人の言行思想そのものである。その人はもはや、わたしどもにとっては、壇上の礼拝の対象ではなくして、わたしどもを励ましみちびく文字どおりの導師であられる。(17頁)

 第2章 比類(たぐい)なき人うまるー降誕

■「生まれによりて聖者となるのではない。生まれによりて非聖者となるではない。人はその行為によりて聖者となるのであり、その行為によりて非聖者となるのである」

 それは、この師によって人類の中にもたらされた教え、すなわち仏教の根本原理の一つに直結する考え方である。身・口・意一切の人間の所作は、結局するところ、その業報(ごっぽう)を、その人のうえに結ぶ。自業自得果である。「自ら悪を作(な)して自ら汚(けが)れ、自ら悪を作さずして自ら浄(きよ)い。おのおの自ら浄(じょう)となり、自ら不浄となるのである。人は他を浄(きよ)めることはできぬ」と、かの『法句経』の一句が語っているのも、そのことのほかでではない。

 このことを裏がえして言うと、いかなる人の生涯も、その生まれによって決定されるのではないということであらねばならぬ。その生まれによって、賤しき人としての生涯を決定せられるのでもない。素質や環境やが、各人の人生行路を、左右する要因でないわけでもないけれども、もっと重要な条件は、彼が自己の所作として何をえらぶかということであらねばならぬ。何を意志し、何を語り、何をなすか。そのことが結局、彼の人間としてのあり方を決定するのである。釈尊のよりてたつ立場は、予定説でも、また宿命論でもなかった。それはあくまでも業(ごう)の立場であった。みずから悪をなさずしてみずから浄(きよ)きひととなり、みずから善き行為をつんで聖者となるのであって、人はその生まれによって聖者となるのでもなく、またその生まれによって非聖者となるのでもなかった。

 しかるとすれば、釈尊がその弟子たちに語って、彼らの人生向上の一路に資すべきものは、自己の出生や自分の家柄のことではなかったはずである。語るべきことは、生まれに関してではなくして、行為にかんしてでなくてはならなかった。わたしはかく思い、かく行じ、かのごとくわが人生を建立したということであらねばならなかった。(21~22頁)

■「智慧ふかく、賢慮ありて、道と非道とをわきまえ、最上の義に到達せる人。わたしはかかる人を聖者とよぶ」

 「蓮の葉にやどる水のごとく、錐の先端におけるけし粒のごとく、もろもろの欲に染著(せんじゃく)せざる人。わたしはかかる人を聖者とよぶ」

 「粗暴なることばをもちいず、つねに教訓にみてる真実のことばを語り、ことばにおいて何者をも怒らしむることなき人。わたしはかかる人を聖者とよぶ」

 「悪意ある人々の中にありて悪意なく、刀杖(とうじょう)を手にする人々の中にありて温柔に、執著おおき人々の中にありて執著なき人。わたしはかかる人を聖者とよぶ」

 「人はその風姿と姓名にとによって聖者たるのではない。真実と正法とを具え有するもの、彼は幸福なるかな、彼こそはまことの聖者である」

  釈尊はかくのごとく考え、かくのごとく行じ、みずからかくのごとき聖者となって、「なんじらもまたこの、道をきたれ」と、その弟子たちにおしえ、またわたしどもをさし招いているのである。そして、かの阿含部の諸経の記すところは、かかる聖者たりし釈尊が、その道によって彼にしたがわんとする人々のために、その奉ずべき教えを説き、その践(ふ)むべき道を示し、その仰ぐべき範を垂れたもうた、その思い出をかりそめにも違えじと結集して伝え来たったものであった。(22~23頁)

■それは、彼が菩提樹のもとを辞してバーラーナシーの鹿野苑(ろくやおん)にむかう途中のことであった。ふと道で出会った外道のウパカなる者が「なんじは誰の弟子であるか、誰の教法を信奉する者であるか」とたずねたとき、それに答えて釈尊は、毅然として偈をもってかように言った。

 「われは一切勝者である。一切智者である。

 一切を捨離し、渇愛つきて解脱した。

 みずから認知したのであるがゆえに、誰をかわが師といおうか。

 われには師もなく、われに等しき者もない。

 人天の世間にわれにたぐうものはない。

 われは世間の応具であり、無上の師である。

 われひとり正覚者にして、清涼寂静である。

 いま法輪を転ぜんとてカーシーの都にゆく。

 盲闇(もうあん)の世間に甘露の法鼓をうたんとするのである」(27~28頁)

■それは、初転法輪に先立ってなされたるブッダの自覚の宣言であった。その自覚の内容をなすところのものは、一切智者、一切勝者にして、人天の世間に比類(たぐい)もなき正覚者であるということに外ならなかった。言いかえると、「天井天下、唯我独尊」とは、人間としての最高のあり方たる仏陀の自覚の表白に外ならない。したがって、その後、この師を仰ぎたたえた人々は、つねに語ってこの人を、「無等、無比」であるとたたえ、また「人中の最勝」であると称した。ふるき経の一句は、かようにも語っている。

 「一人あり。その世に生るるや、無等、無比にして、人中の最勝者として生まる。その一人とは、誰であるか。そは如来、応供、正覚者である」

 それをわたしどもは、この人が生まれながらにして仏陀であり、人中の最勝者であったと解する必要はない。彼がかかる最高の存在となりえたのは、ながき求道の精進のすえ、ついにかの菩提樹下に大悟せられてからのことであった。それが信憑すべき資料のわたしどもに語るところである。とまれ、この人は、無等、無比にして、天上天下、唯我独尊なる存在となったのであり、人天の世間に比類(たぐい)なき人間のあり方にまで高まることを得た。その比類なき人は、今をさる二千有余年のむかし、わたしどもとおなじく、人間として、この地上に生をうけられた。そのことこそが、一切の伝説と空想とを超えて、「いくたび思いおこしても、なお足らぬ」ほどの意義を、わたしどものうえにもつのである。(28頁)

 第3章 大いなる放棄ー出家

■このように、釈尊はまず、その出家まえの生活が、世の通念にしたがって言えば、きわめて幸福であったことを、淡々と、しかも具体的に語ったのち、さてしかし、ふと翻って考えてみると、それはけっしてほんとうの幸福、「究竟して苦無き」ものではないことを知ったと語りついでゆくのであった。

 「比丘たちよ、わたしは、かように幸福であって、まったく苦を知らなかったにもかかわらず、わたしは考えたのである。ー愚かなる凡夫(無聞の異生)は、みずから老いるものにして、いまだ老いをまぬがれることを知らないのに、他人の老い衰えたるを見ると、おのれのことは打ちわすれて恥じ嫌う。わたしもまた、老ゆべきものである。いまだ老いを免れることを知らぬ。わたしもまた老ゆべきものにして、いまだ老いを免れることを知らないのに、他人の老い衰えたるをみて、厭い嫌ってよいものであろうか。これはわたしにふさわしいことではない。ー比丘たちよ、わたしは、かように考えたとき、わたしの青春の憍逸(たかぶり)はことごとく断たれてしまった」

 つづいて釈尊は、病について、死について、おなじような思惟をいとなんだことを語る。病まねばならぬ身でありながら、また、死なねばならぬ身でありながら、そのおのれのことは忘れ果てて、他人の病めるを見ては眉をひそめ、他人の死をみては眼をそらせる。それはけっしてふさわしいことではないのだと気づいた時、釈尊は、「わたしの健康の憍逸(たかぶり)はことごとく断たれ、わたしの生の憍逸はみじんに砕けちった」と述懷しているのである。(30~31頁)

■「比丘たちよ、それらは3つの憍逸(たかぶり)である。3つとは何か。壮年憍(きょう)、無病憍、活命憍がそれである。比丘たちよ、あるいは壮年憍におごる者は、あるいは無病憍におごる者は、また、あるいは活命憍におごる者は、学を棄捨し、下劣に生きるであろう」と、戒め教えることが、この経の主題であったのであって、ここに釈尊がその出家前の生活を語り、また出家の動機について語りいでたのは、かかる憍逸の克服のための一つの思惟の過程として、おのが体験を例示したのであった。(32頁)

■「刹帝利(クシャトリア)種の家に生まれたる者が、

 資力小にして、欲望のみ大きく、

 この世において王位を希求する。

 それは破滅(敗亡)にいたる門である」(36頁)

■釈尊はある時、出家してなお日浅き比丘たちのために、かように説いて教えられたことがあった。

 「比丘たちよ、出家行乞の生活は、もろもろの生活の中の下端の生活である。だが、比丘たちよ、善き人々があえてこの生活にいたるのは、勝れたる義(わけ)があるからである。それは、王に強いられたからでなく、賊に強いられたからでなく、負債のゆえからでもなく、怖畏(おそれ)のゆえからでもなく、生計(なりわい)の苦しみからでもない。われらは、生・老・病・死・愁・悲・憂・悩の中に沈んでいる。苦に沈淪し、苦に包囲せられている。その苦の積集を滅しつくさんがためにこそ、われらはここにいたったのである」

 そして釈尊は、出家しながらもなお俗世の欲望に心ひかれがちな若き比丘たちに、決然たる放棄を要求しているのであるが、わたしどももまた、大いなる放棄なくしては大いなる獲得のないであろうことを知らねばならない。右顧左眄する者は、とうてい真の宗教的生活を味わうことはできない。放棄においてやぶさかなるものは、畢竟するに、釈尊の道をゆくことは許されぬであろう。かつてイエスもその弟子たちに言ったことがあった。「なんじら神と富とに兼ね事(つか)うること能わず。このゆえに、われなんじらに告ぐ、何を食い、何を飲まんと生命(いのち)のことを思いわずらい、何を着んと体のことを思いわずろうな」と。その道は異なるといえども、その救うるところの心組みは異ならない。最高のものを求めんとするものは、つねに一切をすててそれに向かわねばならぬ。それが真に宗教と呼ばれうる道の歩み方である。そのことを釈尊はまず、この「大いなる放棄」において、身をもって垂範している。(40~41頁)

 第4章 大いなる道生ずー成道

■「仏陀はいかにして出家したもうたか。

 彼はいかに観察したまいしがゆえに、

 出家を大いに喜びたもうたのであるか。

 仏陀の出家についてわたし(阿難)は語ろう。

 『家居は狭隘(きょうあい)にして煩わしく、

 塵垢(じんこう)の発(おこ)り生るるところ。

 しかるに、出家は広寛にして煩いなし』

 かく観察して、仏陀は出家したもうた。

 ぶっだは出家したまいてより、

 身による悪しき業を避けたまい、

 語による悪しき業を捨てたまい、

 あまねく生活を浄めたもうた」(42頁)

■つかわされた使者は、釈尊のあとに随(つ)いて行った。釈尊は托鉢をおえると、ラージャガハの郊外なるパンダヴァ山の洞窟へと帰りゆいた。「大王よ、かの比丘は、パンダヴァの前面なる山窟の中に、虎のごとく、牛のごとく、獅子のごとく坐している」。帰り報じた使者の言をきいて、ビンビサーラ王は、かの山窟に釈尊を訪れた。対坐して、喜ばしい挨拶のことばをかわしたのち、王は釈尊に言った。

 「なんじはいまだ若く、年すくなく、

 人生の第一期に達したばかりである。

 なお豊かなる青春を保持して、

 しかも由緒ただしき刹帝利(クシャトリヤ)なるがごとし。

 われはなんじの欲する禄を与えよう。

 光輝あるなんじは、わが精鋭なる軍に加わり、

 戦士の栄誉を享受するがよい。

 われは問う。なんじの生まれを語れ」

 それに対する釈尊の答えもまた、偈文(げもん)をもって、かように記されている。

 「王よ、かの大雪山(ヒマーラヤ)の山のふもとに、

 いにしえよりコーサラ国に属し、

 財宝と勇気を兼ね備えたる、

 端正なるなる一つの部族がある。

 その部族を「太陽の裔」(日種)といい、

 わが生族をサキャ(釈迦)となす。

 王よ、その家よりわれは出家した。

 もろもろの欲を冀求(ききゅう)せんがためではない。

 もろもろの欲の災いを見おわって、

 迷いをいで欲を離るるこそ安穏なりとするがゆえに、

 その道に精勤せんと、われは思う。

 緒欲にあらず、精勤をこそ、わが心は喜ぶ」(46頁)

■たとえば、六師外道はそのころの沙門たちの学派の六つの代表的なものであったが、彼らが主として論陣を張ったのも、このマガダにおいてであった。また、釈尊がその出家後師事ことがあったというアーラーラ・カーマーラおよびウッダカ・ラーマプッタの二人も、マガダにあった沙門団の統率者であった。されば、さきに述べたように、出家して沙門となった釈尊が、まず南行してラージャガハ(王舎城、マガダの都)の方面にその姿をあらわしたこともまた、かかる時代の雰囲気を知るとき、その当然しかるべかりしゆえんのあったことが理解せられるのである。(49頁)

■さらに、わたしどもは、中部経典のうちの『聖求経(しょうぐきょう)』とよばれる一経をひもとく時、そこに出家後の釈尊が、どのような考え方をもって、求道の一途を邁進せられたかを、釈尊自身の述懐の形式において見いだすことができる。

 「かようにわたしは聞いた」と語りいずるこの経は、例によって、この教法の語られた因縁を、このように伝えている。その時、釈尊は、サーパッティー(舎衛城)の郊外なる祇園精舎にあった。比丘たちは、ここしばらくの間、釈尊の説法に接しなかったので、アーナンダに請うて、「われらは、世尊の説法をききてよりすでに久しい。願わくば、世尊の放談を聴くを得ば幸いである」と言った。その願いは早速に容れられて、その夕頃(ゆうけい)、彼らが、波羅門ランマカ(羅摩)の庵(いおり)にいると、釈尊はそこを訪れて、彼らのために説法した。

 「比丘たちよ、人の求むるものに、二種の求めがある。すなわち、聖なる求めがあり、聖ならざる求めがある」

 かく説きいでて、釈尊は、まず、何が聖ならざる求めであり、何が聖なる求めであるかを語った。ー人は生老病死の法(ありかた)の中にあり、また愁(なげ)きの法、穢(けが)れの法の中にある。かかる者が、依然としてかかるあり方、かかる生き方をのみ追い求めていたならば、いずれの時にか解脱、向上の時があろうか。それが聖ならざる求めというものである。それに対して、もし人が、生老病死の法の中にありながらもその患(わざわ)いなることを知り、愁きの法、穢れの法の中にありながらも、その然るべからざるゆえんを知って、より高きあり方、より優れた生き方、無上安穏の涅槃の境地をあこがれ求むるならば、それが聖なる求めというものである。ーそして釈尊は、そのことを、みずからたどって来た道をふり返り、しみじみと身の体験するところに当てて、説きすすめる。その中に、わたしどもは、釈尊のあるいた求道のあとを、かなり詳細に知ることができるのである。(49~50頁)

■かくて出家の修行者となった釈尊は、いかなる困難をもおかして、すべて善なるものを求めよう、無上の寂静を求めよう、最上の道を追求しようと決意して、まずアーラーラ・カーラーマなる沙門を訪うて、彼に師事した。そして、精進刻苦の結果、久しからずして、その師の説く境地を到りきわめることを得た。経典はその境地を、「無所有処」と語っている。だが釈尊は、かかる境地にきわめ到った結果、その教えがなんら「智にみちびかず、覚にみちびかず、寂静涅槃にみちびかざるもの」であることを知って、この師のもとを去って行った。(50~51頁)

■ついで釈尊は、ウッダカ・ラーマプッタなる沙門を訪うて、彼に師事したが、そこでも結局、おなじような結果をくりかえしたにすぎなかった。この師の語る最高の境地は「非想非非想処」と呼ばれている。その境地を釈尊は、非常なる精進努力をもって、久しからずして、きわめ到ることを得た。だが、きわめ到ってみると、その道もまた、「智にみちびかず、覚にみちびかず、寂静涅槃にみちびき到るものではない」ことを知って、またこの師のもとを去って行った。(51頁)

■菩提樹の下に坐した釈尊は「われよく煩悩を滅し尽くすことをうるまでは、要(かな)らずこの坐を解かじ」と念じて、懸命の思索精進をつづけた。その間、釈尊の心裏に去来したものが何であったかを、わたしどもはつぶさに知ることはできないが、なお、いささかその心のうごきをうかがうべき手がかりを、ふるき経典は記しとどめている。

 相応部経典の第四に『悪魔相応』と名づけられる一群の短い経が存する。そこには、釈尊がさまざまの悪魔の試みにあい、しかもそれらによく打ち克ったことが語られてある。それは、かのイエスが荒野にみちびかれ、悪魔の試みにあったという、かの「福音書」の記事を思いおこさしめる。だが、ここ釈尊の場合は、イエスのそれに比して、悪魔なるものの考え方が、きわめて高い意識の中に受けとられていることが知られねばならない。それは悪魔とよばれ、悪魔波旬と語られている。だが、わたしどもはまた、ある経において、「悪魔、悪魔と語られるが、それは心のあしき動きに外ならない、煩悩のわざの外ではない」と語られていることをも思いだすことができる。しかるとすれば、いま菩提樹下の金剛不動の坐にあって、悪魔にこころみられ、かつこれに打ちかったという、ふるき経典のしるすところは、とりもなおさず、そのとき、釈尊が、煩悩との戦いをいかに戦ったか、聖なる求めをいかに精進したかを、いささかうかがい知るべき手がかりをあたえるものなのである。

 その一つの場合は、このように記されている。ーそのとき、釈尊は独坐静観のうちに、このような思いをした。「ああ、わたしはかの苦行より離れた。なんの利をもたらすことなき、苦行を離れたことは善いことであった」。すると、その時、悪魔波旬は、世尊の心に思うところを知って、世尊の前にあらわれ、偈をもって語って言った。

 「苦行を修しつづければこそ、

 若き人々は清められるのである。

 浄き道をさまよい離れて、

 浄からずして、なんじは清しと思う」

 だが釈尊は、それを悪魔のわざであると知って、偈をもって答えて言った。

 「陸にあげられし船の艣舵(ろだ)は、

 何の利ももたらすことがない。

 不死を願うに苦行をもってするも、

 また何らの利あることなしと知る。

 われは、戒と定と慧とをもて、

 この菩提(自覚)の道をおさめ、

 上なき清浄にいたりついた。

 破壊者よ、なんじは敗れたのである」

 かくて、悪魔は、「世尊はすでにわれを知りたもう」とて、苦しみしおれて、その姿を没したという。(53~54頁)

■その苦行のために、釈尊は、髪はよもぎのようになり、眼はくぼみ落ち、骨はあらわれて、腹の皮と背の皮とがくっつきそうになった。だが、それにもかかわらず、真のさとりは一向に彼を訪れなかった。その時、付近のネーランジャラー河の堤のうえを、民謡をうたって通る農夫の声がきこえてくる。耳をかたむけるともなく聴けば、

 「絃(いと)がつよすぎると切れる。

 弱いとよわいでまた鳴らぬ。

 程ほどの調子にしめて、

 上手にかきならすがよい」

という意味のことであった。その時、釈尊の心の中に霊感がひらめき、そこで彼はすっぱりと苦行をやめた、というのである。(54~55頁)

■そのほかにも、彼がたたかわなければならぬ悪魔は、けっしてすくなくなかった。愛欲もそれであった。貪欲(とんよく)もそれであった。権勢もそれであった。青春なお豊かなることに名残りおしいと思うこともあった。樹下のねむりを、高牀(こうしょう)のやすき眠りにかえたいと思うこともあった。だが彼はそれらのことごとくに、よく打ち勝つことを得た。聖なる求道を妨害せんとする破壊者は、ことごとく敗れしりぞいた。そのさまを経の一偈は「膏石(あぶらいし)を襲いし鳥のごとく、気くじけてゴータマより去れり」とて、かく述べ記している。

 「あぶらにも似たる石をみて、

 ここに軟(やわらか)き、甘きを得むと、

 鳥は空より舞い来たりしが、

 そこに甘き、軟きを得ずして、

 空のかなたにとび去れり」

 そして、ついに大覚は成就した。かの菩提樹の蔭涼やかなるところ、サキャ族より出家した聖者によって、「いまだ起こされざりし道は起こされ、いまだ生ぜざりし道は生じ、いまだ知られざりし道は知られた」のである。(56頁)

 第5章 汝らも見よー正法

■たとえば、かのよく知られた梵天勧請の説話を、熟考検討してみるがよい。それは、梵天の勧請に仮托して、釈尊がその内証を世間の人々にむかって伝達すべきやいなや、その可能性をみずから検討して、ついに伝道の決意をした心境のいきさつを語れるものであるが、そのとき、釈尊のまず考えたことは、「欲望のむさぼりや瞋(いか)りの心にまどわされた人々にとっては、この法は悟ることはやすからぬものである」ということであった。「それは世の流に逆らい、はなはだ微妙であって、甚深(じんじん)・難見であるがゆえに、欲に著(じゃく)し、暗黒におおわれた者は、とうてい見ることを得ぬであろう。いまわが刻苦して証得せるところを説くといえども、結局むだであろう」。かく考えた時に、釈尊の心は黙止すべき方(かた)に傾いていた。その釈尊の心がやがて伝道に傾き、この法を説かんことを決意するにいたった理由は、詮ずるところ、この法はなるほどはなはだしく深くして、見がたく、知りがたいものであろうけれども、なおよくこの法を聞いて悟りうる者の存することを、観察しかつ確信し得たからにほかならなかった。その観察したところを、経典のことばは、紅白の蓮の咲ききそえる蓮池に引例して、美しい譬喩をもって語っている。「たとえば、蓮池において、青き紅きまた白き蓮の生い繁れるさまを見るに、あるものは、水中に生じ、水中に長じ、水中に沈みてある。また、あるものは、水中に生じ、水中に長じ、水面にいたってある。またあるものは、水中に生じ、水中に長じながらも、水面を抜いて、水に染まらずしてあるものもある」。それとおなじように、世間の人々のあり方もまた、さまざまであって、一方においては、欲に著(じゃく)し、暗黒におおわれて、とうていこの法を理解しうるとは思われぬ人々もあるが、その他面においては、かかる塵垢(じんく)のすくなくして、よくこの法を理解しうると思われる人々も存する。そのことを釈尊は、観察しかつかくしんすることを得たのであり、かくて、「甘露の門は開かれたり。耳ある者は聞け」と、この法を説かんことを決意したのであった。それが、梵天勧請の説話がわたしどもに語り示すところの釈尊の心境の展開であった。(57~58頁)

■「如来はこれをさとり、これを知りて、教え示し、宣(の)べ弘め、詳説し、開顕し、分別し、明らかにして、しかして『汝らも見よ』というのである」

と語られたこともあった。ではわたしどもは、釈尊の教え示されるところについて、釈尊の言うところの「この法」とは何であるかを、まず問い入り、尋ね入ってみなければならぬ。けだし、菩提樹下の大覚成就以後の45年にわたる釈尊の生涯は、ただこの自内証の法の宣説と、その実践とであったと信ぜられるがゆえに、まずこの法の真相に近づきうかがうことなくしては、わたしどもは、一歩といえども大覚成就以後の釈尊の生涯に、立ち入ることはできないのである。(59頁)

■「比丘たちよ、わたしはまだ正覚(さとり)を得なかったころのこと、かように考えた。ーーまことに、この世間は苦の中にある。生まれ、老い、衰え、死し、また生まれ、しかも、この苦を出離することを知らず、この老死を出離することを知らぬ。いったい、いかにしたならば、この苦なる老死からの出離を知ることができようか」(59頁)

■「比丘たちよ、その時、わたしはかように考えた。ーー何があるがゆえに、老死があるのであろうか。何に縁(よ)って、老死があるのであろうか」

 また、

 「比丘たちよ、その時、またわたしはかように考えた。ーー何がなければ、老死がないのであろうか。何を滅すれば、老死を滅することをうるであろうか」

 そのように考えることによって、釈尊はついに、「いまだかつて聞きしこともなき法において、眼(まなこ)生じ、智を生じ、明(さとり)をうることを得た」と語っているのであるが、しかし、この法なるものは、いまだかつて、なかりしものを、いまここに新たに生み出したものではなくして、いわば、古くから存していたものを、いま見いだしたにすぎないのであるとて、このような譬喩を、そこに語りいでているのである。

 「比丘たちよ、たとえば、ここに人ありて、林の中をさまよい、ふと古人のたどった古い道を発見したとするがよい。またその人は、その道にしたがい、すすみ行いて、古人の住んだ古い城、園林があり、岸もうるわしい蓮池のある古城を発見したとするがよい。

  比丘たちよ、その時、その人は、王または王の大臣に報じて言うであろう。ーーわたしは、林の中をさまよって、ふと古人のたどった古道を発見した。その道によって進みゆいてみると、古人の住んだ古城がある。園林があり、岸もうるわしい蓮池もある古城である。願わくは、かしこに城邑(まち)を築かしめたまえ。

  比丘たちよ、そこで王または王の大臣は、そこに城邑を築かせたところ、その城邑はさかえ、人あまた集まり来たって、殷盛をきわめるにいたった。比丘たちよ、それと同じく、わたしは過去の正覚者たちのたどった古道、古径を発見したのである」

 釈尊がしばしばこのような説き方を、この法について試みられていることは、何を意味するものであろうか。わたしどもは、まずその意味するところを、とくと考えてみなければならない。そして、その意味をよく掬(きく)することを得たならば、その時、わたしどもは、この法なるものの性格の一片を、まずうかがうことができたと称することをうるであろう。

 では、釈尊はいかなる意味をもって、この法を古道、古径ににたとえて語ったであろうか。それは古今と東西とを問うことなく、時間と空間とを貫いて、この法は常恒(じょうごう)に存しているものであることを言わんとするのほかではなかった。それは、釈尊がこの世にいでて、釈尊が考え出したというがごときものではなかった。あるいはまた、わたしどもが釈尊の教え示すところによって、新たに体系づけるとき、その時はじめて生まれて来るがごときものでもなかった。さらにまた、それは仏教の世界に存し、他の思想に存しないというがごときものでもない。そのことを、釈尊はまたある時、

 「如来のこの世にいずるも、もしくは如来のこの世にいでざるも、このことは定まり、法として定まり、法として確立している。すなわち相依性である。如来はこれを証(さと)り、これを知る」

と語ったこともあった。それは、釈尊がこの世に出ようと出まいと、元来厳として存し、厳として確立しているものである。ただ、釈尊のいでて、これを証得し、これを教示するまでは、わたしどもにはそれが知られていなかった。この法はそのようなものであるがゆえに、それを釈尊は、譬喩をもって、「わたしは古道を発見した」と説いているのであるそのことを、わたしどもは、まずはっきりと承知しておきたいのである。(61~62頁)

■「これあるに縁(よ)りてかれあり。これ生ずるに縁りてかれ生ず。これなきに

 縁りてかれなし。これ滅するに縁りてかれ滅す」(67頁)

 第6章 真理の王国なるー伝道の決意

■その頃、世尊は、ひとり坐し、静かに観じて、かくの如く考えたもうた。『尊敬するところのものなく、恭敬するところのものなき生活は苦しい。われは如何なる沙門もしくは波羅門を敬い、尊び、近づきて住すべきであろうか』と。(71頁)

■ーーもしわたしが、いまだ戒について満たされぬものがあり、定(じょう)について満たされぬものがあり、また、智慧について満たされざるものがあり、それらについて、依ってもって学ぶに足るほどの沙門もしくは婆羅門がありとするならば、その人を敬い尊び、近侍して学ぶという理由はある。だが、わたしはいま、戒にちうても、定についても、解脱のための智慧についても、尊敬し近侍して、依りて学ぶべき人物をどこにも見いだすことはできない。それについて、わたしよりも優ったものを、遺愾(けいけ、リッシンベンに感)ながら、わたしはどこにも見いだすことはできない。ーーかように考えて、結局、釈尊が到達したところのものは、「われはむしろ、わが悟りし法、この法をこそ、尊び敬い、近づきて住すべきである」との結論であった。(72頁)

■世の多くの宗教においては、「依人(えにん)」すなわち人に依ってその信仰を樹立することが説かれている。わたしどももまた、ともすれば、ひとによってその信を樹(た)つることに心やすきをおぼゆる。だが、釈尊の道は、明々白々に「応(まさ)に法によるべく、人に依らざるべき」ことを教える道であった。そのことのもっとも堅確なる表現は、この師が入滅を前にして弟子たちのために垂れたもうた訓誡の中にある。

 「ここにみずからを燈明とし、みずからを依所(よりどころ)として、他人を依りところとせずして住せよ」

 それは、わたしどもが「自帰依、法帰依」の教えとして、もっとも感銘ふかく記憶するところのものであって、そこに正法中心の宗教である仏教の立場がもっとも明白に、かつ厳粛に宣言せられているのであるが、かかる仏教の基本的な立場は、そのはじめ、いかにして自覚され、確立されたものであるかといわば、わたしどもはこの樹下(じゅげ)の瞑想の間に去来せし釈尊胸中の思念を指して、ここに正法中心の立場は確立したのであるとすることができる。(72~73頁)

■ひるがえって考えてみると、釈尊は、そのはじめ出家して行乞の沙門となった時には、ただ自己の苦悩の解決を得んがためであった。したがって、その苦悩の解決を求めて、ついに最高の智慧に到達した時、彼の目的は一応達せられたのである。静かにこの最高の智慧を味わい、それに随い順じて、不死安穏の生涯をうることを得ば、そのほかに何の求むるところもないはずであると思われる。しかるとすれば、大悟まもなき釈尊が、沈黙にかたむいて、説法を思わなかったとしても、一応それは当然であると言うことができる。いなむしろ、彼が本来の目的よりいわば、説法すべきか沈黙すべきかというがごとき問題はないはずであるとも言うこともできる。(77頁)

■かく言うのは、けっして、単なる推測でもなく、また単なる理窟でもない。相応部経典の『七年』と題される1経は、これまでの仏伝研究者によってまったく看過されているが、そこには釈尊もまた、かく思われたことがあったであろうことを、うかがい知るべき手がかりが存している。そのとき、釈尊はネーランジャラー河のほとりの一樹のもとに止まっていた。すると、出家以来7年の間、たえず彼につきまとっていた悪魔が、彼の前に姿を現わして、偈文をもって語りかけた。その一節はかようであった。

 「もしなんじの言うがごとく、

 安穏不死にいたる道を知らば、

 行けよ、なんじ独りゆけよ。

 何のために他に教えんとするか」

 ここに悪魔の呼びかけとして記されているものは、既に言うがごとく、釈尊の心中に去来せし疑念であったにちがいない。そのとき釈尊もまた、最高の智慧を得、安穏の生涯を成じたるうえは、また何の他に求むるところがあろうかと考えたに相違ない。さらにはまた、何のために自分は、他の人々にこの法を説かんとするのであるか、と自問したに違いあるまい。(77~78頁)

■鹿野苑(ミガダーヤ)に到着した釈尊は、そこでもまた抵抗を見いださねばならなかった。5人の修行者たちは、必ずしも快く彼の説法に耳を傾けようとはしなかった。彼らは、釈尊の来るのをはるかに見て、互いに約して、「彼に礼をなすなからん、起ちて迎うることなからん、彼の衣鉢(えはつ)をとるなからん」と云い合わせた。釈尊が彼らのもとに到り彼らとともに坐した時、彼らは釈尊を呼ぶにその名をもってし、また同輩をよぶ呼称をもってした、と経典はしるしている。彼らのかかる態度の理由は、さきに釈尊が苦行をすてたことをもって、努力をすて快楽に堕したものと解したからであり、かの「精勤(しょうごん)を捨て、奢侈(しゃし)に堕し」た沙門が、大いなる悟りを獲得しえようとは思えなかったからであった。

 「比丘たちよ、善く聴け、われはすでに不死を証得せり。われ教うべし。法を説くべし」

 かように、釈尊は彼らに語りかけたが、彼らは聞こうとはしなかった。3たび重ねて呼びかけたが、彼らは3たび聴くことを拒んだ。そこで釈尊は、あらためて彼らにいった。「比丘たちよ、わたしはこれまで、なんじらに対してこのような言い方をしたことがあったであろうか」そういわれてみると、今日のこの沙門は、かの時の沙門とはちがっていると、彼らも思わずにはいられなかった。そして、では、そのいうところを聴いてみようとの心が、やっと彼らにきざしてきた。

 かくして、釈尊がこの5人の修行者を前にして説きいでたものは、中道の宣言であり、4つの真理であり、8つの実践の項目であった。ふるき経典は、そのとき諸天は声を発して、この初転法輪を賛嘆し、大千世界はために動きふるい無量の光明は世間に充満したと記している。その荘厳の描写は古典的であるが、その意味するところは何であったかを、わたしどもはふかく潜り入って理解しなければならぬ。(82~83頁)

 第7章 鹿のすむ園にてー最初の説法

■その根本的立場は何であったか。「比丘たちよ、世に2つの辺(極端)があるが、出家の者はそれらに親近(しんごん)すべきではない。その2つとは何であるか」そして釈尊は、1つの極端として快楽主義をあげ、他の極端として快楽主義を指し、そのおのおのを批判して、それらは無義相応である。道理にふそうものにあらず、聖賢の道にあらずとしてしりぞけ、「比丘たちよ、如来はこれら2辺を捨てて中道を現等覚せり」と宣言する。これが最初の説法の冒頭におかれる「中道の宣言」であった。

 では、この中道とは何であるか。それを、人々の生活実践のうえに当てて言わば、いかに考え、いかに語り、いかに行為することが中道にかなうものであろうか。

 「比丘たちよ、では何をか中道となすか。それは、すなわち8つの正道である。いわく、正見・正思・正語・正業・正命・ならびに正精進・正念・正定である。比丘たちよ、これらが如来の悟得せるところの中道であって、これは眼を開き、智を発し、寂静を得しめ、涅槃におもむかしむるであろう」(84~85頁)

■「比丘たちよ、苦の聖諦とはかくのごとくである。いわく、生は苦である。老は苦である。病は苦である。死は苦である。怨み憎む者に会うは苦である。愛する者に別れるは苦である。求めて得ること能わざるは苦である。略説すればこの五蘊(身心)はすべて苦である」(85頁)

■それとともに釈尊はまた、この人生観察の結論「一切皆苦」の前に心くじけて、厭世の囚虜(とりこ)となりおわった人ではなかった。中道の立場は、そのこともまた許さない。むしろ彼は、毅然として、この人生苦の解決の道をたずねた。すなわち、その原因をたずね得て、これを第2諦において宣明し、さらにその対治の処方をもとめて、これを第3諦において説き、またその対治の実践の体系をたてて、これを第4諦に述べているのである。(86~87頁)

■「比丘たちよ苦の集(生起の因)に関する聖諦(しょうたい)はこれである。いわく、後(ご)有をもたらし、喜貧(きとん)倶(とも)におこり、随処に歓喜する渇愛である。それに欲愛と友愛と無友愛とがある」

 では渇愛とは何であろうか。

 仏教において語られる愛ということばは、必ずしも常に美しい印象をまとえるものではない。それは、もっと厳粛に「一切」をあらしめる根源的な力を指している。ある時、釈尊は、このように説いたこともあった。

 「比丘たちよ、わたしはいまなんじらのために〈一切〉なるものを説こう。よく聞くがよい。比丘たちよ、何をか〈一切〉というのであろうか。眼と色、耳と声、鼻と香、舌と味、身体と感触、心と法、比丘たちよ、これを〈一切〉というのである」(87頁)

■私を衝きうごかしてくる力がある。その現れたものが、わたしども人間のさまざまの欲望であって、それに欲愛(自己延長の欲求として性欲を代表とする欲望)と友愛(自己保存の欲求として食欲を代表とする欲望)と無有愛(名誉権勢の欲求にあらわれる欲望)とがあると、釈尊は分析を試みている。(88頁)

■かく知ることを得れば、「一切皆苦」の人生にたいする対治の処方は、縁生縁滅の法則によって、おのずからにしてうまれる。すなわち、「これなきに縁りてかれなし。これ滅するに縁りてかれ滅す」この公式に当てて、「何がなかったならば、かかる人生はないのであろうか」と問えば、そこに、第3の聖諦が生まれてくるのである。いわく、

 「比丘たちよ、苦の滅に関する聖諦はこれである。いわく、この渇愛をあますところなく離れ滅すれば、解脱して執著なきにいたる」(89頁)

■そしてさらに、そのことは、如何にして生活実践の中に実現せらるべきかとなれば、そこに第4の聖諦、苦の滅にいたる道(実践)に関する聖諦が、さきに述べた8つの正道をその内容としてかたられるのであった

 「比丘たちよ、苦の滅にいたる道に関する聖諦はこれである。8つの正道がそれである。いわく、正見・正思・正語・正業・正命ならびに正精進・正念・正定である」(89頁)

■そのことを解いてゆくためには、苦行をすてたことは1つの極端を去って中道の立場をとったことを意味すると納得せしめねばならぬ。「世には2つの極端があり、それらは道理にかなわぬ道である。わたしはそれらの2つの極端をすてて中道をとった」その冒頭のことばは、釈尊にとって自己の道の根本的立場の宣明であるとともに、この5人の修行者に対する自己弁明でもあった。

 ともあれ、ここに、仏教の基本構造は語り明かされた。5人の修行者はその所説と熱心に取組んで、それを理解しようとした。ふるき経典によると、「3人の比丘乞食にゆき、その得たる所によりて6人住せり」とも記されておる。(91~92頁)

■そして、ついにまず、5人のうちの1人、コンダンニャが悟ることを得た。「コンダンニャは悟った。コンダンニャは悟った」と釈尊は歓喜した。(92頁)

■「その時、この世間に阿羅漢は6人となれり」と、ふるき経典は記している。(92頁)

■ともあれ、かくしてヤサの父は、釈尊の在俗の信者の最初の人となった。そのことを経典は「彼は世間に初めて三帰依を唱えた優婆塞なりき」と記している。そして、ヤサもまた、出家して釈尊の弟子となることを許された。そのことは、バーラーナシーの町の人々に大きな影響をもたらした。「長者の子ヤサは、鬚髪(しゅはつ)を剃り、袈裟衣をつけ、家を捨てて出家した。それはきっと優れた教法にちがいあるまい」そのように聞き、そのように考えた良家の若者たちが、はじめは4人、のちには50人、ミガダーヤの園に釈尊を訪れ、その教えを聞いて、相ついで出家して沙門となった。かくて「その時、この世間に阿羅漢は61人となった」と経典はしるしている。

 だが、ミガダーヤにおける釈尊の教化の活動はやがて終り、彼はまた、新興の国の都ラージャガハ(王舎城)を指さして、伝道教化のさすらいの旅にのぼるのである。(96頁)

 第8章 世の幸福のためにー伝道の宣言

■釈尊はかって、いまだ聖者にはあらぬ者が、聖者のごとくふるまうことほど賤しいことはないと語ったこともあった。(100頁)

■そしていまや、この人間自覚の道をひっさげて、ひろく人々の間に宣べ伝えんとするにあたっても、われら(釈尊ならびに弟子たち)はすべてすでにふさわしきものである、阿羅漢(arlat=deservinng 応供)であることを宣明することが必要であったのである。(100~101頁)

■「盲人が盲人の手引きして、ともに堕獄に陥ちる」がごときことをしてはならぬ。(101頁)

■「世間をあわれむがゆえに、彼らの幸福と利益とを念ずるがゆえに、わたしどもは人人の間にこの自覚の道をもたらさんとするのである」そのことを釈尊はついで語っている。そして、「1つの道を2人してゆかぬがよい」と語り加える。そのことばは、わたしどもにとって、はなはだ感銘のふかいものであった。(101頁)

■わたしどもはイエス・キリストが、その12人の弟子をはじめて福音伝道に送り出すとき、彼らにあたえたことばを知っている。そこでは、「2人ずつ遣わされ」「人々に心すべき」ことが、ことばをきわめて語られてある。「視よ、我なんじらを遣わすは、羊を豺狼(さいろう、山犬と狼)の中に入るるが如し」とも語られ、「このゆえに、蛇のごとく慧(さと)くあれ」とも教えられてある。それらのことばに比するとき、わたしどもは、釈尊の伝道の宣言が、いかに平和と良識とに充ちていたか、いかに人々にたいする純粋の愛情にあふれていたかについて、ふかい感銘をもたざるを得ないのであるが、かかる平和と良識と愛情とは、さらにこの「1つの道を2人して行かぬがよい」という1句の中に結晶しているのである。(101~102頁)

■さらにわたしは、「世間われとあらそう。されどわれは世間とあらそわず」といった釈尊のことばを思い出す。釈尊の理解するところによれば、この世界の存在の仕方は、対立性のものではなくして、むしろ、相依(そうえ)性のものであった。相依性こそが縁起の本質であった。そして、かかる人生の態度に徹せるがゆえに、仏者にとっては、「人々に心する」用もなく、「蛇のごとく慧(さと)く」ある用もなかった。とすれば、豺狼(さいろう)の中におもむく者は2人して行かねばならぬであろうが、仏者は「1つの道を2人して行かぬがよい」と教えられねばならぬ。なんとなれば、恐怖をもって警戒すべき何者もなく、ただ念ずるところは、1人でも多くのものが、法を聞き、法に眼を開かんことであったからである。(102頁)

