岡野岬石の資料蔵

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『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

『青木繁と坂本繁二郎』 河北倫明著 雪華社

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『青木繁と坂本繁二郎』 河北倫明著 雪華社

■「同じ年に同じ土地に生まれて同じく絵が好きといふのは、よくよくの縁であつたらう。小学時代のとき同じ級になつて、自分の直ぐ後ろに君の机があつた事がある。自分が後ろを振り向くと、君はいつも優しい顔でにこにことした。昔のことを思ふと、わけなく淋しくなる。君は芸術の気分に些かの不浄をも容さなかった。君の作物を見れば分かる通り、少しも俗気と云ふものがない。作物は何より能くその人を語るのである。無理なところを押し進んだ君の周囲には、非難の声も随分あるけれども、君が中心の人格を認め得る者は、恐らく之を恕するに吝かならざる事を信ずる。」(岡野注;坂本繁二郎の言。以後名前のないカギカッコは坂本繁二郎、その他のカギカッコは後に発言者の名前を入れます)(91~92頁)

■「色彩の気持でも、坂本君のは、曇った空の銀灰色、それに透けて見ゆる薄黄の太陽、湿潤な地面の土地のやうに悲愁で、沈鬱な色である。坂本君は、或る種類の画家の様に色彩を全く自己が主観の犠牲にするやうなことなく、常に自然の光に興味を持ち、其心持を画くに忠実なところ、一種のルミナリストである。故に其絵の色彩は画かれた題材に固有のものであるけれども、其題材は同君の主観に導かれた題材であるから、それに固有な色彩も亦、同君の性情と共鳴するものであるのは明らかである。」

「筆技に於ても同君は、自己の主観に委せて、客観現象を無視するといふことはなく、寧ろ対象に忠実であるが、其懐に現はるゝ手法や筆触の心持は、簡朴で地味である。練達はあるけれども、派手な気のきいたといふやうな心持ちはない。坂本君の絵に現はるゝ感情は、斯く、題材ばかりでなく、構図、色彩、手法等、総ての諸要素がそれを助けているのである。」(森田亀之輔)(97~98頁)

■「物の存在を認むる事に依って、自分も初めて存在する。存在によりて存在する意識の心は、只自分の外には何物もないけれども、物の存在を認むる事は、自分なる事ではない。物なる只其事のみである。自分なる者があつては、真の物は未だ認められない。物認められねば、自分の存在がない。自分を虚にして初めて物の存在を認め、認めて初めて真の自分が存在して来る。」(98~99頁)

■「有島さんの処にあった水彩の《白い馬》は好い絵ですね。帰朝後間もない頃の御作ですか。私はいつも放心して眺め入ったものです。セザンヌの水彩も掛かっていて大切にされていた様ですが、わたくしはあの白い馬の方に魅力を感じました。貴方がスペインの絵は概して影が暗すぎて面白くないと語られた意味を理解できます。また『油絵の色は美しいと思わない、油絵具の強味は調子の深さにあるので、色としては日本画の絵具の方がずっと良い』と言われたのもおぼえて居ります。」(硲伊之助)(104頁)

■「阿蘇の馬は少しも人を恐れないで嬉しがつた。鼻先や頭を撫でてやると喜んで差出して来るし、果てはあとからついて来るといふ風で、赤、黒、栗毛、ごま塩、色々な馬共が皆人に親し味を持つ。仔馬も居て、親馬と共に遊んでいる。仔馬も人を恐れない、それは犬猫のやうにべたべたするのでなく、もくねんとして親しみを持つところ何とも云えず嬉しい。放牧場は草も深くないので臥ころぶにも丁度よい、阿蘇は此の牧場のうねうね山の広場から、外輪山を馬と共に、それこそ人つ気もなく只馬と共に、臥ころびながら眺められる。迚もよい気持である。のびのびと晴れ晴れと自由で静かな楽しい馬共の生活、この辺から人間の生活を思ふと、人間がみじめに見える。馬共の頭を揃へて青草の上を進む其の素晴らしい体形、隆々とした肉塊から肉塊の動きの流れ、立ち髪と尾毛は之に一層の抑揚をつけて、あり丈の立派さがはち切れるやうに輝き渡って居る。」(110頁)

■「描くべきものがわからぬというが、描くべき自分がないのに描けるはずがない。自分に内容があれば、迷っていてもその人の可能性はあるでしょう。描きたい気持がうずうずしている……それがほんとうに描く資格のある人間だ。クラシックの作品を観ても結局真実が中心となり、人間の本能にかなったものが生き残っている。これからも必然そういう真善美にゆくだろう。それが想像できなければ暗夜の船だ。新しいのがいいか、旧いのがいいか、時代がたってみなければわからぬが、要するに道は東方にありというおぼろ気なものはあると思う。だから方法ではなしに真実以外行く道はない。」(113~114頁)

■「物の存在を認むる事に依って、自分も初めて存在する。存在によりて存在する意識の心は、只自分の外には何物もないけれども、物の存在を認むる事は、自分なる事ではない。物なる只其事のみである。自分なる者があつては、真の物は未だ認められない。物認められねば、自分の存在がない。自分を虚にして初めて物の存在を認め、認めて初めて真の自分が存在して来る。

