■―― 物の存在を認むる事に依って、自分も始めて存在する。
存在によりて存在する意識の心は、只自分の外には何物もないけれども、物の存在を認むる事は、自分なる事ではない、物なる只其事のみである。自分なる者があっては、眞の物は未だ認められない。物認められねば、自分の存在がない。自分を虚にして始めて物の存在を認め、認めて始めて眞の自分が存在して来る。
眞存在の心は、一元と脈動した意識である。刹那々々のみを、自分たり得る心である、強ひて説明すれば消滅する心だろう。(以下略)――坂本繁二郎
まるで禅問答のような文章をまだ二十九歳の若者が理路整然と述べているので、本当に恐れ入ってしまうが、ここにはそれ以後の坂本繁二郎の制作思想が集約されている。つまり、自己の意識を滅却して〝事物の存在〟をはっきりと認識することにより、己の存在も見えてくる、物の存在と己とを、一元化すること、それが自分がめざしている芸術の道である、と彼は説いているのだ。(175㌻)
『海を見つめる画家たち』 大久保守著 鳥影社 2007年7月22日