■ギリシャ人は、こよなく雄弁を愛したことがよく知られておる。また、その雄弁は、合理的精神と芸術的精神との所産であったと語られている。さらにまた、その聴衆はすぐれた素質ある人々であったがゆえに、弁者は充分の敬意を彼らにたいしてはらわねばならなかったのであって、そのことは特に、アテナイの雄弁家たちの演説が、その結語を興奮なき静けさもて述べたことにおいて示されているという。聴く者にたいして権威ある者のごとくふるまうものは、単にその結論を力強きことばをもって押しつけるであろう。また、聴衆の感情に訴えをなさんとする者は、高まりゆく興奮の中においてその結語を述べんとするであろう。しかるに、その結論を興奮なき静けさの中において述べたアテナイの雄弁は、弁者が聴く者の理性にたいして敬意を表しつつ、もう1度最後の説得をなすものであった。(102~103頁)

■しかるに今、釈尊の語る説法の理想も、またかかるものであった。それは「義(ただ)しき道理と表現とをそなえねばならぬ」と、語られている。そのことは、ギリシャの雄弁が、合理的精神と芸術的精神との要求に応えるものであらねばならぬとされたことに平行する。また、その説き方は、「初めも善く、中ごろも善く、終りも善く」と語られていた。そのことは、終始一貫して、理論的に、かつよき表現をもって、聴く者の理性に訴うべきことを意味していたのである。それは無論、結語を感情をゆりうごかす行き方でもなかった。初・中・終を一貫して、理路と表現とを兼ねそなえて、静かに理性が理性にむかって語りかける。それが、釈尊のみずから行ない、かつその弟子たちに求めた説法の理想であった。(101頁)

■そして、かかる説法の理想はイエスのそれとはまったく対照的であったことも、また、興味ふかく思われる。イエスがその弟子たちに教え、彼らを伝道に送り出したとき、彼らはただ「往きて宣べつたえ、〈天国は近づけり〉と言え」と、その語るべきことの内容を指示されたのみであった。また、もしも、司たち王たちの前に曳かれるようなことがあっても、「如何になにを言わんと思いわずらうな、言うべきことは、その時さずけられるべし、これ言うものはなんじらにあらず、その中にありて言うものはなんじらの父の霊なり」と教えられた。そこには、理性が理性にからりかけるがごとき説教は、まったく求められてはいない。語るものはただ霊にみたされて、「舌語りに」語ればよかったのであり、人々はただその福音をうけ容れるべきか否か、いきなりその選択の前におかれるのであった。したがって、福音書の記者たちも、イエスの説法に接した人々の感想を書きとどめて、「それは学者のごとくあらず、権威あるもののごとく説きたもうた」としるし、また人々はその説法におどろき合って、「こは如何なる人ぞ」「こは如何なる言(ことば)ぞ」と語ったという。それは、釈尊が理想としたものとまったく別の世界のものであった。(103~104頁)

■あるとき、釈尊は、そのことを3つの田の譬喩をもって、このように語ったこともあった。それは、ある部落の長が、「世尊は、すべての人にたいして慈悲の心をもち、すべての人を利益せんとの心であられるのに、ある人のためには詳しく法を説き、ある人々のためには、さほど詳しく説かれないのは、何故であろうか」と問うたことに対する答えであった。

 「部落の長よ、なんじは、かかる場合にはいかに思うか。ここに一人の農夫があって、彼に3つの田があるとするがよい。その1つは中等の田であり、いま1つの田は、悪質の砂地であって、塩分をふくんでいるとする。それらの田にたいして、彼が種子を蒔かんとするには、まずいずれの田からはじめるであろうか」

 かく言われて、部落の長はむろん、「その農夫はまずもっともすぐれた美田に種子をおろすであろう」と答えるのほかはなかった。

 いま釈尊は、その弟子たちを伝道に派するにあたっても、この法の種子のまず播(ま)かるべき美田は、いかなる人々であるかを、ここに語り教えている。それは「汚れすくなき生を受けた人々」であった。若くして、いまだ世間の汚れになじむこと少なく、教養にも知性にもすぐれた人々。やがて釈尊の教団に相ついで来り投じた人々は、かかる人々であったのである。(104~105頁)

 第9章 すべては燃ゆるー山上の説法

■「比丘たちよ、すべては燃えている。熾燃として燃えさかっている。なんじらは先ずこのことを知らねばならぬ」

 それは、これまでの釈尊の説法と、その概念をはなはだ異にしていた。理路整然として、人生のあるがままの観察より出発して、その原因の追求、その処理の原理、そしてその実践の方法ーーそれの典型的な説き方が四諦説法であったーーへと説きおよんで行った釈尊の説法は、いまや焔という1つの譬喩をもって装われ、かつ簡明にされようとしているのである。

  「比丘たちよ、すべては燃えているというのは、いかなることであろうか。比丘たちよ、人々の眼は燃え、また眼の対象は燃えている。人々の耳は燃えまた耳の対象は燃えている。人々の鼻は燃え、鼻の対象は燃えている。人々の舌は燃え、また舌の対象は燃えている。身体は燃え、身体の対象は燃えている。さらに、人々の意(こころ)もまた燃えており、その対象もまた燃えているのである。

  比丘たちよ、それらは何によって燃えているのであろうか。それは、貪欲(むさぼり)の焰によって燃えており、愚痴(おろかさ)の焔によって燃えているのであり、また生・老・病・死のほのおとなって燃え愁(うれい)・苦(くるしみ)・悩(なやみ)・悶(もだえ)のほのおとなって燃えているのである」

 いま釈尊の前にあって、この新しき師のことばに耳をかたむけている人々は、思えば数日の前では事火外道として事火法を修する人々であった。火は一切のものを清浄にするものとして、火を尊び、これに供養して福を求めんとする人々であった。しかるに今や彼らにとって、世界は一変した。この世のすべては、火によってさいなまれていると、このあたらしき師は説く。なんじの眼も、鼻も、舌も、耳も、身も意(こころ)も燃えていると語られる。煩悩のほのおが一切をもやしているのが、すべての人々と世界とのあり方であると指摘せられる。この一変した世界と人生の観方は、彼らにとって、際だってつよい印象をもって迫ってきたに相違あるまい。そこで、釈尊は、さらに語りつづける。

 「比丘たちよ、そのように観察する者は、よろしく一切をおいて、厭(いと)いの心を生ぜねばならぬ。眼において厭い、耳において厭い、鼻において厭い、舌において厭い、身において厭い、また意(こころ)において厭わねばならぬ。しかして、一切において厭いの心を生ずれば、すなわち、解脱することを得るのである」(112~113頁)

■だが、いずれにしても、この「涅槃」なることばは「煩悩のほのお」という譬喩に関連するものであったことは、確信してさしつかえない。すなわち、このことばは「吹き消される」という動詞を語源としてつくられた「火の(吹き)消されたる状態」という意味のものであったことは疑いを容れない。(114頁)

■かくのごとく、彼岸の境地が「涅槃」すなわち「煩悩の火の消えたる状態」をもって示すべきものであったとするならば、それに対して此岸の状態が「煩悩の火の燃えさかる状態」として考えられることは、むしろ単なる譬喩以上のものと言わなければならぬ。(115頁)

■それは、われらを縛して甲斐なき生死をくりまえさしめるがゆえに「爆」ーー縛するものとも呼ばれる。それはまた、われらの善根を毒するものであるがゆえに「毒」ーー毒するものとも称される。またそれは、われらの智明を蓋うものであるがゆえに「蓋」ーーおおうものとも名づけられる。そのほか、さまざまの語法があるが、なかんずくこれを「煩悩の焔」として考える考え方は、何よりも、人々の体験に即して、訴える力をもっている。(115頁)

■いま釈尊がラージャガハの都に入ったころ、その六師の一人なるサンジャヤという者もまた、この都のあたりに止住していた。

 その主張するところは、真理なるものには一定の動かすべからざる常規はないのであって、自己にとって善と思われるものが善であり、自己にとって真と思われるものが真であるとするのであった。その所説は、あたかも古代ギリシャのソフィストたち、特にゴルギアスの虚無的な言説を彷彿たらしめる。経典はこれを呼んで「鰻論」と称する。かの二人もまたこの徒の中にあって、その高足として学修につとめていた。そして、この二人は親交を結んで、「もしいずれかさきに不死の道をえたならば、かならず教えるであろう」と相約していた。(119~120頁)

■だが、アッサジは、出家して日なお浅く、その師の教えを深く説くことも、またその要領を略説することもできぬ由を答えた。サーリプッタはそれでもあきらめなかった。「では、たとい深からずとも、また要領をつくさずとも、多少なりとも、片鱗なりとも、その師の教えについて語らんことを」と、彼に請うた。そのとき、アッサジが彼のために、その師の教えについて語ったことばは、ふるき経典につぎのごとく記しとどめられてある。

 「諸々の法は因によりて生ずる。

 如来はその因を説きたもう。

 諸々の法の滅についても、

 如来はまたかくのごとく説きたもう」

 それはなるほど釈尊の教えの片鱗にすぎなかった。だが、サーリプッタは、それによって釈尊の教えるところがいかなるものであるかを洞見し得た。「生ずるものはみな必ず滅する。もしそれだけであるとしても、これは正しい教えである。この師の弟子たちは、すでに、愁(うれい)なき境地をさとっているにちがいない」それは、サンジャヤの徒にとっては、大きな驚きであったに相違ない。彼らは、その師によって、真理の客観的基準はあることなしと教えられた。(120~121頁)

■この二人(岡野注;サーリプッタとモッガラーナ)と、そしてその他のサンジャヤの弟子たちー経典はその数を250人としるしているーは、やがて竹林の園へと向かった。(122頁)

■「マガダの国の山の都(王舎城)に、

 大いなる沙門は現れたり。

 さきにはサンジャヤの徒を誘い入れ、

 つぎには誰を誘わんとするか」

 比丘たちは、人々の難詰することばをきいて、帰り来たって、釈尊につげた。それに対して釈尊は、かように教えて言った。「比丘たちよ、かかる非難のことばは、ながくつづかないであろう。おそらく7日をすぐれば消え去るであろう。もし人々が、行乞するなんじらを難じたならば、なんじらは偈をもって、かように答えるがよい」そして、ふるき経典は、その答えをもまた、偈文をもってかように記しとどめている。

 「如来は法をもって誘いたまえり。

 法に来たるをう嫉むものは誰ぞ」(122~123頁)

 第10章 祇園精舎

■釈尊の伝道の生涯は45年のながきにわたるものであった。それはほとんど半世紀にわたるものであって、世の教祖と称される人々に、かくも長い伝道の生活を有したものを、わたしどもは知らない。しかも釈尊は、かくも長きにわたる教化説法の間においても、なんらの基本的な変化をその教説の中に示していない。のみならず、その説法の態度や語調についても、わたしどもは、伝道の時期によっての変化をほとんど指摘することができない。いつも静かに、そして懇切に、彼は語った。その語るところは、つねに不動の道理と整然たる表現をたもっていた。(124頁)

■あるいはまた、ある経においては、ビンビサーラがなおマガダの国に君臨していることが知られる。またある経においては、すでにアジャータサッツ(阿闍世)王父にかわってその国を統べていた時代のものであることを知りうる。(125頁)

■そこで、その長者(岡野注;スダッダの妹の嫁ぎ先)はかの仏陀がこの都の郊外なるヴェルーヴァナ(竹林)という園林にとどまり住しておられること、そこはこの国の王によってこの仏陀に寄進せられた園林であることなどを語り、さらに、彼がその園林に多くの房舎をたてて寄進したことを物語った。この長者がその園林に房舎をたてた顛末は、律蔵正品(ほん)の一節によって、つぎのように伝えられている。

 ある朝のこと、この長者は竹林を訪れた。まだ房舎のなかった竹林では、比丘たちは樹下や洞窟や藁堆(わらづみ)のうえにいね、早朝におきて威儀をととのえていた。長者はその様をみて、心に清浄を感じ、歓喜を感じた。出家の比丘の生活は、行雲流水の生活を建前とする。樹下に住み、石上に坐して、それをいささかも苦痛と思ってはならない。洞窟に住み、藁堆にいねて、なお厳然たる威儀を持せねばならぬ。いまこの師の比丘たちは、この出家の生活の建前を立派に実現している。そのことには自然に頭の下がる思いがする。だが頭がさがればさがるほど、尊敬すればするほど、比丘たちの樹下石上の生活が相すまないと思う。

 「もしわたしが、あなた方のために房舎を造ったならば、住んでいただけるでいただけるであろうか」

 「では、お許し願えないかどうか、ひとつ、世尊におたずね下さるまいか」

 長者の熱心なことばにうごかせれて、比丘はこのことを世尊に報じた。するとはからずも、一定の制限のもとに比丘のために房舎をたててもよいということであった。そこで、かの長者は、よろこびいさんで、その園林に60の房舎をたてはじめた。それがすでに落成して、明日は、釈尊とその弟子衆を請じて、かの房舎を献ずるのだという。

 「兄さん、そのような聖者があらわれるならば、わたしも行ってその方を拝したい」

 「だが、釈尊とその弟子衆は、規律ただしい生活をしておられる。今日はもうかの仏陀を拝する時間ではない。明朝はやく行かれるがよい」

 その夜、寝についたスダッタは、仏陀を拝したい思いにかられ、暁をまちかねて夜半三たびまで眼をさましたと、経典のことばはしるしとどめている。(131~132頁)

■ともあれ、歓喜と緊張に心はずませつつ、かの園林に近づいた彼は、思いもかけず、林間を遊歩するかなたの人から声をかけられた。それは、早朝のそぞろ歩きをしていた釈尊その人であった。それが仏陀なるかの人と知らされたとき、恐怖にも似た緊張は霧のごとく消えさって、ただ歓喜のみが彼の心をふくらませていた。「世尊よ、昨夜はやすらかに眠らせたもうか」近づいて釈尊の足を拝したとき、彼の口からはそのような心やすいことばが自然にでた。そのとき、釈尊が彼に答えたことばを、経典は偈をもってかように伝えている。

 「貪りを離れ、清らかにして、心にけがれがなければ、

 さとりに入れる者は、いずこにありても安らかに眠る。

 すべての執著をたちきり、悩みを調伏したるがゆえに、

 心は静寂に入りて、しずけくもまた安らかにねむるなり」(133頁)

■まもなくスダッタは、車に積んで黄金をはこばせ、それをもってジェータ(祗陀)王子の林に布かせはじめた。だが最初に運んだ黄金でしきつめた土地の広さでは、彼はまだ満足できなかった。

 「もっと黄金を運んで来い。わたしは、この土地を全部しきめぐらさねばならぬ」

 そして、黄金をつんだ車がまた、後から後からとつづいた。そのさまをみたジュータ(祗陀)王子は、さすがに心おどろき、胸をうたれた。

 「長者よ、どうか一部分の土地を私のために残していただきたい。わたしもまた、あなたがかくまでも尊ばれる方に、布施したいと思う」

 その申し出を、長者はこころよく受けた。この賢明な王子の胸にも、釈尊の教法への信の燈火がともりはじめたと思うと、彼はうれしくてたまらなかった。

 やがて林の中に、精舎が建ち、講堂が建ち、厨屋・浴室・厠屋。阿屋(あずまや)がたち、経行堂がたった。王子のために残された土地には、王子によって門が建てられた。その規模と景観とは、今世紀になって発掘せられた遺蹟によっても、そぞろしのぶことができる。時の人々は呼んで、この精舎を「祗陀林なる給孤独の園の精舎(祗樹給孤独園精舎)と、この二人の名を冠して称した。給孤独とは、親なき子、子なき老人など、憐れな人々に施すの意であった。この富める商人は、以前から、心やさしく、数々の善行のあった人であって、かかる名をもって呼ばれていた。

 程へて、釈尊は、サーヴァッティー(舎営城)に到着し、スダッタの供養をうけ、かつ、この新たに成れる精舎を献ぜられた。そのとき釈尊が、彼のために、謝意をこめて説いた偈を、経典はこのように記しとどめている。

 「林苑を施し、果樹を植え、

 橋を架し、船もて人を渡し、

 曠野に泉水、井戸をひらき、

 あるいは精舎を建立する。

 かかる人々に於ては

 さいわい日夜に加わり、

 戒をたもち、法を楽しみて、

 後生に善道を得るであろう」

 そして釈尊は、当来四方の僧伽(サンガ)の名において、この精舎を心よく受けさせ給うたという。

 これが、いうところの祇園精舎の成立の因縁であった。(137~138頁)

 第11章 人は何を願うべきかー涅槃寂静

■「比丘たちよ。なんじら出家たる者は、髪を剃り、鉢を持して、家々に乞食(こつじき)して生を支える。乞食とは、世のもろもろの活命(かつみょう、生活の仕方)のなかの下端である。だが比丘たちよ、もろもろの秀抜なる人々が、かくのごとき生活に就くゆえんのものは、義(ただ)しき目的の存するによりてである。王に強いられたるにあらず、賊にしいられたるにあらず、負債のゆえにあらず、活命に窮したるにあらず。われらは苦に陥り、苦に沈み、苦に囲まれてある。されば、われらはこの苦の集積をのぞきつくさんとて此処にいたれるのである」(139頁)

■その理由とは、何であろうか。その目的とは何であろうか。それをさきの引用区の中では、「義(ただ)しき目的の存するによりてである」と意訳しておいたが、それをある経においては「意趣あるに縁(よ)る」としるしている。「意趣」(attha)とは、われらの認識ならびに判断の対象を指すことば、すなわち、人の願うところのものであり、人の求むるところのものであり、われらの善(よし)として追求するところのものである。したがって、「意趣あるに縁りて」この乞食沙門の生活に入ったというのは、然るべき目的が存して、みずからこの道を選んだというものである。さらに他の経は、その目的なるものを、もっと明白に「勝義を求むるためのゆえに」と言いあらわしている。「勝義」(paramattha)とは、人の願うところの最上のものであり、人間にして思念し能うかぎりの最高善であり、人間の生活の終極の標的である。そして出家の生活とは、この最高なる善の実現のために、他の一切を賭するものに外ならなかった。(141~142頁)

■「比丘たちよ、もしも、かくのごとくして出家せる者が、なお世間的な欲のむさぼりを抱き、もろもろの欲望において執著を生じ、瞋(いか)りの心を生じ、邪(よこし)まの思いにとらわれ、放逸にして専念することを得なかったならばいかがであろうか。それはたとえば、両端は燃えて中間は糞(ふん)をぬりたる炬火(たいまつ)のごときものである。それは、薪の用もなさず、木材の用もなさぬ。それとおなじく、かかる比丘は、在家人の生活をすてたるがゆえに在家人にもあらず、しかも沙門の勝義(最高善)を成満せざるがゆえに、出家の沙門でもない」

と。この譬喩は、釈尊の好んで用いられたもののごとく、他の経にもしばしば見られる。その言わんとするところは、無論、出家たりしうえは、断じて中途半端な存在であってはならぬとするのである。人生最高の善を追求せんとするからには、決然として一切を賭してこの道をゆかねばならぬとするのである。(142~143頁)

■「世間のあらゆる力のうち、

 天にありても人中にあっても、

 福(さいわ)いの力をもっとも勝れりとなす。

 福いによって仏の道をなすなり」(145頁)

■それもまた、かの祇園精舎においてのことであった。

 「世の人々はことごとく、

 さまざまの福祉(さいわい)をねがい

 さまざまの吉祥を念ずる。

 願わくは、わがために最上の吉祥を語りたまえ」

 かように問える者があったとき、釈尊はそれに答えて、つぎのように語り教えた。その全文を、この経典は、すべて偈文をもって記しとどめている。

 「愚かなる者に親しみ近づかぬがよい。

 賢き人々に近づき親しむがよい。

 また仕(つこ)うるに値する者に仕うるがよい。

 これが人間最上の幸福である。

 よき環境に住うがよい。

 つねに功徳をつまんことを思うがよい。

 またみずから正しい誓願(ちかい)を立つるがよい。

 これが人間最上の幸福である。

 ひろく学び、技芸を身につけるはよく、

 規律ある生活を習うはよく、

 よきことばになじむはよい。

 これが人間最上の幸福である。

 よく父と母とに仕うるはよく、

 妻や子を慈しみ養うはよく、

 ただしき生業(なりわい)にはげむはよい。

 これが人間最上の幸福である。

 布施をなし、戒律をたもち、

 血縁の人々をめぐみたすけ、

 恥ずべきことを行わざるはよい。

 これが人間最上の幸福である。

 悪しき業を楽しみとしてはならぬ。

 酒を飲まば程をすごしてはならぬ。

 もろもろの事に於て放逸であってはならぬ。

 これが人間最上の幸福である。

 他人(ひと)を敬い、みずからへりくだるはよく、

 足るを知って、恩をおもうはよく、

 時ありて教法(おしえ)を聞くはよい。

 これが人間最上の幸福である。

 事忍び、柔和なるはよく、

 しばしば沙門を訪れまみえて、

 時ありて法を語り談ずるはよい。

 これが人間最上の幸福である。

 よく自己(おのれ)を制し、清浄なる行ないをおさめ、

 4つのまことの道理を証(さと)りて、

 ついに涅槃を実現することを得なば、

 人間の幸福はこれに勝るものはない。

 その時人は、毀誉と褒貶とによって心を擾(みだ)されることもなく、

 得ると得ざるとによりて心を動かさるることもなく、

 愁いもなく、瞋(いか)りもなく、ただこの上もなき安穏(やすらぎ)の中にある。

 人間の幸福はこれに勝るものはない。

 人よくかくの如きを行ないおわらば、

 いずこにあるも打ち勝たるることなく、

 いずこにゆくも幸いゆたかならん。

 かかる人々にこそ最上の幸福はあるであろう」(148~152頁)

 第12章 常恒(つね)なるもの無しー諸行無常

■「比丘よ、この世のものには、常恒にして永住するもの、いつでも変易しないというものはまったくない」

 そう答えてから、釈尊は、そのあたりの土をすこしつまんで、爪のうえにのせて比丘のまえに示しながら、さらに語っていった。

 「比丘よ、たったこれったけの物といえども、常恒永住にして、変易せざるものとては、この世に存しないのである。もし比丘よ、この爪のうえの土ほどのものでも、永住常恒にして変易せざるものが存するならば、わたしの教える情浄の行によって、よく苦を滅しつくすことはできないであろう。だが比丘よ、この世には、この土ほどのものといえども、常恒にして変わることのないものはないからして、わたしの教えるこの道によって、よく苦を滅しつくすことができるのである」

 そして釈尊は、さらに受(感受)についても、想(表象)についても、行(意志)についても、識(意識)についても、おなじ趣旨のことをくりかえしした。すなわち、この世界におけるあらゆる物質(色)もまた精神(受・想・行・識)も、すべて常恒ならぬものであり、移ろうものであるとの見解を、ここに釈尊は披歴せられ、そうであるがゆえにこそ、わが説き教えるこの道が、はじめて可能となるのだと語っているのである。

 この短い経は、なにげなく読み去りゆけば、なんの変哲もないように思われる。そこには、例によって、仏教の無常感が語られているにすぎないと思われるのみであろう。だが、心して再読すれば、そこには釈尊が、自己の教法のよってたつ根本的立場を、さらりと打ち出して語っていることが知られるであろう。「もしもこの世に、この爪のうえの土ほどの物でも、永住常恒にして移ろわざるものがありとするならば、わたしの教えるこの道はなることを得ないであろう」と釈尊は語っている。そのことは、仏教というこの宗教が、まったく「常恒なるもの無し」とする世界解釈のうえに立っていることを語っている。もしも、一毫(ごう)といえども常恒なるものがありとするならば、この宗教はそのよりて立つところを失うのだ、と言っているのである。(153~154頁)

■「善い哉、世尊よ、願わくばわがために、略して法を説きたまえ。わたしは世尊より法を聞きて、ひとり静かなる処におもむき、放逸ならずして、精進し努力したいと思います」

 「阿難よ、では、なんじは、如何に思うか。物象(もの、色)は、常恒であると思うか。無常であると思うか」

 「大徳よ、それは無常であります」

 「では、無常であるならば、苦であろうか、楽であろうか」

 「大徳よ、それは苦であります」

 「ではさらに、無常にして苦なる、それらの変易するものは、これを観察して、これはわが物(mama 我所)である。これはわがわれ(me atta 我体)であるとなすことを得るであろうか」

 「大徳よ、それはできませぬ」

 さらに釈尊は、受(感受)についても、想(表象)についても、行(意志)についても、識(意識)についても、おなじようにたずねる。それに対して、アーナンダの答えもまた、そのいずれについてもおなじであった。

 そこで釈尊は、彼のために教えて言った。

 「そのゆえに、阿難よ、われらは一切を厭い離れねばならぬ。一切を厭い離るれば、欲を離れることができる。欲を離るれば、解脱することができる。すでに解脱するに至れば、ーーわれは解脱したのである。ーーとの智が生ずる。かくてーーわが迷妄の生涯はすでに終わった。わが清浄の行はすでになった。わが作(な)すべきことはすでになされた。このうえは、さらにかくのごとき生涯をくりかえすことはないであろう。ーーと証知することができるのである」

 それでこの短い経は終わっているのであるが、この問答と教示とは、その中にほとんど基本的な構造の全体をふくんでいる。すなわち、無常と苦と無我と、そして厭離と解脱とに言及しているのである。しこうして、その問答の部分すなわち無常観と苦観と無我観とについては、釈尊の弟子の比丘たちは、問われればいつでも、この問答とおなじ型で、すらすらと答えることができた。したがって、ふるい経典の中には、いくたびとなく、型もことばもおなじ問答がくりかえし記されている。(157~158頁)

■さて、この世に常恒なるもの一もあることなし、物質(色)も精神(受・想・行・識)もすべて変転するもの、無常なるものであるとして、では、いかにして、さきの問答における、

 「では、無常であるならば、苦であろうか、楽であろうか」

 「大徳よ、それは苦であります」

という公式は成立するのであろうか。さらに釈尊は、多くの説法の中において、そのことをもっと簡勁(けい、つよい)に、

 「およそ無常なるもの、そは苦なり」

と説いているが、かかる命題はいかなる推理によって成立しているのであろうか。おそらく、そのことは、初期の教団の比丘たちにとっては、ほとんど自明の理にひとしいものであったであろう。(159頁)

■「ここに大徳よ、わたしは独り坐し静かに思索しているとき、心のなかにかような疑問が起こりました。それは、ーー世尊は3つの種類の感受を説きたもうた。それは楽受(楽しとする感情を生ずること)と苦受(苦しとする感情を生ずること)と非楽非苦受とであって、世尊はこの3種の受を説きたもうた。しかるに、世尊はまた、およそいかなる感受も、それは結局苦であると、かく説きたもうた。いったいそれは、いかなる意味をふくんでいるのであろうか。ーーということであります」

 その比丘の名は知られていないが、この疑問の趣旨は、今日のわたしどもにも身近な親しみを感ずることができる。彼は「世尊は3種の受を説きたもうたのに」と語っている。今日のわたしどもには、「世の中には苦しいこともあれば、また楽しいこともあるのに、何をすれば釈尊は『すべては苦である』と説きたもうのであるか」と疑われる。その疑いは、彼においても、またわたしどもにおいても、詮ずるところ、おなじ筋のものということができよう。それに対して、釈尊はかように答えている。

 「善い哉、比丘よ。善い哉、比丘よ。なるほど、わたしは3つの種類の受があると説いた。それは楽受と苦受と非苦非楽受とであって、わたしはその3種の感受があると説いた。しかるに、わたしはまた、およそいかなる感受も、所詮ことごとく苦であると説いた。それは何故であるかというに、比丘よ、わたしはこれを諸行の無常なることについて語ったのである。比丘よ、一切の諸行は変易するものであるがゆえに、わたしは、およそいかなる感受も、つまるところみなことごとく苦に帰すると説くのである」

そして、漢訳においては、さらに偈を説いて、

 「諸行は無常にして、

 皆これ変易の法なることを知る。

 ゆえに受はことごとく苦なりと説く。

 さとれるもの(正覚)の知るところなり」

と教えたもうたという。(160~161頁)

■だが、諸行は無常にして、常恒なるものは一つもありうることを得ない。愛する者とはいつかは別離しなければならぬ。美しい物は美しいほど、移ろうこともまた速やかである。そのときには人はまた涙さんぜんと悲しまねばならぬ。では、楽受もまたやがて苦受となって、彼を裏切るのではないか。なんとなれば、諸行は無常であるからである。常恒なるものは一つもありえないからである。そのことを釈尊は、しばしば「受の縁より愛生ず。これ苦の生起なり」と、簡明率直に語っておられる。かくて諸行無常の理のうえに立ってみると、いかなる受もすべて、所詮は苦に帰するのだと言わねばならぬのである。(162頁)

■それは、かれサーリプッタが、マガダ国のとある村にいたときのことであった。そのとき、一人の外道の修行者のジャンブカーダカなるものが彼を訪ねきたって、このような会話を交したことがあった。

 「友サーリプッタよ、〈苦、苦〉というが、いったい苦というものは何であるか」

 「友よ、これらの3つのものが苦である。それは苦々性のもの、壊苦性のもの、行苦性のものである。友よ、この3つのものが苦であると称せられる」

 苦(dukkah)ということばは1つであっても、人々がそれによって意味するものは必ずしも同一ではあるまい。ある人はその貧しくして苦しいことを苦とするであろう。それは貧苦を苦といっているのである。またある人はその罪ふかきことを自覚して思い悩んでいることもあろう。それは罪苦と呼ばれたこともあった。あるいは愛児をうしなった人は、そのことを悲しむであろう。事業に失敗した者は、そのことに苦しみ悩むであろう。さらに、病の床に呻吟している人々は、それを苦しんでいるにちがいない。

 ことばはおなじく苦であっても、それによりて意味し、そのために苦しみ悲しみ悩んでいるものは、人それぞれによってさまざまに異なっている。しかるとすれば、釈尊がそれによって意味せられた「苦」というのは、いったい何であったのだろう。そのことを的確に知っておかなかったならば、わたしどもはあるいは、釈尊の真に与えんとするものを取りちがえ、期待すべからざるものを仏教に期待するのおそれなしとなし得ない。(163~164頁)

■さていまサーリプッタは、外道の修行者の問いに答えて、いうところの苦なるものを、3つの性格に分類して語っている。それは苦々性と壊苦性と行苦性とであって、「この3つのものが苦であると称せられる」と言い切っている。苦々性とは、苦事の成るによって苦悩を生ずるもの、たとえば寒さ暑さのごとき、あるいは飢え渇きのごとき、これが生ずれば、これを受くるものは当然苦しまねばならぬ。かかるものを苦々性の苦というのであって、それはもっとも素朴にして直接的な苦と言ってよいであろう。つぎに、壊苦性とは、おのれの愛楽するものの壊するによって苦悩を生ずるがごときもの、たとえば、愛する妻や子が死んだという場合、あるいは美しいと思う花が散ってゆくとき、そこには当然悲しみが湧き、憂いが生ずる。かくて、「楽境の壊するとき壊苦を生ず」という命題がそこにある。さらに、行苦性とは、「一切法の遷流し無常なるによりて苦悩を生ずる」ものと注されることができるであろう。たとえば、いつまでも若くありたいとねがっているのに、わたしどもはいつの間にか老いゆかねばならぬ。いつまでも生きていたいと思われるのに、わたしどもはやがて死んでゆかねばならぬ、それらは何よりもまず生老病死の四苦にとって代表せられる。(164頁)

■いうまでもなく、それらのことはすべて、万象ことごとく変易せざるはないという事実のうえになるものにほかならなかった。そこに、「およそ無常なるもの、そは苦なり(岡野注;その苦も無常である)」と簡明に説き給うた釈尊のことばが、寸毫のあますところなく、このことを言いつくしていることが知られるであろう。(165頁)

■「比丘たちよ、よく聞き、よく思ってみるがよい。未だ正法を聞かざる凡夫は2種の受を感ずる。それは身における受と心における受とである。それはたとうれば、第一の箭(や)をもって刺され、さらに第二の箭をもって刺されるに似ている。彼はいまだ正法を了知せざるがゆえに、もし五欲において楽受をうければ、それに愛執するがゆえに、さらにたちまち浴貧の煩悩の縛するところとなる。またもし苦受をうくることあれば、それに対して瞋恚(いかり)を生ずるがゆえに、また瞋恚のとらうるところとなる。

  それに反して、すでに教法を聞くことを得たる聖弟子は、ただ一つの受を感ずるのみである。すなわち彼は、身における受は感ずるけれども、心における受を感ずることはないであろう。これをたとうれば、第一の箭をもって刺され、されど第二の箭を受くることなきに似ている。なんとなれば、彼はすでに正法を知るがゆえに、もし五欲において楽受を受けても、彼はこれを愛執することなきがゆえに、その心をさわがしその意を乱すにいたらず。またもし苦受を味わうことがあっても、彼はそれに対して瞋恚を生ずることなきがゆえに、また煩悩の擾乱(じょうらん)するところがない。これを第二の箭を受くることなしというのである」

 わたしどもは、ともすれば、仏陀もしくは阿羅漢といえば、苦楽ともに滅しつくして、寒厳枯木のごとき存在となりきっているかに考えがちである。だが、釈尊のこの説法は、明らかに、そのような考え方は間違いであることを語っている。聖者といえども、聖弟子といえども、凡俗の人々とおなじように、「楽受をも感じ、苦受をも感じ、非苦非楽受をも感ずる」のである。美しいものを見ては美しいと感じ、愛(いと)しいものを見ては愛しいと感ずる。また、醜いものをみれば醜いと感じ、憎いものをみれば憎いと感ずる。そのことは少しも異なるところがない。だが、彼らはけっして「第二の箭」をうけないのである。「第二の箭」を受けざるがゆえに、苦受もまた楽受も、さらに彼らの心の平和をかき乱すにいたらないと釈尊は説いている。(166~167頁)

 第13章 自己についてー諸法無我

■「われというものはない。

 また、わがものというものもない。

 すでにわれなしと知らば、

 何によってか、わがものがあろうか。

 もし、このように解することを得れば、

 よく煩悩を断つことを得るであろう」(168頁)

■「無知にして愚かなる者は、

 おのれに対して仇敵のごとくふるまう。

 なんとなれば、彼は悪しき業をおこない、

 おのがうえに苦果をもたらすがゆえに」(174頁)

■「おのれを愛すべきものと知らば、

 おのれを悪に結びつくるなかれ。

 けだし、悪しき業をなす人々には、

 安楽は得がたきものなればなり」(174~175頁)

■人々はたいてい、その肉体をゆびさして、それが「われ」であると思っている。そのことをゆびさして、釈尊は、「彼らは、色(もの)がわれである、われは色を有す、われの中に色がある、色の中にわれがある、と見ているであろう。それが迷いのもとである」と教えている。

 だが、よく考えてみると、わたしどもにも、そのことが間違いであることがわからぬでもなかろう。わたしどもはけっして、わが手をゆびさして、われであるとはいわない。わが足がわれであるともいわない。わが胃がわれであるともいえない。釈尊はそういうときに、よく芭蕉のたとえを説かれている。芭蕉というものは、そのどこにひそんでいるのであろうかと、いくら皮をむいてみても、何にも出て来はしないであろう。それとおなじように、肉体(色)のどこをさがしてみても、これが「われ」であるといえるものは、何処にもみつかりはしない。そのことを、釈尊は、「色はわれなり」とみるのは、正しい見方ではないと教えている。(岡野注;ミリンダ王の問い)(177頁)

 第14章 わが衷(うち)なる悪しきものー悪魔物語

■「たとい雪山を化して黄金となし、

 さらにこれを2倍すといえども、

 よく一人の欲をみたすに足らず。

 かく知りて、人は正しく行わねばならぬ。

 人間の苦しみとその原因をさとる者は

 いかでか、かかる欲貧(よくとん)に傾こうぞ。

 物欲に依る者は物欲に縛せられる。

 人はよくその縛を解くことを学ばねがならぬ」(184頁)

 第16章 庶民とともにー対機説法(2)

■「たとえば、もろもろの大河あり。いわくガンガー、ヤムナー、アチラヴァテー、サラブー、マヒーなり。これらは大海にいたらば、さきの名姓(なまえ)をすててただ大海とのみ号す。かくのごとく、刹帝利(クシャトリヤ、王族武人)波羅門(司祭者)吠舎(ヴァイシャ、庶民)首陀羅(シュードラ、奴隷)の4姓あり。されど彼らは、如来所説の法と律とに於て出家せば、さきの姓名をすてて、ただ沙門釈氏とのみ号する」(209頁)

■ある役者のために

 またある時のこと、釈尊がかの王舎城の郊外なる竹林の園にあった頃、タラプタというある村の長がたずねてきたことがあった。彼の村は、代々芝居の役者を業とするものの村であったらしく、経のことばは彼のことを歌舞伎聚落の主であると記している。

 さて、彼が釈尊を訪れて問うたことは、その村の代々の言い伝えについてのことであった。

 「大徳よ、わたしは、昔から代々の歌舞伎者の言いつたえとして、かように聞いております。すなわち、すべてこの歌舞伎者は、舞台において真実と偽装とをもって人々を笑い楽しましむるがゆえに、身壊(こわ)れ命終りし後には、喜笑天に生まれることができると、かように聞いておりますが、世尊はこれについて如何にお考えでありましょうか」

 だが釈尊は、このように問われても、すぐには答えようとしなかった。

 「村の長よ、そんなことを問うのは、止めたがよいであろう。わたしにそんなことを聞くのは措(お)いたがよい」

 それでも彼は、問うことをやめなかった。経のことばはそれについて何ごとも記していないが、おそらく彼は、この言いつたえについて、何か疑いをもち始めていたのではなかったであろうか。そのゆえにこそ、彼はわざわざ釈尊を訪れて、このことについて教えを乞わんとするのではなかったか。釈尊は2度までも、問うことを止めよ、とすすめた。彼はそれを押し切って、3度びおなじ質問をもって釈尊の教えを乞うた。そこで釈尊は、それほどまでに問うならばと、大体つぎのように説いたのであった。

 「村の長よ、昔から歌舞伎者は、よく真実と偽装とをもって人々を笑い楽しまましめるがゆえに、死しての後は喜笑天に生まれる、と言い伝えているというが、それは邪(よこし)まの見解であると申さねばならぬ。なんとなれば、昔から歌舞伎者のしていることを考えてみるがよい。歌舞伎を見ようとして集まってくる人々は、まだけっして貪欲をはなれてはいない。その人々のまえに役者たちは、あらゆる貪欲の対象をあつめ展じ、かつそれを強調して人々の心をかきたてる。また彼らは、いまだ瞋恚(しんい)をぬけきらぬ人々のまえに、あらゆる瞋恚のさまを演じ示して、人々の激情をかきたてる。さらにまた、彼らはいまだ愚痴を脱しきれぬ人々をまえにして、さまざまの愚痴のすがたを演出して、いよいよ人々の愚痴をふかからしめる。かくのごとく、村の長よ、歌舞伎者はみずから貪欲に、瞋恚に、愚痴に陶酔して、それによってまた他の人々をも貪欲に、瞋恚に、愚痴に陶酔せしめるのである。されば彼らは、死して後には、喜笑と名づくる地獄におちるであろう」

 それを聞いて、タラブタなる歌舞伎聚落の主は、涙をながして泣き悲しんだ。その姿をみて、釈尊は、しずかに慈眼を彼にそそぎ、

 「だからこそ、村の長よ、そのようなことはわたしに聞かぬがよいと言ったではないか」

となぐさめ給うた。すると、かのタラブタは、やがて涙にぬれた顔をあげていった。

 「大徳よ、わたしは世尊の教えたもうたことを悲しんで泣いているのではありません。わたしが悲しいのは、これまで歌舞伎役者の言い伝えに、ながい間だまされていたことであります。だが、いま世尊のおしえは、蔽(おお)われしものを啓(ひら)くがごとく、迷える者に道を示すがごとく、暗中に燈火をもたらして、眼のあるものは見よと仰せらるるがように、わたしのひさしい蒙を啓いて下さいました。わたしはいまや、世尊と世尊の教法と比丘衆に帰依いたします。大徳よ、願わくは、このわたしが世尊のもとに出家を許され、修行することを許したまえ」

 かくて彼は、出家を許され、修行をかさねて、やがて阿羅漢の一人となることを得たという。この経は、南伝においては相応部教典(42、2、布吒)に、また漢訳においては僧阿含経(32、2、動揺)の中にみえている。(213~215頁)

■もう一つは、ここに釈尊は、ほんの片鱗だけではあるが、その芸術論を語っておられることである。そのような見解は、経の他の処では殆んどみることがないのではあるが、ここでは、はからずも、歌舞伎者の問いに際会して、歌舞伎なるものを演ずる人生における役割について、釈尊らしい見解を説いていられる。それは、今日の芸術にたずさわる人々からみれば、やや一面的であって、容易に承服しがたいものであろうと思われる。しかし、今日の文学や演劇や音楽もまた、そのあまりに人々の官能に訴え、人々の衝動をかきたてようとしていることにおいて、真面目によき人生の建立を考える人々の納得しがたいものが多いことを、誰も否定することはできないのであるまいか。(216頁)

 第17章 譬喩(たとえ)をもって

■「比丘たちよ、ここに一枚の布があって、それは穢(よご)れ垢づいているとするがよい。それを染物工が、藍色なり、黄色なり、あるいは茜色なりに、染めようとて、染色の壺のなかに浸したとしたならば、いかがであろうか。その時、この布は染色もあざやかに染め上がるであろうか。そうはゆくまい。何故かというと、それはいうまでもなく、布が清浄でないからである。それとおなじように、比丘たちよ、なんじらの心が穢れていたならば、悪しき結果が予期せられねばならぬのである」(221頁)