真存在の心は、一元と泳動した意識である。刹那々々のみを、自分たり得る心である。強ひて説明すれば消滅する心だろう。」(118頁)

■「自分の五体の現肉欲に依りて見たるものは、たった皮肌的神経の力の範囲である。音も、色、熱も、確かに認め得るには相違ない。けれども自分丈の事、例へば不透明の物のあちらは見えない丈の認め方である。それで此神経が動いて居る間は、其れ以外の泳動と云ふ様な意識は隠れてしまって居る。虚の意識は我利と相容れない。

人体には自分の肉丈の欲を充たす丈の神経と共に意識の欲望と其の可能性が存して居る。若し之がないならば、哲学などと云ふ只の知識以外の意識の喜悦があるわけがない。」

「芸術が、自己の欲望希望に一致するものを得しときのみ喜悦さるゝならば、虚の現した芸術は総ての人の意識に関係を持って居る何物かの伏在があるに相違ない。所謂達人の芸術が人心と深き交渉を持つところは、虚の意識或は一元の意識に接触の境地、又は其れに近いあるものの存在であると思ふ。一元意識の上に認められた芸術は、其の喜びは衣食住の嬉しさの如くに、限内の喜びではなく、大きな世界に大きな自分を発見した喜びである。併し其の神経の発源地は、脈動こそは広義に通じて居るのであるが、五体の盛衰と共に盛衰させられる位置に在るので、衣食住を無視しては存在されないものである。衣食住の満足が足りた上に、祖後に現われて来る意識界である。此意識に依つて衣食住を無視した境地に入る事は出来るだろ。しかし意識の働きは何処までも生肉でなければなるまい。」(118~119頁)

■「哲学に渉つた芸術は、必ずしも人間と関係を保たない方面と、又最も適切な関係の方面とあるだらう。無論人的立場より求むる心の要求には、関係の適切なる方面が交渉するに相違ない。肉的範囲の芸術は其れ丈一元的の芸術意識にないところが存在して居るに相違ない。一元的芸術には、又肉的立脚の芸術では及ばない、そして之が世間と云ふところに用事を持つとき、肉的立場のものは狭い近い周囲にのみ関係を持つもので、時代でも過ぎれば直ちに忘却さるゝ芸術である。一元的のものは総べてに脈動して居る。肉的立場の其儘に直ちに立ち入りは出来ないだらうが、総べての心に関係を持つて居る。時代を経た世界にまで何処までも関係を持つだらう。斯く哲学意識は、却つて最も世間的用事を発揮して来る。哲学的芸術は、只其れ丈ならば其質さへあれば大小深浅なくとも、満足さるゝ筈であるが、之を楽しみ或は欲望等の人的立場に求めらるゝとき、其処に肉体の要求は、より美しくより高きものをと、たとへ同質のものゝ内にも差別を付ける。哲学的一面は人欲の内の大なるもので、人欲が肉身上にのみ注がるゝ間は、哲学的方面を稍ともすると消極的態度になるかの如く思ふ事もあるだらうが、哲学的欲望より見れば、人肉的欲望は亦狭い消極的の満足にしか見えないだろう。」(120~121頁)

■「日本画の境地にはその東洋的性質のために西洋に於て理解の困難な一面がある。東洋思想の一元論的傾向は西洋に於ては外延的となる所を集中へと導いた。我々の後期哲学の小宇宙的観念は、最も単純な手法を以て、最も複雑な思想を表現する傾向を強めた。或る場合には理念の純粋さを維持する熱心のあまり、色とその明暗法が棄てられた事がある。それは象徴主義ではなくして無限の暗示である。それは童心の単純さでなくて達人の直截である。」(岡倉天心)(121~122頁)

■虚の一元世界はいかにして画的造型的にあらわしうるか。光と色と物の感覚世界、外延の多元世界を写して、どこまでこれを集中し、どこまで小宇宙にとういつしうるか。それは油絵技術に東洋哲学の幽玄なすじみちの一線を通すことであったともいえる。同時にまた、従来ただ勘によって把まれていた無形の世界というものを、どこまでも組織的に有形化し、墨にまで単化された色彩をふたたび外延的に取りかえすことであったともいえる。しかもそれは近代日本の一等地についた絵を作るという実に平凡きわまる目標だったかもしれない。

坂本氏の長い画業は、あくことなく倦むことなく、ただ一すじに、この平凡なしかし雄大な目標を探求したものであったと思う。(123~124頁)

■印象派においてはなお従来の伝統の余勢が絵をつくっているけれども、セザンヌをこえて、一段と分解がすすんでゆけば、もはや多元世界は本来の統一の靱帯とほとんど無縁のところまで分裂する。そこからいかに人工統一、知的綜合をこころみても、もはや失われた生命を吹きこむことは不可能であろう。人造人間はたとえ驚嘆するほど精巧に構成されているとしても、なお一匹の虫に流れる自然の生命の大きさに及ぶまい。ピカソの個展をみた坂本氏の感想は、その才能には感心したが、結局新時代の標本とその説明を見せられたばかりで、人間的な感銘とはまったく別のものだったという。そこにあったものは「露骨なる理智的意志であり、真のピカソが別に何処かで澄ました顔をして居るやうで何だかだまされたやうな思で会場を出た」と氏はかいている。(125~126頁)

