私が子供の頃、玉野で食べた果物で好きなものは、白桃とキャンベルという名の葡萄だった。白桃は皮が白いので、熟れていないと思われ、他県では敬遠されて見かけたことがない。水蜜桃が終わる夏の後半から出てきますので、岡山で見かけたら、食べてみてください。美味しいですよ。
小さい頃の葡萄といえば、今では中粒だが、当時は大粒のキャンベルしかなかったが、その後デラウェアという小粒の甘い葡萄が出て来て、キャンベルはいつの間にか見なくなってしまった。そして、キャンベル葡萄は、73歳の私にとっては、マボロシの葡萄になってしまった。
夏休みの後半、父親の手作りの屋外の涼み台に腰をかけて、一房の葡萄を1粒ずつ食べ、皮は捨て、種はプッと吐き出す(後始末は母親がやってくれる)、この時の、豪勢な満足感は忘れられない。この時、葡萄は上の方から食べていくのだが、下の方が美味しく感じたのは、私だけのことだったのか。
大人になっても、キャンベル葡萄に似たような葡萄を見かけるたびに、買って食べてみるのだが、どうも、イマイチで物足りない。
それが、去年玉野でキャンベルよりももっと美味しい葡萄に出会った。ピオーネという葡萄を一房、人から頂いたのだ。ピオーネは柏のスーパーでも近年見かけていたが、食べたことがなかった。だから、他県産のピオーネに比べて、岡山産のピオーネが特別なのかどうかは知らない。
まあ、自然の力と、生産者の努力だけでこんなに美味しいものがよくできるものだ。雄島米の日本酒と同じく、こんな、美味しさの究極といってもいいものを、人間が作ることができるのは、日本人だけだろう。真・善・美という法を身の内に持って生き、お金のためだけでない、善きものを生産し、皆んなに味わってもらおうという、生産者の人格がこんな美味しい葡萄を作ったのだろう。
当然、画家も同じこと、美しい絵を描かなくては。
『画中日記』2023.08.18【キャンベルぶどう】
『パラダイス・アンド・ランチ』「キャンベルぶどう⑴』 子供の頃、岡山県の海辺の町で、食べたぶどうは「キャンベル」という暗い紫色のの中粒(まだ大粒のぶどうのない頃なので、子供の私には大きな)のぶどうを夏休みの屋外の日影においた縁台で、種をプップツと吹き飛ばしながら食べる(地面の種は、後で母親が掃除する)時の美味しさと、ゴージャスな満足感は、まさに、パラダイス&ランチだった。その後、ぶどうはデラウェヤーという赤紫の小粒の甘いぶどうが出てきたが、種無しではないので、一粒づつ食べるのが面倒で、物足りない。高価な大粒のマスカットも出て来たが、一粒づつ皮を手で剥いて食べる食べ方と、美しい宝石のような色の外形と共に、上品な味すぎて、日常性がない。子供の私には、キャンベルを一粒ずつ手で口にはこび、皮と実の間も歯でシゴいて食べる食べ方と、甘さと水分と酸味、そして種をふき飛ばす、夏休みの後半の少年の思い出は、遠く深く沈潜していった。
その後、キャンベルの品種改良からか、大粒の巨峰が出てきたが、甘さは増したけれども酸味が足りず、皮を剥いて食べる食べ方もイマイチなので、少年の時のキャンベルぶどうは、私のなかで、幻の味だった。
『画中日記』2023.08.19【キャンベルぶどう②】
『パラダイス・アンド・ランチ』「キャンベルぶどう⑵』 3年前、玉野で、ピオーネというキャンベルとよく似たぶどうを知人からいただいた。姿かたちはキャンベルと同じだが、味はキャンベルより甘く、酸味が少ない分、微妙に不満が残る。だが、柏に帰ってからも、スーパーにピオーネが出ていると買っていた。
1週間ほど前に、スーパーで「種無し巨峰」という名の、キャンベルやピオーネに似たぶどうを買った。冷やして食べると、これが長年出合わなかった幻のキャンベルの味だったのだ。私は専門農家でないので、このぶどうの品種が、私が昔食べたキャンベルかどうかは分からない。買い物は1週間に1回だが、二日前にスーパーで買って来たので、写真と文章を書きました。あとで、『岡野岬石の資料蔵』の【パラダイス・アンド・ランチ】に(ノスタルジック キャンベル)の題名でアップします。