■「比丘たちよ、では心のけがれとは何であろうか。欲のむさぼり、邪(よこしま)の貧欲は心のかがれである。喩(いか)りは心のけがれであり、恨みは心のけがれであり、過ちをかくすは心のけがれであり、吝(おし)んで施さぬは心のけがれであり、偽り瞞(だま)すことも心のけがれである。また、心の頑(かたく)ななるも心の汚れであり、性急なるも心の汚れであり、慢(おご)り憍(たか)ぶるも心の汚れであり、放逸なるもまた心のけがれである」(223頁)

■それは、世尊が、比丘たちをつれて、ヴァッジーの国をあちこちと遊行せられて、ウッカチューラーという土地で、かのガンガーの河岸に達した時のことであった。その時、釈尊は、比丘たちとともにガンガーの河の岸にたって、その状景にふさわしい譬喩を説いた。

 「比丘たちよ、むかしマガダの国に、ひとりの愚かしい牛飼いがあった。雨期の最後の月をすぎて、彼は、牛の群れをつれて、このガンガーの彼(か)の岸に渡ろうとした。しかるに彼は、この岸をもよく観察せず、適当な渡場でないところを、牛を駆って流れに入ったために、牛の群は河流の中程にいたって立往生し、密集して溺死するという災厄にあってしまったという。それは何のゆえであったかというと、よく観察しなかったからに外ならなかったのである」

 そのような喩(たと)え話をして、そこで釈尊は、比丘たちをかえりみて言った。

 「それとおなじく、比丘たちよ、いかなる沙門にあれ、また波羅門にあれ、もし彼らがこの世界をよく知らず、また、かの世界をもよく知らず、観察のいたらぬものがあったならば、彼らにしたがって聴いて信ぜんとするする人々は、ながき不幸を見なければならぬであろう」(222~223頁)

■「比丘たちよ、むかし、またマガダの国に、ひとりの智慧ある牛飼いがあった。彼もまた、雨期の最後の月をすぎて、牛の群をひきいて、ガンガーの彼の岸に渡ろうとした。そのとき彼は、この岸をよく観察し、またかの岸をよく観察して、しかるべき渡場によって、牛どもを対岸に渡そうとした。すなわち、彼はまず、牛どもの中でもっともつよいものを選んで、それらを流れに入れ、よく流れを横切って、安全にかの岸に到らしめた。つぎに彼は、牛の群の中で比較的につよいもの、よく飼いならされたものを流れに入れて、またよく河の流れをこえて、無事にかの岸にいたらしめた。そして最後には、まだ力の弱い犢(こうし)たちや、乳ばなれしたばかりの牛どもを流れに入れたのであるが、彼らもまた、すでにかの岸にわたった親牛たちの吼える声にひかれ励まされて、無事に河の流れをよぎって、かの岸に到り着くことを得しめたという。それは何のゆえであったかというに、彼がよく観察しよく導くことを得たからに外ならないのである」(228~229頁)

■「比丘たちよ、それとおなじく、いかなる沙門にあれ、また波羅門にあれ、彼らがもし、この世界をよく知りつくし、またかの世界をもよく知りつくし、観察充分にして、導くことをうるならば、彼らについて、聴いて信ぜんとする人々は、ながき幸福をみることをうるであろう。

  比丘たちよ、牛の群の中で、最初にガンガーの流れを渡った力づよい牛たちのごとく、比丘たちのなかでも、すでに煩悩を断ち、修行をみたし、所作すでに弁じおわった者もある。彼らはすでに魔の流れをよぎって、安穏に彼岸にある。また比丘たちよ、かの牛の群の中で、よく馴らされ、比較的つよい牛たちが、ついで流れをこえることを得たように、比丘たちの中でも、すでに三結を断ち、貪瞋痴もうすく、正覚決定せる者もある。彼らもまた、やがて魔の流れをよぎって、無事に彼岸に到るであろう。さらにまた、比丘たちよ、乳離れしたばかりの牛や、いまだ力かよわい犢たちも、すでに彼の岸にある母牛たちの呼び吼える声に惹かれ励まされて、ついに流れを渡りえたように、比丘たちの中にあっても、いまだ煩悩つよく、修行の力よわき者もあれど、彼らも、また、よく法に随い、信に依らば、やがては魔の流れをこえて、彼の岸にいたることができよう。

  比丘たちよ、わたしはよくこの世界を観察した。またよくかの世界を観察した。すべての世界を知りつくして、わたしは正覚者、一切知者となった。されば比丘たちよ、このわたしについて聴いて信ぜんとする者は、ながく利益と幸福とを見ることができるであろう」(229~230頁)

■釈尊の譬喩をかたる場合に、わたしどもは、かの「毒箭(や)の譬喩を語りおとすことはできない。それはこの仏の道においては、何ごとに努力を集中すべきであるか、何ごとに心をうばわれてはならないかについて、はなはだ適切な教誡を垂れさせ給うたものである。その説法の因縁をつくったのは、マールンクヤという哲学ずきの比丘であった。

 それは、例のごとく、釈尊が祇園精舎にあらわれた時であった。その時、かの比丘は、一つの不満をもって、師を訪れ、師の前に坐して言った。

 「世尊よ、わたしは、ひとり空閑処(くううかんじょ)に坐しているとき、心の中でかように思った。世尊は、このような問題については一向に説かれない。すなわち、この世界は常住であるか無常であるか。この世界には辺際ありやなしや。霊魂と身体とは同じであるか別なるか。あるいは、人は死後もなお存するか存せざるか。このような問題について、世尊は何ごとも説いて下さらない。問えば答えることを拒みたもう。わたしはそれが不満であって、堪えられない。いまわたしは、かさねて世尊に問い申す。それでも答えたまわずば、わたしはこの道をすてて俗に還るのほかはない」

 ここでマールンクヤが言うところの問題なるものは、その頃の思想家たちの、いわば流行の課題であった。この哲学ずきの比丘は、それらの問題についてすぐれた解答をこの師に期待していたのであろう。だが、他の経においてもしばしばみられるように、それらの問題にたいして、釈尊はいつも黙念として答えなかった。この比丘はそのことを不服として、今日はどうしても答えを得ようと、意気ごんでやって来たのである。

 「マールンクヤよ、わたしはかってなんじに、このような問題について教えるがゆえ、わたしの許に来るがよいと言ったことでもあったであろうか」

 そう言われてみると、別にそのような約束で出家したわけではなかった。だから、「そうではなかった」と答えはしたものの、彼は不服そうな顔をふくらませていたに違いない。そのとき、静かに、そして懇切に語りいでた譬喩が、「毒箭の喩」としてひろく知られているのである。

 「マールンクヤよ、ここに人があって、毒矢に射られたとするがよい。その時、彼の親友たちは、彼のために医者を迎えるであろう。だが彼は、この毒矢を射た者は何びとであるか、また、この矢を射た弓はいかなる弓であるか。あるいはまた、この矢は、その矢柄はいかがであり、その羽は何でできており、その尖端はいかなる形をしているか。それらのことが知られざるうちは、この矢を抜いてはならぬと言ったとするならば、いかがであろうか。マールンクヤよ、もしそうすると、彼は、それらのことを知りうるまえに、命終わらねばならぬであろう。

  マールンクヤよ、それとおなじく、もし人あって、かかる問題について説かれざる問は、わたしの許(もと)で清浄の行を修しないと主張したならば、いかがであろうか。彼もまた、ついに浄行を脩する機会なくして、命終わらねばならぬのである」(230~233頁)

■「マールンクヤよ、世界は常住であるとかという見解を立てても、それによって清浄の行が成る道理はない。むしろそれらの見解の存するところには、依然として、生老病死、愁悲苦悩がとどまり存するであろう。わたしはただ、この現在の生存において、それらを克服することを教えるのである。

  そのゆえに、マールンクヤよ。わたしの説かないことは、説かないままに受持するがよい。わたしの説いたことは、説かれたままに受持するがよい。マールンクヤよ、世界の常住・無常・有辺・無辺などのことは、わたしはこれを説かない。何故に説かないのであるか。それは道理の把握に役立たず、正道の実践に役立たず、正覚・涅槃に資することなきがゆえである。そのゆえに、わたしはそれらのことを説かないのである。

  それでは、マールンクヤよ、わたしの説いたものとは何であろうか。マールンクヤよ、『これは苦である』とわたしは説いた。『これは苦の集起(じっき、原因)である』とわたしは説いた。『これは苦の滅である』とわたしは説いた。また『これは苦の滅にいたる道である』とわたしは説いた。何故にわたしはそれらのことを説いたのであろうか。それは、道理の把握をもたらし、正道の実践に基礎をあたえ、正覚、涅槃に資するがゆえである

  そのゆえに、マールンクヤよ、わたしの説かないことは、説かないままに受持するがよく、わたしの説いたことは、説かれたままに受持するがよいというのである」

 かの比丘は、この譬喩説法によって、それまでの迷妄をはなれ、歓喜して釈尊の教えを信受したという。わたしどももまた、この説法を深く味わうことによって、よく釈尊の教えのまことに指すところを見いだすべきであると思うのである。(232~233頁)

 第18章 善き友とともにー僧伽の精神

■「比丘たちよ、朝な朝な太陽が東にのぼるときには、その先駆として、またその前相として、東の空に明るい相が出るであろう。比丘たちよ、それとおなじく、比丘たちが八つの聖道をおこすときにも、その先駆たり、その前相たるものが存する。それは善き友のあることである。

  比丘たちよ、善き友をもてる比丘においては、八つの聖道を修習し、八つの聖道を多修するであろうことを、期して待つことができる」(237頁)

■「比丘たちよ、ここに一つの法があり、それは八つの聖道をおこすに利益が多い。その一つの法とは何であろうか。それは謂(い)わく、善き友のあることである。

  比丘たちよ、善き友をもてる比丘においては、八つの聖道を修習し、八つの聖道を多修するであろうことを、期して待つことができるのである」(238頁)

■「比丘たちよ、わたしは、未だ生ぜざる八つの聖道を生ぜしめ、すでに生ぜる八つの聖道を修習し円満ならしめるものとして、他にこれにすぐる一つの法をも知らない。比丘たちよ、それはすなわち善き友のあることである。

  比丘たちよ、善き友をもてる比丘においては、八つの聖道を修習し、八つの聖道を多修するであろうことを、期して俟(ま)つことができるであろう」(238~239頁)

■それは、釈尊が釈迦族のすむサッカラという村にとどまり住しておられた時のことであった。その時、かの常随の弟子アーナンダは、ふと師の釈尊を拝して、このようにたずねて言った。

 「大徳よ、善き師匠(善知識)善き友輩(善伴党)善き弟子(善随徒)を有するということは、これは、この聖なる道の修行(梵行)のなかばをなすものであると思われますが、いかがでありましょうか」(239頁)

■「アーナンダよ、この言をなすなかれ。アーナンダよ、この言をなすなかれ。アーナンダよ、善き師、善き友、善き弟子をもつということは、これこの道の聖なる修行のことごとくである。アーナンダよ、善き師、善き友、善き弟子をもてる比丘は、八つの聖道を修習し、八つの聖道を多修するであろうことは、期して俟(ま)つことをうるのである」(240頁)

■「アーナンダよ、この理によっても知るがごとく、善き先達、善き朋輩、善き後輩をもつということは、これこの聖なる道の修行のことごとくである。アーナンダよ、なんじらは、わたしを善き友となすことによって、生・老・病・死の法の中にあるものにして、しかも、その法より解脱することを得・愁・悲・苦・悩の法のなかにあるものにして、しかも、それらの得・愁・悲・苦・悩を解脱しうるのである。このことによってもまた、アーナンダよ、善き先達、善き朋輩、善き後輩をもつということは、この道のすべてであると知るべきである」(240~241頁)

■釈尊を拝し、釈尊に対坐したサーリプッタは、白(もう)して言った。

 「大徳よ、善き師(善知識)、善き友(善伴党)、善き後輩(善随従)をもつことは、これ聖なる修行のすべてであると思われるが、このことはいかがでありましょうか」(241~242頁)

■「善いかな、善いかな、サーリプッタよ、善き師、善き友、善き後輩をもつことは、この道の修行のすべてである」(242頁)

■「大王よ、ある時、わたしは釈迦族のすむある村にいた。その時、大王よ、アーナンダはわたしに問うて、善き友、善き仲間をもつことは、この道の半ばであると思ってよいかと言った」

 ーー中略ーー

 「大王よ、かかるがゆえに、王は、かくのごとく学ばれるがよい。ーーわたしは善き友、善き朋輩、善き仲間をもつものとなろう。ーーと、かく王は努めて学ばれるがよい。大王よ、善き友、善き朋輩、善き仲間をもつものとなるには、この一法に住せなければならぬ。それは即ち、善をなすことにおいて放逸ならざることである。

  大王よ、王がよく不法逸に住し、怠ることがなかったならば、王の後宮はみな、かく思うであろう。ーー王は不放逸に住したまい、怠ることあらせられぬ。われらもまた、不放逸に住し、怠ることがあってはならぬ。ーーと。

  大王よ、また、王がよく、怠ることなく不法逸に住せられたならば、王の武臣たちもまた、かく考えるであろう。ーーわれらの王は怠ることなくよく不放逸に住したもうてあられる。われらもまた、怠るこをせず、不放逸に住せなければならぬ。ーーと。

  さらに、また大王よ、王がよく不法逸にして、怠ることがなかったならば、王の国民たちもまた、かように思うであろう。ーーわれらの王は、よく不放逸にましまし、怠ることあらせられず。われらもまた、怠ることなく、よく勤めねばならぬ。ーーと。

  大王よ、かくのごとく、王がよく不法逸に住し、懈怠することがなければ、自己もよく護られ、後宮もよく護られ、武臣も国民もまた護られることとなるのである」(243~244頁)

 第19章 雑話すべからずー教誡説法

■「激搖する馬車を抑止するがごとく、勃発したる忿怒をよく抑止する人。わたしはこれを真の御者とよぶ」(245頁)

■「比丘たちよ、かかる談義にふけることは、なんじら善き男子の、家よりいでて家なき出家沙門の身となった者にふさわしいことであろうか。比丘たちよ、なんじらが、つどい集まった時には、ただ二つのなすべきことがあるのである。その一つは、法に関する談義、いま一つは、聖なる沈黙である」(248頁)

■わたしはかつて、かの芭蕉翁の『行脚の掟』の一条に、「俳諧のほか雑話すべからず、雑話いでなば、居眠りして労をやしなうべし」とあるを見て、異常な感銘を感じたことがあった。一道に秀(ひい)ずる者の心底に存するものは、これなるかなと思ったことであった。しかるに、いまふとひるがえってみれば、それはすでに、遠き以前に釈尊の教えたところであったのである。(250頁)

■「アーナンダよ、あの漁師たちが魚を獲る時のような、あの声高な喧噪は、何ごとであるか」

 「世尊よ、あれはサーリプッタ(舎利弗)とモッガラーナ(目犍連)のひきいる多勢の比丘たちが、世尊におめもじせんとて、いましがたこの樹園に到着いたしまして、旧住の比丘たちと挨拶を交わし、久々の歓談をたのしんでいるのであります」

 アーナンダ(阿難)があるがままのことを答えると、釈尊は、その主だった者を呼んでくるようにと命じた。

 召された比丘たちが、釈尊を拝して、その座についた時、釈尊は彼らにむかって言った。

 「比丘たちよ、なんじらのあの声高な喧噪は何ごとであるか。まるで漁師たちが魚をとる時のようではないか」

 比丘たちもまた、ありしがままをもって答えるの外はなかった。(251~252頁)

■「比丘たちよ、行け。わたしはなんじらをして去らしめる。なんじらは、わたしの前にあってはならぬ」

 そのことばは、なお、声をはげましての叱咜ではなかったとおもわれる。それにしても、わたしどもは、このようなつよい叱責のことばを、その弟子たちにむかって語った釈尊を、他のどの経にもたずねることはできない。わたしどもはこの師にしてなおかつ、かかる叱咜のことばを吐くかと、この経をひもといて、わが眼をうたがわんばかりである。

 この叱責のことばに遇って、かえすことばももたぬ比丘たちは、ただ「畏まれり」とのみ答えて、師のまえに深く伏しぬかずき、やがて、しおしおと起って、床座をたたみ、衣鉢をととのえて、またこの樹園を去って行った。

 ちょうどその時分、この聚落の釈迦族の人々は、何かの用事で会議所にあつまっていた。見ると、さきほど到着したばかりの比丘たちが、また、とぼとぼと、かの樹園から去ってゆく。何ゆえならんと、いそぎ出て問うてみると、師の叱責を受けて、去らしめられるのだという。

 「しからば、尊者たちは、しばらくここに坐して待っておられるがよい。わたしどもが行ってお詫びしたならば、あるいは大徳のお心を和げることができるかも知れぬ」

 そして、この聚落の釈迦族の人々は、釈尊を訪れて、かの比丘たちのために、このように申しあげた。

 「世尊よ、願わくは、かの比丘たちを歓び迎えられたい。世尊はいつも比丘たちを、快く摂せられたもう。そのごとく、今日もまたかの比丘たちを、許し摂せられたまえ。世尊よ、かの比丘たちの中には、出家してまだ久しからぬ新入の比丘たちも見受けられる。彼らはもしいま世尊を見ることを得なかったならば、あるいは異心を生ぜんやもはかりがたい。

  世尊よ、たとえば、若い種子が水を得なかったならば、その発育は異変を生ずるであろう。そのごとく、出家していまだ久しからぬ比丘たちは、もし世尊を見奉(たてまつ)ることができなかったならば、あるいは変心の生ぜんことも保しがたい。

  世尊よ、また譬えば、幼き子牛が、母牛を見ることができなかったならば、いかがであろうか。それと同じく、もしこの法と律とに入りてなお日浅き比丘たちが、いま世尊を見奉り、世尊の教えに接することができなかったならば、いかがであろうか。

  世尊よ、願わくは、今日の不束(ふつつか)を許したまい、かの比丘たちを、いつものごとく、歓び摂したまえ」

 この釈迦族の人々のことばは、まことに条理をつくしていた。釈迦はじっとそのことばを聞いていたが、やがて心を和らげ、彼らを許し迎えて、さらに一場の説法を彼らのために行なった、という。(252~253頁)

■一つの経によれば、コーサンビーの国ゴーシタ園にあった比丘たちが、何かの問題について、はげしい論諍を行ない、激語を交えて、果つるところを知らなかったとき、釈尊は彼らを召して、問うて言った。

 「比丘たちよ、なんじらは、議論にふけり、たがいに激しいことばを相手になげて、いつまでも和するにいたらずという。それに相違ないか」

 「世尊よ、そうであります」

 「比丘たちよ、それでは、このことをなんじらはいかに思うか。なんじらがたがいに論じ諍(あらそ)い、激しいことばを相手にむかって語るとき、その時、なんじらは、陰にも陽にも、身における慈悲を行ない、口における慈悲をいとなみ、意において慈悲をいただいているであろうか」

 「世尊よ、そうではありません」

 「比丘たちよ、もし然るのでなかったならば、なんじらはそこに何を求めて、たがいに諍い論ずるのであるか。愚かなる者よ、かくのごときはただ、ながき不利と不幸とを招くにいたるであろう」(253~254頁)

■それもおなじコーサンビーの国ゴーシタ園の比丘たちのことであった。彼らの中に、またもや、紛諍をおこし、激越の語をもって相争うものがあった。そのことを、一人の比丘が釈尊に報じ、釈尊に乞うて言った。

 「世尊よ、願わくは、慈愍(びん、あわれみ)をたれたまい、彼らの許にいたって、教えをたまわらんことを」

 そこで釈尊は彼らの許にいたり、彼らに呼びかけて言った。

 その時、その坐にあった一人の比丘は、釈尊のことばをおさえとどめて釈尊に申して言った。

 「あわれ比丘たちよ、諍論することなかれ、異論することなかれ……」

 「世尊よ、われらの法の主にまします世尊は待たらせられよ。世尊はかかることにギョウ(女へんに堯)乱せられてはならぬ。われらは応(まさ)にみずからこの紛諍を鎮めるであろう」

 かの比丘は、釈尊がかかることに心労されるのを見るに忍びず、断じて自分たちだけで、この事を処理せねばならぬと思ったのである。それは釈尊にとっても、うれしい比丘たちの心づかいであった。

 ではと、釈尊は、その場を去って、やがて衣鉢をととのえ、コーサンピーの町に托鉢におもむきたもうた。その途すがらこの師はつぎのような偈を誦(しょう)したもうたという。その偈の一部は、いまかの『法句経』の第三偈と第四偈にも、記しとどめられていることを知るものもあろう。(255頁)

■「ひとわれを罵(ののし)れり、われをうてり、

 われに打ち勝てり、われを笑えりと、

 およそかくのごとく怨み思う者には、

 いつまでも敵意の鎮まることなし。

 ひとわれを罵(ののし)れり、われを擲(う)てり、

 われは打ち勝たれ、われは笑われたりと、

 およそかかる怨念あることなき者には、

 いつか敵意は鎮まるであろう。

 他人の牛馬、財産をかすめる者、

 他の国土を掠奪する人々にも、

 なお和するということがある。

 いかでかなんじらに和することなかるべき。

 もしなんじら、よき友をもつことを得、

 賢にして慧ある同行者を得なば、

 一切の艱難(かんなん)にうちかちて、

 ともに歓喜し、ともに行ずるがよい。

 もしなんじら、よき友をもつことを得ず、

 賢にして慧ある同行者を得ずんば、

 林中をゆくかの大象のごとく、

 ただ一人にして、独り往くがよい」(256~257頁)

 第20章 貴賎と吉凶

■それらの経の一つ、『賎民経』と称する経においては、釈尊もまた、「似而非(えせ)沙門」となじられ、「賤しき者」と呼ばれたことがあった。それは、例によって、釈尊がサーヴァッティー(舎衛城)の郊外なる祗陀林の精舎にあらわれたことであった。ある朝のこと、釈尊がサーヴァッティーの町に托鉢におもむき、たまたまある波羅門の住居に近づくと、いきなり、罵(ののし)る声があびせかけられた。

 「坊主よ、そこにとどまれ。えせ沙門よ、そこにとどまれ。賤しき者は、そこにとどまって、この神聖なる場所に近づいてはならぬ」

 その波羅門は、事火(じか)すなわち火をたっとび、火をまつることを業とするものであって、いまや、その住居において、神火を点じ、供物をそなえて、事火の祭式をいとなもうとするところであった。そこに、行乞する釈尊が近づいて来たので、「賤しき者よ、この神聖な場所に近づいてはならぬ」と罵り叫んだのであった。だが、その時、釈尊は、静かにかの波羅門に問うていった。

 「波羅門よ、しからばなんじは、賎しい者とは何であるか、また人はいかなることをなせば、賤しき者であるか、知っているか」

 そう問われてみると、彼は、すぐに答えることはできなかった。そのような問題について深く考えてみたこともなかった。急所をつかれて、たじたじとしたのである。

 「沙門よ、わたしは何が賤しいか、どうすれば賎しい人になるか、答えることができない。沙門よ、それについて、なんじの考えを教えて下さるまいか」(258頁)

■「村に於て、あるいは林園に於て、

 他の人の所有に属する物を、

 与えられざるに、盗心をもて盗る者、

 かかる人は賤しいと知るべきである。

 他人に負債をもてる者が、

 返済を迫られ、遁辞をかまえて、

 なんじに負債あることなしと言う、

 かかる人は賤しいと知らねばならぬ。

 証人として問われたる時に、

 自己のために、また他人のために、

 また財のために虚偽を語る人、

 かかる人は賤しいと知るがよい。

 まことに些少なる欲のために、

 道ゆく人々を殺害して、

 些少の金品を奪うがごとき者、

 かかる者は賤しい人と知るがよい」(259~260頁)

■「年老いて人生のさかりを過ぎし

 母たる人、もしくは父たる人を、

 みずからは富裕に暮らしながら扶養せぬ者、

 かかる人は賤しいと言わねばならぬ。

 母や父や、また兄弟姉妹を

 あるいはことばをもって悩まし、

 あるいは手をもって打擲する、

 かかる人は賤しいと言わねばならぬ。

 みずから悪しき行為をなしながら、

 このこと知らざれと願い、

 隠匿せんことに心をくだく人、

 かかる人は賤しいと言わねばならぬ」(261~262頁)

■「おのれを高くほめそやし、

 たにんをけなし軽んずる者は、

 自慢のためにかえって卑賎に堕す。

 かかる人もまた賤しいと言わねばならぬ。

 まことは聖者にあらずして、

 みずから聖者なりと公言する者は、

 一切世間をあざむく賊であって、

 かかる者は実に最下の賎民である」(262頁)

■「人は、生まれによって賎民たるにあらず、

 生まれによって波羅門たるのではない。

 人は、行為によって賎民となり、

 行為によって波羅門となるのである」(263頁)

■「人は、生まれによりて聖者たるにあらず、

 生まれによって非聖者たるにあらず。

 人は、行為によりて聖者となり、

 行為によて非聖者となるのである」(264頁)

■「これら生物がその生まれによって、

 相形の別さまざまなるがごとき、

 生まれによる相形の別なるものは、

 人間においては見ることを得ぬ」(265頁)

■「蓮の葉が水に染まることなきがごとく、

 芥子粒が錐(きり)の尖にとどまらぬがごとく、

 もろもろの欲に染著せざる者、

 かかる人をわたしは波羅門という」(266頁)

■「違背(いはい)する人々の中にて違背せず

 笞(むち)を執(と)れる人々の中にて笞をとらず、

 取著をいだく人々の中にて取著なき、

 かかる人をわたしは波羅門という」(266~267頁)

■彼らはそれによって、聖者とは、波羅門とは、まことに尊貴なる人間とは何であるかを、「暗(やみ)の中に燈火をもたらして『眼ある者はこれを見よ』というがごとく」に教え示されて、彼らもまた、生涯を在俗の信者として、釈尊にしたがうものとなったと、経のことばは結ばれている。(267頁)

■「カチて存(のこ)る者を知るは易い。

 敗れ亡ぶる者を知ることも易しい。

 法を欲する者が勝ち存(のこ)る者となり、

 法を欲せぬ者が亡ぶる者となる」(268頁)

■「睡眠を事とし、集会を好み、

 懶惰(らんだ)にして奮起することなく、

 しかも亊々に忿(いかり)をなす人、

 これが敗れ亡ぶる者の門である」(269頁)

■「多くの財を擁し、金銀をたくわえ、

 ゆたかな飲食をほしいままにし、

 しかも、ひとり美味をむさぼる、

 これが敗亡にいたる門である。

 年老いて人生の盛時(さかり)をすぎし、

 母たる人、また父たる人を、

 みずからは富裕に暮しながら扶養せぬ者、

 これが敗亡にいたる門である」(270頁)

■「おのが妻をもって満足せず、

 もろもろの遊女にまみえ、

 また他人の妻女にゆく者、

 これは敗亡への門であると知るがよい。

 青春をすぎたる人が、

 テインパル果のごとき乳房の女をもち、

 彼女への嫉妬のため夜も眠らず、

 これは敗亡への門であると知るがよい」(270~271頁)

■「刹帝利(武族)の家に生まれたる者が、

 財は小に、渇愛は大に、

 この世に不可能なる王位を希う。

 これは敗亡への門と知らねばならぬ」(271頁)

 第21章 法を見るものはわれを見る

■「比丘たちよ、なんじらは、わたしの法の相続者とならねばならぬ。財の相続者となってはならぬ。わたしはなんじらを憐愍(れんみん)して、わが弟子たちは法の相続者たれかし、財の相続者たることなかれかし、と願っているのである。

  比丘たちよ、もしなんじらが、わたしの財の相続者となり、法の相続者とならなかったならば、なんじらはそれによって、他人より指さされ、かの師の弟子たちは、財の相続者にして法の相続者にあらず、と批評せられるであろう。わたしもまたそれによって、他人に指さされ、かの師の弟子たちは、財の相続者であって法の相続者にはあらず、と評されるであろう。

  比丘たちよ、さればなんじらは、心してわたしの法の相続者とならねばならぬ。財の相続者となってはならない。さすれば、なんじらも、またわたしも、他人の指弾を受け、かの師の弟子たちは財の相続者であって、法の相続者ではないなどと、非難せられることはないであろう。そのゆえに、わたしはここに、なんじらはわたしの法の相続者たれ、財の相続者たるなかれ、と説くのである」(272~273頁)

■「また比丘たちよ、たとい比丘が、わたしを去ること百由旬(距離の単位、40里または30里、あるいは16里にあたるという)のかなたに住すとも、もし彼が、はげしい欲望をいだかず、欲望のために激情をいだくこともなく、瞋恚をいだくこともなく、よこしまの思惟にかられることもなく、不放逸にしてよく知解し、道心堅固にして、よく一境に心をとどむることをうるならば、則ち彼は、わたしの近くにあるのであり、またわたしは、彼の近くにいるのである。そのゆえんは何であろうか。比丘たちよ、かの比丘は法を見るものであり、法を見るものはわたしを見るからである」(276~277頁)

■「ソーナよ、では、その糸があまりに強くなく、ゆるくもなく、程よく張られてあったならば、いかがであろうか。なんじはこれをかなでて、よき音を生ずることをうるであろう」

 ソーナが、「しかり」と答えたとき、釈尊は、その問答の結論を、つぎのように説き教えた。

 「ソーナよ、まさにそれと同じであると承知するがよい。刻苦精進にすぎれば心高ぶって静かならず、精進緩やかにすぎれば懈怠(けたい)にかたむく。そのゆえに、ソーナよ、なんじは平等の精進に住し、また諸根の平等を守り、かの中(ちゅう)における相をとるがよい」

 その教誠によって、ソーナは、これまでの極端におもむく態度をやめ、やがて、出家の究極の目標を、実現することを得た。そのことを、彼はみずから『長者偈経』の中に、つぎのように語りのこしている。

 「直ぐき道を説き示されたならば、往きて還ることなかれ。みずからおのれを励まして、究竟の境地を成就せよ。

  われ極端の努力をなせしとき、世間無上のわが師には弾琴の例えを以て、法を説き示したもうた。

  われはその言を聴きて、教えを楽しみて住し、涅槃に達せんがために止観を行じ、三明を逮得して、仏陀の教えを成就した」(279~280頁)

 第22章 自燈明、法燈明ー最後の説法

■「世の人々が籠筏を結ぶ間に、

 深所をすて、橋を架して、

 河の流れを渡る者をこそ、

 よく渡りたる者、賢者という」(285頁)

■「ではアーナンダよ、比丘僧伽はわたしに何を待望するというのであるか。わたしはすでに内外の区別もなく、ことごとく法を説いたではないか。アーナンダよ、如来の説法にはあるものを、弟子に隠すというような、教師の握りしめた秘密の奥義はないのである。またアーナンダよ、もしわたしが、『われは比丘たちの指導者である』とか、『比丘たちはわれに頼っている』とか思ったならば、わが亡きのちの比丘たちについて何かを語らねばならぬであろう。だが、わたしは、比丘僧伽に関して何をか語ろうか。

  さればアーナンダよ、なんじらはただみずからを燈明とし、みずからを依処ととして、他人を依処とせず、法を燈明とし、法を依処として、他を依処とすることなくして住するがよい。

  まことにアーナンダよ、今に於ても、またわれ死して後においても、自らを依処として、他人を依処とせず、法を燈明とし、法を依処として、他を依処とすることなくして、修行せんと欲するものこそ、アーナンダよ、かかる者こそ、わが比丘たちの中において最高処にあるのである」(287頁)

■「アーナンダよ、樹々は時ならぬ花をひらき、虚空よりは香華ふりそそぎ、微妙の音楽は天の方よりおころうとも、かかる手段をもって、如来は崇め羅れ、尊ばれ、供養せらるべきものではない。アーナンダよ、比丘もしくは比丘尼、優婆塞もしくは優婆夷にして、よく法と随法とによって住する者こそ、如来をこの上もなく崇め、尊び、供養する者であると知らねばならぬ。されば、アーナンダよ、なんじらは、いま、法と随法とによりて住し、法によりて行ずべきであると、かように学ぶべきである」(289頁)

■「アーナンダよ、悲しむな。慟(なげ)くことをやめよ。わたしはいつも、教えていたではないか。すべて愛する者とはついに別れねばならぬ。生じたるものはすべて壊せずということはできない。

  アーナンダよ、なんじは長い間にわたって、わたしの侍者としてまことによく世話をしてくれた。それは立派なことであった。このうえは、さらに精進して、すみやかに究極の目標を実現するがよい。

  アーナンダよ、あるいはなんじらは、かく思うかもしれない。ーー師のことばはおわった。われらの師はすでにないーーと。だがアーナンダよ、そのように思うべきでない。アーナンダよ、わたしによって説かれ教えられた教法と戒律とは、わが亡きのちに、なんじらの師として存するであろう」(290~291頁)

■「では、比丘たちよ、わたしはなんじらに告げよう。ーー諸行は懐法(えほう)である。放逸なることなくして精進するがよい。ーーこれがわたしの最後のことばである」(292頁)

■それらの中にあって、アルヌッダの説いた偈が、そぞろわたしどもの心に染み入ってくる。

 「心安らけき救済者は、

 いまや入る息も出る息もない。

 欲なき者は寂静に達し、

 聖者はいま滅したもうた。

 ゆるぎなき心をもて、

 よく苦にたえたまい、

 燈火の消ゆるがごとく、

 心の解脱をとげたもうた」(293頁)

(2020年3月9日、了)

『仏弟子の告白(テーラガーター)』中村 元 訳 岩波文庫

  一つずつの詩句の集成

第1章

■わたしの庵(いおり)はよく葺(ふ)かれ、風も入らず、快適である。天の神よ、思うがままに、雨を降らせ。わたしの心はよく安定し、解脱している。わたしは努力つづけている。天の神よ、雨をふらせ。

尊き人・スプーティ(注)長老はこのように詩句を唱えた。(8頁)

(注)スプーティ;須菩提(しゅぼだい、と音写し、善吉・善現と訳す)はシュラーヴァスティー市の長者の子として生まれた。祇園精舎を寄進した給孤独長者の弟スマナの子である。祇園精舎で釈尊の弟子となった。ブッダかた無諍第一の弟子とたたえられた。かれは後代には空を理解すること第一といわれ、解空(げくう)、空生ともいわれた。般若経典のなかでも説法の相手として常に登場している。

かれの詩句が唯だ一つしか伝えられていないということは、上座部のほうから見ると、かれは異端者であったが、後代の大乗仏教はかれを前面に押し出したということも考えられる。(234頁)

■〈完き人(注)〉たちのこの知慧を見よ。暗夜に燃える火のごとくに、光明を与え、眼をさずけ、(かれらのもとに)来れる人々の疑いを除く。

尊き人・カンカーレーヴァタ長老はこのように詩句を唱えた。(8~9頁)

(注)完き人;tathagata.漢訳では「如来」と訳す。修行を完成した人。(234頁)

■善人で賢者であり道理を見る人々とだけ交われ。怠らずに努め、洞察をなすもろもろの賢者は、〈深遠ににして、見難く、精妙にして微細である大いなる道理〉を体得する。

尊き人・マンターニーの子・ブンナ長老はこのように詩句を唱えた。(9頁)

■かっては制御し難かったが、いまや自制によって制御されているダッバ(注1)は、満足し、疑惑を超え、勝利者となって、恐怖をいだくことがない。なぜならば、このダッバ(注2)は、善良であって、完全に安らぎを得て、みずから安立しているからである。

尊き人・ダッパ長老はこのように詩句を唱えた。(9頁)

(注1)ダッバ;Dabbaなる人はマッラ族の王家の生まれであったが、釈尊に会って、7歳で出家市、のち、教団の臥坐具や食事などの分配の係りとなった。またダッバマーラなる人は教団の施設をつかさどっていたというが、恐らく同一人であろう。

(注2);dabbaとは、普通名詞としては「善良な」「有能な」という意味であり、ここに一種の語呂合わせがあるのである。(235頁)

第2章

■わが師はわたくしに言われた、ーー「シーヴァカよ。ここから去ろう」と。わたくしの体は村にすんでいるが、わたくしの心は森に行ってしまった。わたくしは疲れて臥しているけれども、そこへ行こう。(事物の真相を)識っている人々に執著は存在しない。

ヴァナヴァッチャ長老の新参の若い弟子(注)(シーヴァカ)(12頁)

(注)新参の若い弟子;samanera「沙弥(しゃみ)」と訳される。(236頁)

■五つ(の下位の束縛)を断て。五つ(の上位の束縛)を捨てよ。さらに五つ(のすぐれたはたらき)を修めよ。五つの執著を超えた修行僧は、〈激流を渡った者〉とよばれる。

クンダダーナ長老(12頁)

■生れ(血統)の良い駿馬が、たてがみをなびかせ、尾を振りながら、難渋しないで駆けるように、汚れなき安楽が得られたときには、わが昼夜は苦難なく過ぎゆく。

ベーラッタ長老(12頁)

■大食(おおぐら)いをして、眠りをこのみ、ころげまわって寝て、まどろんでいる愚鈍な人は、糧(かて)を食べて肥る大きな豚のようである。くりかえし母胎に入って(迷いの生存をつづける)。

ダーサカ長老(12頁)

■水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は力をこめて矢を矯(た)め、大工は木材を矯め、慎み深い人々は自己をととのえる。

クラ長老(13頁)

第3章

■矢作りが矢を矯めるように、自己を直立せしめて、心を真っ直ぐにして、無明を断ち切れ。ハーリタよ。

ハーリタ長老(16頁)

第4章

■あたかも〔母が〕愛しきひとり児に対して善き婦人であるように、いたるところで一切の生きとし生けるものに対して、善き人であれかし。

ソーパーカ長老(17頁)

第7章

■(真理を)見る者は、(真理を)見る(他)人を見、また(真理を)見ない人をも見る。しかし、(真理を)見ない者は、(真理を)見る(他)人をも見ないし、また(真理を)見ない人をも見ない。

ヴァッパ長老(26頁)

■ウッケーパカタ(蓄積をなした)ヴァッチャが多年にわたって集積したものを、かれは、安坐して、高貴な歓喜にみちて、在家者たちに説く。

ウッケーパカタ・ヴァッチャ長老(27頁)

■偉大なる健(たけ)き人は、あらゆる事象の彼岸におもむいて、(わたくしを)教えみちびいてくださった。わたくしは、あの方の教えを聞いて、その御許(みもと)に楽しんで住んでいた。三つの明知を達成し、仏の教えをなしとげた。

メーギヤ長老(27頁)

■わたしの煩悩は焼きつくされた。あらゆる迷いの生存は根こそぎにされた。生まれることを繰り返す迷いの生存は滅びてしまった。いまや再び迷いの生存は存在しない。

エーカダンマ・サヴァニーヤ長老(28頁)

■心の中で怠ることなく、絶えず聖者の道を実践している聖者、休らいに帰し、つねに気をつけている修行完成者には、もはや悲しみは存在しない。

エークッダーニヤ長老(28頁)

■全知である最上の智ある人(ブッダ)によって説かれた、大いなる味わいの或る、偉大な人の教えを聞いて、不死(の境地)を得るために、道を実践した。あの方は安穏の道を究めておられる。

チャンナ長老(28頁)

■この世では、戒しめこそ最上である。また知慧ある人は、最上の人である。ーー人々と神神とのあいだで、戒しめと知慧の故に勝利を博する。

ブンナ長老(28頁)

第8章

■きわめて微細、微妙な道理を見、思慮に巧みで、謙虚であり、仏につかえるのを習いとした者には、安らぎ(ニルヴァーナ)は決して得難いものではない。

ヴァチャパーラ長老(28頁)

■老いぼれた人を見て、苦しんでいる人を見て、病んだ人を見て、また寿命が尽きて死んだ人を見て、そこで、わたしは、心を楽しますもろもろの欲望の対象を捨てて、家を出て、遍歴の身となった。

マーナヴァ長老(30頁)

■善く身を修めている人に会うのは、善い。疑いは断たれ、知慧は増大する。愚者をも賢者となす。それ故に、立派な人々とつき合うのは、善い。

スサーラダ長老(30頁)

■この心は、以前には、望むところに、欲するところに、快きがままに、さすらっていた。今やわたくしはその心を適切に抑制しよう、ーー象使いが鉤をもって、発情期に狂う象を全くおさえつけるように。

ハッターローハプッタ長老(31頁)

第9章

■愛しき児よ。托鉢し易く、安らかで、危険のないところへ行きなさい。悲しみに打ちひしがれるな。

カッサパ長老(32頁)

■シーハよ。昼夜に怠ることなく、倦むことなく、つとめていなさい。善いことがらを修養なさい。いろいろのものの集まりであるこの身を速やかに捨てなさい。

シーハ長老(32~33頁)

■この(仏教)よりも外にいる種々の他の論者たちの説く道は、この(仏)の道のように安らぎにみちびくものではない、と、師・尊き師は、集い(サンガ)の人々に親しく教えたまうた。ーー掌(てのひら)を示すように。

ナーギタ長老(33頁)

■個体の〔五つの〕構成要素はありのままに見られた。迷いの生存はすべて打ち破られた。生れることを繰り返す迷いの生存は滅びている。今や迷いの生存を再び繰り返すことはない。

パヴィッタ長老(33頁)

■わたしは実に水中から陸上に、自分を引き上げることができた。大きな水流に流されたかのごときわたしは、〔四つの〕真理(岡野注)を体得することができた。(岡野注;四諦)