■坂本氏は雪舟を最高に評価される。(127頁)

■「新しいといふ事はそれ自体、明日は旧くなる約束にある。平面的に新しいのであるばかりでは意味をなさない。本質的の高度深度、即ち永遠性が具はることによって新しさも意味をなす。又『時代性』といふ事は作品と之に対してそれを感得する人との関係にのみ之を指摘される外、作品それ自体に固有した時代性は、実は有るが如く、無きが如きもので、強いていへば作品の性格がより高度、より深度を具有するほど、即ち永遠性が高度であるほど、時代に通ずる性格だといふ外ないと思ふ。」(135~136頁)

■「単に鑑賞する立場にあつては、日に月に新時代の空気を求められるのも当然であるが、作家としての実行となるとさうはいかない。こゝでは一生涯を賭しての一個人としての最高能率を目標としての歩みでなければならない。作家その人の性格にもよる事であるが、凡そ日に月に新しさの方向に進むが如きは、希望は別として実際問題としては自殺をするに等しい結果を見る外あるまい。平面的な単なる更衣的変化ならば比較的仕易い事でもあらうが、高度、深度を重点とする者にあっては、之を一言にしていって見るならば、十年間のたゆまぬ励精で一歩前進向上を遂げられたのなら、それは好成績と解される。人間本質的の向上脱皮は容易な事ではないのである。単なる絵描き技術的のみの変化が屢々真の向上と履き違へられないやうにすべきである。劇作家としては此の意味で時代性といふことに対しても、自らの歩みを考へねばなるまい。私の考へでは、永遠性人間性を期する高度、深度に力点をおいて歩む者にあっては観者の要求のごとく刻々新を追ふよりも、或程度保守の形となるのは当然止むを得ないものと思ふ。批評家の中には新傾向に同情の余り、さういふ傾向の作家を推奨して、却ってしいきの引倒しをしているやうなものも見られる。作家自身としても此点錯覚しない用心が必要だらう。」(136~137頁)

■彼は自分にみえる以上の世界を理論や型によってデッチあげようなどという大それた愚かしさからはとっくに身をひいていたのだ。しかし、それかといって同じく観念上のレアリズムなどでまごまごもしていない。彼は全身全霊をこめて見うるだけを表出しようとする。作品と作者のずれを厳密に丹念に正していくことによって、つねに作者独自の統一深い調子が歴然として滲んできているのだ。日本の近代画家坂本のまわりに、そのままとって役に立つような伝統などあるわけがなかったのである。彼はなるほど印象派のものの見方に大へん厄介にもなっている。けれども、いってみれば彼は分解よりもむしろ統一へと向うわけだ。上ずった流派の先入主などに一向動かされる必要はない。坂本そのものであるためにはどうすればよいか。一分の嘘をつかずに表すためにはどうすればよいか。たよりになるのは、しかとして実在する自然、およびそれに向う彼自身の動きのほかにはないのではないか。(144頁)

■「大正十年渡仏によつて得た教訓の内、重なるものは此世始まつて以来多くの天才に残された実績、また現代画壇の大波浪、それ等の総合によつて絵画の持つ重要性が何であるかの暗示を得たこと。日本にあるとき持つていた考へにどんな鉄槌をうけるか、それを期待して楽しみであったのが、私の考へには遂に動揺を来さなかつたばかりでなく一層自信を加える結果となつた。ルーブル美術館や巴里画壇の如きところに立入って自分の歩みに動揺を来たさないといふのは私の痴鈍を意味する恥ずべきことかも知れない。私は当時自分を幾度か疑つて反省をしたのであるが、事実は正直にそれがじじつである外なかった。これは勿論作品の価値のことではない。画人としての歩みやうに就いてである。」(146頁)

■「絵画に於ける物感は、凡そ絵である限り、何程かは必づ裏付いているに相違ないが、人によって物感の厚薄は甚しい相違がある。中には殆ど物感など無視されたものもある。しかし其いかによき色彩の趣味性であり、明確らしい線条が引かれてあるとしても、それに物感の裏付いているものがないならば、それだけ物足らぬものであり、作家の趣味又は主観的意志以上の生活感は稀薄となる。物感は特に作家の本能的個人的なもので、形や色の如く人間相互の感化伝習が容易でない。趣味色彩も勿論個人的なものではあるが、物感に比すれば遥かに共通消長のものである。物感はそれだけ画者個人的生活感の実証が裏付いている。時代思潮や趣味やを超越して、尚且つ今日の人にも働きかゝるものをもつ古代作品の如きは、作家の偉かった本能物感の裏にあるとも云へるであろう。」(148~149頁)

■「画家の素質によって、物感にあまり要がなく、描写の問題にして色や形其物、技術其物にのみ関心してあっさり片付いている人は多い。画から文字を撥撫することを早解して画を単に画模様的範囲に止めているような人も或はあるであろう。近代仏国画壇の行きづまりの如きも、要するにタブロー上の技巧的思索関心に過ぎて、物感的本能の方が栄養不良になったのではあるまいか。勃興時代の作品は物感んの脈搏が凡そ盛んだが、世紀末的になる程技巧が之と入りかはる。技巧の練達、思想の新奇を誇られても、物感的実質が之に裏付いていないのでは、遂に問題が問題ともならないのである。東洋画の如く気韻墨色精神に重きを置かれ、一見物感と云ふ如き実形を超越された如きものでも、其事実は矢張り画面の墨色に裏付く物感なくして何の表現でもあり得ないのである。気韻も精神も物感に確実性があつての上の事で、よい作品になればなるほど此事は明らかに示されていると思ふ。」(149~150頁)

■「写実の力強さは、直ちに筆触色調と共に物感に作家のメスの刃先が触れるところにある。之迄に写実以上に出ようとする各種の運動は方々に飛躍を試みられはしたが、今のところ此本格さを圧倒する如き本道が外に現われたのをまだ見る事が出来ない。絵画の約束が視覚を通して現るゝ本能にある限り、此真理を跳躍して百尺竿頭更に歩を進めるのは至難であるらしい。遂に之に満足し切れない者は、絵具以外の物質迄を利用して画の領域外に走って行った。予覚は色々とつい其処にちらついて居ながらも中々到達する事が出来ない。丁度滝の下迄寄せて来た魚群が尚上流に水の暗示を受けながらも滝にせかれて渾沌としている形で、新しい運動が色々と動いては立消えて、矢張り写実の本道に立ちかへるやうな有様である。写実と云ふ事も単に理論にのみ考へると妙な事に帰負しなければならぬけれども、之が画人の本能に依って解釈されるとき、初めて意義が光って来るのである。だから写実の味覚なき人が単に理論的に写実を形通り進めたとしても、それは結局よく往って写真機械位のところであらう。』(150頁)

■「自分の五体の、現肉欲に依りて見たるものは、たった皮肌的神経の力の範囲である。音も、色も、熱も、確かに認め得るには相違ない。けれども自分丈の事、例えば不透明の物のあちらは見へない丈の認め方である。それで此神経が動いて居る間は、其れ以外の脈動と言ふ様な意識は隠れてしまって居る。虚の意識は我利と相容れない。我利も極度に達すれば又別であるが、要するに文字は只仮示である。人体には自分の肉丈の欲を充たす丈の神経と共に、意識の欲望と其の可能性が存して居る。若し之がないならば、哲学などと言ふ意識探求の喜悦があるわけがない。哲学的進路に誰が眼を円くして心を引かるゝものがあるだろうか。直接衣食住其事でない此の道に、人が興味を持つ筈がない。或は哲学に無感興の人もあるに相違ないが、其等は根本的に意識力が少ないか無いかで、其無い意識を辿る事ならば、無論馬鹿気た無用事に相違ないから、感興もないだらう。此種の人はそれ丈狭い範囲に存在して居るので、其人の叫ぶ権限は従って狭い範囲にしか力が及ばない。怒りと笑ひと泣くのと而して相論ずるときは、必ず喧嘩である。火に手をあてゝ熱いと言ふ意識を、馬鹿として笑ふ事の出来ない様に、哲学の意義は理窟でなく本能意識に於いてである。狂とは違ふのである。それが一見非実際なるかの如き形なるが故に、狭い実際場裡に稍ともすれば無視せられる。しかし哲学意識程、実際界に密接して離るゝ事の出来ぬ意味のものはない。」(「存在」明治44年)(158頁)

■「哲学に渉つた芸術は、必ずしも人間と関係を保たない方面と、又最も適切な関係の方面とあるだらう。無論人的立場より求むる心の要求には、関係の適切なる方面が交渉するに相違ないが、一元的芸術には、又肉的局限立脚の芸術では及ばないものが宿る。それで之世間と言ふところに用事を持つとき、肉的立場のものは狭い近い周囲にのみ関係を持つもので、時代でも過ぎれば直ちに忘却さるゝ芸術であるが、一元的のものは総てに脈動して時代を経た世界に迄、何処迄も関係を持つだらう。斯くして却つて尤も世間的用事を発揮して来る。之は人間向上欲の大なる1つの方向で、この立場より見れば、人肉限内的欲望は狭い消極の満足にしか見えないだらう。」(「存在」明治44年)(159頁)

■「時勢や知識は何処までも横には拡がる。しかし、それは必ずしも感能の深さではない。作品の上では之が屢々混同されて、唯時勢に依って作られた形式の変化に過ぎないものでも、直ちに感能の深さであるかの様に間違へられる事がある。

平面的進行は左程の骨は折れずに、時勢や流行の力で以て、無性者でも働き者でも差別なしにどんどん押しやつて仕舞ふ。今日の小学生徒は遊ぶ半分に、十四五年前の大家の苦心惨憺で以つてやつと仕上げた様な事を、御茶の子で仕て退ける。但し多くは平面丈の意味での事で、深さの方は時勢や流行と必ずしも倶はないから、各自の先天的器量の依る外仕方がない。だから此方面にレコードを破る程の進行をする人は容易に出て来ない。」(「寸感」大正2年)(161頁)