アッジェナ長老(34頁)

第10章

■(神々の召し上る)百味ある甘露の食物も、今日わたくしが頂いた食物には及ばない。ーー(その食物とは、)無限の見とおす力のあるゴータマ・ブッダによって説かれた真理のことである。

パリプンナカ長老(35頁)

■その人の汚れは消え失せ、食物をむさぼらず、その人の解脱の境地は空にして無相であるならば、かれの足跡は見出し難い。ーー空飛ぶ鳥の迹の知りがたいように。

ヴィジャヤ長老(35頁)

■かつ尊き師・釈迦族の子にしてめでたき方に敬礼したてまつる。最上の境地に達したこの方は、最上の真理を良く説き示してくださいました。

メッタジ長老(36頁)

■正しい努力をそなえ、(四つの)専念(四念処)をその境地とし、解脱の花に覆われている人は、汚れの無いものとなり、完全に安らぎに達するであろう。

デーヴァサバ長老(37頁)

第11章

■在家の生活を捨てて〔出家しても〕、堅固な決心が無くて、口先を耡(すき)として大食(ぐら)いをして、なまけている愚鈍な人は、大きな豚のように糧(かて)を食べて肥り、くりかえし母胎にはいって(迷いの生存をつづける)。

ベーラッタカーニ長老(38頁)

■たかぶりのために欺かれ、もろもろの形成された事物に汚され、いろいろの所得によって心の乱れている人々は、心の統一安定を得ることができない。

セートゥッチャ長老(38頁)

■或る目標となるものが百の特相あり、百の特徴をもっているときに、唯だ一つの部分(特相ないし特徴)のみを見る人は、愚者であり、百を見る人は賢者である。

スヘーマンタ長老(39頁)

第12章

■命は消耗してゆくのに、身体はでっぷりと肥って重く、身体の快楽のみ貪る修行者に、〈道の人〉たる善き徳性がどうしてあり得ようか。

アディムッタ長老(42頁)

二つずつの詩句の集成

第1章

■ところで、この世で食物や飲料を(多く)所有している人は、たとい悪いことを行なっていても、かれは愚かな人々から尊敬される。

アジナ長老(46頁)

■師が教えを説いておられるのを聞いたときに、全知者、不敗の人、隊商の主、偉大なる健(たけ)き人、最もすぐれた御者に対して、わたくしは疑いをいだく気はなかった。道に関しても、実践に関しても、わたくしに疑いは存在しなかった。

メーラジナ長老(47頁)

■①屋根を粗雑に葺(ふ)いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養していないならば、情欲が心に侵入する。

②屋根をよく葺いてある家には雨が洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば、情欲の侵入することが無い。

ラーダ長老(47頁)

■①婦女たちに束縛されない聖者たちは、安らかに眠る。実につねに警戒してまもらねばならぬ人々(婦女たち)のあいだにあっては、真実を得ることは、きわめて難しい。

②愛欲よ。われらは、お前を殺してしまった。われらは、いまやお前に負い目は無い。われらは、いまや安らぎ(ニッバーナ)におもむく。そこに至れば、悩むことがない。

ゴータマ長老(48頁)

第2章

■大海の上では、人は、小さな木片に乗っているならば、沈むように、怠け者と交わっているならば、立派に生きている人でも沈む。それ故に、努力もしない怠け者を避けよ。

ソーマミッタ長老(50頁)

第3章

■安穏(の境地)に達するために、わたくしは、5つの覆いを捨てて、(自分を反省して見るための)真理の鏡ーー自分を知りかつ見ることーーを手に執(と)って、この身体を内外にわたってすべて観察した。そうして、身体は内にも外にも空虚なものであるということを見た。

ブンナマーサ長老

第4章

■①(人間の個体生存という)小さな家は無常である。わたくしは〔幾多の生涯にわたって〕あちこちに繰り返し家屋の作者(つくりて)をさがしもとめて来たが、生涯をくりかえすのは、苦しいことである。

□②家屋の作者(つくりて)よ! 汝の正体は見られてしまった。汝はもはや家屋を作ることはないであろう。汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。心は方向を転ぜられ、まさにこの世において消滅するであろう。

シヴァカ長老(58頁)

■愛すべく喜ばしい五欲の対象をすてて、信の心によって家を出て、苦しみを終滅せしめる者であれ。

ニサバ長老(60頁)

■①この人はボロ切れなのである、とカッパタクラがいった。澄んだ、溢れるばかりの甘露の瓶に、(ブッダの)教えのけじめがつくられた。もろもろの瞑想を積み重ねるための境地がつくられた。

□②カッパたよ。わたしがそなたの耳朶を打つことのないように、そなたはうとうと眠りなさるな。カッパタよ。そなたは集い(サンガ)の人々のなかでうとうと眠っていたので、けじめを知らなかった。

カッパタクラ長老(61頁)

第5章

■①みごとな冠あり、尾が美しく、青い頸もうるわしく、面(おもて)もきれいで、美声の孔雀どもは鳴いている。この大地は緑草ゆたかに、水がみちている。空は雲が美しい。

□②心喜べる人には、温良なるすがたがある。それを思え。善き人が、よきブッダの教えにおいて進み行くのは、やさしい。いとも清浄純白であり、微妙で、見難いところの、かの不死なる最上の境地に触れよ。

チューラカ長老(64頁)

■愚昧なる凡夫は、長い時間にわたって輪廻しつつ、もろもろの生存領域をヘめぐって来た。ーー(4つの)尊い真理を見ることなしに。

ヴァッジタ長老(65頁)

三つずつの詩句の集成

■①以前になすべきことを後でしようと欲する人は、幸せな境地から没落して、あとで後悔する。

□②実に人が(実際に)為そうとすることを語れ。為さないようなことがらを語るなかれ。(実際には)なさないのに(口先で)語っているだけの人を、賢者は知り抜いている。

□③完全なさとりを開いた人の説かれた(ニルヴァーナ)は、実にいとも楽しいものである。悲しみなく、塵埃なく、安穏であり、そこでは苦しみが滅びている。

バークラ長老(68頁)

■①「これはあまりに寒すぎる」「あまりに暑すぎる」「これはあまりに夕方で遅すぎる」と、このように言って、青年が業務を放棄するならば、機会は(むなしく)過ぎ去ってしまう。

□②寒さをも暑さをも、草より以上のものとは考えないで、人間として為すべきことを実行しているならば、その人は幸せから離れることはない。

□③わたしは、遠ざかり離れる思いに専念して、ダッバ草、草ソウ、ポータキラ草、ウーシラ草、ムンジャ草、パッバジャ草を、(わが)胸もて、かき分けて行こう。

マータンガプッタ長老(69頁)

■よく説かれたことを実行せよ。ーー〈道の人〉にうやまい仕えること、人々からかくれて独りで坐すこと、心を静めることをーー。

ヴァーラナ長老(70頁)

■①信仰によって世俗から離れ、新たに出発した新参の(修行僧)は、怠らずに清らかな生活を送っている良き友だちと交わるべきである。

□②信仰によって世俗から離れ、新たに出家した新参の修行僧は、サンガ(教団)のうちに住みながら、聡明に戒律を学ぶべきである。

□③信仰によって世俗から離れ、新たに出家した新参の修行僧は、為すべきことと為してはならぬこととを心得て、心が乱されることなく行なうべきである。

ウパーリ長老(72頁)

■①以前に為すべきことを後でしようと欲する人は、幸せな境地から没落して、あとで後悔する。

□②実に人が(実際に)為すであろうことを語れ。為さないようなことがらを語るなかれ。(実際には)為さないのに(口先で)語っているだけの人を、賢者は知り抜いている。

□③完全にさとりを開いた人の説かれた安らぎ(ニルヴァーナ)は、実にいとも楽しいものである。悲しみなく、塵埃なく、安穏であり、そこでは苦しみが滅びている。

ハーリタ長老(74頁)

四つずつの詩句の集成

■①「われらは、この世において死ぬはずのものである」という、このことわりを他の人々は知っていない。しかし人々がこのことわりを知れば、争いはしずまる。

□②人々が(ことわりを)はっきりと知らないときには、自分たちが不死であるかのごとくに振舞う。しかし、ことわりをはっきりと知っている人々は、病人たちのあいだにおける無病者である。

□③なにをしようとも、その行ないがだらしがなく、どんな誓いを立てても、汚れていて、〈清らかな行ない〉もよごれているならば、大いなる果報をもたらすことはできない。

□④ともに清らかな行ないを修行している人々に対して尊敬していることが認められない人は、真実の教えから遠く離れている。ーー虚空が大地から遠く離れているように。

サビヤ長老(77頁)

■①ああ、わたしはガヤーの春祭りに来て良かった。ーー正しいさとりを開いたブッダが最上の教えを説いておられるのを見たのであるから。

□②(ブッダは)大いなる輝きのある〈徒衆の師〉、最高の境地に達した、〈神々と世人との〉指導者、比類なき見とおす力のある勝利者である。

□③(ブッダは)偉大な象、偉大な健(たけ)き人、汚れの無い大いなる輝き、あらゆる汚れが消滅し、恐れることの無い師である。

□④かの尊き師は・永いあいだ煩悩に汚れていた、邪(よこし)まな見解の絆に縛られていたわたし、セーナカを、あらゆる束縛から解放してくださいました。

セーナカ長老(注)(79頁)

(注)セーナカ;Senakaは、もともとバラモン教の火の行者であったウルヴェーラ・カッサバの妹の子である。がヤーの近くに住み、毎年、ガヤーで催される春の祭りに参加し霊場で沐浴していたが、たまたま、ブッダに会って、出家した。かれの回想によると、ゴータマ・ブッダに会ったことが直接の機縁となっている。(252頁)

■①ゆっくりしてよい時に急ぎ、急がねばならぬときにゆっくりする愚人は、正しい道理によって処置することができないので、苦しみを受ける。

□②かれのものごとは欠けて行く、ーー黒分(月の欠けて行く半ヶ月)における月のように。かれは恥辱を受け、友人たちと仲違いする。

□③ゆっくりしてよい時にゆっくりし、急がねばならぬ時に急ぐ賢者は、正しい道理によって処置することによって、幸せを獲得する。

□④かれのものごとは満ちて行く、ーー白分(月の満ちて行く半ヶ月)における月のように。かれは名声と名誉とを獲得し、友人たちとも仲違いしない。

サンブータ長老(79~80頁)

■①人々はわたしを「幸運なラーフラ」と呼んでいる。わたしは二つの幸運を受けている。一つは、わたしがブッダの子であるということであり、他の一つは、わたしがもろもろの道理を見通す眼をもっているということである。

□②わたしの汚れは消滅し、わたしはもはや迷いの生存を受けることがない。わたしは、尊敬さるべき人(アラハット)、布施を受けるべき人、三種の明知のある人、不死を見る人である。

□③かれらは、もろもろの欲望のために盲目となって、(よこしまな)網に覆われ、妄執の覆いをまとい、怠惰の親族に縛られている。ーー漁網の入口にいる魚のように。

□わたしは、その愛欲を捨てて、悪魔の束縛を断ち切り、愛執を根こそぎにし、清涼となり、安らぎに帰した。

ラーフラ長老(注)(80~81頁)

(注)ラーフラ;Rahula.羅睺羅(らごら)と音写する。釈尊とヤソーダラー妃との間に生まれた子である。釈尊がさとりを開いてのちカピラヴァストゥへ帰郷したとき、釈尊によって出家させられた。ゴータマ・ブッタは9歳のラーフラをサーリプッタ長老に托して出家させたという。20歳で具足戒を受けた。「密行第一」(戒律をこまかなところまで守ること第一)の称をうけた。ただし、かれは釈尊の子であるために、他の人々を軽蔑する風があり、釈尊はそれを戒めた。(252頁)

■①理法(ダンマ)は、実に、理法を実践する人を護る。理法をよく実践するならば、幸せをもたらす。理法を良く実践したならば、このすぐれた功徳がある。理法を良く実践する人は、悪い境界におもむくことが無い。

□②正しいことと正しくないこととの両者は、等しい果報をもたらすものではない。正しくないことは、人を地獄にみちびき、正しいことは善い境界(天上)に達せしめる。

□③それ故に、もろもろの善いことがらをなす意欲を起すべきである。といって喜んでいる人は、幸せな人(ブッダ)によって〔みちびかれている。〕道理に安住している、最上の幸せな人・立派な人(ブッダ)の弟子たちは、しっかりとしていて、導かれて、最上の帰依をなすに至る。

□④悪瘡の根(無明)は切除された。愛執の網は根こそぎにされた。かれは輪廻を消滅した者である。もはや〔汚れは〕少しも存在しない。ーー清らかな満月の夜の月のように。

ダンミカ長老(81~82頁)

■わたしは、生活のために出家した。完全な戒律(具足戒)を受けて、それから信仰を得た。そうしてしっかりとした意志力をもって努力した。

ムディタ長老(83頁)

五つずつの詩句の集成

■③実に人が(実際に)為そうとすることを語れ。為さないようなことがらを語るなかれ。(実際には)なさないのに(口先で)語っているだけの人を、賢者は知り抜いている。

□④うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りの無いものがあるように、善く説かれたことばも、それを実行しない人には、実りがない。

□⑤うるわしく、あでやかに咲く花でも、香りのあるものがあるように、善く説かれたことばも、それを実行する人には、実りが有る。

スプート長老(85頁)

■①わたしのために、ブッダはネーランジャラー河に来られた。わたしは、かれの教えを聞いて、誤まった見解を除き去った。

□②(以前には)わたしは種々の祭祀(さいし)を行なっていた。わたしは、火の献供をも実行していた。ーー「これは清浄なことである」と考えながら。わたしは盲目の凡夫であった。

□③誤まった見解の密林に踏み迷い、誤まった偏執に昧(くら)まされて、盲目であり無知であったわたしは、不浄を清浄である、と考え込んでいた。

□④わたしの誤まった見解は捨てられた。迷いの生存はすべて壊滅された。わたしは、いま(真に)布施に値する火の祭りを行なう。われは、修行完成者に敬礼する。

□⑤わたしは、迷妄をすべて捨て去った。生存に対する妄執をうち破り、生れを繰り返す迷いの生存は滅びてしまった。今や迷いの生存を再び繰り返すことはない。

ナディー・カッサパ長老(注)(88頁)

(注)ナディー・カッサパ;Nadi-Kassapaは、カッサパ3兄弟のうちの2番目であり、3百人の〈火の行者たち〉とともに、ネーランジャラー河畔に住んでいたが、兄弟とともにブッダに帰依した。(254頁)

■①早朝と、日中と、夕方と、日に3度、わたしは、ガヤーの春の祭りに、ガヤーで、水の流れに入って、水浴した。

□②「わたしが以前に他の諸生涯においてつくった罪悪を、いまや、ここで、洗いながしてしまおう」と、わたしは以前には、そのような見解をもっていた。

□③(ブッダの)よく説かれたことば、真理と利をともなう語句を聞いて、あるがままの、真実に即した道理を、正しく観察し反省した。

□④わたしは、いまや、あらゆる罪悪を洗い去り、汚れなく、身心をととのえ、清らかであり、清浄なる人の清浄なる後嗣(あとつぎ)であり、ブッダの実子である。

□⑤8つの部分より成る流れ(八正道)のうちに跳び込んで、わたしはあらゆる罪悪を流し去った。わたしは3つの明知を体得した。ブッダの教えはなしとげられた。

ガヤー・カッサパ長老(注)(89頁)

(注)ゴータマ・ブッダがヒンドゥー教の霊場ガヤーへ来て、カッサパ3兄弟(ウルヴェーラ・カッサパ、ナディー・カッサパ、ガヤー・カッサパ)を帰依させたことは、仏教教団発展のための大きなはずみになった。ガヤー・カッサパは、カッサパ3兄弟の末弟であり、ガヤーに住み、2百人の〈火の行者たち〉をひきいていたが、2人の兄とともにブッダに帰依した。(254頁)

■③〔4つの〕専注(四念処)と〔5つの〕すぐれたはたらき(五根)と〔5つの〕力とを修養しながら、またさとりを得るための〔7つの〕ことがら(七覚支)を修養しながら、わたしは叢の中に住みましょう。

ヴァッカリ長老(89~90頁)

■①愚人は、咎め立てする心で、勝利者(ブッダ)の教えを聞く。そのようなことをすると、正しい真理から遙かに遠ざかる。ーー地が天から遙かに遠ざかっているように。

□⑤喜びに満ちた心で、勝利者(ブッダ)の教えを聞く人は、あらゆる汚れを捨てて、心の乱されない境地を体得して、最上の静けさに到達して、汚れ無く、円かな安らぎを得るであろう。

ヤサダッタ長老(91頁)

六つずつの詩句の集成

■①名声あるゴータマの驚異的なはたらきを見て、わたしは嫉妬と傲慢に欺かれて、最初のうちは、かれにひれ伏すことをしなかった。

□②わたしの意向を知って、人間たちの御者(ブッダ)は、わたしを促した。そこで、わたしには、不思議な、身の毛もよだつ感激が起こった。

□③以前にはわたしは結髪行者であったが、そのときのわたしの神通力は僅かのものであった。(釈尊に会った)そのときに、わたしはそれを捨て去って、勝利者(ブッダ)の教えにおいて出家した。

□④以前には、祭祀を行なうことに満足し、欲望の領域に心が乱されていたが、のちには、欲情と嫌悪と迷妄とを根こそぎにした。

□⑤わたしは前世の状態を知っている。わたしのすぐれた眼(まなこ、天眼)は浄められた。神通力をそなえ、他人の心を知るものであり、すぐれた聴力(天耳、てんに)を獲得した。

□⑥わたしが在家の生活から脱して出家したその目的である〈あらゆる束縛の消滅〉を、ついにわたしは達成した。

ウルヴェーラ・カッサパ長老(注)(94~95頁)

(注)ウルヴェーラ・カッサパはカッサパ3兄弟の長兄であり、火の献供を行なう5百人の長であったが、ブッダの教化により出家した。かれの回想は迫真力をもっている。(255頁)

■①ともに清らかな行ないを修行している人々に対して尊敬していることが認められない人は、真実の教えから退いている。ーー乾からびた水溜りの中にいる魚のように。

□②ともに清らかな行ないを修行している人々に対して尊敬していることが認められない人は、真実の教えにおいて栄えない。ーー田に腐った種子(たね)を播いたようなものである。

□③ともに清らかな行ないを修行している人々に対して尊敬していることが認められない人は、法王(ブッダ)の教えのうちにありながら、安らぎから遠く離れている。

□④ともに清らかな行ないを修行している人々に対して尊敬していることが認められる人は、真実の教えから退くことがない。ーー水の多いところにいる魚のように。

□⑤ともに清らかな行ないを修行している人々に対して尊敬していることが認められる人は、真実の教えにおいて栄える。ーー田に良い種子を播いたように。

□⑥ともに清らかな行ないを修行している人々に対して尊敬していることが認められる人は、法王(ブッダ)の教えのうちにあって、安らぎはかれの近くにある。

マハーナーガ長老(96頁)

■①恣(ほしいまま)にふるまう人には、愛執が蔓草のようにはびこる。林のなかで猿が果実(このみ)を探し求めるように、かれは(この世からかの世へと)あちこちにさまよう。

□②この邪悪なる妄執、世間に対する執著のなすがままである人は、もろもろの憂が増大する。ーー雨が降ったあとにはビーラナ草がはびこるように。

□③この世において如何ともし難いこの邪悪なる妄執に打ち克ったならば、憂はその人から消え失せる。ーー水の滴(しずく)が蓮華から落ちるように。

□④さあ、みなさんに告げます。ーーここに集まったみなさんに幸あれ。欲望の根を掘れ。ーー(香しい)ウシーラ根を求める人がビーラナ草を掘るように。葦が激流に砕かれるように、悪魔にしばしば砕かれてはならない。

□⑤ブッダのことばを実行せよ。瞬時も空しく過ごすな。時機を空しく過ごした人々は、地獄に堕ちて、苦しみ悩む。

□⑥怠りは塵垢(ちりあか)である。塵垢は怠りに従って生ずる。つとめはげむことによって、また明知によって、自分にささった矢(とらわれ)を抜け。

マールンキヤ・プッタ長老(97~98頁)

■⑤尊い八支よりなる道(八正道)は、大いなる味わいあり、いとも深遠にして、生と死を堰(せ)き止め、苦しみを静止させる、めでたいものである。

□⑥それは、業を業であると知り、報いを報いであると知り、縁によって起こった諸事象をあるがままに照らして見るものであり、大いなる安穏にみちびき、静まっていて、最後には幸せとなるものである。

ミガラージャ長老(100~101頁)

■①怒りなく、みずから制し、平静に生活し、正しい知慧によって解脱して、やすらいに帰したそのような人は、どうして怒ることがあろうか。

□②怒った人に対して起り返す人は、それによって、いっそう悪をなすことになる。怒った人に対して怒らないならば、勝ち難き戦に勝つのである。

□③他人が怒ったのを知って、気をつけて、自ら静かにしているならば、その人は自分と他人と両者のためになることを行なっているのである。

□④自分と他人との両者のために治療を行なっている人のことを、「愚かな奴だ!」と人々は考える。ーーことわりに通達することもなく。

ブラフマダッタ長老(104頁)

■⑤多かろうと少なかろうと、1日(のうちの時間)を、空しく過ごしてはならない。一夜を(無益に)捨てるならば、それだけそなたの生命は減ずるのである。

□⑥歩んでいようと、立っていようと、臥床に横臥していても、最後の夜は迫って来る。そなたは、いまは怠けていてよい時ではない。

シリマンダ長老(105頁)

■④執著に染まった心でこれらのものを享楽する凡夫どもは、恐ろしい墓場をみたし、くりかえし迷いの生存を重ねる。

□⑤もろもろの欲望のうちに患いを認め、出家して世俗から離れることを〈安穏〉であるとみなして、あらゆる欲望から離れている。わたしは、もろもろの汚れの消滅に達した。

サッパカーマ長老(106頁)

七つずつの詩句の集成

■⑤7人の目ざめた人々(七仏)は、妄執を離れ、執著することなく、消滅のうちに没入しておられる。真理そのものとなった、これらの立派な人々が、この真理を説かれたのである。

□⑥すなわち、〔1〕苦しみと、〔2〕苦しみの成り立ちと、〔3〕(実践すべき)道と、〔4〕苦しみの壊滅である止滅という4つの尊い真理が、生きとし生けるものを慈しむために、説かれたのである。

□⑦その境地が得られたならば、輪廻における無限の苦しみは息(や)む。この身体が壊滅するが故に、また生命の消滅するが故に、もはや他の迷いの生存はあり得ない。わたしは、あらゆることがらについて、みごとに解脱している。

サラバンガ長老(111~112頁)

八つずつの詩句の集成

■①多くの〔世俗の〕仕事をしてはならない。人々を避けよ。〔雑な縁をつくり出すために〕努め励んではならない。がつがつして味に耽溺する者は、幸せをもたらす目的を見失う。

□②実に、かれら(修行者)は、良家の人々からつねに受ける礼拝と供養とは、汚泥のようなものであると知っている。細かな(鋭い)矢は抜き難い。凡人は(他人から受ける)尊敬を捨てることは難しい。

□③他人の行ないに依存して人の業(行ない)が悪業であるのではない。(それだから)みずからその悪い行ないを行なってはならない。なんとなれば、人々は(自分自身の)業の親族なのであるからである。

□④ひとは、他人のことばによって(他人が「お前は盗んだ!」と言ったからとて)盗人であるのではない。ひとは、他人のことばによって聖人であるのではない。自分がその人のことを知っているように、神々もまたかれのことを知っている。

□⑤「われらは、この世において死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。ーーこのことわりを他の人々は知っていない。しかし人々がこのことわりを知れば、争いはしずまる。

□⑥知慧ある人は、たとい財産を失っても、生きて行ける。しかし知慧をもっていなければ、たとい財産がある人でも、〔実は〕生きてはいないのである。

大カッチャーヤナ長老(113~114頁)

十つずつの詩句の集成

■④知慧のある人は、たとい財産を失っても、生きて行ける。しかし知慧をもっていなければ、たとい財産のある人でも、〔実は〕生きてはいないのである。

□⑤知慧は、聞いたことを考えて見分ける。知慧は、名誉と名声とを増大する。知慧のある人は、この世でもろもろの苦しみのなかにいても、楽しみを見出す。

□⑥これは今日だけの定めではない。奇妙でもないし、不思議でもない。ーー生まれたならば死ぬのである。そこに何の不思議があろうか。

□⑦生まれたものには、生の次に必ず死がある。生まれ、生まれて、ここに死す。実にいのちあるものどもは、このような定めがある。

大カッピナ長老(123~124頁)

■①わたしの進歩は遅かった。わたしは以前には軽蔑されていた。兄はわたしを追い出した。ーー「さあ、お前は家へ帰れ!」といって。

□②こうして、追い出されて、わたしは僧園の通路の小屋に、がっかりして、静かに立っていた。ーーなお教えのあることを期待して。

□③そこへ尊き師が来られて、わたしの頭を撫でて、わたしの手を執って、僧園のなかに連れて行かれた。

□④慈しみの念をもって師はわたしに足拭きの布を与えられた。ーー「この浄らかな物をひたすらに専念して、気をつけていなさい」といって。

□⑤わたしは師のことばを聞いて、教えを楽しみながら、最上の道理に到達するために、精神統一を実践した。

チューラパンタカ長老(124~125頁)

■⑧「(あらゆるものは)無常である」と観じて、「いかなるものも我ではない」という〔非我の〕想いと、「不浄である」という想いと、「世の中の事物について楽しまない」という〔想い〕を修養すべきである。ーーこれが〈道の人〉にふさわしいことである。

□⑨さとりを得るための〔7つの〕手段と〔4つの〕神通力と、〔5つの〕すぐれたはたらきと、〔5つの〕力と、8つの部分より成る尊い道とを修養すべきである。ーーこれが〈道の人〉にふさわしいことである。

□(10)聖者は妄執を捨てよ。もろもろの汚れを根こそぎに壊滅せよ。解脱して住せよ。ーーこれが〈道の人〉にふさわしいことである。

ゴータマ長老(129頁)

十一の詩句の集成

■④他人が護ってくれることもなく、また他人を護ることもしない修行者は、快楽を顧みることなく、安楽に臥す。

サンキッチャ長老(131頁)

十二の詩句の集成

■①わたしは、賤しい家に生まれ、貧しくて食物が乏しかったのです。わたしは稼業が卑しくて萎んだ花を掃除する者(注)でした。

(注)萎んだ花を掃除する者;実際は、不浄物を掃除する者のことをいう。

□②人々には忌み嫌われ、軽蔑せられ、罵られました。わたくしは心を低くして多くの人々を敬礼しました。

□③そのとき、全き覚りを開いた人(ブッダ)、大いなる健き人が、修行僧の群にとりかこまれて、マガダ国の首都に入って来られるのを、わたくしは見ました。

□④わたくしは、天秤棒を投げ捨てて、〔師に〕敬礼するために、近づきました。わたくしを憐れむが故に、最上の人(ブッダ)はそこに立ち止まっておられました。

□⑤そのとき、わたくしは、師の御足(みあし)に敬礼して、一方の側に立って、あらゆる生きもののうちの最上者(ブッダ)に、「出家させてください」と請いました。

□⑥そのとき、慈悲深き師、全世界をいつくしむ人は、「来なさい。修行者よ」とわたくしに告げられました。これがわたくしの受戒でありました。

□⑦そこでわたくしは、独りで森に住んで、怠ることなく、勝者(ブッダ)が教え諭されたとおりに、師のことばを実行しました。

スニータ長老(注)(134~135頁)

(注)スニータ;Sunitaは王舎城における掃除人夫であったが、ブッダに会って出家した。Sunitaとは、「行ないの良い」という意味である。

十三の詩句の集成

■⑦わたしが過度の精励努力を行なったとき、世の中における無上の師、眼(まなこ)あるかたは、箜篌(くご)の譬え〔ーー弦を強く張り過ぎることもなく、緩めすぎることもないようにとの教えーー〕を用いて、わたしに理法を説いてくださった。

□⑧わたしはかれの教えを聞いて、その教えを楽しんで過ごした。最高の目的を達するために、わたしは心の平静を実践した。3つの明知は体得された。ブッダの教えはなしとげられた。

□⑨出離すること、心が遠ざかり離れることに専念し、瞋恚(しんい)をいだかないことに専念し、執著の壊滅に専念し、

□(10)妄執の壊滅、心の迷わぬことに専念している人は、個体を構成している種々なる局面の生じ〔滅びる〕すがたを見て、心は完全に解脱する。

□(11)完全に解脱し、心の静まった修行僧には、すでに為しおえたことに付け加えて積み重ねることは、なにも存在しない。なすべきことは、もはや存在しない。

□(12)1つの岩塊より成る岩山が風に吹かれても微動だにしないように、すべての色かたち、味、音声、香り、触れられるもの、

□(13)欲求されるものも、欲求されないものも、そのような立派な人を動揺させることはない。かれの心は安住し、束縛されていない。その消滅するさまを、かれは静観する。

ソーナ・コーリヴィサ長老(137~138頁)

十四ずつの詩句の集成

■④楽しいことがらに浮き浮きして高ぶり、苦しいことがらにがっかりして沈み、愚人どもは、その両者に悩まされる。ーーことがらを、あるがままに見ないので。

□⑤苦楽のうちにありながらも妄執を超えている人々は、入口の石のごとくに安定している。かれらは、浮き浮きして高ぶることもなく、がっかりして沈むこともない。

□⑥実に、利益にも、損失にも、名声にも、名誉にも、非難にも、称讃にも、苦しみにも、楽しみにも、

□⑦かれらは、いかなることにも汚されない。ーー蓮華の上の水滴のように。健き人たちは、あらゆることがらについて楽しく、あらゆることがらについて敗れることがない。

□(13)快楽も怒りも捨て去って、種々なる生存のうちにあっても心静まり、執著することなく世の中を歩む人々、ーーかれらには快も不快も存在しない。

□(14)かれらは、さとりを得るための〔7つの〕ことがら、〔5つの〕すぐれたはたらき、〔5つの〕力を修めて、最上の静けさに到達し、汚れなくして、円かな安らぎに入るであろう。

ゴーダッタ長老(142~143頁)

十六ずつの詩句の集成

■(13)われは、死を喜ばず。われは生を喜ばず。あたかも傭われた人が賃金をもらうのを待つように、わたしは死の時が来るのを待つ。

□(14)われは、死を喜ばず。われは生を喜ばず。よく気をつけて、心がけながら、死の時が来るのを待つ。

アンニャー・コンダンニャ長老(注)

(注)アンニャ・コンダンニャ;Annakondannaは最初の説法を聞いて弟子となった5人のうちの一人として最初に挙げられる。かれの名は漢訳では「阿若(多)憍陳如」「憍陳如」「了本際」などと訳されている。ブッダが鹿野苑で5人の修行者にたいして、最初の説法をしたとき、最初に阿羅漢のさとりを開いた人である。ブッダが「ああ、実にコンダンニャは悟った」とたたえたので、アンニャーシ(=悟った)が名に付けられた。(のちに、アンニャーとかアンニャータと呼ばれるようになった。)

二十ずつの詩句の集成

■(1)〔盗賊は言うーー〕「われらは過去に祭祀のために、あるいは財貨を得るために、人々を殺した。かれらは、いかんともし難く、恐怖をいだき、おびえ慄え、悲泣した。

□(2)ところが、お前はおびえていない。顔色はますます澄んで明るくなっている。こんな大きな危険が迫っているのに、お前はどうして泣き悲しまないのか?」

□(3)〔アディムッタ長老は答えていう、ーー〕「頭目(かしら)よ。望み欲することの無い者には、心の苦しみは存在しない。実に束縛が消滅してしまった人は、すべての恐怖を超越している。

□(4)迷いの生存にみちびく妄執が消滅して、事象をありのままに見たときには、死にたいする恐怖は存在しない。ーー譬えば、荷をおろしたときには〔ほっとして〕もはや恐怖が存在しないようなものである。

□(5)わたしは、清らかな行ないをよく実践して来た。道をもまたよく修めた。わたしには死にたいする恐怖は存在しない。ーー譬えば病気が癒えたときには死にたいする恐怖が存在しないように。

□(6)わたしは、清らかな行ないをよく実践して来た。道をもまたよく修めた。迷いの生存は味わいの無いものであるということを経験した。ーー毒を飲んで捨てたようなものである。

□(7)彼岸に達し、執著することなく、つとめを果し、汚れのなくなった人は、寿命の尽きることに満足している。ーー譬えば、刑場から釈放された人のように。

□(8)最上の真理の境地に到達し、全世界に対して求めることなく、かれは死を悲しむことがない。ーー火のついた家から脱出した人のように。

□(9)集合してできたいかなるものでも、どのような生存が得られるのであろうとも、これらはすべて〔常住なる〕主宰者をもたないものである。ーー偉大なる仙人(ブッダ)はこのように説かれた。

□(10)ブッダによって説かれたようにそのことを理解する人は、いかなる迷いの生存をも受けない。ーーひとが灼熱した鉄丸をつかまないようなものである。

□(11)われには『われが、かつて存在した』という思いもないし、またわれには『われが未来に存在するであろう』という思いもない。潜在的形成力は消滅するであろう。ここに何の悲しみがあるであろうか。

□(12)所事象の生起を純粋にありのままに見、(個体を構成する)諸形成力の連続を純粋にありのままに見る人には、もはや恐怖は存在しない。頭目(かしら)よ。

□(13)世間を、草や薪に等しい、と明らかな知慧をもって観ずるとき、かれは、〈わがもの〉という観念を見出し得ないが故に、『われに(このものが)そんざいしない』といって悲しむことがない。

□(14)わたしは身体を嫌悪する。わたしは生存を求めない。この身体はやがて裂かれるであろう。そうして他の身体はもはや存在しないであろう。

□(15)もしそなたが欲するならば、身体についてなすべきことを為せ。そこでは、それに由来する嫌悪も愛情も、わたしには存在しないであろう。」

□(16)「尊い方よ。何をしたので、またあなたの師が誰であるので、また誰の教えに依って、〈悲しみのない境地〉が得られるのですか?」

□(17)「わが師は、すべてを知る人、すべてを見る人、勝利者、大いなる慈悲ある師、全世界の人々を癒す医師である。

□(18)そのかたが、消滅にみちびくこの無上の真理を説き示された。その教えによって、そこで〈悲しみのない境地〉が得られるのである。」

□(19)盗賊どもは、仙人のみごとに語ったことばを聞いて、刀と武器とを捨てて、ある者どもはその仕事から離れた。またある者どもは出家することを喜んだ。

□(20)かれらは、出家して、幸せな人(ブッダ)の教えにおいて、覚りを得るための〔7つの〕ことがらと〔5つの〕すぐれた力とを修めて、賢者となり、心に歓喜し、嬉しくなって、感管を制して、つくり出されたものでない〈安らぎの境地〉を体得した。

アディムッタ長老

■(9)〈わがもの〉という観念は、わたしの内部に起って、速やかに熟する。6つの接触の場(6入)を有する身体はつねにそこに流れて行く。

□(10)その矢、すなわち疑念を除き去るために、さぐり針を使って、他のメスを使わない医師を、わたしは見たことがない。

□(11)わたしの内部に刺さっている矢を、誰が、刀を使わずに、傷を残さないで、抜き去ることができるであろうか?ーー四肢を害うことなしに。

□(12)毒の患いを除去するかの最上の法主(ほっす)は、わたしが深淵に堕ちたときに、陸地を、あるいは〈救いの〉手を示してくださるであろう。

□(13)塵や泥を除き難い沼のうちに、わたしは沈み込んでいる。その沼は、詐欺と嫉妬と傲慢とものうさと睡眠とにおおわれている。

□(14)食欲にもとづく欲望の思いという車は、雷鳴のようなうわつき、雲のような束縛、悪しき見解を運んで行く、

□(15)(愛欲の)流れは至るところに流れる。(欲情の)蔓草は芽を生じつつある。その流れを誰が堰き止め得るであろうか?その蔓草を実に誰が断ち切るであろうか?

□(16)尊い方よ。流れを堰き止める堤をつくれ。ーー意より成る流れが、圧力で樹をたち切ってしまうように、あなたを暴力でたち切ることがないように。

□(17)こういうわけで、恐怖におののき、こちらの岸から彼方の岸を求めていたわたしにとって、知慧を武器とし仙人の集いに侍(かしず)かれていた師(ブッダ)は救いであった。

□(18)〔煩悩の流れに〕はこばれていたわたしに、みごとに造られた浄らかな教えの精要より成る堅固な梯子を授け、「恐るな!」とわたしに言われた。

□(19)〔4つの〕念いの専住という宮殿に登って、わたしが以前には尊重して考えていた人々が個人存在になずんでいるのを観察した。

□(20)そうしてわたしが船に乗る道を見たときに、自分自身に固執することなく、最上の渡し場を見た。

□(21)自分自身に由来し、迷いの生存にみちびく素因によって顕示された矢。ーーこれらを休止させるために、最上の道を説き示された。

□(22)毒の思いを除去する人であるブッダは、永いあいだわたしのうちに潜在し永いあいだ住みついていたわたしの結び目を、断ち切ってしまった。

テーラカーニ長老(156~158頁)

■(8)世の中で財産のある人々を見るに、かれらは財を得ても、迷妄の故に、与えることをしない。かれらは貪欲であって、財産を蓄積して、ますます快楽を追求する。

□(9)国王は武力をもって大地を征服し、海辺に至るまでの地域を占有し、海のこなたでは満足せず、海の彼方までも求めるであろう。

□(10)王者も、他の多くの人々も、愛欲を離れないのに死に会い、何か不満なことがあるかのごとくに、身を捨てる。けだしこの世においてはもろもろの欲望を満たすということはありえないからである。

□(14)財宝によっても長寿を得ず、富によって老いを除き去ることはできない。ひとの命は短くて、無常であり、変じ壊(やぶ)れるものである、と賢者は説く。

□(15)富者も貧者もともに(死に)触れられる。愚者も賢者もまた同じく(死に)触れられる。愚者は、愚かさの故に殺されたかのごとくに臥す。しかし賢者は(死に)触れられてもおののかない。

□(16)それ故に、知慧は財よりもすぐれている。知慧によってこそ人はこの世で究極に到達するのである。実に究極に到達しない人々は、迷妄の故に、種々の生存において、もろもろの悪い行ないをなす。

ラッタパーラ長老(159~161頁)

■(1)愛らしく好ましいすがたに心をとどめる人は、いろ・かたちを見ては、心の落ち着きが失なわれる。欲情に染まった心をもって、それを感受し、それに執著したままでいる。

□(2)いろ・かたちから生ずるかれの多様の感受は増大する。かれの貪欲と悩害心もまた増大する。そこでかれの心は害なわれる。このように苦しみを積みかさねる人は、安らぎから遠く隔たっている、と言われる。

□(3)愛らしく好ましいすがたに心をとどめる人は、音声を聞いては、心の落ち着きが失なわれる。欲情に染まった心をもって、それを感受し、それに執著したままでいる。

□(4)音声から生ずるかれの多様の感受は増大する。かれの貪欲と悩害心もまた増大する。そこでかれの心は害なわれる。このように苦しみを積みかさねる人は、安らぎから遠く隔たっている、と言われる。

□(5)愛らしく好ましいすがたに心をとどめる人は、香りを嗅いでは、心の落ち着きが失なわれる。欲情に染まった心をもって、それを感受し、それに執著したままでいる。

□(6)香りから生ずるかれの多様の感受は増大する。かれの貪欲と悩害心もまた増大する。そこでかれの心は害なわれる。このように苦しみを積みかさねる人は、安らぎから遠く隔たっている、と言われる。

□(7)愛らしく好ましいすがたに心をとどめる人は、味を味っては、心の落ち着きが失なわれる。欲情に染まった心をもって、それを感受し、それに執著したままでいる。

□(8)味から生ずるかれの多様の感受は増大する。かれの貪欲と悩害心もまた増大する。そこでかれの心は害なわれる。このように苦しみを積みかさねる人は、安らぎから遠く隔たっている、と言われる。

□(9)愛らしく好ましいすがたに心をとどめる人は、触れられるものに触れては、心の落ち着きが失なわれる。欲情に染まった心をもって、それを感受し、それに執著したままでいる。

□(10)触れられるものから生ずるかれの多様の感受は増大する。かれの貪欲と悩害心もまた増大する。そこでかれの心は害なわれる。このように苦しみを積みかさねる人は、安らぎから遠く隔たっている、と言われる。

□(11)愛らしく好ましいすがたに心をとどめる人は、思考の対象を知っては、心の落ち着きが失なわれる。欲情に染まった心をもって、それを感受し、それに執著したままでいる。

□(12)思考の対象から生ずるかれの多様の感受は増大する。かれの貪欲と悩害心もまた増大する。そこでかれの心は害なわれる。このように苦しみを積みかさねる人は、安らぎから遠く隔たっている、と言われる。

□(13)かれは、もろもろのいろ・かたちになずまない。いろ・かたちを見ては、よく気をつけている。心に愛執を離れて感知し、しかもそれに執著していない。

□(14)かれはいろ・かたちを見て、感受作用を感じていても、(業が)尽きて、もはや積まれることがないように、気をつけてくらしている。かれはこのようにして苦しみを除いて行くので、安らぎはかれの近くにある、と言われる。

□(15)かれは、もろもろの音声になずまない。音声を聞いては、よく気をつけている。心に愛執を離れて感知し、しかもそれに執著していない。

□(16)かれは音声を聞いて、感受作用を感じていても、(業が)尽きて、もはや積まれることがないように、気をつけてくらしている。かれはこのようにして苦しみを除いて行くので、安らぎはかれの近くにあると言われる。

□(17)かれは、もろもろの香りになずまない。香りを嗅いでは、よく気をつけている。心に愛執を離れて感知し、しかもそれに執著していない。

□(18)かれは香りを嗅いで、感受作用を感じていても、(業が)尽きて、もはや積まれることがないように、気をつけてくらしている。かれはこのようにして苦しみを除いて行くので、安らぎはかれの近くにあると言われる。

□(19)かれは、もろもろの味になずまない。味を味わっては、よく気をつけている。心に愛執を離れて感知し、しかもそれに執著していない。

□(20)かれは味を味わって、感受作用を感じていても、(業が)尽きて、もはや積まれることがないように、気をつけてくらしている。かれはこのようにして苦しみを除いて行くので、安らぎはかれの近くにあると言われる。

□(21)かれは、もろもろの触れられるものになずまない。触れられるものに触れては、よく気をつけている。心に愛執を離れて感知し、しかもそれに執著していない。

□(22)かれは触れられるものに触れて、感受作用を感じていても、(業が)尽きて、もはや積まれることがないように、気をつけてくらしている。かれはこのようにして苦しみを除いて行くので、安らぎはかれの近くにあると言われる。

□(23)かれは、もろもろの思考の対象になずまない。思考の対象を識別しては、よく気をつけている。心に愛執を離れて感知し、しかもそれに執著していない。

□(24)かれは思考の対象を識別して、感受作用を感じていても、(業が)尽きて、もはや積まれることがないように、気をつけてくらしている。かれはこのようにして苦しみを除いて行くので、安らぎはかれの近くにあると言われる。

マールンキャプッタ長老(注)

(注)パーリー聖典ではMalunkyaputtaまたはMalukyaputta(Malulukyaの子息)として出てくる。ある日かれが釈尊を訪ねて、教えを簡潔に述べてくださいと頼んだので、このように教えたのだという。右に対応するマールンキャプッタの記事は、サンユッタニカーヤにも出て来るが、それによると、マールンキャプッタは老齢であったが、この教えを聞いて出家し、アラハット(阿羅漢)となったという。

■(1)わたしが乗るやめには、柔らかい布が象の頸に敷かれていたし、またわたしは、サーリ米の御飯に浄肉のスープをふりかけて食べてきたが、〔幸福ではなかった。〕

□(2)しかるに、今日、幸運にも、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。

□(3)ボロ布でつづった衣を着て、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。

□(4)托鉢によって得た食物だけを食べて、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。

□(5)3種の衣だけを着て、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。

□(6)家の貧富をえらばずに托鉢して、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。

□(7)独りで坐して、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。

□(8)1つの鉢に盛られる食物だけを食べて、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。

□(9)食事の時を過ぎては食事しないで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。

□(10)森に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。

□(11)樹の下に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。

□(12)屋外に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。

□(13)死骸の棄て場所に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。

□(14)指定された場所に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。

□(15)坐ったままで横臥しないで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。(注)

□(22)かつて、わたしは、高く円い城壁をめぐらされ、堅固な見張り塔や門のある城の中で、剣を手にした人々に護られながら、しかもおののいて住んでいた。

□(23)今日、幸運にも、恐れおののくことなく、恐怖・戦慄を断ち切って、ゴーダーの子・バッディヤは、森に潜んで、瞑想にふける。

□(24)幾多の戒めに安住して、心の落ち着きと知慧とを修めて、わたしは、順次に、あらゆる束縛の消滅を体得した。

カーリゴーダーの子であるバッディヤ長老(168~171頁)

■(1)〔アングリマーラが問うて言った、ーー〕「〈道の人〉よ。あなたは歩いているのに『わたしは立っている』といい、また、わたしが立っているのに、あなたは『わたしは立っていない』といいます。〈道の人〉よ。あなたは何故に、『あなたは立っているのに、わたしは立っていない』というのですか?わたしはあなたにこの意義を質問します。」

□(2)〔ブッダは答えた、ーー〕「アングリマーラよ。わたしは、一切の生きとし生きるものどもに対する暴力を抑制して、つねに立っています。しかるに、そなたは生きものどもに対して〔害する心を〕抑制していない。それ故に、わたしは(静かに)立っているが、そなたは(静かに)立ってはいないのです。」

□(3)〔アングリマーラは言った。ーー〕「ああ、わたしの尊崇する大仙人、道の人、が大きな林に入れられてから、永い時が過ぎた。では、真理にかなった、あなたの詩句を聞いて、わたしは手にも達する数多くの悪業を捨てましょう」と。

□(4)盗賊は、このように言って、刀と武器とを穴や断崖や深い溝の中に投げ落した。盗賊は幸せな人(ブッダ)の両足に敬礼して、その場で出家することをブッダに懇請した。

□(5)神々と世間との師である大仙人、慈しみ深いブッダは、かれに向って、「修行者よ。さあ、来なさい」と言った。まさにこのことで、かれは、修行者たる資格を得たのである。

□(6)以前には怠りなまけていた人でも、のちに怠りなまけることが無いなら、その人はこの世の中を照らす。ーー雲を離れた月のように。

□(7)以前には悪い行ないをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、その人はこの世の中を照らす。ーー雲を離れた月のように。

□(8)たとい年の若い修行者でも、仏の道にいそしむならば、その人はこの世を照らす。ーー雲を離れた月のように。

□(9)すべての方角の者どもは、わたしについて、真理に関する談話を聞け。すべての方角のものどもは、わたしについてブッダの教えにいそしめ。すべての方角のものどもは、わたしについて、真理を体得した心静かなる人々と交われ。

□(10)すべての方角の者どもは、わたしについて、忍耐を説く人々、不抗争を称讃する人々の説く教えを、適当な時に聞け。そうして、それにしたがって実行せよ。

□(11)かれは実にわたしをも害することなく、また他のいかなる人をも害することがないであろう。最高の静けさに到達し、動く者でも動かないものでも(すべての生きものを)守るであろう。

□(12)水道をつくる人は水をみちびき、矢をつくる人は矢を矯(た)め、大工は木材を矯め、賢者は自己をととのえる。

□(13)或る人々は、杖とか、鉤とか、鞭とかで調練する。わたしは、杖にもよらずに、立派な人に調練された。

□(14)以前には、わたしは加害者であったが、わたしの名は「傷害せざる者」である。いま、わたしは、真に名前のとおりの者である。わたしは、いかなる人をも害することがない。

□(15)わたしは、以前には「アングリマーラ」(切った指でつくった輪をかけている者)という悪名で知られていた。おおきな激流に流されていたが、すでにブッダに帰依するに至った。

□(16)わたしは以前には手が血で染められ、「アングリマーラ」という悪名で知られていた。わたしが帰依するのを見よ。迷いの生存にみちびく素因は、根だやしにされた。

□(22)森の中で、あるいは樹木の根もとで、山の中で、あるいは洞窟の中で、至るところで、そのとき、わたしはおびえていた。

□(23)(しかし今では)わたしは幸せに臥し、幸せに立ち、幸せに生活を送っている。悪魔の縄にかかることもない。ああ、わたしは師の慈しみを蒙っているのである。

□(26)わたしは、師(ブッダ)に仕え、ブッダの教え(の実行)をなしとげた。重い荷をおろし、迷いの生存にみちびくものを、根こそぎにした。

アングリマーラ長老(注)(171~175頁)

(注)アングリマーラは、盗賊であったが、釈尊の教化を受けて、きっぱりと人殺しを止めた。(276頁)

■(5)聖者は托鉢から帰って来て、供(とも)もなく、独りでいる。汚れなきアヌルッダはボロの布切れを探し求める。

□(6)思慮あり汚れなき聖者アヌルッダは、ボロの布切れを選び、取り、洗い、染めて、(綴じて)着た。

□(10)世間における無上の師は、わたしの意向を知って、神通力によって、心のはたらきだけで現わし出した身体を以て、近づいて来られた。

□(13)わたしが、横臥しないで坐っている行(常坐不臥)を始めてから55年が経過した。無気力なものうさを根だやしにしてから25年が経過した。

□(14)心の安住せるかのごとき人には、すでに呼吸がなかった。欲を離れた聖者はやすらいに達して亡くなられたのである。

□(15)ひるまぬ心をもって苦しみを耐え忍ばれた。あたかも燈火の消え失せるように、心が解脱したのである。

□(20)それゆえに、わたしはサーキャ(釈迦)族の家に生まれ、アルヌッダという名で人々に知られていました。舞踏や歌謡に明け暮れし、鐃鈸(にょうばち)の音に目をさましました。

□(21)ところがわたくしは、何ものをも恐れぬ師、完きさとりを開いた人に見(まみ)えて、かれを信ずる浄らかな心を起して、出家して、家無き状態におもむきました。

アルヌッダ長老(注)(175~178頁)

(注)アルヌッダ;阿那律。仏弟子のうちでは天眼第一といわれた。アヌルッダに関する伝説は、種々さまざまで必ずしも一致しない。(ー略ー)。たの所伝によると、かれは、仏教信者マハーナーマの弟で、釈尊の従弟に当たる。釈尊の教えを聞いている最中に居眠りをして、釈尊の叱責を受け、それ以後、不眠の誓いを立てて、精励したから、ついに失明した。だが、天眼(=知慧の眼)を得たという。釈尊の死の直後に、慟哭し悲嘆する弟子たちを慰めて激励した。(277頁)

■(11)もろもろの悪しき特質と煩悩とのはびこる時期である。遠ざかり離れることを実践している人々は、まだ正しい教えをいくらか残している人々であって、……。

□(12)それらの煩悩は、増大しつつ、多くの人々に侵入する。悪鬼が狂人と戯れるように、それらは愚人と戯れるのだと、わたしは思う。

□(13)それらの人々は、もろもろの煩悩に制圧されて、煩悩のもととなるものを追って、それぞれ走って行く。ーーみずから物を捉えたときに大声で叫ぶように。

□(14)かれらは、正しい教えを捨てて、互いに争う。かれらは(誤った)見解に従って、「これこそ勝れている」と考える。

□(15)かれらは財と妻子を捨てて家を出て行ったのに、一碗の食を乞うためにさえも、なしてはならないことを為すのを習いとしている。

□(16)かれらは、腹がふくれるほどに食べて、背を下にして臥している。目がさめると雑談をしている。ーー雑談をするのは、師の禁ぜられたことであるのに。

□(17)あらゆる職人の技術を重んじて、それらを習得するが、内心は安らかではない。これが「修行者としての生活の目標」なのである。

□(18)かれらは、塗料、油、粉抹、水、座具、食物を、世俗の在家者たちに贈って、(返礼として)ますます多くを得ようと望んでいる。

□(19)楊子、カピッタの果実、花、噛む食物、鉢にみちた豊かな托鉢食、マンゴーの実、アーマラカの実を(も贈って、ますます多くを得ようと望んでいる。)

□(20)医薬に関しては医師のように、為すべきことと為すべからざることに関しては在家者のように、粧い飾ることに関しては遊女のように、権威に関しては王族のように〔ふるまう。〕

□(21)かれらは、奸詐なる者、欺瞞する者、偽証する者、放埒なる者ども出遭って、多くの術策を弄して、財を受用する。

□(22)種々の口実を設け、手だてや術策を弄することを追求し、生計を立てるために手段にたよって多くの財を蓄える。

□(23)かれらは会議を開催するが、それは(わざわざ)業務をつくり出すためであり、真理を実現するためではない。かれらは方を説くが、それは(自分たちの)利得のためであり、(実践の)目的を達成するためではない。

□(24)かれらは、教団(の修養生活)の外にありながら、教団の利得に関して争う。慚愧の心の無いかれらは、他人からの利得に依って生活していながら、恥じることがない。

□(25)或る人々は、そのように、剃髪し、重衣をまとっているが、修行に勤めないで、利得や供養を得ることにうつつをぬかし、尊敬されることだけを求めている。

□(26)このように、種々のことがらが過ぎ去ると、今や、あのように、未だ体得しないことを体得し、またすでに体得したことを護りつづけるということは、容易ではない。

□(27)あたかも、履物をはかないで、棘のある道を、しっかりと心を落ち着けて、歩むように、聖者は村の中を歩めよ。

パーラーパリヤ長老(180~182頁)

三十ずつの詩句の集成

■(26)心汚れ、尊敬の念のない僧尼は、未来において、慈悲心のある立派な人々を罵るであろう。

□(27)知慧劣り、俗悪で、恣に欲にふけっている愚者は、〔法〕衣をたもつことを長老から教えられても、これを聴かないだろう。

□(28)このように教えを受けても、これらの愚者は互いに相敬うことなく、あたかも荒れ馬が馭者に対するがごとく、師の言に注意することがないだろう。

□(29)最後の時が来たならば、未来ににおける僧尼らの行跡はこういう風であろう。

□(30)未来にこの大きな恐怖が迫って来る前に、そなたらは、ことばやさしく、心が和(やわら)いで、互いに尊敬する者であれ。

□(31)慈しみの心あり、憐れみ深く、戒めをよく守り、精励努力し、果敢で、つねに剛勇であれ。

□(32)なおざりは恐ろしいことだと見なし、精励は安穏の境地であると見なし、不死の境地を体得して、8つの支分よりなる道(八正道)を実践せよ。」

プッサ長老(186頁)

■(7)悪い欲望をいだき、怠惰で、元気なく、学ぶこと少なく、他人を尊敬しないような人が決してわたくしにはかかずらいませんように。ーーその人はこの世において、そもそも、何にかかずらうのでしょうか?

□(8)ひろい学識があり、聡明であり、もろもろの戒行によく専心し、そして、心の平静をうることに専念する者ーー〔かれこそ、わが〕頭上に立て。

□(9)ひろがる妄想にふけり、妄想を喜びとする獣〔のごとき者〕、ーーかれは、無上の安らぎ、安穏を獲得するに至らない。

□(11)村でも、林でも、低地でも、平地でも、聖者たちの住む土地は、楽しい。

□(14)(他人を)訓戒せよ。教えさとせ。宜しくないことから(他人を)遠ざけよ。そうなれば、その人は善人に愛され、悪人からは疎まれる。

□(15)〔真理を見る〕眼ある尊き師・ブッダは、他の一人のひとのために、真理の教えを説かれた。教えが説かれているとき、〔道を〕求めるわたしは、耳をそば立てた。

□(25)かれは、こころ静かに、やすまり、思慮して語り、心が浮わつくことなく、もろもろの悪しき性質を吹き払う。ーー風が樹の葉を吹き払うように。

□(26)こころ静かに、やすまり、思慮して語り、心が浮わつくことなく、もろもろの悪しき性質を吹き捨てよ。ーー風が樹の葉を吹き払うように。

□(27)こころ静かに、煩労(はんろう)なく、心が清く澄んで、けがれなく、性行が良く、聡明であり、苦しみを滅ぼす者であれ。

□(28)こういうわけで、或る在家の人々をも、さらに出家者をさえも、信頼してはならない。もとは善良であっても、もちに不良となる者どもがいる。また、もとは不良であっても、のちに善良となる人々がいる。

□(29)官能的欲望と、害心と、ものうさと、ざわつきと、疑惑ーー、これらの5つは、修行者にとって、心の汚れである。

□(30)尊敬をうけていても、また尊敬されていなくても、どちらであろうとも、つとめはげんで生活する者は、精神の安定がゆらぐことがないーー

□(31)瞑想し、堅忍不抜で、もろもろの見解を微細なところまで洞察し、執著を滅するのを楽しんでいる人、ーーかれを〈立派な人〉と呼ぶ。

サーリプッタ長老(注)(186~191頁)

■(1)聡明な人は、ーー2枚舌を使う人、怒り易い人、けちな人、そして(他人の)破滅を喜ぶ人と、つき合ってはならない。悪人と交わるのは、わざわいである。

□(3)見よ、粉飾された形体をを!(それは)傷だらけの身体であって、いろいろのものが集まっただけである。病いに悩み、意欲ばかり多くて、堅固でなく、安定していない。

□(4)学識あり、みごとに談論し、ブッダの侍者であるゴータマ(アーナンダ)は、〔重き〕荷をおろし、束縛を離れ、臥床(ふしど)についている。

□(5)かれは、煩悩のけがれを滅ぼし、束縛を離れ、執著を超え、よく心の安らぎをえ、生死の彼岸に達し、最後の身体をたもっている。

□(6)太陽の裔であるブッダの〔説いた〕もろもろの教えの基礎となっている、かの安らぎの至る道の上に、このゴータマ(アーナンダ)は立っている。

□(7)わたしは、ブッダから8万2千〔の教え〕を受けました。また修行者たちから2千〔の教え〕を受けました。ーーこういうわけで8万4千の教えが行われているのです。

□(8)学ぶことの少ないこの人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、かれの知慧は増えない。

□(11)一を聞いて百を知り、意義を知り、ことばや語句に精通する者は、よく会得し、そして意義を探究する。

□(12)忍受することによって〔なそうという〕欲求が生じる。努力してこれを測定する。内によく心の安定した人は、時に応じて、奮励する。

□(13)学識あり、真理の教えをたもち、知慧あり、真理を理解しとうと願うブッダの弟子、ーーこのような人に親しみ仕えよ。

□(14)学識あり、真理の教えをたもつ人は、大いなる仙人の〔宝の〕蔵を守護する人、全世界の人々の眼(まなこ)である、ーー〔この〕学識ある者は、尊敬さるべきである。

□(15)真理を喜び、真理を楽しみ、真理をよく知り分けて、真理にしたがっている修行者は、正しいことわりから堕落することがない。

□(16)身体を〔動かすのを〕惜しんで、もの倦く思い、ただ肉体の快楽を貪るものには、どこから〈道の人の〉快さが起こるであろうか?ーー〔身体が刻々に〕衰えて行くのに奮起もしないで。

□(17)四方、さだかに見えず、教えもまた、わたしにとって明らかでない。善き友がこの世を去って、暗黒〔に覆われたよう〕に思われる。

□(18)友が世を去り、師も逝去されてしまった者にとっては、〔もはや〕〈身体に関して心がけること〉ほどの〔良き〕友は存在しない。

□(19)むかしの人々は、すでに去り、新しい人々は、わたしとなじまない。今日、わたしは、ただ独り思いに耽る。ーー雨のために巣ごもりする鳥のように。

□(20)〔わたしに〕会おうと、諸国から来た多くの人々、教えを聞こうとする〔それらの〕人々をさえぎってはならない。かれらを、わたしに会わせるがよい。まさに、その時である。

□(21)〔師ブッダを〕見ようと、ひろく諸国から来た人々に、師はそれ(謁見)を許し、眼あるかた(ブッダ)はそれをさえぎらなかった。

□(22)25年の間、わたしは、学ぶ者であったが、官能的欲望の想いは起こらなかった。見よ、ーー教えが真理にみごとに即応していることを!

□(23)25年の間、わたしは、学ぶ者であったが、いかりの想いは起こらなかった。見よ、ーー教えが真理にみごとに即応していることを!

□(24)25年の間、わたしは、慈愛にあふれた身体の行ないによって尊き師のおそばに仕えた。ーー影が身体から離れないように。

□(25)25年の間、わたしは、慈愛にあふれたことばの行ないによって尊き師のおそばに仕えた。ーー影が身体から離れないように。

□(26)25年の間、わたしは、慈愛にあふれたこころの行ないによって尊き師のおそばに仕えた。ーー影が身体から離れないように。

□(27)ブッダが経行(きんひん)されているとき、わたしは、その後からつき従って経行した。また、ブッダが教えを説かれているとき、わたしに智恵が生じた。

□(28)わたしは、まだなすべきことのある身であり、学習する者であり、まだ心の完成に達しない者であった。それなのに、わたくしを慈しみたもうた師は、円かな安らぎに入られた〔亡くなられた〕。

□(29)あらゆるすぐれた徳性を具えた覚者が、円かな安らぎに入られたとき、〔世の人々に、〕そのとき、恐怖があった。そのとき、身の毛のよだつことがあった。

□(30)「学識あり、真理の教えをたもち、大いなる仙人の〔宝の〕蔵を守護し、あらゆる世の人人の眼(まなこ)であるアーナンダは、円かな安らぎに入った。

□(31)学識あり、真理の教えをたもち、大いなる仙人の〔宝の〕蔵を守護し、あらゆる世の人々の眼(まなこ)、闇の中で暗黒をのぞく者、

□(32)機敏な才智あり、つねに気をつけていて、しっかりとしている仙人であって、正しい真理の教えをたもち、宝石の鉱脈である長老のアーナンダは、……。」

□(33)わたしは、師〔ブッダ〕に仕えました。ブッダの教えを実行しました。重い荷をおろしました。迷いの生存にみちびくものを根だやしにしました。

アーナンダ長老(191~195頁)

四十ずつの詩句の集成

■(1)群衆に尊敬されて遍歴すべきではない。〔もしそうするならば〕心が乱れ、心の安定は得難いであろう。さまざまな人々から受け容れられるのは苦しみである、とみなして、群集〔と交わること〕を喜んではならない。

□(2)聖者は良い家庭に近づいてはならぬ。〔もしそうするならば〕心が乱れ、心の安定は得難いであろう。がつがつして味に耽溺する者は、幸せをもたらす目的を見失なう。

□(3)けだし、かれら(修行者)は、良家の人々からつねに受ける礼拝と供養とは、汚泥のようなものであると知っているからである。細かな(鋭い)矢は抜き難い。凡人は(他人から受ける)尊敬を捨てることは難しい。

□(4)わたしは坐臥所から下(くだ)って、托鉢のために都市に入って行った。食事をしている一人の癩病人に近づいて、かれの側(かたわら)に恭しく立った。

□(5)かれは、腐った手で、一握りの飯を捧げてくれた。かれが一握りの飯を鉢に投げ入れてくれるときに、かれの指もまたち切れて、そこの落ちた。

□(6)壁の下のところで、わたしはその一握りの飯を食べた。それを食べているときにも、食べおわったときにも、わたしには嫌悪の念は存在しなかった。

□(22)多くの〔世俗の〕仕事をしてはならない。人々を避けよ。〔雑な縁をつくり出すために〕努め励んではならない。がつがつして味に耽溺する者は、幸せをもたらす目的を見失なう。

□(23)多くの〔世俗の〕仕事をしてはならない。この、目的にみちびかぬことがらを遠ざけるがよい。〔もしも、そうしなければ〕、身体は悩み、疲労する。かれは、苦しんで心の平静を得ることはできない。

□(33)賢明にして偉大な瞑想者であり心の安定している〈真理の将軍〉サーリプッタにたいして、かれらは、礼拝・合掌して、たっていた。〔ーーつぎのように、たたえながらーー。〕

□(34)「生まれ良き人よ。あなたに敬礼します。最上の人よ。あなたに敬礼します。あなたがなにに基づいて瞑想しておられるのか。ーーわたくしたちは、それを知りません。

□(35)ああ、すばらしいことです。深遠なことです。ーー真理をさとった人々(

ブッダ、複数)の自身の境地は!わたくしたちの思い知るところではありません。たとい、わたくしたちが、毛髪の先を射る者のように極めて微細なことを突きとめ得る人々の集まりであったとしても。」

□(36)尊敬を受けるにふさわしいそのサーリプッタが、そのとき、そのように神々の群から

□(37)〔福徳を生ずる〕ブッダの田に関する限り、偉大な聖者(ブッダ)を除いて、わたしは〈悪を払いのける〉という徳において傑出している。わたしに等しい者は存在しない。

□(38)わたしは師(ブッダ)に仕え、ブッダの教え(の実行)をなしとげた。重い荷をおろし、迷いの生存にみちびくものを、根こそぎにした。

□(39)測り知れないゴータマ〔・ブッタ〕は、衣服にも、臥床にも、食物にも執著していない。ーー蓮華の花が水に汚されないように。かれは、出離に心を傾注し、三界から離れている。

□(40)かの偉大な聖者・偉大な智者は〔四種の〕心の専注を頸とし、信仰を手とし、知恵を頭とし、つねに安らぎを得て生活している。

大カッサッパ長老(196~201頁)

五十ずつの詩句の集成

■(1)わたしが、心の安定を具現して、無量のいろ・かたち、音声、香り、味、触れられるもの、考える対象を、燃え立っているものであると知慧もて見るのは、そもそも、いつの日のことであろうか?そのことは、いつ起るであろうか?

□(2)わたしが、〔他人から〕悪口を言われても、それだからとてくよくよすることなく、また褒めたたえられても、それだからとて悦ぶことがないようになるのは、そもそも、いつの日のことであろうか?そのことは、いつ起るであろうか?

□(3)わたしが、内的にも、外的にも、これらの〔五つの〕構成要素(五蘊)や無量に多くの事象を、木片(きぎれ)や雑草に等しいものだと思いなすようになるのは、そもそも、いつの日のことであろうか?そのことは、いつ起るであろうか?

□(11)家庭では友人と愛する人々と親族とを捨て、世間では遊戯と歓楽と愛欲の対象とを捨て、すべてを捨ててこれに近づいた。それなのに、心よ、汝はわたしに満足していない。

□(12)これは、わたしだけのことがらである。それは他人のことがらではないからである。鎧えお着ける時が来たのに、どうして嘆き悲しむのだ。「このすべては動転するものである」と観察して、わたしは出家して、不死の境地をもとめた。

□(13)善き言葉を語る人、人間のうちの最上の人、大力のある人、人々を調練する御者(ブッダ)は、〔このように語られた。ーー〕「心は動転するもので、猿のごとくである。それ故に、欲情を離れていなければ、心を制することは困難である」と。

□(14)けだし、欲望は種々さまざまで、甘美で、楽しく、無知なる凡夫の執著するところである。かれらは、再び生まれることを求めて、苦しみを得ることを欲している。かれらは、心に導かれ、地獄に堕とされる。

□(15)「孔雀や鷺の鳴く林に、豹や虎に囲まれて住み、身体に対する顧みを捨てよ。空しく時を過すな」といって、心よ、あなたは以前にはわたしを促した。

□(16)「〔4つの〕瞑想(四禅)と、〔5つの〕すぐれたはたらきと、〔5つの〕力と、さとりを得るための7つのてだてと心の安定を得るための修養を修めよ。ブッダの教えにおいて3つの明知を体得せよ」と、そなたは以前にわたしを促した。心よ。

□(17)「不死の境地を得るために、出離にみちびき、一切の苦しみの消滅に没入し、一切の煩悩から浄める、8つの実践法よりなる道を修めよ」と、そなたは以前にわたしを促した。心よ。

□(18)「個体を構成する〔5つの〕要素は、苦しみである」と正しく反省せよ。苦しみの生ずるもとを捨てよ。この世において苦しみを終滅せよ」と、そなたは以前にわたしを促した。心よ。

□(19)「〈無常なるものは苦しみである〉。〈空なるものは非我である〉。〈罪は殺害するものである〉。と正しく観察せよ」「心の思考をとどめよ」と、そなたは以前にわたしを促した。心よ。

□(20)「剃髪し、異様なすがたをして、罵詈(ばり)に遭いながら、鉢を手にするのみで、家々に托鉢せよ。偉大なる仙人である師のことばを尊守せよ」と、そなたは以前にわたしを促した。心よ。

□(21)「家々のあいだでは、よく自己を制し護って、街路の内を歩み、もろもろの欲望に心の執著することなく、明らかに照らす満月の夜の月のごとくであれ」と、そなたは以前にわたしを促した。心よ。

□(22)「森に住む者であれ。托鉢して食物をうる者であれ。死骸の捨て場所に住む者であれ。ボロ布でつづった衣を着る者であれ。坐ったままで横臥しない者であれ。つねに、汚れを払い落す(頭陀)〔の行ない〕を楽しむ者であれ」と、そなたは以前にわたしを促した。心よ。

□(23)そなたが、無常にして動転するものに向かってわたしの心を向けさせるのは、樹木を植えて果実を求めようとする人が、その樹を根もとから断ち切ろうとするその譬喩のようなことを、そなたは為すのである。心よ。

□(24)かたち無きものよ。遠くに行く者よ。独り歩む者よ。いまや、わたしはそなた(心)のことばに従いますまい。もろもろの欲望は苦いもので、辛苦であり、大きな恐怖をもたらすからである。わたしは、安らぎに心を向けてのみ日を送ろう。

□(25)わたしが出家したのは不運のためでもない、恥知らずのためでもない、気まぐれのためでもない、追放されたためでもない、また生活のためでもない。心よ。わたしは、そなたのすすめに従ったのである。

□(26)「〈少欲であること〉、〈かくし立てを捨てること〉、〈苦しみを静めること〉は、立派な人人にほめたたえられる」と、そなたは、そのとき勧めてくれた。心よ。ところが、そなたは、今、以前になずんだならわしに帰る。

□(27)愛執、無知、いろいろの快いことがら、快適ないろ・かたち、楽しい感受、心にかなう欲望の対象ーーこれらを、すべて捨て去った。わたしは、すでに捨て去ったもにのところに、帰るわけにはいかない。

□(28)心よ。あらゆる場合に、わたしはそなたのことばに従って来た。多くの生涯にわたって、わたしはそなたを怒らせたことはなかった。内心に由来することは、そなたのおかげである。そなたのつくり出した苦しみのうちに、わたしは永いあいだ輪廻した。

□(29)ひとえにそなたの故に、われらは阿修羅となる。そなたの故に、われらは地獄の衆生となる。またいつかは、畜生となる。餓鬼の身を受けることもまた、ひとえにそなたの故である。

□(30)師はわれに、この世界を、無常で、堅固ならず、実質のないものであると示したまうた。心よ。われにして勝利者(ブッダ)の教えに入らしめよ。いとも渡り難き大きな激流から〔われを〕救いたまえ。

テーラプタ長老(203~211頁)

六十の詩句の集成

■(5)肉と筋とで縫い合わされた骸骨の小舎(こや)、悪臭を放つ身体は、厭わしいかな。他のものである肢体を、そなたはわがものであると思いなしている。

□(6)皮膚でつなぎ合わせた糞袋よ。胸に潰瘍をもつ魔女よ。そなたの身体には、9つの(孔から流出する)流れがあり、常に(液汁が)流れでている。

□(7)糞尿に礙(さ)えられているものよ。そなたの身体には、9つの(孔から流出する)流れがあり、悪臭を放っている。清らかならむことを求める修行僧は、それを避ける。ーー排泄物を避けるように。

□(8)わたしが、そなたを知るように、そのように、もしも人がそなたを知るならば、あたかも雨季に肥溜を避けるように、人は遠く離れて、そなたを避けるであろう。

□(9)〔遊女は答える、ーー〕「このことは、あなたのおっしゃるとおりです。偉大な健き人よ。道の人よ。或る人々は、老いた牛がぬかるみの泥の中にはまりこむように、この〔不浄な身体〕に落ちこむのです。」

□(10)〔大モッガラーナが説いて言う、ーー〕(鬱金香、うっこんこう)または他の染料で、空中に絵を画こうと思う者があれば、それは身の破滅を生ずるもとにほかならない。

□(11)内によく安定したこの心は、虚空のごとくである。悪心ある女よ。蛾が火むらに近づくように、われを奪い去ることなかれ。

□(12)見よ、粉飾された形体を!(それは)傷だらけの身体であって、いろいろのものが集まっただけである。病いに悩み、意欲ばかり多くて、堅固でなく、安住していない。

□(13)数多くの徳性をそなえたサーリプッタが〔死の〕安らぎに入ったとき、そのとき恐ろしいことが起こった、ーーそのとき身の毛のよだつことが起こった。

□(23)静かな安らいの境地に達し、辺鄙なところを臥坐所とする聖者(大カッサパ)は、最上のブッダの相続者であって、梵天に敬礼される人である。

□(24)バラモンよ。静かな安らいの境地に達し、辺鄙なところを臥坐所とする聖者にして、最上のブッダの相続者であるカッサパに敬礼せよ。

□(25)およそ人が、くりかえし人間に生まれて、しかもみなバラモンとして生まれ、ヴェーダ聖典に通暁した学者であって、

□(26)3種のヴェーダ聖典を読誦し、その奥義に達したものであったとしても、この人を敬礼するのは、〔大カッサパを敬礼する場合の〕16分の1にも達しない。

□(27)朝食前に、8つの解脱を順と逆とのしかたで体得して、それから托鉢に出かけるところの、

□(28)そのような修行者を襲撃してはならない。バラモンよ。自己を破滅させてはならない。そのような尊敬さるべき人(アラハット)にたいして、心に信をおこせ。すみやかに合掌して敬礼せよ。ーーなんじの頭が〔7つに〕裂けることのないように。

□(29)輪廻にみちびかれ、正しい真理の教えを見ない者は、曲りくねった路・邪道をかけめぐり、下に堕ちる。

□(31)両方において解脱を得、内によく心の安定した、この容姿端麗なサーリプッタがやって来るのを見よ。

□(32)かれは、〔愛執の〕矢を抜き、束縛を滅ぼし、3種の明知があり、死(悪魔)を捨て去り、供養を受けるにふさわしく、人々のための無上の福田(功徳を生ずるもと)である。

□(33)これらの多数の神々、一万の神々は、神通力をもち、名声あり、すべてみな梵天を主導者としているが、モッガラーナに敬礼しつつ、合掌して立って、〔こういった。〕ーー

□(34)生まれ良き人よ。あなたに敬礼します。最上の人よ。あなたに敬礼します。ーーもろもろの汚れを滅しておられるあなたに。師よ。あなたは、供養を受けるにふさわしい方です。

□(35)あなたは、人間や神々に供養され、死に打ち克つ人として現はれて来ました。白蓮華が〔泥〕水に汚されないように、もろもろの事象に汚されません。

□(36)かれは一瞬のうちに千回も世界を見通した。かの修行者は、大梵天のごとくであり、神通力という徳に関しても、生死を知ることに関しても自在であり、適当な時に神々を見る。

□(37)サーリプッタは実に、智慧と戒行と平静とによって彼岸に達した修行者であり、そのように最高の人である。

□(38)わたしは、幾万億の数の自己のすがたを、一瞬のうちに化作(けさ)しよう。わたしは種々に身を変化(へんげ)することに巧みで、神通に熟達している。

□(39)モッガラーナ姓の者であるわたしは、禅定と明知との達人であり、完成に達し、無執著なる人(ブッダ)の教えにおいてしっかりと確立し、もろもろの感官の安定を得ていて、束縛を断ち切った。ーー象が腐った蔓草を断ち切るように。

□(40)わたしは師(ブッダ)に仕え、ブッダの教え(の実行)をなしとげた。重い荷をおろし、迷いの生存にみちびくものを、根こそぎにした。

□(41)わたしが出家して家無き状態に入ったその目的を、わたしは達成した。それは、すべての束縛を滅ぼしつくすことであった。

尊き人・モッガラーナ長老は、このように詩句を唱えた。(212~220頁)

詩句の大いなる集成

■(1)ああ、わたしは家から離れて出家して、家無き状態に入ったのに、黒い〔悪魔〕から来たこれらの思いが頑強にわたしに襲いかかる。

□(2)偉大な射手(いて)である貴公子たち、よく熟練し、剛弓を手にし、怯(ひる)むことのない人々が千人もいて、わたしを取り囲むかもしれない。

□(3)もしも、それ以上のまずの女人たちが来ようとも、わたしを悩まし害なうことはないであろう。わたしは真理のうちに安住しているのである。

□(4)わたしは、太陽の裔であるブッダから、ひとたび、安らぎにおもむくこの道を聞いたからである。わたしの心は、それに安住し楽しんでいる。

□(5)悪魔よ。わたしがこのように生活しているのに、そなたは近づいて来る。わたしも〔そなたと〕同じようにしよう。〔そなたは〕わたしの歩む道を見ることはないであろう。

□(6)快楽と不楽と家の生活に執著する思慮とを、すべて捨てて、なにものにも欲を起すな。かれこそ、欲を離れているから。無欲の修行者である。

□(7)この世における大地と天界、世界のうちに没入しているいろ・かたちあるいかなる事物も、すべて、無常にして、老い朽ちる。叡知ある人たちは、このように知って日を送る。

□(8)人々は、もろもろのこだわりのうちにあって、見られ、聞かれ、触れられ、考えられたものについて、縛られている。人は動揺することなく、この世に対する欲望を除け。この世に汚されない者を、人々は〈聖者〉と呼ぶからである。

□(9)かれらは、凡夫であるが故に、68〔の邪な見解〕を固執し、考察をめぐらし、正しくないことがらに執著している。しかし、かの修行者は、なにごとに関しても党派に執著するな。まして、煩悩になやまされた重苦しさにとらわれるな。

□(10)天稟(てんぴん)素質あり、長い年月にわたって精神を安定し、偽ることなく、聡敏にして、羨むことのない聖者は、安らかな境地に到達した。かれは、縁によって安らぎに達した者として、〔死の〕時の至るのを待つ。

■(11)「ゴータマ〔・ブッダの弟子、ヴァンギーサ〕よ。慢心を投げ捨てよ。高慢への道をすっかり捨てよ。なんじは、高慢への道に迷って、長いあいだ後悔しつづけた。

□(12)隠し立てのために蔽われ、慢心のためにうちのめされて、人々は地獄に堕ちる。慢心のためにうちのめされ、地獄に生まれて、人々は、長い時期にわたって悲しむ。

□(13)けだし、道によるが故の勝利者である修行僧は、正しく実践して、いかなるときにも悲しまず、名誉と幸せを享受する。人々がかれを〈真理を見る者〉と呼ぶのは、正しい。

□(14)それ故に、この世において、荒れることなく、高ぶらず、心の覆い礙(さまた)げをすてて、清らかとなり、また高慢をすっかりすて去って、心の静まった人となり、明知によって〔苦しみを〕終滅せよ。」

■(24)知慧が深く、聡明な英智に富み、種々の道に通達し、大いなる知慧あるサーリプッタは、もろもろの修行僧に、ことわりを説く。

□(25)かれは簡略に説くこともあり、また詳しく説くこともある。九官鳥の鳴き声のように、〔自由自在な〕弁舌の才を発揮する。

□(26)かれが、魅惑的な、聞くに快い、甘美な声で教えを説いているとき、その甘く快い声を聞いて、修行者たちは、心喜び・なごんで、耳を傾けた。

■(27)今日、〔満月の〕15日に、5百人の修行者たちは、清らかにねるために、集まって来た。〔これらの〕仙人たちは、束縛を断ち切り、苦悩もなく、くりかえし迷いの生存を受けることを滅ぼした。

□(28)あたかも、輪転王が、大臣たちにとりまかれ、海に囲まれているこの大地を、あまねく巡行するように、

□(29)そのように、3種の明知あり、悪魔を避けた弟子たちは、戦いの勝利者・隊商の王・無上なる人(ブッダ)に仕える。

□(30)〔われわれは〕すべて、尊き師(ブッダ)の子であり、ここにはむだなものはなにも存在しない。わたしは、〈太陽の裔にして、妄執の矢を打ち砕く人〉(ブッダ)を礼拝する。

■(31)一千人を超える修行者たちは、汚れを離れなにものをも恐れることのない道理、安らぎを、説いた〈幸せな人〉(ブッダ)に仕える。

□(32)かれらは、正しくさとった人の説かれた雄大な教えを聞く。実に、さとった人は、修行者たちの集まりに崇められて、きらめいている。

□(33)尊き師よ。あなたは「象」と名づけられ、仙人たちのうちでも最上の仙人である。あなたは、大きな雲のようになって、弟子たちに雨をそそぐ。

□(34)午後の休息から立ち上がって、師(ブッダ)を見たてまつろうと願って、弟子ヴァンギーサは、あなたの両足に〔頭をつけて〕敬礼する。偉大な雄々しき人よ。(225頁)

 

『神々との対話(サンユッタ•ニカーヤ1)』中村 元 訳 岩波文庫

第Ⅰ篇 神々についての集成(注)

(注)集成;samyuta. サンユッタという語を、わが国では「相応」と訳すことがあるが、それは仏典でそのように訳されている訳語を採用したのである。しかしその意味は「結びついた」「結合した」「集成された」という意味であって、現在の日本語で「身分相応」とか「相応のことはいたします」というような意味ではない。だから、新しい訳語を用いることにした。

第1章 葦

第4節 時は過ぎ去る

■傍らに立って、その神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。

「時は過ぎ去り、〔昼〕夜は移り行く。

青春の美しさは、次第に〔われらを〕捨てて行く。

死についてのこの恐ろしさに注視して、

安楽をもたらす善行をなせ。」

□〔尊師いわく、ーー〕

「時は過ぎ去り、〔昼〕夜は移り行く。

青春の美しさは、次第に〔われらを〕捨てて行く。

死についてのこの恐ろしさに注視して、

世間の利欲を捨てて、静けさをめざせ。」(16~17頁)

第5節 どれだけを断つべきか?