■「画が出来るのは、元より物が是認されたときに限られて居る。若し否定するならば絵画などとは無論縁が切れる。しかし是認と言ふ事には自づから否定が裏付いても居る。其れは丁度否定の心理が即是認である様に、吾人の心は在るとか無いとか言ふものが常に遠心力と求心力との様に連絡を保って居る。それで心の働きと共に物の見え方なども余程位置が違って来る。例へば麦の生えて居るのを見ても、只麦が生えて居ると見た丈では其れ丈で終へる。麦は麦、吾は吾で明々白々ではあるが、只其れ丈である。けれど一たび麦なるものが否定され出すと、其次に麦は確かに麦に相違なき働きが一層感ぜられて来る。此否定は自づから心に迫って来るもので理由は何う言ふものか分らない。

例へば或る物を敲く場合に、只当てた斗りでは其れに触る丈で打当る迄にはならないけれど、1度他の一方に振り上げて打下ろすと強く打当り得る様な工合である。屢々人が善を善と知って、しかも之丈が自己の行の総てだと極めて満足して居る様な場合に起る反感の如きもので、之は一寸事は違ふけれど要するに同じ意味になると思ふ。吾等は善人に反感を持つ事を普通の心では不条理とも見えねばならぬが、一面に此の動かす可からざる或る物は根強くより真実を求めんとする心に隠れて居るから仕方がない。

この心持は直ちに作品の上に屢々見るのである。才器溌剌として、何処迄も、只自己と言ふ馬力だけが推進器となった作品に殊に多く見らるゝのである。一見すれば眼を眩する斗りに正直でもあり華やかであるが、認識浅き才器は遂に何処迄進んでも才器であって、何物か隠れたる骨格の様なものゝ不足を感ぜざるを得ない。物の捉まつて居ない不足である。此例証は現在の我画界の人と作品についても思当たるゝものがある。物を否定したり是認したりするのも理窟の上丈での是認では無論だめである。其人格から出る必然のものでなければならぬ。」(「思って居る事共」大正2年)(162~163頁)

■「画を描くからには誰でも何かつかむところがあるには相違ない。しかしつかむと言ふ事は其処に悲哀がある。画を描くからには何か其処に機縁がなければならぬだらうけれども、希望より言へば、つかむと言ふ事はしたくないものである。つかまずして現はれたものなら、まだまだ自己の真実の形を見得る丈我慢も出来る。自己に意識しない進行には、詭りのあり得様がないからである。意識して歩を進めると言ふところには、多く或る不満が伴ひ勝である。意識は智的になり易い。知らず知らずにも本能感得の純を妨ぐる事があるからである。其れかと言つて意識なしに進む事は事実される事ではない。偶然の結果以外に其れは期待する事は出来ない位置である。それでさうなると進路は只一筋の羽目から羽目を進まぬわけに行かない事になる。」

「要するに、新鮮と知とが相容れない形を持って居る間、吾等の進路は是が非でも此の無理な形に居ねばならぬ。此処に不断足の裏に火の燃えて居る悶々が起る。知は何処迄行ったところで盲に追い及ぶ事が出来ない。盲は又知に従はねばならぬ、困った形なのである。吾等は批判の心を要すると共に、愈々歩を進めるときは盲に就かぬわけにいかぬ。盲知に依って新鮮の世界に接する以上のいゝ道を、今の処思ふ事が出来ない。若し一を知って其儘に居たならば、其処にはもう堕落の第一歩が芽ぐむであらう。知って其儘居るのは安逸である。其うして安楽に居るには此世界は余りに勿体ない。進む可き唯一の信実の道は、かくて盲に就いて得る捨身本能覚の道しか開けては居ない。止むを得ず吾等の最上の難有い位置は只黙々の裏に迎号するのみにならぬわけに行かないのである。批判の上から色々と価値の上下も出来得るけれども、創作進行者には実際難有いものゝ外に難有いものゝ有り得様はない。」(「進路」大正3年)

■「進行の上に注意すべきものゝ内、根本的に大切なものは言ふ迄もなく其質の如何である。質は直ちに其人の生き甲斐、描き甲斐の如何で、画の向上と言ひ、よしあしと言ふも、要するに質を措いて他に何物もない。質の如何は直ちに意味の如何であり、其人の生き甲斐の光明の如何である。質は、主義や振りや見かけではない。只其人と自然との度合いの正味其物である。」

「所謂真とか生命とか言ふ様な感じ等も、要するに人と自然との交渉された質の純なところに起る感じ、又は之を他から見たときに起る感じだと思ふ。小児の画の真実的なのも、要するに質の純なる交渉の表現である故に外ならぬ。そして何れ丈かの質は誰しも持って居るだろうし、従って其各質其れぞれ相応丈の事は大なれ小なれ真性の画が描け得られねばならぬわけであるのに其れが描けないと言ふのは、何かつまらぬ雑念に目が眩んで居るのだと思はねばならぬ。」

「すべて無意味に属する真似の行動は、自質認識の不明か弱いところから起る。例へ自質は小さいのでも、其声は其れが其人の正味の総てで、より以上の意味の何物もない筈である。けれ共自分の側に自質以上の大きな質が現はれると、自質の声は打消され聞取り悪くなる。だからしつかりせねばならぬ。豪い芸術は一面誘惑者であり、又吾人の行く可き道を御先に失敬されたものだとも言へる。単に自質の叫びを放散すると言ふ事丈ならば、まだしも誤りは少ないけれ共、向上の努力が動くところに自質の叫びが迷ひ出す。自分以上のものは青も赤も其れが前途であるものとして現はれる。自質の手綱は此時一層の厳しさを要する。自質の叫びをよく聞き得しもののみ其歩みは太り、聞き誤つたものが後悔する羽目になる。初めから自質の声を誤つて進むならば、言ふ迄もなく結果は右往左往で、結局何も進み得ない事にならねばなるまい。」(「画の質」大正3年)(166~168頁)

■「感激、総ての事は只此一事に尽きる。理屈はない、感激が事実であるならばそれが真であらねばならぬ。優れた位置と言ふ様な形式に知らず知らず進む事がある。さう進む事に或る喜びがうつかりすると働くけれども対自然の生活味は位置の様な形式ではない。只感激丈である。其証明丈である。それ故に無智の幼年も感激に於て老年者の上に立つ事が出来る。生活味が強いのだ。それ丈高価と言つていい。複雑とか広さとかの価値は横に拡がる計りである。」

「感激とそれに伴う誠実、良心、何れも兄弟分である。人の顔に露骨に現はれるものは、誠実の有無である。そして彼は其処に彼の感激の有無を語って居る。専門家の相貌には従って芸術の有無も大抵顔に示されて居る。誠実なくして芸術の事を云々する者に対する程心持ちのわるいものはない。要するに感激の有無は直ちに善心の有無と言つてもいゝ様である。」

「作品の消えざる意味なるものは此の感激の働ける故に外ならぬ。感激を作品にする以外に芸術の作品はない筈だ。其の感激を無理した努力、感激のない只の馬力で出来た作品、之等は皆折角出来ても反古になる作品である。感激は何うしても事実の真に相違ない。感激の何物であるかを味得された者ならば、情理共に味得されたものとしてもいゝ筈だ。貴いものは実に感激である。」(「感激」大正4年)(168~169頁)

■「素描は単調であるが、澄みきった表現が出来るからいゝ。色彩も出来ることなら素描の如くぴつたりと現はれ度いものだが、色彩の持つ反映関係はどうしても時間的感情の重積となる傾向があり、特に洋画的色彩に於て祖建築的長所と共に時間的とろさが短所となる。大抵の洋画が一面面白い画でありながら、深さもありながら、常に此とろさにつきまとはれて居るのは残念である。最も此短所を見せたのは、初期印象派である。色彩には目醒めたが時間的な化学的な弊害にも取付かれた。客観的印象をたどりたどりして居ては例へ或る主観はあるにはあっても、要するに際限なき連続の集積に過ぎない。之が色彩なくして形の上に現はれたのが先年当り一時流行したやたらに細かい描写の無駄手間である。後期印象派になるとずつと此点が主観的に1図が1つの心として一元に近づいたが、しかしまだ時間的感じを脱しては居ない様である。其処に行くと、ずつと古代の絵や、ミレー、コロー等の態度は頭の中で一応嚙んだ自然で、所謂写生的とろさはない。ミレーの『絵は一応自然から放れて描く可きものだ』と言ふ心持は、此辺にあるのだろう。東洋の絵は、土台最初より此態度だから時間的な感じなどは求めてもない。しかし空間的適切さに於てこそ之でもよいが、建築的厚味と現実的直接さに於て、何うも浅く走り度がり一長一短である。更に此両方の長所を把む事が吾々の前途に横はる問題だ。」(「素描と色と」大正10年)(173~174頁)

■「今日まで僕は不思議と此国土(フランス)の感じに物足らぬものが1つあります。それは事毎に神秘性の欠けていることで、土質にも、立樹にも、草花の如きものでも、其等の自然に魅力がかわいています。美しさがすべて菓子か友禅式です。趣味はあるが驚嘆がありません。――仏国は美と科学とを調和させることを誇りとしているさうですが、全くこゝでの美の展開は実に合理的で、事によつては其道筋が余り見え透いて微笑されることがあります。」(「巴里通信」大正11年)(174~175頁)

■「タゴールが、西洋は自然を棚の内に引入れ、東洋は自然の中に歩み入った文明だと言ったことは全く当つた心持であると思はれます。仏国は人間も少なく自然は余って日本の人口の過多に苦しんで居るのに引かへのびのびとして居るにも不拘、矢張り自然の野山の間にある一軒の家でさへ、柵内に自然を取入れた感じがあるのは、全く何処と言ひやうもない微妙な一種の作用であるのです。此の気分は吾々は門外漢ながら、音楽の如きものにも又美術上に於ても感ぜらるゝ思ひがあります。あり余つた自然も此社会気分の為に不思議な程一種の自然性が害されて作りものゝ感を呈して居ます。色彩も其他美的感覚の豊富な仏国であるのにも不拘、此点実に小生にとつての大なる不足であるのです。ロダンが自然を叫んだ心持、又はマダム貞奴の舞を自然だと言った事、又日本でならばつまらぬお花さんと言ふ女をモデルとして特別に興味を覚へた事など思合はせますと、流石にロダンの自然は日本の自然の匂ひを之等の婦人の中にかぎ出したものと察する事が出来るのです。日本に居つたとき僕は此事をそれ程注意する事が出来ませんでしたが、当地に来て其自然の害されて居る情状に就き初めてロダンの心事が察せらるゝやうな気がしてならぬのです。ミレーやピサロやドーミエーなどの天才は自然を臭ぎ出して居ますが、殊にミレーに至つては彼は仏国よりも日本に生きる可き人であつたかのやうな気がしてなりません。」(「地主悌助宛書簡」大正12年)(175~176頁)