■傍らに立って、その神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。

「どれだけを断つべきか? どれだけを捨てるべきか? その上にどれだけを修めるべきか? どれだけの束縛を超えたならば、修行僧は、〈激流を渡った者〉と呼ばれるのであるか?」

□〔尊師は答えた、ーー〕

「五つ〔の下位の束縛〕(注1)を捨て。五つ〔の上位の束縛〕(注2)を捨てよ。さらに五つ〔のすぐれたはたらき〕を修めよ。五つの執著(注3)を超えた修行僧は、〈激流を渡った者〉と呼ばれる。」(17頁)

(注1)5つの下位の束縛;五下文結をいう。欲界に属する5つの煩悩。結は束縛のことで、煩悩の異名。下分は欲界のこと。三界のうち最下の欲界(感覚で知ることのできる下界)に衆生を結びつけ、束縛している5種の煩悩、すなわち欲界における貪・瞋恚・有身見・戒禁取見・疑のこと。この五下分結のあるかぎり、衆生は欲界に生をうけ、これらを断滅すると、欲界に帰らぬ不還果を得るというのが、説一切有部などの伝統的見解であった。ところが前掲のパーリ文註解は、死後に四悪道のいずれかにおもむかせる5つの束縛と解していたようである。だから最初の時期には必ずしも解釈が一定していなかった。

(注2)5つの上位の束縛;五上文結をいう。上方(色界と無色界)に結びつける5つの煩悩。結とは煩悩の異名で、上方とは色界、無色界をいう。三界のうち、上二界であるある色界と無色界とに衆生を結びつける5種の煩悩、すなわち色界における貪、無色界における貪・掉挙(じょうこ)・慢・無明をいう。衆生を色界と無色界とに結びつけて解脱させない煩悩であるから、上文結と名づける。これを断ずると阿羅漢界を得るのである、というのが説一切有部などの伝統的解釈であった。ところが、前掲のパーリ文注解は、死後の神々の世界におもむかせる5つの束縛と解している。そこで言えることはこの『サガータ・ヴァッガ』(『サンユッタ•ニカーヤ』の第1集「詩をともなう集」のこと)の詩や『ダンマパダ』のこの詩がつくられた時には、五上文結、五下文結という観念は恐らく成立していたのであろうが、まだ三界説と結びついていなかった。三界説は『ダンマパダ』や『スッタニパータ』のなかにもまだ出ていないから、かなり遅れて成立したものであろう。

(注3)5つの執著;貪りと怒りと迷妄と高慢と邪しまな見解という5つの執著である。これらは執著を起こさせるもとであるから「五著」という。(228~229頁)

■〔尊師いわく、ーー〕

「〔5つ〕(注1)がめざめているときに、5つ(注2)が眠っている。5つが眠っているときに、5つがめざめている。

5つによってひとは塵にまみれる。5つによってひとは清められる。」(18頁)

(注1)〔5つ〕;信などの五根、修行に関する五根とは解脱に至るための5つの力、また能力。さとりを得るための5つの機根、可能力のある5つの美徳とでもいうべきものである。南方の上座部においては(他の諸派においても同様であるが)次の〈5つの勢力〉をいう。⑴信ーー信仰。ブッダの説いた理法、道理を心の底から信ずること。⑵精進ーー努力。修行に精励すること。⑶念ーー憶念。つねに心を落ち着けて、気をつけていること。⑷定ーー禅定。心を統一して、動揺させないこと。⑸慧ーー知慧。真理を見とおす認識。これらは、諸々の善いことを生ぜしめる根本であるから「根」と訳される。(230頁)

(注2)5つ;五蓋、5つの覆い、とは、⑴欲望。⑵嫌悪。それが昂まると怒りになる。⑶気のめいること。心暗く、身も重く、ものうい状態。ふさぎこむこと。⑷心のざわざわすること。心がとりとめなく浮わついた状態。または後悔。⑸疑いをいう。真理の教えを疑いためらうこと。

五根と五蓋とは、正反対のはたらきをもっているということになる。ここでは信などの五根を修めよ、ということを教えているのである。このように古い時期においては、信などの5つのすぐれたはたらきを身につけるだけで、究極の境地に達し得ると考えていたのである。最初期の教えは至極簡単であった。(230~231頁)

第7節 知りぬいていない

■傍らに立って、その神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。

「真理(注1)を知りぬいていないので、異教に誘い込まれる人々は、眠っていて、めざめていない。今こそかれらを覚醒させるべき時である。」

□〔尊師いわく、ーー〕

「真理を知りぬいていて、異教に誘い込まれることのない人々こそ、正しくさとり、正しく知り、平(注2)かでない難路を平らかに歩む。」(18頁)

(注1)真理;dharma.ブッダゴーサは四諦のことだと解するが、必ずしもそのように限定して解する必要はないのではなかろうか。『雑阿含経』には「正法」と訳している。

(注2)平らかでない…;漢訳には「険悪なる世に平等なり」と訳している。(231頁)

第8節 いとも迷える

■傍らに立って、その神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。

「真理に迷い、異教に誘い込まれる人々は、眠っているのであって、めざめていない。今こそかれらを覚醒させるべき時である。」

□〔尊師いわく、ーー〕

「真理について迷うことなく、異教に誘い込まれることのない人々は、正しくさとり、正しく知り、平らかでない難路を平らかに歩む。」(18~19頁)

第10節 森に住んで

■傍らに立って、かの神は、次の詩句を以て、尊師に呼びかけた。

「森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが、その顔色はどうしてあのように明朗なのであるか?」

□〔尊師いわく、ーー〕

「かれらは、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている。それだから、顔色が明朗なのである。

ところが愚かな人々は、未来のことにあくせくし、過去のことを思い出して悲しみ、そのために、萎れているのである。ーー刈られた緑の葦のように。」(20頁)

第2章 歓喜の園

第2節 歓ぶ

■傍らに立って、その神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。

「子ある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。

執著するよりどころによって、人間に喜びが起こる。執著するよりどころのない人は、実に喜ぶことがない。」

□〔尊師いわく、ーー〕

「子ある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。

執著するよりどころによって、人間に憂いが起こる。実に、執著するよりどころのない人は、憂うことがない。」(23頁)

第3節 子ほど可愛いいものはない

■傍らに立って、その神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。

「子ほど可愛いいものは存在しない。牛に等しい財は存在しない。

太陽に等しい光輝は存在しない。海は最上の湖である。」

□〔尊師いわく、ーー〕

「自己ほど可愛いものは存在しない。穀物に等しい財は存在しない。

智慧に等しい光輝は存在しない。雨雲は最上の湖である。」(23~24頁)

(岡野注;仏教は、愛を、愛執として自分の所有物への執著として否定するが、万民、万物への平等な愛は慈愛として否定していません)

第4節 王族

■〔神いわく、ーー〕

「王族は、人間のうちで最もすぐれたものである。牡牛は四足獣のうちで最もすぐれたものである。諸々の妻のうちでは、少女が最もすぐれている。諸々の子息のうちでは、長子が最もすぐれている。」

□〔尊師いわく、ーー〕

「人間のうちでは〈正しく覚った人〉が最もすぐれている。四足獣のうちでは、駿馬が最もすぐれている。諸々の妻のうちでは、柔順なる妻が最もすぐれている。諸々の子息のうちでは、忠実なる子(注)が最もすぐれている。」(24頁)

(注);assava.ところが漢訳者は a +sravaと解し、「漏尽なるは子の上なるものなり」と訳している。つまり出家した修行僧となることを最上のりそうとしたのであって、教団的な解釈なのである。(236頁)

(岡野注;日本人なら、天の理法に忠実なという意味で、素直なる子、と訳せばいいとおもう)

第6節 睡眠なるものうさ

■〔神いわく、ーー〕

「眠く、ものうく、あくびをし、楽しまず、食べ過ぎてぼうっとしている。そのために、この世において人々には尊い道が現われない。」

□〔尊師いわく、ーー〕

「眠く、ものうく、あくびをし、楽しまず、食べ過ぎてぼうっとしている。ーー

努め励んでこれを払いのぞき、尊い道が清められる。」(25頁)

第8節 恥

■〔神いわく、ーー〕

「みずから恥じて自己を制し、駿馬が鞭を受ける要がないように、世の非難を受ける要のない人が、この世に誰かいるであろうか。」

□〔尊師いわく、ーー〕

「恥を知って制する人は少ない。かれらはつねに気をつけて行い、苦しみの終滅に到達して、逆境にあっても平静に行う。」(26~27頁)

第9節 庵

■〔神いわく、ーー〕

「あなたに庵はないのですか?巣はないのですか?つなぎの糸はないのですか?あなたは束縛から解脱しておられるのですか?」

□〔尊師いわく、ーー〕

「たしかに、わたしには庵はありません(注)。たしかに巣はありません。たしかにつなぎの糸はありません。たしかにわたしは束縛から解脱しているのです。」

(注)庵はありません;ゴータマ・ブッダやその弟子は、特別の庵や巣を所有することなく、遍歴の生活を送っていたのである。教団の建造物としての精舎が造られたのは、或る時期以後のことであった。(242頁)

□〔神いわくーー〕

「わたしは、何をあなたの庵と呼ぶのでしょうか?わたしは、何をあなたの巣と呼ぶのでしょうか?わたしは、なにをあなたのつなぎの糸と呼ぶのでしょうか?わたしは、何をあなたの束縛と呼ぶのでしょうか?〔あなたは知っていますか?〕

□〔尊師いわく、ーー〕

「そなたは母を〈庵〉と呼ぶ。そなたは妻を〈巣〉と呼ぶ。そなたは子らを〈つなぎの糸〉と呼ぶ。そなたは、わたしの妄執を〈束縛〉と呼ぶ。」(27~28頁)

第10節 サミッディ

■このように、わたしは聞いた。或るとき尊師は、王舎城の(温泉の園)に住んでおられた。

□そのときサミッディさんは、夜の明け方に、立ち上がって、身体を洗い入浴するために温泉におもむいた。温泉で身体を洗い浴したのちに、上がって、一つの衣をまとい、身体を乾かしながら立っていた。

□そのとき、夜も更けてから、或る一人の神が容色うるわしく、温泉を遍く照らしたあとで、サミッディさんに近づいた。近づいてから、空中に立って、詩句を以てサミッディさんに話しかけた。

「修行僧よ。そなたは、欲するがままに食べないで托鉢している。そなたは、欲するがままに食べてから托鉢するということがない。欲するがままに食べてから托鉢せよ。そなたは〔青春の〕、時を空しく過ごすな。」

〔サミッディいわく、ーー〕

「わたしは、あなたの言う〈時〉なるものを、知っていません。

〔わたしの考える〕時は、欲するがままに食べないで、欲するがままに食べないで托鉢をするのです。わたしにとって、時が空しく過ぎることがありませんように。」(28~29頁)

□そこで、かの神は地上に立って、サミッディさんに次のように言った。

「修行僧よ。あなたは若くて、初々しく、髪が黒く、すばらしい青春をそなえていて、人生の第一の時期に欲楽を享受することなしに、出家した。修行僧よ。人間的な欲望を享楽しなさい。現に目の当たり経験されることを捨てて、時を要するものを追求するようなことをなさるな」と。

□「友よ。わたしは、現に目の当たり経験されることを捨てて、時を要するものを追求するということをしない。わたしは、時を要するものを捨てて、現に目の当たり経験されることを追求する。友よ。愛欲は、実に時を要するものであり、苦しみ多く、悩み多く、禍いがここに甚だしい、と尊師が説きたもうた。この理法は、現に目のあたり体験されるものであり、時を要せず、〈来り、見よ〉と言われたものであり、導くものであり、叡智ある人々が各自みずから体得すべきものである。」

□「修行僧よ。では、尊師は、どのようにして、『愛欲は、実に時を要するものであり、苦しみ多く、悩み多く、禍いがここに甚だしい』と説かれたのであるか?『この理法は、現に目のあたり体験されるものであり、時を要せず、〈来り、見よ〉と言われたものであり、導くものであり、叡智ある人々が各自みずから体得すべきものである』と、どのようにして説かれたのであるか?」

□「友よ。わたしは、出家してまだ間がない、今到来した新参者です。わたしは、この教えと戒律とを詳細に説明することはできません。今、かの尊師、拝まるべき人、正しく覚った人が、王舎城の〈温泉の園〉に住しておられます。その尊師のもとにおもむいて、この意義をたずねなさい。そんしがあなたに説明なさったとおりに、教えと戒律とを受けたもちなさい。」

□「修行僧よ。かの尊師は、他の大威力ある神々に囲まれておられるから、わたしが近づくことは、容易にはできません。もしもあなたがかの尊師に近づいてこの意義をたずねてくださるならば、われらもまた教えを聴くために参ることができるでありましょう。」

□「友よ。承知しました」とサミッディさんはその神に答えて、尊師のおられるところにおもむいた。近づいて、尊師に挨拶して、傍らに坐った。傍らに坐して、サミッディさんは、尊師に次のように言った。(29~31頁)

■このように言われたときに、その神は、サミッディさんに、次のように申しました。「修行僧よ。たずねよ。わたしはここに来ているのだ。

□そのとき、尊師は詩句を以て神に呼びかけられた。

「名称で表現されるもののみを心の中に考えている人々は、名称で表現されるものの上にのみ立脚している。名称で表現されるものを完全に理解しないならば、かれらは死の支配束縛に陥る。

しかし名称で表現されるものを完全に理解して、名称で表現をなす主体が〔有ると〕考えないならば、その人には死の支配束縛は存在しない。その人を汚して瑕瑾(かきん、傷、欠点)となるもの(煩悩)は、もはやその人には存在しない。

ヤッカよ。もしあなたが、そのような人を知っているならば、告げてください」と。

□「尊いお方さま。尊師が簡略に説かれたこの事柄の意義を、わたしは詳しくは知っていません。よろしい。尊師が簡略に説かれたこの事柄の意義を、わたしが詳しく知り得るように、お説きくださいませ。」

□〔尊師いわく、ーー〕

「思慮雑念を捨て、迷いの住居におもむくことなく、この世における名称と形態とに対する妄執を断じ、結び目(束縛)を断ち、〔煩悩の〕煙りの消えた、欲求のないかの人を、

この世とかの世とにおいて、神々と人々とが探し求めても、ついに見出し得なかった。ーー天界においても、すべての住所においても。

神霊よ。もしもあなたが、そのような人を知っているならば、告げてください。」

□〔神いわくーー〕

「尊いお方さま。尊師が簡略に説かれたこの事柄の意義を、わたしはこのように詳しく知ることができました。

いかなる世界においても、ことばによっても、心によっても、身体によっても、いかなる悪をもしてはならない。諸々の欲楽を捨てて、よく気をつけて、しっかりと念(おも)い、ためにならぬ苦しみに身を委れるな。」(33~35頁)

第3章 剣

第2節 触れる

■〔神いわくーー〕

「触れない人には、〔何ものも〕触れることがない。

もしも触れるならば、その人に〔何ものかが〕触れるであろう。」

□〔尊師いわく、ーー〕

「汚れのない人、清らかで咎(とが)のない人、を汚す者がいるならば、その邪悪は、かえってその愚者に戻ってくる。ーー風にさからって細(こまか)い塵を投げると、〔その人に戻ってくる〕ようなものである。」(38頁)

第3節 結髪

■〔神いわくーー〕

「内に結髪のしがらみ(注1)あり、外に結髪のしがらみあり、ーー

人々は結髪のしがらみにまといつかれている。

それ故に、ゴータマよ、あなたにお尋ねします。ーー

この結髪を解きほごす(注2)のは、誰ですか?」

(注1)結髪のしがらみ;インドの修行僧が頭髪を束ねたのをいう。漢訳仏典では「螺髪(らほつ)」という。

(注2)結髪を解きほごす;ここではバラモンの結うた螺髪を、心の束縛の象徴と見なしているのである。(284頁)

□〔尊師は答えた、ーー〕

「人として、堅く戒めをたもち、明らかな智慧をそなえ、心の念いと明らかな智慧とを修養し、つねに熱心で、慎み深くつとめる修行僧は、この結髪を解きほごすであろう。

欲情と憎悪と無知(迷い)とが脱落し、煩悩の汚れを滅ぼし尽くした〈敬わるべき人々〉ーーかれらは、結髪をすでに解きほごしたのである。名称と形態とがすっかり滅び、障礙も、形態についての想いもすっかり滅びてしまったところでは、〔内的と外的との〕結髪は断ち切られるのである。」(38~39頁)

第4節 心の抑制

■〔神いわくーー〕

「ひとが、いかなることをなさないように心を抑制しようとも、まさにその故に、苦しみはその人に到達しない。

ひとは、あらゆることを離れるように、心を抑制せよ。そうすれば、かれはいかなる苦しみからも解脱する。」

□〔尊師いわく、ーー〕

「心を、あらゆる事柄から離れるように抑制すべきではない。

すでに自制されている心を抑制すべきではない(注)。

悪の起こるところから離れるように、それぞれの場合ごとに心を抑制すべきである。」(39~40頁)

(注)……抑制すべきではない;神の立言は、心をして善悪両者から離れさせようというのである。それに対して釈尊は、「施与をなそう。戒めを守ろう」という心は抑制すべきではない、という。

最初期の仏教の立場は、倫理的であった、と言うべきである。つまり「善悪を超え…」という般若経的、禅的な表現とは異なったものであったのである。

『雑阿含経』の漢訳は趣旨を適切に表現していると思われる。「決定して遮を以て遮せば、意は妄想もて来る。必ずしも一切を遮するにあらず。ただ其の悪行を遮するのみ。彼の悪を遮しおわり、其をして逼迫せしめず。」(247頁)

第5節 敬わるべき人(注1)

■〔神いわくーー〕

「なすべきことをなし了え、煩悩の汚れを滅ぼし、今や最後の身体をたもっている真人となった修行僧は、

『わたしが語る』と言ってもよい(注2)のでしょうか。また『人々が〔これこれは〕〈わがもの〉である、と語っている』と言ってよいのでしょうか。」

□〔尊師いわく、ーー〕

「なすべきことをなし了え、煩悩の汚れを滅ぼし、今や最後の身体をたもっている真人となった修行僧は、

『わたしが語る』と言ってもよいのでしょう。また『人々が〔これこれは〕〈わがもの〉である、と語っている』と言ってよいのでしょう。

真に力量ある人は、世間における名称を知って、

言語表現だけのものとして、〔仮りに〕そのような表現をしてもよいのである。」

□〔神いわくーー〕

「なすべきことをなし了え、煩悩の汚れを滅ぼし、今や最後の身体をたもっている真人となった修行僧は、

『わたしが語る』と言ってもよいのでしょうか?また『人々が〔これこれは〕〈わがもの〉である、と語っている』と言うのでしょうか?」

□〔尊師いわく、ーー〕

「慢心を捨て去った人には、もはや結ぶ束縛は存在しない。

かれには慢心の束縛がすべて払いのけられてしまった。

聡明な叡智ある人は、死の領域を超えてしまったので、

『わたしが語る』と言ってもよいであろう。また『人々が〔これこれは〕〈わがもの〉である、と語っている』と言ってもよいであろう。

真に力量ある人は、世間における名称を知って、

言語表現だけのものとして、〔仮りに〕そのような表現をしてもよいのである。」(40~41頁)

(注1)敬わるべき人;『雑阿含経』のは「羅漢」。シナでは「真人」をこれの訳語として用いていることがある。

(注2)『わたしが語る』と言ってもよい;これは我(アートマン)が存在すると主張する議論である。『雑阿含経』には「何言説有我」。(248頁)

第6節 光明

■〔神が問うていわくーー〕

「世にはいくつの光明があって、世を照らすのですか。

あなたにおたずねしたいと思って来たのですが、われらはそれを、どうしたら知ることができるのでしょうか?」

□〔尊師いわく、ーー〕

「世には4つの光明がある。ここに第5の光明は存在しない。

昼には太陽が輝き、夜には月がてらし、

また、火は昼夜に、あちこちで照らす。

正覚者(ブッダ)は、熱し輝くもののうちで最上の者である。これは無常の光である」と。(41~42頁)

(注)正覚者;『雑阿含経』には、「仏」と訳している。(248頁)

第7節 大水流(注1)

■〔神が問うていわくーー〕

「大水流は、何にもとづいて休止し、渦巻きはどこで止むのでしょうか?

名称と形態(注2)とは、どこですっかり滅びるのでしょうか?」

□〔尊師いわく、ーー〕

「水も、地も、火も、風も侵入しないところーー、

そこで、大水流は止まる。そこで渦巻きは止む。

そこで名称と形態とは、すっかり滅びる。」(42~43頁)

(注1)大水流;語源的には「流れ」であるが、そういうと、小さな小川の流れを連想し、渦巻きを立てて流れる激流を連想させない。

リス・デヴィッズ夫人は‘The Tides’と訳しているが、それは「潮流」を連想させ、海をつねに経験してきたイギリス人にはピッタリするが、インドの大平原の洪水は、一面の大水で、流れることもなく、向う岸も見えなくなるので、渦巻を立てることもない。ヨーロッパ人や日本人の想像もできぬものである。「洪水」という訳語も適合しない。そこで「大洪水」という訳語をつくってみた。註によると輪廻(samsara)を意味する。『雑阿含経』で音を写して「薩羅」と訳しているのは、シナ人には理解し難い風土的現象であったのである。

(注2)名称と形態;古ウパニシャッドにおける表現であるが、仏教では身心より成る個人存在を意味する。(249頁)

第8節 大いなる財

■〔神が問うていわくーー〕

「大いに財宝あり、大いに財産あり、国土を占有している王侯たちは、欲望に飽くことなく、互いに貪り獲得しようと望んでいる。

熱望をいだき、迷いの生存の流れに押し流されているかれらのうちで、誰が貪りと妄執を捨て去って、世にあっても熱望することがなくなったのでしょうか?」

□〔尊師が答えていわく、ーー〕

「家を捨てて出家遍歴し、子と家畜(注1)と愛しきものを捨て去って、情欲と怒りを断ち、無明を離れて、煩悩の汚れを滅ぼし尽くした真人たち(注2)、ーー彼らこそ、世にあっても貪り熱望することがないのである。」(43頁)

(注1)子と家畜;当時の人々にとって、「子と家畜」が最も大切な財産であった。つまり都市において貨幣経済が大規模に進展する以前の段階においてこの詩は作られたのであると考えられる。

(注2)真人たち…;arahanto.『雑阿含経』には「羅漢」と訳す。(249~250頁)

第9節 四輪あるもの

■〔神が問うていわくーー〕

「4つの車輪(注1)あり、9つの門(=穴)(注2)があり、(汚穢)に満ち、貪欲に結びつけられ、泥土から生じたものである。大いなる健き人よ。どうしたら、そこから脱れ出ること(注3)ができるでしょうか?」

□〔尊師は答えた、ーー〕

「紐(注4)と革帯(注5)を断ち、

悪い欲求と貪りとを断ち切って、妄執を根こそぎえぐり出して、

このようにしたならば、脱出が起こり得るであろう」と。(43~44頁)

(注1)4つの車輪;行、住、坐、臥の4種のふるまいをいう。

(注2)9つの門;身体に分泌または排泄する穴が9つあることをいう。(249~250頁)

(注3)脱れ出ること;解脱のことである。ただし原義は、ただ「おもむくこと」というほどの意味。

解脱とは霊魂が身体から脱出して束縛のない状態におもむくことであるという見解は、ウパニシャッドからヴェーダーンタ学派に至るまで一貫して存すものであるが、ここではそれを通俗的な一般的観念として受け入れているのである。

(注4)紐と…;以下については、Dhp.398に類句がある。紐は力強い怒り、ときには恨み、怨恨のことをいう。nandi.は結ぶ性質があるので、怒り(kodha)を紐に譬え手ていう。『雑阿含経』には「愛喜」と訳す。

(注5)革帯;縛る性質があるので、妄執を革帯に譬えていう。『雑阿含経』には「長麼(ちょうび)」と訳す。(250頁)

第10節 羚羊(かもしか)の脛(すね)

■〔神が問うていわくーー〕

「羚羊の脛のように、ほっそりしていて、しかも雄々しく、食物を摂(と)ること少なく、貪り求めることなく、

獅子や象のように独り歩み、諸々の欲望を顧みない人のことを、〔尊師に〕近づいて、われらはお尋ねします。どのようにしたならば、苦しみから離脱できるでしょうか?」

□〔尊師は答えていわく、ーー〕

「世間には5つの愛欲の要素(注)がある。心は、第6のものである、と説かれている。

ここで欲求を断ったならば、このように苦しみから解脱する。」(44~45頁)

(注)5つの愛欲の要素;『雑阿含経』には「五欲徳」と直訳しているが、意味をなさない。五官の対象のことをいう。(251頁)

第4章 サトゥッラパ群臣(注1)

第1節 善き人々と共に

■わたしは、このように聞いた。あるとき尊師は、サーヴァッティー市のジュータ林・〈孤独なる人々に食を給する長者〉の園に住しておられた。

□そのよき多くのサトゥッラパ群神たちは、夜が更けてから、容色うるわしく、ジュータ林を遍く照らして、尊師のもとにおもむいた。近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに立った。

□傍らに立った或る神は、尊師のもとで次の詩をとなえた。ーー

「ただ善き人々と共(注2)に居れ(注3)。

ただ善き人々とだけ交われ(注4)。

善き人々の正しい理法を知って、ひとは、より良きものとなる。より悪き者とはならない。」

□ついで、他の或る神は、尊師のもとで次の詩をとなえた。ーー

「ただ善き人々と共に居れ。善き人々とだけ交われ。

善き人々の正しい理法を知るならば、智慧が得られる。そうでなければ、得られない。」

□ついで、他の或る神は、尊師のもとで次の詩をとなえた。

「ただ善き人々と共に居れ。善き人々とだけ交われ。

善き人々の正しい理法を知ったなら、憂いのさ中にあっても憂えない。」

□ついで、他の或る神は、尊師のもとで次の詩をとなえた。ーー

「ただ善き人々と共に居れ。善き人々とだけ交われ。

善き人々の正しい理法を知ったならば、親族のあいだで輝く。」

□ついで、他の或る神は、尊師のもとで次の詩をとなえた。ーー

「ただ善き人々と共に居れ。善き人々とだけ交われ。

善き人々の正しい理法を知ったならば、人々は良い境地におもむく。」

□ついで、他の或る神は、尊師のもとで次の詩をとなえた。ーー

「ただ善き人々と共に居れ。善き人々とだけ交われ。

善き人々の正しい理法を知ったならば、人々はいつまでも安立するであろう。」

□ついで、他の或る神が、尊師に向かって次のように言った。ーー「尊師さま。みごとにとなえられたのは、だれの詩でしょうか?」

〔尊師いわく、ーー〕

そなたらは、すべて、順次みごとに詩をとなえた。しかし、わたしの詩にも耳を傾けよ。

「ただ善き人々と共に居れ。善き人々とだけ交われ。

善き人々の正しい理法を知ったならば、すべての苦しみから脱れる」と。(46~48頁)

(注1)サトゥッラパ群神;ブッダゴーサは通俗語源解釈によって、「よき人々の教えを受けたので、教えを語って、天に生まれた者ども」と解する。ブッダゴーサによると、むかし海を渡る多くの商人が海で難破したが、700人の商人は五戒を受けて守っていたので、死後に忉利天の宮殿に生まれ、今ここに釈尊のもとに来たのだという。

(注2)善き人々と共に;前後の箇所から見ると、ブッダも一人の「善き人」にすぎないのである。

(注3)ただ善き人々と共に居れ;ここで「共に居れ」「交われ」といっているのは、仏教の教団(サンガ)が次第に形成されて行くその発端を示しているのである。

(注4)交われ;「交わる」というのは「友として交わる」ということである。「友として交わる」というのは、ブッダ・縁覚・ブッダの弟子たちと交わりをなさねばならぬ、というのが内含されている趣意である。驚くべきことである! ブッダとも友人としてつき合え、と言うのである。後代の仏教の所説とはまるっきり異なる。(252~253頁)

第2節 もの惜しみ

■〔尊師いわく、――〕

「そなたらのどの詩も、すべて、順次にみごととなえられた。しかし、わたしの詩にも耳を傾けよ。

落穂を拾って修行している人でも、妻を養っている人でも

乏しき中からわかち与える人は、法を実践することになるであろう。

千の供養をなす人々の百千の供養も、そのような行いをなす人の〔功徳の〕百分の一にも値しない。」

□そこで、他の神は尊師に大して、次の詩をとなえた。――

「これらの供養をなす人々の、大がかりな豊かな祭祀は、どうして、正しくなされた施与の百分の一にも値しないのですか?

千の供養をなす人々の百千の供養も、そのような施与をなす人の〔功徳の〕百分の一にも値しないのは、なぜですか?」

□そこで尊師は、その神に向かって次の詩をとなえた。――

「或る人々は悪い行いになずんで、ものを与える。――生きものを傷つけ、殺し、また苦しめ悩まして。

そのような贈与(注)は、涙にくれ、暴力をともない、正しい施与には値しない。

同様に、千の供養をなす人々の千の供養も、そのような施与をなす人の〔功徳の〕百分の一にも値しない」と。(50~51頁)

(注)贈与;バラモンを聘(へい)して祭祀を行って、バラモンに与える報酬である。バラモン教の祭祀では生きものを殺すから、それは理想的な意味での寄進、喜捨、施与にはならないというのである。

ここの立言は重大な問題を内蔵している。宗教儀礼よりも、何かを人に与える行為のほうが、はるかに大切だというのである。漢訳には「小財なるも浄心もて施す」という文句があるが、それが強調されているのである。(256頁)

第3節 善いことだ

■傍らに立った或る神は、尊師のもとで、ひとり喜んでこのように語った。――

「友よ。〈与える〉というのは、善いことだ。

もの惜しみと怠惰ゆえに、このように施与はなされない。

功徳を望んで期待し道理を識別する人によって、施与がなされるのである」と。

■そこで他の或る神は、尊師に向かって、次のように語った。――

「尊師さま。みごとにとなえられたのは、だれの詩でしょうか?」

〔ブッダいわく、――〕

「そなたらのどの詩も、すべて、順次にみごとにとなえられた。しかし、わたしの詩にも耳を傾けよ。

信仰をもって〈与えること〉が実にいろいろと讃めたたえられた。

しかし〈与えること〉よりも「法の句」のほうがすぐれている。

昔の善き人々、それよりもさらに昔の善き人々も、智慧をそなえて、ニルヴァーナにおもむいた」と。(51~55頁)

第4節 存在しない

■傍らに立った或る神は、尊師に向かって次の詩をとなえた。――

「(注)人間のあいだにある諸々の欲望の対象で常住なるものは存在しない。

この世には諸々の美麗なるものが存在し、ひとはそれに束縛されている。

それらに耽って怠けている人は、死の領域から脱して〈もはや輪廻の範囲に戻ってくることのない境地〉に来ることがない」と。

「罪は欲望から生じ、苦しみは欲望から生じる。欲望を制することによって、罪が制せられ、罰を制することによって、苦しみが制せられる」と。

「世間における種々の美麗なるものが欲望の対象なのではない。

〔むしろ〕欲望は人間の思いと欲情である。

世間における種々の美麗なるものは、そのままいつも存続している。しかし気をつけて思慮する人々は、それらに対する欲望を制してみちびくのである。

怒りをすてよ。慢心を除き去れ。

いかなる束縛をも超越せよ。

名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。

思念を捨てた。空想に耽らなくなった。

この世で名称と形態とに対する妄執を断ったのだ。

束縛を断ち、苦しみもなく、願望もない人、――この人も神々も人間も、この世でもかの世でも、天上にも、いかなる住み処にも、さがし求めたが、跡を見出すことができなかった」と。

□尊者モーガラージャは次のように問うた。

「もしも神々も人間も、この世でもかの世でもそのように解脱した人を見ることができなかったのであるならば、人々のためになることを行う最上の人を敬礼する人々は、称讃さるべきでありましょうか?」と。

□尊師は答えた、

「モーガラージャよ。

ビクよ。

そのように解脱した人に敬礼する人々も、また称讃さるべきである。

かれらもまた理法を理解し、疑惑を捨てて、束縛を超えた者となるからである。修行僧たちよ」と。(56~57頁)

(注)人間のあいだにある……;もはや輪廻の範囲に戻ってくることのない境地――apunagamana.これはウパニシャッドの若干の哲人にとっては究極の理想の境地であったが、初期の仏教はそれを継承してやはり理想の境地と考えた。ところが後代の教義学者は、それを「不還(ふげん)」という、聖者の中間的段階として片づけてしまった。(257頁)

第5節 咎め立てする神々

■空中に立った或る神は、尊師のもとで次の詩をとなえた。――

「自分が実際にあるのとは異なったふうに自己を誇示する人にとっては、自分の享受するものは、盗みによって得たことになる。――詐(いつわ)りをなす賭博師のように。

自分のなすことを語れ。自分のしないことを語るな。

かれらが実際に自分でなさないのに〔口先だけで〕語っていても、賢者はそれをよく知りぬいているのだ(注1)」と。

□〔尊師いわく、――〕

「安定している堅固なこの道は、ただ〔口先で〕語るだけでも、あるいはまた一方的に聞くだけでも従い行くことはできない。

心をおさめて、〔この道を歩む〕思慮ある人々は、悪魔の束縛から脱するであろう。

思慮ある人々は、世のありさまを知って、実に業をつくることがない。

思慮ある人々は、よく理解して、縛(いまし)めを解きほごし、世の中にあって執著をのり超えている。」(57~58頁)

□〔尊師いわく、――〕

「一切の生きとし生ける者をあわれむ修行完成者・ブッダに、

罪過は存在しない。かれに過失(道から外れること)は存在しない。

かれは迷妄に陥ることがなかった。かれは、思慮深き者として、常に気をつけている。

罪過を告白して〔懺悔するのを〕受け入れない人は、

内に怒りをいだき、憎悪で重く、怨恨をまとう。その怨恨を、わたしは喜ばない。そなたの罪過〔の告白〕を、わたしは受け入れる。」(59~60頁)

(注1)よく知りぬいているのだ;漢訳には説明はないが、パーリ文注解によると、〔咎め立てをする神々〕が、釈尊は口では質素な生活をするように説きながら実際は豪奢な生活をしているから、釈尊は言行一致しない、と言って非難して、これらの詩句を説いたのだという。

「沙門であるゴータマは、ビクたちには、糞掃衣をまとい、樹下に坐せ、糞尿を薬とせよ、といってそれらに満足せよといって、極端な行いを称讃している。ところが、自分は美麗な衣を着て、王にふさわしいような最上の食物を食べ、天の宮殿のような香室というすばらしい寝所に臥し、ヨーグルトやチーズなどの薬を用いている」という非難があったのをいう。歴史的人物としてのゴータマが非難されていた、という点で注目すべきである。これは仏教教団が広大なジュータ林園の寄進を受け、教主としてのゴータマ・ブッダの生活が豊かになったのを、他の宗教の修行者たちが非難していたそのことばが、神々の口にかこつけられたのであろう。(259頁)

第6節 信

■傍らに立った或る神は、尊師のもとで、次の詩をとなえた。――

「信(まこと)は男に伴れそう妻である。

もしも〔人に〕不信が残らないならば、かれには、名声と名誉とが生ずる。

かれは、身体を捨てたあとで、天に行く。

怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態との執著せず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。

智慧乏しき愚かな人々は放逸(わがまま)にふける。しかし聡明なる人は、つとめはげむのをまもる。―最上の財宝(たから)を〔大切に〕まもるように。

放逸(なおざり)に耽るな。愛欲と歓楽になずむな。おこたることなく思念をこらす者は、最高の楽しみを得る。」(60~61頁)

第5章 燃えている

第9節 もの惜しみ

■〔神いわく、―〕

「この世でもの惜しみし、吝嗇で、乞う者を罵(ののし)り退け、

他人があたえようとするのを妨げる人々、――その人々の報いは、どんなものでしょうか? 死んでから、どんなことにことになるのでしょうか?

それをあなたに尋ねるために来たのですが、どうしたら、われらはそれを知ることができるでしょうか?」

〔尊師いわく、――〕

「この世でもの惜しみし、吝嗇で、乞う者を罵(ののし)り退け、

他人があたえようとするのを妨げる人々、――かれらは、地獄、畜生の胎内、ヤマ(閻魔)(注1)の世界に生まれる。

もしも人間の状態になっても、貧窮の家にうまれる。

そこでは、衣服、食物、快楽、遊戯を得ることが難しい。

愚者たちは、それを来世(注2)で得ようと望むが、かれらはそれが得られい。

現世ではこの報いがあり、死後には悪いところに堕ちる。」

〔神いわく、――〕

「このことが、このように説かれるのを、われらは知っています。ゴータマよ。他のことをお尋ねしましょう。

この世で、人たる身を得て、気前よくわかち与え、もの惜しみをしない人々が、ブッダと真理の教えとにたいして信仰心あり、修行者の集にたいして熱烈な尊敬心をもっているならば、

その人々の報いは、どんなものでしょうか? 死んでから、どんなことになるのでしょうか?

それをあなたに尋ねるために来たのですが、

どうしたら、われらはそれを知ることができるでしょうか?」

〔尊師いわく、――〕

「この世で、人たる身を得て、気前よくわかち与え、もの惜しみをしない人々が、

ブッダと真理の教えとにたいして信仰心あり、修行者の集にたいして熱烈な尊敬心をもっているならば、

かれらは天界に生まれて、そこで輝く。

もしも人間の状態になっても、富裕な家に生まれる。

そこでは、衣服、食物、快楽、遊戯が労せずして手に入る。

また〔来世には〕他人の貯えた財物を、他化自在天(たけじざいてん)のように、喜び楽しむ。

現世ではこの報いがあり、死後には善いところに生まれる。」(75~77頁)

(注1)閻魔;Yamaloka.ここではヤマ(閻魔)が死後の審判者として現れている。

(注2)来世で;parato.‘anderswaher’(Geiger)という訳は直訳にすぎ意義不明。‘by and by’(Mrs.RhysDavids)と言う訳は曖昧である。これはparalokatoの意味で副詞的用法に解したい。前の句で、現世の楽しみに言及しているから、それと対句になっているのである。(273頁)

第6章 老い

第5節 生まれさせるものを(1)

■〔神いわく、――〕

「何が人(注1)を生まれさせるのか? 人の何ものが走り廻るのか? 何ものが輪廻に堕しているのであるか? 人にとって大きな恐怖とは、何であるか?」

〔尊師いわく、――〕

「妄執が人を生まれさせる。人の心が走り廻る。生存するもの(注2)が、輪廻に堕している。人にとっての大きな恐怖とは、苦悩(注3)である。」(83~84頁)

(注1)人;『雑阿含経』には「衆生」と訳しているから、「衆生」という語は実際問題として人間のことを意味していたことが解る。

(注2)生存するもの;『雑阿含経』には「衆生」。

(注3)苦悩;dukka.(278頁)

第6節 生まれさせるものを(2)

■〔神いわく、――〕

「何が人を生まれさせるのか? 人の何ものが走り廻るのか? 何ものが輪廻に堕しているのであるか? 人は何ものから解脱しないのであるか?」

〔尊師いわく、――〕

「妄執が人を生まれさせる。人の心が走り廻る。生存するものが、輪廻に堕している。人は、苦悩から解脱しないのである。」(84頁)

第7節 生まれさせるものを(3)

■〔神いわく、――〕

「何が人を生まれさせるのか? 人の何ものが走り廻るのか? 何ものが輪廻に堕しているのであるか? 人の帰趨(きすう)とは、何であるか?」

〔尊師いわく、――〕

「妄執が人を生まれさせる。人の心が走り廻る。生存するものが、輪廻に堕している。行為(業)(注)は、人の帰趨である。」(84~85頁)

(注)行為;kamma.ここでも行為の意義を承認しているのである。(279頁)

第8節 邪道(注1)

■〔神いわく、――〕

「何が邪道と呼ばれるのか? 昼夜に尽きて行くものとは、何であるのか? 清らかな行いの汚れとは、何であるのか? 水を必要としない沐浴とは、何であるか?」

〔尊師いわく、――〕

「欲情が邪道と呼ばれる。青春(注2)は、昼夜に尽きて行く。清らかな行いの汚れは、女人(岡野注)である。水を必要としない沐浴(注3)とは、苦行と清らかな行いとである。」(85頁)

(注1)邪道;『雑阿含経』では「非道」。

(注2)青春;vaya.「いのちの時期」「生きている時期」とも解し得る。『雑阿含経』には「寿命」。

(岡野注)女人;初期仏教集団には、比丘尼(びくに)はいなかったが、後に、アーナンダのとりなしによって、お釈迦さまの養母を含む、釈迦族の女性数人の出家を受け入れ、その後の出家希望の女性の参入によって、教団に比丘尼集団を形成する。エピソードで名の知れた尼僧に、ウッパラヴァンナやキサーゴータミ等がいた。『尼僧の告白』テーリーガーター 中村元訳 岩波文庫を参考。

(注3)沐浴;インダス文明から始まって、インド人および北部パキスタン人は、沐浴に神聖な宗教的意義を認めていた。ところが、仏教はそれに対して、身を修養することのほうがはるかに重要である、というのである。(279頁)

第9節 伴れそう人

■〔神いわく、――〕

「何が、男に伴れそう妻であるのか? 何がかれを教えさとすのか? 人は何を楽しんで一切の苦しみから脱れるのであるか?」

〔尊師いわく、――〕

「信(まこと)は伴れそう妻である。明らかな智慧がかれを教えさとす。人は、安らぎ(ニルヴァーナ)を楽しんで(注)、一切の苦しみから脱れる。」(85~86頁)

(注)安らぎを楽しんで;この文章から見ると、ニルヴァーナの境地は、みずから楽しむものなのである。(280頁)

第7章 打ち勝つ

第1節 名(注)

■〔神いわく、――〕

「何が一切に打ち勝つのか? 何が、それよりもさらに多く存在しないのか?