■「絵画に於ける物感は凡そ画である限り何程かは必ず裏付いて居るに相違ないが、人によりて物感の厚薄は甚しい相違がある。中には殆ど物感など無視されたものもある。しかし其いかによき色彩の趣味性であり明確らしい線条が引かれてあるとしても、それに物感の裏付いて居るものがないならば、それ丈物足らぬものであり、作家の趣味又は主観的意志以上の生活感は稀薄となる。物感は特に作家の本能的個人的なもので、形や色の如く人間相互の感化伝習が容易でない。趣味色彩も勿論個人的なものではあるが、物感に比すれば遥かに共通消長のものである。物感はそれだけ画者個人的生活感の実証が裏付いて居る。時代思潮や趣味やを超越して、尚且つ今日の人にも働きかゝるものをもつ古代作品の如きは、作家の偉かつた本能物感の働いて居る力に因るところが深いのである。永遠性の如きは物感の裏にあるとも言へるであろう。」(「硲君について」昭和5年)(179~180頁)

■「勃興時代の作品は物感が凡そ盛んだが、世紀末的になる程技巧が之と入れかはる。技巧の練達、思想の新奇を誇られても、物感的実質が之に裏付いて居ないのでは、遂に問題が問題ともならないのである。東洋画の如く気韻黒色精神に重きを置かれ、一見物館と言ふ如き実形を超越された如きものでも、其事実は矢張り画面の墨色に裏付く物感なくして何の表現でもあり得ないのである。気韻も精神も物感に確実性があつて上の事でよい作品になればなる程此事は明らかに実証されて居ると思ふ。紙本に於ける墨色、床の間との調和等の上から、表現の約束が自づから東西洋の画風を甚敷別趣にして居るけれ共、絵画成立の帰するところにかはりはないであらう。」(「硲君について」昭和5年)(181頁)

■「単に観賞する立場にありては、日に月に新時代の空気を求めらるゝのも当然であるが、作家としての実行となるとさうは行かないのである。こゝでは、一生涯を賭しての一個人としての最高能率を目標としての歩みでなければならない。作家其人の性格にもよる事であるが、凡そ日に月に新しさの方向に進むが如きは、希望は別として実際問題としては、自殺をするに等しい結果と見る外あるまい。平面的な単なる衣更へ的変化ならば、比較的仕易い事でもあらうが、高度、深度を重点とする者にありては、之を一言にしていつて見るならば、十年間のたゆまぬ精励で一歩前進向上を遂げられたのならそれは好成績と解される。人間本質的の向上脱皮は容易な事ではないのである。単なる画描き技術的のみの変化が屢々向上と履き違へられないやうにすべきである。創作家としては此意味で時代性と言ふ事に対しても、自らの歩みを考へねばなるまい。私の考へでは、永遠性、人間性を期する高度、深度に力点を置いて歩む者にありて観客の要求の如く刻々新を追ふよりも、或程度保守の形となるのは当然止むを得ないものと思ふ。批評家の中には新傾向に同情の余り、さう云ふ傾向の作家を推奨して、却つて、ひいきの引倒しをして居るやうなのも見られる。作家自身としても此点錯覚しない用心が必要だらう。」(「当面些語」昭和21年)(184~185頁)

■「古今の歴史を見ると、一応新旧の隔たりがあるやうに見えるが、之は日常外形の生活事情の隔たりに錯覚さるゝところ多く、作品の実質的働きが人間に交渉して居るところは、古作品と新作品の時代性は超越して居ると思ふ。又実際に現はれて居るところに見ても、結局高度、深度のより大なるもの程応用の働きをもして居ると思ふ。大衆性と云ふ如き事も結局はそれであると思ふ。深度、高度の増大はそれだけ共通性となり、超国家的となり、人間的となる。即ち美術が超時代性を具有する限り、此の事情に消長するものだらうと思ふ。勿論之は美術の本質的要用の意味で応用美術方面を云ふのではない。」(「当面些語」昭和21年)(186頁)

■「古来、日本画の組織は大体丈山尺樹等の組立てで出来て居りますが、用紙との関係もある事ですが、気持丈走った具体組織の根柢不充分の悲しさ。之が実に古今を通じての大作家になる程一層痛切な意味に響いて居り、此事は単に美術以上何だかすべての文化乃至政治の如きも同様東洋の悲哀を意味するやうで此組織不足の為東洋は兎角西洋から押されて居る感があり兄の御著(構図の研究)の如きは正に此不足を補不絶好の滋養に違ひないと思ひます。しかし現今の日本画畑に何処迄生きた意味にあれを吸収出来て居るかどうか、組織不足のさまざまの現象として古来の流派を利用して居る作家のみ辛うじて画がまとまって居る有様。組織の根本なくして西洋流を取入れようとして居る新派作家のあはれな苦労。此点日本の洋画畑の方は立体観念も組織力も余程向上して居りますが、之は又西洋流の悩みをぬけずに居るやうで、つまり印象派以後に現はれた多元的写生神経の為統一不足。西洋の作家も之を克服すべく努力はされて居りながら仲々それが六ケ敷いものとなつて居ると思はれ、セザンヌもさうですが、ヂュッフィの如く心性作家でも、バラバラを組立てた一元形をやつと整へて居り、ルオーの如き努力も小品は相当迄行って居るやうですが、矢張り息切れを見せて居る。日本の洋画も西洋流の多元性がまだ一元を得て居るところ迄なって居ないのが大部分ではないでせうか。」(「黒田重太郎宛書簡」昭和21年)(187~188頁)