いかなる唯だ1つのものに、一切のものが従属したのであるか?」

〔尊師いわく、――〕

「名は一切のものに打ち勝つ。名よりもさらに多くのものは存在しない。名という唯だ1つのものに、一切のものが従属した。」(88頁)

(注)名;節の題名としてはNamanとなっている。(岡野注;私はテンセグリティ構造の形態の全体のことだと思う。仏心といってもよい。『正法眼蔵』の即心即仏の章を参考)

第2節 心

■〔神いわく、――〕

「世間は何者によって導かれるのか? 何ものによって悩まされるのか? いかなる1つのものに、一切のものが従属したのであるか?」

〔尊師いわく、――〕

「世間は心によって導かれる。世間は心によって悩まされる。心という1つのものに、一切のものが従属した(岡野注)。」(88~89頁)

(岡野注;人間の心と、仏心の心は意味内容が異なる。ここのところを理解しないと、仏教の世界観は、後の唯識や西洋哲学の観念論や唯心論に誤解されてしまう。仏心や仏性は、道元の言っている、世界存在のテンセグリティ構造の全体の形態(ゲシュタルト)のことだと思う。『正法眼蔵』の即心即仏の章を参考)

第3節(注1) 妄執(注2)

■〔神いわく、――〕

「世間は何者によって導かれるのか? 何ものによって悩まされるのか? いかなる1つのものに、一切のものが従属したのであるか?」

〔尊師いわく、――〕

「世間は妄執によって導かれる。世間は妄執によって悩まされる。妄執という1つのものに、一切のものが従属した。」(89頁)

(注1)第3節;この一説は、前説と同文で、ただ前節の citta の代わりに tanha を置き換えただけである。ちょうどこの節に対応する漢訳は見当たらない。

(注2)妄執;tanha とはもとは「喉の渇き」をいうが、ここでは渇きに譬えられる衝動的な欲望をいう。「渇愛」と訳されることもある。(283頁)

第4節 束縛の絆

■〔神いわく、――〕

「世間は何者によって束縛(注)されているのか? それの経めぐり歩きは、何であるのか? それは、何物を捨て去ることによって「ニルヴァーナ」と呼ばれるのであるか?」

〔尊師いわく、――〕

「世の人々は快楽に束縛されている。人々がくよくよ思慮するのは、逸(そ)れてよろめき歩くことである。

妄執を断じ捨てることによって「ニルヴァーナ」と呼ばれるのである。(89~90頁)

(注)束縛;煩悩の異名である。(283頁)

第5節 縛る(注)

■〔神いわく、――〕

「世の人々は何に縛られているのであろうか? それの経めぐり歩きは、何であるのか?

何を断つことによって一切の束縛の絆を断ち切るのであるか?」

〔尊師いわく、――〕

「世の人々は快楽に束縛されている。人々がくよくよ思慮するのは、逸(そ)れてよろめき歩くことである。

妄執を断つことによって一切の束縛の絆を断ち切るのである。」(90頁)

(注)縛る;煩悩の束縛を意味する。(284頁)

第6節 圧迫されて

■〔神いわく、――〕

「世の人々は何によって圧迫されているのであるか? 何によって囲まれているのであるか?」いかなる矢に刺されているのであるか? 何によって常に燻(くす)べられているのであるか?」

 〔尊師いわく、――〕

「世の人々は死によって圧迫され、老いの矢に囲まれ、愛欲の矢に刺され、常に欲望によって燻べられている。」(90~91頁)

第7節 制圧された

■〔神いわく、――〕

「世の人々は、何ものによって制圧され、何ものによって覆われているのか? 世の人々は、 何ものによって閉じ込められ、世の人々は、何ものの上に安住しているのか?」

 〔尊師いわく、――〕

「世の人々は妄執によって制圧され、老いによって覆われている。世の人々は、苦しみのうちに住している。」(91頁)

第8節 閉じ込められた

■〔神いわく、――〕

「世の人々は、何ものによって閉じ込められているのか? 世の人々は、 何ものの上に安住しているのか? 世の人々は、何ものによって制圧されているのか? 何ものによって制圧されているのか? 何ものによって覆われているのか?」

 〔尊師いわく、――〕

「世の人々は、死によって閉じ込められている。世の人々は、苦しみの上に住している。世の人々は、妄執に制圧されていて、老いに覆われている。」(92頁)

第9節 欲求

■〔神いわく、――〕

「世の人々は、何ものによって縛られているのか? 何を制することによって、解脱するのか? 

何を断つことによって一切の束縛の絆を断ち切るのであるか?」

 〔尊師いわく、――〕

「世の人々は、欲求によって縛られている。〔しかし〕欲求を制することによって解脱する。

欲求を断つことによって一切の束縛を断ち切るのである。」(92~93頁)

第10節 世の人々

■〔神いわく、――〕

「何ものが生起するときに、世の人々が生起するのであるか? 何ものがあるときに、交際をなすのであるか? 何ものに依って世間は存在するのであるか? 何ものがあるときに、世間は苦しむのであるか?」 

 〔尊師いわく、――〕

「六つのものが生起するときに生起して、六つのものがあるときに、交際をなす。

六つのものに依拠して、六つのものにおいて世間は害(そこな)われる。」

第7章「打ち勝つ」おわる(92~93頁)

第8章 断ち切って

第2節 節車

■〔神いわく、――〕

「車の標識は何であるか? 火の標識は何であるか? 王国の標識は何であるか? 婦女の標識は何であるか?」

〔尊師いわく、――〕

「(注)車の標識は幡(はた)である。火の標識は煙である。王国の標識は国王である。婦女の標識は、夫である。」(96頁)

(注)車の標識は……;『雑阿含経』は、趣意をとってうまく訳している。「幢蓋を見て、車を知る。煙を見て則ち火あることを知る。王を見て〔その〕国土を知る。夫を見て其の妻を知る。」(287頁)

(岡野記;自己の標識は仕事(画家は作品)である。日本の標識は(天皇)である。2020.08.14)

第3節 節財

■〔神いわく、――〕

「この世で、人にとって最上の財は、何であるか? 何を良く実行したならば、幸せをもたらすか? 実に諸々の飲料のうちですぐれて甘美なるものは、何であるか? どのように生きる人を、最上の生活と呼ぶのであるか?」

〔尊師いわく、――〕

「信(まこと)(注1)は、この世において人の最高の財である。徳を良く実行したならば、幸せをもたらす。真実は、実に諸々の飲料のうちでもすぐれて甘美なるものである。明らかな智慧によって生きる人(注2)を、最上の生活と呼ぶ。」(96~97頁)

(注1)信;ただし教養や人物(教祖など)を信ずることではなくて、ありのままの真理を信ずることである。『雑阿含経』には「清浄信楽心」と訳す。

(注2)明らかな智慧によって生きる人;これには世俗の人々と出家者と両方の生き方のあることをブッダゴーサは認めている。前者については「在家の人でありながら、五戒をたもち、算木・食物などをしつらえて、明らかな智慧によって生きる」。「賢聖智慧命」(『雑阿含経』)。(287頁)

第5節 恐れおののいている者

■〔神いわく、――〕

「この世で、多くの人々は何を恐れているのでしょうか?

道は、種々のしかたで説かれたが、あなたにおたずねします。智慧豊豊かなゴータマよ。――何に安住したならば、かの来世をおそれないですむでしょうか?」

〔尊師いわく、――〕

「ことばと心を正しくするようにこころがけ、身に悪事をなさないで、もしも飲食(おんじき)豊かな〔富んだ〕家に住んでいるならば、〔1〕信(まこと)あり、〔2〕柔和で、〔3〕よく分ち与え、〔4〕温い心でいるならば、これらの4つの事柄に安住している人は、来世を恐れる要がない。」(98頁)

第6節 老いない

■〔神いわく、――〕

「何ものが老い、何ものが老いないのか?

何ものが(邪道)と呼ばれるのか?

何ものが、昼夜に尽きるものであるのか?

何ものが(清らかな行い)の汚(けが)れであるのか?

何ものが(水を必要としない沐浴)であるのか?

心がとどまらないような穴が、世にはどれだけあるのか?

それをあなたにお聞きしたいと思って、ここに来たのですが、われらはどのようにしたら、それを知ることができるでしょうか?」

〔尊師いわく、――〕

「人々の物質的なすがたは老い朽ちる。しかし名で示される氏族は老い朽ちることがない。

欲情は〈邪道〉と呼ばれる。貪欲(とんよく)は、諸々の善きことがらの妨害なのである。

命は昼夜に尽きて行く。女人(にょにん)は〈清らかな行い〉の汚れであり、人々はこれに耽溺する。

苦行と〈清らかな行い〉とは、〈水を必要としない沐浴〉である。世には六つの穴があり、そこに心がとどまらない。

懶惰(らんだ)と、怠りと、不実行と、不自制と、睡眠と、耽溺と、――

これらが〔六つの〕穴である。

それらをすっかり除去せよ。」(99~100頁)

第8節 求めて

■〔神いわく、――〕

「〔自分の〕利益を求めている人は、何を与えてはならないのか? 人は、何を捨て去ってはならないのであるか? いかなる善きものを解き放つべきであろうか? また、いかなる悪を放ってはならないのであろうか?」

〔尊師いわく、――〕

「人は〔利を求めて〕自分を与えてはならない。自分を捨て去ってはならない(注)。ひとは、善い〔やさしい〕ことばを放つべきである。悪い〔粗暴な〕ことばを放ってはならない。

〔やさしいことばを口に出せ。荒々しいことばを口に出すな。〕」(101頁)

(注)自分を捨て去ってはならない;「獅子や虎などに、自分を与えて捨て去ってはならぬ」という意味である。このように解すべきであるとすると、獅子や虎にも身を与えるべきであるとするボーディサッタの理想と、無思慮に自分を捨ててはならぬという世俗人のための倫理と、両方を原始仏教は説いていたことになる。(289頁)

第Ⅱ篇 〈神の子〉たち

第1章

第2節 カッサパ(その2)

■傍らに立ったカッサパなる〈神の子〉は、尊師のもとで、次の詩をとなえた。

「修行僧が瞑想に入り、心が解脱し、

心の思いの起こらぬことを望み、

世の興亡盛衰をさとって、

善い心で、こだわることがないならば、

すぐれた境地が得られる。」(108頁)

第3節 マーガ

■〔あるとき尊師は、〕サーヴァッティー市のジュータ林・〈孤独な人々に食を給する長者〉の園に住しておられた。

□そのとき、〈神の子〉マーガは、夜が更けてから、容色うるわしく、ジュータ林を遍く照らして、尊師のもとにおもむいた。近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに立った。

□傍らに立った〈神の子〉マーガは、尊師に向かって次の詩をとなえた。――

「何をやめて、安らかに臥すのですか? 

何をなくして、悩まないのですか? 

いかなる一つのものを滅ぼすことを、あなたは好ましく思うのですか? ゴータマよ。」

□〔尊師いわく、――〕

「怒り(注)をやめて、安らかに臥す。怒りをなくして、悩まない。〈毒の根であり、その頂きが甘いものである怒り〉を滅ぼすことを、聖者たちは称賛する。ヴァートラブーよ。それを滅ぼしたならば、悩むことがないのである。」(108~109頁)

(注)怒り;kodha.「瞋恚(しんい)」(『雑阿含経』)。(294頁)

第4節 マーガダ

■傍らに立った〈神の子〉マーガダは、尊師に向かって次の詩を以て呼びかけた。

「世の中には、どれだけの光があって、世の中を照らすのですか? 

あなたにお尋ねするために来たのですが。われらは、どうしたらそれを知ることができるでしょう。」

□〔尊師いわく、――〕

「世の中には、4つの光がある。ここに第5の光は、存在しない(注)。

太陽は昼に輝き、月は夜に照らす。また火は、昼でも夜でも、あちこちで輝く。

正しいさとりを得た人(仏)は、輝くもののうちで、最も優れている。これは無上の光輝である。」(109~110頁)

(注)第5の光は存在しない;直訳すると、第5のものは、語られていない。(294頁)

第5節 カーマダ

■傍らに立った〈神の子〉カーマダは、尊師に次のように言った。

「尊師さま。それはなしがたいことです。いともなしがたいことです」と。

「カーマダよ」と尊師は言われた。

□〔尊師いわく、――〕

「彼らは、実に、なしがたきことをなし、学びにつとめ、戒めを守り、心が安定している。

出家の行を実践する人(注)には、満足あり、安楽をもたらす」と。

□〔カーマダいわく、――〕

「尊師さま。この満足なるものは、得がたいものです。」

(「カーマダよ」と、尊師は言われた)

〔尊師いわく、――〕

「彼らは、実に、得がたいものを得たのだ。

かれらは、心の安らぎを楽しんでいる。

昼も夜も、かれらの心は、瞑想を楽しんでいる。」

□「尊師さま。この心なるものは、静め安定しがたいものです。」

(「カーマダよ」と、尊師は言われた)

〔尊師いわく、――〕

「彼らは、沈め安定しがたいものを、静め安定した。かれらは、諸々の感官の安らぎ静まるのを、楽しんでいる。

かれらは、死神の網を断ち切って、聖者(立派な人々)として歩む。カーマダよ。」

□〔カーマダいわく、――〕

「この道は、行きがたく、険(けわ)しいのです。

聖者たちは、行きがたき、険しい道をも進んで行きます。

聖者ならざる人々は、険しい道において、頭を下にして倒れます。

聖者の道は平らかです。聖者は険しい道においても平らかに歩むからです。」(111~112頁)

(注)出家の行を実践する人;anagariyopeta.この表現は、単に「家を出た人」ではなくて、「出家者としての行を身に具現している人」という意味である。(295頁)

第2章 孤独な人々に食を給する長者(注)

(注)孤独な人々に食を給する長者;かれはサーヴァッティー市第一の富裕な長者であったが、よるべのない孤独な人々、貧しい人々に食を給して慈善事業を行っていた。かれはスダッタ(「よく与えた」の意)という名でも知られている。かれは釈尊の教団に祇園精舎を寄進した。

第5節 チャンダナ

■傍らに立った〈神の子〉チャンダナは、尊師に向かって詩を以て話しかけた。

「昼夜に怠ることはないが、足場もなく、よりどころもないのに、いかにして〔人は〕激流を渡るのであろうか? 誰が深淵(しんえん)に沈まないのであろうか?」

□〔尊師いわく、――〕

「常に戒律を具現し、智慧あり、よく心を統一し、断乎として精励して努力する人は、渡りがたい激流を渡る。

欲の想いを離れ、みめ麗しさを想うことなく、欲情も消え失せた人は、深淵に沈むことがない。」(124頁)

第8節 カクダ

■傍らに立った〈神の子〉カクダは、尊師に対して、次のとうに言った。

「修行僧(注1)よ。あなたは喜んでいますか?」

「友よ。何を得たならば、〔わたしは喜べるのでしょうか?〕」

「修行僧よ。ではあなたは、悩んでいるのですか?」

「友よ。では、、何を失ってわたしは〔悩んで〕いるのでしょうか?〕」

「修行僧よ。では、あなたは、喜んでいるのでもなく、また悩んでいるのでもないのですか?」

「友よ。そのとおりです。」

□〔カクダいわく、――〕

「修行僧よ。あなたは、悩みもなく、また喜びもないのですか?

独り坐っている(注2)あなたに、不快が襲うことはないのですか?」

□〔尊師いわく、――〕

「神霊よ。わたしは、悩むこともない。また喜びも存在しない。独り坐っているわたしに、不快が襲うこともない」と。

□〔カクダいわく、――〕

「修行僧よ。あなたが悩むことがないのはどうしてですか? 喜びが存在しない、というのは、どうしてですか? 独り坐っているあなたに、不快が襲うことがないのは、どうしてですか?」

□〔尊師いわく、――〕

「悩みの生じた者には、喜びが起こる。喜びの生じたものには、悩みが起こる。修行僧は、喜ぶこともなく、悩むこともない。友よ。このように知れ」と。(126~127頁)

(注1)修行僧;samana.「沙門」と音写される。

(注2)独り坐っている;ゴータマ・ブッダは独り坐っているのである。1250人の修行僧を伴れているのではない。後者は恐らく後世の仮託であろう。(302頁)

第9節 ウッタラ

■王舎城が因縁(ゆかり)の場所である。

傍らに立った〈神の子〉ウッタラは、尊師のもとで、この詩をとなえた。

□「生は〔死に〕導かれる。命は短い。

老いに連れ去られた人には、救いのよるべが存在しない。

死にはこの恐怖があることを観察して、

安楽をもたらす功徳を積め」と。

□〔尊師いわく、――〕

「生は〔死に〕導かれる。命は短い。

老いに連れ去られた人には、救いのよるべが存在しない。

死にはこの恐怖があることを観察して、

世の中の誘惑のもとを捨てて、静かな安らぎを願え」と。(128頁)

第10節 孤独な人々に食を給する長者

■そこで尊師は、その夜が過ぎてから、修行僧たちに告げて言われた、――

□「修行僧たちよ。この夜、或る〈神の子〉が、夜が更けてから、容色うるわしく、ジュータ林を遍く照らして、わたしのもとに近づいた。近づいてから、わたしに敬礼して、傍らに立った。傍らに立っていたその〈神の子〉は、わたしのもとで、これらの詩をとなえた。

□『ここは、健やかなジュータ林である。仙人の集いが住みついている。

真理の王(ブッダ)が来り住みたまう。

わたくしにますます喜びを起こさせる。

行為と知識と理法と戒律と最上の生活と――。

これによって人々は浄められる。種姓によるのでもなく、また財産によるのでもない。

それ故に、賢者なる人は、自己のためになることを見て、

真理を正しく思考せよ。

このようにしたならば、人はそこで浄められる。

サーリプッタのように、智慧と戒律と心の静かな安らぎによって彼岸に達した修行者は、

これだけでも最上のものとなるであろう。』

□その〈神の子〉は、このように言った。このように言ったあとで、わたしに敬礼して、右まわりの礼をして、その場で消え失せた」と。

□このように言われて、尊者アーナンダは、尊師にこのように言った。――「尊いお方さま。かれは恐らく〈孤独な人々に食を給する長者〉という〈神の子〉だったのでしょう。〔実在していた人物としての〕〈孤独な人々に食を給する長者〉という資産者は、尊者サーリプッタを信仰していました」と。

□「みごとだ。みごとだ。アーナンダよ。思考(推測)によって達し得る限りのことを、そなたは達成した。かれは恐らく〈孤独な人々に食を給する長者〉という〈神の子〉(注)なのだ。」(129~131頁)

(注)〈神の子〉;漢訳によると、〈孤独な人々に食を給する長者〉は、この世で亡くなってからトゥシタ天に生まれ、それから天子(神の子)としてこの世に現れたということになっている。これは、後代の発展付加である。(303頁)

第3章 種々なる異学

第1節 シヴァ

■そこで尊師は、〈神の子〉シヴァに詩を以て返答した。――

「善き人々とともに坐せ。善き人々と交われ。

善き人々の説く正しい教え(注)を学び知って、

すべての苦しみから脱(のが)れる」と。(133頁)

(注)正しい教え;漢訳では「正法」とか「妙法」とか訳される。(304頁)

第2節 ケーマ

■傍らに立った〈神の子〉ケーマは、尊師のもとでこの詩をとなえた。――

「聡明でない愚人どもは、自分に対して仇敵(かたき)に対するようにふるまう。かれらは悪い行いをして、苦い報いを受ける。

もしも或る行為をしたのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣き叫びながら、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善くない。

もしも或る行為をしたのちに、それを後悔しないで、嬉しく喜んで、その報いを受けるならば、その行為をいたことは善いのである。

自分の益になるものであると知り得ることを、あらかじめなすべきである。

〔無暴な〕車夫のような思いによらないで、賢者は思慮して気を落ち着けて邁進すべきである。

譬えば(注)、車夫が平坦な大道を捨てて、凹凸ある道をやって来て、車軸を毀してはげしくふさぎこむように、

愚かな者は、法(のり)から逸脱して、なしてはならぬことを実行して、死魔の口に入り、車軸を毀したように、悲しむ。」(133~134頁)

(注)譬えば……;以下は『義足経』にも引用されている。「車を道に行(はし)らすに、平なるを捨てて邪道に就き、邪なるに至りて憂患を致し、是くの如く轂輪(こくりん)を壊すが如し。法を遠ざくるも、正に亦た爾り。意は、邪行に著して痛み、愚かにも死生の苦しみを服するも、亦た轂(こしき)を壊す(がごとき)の憂ひあり。」(305頁)

第6節 赤い馬

■〔あるとき尊者は〕サーヴァッティーに住しておられた。……

□傍らに立った〈神の子〉である〈赤い馬〉は、尊師に次のように言った。

「尊いお方さま。そこにおいては、生ずることもなく、衰えることもなく、死ぬこともなく、没することもなく、生まれることもないところの世界の終極は、そこに歩いて行っても、知り、見、達することができるでしょうか?」□「友よ。そこにおいては、生ずることもなく、衰えることもなく、死ぬこともなく、没することもなく、生まれることもないところの世界の終極は、そこに歩いて行っても、知ることができないし、見ることができないし、達することができないと、わたしは説く。」

□「尊いお方さま。わたくしは昔は「赤い馬」という名の仙人でありました。ボージャの子であって、神通力あり、空中を飛行しました。わたくしには、このような形があり、速かでありました。譬えば、屈強な射手(弓取り)が、習熟し、練習し、神技を示すが、軽い矢を弓につがえると、易々と、横ぎって、ターラ樹の葉を射通して、超えて飛んで行くようなものである。

□わたくしの一足の歩みの幅は、東の海から西の海に至るほどでありました。

しこで、わたくしには、次のような願いが起こりました。――『わたくしは、歩行し世界の端に到達しましょう』と。

□ところで、わたくしは、そのような速力があり、そのような足の歩み幅がありましたが、食べたり飲んだり消化したり臥したりするときを除いては、排尿、排便の動作を除いては、睡眠や疲労を取り去るときを除いては、百年を生き、百年にわたって歩行をつづけましたが、ついに世界の端に到達することなしに、中間で亡くなってしまいました。

□尊いお方さま。すばらしいことです。不思議なことです。尊師が、このことをみごとに説かれましたのですから。――『友よ。そこにおいては、生ずることもなく、衰えることもなく、死ぬこともなく、没することもなく、生まれることもないところの世界の終極は、そこに歩いて行っても、知ることができないし、見ることができないし、達することができないと、わたしは説く』」と。

□〔尊師いわく、〕

「友よ、わたしは、世界の終極に達しないで苦しみを消滅する、と説くのではない。そうではなくて、意識もそなえ心もあるこの一尋(ひろ)の身体に即して、世界そのものと、世界の生起と、世界の止滅と、世界の止滅にみちびく道とを説示するのである。

□歩行したからとて、いつになっても世界の終極に達することはできない。

世界の終極に達しないで、苦しみから離脱することはあり得ない。

それ故に、世界を知れる人、聡明な人、清らかな行いを修めた人は、世界の終極に至る人となるであろう。

かれは、悪を静めて、世界の終極(注)を知り、この世をもかの世をも望まない」と。(143~145頁)

(注)世界の終極;世界の終極ということを、一般世人は空間的物理的な意味に解していたが、初期の仏教はニルヴァーナの意味に解していたことが解る。(307頁)

第7節 ナンダ

■傍らに立った〈神の子〉ナンダは、尊師のもとで、次の詩をとなえた。

「時は過ぎ去り、〔昼〕夜は移り行く。

青春の美しさは、次第に〔われらを〕捨てて行く。

死についてのこの恐ろしさに注視して、

安楽をもたらす善行をなせ」と。

□〔尊師いわく、――〕

「時は過ぎ去り、〔昼〕夜は移り行く。

青春の美しさは、次第に〔われらを〕捨てて行く。

死についてのこの恐ろしさに注視して、

世間の利欲を捨てて、静けさをめざせ」と。(146頁)

第10節 種々なる異学

■そこで悪魔・悪しき者は、〈神の子〉ヴェータンバリにこっそり忍び込んで、尊師のもとで、次の詩をとなえた。

「苦行と厭い離れることに専念し、ひとり遠ざかって暮らす生活を守り、

物質的なかたちに執著し、

神々の世界を喜び、

それらの人々は、来世のために正しく教えさとす」と。

□そこで尊師は、「これは悪魔・悪しき者である」と知って、悪魔・悪しき者に詩を以て答えた。――

「この世またはかの世におけるいかなるかたちでも、空中に現れる光り輝きや彩色でも、

これらはすべて〔悪魔〕ナムチの讃(ほ)めたたえるところである。

魚を殺す(=魚を釣る)ために餌が投げ込まれたのである」と。(154頁)

第Ⅲ篇(注1) コーサラ(注2)

(注1)第Ⅲ篇;この「コーサラ篇」に含まれている20のスッタ(短編)は、すべて釈尊とコーサラ国王パーセナディとの交友、対話に関するものである。

(注2)コーサラ;ガンジス河の北方に位置し、ネパールのあたりまで領域がひろがっていた国。その首都がサーヴァティー市で、その郊外の丘の上にジュータ林(祇園)が位置していた。

第1章

第2節 人

■〔あるとき尊師は、〕サーヴァティー市の〔ジュータ林・〈孤独な人々に食を給する長者〉の〕園に〔住しておられた〕。

□そのとき、コーサラ国のパセーナディ王は、尊師のましますところにおもむいた。近づいてから尊師に挨拶をして、傍らに坐った。

□傍らに坐って、コーサラ国のパセーナディ王は、尊師に次のように言った、――「尊いお方さま。どれだけの性質が、人の内部に生じて、その人の不利、苦悩、不快適な暮しとなるのですか?」

「大王さま。3つの性質が、人の内部に生じて、その人の不利、苦しみ、不快適な暮らしとなるのです。その3つとは何であるか?貪り(注1)という性質は、人の不利、苦しみ、不快適な暮らしとなるのです。また憎しみ(注2)という性質は、人の内部に生じて、その人の不利、苦しみ、不快適な暮らしとなるのです。迷妄(注3)は、人の内部に生じて、その人の不利、苦しみ、不快適な暮らしとなるのです。以上これらの3つの性質は、人の内部に生じて、その人の不利、苦しみ、不快適な暮らしとなるのです」と。

□〔尊師は次のように言われた、――〕

「貪りと怒りと迷妄とが、己れに生じると、悪心ある人を害する。――

茎の細い植物が、実が生(な)ると、〔害されて倒れる〕ようなものである」と。(161~162頁)

(注1)貪ぼり;lobha.『雑阿含経』にも「貪欲」。

(注2)憎しみ;dosa.『雑阿含経』にも「瞋恚(しんに)」。

(注3)迷妄;moha.『雑阿含経』にも「愚癡(ぐち)」「癡」。(313頁)

第4節 愛しき者

■〔あるとき尊師は、〕サーヴァティー市の〔ジュータ林・〈孤独な人々に食を給する長者〉の〕園に〔住しておられた〕。

□傍らに坐したコーサラ国王パセーナディは、尊師に次のように言った、――

「尊いお方さま。ここでわたくしが独り退いて沈思しているときに、心にこのような思考がおこりました。――『自己は、どのような人々にとって愛しき者であるのか? また自己は、どのような人々にとっては愛しからざる者であるのか?』と。そのとき、わたくしは次のようにおもいました。」

□身体によって悪行を行い、ことばによって悪行を行い、心によって悪行を行う人々がいるが、かれらにとっては自己は愛しからぬ者である。

さらにまたかれらは『われらにとっては自己は愛しい者である』と言うかもしれないが、かれらにとっては実は、自己は愛しからぬ者である。それは何故であろうか? 愛しくない者が愛しくない者に対してなすことを、かれらは、みずから自分のためにしているのである。それ故に、かれらにとって自己は愛しき者ではないのである。

□だれでも、身体によって善行をなし、ことばによって善行をなし、心によって善行をなすならば、その人々にとっては、自己は愛しきものである。たといかれらが『自己は、われらにとって愛しからざるものである』と言うとしても、かれらにとっては自己は愛しいものなのである。それは何故であるか? 愛しい者が愛しい者のためになすことを、かれらは、みずから自分のためにしているのである。それ故に、かれらにとっては自己は愛しいものなのである」と。

□「大王さま。そのとおりでございます。そのとおりでございます。だれでも身体によって、ことばによって、こころによって悪行をなすならば、その人々にとっては、自己は愛しいものではない。それ故に、かれらにとっては自己は愛しからざるものなのである。ところが、だれでも、身体によって善行をなし、〔ことばによって善行をなし、心によって善行をなすならば、その人々にとっては、自己は愛しきものである。〕それ故にかれらにとっては自己は愛しいものなのである(注)。

□もしも自分を愛しいものと知るならば、自分を悪と結びつけてはならない。悪いことを実行する人が楽しみを得るということは、容易ではないからである。

死に襲われて、人間としての生存を捨てつつある人にとっては、何が自分のものなのであろうか。かれは、何を取って、行くのであろうか。

何が、かれに従うものであろうか。――影がそのからだから離れないように。

人がこの世でなす善と悪との両者は、その人の所有するものであり、人はそれを執って〔身につけて〕おもむく。それは、かれに従うものである。――影がそのからだから離れないように。

それ故に善いことをなして、来世のための功徳を積め。

諸々の功徳は、あの来世において人々のよりどころとなる。」(163~165頁)

(注)自己は愛しいものなのである;結局、身体と、ことばと、心とによって善行を行うことが自己を愛する所以であるというのである。(314頁)

第5節 自らを護る人

■傍らに坐したコーサラ国王パセーナディは、尊師に次のように言った。

□「尊いお方さま。ここでわたくしが独り隠れて坐し沈思しているときに、このような心の思考がおこりました。――『いかなる人々自己は護られていないのか? 』と。そのとき、わたくしはこのようにおもいました。

□「だれでも、身体によって悪行をなし、ことばによって悪行をなし、心によって悪行をなすならば、その人々の自己は護られていないのである。たといかれらが、『象軍が護れよかし』『騎兵隊が護れよかし』『戦車隊が護れよかし』『歩兵隊が護れよかし』と言ったとしても、かれらの自己は護られていないのである。それは何故であるか? 外面的にこのように護ることは、内面的に護ることではないからである。それ故にかれらの自己は護られていない。

□だれでも、身体によって善行をなし、ことばによって善行をなし、心によって善行をなすならば、その人々の自己は護られている。たといかれらが、『象軍が護らないように』『騎兵隊が護らないように』『戦車隊が護らないように』『歩兵隊が護らないように』と言ったとしても、かれらの自己は護られているのである。それは何故であるか? 内面的にこのように護ることは、外面的に護ることではないからである。それ故にかれらの自己は護られている」と。

□「大王さま。そのとおりでございます。そのとおりでございます。だれでも身体によって悪行をなし、ことばによって悪行をなし、こころによって悪行をなすならば、その人々の自己は護られていないのです。たといかれらが、『象軍が護れよかし』『騎兵隊が護れよかし』『戦車隊が護れよかし』『歩兵隊が護れよかし』と言ったとしても、かれらの自己は護られていないのである。それは何故であるか?このように護ることは 外面的であり、内面的に護ることではないからです。それ故に、かれらの自己は護られていません。しかし、だれでも、身体によって善行をなし、ことばによって善行をなし、心によって善行をなすならば、その人々の自己は護られているのです。たといかれらが、『象軍が護らないように』『騎兵隊が護らないように』『戦車隊が護らないように』『歩兵隊が護らないように』と言ったとしても、かれらの自己は護られているのです。それは何故であるか?このように 護ることは内面的であり、外面的に護ることではないからである。それ故にかれらの自己は護られているのであります。

□身について慎しむのは善い。ことばについて慎しむのは善い。心について慎しむのは善い。あらゆることについて慎しむのは善いことである。あらゆることについて慎しんで恥じる(注)人は、〈まもる人〉と呼ばれる。」(165~166頁)

(注)慎んで恥じる;『雑阿含経』には「慚愧(ざんき)」と訳している。(315頁)

第6節 少数の人々

■〔あるとき尊師は、〕サーヴァティー市の〔ジュータ林・〈孤独な人々に食を給する長者〉の〕園に住しておられた。

□傍らに坐したコーサラ国王パセーナディは、尊師に次のように言った、――。

「尊いお方さま。ここでわたくしが独り隠れて坐し沈思しているときに、このような心の思考がおこりました。――『世の中では、種々莫大な富を得ても、酔わず、なまけず、愛欲に耽らず、生ける者どもに対して過(あやま)ったことをしない人々は、少ない。ところが世の中では、莫大な富を得て、酔い、なまけ、愛欲に耽り、生ける者どもに対して過ったことをする人々は、さらに多い 』と。

□「大王さま。そのとおりです。そのとおりです。世の中では、種々莫大な富を得ても、酔わず、なまけず、愛欲に耽らず、生ける者どもに対して過ったことをしない人々は、少ない。ところが世の中では、莫大な富を得て、酔い、なまけ、愛欲に耽り、生ける者どもに対して過ったことをする人々は、さらに多い

愛欲の享楽に執着し、愛欲を貪って、迷っている人々は、道を外れるのに気がつかない。鹿がわなにかけられても〔気づかぬ〕ようなものである。

のちにかれらには苦渋がある。その報いは悪い。」(167~168頁)

第7節 裁決

■傍らに坐してコーサラ国王パセーナディは尊師に次のように言った、――

□「尊いお方さま。わたくしはここで裁決の座に坐して、大財産のある王族、大財産のあるバラモン、大財産のある資産者が、富裕で、大いに財貨あり、金銀豊に、資財豊かで、財宝・穀物に豊かであるのに、欲望に因って、欲望にもとづいて、欲望の故に、わざとことさらに偽りを語るのを見ました。そこで、わたくしは、このように思いました。――『今やわたしは〔司法、行政の〕裁決には飽き飽きした。〔将軍である〕君が、これから裁決を行って世に名声を高めるがよい』」と。

□「大王さま。大財産のある資産者が、富裕で、大いに財貨あり、金銀豊に、資財豊かで、財宝・穀物に豊かであるのに、欲望に因って、欲望にもとづいて、欲望の故に、わざとことさらに偽りを語るが、そういうことをすると、かれらにとって永いあいだ、ためにならず、苦しみをもたらすことになるでしょう。

□愛欲の享楽に執着し、愛欲を貪って、迷っている人々は、道を外れるのに気がつかない。――張られた簗籠に気がつかぬ魚のようなものである。

のちにかれらには苦渋がある。その報いは悪い。」(168~169頁)

第8節 マッリカー(注)

■〔あるとき尊師は、〕サーヴァティー市のジュータ林・〈孤独な人々に食を給する長者〉の園に住しておられた。

□そのときコーサラ国王パセーナディは、王妃マッリカー夫人とともに、みごとな宮殿のうえにいた。

□そのときコーサラ国王パセーナディは、マッリカー妃に言った、――

「そなたには、自分よりももっと愛しい人が、だれかいるかね」と。

□「大王さま。わたくしには、自分よりももっと愛しい人はおりません。あなたにとっても、ご自分よりのもっと愛しい人がおられますか?」

□「マッリカーよ。わたしにとっても、自分よりもさらに愛しい他の人は存在しない。」

□そこでコーサラ国王パセーナディは、宮殿から下りて、尊師のおられるところにおもむいた。近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに坐した。傍らに坐したコーサラ国王のパセーナディは、尊師に向かって次のように言った、――

□「尊いお方さま。ここでわたしは、マッリカー妃とともに、みごとな宮殿の上にいて、妃にこのように言いました。――『そなたには、自分よりももっと愛しい人が、だれかいるかね?』と。そのように言われて、マッリカー妃は、わたくしにこのように申しました。――『大王さま。わたくしには、自分よりももっと愛しい人はおりません。あなたにとっても、ご自分よりのもっと愛しい人がおられますか?』と。このように言われたので、わたくしはマッリカーに申しました。――『マッリカーよ。わたしにとっても、自分よりもさらに愛しい他の人は存在しない』と。」

□そこで尊師はこのことを知って、その時、この詩を唱えられた。――

「どの方向に心でさがし求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出さなかった。そのように、他の人々にとっても、それぞれの自己が愛しいのである。それ故に、自己を愛する人は、他人を概してはならない」と。(169~170頁)

(注)マッリカー;彼女はもとは「困窮せる花輪職人の娘」であったが、のちにパセーナディ王の妃となり、聡明を以て知られていた。

第10節 束縛

■そのときコーサラ国王パセーナディは、多くの人々を捕縛していた。或る人々はで械(かせ)で縛られ、或る人々は鎖で縛られていた。

□そのとき多勢の修行僧たちは、朝早く衣を着けて、衣と鉢とを手にとって、托鉢のためにサーヴァティー市の中を托鉢のために歩き廻って、食後に、鉢をもとにもどして、尊師のおられるところにおもむいた。近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに坐した。

□傍らに坐したそれらの修行僧たちは、尊師に向かって次のように言った。――

「尊いお方! ここでコーサラ国王パセーナディは、多くの人々を捕縛しています。或る人々は械で縛られ、或る人々は鎖で縛られています」と。

□そこで尊師は、このことを知って、そのとき、次の詩を唱えられた。――

「鉄や木材や麻紐でつくられた枷(かせ)を、思慮ある人々は堅固な縛(いましめ)とは呼ばない。

〔愚鈍な人が、〕宝石や耳輪・腕輪をやたらにほしがること、妻や子にひかれること、――これが堅固な縛であると、思慮ある人々は言う。

それは、低く垂れ、暖く見えるけれども、脱れ難い。

かれらは、これをさえも断ち切って、顧みることなく、欲楽をすてて、遍歴修行する。」

第2章

第1節 結髪の行者

■あるとき尊師は、サーヴァティー市において、〈東の園〉にある〈ミガーラの母の宮殿(注)〉に住しておられた。

□そのとき、尊師は夕暮れ時に沈思瞑想から立ち上がって、門外の小屋に坐しておられた。

ときにコーサラ国のパセーナディ王は、尊師のましますところにおもむいた。近づいてから尊師に挨拶して、傍らに坐した。

□そのときに、また、7人の結髪行者と、7人のニガンダの徒と、7人の〈裸の行者〉と、7人の〈1衣の行者〉と、7人の遍歴行者とが、腋の下の毛や爪や身体の毛を長くしたままで、種々の旅行道具を手にもって、尊師から遠からざるところを通りすぎた。

□ときにコーサラ国のパセーナディ王は、座席から立ち上って、上衣を一方の(右の)肩にかけて、右の膝を地につけて、7人の結髪行者と、7人のニガンダの徒と、7人の〈裸の行者〉と、7人の〈1衣の行者〉と、7人の遍歴行者に向って、合掌して、3度、名をとなえた、――「尊い方々! わたくしはコーサラ国のパセーナディ王であります。わたくしはコーサラ国のパセーナディ王であります」と。

□さて、コーサラ国のパセーナディ王は、それらの7人の結髪行者と、7人のニガンダの徒と7人の〈裸の行者〉と7人の〈1衣の行者〉と、7人の遍歴行者とが立ち去ってまもなく、尊師のもとにおもむいた。近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに坐した。

□傍らに坐したコーサラ国のパセーナディ王は、尊師に向かって次のように言った。――

「尊いお方! これらの人々は、世の中における〈敬まわるべき人々〉あるいは〈敬まわるべき人の境地に至る道〉に達した人々のうちのいずれかの方々なのでしょうか?」と。

□「大王さま。あなたは在家の人であり、愛欲を享楽し、子たちの多くの悩みごとのうちに住みつき、カーシー国産の栴檀(せんだん)を受用し、花輪や芳香や塗料を用い、金銀を受けたもっています。あなたが『 これらの人々が、〈敬まわるべき人々〉であるか、あるいは〈敬まわるべき人の境地に至る道〉に達したか』ということを知るのは、困難であります。

□大王さま。かれらが戒しめをまもっているかどうかは、共に住んでみて、知られるのです。それも長いあいだ共に住んでみて、知られることであって、僅かの期間では知られません。また気をつけて注意してみて解るのであって、注意していなければ解りません。また洞察力があってこそ知り得るのであって、愚鈍であっては解りません。

□かれらが清浄であるかどうかは、共に話し合ってみて、知られるのです。それも長いあいだ共に話し合ってみて知られることであって、僅かの期間では知られません。また気をつけて注意してみて解るのであって、注意していなければ解りません。また洞察力があってこそ知り得るのであって、愚鈍であっては解りません。

□かれらがしっかりとしているかどうかは、災難に出会ってみて知られるのです。それも、長い間にわたって知られることであって、僅かの期間では知られません。また気をつけて注意してみて解るのであって、注意していなければ解りません。また洞察力があってこそ知り得るのであって、愚鈍であっては解りません。

□かれらが智慧があるかどうかは、会談してみて、知られるのです。それも長いあいだ共に会談してみて知られることであって、僅かの期間では知られません。また気をつけて注意してみて解るのであって、注意していなければ解りません。また洞察力があってこそ知り得るのであって、愚鈍であっては解りません」と。

□「尊いお方。すばらしいことです。みごとです。――尊師が『大王さま。あなたは在家の人であり、愛欲を享楽し、……洞察力があってこそ知り得るのであって、愚鈍であっては解りません。愚鈍であっては解りません』と、みごとに説かれたことは。

□尊いお方。これらのわが官吏、密偵、偵察者は、国をへめぐって戻ってきます。かれらが先ず偵察したことにもとづいて、わたしはのちに結論を下します。

□今、かれらが、その塵汚れを除き去り、よく沐浴し、よく香油を塗り、鬢髪をととのえ、白衣をつけて、五欲にまかせ、充分にみたしてやってから、偵察に出かけるようにさせましょう。」

□そこで、尊師はこのことを知って、そのとき次の詩をとなえられた。――

「端麗な容貌によっても、いかなる人〔の心〕も識り得ない。動作を見ることによっても、信用するな。

この世では、よく身を慎んでいる人のように見せかけて、〔その実は〕慎みのない人々が、この世を闊歩している。

まがいものであり、泥土でつくられた耳輪のようなものもある。金のメッキがしてある半マーシャ(重量の名)の銅のように、或る人々はつき従う仲間をつれて歩き廻っているが、内心は不浄で、外側だけ立派なのである」と。(175~178頁)

(注)ミガーラの母の宮殿;ミガーラは、サーヴァッティーの長者であったPunnavaddhanaとその夫人Visakhaとの長子であった。したがって「ミガーラの母」とはヴィサカー夫人のことである。彼女は篤信者で、女性パトロンのうちの弟一人者であった。ここで言及されている宮殿は、ミガーラの母の寄進によって建てられたものである。(320頁)

第2節 五人の王

■〔あるとき尊師は、〕サーヴァティー市に住しておられた。

□その時コーサラ国のパセーナディ王を上首とする5人の王は、五欲を満たし、すっかり楽しみ、五欲の対象に取り巻かれていたが、かれのあいだで、次のことを論議した、――諸々の欲楽のうちで最上のものは、何だろう、と。

□そこで、或る人々は次のように言った、――「諸々の欲楽のうちでは、〔眼に見える〕色かたちが最上である」と。或る人々はこのように言った、――「諸々の欲楽のうちでは、〔妙なる〕音声が最上である」と。或る人々はこのように言った、――「諸々の欲楽のうちでは、芳香が最上である」と。或る人々はこのように言った、――「諸々の欲楽のうちでは、美味が最上である」と。或る人々はこのように言った、――「諸々の欲楽のうちでは、触れられるものが最上である」と。そのとき、それらの諸王は互いに他人を説得することができなかった。

□その時コーサラ国のパセーナディ王は、諸王に次のように言った、――「来れ、諸君よ。われらは、尊師のましますところへ行こう。近づいて尊師にこのことを尋ねよう。尊師がわれらに説いて決めてくださるとおりに、われらはそれを頂いて受けることにしよう」と。

□「君よ。そうだ」と、諸王はコーサラ国のパセーナディ王に答えた。

□そこでその五人の王は、パセーナディ王を首(はじめ)として、尊師のましますところにおもむいた。近づいて尊師に挨拶してから、傍らに坐した。

□傍らに坐したコーサラ国のパセーナディ王は、尊師に次のように言った。――「尊いお方! ここに、われら五人の王は、五欲を満たし、すっかり楽しみ、五欲の対象に取り巻かれていますが、わたくしたちのあいだで次のことを論議しました。――『諸々の欲楽のうちで最上のものは、何だろう』と。或る人々は次のように言いました、――『諸々の欲楽のうちでは、〔眼にみえる〕色かたちが最上である』と。或る人々はこのように言いました、――『諸々の欲楽のうちでは、〔妙なる〕音声が最上である』と。或る人々はこのように言いました、――『諸々の欲楽のうちでは、芳香が最上のものである』と。或る人々はこのように言いました、――『諸々の欲楽のうちでは、美味が最上である』と。或る人々はこのように言いました、――『諸々の欲楽のうちでは、触れられるものが最上である』と。諸々の欲楽のうちで、最上のものは何でしょうか?」と。

□「大王さま。『快適感に帰着するものが、五欲のうちで最上のものである』と、われは説く。それらの色かたちは、ある人にとっては快適であるが、他の人にとっては不快適である。人がある色かたちによって心喜び、思いが足りたならば、さらに他の、あるいはすぐれた色かたちを求めることをしない。それらの色かたちは、かれにとっては最高のものであり、無上のものである。

□それらの音声、……それらの香り、……それらの味、……それらの触れられるものは、或る人にとっては快適であるが、他の人にとっては不快適である。人が或る〈触れられるもの〉によって心喜び、思いが足りたならば、それらの〈触れられるもの〉とは異なった、さらに他の、あるいはすぐれた〈触れられるもの〉を求めることをしない。それらの〈触れられるもの〉は、かれにとっては最高のものであり、無上のものである。」

□そのときチャンダナンガリカという在俗信者がかれらの集まりのうちに坐していた。そこで在俗信者チャンダナンガリカは、座から起って、上衣を一方の肩にかけて、尊師に合掌礼拝して、尊師に次のように言った、――「尊師さま。わたしには或る思いが顕われました。思い浮ぶことがあります」と。

□「チャンダナンガリカよ。その思いを顕わせ」と尊師は言われた。

□そこでチャンダナンガリカという在俗信者は、尊師の面前で、その場にふさわしい詩で讃嘆した。

「香り芳しい紅蓮華が、朝早く開いて、

香りの去らぬようなものである。

アンギーラサ(=ブッダ)の輝きたまうを見よ。――

空中に太陽が輝くように。」

□そこでその五人の王は、在俗信者チャンダナンガリカに五枚の衣を着せた。

□次いで在俗信者チャンダナンガリカはその五枚の上衣を尊師に着せた。(178~181頁)

第3節 大食

■〔あるとき尊師は、〕サーヴァティー市に住しておられた。そのときコーサラ国王パセーナディは、1ドーナの量の炊いたご飯を食べるのを常としていた。

□さてコーサラ国王パセーナディは、食べおわって、大きな息をついて、尊師のもとにおもむいた。近づいてから尊師に挨拶敬礼して、傍らに坐した。

□そこで、尊師は、かのコーサラ国王パセーナディが食べおわって大きな息をついたのを知って、そのとき次の詩を唱えた。

「つねに心を落ち着けて、食物を得ても食事の量を〔節することを〕しっている人にとっては、諸々の〔苦痛の〕感覚は弱まってゆく。寿命をたもちながら、徐々に老いる。」

□そのとき若き学生スダッサナは、コーサラ国王パセーナディの背後に立っていた。

□そこでコーサラ国王パセーナディは、若き学生スダッサナに告げた。――「さあ、スダッサナよ。お前は尊師のもとでこの詩を習って暗記して、わたしの食事のときに唱えよ。わたしはお前に、毎日の手当として、百銭ずつ常時の給与をしてやるよ」と。

□「王さま。かしこまりました!」と、若き学生スダッサナは、コーサラ国王パセーナディに答えて、ついで尊師のもとでこの詩を習って暗記して、コーサラ国王パセーナディの食事のときに唱えた、――

「つねに心を落ち着けて、食物を得ても食事の量を〔節することを〕しっている人にとっては、諸々の〔苦痛の〕感覚は弱まってゆく。寿命は徐々に老い朽ちて、過ぎ去って行く。」

□そこでコーサラ国王パセーナディは、順次食物の量を減らして、ついには1ナーリカの飯だけに制限するに至った。

□さてコーサラ国王パセーナディは、のちの時期に身体が健やかになり、手で身体を撫でて、その時にこの感興のことばを発した、――「尊師は二つの利を以てわたしをあわれんで下さった。――目のあたり見る現世の利と、来世の利とで」と。(181~183頁)

第5節 戦争についての二つの説示(2)

■さて、多くの修行僧たちは、朝早く、衣を着けて、鉢と衣とを手に執って、托鉢のためにサーヴァティー市に入っていった。かれらはサーヴァティー市の中を托鉢のために歩き廻って、食事をすめせたあとで、鉢をもとにもどして、尊師のところにおもむいた。近づいてから尊師に敬礼して、傍らに坐した。傍らに坐した修行僧たちは、尊師に次のように言った。――

□「尊いお方さま! マガダ国王アジャータサットゥー、〈ヴィーデーハ国からの女〉の子、は、四軍を装備して、コーサラ国王パセーナディに対して、カーシー国に攻め入りました。コーサラ国王パセーナディは『マガダ国王アジャータサットゥー、〈ヴィーデーハ国からの女〉の子――が、四軍を装備して、われに対してカーシー国に攻め入ったそうだ』ということを聞きました。そこで

コーサラ国王パセーナディは、四軍を装備して、マガダ国王アジャータサットゥー、〈ヴィーデーハ国からの女〉の子、を〔カーシーで〕迎え討ちました。さてマガダ国王アジャータサットゥー、〈ヴィーデーハ国からの女〉の子、と、コーサラ国王パセーナディとが、戦いました。その戦闘において、コーサラ国王パセーナディは、マガダ国王アジャータサットゥー、〈ヴィーデーハ国からの女〉の子、に打ち勝ち、そして生け捕りにしました。そのときコーサラ国王パセーナディは、このように思いました。――『このマガダ国王アジャータサットゥー、〈ヴィーデーハ国からの女〉の子、は、害われることのなかった〔不敗の〕わたしに敵対したけれども、かれはわたしの甥である。わたしは、マガダ国王アジャータサットゥー、〈ヴィーデーハ国からの女〉の子、の、すべての象軍を奪い、すべての騎兵隊を奪い、すべての戦車隊を奪い、すべての歩兵隊を奪って、かれを生かしておいて放免しよう』と。そこでコーサラ国王パセーナディは、マガダ国王アジャータサットゥー、〈ヴィーデーハ国からの女〉の子、の、すべての象軍を奪い、すべての騎兵隊を奪い、すべての戦車隊を奪い、すべての歩兵隊を奪って、かれを生かしておいたまま放免しました」と。

□そこで、尊師は、このことを知って、そのとき次の詩を唱えられた、――

「或る物が人に役立つあいだは、その人は〔他人から〕略奪する。次いで、他の人々がかれから掠め取るときに、〔他人から〕掠め取った人が、略奪されるのである。

悪の報いが実らない間は、愚人は、それを当然のことだと考える。

しかし悪の実ったときに、

愚者は苦悩を受ける。

殺す者は殺され、怨む者は怨みを買う。また罵りわめく者は他の人から罵られ、怒りたける者は他の人から怒りを受ける。

業の〔輪の〕回転によって、掠め取られた者が掠め取る。」(187~188頁)

第7節 努め励むこと(1)

■〔あるとき尊師は、〕サーヴァティー市に住しておられた。

□かれは傍らに坐した。傍らに坐したコーサラ国王パセーナディは、尊師に次のように言った、――

「尊いお方さま。現世の利と来世の利と、両(ふた)つの利をたもっている1つの事柄がありましょうか?」と。

□「大王さま。現世の利と来世の利と、両(ふた)つの利をたもっている1つの事柄があります。」

□「大王さま。〈現世の利と来世の利と、両(ふた)つの利をたもっている1つの事柄〉とは、〈努め励むこと〉です。譬えば、いかなる歩き廻る生きものの足跡も、すべて象の足跡のうちにおさまり、象の足跡は大いさに関しては生きものの足跡のうちでは最上のものであると説かれているように、〔この〈努め励むこと〉という〕1つの事柄は、現世の利と来世の利と、両つの利をたもっているのです。」

□「生命(長寿)と健康と美貌と、天界に生まれることと、高貴の家に生まれることとますます広大なる喜びを追求するならば、……

福徳を生ずる行いにつとめはげむことを、賢者はほめたたえる。

つとめはげむ賢者は、(次に挙げる)2つの事柄を体得する。

1つは現世に関する事柄であり、他の1つは来世に関する事柄である。

思慮ある人は、事柄を見きわめてさとるから、〈賢明な人〉と呼ばれるのである。」(189~190頁)

第8節 努め励むこと(2)

■〔あるとき尊師は、〕サーヴァティー市に住しておられた。

□かれは傍らに坐した。傍らに坐したコーサラ国王パセーナディは、尊師に次のように言った、――

「尊いお方さま。ここで、わたくしが独り隠れて沈思していたときに、このような考えが、わたくしの心に起こりました。――『尊師は理法をみごとにお説きになりました。しかし、それは、善き友、善き仲間、善き人々に取り巻かれている人のためのものであり、悪い友、悪い仲間、悪い人々に取り巻かれている人のためではありません』」と。

□「大王さま。そのとおりです。わたしは理法をみごとに説きました。しかしそれは、善き友、善き仲間、善き人々に取り巻かれている人のためのものであり、悪い友、悪い仲間、悪い人々に取り巻かれている人のためではありません。

□大王さま。或るとき、わたしは、サッカ(釈迦)族の都邑に住んでいました。

□そのとき、修行僧アーナンダが、わたしのいるところに近づいて来ました。近づいてから、わたしに恭しく挨拶をして、傍らに坐しました。傍らに坐した修行僧アーナンダは、わたしに次のように申しました。――『尊いお方さま? 善き友のあること、善き仲間のいること、善き人々に囲まれていることは、清浄行の半ばに近い』と。

□このように言われたので、わたしは修行僧アーナンダに、次のように言いました。――『アーナンダよ。そうではない。そうではない。善き友をもつこと、善き仲間のいること、善き人々に取り巻かれていることは、清浄行の全体である。善き友である修行僧については、このことを期待することができる。善き友、善き仲間、善き人々に取り巻かれている修行僧ならば、〈8つの正しい道〉を盛んならしめるであろう。

□では、アーナンダよ、修行僧はどのようにしたならば、善き友、善き仲間、善き人々に取り巻かれたものとして〈8つの正しい道〉を盛んならしめることになるのであるか?

□ここに〈遠ざかり離れること〉にもとづき、欲情を離れることにもとづき、煩悩を捨て去ることに向う〈正しい見解〉を修め、〈正しい意向〉を修め、〈正しいことば〉を修め、〈正しい行動〉を修め、〈正しい生活〉を修め、〈正しい努力〉〈正しい落ち着き〉を修め、遠ざかり離れることにもとづき、欲情を離れることにもとづき、止滅にもとづき、煩悩を捨て去ることに向う〈正しい精神統一〉を修める。このようにするならば、修行僧は、善き友、善き仲間、善き人々に取り巻かれたものとして、〈8つの正しい道〉を修めることになり、〈8つの正しい道〉を盛んならしめることになる。

□それ故に、このようなしかたで理解されねばならない。〈善き友をもち、善き仲間をもち、善き人々に取り巻かれていること〉というこのことが、清浄行のすべてである。

□アーナンダよ。実に、わたしを善き友(注)とすることによって、〈(迷いの世界のうちに)生まれる〉という性質をもっている人々は、〈生まれること〉から解脱するのである。〈老いる〉という性質をもっている人々は、〈老い〉から解脱するのである。〈病い〉という性質をもっている人々は、〈病い〉から解脱するのである。〈死〉という性質をもっている人々は、〈死〉から解脱するのである。〈悲しみ、嘆き、苦しみ、悩み、悶え〉という性質をもっている人々は、〈悲しみ、嘆き、苦しみ、悩み、悶え〉から解脱するのである。〈善き友をもち、善き仲間をもち、善き人々に取り巻かれていること〉が清浄行のすべてであるということは、このようなしかたで理解されねばならない。』

□大王さま。それ故に、あなたはこのように学ばねばなりません。――『われは善き友となろう。善き仲間となり、善き人々に取り巻かれているようになろう』と。実にあなたは、このように学ばねばなりません。善き友であり、善き仲間であり、善き人々に取り巻かれているあなたは、1つの事柄、すなわち〈善きことをなすのに努め励む〉ということにもとづいて住しなければならない、と。(191~193頁)

(注)善き友;ゴータマ・ブッダという人は、人々にとって〈善き友〉であるにすぎないのである。(岡野注;ゴータマ・ブッダという人は、自分では人々にとって〈善き友〉であるにすぎないと思っているが、人々にとってはとても、〈善き友〉であるとは思えなく、やはり仏様なのである)

第9節 子がいない(1)

■サーヴァティー市が因縁(ゆかり)の場所である。

□時にコーサラ国王パセーナディは、日中に(注1)尊師のもとにおもむいた。近づいてから、尊師に恭しく挨拶して傍らに坐した。傍らに坐したコーサラ国王パセーナディに、尊師は次のように言われた、――「大王さま、まあ、あなたはどうして日中にいらっしゃったのですか?」と。

□「尊いお方よ。ここにサーヴァッティー市で或る資産家なる長者が亡くなりました。かれには子がいなかったので、わたくしは、その資産を没収して、王宮に持ってこさせて、それから、ここに来ました。かれには八百万金の黄金がありました。況んや銀については言を俟(ま)ちません。ところで、その資産家なる長者は、このような食物を食べていました。――糠を混ぜた酸っぱい粥なのです。かれは、このような衣服を着ていました。――三つの片(きれ)を綴じ合わせた麻布の衣を着ていたのでした。かれは、このような乗物に乗っていました。――木の葉で覆った天蓋のついたボロ車に乗っていたのです。」

□「大王さま。そのとおりです。そのとおりです。つまらぬ人は、莫大な富を得ても、自分を楽しませず、喜ばせず、父母を楽しませず、喜ばせず、妻子を楽しませず、喜ばせず、奴僕・召使い・使用人を楽しませず、喜ばせず、友人・朋輩を楽しませず、喜ばせず、道の人・バラモンたちに対し、〈上界に昇らせ、天にみちびき、楽の果報を得させ、天の世界に生まれさせる布施〉をしません。かれのその財産はこのように正しく用いられることなしに、国王に没収され、盗賊に盗まれ、火に焼かれ、水に流されてしまい、自分の気に入らぬ相続人に奪われてしまう。財産は、正しく受用されないならば、こういうふうに、滅びてしまい、充分に享受されないのです。

□譬えば、人間のいない地域に蓮池があり、その水は清く澄んで、清冷で、味がよく、色が白く、岸がしっかりとつくられていて、美麗であったとしても、その水を人が奪い去ることもなく、飲まず、浴せず、機縁に応じて適当に用いることもないように、そのようにその水も正しく受用されないようならば、滅び去ってしまい、受用されることがないであろう。それと同じく、つまらぬ人は、莫大な富を得ても、自分を楽しませず、喜ばせず、父母を楽しませず、喜ばせず、妻子を楽しませず、喜ばせず、奴隷・召使い・使用人を楽しませず、喜ばせず、友人・朋輩を楽しませず、喜ばせず、道の人・バラモンたちに対し、〈天にみちびき、楽の果報を得させて、天の世界に生まれさせる布施〉をしません。かれのその財産はこのように正しく用いられることなしに、国王に没収され、盗賊に盗まれ、火に焼かれ、水に流されてしまい、自分の気に入らぬ相続人に奪われてしまう。こういうわけで、財産は、正しく受用されないならば、滅びてしまい、充分に享受されないのです。

□大王さま。ところが、立派な人は、莫大な富を得ると、自分を楽しませ、喜ばせ、父母を楽しませ、喜ばせ、妻子を楽しませ、喜ばせ、奴隷・召使い・使用人を楽しませ、喜ばせ、友人・朋輩を楽しませ、喜ばせ、道の人・バラモンたちに対し、〈上界に昇らせ、天にみちびき、楽の果報を得させて、天の世界に生まれさせる布施〉をします。かれのその財産はこのように正しく用いられ、国王も没収せず、盗賊も盗まず、火も焼かず、水も流さず、自分の気に入らぬ相続人が奪うこともありません。こういうわけですから、財産は、正しく受用されると、充分に享受され、滅びてしまうことはないのです。

□譬えば、――村あるいは都邑から遠からぬところに蓮池があり、その水は清く澄んで、清冷で、味がよく、色が白く、岸がよくつくられていて、美麗であったとしよう。その水を人々は、あるいは運び、あるいは飲み、あるいは浴し、あるいは機縁に応じて適当に用いるであろう。そのように、その水も正しく受用されるならば、充分に受用されて、滅びることはない。それと同じく、立派な人は、莫大な富を得て、自分を楽しませ、喜ばせ、父母を楽しませ、喜ばせ、妻子を楽しませ、喜ばせ、奴隷・召使い・使用人を楽しませ、喜ばせ、友人・朋輩を楽しませ、喜ばせ、道の人・バラモンたちに対し、〈上昇に昇らせ、天にみちびき、楽の果報を得させ、天の世界に生まれさせる布施〉をします。かれのその財産はこのように正しく用いられ、国王も没収せず、盗賊も盗まず、火も焼かず、水も流さず、自分の気に入らぬ相続人が奪うこともありません。こういうわけですから、財産は、正しく受用されるならば、充分に享受されて、しかも滅びることがない。」

□〔尊師は言われた、――〕

「人のいない地域(=荒野)に清冷な水があっても、それを飲まぬならば、涸れて消え失せるように、

愚劣な人が富を得ると、自ら用いることなく、他人にも与えない。

健き人・智慧のある人は、富を得たならば、自ら用い、またなすべきことをなす。

牡牛のような人(注2)であるかれは、親族の仲間を養って、人から非難されることなく、天の場所におもむく」と。(197~194頁)

(注1)日中に;暑熱のインドでは、日中に歩くと、「暑い」を越して、「痛い」と感じる。日中には動かないのが慣わしである。だから「この暑い日中に、どうしてここまで来られたのですか?」と尋ねたのである。

(注2)牡牛のような人;人間のうちで特にすぐれた人を「牡牛のような人」と呼んでいるのである。(329~330頁)

第10節 子がいない(2)

■「尊いお方さま。こういうわけで、その資産者たる長者は、こういうわけで大叫喚(きょうかん)地獄に生まれたのです。」

□「大王さま。その資産者たる長者は、こういうわけで大叫喚(きょうかん)地獄に生まれたのです。」

□「穀物も財も、銀も金も、またいかなる所有物があっても、

奴隷も、傭人も、使い走りの者も、またかれに従属して生活する者どもでも、

どれもすべて連れて行くことはできない。すべてを捨てて行くのである。

ひとが身体でなし、またことばや心でなすところのもの(=業)、――それこそ、かれ自身の物である。人はそれを取って受けて、いくのである。

それは、かれに従うものである。――影が人に従って行くように。

それ故に、善いことをして、来世のために功徳を積め。功徳は、あの世でも人々のよりどころとなる。」(199~200頁)

第3章

第1節 人

■あるとき尊師は、サーヴァティー市に住しておられた。

□ときにコーサラ国のパセーナディ王は、尊師のもとにおもむいた。近づいてから、尊師に恭しく挨拶して、傍らに坐した。

□傍らに坐したコーサラ国のパセーナディ王に対して、尊師は、次のように言われた。「大王さま。世には4種類の人々がいます。

□その4つとは何であるか? ⑴闇から闇におもむく者、⑵闇から光におもむく者、⑶光から闇におもむく者、⑷光から光におもむく者です。(201頁)

□大王さま。或る人は、どのようにして光から光におもむくのでしょうか? ここで或る人は、高貴の家に生まれる。すなわち、大いに富裕な王族の家、大いに富裕なバラモンの家、大いに富裕な資産者の家、富んで、大いに財産あり、金銀豊かに、資財豊かに、財宝・米穀豊かな家に生まれる。かれは、容姿端麗で、みめ麗しく、皮膚が清らかに白く、蓮華のような最上の美しさをそなえている。かれは、食物・飲料・衣服・乗りもの・花かざり・芳香・塗料・臥床・住居・燈火具を得ている。かれは身で善行をなし、ことばで善行をなし、心で善行をなす。かれは身で善行をなして、ことばで善行をなして、心で善行をなして、身体が破壊したあとで、死後に、善きところ・天の世界に生まれる。譬えば、人が、輿(こし)から輿に移り、馬の背から馬の背に移り、象の肩から象の肩に移り、宮殿から宮殿に移るようなものである。わたしは、その人を、その譬えのごとくであると説く。このように、或る人は光から光におもむくのである。

□大王さま。世の中には、この〔4種の〕人々が存在するのです。

□〔Ⅰ〕王さま。或る人は、貧しくて、信仰なく、もの惜しみをして、けちで、悪い思いがあり、

邪な見解をいだき、人を敬わず、

道の人やバラモンや、食を乞う他の人々を、あざけり、罵(ののし)り、何でも否定して、怒り悩まし、

食を乞う者に施しをしようとする人を妨げる。――

そのような人は、死んでから、恐ろしい地獄におもむく。これは、闇から闇におもむく人である。

□〔Ⅱ〕王さま。或る人は、貧しいが、信仰あり、もの惜しみをせず、施しをなし、崇高な思いがあり、心が散乱していない人であり、――

道の人や、バラモンや、食を乞う他の人々に対して、

座から起ち上がって、恭しく挨拶し、安らかな行いに身を修め、

食を乞う者に施しをしようとする人を妨げない。――

そのような人は、死んでから、三十三天におもむく。これは、闇から光におもむく人である。

□〔Ⅲ〕王さま。或る人は、富んではいるが、信仰なく、もの惜しみをし、けちで、悪い思いがあり、

邪まな見解をいだき、人を敬わず、

道の人やバラモンや、食を乞う他の人々を、あざけり、罵(ののし)り、何でも否定して、怒り悩まし、

食を乞う者に施しをしようとする人を妨げる。――

そのような人は、死んでから、恐ろしい地獄におもむく。これは、光から闇におもむく人である。

□〔Ⅳ〕王さま。或る人は、富んでいて、信仰あり、もの惜しみをしないであ与え、崇高な思いがあり、心が散乱していない人であり、

道の人やバラモンや、食を乞う他の人々に対して、食を乞う者に施しをしようとする人を妨げない。――

そのような人は、死んでから、三十三天におもむく。これは、光から光におもむく人である」と。(204~206頁)

第3節 世間

■〔あるとき尊師は、〕サーヴァティー市に住しておられた。

□傍らに坐したコーサラ国のパセーナディ王は、尊師に次のように言われた、――「尊いお方さま。どれだけのものが生じて、世間の人々の不利、苦しみ、不安中となるのですか?」と。

□「大王さま。次の3つのものが生じると、世間の人々の不利、苦しみ、不安中となるのです。

□その3つとは、何であるか? 貪りは、生じると、世間の人々の不利、苦しみ、不安住となる。憎しみは、生じると、世間の人々の不利、苦しみ、不安住となる。迷妄は、生じると、世間の人々の不利、苦しみ、不安住となる。

□「大王さま。この3つの事柄は、生じると、世間の人々の不利、苦しみ、不安中となります。」

□〔尊師は、次のようにとなえられた。――〕

「貪りと、憎しみと、迷いとは、悪心をいだいている人を害なう。――

もとは自分から生じたものであるが。

茎の細い植物の実が生(な)ると〔害されて倒れる〕ようなものである。」(208~209頁)

(岡野注;仏教の三毒、貪瞋痴(とんじんち)のことを言っている)

第4節 弓術

■〔あるとき尊師は、〕サーヴァティー市に住しておられた。

□傍らに坐したコーサラ国のパセーナディ王は、尊師に次のように言った、――「尊いお方さま。どのような人に対して施しをなすべきなのでしょうか?」と。

□「大王さま。その人に向って心が静まり澄む(=信仰する)人に対して、なさい。」

□「どのような人に対して施しをしたならば、大いなる果報が得られるでしょうか?」

□「大王さま。『どのような人に対して施しをなすべきか?』ということと、『どのような人に対して施しをしたならば、大いなる果報が得られるか?』ということとは、別です。戒しめをたもっている人に施しをすると、大いなる果報が得られますが、悪い習性の人に施しをしても、そうはなりません。だから、わたしは、ここであなたにお尋ねしましょう。あなたのお気に召したとおりにお答えください。

□あなたは、どうお考えになりますか? ここに、戦争が起こって、戦闘部隊が集合したとしましょう。ときに、未だ武術を学ばず、未だ習練せず、慣れず、臆病で怯(ひる)み、こわばって恐怖し、逃げようとする〈王族の青年〉がやって来たならば、あなたはその男を傭うでしょうか? また、そのような男に用があるのでしょうか?」

□「わたしは、そんな男を傭いません。 また、そのような男に用はありません。

□もしも未だ武術を学ばず、未だ習練せず、〔慣れず、臆病で怯み、こわばって、恐怖し、逃げようとする〕〈バラモンの青年〉が来るならば、もしも未だ武術を学ばず、未だ習練せず、慣れず、臆病で怯み、こわばって、恐怖し、逃げようとする〈庶民の青年〉が来るならば、もしも未だ武術を学ばず、未だ習練せず、慣れず、臆病で怯み、こわばって、恐怖し、逃げようとする〈隷民の青年〉がやって来たならば、……わたくしは、そんな男に用はありません。」

□「大王さま。あなたは、どうお考えになりますか? ここに、戦争が起こって、戦闘部隊が集合したとしましょう。ときに、すでに武術を学び、習練し、慣れ、勇敢で、怯(ひる)まず、こわばらず、恐怖せず、逃げようとしない〈王族の青年〉が来たならば、あなたはそのような男を傭うでしょうか? また、そのような男に用があるのでしょうか?」

□「尊いお方さま。わたしは、そんな男を傭うでしょう。 また、そのような男に用があります。」

□「では、もしもすでに武術を学び、習練し、慣れ、勇敢で、怯まず、こわばらず、恐怖せず、逃げようとしない〈バラモンの青年〉が来るならば、もしもすでに武術を学び、修練し、慣れ、勇敢で、怯まず、こわばらず、恐怖せず、逃げようとしない〈庶民の青年〉が来るならば、もしもすでに武術を学び、修練し、慣れ、勇敢で、怯(ひる)まず、こわばらず、恐怖せず、逃げようとしない〈隷民の青年〉が来るならば、あなたはそのような男を傭うでしょうか? また、そのような男に用があるのでしょうか?」

□「尊いお方さま。わたしは、そんな男を傭うでしょう。 また、そのような男に用があります。」

□「大王さま。それと同様に、いかなる家柄からであろうとも、家から出て家なき状態におもむいて出家した人が、5つの性質を捨て、5つの性質を具えている人に施しをするならば、大いなる果報が得られます。

□いかなる5つの性質が捨て去られるのか? 貪欲が捨て去られる。もの倦さ、眠さが捨て去られる。そわそわして後悔する思いが捨て去られる。疑いが捨て去られる。それらの5つの性質が捨て去られるのである。

□いかなる5つの性質を捨て去られるのであるか? これ以上学ぶ要のない幾多の戒めを具えている。これ以上学ぶ要のない幾多の精神統一を具えている。これ以上学ぶ要のない幾多の智慧を具えている。これ以上学ぶ要のない幾多の解脱を具えている。これ以上学ぶ要のない〈自分は解脱した〉という知見を幾多具えている。これらの5つの性質を具えているのである。

□以上のような5つの性質を捨て去り、5つの性質を具えている人に施しをしたならば、大いなる果報を生ずる。」

□尊師はこのことを説かれた。……師はそのとき次の詩をとなえてくれた。――

「弓術巧みに、体力・勇気のある青年を、国王は、戦いのために傭えよ。

生まれが良いからとて臆病者を傭ってはならぬ。

また聡明な人は、たとい生まれは賤しくては、行いが立派で、堪え忍び柔和である性質をしっかりと具えている人を、尊敬してもてなすべきである。

楽しい庵を作って、学識多き人を住まわせよ。

水のない林の中には泉をつくり、嶮しいところには通路をつくり、

信じ喜ぶ心を以て、心の真っ直ぐな人々に、食物・飲料・硬い食物・衣服・臥床を与えよ。

譬えば、雨雲が電光の花輪をかざし百の尖塔を示して雷鳴を轟かし、

大地に雨降らし、高いところも低いところも低いところも満たすようにし、

信仰心あり、学び修めた賢明な人は、食物を用意して、食乞う人々を飲食物をもって満足せしめよ。

心に喜んで、撒き散らし、「与えよ」「与えよ」と語る。

かれは、天が雨降らすごとくに、その轟きを発するのである。

その豊かな功徳の流れは、施しを与える人に、降り注ぐ。」(211~212頁)

第5節 山の譬喩

■サーヴァティー市が因縁(ゆかり)の場所である。

□傍らに坐したコーサラ国のパセーナディ王に、尊師は次のように言われた、――「大王さま。あなたは、どうしてここに来られたのですか?」

□「尊いお方さま。権力支配の驕りに酔い、愛欲・貪りに耽り、国の安全を達成し、広大な領域を征服して支配する〈即位した王族・国王たち〉には〈国王としての務め〉があるのです。今わたくしはそれらの務めに熱中していたのです。」

□大王さま。あなたはどうお考えになりますか? ここに、信頼すべく、頼りにすることのできる人が、東方からあなたのところに来て、あなたに近づいて、このように言ったしましょう、――『大王さま。どうぞ、ご存じください。――わたくしは東方から来ましたが、そこでは、雲のような大きな山があらゆる生き物を圧しつぶしながら、やって来るのを見ました。大王さま。あなたのなすべきことを、なさってください』と。

□次に〔信頼すべく、頼りにすることのできる〕第2の人が、西方からあなたのところに来て、あなたに近づいて、このように言ったしましょう、――『大王さま。どうぞ、ご存じください。――わたくしは西方から来ましたが、そこでは、雲のような大きな山があらゆる生き物を圧しつぶしながら、やって来るのを見ました。大王さま。あなたのなすべきことを、なさってください』と。

次に信頼すべく、頼りにすることのできる第3の人が、北方からあなたのところに来て、あなたに近づいて、このように言ったしましょう、――『大王さま。どうぞ、ご存じください。――わたくしは北方から来ましたが、そこでは、雲のような大きな山があらゆる生き物を圧しつぶしながら、やって来るのを見ました。大王さま。あなたのなすべきことを、なさってください』と。

次に信頼すべく、頼りにすることのできる第4の人が、南方からあなたのところに来て、あなたに近づいて、このように言ったしましょう、――『大王さま。どうぞ、ご存じください。――わたくしは南方から来ましたが、そこでは、雲のような大きな山があらゆる生き物を圧しつぶしながら、やって来るのを見ました。大王さま。あなたのなすべきことを、なさってください』と。このような大きな恐怖・脅威が起こり、恐ろしい人類の破滅が迫っていて、人身たることが得難いのに、何をしたらよいのでしょうか? 唯だ、法にかなった行い、正しい行い、善い行いをなすこと、功徳をつくること以外にないでしょう。」

□「大王さま。わたしはあなたに告げます。あなたにしらせます。〈老いと死〉があなたにのしかかっています。〈老いと死〉があなたにのしかかっているのに、何をしたらよいのでしょうか?」

□「尊いお方さま。〈老いと死〉があなたにのしかかっているのに、何をしたらよいのでしょうか? 唯だ、法にかなった行い、正しい行い、善い行いをなすこと、功徳をつくること以外にないでしょう。

□権力支配の驕りに酔い、愛欲・貪りに耽り、国の安全を達成し、広大な領域を征服して支配する〈即位した王族・国王たち〉には、象軍により戦いが行われていますが、それらの象群による戦いによっても、〈老いと死〉を防ぐ逃げ道や可能性は存在しません。

□権力支配の驕りに酔い、愛欲・貪りに耽り、国の安全を達成し、広大な領域を征服して支配する〈即位した王族・国王たち〉には、騎兵隊による戦いが行われ、……戦車隊による戦いが行われ、……歩兵隊による戦いが行われていますが、それらの歩兵隊による戦いによっても、〈老いと死〉を防ぐ逃げ道や可能性は存在しません。

□この王家には、地下に蔵し、また高楼にかくされた莫大な黄金があり、われらはそれを以て、迫りくる敵軍に対し財による交渉工作をなすことができますが、その財による戦いによっても、〈老いと死〉を防ぐ逃げ道や可能性は存在しません。

□〈老いと死〉があなたにのしかかっているのに、何をしたらよいのでしょうか? 唯だ、唯だ、法にかなった行い、正しい行い、善い行いをなすこと、功徳をつくること以外にないでしょう。」

□「大王さま。そのとおりです。〈老いと死〉があなたにのしかかっているのに、何をしたらよいのでしょうか? 唯だ、法にかなった行い、正しい行い、善い行いをなすこと、功徳をつくること以外にないでしょう。」

□尊師は次の様に説かれた。師は……〔次の詩をとなえられた。……〕

「虚空をも打つ広大な岩山が、四方から圧しつぶしつつ、迫ってくるように、〈老いと死〉とは生きものにのしかかる。王族、バラモン、庶民、隷民、チャンダーラ、

下水掃除人であろうと、いかなるものをも免除しない。すべてのものを圧しつぶす。

そこには、象軍の余地なく、戦車隊や歩兵隊の余地もない。

策略による戦いによっても、財力によっても、勝つことはできない。

それ故に、賢明な人は、自己のためになることを観察して、

ブッダと法と集いとにたいする信仰を安住させよ。

身体により、ことばにより、心により、法にかなった行いをなす人を、

この世では人々が称賛し、死後には天界で楽しむ」と。(213~217頁)

解説 中村元

□『サンユッタ・ニカーヤ』はパーリー文での原始仏教経典の1つである。「サンユッタ」というのは、「結びつけられた」という意味で、「ニカーヤ」というのは「集まり」を意味するから、つまり「主題ごとに整理された教えの集成」という意味である。

パーリ文の原始仏教経典は、5つの大きな部類(ニカーヤ)に分かれているが、『サンユッタ・ニカーヤ』は、そのうち第3の部類のもので、漢訳仏典のうちの『雑阿含経』にほぼ対応する。

□『サンユッタ・ニカーヤ』は全体は5つの集に分かれ、その1つ1つの集がまた細かに分かれているが、その中でもこの第1集は、特に古い教えの集成である。

□いきなりこの『サンユッタ・ニカーヤ』全体を検討するということは容易ではないが、最初の第1集、つまり詩を多く含んでいる部分は非常に古いと言われている。そこでその第1篇を解明することによって、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダ(釈尊)が、どのような生活をし、どのような思想をもっていたか、ということを、かなりの近似度を以て、じかに知り得ると思われるので、それを手がけることにした。

□わたくしは、今までに、厖大なパーリ語聖典のうちでも特に古いと思われるものを翻訳注解し、岩波文庫でもすでに数冊を刊行した(『ブッダのことば――スッタニパータ』『ブッダの真理のことば・感興のことば』『ブッダ最後の旅』『仏弟子の告白――テーラガーター』『尼僧の告白――テーリーガーター』)。このたびの刊行書はそれらにつづくものである。その古さにおいては『スッタニパータ』の若干部分と並ぶものであると言われている。

□ここでは、漢訳者のみならず、諸々の邦訳者も、ゴータマ・ブッダを非常に尊敬して訳している。しかし、原文を見ると、神はゴータマ・ブッダを「そなた」と呼び、せいぜい「あなたさま」と呼んでいる程度で、決して度はずれの敬語は用いていない。つまり、これらの詩は、非常に初期の段階のものであるということを示している。(339~341頁)

〔付論〕 神々について

□仏教においては、世界創造者としての唯一神は、これを認めない。ありとあらゆるものは、因縁、すなはち無数に多くの因果関係によって形成されるというのである。その代わりに、人間よりもすぐれた者としての多数の神々の存在を認めていた。天にも、地にも、日月の中にも、樹木の中にも、多数の神々がいるということを想定したのである。それらはいずれも仏教成立以前から、民衆の間で信奉されていた神々であり、その信仰は民衆に定着している。その神々の性格は多分にギリシヤの神々やまたわが国の神々と類似している。

□神々の原語は deva であり、本来「輝く」という意味の語源に由来する。神を意味するギリシア語の theos, ラテン語の deus と同一起源である。(中略)

称号としては、人間よりもすぐれた存在に付されていた。のちには悪鬼や精霊のようなものにも適用されるようになった。

□漢訳仏典では、通常「天」と訳して、神を意味する。弁財天、帝釈天という場合の「天」がそれである。

□ devata は deva のあとに、抽象名詞としての語尾 ta が付加された抽象名詞であって、神たる状態、神性を意味する。さらに神的な存在を意味する。実質的には deva と同じことであり、崇拝される存在はみな devata と呼ばれる。わが国の学者はこの語を「神格」と訳すことがある。天神地祗というのがそれに当るであろう。雲井昭善『巴和小辞典』には「神祗」とも訳されている。

□ devaputta の字義は「神の子」であるが半神、仕える神を意味する。通常はヤッカの類の呼称とされる。

漢訳仏典では「天子」と訳されている(読誦のときには「てんじ」と濁って読む)。雲井は『巴和小辞典』には、神の子、天の子と解しているが、その典拠は挙げられていない。

□神々の世界の住者を deva と呼ぶが、それの単数主格 deva という形はほとんど現れない。その代わりに devata という語が用いられるれるのである。しかしその性を明示する必要があるときには、男性の神を「神の息子」(devaputto)、女性の神々を「神の女(むすめ)」(devadhita)という。だから devaputto とは単に男性神ということであり、devadhia とは単に女性神というだけのことにすぎない。三十三天の神々が devaputto と呼ばれ、月がdevadhia と呼ばれていることもある。

□さらにブッダゴーサの注解を参照すると、次のように解すべきである。

〈神の子〉(devaputto)とは神々のもとに生まれた男神であり、〈神の娘〉(devadhita)とは神々のもとに生まれた女をいう。神の子は過去世に地上で暮らしていたときに、〈これこれ〉という名をもっていた人である。これに反して〈これこれ〉という固有名をもたない神は devata と呼ばれる。

そうして最初期の仏教においては全体として deva はもと神を意味する語であるが、 devata あるいは神の子(devaputta)というときには、低次の神を意味すると言えよう。

それは必ずしもインド宗教史の全般について言えることではない。(中略)ただ、ここでは最初期の仏教だけについて言うのである。

□わたくしは、現代人に解り易くするために deva や devata を「神」「神々」と訳すことにした。それは漢訳仏典にも充分に根拠のあることである。(339~346頁)

(2020年10月24日、了)

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