■「東洋は作品の質に力点が傾いて居り、之に比して西洋のそれは量的にも要求が深いやうに思はれます。此2つの帰着は、勢東洋にては人間性人格が問題の主要性となり西洋は仕事と云ふところに傾き易い。西東室内装飾の好みにも此要求のあり方がさまざまと現はれて居り、東洋と云つても支那や印度はやゝ日本よりは西洋味が加はるやうですが、吾々にありて心からの満足を得るには結局量よりも質になるやうに思はれ、尤も量的又は計画性、構成の如きも質の一面と云へますが、矢張りそれに人格の質が備はらないならば頭は下がらぬやうです。」(「黒田重太郎宛書簡」昭和25年)(188~189頁)

■「小生の抱いて居る油彩についての考へを云つて見ますと、油彩表現の長所が実相表現に便宜であるところにあるのですが――絵画表現に就いて現在考へられる理想的状態は、実相具象つまり作家の姿が出来る丈そのまゝの実相を現はす事、例へ表現法、其形式の如何にかゝはらず抽象となりシュールとなりキュービックとなつても、此実相具象を帯同せる範囲にある事が必要と思はれる事。若し此根本性が他に外れて抽象が勝手な形の抽象化となれば、其造形が如何に明確愉快に絵画的構成色調の美しさ等が発揮されたとしても、結局は絵画としての目標よりも工芸美の方へ近づく事となり、作品として面白くとも人間表現としての力が稀薄に傾く。近代抽象作品に共通せる一長一短がこゝにあり。あらゆる方面に自由明晰、多様性の装飾性、構成、表現に於て魅力的であり、会場効果的である事は結構ですが、絵画が単に面白く又美しい装飾的魅力に留まつてよろしいものならば、特に絵画としての独立した境地もなくなり、他の工芸品とかはらぬ存在でしかない事になります。絵画は絵画の長所であり得る人間表現でなければならぬと思ふのです。」(「井上三綱宛書簡」昭和25年)(189~190頁)

■「絵画と彫刻が特に、単なる装飾美以上の表現に適して居るのは写実力のためであり、折しも児童自由画の殆どが面白さはあつても足りないのは此写実の不足から来るもの足りなさで、大人の画でも写実のないものは面白いものでも児童画に近似する。写実の真実(広い意味の)こそ人類的エスペラントの大道のあるところで大事な問題のあるところと思ひます。しかし抽象とか写実とか名づけても明瞭な境界線があるわけではないので此要点を把握するのが天才の仕事でせう。」(「井上三綱宛書簡」昭和29年)(190頁)

■「作家の社会的関係は、一般に評価されている線より偉すぎる場合でも、また力が足らぬ場合でも、夫々悲劇ではないでせうか。当面の社会に、ジャーナリズムの波に乗って何か迎合されたとしても、それは作家として大した誇りではありません。画家は一般の人より割合に社会から可愛がられている様に思はれます。然しそれでありながら、社会的関係には悲劇の運命に晒され易い事情もあります。画家はただ自らの作品そのものの歓びに浸る希望があつてこそ、生甲斐ともなるものです。

絵画を趣味乃至修養としてやるのならば別ですが、作家道に身を進めるといふことは、対社会関係に兎角矛盾を生じ、生やさしいものではありません。そして真に向上を意味する創作の新しさは、本質的に過去以上の偉さ良さが備はったものでなければなりません。単に新奇といふだけのものでしたら、変質者でも、気狂でも出来ることです。

新しい実質のある作品が人間の能力の限度で愈々尋常一様では出来なくなつてから先の事を仮に想像しますと、新しい作品よりも古代作品が人間の憧れとなるやうな、皮肉なことにならぬとも限らない様に思はれます。現在でも、或る程度はこの事実が現存している様に考へます。実質不足の単なる形骸や、新しさを単に種探しの様に躍起になつて求める作家には、同情はされても所詮それは哀れであります。」(「坂本繁二郎夜話」昭和35年)(192~193頁)

■「芸術において形式こそ違っていますが、古来よりの東洋の作品も、西洋の作品も、高度のものほど自然に淘汰摘出されていまして、つまり、よいものはよい、といふ至極平凡な帰着点に落着いて、東洋も西洋も夫々微笑み合つている様に思はれます。若しこの事実がないなら、私達はそれこそ芸術の向上の方向も希望もあり得なくなりませうし、それこそ一切将来の光明もなく、ただ単に現実場当りの仕事のみになつてしまつて、過去、現在、未来、一切の総べてが無意味となるでせう。これでは考へただけでもやりきれないことになります。」(「坂本繁二郎夜話」昭和35年)(193~194頁)

(2011年9月17日)

-『仏陀』増谷文雄 著 角川選書ー18

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